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(山本太郎氏のXより)



■馳知事の呼びかけと山本太郎バッシング


地元の北國新聞によれば、石川県の馳浩知事は「5日の石川県災害対策本部員会議で『能登に向かう道路が渋滞し、困っている。個人や一般ボランティアが被災地へ向かうのは控えてほしい』と述べ、不要不急の来訪はしないよう呼び掛けた」そうです。馳知事は、それ以前にもX(旧ツイッター)で、一般車の乗り入れの自粛を呼びかけており、あらためて自粛を呼びかけた格好です。

現在の西日本新聞の前身である「九州日報」の記者をしていた夢野久作は、1923年の関東大震災の際に、二度にわたって震災直後の東京を訪れ、そのルポルタージュを「街頭から見た新東京の裏面」「東京人の堕落時代」と題して、「九州日報」に連載したのですが、その中で、廃墟と化した東京は人影もなく「がらーんとしているだろう」と思っていたら、実際は人であふれ、道路も大混雑していた、と書いていました。震災直後の東京にあふれていたのは、廃墟と化した東京を興味本位に見に来た物見遊山の人々だったのです。 

馳知事が被災地への来訪を控えるように呼びかけたのは、そういった物見遊山の来訪を恐れたからではないかと解釈する人もいるかもしれませんが、東京と能登半島では事情がまったく異なるでしょう。ただ、甚大な被害が生じた奥能登へ行くには、道路も限られているため、支援活動に支障が出ることを恐れたというのはあるかもしれません。

ただ、被災地への来訪は議員も自粛が要請されていますし、被災地の上をドローンを飛ばすことも禁止されているそうで、何だか異常な気がしないでもありません。

能登半島にある志賀原発では、油の流出が当初の発表より5倍に増えているとか、周辺15カ所ではモニタリングポストが「壊れて」放射線量の測定が不可能になったというニュースがありますが、来訪禁止やドローン禁止の”過剰な規制”を考えると、どうしてもよからぬ想像を巡らせたくなるのでした。

馳知事の呼びかけに呼応するかのように、ネット上ではさっそく「自粛警察」の震災版とも言うべき人間たちによる、ボランティアに対するバッシングがはじまったのでした。たとえば、いちはやく被災地に入ったれいわ新選組の山本太郎代表もそのひとりです。

山本代表は、現地に行った理由も含めて、みずからのXに次のように投稿していました。 


この投稿に対して、被災者のカレーを食べたのはけしからんと難癖を付けているのでした。それをスポーツ新聞のコタツ記事が取り上げて、Yahoo!ニュースが拡散し、テレビのコメンテーターたちがしたり顔でバッシングを追認しているのでした。

私は、こういった手合いを「最低の日本人」と呼んでいるのですが、要するに、「最低の日本人」の彼らが気に入らないのは、馳知事の呼びかけを無視して被災地に行ったからでしょう。 

しかし、同じように支援物資を積んだトラックとともに現地に入り、「軽率だ」「迷惑だ」とバッシングを浴びた後藤祐樹千葉県八街市議は、道路が渋滞しているのは乏しいガソリンを求めて地元の人たちの車がガソリンスタンドに行列を作っているからで、必ずしもよそから来た車で渋滞しているわけではない、とXで反論していました。

ネットには現地を車で走ったツイキャスも上げられていましたが、それを見ると特に渋滞している様子はなく、ツイキャスの主も「(自粛要請は)風評被害だよ」と皮肉を言っているくらいでした。しかし、メディアには今の道路状況に関する報道はいっさいないのです。自分たちもカメラを持って奥能登を訪れているので、道路の状況もわかっているはずですが、政府や石川県の自粛要請をオウム返しのようにくり返すだけです。

こう言うと、陰謀論やフェイクニュースを煽っているように思われるかもしれませんが、テレビなどメディアはどこまでホントのことを伝えているのかという疑問を持たざるを得ません。

地元の人によれば、地震直後は一時的に道路が渋滞していたことがあったそうです。それは、能登半島の出身者で金沢などに住んでいる人たちが、身内の安否を心配したり支援物資を届けるために車で訪れたからだと言っていました。もちろん、道路が寸断されて限られたルートしか通れないということもあったのでしょうが、ツイキャスを見ると、至るところで補修工事が行われた跡があり、(前の記事でも書きましたが)土木作業員たちが夜を徹して突貫工事をしたことがよくわかるのでした。土建会社にとっては地震特需でしょうが、工事に携わる作業員たちは被災者でもあり、頭が下がる思いがします。

一方、馳知事は、不要不急の来訪は控えるようにと言いながら、非常事態を宣言して、県の職員に「全庁をあげて災害対応にあたるよう指示」したのは1月6日、つまり、地震が発生した5日後なのです。これでは新年の「仕事始め」と同じでしょう。まったく呆れるしかありません。

石川県内で100人を超える人が亡くなった今回の地震について、石川県の馳知事は「これまでにない未曽有の大災害だ。能登を救うために、県庁としての非常事態を宣言する」と述べ、県の職員に対し、全庁をあげて災害対応にあたるよう指示しました。

県は被害の大きい自治体への職員の応援を増員させるなど、対応を強化することにしています。

また、県は被災地以外の旅館やホテルに、被災した人たちが過ごせるよう調整を進めるとしています。

このほかに、石川県小松市が能登地方の被災者およそ80人を受け入れるなど、県内の自治体で被災した人を受け入れる支援の動きが出ていることを明らかにしました。

NHK
石川 馳知事が非常事態を宣言 県職員に災害対応を指示


現場を知るということは大事なことです。支援活動がどうなっているのか、ホントに機能しているのを知るのも、政治家やジャーナリストだけでなく、ボランティアを志願する人たちも必要なことでしょう。

実際に現地の惨状を見た山本太郎代表は、上記のXで、自衛隊は自走式と牽引式キッチンカーを800台以上も持っている、牽引式は約45分のうちに250人分、自走式は約60分で150人分の炊事を行うことができる、どうしてその能力を活用しないのだ、と書いているのでした。

■ボランティアを拒否する「お役所仕事」の夜郎自大と「最低の日本人」たち


生き埋めになったままの人たちだけでなく、山間部で一人暮らしの高齢者の移送も進んでない状態だそうで、震災の関連死は東日本大震災を上回るのではないかという懸念さえ出ているのです。

どうして積極的に民間のボランティアの力を借りようとしないのか、不思議でなりません。役所は尻を叩かないと動かないというのは、私たちでもよく知っています。ホントに「お役所仕事」に任せるだけでいいのかと思います。

輪島市の坂口市長は、1月6日の石川県災害対策本部員会議で、「避難所もぎゅうぎゅう詰めで、ノロ(ウイルス)やコロナが発生している」と窮状を訴えたそうですが(朝日の記事より)、そういった事態に迅速に対応できるノウハウを持っているのは民間でしょう。「お役所仕事」ではとても対応できるとは思えません。

尻を叩かないと動かないのに、「最低の日本人」たちは、お役所に任せればいいんだと言って、自衛隊や消防や警察を英雄視するだけなのです。今、必要なのは役所の尻を叩くことでしょう。

しかも、岸田政権が投入した自衛隊は、「2日の約1千人を皮切りに、3日に約2千人、4日に約4600人、5日には約5千人、6日には約5400人、7日には約5900人に増員した」(朝日)だけだそうです。2011年の「東日本大震災では発災の翌日に約5万人から約10万人に、熊本地震では2日後には当初の約2千人から約2万5千人」(同)へと増員していることに比べれば、岸田政権の不作為はあきらかです。それは、被災者にとっては座して死を待つに等しいものです。

その極めつけは、元自衛隊員だとかいう芸人のやす子の発言です。彼女は、1月7日に放送されたTBS「サンデー・ジャポン」に出演して、次のように言ったそうです。

「一般の方がいま、助けに行くぞって行かれているんですけど、その一般の方がどこに泊まるかというと、民泊を借りたりとか、ガソリンをどうするかというと現地のものを使わないといけなくて、被災地の方にも力を借りなければいけなくなる」

「けど、自衛隊は自己完結してて、燃料、食べるもの、寝るところもすべて自分たちで持って行く。ですので、被災地に迷惑をかけずに支援ができるのが、自衛隊の大きないいところのひとつかなと思っているので」

「緊急車両が通れないと助かる命も助からなくなってしまう。いま、みんなができることは、募金とか、一旦、いまいるところで祈るというか、いまできる生活を送った方がいいんじゃないかなと思います」

Yahoo!ニュース
ディリースポーツ
やす子が完ぺき説明「自衛隊は被災地に迷惑かけずに災害支援できる」一般市民へは自重求め「みんなが出来るのは祈る事」


このやす子の発言に対して、ディリースポーツは「完ぺきな説明」と書いていましたが、どこが「完ぺき」なんだと思いました。山本太郎代表が言うように、圧倒的な人員不足だけでなく、キッチンカーすらも活用してないのです。やす子は決して賢いとは思えないキャラクターの芸人ですが、自衛隊の派遣人数など現状認識はお粗末なものしか持ってないようです。にもかかわらず、まるでボランティアが被災地に迷惑をかけているようなこましゃくれた発言をしているのです。バカな愛されキャラだから何を発言しても許されるというものではないでしょう。

ここに来て岸田政権に対して、政府内からも「初動を甘く見た」(朝日)というような声が出始めているそうですが、最初から初動を誤っていたのです。緊急事態であるにもかかわらず、仕事始めまで緊急事態宣言の発出を控えていた(としか思えない)石川県の対応を見てもわかるとおり、「お役所仕事」に任せていては、被災地の惨状は益々深刻化するばかりでしょう。未だに被害の全容すらつかめてなくて、日ごとに死者や安否不明者の数が増えているあり様なのです。

ボランティアというのは、瓦礫を片づけたり、家具を運び出したり、側溝の泥を掻き出したりするだけではないでしょう。「お役所仕事」にない即応性もあるし、通信や食事やトイレや衛生管理のノウハウも持っているのです。何より「最低の日本人」と違って、どこかの総理大臣の言葉ではないですが、「共助」の精神も、利他の考えもあるのです。

自分たちが税金を使うときはザルだけど、納税者に使うときは「ごうつくばばあ」みたいに厳格になるのは政治家や役人の常ですが、そんな連中にすべてを任せていては悲劇がさらに悲劇を呼ぶような事態になるのは目に見えているような気がします。生き埋めになったまま放置されるだけでなく、関連死も膨大に増えるのではないかと言われる中で、彼らがやっているのはボロ隠しのようなパフォーマンスと自演乙だけなのです。

どうして自衛隊はキッチンカーを使わずにヤマザキパンを運ぶのか。そう言うべきなのです。やす子のお粗末な発言を「完ぺき」と持ち上げるメディアのアホらしさをどうしてアホらしいと言わないのか。

■災害出動より「出初式」


当初、メディアはこぞって、甚大な被害が発生した奥能登に至る道路は寸断され、陸路による物資の輸送や被災者の移送ができないという報道をしていました。だったら、自衛隊が持っている大型ヘリを使って空路で行えばいいじゃないかという声もあったのですが、政府にはそういった発想はありませんでした。

その一方で、1月7日には、陸上自衛隊の第1空挺団は、千葉県の習志野演習場で「降下訓練始め」を予定どおり実施したそうです。これを報じた赤旗電子版によれば、「訓練は島しょ防衛を想定し、空挺団員によるパラシュート降下や、陸自ヘリによる部隊展開などを展示。訓練には陸自第1ヘリコプター団、航空自衛隊のC2、C130H輸送機などが参加(略)。米英、カナダ、フランス、ドイツ、オランダ、インドネシアの7カ国の軍隊も参加」し、派遣命令を出す木原防衛大臣も訓示したのだとか。つまり、災害出動より例年行われている「出初式」=お祭りを優先したのです。

「訓練始め」に参加したCH47Jヘリは55人の輸送が可能で、C2は最大約30トン、C130Hは最大20トンを搭載できるそうです。奥能登の孤立した集落を救援するために、どうして「降下訓練」の成果を発揮しないのかと誰でも思うはずです。

なお、この模様を朝日新聞は、何の批評も加えずに(悪びれもせずに)映像付きで報じています。政府も政府ならメディアもメディアなのです。

朝日新聞デジタル
陸自、千葉で降下訓練始め 防衛相「同盟国との連携示すことは重要」

ただ、忘れてはならないのは、(今まで書いたことと矛盾するかもしれませんが)自衛隊=軍隊は国家=国体を守るためにあるのであって、国民を守るためにあるのではないということです。災害対応ごときでは、陸路がダメなら空路や海路があるという発想は自衛隊にははなから存在しないのです。災害派遣は、あくまで「自衛隊は頼りになるぞ」というパフォーマンスの場にすぎないのです。

孤立した集落を救助するために、悪路を徒歩で進む自衛隊員に「感動と感謝の声」という記事などはその典型でしょう。いたずらに72時間が過ぎ、生き埋めになった多くの人々が見捨てられていても、みんなで感動して感謝しなければならないのです。

■デマを拡散するYahoo!ニュースの怖さ


今回の地震では、X(旧ツイッター)がYouTubeと同じようにアクセス数に応じて広告料が支払われるようになった影響もあり、Xを中心にしたSNS上で炎上目的のデマ投稿が増えたというニュースがありました。

しかし、それはSNSだけではないのです。むしろ、一番のデマの発信源は、スポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事です。

その端的な例が、避難所に車で乗り付けて自販機を壊して中の飲み物を奪っていく集団の話です。そんなコタツ記事がYahoo!ニュースに掲載されると、とんでもない事件、犯人たちは極刑に処すべきとヤフコメで炎上したのですが、後日、それがまったく事件性がないことが明らかになったのでした。

北國新聞によれば、ことの顛末は次のようなものです。

能登半島地震の避難所となっている穴水町の穴水高で1日夜、男女数人が自動販売機を壊し、同校の避難者用に飲料水を置いていったとみられることが6日、同校などへの取材で分かった。自販機を壊した人は「自分も避難者で、飲み物を確保するために自販機を壊していいか(管理者に)確認した」と話しており、石川県警は事件性はないとの見方を示している。

 穴水高によると、車で訪れた数人が自販機を器具でこじ開け飲料水を取り出し、避難所に置いていったという。

北國新聞DIGITAL
自販機破壊、避難者のためだった 
「飲料水確保するため」 穴水高


私は、このニュースを見て、関東大震災の際の朝鮮人が井戸に毒を入れたという話を思い出しました。

アクセス数を稼ぐためにデマを発信しているのは、SNSだけでなくYahoo!ニュースも同じなのです。ヘイトの問題でも散々指摘されていますが、Yahoo!ニュースがどんな存在であるのかを考えると、これはとても怖いニュースだなと思いました。
2024.01.08 Mon l 震災・原発事故 l top ▲
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(ウエザーニュースより)



■僅か2000人


1月1日に発生した石川県能登地方を震源地とする地震では、食料や水や毛布などの支援物資が届かず、被災した人たちから支援を求める声が相次いでいますが、1995年の阪神・淡路大震災以後、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と甚大な被害を出した地震が続いたにもかかわらず、また同じことをくり返しているような気がしてなりません。

地震が発生して2日経った1月3日の夜に、「岸田首相は、石川県の馳知事や被災地の自治体の首長らとオンライン会議を行い、被災地の状況確認、支援ニーズの確認などを行った」というニュースがありました。

そして、岸田首相は、下記のように述べたそうです。

会議の後、岸田首相は「ニーズを確実に吸い上げ、確立すること、自治体の機能が十分に回復するまでの間は、国が自治体をサポートしてニーズの把握と物資の運搬が重要だと認識している」と述べた。

岸田首相は、木原防衛相に対し、自治体が把握しきれない支援物資のニーズを自衛隊が避難所を回り聴き取って、救援物資の輸送まで行うよう指示したことを明らかにした。

FNNプライムライン
能登半島地震 岸田首相「国が自治体をサポートしてニーズ把握と物資運搬が重要」


また、讀賣新聞によれば、同日(1月3日)の午前、岸田首相は、非常災害対策本部会議を開いて、自衛隊の人員を2000人程度に倍増することを決定したそうです。それは、「生存率が急速に下がるとされる『発生から72時間』を4日午後に迎えることを意識」したものだそうです。

一方、同日(1月3日)の朝に行われた石川県の災害対策本部会議で、市内6000世帯のうち9割がほぼ全壊して、「壊滅的」な被害に遭ったと言われる珠洲市の泉谷市長は、「対応できていない救助要請は72件に上っているので、人命救助を最優先にしてほしい。避難所のトイレも限界で至急仮設トイレが必要だ」と訴えたそうです。それを受けてなのかどうか、岸田首相は、発生して2日経ってやっと派遣する自衛隊を倍増することを決定したのです。それでも僅か2000人なのです。

■佐藤正久参院議員のプロパガンダ


そんな切羽詰まった状況の中で、ヤマザキパンが支援のパンを送ったとかで、自衛隊出身の佐藤正久参院議員がみずからのX(旧ツイッター)に、パンが自衛隊員の手で運ばれる様子を撮影した動画をアップして、「ヤマザキパンさん、いつも災害時にご支援ありがとうございます。避難所等に届けます」と投稿したそうです。

日刊スポーツ
ヤマザキパンが能登半島地震の被災地に「いつも災害時に国民を助けてくれる!」SNSに称賛続々

佐藤参院議員の投稿に対して、SNS上では「流石ヤマザキ!」「やっぱり天下のヤマザキ!」と称賛の声が相次いだそうですが、災害時においてもこんな見え透いた自演乙を繰り返している日本という国は何なんだと思いました。

パンの提供はそれはそれでありがたいことでしょうが、しかし、何より必要なのは被災者全員に行き渡るような政府の支援でしょう。

佐藤正久参院議員のXを見ると、自衛隊員はまるでボランティアで救助活動をしているみたいな感じです。しかし、言うまでもなく、彼らは出動手当を貰って当たり前の任務を行っているだけです。自衛隊を派遣するには隊員の手当や滞在費も含めて莫大な費用がかかるので、派遣する人数をケチるのも予算の関係があるのではないかという声もあるくらいです。

と言うか、自衛隊にしても、佐藤参院議員のXに見られるように、災害派遣は本来の任務から外れた、言うなれば、自衛隊が頼りになる存在だと宣伝するための機会としか捉えてないようなフシさえあるのです。そのため、やたらフォーマンスが目立つような気がしてなりません。

佐藤参院議員のプロパガンダに乗せられて、自衛隊員をヒーローのように持ち上げるだけでは、悲痛な声を上げている被災者の現状から目をそらすことになるでしょう。私たちがまず目を向けるべきは、自衛隊員ではなく被災者なのです。

■日本に蔓延する事なかれ主義


火事の現場などでは、野次馬から「もっと早くしろよ」「消防は何しているんだ」という罵声が上がるのはよくあることです。災害の現場の映像などを見ても、救助活動をしている隊員よりそのまわりで見守っている隊員の方が多く、何だかもどかしい気がすることがあります。

瓦礫の下に放置されたまま、「発生から72時間」を迎える人たちは、一説には石川県全体で200人に上るのではないかと言われています。それを考えるといたたまれない気持になります。そんな状況下にありながら、(たしかにありがたい話かもしれないけど)ヤマザキパンさんありがとう、自衛隊はしっかり仕事をしていますよという佐藤参院議員の投稿に対しては違和感を抱かざるを得ません。政治家ならもっと他に目を向けるべきところがあるはずです。おそらく今回も、SNS上の称賛の声と違って、現場では「何やっているんだ」「どうして助けに来てくれないんだ」という怨嗟の声が上がっているに違いないのです。

もっとも、仮に自衛隊や消防隊に罵声を浴びせている姿が映像で流れたら、その人物はネットで袋叩きに遭うでしょう。テレビで「警察24時」とか「救急24時」とかいったドキュメンタリー風の番組をやっていますが、問答無用で自衛隊や救急を称賛したがる人間たちはテレビの観すぎなのかもしれません。あれはテレビ向けの顔にすぎないことを知るべきなのですが、彼らにこんなことを言っても所詮は馬の耳に念仏なのでしょう。

