どうやら新型コロナウイルスの新規感染者数は下げ止まりの傾向にあるみたいです。ネットで「新型コロナウイルス  下げ止まり」と検索すると、下記のような見出しがずらりとヒットしました。

東京新聞 TOKYO Web
「第8波の可能性、非常に高い」…都内感染者数が下げ止まり 旅行支援開始や換気不足も不安材料

千葉日報
千葉県内コロナ8波の兆しか  感染者数下げ止まり  専門家「いまは分岐点」と警鐘

FNNプライムオンライン
県「感染者数の下げ止まり続く」新型コロナ345人感染   大分

Web東奥
コロナ感染者数「県内でも下げ止まり傾向」 - 東奥日報社

山陽新聞デジタル
岡山県内コロナ感染 8週ぶり増加  直近1週間  下げ止まり反転局面か

10月21日付けの記事ですが、東京新聞は次のように伝えています。

  都内の1週間平均の新規感染者数は、第7波のピークだった8月3日に約3万3400人まで増加。その後、減少が続いたが、今月に入って下げ止まりの傾向が強まり、今月11日を境に増加に転じている。19日時点で約3400人。厚労省の集計によると、19日までの1週間に報告された全国の新規感染者数は前週比で1.35倍となった。
(上記記事より)


しかし、世の中は、入国制限の緩和、全国旅行支援、GOTOイートの再開など、「ウィズコロナ」を謳い文句に、まるで新型コロナウイルスは過ぎ去った(恐るるに足りず)かのような空気に覆われています。

新たな変異株による第8波の兆しは世界的な傾向なので、入国制限の緩和によってさらに感染に拍車がかかる怖れもあるでしょう。

入国制限の緩和や旅行支援は、全国旅行業協会(ANTA)の会長である二階俊博氏の意向が反映されているのではないかという声がありますが、あながち的外れとは言えないように思います。

専門家も遠慮がちながら、第8波の備えを訴えはじめていますが、テレビなどは、外国人観光客の爆買いや全国旅行支援やGOTOイートの話題ばかりで、第8波の兆しについてはきわめて小さい扱いしかしていません。

さらには、政府の税制調査会で、消費増税の声が出始めているというニュースもありました。上記の旅行支援やGOTOイートもそうですが、新型コロナウイルスに関する財政支出(各種支援策)に対して、悪化した財政を手当てするために増税論が出て来るのは当然と言えば当然です。「お金を貰ってラッキー」というわけにはいかないのです。旅行や外食に浮かれていても、そのツケは必ずまわって来るのです。

まさに今の全国旅行支援やGOTOイートは、踊るアホなのです。でも、同じアホなら踊らにゃ損みたいになっているのです。

今の円安や物価高、そして住民税や健康保険料など「租税公課」の負担増の中で、再び感染拡大となれば、その影響は第1波や第2波の比ではないでしょう。重症化のリスクは低いのかもしれませんが、感染に加えて経済的な負担がまるで二重苦のように私たちの生活にのしかかってくるのです。打撃を受ける観光業者や飲食店も、もう前のように支援策が取られることはないでしょう。そのため、「風邪と同じ」と言われたり、感染症法を今の「2類相当」から5類へ引き下げたりして、社会経済活動に支障がないように「過少に扱う」のだろうと思います。手っ取り早く言えば、感染しても出勤するようなことが半ば公然と行われるということです。というか、そういうことが暗に推奨されるのです。

一方、パテミックを通して、現金給付を受けたり、キャッシュレス決済が進んだということもあって、国民の間に、みずからの個人情報を国家に差し出すことにためらいがなくなったのはたしかです。ありていに言えば、(お金に釣られて)思考停止=衆愚化がいっそう加速されたのです。そして、河野太郎氏がデジタル大臣になった途端、その変化をチャンスとばかりに、マイナンバーカードと健康保険証の紐付けの義務化が打ち出されたのでした。

消費税が導入されたとき、いったん導入されると税率がどんどん上がっていくという反対意見がありましたが、多くの国民は真に受けませんでした。でも、案の定、税率はどんどん上がり続けています。財務省にとって、これほど便利な税はないのです。

マイナンバーカードも然りで、当初は義務ではないと言っていましたが、いつの間にか義務化されたのです。既に健康保険証だけでなく、運転免許証や給付金の手続きや振込みに便利だからという理由で銀行口座との紐付けも決まっています。このまま行けば、電子決済の機能も付与されるかもしれません。利便性、行政の効率化の名のもとに、そうやって日本の“中国化”が進むのです。

ユヴァル・ノア・ハラリは、携帯電話の通信記録や位置情報、クレジットカードの利用情報などという「行動の監視」だけでなく、パンデミックによって、身体の内側まで監視できるような、「独裁者が夢見ていた」システムができあがった、と言っていましたが、日本でもそれが現実のものになってきたと言えるでしょう。マイナンバーカードに健康保険証が紐付けられることによって、私たちの健康に関する情報が国家に一元的に管理されるようになるのです。でも、健康はあくまで手はじめにすぎません。生活に関するあらゆる情報が、日々の行動とともに監視・管理されるようになるのです。それが日本の”中国化”です。

コスパやタムパを重視するデジタルネイティブの世代の感性も、デジタル独裁=デジタル全体主義にとって追い風であるのは間違いありません。

タブレットを持って記者会見に臨んだだけで、「河野さんは他の大臣と違う」と称賛する(ホリエモンやひろゆきのような)アホらしい言説が、衆愚政治を招来しているのです。どうせ個人情報はGoogleに送られているのだから同じじゃないか、と彼らは言うのですが、そういった発言によって、彼らはデジタル全体主義のイデオローグになっているのでした。
2022.10.27 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
ハーシス(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)の不具合の影響なのかどうか知りませんが、28日、東京都の新規感染者数が4万人を越えました。一方で、5万人越えも想定されているという声さえあります。

ちなみに、東京都の専用サイトを見ると、28日現在、入院中の感染者は30,794人、ホテルなどの宿泊療養が6,323人、自宅療養が178,862人、さらに入院・療養調整中が70,884人いるそうです。

東京都の病床使用率は50.5%で「まだ余裕がある」はずですが、にもかかわらず70.884人が入院・療養調整中というのはどう考えればいいのか。保健所のコントロールが機能してないのか。あるいは病院側に問題があるのか。いづれにしても、とても正常な状態とは思えません。

奈良で行われた全国知事会で、平井伸治会長(鳥取県知事)は、冒頭「私たちは今、未曽有の危機にあります」と挨拶したそうですが、しかし、そのあと「新型コロナを抑え、経済も回さなければなりません」と述べたそうです。「そういった難しいかじ取りが使命となっている」のだと。

でも、それは、「難しいかじ取り」ではなく「二兎を追う者は一兎をも得ず」で、最初から無理な相談ではないのかと思いました。

できないことでも、みんなでやればできるみたいな精神論は日本人の得意とするものですが、今回の新型コロナウイルスにおいても、そうやって最後は没論理の精神論に行き着いてしまう「日本の思想」の哀しさを感じました。

スーパー近代と前近代が切れまなく連続しているのが「日本の思想」の特徴だと言ったのは丸山眞男ですが、新型コロナウイルスでもそれが見事なほど露わになっているように思います。

朝のワイドショーで、コロナに感染したコメンテーターがみずからの体験談を話していましたが、その際、「感染したことで経済を止めたのもたしかで」とわけのわからないことを言っていました。要するに、感染して仕事を休んだことで、「経済を止めた」結果になり申し訳ないと言いたかったようです。

何だかひとりで国家を背負っているような発言ですが、そこにも日本人特有のメンタリティがあるように思えてなりません。でも、それは間違っても思考ではありません。ただ神のご託宣を伏して待つようなメンタリティがあるだけです。だから、いとも簡単に自我の中に国家が入って来るのでしょう。

政府が「経済を止めることはできない」と言えば、識者たちも国民も、さらには公衆衛生学や感染学の立場から感染防止策を進言し啓蒙していたその道の専門家たちも、途端に思考停止に陥って、オウム返しのように同じ台詞を口にしはじめるのでした。「悩ましい問題ですね」と他人事のように言うのですが、悩ましくしているのは自分自身だということがわかってないのです。

たとえば、朝日に載っていた下記のような記事にも、日本人特有の寄らば大樹の陰のメンタリティが示されているように思いました。

朝日新聞デジタル
マスクなし、声出しありの欧州の応援 日本「ガラパゴス化」のなぜ

スポーツライターの増島みどり氏は、マスクを付けて大声も出さずに応援する日本のサッカーの観戦スタイルに、「違和感」を覚えたそうです。「ガラパゴス化」した光景に見えたと言うのでした。

もっとも、それは「海外と比べて」そう見えたという話にすぎないのです。そこにあるのも思考停止です。どうして海外をお手本にしなければならないのかという留保さえ存在しないのです。その手の言説は、私たちのまわりにうんざりするほどあります。

私は、花粉症ということもあり、コロナ禍の前から真夏を除いて1年の3分2以上マスクをしているような”マスク人間”ですが、そんな人間から言わせてもらえば、マスクを外さずに感染防止に努める日本人の潔癖な習性は、むしろ”日本的美徳”と言ってもいいはずです。それがどうして同調を求める日本社会の象徴みたいに言われ、否定的な意味合いで語られなければならないのか。

今回の第7次感染拡大がはじまる前、感染が落ち着いたのでもう終息に向かっていると早とちりしたのか、いつまでもマスクを外さない日本人をヤユするような文章が新聞などメディアに飛び交い、上記の記事のように、マスクを外すことが日常を取り戻すことであるかのようなもの言いが多く見られました。

たとえば、下記のようなキャッチーな記事のタイトルにも、そんな”含意”が顔をのぞかせているように思いました。

朝日新聞デジタル
マスク外す?外さない? 自分で決められない日本社会の空気感

今回の感染拡大では、あらためてエアロゾル感染を防ぐ重要性が指摘されていますが、メディアや識者はつい昨日まで、いつまでマスクをしているんだ、海外を見習え、とマスクを外さない日本人を恫喝していたのです。

海外がそうだからというだけで、それが”いいこと”なのかどうかという検証はないのです。先日のテレビで、フランス人は政府が強制すると、反発しながら一応マスクを装着するけど、強制が解除されるとほとんどの人はマスクを外すという話をしていましたが、新型コロナウイルスの感染防止にとって、それが”いいこと”がどうかが大事なのです。フランス人がマスクを外したので日本人もマスクを外すべきだという話にはならないでしょう。それこそ日本人が好きなエビデンス(!)の問題でしょう。

丸山眞男は、『日本の思想』の中で、「思想評価の際にも、西洋コンプレックスと進歩コンプレックスとは不可分に結びつき、思想相互の優劣が、日本の地盤で現実にもつ意味という観点よりは、しばしば西洋史の上でそれらの思想が生起した・・・・時代の先後によって定められる」と書いていましたが、私は、ただの思考停止の産物でしかない夜郎自大な「マスク論」を目にするたびに、このような丸山のシニカルな言葉を思い出さざるを得ませんでした。

そんな中、「未曾有の」感染拡大を前にして、新型コロナウイルスを感染症法上の「2種相当」から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げるべきだ、という声が日ごとに大きくなっています。

「5種」になれば、診察した病院が、感染者の詳細な情報を保健所に届け出る義務(全数把握)がなくなります。代わりに都道府県が指定した指定医療機関が、患者の発生状況を一定の期間ごとに報告するだけです(定点把握)。医療機関や保健所の業務の負担が減るというのは、そのとおりでしょう。

しかし、その代わり、今のようなリアルタイムの新規感染者数のカウントがなくなるのです。もちろん、濃厚接触者という扱いもなくなります。新型コロナウイルスが可視化されなくなるのです。

「5種」に引き下げられると、今までの発熱外来に限られた窓口が一般の病院にまで広がりますので、症状があるのに病院から断られて診察してもらえない「受診難民」が減るのは間違いなく、それもたしかにメリットです。でも、濃厚接触者の追跡がなくなるのは、今後に大きな禍根を残すような気がしてなりません。

濃厚接触者の追跡がなくなれば、当然、今以上に感染は広がります。しかし、どのくらい感染が広がっているのかはわかりません。感染症なのですから、無症状や軽症の人たちも他人に感染させる可能性は当然あります。にもかかわらず彼らは市中に放置されるのです。

また、「5類」引き下げには、別の政治的背景があることも忘れてはなりません。今回の感染拡大では、行動制限をしてないにもかかわらず、感染拡大で休む人間が多くなり、社会インフラや企業活動に支障が出てしまいました。これでは元の木阿弥です。「休む理由をなくせ」「休ませないようにしろ」という資本の要請があったことは想像に難くありません。

一方、メディアも、ほとんど異論をはさむことなく、むしろ逆に、「5種」引き下げの世論を煽っている感さえあります。既に一部の新聞には、今回の第7次の感染が収まったら、「5種」に引き下げになる方向だという記事も出ています。

”日本的美徳”と言えば、弱肉強食の欧米式「社会実験」ではなく、重症化リスクの高い高齢者に対する”配慮”を一義に考える敬老精神もそう言えるでしょう。「5種」に引き下げになれば、高齢者に対する”配慮”もなくなり、「経済をまわす」ためにはある程度の犠牲はやむを得ないという、無慈悲な経済合理主義が大手を振ってまかり通るようになるのです。

資本にとって、眼中にあるのは労働力として使える(再生産できる)健康な現役世代の人間だけです。労働力として使えない高齢者なんて知ったことじゃないのです。ネットでよく高齢者はコストばかりかかる社会のお荷物みたいな言い方がされますが、それは思考停止したネット民が資本の論理を受け売りしているだけです。古市憲寿や落合陽一なども同じようなことを言ってますが、彼らも資本の論理を代弁しているだけです。「資本家の犬」は岸田首相だけではないのです。

もちろん、新型コロナウイルスは終息する目処が立ったわけではありません。いつ終わるか誰にもわからないのです。今後、免疫をすりぬける新種が出て来る可能性もあると言われています。感染が一旦収まっても、それは次の感染拡大までの”準備期間”にすぎないのです。

それに、いくら弱毒化したからと言って、みんながみな無症状や軽症だとは限らないのです。自分が無症状や軽症で済むという保障もないのです。上の東京都のデータを見てもわかるとおり、「風邪みたいなもの」と言われながら、感染して入院中の人、ホテルなどで宿泊療養している人、入院・療養調整中の人を合わせると、10万人以上の人たちが入院・加療を必要としているのです。

「5類」引き下げ、あるいは「5類」並み緩和の方針に対して、医療現場も専門家も与野党の政治家も識者もメディアも国民も、明確に反対する声はほとんどありません。私のような考えの人間は、「不安神経症」などと言われるほど圧倒的に少数です。

一応医療費の公費負担は維持されるようですが、「5種」引き下げになれば、行政レベルの感染対策はほとんどなくなるに等しいのです。もう補償金や支援金を払うことはないぞ、休む理由もなくなったぞ、あとはお前たちの責任でコロナ禍を乗り越えろ、と言われているようなものです。でも、みんな歓迎しているのです。いつの間にかパンデミックという言葉も使われなくなりましたが、「5類」引き下げになれば、パンデミックが終わったかのような空気が益々広がっていくことでしょう。

感染して自宅療養している知人がいるのですが、その知人のもとに、政府が「5類」に引き下げてくれればこんなに騒がれなくてもよくなるのにね、と職場の同僚から慰めのメールが届いたそうです。コロナ疲れもあるのかもしれませんが、なんだか面倒くさいものから解放されたい、という気持の方が先に立っているような気がしないでもありません。新型コロナウイルスはイメージではないのですから、私たちの見方や捉え方が変わったからと言って、ウイルスの性質が変わるわけではないのです。これからも(当分は)新型コロナウイルスに翻弄される日々は続くのです。今の感染状況を見ると、集団免疫というのも随分怪しい話になってきました。なのに、こんな安易な気分に流されてホントにいいんだろうか、と「不安神経症」の私は思うのでした。
2022.07.29 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
オミクロン株「BA.5」の感染は拡大する一方です。WHO(世界保健機関)の最新レポートによれば、先週1週間の日本の新規感染者は96万9068人で世界で最多だったそうです。また、昨日(7/27)の国内での新規感染者も20万人を越えた、というニュースもありました。

それでも政府は行動制限を行わない姿勢を崩していません。政府がやったことは、抗原検査キットを医療機関に配ったくらいです。

NHKが発表している病床使用率は、7月20日時点で全国平均が37%、酸素吸入などが必要な重症病床の使用率は19%です。政府の無作為は、こういった数字を根拠にしているのかもしれません。

しかし、この数字は、毎週木曜日に1週間分を集計して翌日の金曜日に発表したものです。つまり、あくまで1週間前の20日時点の数字にすぎないのです。20日以後この1週間で、東京都の新規感染者数は3万人を越すなど、ほとんどの自治体で新規感染者数が「過去最高」を更新しているのです。明日(7/29)発表される最新データが、これよりはるかに高い数値を叩き出すのは火を見るよりあきらかでしょう。

実際に昨日(27日)のデータでは、大阪府の病床使用率が52.0%です。東京都も50.5%、沖縄に至っては87.8%(重症病床使用率43.5%)です。

一方、厚労省が発表した7月20日現在の自宅療養者は全国で61万2023人にものぼっているそうです。何度もくり返しますが、これも20日時点の話なので、この1週間でさらに増えていることは安易に想像できます。

病院の外来が一日に診察するキャパを超え診察を断っている、というニュースが連日伝えられています。そのため、発症しても病院で診察を受けることができないのです。でも、病床使用率は「まだ余裕がある」というのです。これもおかしな話と言えるでしょう。

現在は感染しても、病院どころかホテル療養も難しいと言われています。専門的な診断を受けることもなく、保健所との電話のやり取りで「軽症」と判断され、自宅療養を余儀なくされるのです。しかも、保健所の受付もキャパを越えたため、電話ではなくFAXに切り替えたなどという話さえあります。

感染した人の中には、「軽症」と言われても症状が想像以上にきつく、2~3日食事もできず重症化するのではないかという不安に襲われたと話す人も多いのです。

もちろん、医療従事者も感染の蔓延と無縁ではありません。感染したり濃厚接触者になったりして休まざるを得ないケースも多いのです。先の病床使用率が低い”矛盾”も、人員の配置ができずベットを使いたくても使えないケースも多いのではないかと思います。

すると、政府は、科学的知見を無視して、濃厚接触者の待機機関を従来の7日から原則5日(最短3日)に短縮すると方針転換したのでした。要するに、「早く職場に出て来い」ということです。泥縄式とはこのことでしょう。でも、日本医師会が会見を開いて注意を喚起したように、7日間は他人を感染させる可能性があるのです。これでは、政府みずから感染を拡大させる要因を作っているようなものでしょう。

医療が逼迫した状況がある一方で、夏休みに入った街には人々が繰り出し、繁華街は感染拡大がウソのように人でごった返しているのでした。その別世界のような光景にも驚かざるを得ません。それは、文字通り「水は低い方に流れる」光景と言うべきでしょう。彼らは、政治の無作為を口実に、「自分だけは大丈夫」「所詮は風邪と同じ」と言い聞かせて、楽な方、欲望の赴く方に身を預けるだけで、それ以上のことは考えることができないのでしょう。政治の方も、旧統一教会との関係を黒塗りしたり、見せしめのために死刑を執行することには熱心ですが、肝心な感染拡大に対しては、「経済をまわすため」というお題目を唱えてサボタージュするだけなのです。どっちもどっちという気がしてなりません。

しかし、感染者や濃厚接触者が集中して発生したため、郵便局の窓口が閉鎖されたとか電車やバスが運休されたとかいう話も出ています。皮肉なことに、政府の無作為によって社会インフラがみずから崩壊しつつあるのです。

夜の飲み屋街でも、人出が減り飲食店が再び苦境に立たされているという話も出ています。感染の拡大を怖れ、外での飲食を控える人が多くなっているからです。政府は感染源は飲食ではなく家庭が多いと言うのですが、実際に感染した人の話を聞いても、飲食が原因だったという人も多いのです。

この季節でこれほど感染が拡大しているのですから、秋冬になったらどうなるのだろうと考えてしまいます。今の「BA.5」に比べて3倍も感染力が強いと言われる新しい変異株「BA.2.75」の市中感染も、既に東京や大阪などで確認されています。第8波の感染爆発も当然のように予定(予想ではなく予定)されているのです。それが、秋冬にずれ込んだらと考えると戦慄さえ覚えます。

もちろん、「BA.2.75」は最終型ではありません。重症化率が低くなり「弱毒化」されたからと言って、新型コロナウイルスが終わりに近づいたという保障はどこにもないのです。次々と登場する変異株の中には、免疫をすり抜ける新種も含まれているという話もあるくらいです。

新型コロナウイルスとの戦いがはじまってまだ3年も経ってないのです。いつ終わるのか、誰もわからないのです。

にもかかわらず、政府が根拠のない”楽観論”を振り撒き、「経済をまわす」ことを優先する背景には、深刻度を増す世界経済の状況も無関係ではないように思います。

アメリカのFRBが2ヶ月続けて利上げを行なったのも、資本主義世界の危機の表われだとしか思えません。それくらいインフレが深刻なのでしょう。アメリカは、インフレ(物価高)と不況の股裂き状態にあり、その泥沼(=スタグフレーション)から抜け出す手立てもなく苦境に喘いでいるのです。それが属国・日本に及ぼす影響は想像を絶するものがあるでしょう。

感染対策を二の次にして「経済をまわす」という日本政府のかたくなな方針も、換言すれば、感染対策を二の次にせざるを得ないということなのかもしれません。ウイズコロナなんて呑気な話ではないのかもしれないのです。
2022.07.28 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
新型コロナウイルスの新規感染者数が23日、初めて20万人を超え、4日連続での過去最多を更新しました。東京都は23日が3万2698人で、3日連続での3万人超えになりました。

政府は、急遽、4回目のワクチン接種を医療従事者や介護施設の職員などに拡大する方針を決定しましたが、同時に、現時点では「まん延防止等重点措置」などの新たな行動制限は行わない考えをあらためて表明しました。

そんな中、軽井沢で開かれている経団連の夏セミナーを訪れた岸田首相は、その席で、「『日本は、これまで6回の感染の波を乗り越えてきた。全体として対応力は強化されている。政府としては現時点で新たな行動制限を考えてはいないが、医療体制を維持・強化しメリハリのきいた感染対策を行ないながら、社会経済活動の回復に向けた取り組みを段階的に進めていく方針だ』と強調した」(FNNニュースより)そうです。

一方で、政府は、濃厚接触者の待機期間を現在の原則7日間から5日間に短縮するなど方針転換を発表したのでした。行動制限や時短営業についても、「感染者が減らせるエビデンスがない」「感染拡大の原因は飲食店ではなく家庭だ」と今までとは180度違うことを言い出しているのでした。政府は、オミクロン株は感染力が強いけど重症化リスクが低く、弱毒化していると言っていますが、オミクロンはそんな根本的な転換を伴うほど違うのだろうか、と首をひねりたくなります。

現在の感染拡大はBA.5という亜種によるものですが、でも、オミクロン株にも次々と新種が発見されています。既にBA.5に比べて3倍もそれ以上も感染力が強いと言われる、新しい変異株のBA.2.75が市中で発見されたという話もあります。そんなに能天気に構えていていいのかと思わざるを得ません。

先日、ワイドショーの某電波芸者コメンテーターが、「国民はもうこれ以上できないというくらい感染防止をしっかり行ってきました」、それでも感染を防げないのならウィズコロナに向けてウイルスと共存する方法を考えた方がいいのではないか、というようなことを言っていました。

しかし、身近を見てもわかるとおり、「国民はこれ以上できないくらいしっかり感染防止を行っている」わけではありません。政府の180度転換した楽観論をこれ幸いに、国民の感染防止もかなり緩んでいるのは事実です。夏は外ではマスクを外しましょう。でも、2メートル以内に接近したらマスクを付けましょうと呼びかけていますが、そんな面倒なことをしている人なんていません。マスクを外した人も目立って多くなりました。手の消毒をスルーする人も多くなりましたし、電車内でのあたり憚らないお喋りも復活しています。何より夜の繁華街や行楽地を見れば、その緩みは一目瞭然でしょう。

場当たり的なワクチン接種の拡大を見てもわかるとおり、結局のところ、政府に成す術がないということではないのか。行動制限も、行わないのではなくできないのではないのか。もはや日本の経済にそんな余裕がないというのが本音ではないのか、と思ってしまいます。

それを言い訳のようにアナウンスするので、国民もオミクロンは風邪と同じみたいな受け止め方をして、感染対策がいっきに緩みはじめたように思います。いつの間にか日本全体が反コロナの陰謀論に宗旨変えしたみたいになっているのです。

既にいろんなところで言われていますが、先進国において日本だけがこの30年間成長が止まったままです(給与も上がってない)。そのため、いつの間にか韓国や中国の後塵を拝するまでになっているのです。過去の”遺産”があるので何とか先進国のふりをしていますが、年を経るごとに貧しくなり没落しているのは誰の目にもあきらかです。ゼロ金利政策を取り続けているのも日本だけです。日本だけが泥沼から抜け出せない状態になっているのです。それはあきらかにアベノミクスなど政策ミスによるものです。

中国のような強権的なゼロコロナ政策も問題かもしれませんが、ああやって経済を止めて強力な感染対策を講じることができるのも、中国に経済的な余裕があるからでしょう。

しかも、あろうことか、政府の分化会などでは、現在の感染症法上の「2類相当」の扱いからインフルエンザ並みに緩和すべきだという声も出ているようです。これだけの感染爆発を前にして、「2類相当」の厳格な要件を適用すると、社会経済活動に再び支障が出てくるからでしょう。すべては本末転倒した社会経済活動ありきの発想なのです。

「だが重症化率が低いといっても、季節性インフルエンザに比べればまだ高い水準にある。厚生労働省の資料によると、60歳以上の重症化率はオミクロン株2・49%に対し、インフルは0・79%。致死率もオミクロン1・99%、インフル0・55%でなお開きがある」(JNNニュースより)という指摘があることも忘れてならないのです。

先日、バイデン政権の首席医療顧問を務めるアンソニー・ファウチ博士が、バイデン大統領の任期が終わる2025年1月までに退任する意向を明らかにしたというニュースがありました。ファウチ博士は現在81歳ですが、退任の理由として、「新型コロナがなくなってから辞めるとなると、私は105歳になってしまう」と言ったそうです。

新型コロナウイルスとの戦いは、これからも長く続くのです。国内で初めて新型コロナウイルスの患者が確認されたのは、僅か2年前の2020年1月です。なのに、早くもギブアップしている日本はホントに大丈夫なのかと心配になってきます。

発熱外来は患者が殺到して予約が取れないとか、保健所も電話が鳴りやまずパニックになっているとか、救急外来も救急車を断るようになったとか、重症化リスクが低いと言いながらまた医療現場の混乱が伝えられています。にもかかわらず、何故かメディアも識者も、肝心な感染防止策に対して言及することはないのです。水が溢れて大変だと言いながら、蛇口から流れる水をどうすれば減らすことができるかの議論がまったくないのです。それは実に奇妙な光景です。

不勉強なので素人の戯言ですが、今のような感染防止がないがしろにされた状態を見るにつけ、紙幣を増刷してそれを国民に配り(俗な言い方をすれば、働かないでも当面しのげるお金を給付して)とりあえず感染防止を優先するという、MMT理論のような大胆な方策も必要ではないか、と考えたりもするのです。そして、感染が収まったら、十全な状態で経済活動を復活させればいいのではないか。ちなみに、アメリカは200兆円使って国民一人あたり15万円の支援金を3回給付しました。一方、日本は10万円を1回給付しただけです。

いつまで続くのかわかりませんが、これからも新株が出るたびに感染爆発が起きるのは間違いないでしょう。新型コロナウイルスは、世界史の上でも特筆すべき大きな出来事なのです。私たちは現在、その歴史の真っ只中にいるのです。この国の為政者には、その認識が決定的に欠けているように思えてなりません。
2022.07.24 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
ようやくと言うべきか、日本でもオミクロン株の市中感染が確認されるようになりました。欧米では既に万単位で感染者が発生し過去最多を記録するなど感染が急拡大しているのですが、日本はまだ数百人程度です。これは(今まで何度もくり返してきたことですが)日本特有のPCR検査の少なさが影響しているのは間違いないでしょう。

日本の場合、PCR検査は症状があって病院に受診した人か濃厚接触者に指定された人に限られていました。他には、入国者と帰国者に空港で抗原検査が行われていただけです。これでは市中感染の捕捉率が著しく低くなるのは当然なのです。つまり、市中では無症状や軽症の人は完全に野放しで、感染者のデータにも上がって来ないのです。ややもすれば、感染者数が少ないのは、日本の感染対策がすぐれているからという「ニッポン凄い!」の自演乙になりがちですが、間違ってもそんな話ではないのです。

ただ、ここに来て、東京都、大阪府、京都府、沖縄県では希望者が無料でPCR検査を受けることができるようになったようです。「モーニングショー」の玉川氏が言うように、遅きに失した感はありますが、一歩前進と言っていいでしょう。

一方で、今までの変異株に比べて、感染力が強いにもかかわらず逆に重症化率が低い(弱毒化されている)と言われるオミクロン株は、ウィルスの生き残り戦略における最終型だという説もあります。そうやって世界的に集団免疫が獲得され、ウィルスと人間の共生がはじまるというわけです。その意味でも、世界的な集団免疫を阻むワクチン・ナショナリズムはきわめて反動的で、愚の骨頂と言うべきでしょう。

前に紹介した『感染症と文明』(岩波文庫)の著者の長崎大熱帯医学研究所の山本太郎教授も、先日の朝日新聞のインタビュー記事で、次にように言っていました。

朝日新聞デジタル(有料記事)
コロナ2年、「敗北」後にめざす社会は? かぜになるのは10年

※以下、引用はすべて上記記事

  オミクロン株は、「ウイルスに国境はない」と改めて教えてくれました。

  ワクチン接種をアフリカなど途上国でも進めないと、いくら先進国で接種率を高めても新しい変異が出てくる。

  もっと国際協力を進めないといけません。


山本教授によれば、「新型コロナには約3万の塩基があり、1年で0.1%が変異する。つまり1年に30個ほどの変異」が出て来るそうです。デルタ株やオミクロン株はそのひとつにすぎないのです。

ウィルスは人など宿主の細胞のなかでしか増殖できない微生物なので、宿主が死ぬとウィルスも生きていくことはできません。そのため、宿主の寿命を奪うのではなく、逆に弱毒化して宿主と共生(共存)しようとする性質を持っているのだそうです。ウィルスを撲滅しようとすると、ウィルスもそれに抗い有毒化するので、宿主にとっても、弱毒化したウィルスと共生していくのが一番賢明な方法だし、むしろそれしか道はないのです。人もまた自然の一員である限り、自然と共生(共存)するしかないということです。

  ウイルスや他の生物と共生せずに生きることはできません。自分と違うものを排除するのではなく、包摂した社会をどうつくるかが問われています。

  自分と違うものを認めることから始まるのではないでしょうか。

  国籍や肌の色、性的指向……。違う人に共感できる社会であろうよと。


排除したり撲滅したりするのではない、共生するという考えが求められているのです。しかし、パンデミック下の世界では、人々の考えはむしろ逆を向いているように思えてなりません。

ワクチン・ナショナリズムも然りですが、ワクチンだけでなく、政治でも文化でもヘイトな考えが蔓延するようになっています。と言うか、ヘイトが当たり前になっているのです。

新型コロナウィルスは、自然をないがしろにする人間社会のひとりよがりな文明に対する自然界からのメッセージ(警告)であり、同時に未開の周辺域を外部化して際限もなく開発、収奪しつづける資本主義がみずから招いた災禍でもあります。しかし、そう考える人はごく一部にすぎません。前に書いたことのくり返しになりますが、山本教授も次のように言っていました。

