(イラストAC)■ジャニー喜多川の性加害疑惑
イギリスの公共放送BBCは、先月、ドキュメンタリー番組で、ジャニー喜多川氏の少年たちに対する性加害(疑惑)と日本社会の「沈黙」(見て見ぬふり)を取り上げて、物議を醸したのでした。タイトルは、「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」(Predator : The Secret Scandal of J-Pop)というものでした。
元フォーリブスの北公次が、『光GENJIへ』という本でジャニー喜多川氏の性癖を暴露したのが34年前の1988年(昭和63年)ですが、ジャニー喜多川氏の性加害(疑惑)は、1960年代から始まっていたと言われています。その間、被害に遭った少年は数百人に上るという説もあるのです。
少年たちも、それを我慢しないとデビューできないことを知っていました。2002年5月には、東京高裁で、ジャニー喜多川氏の「淫行行為」は「事実」だと認定されているくらいです。でも、日本のメディアはいっさい報じて来なかったのです。
その中で、例外的に取り上げていたのが『週刊文春』と『噂の真相』でした。中でも『週刊文春』は、1999年10月から14週にわたって、ジャニー喜多川氏の「セクハラ」問題のキャンペーンを行ったのでした。上記の東京高裁の認定は、その報道に対して、ジャニー喜多川氏とジャニーズ事務所が、1億円の賠償金を求める名誉毀損訴訟を起こしたときのものです。ジャニーズ側は高裁の判決が不服として最高裁に上告したのですが、最高裁で上告が棄却され、高裁の判決が確定したのでした。訴訟自体は120万円の賠償金で結審したのですが、実質的には文春の勝訴と言われました。
当時のジャニー喜多川氏の自宅は六本木のアークヒルズにあり、少年たちから「合宿所」と呼ばれていたそうです。しかし、少年たちは陰では「合宿所」を「悪魔の館」と呼んでいたのだとか。
『週刊文春』は、12人の少年に取材し、そのうち10人がジャニー喜多川氏から性被害を受けたと答えたそうです。また、法廷で2人の少年が性被害(セクハラ行為)を証言したのですが、東京高裁の判決文では、「上記の少年らは、一審原告のセクハラ行為について具体的に供述し、その内容はおおむね一致し、これらの少年らが揃って虚偽の供述をする動機も認められない」「これらの証言ないし供述記載は信用できるものというべきである」と証言の信憑性を認めているのです。
しかし、日本のメディアは、芸能マスコミだけでなく、大手の週刊誌も新聞もテレビも、こぞって黙殺したのです。そのため、その後もジャニー喜多川氏の性加害は続き、それどころかジャニーズ事務所は日本を代表する芸能プロとして、その存在感を絶対的なものにしていったのでした。
ちなみに、私は30年以上前、当時勤めていた会社が六本木にあった関係で、たまたまガールフレンドが住んでいた六本木のマンションに入り浸っていた時期があるのですが、彼女のマンションと脇道をはさんで向かいにあるマンションにジャニーズの「合宿所」がありました。私自身は、シブがき隊の誰か(それも定かでない)をチラッと見た程度ですが、ガールフレンドの話ではその「合宿所」にはシブがき隊や少年隊のメンバーも住んでいたことがあり、彼等とは顔見知りだったそうで、誰々はいい子だけど誰々は悪ガキだとか、そんな話をしていました。
その当時も、春休みや夏休みになると、ファンの女の子たちが地方からやって来て、ガールフレンドのマンションの脇に一日中立ってメンバーを「出待ち」するので、住人から迷惑がられていました。
既にその頃からジャニー喜多川氏にまつわる噂は、公然の秘密として人口に膾炙されていました。芸能界の周辺にいたガールフレンドも、「芸能界は男も女も同じだよ」「パパがいる男の子は多いよ」とさも当然のことのように言っていました。
たしかに、戦国時代から江戸時代には、殿様の横で刀持ちを務める「
小姓」と呼ばれる少年がいましたし、太古の昔から芸能の民は、両性具有の人間が多いと言われていましたが、時代を経て「個人」が確立されるにつれ、そんなロマンティックな言葉で誤魔化すことはできなくなったのです。というか、そういった男色の歴史とジャニー喜多川氏の性加害(疑惑)はまったく別の問題と考えるべきでしょう。