それより災害の現場でもっとも過酷で大きな役割を担っているのは、民間の土木作業員や地元の消防団員たちだという声があります。夜を徹して寸断された道路の復旧作業を行ったり、初動の避難誘導を行っているのは彼らなのです。そのおかげで、警察や消防や自衛隊が現場に向かうことができるのです。しかし、彼らにスポットライトが当たることはないのです。これみよがしにトラックに「災害派遣」の垂れ幕が付けられた自衛隊などに、感謝と称賛の声が寄せられるだけなのです。

公務員の特徴に前例主義と事なかれ主義というのがありますが、いつの間にか日本全体が、事なかれ主義と、それを隠蔽するためのパフォーマンスに堕しているような気がしてなりません。

今回も30数時間ぶりに倒壊した家屋の下から奇跡的に救助されたというような映像が流れていますが、それらは消防や警察が自分たちの仕事ぶりをアピールするためにみずから撮影したものです。しかし、救助されたのは僅か数人で、文字通り「奇跡」のように幸運な人たちです。その背後には、「人命優先」の訴えも空しく、生き埋めのまま放置され死を迎えることになる(既に死を迎えている)200人あまりの人たちがいることを忘れてはならないでしょう。

スポーツ中継などを見ていても、敗退した選手がまず口にするのは「自分は精一杯やったので悔いはない」というような弁解です。これもSNSが普及しはじめてからの傾向のように思いますが、要するに批判を恐れて弁解が先に立つのでしょう。自分を責めることがいいとは思いませんが、「まず弁解」の風潮がともすれば無責任な風潮をつくっていると言えなくないのです。

そして、そんな無責任な風潮を糊塗するために、「ニッポン、凄い!」「感動をありがとう」「勇気をもらった」の自演乙が行われているように思えてなりません。そうやって日本社会をおおう無責任体系が、手を変え品を変えて未だに続いているように思えてならないのです。

救助活動に携わる関係者は見事ほどおそろいの防災服に身を包んでおり、総理大臣までが見るからに真新しい(折り目がきっちり付いた)防災服を着て会見していますが、何だかそれで”やってる感”を出しているだけのような気がしてなりません。

これも「自粛」の一種なのかもしれませんが、救助隊を批判することはタブーみたいな空気があるのも事実でしょう。むしろ、感謝することを強要されるのです。そうやって被災者の悲痛な訴えはそっちのけに、公務に携わる人間たちの大変さや”やってる感”だけが強調されるのでした。

財務省によれば、2023年度の国民負担率、つまり収入に対する税金の負担率は46.8%だそうです。 ちなみに、統計をとりはじめた1970年度は34.3%でした。納税者であれば為政者や行政府に文句を言う権利は当然あるし、それが民主主義だと思いますが、官尊民卑の日本では文句を言うと謀反人みたいに叩かれる風潮があるのでした。

特に今回のような大災害のときは、自衛隊や消防や警察の言うことを聞け、彼らに任せろと言われて、ホントの被害の実態が掴めないまま、「一つになろうニッポン」「がんばろうニッポン」式の(おなじみの)ファナティズムに動員されてしまうのでした。

■ゲスの極み


地震の翌日に羽田空港で発生した日本航空と海上保安庁の航空機の衝突事故でも、どう考えても人的ミスによるものであるにもかかわらず、メディアでは、日航機が一人の犠牲者も出さずに脱出できたのは「奇跡」だとして、世界中から称賛を浴びているというような「ニッポン、凄い!」のニュースが優先されるのでした。

学習能力もなく同じことをくり返している日本は、ホントに「凄い」国なのかと思ってしまいます。

またぞろ、タレントなどを利用して、「一つになろうニッポン」「勇気をもらった」「元気をもらった」などという空疎な言葉が飛び交うようになるのかもしれませんが、(だったら前もって言いますが)他人の不幸で「勇気をもらった」り「元気をもらった」りするのはゲスの極みです。「最低の日本人」である彼らは、そんな「所詮は他人事」の美辞麗句によって被災者を愚弄しているだけなのです。
2024.01.04 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
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(写真AC)



■関東大震災


100年前の1923年(大正12年)の9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9と推定される地震が関東南部を襲い、190万人が被災し、死者・行方不明者は10万5千人、建物全壊は10万9千棟、全焼が21万2千棟という甚大な被害が生じたのでした。しかし、これらの数字はあくまで推定にすぎません。

尚、当時の東京市の人口は226万人(48万戸)、横浜市が44万6千人(10万戸)だったそうです。

ウィキペディアにも書かれているように、関東大震災と言えば、東京の火災による被害ばかりが報じられますが、実際の被害の中心は「震源断層のある神奈川県内」だったと言われています。「建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波」など多くの被害が発生したそうです。

たしかに、横浜に住んでいる人間から見ても、横浜というのは、平地は海抜の低い沿岸部だけで、あとは坂や崖が多い丘陵地帯です。しかし、その割に標高は低いのです。私は海からひと山超えた東急東横線沿いの住宅地に住んでいますが、それでも標高は5メートル(海抜も5メートル)にすぎません。

昔、お年寄りで関東大震災を経験したと言ったら、それこそ歴史の証人みたいで「凄いな」と思っていましたが、しかし、私たちは既に大震災を二度も経験したのです。それどころか、かつて人類が遭遇したことがない原発事故まで経験しているのでした。

ちなみに、1995年(平成7年)の阪神大震災のマグニチュードは7.2、2011年(平成23年)の東日本大震災のマグニチュードは9.0だそうです。

■「東京人の堕落時代」と「からっぽな日本人」


夢野久作は、戦前の右翼の巨頭で、玄洋社を主宰する父親の杉山茂丸が一時社主を務めていた九州日報社(現在の「西日本新聞」)の特派記者として、震災から2ヶ月後の1923年9月と、翌年の1924年9月~10月の二度にわたって、福岡から大震災に見舞われた東京を訪れ、そこで見聞したものを「東京人の堕落時代」と題して同紙に連載しています。

そのことについて、このブログでも取り上げていますので、ご参照ください。

関連記事:
『よみがえる夢野久作』

「東京人の堕落時代」で書かれているのは、のちの坂口安吾の「堕落論」にも通じるような人間観です。と同時に、それは、三島由紀夫が『文化防衛論』(ちくま文庫)に収められている「果たし得ていない約束」(1970年)という文章の中で書いていた、「からっぽな日本(日本人)」という言葉にも通底する日本人論でもあるように思います。

三島は、冒頭、「私の中のこの二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とは言えない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ」と書いています。そして、最後に、次のような辛辣な言葉を並べているのでした。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目ない、或る経済大国が、極東の一角に残っているであろう。


でも、「東京人の堕落時代」や「からっぽな日本人」に書かれた日本人のあり様は、夢野久作が見た大震災や三島由紀夫が戦後社会に抱いた憂国の情だけでなく、私たち自身に突きつけられた、すぐれて現代的な問題でもあると言えるのです。

■汚染水の海洋放出


東京電力と日本政府は、7月24日、放射能汚染水を海洋に放出しました。放出されたのは、単なる冷却水ではなく、デブリ(崩れた燃料棒)に触れた地下水です。チェルノブイリを見れば分かるように、現代の科学技術ではデブリの取り出しはほぼ不可能です。つまり、デブリに触れた汚染水は、地下水が止まらない限り、半永久的に続くことになる可能性もあるのです。東電や政府が言う「30年」は、何の根拠もない数字にすぎないのです。

今年度は3万1千200トンを4回に分けて放出する予定で、トリチウムの総量は5兆デシベル(db)に達するそうです。デブリに含まれているトリチウムは、10年後の現在も1920兆dbあると言われていますが、その中でタンクに汲み出したのは780兆dbにすぎないそうです。

汚染水の処理については、いくつかの方法があると言われていますが、代表的なのがチェルノブイリで行われたようなセメントで固形化して地下に埋設する「石棺」方式です。ただ、それだと費用が2千431億円かかるそうです。一方、海洋投棄だと80分の1の34億円で済むのです。

このように安価で済む海洋投棄は当初から計画されており、満杯になったタンクの置き場所がなくなるというのは、単なる口実にすぎなかったと言われています。

2018年8月、「処理水」に基準値を超える放射性物質が除去されずに残留していることが、一部のメディアによって報道され問題になりました。それを受けて、東電は、翌月の2018年9月に、「処理水」の8割超が最大2万倍の放出基準値を超えていたと発表したのでした。にもかかわらず、翌年の2019年の9月には、原田義昭環境大臣(当時)が退任時に、「海洋放出するしか方法がない」と発言しているのです。その当時から海洋放出は、政府・東電の既定路線だったことがわかります。

原発の安全対策の基本は、核分裂を「止める」、燃料を「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」というこです。これは原子力を扱う上での、それこそ中学生でも知っているような大原則です。放射性物質というのは現代の科学ではどうすることもできないので、基本は放射能の寿命まで閉じ込めて時間を稼ぐしかないのです。海洋放出というのは、その基本、大原則を無視した蛮行と言っていいものです。

■不死鳥のようによみがった「原発村」


それにしてもまたぞろ「科学」なるものが一人歩きしています。メディアも、中国や韓国の反発は「非科学的」だと一蹴するだけです。何だか「原発は安全」という、かつての「原発村」の挙国一致の論理が再び跋扈し始めているような感じさえします。「原子力の安全利用を推進する」IAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得たとして、「科学」なる言葉がまるで水戸黄門の印籠のように振りかざされているのでした。

「科学は真理に至る方法にすぎず、科学自体は真理ではない」と言った人がいましたが、その言葉はあのSTAP細胞の騒ぎを思い出せば理解できるでしょう。

未曾有の原発事故から僅か12年。今、私たちの目の前にあるのは、「原発村」が再び不死鳥のようによみがえった悪夢の光景とも言えるものです。

当時はメディアはどこも原発推進でした。原発は原子力の平和利用の最たるもので、「夢のエネルギー」と言われたのです。原発反対運動は治安問題として扱われ、原発に反対する人間たちはテロリストのように見なされ、公安警察の監視対象になったのでした。そんな強権的な翼賛体制を支えたのが、国策の名のもとに我が世の春を謳歌した「科学」と、「総括原価方式」で庇護された電力会社の資本の論理でした。

今回の海洋放出について、左派リベラルや野党は、漁業者や福島の住民に丁寧な説明をせずに見切り発車したとして、政府や東電のやり方を批判しています。そのために、「風評被害」が広がり、地元の人たちがさらに被害を蒙ることになると言うのでした。

何のことはない、政府や東電のやり方を批判する彼らも、同じ「科学」に依拠しているのです。「科学」的には安全だけど、やり方が拙速すぎると言っているだけです。「風評被害」という言葉も、安全なのに誤解されている、という意味に使われているのでした。

■”廃炉”の定義さえ決まってない


ビデオニュースドットコムは、汚染水の海洋放出を受けて、原発事故以後、東京電力を取材してきたフリーライターの木野龍逸氏にインタビューして、その動画を無料で公開していました。

そこで語られるデタラメぶりは、とても「科学」の名に値するものではありません。それは、原発反対運動を治安問題として扱ってきた時代から一貫して変わらない東電の姿勢でもあるのです。もちろん、それは、再び東電や政府と一体となって、空疎な"安全神話"を振りまいているメディアも同じです。

ビデオニュースドットコム
なぜ東電は問題だらけの汚染水の海洋放出に追い込まれたのか

インタビュアーの神保哲生氏が「概要」をまとめていますが、私も動画を観ながら下記のようなメモを取りました。

・海洋放出は、安くて簡単。コストが安い。しかし、その分環境負荷が大きい。これは「コストの外部化」にすぎない。環境に押し付けるから自分たちのコストが安いだけ。

・膨大な廃炉費用は国からの借金。でも、返すあてがない。最終的には、電気代に上乗せされ国民負担になる。

・ALPS(多核種除去設備)を通しても、トリチウム以外にも除去できない放射性物質が12核種あるとも言われる。トリチウムだけが問題なのではない。ALPS自体があいまい。トリチウムが含まれている冷却水と、デブリに触れた汚染水はまったく違う。メディアはそれを同じもののように言っている。

・汚染水の検査をやっているのは東電。東電は、外部による検査をかたくなに拒否している。しかも、東電は地元との合意なしには海洋放出をやらないという約束を反古にしているが、政府が判断したことだからと逃げている。

・汚染水の海洋放出は、30年とも40年とも言われる“廃炉”のプロセスで必要だからという大義名分を掲げているけど、“廃炉”の定義さえあいまいで、その議論もまったく進んでいない。何をもって“廃炉”と言うのか。そもそも“廃炉”などできるのかという疑問さえある。

・1号炉から3号炉までのデブリ(崩れた燃料棒)は800~1000トンあると言われているけど、事故から10年以上経っても、小指の先くらいのグラム単位のものしか取り出せてない。しかも、そのデブリをどうするのか、外部の空気に触れて安全なのかという問題さえ解決していない。

・“廃炉”まで30年とか40年とかかかるという話も何ら根拠がない。もしかしたら、100年経っても排出しつづける可能性もある。そもそもデブリに触れる地下水を止めることさえできてない中で、全てのデブリを取り出せるのか。汚染している建屋は解体できるのか。その結論が出てないし、今の「科学」では出すことができない。

・ホントはチェルノブイリと同じように「石棺」するしかないけど、それだと地元が猛反発するし、帰還困難区域解除の前提も崩れる。

・早い時期から海洋放出が前提だった。タンクがいっぱいで置き場所がないというのは言い訳で、それを待っていた。そういった無責任な体質は昔から変わってない。

・汚染水の海洋放出は生態系に影響を与えることになる。まずプランクトンや小魚などの体内に取り込まれ、食物連鎖の過程で「生物濃縮」が起きて、人間にも影響を及ぼすことになる。汚染された海の魚を食べたからと言って、すぐにバタバタと死ぬわけではないけど、癌の発生率など将来に渡って深刻な健康被害をもたらす。「風評被害」は、非科学的で無知なものとは言えない。

木野龍逸氏は、東電や政府は「空手形を切って選択を迫っているようなものだ」と言っていました。

■トリチウムによる内部被爆


現在、東電や政府やメディアが言う「処理水」は139万リットルあるそうですが、そのうちの71%は(上記で書いたように)トリチウム以外の高濃度の放射性物質が含まれており、再処理が必要だと言われています。

トリチウムにしても、「トリチウム水」という言い方があるくらい普通の水と同じ分子構造(HTO)なので、トリチウムだけを分離して取り出すことは基本的にできません。ホリエモンなどは、だから(水と同じだから)安全なんだ、安全じゃないと言ってる奴は中学まで戻った方がいい、と言っているのです。

しかし、ホリエモンが言っていることは詭弁で、普通の水と同じ分子構造であるがゆえに、容易に体内の組織に取り込まれ、長いもので15年間も体内にとどまり、その間トリチウムが発するベータ線によって内部被爆を受けると言われているのです。

ビデオニュースドットコムでは、分子生物学者の河田昌東氏にもインタビューしているのですが、河田氏によれば、「トリチウムは中性子を放出するとヘリウムに変わるが、その際にトリチウムと有機結合していた炭素や酸素、窒素、リン原子が不安定になり、DNAの科学結合の切断が起きる」(「概要」より)そうです。そうやって「構成元素を崩壊させることで分子破壊」をもたらし、それが癌などの要因になると言っていました。

ビデオニュースドットコム
トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない

■歪んだ(屈折した)愛国心


日本テレビ系列のNNNと読売新聞が8月25日から27日までに行った世論調査によれば、「福島第一原発の処理水」の放出について、「評価する」が57%、「評価しない」が32%だったそうです。

Yahoo!ニュース
日テレNEWS
処理水の放出開始「評価」57% 徐々に理解増える【NNN・読売新聞 世論調査】

これこそ思考停止の極みと言うべきでしょう。

エコバックを持って買物に行ったり、「子どもには身体にいいものを与えたい」と無農薬や低農薬の野菜を求めたりしていながら、肝心な汚染水の海洋放出に対してのこの鈍感さはどう考えればいいのか。汚染水の海洋放出は、自分たちの問題なのです。”嫌中憎韓”に置き換えるような話ではないでしょう。

中には、海洋放出に反対するのは、コロナワクチンに反対するのと同じ陰謀論だとか、中国に同調するものだ(中国の手先だ)というような記事さえあるくらいです。開いた口が塞がらないとはこのことです。

況や、唯一の被爆国の国民で、尚且つ未曾有の原発事故を経験した国民でもあるのです。ホリエモンの暴言に見られるように、ネットの守銭奴のコタツ記事に煽られて思考停止するなど愚の骨頂としか言いようがありません。

三島由紀夫は、「唯物功利の惨毒に冒された」(©竹中労)戦後社会を憂いて「からっぽな日本(人)」と言ったのですが、私は、やはり、敗戦時、どうして日本人は昨日の敵に、あれほど我先にすり寄って行ったのか、その変わり身の早さはどこから来るのかという疑問に、すべては由来しているように思います。日本人論はそこから始めるべきでしょう。

一夜明けたら昨日の敵に我先にすり寄り、すべてをなかったことにして、誰も責任を取らなかったのです。それを合理化するために、戦後の日本はフジサンケイグループに代表されるような、対米従属「愛国」主義とも言える歪んだ(屈折した)愛国心を持たざるを得なかったのですが、海洋放出に対する世論にも、そういった無責任の構造に連なる歪んだ(屈折した)心情が陰画にように映し出されているように思います。ただ、それを「科学」という言葉で誤魔化しているだけです。
2023.09.01 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
九州の観光地における地震の影響は、ますます深刻になっているようです。別府の友人の話では、既に休業した観光ホテルもあるそうです。団体客のキャンセルが大きいと言ってました。

また、別の温泉地の友人は、関東に出稼ぎに行こうかなと言ってました。冗談か本気かわかりませんが、私は、来ればいいじゃないかと言いました。

今回の地震で被害を受けた阿蘇周辺の温泉は、文字通り火の国の恵みなのです。阿蘇山によって、外輪山の端にある私の田舎も、温泉という観光資源に恵まれたのです。その観光資源が地震によって苦境に陥っているのでした。

阿蘇のような雄大な景色は、関東のほうではなかなかお目にかかることができません。その雄大な景色の至る所に亀裂が走っているのを見ると、あらためて自然の脅威というのを考えないわけにはいきません。と同時に、なんだかせつない気持になるのでした。

私は、草原の端に立って、遠くの山裾に微かに見える建物がなんなのか、そこにたしかめに行くのを密かな楽しみにしていました。子どもの頃、山を越えた先になにか知らない世界があるような気がして、いろんな思いを馳せたものです。文字通り、山の彼方の空遠くに幸い住むと思っていたのです。そういった想像力は、阿蘇のあの雄大な景色が育んでくれたように思います。

ネットで知ったのですが、旧黒川村出身の詩人の蔵原伸二郎という人が、「故郷の山」と題して、つぎのように阿蘇の景色を謳っていました。2月に墓参りに帰ったときに、私のなかに映った情景もそれと同じでした。

故郷の山

わが故郷は荒涼たるかな
累々として火山炭のみ
黒く光り
高原の陽は肌寒くして
山間の小駅に人影もなし
 
祖先の墓に参らんと
ひとり
風はやき荒野をゆく
これぞこれ
わが誕生の黒川村か
重なり重なり
波うち怒れる丘陵
 
ああ 黒一点
鳥の低く飛び去るあたり
噴煙たかく
大阿蘇山は
神さぴにけり

(詩集『乾いた道』)

2016.05.06 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
もう30年近く前だと思いますが、西日本新聞に石牟礼道子氏が阿蘇に関するエッセイを書いていました。それは、阿蘇の草原に咲く花を題材にしたとてもいい文章で、私はそのエッセイを切り抜いて当時の日記帳にはさんでいました。それで、今日、ふと思い付いて日記帳を引っ張り出してみたのですが、なぜかその切り抜きだけが見当たらないのです。埼玉にいた頃は見た記憶がありますので、横浜に引っ越す際に紛失したのかもしれません。