  人の活動域が広がり、野生動物のテリトリーにずかずかと入り込む機会が増えました。野生動物の生息域を奪い、ウイルスが人に感染する確率を上げていました。

  そして狭くなった地球が、人から人へと流行を広げました。人の往来が増え、グローバル化が進んだことが拍車をかけたのです。

  新型コロナは、ロンドンやニューヨーク、東京といった巨大都市で大流行しました。人口密度が高く通勤時間も長い。必然です。


  ウイルスの特徴がわからなかった2020年春ごろには、緊張感はあって当然でした。

  しかし、戦う相手とみなし、根絶させようとするのは違います。

  攻撃すれば、相手も強くなろうとする。生物は競争と協調を繰り返し、均衡点を見いだす。そうすることで自然は成り立っています。

  同じ場所で交わっているのではなく、互いにテリトリーを尊重しながら、それぞれの場所で生き続けるのが共存です。


共生の思想しか新型コロナウィルスを克服する方法はないのです。その肝心なことが忘れられているように思えてなりません。

何度も繰り返しますが、今回のパンデミックは、人間社会の傲慢さに対する自然界からのシッペ返しとも言えるのです。もちろんそれは、『歎異抄』が言う「わがはからい(計らい)」である人間の小賢しい知識で対処できるようなものではありません。今をときめくAIも、野生動物を介した自然界=原始の世界からのシッペ返しに為す術もなく、ほとんど役に立ちませんでした。むしろ、監視社会化という愚かな人間がより愚かに自分で自分の首を絞める方向に使われただけです。にもかかわらず、多くの人たちは、新型コロナウィルスの本質を見ようともせず、自然はコントロールできるかのような傲慢な考えに囚われたままなのです。


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2021.12.26 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
あらたな変異株、オミクロン株の感染が日本でも確認されました。既にオミクロン株の感染は、アメリカ、カナダ、イギリス、ポルトガル、ベルギー、オランダ、そして韓国などでも確認されているそうです。オミクロン株に関しては、感染力や重症度などまだその詳細がわかっていないようですが、しかし、感染防止の観点から最悪の事態を想定するのは当然で、再び双六が振り出しに戻るかのような世界大の感染拡大が懸念されているのでした。

BBCが言うように、「オミクロン株の出現は、多くの人がCOVID-19は終わったと考えていても、実際には終わっていないことを示している」のです。

同じBBCには、次のような記事が掲載されていました。

BBC NEWS / JAPAN
南ア大統領、各国の渡航制限解除を要請 オミクロン株めぐり

ラマポーザ大統領は演説で、渡航制限に科学的根拠はないと指摘。アフリカ南部諸国が不公平な差別の犠牲になっていると批判した。
(略)
さらに、オミクロン株が発見されたことで、ワクチン供給の不平等が浮き彫りになったと述べ、全ての人がワクチンを接収するまで、変異株の出現は免れないと話した。

南アフリカ自体はワクチン不足には陥っていないが、ラマポーザ氏は、多くの人にワクチンを打ってほしい、それが新型ウイルスと戦う最善手段だと訴えた。


まったくその通りで、ワクチンを先進国が独占している限り、かつて「第三世界」と呼ばれた南の貧しい国からの変異株のシッペ返しはこれからも続くでしょう。

この一見終わりがないかのような新型コロナウィルスとの戦いに示されているのは、資本主義の矛盾です。既に新型コロナウイルスの変異株は100種類以上発生していると言われていますが、富める者(国)と貧しき者(国)が存在する限り、ウイルスが弱毒化され単なる感染症となる日まで、私達は変異株に怯え続けなければならないのです。もちろん、その度に、変異株の震源地である貧しい国の人々が真っ先に多大な犠牲を強いられるのは言うまでもありません。

一方で、製薬会社にとっては、パンデミックは千載一遇のビジネスチャンスでもあります。そのため、開発競争も熾烈を極めているのですが、しかし、彼らが相手にするのは高値で買取ってくれる先進国の政府で、お金のない貧しい国など眼中にありません。もとより、オミクロン株の出現も、製薬会社にとっては益々笑いが止まらない喜ぶべきニュースと言えるでしょう。

資本主義社会にどっぷりと浸かった人間たちは、金のある人間がワクチンを優先的に接種できるのは当たり前だと思うでしょうが、そのために、貧しい国の人々を通してオミクロン株のような変異株による感染が発生して、あらたな感染爆発に恐れ戦かねばならないのです。ワクチンと無縁な人々から見れば、「ざまぁ」というような話でしょう。

独占的にワクチンを供給する製薬会社が、中国とロシアを除いてアメリカとイギリスに集中しているのも、資本主義世界を支配する古い政治の力学がはたらいているからでしょう。

そんななかで中国は、先進国が欧米のワクチンを独占するその間隙を縫って、みずから開発したワクチンをアジアやアフリカの発展途上国に無償提供することで、一帯一路構想の参加国を増やすなどその影響力を広げようとしています。

地球温暖化を方便とした「脱炭素戦争」の背景に、アメリカと中国の世界覇権をめぐる争いがあるのはあきらかですが、このように新型コロナウィルスのワクチンをめぐる競争にも、米中の”見えない戦争”が影を落としているように思えてなりません。

ファイザー(米)やモデルナ(米)やアストラゼネカ(英)のような製薬会社、あるいはAmazon(米)やGoogle(米)のような巨大IT企業が文字通り火事場泥棒のように巨万の富を手に入れるその傍らでは、先進国と発展途上国の格差や国内の階層間の格差は広がる一方で、そこにグローバル資本主義の本質が如実に示されているように思います。

まさにノーブレーキで貪欲に暴走する資本に歯止めをかけない限り、格差の拡大にも歯止めがかからないのは自明ですが、私たちの今の生活を虚心坦懐に見ればわかるように、自己満の幻想と欲望に酔い痴れた先進国の人間にとって、そういったものの考え方はもはや自らの死を意味する自己否定に等しいものです。私たち自身もまた、資本主義の矛盾を体現した危うい存在に過ぎないのです。

しかも、岸田政権が日本に到着する国際線の新規予約の停止を航空会社に要請したものの、翌日には撤回するというドタバタ劇を演じたことからもわかるように、感染防止の水際対策は両刃の剣でもあるのです。資本が国境を易々と飛び越え、経済がグローバル化した今の資本主義世界では、物流や人流を完全に止めることはもはやできないのです。

資本の原理によって必然的に生み出される格差。その所産である南の貧しい国から断続的に出現する変異株。グロール資本主義の宿命とも言うべき物流や人流につきまとう両刃の剣。新型コロナウィルスが暴き出したのは、このような資本主義の避けようのない矛盾です。ウィルスの脅威の前には、資本主義は張子の虎にすぎないという市場原理主義の脆さ、自己矛盾なのです。


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2021.12.02 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
髪が伸びてうっとうしくてなりません。床屋に行きたいのですが、感染が怖くて行けないのです。と言うのも、私が行く床屋の主人が感染に関してはまったく無頓着で、髪を切っている間も、マスクもしないで、唾を飛ばしながら大声で喋るので怖くてならないのです。

マスクをして下さいと言うと、「神経質ですなあ、大丈夫ですよ」と千葉真一のようなことを言う始末です。挙げ句の果てには、理容組合も感染対策がうるさいので面倒になって脱退したそうで、私は、その話を聞いて身の毛もよだつ気がしました。当然、お客さんは目に見えて減っています。

じゃあ、行かなければいいじゃないか、他の店に行けばいいだろうと思うかもしれませんが、近所付き合いもあってなかなかそうも行かないのです。急に来なくなったお客が舗道の向こうからやって来て、自分に気付いたら踵を返して来た道を戻って行った、という話をしていましたが、踵を返した人の気持もわかる気がします。

なんだか悪口を書いているようで(たしかに悪口なのですが)気が引けるのですが、特にデルタ株の感染拡大においては、このように”親しき隣人”に対しても、いつの間にか必要以上に警戒して邪険にするようになっている自分がいます。一方で、「正しく怖れる」「自分の身は自分で守る」ためには仕方ないと思ったりもするのですが、そう思うことが悩ましくもあります。

コロナ禍で人間関係がトゲトゲしくなったなどと言われますが、かく言う私も例外ではないのです。と言うか、むしろ自分からそう仕向けているような感じさえあります。

電車に乗っていても、電車のなかの乗客たちのふるまいに、いつも顔をしかめて見ている自分がいます。駅に着きドアが開くと、まだ降りている乗客がいるのももどかしいとばかりに車内に乗り込んできて、空いてる席に突進する乗客。まるで犯人を捜す刑事のように車両の間を渡り歩いて、空いている席を探しまわっている乗客。私は、この手の人間たちを「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」とヤユしてきましたが、こういう人たちに「正しく怖れる」「自分の身は自分で守る」などと言っても、所詮は馬の耳に念仏のように思えるのです。

そんな電車内の光景を見るにつけ、スーパーでレジに並ぶのに間隔を空けるように床にラインが引かれていたり、病院の待合室などでひとりづつ間を空けて座るように座席に✕印が付けられていたりするのは、まるで冗談のように思えてきます。

通勤電車に関しては、「密」ということばは完全に死語になっています。新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されてもう20ヶ月が経ちますが、テレワークの推進などというお題目を唱えるだけで、肝心要な通勤電車は相も変わらず放置されたままなのです。

伊勢丹新宿店で7月中旬から8月中旬にかけて150人以上のクラスターが発生したとか、新宿駅東口のルミネエスト新宿店でも59人が感染し臨時休業したというニュースがありましたが、それも元をただせば通勤電車内の感染のように思えてなりません。他のデパートやテナントビルにおいても、伊勢丹やルミネのようにクラスターにまでは至ってないものの、感染者はひきもきらず発生しているのです。しかも、感染している売場は、役所が言うように食品売場に限った話ではないのです。どう考えても、接客で感染したというより、通勤時に電車内で感染したとしか思えないのです。

スマホ中毒みたいな人間たちが、ただスマホを操作するために、少しでも座席に隙があると身体をねじ込んでいる光景も相変わらずです。彼らは感染防止より目の前のSNSのやり取りやゲームの方が大事なようにしか思えません。

私が日常的に使っている電車の沿線にも、若い女性向けの洋服や雑貨の店が軒を並べる有名な商店街がありますが、新型コロナウイルスが発生する前から、その駅で降りる如何にもショップ店員のようなオシャレな女性たちに、スマホ中毒の「電車の座席に座ることが人生の目的のような」タイプの人間が多いと個人的に密かに思っていました。もちろん、それは偏見なので他人には言えなかったのですが、新宿の伊勢丹やルミネのクラスターのニュースを見てやっぱりと思ったのは事実です。

感染の67%が「家庭内感染」だと言われていますが、でも、「家庭内感染」がどこから来ているのか、誰もあきらかにしようとしません。飲食店をやり玉にあげる前に通勤電車をやり玉にあげるべきではないかと思いますが、それはまるでタブーであるかのようです。

保育園の職員が、保育園でいくら感染防止の対策を講じても、お父さんやお母さんが通勤電車で感染してそれを家庭に持ち帰り、園児が感染して(無症状のまま)登園すればこの感染対策は何にもならないのですよ、と言っていましたが、まったくその通りでしょう。デルタ株では、子どもの間でも感染が広がっており、保育園や幼稚園、それに小中学校や高校、学童クラブなどでもクラスターが発生しています。その多くも通勤電車などから持ち込まれた「家庭内感染」が元になっているように思えてならないのです。

職場の感染対策も、建前とは別に、現実は仕事優先でおざなりな場合も多いのです。道を歩いていると、道路の脇に工事用の資材を積んだトラックなどが停まっていて、運転手たちが時間つぶしに立ち話をしている姿を見かけますが、見ると運転手たちはマスクをしてないか、あるいは鼻マスクで、煙草を吹かしながら大声でバカ話をしている場合が多いのです。これだけ新型コロナウイルスの感染が言われ続けてもなお、そういった光景が当たり前のように存在するのです。どうしようもないのは、深夜の繁華街の若者だけではないのです。

デルタ株の感染爆発はもはや他人事ではなく、身近な問題です。近所のスーパーなどでも感染者が次々と出ています。それも、症状が出たり、あるいはPCR検査をしたからあきらかになっただけで、どう考えても、氷山の一角のようにしか思えません。

自治体が発表する新規感染者数は、あくまで検査数に応じた数字にすぎず、市中の実際の感染者数を表すものでないことは誰でもわかります。前から言っているように、欧米並みの検査を行なえば、欧米並みかそれ以上の感染者数が出て来るのは間違いないのです。だからこそ、(それでも感染するかもしれないけど)私たちは今まで以上に「正しく怖れる」「自分のことは自分で守る」必要があるのです。それは、自己責任論や「ファシスト的公共性」云々以前の問題だと思います。

一方で、私たちは、現在、医療崩壊の現実を目の当たりにしています。神奈川県は、医療崩壊を防ぐあたらな医療体制を「神奈川モデル」などと呼んで自画自賛していましたが、既に重症病床のキャパシティは90%を超えています。さらに、「自宅療養者」は1万6千人を超え、検査数が少ないため陽性率も38.67%(8/26現在)という信じられない数字になっているのです。神奈川県でひとり暮らしをする私のような人間は、感染することは恐怖でしかありません。

今更言っても遅いですが、だからコロナ専門の病院が必要だったのです。その時間的な猶予は充分あったはずです。にもかかわらず、少ない検査数で新規感染者数を誤魔化して感染状況を過少に演出し、挙句の果てにはGoToトラベルなる感染を克服したかのような愚策まで演じて、今日のような感染拡大と医療崩壊を招いてしまったのです。

受け入れる病院がなく、自宅で死を待つ人々は明日の自分の姿かも知れません。そのため、凡夫の私たちは、感染の恐怖から疑心暗鬼に囚われ、人間不信を募らせているのでした。他人に優しくあれ、温かい眼差しを向けよと言われても、とてもそんな余裕はありません。むしろ、そんなことばも、みずから墓穴を掘るお人好しのススメのようにしか聞こえないのでした。
2021.08.28 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
デルタ株の感染爆発に伴い、政府が感染者のなかで、今まで入院治療が原則だった中等症の患者を自宅療養に切り替えるべく方針を転換したことが物議を呼んでいます。もちろん、これは病床逼迫に対応するための方針転換なのですが、その基準も曖昧で、自宅で酸素吸入をしなければならないケースさえ出てくると言われています。

菅総理は、重症化リスクには充分対応すると言ってますが、今までも自宅療養していた感染者で容態が急変して亡くなるケースもめずらしくなかったのです。報道によれば、自宅待機の感染者にパルスオキシメーターを配布し、電話やLINEを使って経過観察を行うそうですが、症状が急変した場合、ホントにそんなことで対応できるのか不安を抱くのは当然でしょう。政府の方針転換を受けて、東京都も感染者の入院の判断基準を改定して、血中酸素濃度が「96%未満」という従来の基準を厳格化するという報道もありました。ちなみに、私は、コロナの前からパルスオキシメーターを携行して山に行ってますが、ハァハァ息が上がっていると95%以下になることがよくあります。

現在、東京都に限って言えば、自宅療養している患者は1万4000人もいるそうです。この1か月で13倍も増えたとか。方針転換されると、東京都だけでも自宅療養の患者が3万5千人になるという試算もあります。なかにはひとり暮らしの人もいるはずです。高熱のなか肺炎を併発しても入院もできずに、自分で酸素吸入をしながら症状の急変に怯え、ひとりで自宅で過ごさねばならないのです。もし自分がそうなったらと思うと、恐怖以外のなにものでもありません。

一方で、オリンピックは、相変わらず、日本の快進撃が止まらないとかメダルラッシュがつづいているとか言ったお祭り気分の只中にあります。メダリストになったアスリートはテレビ局をハシゴして歯の浮いたような賛辞を受け、ハイテンションで喜びを語っています。

この相反する光景は一体なんなんだと思わずにおれません。今度のオリンピックでは、SNSなどでアスリートに対する「誹謗中傷」が相次いでいるとかで、アスリート自身から許せないという声も上がっていますが、彼らが言うようにホントに全てが「誹謗中傷」なのでしょうか。なかには、このコロナ禍のオリンピックで、どうしてスポーツだけが特別なのか、どうしてアスリートは聖域なのかという批判も含まれているに違いありません。そういった批判も十把一絡げにして「誹謗中傷」だと言うのなら、それは違うだろうと言いたくなります。

特に今回のオリンピックでは、大会前の池江璃花子に対する「代表を辞退してほしい」という「匿名の圧力」などもあって、メディアはアスリートたちに対して一切の批判を封印し、まるで腫れ物を触るような扱いなのです。そのため、私の偏見かもしれませんが、アスリートが逆に被害者意識に開き直っているような印象さえあるのでした。たとえば、サッカーの吉田麻也は、無観客だとパフォーマンスが上がらないなどと発言していましたが、彼にはパンデミック下にある感染者の現状が見えているのか、はなはだ疑問です。

菅総理は、3日、総理官邸で日本医師会など医療関係団体との意見交換を行い、方針転換の協力を要請したそうですが、これに対して参加者から「注文や批判も相次いだ」そうです。

私は、そのニュースを観て、だったらこうなる前に、日本医師会などはどうしてもっと強くオリンピック中止を主張しなかったんだと思いました。最初からわかっていたことではないのか。それは、感染爆発のニュースを報じたあと、急に笑顔に変わって「さて、オリンピックですが、連日日本選手の活躍が目立っていますね」と安っぽい感動に盛られたニュースを伝えるニュースキャスターやコメンテーターたちのサイコパスのような二面性も同じです。

数万人が国境を越えてやって来るオリンピックを開催しながら、一方で、政府や自治体が県をまたいだ移動や帰省や旅行の自粛を呼びかけるのは、どう考えても前後が矛盾した分裂症的な発言としか言いようがありません。しかし、日本では「この人たち頭がおかしいんじゃないの」と誰も言わないのです。

西村担当大臣は、「今まで経験したことがない感染爆発が起きようとしています」と国民に危機感の共有を訴えていますが、しかし、そう言いながら、オリンピックはなにがなんでも続けるつもりのようです。文字通り撃ちてし止まんの精神と言えるでしょう。私は興味がないので見てませんが、総理大臣のツイッターも、メダルを取った選手に向けたお祝いとねぎらいのことばばかりだそうです。立憲民主党の枝野代表も、「混乱を招くから(オリンピックの)中止は求めない」と言っています。私は、それを聞いて、この人ホントに野党の党首なのかと思いました。「今まで経験したことのない感染爆発」より、中止した際の「混乱」の方が優先されるのです。

そこにあるのは、やはり”日本的な特殊性”です。このおかしな国のおかしな空気を考えるとき、丸山眞男の言説が思い出されてならないのでした。

日本では何かこと・・を行うに当って大義が大事とされます。オリンピック開催の是非が問われていたとき、野党がオリンピック開催にもはや大義はないと言っていましたが、私はそれを聞いて、だったら大義があればいいのかと思いました。何故か大義それ自体は無条件にいいこと=善と捉えられるのです。

公を一義とする日本では、「私的なものは、即ち悪であるか、もしくは悪に近いものとして、何程かのうしろめたさを絶えず伴っていた。 営利とか恋愛とかの場合、特にそうである」と丸山眞男は書いていましたが、たしかに卑近な例をあげれば、芸能界には法律に関係なく未だに姦通罪が生きているかのような空気が存在しています。そうやって個人の内面にヌエのような権力が鎮座ましましているのでした。不倫ということばは秀逸で、倫理性の基準は個人になく、倫理は、公の安寧と秩序にどう奉仕するかによって権力から恣意的に与えられるものにすぎません。明治国家を憧憬した江藤淳は、国家が倫理の源泉たる役割を放棄した現状を嘆いていましたが、実際は国家というより曖昧模糊とした掴みどころのない公が倫理の源泉なのでした。

よって日本では、公に奉仕する”滅私”や”無私”こそが美徳とされるのです。その結果、公の意思=大義があれば戦争だってオリンピックだってなんだって許されるのです。私がないのですから、大義の内容が問われることは一切ありません。今回のオリンピックのように(かつての戦争がそうであったように)、いざとなれば論理も倫理もくそもなく目の前の感動に寝返る日本人の”特性”も、その脈絡で捉えるべきでしょう。

丸山眞男は、「超国家主義の論理と心理」のなかで、大義について、次のように書いていました。

「大義を世界に布く」といわれる場合、大義は日本国家の活動の前に定まっているのでもなければ、その後に定まるのでもない。 大義と国家活動とはつねに 同時存在なのである。 大義を実現するために行動するわけだが、それと共に行動することが即ち正義とされるのである。「勝つた方がええ」というイデオロギーが「正義は勝つ」というイデオロギーと微妙に交錯しているところに日本の国家主義論理の特質が露呈している。それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる 背信的行動も許容されるのである!
   こうした立場はまた倫理と権力との相互移入・・・・としても説明されよう。国家主権が倫理性と実力性の究極的源泉であり両者の即自的統一である処では、倫理の内面化が行なわれぬために、それは絶えず権力化への衝動を持っている。倫理は個性の奥深き底から呼びかけずして却って直ちに外的な運動として押し迫る。国民精神総動員という如きそこでの精神運動の典型的なあり方・・・なのである。
(「超国家主義の論理と心理」)


そのため、法についても、西欧的な概念ではなく、「天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段」という多分に人治的な性格を付与されているのです。

法は抽象的一般者として治者と被治者を共に制約するとは考えられないで、むしろ天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段にすぎない。だから遵法ということはもっぱら下のものへの要請である。軍隊内務令の繁雑な規則の適用は上級者へ行くほどルーズとなり、下級者ほどヨリ厳格となる。 刑事訴訟法の検束、拘留、予審等々の規定がほかならぬ帝国官吏によって最も露骨に蹂躙されていることは周知の通りである。具体的支配関係の保持強化こそが眼目であり、そのためには、遵法どころか、法規の「末節」に捉われるなということが繰返し検察関係に対して訓示されたのである。従ってここでの国家的社会的地位の価値規準はその社会的職能よりも、天皇への距離にある。
(同上)


これを読むと、安倍晋三のモリカケの問題を真っ先に思い浮かべますが、それだけでなく、国民に自粛を強要しながら政治家や高級官僚など「天皇への距離」が近い「上級国民」たちは平然と自粛破りを行なうという、「国民には厳しく自分たちには甘い」今の風潮もよく示しているように思います。また、天皇に片恋する右翼が、国家を溶解させる(させかねない)パンデミック下のオリンピック開催に賛成して、あろうことか反対派に敵意をむき出しにする本末転倒した光景も納得ができるのでした。

こう考えていくと、もうメチャクシャ、支離滅裂ということばしか浮かびません。
2021.08.04 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
よく言われることですが、各自治体が発表する「新規感染者数」なるものは、主に自覚症状があったり濃厚接触者と判断されたりして、医師の指示の元にPCR検査を受け、新型コロナウィルスの感染が判明した人の数に過ぎません。当然、それが検査数に左右されるのは言うまでもありません。

「新規感染者」が増えたとか減ったとか言われると、市中の感染者の増減をそのまま反映しているかのように錯覚しがちですが、あくまでそれは「検査を受けて感染が判明した人」に過ぎないのです。

メディアは検査数は二の次に、ただ「新規感染者数」が増えたとか減ったとか言って大騒ぎしていますが、それは文字通り木を見て森を見ない低劣なセンセーショナリズムと言えるでしょう。何度も言っているように、「新規感染者数」は検査数をコントロールすることでいくらでも操作可能なのです。

東京の「新規感染者数」は一時1000人を越えていましたが、このところ1000人を下回り、「減少傾向にある」「感染のピークは越えた」などと言われています。

ところが、リテラに「東京のコロナ感染者は本当に減ったのか」という記事が出ていました。

リテラ
東京のコロナ感染者は本当に減ったのか 接触者追跡縮小し検査件数も2割以上削減! 和歌山県知事は「崩壊招く」と警告

記事は、「あまり報道されていないが」と前置きして、次のように書いていました。

(略)先週22日、東京都は都内の保健所に対し、「積極的疫学調査」の対象を絞るよう、通知を出している。積極的疫学調査とは、陽性者に聞き取り調査などし感染経路や濃厚接触者を調べ追跡調査するもので、いわゆる「クラスター対策」の根幹にもなるものである。

 周知のとおり、日本では感染者の接触者をさかのぼり、濃厚接触者を検査、クラスターを見つけ、検査・隔離するという手法をメインとしてきた。しかし、22日以降は、濃厚接触者の検査対象を絞り、高齢者や基礎疾患のある人、医療機関、高齢者施設、障害者施設、特別支援学校など高リスクの人を優先させ、これ以外の若者などリスクの低い者に対する検査は「医師の総合判断」に委ね、基本的には検査はしないという。高リスク者以外は誰が濃厚接触者にするかの判断は感染者本人や企業、学校などに任せるという報道もある。


その結果、東京都の先月後半の6日平均の検査数は以下のようになっているそうです。

15日(金)〜20日(水)の合計が67288件。6日平均約11214件。
22日(金)〜27日(水)の合計が53803件。6日平均約8967件。

問題なのは、「検査を受けて感染が判明した人」より、感染しているのにまだ感染が判明していない(把握されてない)市中の人たちなのです。

今のような規制された検査数を分母にして陽性率を求めても、(まったく意味がないとは言いませんが)市中感染率を知ることはできません。市中感染率を知ることができないと言うことは、現在の感染状況を知ることもできないということです。相も変わらず暗闇の中で目隠しをして出口を捜しているようなものです。

今回は飲食店がターゲットになっていますが、私は、昨年の緊急事態宣言下において、パチンコ店がやり玉にあがり、松戸市長が営業を続けるパチンコ店の前で街宣右翼のように横断幕を掲げ、自粛を呼びかけるチラシを配っていた光景が思い出されてなりません。あれだけ悪(感染)の根源のように言われたパチンコ店ですが、今回はパチンコ店の「パ」の字も出ていないのです。

そんな中で、入院を拒否した感染者や営業時間の短縮命令などに応じない事業者に過料を科す感染症法と特措法の改正案の修正協議が、自民党と立憲民主党の間で合意し、週明けの本会議で成立することが決定したというニュースがありました。

「非常時」という大義名分の下、国民の私権を制限し罰則を科す法案の成立が僅か数日で決定したのです。これこそ「ファシスト的公共性」でなくて何だろうと思います。立憲民主党の「立憲主義」なるのものにはただただ呆れるしかありません。

刑事罰が削除されても、私権を制限することには変わりがありません。しかも、命令の基準は、上記のように、国家がいくらでも恣意的に決められるのです。

去年だったら、時短命令に従わないパチンコ店に行政罰が科せられ、メディアによって市中引き回しの刑に処されたことでしょう。でも、今になって考えれば、パチンコ店はまったくの濡れ衣だったのです。そして、今年はパチンコ店に代わって飲食店が餌食になっているのです。

法的な強制力が伴うようになると、生活のために営業を続けることも違法になります。ターゲットになった途端に、倒産や閉店を余儀なくされると言っても過言ではないでしょう。

二大政党制という幻想による(労働戦線の右翼的再編と軌を一にした)政界再編によって、立憲民主党のような野党が誕生したことが、この国の政治をさらに不幸なものにしたと言ってもいいでしょう。

枝野代表は、昨日の党大会で、来たる衆院選で「政権交代を目指す決意を強調した」そうですが、悪い冗談だとしか思えません。自民党三議員による銀座クラブ通いの問題でも、何故か急に追及の鞘を納めて、自分たちも身に覚えがあるからじゃないかとかさまざまな憶測を生んでいますが、”国対政治”にズブズブにはまった立憲民主党がもはや自民党の補完勢力に過ぎないことは、今国会の質疑などを見てもあきらかです。こんな野党が存在する限り、自民党政治は永遠に続くでしょう。

閑話休題 あだしごとはさておき(松田政男の口真似)、先日、私は、民間の疫学調査という名目のサイトで検査キットを購入して、自分で新型コロナウイルスの抗体検査をしました。どうして抗体検査をしようと思ったのかと言えば、ワクチンが不安だからです。もし抗体ができていたら、ワクチン接種を回避できると思ったからです。

検査キットは、送料を含めて4000円でした。近所の病院でも抗体検査ができますが、その場合は5000円です。しかし、病院に行って、年寄りばかりの密な待合室で待たされるのが面倒だったので、自分で検査することにしたのでした。

申し込んで数日でキットが送られてきました。送り主は世田谷の病院になっていました。抗体検査は、血液中の抗体になるたんぱく質の有無を調べる検査です。簡易的な即日検査は、検査の結果が出るまで数日を要する精密検査に比べると精度が劣るそうですが、しかし、近所の病院で行っている抗体検査も同じ即日の簡易検査でしたので、おおまかな抗体の有無を知ることはできるはずです。

指先に針を刺して出て来た血液をスポイトで吸い取り、それをキットの窓に滴下し、さらに付属の希釈液を数滴垂らすだけです。そして、15分経つとキットに赤い線が現れ、検査結果が確認できます。

結果は陰性でした。「感染初期」のIgM抗体も「感染中~後期」のIgG抗体も陰性で、「感染後の免疫状態」もなしでした。密かに抗体を期待していたので、正直残念な気持でした。
2021.02.01 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
日本で新型コロナウイルスの感染が確認されてから15日でちょうど1年だそうです。この1年間で、日本では31.1万人が感染し4119人が亡くなりました(1月14日現在)。

もちろん、これは公的機関が確認した数です。日本は欧米に比べて17分の1と言われるくらい検査数が少ないので、当然感染が確認された数も少ないと考えるのが常識でしょう。全てはオリンピック開催のためです。そうやって感染状況を小さく見せるための不作為が行われているのでした。

そして、今、そのツケがまわってきているのです。フリップを掲げて感染爆発だと大騒ぎしている自治体の長たちも、昨日までは、GoToトラベルやGoToイートの還元キャンペーンのフリップを掲げ、観光や会食を奨励していたのです。あたかも新型コロナウイルスは山を越した、自粛は終わったと言わんばかりに、「みんな、街に出よう」と言っていたのです。

昨日の新聞にも、「感染爆発」というフリップを掲げている黒岩祐治神奈川県知事の写真が出ていましたが、私にはその顔はまぬけ顔にしか見えませんでした。黒岩県知事もまた、神奈川県とは縁もユカリもない人物です。誰が連れて来たのか知りませんが、立候補するに際して、自公と民主党(当時)が支持し、選挙で(当然ながら)圧勝したのでした。

今のコロナ禍では誰がやっても同じという声がありますが、しかし、総理大臣を含む政治家や感染対策の実務にたずさわる役人たちを見ていると、どうしてこんなにお粗末なんだろうと思わずにはおれません。対策が「後手」になっていることが何よりそのお粗末さを表しているのです。

PCR検査をサボタージュしながら、相も変わらずまるでモグラ叩きのようなクラスター対策ばかり行なっている日本。日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず(ただし医師の数は少ない)、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。感染の確認から既に1年が経ったのに、感染専門の病院すらないのです。地域の基幹病院(一般病院)がCOVID-19の患者を引き受けていますが、そのため、専門医や個々の病院で得た”経験値”や病床機能などのいわゆる医療資源が重点的に配分されず、有効活用されてないと指摘されていました。しかし、政治家や厚労省や日本医師会の都合と思惑によって、臨機応変な対応は行われなかったのでした。

私も院内感染(クラスター)が発生したいくつかの病院を知っていますが、気の毒としか言いようがありません。お粗末な(厚労省の)感染症対策の犠牲になったと言っても言い過ぎではありません。