相撲部屋と同じように、中学を出るか出ないかの年端もいかない少年たちを「合宿所」で集団生活させて、親代わりのように寝食をともにしながらエンターテイナーになるべく訓練する。そんなジャニーズ事務所特有のシステムの裏に潜んでいたのは、少年たちに対するジャニー喜多川氏の”歪んだ欲望”だったのです。そこにあるのは、支配⇔服従の関係以外のなにものでもありません。
ただ、忘れてはならないのは、ジャニー喜多川氏の行為を「気持悪い」「おぞましい」と感じるのは単なるホモフォビア(同性愛嫌悪)にすぎず、それは単に反動的で文化的な所産でしかないということです。ジャニー喜多川氏の行為が批判されるべきなのは、それが「気持が悪い」「おぞましい」からではなく、「デビューしたければ言うとおりにしろ」という支配⇔服従の権力関係に依拠した「性的搾取」だからです。もっとわかりやすく言えば、みずからの性的欲望をそういった関係を盾に有無を言わせず行使しているからなのです。
私はその手の話は詳しくないので、必ずしも正確な説明ができるとは言えませんし、言葉の使い方も適切ではないかもしれませんが、同性愛と言ってもいろんなパターンがあるようです。同性愛者同士の関係だけでなく、女性になれない女性の感覚で、無垢な少年の身体に性的な欲望を抱く同性愛者もいるそうです。
私は、ホモセクシャルな人たちがこの問題をどう考えるか知りたいのですが、残念ながら彼らの声がメディアに取り上げられることはありませんし、SNSでも見つけることはできませんでした。LGBTへの理解を求めるなら、彼らももっと積極的に発言すべきでしょう。
ゲイ雑誌の『薔薇族』は、一環してジャニー喜多川氏のような”少年愛”を称揚してきたと言われていますが、対象になるのが年端もいかない少年であるこということを考えれば、そこには最初から支配⇔服従の関係が生まれるのは当然です。それどころか、「調教する」というような倒錯した支配欲だってあったかもしれません。同性愛者たちは、そういったことをどう考えるのか。当たり前のこととして肯定していたのか。仮にドラマの「きのう何食べた?」のようなイメージの中に逃げるだけなら、それは極めて不誠実で卑怯な態度だと言わざるを得ません。
■グルーミングとトラウマボンド
番組を制作したBBCのスタッフは、朝日新聞のGLOBE+のインタビューで、ジャニー喜多川氏の行為は「グルーミング(grooming)」や「トラウマボンド(trauma bond)」といった心理学の概念で説明できる、少年たちに対する「性的搾取」だと言っていました。
GLOBE+ジャニー喜多川氏の性加害疑惑追ったBBC番組制作陣が指摘した「グルーミング」の手口尚、groomingとtrauma bondについては、ウィキペディアで次のように説明されています。
性犯罪におけるグルーミングとは、性交等または猥褻な行為などをする目的で、未成年者を手なずける行為である。「チャイルド・グルーミング」とも呼ばれる。(略)
未成年者への「性的なグルーミング」は、何らかの事情で孤立した対象を標的にして、標的からの信頼を積み上げて関係性を支配してから、性的な行為に及ぶものである。(略)
グルーミングはマインドコントロールの一種で、ごく普通のコミュニケーションの中で行われることを強調する。対象を近親者から切り離そうとするのも特徴で、そういう言動があったら警戒を促す。
だが、標的とされた子どもは加害者への恋愛感情や信頼心が醸成されていき、「信頼できる大人がそんなことをしてくるわけがない」と思い込まれているため、「性暴力被害を受けた」とは気づきにくい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/グルーミング(性被害)
トラウマの絆は、パトリックカーンズによって開発された用語で、報酬と罰による断続的な強化によって持続される繰り返しの周期的な虐待パターンから生じる、個人 (および場合によってはグループ) との感情的な絆を表します。(略)
トラウマの絆は通常、被害者と加害者が一方向の関係にあり、被害者は加害者と感情的な絆を形成します。(略)