竹中労は、『聞書庶民烈伝4』(1987年刊)のなかで、阿蘇の草原に咲く吾木香 (われもこう)について書いていますが、吾木香は赤い花です。石牟礼道子氏が書いていたのは、たしか白い花だったように思います。今となってはたしかめる術がないのですが、石牟礼氏が書いていたのはなんの花だったのか、気になって仕方ありません。

どうしてこんなことを思い出したのかと言えば、言うまでもなく今度の地震で阿蘇の草原も大きな被害を受けたからです。

今日の朝日新聞に、ライダーたちが「ラピュタの道」と呼んでいた阿蘇の山道が、今回の地震で一部が崩壊して通行不能になり、ライダーたちから惜しむ声が上がっている、という記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
阿蘇の「ラピュタの道」崩落 ライダー「聖地だった」

大観峰の先にあるこの道も、私は車で走ったことがあります。私は、九州にいた頃、なにか悩みがあるといつも決まって大観峰へ行ってました。「阿蘇市」とか「南阿蘇村」とか言われてもピンとこないのですが、車の免許を取得したときも、助手席に父親に乗ってもらい、外輪山から阿蘇谷の旧一の宮町に降りるこのコースで運転の練習をしたものです。

そう言えば、地震の直後、阿蘇の住民たちが県境を越えて私の田舎に買い出しに押し寄せ、田舎のスーパーも品不足に陥っているという記事が地元の新聞に出ていました。私の田舎にもときどき阿蘇山の火山灰が降るのですが、親たちはそれを「ヨナ」と呼んでいました。阿蘇の風景は、私たちにとっても、子どもの頃からなじみの深い風景なのでした。

白い小さな花が風にそよぐ草原の風景。阿蘇が大きな被害に見舞われた今、もう一度あの石牟礼道子氏の文章を読みたいと思いますが、もう叶わぬ話です。
2016.04.28 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
熊本の地震から一週間がすぎました。当初、専門家たちは、15日の地震は大きな被害が出た益城町を走る活断層に限定した地震であるかのように言っていたのですが、一週間経ったら、活断層はつづいているとか、日本列島には二千の活断層があるのでいつどこで地震がおきてもおかしくないとか、さらに言うに事欠いて三つの地震が同時発生しているなどと、まるで野球の解説者のように、あと付けで発言を修正しています。これでは、「前震」と言われる最初の地震のあと、専門家の解説を信じて家に戻って犠牲になった人たちは浮かばれないでしょう。

昨夜も震度5強の余震がありましたが、震度5強を記録したのは、阿蘇の外輪山にある熊本県の産山村と産山村に隣接する大分県側の私の田舎でした。

田舎の友人に電話すると、毎日ヘルメットを枕元に置いて寝ているそうです。そして、「緊急地震速報」が発令されると、ヘルメットをかぶって押し入れに入っていると言ってました。同じヘルメットでも、テレビカメラの前に立つ記者やアナウンサーがこれみよがしにかぶっているヘルメットとは現実味が違うのです。友人の家は旧家で、家も古いのですが、壁の土がポロポロはがれていると言ってました。

一方、安倍首相は、17日午前、「被災者1人ひとりに食料や水が届くようにする。安心してください」と呼びかけたのだそうです。

 安倍首相は「被災者の皆様お1人おひとりに、必要な食料・水が届くようにしますので、どうかご安心いただきたい」と述べた。
 安倍首相は、食品・小売業者の協力を得て、「午前9時までに、15万食以上到着した。きょう中に、70万食を届ける」と強調した。
 そして、現在開かれている非常災害対策本部で、トイレや医薬品など、被災者のニーズに迅速に対応するための被災者生活支援チームを立ち上げるよう指示した。

FNNニュース
熊本大地震 安倍首相「1人ひとりに食料や水が届くようにする」


ところが、現地では食料が「底をついた」と悲鳴があがっているのです。

西日本新聞
「食料、底をついた」 足りぬ物資、避難者悲鳴 ガソリン不足も深刻化

別の報道では、県庁などに支援物資は山積みになっているけど、人手不足で仕分けや配布する人間がいないので、避難所に支援物資が届いてないのだそうです。

昨日、床屋に行ったら、そのニュースが話題に上り、「一体、どうなっているんだ?」「東日本大震災の教訓は生かされてないのか?」という怒りの声が多く聞かれました。なかには「日本は腐っている」と言う人もいました。

自衛隊が避難所に支援物資を運んだものの、誰が配布するのか指示がないために、そのまま持ち帰ったという話があります。ところが、そのあと同じ避難所に、政府から依頼された米軍のオスプレイが麗々しく支援物資を運んできたそうです。どうして米軍で、どうしてオスプレイなのか。言うまでもなく、そこにはオスプレイの実績づくりを目論む安倍政権の政治的な意図がはたらいているからでしょう。

支援物資がスムーズに配布されないのは、ひとえに役所(公務員)の問題にほかならないのです。つまり、当事者能力が欠如した前例主義や杓子定規な厳格主義や責任回避の事なかれ主義に縛られたお役所仕事だからです。それは、阪神大震災や東日本大地震の際も散々言われてきたことです。しかし、また同じ愚をくり返しているのです。

しかし、政治家たちは、そういった問題には見て見ぬふりをして、国民の身にふりかかった大災害をみずからの政治的パフォーマンスに利用することしか考えないのです。賞味期限切れで食品が大量に破棄され、それが社会問題になるような国で、地震の被害に遭った何万人もの人々が食べる物に事欠き、空腹を訴えているのです。一体、どこが「愛国」なのか。安倍らがやっていることは、むしろ亡国の極みではないのか、と言いたくなります。夢野久作が今に生きていたら、やはり、そう言うのではないでしょうか。まったく「腐っている」のです。

上記の西日本新聞の記事は、避難所の窮状をつぎのように伝えていました。

(略)「米・水・保存食 HELP」。熊本県御船町の老人総合福祉施設「グリーンヒルみふね」は、駐車場に白いラッカースプレーで大きな字を書いた。

 入所者や地域住民約200人がいるが、町から届いたのはペットボトルの水9箱だけ。吉本洋施設長(44)は「あと3日で食料が枯渇しそうだ」と語った。

 だが、町にも余裕はない。藤木正幸町長は16日夕、フェイスブック(FB)で「町には緊急物資が何一つ入ってきません。町民は水分補給もできずに飢えと戦っています」と訴えた。その後に届いた支援物資の食料も17日昼で底をついた。炊き出しのおにぎりは1人1日1~2個しか配れない状態という。

 FB上では、具体的な避難所名を書いて「指定避難所ではないため、物資が一切届きません」「中学校は水も止まり、食料もありません。救援物資を」といった書き込みが相次ぐ。

 各地の避難所には数百人が身を寄せ、配給のカップ麺やおにぎりを求める長蛇の列で2~3時間待ちのケースも珍しくない。

 同県西原村の西原中で1歳3カ月の息子と避難する園田唯代さん(25)は「おにぎり1個とアイス1個が配給されたが、子どもがおなかをすかせている」。別の女性(48)は「並んでも全員に行き渡らないまま、配給が終わってしまう。朝からパン2個しか食べていない」。この避難所は断水しており、トイレは地面を掘って、ブルーシートで囲んだだけという。
(略)
 同県南阿蘇村の特別養護老人ホーム「水生苑(すいせいえん)」では電気と水が止まり、情報源はラジオが頼り。食料は3日分備蓄していたが底をつく恐れがあり、16日から1日2食に減らした。関係者は「役場に支援をお願いしたが、避難者が多すぎて『自分たちでどうにかしてください』と言われた」。

 近くのスーパーやコンビニは閉まっており、往復100キロの店まで買い出しに行く必要がある。だが、発電機の燃料や、買い出しに使う車のガソリンは入手困難。停電で水のくみ上げもできず、入所者は次第に追い詰められている。

2016.04.19 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
おとといの夜に発生した熊本の地震ですが、当初、地震の専門家たちは「今後も一週間くらいは震度5から6クラスの余震がつづくので充分気を付けてください」としたり顔で解説していました。ところが、今日の未明にマグニチュード7.3の大きな地震が発生すると、これが「本震」でおとといの地震は「前震」だったと訂正したのです。

私は、今朝、知り合いから「また大きな地震があった」と聞かされたとき、てっきりおとといの余震のことを言っているんだと思っていました。みんなから「実家は大丈夫?」と言われるので、地震は熊本なのにどうしてそんなに心配されるんだろうと思いました。たしかに、私の田舎は熊本県境に近いのですが、大きな被害があった益城町とはかなり離れています。もちろん、余波で揺れることはあるかもしれませんが、そんなに大きな被害があるとは思えません。

ところが、そのあとニュースを見てびっくりしました。震源は阿蘇のほうにも広がり、私の田舎や湯布院などでも大きな地震が発生していたのです。そこで初めてみんなが心配してくれた理由がわかったのでした。

地震の範囲についても、当初、専門家たちは活断層は別々に分かれているので、「(別の活断層の)阿蘇は関係がない」と言っていたのです。しかし、今朝のテレビでは、別の活断層に地震の範囲が広がるのは「よくある話」で、阿蘇や大分に広がったのも想定の範囲内だみたいなことを言っているので呆れてしまいました。こんな取って付けたようなもの言いは、以前もどこかで聞いたことがあるのでした。そうです、原発事故のときの専門家たちとそっくり同じなのです。

もうひとつ、テレビの報道で違和感があるのは、アナウンサーや記者たちがやたらヘルメットをかぶってレポートしていることです。ヘルメットなんて必要ないような場面でも、アナウンサーや記者たちはスーツ姿にヘルメットをかぶってマイクを握っているのでした。中継の様子を見ても、カメラマンや音声などのスタッフは別にヘルメットをかぶっていなくて、カメラの前に立つ人間だけが如何にもという感じで、ヘルメットをかぶっているのでした。

しかも、テレビのヘルメットはどんどんエスカレートするばかりで、最近はスタジオでニュース原稿を読むアナウンサーまでもがヘルメットをかぶっているのです。大分放送のアナウンサーも「OBS」と書かれたヘルメットをかぶって原稿を読んでいました。いくらなんでもそれは大袈裟だろうと言いたくなりました。テレビ特有の仰々しさやわざとらしさが鼻について、私は違和感を覚えてなりませんでした。

私の場合、田舎にはもう家もなく、ただ墓があるだけですので、地震で心配なのは墓石が倒れてないかということだけです。ニュースを見たあと、田舎の友人に電話しました。友人は、揺れがつづくので、眠れぬ夜をすごしていると言っていました。「立野の橋も崩落したんだぞ、知ってるか?」と言ってましたが、「立野の橋」というのは阿蘇大橋のことなのでしょう。また、私の田舎もそうですが、温泉が集中している地域なので、観光への影響が心配だと言ってました。

阪神大震災も経験した別の友人に聞くと、阪神の場合は大きいのが1回だけだったけど、今回はひと晩中揺れるので大変だった、ひっきりなしに「緊急地震速報」が鳴り響くので眠れなかった、と言っていました。

火山列島の日本では、いつどこで地震がおこるかわからないのです。専門家のしたり顔の見解などまったくあてにならないのです。自然の脅威に対して、科学なんて非力なものです。東日本大震災のとき、「100年に一度の大災害」なんて言い方がされていましたが、なんのことはないわずか5年で再び大災害が発生したのです。原発再稼働の前提も空疎な”希望的観測”にすぎないのです。いくら地面をコンクリートで塗り固めても、天災地変にはかなわないのです。私たちだっていつ災害に見舞われるかわからないのです。生死を分けるのもただ”運”だけです。あらためてそう思いました。
2016.04.16 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
「反原発」を訴えるために、首相官邸にドローンを飛ばしたという男が、一方で、ネトウヨの元祖・「嫌韓流」の山野車輪の漫画を愛読し、山野に影響されたような漫画を描いていたとして、話題になっています。

男は、みずから福井県の地元の警察署に出頭して逮捕されたのですが、逮捕容疑は「威力業務妨害」だそうです。でも、ドローンは、官邸の屋上に2週間も放置されたままだったのです。マスコミは、「政府中枢へのテロ」「警備当局も衝撃」と言ってますが、本人が「こんなはずでは」と首を傾げるくらい、2週間、誰も気が付かなかったのです。誰も気が付かず放置されていたのに、どうして「業務」を「妨害」したことになるのか。そう疑問を抱くのは私だけではないでしょう。

弁護士の話では、通常なら起訴猶予で釈放という事案だそうですが、そんな”微罪”であるにもかかわらず、まるで凶悪犯のように、連行される姿がマスコミのカメラの前に晒され、氏名や住所はもちろん、本人の周辺情報も大々的に報道されています。これこそ、公権力の都合で犯罪が”捏造”され、判決以前に懲罰的な市中引き回しがおこなわれる好例でしょう。

一方、反原発派の人たちは、今回の”放射脳”まがいの行為に「迷惑顔」だそうですが、しかし、反原発派のなかにも、同じような体質がないとは言えないのです。それが反原発運動を停滞させ後退させている要因になっているとも言えるのです。

『紙の爆弾』(鹿砦社)の4月号に、福島第一原発事故から4年を特集して、「新たなキーワードは『ノーニュークス・エナジー・オートノミー』」という記事が掲載されていました。これは、金曜日の官邸前デモなどを主催する「首都圏反原発連合」の「象徴的存在といえる」ミサオ・レッドウルフ氏に聞き書きした記事ですが、そのなかに口をあんぐりするような箇所がありました。イラストレーターであったミサオ・レッドウルフ氏が反原発の運動に入ったきっかけは、なんと”霊的啓示”だったと言うのです。

 アメリカから帰ってきて、イラストレーターをしていたのですが、そのころ、瞑想、メディテーションをしていたんです。そのなかで、自分の祖先とアクセスできるようになったんですね。三千年前とかに遠い祖先。さまざまな、隠蔽された歴史を観せられるなかで、”六ヶ所という重要な土地が「再処理工場」というとどめを刺されようとしている”という直感が来たわけです。”これは最後の縄文潰しだ”と。


氏自身も、こんなこと言うと、「普通引くでしょ」と言ってましたが、たしかに引かざるを得ません。

また、もうひとり、反原発運動の”象徴的人物・三宅洋平氏についても、昨年、Facebookでの発言が波紋を呼び、のちに三宅氏が「お詫びと釈明 」をする出来事がありました。

ユダヤ陰謀論者として一部のネット民の間では有名な内科医・内海聡氏が、“田布施システム“なる朝鮮人陰謀論のトンデモ話をFacebookに投稿しているのですが、三宅氏はその投稿をシェアして、つぎのように発言したのでした。

Facebook 
内海聡 2013年7月14日
https://ja-jp.facebook.com/satoru.utsumi/posts/481746535242438

アベシは確かに売国の度が過ぎて、その出自との関連を疑わざるを得ない。
だがそも、純血の日本人なんてのは居るのか?それはムーから環太平洋に四散した時の血を持って(仮説)、日本人と呼ぶのか?
アイヌはアイヌ。琉球は琉球。混じりまくりの日本人て、実はアジアの人種の坩堝ならぬ「つむじ」だと思ってる。

内海 聡

え、アベシが日本人じゃないってまだ知らない人がいるの?

https://www.facebook.com/yohei.miyake123/posts
/791993677542560


さらに、アベであれ誰であれ、素行と出自をむすびつけること自体、差別(ヘイト)ではないかという批判に対して、三宅氏はTwitterでつぎのように反論したのでした。

僕自身にも大陸や半島の血が流れてる以上、ヘイト感情がないのだから、アベシの出自にまつわる内海聡さんのコメントをシェアしたくらいで騒がれても、なんと言って良いのか。騒ぎ立てる前に文を最後まで読んだらどうなんだろう。感情的に過ぎる。

https://twitter.com/MIYAKE_YOHEI/status
/574805560924749824


これではカルトと言われても仕方ないでしょう。こういったお粗末な感覚が、前に指摘したように、「原発事故によって奇形な子どもがどんどん生まれている」「目が見えなくなったとか白血病で死にましたとかいう話がどんどん出ている」というような発言にもつながっているのだと思います。

反原発だからなんでもOKというわけにはいかないのです。これでは、「反原発は思想的退廃だ」と言った吉本隆明に反論できないでしょう。ドローン男に「迷惑顔」だなんて片腹痛いと言わざるを得ません。
2015.04.28 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
山本太郎氏文書 福島氏に酷似
ブラック批判 いじめとの声も

昨日のYahooニュースにこのふたつの見出しが並んで掲載されていました。

私は、それを見て、Yahooニュースは、わかりやすいくらいわかりやすいサイトだなと思いました。

山本太郎参院議員は、選挙後に開会された臨時国会で、つぎの6本の質問主意書を提出したそうです。

柏崎刈羽原発再稼働問題に関する質問主意書
東京電力が第三者機関として用いる分析会社の正当性に関する質問主意書
TPP及び日米並行協定に関する質問主意書
地域別最低賃金に関する質問主意書
生活保護制度に関する質問主意書
生活困窮者自立支援法案に関する質問主意書
参議院 質問主意書・答弁書一覧

このなかで「生活困窮者自立支援法案に関する質問主意書」が、社民党の福島瑞穂党首が提出した質問主意書に酷似していたのだそうです。それがどうしたという感じですが、政府の答弁書作成には、多くの時間とコストがかかるので、似たような質問主意書を提出するのは、「税金の無駄使い」(政府関係者)だと言うのです。

あんたたちから税金の無駄使いなんて言われたくないと思いますが、さっそくチンピラまがいの言いがかり・嫌がらせが始まった感じです。山本太郎バッシングは小沢バッシングに似てきた、と言った人がいましたが、たしかにそんな感じがしないでもありません。

このバッシングは、「山本太郎は無能」という”朝日新聞パターン”と言っていいかもしれますせん。もうひとつ、下半身スキャンダルや中核派ネタの”新潮&文春パターン”があります。

一方の「ブラック批判はいじめだ」という記事は、見出しのとおりで、インターネットのアンケートを牽強付会に解釈して、ワタミをはじめとするブラック企業をやんわりと擁護する内容の記事です。ワタミの渡邉美樹会長が当選した途端、このざまです。

原発は国策なので、その利権は巨大です。関連企業も膨大です。東芝も三菱も日立も古河電工も住友(電気)も、みんな原発で飯を食っている関連企業です。当然、広告費も巨額です。だから、マスコミにとって「反原発」は当然タブーでした。

そう考えると、山本太郎が当選した途端、いっせいにマスコミがバッシングをはじめたというのは、わかりやすいくらいわかりやすい話です。そして、逆にワタミのようなブラック企業を擁護する論調が出てきたのも、わかりやすいくらいわかりやすい話なのです。

朝日新聞は、科学部を筆頭に「原発推進」の立場をとってきました。それは「社論」でした。チェルノブイリの事故で風向きが変わったと言ってますが、実際は福島第一原発の事故までそれはつづきました。科学部の初代部長だった木村繁氏(故人)は、原発推進の応援団であることが新聞の役割で、原発に反対する人間を科学部はとらないと宣言していたそうです。その背景にあるのは、言うまでもなく科学信仰でした。

しかし、原発推進の立場をとるということは、単に科学信仰云々の話にとどまらないのです。原発反対運動に対して、電力会社やその関連・下請け企業が、警察や暴力団や右翼を使ってどんなひどい仕打ちをしてきたか。朝日新聞など報道機関が、そういった現実を知らないはずはないのです。でも、みんな見て見ぬふりをしてきたのです。

元朝日新聞科学部長の柴田鉄治氏は、月刊誌『創』のインタビュー(2012年12月号・「二つの連載企画が示した検証報道の大切さ」)で、つぎのように言ってました。

反対派が出てきた時の一番の問題点は、メディアが「絶対安全を求める反対派は非科学的だ」と攻撃したことです。本当は推進側が反対派に「絶対安全か」と迫られて「絶対安全だ」と言ったことがおかしいのであって、メディアがそれを衝かなかったのが間違いですよね。


でも、山本太郎は非科学的だとヤユする「拝啓 山本太郎さま」(WEBRONZA)を読むと、なにも変わってないんじゃないかと言いたくなります。原発事故であきらかになったのは、「科学的」と言われるものがどんなにいい加減なものだったかという事実でしょう。「科学的」であればどんなことでもごまかせるという事実でしょう。