ここに至っても、あらたにCOVID-19の重症患者を引き受けた病院に対して、緊急事態宣言の対象地域の病院には1床あたり1950万円(その他の地域は1500万円、重症化以外の病床は450万円)支給するなどと言っていますが、どう考えても場当たり的な弥縫策だとしか思えません。要するに、「ワクチンで全て解決」までの時間稼ぎのつもりなのでしょう。ここにも役人特有の前例主義と事なかれ主義が如実に出ている気がしてなりません。このような”小役人的発想”で、感染対策の基本方針が維持される不幸と怖さをあらためて考えざるを得ません。

そんな中で、(予断と偏見を捨てると)小池都知事が、都立の広尾病院・荏原病院・豊島病院をCOVID-19の患者を重点的に受け入れる「コロナ専門病院」にする方針をあきらかにしたのは、英断だと思いました。報道によれば、この3病院のほかに、他の都立病院と都の政策連携団体の公社が設置する「公社病院」の合わせて14の病院で、600床増やして1700床にする方針だそうです。

また、広島県の湯崎英彦知事が、「無症状の感染者を早期に発見し、市中感染の拡大を封じ込める」ため、広島市中心部の4区(中区、東区、南区、西区)の全住民や就業者80万人を対象に、無料のPCR検査を実施する方針を明らかにしたことも、同様に英断だと思いました。逆に言えば、他の首長たちはどうして同じことができないんだろうと思いました。「感染爆発」のフリップを掲げて”自粛警察”を煽るだけが能ではないでしょう。

何度もくり返しますが、ウイルスは撲滅などできないのです。共生するしかないのです。

昨日の朝日新聞デジタルに、前にこのブログで取り上げた『感染症と文明』(岩波新書)の著者の山本太郎長崎大熱帯医学研究所教授のインタビュー記事が掲載されていましたが、その中で山本教授は、現在、「二つの物語」が進行していると言っていました。

朝日新聞デジタル
コロナ1年、感染症の専門家が葛藤する「二つの物語」

ひとつは、「ウイルスとの共生、社会経済との両立と集団免疫の獲得」という「物語」で、もうひとつは、隔離に伴う差別や限られた医療資源の中での命の選別に直面する患者たちの「個の物語」です。

とりわけ自分の命が疎かにされる怖れがある「個の物語」は深刻です。ただ高齢だとか、ただ貧困だというだけで、失われなくてもいい命が失われるのかもしれないのです(現実にはコロナ禍でなくても、命の選別は行われていますが)。にもかかわらず、非常時だから「仕方ない」で済まされるのです。

神奈川県でも、職員の入力ミスで安否確認の連絡システムが機能しなかったために、自宅療養していた患者が人知れず亡くなったという事件がありましたが、そういった事件も黒岩知事が頭を下げただけであっさりと処理されたのでした。

戦争中と同じで、指導者の責任が不問に伏されているのです。非常時だから仕方ないという日本的な”翼賛思想”ばかりが強調され、どう見ても無能としか思えない指導者でも唯々諾々と従うしかないかのようです。まるで悲劇を悲劇として認識することさえ放棄しているかのようです。それでは悲劇が増幅されるだけでしょう。

ワクチン開発にしても、日本は最初からレースの枠外でした。日本政府がやったことは、オリンピック開催に拘り、意図的にPCR検査をサボタージュして感染状況を小さく見せることだけでした。テレビやネットでは「ニッポン凄い!」という自演乙が花盛りでしたが、コロナ禍によって”凄くないニッポン”が露わになったのです。

尚、山本教授が言う「ウイルスとの共生」については、下記の記事をご参照ください。


関連記事:
新型コロナウイルスと「共生への道」
2021.01.16 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、小池都知事が、西村経済再生担当相と面会して、政府に緊急事態宣言の発令(発出)を要請するというニュースが流れました。面会には埼玉県の大野知事も同席するそうです。また、神奈川県の黒岩知事も、「国の緊急事態宣言発出に向けた準備を始めている」というコメントを出したそうです。

自分たちで火に油を注いだくせに、今度は火事になったので大変だ、火を消してくれ、と言っているのです。自分たちの無為無策は棚に上げて、感染拡大の原因を全て都民(県民)になすりつけているのです。つい先日、GoToトラベル除外の解除を要請したのはどこの誰だと言いたくなります。都民の大移動がはじまったことで、日に日に感染が拡大していったのです。でも、それは都民の責任というより、GoToトラベルで大移動を煽った(小池都知事も含む)政治家の責任でしょう。

最近、開店してすぐのスーパーに行くと、どこも商品棚がガラガラで品出しが遅れているのがよくわかります。前はそうではありませんでした。どうしてかと言えば、それまで朝の品出しをしていた高齢のパートの人たちが新型コロナ以後、感染を恐れて辞めたからです。

感染リスクが高い高齢者は、そうやって既に自衛しているのです。言うなれば「正しく怖れている」のです。問題は感染リスクの低い若者たちでしょう。それと、このブログでもしつこいほど言っていますが、通勤電車におけるサラリーマンやOLたちです。

山に行くバスやロープウェイが人員制限しているのに、感染の確率がはるかに高い都心の電車が放置されたままというのは、それこそ頭隠して尻隠さずのトンチンカンな対策としか言いようがありません。それどころか、通勤電車では感染する可能性は低いなどというデマゴーグが未だにふりまかれているのでした。だったらどうしてこんなに感染経路不明の感染者が多いのかと思います。箱根駅伝の観客が密だなどとやり玉にあがる一方で、通勤電車の密に対してはみんな見て見ぬふりなのです。飲食店で食事する際は、お互い斜めに座ってお喋りは極力控えるようにと言うくせに、電車では相変わらず席を奪い合い、普通におしゃべりしています。「正しく怖れる」なんて考えはいつの間にかどこかに行ってしまったのです。

若者たちがミツバチのようにウィルスの運び屋になっている現状も、PCR検査が極端に少なく市中感染率がまったく把握できてない背景があるからでしょう。それでは、無症状や軽症の若者たちも、自分たちが感染しているという自覚を持てないでしょう。と言うか、検査もしてないので自覚の持ちようがないのです。

アメリカやヨーロッパや韓国や中国では無料でPCR検査を受けられるのに、どうして日本では医者が感染の疑いがあると診断した人だけしかPCR検査を受けることができないのか。どうして自費では3万円とかの高額になるのか。最近は、安価で検査を受けることができる民間の検査施設もできていますが、どうして日本だけがPCR検査の敷居が高いのかとあたらめて思います。

このような話は、今までも嫌になるくらい何度もくり返し言ってきたことです。とどのつまりは、おざなりな対策でお茶を濁して、ワクチンが供給されるまで時間稼ぎするつもりなのかもしれません。でも、それがいつまで続くのか、ワクチンで60%だか70%だかの集団免疫が得られたらホントにCOVID-19が収束するのか、誰にもわからないのです。集団免疫が得られたと言われていたスウェーデンでも、12月に入りアメリカ並みの感染爆発が起きているのです。そんな中で、未だにオリンピック開催という見果てぬ夢を追い続けているのですから、正気とは思えません。

小池都知事は、場当たり的な緊急事態宣言を要請する前に、オリンピックはやめましょう、そして、(時間稼ぎではない)抜本的な感染対策を行いましょう、とどうして言えないのかと思います(言えるわけないか)。オリンピックありきでは、抜本的な感染対策なんてできるわけがないのです。フリップを掲げてパフォーマンスするだけでは、もうどうにもならないところまで来ているのです。そもそもそういったパフォーマンスが今の事態を招いたのです。
2021.01.02 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
30日の東京都の新規感染者は944人です。これは、今までいちばん多かった26日の949人に次いで2番目に多い数字だそうです。

小池都知事は緊急記者会見を開き、感染者が急速に増加して、「医療提供体制もひっ迫しており、危機的状況に直面している」、今のペースで増加すると、「2週間後には日々1000人を超えるペースで新規陽性者が発生していくことになる」と述べたそうです。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
「『緊急事態宣言』要請せざるを得なくなる」 小池都知事「年末で感染抑え込みを」

さらに、若者に向けて、次のようにメッセージを発したのです。

(略)「コロナを甘く見ないでください。夜間の外出もしばらくはなし」と警告。「軽症、無症状のまま行動して、結果として感染が拡大すると、コロナ患者のために医療がさらにひっ迫します。ひいてはコロナ以外の救急医療や通常医療も圧迫されてくるのです。受けられるはずの医療が受けられなくなる。助かるはずの命が助からなくなる。だから、『若いから大丈夫』ではありません」と強調した。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
小池都知事、若者に「コロナ甘く見ないで」 「こんなはずじゃなかった」では手遅れ


昨日(29日)も用事があって副都心線で渋谷~原宿~新宿~池袋を通ったのですが、渋谷や新宿から乗って来る乗客はコロナ前の休日と変わらないくらいでした。帰省する人が少ない分、街に繰り出す人が多いのでしょう。

繁華街にある飲食店の客の入りは、5割減とか4割減とか言われていますが、逆に言えば、それでもコロナ前より半分くらいの入りはあるのです。飲食店が大変なのはよくわかりますが、今の感染状況を考えれば、その数字にも驚くばかりです。

通勤電車も然りで、緊急事態宣言のときよりはるかに乗客が多くなっています。我先に座席に殺到する乗客たちの行動も、感染拡大下にあるとは思えないくらい元に戻っています。

いくら小池都知事が危機感を煽っても、もう人々が危機感を抱くことはないのです。いったん緩めた手綱は締め直すことはできないのです。そもそもこの感染拡大を招いた一因は、第三次感染を前にして、小池都知事の強い希望により東京都がGoTo除外から解除されたからでしょう。それで都民がいっせいに旅行に出かけるようになり、交通機関も観光地も混雑しはじめたのです。

特に若者たちは、解除をきっかけに感染などどこ吹く風で遊び歩くようになりました。それまでは繁華街を出歩くのにためらいがあったように思いますが、GoTo解除でためらいがなくなり開き直った感じです。若者たちの行動が、年末年始にさらにエスカレートするのは目に見えています。しかも、渋谷や新宿や池袋などの都心だけでなく、私鉄沿線の駅前の飲み屋街も人出が増えています。

若者たちがウィルスの運び屋になっている今の状況では、2週間後、新規感染者数が1000人を超えるのは必至でしょう。

何度も言いますが、「正しく怖れる」などどこかに吹っ飛んでしまったのです。自粛警察でも、無知無神経なノーマスクでもなく、各自が正しい知識に基づいた「正しく怖れる」ことが大事ですが、もう全ては元の木阿弥になってしまったのです。

岩田健太郎医師は、今月初め、菅首相の「トラベルが主要な原因だというエビデンスは存在しない」「トラベル事業の利用者延べ4000万人に対して関連する感染確認は180人程度」という(アホ丸出しの)発言を次のように批判していました。

新型コロナウイルスは、例えば西ナイルウイルスのように渡り鳥が媒介したりはしない。感染の広がりは人から人によるものだ。日本各地に感染が広がっているのは、人がある自治体から別の自治体に移動しているからだ。それ以外の感染経路は想定できない。よって、人の移動が日本での新型コロナウイルス感染を広げているのである。(略)

GoToが日本でコロナ拡大を助長したと考えるほうが合理的だし、そうでないという「エビデンスはない」。

政府がGoToキャンペーンで「コロナなんて怖くない。経済対策のほうが優先だ」といった「ノリ」を作ってしまった罪は大きい。経済対策は重要だが、それは十全なる感染対策とコロナ感染縮小が可能にする対策だ。ブレーキとアクセルを同時に踏めば、つんのめって事故るだけだ。

Web医事新報
【識者の眼】「GoToが広げるコロナの『ノリ』」岩田健太郎


何より、菅首相のステーキ会食は、感染対策の呼びかけをみずからぶち壊す愚行と言えるでしょう。銀座のステーキ店で行われた忘年会のメンバーは、菅首相のほかに、自民党の二階俊博幹事長、林幹事長代理、ソフトバンクの王貞治氏、俳優の杉良太郎氏、みのもんた氏、政治評論家の森田実氏です(出席者は8人で、もう一人の「自民党関係者」が誰なのか不明です)。王以下は、それぞれの分野で業績を残したとは言え、言うなれば現代の幇間と呼ぶべき人間たちです。

しかも、当日は感染拡大によりGoToトラベルの全国一斉停止を発表したばかりなのです。なんだか江戸時代、一般庶民には牛肉を禁止していながら、幕府の上級武士たちは牛肉を食べていた話を彷彿とさせます。これでは、政府が発信する感染防止に国民がソッポを向くのは当然でしょう。しかも、このオキテ破りの会食についても、菅首相に張り付いている大手メディアの番記者たちは、当初スルーしていたのです。『FLASH』かどこだかが報じて大騒ぎになったので、しれっと追随して報道しはじめたのでした。

政治家たちが見くびっているのは国民だけではないのです。歌を忘れたカナリアのメディアも同様です。政治家たちは、書かないとわかっているので、記者の前でこういったデタラメを平然と行うことができるのでしょう。

もしオリンピック開催を強行するなら、春以降、感染が収束した(山を越した)というキャンペーンがはじまるはずです。その際、オキテ破りの会食をスルーした大手メディアが、電通ともども大きな役割を担うのは間違いないでしょう。

追記:
31日の東京都の新規感染者が1337人と発表されました。僅か一日で千人台が現実になりました。
2020.12.30 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
先程のテレビ東京の夕方のニュースで、東京都が高齢者施設や身障者施設の入居者や職員など15万人にPCR検査を実施することを決定し、そのための予算案を今月開会される都議会に提出するというニュースがありました。また、施設の職員に関しては、定期的に検査をする方針にしたそうです。

まだほかのメディアが報じてないので、真偽のほどはわかりませんが、もしこれが事実なら(仮に小池都知事のパフォーマンスであっても)誠に慶賀すべきことと言えるでしょう。

ただ一方で、どうして今頃という気持もぬぐえません。どうしてもっと早くできなかったのか。国も自治体も、今まではPCR検査は一定の偽陰性が生じるので、のべつまくなしに検査しても仕方ないなどと言って、PCR検査をサボタージュしながら、その一方で感染防止を要請するというトンチンカンなことをやってきたのでした。

PCR検査をしても仕方ないなどと言っていたのは日本だけです。だから、日本だけが極端に検査数が少なかったのです。しかも、曲学阿世の御用医学者(専門家)たちが、そういった似非イデオロギーにお墨付けを与えていたのでした。それも日本特有の光景でした。

彼らは検査至上主義は危険だなどと言っていましたが、仮に検査至上主義が危険だとしても、だから検査しないでいいという理屈にはならないでしょう。30%の偽陰性が生じるから検査しても意味がないというのと同じです。シロウトから見ても、まったく「科学的態度」とは言えないのです。

できれば、「感染経路不明」の感染者を少なくするために、30歳以下の若者や通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちにも、検査の幅を広げてもらいたいものです。そうすれば、「怖いですねえ」とか言いながら、感染防止などどこ吹く風の無神経な人間たちもいくらか減るでしょう。自分が感染しているかどうかもわからないのに、他人に移す(感染させる)という自覚を持てという方が無理なのです。

山に行くと、登山口に向かうバスなども、密を避けるために、ひとつ置きに座席に✕印が付けられて使用禁止になっていますが、それに比べれば都内の通勤電車は狂気の沙汰です。密とは無縁な山の方がソーシャルディスタンスが保たれているのです。こんなバカげた矛盾があるでしょうか。

だから、この国には無神経と自粛警察(=社会不安障害)の両極端しかいないのです。PCR検査に対する似非イデオロギーをふりまいた行政当局や曲学阿世の御用医学者(専門家)たちが、そういった歪んだ状況を作り出したのです。

その背後には、あきらかに事なかれ主義の(小)役人的発想が存在しているように思います。「マスクを配れば不安がパッと消えます」と進言した経産省出身の首相秘書官などが典型ですが(それを真に受けたこの国の総理大臣もよっぽどですが)、この国の役人はホントに優秀なのだろうかと思います。アベノマスクに見られるような子どもじみた現実感覚しか持ってないのではないか。公務員はよく世間知らずと言われますが、世間知らずというのは間違っても優秀とは言えないでしょう。

遅きに失した感はありますが、この東京都のニュースがホントなら、(小)役人たちもいくらか世間知に近づいたと言えるのかもしれません。
2020.09.01 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
先日、テレビを観ていたら「帰れマンデー」で、レギュラーのサンドイッチマンがゲストの大谷亮平と渡辺直美と一緒に、檜原街道を歩いているシーンが放送されていました。また、今週の「じゅん散歩」は奥多摩が舞台です。さらに、「アド街」も、近々奥多摩を特集するという話があります。

ついこの前までは、観光客が来るのは「迷惑だ」「怖い」と言っていたのに、この変わりようには唖然とするばかりです。しかも、奥多摩の住民が怖れていた東京の感染者は、「迷惑だ」と言っていた頃に比べても全然減ってないのです。

要するに、彼らは、何の見識もなく、政府が言っていることにただ唯々諾々と従っているだけなのでしょう。緊急事態宣言が出されて、外出自粛が叫ばれていたので、それに従って「迷惑だ」「怖い」と言っていただけで、政府が社会経済活動の再開に方針転換したら、今度は「観光客いらっしゃい!」と桂三枝みたいなことを言い出したのです。「じゅん散歩」では、村長まで出演して檜原村の観光を売り込んでいましたが、ついこの前まで、観光客を閉め出すために駐車場を閉鎖していたのは、どこの誰だと言いたくなりました。

私にとって奥多摩は、山登りでずっと通っていただけでなく、自分の田舎に似たところもあって、ことのほか愛着があります。テレビに出て来るのもおなじみの風景ばかりで、「やっぱり奥多摩っていいなあ」とあらためて思います。

しかし、一方で、この奥多摩の人たちの手のひら返しに対しては、じゃあ、あのとき駐車場だけでなく林道や登山道まで閉鎖して、観光客だけでなく登山客まで閉め出したのは一体なんだったんだと言いたいのです。新型コロナウイルスを巡る状況は何も変わってないのに、彼らの態度はわずかひと月半で一変したのです。

もっとも、これは奥多摩の人たちに限った話ではありません。日本の大衆の原像と言ってもいいものです。その結果、西村秀一氏が言うように、今も戦時中と同じように、私たちの日常は、思考停止した異論を許さない「ファシスト的公共性」に覆われているのでした。

鈴木邦男氏が書いていたように、開戦前、国民は東条英機の自宅に、「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送り、戦争を熱望したのでした。ところが、戦争に負けた途端、今度は態度を一変して自分たちは「軍部に騙された」「被害者」だと言い始めたのでした。

今、私たちの前にあるのも、それと同じ光景です。政府が右を向けと言えば右を向き、左を向けと言えば左を向くだけの大衆。挙句の果てには、憲法で保障された基本的人権さえも「新型コロナウイルスのために」何のためらいもなく為政者に差し出す始末です。さらに言えば、「ファシスト的公共性」の旗振り役を左派・リベラルの野党が担っているという(戦争前と同じような)末期的光景さえあるのです。
2020.07.30 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
また同じことを書きますが、昨夜も山に行く準備をして、睡眠改善薬を飲みベットに入りました。そして、午前4時すぎに目を覚ましてベランダのカーテンを開けて外を見ました。嫌な予感はしていましたが、やはり雨が降っていました。

前夜の天気予報では、丹沢(神奈川)も奥武蔵(埼玉)も雨です。それで、奥多摩に一縷の望みを託したのですが、ウエザーニュースでは、朝方と夕方は雨で日中は曇りでした。一方、日本気象協会では、終日、ほぼ小雨の予報でした。

そもそも家を出るときに雨が降っていたのではモチベーションは上がりようがありません。それにこの長雨で登山道の地盤も緩んでいるでしょうから、泥だらけになって電車で帰ることを考えると、ますますモチベーションも下がらざるを得ません。

まったく、なんという天気だと思います。テレビの気象予報士たちは、今週には梅雨が明けると言っていましたが、最新の予報では梅雨明けはどうやら8月まで伸びそうです。私の記憶でも、こんなに雨の多い梅雨は初めてです。

新型コロナウイルスに加えこの梅雨の長雨で、ストレスはたまる一方です。昨日も、仕事で出かけた際、体力保持のため、都内の地下鉄の駅4つ分を歩いたのですが、その途中で、感情をむき出して激しく子供を叱責する母親に二度遭遇しました。

一度目は、自転車を押しながら小さな男の子を連れて保育園に向かっているとおぼしき母親でした。後ろで、男の子が激しく泣いているのです。もしかしたら、保育園に行きたくないと泣いているのかもしれません。しかし、母親は、男の子を無視したまま自転車を押してどんどん先を歩いていました。男の子は、置いておかれそうになるので、「ママ」「ママ」といっそう激しく泣いていました。すると、母親は、足を止めると、頭を激しく横に振りながら4~5メートル後ろにいる男の子に向かって、「ああっ、もう!」「早くしてってば!」「何やってるのよ!」と、感情むき出しで怒声を浴びせたのでした。男の子の泣き声はさらに大きくなるばかりです。通行人もみんな母子の方を見ていました。おそらく多くの人たちの脳裡には「虐待」の二文字が浮かんでいたのかもしれません。それくらい母親の感情の高ぶりは尋常ではありませんでした。もし、家の中なら手をあげてもおかしくないような感じでした。あれでは、子どもも一緒に感情を高ぶらせるのは当然でしょう。

それから、しばらく歩くと、また舗道で子どもを叱っている母親がいました。子どもを自転車に乗せようとしているみたいで、「何やってるの!」「早く乗ってよ!」「ホントに、もう!」とあたりはばからず声を荒げていました。「病院に行った方がいいんじゃないの?」と言いたくなるような興奮ぶりでした。ぐずぐずしているのでイラついたのでしょうが、それにしても、たかが自転車でそのイラつきようは尋常ではありませんでした。

ステイホームで、DVや離婚が増えたと言われますが、もしかしたら子どもに対する虐待も増えているのかもしれないと思ったりしました。でも、それは、家庭内の親子や夫婦の話だけではありません。先日の電車の中で遭遇した社会不安障害の若者もそうですが、昨日も愛知県の豊橋で、「神になるために人を殺したかった」という若者が車を暴走させて人を死なせる事件がありました。知人も、電車の中でも乗客同士のトラブルを見ることが多くなり、「みんな、ストレスがたまっているんだなあと思うよ」と言っていましたが、そんな街中の光景には、案外無視できない大きな問題が含まれているような気がしてなりません。人間は、デカルトが言うほど理性的な動物ではないのです。自分で感情をコントロールできれば、誰も苦労しません。

三浦春馬の自殺だって、もしかしたら新型コロナウイルスによるストレスが関係しているのかもしれません。見えないウイルスに怯える世間の空気が、人々の心に暗い影を落としていることもあり得ないとは言えないでしょう。木下優樹菜が芸能マスコミに執拗に叩かれているのも、ストレスのうっぷん晴らしという側面もなくはないでしょう。なんだか、昨日目撃した母親たちの感情の異常な高ぶりと重なっているような気がしないでもありません。

これでもかと言わんばかりに、文字通り水に落ちた犬を叩きつづける芸能マスコミや、それに煽られて木下優樹菜にあらん限りの悪罵を浴びせる芸能人のゴシップ好きの(単細胞を絵に描いたような)人間たちを見るにつけ、もはや狂気ということばでしか解釈のしようがないように思います。コロナウイルスに対する恐怖によって、異常が日常化し社会全体が病みつつあるのです。

そう考えると、(自分で言うのもなんですが)山に行けなくてイライラしているなんて、まだかわいいのかもしれません。
2020.07.28 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
やっと自粛明けで山行が再開されたと思ったら、今度は梅雨の長雨で出鼻をくじかれました。今月は山には一度も行けてなくて、既に前回の山行からひと月が経ってしまいました。しかも、7月も後半だというのに、天気予報から雨マークがいっこうに消えません。前も書きましたが、これではモチベーションは下がるばかりです。モチベーションだけでなく、年を取ると体力もすぐ元に戻ってしまうので、その点も深刻です。

来月あたり九州に帰って地元の山に登ろうと思っていましたが、地元の山も先の豪雨によって登山道が寸断され、とてもじゃないが登れる状態ではない、と地元の友人から電話がありました。なんだか踏んだり蹴ったりという感じです。

一方で、感染者数の増大によって再び自粛ムードも高まっています。戦争中の「欲しがりません、勝つまでは」と同じで、「お金より命が大事」という”観念の暴走“によって、この国は、みずからでみずからの首を絞める愚を犯そうとしているかのようです。

もしかしたら、山岳4団体も再び登山の自粛を呼びかける声明を出すかもしれません。「山と広告」ならぬ『山と渓谷』7月号に掲載されたアンケート(登山自粛意識調査)によれば、山岳4団体の声明に対して、81.8%の人が「支持する」と答えたそうです。「支持しない」人は、僅か6.3%です。

でも、「支持する」人たちは、ホントに山に行くことまで自粛すべきなのかと自分の頭で考えることもせずに、ただメディアの「大変だ」報道を受けて、自粛要請に無定見に従っているだけなのでしょう。国家に帰順させることだけが目的の杜撰で登山者を愚弄した声明の問題点さえわかってないのでしょう。これこそ“おまかせ登山”の最たるものと言えるでしょう。まったく、「自立した登山者であれ」が聞いて呆れます。地図読みができるとか、ビバークするのにツェルトがうまく張れるとか、そんなことだけが「自立」ではないのです。

仮にウイズコロナというのがあるとしたら、これまで以上に自己責任と自己判断が求められるのは言うまでもありません。だからこそ、「正しく怖れる」ことが大事なのです。

と、ここまで書いたら、今日(7/23)の東京の感染者が366人で今までの最多記録を大幅に更新したというニュースがありました。また、愛知県(97人)や埼玉県(64人)なども、最多の感染者が確認されたそうです。国内全体でも、初の一日900人越えを記録したそうです。

4日連休の初日に今までの記録を大きく上回る366人の感染者。これほどインパクトのある数字はないでしょう。

私は、このニュースを見て、今日ネットにアップされた「小池都知事はコロナ感染者数を操作している」という週刊新潮の記事を思い出しました。

gooニュース
デイリー新潮
小池都知事はコロナ感染者数を操作している 「連日200人超え」を演出したカラクリ

専門家も指摘する東京都の感染者数の不自然さ。もっとも、東京都には、(私も再三指摘していますが)いわゆる「病床逼迫」に関しても、「数字操作の『前科』がある」のです。

(略)5月初旬、厚労省のHPに都内の入院者数1832人と記された。病床使用率は9割を超えるというので、複数のメディアが東京は「病床逼迫」と報じたが、本誌が都の感染症対策課に確認すると、1832人には自宅療養や宿泊療養者のほか、退院した人まで含まれ、現実の病床使用率は4割にすぎなかった。


危機を煽り視聴者の耳目を集めるのが、視聴率を稼ぐ手っ取り早い方法です。それと同じように、自分の指導力をアピールするためには、危機を煽り、(パチンコ店や”新宿”や”夜の街”など)特定の業種や地域を仮想敵=スケープゴートとして大衆に提供するのが、もっともわかりやすくて効果的なやり方です。まさに、それこそ“虚言の女帝”の得意技と言えるでしょう。

366人という数字に、官邸と東京都の対立を読み解くこともできるでしょう。GoToキャンペーンから除外され、面子を潰されたことに対する意趣返し(GoToキャンペーン潰し)という側面もなくはないように思います。と同時に、連休中の外出自粛を促すために、都民に向けてインパクトのある数字を出したということもあるかもしれません。

週刊新潮の記事でも、前のブログで紹介した西村秀一氏のことばに続けて、次のように(新潮にはめずらしく)「正しく怖れる」ことの必要性を訴えていました。

「(略)いまは、おかしいと思っても反対できなかった戦時中のようだと思うことがあります。“そんなに気にすることはない”“感染する可能性は極めて低い”と言うと、人命を軽視しているとか、ウイルスの怖さをわかっていないとか、すぐ攻撃されます。ウイルスとの戦いというより、社会との戦いです」

 そんな戦いが必要なのも、操作された数字や、根拠がない扇動的な試算に、われわれが踊らされているからだろう。過剰な不安と無用な対策による犠牲をこれ以上生まないためにも、冷静な目をもって、根拠が示された正しい数字を求めていくしかあるまい。


でも、戦時中と同じような”狂気”の只中にある国民には、こんな声が届くはずもないのです。
2020.07.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
連日、東京の新規感染者数が200人を超えたとか、大阪も緊急事態宣言解除後最高の50数人を記録したとか、そんな話がメディアによってセンセーショナルに流されています。

小池都知事が例によって例の如く「感染拡大警報」というフリップボードを掲げて記者会見すれば、メディアはここぞとばかりに、感染が拡大しあたかも重大局面に入ったかのように大騒ぎして、大衆の恐怖心を煽るのでした。

GoToキャンペーンの是非や“夜の街”に対する休業要請などが取り沙汰されていますが、今のように恐怖心を煽ればそっちの方向に進むのは当然でしょう。

でも、宮台真司が言うように、200人だとか50数人だとかいう数字は、厳密に言えば、「新規感染者数」ではなく単に「感染が判明した人」にすぎないのです。市中にいる潜在的な感染者が、検査数が増えたことにより(と言うか、“夜の街”の関係者を重点的に検査したことなどによって)顕在化しただけです。だから、感染者と言っても、無症状や軽症の人が大半で、それが3月の緊急事態宣言前とは決定的に違うところです。

客観的な状況(数字の質)がまったく違うのに、あたかも感染拡大の再来のように言い立てる小池都知事と、そんな“虚言の女帝”のパフォーマンスを追認して大衆の恐怖心を煽るメディア。まさに常軌を逸しているとしか思えません。

政府の感染対策は、今のGoToキャンペーンに見られるように、支離滅裂の一語に尽きます。新型コロナウィルスによって、それまで一部で指摘されていた為政者の能力の問題がいっきに露わになったと言っていいでしょう。そんな中で、私たちは、ウイルス学者の西村秀一氏が言うように、「正しく怖れる」ことが求められているのです。

朝日新聞デジタル
ウイルスの実態と合わない対策 過剰な恐怖広げた専門家

もちろん、街中にはどうしようもない人間も、少なからずいます。いくら感染のリスクが言われていても、飲酒や風俗通いをやめられない人間は一定数存在します。マスクもしないで大声でお喋りしながら歩ている若者に対して、「なんだ、このアホは」と思うことは間違ってはいないのです。

とは言え、彼らは、なにも特別な人間ではありません。例えば、(何度も言うように)あれだけ歩きスマホは迷惑だ、危険だと言われながら、未だ歩きスマホをやめられない人間がいますが、それも同類の人間で、どうしようもない人間たちは私たちのすぐ身近にいくらでもいるのです。「(感染者が増えて)怖いですね」と言いながら、通勤電車で座席を奪い合っているサラリーマンやOLたちも同じです。

こう言うと、今の状況が感染拡大なんかではないという話と矛盾しているように思われるかもしれませんが、市中感染の現状がありコロナが終息したわけではないのですから、感染しないための自己防衛が必要なのは言うまでもありません。そのためにも、メディアに煽られることなく今の状況を冷静に捉え、「正しく怖れる」ことが肝要なのです。そのことと無神経で非常識などうしようもない人間たちに眉をひそめる(軽蔑する)ことは、決して矛盾するものではないのです。

メディアの常軌を逸した扇動報道に関して、下記のマル激トーク・オン・ディマンド「メディアはコロナをどう報じてきたか」は、非常に示唆に富んだものがありました。「正しく怖れる」ためのヒントを与えてくれるものがあるように思いました。

ビデオニュース・ドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド
メディアはコロナをどう報じてきたか