トラウマの絆は、恐怖、支配、予測不可能性に基づいています。虐待者と被害者の間のトラウマの絆が強まり、深まるにつれて、周期的なパターンで現れる警戒感、しびれ、悲しみの相反する感情につながります. 多くの場合、トラウマの絆の犠牲者には主体性と自律性がなく、個人の自己意識もありません. 彼らの自己イメージは、虐待者の自己イメージの派生物であり、内面化されたものです。(略)
トラウマの絆は、関係が続いている間だけでなく、それ以降も被害者に深刻な悪影響を及ぼします。トラウマの絆の長期的な影響には、虐待的な関係にとどまること、低い自尊心、否定的な自己像、うつ病や双極性障害の可能性の増加などのメンタルヘルスへの悪影響、世代間の虐待サイクルの永続化などがあります。(略)
加害者と心的外傷を負った被害者は、多くの場合、これらの関係を離れることはできません。なんとか離れることのできた人でさえ、学習したトラウマの絆が蔓延しているため、多くの人が虐待的な関係に戻ります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Traumatic_bonding
ジャニー喜多川氏の性加害(疑惑)は、多感な時期にある少年たちにとって、深刻な
心的外傷をもたらす行為だったと言えますが、にもかかわらず、日本のメディアには、天皇制に勝るとも劣らない第一級のタブーだったのです。情けない話ですが、外国メディアでなければ扱えなかったのです。それも、死後でなければ不可能だったのです。
BBCの放送を受けて、4月12日に元ジャニーズJr.のメンバーで現在もアーティスト活動を行っている男性が、外国特派員協会で会見し、みずから体験した性被害を告白したことで、既存メディアでは全国紙とNHKがようやく報道を解禁しました。しかし、それは、批判を回避するため、アリバイ作りのために会見に触れたようにしか思えない、通りいっぺんの内容でした。一方で、今でもジャニーズ事務所の統制下にあるテレビや雑誌などは「見て見ぬふり」をしたままです。特に女性週刊誌とワイドショーは、まるでジャニーズ事務所との心中も厭わないかのように忠誠を誓っているのでした。
昔は、所属タレントのスキャンダルをめぐって、ジャニーズ事務所と女性週刊誌との間でバトルが繰り広げられたこともありましたし、ジャニーズ事務所が、3億7000万円の所得隠しや経理ミスで、東京国税局から重加算税も含めて2億円あまりを追徴課税されたり、グッズ販売の所得隠しにより、法人税法違反容疑で東京地検特捜部に告発されたこともあったのです。いづれも『週刊文春』との裁判があった2002年頃の話です。しかし、その後、総務省事務次官や電通副社長などを務めた嵐の櫻井翔の父親の権勢もあってか、ジャニーズ事務所は絶対的なタブーになり、吉本ともども国のご用達プロダクションのような立場になったのでした。ジャニー喜多川氏は、2019年7月に89歳で亡くなったのですが、死してもなお、メディアが見ざる言わざる聞かざるの姿勢を貫いているのは、そういった背景も無関係ではないように思います。
私は、芸能マスコミとテレビ局が芸能界をアンタッチャブルなものにした、と前々から言ってきましたが、それは今なお続いているのです。弱小プロダクションのタレントが「不倫」したら、世界の一大事のように大騒ぎするくせに、本来なら日本の芸能界をゆるがせてもおかしくないジャニー喜多川氏の性加害(疑惑)に対しては、裁判で認定され、もはや誰もが知っているほど人口に膾炙されているにもかかわらず、「見て見ぬふり」をしているのでした。そして、ジャーニーズ事務所のタレントたちは、何事もなかったかのように、歌番組だけでなくバラエティ番組や情報番組やCMなどテレビをはじめとするメディアを席捲しています。それどころか、報道番組のキャスターを務めたり、政府のイベントでは客寄せパンダの役割を担うまでになっているのでした。
このように長いものに巻かれ、強いものにごびへつらう日本のメディアの事大主義的な体質は、WBCやジャニーズ事務所の報道においても共通して見られる、もはや宿痾と言ってもいいようなものです。「言論の自由」も、彼らには猫に小判でしかないのです。
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