スリーマイル島やチェルノブイリの事故の教訓がどうして生かされなかったのかと言えば、そんな事故は日本では起きないだろうという見方があったからだそうですが、今の再稼動も、もうしばらくはあんな大地震は起きないだろうという見方が根底にあるような気がしてなりません。あとは「科学」で体裁を整えればいいだけです。

原発は、まず国策ありきで、「科学」はあくまであとからついてきたにすぎません。今も同じです。未曽有の海洋汚染が起きているにもかかわらず、「科学」の名のもとに、安全宣言がなされ、アンタッチャブルな東電は甦り、原子力ムラは復活し、再稼動が着々と進み、原発の輸出が行われようとしているのです。

一方で、原発に反対したためにすべての仕事を失った(元)芸能人が、原発を憂慮する人々の支持を受けて国会議員になった途端に、いっせいにバッシング(人格攻撃)がはじまっているのです。原発芸人だったビートたけしが、トヨタのCMで被災地の復興を呼びかけているのと対照的です。今度は復興のCMで、ビートたけしは巨額の出演料を懐に入れるのでしょう。不条理はまだつづいているのです。

あの事故からまだ2年半も経ってないのです。政府も政治家も国民もマスコミも、一体なにを学んだのかと言いたくなります。
2013.08.11 Sun l 震災・原発事故 l top ▲
ネットにも動画がアップされていますが、原発再稼動に反対する抗議行動は、近来まれにみる大衆的な盛り上がりをみせています。毎週金曜日の夕方に行われている首相官邸への抗議デモも、最初は300人からはじまったそうですが、先々週(6/22)は4万人(主催者発表)、先週(6/29)は15万~16万人(同)、そして、昨日(7/6)も15万人(同)が官邸周辺の道路を埋め尽くしたのでした。

この抗議行動について、新聞やテレビなど大手のマスコミは、当初は無視を決め込んでいました。巨万の市民が首相官邸に押し寄せ、周辺の道路がマヒ状態になるなんて、60年安保以来なかったことだと言われています。あろうことか、国会記者会館の目の前の舗道をデモの人波が埋め尽くしたのです。にもかかわらず、NHKなど大半のマスコミは、文字通り見て見ぬふりをして報道しなかったのでした。

しかし、ますます規模を拡大していくデモに対して、さすがに無視しきれなくなったのか、ようやく報道管制を解きはじめました。ただ、その報道姿勢は、相変わらず政府・経産省や財界、電力会社に対して腰がひけたものでしかありません。原発が対米従属というこの国の戦後体制の根幹に関わる問題である限り、彼らマスコミにとってもそれは侵すことのできないタブーだったのでしょう。そのなかで、東電のようなアンタッチャブルな会社が生まれたのですが、マスコミには未だに原発問題や東電に対するタブーが生きているかのようです。

昨日のデモに対しても、今日の朝日新聞(asahi.com)は、「原発抗議行動、人数どっち? 主催者と警視庁発表に大差」などという、間のぬけた記事を書いていました。主催者と警察発表で、デモや集会の参加人数がまったく違うのは、今にはじまったことではありません。政治的意図から警察が過小に発表し、主催者が過大に発表するのは、半ば常識です。そんなことはとるに足らない二義的な話にすぎません。報道管制が解かれたと言っても、このように原発再稼動問題を正面から扱うことを避けた”焦点ぼかし”の記事でお茶を濁しているのが実情です。

一方、消費税増税問題では、まるで申し合わせたかのように(!)各社揃って3党の密室合意を支持、”増税賛美”の論陣を張っています。そして、政策論議はそっちのけで、増税に反対する小沢一郎氏への低俗な”人格攻撃”をつづけているのです。その異常な光景が今のマスコミのあり様を象徴しているように思います。

ダイヤモンド・オンラインの原英次郎編集長は、「小沢グループの造反に理あり 理念を掲げて総選挙を実施せよ」という秀逸な記事を書いていましたが、そういった異なる意見がまったく出て来ない今のマスコミの状況は、「大政翼賛会的」と言われても仕方ないでしょう。

アンケートなどを見ても、とりわけ原発事故以降、国民の間に政府や専門家(学者)やマスコミに対する不信感が増幅されたと言われます。なかでも深刻なのは、「ただちに人体に影響はない」という”安全デマ”を流しつづけたマスコミでしょう。多くの人が指摘しているように、ホントのことを伝えてないんじゃないかという不信感が、いっそうのマスコミ離れ・新聞離れを加速させているのです。でも、彼らにはまだその危機感が足りないようです。そこにあるのは、「言論の自由」をかなぐり捨て為政者に擦り寄る卑しい(としか言いようのない)姿だけです。原発についても、消費税増税についても、小沢一郎についても、マスコミの報道姿勢はどこかおかしい、と思っている国民は多いはずです。政治だけでなくマスコミもまた、旧態依然とした体質をひきずったままで、なにも学んでないしなにも変ってないのです。

>> なにも学んでない
>> なにも変ってない
2012.07.07 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
同じような話ばかりで恐縮ですが、先日、いとうせいこう氏のTwitter を見ていたら、「さようなら原発1000万人アクションの賛同人にジュリーも署名」という書込みがありました。「さようなら原発1000万人アクション」のサイトを見ると、沢田研二はつぎのようなメッセージを寄せていました。

美しい日本を護るために一人でも多くの覚悟が不可欠です。
個人としては微力ですが、歩を進めましょう。
声なき声を集めて。さあ!


芸能界ではほかに吉永小百合や竹下景子なども署名していました。

私は、先日の「『愚民社会』」の記事のなかで、渡辺謙がダボス会議で訴えた「絆」に違和感があると書きましたが、その後、渡辺謙は同会議でつぎのような発言をしていることを知りました。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし 度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物 質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に 頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
(東京新聞 TOKYO Web 2012年1月26日配信)


渡辺謙もまた、原発から再生可能エネルギーへの転換を訴えていたのです。しかし、新聞やテレビはそういった発言はほとんど無視して、ただ「絆」の部分だけを切りとって報道したのでした。こういったところにも今回の原発事故でマスコミが果たした役割が垣間見える気がします。

別に有名人に限らないでしょうが、多くの人たちが今回の原発事故を通して、電力会社や政府だけでなくマスコミや原発事故を解説する専門家などに対して不信感を抱いたのは間違いないでしょう。私のまわりでもどこにでもいるようなおっさんやおばさんが、「どうして東電を潰さないのか?」「こんな理不尽なことが許されるのか?」などと怒っていましたが、それは多くの人たちが共有する感覚でしょう。

にもかかわらず、マスコミは相変わらず東電をはじめ電力会社を正面から批判することを避けています。たとえば、7~8年前に発覚した耐震偽装事件のときと比較すればよくわかりますが、あのときは関係者の会社や自宅に押しかけて、テレビカメラの前でマイクを突き付けて詰問したものです。ことの是非は別にして、会社が小さかったり個人だったりすると、マスコミは容赦なく本人への直撃取材や周辺取材を行います。しかし、今回、同じように東電の経営者の自宅に押しかけて、マイクを突き付けたか。そんな場面は一度だってありません。それどころか、逆に政府や東電が操作する「ただちに健康に影響はない」キャンペーンや「電力不足」キャンペーンのお先棒を担いだのでした。斉藤和義ではないですが、「ウソ」はまだつづいているのです。

そんな中で、民主党が「今夏の電力不足を懸念して原発再稼働を容認」という報道がありました。これでストレステストも単に原発再稼働のための机上の儀式であることがはっきりしました。しかも、ストレステストの結果に対する専門家の意見聴取会を仕切り、「妥当」のお墨付きを与えたのは、ほかならぬあの原子力安全・保安院なのですから、あいた口がふさがらないとはこのことでしょう。あの原発事故は一体なんだったんだ?と言いたくなります。

すべてを元の木阿弥にしようとする政府・民主党・経産省やマスコミ・電力会社の姿勢は、「どうして東電を潰さないのか?」「こんな理不尽なことが許されるのか?」という真っ当な感覚をまるであざ笑うかのようです。
2012.02.16 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
震災、そして原発事故から10ヶ月。何が変わったのでしょうか。原発事故で避難生活を余儀なくされ、東京に働きにきているという男性とたまたま話す機会があったのですが、男性は「なにも変わってないし、なにも進んでない」と怒りを含んだ口調で言ってました。

東電は4月から実施される企業向けの電気料金の値上げにつづいて、家庭向けの電気料金の値上げも予定しており、政府・経産省も最終的にはそれを認める方向だと言われています。要するにこれは、原発事故の費用を利用者にツケまわしするもので、事故当初から懸念されていたことでした。避難生活を余儀なくされ生活も人生もズタズタにされた福島の住民たちを尻目に、東電は値上げによって、5年後の黒字化を目指しているという話もあります。まったくあり得ないような話ですが、それがあり得るのが今の日本なのです。

先日はこんな新聞記事もありました。

<電力需給>政府今夏試算「6%余裕」伏せる

 今夏の電力需給について「全国で約1割の不足に陥る」と公表した昨夏の政府試算について「供給不足にはならない」という別の未公表のシナリオが政府内に存在したことが、分かった。公表した試算は、再生可能エネルギーをほとんど計上しないなど実態を無視した部分が目立つ。現在、原発は54基中49基が停止し、残りの5基も定期検査が控えているため、再稼働がなければ原発ゼロで夏を迎える。関係者からは「供給力を過小評価し、原発再稼働の必要性を強調している」と批判の声が上がっている。(以下略)
(毎日新聞 1月23日2時30分配信)


今考えれば、あの計画停電もなんだったのかと思います。当時、電力不足を演出した脅しじゃないかという声がありましたが、やっぱりそうだったのかと思わざるをえません。そういった東電の体質も、そして東電と癒着する政府や経産省や財界の姿勢もなにも変わってないのです。

関西電力が行った大飯原発3・4号機のストレステスト(耐性評価)の意見聴取会でも、傍聴を希望する反対派を排除した会場に、「事故はたいしたことはない」「チェリノブイリとは違う」などと安全デマをくり返していた原子力ムラのメンバーがずらりと顔を揃えてすわっていたのには、なんだか悪い夢でもみているかのようでした。これじゃストレステストに「妥当」というお墨付けを与えるのは最初から目にみえています。

枝野経産大臣がときに東電に対して批判めいた発言をするのも、お得意の二枚舌による単なるポーズのようにしか思えません。その裏では政府・経産省の支援を受けて、「国有化」を隠れ蓑に東電がゾンビのように生き延び元の姿に戻りつつあるのです。避難住民への賠償が遅々として進んでない現状もまるで他人事であるかのようです。

このように「なにも変わってないし、なにも進んでない」のです。犯罪はまだつづいていると言うべきでしょう。

2012.01.25 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
今日の新聞につぎのような記事が出ていました。

横浜市は14日夜、港北区大倉山の道路の側溝から1キロあたり129ベクレルのストロンチウムが検出されたと発表した。ストロンチウム89と90を合計した値。同じ場所では、セシウムも3万9012ベクレル検出されている。

 市民の独自調査で同区内のマンション屋上の堆積(たいせき)物から195ベクレルのストロンチウム90が検出された問題を受け、市がマンションの周辺から堆積物を採取し、鶴見区の分析機関「同位体研究所」に測定を依頼していた。

 港北区は東京電力福島第一原発から約250キロ離れている。
(asahi.com 朝日新聞 2011年10月14日20時30分配信)


この大倉山でも、福島第一原発の周辺域と変わらないレベルの汚染の実態があらためて確認されたのです。当該のマンションは自宅から直線で150メートルくらいの距離なので、他人事ではありません。それで、近所の知人とつぎのような会話をしました。

「この前、大綱小学校の雨樋から基準値を大幅に上回る放射線が検出されたばかりだが、今度はストロンチウムかよ」
「マンションの住民が屋上の堆積物を採取して、鶴見の分析機関に測定を依頼したらしい」
「たまたま?」
「そうだよ。すべてたまたまだよ。役所はみずから進んで測定しない。住民が自主的に測定して、それで放射性物質が検出されたら、そこで初めて腰をあげて、周辺を測定するだけだ」
「分析機関で調べてもらうのもお金がかかるんだろ?」
「そうだよ。お金もかかるし手間もかかる。しかし、役所が調べないので、仕方なく自前でやっているんだろう」
「じゃあ、たまたまということは、ほかにも調べればいくらでも出てくるということか?」
「おそらくそうだろう。だから、役所は調べないんだろうな」

「農作物も同じだよ。以前、南足柄産の茶葉から基準値を超える放射性物質が検出されたので、出荷停止の処置がとられたけど、じゃあ、ホントに茶葉だけなのか? ほかの作物は大丈夫なのか? それに南足柄だけなのか? ほかの地域は大丈夫なのか? そんな疑問は尽きない。やってることは、ただの子どもだましとしか思えない。しかも、しばらく経って放射性物質が検出されなくなったら、待ってましたとばかりに出荷停止を解除する。出荷停止も単なるポーズにすら思えるよ」
「一方で、『死の町』だとか『セシウム米』なんて言うと、焚書坑儒みたいに袋叩きに遭う。藤原新也氏も言ってたけど、人っ子ひとりいない光景を『死の町のようだ』と表現するのは『ありのまま』で、どこに問題があるというんだ。そうやって”風評被害”という言葉がひとり歩きして、『もの言えば唇寒し』のような空気を作っているんだ」

「問題はそういった『死の町』や『セシウム米』のような状況を作り出したのは誰か?ということだ。そうやって問題の本質が隠ぺいされ、批判の矛先が違うところに向いている(向けさせられている)気がしてならない」
「原発事故直後、避難した大熊町や双葉町の住民に、『東電に対して言いたいことはありますか?』と質問すると、住民は『いいえ、私達は東電を恨んでいません』と答えていた。そりゃそうだろう。原発が立地する自治体には湯水の如く交付金が注ぎ込まれ、住民の多くも原発関連の仕事に就いているんだから、東電の悪口なんて言えるはずがないよ。一方、なんら恩恵を受けなかった飯館村の住民は激怒して、謝罪に訪れた東電の幹部達を土下座させたけど、あれがホントの”被害住民の声”というべきだろう。しかし、テレビなどは当初、『私達は東電を恨んでいません』という声に、”日本人の美徳”なる似非イデオロギーを被せて、”被害住民の声”を捏造しようとしたんだ。そういう腰がひけた姿勢は未だつづいている」

「東電はTBSやテレビ朝日の株主でもあるしな。面と向かって批判できるはずがないよ。フランスのル・モンド紙は、東電批判をしない(できない)日本のマスコミを『犯罪的な沈黙』というタイトルで批判していたけど、海外のマスコミでは原子力産業に牛耳られた日本のマスコミの体質を指摘する声は多い」
「いづれにしても、250キロ離れた大倉山でもストロンチウムやセシウムが検出されるほど、東日本をおおう放射能汚染は深刻だということだ。にもかかわらず、政府も自治体もマスコミも、相変わらず問題を矮小化して、深刻な現状を糊塗することに腐心するだけなんだ」

何度も言いますが、なにも変わってないのです。”犯罪”はまだつづいているというべきでしょう。
2011.10.14 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
先日の朝日新聞に、「『フクシマの情報公開怠り住民被曝』NYタイムズ報道」という見出しで、つぎのような記事が出ていました。
 

東京電力福島第一原発の事故をめぐり、米ニューヨーク・タイムズ紙は9日付紙面で、日本政府が緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)のデータを事故直後に公表することを怠ったために、福島県浪江町など原発周辺自治体の住民らが被曝(ひばく)している可能性が高いと伝えた。

 長文の記事は、菅政権との対立で4月に内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘・東大大学院教授が、事故直後にSPEEDIのデータ公表を政府に進言したが、避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けたと指摘。「原発事故の規模や健康被害のリスクを過小評価しようとする政府に対し、社会の怒りが増大している」と論評した。

 そのほか、原子炉のメルトダウンを裏付けるデータ公表の遅れや、校庭での放射性物質の基準値をめぐるぶれなども問題視した。(ニューヨーク=田中光)
(asahi.com 2011年8月10日1時45分配信)


この記事を読んで、逆に「朝日よ、恥を知れ」と言いたくなりました。こういった記事は、本来なら朝日など日本の新聞が書くべき記事です。にもかかわらず日本のマスコミは、ただ”大本営発表”を垂れ流すだけで、政府と一緒になって真相を隠していたのです。

それにしても、「避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けた」なんて、なんという政府なんだと思います。と同時に、暗欝な気分にならざるをえませんでした。私たちには、住民(国民)の被爆より「避難コスト」の方を優先する、そんな政府しかないのですから。

こういう実態を知ると、(話は大きくなりますが)国家は誰のものかという疑問を抱かざるをえません。今回の大震災と原発事故で、私たちが遭遇したのは、実はそういう疑問ではないでしょうか。間違っても東浩紀が言うように、危機に際して自分たちの国家に誇りをもつようになったというような、そんな単純なものではありません。

前述した生活保護の「総額抑制」もそうですが、この手の発想はあきらかに官僚のものです。ただ、内田樹氏が『下流志向』で指摘していたように、私たちもまた同じように、ものごとを経済合理性(費用対効果)で適か不適か必要か不要か得か損かを考える発想に縛られているのです。それは、情報を独占し国家を簒奪する者たちにとって実に都合のいい発想だと言えます。(再び宮台真司の口真似をすれば)そうやって官僚や政治家に「依存」している限り、よらしむべし知らしむべからずの政治で「統制」されるのは当然で、それこそ”衆愚政治”と言うべきかもしれません。

東日本だけでなく、島根県の堆肥からも暫定基準値を超えるセシウムが検出されたというニュースがありましたが、このようにコスト計算ばかりして放射能汚染の拡大を放置するような、とんでもない政治を支えているのは、ほかならぬ私たち自身なのです。そして、脛に傷をもつようなワルたちが暗躍する民主党の次期政権では、このとんでもない政治がより合理化されるのは間違いありません。
2011.08.13 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
私は、若い頃、某自動車ディラーで、トラックやバスなど商用車の営業をしていたことがありました。その当時、お客さんのなかに、野菜や肉牛などを直接買い付けるブローカーの人たちがいました。家畜を扱う人は「ばくろう(馬喰)」と呼ばれて昔からいましたが、「ばくろう」だけでなく、どの商売にも一匹狼のようなブローカーの人たちがいて、独自に商品を流していたのです。

今回の原発事故で、放射性物質に汚染された野菜や肉牛などが出荷停止の処置がとられたというニュースを聞くたびに、私は、ホントに大丈夫なんだろうか、ホントにすべてが出荷停止されているんだろうか、という疑問をおぼえてなりませんでした。農産物が、農協などを通した「正規」のルートだけで流れているわけではないということを、過去の経験から知っているからです。

それにもうひとつは、ついこの前までマスコミを賑わせていた(はずの)食品偽装の問題もあります。あの常態化した手口を使えば、産地の偽装、つまり、放射性物質に汚染された農産物をロンダリングするくらいいくらでもできそうです。

ところが、いつの間にか、農産物の放射能汚染の問題も、生産者や販売業者の性善説を前提に、「風評被害」の側面ばかりが語られるようになりました。それに、汚染されているのは、ホウレンソウやかき菜やパセリやブロッコリーやカリフラワーや稲わらだけなのか、また汚染されている地域も福島県や茨城県や栃木県や群馬県だけなのか、という疑問もあります。放射性物質は県単位で飛散するわけではないのに、汚染対策が県単位でおこなわれるのもおかしな話です。また、専門家のなかには、海洋汚染による魚介類の汚染の方がより深刻だと言う人もいますが、魚介類の対策はどうなっているのか、やはり、県単位でおこなれるのだろうかと思います。こうなったらもう笑い話です。

要するに、東日本をおおう放射能汚染は、実際はどうにもならない状態にあるのではないか。本来なら数十万数百万単位の住民の移住や、東日本一円の土壌除染が必要なのだけど、現実にはとても無理なので、そういった「笑い話」のような対策でお茶を濁すしかないのではないか。そう思ったりします。

テレビで「東日本を食べて応援しよう!」とTOKIOが言ってますが、ホントに大丈夫なんだろうかと思います。食べて応援したい気持はやまやまですが、現実はそんな単純なものではないのではないかと思ったりします。