ちなみに、ゲストの林香里氏は、ドイツ出張から帰国後、新型コロナウイルスに感染していることが判明し、3月21日から3月31日まで感染病棟に入院した経験も持っているのですが、そのときの体験談にも興味をそそられました。身体の不調を覚え、保健所の「帰国者・接触者相談センター」に電話してPCR検査をしてほしいと訴えたところ、保健所から「そんなことをしても何の得にもなりませんよ」と「説き伏せられた」のだそうです。それで、大学病院に行って、CTスキャンの検査をしたら肺炎の兆候が見られたそうです。しかし、大学病院の医師も、PCR検査はできないの一点張りで検査をして貰えなかったのだとか。ところが、翌日、大学病院の医師から、「方針が変更になったのでPCR検査をします」と直々に電話がかかり、検査の結果、感染が判明して入院することになったのだとか。如何にもこの国のドタバタぶりを表している話だと思いました。

テレビは、コロナのお陰で軒並み視聴率を上げているのだそうです。3月は、前年比で平均5%以上視聴率が上がったのだとか。しかし、恐怖心を煽って視聴率を上げたものの、そのために経済活動が停滞したため、逆に広告収入が落ちたというマンガみたいな話になっているのです。

どうしてただ恐怖心を煽るような「単純化」した報道になるのかということについて、宮台真司は、テレビのコメンテーターのレベルに合わせているからではないかと言っていましたが、当たらずといえども遠からずという気がしました。

宮台真司らも口を揃えて言ってましたが、メディアが報道すべきは、「今日の感染者数」ではなく「今日の重症者数」の方でしょう。検査数によって増減し、いくらでもコントロール可能な感染者数なんか取り上げても、ほとんど意味がないのです。それより重症者の動向の方が、感染状況を知る上ではよほど意味があります。

日本は、公表感染者数が欧米に比べて桁違いに少なく(それも二桁も三桁も少ない)、欧米の医療関係者から不思議がられているのですが(と言うか、首を傾げられているのですが)、にもかかわらず医療崩壊の怖れがあると散々言われていました。日本の医療体制はどれだけ貧弱なんだと思いますが、しかし、記者会見でそのことを質した記者は誰もいませんでした。しかも、じゃあ第二波に備えて病院のキャパを増やしたのかと言えば、まったく増やしてないのです。ホントに口で言うほど深刻なのかという疑問さえあります。もとより、医療崩壊の怖れ云々が、PCR検査抑制の口実に使われていたことは事実でしょう。メディアも、そんな肝心な問題については見て見ぬふりで、ただ「感染者が増えて大変だ」とバカのひとつ覚えのように言うだけです。

宮台真司が言ってましたが、アベノマスクで466億円使ったあの時点で、PCR検査には10分の1の45億円しか使ってなかったそうです。そういった政府の“不都合な真実”を報道したメディアも皆無でした。

メディア論が専門の林香里氏は、今のメディアの現状について、昔に比べて放送時間が長くなったニュース番組の中をコンテンツで埋めて、さらにスポット広告を入れるために延べ視聴率を維持しなければならない、そんな目の前のことに追われる日常では、イノベーション(あたらしい発想)が生まれる余地はないと言っていました。プロデューサーも所詮はサラリーマンなので、社内リスクを取るようなことはせず、漫然と(他社と)同じことを繰り返すことに終始するのは、当然と言えば当然かもしれません。それは、お笑い芸人や元スポーツ選手がコメンテーターに次々と採用されるという”珍現象”にも表れているのです。そして、そこで流されるのは、コメンテーターのレベルに合わせた(そのことはとりもなおさず視聴者のレベルに合わせたということでもあります)「陳腐でスカスカの情報」(林香里氏)なのです。

このようなお粗末なコロナ報道の中で、私たちには「正しく怖れる」ための知識と行動が求められているのです。それは、とりもなおさず自己防衛しコロナ禍を生きぬく自分のためでもあるのです。
2020.07.21 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
プロ野球の公式戦も、先週から観客を入れるようになりましたが、甲子園球場の阪神対ヤクルト戦で、興奮した阪神ファンが声を張り上げて応援したため、試合が中断し球審が観客に注意するという一幕があったそうです。スポーツ新聞は、「ファンが試合を止めるという残念な事態が起きた」と書いていましたが、観戦するのも、飛沫感染を防ぐために、大声の応援を禁止しているのです。観客も、球場の収容人数の4分の1だかに制限した予約制にしているそうですが、それもソーシャルディスタンスを守るためなのでしょう。

とどのつまり、これらの予防策は、観客の中に、(他人にウイルスをうつす)発症期間中の患者が混ざっているということが前提になっているからです。しかし、市中感染率さえ把握していない日本では、ホントにいるのかどうか誰も知らないし、誰にもわからないのです。日本の感染対策は、そんな雲を掴むような話が前提になっているのです。それでは、無神経と過剰反応の両極端に分かれるのもわかる気がします。

昨日、旧知の会社に行ったら、自粛解除後に若い社員たちが飲み会を再開しているので「怖い」という話をしていました。フロアの机には、一応、アクリルの仕切り板が付けられていましたし、入口には、体温計と消毒液も常備されていました。しかし、フロアではほんどの社員がマスクを外して仕事をしていました。

普段、マスクをする習慣がないので、マスクをするのが「ウザい」「面倒くさい」のかも知れません。彼らにとって、マスクは、あくまで外に行くときに(仕方なく)付けるものにすぎないのです。その一方で、このような緩んだ空気に危機感を持っている社員も少なからずいるのでした。

私は、このような社内の風景はなんだか今の日本の社会の縮図のように思いました。誰が感染しているのかどうか、ホントに感染した人間がいるのかどうかもわからないのに、感染者がいることを前提に感染防止策を取らなければならないのです。ウィズコロナなるものは、こんな雲を掴むような、実に曖昧な話の中で進められているのです。

それで、私は、「会社がお金を出して全社員のPCR検査か抗原検査をすればいいんじゃないの」と言いました。「そして、感染している社員は発症期間が終わるまで特別休暇を与えればいいんだよ」と。

とりあえず、発症していない社員で仕事をして、感染している社員も発症期間が終われば順に職場に復帰すればいいのです。休むと言っても1週間かそこらなので、そんなに仕事に支障をきたすことはないでしょう。それに、感染者も、せいぜい1割いるかどうかでしょう。

「それは、経営者の見識の問題だと思うけどな」と私は言いました。ホントは「社長がバカであるかどうかの試金石」と言いたかったのですが、さすがにそこまであからさまには言えませんでした。

これは、今の政府にも言えるのです。誰が感染者かわからないのに、横に感染者がいることを前提にソーシャルディスタンスを取れと言っているのです。一方で、何度も言いますが、日毎に混雑度が増している通勤電車は、相変わらず対象外(治外法権)なのです。

山に行くのに電車を利用すると感染のリスクが増すなどと言うくせに(実際はガラガラだけど)、都心に向かう“無神経”と“密”の象徴のような通勤電車は見て見ぬふりなのです。それで、感染経路不明者が増えたなどとまぬけなことを言っているのです。

どうして中国や韓国やアメリカやイタリアやフランスやイギリスやロシアやブラジル(あげたらきりがない)のように、検査をしないのか。アメリカのニューヨーク州では、無症状であっても希望者は無料でPCR検査を受けることができるそうです。ほかの国でも大半は無料のようです。積極的に検査をすれば、新規感染者は今の10倍も100倍も、あるいは1000倍も増えるかもしれません。でも、新規感染者は、一部の重症者を除けば、1週間も休めば社会(職場)復帰できるのです。それに、1000倍も新規感染者が増えれば、感染者がいるのが当たり前になり、感染に対する理解も進み、今のような感染者=不心得者のような差別もなくなるでしょう。また、感染者が可視化されれば、重症のリクスがある高齢者との接触も減るでしょうから、医療崩壊の主因である重症患者の増大も抑えることができるのです。

今、GoToキャンペーンに対して、延期すべしと言う声が大きくなっていますが、しかし、苦境に喘ぐ観光業者にとって、GoToキャンペーンは文字通り旱天慈雨のようなものです。もし、GoToキャンペーンが延期されれば、零細な観光業者はトドメを刺されることになるでしょう。

もちろん、GoToキャンペーンにも怪しげな部分もあります。私は、今まで二度キャンセルしていますので、来月あたり九州に墓参りに帰ろうかと思って(ついでに九州の山に登りたいという本音もあり)、航空券と宿泊料金がセットになったツアーをチェックしていたのですが、GoToキャンペーンの前倒しが決まった途端、半額補助を目論んだのか?ツアー料金がいっきに20~30%跳ね上がったのでした。電通ではないですが、キャンペーンの指定業者は、まるでお約束のように、そうやって税金にたかり暴利を貪る“権益”を行使しはじめているのでした。GoToキャンペーンで安く行けると思っているかもしれませんが、キャンペーンが適用される前に”便乗値上げ”しているので、ツアー料金に関する限り、実際はそんなに安くなっているわけではないのです。

それでも、哀しいかな、零細な観光業者は、少しでもおこぼれを頂戴しようとGoToキャンペーンに一縷の望みを託しているのでした。GoToキャンペーンが一時しのぎの弥縫策であるのは言うまでもありませんが、でも、末端の観光業者の苦境を考えると、弥縫策であっても一時しのぎをするしかないのです。もう以前のようにインバウンド客が戻って来ることはないにしてもです。きつい言い方をすれば、GoToキャンペーンは、これから淘汰される観光業界に対する”餞(はなむけ)”のようなものと言っていいのかもしれません。

霞を食って生きて行くわけにはいかないので、コロナ禍の中でも社会経済活動を再開しなければならないのは当然です。だからこそ、検査が必要なのです。政府が言うように、感染防止策を講じながら社会経済活動を再開するのなら、まず検査をすることでしょう。徹底的に検査をして、市中の感染者を可視化することでしょう。

もちろん、その結果、新規感染者が万単位で増えたとしても、誰が感染しているかわからないよりはるかにマシで、大騒ぎするような話ではないのです。言うなれば、(モーニングショーの玉川徹氏のことばを借りれば)社会経済活動と検査は車の両輪のようなもので、そうやって両方をまわしながらウィズコロナの時代を生き抜いていくしかないのです。

日本政府が検査をサボタージュしているのは、まだオリンピック開催にこだわっているからでしょう。開催国としては、感染者が増えると都合が悪いからです。そのために、こんな雲を掴むような感染防止策しか取れないのです。言うなれば、(できるわけがない)オリンピックのために、国民はみずからの健康(感染)を犠牲にされているのです。でも、多くの国民にはその自覚がないようです。

賢明な国民であるならば、GoToキャンペーンを延期しろなんて言う前に、もっと検査しろ、検査してくれと要求すべきでしょう。
2020.07.16 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
東京都の新型コロナウイルスの新規感染者数は、その後、50人どころか5日連続で100人を超え、小池都知事の口からは、再び「不要不急の他県への移動」を控えるようにとの発言も出ています。でも、これも「いかさま王」(PRESIDENT Online)のいつもの口舌にすぎないのです。

PRESIDENT Online
いかさま王をまたも選んだ東京都民の罪…あまりに残酷な僕たちの民主主義

メディアは、如何にも「第二波」が到来しつつあるかのような大仰なもの言いをしていますが、100人超えは、岡田晴恵氏が言うように、「一波の燃え残り」であるのは明らかでしょう。要するに、潜在的な市中感染者が可視化されているにすぎないのです。

アメリカでは一日に5万人の新規感染者が発生して、「再び感染拡大が懸念されている」というニュースがありましたが、私は、そのニュースを見て、(不謹慎な言い方ですが)アメリカが羨ましいなと思いました。5万人の新規感染者が出たということは、(正確な数字を見つけることはできませんでしたが)一日に50万件かあるいはそれ以上のPCR検査をしていることは間違いないのです。「アメリカでは、他の国よりもはるかに多くの検査を行っており、常に拡大しているため、感染者数が増え続けている。検査の規模が小さければ、症例数も少なくて済むだろう!」(ツイッターより)というトランプの発言は、必ずしも負け惜しみとは言えないのです。

一方、日本は厚労省が公表している数字を見ても、相変わらず1万件も満たない”低空飛行”を続けています。東京都に至っては、多い日でも2千件台です。もし日本でアメリカと同じように、一日に50万件のPCR検査をしたら、5万人とは言わないまでも1万人以上の新規感染者が出るのは間違いないでしょう。大塚英志ではないですが、新規感染者が少なくて「ニッポン凄い!」というのは、単にPCR検査をコントロールして自演乙しているにすぎないのです。テレビでPCR検査の拡大を訴えていた大谷義夫医師が、「反日」「売国奴」のレッテルを貼られてネトウヨの攻撃の対象になったように、検査をしないで新規感染者数を少なくみせることが、この国では「愛国」になるのです。

朝日新聞デジタル
感染拡大せず「日本スゴイ」…80年前と重なる嫌な流れ

7月1日からレジ袋の有料化が義務付けられ、普段の買い物はともかく、出先で弁当を買ったときなど大変不便になりましたが、そもそも日本から毎年排出されるプラスチックごみの中で、レジ袋が占める割合は2%にすぎないのだそうです。つまり、レジ袋を削減しても、プラスチックごみの削減にはほとんどつながらないのです。小泉環境大臣は、レジ袋の有料化は環境問題に対する意識を高めるために必要だというような言い方をしていましたが、それなら同じ論法を新型コロナウイルスにも適用して、PCR検査や抗体検査を行うべきでしょう。

おとといの日曜日、用事があったので、夕方の電車に乗って都内に行きました。駅に向かっていると、若者のグループが大声で騒ぎながら駅前の舗道を歩いていました。もちろん、誰もマスクを付けていません。既に酔っぱらっているみたいで、タガログ語?みたいな外国語と日本語が飛び交っていました。そのうち、通りの店のガラスドアを蹴破るのではないかと思うくらいの傍若無人な騒ぎようでした。私は、「どうしようもない連中だな」と心の中で悪態を吐きながら、横を通りすぎました。

日曜日なので、渋谷方面の電車は空いていました。電車に乗り込み、横を見ると、3人掛けのシルバーシートに若い男性がひとり座っていました。また、向かいの席には、中年の女性が座っていました。

私は、男性が座っているシートのドア側の席に腰を下ろしました。私と男性との間には一人分の空席があります。男性は、女性のスカートのようなやけに幅の広いズボン(?)を履き、見るからに奇抜な恰好をしています。

ところが、私が席に付くと、男性は急に立ち上がり、私に何やら悪態を吐きながら、斜め前の長いシートに移動したのでした。そして、席に付いてからも私に向かって悪態を吐いていました。それで、私は、「なんだよ。何か文句があるのか?」と言いました。すると、男性は、プリプリした様子で、さらに進行方向の先にある別のシートに移動して行ったのでした。

向かいの席に座っていた女性は、「あの人、変なんですよ」と言って顔をしかめていました。私は、「コロナに過敏に反応しているんじゃないですかね」「ゴミ問題が取り上げられたら、ゴミに対して異常に執着する人間がいるでしょ。あれと同じですよ」と言いました。

電車はやがて日吉駅に着きました。車両の前方を見ると、日吉で降りて行く男性の姿がありました。そして、ドアが閉まりました。ところが、ふと目を上げると、いつの間にか私の前方の窓の外に男性が立っていて、私の方にスマホを向け写真(か動画)を撮っていたのです。向かいの女性もそれに気付いたみたいで、振り返って窓の外を見ていました。ドアが閉まったあとなので、どうすることもできません。こんなことならしばいておけばよかったと思いました。

もしかしたら、私の画像を「頭がおかしいオヤジがいた」などとキャプションを付けてSNSに上げるつもりなのかもしれません。向かいの女性は、「気持が悪いですね。怖いですよ」と言っていました。私は、✕✕に刃物ならぬ✕✕にスマホという不謹慎なことばを思い浮かべました。

おそらく、傍に来ただけでもウイルスに感染すると思っているのでしょう。このように、新型コロナウイルスに過剰に反応するビョーキな人々も既に出て来ているのです。

たしかに、新型コロナウイルスに対する世の中の反応には、無神経と神経過敏(社会不安障害)の両極端に分かれている感じがしないでもありません。

だからこそ、何度も言いますが、感染経路として懸念される、30代以下の若者と通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちに対して、集中的に検査を行うべきなのです。検査もしないで、「感染経路が不明な人の割合が増えています」などと言われれば、感情をコントロールできない人の中には、電車の中の男性のように、過剰に反応する人間が出て来るのは当然でしょう。

何度も言いますが、私たちは、自己防衛と自己管理と自己判断でこのコロナ禍の世の中を生きて行くしかないのです。それでなくても大倒産・大失業の時代を迎えようとしているのに、再び自粛なんて言ったら、もう“集団自殺”するしかないでしょう。罰則を設けてもう一度自粛すべきなんて言っているのは、生活感が欠如した無為徒食な人々の過剰反応によるトンデモ話にすぎません。無神経と神経過敏の両極端を排して、自己防衛と自己管理と自己判断で生きて行くためにも、遍く検査を行うことで今の自分の感染状況を知り、ひとりひとりが自覚を持つ必要があるのです。レジ袋の有料化と同じように、そういう自覚を促す必要があるのです。

なんだかいつも身も蓋もないようなことを言っている気がしてなりませんが、一方で、どうしてこの程度の身も蓋もないことさえできないのだろうと思わざるを得ないのでした。
2020.07.07 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
東京では、新型コロナウイルスの「新規感染者」が4日連続で50人以上記録し、なんらかの規制が必要ではないかという声も出はじめています。

と言っても、その多くは無症状か軽症の市中感染者です。トランプではないですが、検査数が増えればそれだけ感染者が増える(市中感染者が確認される)のは当たり前です。逆に言えば、検査数をコントロールすれば、「新規感染者数」もコントロールできるのです。「新規感染者数」に政治的な思惑が含まれているのではないかと考えるのは、一概に穿ちすぎとは言えないのです。私たちは、「新規感染者数」の推移をもっと冷静に見る必要があるでしょう。

病院に行くと、待合室の椅子にはひとり置きに✕印が付けられ、隣の人と「密」にならないように対策が取られています。飲食店などもそうです。今は飛行機の座席もひとつづつ空けているそうです。

ところが、その一方で、通勤電車は相変わらずギューギュー詰めで座っています。それどころか、まるでそれがサラリーマンの習性であるかのように、「密」な座席を奪い合う”椅子取り合戦“が繰り広げられているのです。緊急事態宣言が解除され乗客が増えたことにより、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」の恥も外聞もない行動が否が応でも目に付くのでした。

そのくせ、そんな人間に限って、街頭でマイクを向けられると、「緊急事態宣言が解除されて街や電車の中に人が多くなり怖いですね」などと利いた風なことを言うのです。

先週の日曜日の夜に久しぶりに渋谷に行きましたが、酔っ払って千鳥足で歩いている若者たちのグループが多くありました。そのほとんどはマスクも付けていません。若者たちは、つばきが飛ぶのも構わず大声でバカ話をしながら、通りを我が物顔で歩いてました。

病院や飲食店やスーパーや、あるいはレジャー施設などが感染防止策に苦慮する一方で、通勤電車や街中ではまるでそれを嘲笑うかのような無防備な光景が存在しているのです。

私は、せめてマスクくらいしろよと言いたくなりました。私たちは、そんな無防備な人たちとなるべく接触しないように自己防衛しなければならないのです。と同時に、マスクや手洗いなどの最低限の自己管理を行わなければならないのです。それは、休業要請や外出自粛や移動自粛といった「ファシスト的公共性」とは別の話です。

少し前の「パチンコ店」と同じように、今度は「新宿」「夜の街」が小池都知事の“仮想敵”になっていますが、でも肝心要の通勤電車は放置されたままです。「感染経路不明」のケースが多いとか言われていますが、通勤電車の中で感染すれば「不明」になるのは当然でしょう。

新宿のホストたちを集中的に検査するのなら、その前に、30歳以下の若者と、通勤電車を利用するサラリーマンやOLたちを集中的に検査すべきでしょう。その方が、モグラ叩きのようなクラスター対策よりよほど意味があるように思います。そうすれば、「感染経路」云々が、如何に木を見て森を見ない話であるかがわかるはずです。

歩きスマホも同じですが、世の中には一定数の無知で無神経な「どうしうようもない」人間たちが必ず存在します。しかも、「ファシスト的公共性」にとって、そんな人間たちがむしろ必要とされていることも忘れてはならないのです。何故なら、プロパガンダのためには彼らは都合がいいからです。

個人のオツムと意識の問題であるにもかかわらず、まるで全体責任であるかのようにシステムの問題へと転化され、「ファシスト的公共」の口実にされるのです。「新宿」「夜の街」などというワンフレーズには、くれぐれも注意すべきでしょう。それより、どうして「密」の象徴のような通勤電車が放置され、見て見ぬふりをされているのか。そのことを何度もくり返しくり返し言わねばならないのです。
2020.06.30 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
先の戦争での総動員体制下において、今、考えれば狂っていたとしか思えないようなマンガみたいなことを、国家に帰順する国民は真顔で行っていました。その代表例が、竹槍でB29を撃ち落とす訓練でした。しかも、国民は心の中で「バカバカしい」と思いながら嫌々やっていたのではありません。人民史観のマルクス主義者たちは、人民は心の中では「バカバカしい」と思いながら天皇制ファシズムの圧政の下で仕方なくやっていたんだと言いますが、脳天気なドグマに取り憑かれたマルクス主義者が言うほど人民は賢明ではないのです。

今回の新型コロナウイルスでも、似たような話がいくらでもあります。たとえば、緊急事態宣言の発令(発出)に伴い、登山の自粛を呼びかける共同声明を出した山岳4団体(日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会)は、緊急事態宣言の解除を受けて、登山再開に向けてのガイドラインを発表したのですが、その中に次のような項目がありました。

日本山岳会
政府の緊急事態宣言全面解除を受けて
山岳スポーツ愛好者の皆様へ


5.登山中でもマスクを着用しましょう。マスク着用時は、熱中症及び脱水には十分留意し、こまめに水分摂取を心がけましょう。


私は、一瞬我が目を疑いました。登山のプロたちが、マスクをして山に登れと言っているのです。

このガイドラインを受けて、登山をテーマにする某ユーチューバーが、実際にマスクをして高尾山に登ってみましたという動画をYouTubeにアップしていました。そして、「やっぱり、登るときにマスクをしていると息が苦しいですっ」と言っていました。

また、登山関連のSNSでも、高尾山に登った際、登山道ですれ違った人を数えたら、マスクをしていない人が18人で、マスクをしている人は8人しかいなくて、「とても残念な結果でした」と書いている人がいました。

また、前から人が来てないときはマスクを顎にかけて、人がやって来たらマスクをして「こんにちわ」と挨拶していたら、「疲れました」と書いている人もいました。

これでは竹槍でB29を撃ち落とすという話を誰も笑えないのです。

まさに狂気としか思えません。山岳4団体は、今や登山界における大政翼賛会と同じような存在になっているのです。こんなバカバカしい話を誰もバカバカしいと言えない(言わない)異常さ。

登山が趣味の旧知の医者に言わせれば、山で挨拶しても、感染のリスクなどほとんどないそうです(「そんなことより通勤電車をどうにかするべきだ」と彼も言ってました)。前も言いましたが、私たちは、山ですれ違う人といちいちハグしたりキスしたりするわけではないのです。むしろ、これ以上の換気はない山こそ、いちばん感染のリスクが少ないと考えるべきでしょう。

汗から感染するという話にしても、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)などの専門家は、ウイルスの感染は、汗ではなく咳やくしゃみなどの呼吸飛沫を介して起こると言っています。汗から感染というのは過剰反応と言っているのです。

ところが、スポーツジムは、(ホントは中高年会員の社交場と化したジムにおいて、会員同士の無防備なお喋りでクラスターが発生したにもかかわらず)汗から感染するという濡れ衣を着せられて休業を余儀なくされ、自粛解除後もソーシャルディスタンスのために、機器を半分しか使用できないような対策を強いられているのです。あれではどう見ても採算は合わないでしょう。

「8割削減」も「県をまたぐ移動」もそうですが、今、私たちはまさに竹槍でB29を撃ち落とすというのと同じような狂気の中にいるのです。ただ、それに気付いてないだけです。
2020.06.01 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
緊急事態宣言は解除されましたが、同時に政府は、「外出自粛の段階的緩和の目安」として4つの「ステップ」を発表しました。

それによれば、5月25日から5月31日までを「ステップ0」として、これまでどおり「県をまたぐ移動」の自粛の継続を求めています。

次に6月1日からは「ステップ1」に移行し、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道内に限り、移動の自粛は解除されるそうです。たとえば、東京から北海道に行くのはOKですが、東京から茨城や群馬や栃木に行くのはNGなのです。如何にも役人が考えそうな杓子定規な内容です。

さらに6月19日からは「ステップ2」に移行して、「県をまたぐ移動」などの自粛の全面的な解除が行われる予定だそうです。

もっとも、これは疫学とは関係なく、単に「政治的な判断」で設定したにすぎないと、政府も認めています。

私たちは、こういった科学的な根拠のない自粛要請によって行動を縛られていたのです。休業要請された街の商店主は苦境に陥り、破産か自殺かの瀬戸際にまで追い詰められ、「STAY HOME」による休業や売上げ低迷によって、多くの労働者が失業の憂き目に遭ったのでした。

このように、「政治的判断」によって、私たちの日常は自粛という名の「ファシスト的公共性」に簒奪されたのです。連日メディアに登場して言葉巧みに自粛要請を行っていた小池都知事がやりたい放題に見えたのも、根拠なき「政治的判断」ゆえなのでしょう。

昨日、私は用事があって、100名近くの院内感染が発生しメディアにも大々的に取り上げられた病院に行く機会がありました。既に外来を再開していましたが、患者の姿はほとんどありませんでした。感染防止のためのソーシャルディスタンスなのでしょう、外来の長椅子には、一人分の間隔を置いてテープで✕印が付けられていました。

また、テレビで、自粛解除によって営業を再開することになった横浜市のカラオケ店の開店準備の様子が放送されていましたが、そこでも同じようにお客が座る椅子は一人分の間隔を置いて✕印が付けられていました。これからしばらくはこういった店も多くなるのでしょう。

そこで、私は思ったのですが、営業を再開した店がそうやって感染対策を講じる一方で、通勤電車は、まるで関係ないと言わんばかりに「密」な状態のままです。日ごとに乗客が多くなっているため、間隔を置いて座る余裕もなくなり、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」は、少しでも空いている席を見つけると我先に突進して、ギューギューに詰まった座席にお尻をねじ込んでいるのでした。

でも、どうして通勤電車の「密」が黙認されたのか、今、わかった気がします。「3密」や「人と人の接触の8割削減」などが、自治体の首長や役人たちの胸三寸でどうにでもなる「政治的判断」によるものにすぎなかったからです。だから恣意的に(弾力的に)適用したのでしょう。

話をぶり返すようですが、通勤電車の「密」が黙認される一方で、どう考えても「密」とは無縁な登山は強制的に自粛させられたのでした。また、パチンコ店は、それなりの感染対策が施され、通勤電車に比べれば全然感染リスクが小さいにもかかわらず、メディアと自治体によって「密」の象徴のように言われて、前代未聞の”集団リンチ“の標的にされたのでした。こんな理不尽な話はありません。もはや狂気と言ってもいいくらいです。しかし、メディアや自治体は、自分たちがやっていることが狂気だとは露ほども思ってないのです。彼らの子飼いである”自粛警察”が典型ですが、むしろ”正義”だと思っているのです。こんな狂気に支配された日常こそ、「ファシスト的公共性」以外のなにものでもないでしょう。

あらためて、緊急事態宣言やそれに伴う外出自粛や休業要請などは、ホントに必要だったのかと思わざるを得ません。何度も言いますが、感染のピークが緊急事態宣言の前に来ていたのははっきりしているのです。緊急事態宣言を発令(発出)してもしなくても、状況はそんなに変わらなかったのではないかと考えるのは当然でしょう。感染対策としては3月下旬程度の自粛で充分だったのではないか、という説には説得力があるように思います。だったら、休業要請された店がこんなに苦境に陥る必要はなかったのです。

と言うと、大部分の人たちは、「緊急事態宣言は間違ってなかった」「そのために感染拡大を防ぐことができたじゃないか」と言うに違いありません。それどころか、「自粛を守らない人間たちこそが問題で、彼らを罰する法律の改正が必要だ」と言う人も多いでしょう。

このように新型コロナウイルスに伴う問答無用の自粛体制によって、「ファシスト的公共性」の敷居は間違いなく低くなったのです。あとは大衆が求めるように、「ファシスト的公共性」に法的な裏付けを与えるだけです。大衆は、そのようにみずからすすんで自由を国家に差し出すのです。自分で考え自分で判断し行動するより、国家の指示に従った方が”楽“だからでしょう。”自粛警察”は、彼らの親しき隣人なのです。そう考えると、なんだかコロナ後の社会の風景が見えて来るような気がするのでした。
2020.05.27 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
明日(5/25)、首都圏の1都3県と北海道の緊急事態宣言が解除されるようです。予定より1週間早まったのです。

政府が緊急事態宣言を解除する方針を諮問委員会(基本的対処方針諮問委員会)に諮り、諮問委員会がお墨付けを与えて、最終的には安倍総理が決定するのだそうです。

もっとも、諮問委員会に諮ると言っても、諮問委員会がお墨付けを与えるのは最初から予定済みです。諮問委員会というのは、要するに「諮問」という法律上定められた議論をする形式的な機関に過ぎないのです。

諮問委員会は、次のようなメンバーで構成されていますが、文字通りイエスマンの御用学者の集まりなのです。

政治ドットコム
諮問委員会とは?組織目的や影響力について徹底解説

でも、緊急事態宣言が解除されたからと言って、ただちに自粛が解除されるわけではないのです。そのあたりが特別措置法(改正新型インフルエンザ等対策特別措置法)のややこしいところです。東京都のロードマップにあるように、緊急事態宣言が解除されたあとも、私たちの生活は自治体からこと細かに制約されるのです。「ステップ0」とか「ステップ1」とか、あるいは「東京アラーム」とか、なんだか言いたい放題、やりたい放題という感じです。

政府が発令(発出)する緊急事態宣言や自治体の自粛要請の法的な根拠は、3月に僅か2日間の審議で与野党一致で成立した「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」ですが、新型コロナウイルスに関する一連の措置を見ると、文字通り憲法を一時的に停止する“緊急事態条項”が既に発動されているみたいです。いともたやすく、何のためらいもなく憲法で保障された基本的人権が制限されているのでした。それも、自治体の判断で決まっていくのです。建前は自粛ですが、実際は強制に近いものです。

東京都のロードマップを見ると、責任逃れの事なかれ主義満載の、如何にも役人が作った工程表という感じがします。あんなものに従っていたら、今後も休業を要請される個人事業者は首を吊るしかないでしょう。休業中の店の貼り紙には、「5月31日まで休業します」という語句が多くありますが、それは緊急事態宣言が解除された営業を再開できると思っていたからでしょう。しかし、そうではなかったのです。

おそらく小池都知事は、ロードマップの詳細は役人に任せて、自分は、「ステップ0」とか「東京アラーム」とか、お得意の横文字のキャッチフレーズを考えていただけなのでしょう。そうやってみずからのリーダーシップをアピールすることしか考えてないのでしょう。しかし、そのために、多くの零細事業主は、破産か自殺かにまで追い込まれているのです。人生も生活もメチャクチャにされているのです。