そして、そんな私の疑問が、実は現実に存在していることを、前述した『別冊宝島1796号 日本を脅かす!原発の深い闇』(宝島社)の記事が指摘していました。著者は福島在住の記者だそうです。「『地元在住記者』が苦渋の告発!流通の闇に消える福島産『被爆食品』」(吾妻博勝)と題され、つぎのようなリード(要約文)が付けられていました。

県内で買い手を失った食品が、産地を隠して密かに首都圏へ出荷されている。地元民でさえ忌避するのに、なぜ「福島産を食べよう!」といえるのか。


記事では、つぎのような”告白”を紹介していました。

各種山菜を都内の卸業者に送り届けてきた会津地方の男性は、「今年は放射能のおかげで競争相手が少ないから採り放題だった」と前置きして、こう打ち明ける。
「福島産だと、卸業者も『それでは売れない』と言うので、話合ったすえ、新潟、山形県産にして出荷することにした。セリ(卸売市場)にかけるわけじゃないから、そんなことどうにもなるわけさ。本当の産地を言ったら、店が売ってくれないから仕方ないよ。俺だって生活がかかってるしな。(以下略)」


また、浜通りの屋内退避指示圏(緊急避難準備区域)の住民で、家族とともにいわき市に避難している別の男性の”告白”もありました。

「10年以上前から付き合いのある業者から、『東日本大震災と放射能騒ぎで東北産の山菜が品不足だ。関東のスーパーではタケノコが1本800円もするので、そっちでなんとかならないか』と言われた。浜通りではタケノコから基準値オーバーのセシウムが検出され、県が採取、出荷自粛を呼びかけていたけど、自粛したら俺たち一家が干上がってしまう。竹林の持ち主が、『竹がこれ以上増えたら手に負えなくなる。どんどん採ってくれ』と言うので、3日に1回のペースで東京に運んだ。もちろん、トラックでね」


男性は現在、同じ「原発難民」の友人と組んで、イチゴ農家からイチゴを安く買い集めて東京に運んでいるそうです。「タケノコと同じで福島産とは言えないので、千葉、埼玉、栃木産として売っている。売値は、関東産の相場の半分だから買い取り業者は大喜びだ」と。

原発事故の被害に遭って日常生活を奪われ、それでもなおこのような手段で生活の糧を得なければならない事情を考えるとき、彼らを責めるのは酷でしょう。しかし、一方で、食の安全を考えるとき、生産者や販売業者の”善意”にすがるしかない”危うさ”をおぼえないわけにはいきません。

そして、「風評被害」なる言葉がひとり歩きして、結果として問題の本質を隠ぺいする役割を果たしている現実がここにあるように思います。これでは学校給食が心配だという声も当然でしょう。子どもの健康が心配だから保育園や幼稚園をやめさせたとか、家族で西日本に引っ越したとかいった行動も、決して過剰反応だとは言えないように思います。

もちろん、これは氷山の一角にすぎません。生産者の反発やパニックを怖れたのか、農業用水の水質調査をする前に、政府(農水省)が作付けを認めた稲の収獲もこれからはじまりますが、安全性については当初から懸念する声がありました。その場合、自主流通米や闇のルートで流れる米はどうなるのか。被災地域以外の米はホントに大丈夫なのか。疑問は尽きません。

食物連鎖による内部被爆の問題は、これからが本番なのです。米やセシウム牛はまだ入口にすぎません。そして、それは、今後数十年にわたって私たちの食生活に暗い影を落とすことになるのです。いづれにしても、チェルノブイリの例をみるまでもなく、幼い子どもやお母さんたちにとって、深刻な現実が待ち構えていることは間違いないでしょう。
2011.08.03 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
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夕方、みなとみらいで知人と待ち合わせたのですが、知人が来るまでクイーンズスクエアの上から手すりに身体をもたせかけ、仕事を終え家路を急ぐ人たちがエスカレーターで地下の駅へ下りて行くのを眺めていたら、ふと、堀田善衛の『広場の孤独』という小説のタイトルを思い出しました。オレはこんなところで何をしているんだろう、なんて思ったら、なんだか身も心も目の前の空間の中に吸い込まれていくような感覚にとらわれました。

何度も同じことをくり返しますが、「思えば遠くに来たもんだ」としみじみ思います。ただその一方で、「もっと遠くへ」という気持もあります。もうそんな年ではないだろうという声が聞こえてきそうですが、やはりいくつになっても「一処不在」にあこがれる気持があるのです。ヒンズー教の林住期ではないですが、知らない土地でひっそりと最期を迎えたいという気持があります。

でも、今回の震災における多くの「無念の死」を前にすると、そう考えることすら贅沢に思えるのです。生死の分かれ目といいますが、その差はあまりにも大きく冷酷だとしか言いようがありません。

井上光晴は『明日』という小説で、長崎に原爆が投下される前日の庶民の日常を描きました。“明日”があることが前提だからこそ、日常の中にさまざまな思いや感情があり、その分希望や期待もあったのです。しかし、それも一瞬の閃光によって打ち砕かれ、“明日”は永遠に訪れることはなかったのでした。“明日”を閉ざされた人たちは、なんと無念だったろうと思わざるをえません。

石原吉郎もやはりシベリアの地に倒れた多くの「無念の死」を抱えて帰還し、戦後の文学を出発したのです。でも、それは文学だけでなく政治でもなんでも同じだと思います。そう考えるとき、「無念の死」に対する想像力の欠片さえ持ってない今の政治には慄然とせざるをえません。

原発の問題でも然りで、人類史上最悪の原発事故に遭遇してもなお、何事もなかったかのように「元の日常」に戻そうと腐心する姿ばかりが目立ちます。菅内閣の対応を批判するといっても、誰も原発再稼動に動く菅内閣の姿勢を批判するわけではないのです。むしろ逆で、再稼働もせず、いつまで経っても「元の日常」に戻そうとしない「モタモタした」姿勢を批判しているのです。突然打ち出したストレステストにしても、経産省主導で進められている原発再稼働に対する菅内閣の抵抗と受取れないこともないのですが、しかし、なぜかそういった見方はマスコミにも皆無なのです。

世界一高い電気料金を原資とする政治献金で甘い汁を吸った政治家たち、巨額の広告宣伝費に群がったマスコミや電波芸者たち、電力会社が提供する研究助成金に魂を売った曲学阿世の学者たち。彼らは未だに懲りずに「安全デマ」を流しつづけています。そして、電力不足キャンペーンなどにみられるように、電力会社は彼らを操ることで、相変わらず情報工作や世論工作をつづけているのです。やらせメールなんてそれこそ氷山の一角にすぎません。

原発反対派の学者や議員などを尾行したり、いやがらせの無言電話をかけたり、ときには身体的な危害を加えるようなことまでしていたのは、どこの誰なのか。それは誰の命令だったのか。活動資金はどこから出ていたのか。それに比べれば、やらせメールなんてまだかわいいものです。

しかし、どうごまかそうとも、東日本をおおう放射能汚染は、誰の身にも等しくふりかかってくるのです。先日のラジオで、「今の子供たちがこれから数十年にわたって高い確率で甲状腺の癌などに罹るのは間違いない。ただ早期発見早期治療をすれば、癌は怖い病気ではないので、これから息の長い健康チェックが必要だ」と言ってましたが、それが3.11以後の私たちの現実なのですね。もう「元の日常」なんてどこにもないのです。

にもかかわらず、この緊張感のなさはなんなのでしょうか。「安全デマ」で現実から目をそらし自分をごまかす姿勢も相変わらずですが、私たちもまた「無念の死」にどう応えるかが問われているのではないでしょうか。

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万国橋から
万国橋から
2011.07.08 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
原発社会からの離脱

用事があって関内に行ったのですが、思ったよりはやく終わったので、大桟橋に行って客船ターミナルの待合室で本を読みました。今日は「真夏日」とかでうだるような暑さでしたが、「くじらのせなか」にのぼると心地よい海風が吹いていました。

今日読んだのは、宮台真司氏と飯田哲也氏の対談『原発社会からの離脱ー自然エネルギーと共同体自治に向けて』(講談社現代新書)です。飯田哲也氏は、事故から3ヶ月経過した現在の状況について、「あとがき」でつぎのように書いていました。

 経産省と財務省と三井住友銀行が絵を描いたとされる福島第一原発震災の損害賠償スキーム(枠組み)。東電本体や株主、金融機関など責任を取るべき人が取らず、東電をゾンビのように一〇〇年活かし続けて今の電力会社の独占を続ける一方で、まるで責任がないはずの電気料金を通じて国民負担を強いる「トンデモスキーム」が、堂々と出てくる。国民の七割が支持をした菅首相の浜岡原発停止要請に対して、他の原発を止めさせない「脅し」にも似た、メディアを利用した「電気が足りないキャンペーン」。
 一時期、思考麻痺を起こしていた原子力ムラや原子力官僚、電事連、経団連などの国の「旧いシステム」だったが、このように性懲りもなく、もう揺り戻しを始めている。ことほどさように、彼らは今回の原発震災で何も変わっていないのだ。


私もこのブログで同じことを書きましたが、これは多くの人たちに共通した認識でしょう。どうしてヨーロッパのように「脱原発」の方向に進まないのでしょうか。飯田氏によれば、自然エネルギーの普及に関しては、日本はヨーロッパに30年遅れているそうです。それどころか、未だに原子力はコストが安く、自然エネルギーにシフトすれば電気料金がはねあがり、日本の産業が立ちゆかなくなるという話がまことしやかに流通しているのが現実です(そのくせ電気料金は海外の2~3倍で、「世界一高い」と言われています)。それは二人が指摘するように、今の体制を守りたい経産省や電力会社がそう言っている(そういう仕組みをつくっている)からにほかなりません。

福島第一原発の事故が発生した当初、チェルノブイリとの比較がとりだたされました。その中に、チェリノブイリはそもそも格納容器がない旧式の原発なので、格納容器がある福島第一原発は、チェルノブイリのように放射性物質が大量に大気中に放出されることはないという話がありました。「第二のチェルノブイリ」なんていう言い方はいたずらに不安を煽るだけだ、と原子力ムラの御用学者や有名ブロガーなどが言ってましたが、3ヶ月経って、それらがすべてウソ(安全デマ)だったことが判明しました。

福島の場合、2号機と3号機に関しては、格納容器の底がぬけて核燃料が原子炉を貫通し地上に露出している、いわゆるメルトスルーがおきていることを既に東電も認めています。しかも、チェルノブイリは1機だけのメルトダウンでしたが、福島は3機のメルトダウンです。さらに、チェルノブイリは5日で収束しましたが、福島は3ヶ月以上経っても収束の見通しすらたってなく、今もまだ放射性物質がダダ漏れの状態にあります。

にもかかわらず、この悠長な対応と緊張感のない反応はなんなのでしょうか。宮台真司氏は、その背景にあるのは、行政官僚制や市場やマスコミや政府発表に対する盲目的な依存に集約される「悪い共同体」の「悪い心の習慣」だと言ってました。そして、「依存と統制」から「自治と参加」の政治に変わることによって、エネルギー政策も変えることができる(あるいは、エネルギー政策を変えることによって自治を再生できる)のだと言うのです。

自然エネルギーは、小規模で地域分散型なので、宮台氏の言う「共同体自治」とは親和性が高いのはたしかでしょう。もちろん、それは同時に、これからの社会のあり方を問い直す契機にもなるはずです。ただ、そこには日本人のメンタリティの根幹に関わる問題も伏在しているため、ことはそう簡単ではなさそうです。

たとえば、宮台氏は、「食に関する共同体自治であったはずのスローフード運動が、日本ではなぜかボディケアとか瞑想的な個人のライフスタイルの話になり、社会のあり方、つまり、ソーシャルスタイルを変えるという流れには繋が」らなかったと言ってましたが、そのとおりですね。「日本では残念ながらスローフードもウォールマート的なロハスになったし、メディアリテラシーも『これからはパソコンができないといけない』というインターネット能力の問題になってしまう」のです。今や猫も杓子もの感のある”省エネ”や”節電”にしても然りです。このままでは、「税金を払っているんだからしっかりやってくれ」「はい、わかりました。これからは万全な安全対策をとります」式で終わってしまう可能性も大なのです。

一方で、今後原発の新規着工が難しいのも事実で、エネルギー政策の転換は必至なのです。それを考えれば、ここに至ってもなお「旧いシステム」を守ろうとする経産省や電力会社の姿勢は、悪あがきだとしか思えませんが、そのツケもまた国民にまわされるのです。ヨーロッパどころか、タイや台湾やマレーシアやフィリピンやイントネシアなどアジアの国々も、既に「固定買取制」を導入していて日本の先を行ってるそうです。多くの人が指摘するように、原子力が過渡期のエネルギーで、既にその役割を終えていることはたしかでしょう。どっちにしても「脱原発」に舵を切らなければならないのです。それにしては、今のこの状況はあまりにも現実離れしていると言わねばなりません。これじゃ世界の趨勢から遅れるのは当然ではないでしょうか。

現実の政治がまったく期待できない今、この本の「これからの政治」を語る口調がどこか抽象的で、もどかしさを覚えてならないのも、やはり、この問題の難しさを物語っているような気がしました。自明性のなかに埋没した「変わらない日常」をひたすら保守する(保守したい)という「悪い心の習慣」は、想像以上に根が深いのではないか。私は、この本を読んであらためてそう思いました。

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「くじらのせなか」から・1

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「くじらのせなか」から・2
2011.06.24 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
商売人の禁を犯して、再びなまくさい話を。

仙台出身の俳優・菅原文太氏は、「脱原発の日独伊三国同盟」を”提唱”したそうですが、しかし、脱原発に大きく舵を切ったドイツやイタリアに比べて、肝心な我が国では、相変わらず既得権者の抵抗が大きいようです。

そんな中で唯一の「希望」は、菅総理の退陣が8月末まで延びそうなことです。なぜなら菅総理が8月末までの70日間の会期延長にこだわったのは、再生可能エネルギー特別措置法案、いわゆる「再生可能エネルギー促進法」の成立に意欲をみせているためだと言われているからです。特に「全量固定価格買取制度」は、発送電分離の前提になるものであり、強いては現在の地域独占(10社体制)に風穴を空ける画期的な法案であると言えます。

もちろん既得権益を守ろうとする電力会社や原発関連企業の反発はすさまじく、彼らの意向を受けた自民党や公明党などの野党は、再生可能エネルギー促進法案の成立は、「認められない」と反発しているようです。

そんな野党の姿勢をみるにつけ、やはり先日の内閣不信任案提出の背景には、この法案の存在があったのではないかと勘繰りたくなります。彼らは、「浜岡」を停止するなどエネルギー政策の転換にエスカレートする菅内閣の姿勢に危機感を抱いたのではないでしょうか。前の記事でも書きましたが、菅内閣は心ならずも虎の尾を踏んだと言えるのかもしれません。このように菅退陣をめぐる政治的なかけひきは、いつの間にかエネルギー政策の転換をめぐる”路線闘争”の色彩さえ帯びてきたのです。

「全量固定価格買取制度」が実現すれば、とりわけベンチャービジネスの活性化に大きく寄与するのは間違いないでしょう。化石燃料や原子力に比べて、自然エネルギーの発電は充分ベンチャーが参入する余地があるからです。異業種の中小企業にとっても、大きなビジネスチャンスになるでしょう。先日のエネシフ(エネルギーシフト勉強会)の会合で孫正義氏は、そういった具体的なイメージを提示したのでした。

もちろん、一方で菅内閣は原発再稼働に動いており、菅総理がこの法案の成立を「退陣三条件」のひとつにあげた裏に、バルカン政治家・菅直人のしたたかな政治的計算があるというのは、そのとおりかもしれません。しかし、いづれにしても(たとえ瓢箪から駒であっても)、法案成立のチャンスがめぐってきたことは間違いないのです。私たちは、木を見て森を見ない上杉隆的政局論などにまどわされることなく、いわば清濁併せ飲む気持で、この画期的な法案の成立を見守る必要があるのではないでしょうか。
2011.06.21 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
今日、テレビのニュースをみていたら、マイクを手にした菅首相が、「菅の顔だけはみたくないという人が国会のなかにはたくさんいるんですよ」「ほんとにみたくないのか」「そんなにみたくないのなら、この法案を早く通した方がいいよ」とハイテンションで演説している場面が出てきて、「菅総理、自虐ネタで続投に意欲」というようなテロップが流れていました。

私はたまたまUstreamで同じ場面(エネルギーシフト勉強会第二部)をみていたのですが、それは、超党派の「エネルギーシフト勉強会」(「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」)で挨拶したあとの、孫正義ソフトバンク社長とのやりとりの一部なのです。しかし、テレビは集会の主旨である法案のことはいっさい伝えずに、ただ、そのジョークを飛ばした部分だけを切りとり、「政権に意欲をみせている」なんて言葉をかぶせてニュースに仕立てるのです。どうしてわざわざそんな報道をしなければならないのでしょうか。どう考えても、政治的な意図を汲んだ情報操作だとしか思えません。

それにしても、小林武史も「表現者としても超一級だ」と絶賛していましたが、この集会で講演した孫正義氏の弁舌のうまさには目を瞠るものがありました(エネルギーシフト勉強会第一部)。もともとは営業マンだったので、喋りが訓練されているということもあるでしょうが、孫氏の演説をみていると、そのユーモアのある喋り方は典型的な九州の人間のものだなと思いました。

宮台真司氏は、孫氏の講演について、「どのみち自然エネルギーに舵をきらなければ儲からない時代がきている」と述べていました。

化石燃料による発電も原子力による発電も、もう「枯れた技術」でしかなくコストは上がるばかりだ。自然を子々孫々に残さなければならないという倫理という観点からも、あるいはそういった経済合理性という観点からも、いづれにしても自然エネルギーにシフトせざるをえない時代になっている。そんなヨーロッパでは当たり前になっているさまざまな「合理性」をどうして私たちは知らないのか。それは、私たちが「統制と依存」の政治によって間違った「自明性」のなかに埋没させられているからだと。

国民の批判などどこ吹く風といわんばかりの菅退陣をめぐる政争をみていると、今の政治にとっては大震災や原発事故も、所詮は政争の具にすぎないのだということがよくわかります。そんな「統制と依存」の政治こそ当事者能力を失い、政治の役割を放棄しているのです。その意味では、二大政党制も政権交代も一度チャラにした方がいいように思いますね。もちろん、そんな政治に同伴して劣化する一方のマスコミも同様ですが。
2011.06.15 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
国会議事堂

商売している身なので、政治の話はあまりしたくないのですが、菅内閣に対する不信任案をめぐる騒ぎにはホトホト呆れるばかりです。不信任案が否決されたにもかかわらず、なぜか菅退陣が決定的になったかのような報道がくり返され、今や与野党あげて菅おろしに狂奔している感さえあります。どう考えても、被災者そっちのけで政争にうつつをぬかしているとしか思えず、政治に絶望するには充分すぎるくらい愚劣な光景です。

そもそも自民党や公明党が提出した不信任案に大義がないのは、誰が見てもあきらかなのです。国策の名のもとに、東電をあのような会社にしたのは誰なのか、官僚と二人三脚で原発(電力)利権をむさぼってきたのは誰なのか、そう考えれば、彼らに菅内閣の対応を批判する資格があるとはとても思えません。

もちろん、菅内閣の対応に問題がないわけではありません。官僚や東電のサボタージュがあったとはいえ、メルトダウンどころかメルトスルーさえも隠ぺいしていたことは、万死に値するといってもいいでしょう。ただ、だからといって、必ずしも次がマシだとは限らないのです。それが今の政治の不幸なのです。

それに、菅内閣は、たとえ思いつきであったにしても、浜岡原発の停止や再生可能エネルギーの推進や発送電分離など、エネルギー政策の見直しを表明しました。それは電力会社やそれに連なる政治家たちにとって、とうてい受け入れがたい政策の転換であろうことは想像に難くありません。いわば、菅内閣は心ならずも虎の尾を踏んだといえないこともないのです。