あえて突飛なことを言えば、休業要請に従わないパチンコ店は、戒厳令に抗うパルチザンのようなものと言えるでしょう。そうやって、「新型コロナウイルスだから仕方ない」のひと言でみずからに下される”死刑宣告”にNOを突き付けているのです。早起きは三文の得とばかりに朝っぱらから店の前に並んでいるおっさんたちを見ると、ギャンブル依存症の悲惨な現実を痛感してなりません。しかし、だからと言ってパチンコ店など潰れて構わないんだという話にはならないはずです。むしろ、休業要請を撥ね退け、”集団リンチ”にもめげずに営業を続けているパチンコ店は、個人的には立派だなと思います。今の“コロナ戒厳令”は与野党一致の翼賛体制に支えらえれており、その意味では与党も野党も違いはありません。与党か野党か、右か左かで政治を見ることには何の意味もないのです。

吉本隆明は、「政治なんてない」と言ったのですが、もし私たちにとっての“政治”があるとすれば、自粛に抗うパチンコ店や不要不急の外出自粛なんてくそくらえと街に繰り出す不心得な人々の行動の中にあるのだと思います。

感染防止は、役人が作った事なかれ主義のロードマップなどではなく、自己防衛と自己判断に基づいたみずからの総意工夫でやっていけばいいのです。自分の命や生活は自分で守っていくしかないのです。それが私たちに課せられた(「新しい生活様式」ではない)「新しい生活スタイル」です。

都心に向かう電車でも、通勤客が目に見えて多くなっています。今までだとそれぞれがひとり分のスペースを空けて座れるくらいの余裕がありましたが、もうそんな余裕はありません。「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」が、空いているスペースに容赦なく座って来るようになっています。気温が上がったからなのか、マスクをしていない人も結構見かけます。

私は、これからはまた立って行くしかないなと思いました。どこかの偽善的な革命家が言うように、人民は賢明で常に正しいわけではないのです。アホな人民も多いのです。街に繰り出すと言っても、(アホな人民から)自分を守ることも忘れてはならないのです。それが、自己防衛と自己判断ということです。
2020.05.24 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、大阪・兵庫・京都の関西3県は緊急事態宣言が解除される模様ですが、東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏と北海道は、どうやら今月末の期限いっぱいまで継続されるようです。

あと10日間、緊急事態宣言を継続して何の意味があるのかと思いますが、とにかくできる限り継続してほしいというのが、首都圏の知事たちの総意でもあるみたいです。ろくな補償もなく休業を余儀なくされている商店主たちにとっては、僅かな希望を打ち砕くような決定と言えるでしょう。小池都知事は、「あと10日間我慢して下さい」と平然と言い放っていましたが、そこには破産か自殺かにまで追い込まれている自営業者などに対する一片の配慮も伺えません。おそらく、「仕方ないでしょ」という開き直ったような考えしかないのでしょう。そして、あとは緊急事態宣言を自分の政治的アピールの場にするだけなのでしょう。誰のための、何のための緊急事態宣言なのかということを、考えないわけにはいきません。

緊急事態宣言がいつの間にか”コロナ戒厳令”のようになっているのはたしかで、憲法で保障された移動の自由もどこ吹く風で、首長たちによって「県をまたいだ移動」の自粛が公然と叫ばれているのです。表向きは自粛ですが、実際は県境の国道での検問や県外ナンバーのチェックに見られるように、禁止に等しいものです。緊急事態宣言が解除されても、「県をまたいだ移動」だけは解除の対象から外されているのでした。まるで自分たちの政治的アピールの場を手放したくないかのようです。

首都圏と関西3県を除いた全国の緊急事態宣言が先週末解除されましたが、週が明けてから、都内や横浜などの繁華街でも、いっきに人が増えました。電車も目に見えて乗客が増えてきました。首長やメディアに言わせれば、「気の緩み」ということになるのでしょうが、ほかの自治体が解除になったのにどうして自分たちだけがと考えるのは当然でしょう。

江戸時代ではないのですから、「県をまたいだ移動」という発想自体があり得ないのです。そんなあり得ない話を、首長たちが真顔で呼びかけているのです。専門家会議の諮問委員会メンバーである慶応大学の竹森俊平教授は、衆院予算員会で、「県境をまたぐ際の国内パスポート」の発行を提案したそうですが、「翔んで埼玉」に影響されたのか、とうとう「通行手形」の必要性を訴える専門家まで登場するに至っているのです。狂っているとしか思えません。そんな狂った人たちによって自粛の概要や対象が決められ、私たちに押し付けられているのです。上級国民たちは、そんな自粛のバカバカしさをよくわかっているので、「STAY HOME」を尻目に、宇佐神宮に旅行に行ったり、他人の家で麻雀の卓を囲んだりするのでしょう。「8割削減」や「密」を理由にした自粛要請は、あくまで下級国民が対象なのです。

今まで地方の観光地は、インバウンド頼りでした。政府やメディアも、その旗を振っていました。しかし、今度はインバウンドに頼るのではなく、国内の観光客にシフトしなければならないと言い出しています。そもそも国内の観光客に頼っていたのでは商売にならないので、インバウンドにシフトしたのではなかったのか。地方の観光地で商売をしている人たちはそのことをいちばんよくわかっているはずです。元に戻っても希望がないことは痛いほどわかっているのです。ましてや、既にその兆候が出ていますが、コロナ後に未曽有の経済不況とそれに伴う大失業に見舞われるのは、誰が考えても間違いないのです。国内消費に頼るなどというのは、気休めでしかないのです。

しかも、緊急事態宣言が解除されても、「県をまたいだ移動」の自粛が呼びかけられ、県外から観光に来るなと言っているのです。これでは、地方の観光地で商売をしている人たちにとっては、何のための解除がわからないでしょう。彼らがさらに追いつめられていくのは火を見るよりあきらかです。

地方にいる知り合いの観光業者は、休業の協力金を貰うために、市役所から申請用紙を取り寄せたそうです。ところが、送られてきた用紙を見て、揃えなければならない書類の多さと手続きの煩雑さに「気が遠くなるような気持になり」、協力金を貰うのをあきらめたと言っていました。雀の涙ほどの協力金を貰うのに、どうしてあんなややこしい手続きが必要なのかと憤慨していました。「あきらめさせるために、わざとややこしくしているとしか思えん」と言っていました。

製造業が国際競争力を失い経済的に停滞した日本は、インバウンドによる「観光立国」で経済的な復興をめざすはずでした。

観光庁のサイトでは、「観光立国推進基本法」について、次のように説明しています。

観光庁
観光立国基本法

  観光は、我が国の力強い経済を取り戻すための極めて重要な成長分野です。
   経済波及効果の大きい観光は、急速に成長するアジアをはじめとする世界の観光需要を取り込むことにより、地域活性化、雇用機会の増大などの効果を期待できます。さらに、世界中の人々が日本の魅力を発見し、伝播することによる諸外国との相互理解の増進も同時に期待できます。


もちろん、「訪日観光の振興と同時に、国内旅行振興も重要であります」と言っていますが、少なくとも今回の新型コロナウイルスで、「観光立国」をめざすための片肺を失ったことは間違いないのです。

人出が多くなったことに伴い、どうしようもない人間が沸いて出ているのも事実ですが、しかし、それでも自分たちの意思を行動に移したのはいいことだと思います。いつまでも、御用学者の“トンデモ科学”と医者のご都合主義と首長たちの政治的アピールに利用されていては、バカを見るだけなのです。思考停止していい子ぶるのではなく、自分たちで感染防止の手筈を整え、自分たちで判断し行動に移すべきなのです。自分たちの意思を示すべきなのです。

湘南の海岸にも周辺の道路が渋滞するほど人が押し寄せたとして、神奈川県の黒岩知事があらためて自粛を呼びかけたそうですが、人が戻ってきたことでどうにか息を継いだ業者もいたはずです。

首都圏の1都3県の中で唯一神奈川県だけが、緊急事態宣言の解除の条件である「直近1週間の10万人当たりの累積新規感染者数」の基準を満たしてないとかで、神奈川県民が他県に比べて「気の緩み」が大きいような言い方がされていました。メディアは、例のスマホの通信データを使って、桜木町や横浜駅前の人出の減少率が新宿や渋谷に比べて小さいことを伝えていました。しかし、神奈川県が基準を満たしてないのは、松田町にある県立病院や旭区の聖マリアンナ医科大学病院などの院内感染によるものです。桜木町や横浜駅前の人出などまったく関係ないのです。もちろん、湘南の海岸の人出も関係ありません。

ここにも、ドコモやauの通信データと「8割削減」の”トンデモ科学”が一体となって作り上げた、偽イデオロギーによる責任転嫁の詐術があるのでした。

既に専門家会議や小池都知事が口にしはじめているように、このままだと「第二波」を口実にした私権制限が再び行われる可能性もあるでしょう。その前に、「いつまでも自粛には従わないぞ」「責任転嫁は許さないぞ」という意思を示すことが大事なのです。”自粛警察“のようなテレビが取材に来たら、唾を吐きかけて追い払えばいいのです。アホな人間がインタビューに答えるから、「気が緩んだ人たち」みたいに編集されて放送されるのです。

生きるか死ぬかなら、当然生きる方を選ぶべきでしょう。ホントに困っているのなら、自粛なんてくそくらえと言うべきなのです。その意思を示すべきなのです。
2020.05.21 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
今日の「モーニングショー」では、冒頭で“自粛警察”を取り上げていました。(マスクの紐が切れたため)マスクをすることができなかった通行人に、「近寄るな」と罵声を浴びせる犬の散歩中の男。仕事でやって来た他県ナンバーの車のフロントガラスに貼られた自粛要請の紙。バイクのナンバープレートに落書きされた「自粛しろ」の文字。中には、六甲山のベンチに、「山に来てないで家のかたずけをしろ」という落書きまでありました。

でも、そういった「ほとんどビョーキのような」”自粛警察“を生み出しているのは、他ならぬ「モーニングショー」などのメディアなのです。また、休業要請を守らないパチンコ店への”集団リンチ”の音頭取りをしたり、県境の国道で検問をしたり、大分県の別府市のように市営温泉の駐車場でナンバープレートをチェックして県外客の入浴を断ったりするなど、常軌を逸した自治体もメディアと同様、”自粛警察”の生みの母です。目に見えないウイルスに怯えることで、かように社会全体が病んでしまったのです。

メディアは、今度は西村経済再生大臣や小池東京都知事が唱える「気の緩み」という新しいスローガンに呼応して、“不心得者”をあぶり出すことにいそしんでいます。ヘリコプターや中継車を飛ばして、観光地や海岸や河原や公園や商店街などの「人波」を映し出しては、「気の緩み」の警告を発するとともに、ここに“不心得者”がいるぞと”自粛警察“を挑発しているのでした。

案の定、最近は「8割削減」という言葉が少なくなりましたが、しかし、今度は「気の緩み」という新しいスローガンで人々を縛ろうとしているのです。もっとも、「気の緩み」も、「8割削減」の“トンデモ科学”を前提にしたものであることは言うまでもありません。

先週の金曜日(5/15)の「モーニングショー」では、番組中に「速報」として、厚労省が、日赤が保管している1000人分の献血を使って抗体検査をした結果、東京都の陽性率が0.6%、東北地方が0.4%だったことがわかった、というニュースが流れました。それを受けて、コメンテーターの岡田晴恵氏と玉川徹氏は、「これは衝撃的な数字ですね」と口を揃えて言っていました。そして、このまま自粛を解除すると、とんでもない感染爆発が発生するかのように言っていました。

ところが、この検査では2019年に採取した検体からも0.4%の陽性率が出たことから、偽陽性の可能性が高く、市中の感染状況を知る上ではまったく参考にならないことが判明したのです。

こういったところにも、「モーニングショー」が囃し立てる「大変だ!大変だ!」のセンセーショナリズムの問題点が露呈しているように思います。

今、行われている都市封鎖や自粛などの(「モーニングショー」が言う)「閉じこもり戦略」は、ペストのときと同じです。ITとか人工頭脳とか言われている時代に、感染対策は旧態依然としたきわめてアナログなものです。

一方で、現代はGoogleやアップルが牽引するIT技術が社会全体を覆っています。同じ都市封鎖や自粛でも、私たちが持ち歩くスマホの通信データを使った監視の技術だけは進歩しているのです。そのため、IT技術と結び付いた「8割削減」なる“トンデモ科学”が、さも疫学上の新理論であるかのように流布されたのでした。しかも、その裏付けになっているドコモやauのスマホの通信データが、いつの間にか人出を計測し自粛の進捗具合を測るバロメーターになったのでした。でも、それは、前に紹介したような、ゴールデンウィーク中に別府温泉の駅前で人出が増えた(ゴールデンウィークで駅周辺の家に閉じこもる人が多くなったことを駅前の人出が増えたと勘違いした)というマンガみたいなレベルの話に過ぎないのです。

でも、そんなマンガみたいなレベルの話を指標にして、大塚英志が指摘したように、テレビなどの旧メディアとネットが密通することで、“不心得者”のあぶり出しやバッシングを益々エスカレートさせているのです。メディアに動員された「ほとんどビョーキのような人々」が、まだ斧や鉈は持ってないものの、関東大震災のときと同じように街頭に繰り出すまでになっているのです。

抗体を持った人が未だ6%や8%しかいないような状況では、第二派・第三派の感染爆発が起きる可能性が高いのは当然ですが、今のような「集団免疫」の戦略もない封じ込め一辺倒の感染対策を続けていると、感染爆発が起きるたびに大騒ぎして、再び都市封鎖や自粛を行わなければならないという場当たり的な対応をくり返すだけでしょう。そして、その監視にIT技術が使われることで、私たちは、医学の進歩によってウイルスの恐怖からいくらか解放されているにもかかわらず、カミュが描いたペストのときより、一挙手一投足までこと細かに監視された息苦しい日常を強いられることになるのです。

コロナ後の社会は、強権的な政治を求める声とIT技術による監視社会化がより強まるだろうと言われていますが、その兆候は既に表れているのでした。(IT技術という新しい衣装を着た)「ファシスト的公共」が日常化する時代がすぐそこまでやって来ているのです。
2020.05.19 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
最初に日本では法的にあり得ない「ロックダウン」ということばを使ったのは、英語が好きな小池百合子都知事でした。以来、おそらく元ヤフージャパン社長の宮坂学副知事のアドバイスもあったのでしょう、小池知事は、毎日のようにメディアの前に出て、東京都の顧問でもあった西浦博北海道大学教授の「人と人との接触を8割削減する」という“お題目”を唱えるようになったのでした。さらに、緊急事態宣言のあと、「8割削減」は「国家目標」のようになっていったのでした。

でも、私のようなシロウトが考えるに、「8割削減」という“プチ都市封鎖”とも言うべき過激な自粛をつづけていると、いつまで経っても集団免疫は進まないので、結局、ワクチンが開発されるまで、今のような“プチ都市封鎖”をつづけるしかないのではないかと思ってしまいます。5%とか8%とか言われる日本の免疫率では、このまま感染が減り続けるとは思えないので、集団免疫の発想を持たない限り、解除と“プチ都市封鎖”を永遠に(ウイルスが開発され国民ひとりひとりに渡るまで)くり返えさなければならないように思います。

しかし、「8割削減」は、専門家会議が認めたように、学術的に検証され認知された理論ではないのです。そんな“トンデモ科学”とも言うべき怪しげな数字が独り歩きして、私たちの行動や社会の経済活動を縛り、個人の生活や国の経済に大きな影響を与えているのです。

地方が自粛解除に向かう中、東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏は、依然「特別警戒地域」として、“プチ都市封鎖”は続けられています。同じ「特別警戒地域」の大阪や兵庫などの関西圏は、独自のロードマップで解除の方向に進んでいますので、解除に慎重なのは首都圏だけです。多大な犠牲を強いる”プチ都市封鎖”に、疑問の声があがらないのが不思議でなりません。

まして、「8割削減」に明確な(科学的な)裏付けはないのです。前に書いたように、ホントにどれだけ感染防止に役立っているのかもわからないのです。緊急事態宣言が発令され「8割削減」が「国家目標」になる前に、既に感染のピークが訪れていたと言われており、実効再生産数も、緊急事態宣言前の4月初めに閾値の1を割っていたことがあきらかになっています。

「8割削減」に関連して、最近は「気の緩み」という言葉が盛んに使われていますが、なんだか自粛を解除するかどうかはアナタたちの心がけ次第よ、そんな心がけでは解除しませんよと言われているような感じです。そうやって私たちに責任が押し付けられているような気がしないでもありません。

私が住んでいるのは神奈川県ですが、神奈川県の黒岩知事はまるで小池都知事のコバンザメのようで、ただ小池都知事が言っていることをオウム返しに言うだけです。林文子横浜市長も然りですが、こういった“非常時”になると、上に立つ者の能力が忖度なしに問われるのです。と言うか、その能力が非情なまでに晒されるのでした。黒岩知事や林市長を見ていると、アナウンサーや車のセールスマンとしては有能だったかもしれませんが、自治体の首長というのはそれとは別の能力が必要なのだということを哀しいまでに痛感させられるのでした。その点、小池都知事のリーダーシップは、黒岩知事や林市長を後ろに従えるほど、彼らを凌駕しているのはたしかでしょう。それは、小池知事が口が達者で、メディア戦略に長けているということも大いに関係しているように思います。

一方で、私たち首都圏に住む人間にとって、小池都知事に引きずられる今の状況は果たして幸せなことなんだろうかと思ったりもします。メディアの露出も、「8割削減」も、パフォーマンスの色合いが濃いように思えてならないのです。そのパフォーマンスに振り回されているということはないのでしょうか。

自民党は、7月の都知事選に対抗馬を立てることを断念し小池都知事を推薦することを決定したようです。これで、小池都知事の再選は確定したも同然です。

小池都知事がけん引した首都圏の過激な自粛要請=“プチ都市封鎖”が、彼女のイメージアップと政治的な野望に大きな貢献をしたのは間違いないでしょう。なんだか小池都知事の一人勝ちのような感じさえしてならないのでした。でも、その陰に、多くの人たちの阿鼻叫喚があることも忘れてはならないのです。
2020.05.17 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日電話がかかってきた田舎の友人は、道路を走っていて、県外ナンバーの車を見るとドキッとすると言ってました。また、近所の家の家族と遭遇した際、その中に他県の大学に行っている息子がいたので、「どうしたの?」と訊いたら、「学校が休みになったので帰って来た」と言っていたそうですが、そう言う息子を見て、思わず後ずさりしている自分がいたと言っていました。

友人は読書が趣味のそれなりのインテリですが、もはやビョーキみたいな感じです。私は、友人の話を聞きながら、出入り業者が、リゾートマンションに「東京の人間が入り込んでいるそうですよ。気を付けた方がいいですよ」と触れ回っていたという、別の友人の話を思い出しました。

「県をまたいだ移動」が人々にこれほどの恐怖心を与えているのです。まるで江戸時代のようですが、国家の脅しはかように効果的なのです。「ファシスト的公共」は、このようにいとも簡単に立ち現れるのです。そして、あとは思考停止に陥った市民たちによる異端者狩り=“集団リンチ”が行われるだけです。

奥多摩の住民が、登山者に「恐怖を覚える」というのも同じでしょう。私は、このブログでも書いているとおり、毎週のように奥多摩の山に通っていましたが、今まで地元の住民と「密」に遭遇したことなどありません。たまに遠くで畑仕事をしている姿を見るくらいです。まして、私たちは奥多摩の地元住民とキスをするわけでもハグをするわけでもないのです。コンビニもないようなあんな山奥に何の「密」があるというのでしょうか。

奥多摩に行く電車やバスが「密」になると言いますが、たしかに登山シーズンの週末に電車やバスが混雑するのは事実です。だったら週末を避ければいいだけの話です。私は誰もいない山をひとりで歩くのが好きなので、普段から週末に行くのを極力避けていますが、ホリデー快速おくたま号(週末だけ運行される奥多摩行きの臨時電車)や週末の御岳山や大山や高尾山のケーブルカーを運行しなければいいだけです(個人的には、中高年の団体登山も禁止にしてもらいたいけど)。

野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などの山岳団体が、「8割削減」のスローガンに無定見に従って、登山の自粛を呼びかけるなんていうのは愚の骨頂です。ここにも、右と左が同居した、有無を言わせない翼賛的な空気が作られているのです。

昨日も、群馬の妙義山で滑落した男性のニュースがYahoo!ニュースに転載され、コメント欄に巣食う“自粛警察”の恰好の餌食になっていましたが、案の定、「日本山岳会などが登山自粛を呼びかけているにもかかわらず」というような言い方がされていました。「登山自粛」がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟などは、そうやって登山者を縛るだけでなく、“登山者叩き”の口実を与えているのでした。

そもそも、登山者を代表しているかのような野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟のふるまいには、ひとりの山好きとして非常に違和感があります。同じ登山愛好家なら、まずやるべきことは、どうすれば感染のリスクを減らすことができるかとか、山に登る上でどういうことを気を付けるべきかとか、そういった注意喚起を促すことでしょう。そして、(山小屋を除いて)登山は「密」ではないということを周知すべきなのです。

また、「密」な山小屋にしても、その存在は、利用するしないにかかわらず、登山者にとっても、あるいは登山文化にとっても、無関心ではいられない問題があるのはたしかです。宿泊料金の値上げも含めて、どうすれば「密」を解消できるかをみんなで知恵を出し合って考えるべきでしょう。国立公園の40パーセントが民有地という現状を考えるとき、前から言っているように、入山料の徴収も視野に入れるべきかもしれません。

驚くべきことは、野口健や日本山岳会や日本勤労者山岳連盟など山岳団体の「登山自粛」の声明に対して、声を上げる登山愛好家があまりに少ないということです。それだけリーダーの背中ばかり見て山に登っているような、「自立していない」登山者が多いということかもしれません。

山に限らないけど、大事なことは自己防衛と自己判断なのです。そういう「生活スタイル」を身に付けることです。買い物や食事に行くときも、あるいは休日に観光地に遊びに行くときも、ちゃんと感染防止の対策を取っているかどうか、自分で見極め自分で判断することでしょう。感染防止策を取ってないような店には行かなければいいのです。また、当然ながら世の中には感染防止の知識も意識もない無神経な人間も一定数存在しますが、そんな人間には(心の中で軽蔑しながら)近づかなければいいだけの話です。

しかも、現在の感染の多くは、院内感染と家庭内感染です。それを「8割削減」「外出自粛」に強引に結び付けているのです。そこに、国家の脅しと詐術があるのです。
2020.05.15 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
先日、東京の感染数は発症日ベースで3月30日にピークを迎えていたという米山隆一氏の寄稿を紹介しましたが、東京都も4月8日だかに感染のピークを迎えていたことを正式に?認めたようです。

じゃあ、そのあとの1か月はなんだったんだと思います。「8割削減」という“トンデモ科学”だけが独り歩きし、ドコモやauのスマホデータを根拠に、「人出がまだ多い」「もっと外出を自粛しましょう」と言われていたのです。そのため、個人経営の商店や飲食店は苦境に陥り、休業要請に従わないパチンコ店などは、メディアや自治体に動員された“自粛警察”によって、まるで非国民のように叩かれたのでした。

たしかに、外出自粛したので、4月8日(あるいは3月30日)以降、感染の拡大を防ぐことができたという見方が成り立つかもしれません。でも、米山氏が書いているように、専門家会議クラスター班の西浦博教授が、「8割削減しなければ42万人が死亡する」という衝撃的な会見を行ったのは、ピークが過ぎた4月15日だったのです。さらに4月21日に発表された専門家会議の提言でも、東京の感染のピークが4月8日だったという話はいっさい出ていませんでした。外出自粛したので4月8日以降感染の拡大を防ぐことができたというのは、後付けの理屈のようにしか思えません。ちなみに、西浦教授はもともと東京都の顧問だったそうで、小池都知事がバカのひとつ覚えのように「8割削減」を口にする理由もこれでわかります。

私たちの行動を縛り、多くの人たちが生活の糧を奪われ路頭に迷うことになった自粛要請に、感染状況がどのレベルにあるのかとか市中感染率がどのくらいかとか、そういった科学的な(疫学的な)根拠はいっさいありませんでした。ただ、「人と人との接触を8割削減する」というスローガンがあっただけてす。もっとも、日本の検査体制では、根拠を求めるのは最初から無理な相談でした。

「8割削減」を目標とする“人出分析”では、こんなニュースさえありました。

毎日新聞
観光地の人出データ 内閣官房HPから「別府駅」削除 住宅密集、自粛で人口密度増

マンガみたいな話ですが、内閣官房が頼っていたのも、スマホのビッグデータだったのです。私たちは、こんなお粗末な(マンガみたいな)データで、行動を縛られていたのです。

最近の感染は、院内感染と家庭内感染が主ですが、たとえば、現在の通勤電車の状況で、どのくらい感染者が出ているのかといったデータなどはいっさいありません。私たちが知りたいのは、そういったデータです。私の感覚では、都内の通勤電車の混み具合は、通常時の50~60%くらいだと思いますが、それだとどのくらいの効果があるのか、あったのかということもわからないのです。感染した場合、感染者に対して行動履歴の聞き取り調査が行われるので、当然、電車通勤の有無もわかるはずです。でも、そういったデータはいっさい発表されていません。それで、なるべく通勤を減らせ、リモートワークに切り替えろと言われるだけです。

政府は、緊急事態宣言解除の出口戦略に向けて、感染対策のために設置した「基本的対処方針等諮問委員会」に、あらたに4人の経済学者を入れることを決定したそうです。そして、それに伴い、あたらしく入った小林慶一郎氏(東京財団政策研究所研究主幹)の発言が再三メディアに取り上げられているように、PCR検査や抗原検査の増加をはかり、感染状況の把握をめざすべく今までの方針を転換すると言われています。

「今頃?」というツッコミはさておくとしても、じゃあ、この1か月はなんだったのかと思わないわけにはいきません。感染対策を医療関係者に丸投げした結果、「医療崩壊を防ぐため」という彼らの常套句によって、ただ、検査が抑制されただけです。一方で、「8割削減」という根拠のないスローガンのために、外出自粛や営業自粛が声高に叫ばれただけなのです。私のようなシロウトには、まったく”無駄な時間”だったようにしか思えません。

先の戦争でも、中身が検証されることなしに空疎なスローガンだけがひとり歩きして、政治家も官僚も軍人も、次第に現実認識を失っていったのですが、この新型コロナウイルスでも同じことがくり返されているのです。

少なくとも、「8割削減」に疑問を呈した人はほとんどいませんでした。それこそ右も左も、みんな「8割削減」に唯々諾々と従ったのでした。そして、いつの間にか「8割削減」が「国家目標」のようになり、緊急事態宣言と一体化することで、“コロナ戒厳令”とも言うべき翼賛体制のスローガンと化していったのでした。ところが、(米山氏が書いているように)今になって専門家会議は、「8割削減」は「学術的にも技術的にも評価方法が確立していない、『評価できない数字』」だったと言い出した(やっと認めた)のでした。この1か月は、「8割削減」という”トンデモ科学”に振りまわされ、ただ国民に犠牲を強いただけの“無駄な時間”だったのです。こんな話があるでしょうか。


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マスクをつけて街に出よう
2020.05.14 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
5月5日の子供の日、千葉県松戸市の市長が、休業指示に従わない市内のパチンコ店を訪れ、市職員が「新型コロナウイルス『緊急事態宣言』発令中!」と書かれた横断幕を店舗前に掲げる中、「外出自粛を呼びかけるチラシを利用客や市民に配りながら、協力を呼びかけた」のだそうです。

それに合わせて、マイクを手にした男たちも同店を訪れ、「営業やめろ」「帰れ」などと叫び、利用客と怒鳴り合いになり、「一時騒然とした雰囲気になった」そうです。

松戸市の市長の行為は、正気の沙汰とは思えません。それを「異常」と思わないのも、営業を続けるパチンコ店に対しては、何をやっても許されるような風潮があるからでしょう。

朝日新聞デジタル
パチンコ店騒然、客と自粛派どなり合い 市職員は横断幕

このようにメディアと自治体がタッグを組んで、“自粛警察”を煽っているのです。しかも、その“集団リンチ”はエスカレートするばかりです。東京都知事や大阪府知事を見習って、積極的にメディアに出演する知事が相次いでいるそうですが、彼らは、なんだかアピール合戦をしているような感じすらあります。そうやって新型コロナウイルスをチャンスとばかりに(再選のための)選挙運動をしているのかもしれません。

どうして、新規感染者の発表に、わざわざ知事が出てくるのか。小池都知事が、新型コロナウイルスではしゃいでいるという記事がありましたが、当たらずといえども遠からじという感じです。指導力をアピールするためには、新型コロナウイルスは絶好の機会なのでしょう。

全国知事会での発言などを見ていると、彼らは“自粛”を要請する権限を手放したくないように見えます。群馬県の山本一太知事が、緊急事態が解除されると、「法律に基づいた対応ができなくなる」として、解除の対象から群馬県を除外するよう国に求めたり、解除されても「県境をまたいだ移動の禁止」は維持してもらいたいと知事会が要望するのも、アピールする機会がなくなることを怖れているからかもしれません。

彼らには、新型コロナウイルスとどう共生していくかという視点が決定的に欠けているのです。もっとも、彼らにとっては、そんなことはどうでもいいのかもしれません。

群馬県の伊香保や草津の温泉地は、山本知事の発言にさらに絶望感に打ちのめされたに違いありませんが、しかし、温泉旅館の主人たちは、もともと山本知事の熱心な支持者だったので、自業自得と言われても仕方ないでしょう。

温泉旅館の主人たちも、新型コロナウイルスとどう共生していくかという視点がないのです。自分たちでどのように感染対策をして、お客を迎えるのかという考えすらないのです。ただ、県や国に「お願いする」だけなのです。休業要請を無視して営業を続けるパチンコ店の爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいでしょう。

おそらくそのうち「人と人との接触を8割削減する」ということを誰も言わなくなり、「8割削減」の「国家目標」も自然消滅するでしょう。”トンデモ科学”に振りまわされていた人たちこそ、いい面(ツラ)の皮と言うべきなのです。

専門家会議は、先日提言した「新しい生活様式」なるものでは、所謂「ソーシャルディスタンス」を今まで2メートルと言っていたのに、今度は1メートルでいいと言っていました。「37.5度4日間」のPCR検査の目安の撤廃もそうですが、専門家会議が言っていることは、このようにくるくる変わって「いい加減」なのです。それが「医者特有のご都合主義」というものです。

今朝のテレビ朝日の「モーニングショー」では、埼玉の長瀞で、「”立ち入り禁止”の警告を無視して岩畳に立ち入る観光客が続出している」として、その模様を放送していました。観光客に「どうして立ち入ったのですか?」と詰問していましたが、「モーニングショー」には、そもそも岩畳に立ち入ることがどうして「禁止」なのか、どうしてそれが「密」になるのか、という当たり前の疑問すら存在しないのです。ただ思考停止して、”自粛警察”の役割を演じているだけです。「モーニングショー」の姿勢もまた、「異常」と言うしかありません。

中国の武漢では、1か月ぶりに感染者が出たので、全市民1100万人のPCR検査を実施することにしたそうです。また、スペインのサッカーリーグでも、開催に向けて所属する全選手のPCR検査を行ったとか。日本でそんなニュースを耳にすると、まるで別世界の話のように聞こえます。

何度もくり返しますが、自分も含めて誰が感染しているのかわからないので、必要以上に“見えない敵”に怯えるのでしょう。その怯えが松戸の市長や“自粛警察”のような“異常な人々”を生み出しているのです。東京都の小池知事は、「ステイホーム週間が終わったことで、何の根拠もない達成感があって、緩みが出るのが大変心配だ」と発言していたそうですが、その「根拠」を得るためにもPCR検査が必要なのです。国会でも、実際の感染者数がどのくらいいるのか、公式数字の10倍なのか100倍なのか、誰も答えることができなかったという記事がありましたが、そういった日本の現実こそ「異常」と言うべきでしょう。「根拠」がないと言いながら、誰も「根拠」を求めないのです。そして、ただ怯え、自粛に従わない者たちを”集団リンチ”するだけなのです。
2020.05.13 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
カミュの『ペスト』を読みながら、都市封鎖(ロックダウン)と外出自粛の違いはあるものの、目の前の閑散とした街の風景を、『ペスト』で描かれているアルジェリアの街と重ね合わせて見ている自分がいました。