今回の不信任案騒ぎでの民主党の醜態は目をおおうばかりですが、民主党は事故前までは、「新成長戦略」の一環として、東電や東芝と一体になって原発プロジェクトをベトナムに売り込んでいたのです。そう考えると、仙石由人氏や小沢一郎氏など民主党の”黒幕”が、それぞれ自民党との提携を視野に自民党の実力者と水面下で接触していた理由もわかるような気がします。そして、小沢・反小沢を問わず、先を争って自民党にラブコールを送り、なりふりかまわず「大連立」を呼びかけた事情も納得がいくのです。

折しも関西電力が15%の節電を要請したことに対して、橋本徹大阪府知事が「15%の節電なんてまったく根拠がない」「あれは原発が必要だと言うブラフ(脅し)だ」と批判していましたが、そうやって電力会社による”反撃”が既にはじまっているような気がしないでもありません。それはいうまでもなく、「競争のない地域独占、発送電の垂直統合、すべてのコストを電気料金で吸収することが許される総括原価方式など、電力会社が与えられた民間企業としてはあり得ないような特権の数々」(経済ジャーナリスト・町田徹氏)を守るための”反撃”です。

そして、今回の政争の裏にも、事故対応の時計の針をもとに戻す(戻さなければならない)という思惑があるように思えてならないのです。おそらく次の政権では、「喉元すぎれば熱さも忘れる」ような急速な事故の”収束”がはかられるのではないでしょうか。賠償スキームにしても、菅内閣以上に”東電救済”の方向に大きく後退するのは間違いないでしょう。むしろ、そのために菅退陣を急いでいるように見えないこともないのです。

しかし、最近も土壌や茶葉からセシウムやストロンチウムが検出されたという話がありましたが、政治の思惑がどうであれ、依然として放射性物質のタダ漏れがつづいていて、東日本の放射能汚染がより深刻化しているのはたしかなのです。

こういう政治を選んだのはほかならぬ私たち自身なのですから、自業自得だといわれればそのとおりですが、せめて未来を担う子供たちのためにも、放射能汚染の問題だけはごまかされないようにしなければと思います。別にきれい事をいうわけではありませんが、それがのちの世代に対する責務ではないでしょうか。
2011.06.11 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
また原発の話になりますが、俳優の山本太郎がみずからあきらかにしたところによれば、「原発発言」が原因で、7月8日に予定されていたドラマ(TBSの東芝日曜劇場?)を降板させられたのだそうです。彼は、先月高円寺で行われた反原発デモや今月の23日に文科省前で行われた福島県の父母たちによる放射線量年間20ミリシーベルト撤回の抗議行動にも参加していて、ツイッターに「原発発言やリツイートはCHECKされ必ず仕事干される」「親不孝許せ」と書いていたそうですが、それが現実になったのです。

幸いなことにネットでは山本に同情的な声が多いようですが、一方で、原発の広告塔になっていた北野たけしや薬丸裕英や岡江久美子や草野仁などが今も何食わぬ顔でテレビに出ているのを見るにつけ、やはり理不尽な気がしてなりません。北野たけしなどは先日の「TVタックル」(テレビ朝日)で、原発問題をテーマにした討論(?)の司会までしているのですから、あいた口がふさがらないとはこのことでしょう。

「一つになろう日本」なんて言いながら、依然として「反原発」はタブーなのです。それはひとえに電力会社(電気事業連合会)や東芝や日立などの原発関連企業が大スポンサーであるからにほかなりません。

それにしても、こんな大事故があってもなお、どうして原発について自由闊達に議論しようとしないのでしょうか。賛成か反対かはひとまず措いても、それを国民的議論にまで広げ、将来(今の法律ではできないようですが)国民投票にかける方法だってあるはずです。どうしてそんなオープンなものの考え方ができないのでしょうか。「ヒロシマ」「ナガサキ」につづいて、とうとう「フクシマ」も核問題の”世界共通語”になってしまいましたが、肝心な日本がこんな現状では情けない限りです。

最近も東電から突然、「海水の注水中断問題」が出てきて、それが自民党&公明党による菅政権の不信任案にまでエスカレートしていますが、ここに至ってもなお東電がそのような謀略めいたことをやれるのも、マスコミ(特にテレビ)のなかに依然として”東電タブー”があるからでしょう。電力会社にしてみれば、「発送電分離」を口にしはじめた菅政権が、目の上のタンコブになってきたのは間違いありません。

ソフトバンク社長の孫正義氏は、『世界』(6月号)の論文「東日本にソーラーベルト地帯を」の中で、つぎのような総務省からの「通達」を紹介していました。

 四月六日、総務省から「インターネット上の流言飛語について関係省庁が連携し、サイト管理者に対して、法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除を求め、適切な対応を取ることを要請」する正式な通達が出され、HP上にも掲載されています。これは一歩間違えば言論統制につながる危険な発想だと思います。チュニジアやエジプトなど一連の中東「革命」を見ても、インターネット上の言論統制した政府がどのような状況に追い込まれるか、明らかではないでしょうか。


いわゆる「コンピュータ監視法」(刑法の一部改正)も今国会に再上程されていますが、山本太郎降板も、そのような”空気”と無縁だとは言えないのではないでしょうか。それは、言うなれば「見ざる言わざる聞かざるで一つになろう日本」という”空気”です。やはりなにも変わってないのです。
2011.05.27 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
なんだか同じことばかり書いているようですが、やはり看過できないことが多すぎるのです。

テレビである経済アナリストが「まだ尾を引いている原発問題」と言ってましたが、こういう言い方は、あたかも「事態は収束に向かっているけど、まだ完全ではない」という意味にとれないこともないのです。しかし、本当に事態は収束に向かっているのでしょうか。ここにきて、マスコミが報道しない4号機が切迫しているという話も漏れ出ています。工程表も、どう考えても空手形だとしか思えません。でも、マスコミは相変わらず、政府や東電からリークされる断片的な情報を電力会社子飼いの御用学者に解説させて、あたかも収束に向かっているかのような幻想をふりまくばかりです。「一つになろう日本」なんて言ってますが、私には、「見ざる言わざる聞かざるで一つになろう日本」と言っているようにしか聞こえません。

東電の清水社長は先日、国会で、政府が第二次補正予算案を8月以降の臨時国会に提出予定にしていることに対して、早期の成立を要望し、予算案が成立しないと資金繰りがひっ迫して被災者への補償(仮払金の支払い)に支障が出る可能性があると、開き直りとも脅しともとれる発言をしましたが、こういう東電の強気な姿勢をみるにつけ、東電はなんにも変わってないと思わざるをえません。

枝野官房長官は、清水社長の発言について、「東電の置かれている社会的状況をあまり理解されていない」と批判、資産の売却とともに、企業年金や退職金の削減や減額など徹底したリストラを促したそうですが、しかしその一方で、清水社長の発言を受けて(?)、さっそく自民党や公明党、そして、民主党の一部議員などによって、第二次補正予算案早期成立の大合唱がはじまったのでした。「被災者支援」を錦の御旗にして、再びいびつな政治も蠢きはじめているようです。

原発に批判的な科学者や政治家に対して、尾行や恐喝や嫌がらせなどが日常的に行われていたことはよく知られている事実です。自民党の河野太郎衆院議員に対してさえ、尾行や監視が行われていたと本人が証言しているくらいです。「原子力資料情報室」の故高木仁三郎氏は、講演に行くたびに尾行され、散歩の途中に車にひかれそうになったことも一度や二度ではないそうです(『週刊現代』5/21号の記事より)。私は、そういった側面も含めて今回の事故を見なければ、問題の本質はわからないのだと思います。東電OL殺人事件の際も、被害者は政治献金がらみで「消されたのではないか」というトンデモ話さえあったほどです。国策を担う電力会社がこのようにアンタッチャブルな存在であるというのは、当時から一部の関係者の間では認識されていました。

もうひとつ私がこだわりたいのは、原発の広告塔になった学者や文化人や芸能人たちの存在です。なんら釈明もなく今ものうのうとテレビに出ているのは、やはり釈然としないものがあります。特に、それなりの”学識”をもっている(はずの)学者や文化人たちは、確信犯だと言われても仕方ないでしょう。茂木健一郎・養老孟司・荻野アンナ・大林宣彦らは、きちんと説明する責任があると言いたいです。

何度も同じことをくり返しますが、このようにゾンビはまだ生きているのです。なにも変わってない。
2011.05.18 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
今日、東電が福島第一原発1号機がメルトダウンしていることを認めた、というニュースがいっせいに流れましたが、「なにをいまさら」と思いました。そんなことは当初から京大原子炉実験所の小出裕章助教授らが指摘していたことです。しかし、東電は、燃料棒の損傷は一部だけだとして、メルトダウンを一貫して否定していました。これで1号機に関しては、工程表で謳っていた格納容器を水で覆ういわゆる「水棺化」が完全に行き詰ったのは間違いありません。

東電は溶けた燃料は圧力容器の底にたまっていると言ってますが、専門家の間では、損傷した圧力容器の底から既に圧力容器を覆う格納容器の底まで落ちているという見方もあるようです。溶けた燃料は微粒子化して格納容器の底の水に冷やされている状態で、とりあえず最悪のシナリオは回避されているのだとか。でも、最後の砦である格納容器の底がぬけるということはないのでしょうか。素人考えではそんな心配もあります。

それにしても、なにより問題なのは、東電の情報操作がここに至ってもまだつづいているということです。今頃になってこっそりメルトダウンを発表するなんて信じられません。3月の時点で発表したら、それこそパニックになっていたでしょうし、それを恐れたのかもしれませんが、しかし、その間、ずっと途方もない量の放射性物質がタダ漏れしているわけで、それを考えれば情報の隠蔽は犯罪的ですらあります。もちろん、肝心なことを一切報じないマスコミも同罪なのは言うまでもありません。

また、昨日は、神奈川県が「南足柄市産の『足柄茶』の生葉から、暫定基準値を上回る放射性セシウムが検出されたと発表し、今年産の出荷自粛と自主回収を呼び掛けた」というニュースもありましたが、前も書いたようにセシウムはスギ花粉の10分の1しかないとても小さい粒子なので、風に乗ればいくらでも飛散するのです。じゃあ、放射性物質に汚染されているのは、お茶だけなのか、あるいは飛散した放射性物質はセシウムだけなのか、そんな疑問もつぎつぎ湧いてきます。もちろん、そんなバカな話はないわけで、放射能汚染は想像以上に深刻化していると考えるべきしょう。しかし、いつも断片的な情報だけで、肝心な情報は一切出てこないのです。

政府が発表した損害賠償のスキームについても、経産相は「東電救済の枠組みではない」ことを強調していますが、どう考えても賠償と救済がセットになったスキームであることは明白ですね。今の10社体制(地域独占)を維持する限り、東電は救済しなければならない(東電を潰すことはできない)のです。最終的には税金の投入と電気料金の値上げ、つまり国民負担で賠償と救済が行われるのは火を見るよりあきらかです。

しかも、このスキームに対してさえ民主党内では「東電の負担が重すぎる」として異論が続出したのだとか。民主党には、東電労組出身の地方議員も多くいますし、内閣特別顧問の笹森清前連合会長は東電労組出身なので、そういった党内事情と無関係ではないのでしょう。ゾンビはまだ生きているのです。
2011.05.12 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
ソフトバンクの孫正義社長が、太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するための「自然エネルギー財団」、つまり、「脱原発」財団を設立するというニュースがありました。また、信金大手の城南信用金庫もホームページで、「原発に頼らない安心できる社会へ」と題したメッセージを掲載して、「脱原発」を表明したとして話題になりました。

原発の広告塔をつとめていた勝間和代氏も、つぎのような”転向宣言”をして、やはり話題になっています。

今回の福島第一原子力発電所の事故に関し、電力会社(中部電力)のCMに出演したものとして、また、電気事業連合会後援のラジオ番組に出演していたものとして、宣伝責任ある人間として、まずはみなさまの原子力に対する重大な不安への理解、および配慮が足らなかったことについて、そして、電力会社及び政府のエネルギー政策上のコンプライアンス課題を正しく認識できていなかったことについて、心からお詫びを申し上げます。
REAL-JAPAN・原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示


機を見るに敏とか、いろんな意見もありますが、しかし、こうやって徐々に「脱原発」の流れが出てきているのは間違いないでしょう。ただその一方で、朝日新聞の世論調査では、原発容認派(増設・現状維持)がまだ56%もいるという意外な調査結果も出ています。国策として推進した原発の利権は巨大なので、このまますんなりと「脱原発」に向かうとはとても思えません。

おそらく「脱原発」は、電力の自由化(完全自由化)と軌を一にして、大きな課題となっていくのではないでしょうか。賠償問題でも、「電力の安定供給」という大義名分のもと、税金の投入と電気料金の値上げ(つまり、国民負担)は必至だといわれていますが、今のような地域独占がつづく限り、東電を潰すことはできないのです。そのために、「役人以上に役人的」なアンタッチャブルな会社ができてしまったのです。それが今回の事故の遠因になっているのは間違いありません。「電気が使えるのは誰のお陰か。東電の批判をするなら電気を使うな」という東電の元社員(?)のブログが炎上したそうですが、こういう感覚は案外多くの社員たちに共通のものかもしれません。それどころか、「現場はがんばっている」という美談も、東電のマスコミ工作によるものかもしれないのです。

原発をどうするかという問題が、今のような電気に依存した社会をどうするかという問題に行き着くのは当然ですね。単に代替エネルギーをどうするか、そのコストはどうなるか、などというレベルの問題ではないと思います。東電に勧められてオール電化にした家庭が、今回の計画停電でにっちもさっちもいかなくなったという話は、電気に頼った社会の脆弱性を象徴しているように思います。エコにしても、エコバックをもって買いだめに走る主婦たちの姿に示されたように、ただのお遊び(ファッション)だったことがはっきりしました。もう一度すべてをチャラにして、根本から考え直す必要があるのではないでしょうか。

一方、事故からひと月経って、ようやく原子力安全・保安院と東電が1~3号機の原子炉内の燃料棒が一部溶融していることを認めましたが、この重大なニュースに対してもマスコミの扱いはきわめて小さいものでした。福島第一原発の報道をみると、事態の収束に向けた「工程表」が発表されたこともあり、あたかも事態は収束に向かっているかのような印象さえあります。しかし、依然として放射性物質がタダ漏れして飛散していることは事実なのですから、放射能汚染はむしろ深刻化していると考えるべきでしょう。まだなんにも終わってないのです。
2011.04.20 Wed l 震災・原発事故 l top ▲

佐野 (略)無理をして被災地を見てきたのは、震災についてあれこれ話す有識者たちの空虚な言説が腹立たしくてならなかったからです。
 石原慎太郎は論外として、『朝まで生テレビ!』(3月26日放送)に出ていたホリエモン(堀江貴文元ライブドア社長)や批評家の東浩紀といった連中です。震災情報や人命救助にツイッターが有効だったなんて、彼らは被災地の実情も知らないのに、よく言えたもんだと思いました。現地は携帯電話の基地局がほとんど倒れて、何も通じない。あの連中の言っていることはもっともらしい分、始末に負えない。今回の大災害はこうした連中の思考の薄っぺらさも暴露した。
(『週刊現代』4/23号・「見えてきたこの国の正体」佐野眞一VS原武史)


これは、『週刊現代』(4/23号)での『東電OL殺人事件』の著者の佐野眞一氏と『滝山コミューン一九七四』の著者・原武史氏の対談における佐野氏の発言です。

「福島原発の事故ではまだひとりも死んでいない」「原発は交通事故や飛行機事故よりリスクは小さい」なんてブログに大真面目に書いていた人気ブロガーの経済学者もいましたが、そんなバカバカしい言説がまかり通るのがネットなのです。

政府や東電の大本営発表をただ垂れ流すだけの新聞やテレビのテイタラクを見るにつけ、その存在価値さえ疑いたくなるほどですが、だからといって、ネットが新聞やテレビよりマシかといえば、ネットもまた五十歩百歩なのです。

このように今回の震災によって、今までこの国に流通していた言説の多くがバケの皮をはがされ、まったく機能しなくなっている現実があります。

一方で、寄らば大樹の陰で原発の広告塔になった文化人や芸能人たちの大罪は、いまさら言うまでもないでしょう。やはり、私は、そのことにもこだわりたい気持があります。

 朝のTBSワイドショー「はなまるマーケット」でおなじみの薬丸裕英・岡江久美子コンビも、原発PR推進組(中部電力)に出たことも知らんぷりでテレビに出ずっぱり。北村晴夫弁護士、勝間和代らもそうだ。調べればB・C級戦犯は他にもいっぱいいるはずだ。こうした連中は、この原発危機の中で反省も自粛もなし。視聴者はシラケるばかり。
岡留安則の東京ー沖縄ーアジア・幻視行日記


元『噂の真相』編集長の岡留安則氏はそう書いていましたが、中でも代表格は北野たけしでしょう。

 原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじやないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。
だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうがマスコミ的にはウケがいい。


これは、『新潮45』(2010年6月号)で、原子力委員会委員長の近藤駿介(東京大名誉教授)と対談した際のたけしの発言だそうです。これが「天才たけし」の実像なのでしょう。そして、こんなたけしの薫陶を受けたのか、実兄の北野大(明治大学教授)や弟子の浅草キッドも、原発の広告塔をつとめていたのでした。今回の震災と原発事故によって、このように原発マネーに群がった文化人や芸能人たちの卑しい品性がさらけ出されたのも事実でしょう。

「がんばれ!ニッポン」キャンペーンなどによって、国家がせり出してきているのはたしかですが、しかし、その国家が信用にたる対象であるかどうかということは別問題です。少なくとも、多くの国民が直面している現実は、東浩紀のように、そのせり出してきた国家を手ばなしで礼讃するほど単純なものではありません。特に原発に関しては、「国の言うことが信用できないので、自分たちのことは自分たちで守るしかない」という感覚は、圧倒的に正しいのだと思います。

マッチ擦るつかの間の海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)

いまさらながらにこの歌が思い出されてなりません。
2011.04.18 Mon l 震災・原発事故 l top ▲
ある日突然、家族を失い、友人を失い、住む家を失い、仕事を失い、なにもかも失った被災者たちの悲嘆と絶望は、私たちが想像する以上のものがあるでしょう。私の伯母も阪神大震災で被災して、翌年、仮設住宅で亡くなったのですが、特に家族のいない高齢者や経済的にハンディを背負った人たちの「生活再建」はきびしいものがあるはずです。

震災からひと月が経ち、案の定、ワイドショーやニュース番組のキャスターたちの物見遊山がはじまっていますが、必ずしも彼らが口にするような「復興への歩みがはじまっている」「前を見て歩きはじめている」状況ばかりでないことは言うまでもないでしょう。

仮設住宅も2年間の期限付きだそうで、その2年の間に生活を再建しなければならない(仕事を見つけて住む家も見つけなければならない)のです。それがどんなにきびしいものであるかというのは、自分に引き付けて考えればわかるはずです。

前に、当面の生活費を引き出すために、再開した郵便局のATMに並んでいる被災者の姿がテレビに映っていましたが、私はそれをみながら、じゃあ、引き出すお金のない人はどうするんだろうと思いました。

阪神大震災のときにも感じたのですが、「復興」や「生活再建」には、鄧小平の先富論と同じような「できる人から先にはじめる」という考えがあるように思います。もとよりそれが役所の発想なのですね。しかし、そういった発想の先には、落ちこぼれていく人たち、もっときつい言い方をすれば、置き去りにされる人たち(切り棄てられる人たち)が出てくるのは当然ではないでしょうか。さすがに誰も「自己責任」なんて言葉は使いませんが、でも、そこにもやはりどこかに、「自助努力」という名の「自己責任」論が存在しているように思えてならないのです。

福島第一原発の問題も同様ですが、マスコミが流布する根拠なき楽観論(のようなもの)や感動秘話などによって隠蔽される、”もうひとつの現実”があることを忘れてはならないでしょう。

行政も世間も個人には冷たいものです。募金の盛り上がりや「かんばろう!ニッポン」キャンペーンがあっても、その現実には変わりがありません。しかし、わざとらしくブランドのスーツからパーカーに着替えて物見遊山するキャスターのなかで、そういった”災害弱者”の声を拾い上げる人間なんて誰ひとりいないのです。
2011.04.12 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
今日、ビデオニュース・ドットコムをみていたら、ギョッとするニュースがアップされていました。

昨日(8日)、福島第一原発1号炉の格納容器内の放射線量が100シーベルト(!)に急上昇し、同時に温度と圧力も上昇していることから、「再臨界」が起きた可能性が高いというのです。原子力安全・保安院は、計器のトラブルによる間違いだとか言ってるようですが、しかし、番組に電話出演していた京大の小出裕章助教授(京大原子炉実験所)は、1号炉の原子炉内で既に核分裂生成物であるクロル38が発見されていることから、「再臨界」が起きている可能性は否定できないと言ってました。

そういえば、今日、横田基地で、アメリカから緊急来日した海兵隊の専門部隊・CBIRF(シーバーフ)と自衛隊による、原発事故を想定した共同訓練が行われたというニュースもありましたが、それも今の切迫した状況を受けてのものかもしれません。

ただ、小出助教授によれば、再臨界自体はそう怖いものではなく、いちばん怖いのは水蒸気爆発だそうです。水蒸気爆発によって原子炉内の高濃度の放射性物質が大気中に放出されるからです。それは今までとは桁違いの量になるのだとか。

万一、水蒸気爆発が起きた場合、風下の200~300キロのエリアまで放射性物質が飛散するので、(半日くらいの時間的な猶予はあるようですが)250キロ離れた東京も避難の対象になるそうです。しかし、周辺を含めて2千万人近くの人間がこぞって避難するなんて現実には無理な話で、想像を絶するようなパニックになるのは間違いないでしょう。

それにしても、気の滅入る話です。仮にそうなった場合、どうすればいいのかと考えても、正直、どうしていいのかわかりません。田舎に帰っても、不義理をして評判がよくないので、迷惑がられるだけでしょう。かといって、快く居候させてくれるような友達もいないし、つらつら考えるに、行くあてがないのです。結局、放射能を浴びながらここにとどまるしかなさそうです。コメンテーターの神保哲生氏と宮台真司氏は、事態は「一進一退」どころか、最悪のシナリオに沿って進んでいるようにしか思えないと言ってましたが、この悲観論が悲観論のままで終わることをただただ願うばかりです。
2011.04.09 Sat l 震災・原発事故 l top ▲
今日、某プロ野球球団のナインが宮城県内の避難所を慰問、被災者を激励した、というニュースがありましたが、私は、原発の広告塔をつとめていたその球団の監督は、まず福島第一原発の事故で避難生活を余儀なくされている住民たちを訪問して、謝罪する方が先ではないか、と思いました。原発の広告塔をつとめていた芸能人や有名人たちは、このようにドサクサに紛れて口をぬぐい、いまさらながらに「いい人」ぶっているのです。「がんばろう!ニッポン」キャンペーンにはそういった詐術も含まれているのだということを忘れてはならないでしょう。

考えれてみれば、日本のメジャーなミュージシャンで、明確に「原発NO!」を表明したのは、故・忌野清志郎やブルーハーツや佐野元春や最近では斉藤和義くらいでした。忌野清志郎は、そのために所属するレコード会社の親会社の東芝から圧力がかかり、「サマータイムブルース」が収録されたアルバムは販売中止に追い込まれたのでした。

海外のアーチストの真似をして、環境保護活動を支援するミュージシャンもいますが、彼らの多くは環境保護=クリーンエネルギー=原発賛美の思考に「洗脳」されていました。そうやって大スポンサーの巨額な広告宣伝費に拝跪していたのです。原発の地元対策で、福島にJビレッジを作ってもらった日本サッカー協会と同じですね。要するに、みんな原発マネーに魂を売った「ジキルとハイド」なのです。それに比べれば、エコバッグをもって買いだめに走った主婦なんてまだかわいいものだといえます。

ことさら意地悪く見るわけではないですが、原発問題をもう一度考える上で、そういった無定見な事大主義(=寄らば大樹の陰の罪)をきちっと総括することも必要ではないでしょうか。
2011.04.08 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
福島第一原発の事故での海洋汚染に関連して、魚介物に対する風評被害も深刻化しているようです。これに対して、テレビのワイドショーのコメンテーターなどが「風評に惑わされずに魚を食べましょう」なんて言ってましたが、一連の経緯をみるにつけ、(漁業関係者にはお気の毒ですが)「食べろ」と言う方が無理があるように思います。

この問題について、ブロック紙の中國新聞が「福島第1原発の水放出 座視できない海の汚染」と題して、示唆に富んだ社説を書いていました。この社説が言うように、汚染水の放出という「禁し手」にまで追い込まれたのは、それだけ「事態の深刻さを物語」っているのでしょう。

 汚染水を海に放流すれば漁業への影響は極めて重大だ。(略)

 海の放射能汚染の広がりや食物連鎖による濃縮の実態は、十分に分かっていない。海水や魚介、プランクトンについて広域的な監視態勢を整えるべきだろう。

 フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)が公表した海洋汚染の予測によれば、必ずしも四方に拡散せず、沿岸から黒潮に沿うように移動するという。こうしたデータさえ日本政府が発表しないのは不可解極まりない。
(中國新聞 2011年4月6日付社説)


政府や原子力安全・保安院は、汚染水は海に入れば拡散され希釈されるから、「ただちに人体に影響を及ぼすものではない」、と相変わらず三百代言のようなセリフをくり返していますが、だったらどうして韓国やロシアなど周辺の国があんなに神経を尖らせるのか、その理由を聞きたいですね。

大気中の放射性物質の拡散予測も、国内向けには一度公表したきりその後の公表を拒んでいたため、専門家から批判の声があがっていましたが、昨日、やっと気象庁が重い腰をあげました。ところが、IAEA(国際原子力機関)に公表しているデータであるにもかかわらず、「必ずしも実態を表したものではない」なんて言うので、よけい不信感を招いてしまうのです。

専門家によれば、セシウム137(半減期30年)などの放射性物質は、スギ花粉の10分の1しかないとても小さい粒子なので、空中に吹き上げられ風に乗れば1000キロでも1500キロでも優に飛散するそうです。「そもそも人体に影響のない放射性物質なんてない」のですから、東京の住人も既に被爆していると考える方が自然でしょう。問題は被爆量で、これからどれだけ放射性物質の飛散がつづくかですね。そう考えれば、100キロとか200キロとかいった外国の駐日大使館による退避勧告も、決して「過剰反応」だとは言えないように思います。

首都圏の乳幼児を抱えた母親や出産をひかえた妊婦などが、関西など西の方に避難する気持もわからないでもありません。子どもの健康を考えれば、そうやって自衛するしかないのです。

ただ、その一方で(矛盾するようですが)、作家がいそしそと避難することに対しては、どうしても違和感を覚えざるをえません。ブログによれば、今は鎌倉に戻っているみたいですが、柳美里も一時大阪の知人宅に避難していたそうです。また、東浩紀も「日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている」なんて言いながら、自分はちゃっかり一家で伊豆に避難していたようで、ネットで散々叩かれていました。

柳美里は「子どもを危険に晒すわけにはいかない」と言ってましたが、(きつい言い方をすれば)作家には守るべきものなんてないはずです。むしろ、「この世の地獄」のような残酷な現実に身をおくことで、初めて人間存在の真実を掘りあてることもできるわけで、だから彼女も、小説のモデルとされる女性からプライバシーの侵害と名誉棄損で訴えられたのではないでしょうか。作家にはそういうリスクを負ってでも表現しなければならないものがあるはずです。あえて言えば、家族をさし措いてでも、放射能を浴びてでも、書かなければならないものがあるはずです。太宰治だって坂口安吾だって三島由紀夫だって中上健次だって、みんなそうやって「この世の地獄」をみてきたのです。要はその覚悟があるかどうかでしょう。
2011.04.06 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
もちろん、同じ人物ではありませんが、かつて「原発はエコでクリーンなエネルギー」なんて原発推進の旗振り役を担っていた芸能人たちが、今度は一転して「電灯はこまめに消そう」とか「それ、ほんとうに必要ですか?」とか「無駄な通話やメールはひかえよう」などと、まるで戦争中の「欲しがりません勝つまでは」式の節電キャンペーンの旗をふっているのを見るにつけ、なんだか釈然としない気持になるのは私だけでしょうか。

しかも、この広告を流しているACジャパン(旧公共広告機構)の理事には、東電や福島原発を製造した東芝の役員が名を連ねているそうで、見方によっては厚顔無恥で無責任な広告と言えなくもないのです。あえて名前を出すのはひかえますが、原発の広告塔になっていた多くの芸能人やスポーツ選手、そして、作家や学者など文化人たちの「戦争責任」は、またしてもウヤムヤにされるのでしょうか。少なくとも、彼らの「弁明」を聞きたい気持はあります。

もっとも、売上高5兆162億円・総資産13兆2039億円(いづれも連結)という電力会社世界第4位の東電マネーに群がったのは、こういった”電波芸者”ばかりではありません。震災当日、東電の勝俣恒久会長は、週刊誌や月刊誌の元編集者たちと中国旅行の最中だったことが暴露されましたが、これは月刊誌「自由」の元発行人・石原萌記氏が音頭をとった東電の実質的な招待旅行で、週刊新潮や週刊現代の元編集長や、週刊文春の元編集長で月刊『WiLL』編集長・花田紀凱氏らが参加していたそうです。

震災以後、東電批判をくり広げていたジャーナリストの上杉隆氏が、突然、本年いっぱいで活動を停止する発表をして、いろんな憶測をよんでいますが、その中に東電の”裏組織”が関与しているのではないかという「仰天説」さえあったそうです。中には、「TCIA」なる”諜報機関”の存在を指摘する人もいるくらいです。計画停電にしても、政府やマスコミは東電の言うままに無批判に受け入れ、大混乱を招きましたが、あれも「原発がなければ困るのはお前たちなんだぞ」という東電の”脅し”だという見方さえありました。

フランスの有力紙『ル・モンド』は、東電について、経産省などの「原子力ロビーに支えられ、”奢り高ぶった”企業の体質が、原発内の事象や技術報告の隠蔽を生み出した温床ではないか」と批判していたそうですが、今回の事故でも、原子力安全・保安院など国の機関が、東電からの情報にすべておんぶにだっこしている異常な現状が露呈されました。このように、東電を国家権力も立ち入れないアンタッチャブルな存在にしてしまった政治家や官僚の責任は大きいと言わねばならないでしょう。

汚染水を海に放出する発表の席で、東電の担当者が涙を流していましたが、だったらその前に東電は、往生際の悪いマスコミ工作・世論工作をやめて、全面的に情報公開し謝罪すべきでしょう。最低限そういう姿勢をみせるべきだと言いたいです。
2011.04.05 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
昨日、Yahooニュースに次のような記事が出ていました。

「震災孤児」数百人か…厚労省、実態把握急ぐ」

 東日本巨大地震で親を失った児童生徒は、1995年の阪神大震災の68人を大きく上回る見通しとなっている。

 厚生労働省などによると、阪神大震災が早朝に発生したのに対し、平日の日中に発生した今回の地震では多くの児童生徒が下校前で、学校ぐるみで避難して助かった事例が多く、「震災孤児」は数百人単位にのぼるとみられる。

 ただ、震災後も混乱の続く被災地の自治体からの聞き取りは難航しており、厚労省は、被災地以外の自治体から専門職員を募って現地に派遣し、実態把握を急いでいる。

 阪神大震災では、親を失った児童生徒の大半が親類や知人に引き取られた。
(読売新聞 3月31日3時7分配信)


胸が押しつぶされるようなニュースですね。こんなニュースを前にすると、ただ無力感を覚えるばかりで、返す言葉も見つかりません。

今朝、駅をおりると、駅前通りに大きな看板をかかげた選挙事務所ができていて、商店街の店主のような人たちが大勢集まっていました。今日は統一地方選(前半)の告示日なので、出陣式でも行われるのでしょうか。私はその光景を横目で見ながら、なんだか唾棄したくなるくらいの嫌悪感を覚えてなりませんでした。

今回の大震災で大きな価値転換が行われるのは、間違いないでしょう。しかし、この手の”古い政治”が変わるかといえば、きわめて悲観的です。しかも、こういう政治を支えているのは、商店街のおっさんやおばさんたちだけではなく、「現代思想」をけん引していた(と言われていた)若い知識人たちも同様です。大震災に対して、状況を剔抉する言葉をもたず、ただ「がんばれ!ニッポン」キャンペーンに随伴するしか能のない彼らを見ていると、痛ましささえ覚えてなりません。その行き着く先がお定まりの回帰主義なのは理の当然ですが、それは大震災を利用して、みずからの政治的延命のために「大連立」を目論む権力亡者たちと大差ないように思います。

政治家たちは、どう見ても、数万の犠牲者・数十万の被災者の存在を正面から受けとめようとしているようには思えません。もう既に彼らの頭の中は別の政治的思惑がうごめいているようです。震災があったら作業服姿になり、月が明けたら背広に変わった、あの閣僚たちのパフォーマンスがすべてを物語っているように思います。

今回の震災で(特に原発事故で)、知識人のあり様も含めて、なにがホンモノでなにがニセモノかがはっきりしてきたことだけはたしかな気がします。

2011.04.01 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
今日、横浜では桜の開花宣言があったそうです。しかし、やはり今年は桜どころじゃないかもしれません。花見の話題なんてほとんど耳にすることはありません。

朝、ひとつ手前の駅で下車して、自宅の最寄り駅との間にあるスーパーに寄りました。ティッシュが底をついたからです。花粉症の人間にとって、ティッシュがないのはつらいものがあります。幸いにも数個残っていましたので、どうにか手に入れることができました。

午前10時すぎの開店間際でしたが、既に店の周辺には自転車がびっしり止められ、駐車場もほとんど満車の状態でした。店内も買物客でごったがえしており、既にレジには行列ができていました。

買物客が群がっている一角があったのでなんだろうと思ったら、ペットボトルの水を販売しているコーナーでした。でも、乳児がいるような若い母親は皆無で、大半は中高年の専業主婦と既にリタイアしたとおぼしき初老の夫婦でした。知り合いの共稼ぎ家庭の奥さんが、「仕事が終わってスーパーに駆け込んでも、めぼしいものは売り切れている」と嘆いていましたが、たしかに平日、午前中の早い時間にスーパーに行けるのは、時間に余裕のある人たちなのです。そして、我先に品薄の商品を買い漁っていくのです。

枝野官房長官が記者会見で、水は「乳児のいる家庭に譲っていただきたい」と言ってましたが、そんな”思いやりの精神”なんて夢のまた夢のようです。「バカ正直なことをしていると自分が損をする」というのが彼らの本音なのでしょうが、考えれみれば、彼らのエゴは今にはじまったことではないし、そもそもそういったエゴは彼らに限った話ではないのです。

横浜では「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」がホントに多くて、彼らは電車が駅に着いても降車口をふさぐように立っていて、おりる人がいてもお構いなしに目を血走らせて電車に乗り込んでくるのですが、それはなにも中高年の人たちばかりではありません。それこそ老若男女を問わず、サラリーマンでもOLでも小学生でも高校生でも大学生でも同じです。

また、駅のエスカレーターでも横からどんどん割り込んでくるので、列のうしろに並んでいる正直者はいつまでも経っても前に進まないという、まるで北京や上海のような光景も横浜ではおなじみです。そういったエゴまる出しの日常を考えれば、スーパーの買いだめなんて驚くにあたいしないのかもしれません。

しかし、私は、これを「いいか悪いか」で見ることはできないように思います。もともと人間というのは、そういうものではないかという気持があるからです。坂口安吾は、敗戦直後の焼け跡闇市を前にこう言い放ったのでした。

 戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。(『堕落論』)


私は、この言葉に今の状況にも通じるリアリティを覚えてなりません。

2011.03.30 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
山下公園3413

山下公園3415

関東地方はここ数日、冬に逆戻りしたかのような寒い天気がつづいています。気温はそんなに低くないものの、風が強くて気温以上に冷たく感じられます。しばらく小康状態だった花粉症も再び息を吹き返したみたいで、今度は鼻水が止まりません。このブログでも書きましたが、シーズン当初は目の痒みに悩ませられ、それがいったん治まったかと思ったら、今度は鼻水です。

今日は始終鼻をかみながら、久しぶりに山下公園から赤煉瓦倉庫、みなとみらいまで散歩しました。節電の影響で、駅では停止しているエスカレーターも多いので、階段の上り下りが結構しんどくで、それだけでも散歩をしなくてもいいくらい効果大です。そういえば、最近「ちい散歩」ごっこの中高年の姿がめっきり少なくなったような気がします。電車も間引き運転をしているので、出かけるのがおっくうになったのでしょうか。

みなとみらいもいつもの休日に比べて人出が少ない気がしました。ただ、若者向けのショップが多いワールドポーターズは春休みになった子どもたちで賑わっていました。

福島原発の放射能汚染と計画停電の影響で、地域経済がこれから深刻度を増していくのは間違いないでしょう。まだはじまって2週間しか経ってないのです。それでも既に売上げが30%落ちたとか、中には半分だとか3分の1だといった話もあるくらいです。でも、計画停電はこれから夏も冬も行われると言われています。個人商店にとっては死刑宣告にも等しい話です。

静かに進行するパニック。この事態は、メルトダウンしてコントロールできなくなった原子炉と同じで、国家秩序の溶解へとつながっていく懸念さえあります。今のパニックも、既に国家が国民の消費行動をコントロールできなくなった証拠でしょう。節電ムードや「がんばろう!ニッポン」キャンペーンで、一見国家的な紐帯は強くなっているような印象を受けますが、実際はまったく逆のように思います。私のまわりでも、政府や東電が発表する「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」情報について、額面通りに受け止めている人間なんてほとんどいません。誰も信じてないのです。

少なくとも、東浩紀が言うように、「日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。」(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)とはとても思えません。

 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。

 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日


そうでしょうか。もちろん、東北地方のきびしい気候風土のなかで培われてきた相互扶助の精神は、避難生活の中でも生きているでしょう。しかし、この震災とそれにつづく福島第一原発の事故によって、国民に植えつけられたトラウマは、国家(秩序)への不信のそれでしかありません。

今、福島第一原発周辺での高濃度の放射性物質の存在がつぎつぎとあきらかになってますが、それは放射性物質とともに、”真実の情報”も原子炉格納容器から漏れ出てきたと言えなくもなく、その衝撃度はこのような能天気な回帰主義も吹っ飛ばすくらい大きなものがあるはずです。

この”危機”が今後どのような方向に向かうのか、まったく見当もつきませんが、やがて新しい秩序が築かれるとしても、それは東浩紀が言うような回帰的な場所ではなく、むしろ国家と距離をおいた(国家的紐帯の緩い)、言うなれば”東浩紀的啓蒙”とは真逆の場所に築かれるような気がします。この大震災とそれにつづく福島第一原発の(実質的な)メルトダウンは、それくらい大きな価値転換の出来事だと言ってもいいのではないでしょうか。

2011.03.27 Sun l 震災・原発事故 l top ▲
我が家もトイレットペーパーが残り少なくなったので、今朝、駅の近くにあるスーパーに行きました。しかし、行ったのは午前10時すぎの開店間際でしたが、既に「売切れ」でした。ティッシュや米もありません。それどころか、東京の金町浄水場から規制値を上まわる放射性物質が検出されたというニュースの影響で、水やお茶のペットボトルも全滅で、ガラガラの棚にはポツンと数本のCCレモンが残っているだけでした。店員に聞いたところ、「開店して数分でなくなった」そうです。

そういえば、開店間際なのに、いつもより店内はごった返していました。見ると乳児のいるような若い母親の姿は意外と少なくて、大半は買いだめの主犯だとヤユされている中高年の女性たちです。まるで悪霊にとり憑かれたように米だトイレットペーパーだティッシュだと買いだめに走り、今度はミネラルウォーターに殺到したのでしょうか。彼女たちにとっては、今や買いだめはバーゲンに走る感覚と同じなのかもしれません。