昨日の昼間、窓際に立って、ぼんやりと表の通りを眺めていたときでした。舗道の上を夫婦とおぼしき高齢の男女が歩いていました。買物にでも行くのか、やや腰が曲がった二人は、おぼつかない足取りで一歩一歩をたしかめるようにゆっくりと歩いていました。特に、お婆さんの方がしんどいみたいで、数メートル歩いては立ち止まって息を整え、そして、また歩き出すということをくり返していました。

お婆さんが立ち止まるたびに、先を行くお爺さんも立ち止まってお婆さんの方を振り返り、お婆さんが再び歩き出すのを待っているのでした。

私は、そんな二人を見ていたら、なんだか胸にこみ上げてくるものがありました。二人はそうやって励まし合い、支え合いながら、コロナ禍の中を必死で生きているのでしょう。

高齢者や非正規雇用の労働者やシングルマザーなど、弱い立場の人、恵まれない人ほど、新型コロナウイルスに翻弄され苦境に陥っているのです。中には、生きる希望を失くすほど追いつめられている人もいます。

そのあと外に出たら、近所の花屋の前に人盛りができていました。なんだろうと思って見ると、レジ待ちをしている人たちが店の外まであふれているのでした。みんな、それぞれ花が盛られた小さなバスケットを手に持っていました。

私は、もう母親がいないのですっかり忘れていたのですが、昨日は母の日だったのです。こんな非常時でも、みんな母親を思い、感謝しいたわる気持を忘れてなかったのです。できるなら、そのやさしさを少しでも恵まれない人々や弱い立場の人々に向けてもらいたいなと思いました。

今回の新型コロナウイルスによって、経済格差がさらに広がるのではないかと言われています。たしかに、収入が減った人と減ってない人のことを考えば、今後ますます二極化が進むのは容易に想像できます。未曾有の倒産や失業に見舞われるのは、もはや既定のように言われています。しかし、10万円の定額給付金を見てもわかるとおり、相互扶助の精神なんてどこかに吹っ飛んだような感じです。見えないところで、弱肉強食の無慈悲な世界が広がっているのです。「自分さえよければいい」という剥き出しの本音に社会が覆われようとしています。また、緊急時に強権的に対応できる、専制的な政治を求める声も強くなっています。

休業要請に従った自営業者が破産か自殺かに追い詰められても、器用に二枚舌を使い分ける東京都知事や大阪府知事はまるでヒーローのようにもてはやされているのです。まともな感染対策さえ打ち出せず、無責任な言い逃れに腐心するばかりの安倍内閣の支持率は、思ったほど下がっていません。安倍内閣の支持率40%は盤石なのです。だから、火事場泥棒のように検察庁法の改正を強行しようとするのでしょう。「日本の奇跡」を信じて疑わない人々が40%もいる限り、何があっても悪代官たちは左団扇なのです。

「あんまり文句ばっかり並べても今は特に仕方ない。有事なんだから」と言ったサンドイッチマンの伊達は、福島関連のイベントでは政府ご用達芸人ですが、支持率40%を考えると、彼が好感度ナンバーワン芸人であるのも納得ができます。そのうち「今は有事なんだから検察庁法改正案反対なんて言わずに、みんなで政府を応援しよう」と言うのかもしれません。

カミュの『ペスト』では、ペストは人間が犯した罪の報いだと説いていた神父も、やがてペストに命を奪われるのでした。ペストという不条理は、宗教も政治も経済も、エゴイズムもヒューマニズムも、夢も希望も姑息な処世術も、容赦なく無慈悲に、そして、分け隔てもなく呑み込んでしまうのでした。しかし、愚かな人間は、さらに無慈悲なエゴイズムで、みずからに襲いかかる不条理から逃れようとするのです。それが、今、私たちの目の前にある社会の風景です。

ペストが終息したあと、街は歓喜の声に沸き上がり、生き残った人々は一体感を覚えながら、もとの日常に戻って行こうとします。でも、医者のリウーは、それが「決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた」のです。もとの日常に戻るなんてもうできないのです。『ペスト』は、次のようなリウーの独白で終わっていました。

(略)――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておろらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。

宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫)


70年経ち、ペスト菌は、医学の進歩によって、一部の地域を除いて、私たちの前からほぼ姿を消しました。新型コロナウイルスも、ワクチンが開発されれば、インフルエンザと同じような「ありふれた感染症のひとつ」になるのかもしれません。しかし、もうもとに戻ることはないのです。コロナ以前とコロナ以後では、私たちも社会も大きく変わるのは間違いありません。でも、カミュではないですが、不条理は続くのです。

外出自粛を守らない不心得者や休業要請に従わないパチンコ店に対して、普段は良き父親で良き夫で良き市民で良きサラリーマンであったような人たちが、メディアに煽られ、何の留保もなく目を吊り上げて悪罵を浴びせていた姿を私は忘れることができません。しっかり目に焼き付けておこうと思いました。文字通り、そこには、差別と排除の力学によって仮構される彼らの日常性の本質が顔を覗かせていたからです。関東大震災のとき、朝鮮人の頭上に斧や鉈を振り下ろしたのは、何も特別な人たちではありませんでした。普段は良き父親で良き夫で良き市民で良きサラリーマンであったような人たちだったのです。”善良な市民”なんていないのです。
2020.05.11 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
シロウト考えですが、新型コロナウイルスの終息には、大きくわけて三つの方法があるのだと思います。一つ目は、ワクチンが開発されるまで、できる限り感染者を少なくして時間稼ぎをする、言うなればソフトランディングの方法です。二つ目は、ある程度の感染を許容しながら多くの人に抗体ができるようにして、「集団免疫」の獲得を目指す、ハードランディングの方法です。そして、三つ目は、ソフトとハードを組み合わせたハイブリッドの方法です。

アメリカやヨーロッパの国々が、今、徐々に封鎖を解除する方向に向かっているのは、あきらかに三つ目のハイブリッドの方法を選択しているからでしょう。感染が終息したからではなく、感染の封じ込めによって、一時的に小康状態になったからです。おそらくこれから第二波第三波の感染爆発が起きる可能性は大きく、それも覚悟の上なのでしょう。

いつまでも経済活動を止めていたら、人々の生活が立ち行かなくなるのはどの国でも同じです。ワクチンが開発されるまで時間稼ぎをするなどというのは、現代の高度に発達した資本主義社会では現実的な方法ではないのです。「集団免疫」とまでは言わないまでも、抗体を持った人が一定の割合で存在するようになれば、それだけ感染の速度は遅くなり、ワクチンの開発まで時間稼ぎができるという目算もあるのだと思います。

そのためには、WHOではないですが、「検査、検査、検査」なのです。検査をして、現在の市中感染率がどのレベルにあるのか把握することが不可欠であるのは言うまでもありません。

昨日東京都が初めて「陽性率」なるものを公表しましたが、私は、当初、「陽性率」とは市中感染率のことだと思っていました。ところが、東京都が公表した「陽性率」は、PCR検査した中で陽性の判定が出た人の割合に過ぎないことがわかりました。考えてみれば、検査を受ける人の中には、陰性になったかどうか確定診断するために何度も検査を受ける治療中の患者もいるでしょう。そもそも、日本は外国と違って、保健所がPCR検査の”水際作戦“を行っていますので、検査数も圧倒的に少なく、「37.5度が4日間」の目安ではないですが、感染の疑いが濃い人しか検査を受けられないシステムになっているのです。そんな日本の検査体制で、陽性になった人の割合を出しても、あまり意味があるとは思えません。この「陽性率」は、大阪府が自粛解除の条件として独自に設けた”大阪モデル”の中にも入っていますが、どうして後述する実効再生産数ではなく、信頼性に欠ける「陽性率」なのか、疑念は尽きません。

何度も言いますが、日本は、検査数も感染者数も外国に比べて一桁少ないのです。そのため、日本政府の対応について、海外から批判が続出しているのです。

朝日新聞デジタル
コロナ対応に海外から批判続出 政府、発信力強化に躍起

    英紙ガーディアン(電子版)は4日、安倍晋三首相が緊急事態宣言を延長したことを詳しく報じた。記事では記者会見でも取り上げられたPCR検査にも言及。「日本は検査の少なさで批判されている。日本のやり方は症状が軽い感染者を特定し、追跡することを困難にしている」と指摘した。
(略)
   英BBC(電子版)は4月30日、PCR検査について「日本の検査数の少なさは疑問だ」と題する記事を掲載。日本の感染者数は28万~70万人におよぶという試算を紹介しながら「日本は検査数を増やさないと、パンデミックの終結はかなり困難」という専門家の厳しい見方を取り上げた。
(略)
  韓国のハンギョレ新聞(電子版)も4月30日に社説で「安倍首相は韓国の防疫の成功を無視し、軽んじていた。日本政府とマスコミは当初、自国の対応を自画自賛した」と批判した。


また、日本政府が、海外からの批判に対して、みずからの立場を多言語で発信するために予算を計上したことに対しても、「米紙ワシントン・ポスト(4月15日付電子版)は『経済や株価への執着と、ずるい世論操作のやり方は親友のトランプ米大統領とそっくりだ』と皮肉った」そうです。

昨日だったかテレビでやっていましたが、ドイツのメルケル首相は、週に1回、現在の感染状況を国民に知らせるために、実効再生産数を発表しているのだそうです。メルケル首相は物理学者なので、国民の理解を求めるため、そういった科学的な指標をわかりやすく丁寧に説明しているそうです。受験勉強も経験していないどこかの国の総理大臣が、メルケル首相の真似をするのはとても無理でしょうが、なぜか日本ではこの世界基準とも言うべき実効再生産数を3月19日以降公表していませんでした。

実効再生産数というのは、前後の5日間の感染者数の差を元に、複雑な計算式で算出した現在の感染状況の推移を示す指標です。ひとりの感染者が平均何人に感染させているかを示しており、実効再生産数の数値が1.0より大きいと感染者数が増加、1.0より小さいと減少を示しているそうです。

上記のように、海外からの批判も、日本はPCR検査数や感染者数など基礎データがあまりに少なく、実効再生産数さえ定期的に公表してこなかったという不信感があるからですが、しかし、日本国内では、感染者数が一桁少ないことを「日本の奇跡」「安倍政権の優秀さの証明」と自画自賛していたのです。これが日本がカルトの国であるゆえんですが、安倍首相が緊急事態宣言の延長に際して、ネトウヨ=”自粛警察”の巣窟であるニコニコ動画とYahoo!Japanに出演したのも、「日本の奇跡」「安倍政権の優秀さの証明」と慰撫されたかったのかもしれません。このようにメルケル首相とあまりにも違うこの国の指導者の「バカっぽさ」を見せつけられると、ひとりの国民としてあらためて情けない気持にならざるを得ないのでした。

緊急事態宣言の延長が取り沙汰されるようになった5月1日、専門家会議は、「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」と題する報告書を発表したのですが、その中で、3月19日以降発表がなかった実効再生産数が久し振りに公表されていたそうです。しかも、その数値は、驚くべき事実を示していたのです。

そのことについて、医師であり弁護士でもある前新潟県知事の米山隆一氏は、朝日新聞の「論座」で、次のように書いていました。

livedoor NEWS
論座
専門家会議のコロナ報告書が示す驚きのデータと「5月7日以降」の合理的対策

(略)「発症日」ベースで集計された流行曲線が、今回初めて示されたのですが、その結果は極めて驚くべきものでした。発症日ベースでは、新型コロナウィルス感染症の流行は全国では4月1日に、東京では3月30日に既にピークを迎えていたのです(平均潜伏期間は「5日」程度と言われており、「感染日」のピークはこの更に5日前の3月27日、3月25日であるであると考えられます)。

これを裏付けるように、時刻tにおける再生産数であるRtは、全国、東京都ともに4月1日に、感染が収束に向かう境界値である1.0を下回っており、4月10日現在で全国0.7、東京都0.5となっているとのことです。

このデータは、端的にいって「4月1日の時点で全国・東京都ともに感染はピークアウトし収束に向かっていたのであり、そもそも7日の緊急事態宣言は(少なくとも事後的には)必要なかった」ことを意味します。


ところが、専門家会議は、戦前の関東軍と同じように、実効再生産数が示す数値とは矛盾する方向に突き進んでいくのでした(以下、引用は同上)。

 にもかかわらず、専門家会議クラスター班の西浦博教授は4月15日に、「4月1日の時点で全国・東京都ともに感染はピークアウトし収束に向かっている」という事実に何ら言及することなく、「このまま何もしなければ42万人が死亡する」という衝撃的な記者会見を行って国民の不安を掻き立て、専門家会議が22日に記者会見で発表した「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」においても、この事実への言及は何一つありませんでした。


これは、米山氏が書いているように、恐るべきことです。以後、西浦教授が提唱する「人と人との接触8割削減」が「国家目標」のようになっていくのですが、この「人と人との接触8割削減」についても、専門家会議の報告書は次のように言及しているそうです。

 この報告書の次に驚くべき点は、今まで事実上、国家的目標とされていながらその中身が判然としていなかった「人と人との接触8割削減」について、「『接触行動の変容』をどのように評価していくかについては、学術的にも技術的にもまだまだ課題が多い」として、学術的にも技術的にも評価方法が確立していない、「評価できない数字」であることを事実上、認めたことです。


私のようなシロウトでさえ、「人と人との接触8割削減」は”トンデモ科学”ではないかと前にも書きましたが、専門家会議もそのことをやっと認めたのです。メディアは、ドコモやauのスマホのデータに基づいて、人出が何割減ったとか増えたとか言っていますが、それはただドコモユーザーやauユーザーの行動(しかも、電源をONにしてスマホを持ち歩いている人の行動)に過ぎません。しかし、そんなスマホユーザーのデータによって、私たちの行動が縛られているのです。それどころか、多くの人たちは、生活を破壊され、破産か自殺かの状態にまで追い詰められているのです。もっとも、専門家会議は、今までもその都度「指針」や「提言」を変更しています。専門家会議が言う「指針」や「提言」も、所詮は医者特有のご都合主義の所産に過ぎないのです。

しかし、既に「8割削減」は独り歩きをはじめており、小池都知事もバカのひとつ覚えのようにそれをくり返しています。休業要請に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”も、国道での検問も、県外ナンバーに対するチェックや嫌がらせも、観光客を迷惑扱いする各地の観光地も、奥多摩の自警団も、野口健や山岳団体の登山自声明も、すべて「8割削減」をカルト的に解釈したからにほかなりません。戦前の隣組や国防婦人会と同じように、既に「8割削減」が暴走しはじめているのです。

米山氏が書いているように、私たちの生活様式は緊急事態宣言以前のレベルで充分だったのです。そのことを実効再生産数の数値が示しているのです。つまり、あえて挑発的な言い方をすれば、休業要請に従わないパチンコ店の判断の方が正しかったのです。

たしかに、休業要請に従わないパチンコ店でクラスターが発生したという話は寡聞にして聞きません。パチンコ店自体も、間を空けて行列を作るように呼び掛けたり、機械や店内をまめに消毒したり、客にマスクを配ったり、入店の際検温をしたりと、感染を防止する工夫をしているようです。私も仕事の関係で週に2日程度都心を走る電車に乗っていますが、パチンコ店の「密」より通勤電車の「密」の方がはるかに問題でしょう。パチンコ店のお客より、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」の方がはるかに「危ない」でしょう。

もちろん、世の中には、感染防止の知識も意識もない「どうしようもない人間」も一定数存在します。そんな人間には近寄らないようにすればいいだけです。たとえば、三人掛けで真ん中の席が空いた電車の座席に座っていると、中にはラッキー!と言わんばかりに真ん中の席に座ってくる人間がいますが(たいていスマホ中毒のような痴呆的な若者ですが)、その際は立ち上がってドアの横にでも行くようにしています。そういう自己防衛をすればいいだけの話です。

一方で、専門家会議は、先の報告書の内容とはあきらかに矛盾する「新しい生活様式」なるものを提唱しているのですが、そこにも戦前と同じような「もうあと戻りできない」イケイケドンドンのカルト的解釈の暴走があるように思えてなりません。

NHK 特設サイト 新型コロナウイルス
専門家会議「新しい生活様式」の実践例

ワクチンが開発されるまで、専門家会議が提唱する「新しい生活様式」を実践していたら、街の商店主だけでなく、国民の半数は破産か自殺するしかないでしょう。私たちは、「書を捨てよ街に出よう」と言った寺山修司ではないですが、マスクをつけて街へ出るべきなのです。そういった自己防衛と自己判断の「新しい生活スタイル」を身に付けるべきなのです。そして、観光施設や宿泊施設が充分な感染対策をしているかどうかを見極めつつ、観光地にも出かけるべきなのです。県外客はお断りという自治体や観光協会の(小)役人的発想=事なかれ主義に対しては、宿泊施設などがもっと抗議して、みずからに下される“死刑宣告”を撤回させるべきなのです。「座して死を待つより、出て活路を見出す」(諸葛孔明)べきで、休業要請に応じないパチンコ店のバイタリティとしたたかさをもっと見習うべきなのです。そうやってワクチンの開発や「集団免疫」の獲得まで、新型コロナウイルスと共生して生きて行くしかないのです。

米山氏は、終息までの長い道程を生きるためには、「合理的思考」が必要だとして、次のように書いていました。

(略)専門家会議の報告書によって示された客観的なデータと事実から合理的に考えれば、私は、①「国の共通目標」をReに改め、②迅速にReを推計・発表する体制を整え、③症状のある人には迅速にPCR検査を行って症状に応じて直ちに療養・治療できる体制を構築した上で、④継続的にRe<1.0である事が確認された地域から順次「行動変容」の緩和を進め、4月上旬程度の「自粛」「感染症対策」を継続しながら、経済・社会活動を再開し、「今迄の生活様式」を取り戻すこと――が、最も合理的な政策であると思います。

2020.05.09 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、九州の友人から電話があり、経営する店に配達に来たおしぼり屋から「近所の○○マンションに、東京から来た人間が入り込んでいるそうですから気を付けた方がいいですよ」と告げられたと話していました。

友人が住んでいるのは国内でも有数の温泉地なので、リゾートマンションが多く、おしぼり屋は、リゾートマンションにコロナ禍を避けた人たちが「避難」して来ているのをそう触れ回っているのでしょう。ハイカーに「恐怖を覚える」奥多摩の年寄りや四国の山奥の村の騒動を誰も笑えないのです。

その街では、市営温泉の駐車場にやって来る車のナンバーを市の職員がチェックして、県外から来た客の入浴を断っているそうです。平均年収634万2792円の職員たちが毎日、市営温泉の前に立ってそんなことをやっているのです。

私は、その話を聞いて、「国際観光温泉文化都市」を名乗っていたのはどこの誰だと言いたくなりました。でも、もうなりふり構っていられないのでしょう。

田舎では、感染者が出ると、どこの誰だという噂がすぐ流れるのだそうです。さらに、噂には尾ひれが付き、感染者が若い女性だと一時は「阪神の藤浪と合コンした」と言われるのが定番だったとか。「集団ヒステリー」どころか、完全にとち狂っているのです。中世の「魔女狩り」も遠い昔の話ではないのです。

昨日の緊急事態宣言延長に際しての安倍首相の記者会見について、TBS系列の「はやドキ!」でコメンテーターの龍崎孝氏は、安倍首相が言っていることは何が言いたいのかよくわからなかった」「どうしてわからなかったのかと言えば、今までの政府の感染対策が失敗したからです。そして、経済が持たなくなったので、軌道修正することにしたからです。それを認めないで(ごまかそうとするので)、わかりにくい話になるのでしょう」というようなことを言ってました。

でも、今朝の新聞各紙は、そういった視点は皆無です。どこも政府が提唱する「新しい生活様式」なるものを詳細に解説しているだけで、政府の”広報機関“としての役割に徹しているかのようです。

日本だけがいつまで経ってもPCR検査数が極端に少なく(桁違いに少ない)、日本の「独り負け」と言われるほど感染対策が遅れている一因に、メディアのテイタラクがあります。メディアが、「権力の監視(チェック)」という本来の役割を放棄して”大本営発表”を垂れ流すだけなので、無能な政府の場当たり的な対策に国中が振り回されることになっているのです。緊急事態を錦の御旗に、すべてのメディアがフジサンケイグループ化=翼賛化しているのです。

専門家会議の方針は、徳洲会の徳田虎雄氏が指摘したような医者特有のご都合主義の所産に過ぎません。徳田氏が9歳のとき、3歳の弟が激しい下痢と嘔吐を繰り返し脱水症状を起こしたため、母親に言われて、真夜中に島の医者のもとへ走り往診を頼んだけど、医者は腰を上げてくれなかったそうです。そして、翌日、弟は息を引き取ったのです。徳田氏は、「弟の死がなかったら、僕は医者にならなかった」と自著(『ゼロからの出発 実現できない夢はない』)で書いていました。

自分の病院を持ってからは、「生命(いのち)だけは平等だ」という理念を掲げ、1年365日24時間の受入れを実践し、患者からの心付けを断り、差額ベット代も取らないという、徹底した患者本位の医療を貫いたのでした。そのため、既得権益を守ろうとする日本医師会と激しく対立することになったのですが、そのときも日本医師会は、今と同じように、徳洲会のようなやり方をすると日本の医療が崩壊すると言っていたのです。「医療崩壊」というのは、いつの時代も彼らの常套句=脅し文句なのです。

各地の医師会が反対した徳洲会の病院は、「医療崩壊」どころか、今や地域医療の中核を担う病院として、地域の開業医や自治体から高く評価されているのです。それだけでなく、徳洲会は、鹿児島や沖縄の島嶼部に、選挙がらみだという誹謗中傷を浴びながら、次々と「大規模病院」を作り、「多くの人が目を背けてきた離島医療の相当部分を(略)担ってきた」(青木理『トラオ』)のでした。だからこそ、東大や京大などで学生運動を経験した若くて優秀な医師たちが、徳洲会に理想の医療を求めて、政治信条の垣根を越えて集まり、徳洲会の医療の屋台骨を支えたのでした。

今回の新型コロナウイルスでも、専門家会議をはじめ、国の感染対策に日本医師会の意向が強くはたらいているのはたしかです。そして、それが日本の感染対策に遅れをもたらすことになったのではないかという疑念さえ抱かざるを得ません。現に、PCR検査さえ受けることができず自宅で様子を見るように言われて、徳田虎雄氏の弟と同じように、”無念な死”を迎えた患者も多くいるのです。生命も医療も平等ではないのです。

日本のPCR検査が諸外国に比べて極端に少ないのも、保健所を検査の窓口にして、生活保護などと同じように”水際作戦”を行ったからですが、そのために、岡江久美子の例をあげるまでもなく、失われなくてもいい命が失われることになったのです。「医療崩壊」したから犠牲になったのではありません。「医療崩壊を防ぐため」に犠牲になったのです。日本は外国に比べて、検査数も患者数も10分の1以下なのに、「医療崩壊」の懸念だけが声高に叫ばれているのです。しかし、メディアは、「保健所の職員は大変」「身を削って仕事をしている」というような、愚にも付かない情緒的な報道を繰り返すばかりで、問題の本質を見ようとしません。

そんな不条理で狂った世界の中で、個人的に一時(いっとき)の慰めになったのは、ローリングストーンズが6年ぶりにシングルをリリースしたことでした。しかも、新曲は、「Living In A Ghost Town」(ゴーストタウンに生きる)という曲名が示すように今の都市のロックダウンを歌ったものです。

70代半ばの「高齢者」なのに、何とカッコいいんだろうと思います。こんな時代だからこそ、よけいローリングストーンズと同時代に生まれた幸せをしみじみと感じるのでした。

https://youtu.be/LNNPNweSbp8


2020.05.05 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、ロシアで3日、一日の新型コロナウイルス感染者が10633人発生したというニュースがありました。ちなみに、ロシアの感染者数の累計は、134687人で、死者は1280人だそうです。

私は、このニュースを聞いて、語弊があるかもしれませんが、羨ましいなと思いました。一日の感染者が10633人も発生したということは、それだけPCR検査をしているということなのです。日本は一日の検査数が7〜8千くらいなので、一日の感染者数が1万人を越すなど、最初からあり得ないのです。

にもかかわらず、日本のメディアは、ロシアは大変だ、日本はまだマシだみたいな言い方をしています。前には韓国に対しても、アメリカに対しても、イタリアに対しても、フランスに対しても、同じようなことを言っていました。

そのくせ、自粛だけは厳格で、自粛を守らない人間に対するバッシングはエスカレートするばかりです。感染の実態は隠ぺいされ、現在どの程度の感染状況にあるのかさえわからないのに、いつの間にか自粛が自粛でなくなり、自粛が絶対的なもの、破ってはならないものになっているのでした。

それどころか、感染=悪のように言われ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。四国の村で、感染者が出たという噂が流れたら、村中がパニックになり、どこの誰だと村役場に問合せの電話が殺到したというニュースがありましたが、それは四国の村だけでなく、日本中で大なり小なり見られる光景です。

自粛要請や休業要請は、要請ではなく強制のようになっているのでした。しかし、要請する側は責任を持ちません。雀の涙のような「協力金」で泣き寝入りさせられるだけです。そのため、要請に従った従順な小売店や飲食店は苦境に陥り、破産か自殺かの状態にまで追い詰められているのです。一方で、要請に従わないパチンコ店は、メディアが動員する「オレたちが我慢しているのに、どうしてあいつらだけ勝手なことをしているのか」という世論=“自粛警察”の標的にされ、文字通り非国民扱いされるのです。そうすることで、いっそう自粛が国民を縛る実質的な命令と化すのでした。自粛に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”が、国民に対する無言の圧力になっているのも事実でしょう。

さらには、新宿や渋谷など都心の繁華街から地元の商店街や公園へ、パチンコ店から千葉や湘南の海や奥多摩や丹沢の山へと自粛の網は広げられていったのでした。

メディアは、このゴールデンウイークも、新たな獲物を求めてヘリコプターを飛ばし、今度はゴルフ練習場の様子を空から映して、ここにもパチンコ客と同類の人間たちがいるかのように世論=“自粛警察”を煽っていました。これが「ファシスト的公共」でなくてなんだろうと思います。

先日、朝日新聞は、「『コロナ自警団』はファシズムか 自粛要請が招いた不安」という甲南大学の田野教授のインタビュー記事を掲載していましたが、私は、その記事を読んで「よく言うよ」と思いました。そういった「ファシスト的公共」を招来しているのは、朝日新聞などのメディアなのです。

朝日新聞デジタル
「コロナ自警団」はファシズムか 自粛要請が招いた不安

おととい、朝日新聞は、栃木県の男体山に単独で登山していた男性が道迷いで遭難して、栃木県防災ヘリで救助されたという記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
入山禁止の栃木の山で遭難 川崎の25歳、ヘリで救出

如何にも「ここにも自粛破りの不心得者がいるぞ」という感じの記事です。案の定、記事はYahoo!ニュースに転載され、ネットの「コロナ自警団」の恰好の餌食になったのでした。

先月の25日には、八ヶ岳で遭難した男性を長野県警の防災ヘリが救助したものの、男性が新型コロナウイルスの感染の疑いが発覚したため、救助した隊員10人が一時自宅待機になったというニュースがありました。これもネットで「それ見たことか」と拡散され炎上したのでした。

男性はその後陰性とわかったそうですが、どうして感染の疑いが持たれたのか、不可解な点も多いのです。ところが、このニュースが、野口健をはじめ登山家や、山岳団体や山関連の商業メディアなどが登山自粛を呼びかける格好の口実になっているのでした。

私は、別に山に行きたいから言うのではありませんが、こういった事故はとりたてて取り上げるほどもない普段でも「よくある話」です。今の状況でも、交通事故だってあるでしょう。公園で遊んでいたり、ジョギングをしていて怪我をすることだってあるでしょう。それで、新型コロナウイルスの対応で忙殺されている医療機関に迷惑をかけるという言い方は、単なる言いがかり、こじつけとしか思えません。特殊な事例を針小棒大に言い立てて、私権制限の口実にするのは、ファシスト的権力の常套手段です。

25日の週末には、北アルプスや八ヶ岳の登山口で、長野県の関係者が入山者をチェックしていたそうですが、そういった地元自治体の“検問”と遭難者に感染の疑いがかけられたことは、何か関係があるのではないか。そんな穿った見方をしたくなります。遭難した男性が一罰百戒のスケープゴートにされたということは、ホントにないのでしょうか。

男体山の記事では、「登山禁止の山に登った」というような書き方をしていましたが、登山自粛がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。こういったニュースは、まさに休業要請に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”と同じ手法です。

そもそも私は、どうして「密」とは対極にある登山が「禁止」なのか、未だに理解できません。まして、私は、このブログを読んで貰えるとわかりますが、人の多い山を避けてひとりで山を歩くのが好きな、もともと「密」とは無縁な人間なので、よけい理解に苦しむのです。山に行くのに利用する電車やバスが「密」になると言いますが、それは週末のホリデー快速おくたま号のような話で、平日の下り電車は上りの通勤電車などに比べればはるかにマシです。「密」にならないように、個人個人が気を付ければいいだけの話です。それも言いがかり、こじつけとしか思えません。

いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、ネットには、登山道で「こんにちわ」と挨拶する際に唾が飛ぶので危険だというような書き込みがありました。メディアや登山家や山岳団体が言う「登山禁止」の理由も、そんなネットのおバカな書き込みと大して変わりがないのです。

公園やスーパーに行くより山の方がどう見ても「安全」です。商店街を歩くより山の中を歩く方がはるかに「安心」でしょう。相部屋が常識で、混んでいるとひとつの布団を複数で使用するような山小屋が「密」であるのは事実ですが(だから山小屋には泊まりたくない)、山小屋はとっくに休業していますので、「密」な山小屋は利用しようにも利用できないのです。

ましてや、近場の奥多摩や丹沢にハイキングに行くのに何の問題があるというのでしょうか。地元の自治体が駐車場を閉鎖したり登山口を通行止めにしてハイカーを締め出すのは、異常と言うしかありません。ホリエモンならずとも「集団ヒステリー」ではないかと言いたくなります。麓の町の年寄りが「恐怖を覚える」というのも、自治体やメディアが年寄りの無知に付け込みそう仕向けているだけです。「恐怖」を与えているのは、ハイカーではなく自治体やメディアなのです。

野口健のような登山家や山岳団体などが、国家の要請に無定見に従って、「登山禁止」の世論作りに手を貸しているのもまったく理解できません。彼らはネットの“自粛警察”と同じで、ただお上の言うことに従うという意識しかなく、それ以外は何も考えてないのでしょう。要するに、みんなが自粛しているので自粛すべきだと言っているだけです。「山屋」(野口健)だなんて片腹痛いのです。登山愛好家は、獅子身中の虫である彼らに対して、もっと怒りの声を上げるべきでしょう。

エベレストに登ったからと言って、登山愛好家を代表するようなもの言いはやめて貰いたいと思います。竹中労は、「分をわきまえず偉ぶる芸人」は嫌いだと言ったのですが、「分をわきまえず偉ぶる登山家」は迷惑なだけです。