ただ、同じ横浜でも戸塚あたりに行くとやや様相を異にするのです。前日も戸塚に行ったのですが、駅前のスーパーの棚には米が積まれていました。たまたま品出しをした直後だったのかもしれませんが、しかし、お客が殺到するというようなことはありませんでした。戸塚在住の知り合いに聞いても、米やトイレットペーパーに関しては、「充分あるとは言い難いけど、なんとか見つかる」と言ってました。ということは、やはり大倉山の方が買いだめに走る人が多いのでしょうか。あるいは一部で指摘されているように、個々のスーパーの対応能力の問題もあるのかもしれません。

もっとも政府の発表を見ると、人々が不安に駆られるのはわからないでもありません。IAEA(国際原子力機関)からも情報の開示が足りないと指摘されましたが、言ってることがわけがわからないのです。基準値の数倍の放射性物質が検出されても、「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」と必ず付け加えられますが、じゃあ基準値の「基準」とは一体なんだったんだ?と言いたくなります。すると、基準値はあくまで「暫定基準値」で、余裕をもたせて設定しているので心配ない、とあと出しジャンケンのように言うのです。それじゃ「基準」の意味がなくなってしまいます。

野菜から放射性物質が検出されても、仮にそれを1年間食べ続けても放射線量はCTを1回受けたときの半分にも満たないとかなんとか、目くらましのような説明をしていますが、素人からみても、外部被爆と内部被曝(体内被曝)を単純に比較するのは無理があるように思えてなりません。体内被爆の怖いところは放射性物質が一定期間体内に蓄積される(蓄積されて恒常的に被爆を受ける)ことなのです。それじゃ不安は増幅こそすれ解消されないのは当然でしょう。

もちろん、「現段階から推測すれば、今後広範囲の地域の空気や水や野菜や魚介類から放射性物質が検出される懸念があります」「除染しても食物連鎖によって放射性物質が人体にとり込まれるので、その結果、人体が影響を受ける可能性があります」なんて言ったらパニックになるでしょうから、パニックにならないように慎重な言い回しをするしかないのでしょう。そもそも量が多かろうが少なかろうが、「人体に影響のない」放射能なんてあるはずがないのです。

どう考えても、実質的にはもうパニックははじまっている気がします。というか、いづれにしてもパニックは避けられない。それが原発事故の怖いところです。廃炉するにしても10年以上かかるそうですが、環境や人体への影響を考えれば途方もない時間が必要です。文字通りパンドラの箱は開けられたのです。もうあと戻りはできない。だから、自分の身を自分で守るというのは当然のことで、決して「過剰反応」なんかではないと思います。

計画停電が地域経済に与える影響は考えている以上に深刻で、そういったことも相まって、このパニックがこれからどう進行し拡大していくか心配です。その意味では、ホントの”危機”はこれからはじまるのではないでしょうか。
2011.03.24 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
今日、テレビをみていたら、東京電力の「ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます」「節電にご協力ください」というお詫び広告が流れていたのでギョッとしました。もちろん、これは無料ではないはずです。CM放映料が(それも大金が)電通かどこかの広告代理店を通して各テレビ局に流れているはずです。

計画停電のグループ分けにしても、ネットなどによる情報収集ができない高齢者所帯などは、自分がどこのグループに入っているのかさえわからないケースもあるといわれています。そんなお金があるなら、どのグループに入っているのか、各戸にチラシを入れるくらいの心遣いがあってしかるべきだと思いますが、この広告の狙いはそんなところにあるのではないのでしょう。

要するに、これはマスコミ操作(マスコミ対策)なのです。福島第一原発の一連の経緯の中でも、マスコミの前に出てくるのは6人いる(らしい)副社長ばかりで、社長はほとんど姿を見せていません。昨日、6分の1人の副社長が、大名行列のように部下を引き連れ避難所に謝罪に赴いたシーンが出ていましたが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというわけか、ネットでは副社長の態度が「不遜だ」「ふてぶてしい」などという批判がありました。言われてみればたしかに、東電の幹部達はどことなく頭が高くて、民間会社の社員というより役人のような感じを受けます。今回の原発事故で、国が負担する賠償総額は1兆円をはるかに超すだろうといわれていますし、当然、東電にも賠償責任が生じるはずですが、しかし、東電が倒産することは絶対にないのです。東電は倒産しない特殊な会社なのです。

今回のお詫び広告が、CMが封印され収入減に苦しむテレビ局の足元をみた東電の戦略とみるのは穿ちすぎでしょうか。少なくとも、原発建設では、東電はそうやって札束でマスコミや地元自治体をねじ伏せてきたのでした。それが東電のやり口でした。かつての耐震偽装や食品偽装の報道などと比べると一目瞭然ですが、今でも東電に対してマスコミの報道はどこか及び腰です。しかし、これからますます表立った批判は姿を消すのではないでしょうか。その結果、なにが問題でどこに責任があるのかがあいまいな、わけのわからない報道ばかりがたれ流されることになるのです。そして、そんな場合必ず出てくるのが、「今は批判している場合じゃない」というマスコミの常套句です。

もうひとつ、気をつけなければならないのは、マスコミによる美談作りが既にはじまっているということです。特に福島第一原発の対応に当たる東電の社員や自衛隊員や消防職員の「勇気ある行動」などをやたら持ち上げる報道が目立ちますが、しかし、その背後には今回の事故で数万人の住民が避難生活を余儀なくされ、今後の生活の不安にさらされている理不尽な現実があることを忘れてはなりません。テレビのアナウンサーがよく「私たちのためにがんばってくれている現場の作業員の方々」という言い方をしますが、それが作業員(その多くは下請けの社員だと言われていますが)個人に対して言うのならわかります。でも、東電に対しては「そんなの当たり前だろう」と言いたくなります。でも、いつの間にかそう言えない、言いづらい空気になりつつあることも事実です。

明日開催される選抜高校野球にしても同様です。被災地から出場する東北高校は万雷の拍手で迎えられ、多くの美談に包まれるのでしょうが、被災地では東北高校が出場することに多くの異論があったことも忘れてはなりません。それに、ダルビッシュや宮里藍の例をあげるまでもなく、東北高校は全国からスポーツに秀でた生徒を集めた学校なので、そんなスポーツコースの選手達をみれば「地元代表」とは言い難い一面があることもたしかでしょう。

過度な自粛ムードは問題だとは思いますが、そもそも選抜高校野球はホントに開催すべきだったのかという疑問はぬぐえません。どこかの出場校の選手が「野球によって被災地の人達に勇気を与えることができればと思います」と言ってましたが、一体この言葉になんの意味があるのかと思います。よく耳にする言葉ですが、こういったマスコミが捏造した空疎な言葉を高校生に言わせる大人達は、実に悪質だなと思います。「純粋無垢な高校球児」というイメージも同様ですが、ホントは新聞社や高野連に、ソロバン勘定も含めた開催しなければならない”大人の事情”があるのでしょう。そして、そんな裏の事情を隠ぺいするために、東北高校が格好のヒーローに仕立て上げられるというわけでしょう。NHKのアナウンサーが美辞麗句を乱発する場面が目にみえるようで、想像するだけでもおぞましい気がします。

しかし、そんな美談に関係なく、被災者の苦難はこれからもつづくのです。それだけは間違いない。
2011.03.22 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
渋谷の代々木公園にも福島ナンバーの車が集まっているというニュースがありました。福島第一原子力発電所の事故で退避勧告を受けて避難してきた人達なのだそうです。 まるで流浪の民みたいですが、政府はただ「避難しろ」と言うだけであとはかまってられないというわけなのでしょうか。数万単位の住民がこうやって行き場を失い途方に暮れているのです。海外メディアではないですが、これで略奪や暴動がおきないのが不思議なくらいです。

今日のテレビで、自宅が津波の被害にあって父母と連絡がとれないにもかかわらず、老人ホームで入所者の老人や避難してきた人達を明るく献身的に世話をしている管理栄養士の女性が紹介されていましたが、被災地にはこんな天使のような人もいるのです。

内田樹氏は、朝日新聞のインタビューで、阪神大震災のとき、住んでいたマンションが半壊して、小学校6年の娘と一緒に近くの小学校の体育館で3週間の避難生活を送った経験から、つぎのように言ってました。

被災経験から言えることは、被災者は「失ったもの」を数えないこと。命あってのものだねだと、「手元に残ったもの」を数え上げてみる。希望を持つ。希望を持っている人間はしのげる。そして最後は人情にすがる。16年前、人の情が身にしみた。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月17日1時20分配信)


同じ苦難の中にあっても、「人の情」をかけてくれる人がいるのです。自分もできればそういう人間でありたいと思いますが、いざとなったら自分のことだけで手いっぱいで、そんな余裕はないかもしれません。でも、そうやって情けをかけてくれる人に心から頭をさげることくらいはできそうです。せめてそのくらいの人間ではありたいと思います。
2011.03.18 Fri l 震災・原発事故 l top ▲

 東日本大震災を受けて在日フランス大使館は13日、余震の可能性や福島第1原発での事故を踏まえ、首都圏にいるフランス人に対し、滞在すべき特段の理由がない場合は数日間、関東を離れるよう同大使館のウェブサイトで勧告した。

 日本への旅行を計画している市民には旅行延期を呼び掛けた。(共同)
(msn 産経ニュース 2011.3.13 22:38)


 イラク、バーレーン、アンゴラの東京の在日大使館が一時閉鎖することになった。福島第一原発の事故で退避したとみられる。
 外務省によると、イラク大使館については16日付で連絡があり、17日に閉鎖すると伝えられた。バーレーン、アンゴラの両大使館は15日付で連絡があった。在東京のパナマ大使館も神戸市に大使館の機能を移したという。

 東京のオーストリア大使館も15日、大使はじめ館員の大半が東京を離れ、大使館機能を大阪市内の名誉総領事館に移した。

 大阪で勤務を始めたシュテファンバストル大使は16日、朝日新聞の電話取材に「東京の停電や交通事情のほか、万が一の時の空港の利便性も考えた。原発の状況が不透明なので本国と協議して大阪に移った」と述べた。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月16日21時16分)


 【北京=峯村健司】中国外務省は15日夜、東日本大震災の被災地にいる中国人に対し、避難勧告を出した。福島第一原子力発電所で発生した事故を受けた措置で、在日大使館や新潟総領事館は、宮城、福島、茨城、岩手4県に避難用のバスを派遣し、成田、新潟両空港から帰国させる準備を進めている。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月16日22時37分)


これを過剰反応だと笑うことができるでしょうか。唯一の被爆国である日本は、放射能に対してはとりわけ神経質だと言われてきましたが、今回の東電福島第一原発の問題に関しては、退避勧告を受けた地域の住民以外は案外のんびり構えているような気がしてなりません。

既に首都圏の大気中でも放射性物質が検出されていますが、半径20キロ圏という退避勧告にどれだけ合理的な根拠があるのかわかりません。アメリカ政府は現段階では「80キロ」と設定しているようです。

 【ワシントン=望月洋嗣】米国防総省のラパン副報道官は16日、東日本大震災の救援活動にあたる米海軍などの要員に対し、福島第一原発の半径約80キロ以内への立ち入りを禁止したことを明らかにした。「救援活動に際しての米兵の安全を確保するため」としている。

 日本政府は同原発から半径20キロ以内には避難を、20キロから30キロ以内では屋内退避を指示している。国防総省は、航空機を運用する兵士らには、同原発から約112キロ以内に近づく際は、ヨウ素剤を服用することを義務づけた。
     ◇
 在日米大使館は17日未明、日本に滞在している米国市民に対し、福島第一原発の半径約80キロ圏内からの退避を勧告した。退避が困難な場合は、室内に残るようにとしている。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月17日4時41分)


今回の事故で私は二つの”不幸”があったように思います。ひとつは、言うまでもなく菅政権(民主党政権)の存在です。「計画停電」でもそうですが、どこが「政治主導」だと言いたくなるほど、情報を管理する東電にただふりまわされるだけなのです。原子炉の冷却に海水を利用するのが遅れ、問題を深刻化させた件でもそうですが、我々素人目で見ても、ただ右往左往するだけで、そのテイタラクは目を覆うばかりでした。経産省の原子力安全・保安院にしても、囲碁番組の解説者のように、ただ東電が小出しにする情報を追認しもっともらしく解説するだけなのですから、お話になりません。

もうひとつの”不幸”は、テレビなどで解説している学者や専門家が今まで「原発は安全だ」「地震がきても大丈夫だ」と言ってきたような御用学者ばかりだということです。彼らの(事態をできるだけ小さく見せる)デマゴーグが、上記のような日本と海外の現状認識の違いになっているように思えてなりません。

かつては原発に警鐘を鳴らす声がたくさんありました。しかし、東電をはじめとする各電力会社は、政府やマスコミと一体となって反対論を徹底的に封じ込め、”原発ファシズム”ともいうべき「もの言えば唇寒し」環境をつくってきたのでした。東電OL殺人事件の際も、そういった”東電の闇”との関連を指摘する声があったくらいで、原発反対運動を治安問題として扱い、地域住民の監視・思想調査や警察による取締りが徹底されたのもよく知られていることです。そして、マスコミは電力会社の巨額の宣伝費に、地元自治体は国の原子力行政によってばらまかれる交付金と原発がもたらす雇用に、ひれ伏し沈黙したのでした。また、多くの芸能人が直接間接を問わずクリーンエネルギーとしての原発の宣伝に関与してきたのも事実です。

このような異なる意見を排除した環境が”不幸”をさらに増幅させたような気がしてなりません。それは独裁国家がやがて行き詰まり崩壊していく過程と似ています。まして科学というのは治安問題でも政治問題でもないはずです。そのうち真実があきらかになっていくでしょうが、決してオーバーではなく、もうとりかえしがつかないほど事態が切迫しているのは間違いないでしょう。
2011.03.17 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
神奈川でも地震に伴う混乱がつづいています。つい数日前までいつものように棚に並んでいた商品が忽然と姿を消したのでした。

米・パン・カップ麺・トイレットペーパー・乾電池などが姿を消しました。スーパーやコンビニなどに行っても棚はガラガラで、ひとつとして残っていません。最近はコンビニの弁当も品薄気味です。

我が家も米がなくなったので、昨夜は深夜の散歩のついでに何軒かのコンビニをまわりましたが、影すらありませんでした。そんな中、周辺の道路が渋滞するほど客が殺到して、ちょっとした騒ぎになっているところがありました。ひとつはドン・キホーテです。スーパーが通常より早く店じまいしているため、迷える人々が深夜営業のドンキに殺到しているのです。もうひとつは、ガソリンスタンドです。関東近辺ではガソリン不足も深刻で、早朝にガソリンが入荷するという噂を聞きつけた車が、そうやって前夜から国道に長い行列を作っているのでした。

買いだめによって、このようなパニックがおきているのです。特に昼間、時間をもてあましている中高年のおっさんやおばさんたちが、アリが餌を運ぶように、せっせせっせとスーパーをまわって買いだめしている姿が目につきます。これは「計画停電」に対する過剰反応だけではないように思います。被災地へ支援にまわる前に自分達の分を確保しなければという心理がはたらいているような気がしてなりません。「被災地のことを考えれば、買いだめは慎まなければならない」と考えることは、そんなにむずかしいことなのでしょうか。

知り合いの若者が「スーパーでおばさん同士がカップヌードルを取り合ってケンカしてましたよ。アホでしょ」と言ってましたが、若者の方がはるかに真っ当です。海外のメディアでは略奪もない日本人のモラルの高さが称賛されているそうですが、そう言われるとなんだか面映ゆい気がしないでもありません。略奪はないけれど買いだめはあるのですから。

社会学ではフランスの「オルレアンの噂」が有名ですが、やがてそれはユダヤ人差別と接続され大衆扇動に転化したのでした。日本でも関東大震災の際に悲惨な朝鮮人虐殺がありましたが、それもまったく同じ構造でした。井戸に毒を入れたという噂に煽られ、朝鮮人や朝鮮人に間違われた日本人の頭上に斧を振りおろしていったのは、なにも特別な人達ではありません。普段は東京の下町に住む良き夫であり良き父親であるような、ごく普通の「善良」な人々だったのです。それが非常時の不安心理の中で、彼らの日常性の本質(「テロルとしての日常性」)がキバをむいて露出したのでした。私たちは決して「善良」なんかではないのです。ただ差別と排除の力学によって、そのように仮構されているにすぎないのです。
2011.03.15 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
午後2時半すぎ、シャワーを浴びているときでした。突然、大きな揺れに見舞われたのです。浴室が左右にグラグラ揺れ、立っているのもままならないくらいでした。私はあわてて裸のまま浴室の外に出て、下着を身に付けました。しかし、だからといってどうすればいいのかわかりません。ただオロオロするばかりでした。そして、何度かの揺れのあと、やっと揺れがおさまりました。

風呂からあがると、すぐにテレビをつけました。テレビには「只今、関東から東北地方にかけてかなり大きな地震がありました」というテロップが流れていました。しかし、私は夕方知人と会う約束をしていたので、そのまま身支度をして出かけました。

駅前通りを駅に向かっていると、電気店の店頭のテレビの前に人が群がっているのが見えました。さらに駅の近くに行くと、駅から人があふれ、舗道を埋め尽くしているのが見えました。それでもまだ私はピンときませんでした。ただ漠然と、地震で電車がとまっているんだろうと思っただけです。ただ、このままでは待ち合わせの時間に遅れる可能性があるので、とりあえず知人に連絡しようと、携帯電話を取り出しました。ところが、携帯がまったくつながりません。

それで、私は、いったん自宅に戻ることにしました。東横線が動かないなら、新横浜まで歩いて、地下鉄で行けばいいやと思ったのです。

舗道を自宅の方に戻っていると、突然、リュックを背負った中年女性から声をかけられました。どうやら大倉山公園に梅をみに来た人のようです。途方に暮れた様子で、「横浜まで帰りたいんですが、どうすればいいでしょうか?」と言うのです。

「横浜って横浜駅ですか?」
「そうです。そこから相鉄線に乗りたいんです」
「うーん、そうなると新横浜駅まで歩いて、市営地下鉄で行くしかないですね」
「新横浜にはどう行けばいいんでしょうか?」
「え~と、新横浜はこの道をまっすぐ・・・」
と道順を教えようとしていたら、近くに立っていた男性が「地下鉄もとまってるよ」と言うのです。

「エッ、地下鉄もとまっているの?」
私は驚いてそう聞きかえしました。地下鉄もとまっていると、私も待ち合わせの場所に行けないのです。
「そうだよ。全部とまっているよ」「どうしようもないよ」
それを聞いた中年女性は「そんな・・・」と言ったきり絶句してしまいました。

私は、「これはやっかいなことになっているかも」と思いながら、急ぎ足で自宅に戻り、再びテレビをつけました。テレビでは固定カメラで撮った仙台かどこかのテレビ局内の「地震直後の様子」がくり返し放送されていました。でも、まだ詳細な被害は不明のようでした。

私は、自宅の固定電話で知人の勤務先の病院に電話をしました。電話口に出た受付の女の子もあわてている様子がうかがえました。知人のPHSに転送してもらったのですが、「手が離せないみたいで」出ないと言うのです。それで、今日の約束をキャンセルするよう伝言を頼んで電話を切りました。

それから私はずっとテレビの画面に釘付けでした。伝えられる被害状況は時間の経過とともに拡大するばかりでした。アナウンサーの声も切迫感を増していました。一方、交通がマヒした首都圏では、帰りの足を失った人々がターミナル駅にあふれ、唯一運行を再開した都営バスに長蛇の列を作っている様子が映し出されていました。公共施設に臨時の宿泊所が設けられることになったというニュースも流れていました。待ち合わせどころの話ではなかったのです。

そうするうちに、テレビは海沿いの街が一面赤い炎に包まれている空撮の画面に切りかわりました。炎の下から人々の阿鼻叫喚が聞こえるようで、まるで地獄絵をみているような光景でした。事態がとんでもない方向に進行していることだけはわかりました。それから私は、まんじりともせずに点けっ放しのテレビとともに朝を迎えたのでした。
2011.03.13 Sun l 震災・原発事故 l top ▲