新型コロナウイルスが私たちに突き付けているのは、自由か独裁かという古くて新しい問題です。「やっぱり自由は尊い」「自由であることは幸せなことだ」と考えるのか、それとも「やっぱり強制が必要だ」「専制的な権力の方が効率がいい」と考えるのか、今、私たちは、民主主義に対する見識を問われているのです。
2020.05.04 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
案の定と言うべきか、緊急事態宣言が延長されることがほぼ決定しました。今日開かれる専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)が、あと1ヶ月延長するという政府の方針に沿った提言を出すのは間違いありません。そういった型どおりの“お墨付き”を得て、週明けに安倍首相が正式に発表する予定だそうです。治療法もワクチンもない中で「集団免疫」を獲得するには、経済活動を止め、社会的に多大な犠牲を強いて、時間稼ぎをするしかないのでしょう。

しかし、何度も言いますが、「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」と言っても、それで新型コロナウイルスの感染が終息するわけではないのです。メディアもそういう幻想を振り撒いていますが、それが終息とは別の話だということくらいシロウトでもわかります。

人口の60%だか70%だか、それ以上だかわかりませんが、多くの人たちに抗体ができて「集団免疫」を獲得し、ウイルスと共生の道を歩みはじめなければ終息したことにはならないのです。言うまでもなく、抗体はウイルスに感染して初めてできます。当然、それには死や重症化のリスクが伴います。感染しないで(疑似感染で)抗体を作るには、ワクチンしかありません。

政府や専門家会議が言う「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」という感染防止策は、如何にももっともらしい数理モデルで装飾されていますが、しかし、なんと原始的でなんとまわりくどくいやり方なんだろうと思います。昨日までAIだとかビッグデータだとか顔認証だとか電子政府だとか自動運転だとか言って、デジタル万能の“バラ色の未来”を語っていたのがウソのようです。

そもそもまともにPCR検査もせず市中感染率さえ把握していない状態で数理モデルなど成り立つのか。ホントに「人との接触を8割減らす」ことなど可能なのか。もしかしたら、私たちは、充分な科学的な検証がなされてない”トンデモ科学“のようなもので、多大な犠牲を強いられているのではないか。シロウトながら疑問は尽きません。

1億分の1メートル(つまり、100億分の1センチ)の微細な、細胞さえ持たない(従って自己増殖もできない)、生物と非生物の間にあるようなウイルスに、生物の最上位にいたはずの私たち人類は翻弄され、生存を脅かされているのです。AIもビッグデータもなんの役にも立たないのです。これが自然のシッペ返しでなくてなんだろうと思います。

前も書きましたが、休業要請に従って休業した店の貼り紙には、「5月6日まで」とか「当分の間」という表現が多くありました。

緊急事態宣言を真に受けたということもあるでしょうが、それだけでなく、そこには「そうあってほしい」という願望も込められていたに違いありません。

昨夜のニュースで言っていましたが、どこかのシンクタンクが行った「自己資金はどのくらい持ちこたえられるか?」というアンケートによれば、「1か月」と「2ヶ月」と答えた企業が、全体の20%弱もいたそうです。つまり、20%弱の企業は、緊急事態宣言の延長で倒産の危機に立たされる可能性があるのです。もっとも、アンケートには大企業も含まれていますので、中小企業に限定すれば、さらに割合は高くなるでしょう。まして、個人経営の店などは、いつ立ち行かなくなってもおかしくないほどに追いつめられているはずです。

もちろん、地方と東京など都市部では、事情が違うのは言うまでもありません。いちばんの違いは家賃です。家賃があるかどうか、また、家賃の金額によっても、深刻の度合いには大きな差があるはずです。東京都内で、高い家賃を払って商売をしていた個人商店が、これからさらに1ヶ月、持ちこたえて行くのは至難の業ではないでしょうか。

それに、1ヶ月後に緊急事態宣言が解除されたとしても、「集団免疫」が獲得されてない限り、第二波・第三波の感染爆発に見舞われるのは明らかなのです。あと1ヶ月で終わるわけではないのです。

10万円の個人給付も然りです。給料も下がっていないサラリーマン家庭は、家族分も含めて30万円も40万円も”臨時ボーナス“を貰えるので「ラッキー!」という感じでしょう。一方で、都会のアパートでひとり暮らしをしながら、非正規の仕事で糊口を凌いでいるような人たちは、10万円なんて家賃の支払いですぐ消えていくでしょう。食費だけでなく家賃も貧困のバロメータなのです。都会に住んでいる下層の人間ほど、家賃の負担が大きく、生活に重くのしかかっているのです。

10万円の「特別定額給付金」の支給を含む補正予算が30日に成立したことに伴い、青森かどこかの町で、さっそく10万円の給付が行われたというニュースがありましたが、その中で町の職員から10万円の現金を受け取ったお年寄りは、テレビカメラの前で、「ありがたいです。年金の支給が来月なので、助かります」と言っていました。

私も田舎の出身なのでわかるのですが、田舎の生活は家賃がいらないし、物価も安いので、10万円もあれば、年寄りが2ヶ月くらい暮らすことも不可能ではありません。でも、都会だとそうはいきません。田舎であれば低年金でもなんとか生きていけますが、東京などでは行政からの援助がなければとても生きていけません。

与野党が一致して求めた「一律給付」は、ポピュリズム政治の最たるものと言わざるを得ません。今求められているのは、収入が下がってなくて、そんなに大きな打撃を受けてない人たちは我慢して、その分を給料が下がったり職を失ったり、売り上げが落ちて苦境に陥ったりしている人たちにまわすという、相互扶助の考えでしょう。それを主張する政党がいない現実には失望感しか覚えません。

新型コロナウイルスによって、いろんな人の本性や本音があきらかになった気がします。リベラルだと思われていた政治家や知識人が、実は薄っぺらなリベラル思想しか持ってなくて、なんのためらいもなく“自粛厨”に変身していく姿を、嫌と言うほど見せつけられました。彼らが語っていた自由や平等や平和もGoogleやアップルの信奉者が言う“バラ色の未来”と同じような、独りよがりで空疎な観念の産物にすぎなかったということなのでしょう。
2020.05.01 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
感染症と文明



私たちは、科学の進歩によってあたかも万能の力を得たかのように錯覚し、自然に対してもいつの間にか傲慢になっていたのです。しかし、相次ぐ大震災によって、その傲慢な考えを打ち砕かれました。特に東日本大震災では、科学的進歩の象徴とも言える原発の事故による未曽有の被害まで招き、自然から大きなシッペ返しを受けたのでした。

そして、今度は新型コロナウイルスによって、再び手ひどいシッペ返しを受けているのです。

山に登るとわかりますが、自分の足で登ると、わずか数百メートルの道でさえ息が上がり、ときどき足を休め息を整えなければ登ることができません。でも、自動車だと数百メートルなんてあっという間です。ハンドルさえ握っていれば、ガムを噛み鼻歌を歌いながら登ることができるのです。

野生動物に対しても同じです。熊と遭遇しても、登山中であれば足が竦んで、なるべく目を合わせないようにして、そっとその場を離れ、ときには今まで苦労して登って来た道をまた下らなければなりません(私自身、その経験があります)。でも、車だと、「あっ、カワイイ」なんて言いながらカメラを向ける余裕があります。クラクションを鳴らせば、熊もあわてて逃げるでしょう。熊に対する認識も全然違ってくるのです。

私たちは、自然の一員でありながら、自分が自然に対して如何に非力なのか、小さい存在なのか、ということをいつの間にか忘れていたのです。それではシッペ返しを受けて慌てふためくのも当然でしょう。

『感染症と文明』(岩波新書)の中で、著者の山本太郎教授は、感染症の起源は野生動物の家畜化にあると書いていました。

野生動物の家畜化は、動物に起源をもつウイルス感染症をヒト社会に持ち込んだ(略)。天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌに起源をもつ。いうまでもないことだが、これらの動物は、群居性の動物で、ヒトが家畜化する以前からユーラシア大陸の広大な草原で群れをなして暮らしていた。
(略)
家畜に起源をもつ病原体は、増加した人口という格好の土壌を得て、ヒト社会へ定着していった。専門的な言葉で言えば、病原体は新たな「生態学的地位」と獲得した、ということになる。


そして、ウイルスも人間と共生すべく変異をくり返していくように、人間もまた、ウイルスと共生するために抗体を獲得するのです。それが免疫です。

また、人間と共生したウイルスは、新たなウイルス(病原体)の侵入に対して、ときに防御する役割も担っているそうです。そのため、ウイルスを根絶することは、人類にとって逆にリスクをもたらすことにもなりかねないのです。

病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた「適応」といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対して中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものになる可能性がある。
(同書)


一方で、「いつの時点においても、達成された適応は、決して『心地よいとはいえない』妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえない」とも書いていました。発症するまでの期間が長くなり、その期間が人間の寿命を越えると、ウイルスは「無毒化された」ことになるのですが、しかし、それも一筋縄ではいかないということなのでしょう。

とまれ新柄コロナウイルスの感染拡大を終息させるには、「集団免疫」しかないという考えも、ウイルスとは共生するしかないという感染学の“常識”に基づいたものなのです。

しかし、感染者がゼロになったという中国も、もちろん、中国に対抗して経済活動の再開を手探りではじめたアメリカも、まだ「集団免疫」を獲得していません。世界で「集団免疫」を獲得した国は、1022万人と人口が少なく、その意味では「集団免疫」を獲得しやすかったスウェーデンだけです。そのスウェーデンにしても、最新の情報では、感染者が19621人、死者が2355人の犠牲を払っているのです。

これから「集団免疫」を獲得するまで、第二波、第三波の流行がやって来るのは間違いないでしょう。

山本教授によれば、スペイン風邪では、「多くの地域で、第一波の流行より第二派の流行で致死率が高く、第三波で再び致死率が低下した」そうです。自然は、私たちにシッペ返しという大きな試練を与えているのです。

また、生物学者の福岡伸行氏も、朝日新聞の特集記事の中で、「ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない」、共生するしかないと言っていました。

ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

 その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。

 いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。

朝日新聞デジタル
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡


もちろん、個人的には新型コロナウイルスの感染は「怖い」のですが、しかし、無定見な”自粛厨”(煽られるアホ)にならないためにも、ただ怖がるだけでなく、このようなウイルスに対する客観的な視点を持つことも大事ではないかと思いました。

※タイトルを変更しました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
沖縄の玉城デニー知事が、航空会社の予約によれば、このゴールデンウイークで沖縄に来る予定の人が6万人もいるとして、旅行のキャンセルを求めたというニュースがありました。玉城知事は、ツイッターで呼びかけたほか、27日には記者会見でも、あらためてキャンセルを求めたのでした。

メディアによれば、4月29日から5月6日までのゴールデンウイーク期間中の沖縄便は、「日航グループでは約2万7千人(昨年比18%)、全日空で約2万3千人(同10%)で、計約5万人の予約がある」(朝日)そうです。玉城知事の呼びかけは、その数字を踏まえてのものだったのでしょう。

しかし、当初から玉城知事の発言を疑問視する声がありました。6万人というのは、往復便の合計数なので、単純に考えても来沖の人数は半分の3万人です。しかも、これはあくまで予約にすぎず、キャンセルの手続きをしていない予約客も多いので、最終的にはもっと少なくなるだろうと言われていました。

すると、案の定、赤羽国交相は28日の閣議後の会見で、「県外から沖縄への予約者は27日時点で約1万5千人になったと説明した」(朝日)そうです。これも往復便の合計数でしょうから、実際の来沖数は7千5百人以下でしょう。もちろん、その中には、仕事で来る人も、帰省する人もいるでしょう。

玉城知事は、呼びかけに際してあきらかに数字を盛っているのです。もしそれがわかってなくて発言したのだとしたら、緊急事態宣言&自粛ムードの中で、完全に浮足立っていると言えるでしょう。さらに、玉城知事は、会見では、東京都の小池知事が提唱した「STAY HOME 週間」という言葉まで使ってキャンセルを呼びかけていたのでした。まるで小池都知事に右へ倣えしたかのようです。

感染者数のコントロール(情報操作)と同じことが、いろんな分野で行われているのです。それは、リベラル派の知事も例外ではないのです。と言うか、リベラル派もその片棒を担いでいるのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、立憲民主党の特措法改正案賛成と軌を一にしていると言えるのかもしれません。そうやって、家にいること以外はことごとく自粛に反するとして指弾される異常な空気が作られているのです。

何度も言いますが、海や山に行くことにどうして地元民が「恐怖を感じる」のか。この前まで彼らは、観光客相手に特産品や食べ物を売って小遣い稼ぎをしていたのです。それが途端に「恐怖を感じる」ようになり、まるで石を持って追い払うように観光客を敵視しているのでした。

そのうち、地元民が自警団を作って、(岡山県のように)検問をはじめるかもしれません。

一方で、玉城知事のような薄っぺらな政治家やメディアがそれを煽っているという側面も見逃せないでしょう。

ゲーブルカーも運休し茶店も閉まった閑散とした高尾山の参道で、徒歩で登ってきたハイカーに向けてマイクを突き付け、「どうして高尾山に来たのですか?」「どうして自粛できないのですか?」と問いただすメディアの異常性。しかし、その異常性を指摘する声は皆無です。メディアは、そうやって「オレたちが家で我慢しているのに、外を出歩く奴は許せない」という大衆の負の感情を煽っているのです。

昨日会った同郷の人間は、先週、田舎の父親が亡くなったそうですが、葬儀にも帰ることができなかったと言っていました。田舎の親戚から「東京から帰って来ると、田舎の人たちに迷惑をかける」と言われたのだとか。それに、飛行機も1日1便に減便されているので、チケットを取るのさえ難しいと言ってました。

そのため、事情を知った葬儀会社が葬儀の模様をLINEの動画で送ってくれたそうです。彼は、スマホの画面を見ていたら涙が出て仕方なかったと言っていました。

自粛要請に従って休業したものの、満足に補償も得られないので生活も立ち行かなくなり、決してオーバーな話ではなく、破産か自殺かの選択を迫られている自営業者も少なからずいます。それを考えれば、未だに営業しているパチンコ店は「最後まで抵抗をしている気骨のある店」と言えなくもないのです。「従業員の雇用を守るため」という理由もウソではないでしょう。パチンコ店で働いている人たちは、不安定な身分の雇用形態の人が多いので、休業したら途端に職を失い路頭に迷うことになるのです。

店名公表に対して、パチンコ店は「行政による集団リンチだ」(朝日)と反発していたそうですが、誰が見てもそうでしょう。しかし、その危険性を指摘する人間もいないのです。言えない空気があるからです。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない」と反対したのが保守派の三浦瑠麗だけというのも異常です。三浦瑠麗の発言は、至極真っ当でした。

三浦氏は24日、ツイッターで「パチンコは騒がしいので普段から好きではありませんが、見せしめのような店名公表には反対です」と言及。「自粛なんだからあくまでも基本自由であるということを原則として頭においていただきたい。行政が電凸を誘う社会的圧力をかけるべきではないし、潰れて労働者がクビになったら責任を取れるのでしょうか」とした。

続くツイートで「コロナ禍は好ましいものと好ましくないものに人の心のなかで差をつけさせる。望ましくない業態、望ましくない職業。休業して持ち堪えることできない場合、要請にとどまるあいだは営業は自由だと思う」と指摘。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない。法治国家はそれをすべきでない」と訴えた。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
三浦瑠麗氏が要請応じないパチンコ店施設公表を批判


横浜の旭区で、物件の内覧に訪れたアパートの室内で、不動産会社の女性社員をナイフで刺してカバンなどを奪った犯人は、先月まで大阪の風俗店で働いていたけど、休業要請で職を失ったため、横浜で路上生活をしていたのだそうです。そのため、わずか数千円しか入ってないカバンを奪うために人を刺したのです。これからは、こういった事件も多くなるでしょう。都市の最深部に行けば行くほど、世も末のような荒涼とした光景が広がっているのです。

緊急事態宣言が発令されたら、先の戦争のときと同じように、いつの間にかリベラル派も問答無用の翼賛体制の隊列に並んでいるのでした。そして、みんなで思考停止に陥って、右に倣えして最敬礼しているのです。異論であるはずの野党(リベラル派)が、異論を排する側に立っているのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、そんなヘタレなリベラル派を象徴しているように思いました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
カミュの『ペスト』を読み返したいと思って、本棚を探したのですが、どうしても見つかりません。しかし、アマゾンや紀伊国屋やhontoなどの通販サイトをチェックしましたが、いづれも電子書籍しかなく、紙の本は「在庫なし」でした。

私は、電子書籍をまったく利用してないわけではないのですが、やはり、できれば紙の本で読みたいという気持があります。それで、日販(日本出版販売)が運営する通販サイトに、『ペスト』(新潮文庫)と『感染症と文明』(岩波新書)の2冊を注文しました。そして、注文して1週間近くが経った今日、やっと発送したというメールが届きました。

考えることは誰でも同じみたいで、現在、この2冊はベストセラーになっており、どこの書店も入荷したらすぐ売り切れるそうです。

『感染症と文明』は、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授が2011年に書いた本です。先日、朝日新聞に載っていた山本教授のインタビュー記事を読んで、あらためて著書を読みたいと思ったのでした。

朝日新聞
感染症と社会、目指すべきは「共存」 山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授に聞く

山本教授は、記事の中で次のように言っています。

「多くの感染症は人類の間に広がるにつれて、潜伏期間が長期化し、弱毒化する傾向があります。病原体のウイルスや細菌にとって人間は大切な宿主。宿主の死は自らの死を意味する。病原体の方でも人間との共生を目指す方向に進化していくのです。感染症については撲滅よりも『共生』『共存』を目指す方が望ましいと信じます」
(略)
「従来の感染症は多くの犠牲者を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化を促したが、新型コロナウイルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。感染症と文明の関係で言えば、従来とは異なる、現代的変化と言えるかもしれません」


今回の新型コロナウイルスが、時代的背景こそ違え、ペストと同じように、政治経済や文明に歴史的な変化をもたらすのは間違いないでしょう。後世の歴史家は、ターニングポイントとなった新型コロナウイルスの流行について、ページを割いて詳述するに違いありません。

岡江久美子が死亡したというニュースも衝撃でした。感染だけでなく感染死が他人事ではないことを痛感させられた気がして、テレビで彼女の死が取り上げられているのを観るたびに、重苦しい気分になっている自分がいます。

感染するのは覚悟している、覚悟するしかないなどと言いながら、その先にある死に対しては、目を背けていたところがありました。しかし、芸能人の死によって、その現実を目の前に突き付けられたような気がするのでした。

政府や専門家は、人との接触を8割減らせと言います。そのためには、会社も休め、スーパーに買い物に行くのも3日に1回にしろと言います。

でも、それでホントに感染の拡大は止むのだろうかという疑問は拭えないのです。政府や専門家が言っていることは、どう見ても場当たり的にしか思えません。実際に、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が言っていることも、最初の頃とはずいぶん違って来ているのです。

最近、「集団免疫」とのカラミで、市中感染率の重要性が取り沙汰されていますが、それも多くの人たちが前から指摘していたことです。無症状や軽症の感染者を顕在化しなければ、効果的な感染対策ができないことくらいシロウトでもわかる話です。でも、それすらやってこなかったのです。それが、今のような日本が「独り負け」した状態をもたらしたのは間違いないでしょう。

「人との接触の8割削減」だけがひとり歩きしていますが、そういった(衆愚政治の常套手段の)シングルイシューによって、隠されているもの、ごまかされているものがあるのではないか。私は、あの痴呆的なアベノマスクやアベノ動画が、日本政府の感染対策のレベルを象徴しているように思えてなりません。

埼玉では、白岡市と東松山市で、入院の調整がつかないなどの理由で自宅待機を余儀なくされていた感染者の男性が二人、相次いで亡くなりましたが、その背景に、「病床が満杯になるのを避けるため、(PCR検査の)条件を厳しめにやった」というさいたま市の保健所長の発言が示しているような、事なかれ主義の”小役人的発想(対応)”があるのはあきらかでしょう。

白岡市の男性は、ひとり暮らしだったそうですが、ひとり肺炎の苦しみの中で死を迎えたその姿を想像すると、いたたまれない気持になります。現実は、(トリアージとは別に)既に命の選別が行われているのではないか。そんな疑問すらあります。「人との接触の8割削減」の陰で、大事な問題がなおざりにされているように思えてなりません。

ゴールデンウィークを前に、自治体の首長からは、道路封鎖を要望するような過激な発言も出ていますが、なんだかそうやって問題のすり替えが行われているような気がしてなりません。“非常時”を錦の御旗に、基本的人権などどこ吹く風の風潮がまかり通っているのです。

休業要請に従わないパチンコ店の店名公表も然りです。感染の拡大が一部の不心得者の行動にあるかのようなもの言いは、詐術以外のなにものでもありません。パチンコ店は在日のイメージが強いので、自粛のストレスのはけ口として格好のターゲットになったという側面もなくはないでしょう。

動員の思想によって、大衆の負の感情ばかりが煽られているのです。メディアがその先兵の役割を担っているのです。煽るアホに煽られるアホという言葉しか浮かびませんが、そこに垣間見えているのは、「ファシスト的公共性」(佐藤卓己)を陰画とする自粛の風景です。そして、文字通りの“自粛厨”として、産経新聞から朝日新聞、百田尚樹から玉川徹まで、みんな口を揃えて「ファシスト的公共性」を称揚しているのでした。その点においては、寸分の違いもないのです。
2020.04.25 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今更言うまでもありませんが、自粛により多くの自営業者が苦境に喘いでいます。雀の涙ほどの協力金では、それこそ焼石に水でしょう。中には、協力金が命綱だと言う個人事業主もいますが、それも5月6日まで休業して、そのあとは以前のように事業が再開できると思っているからでしょう。

しかし、緊急事態宣言が5月6日で終了する可能性はほとんどなく、緊急事態宣言の延長はもはや既定路線なのです。

それは地方も同じです。地方の観光地ほどインバウンド頼りだったので、いきなり奈落の底に突き落とされたような感じで途方に暮れているのです。

地元の温泉地で商売をしている友人によれば、夜の街では、このところ金貸しの姿がやたらが目に付くようになった、と顔見知りのポン引きのおばさんが話していたそうです。ポン引きのおばさんたちは、毎夜、路地に立って目の前を行き交う人を見ているので、人の情報や街の変化をキャッチするのが早いのです。つまり、苦境に陥っている自営業者たちが、それだけ高利のお金に手を出しているということなのでしょう。また、10万円の給付も決定したので、それを担保にお金を借りようという人も多いのかもしれません。それで、金貸しが俄然忙しくなったのです。

もちろん、苦境に陥っているのは、ポン引きのおばさんたちも例外ではなく、今月はヘルスに2件紹介しただけで、収入は6千円しかないと嘆いていたそうです。ちなみに、紹介料はヘルスが3千円、ソープは5千円~6千円だとか(ヤクザがやっている店は女性のレベルが高く高級店が多いので、紹介料も高いそうです)。

厚労省の助成金(いわゆる”休業補償金”)では、当初、風俗業などで働く人たちは対象外とされていました。しかし、批判が殺到したため、厚労省は方針を転換して、風俗業や夜の飲食業で働く人たちも対象にすることにしたのですが、ポン引きのおばさんたちのようなブラックな職業の人たちはどうなるんだろうと思いました。

歌舞伎町で風俗業をしていた知り合いも、“休業補償金”をめぐって、早速、闇社会の住人たちがあれこれ知恵を絞っていると言っていました。

もっとも、新型コロナウイルスの感染拡大で、「経済崩壊」の声さえ囁かれる中、日経平均株価がときに大幅上昇する奇妙な現象が示しているのは、今や株式市場が実体経済を離れてマネーゲームの賭場になっているからですが、そうやって日銀がせっせせっせと印刷して株式市場に投入したお札が、得体の知れない(?)外国人投資家の懐に吸い上げられていることを考えれば、数十万円の金額をめぐる闇社会の悪知恵なんてまだかわいいものです。

今夜、インタフォーンがピンポーンと鳴ったので、誰だろうとモニターを見たら、マスクをした女性たちが並んで立っていました。

「どなたですか?」
「あの~、新型コロナについてお話ししたいことがあるので、玄関まで通していただけないでしょうか?」
それで、「おい、お前、なに言っているんだ?」と声を荒げると、「じゃあ、新聞を入れておきますので読んで下さい」と言ってモニターから消えました。

郵便受けに入っていた「新聞」を見ると、カルトで有名な仏教系の新新宗教団体でした。

新型コロナウイルスの感染拡大は、カルト宗教にとっては「広宣流布」のチャンスでもあるのでしょう。

右か左かではなく上か下かで見ると、まさに世も末のような荒涼たる光景が広がっているのでした。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、3週間ぶりに開かれた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で、同会議が提言した「人との接触を8割減らす。 日常生活を見直す10のポイント」なるものを見て、私は「なに、それ」と思いました。

提言なんて仰々しい言い方をしていますが、ここに至っても、そんな子どもに悟すようなことしか言えないのかと思いました。もっとも、この提言は、緊急事態宣言を延長するための”前振り”のように思えなくもありません。

頭隠して尻隠さずのような自粛ばかり押し付けられていますが、ホントに感染の拡大の原因は、自粛の不徹底だけなのでしょうか。一方では、外出の自粛と関係のない、院内感染や家庭内感染の問題が取り沙汰されるようになっているのです。また、都心の繁華街だけでなく、今度は地元の商店街やスーパーや公園などの”密”が問題視されています。なんだか都心から地元へ地元から家庭へと、追いかけっこしているような気がしないでもありません。

挙句の果てには、政府や東京や大阪などの自治体からは、休業要請に応じないパチンコ店などの店名を公表するという話が出ています。いよいよ緊急事態宣言の本性が表れてきたように思えてなりません。こうやって要請が命令になっていくのです。

それにつれ、ネットを中心に、自粛に従わない人間たちに対するバッシングもエスカレートするばかりです。しかも、そのバッシングは感染者にも向けられ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。

前も書きましたが、自粛は人々に大きなストレスを与えます。そのストレスのはけ口が、自粛要請を守らない不謹慎者や「迷惑をかけられる」感染者にぶつけられるのです。これこそファシズムにおける大衆心理の典型的な構造と言えるでしょう。

ヤフコメをはじめネットは、この手の書き込み(罵言)で溢れています。そうやって全体主義に「レイプされた大衆」(セルゲイ・チャコティン)は、まるでファシストたちの”サディズム的快感”をインプットされたかのように「不謹慎者狩り」に走るのでした。まさに歴史は繰り返しているのです。

自治体には、公園で親子連れが遊んでいるので迷惑だというクレームが多く寄せられ、自治体は公園の遊具にテープを貼って使用できないように対策を講じているそうです。また、先週の日曜日には、千葉や湘南の海に多くのサーファーなどが押し寄せたため、地元の住民たちが「恐怖を覚えた」として、地元の自治体は駐車場の閉鎖を決めたそうです。さらに、鎌倉や藤沢や逗子など湘南地区の11自治体は、神奈川県の黒岩知事に対して、「海岸の封鎖や道路を通行止めの措置をとるよう」要望したのだそうです。

こうやって移動の自由という基本的人権も、なんの躊躇いもなくあっさりと否定されるのです。

私が通う奥多摩でも、山梨の小菅村や東京の奥多摩町や檜原村など関係自治体が、登山の自粛を呼びかけ、併せて駐車場や林道の閉鎖を決定したというニュースがありました。

また、それに呼応するように、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟の山岳4団体は、登山の自粛を呼びかける共同声明を発表したそうです。

その共同声明「山岳スポーツ愛好者の皆様へ」は、次のように呼びかけていました。

(略)全国民が、外出制限、商業施設の相次ぐ閉鎖あるいは在宅勤務等々、日々逼迫した窮屈な生活を強いられています。このような現況下で、都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高めます。

(略)この緊急事態に対処するには、山岳スポーツを愛する皆様の他者への思いやり、そして何よりご自身の感染防御に専心され、事態の収束を見るまで山岳スポーツ行為を厳に自粛していただきますよう山岳四団体としてお願いいたします。

日本山岳・スポーツクライミング協会
<山岳四団体声明>山岳スポーツ愛好者の皆様へ


先の戦争のときも、おそらく似たような声明が出されたのでしょう。

登山には、「自立した登山者であれ」という言葉があります。人に連れられて行った「山」は山ではない、という言い方もあります。山に登るということは、すべてのリスクを自分で背負うということです。その”覚悟”を持つということです。そのためには、”覚悟”に似合う体力と技術と知識と精神力が要求されるのです。それが「自立」ということです。

誤解を怖れずに言えば、今回の声明は、登山の“自立(孤高)の精神”とは真逆にあるものと言えるでしょう。もちろん、自粛に従わないことが「自立した登山者」であると言いたいわけではなく、山岳団体が、登山者に対して八つ当たりしているとしか思えない地元の要望を受けて、頭から登山者を縛るような声明を出すことに違和感を覚えてならないのです。山岳団体としては、(自粛に反対するのでも従うのでもなく)静観する姿勢があってもいいのではないかと思います。どこかの「頭悪すぎて笑う」登山家とは違うのですから、静観するのもひとつの見識でしょう。

閑話休題、私には、昨日の専門家会議の提言は、自分たちの瑕疵(ミス)を棚に上げて、感染の拡大の責任を国民に押し付ける”詭弁”のようにしか思えません。そして、”詭弁”を”詭弁”と指摘できない今の風潮は、益々日本の「独り負け」を加速させるだけのように思います。自然の猛威である新型コロナウイルスは、原発事故などと違って、日本人お得意のごまかしはきかないのです。

オリンピックや政権の体裁のための初動の遅れ。PCR検査の抑制による感染者の隠蔽。その延長にある政府の場当たり的な対応に唯々諾々と従い、お墨付けを与えるだけの専門家会議。未だに市中感染率さえ把握できてない事態を招いた責任は、専門家会議にもあるでしょう。これでは、ナチスのNSV(ナチス民衆福祉団)と同じようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
私が前々回の記事で書いた渋谷健司氏に対する誹謗は、立憲民主党の有田芳生参院議員もリツイートしていました。

有田議員自身も渋谷氏を毛嫌いしていたみたいで、そのあとも、渋谷氏がWHOの「上級顧問」であるというのはまったくの嘘だ、履歴詐称だという別の人物のツイートもリツイートしていました。それは、次のようなものです。


ところが、このツイート自体がデタラメだったのです。指摘した人物によれば、WHOのHPを検索したら「0.01秒」で渋谷氏の名前が出てきたそうです。

しかし、有田議員は、あろうことか指摘した人物を逆に「デマを流している」と決めつけたのでした。そのため、指摘した人物から猛反発を受け、結局、次のような「お詫び」を出す羽目になったのでした。


指摘した人物ならずとも、大丈夫かと言いたくなりました。有田議員の醜態は、特措法改正に賛成した立憲民主党のテイタラクを体現しているような気がしてなりません。

政府の感染対策を批判する専門家に対して、フェイクだと誹謗するツイートを次々とリツイートするその感覚には、ただ驚くばかりです。もっとも、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党の姿勢を考えると、有田議員のリツイートには納得もできるのです。

一方で、今回のトンマな所業には、故・平野謙が指摘した、前衛党神話に呪縛された左翼特有のリゴリズムが垣間見えるような気がしないでもありません。話が飛躍しているように思われるかもしれませんが、そういった思考法は元左翼も無縁ではないのです。

くり返しますが、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるのです。

これが私が二度に渡って、イデオロギーや党派性の”怖さ”について「余談」を書いた理由です。
2020.04.21 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今の自粛一色の空気は、子どもだけでなく大人だってストレスを抱えるものです。わけもなく重苦しい気分になったかと思うと、やたらイライラしたりして、いつもと違うのが自分でもわかります。

私にとっての自粛は、帰省をキャンセルしたことと、それから山に行ってないというか、行きづらくなって山行きを自重していることです(と言っても、まだ10日ちょっとですが)。

実は今日(20日)から九州へ帰省する予定でした。今回の帰省のいちばんの目的は、数十年ぶりに地元の山に登ることでした。子どもの頃、父親と一緒に登った思い出があり、いつかまた登りたいなとずっと思っていたのです。

しかし、先月、田舎の友人から電話があり、今回はやめた方がいいぞと言われ、やむなくキャンセルしたのでした。

おかげでストレス太りして困っています。今日も、久しぶりに会った知り合いから、「太りましたねぇ~」「どうしたんですか?」と言われました。

山に行くのも、自粛の同調圧力に抗すればいいだけなので、行こうと思えば行けるはずなのです。ザックを背負って登山靴を履いて、早朝の電車に乗ればいいだけの話です。帰りの電車では、乗客からの白い目にちょっと耐えればいいだけの話です。前回と同じように寝たふりをすればいいのです。

聞くところによれば、昨日の日曜日は天気も良かったので、ヤビツ峠に行く道は登山客の車で渋滞していたそうです。表尾根や大倉尾根の登山道も、普段の休日と変わらないくらい人でいっぱいだったそうです。そんな話を聞くと、「オレも」と思ったりするのでした。

たしかに、自粛にはアホらしいような建前の一面があります。スーパーに行くと、「ソーシャルディスタンス」なのか、レジの前の床に1メートル間隔(?)にラインが引かれていました。しかし、「ソーシャルディスタンス」は並んでいるときだけで、レジのまわりは狭いので、レジの先にある支払い機で支払いするときは、レジで計算している次のお客や横の支払い機で支払いしているお客と密着しているのでした。

一方、通勤電車の中では、「ソーシャルディスタンス」なんてどこ吹く風で、人々が座席に座ろうと我先に電車に乗り込んできます。また、車両の間を歩いて空いている席を探している乗客もいます。みんな、みずから進んで密着しようとしているのです。

東京都の感染者の年齢構成と自粛後の通勤電車の乗客の年齢構成が重なるという話がありますが、たしかにそうかもしれません。未だ多くの人たちが感染に怯えながら(?)通勤しているのです。だからこそ、誰よりも「ソーシャルディスタンス」を心がける必要があるのです。それが、感染を避けるために自分でできる対策でしょう。しかし、実際はそんな最低限の自衛策さえ取ってない人があまりに多すぎるのです。それが現実なのです。

小池都知事ではないですが、「ソーシャルディスタンス」なんて英語を使うので、みんな、ことばの意味を理解してないのではないかと皮肉を言ってみたくなります。そのくせ隣の乗客が咳をすると、顔をしかめて睨みつけたりするのでした。もしかしたら、そういう人間に限って、ネットで石田純一に罵言を浴びせたりしているのかもしれません。

今日会った旧知の若いサラリーマンは、給与が減っているわけでもないのに、子どもも含めて3人家族なので、今回の10万円給付で30万円もらえると喜んでいました。「ラッキーですよ」と言ってました。また、「同じ会社の人で子どもが4人いる人がいるんですが、その人なんか60万円もらえるんですよ」「自粛が終わったら家族で旅行に行きたいと言ってましたよ」と言ってました。

この10万円給付については、元衆議院議員の杉村太蔵が「強烈な格差を生み出す」として、「大反対」を表明し「炎上」しているそうです。

Yahoo!ニュース
ORICON NEWS
『サンジャポ』国民一律10万円給付に賛否両論 杉村太蔵「強烈な格差を生み出す!」

 杉村は「生活支援策としても景気回復策としても大反対です!  というのも私、今、こうしてテレビで使っていただいている。生活に経済的に影響ありません。うちは家族5人ですから、杉村太蔵に50万円。一方、派遣切りに遭った、収入が半分以下になってしまった、そういう人、派遣の方は残念ながらなかなか結婚できない。1人暮らしの方が多い。こういう方は10万円なんですね。国民全員に配るというのは、公平なようで強烈な格差を生み出すことになる」と主張。


杉村太蔵は、自民党の衆院選候補者公募に応募するまでは、派遣の仕事をしていたそうなので、まだこういった感覚が残っているのでしょう。

非常時になると、意外な人が意外なことを言ったりするものです。反対に、日頃、リベラルなことを言っている人間が、途端に“国家への帰順のすすめ”のようなことを言ったりしてがっかりさせられることがあります。

私たちは、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるでしょう。それは、右や左かのイデオロギーではありません。そんなものはなんの尺度にもならないのです。自由や共生、あるいは平和というものに対して、どれだけ高い見識とデリケートな感性を持っているかでしょう。

前回の記事でも書きましたが、何事もイデオロギーの色眼鏡で見ることしかできないリベラル左派の硬直した観念は、むしろ怖いなと思います。そういうところにもまだ、党派性の悪夢=左の全体主義が生きていることがよくわかりました。
2020.04.20 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
ここに至ってもなお、検査数が抑えられている現状で、感染者数を云々(「デンデン」ではありません)するのはナンセンスのような気がしないでもありませんが、日本の感染者数が韓国を抜くのはいよいよ時間の問題となりました。

◎感染者数 カッコ内は死者数
日本9795人(154人)
※4月18日 午後6時現在 厚労省発表
韓国10635人(230人)
※4月17日 午前0時現在 中央事故収拾本部及び中央防疫対策本部発表

◎新規の感染者数 ※4月18日現在
日本577人
韓国18人


PCR検査は、日本は現在も一日に5千件弱しか行われておりません。安倍首相は、先日の記者会見で、一日に1万2千件行う体制にあると言ってましたが、実態はまるで違います。

マスクも然りです。マスク不足が問題になった2月頃から「来週には十分供給できる」と言ったり、それが過ぎると今後は「来月には」と言っていました。でも、未だに改善されていません。

マスクだけではありません。除菌用品も同じです。ネットで販売されていても、従来の10倍もするような高額なものばかりです(それも予約販売でいつ手に入るかわからない)。

昨夜の「報道特集」(TBS)でもキャスターの日下部正樹氏が嘆いていましたが、マスクや除菌用品など、家庭内で感染対策するのに必要な最低限なものさえ手に入らない状態なのです。不要不急の外出の自粛を呼び掛ける前に、することがあるだろうと思います。

検査を抑制していることについて、最近は感染症学会など一部の医療関係者から、これ以上検査をすると医療が崩壊するという抑制を正当化するイデオロギーが、メディアを通して振り撒かれています。医療関係者お得意の半ば脅しのような話ですが、キングス・カレッジ・ロンドン教授で公衆衛生学者の渋谷健司氏は、下記の『AERA』のインタビューで、医療崩壊と検査は別の問題だと言っていました。

余談ですが、渋谷健司氏は医療の規制緩和を推進しているなどの理由により、立憲民主党に随伴する一部のリベラル左派から毛嫌いされているみたいで、ネットには「こんな人物の言うことを信じる人がいるなんて信じられない」という声さえありました。また、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、渋谷氏が日本には実際に10万人の感染者がいると発言したことに対して、10万人もいればとっくに医療崩壊しているだろうとヤユする声もありました。

言うまでもなく、10万人というのは、無症状や軽症の未検査の潜在的な感染者のことです。それがどうして医療崩壊になるのか。ヤユするにしても、言っていることがあまりにもバカっぽいのです。何度も言いますが、表に出ている感染者以外に、自分が感染していることがわかってない潜在的な感染者が10万人もそれ以上もいると考えても、決しておかしくないでしょう。そういった無自覚な感染者の存在が集団感染や目に見えない感染爆発の要因になっているのです。PCR検査をして、まずそういった感染者を顕在化する必要があるのです。

安倍マンセーのネトウヨ同様、右か左かの色眼鏡で見ることしかできない(そして、自分たちのお眼鏡にかなわなければ総否定する)リベラル左派もまた、この状況の中でトンチンカンな醜態を晒していると言えるでしょう。

Yahoo!ニュース
AERA
WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点

――日本では当初から「検査を抑えて医療態勢を守る」という考えがありました。そもそも、世界の専門家の間でこのような手法はどう評価されているのでしょうか。

検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません。検査を抑えないと患者が増えて医療崩壊するというのは、指定感染症に指定したので陽性の人たちを全員入院させなければならなくなったからであり、検査が理由ではありません。

むしろ、検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状です。

――政府の専門家会議は、機能していると考えていますか。

科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題だと感じています。

先ほど指摘しましたが、4月1日時点で「東京は感染爆発の初期である」と会議メンバーは知っていたはずです。それならばそこで、緊急事態宣言をすべしという提案を出すべきでした。

しかし、この日の記者会見で出てきたメッセージには、国内の逼迫(ひっぱく)した状況を伝えてはいたものの、『我が国では諸外国で見られるようなオーバーシュートは見られていない』といった国民の緊張感を緩ませるような言葉もまぎれていました。


感染対策の遅れによって、日本がアメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のひどい状況になり、「独り負け」するのではないかという指摘もありますが、決してオーバーな話ではないのかもしれません。日本は感染対策で「独自の道」を歩んでいるなどと書いていたバカなメディアがありましたが、そんなおめでたい状況にないことだけはたしかでしょう。

マスクも除菌用品もなくて、ただ外出を控えろと言われるばかりで、ホントに感染の拡大が止まるのか。感染要因はホントに3密だけなのか。検査の抑制と政府の言う「感染の封じ込め」は、一体どんな関係にあるのか。その二つに合理的な関係があるのか。「集団免疫」ができなければ感染は止まないと言われているのに、「感染の封じ込め」はただ「集団免疫」を先送りするだけではないのか。

ワクチンもなく治療法も確立してない中では、とりあえず「感染を封じ込めて」時間稼ぎをするしかないという方針に”三分の理”はあるにしても、このように素人の疑問は尽きないのでした。

専門家の話では、新型コロナウイルスに関しては、ホントに免疫ができるのかどうか、また、免疫ができたとしてもいつまで有効なのか、まったくわかってないそうです。つまり、「集団免疫」という感染症の一般論(常識論)が成立するかどうかもわからないのです。

仮に「集団免疫」が有効だとしても、アメリカでもまだ「集団免疫」は30%くらいしかないという話があります。昨日だか、トランプが、最終的に死者が現在の2倍の6万人くらいになる見込みだと話していたのは、おそらく「集団免疫」の獲得=終息を想定して言っているのでしょう。

しかし、日本は、(検査を抑制してきたので)正確な市中感染率も把握していないため、現在「集団免疫」がどのくらいまで進んでいるのかという客観的な感染状況さえわからないのです。

感染数を少なく見せて「ニッポン、凄い!」を演出(自演乙)する政治的な思惑ばかりが優先されたのです。オリンピックと政権の体裁(支持率)のために、私たち国民の健康がなおざりにされてきたのです。その結果、今のような誰が見ても手遅れの状態を招いてしまったのでした。

国民全員に一律10万円を配るという決定に対しては、国民も野党もこぞって「大歓迎」で、ツイッターでは、森友学園の園児と同じように、「♯安倍首相がんばれ」というハッシュタグがトレンド入りしているそうです。

麻生財務大臣が手を上げた者に給付することになるだろうと発言して反発を受けていましたが、彼の日頃の尊大な態度を見てもわかるとおり、安倍政権の面々にしてみれば、10万円給付は、節分の日に成田山新勝寺の壇上から豆まきするのと同じような感覚なのかもしれません。

麻生財務大臣の言動には、10万円給付に群がる国民の卑しさという彼の本音が出ているように思います。4人家族なら40万円ももらえるのですから、そりゃ卑しくもなろうというものですが、私には、その卑しさはマスクやトイレットペーパーの買いだめの光景とタブって見えて仕方ありません。

自宅待機していても、給料が下がってないサラリーマンも大勢います。公務員も給料は下がってないでしょう。当初の30万円の給付の対象要件があまりに厳しすぎたのはたしかですが、やはり、所得制限をして、その分給付額を20万円にするとか、そういった考えが必要ではないかと思います。ホントに困窮している人たちに少しでも多くのお金が行き渡るような、そんな相互扶助の精神がこの国にはないのかと思います。

電車の中の“席取り合戦”のように、我先に手をあげて10万円の札束を奪い合う光景が目に浮かぶようです。もしかしたら「♯安倍首相ありがとう」というハッシュタグがトレンド入りして、支持率も上がるかもしれません。そして、壇上では安倍や麻生や二階ら安倍政権の古狸たちがふんぞり返って、札束を奪い合う国民を指差しながら高笑いするのでしょう。まるでどこかの独裁国家のようで、衆愚政治ここに極まれりという気がしてなりません。
2020.04.19 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
昨夜のTBS系列の「情熱大陸」に出ていた、ウイルス学者で、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーでもある河岡義裕氏は、新型コロナウイルスについて、「季節性があるのかどうかわらないけど、もし季節性があれば6月くらいに一旦収まるかもしれない。しかし、冬になれば再び感染が再発する可能性がある。何故なら、日本人はまだ感染してない人が多くいるからだ」と言ってました。そして、「ワクチンが開発されるまで最低でも2年かかるので、年単位の戦いになるのは間違いない」とも言っていました。

しかし、赤道直下のシンガポールでも感染が広がったことを考えると、季節性(つまり、暖かくなるとウイルスの感染力が弱まるという性質)についても、楽観視できないように思います。もし、季節性がなければ、今の状態が年単位で続くことになるのです。人口の60~70%が感染して「集団免疫」ができなければ、感染は収まらないという(感染症の)一般論から考えれば、終息まで2年くらいかかるという話に現実味が増します。ましてや季節性があろうがなかろうが、来年のオリンピックなどできるわけがないのです。

日本は、政府がオリンピックのために感染者数をごまかしていたので、統計上は外国に比べて感染爆発がひと月遅く始まっています。そのため、本格的な感染対策もひと月遅れているのです。しかも、検査を抑制していたので市中感染率など感染状況についての客観的で正確なデータがないため、的確な対策を打ち出すことができず、対策が場当たり的になっているのです。そのため、対策専門家会議の見解も二転三転しています。

自粛して人と人との接触を80%減らせばひと月で終息できるという安倍首相の話がひとり歩きしていますが、市中感染率さえ把握できてないのに、その話にどれだけ信憑性があるのか疑問です。

ひと月というのも、あくまで「そうなればいい」という希望的観測に過ぎないように思います。他国の例を見ても、ひと月で終息するなど、とてもあり得ないでしょう。

素人考えでも、終息するにはやはり、ワクチンであれ自然感染であれ、「集団免疫」しか方法はないのではないかと思います。

それどころか、他国に比べて対策が遅れたことを考えると、アメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のリスクが生じる可能性すらあるような気がします。まだ感染者数が1万人にも満たない今の段階でもう医療崩壊が取り沙汰されるくらい、日本の医療インフラは脆弱なのです。そのことも大きな懸念材料でしょう。

既に日本の至るところで感染爆発が起きているのは間違いないでしょう。しかし、検査をしてないので、どこで誰がどの程度感染しているかわからないのです。厚労省が発表するクラスターなるものも、たまたま顕在化した一部の感染をそう呼んでいるだけで、氷山の一角に過ぎないのはあきらかです。感染者数の隠ぺいとそれに伴う対策の遅れは、失政というよりもはや犯罪と言うべきでしょう。

日本人の中には、まだ「自分だけは感染しない」と呑気に構えている人も多いようですが、ゴールデンウィークが終わっても終息せず、緊急事態宣言も延期されたら、そんな「所詮は他人事」の人たちも慌てはじめることでしょう。電車で席取り合戦をしている場合じゃないのです。もちろん、潜行している感染爆発が顕在化すれば、経済が益々深刻な事態に陥るのは間違いなく、それに伴い、政治も大きく揺れ動くでしょう。一方、韓国では新型コロナウイルスの封じ込めにほぼ成功して、総選挙まで行われているのです。既に終息に向かって歩みはじめているのです。この違いはなんなのかと思わざるを得ません。

そんな中、「子どもっぽい」無能なこの国の指導者は、星野源の「うちで踊ろう」とコラボした動画をツイッターにアップして物議を醸しています。外出自粛の呼びかけのつもりなのかもしれませんが、私邸で優雅にくつろぐ動画は、休業要請によって苦境に陥っている自営業者やフリーランスの人たちの神経を逆撫でする、KYどころではない挑発的とさえ言っていいようなシロモノです。この時期に、あんな能天気な動画をアップしている指導者なんて、世界中を探しても彼しかいないでしょう。

かえすがえすも、「子どもっぽい」無能な指導者を持ったことの不幸を覚えてなりません。(夫婦ともども)あまりにもバカすぎて情けなくなります。自身が言う「国難に立ち向かうリーダー」としては、どう考えても能力的に無理があるとしか思えません。無能な独裁者ほど怖いものはないのです。ところが、糸井重里や爆笑問題の太田光は、(安倍首相や政府は)一生懸命やっているのだから、責めるのではなくみんなで協力しようと、“愚民根性”丸出しでハイルヒトラーのようなことを言っています。また、件のツイートにも30万の「いいね」が付いているそうです。お粗末なのは指導者だけではないのです。
2020.04.13 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
「田中宇の国際ニュース解説」に、各国のPCR検査数が出ていました。

田中宇の国際ニュース解説
日本のコロナ統計の作り方

イギリスのオックスフォード大学などの研究者が作ったサイトによれば、4月5日~8日時点での各国の累計検査数は、以下のとおりだそうです。

米国219万
ドイツ132万
イタリア81万
韓国47万
カナダ36万
豪州32万
トルコ25万
英国23万
スイス17万
オーストリア12万
ノルウェー11万
ベトナム11万
日本4万6172件
(4/6現在)

また、人口千人あたりの累計検査数は、次のようになっているそうです。

アイスランド90
バーレーン31
ノルウェー20
スイス20
エストニア19
米国6.6
イタリア13.6
ドイツ15.9
韓国9.1
英国3.5
日本0.36


これを見ると、日本の累計検査数は韓国の10分の1で、千人あたりの累計検査数に至っては10分の0.4(100分の4)しかありません。

これでは、感染者数が少ないのは当然です。それで、「封じ込めに成功している」と自画自賛していたのです。

当初、韓国の感染者数が増加していることに対して、日本では「ざまあみろ」というような声がありました。医療崩壊がはじまって、韓国はもう国家として体を為してないかのような報道さえありました。

しかし、韓国は、徹底した検査と隔離政策を取ることで医療崩壊を招くことなく、最近はあらたな感染者数も20人台(4/10)まで減少しています。今の状況では、早晩、感染者数で日本が韓国を上回るのは間違いないでしょう。

一方、日本では、現場の医療関係者から既に医療崩壊がはじまっているという声が出ています。でも、日本の感染者数は、まだ韓国の半分以下なのです。つまり、それだけ日本の医療インフラが韓国に比べて遅れているからでしょう。だから、必要以上に医療崩壊に怯えるのでしょう。

もうひとつ指摘しなければならないのは、日本は累計検査数が韓国の10分の1、千人当たりの検査数が10分の0.4しかないにもかかわらず、感染者が既に韓国の半分近くも出ているという点です。

どうして日本は検査数の割にこんなに感染者が多いのか。それは、検査をしてこなかったツケで、感染しているという自覚がない無症状や軽症状の感染者が街に溢れているからでしょう。そのため、「感染経路が不明な」感染者が急増しているのです。検査を怠ったことで、目に見えない感染が蔓延しているのです。

森友や加計や桜を見る会で示された安倍政権の虚偽と隠ぺいの体質が、そのまま新型コロナウイルスの感染対策にも引き継がれているのです。しかし、新型コロナウイルスは、国民の健康・命に直結する問題です。オリンピックや政権の体裁のために、PCR検査を抑制して国民の健康を弄んだその責任は重大で、万死に値すると言っても言い過ぎではないでしょう。

しかも、ここに至っても、政府と東京都の休業要請の対象をめぐる対立に見られるように、日本の感染対策は迷走を続けています。それは、466億円を使ってマスク2枚を配るというトンチンカンな政策にも表れています。

NHKのETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~」でも紹介されていましたが、あの『サピエンス全史』の著者のユヴァル・ノア・ハラリは、イギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムズ」に掲載された寄稿文の中で、新型コロナウイルスの対応について、次のように書いていました。

 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

Web河出
新型コロナウイルス後の世界 ‐ この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(柴田裕之訳)


しかし、現実に私たちを覆っているのは、「全体主義的な監視」であり「ナショナリズムに基づく孤立」の方です。そのために、新型コロナウイルスだけでなく、経済も政治も、取り返しがつかない状態になっていくような気がしてなりません。

ユヴァル・ノア・ハラリは、さらに次のように言います。

(略)全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。

 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。

(同上)


これは、検査を意図的にサボタージュして感染者数をごまかしてきた日本政府のやり方に対するアンチ・テーゼでもあるように思います。日本の国民は、「子どもっぽい」全体主義的な指導者によって、文字通り厳しい規制を受け、無知に追いやられているのです。そのため、逆に感染の封じ込めに失敗しているのです。それが、積極的に検査を行って情報を開示することで封じ込めに成功した韓国との大きな違いです。

それはまた、両国の指導者の資質の違いでもあるのでしょう。あらためて、「子どもっぽい」無能な指導者を持った不幸を痛感せざるを得ないのでした。

これから私たちは、暫くの間、おどろおどろしい脅し文句とともに、感染の恐怖、さらには死の恐怖の中で、文字通り息を潜めて、カミュが『ペスト』で描いたような日常を過ごさなければならないのです。
2020.04.11 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
緊急事態宣言に関連して、次のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
産経新聞
「はっきりして」 休業要請で国と都に違い 理美容室に不安の声

私は、個人的には、美容室はまだしも理容店に対する休業要請には納得する気持があります。

先日、近所の理容店に散髪に行きました。このあたりも、理容店の廃業が相次いでおり、現在、私が知る範囲で残っているのは、1900円だかの格安店が2軒と、同業組合に入っている3700円の“一般店”が1軒だけです。最近は、男性の多くも美容室に行っているみたいで、この前、通り沿いにある美容室の前を通りかかったら、頭の禿げたおっさんが椅子に座って順番を待っていたので驚きました。

しかし、私は、近所のよしみで昔ながらの“一般店”に通っています。他の店に行きたくても、普段道で顔を合わせるので行かざるを得ないのです。店の主人も、「来なくなった人の中には、私の顔を見たら、急に脇道に入ったりする人がいるんですよ」と言ってましたが、正直言って、そうしたくないので行っているようなものです。

その店も昔は従業員を雇っていましたが、今は主人がひとりでやっています。それに伴い、店の中も乱雑になり、おせいじにもきれいだとは言えません(むしろ、汚い)。しかも、主人はヘビースモーカーなので、店内にはいつも煙草の匂いが充満しています。

主人は部類の話好きで、話しているうちに興奮してくるのか、こっちの話を遮ってひとりで独演をはじめるようなタイプの人です。

先日、行ったときも、「コロナなんてあんなものは風邪と同じですよ」と言ってました。しかし、主人はもう60代の後半で、ヘビースモーカーで、なおかつ高血圧で病院通いをしているのです。この時期なのに、マスクもしないで、そうやってひとりでまくし立てていました。当然、唾も飛んできます。

私は、心なしか、熱で主人の顔が紅潮しているような気がして、だんだん不安になってきました。マスクして下さいと言いたかったけど、そう言うと、主人がさらに興奮して気まずい空気になるのはわかっているので、言い出せませんでした。

あれから3日経っており、一日に何度も体温を測っていますが、今のところ異常はありません。でも、一抹の不安はあります。

美容室の場合、競争も激しく、感染源になると死活問題になるので、マスクはもちろん、消毒なども気を使っているところが多いみたいです。しかし、理容店は家族経営の店が多く、あきらかに“斜陽化”していますので、美容室のような経営努力もあまり行われていないような気がします。もとより、衛生管理においても、個々の店で大きな差があります。

たしかに、一律に休業要請というのは酷な面もあるように思いますが、ただ、杜撰な店があることも事実です。“斜陽産業”なので、おそらく同業組合もあまり機能していないのではないかと思います。

世の中には、「そんなの関係ないよ」「たいしたことないよ」と言って粋がるような、独りよがりで無神経で無知蒙昧な人間は一定数存在します。どこに行っても、必ずいるのです。

私は、東京都が理容店を休業要請の対象にしたことに対して、不謹慎な言い方ですが「よく気が付いたな」と思いました。
2020.04.09 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
既に朝日なども記事にしていますが、アメリカ大使館は、4月3日にホームページ上で、「幅広く検査をしないという日本政府の決定によって、新型コロナウイルスの有病率を正確に把握することが困難になっている」として、「現在一時的に日本に滞在しているアメリカ人は、無期限に日本に滞在する用意がない限り、直ちに帰国準備をすべきである」という文書を掲載し、早急な帰国を強く促したそうです。

アメリカ大使館は、日本国内で言われていることとはまったく逆に、日本は検査をせずに「有病率を正確に把握する」ことができてないので、医療崩壊が起きる可能性があると言っているのでした。

Yahoo!ニュース
在日アメリカ大使館、日本の新型コロナ検査不足を指摘「有病率を正確に把握するのは困難」

何度も言っていますが、これが世界の常識なのです。しかし、日本の社会では世界の常識が通用しないのです。それが、日本を「カルトの国」と呼ぶゆえんです。「ニッポン、凄い!」の自演乙が、ここまで日本を歪んだ国にしてしまったのです。

ただ、総理大臣が稀代の嘘つきで無能であっても、メディアが「王様は裸だ」とちゃんと言えば、ここまで歪んだ国にはならなかったはずです。

それは、メディアに登場する専門家も同様です。彼らは、PCR検査をのべつまくなしにすると、医療崩壊を招くので、“検査至上主義”は危険だという偽イデオロギーを振りまいていますが、しかし、医療崩壊の前は、新型コロナウイルスは風邪と同じようなものなので、検査の必要はないと言っていました。まだワクチンも開発されてないのに、そんなことを平気で言っていたのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨなども、口真似して同じことを言っていました。

ところが、欧米で感染が拡大し深刻度を増してくると、今度は医療崩壊を招くからと言い出したのでした。彼らは、そうやって政府の方針に盲従するだけの曲学阿世の徒にすぎないのです。

一方、「のべつまくなしに検査をしている」韓国に対しては、検査のやりすぎで医療崩壊が起きて、取り返しの付かない状態になっていると言っていました。ところが、最近は感染者数の増加が収まり、早期の抑え込みに成功したと言われて、韓国の取り組みが高く評価されているのでした。すると、あろうことか、あの嫌中憎韓を社是とする(?)産経新聞までが、韓国の対応に対して好意的な記事を書いているのでした。昨日まで、口を極めて罵っていたのがウソのようです。

産経新聞
韓国、シンガ、台湾…スピード最優先で新型コロナ押さえ込み

やっぱり、韓国や中国のやり方が正しかったということなのでしょう。と言うか、そんなことは最初からわかっていたことで、単に日本が特殊だっただけの話です。検査数を抑えて、感染者数を少なく見せていただけなのに、「日本は封じ込めに成功している」「ニッポン、凄い!」と自演乙していたのです。

専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)も、最近は従来の見解を見直すような言い方に変わっていますが、そのうち原発と同じように、「想定外」だったと言い出すのかもしれません。

専門家会議と言っても、所詮は政府の方針にお墨付きを与える茶坊主の集まりにすぎないのです。しかし、そうは言っても、彼らはれっきとした専門家です。専門家として、検査数を抑えることにお墨付きを与えて、アメリカ大使館が指摘しているように「有病率を正確に把握することが困難」な状態にした責任は極めて大きいと言ねばなりません。

森三中の黒沢かずこの感染に関連して、メンバーの大島美幸の夫の鈴木おさむが、Twitterで次のように呟いていたそうです。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
鈴木おさむ氏、感染の黒沢「粘って頼みこんで検査」

(引用者:黒沢は)味がしないという症状が出て、先週の木曜日26日から、自宅待機で仕事休んでます。しかも、病院行っても、検査してくれなくて、粘って粘って、頼みこんで、やっと今週水曜日検査してくれたんです!なかなか検査してくれない!これが怖い!


まだこんなことやっているのかという感じですが、いづれにしても、日本は「有病率」や正確な感染者数を把握できないまま、感染爆発を迎えることになるのです。それは、WHOの言い方を借りれば、目隠ししながら火を消すようなものでしょう。そうやって私たち国民の健康がなおざりにされているのです。検査を受けることもできず、自分が感染しているかどうかもわからないのに、人に感染させるので(あるいは人から感染されられるので)外出するなと言われ(そのくせ満員電車は放置され)、感染爆発したら命の選別が行われるかもしれませんよと言われているのです。

それは、現状を正確に把握してないのに、早く緊急事態宣言を発令しろと官邸を突き上げているメディアや野党も同罪でしょう。彼らは、稀代の嘘つきで無能な総理大臣に、超法規的な権限を早く行使しろと言っているのです。それこそ、竹槍でB29に立ち向かうしかないのに、早く戦争をしろと東条内閣を突き上げた79年前を彷彿とする挙国一致の光景と言えるでしょう。私たちは、現在(いま)、田中慎弥が『宰相A』で描いたディストピアの世界の中にいるのです。音楽やスポーツで元気や勇気を貰っても、ウイルスには糞の役にも立たないのです。
2020.04.05 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、用事があって墨田区の錦糸町に行きました。朝の7時台の電車に乗って、池袋で先に要件を済ませ、そのあと池袋からお茶の水まで地下鉄丸の内線、お茶の水から錦糸町までは総武線に乗りました。

たしかに、電車は空いていました。ただ、この時期は学校が春休みなので、普段でも電車は空いています。普段の春休みのときと比べても、やや空いている程度でした。テレワークなんて、ごくごく一部の人たちの話なのです。モミクシャにはならなかったけど、お互いに身体が触れ合う程度には混んでいました。欧米では考えられない光景でしょう。

そんな中で、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」も健在で、我先に電車に乗り込むと空いている席に向かって突進していました。この手の人たちは、もはやビョーキなので、新型コロナウイルスも関係ないのでしょう。こういった人たちに、「3密」とか「自粛」とか言っても、所詮は馬の耳に念仏なのではないかと思いました。

久し振りに錦糸町に行ったら、駅周辺がすっかり都会になっていたのでびっくりしましたが、駅前のカフェの前でも朝食用のコーヒーなどをテイクアウトするサラリーマンやOLなどが列を作っていました。もちろん、1メートルの間隔なんてどこの国の話だという感じでした。

私も、朝食を食べようと、某外資系ハンバーガーチェーンの店に入りました。注文すると、カウンターの女性はマスクを顎にかけたまま、唾を飛ばしながら(?)「サンキュー!」と言ってました(日本人なのに)。

帰りは、錦糸町から総武線の快速に乗って武蔵小杉まで戻り、武蔵小杉で東横線に乗り換えたのですが、車両のいちばん端にある三人掛けの座席に座っていたら、見るからにメタボの中年男性がやって来て、私の横に座りました。そして、座るや否や、咳をしはじめたのでした。それも軽い咳です。マスクもしてないし、手で口元を覆うわけでもありません。

そのため、向かいの席に座っていた人たちはいっせいに立ち上がってほかの席に移って行きました。私もヤバいと思って、席を立ってドアのところに行きました。

男性はそんなことはおかまいなしに、ひとしきり咳をすると、居眠りを始めたのでした。あきらかに睡眠時無呼吸症候群のような感じで、すぐに大きなイビキをかいて寝込んでしまったのでした。でも、男性はスーツを着た、メタボである以外はどこから見ても普通のサラリーマンのようです。

文字通り、新型コロナウイルスなんてどこ吹く風のような光景です。たしかに過剰な反応は問題ですが、それにしても緊張感のなさには唖然とするばかりです。

それもひとえに感染の実態が見えないからだと思います。見えないというより見えないようにされているからです。そのため、(どこかの国の総理大臣夫人のように)掛け声ばかりで緊張感がないのでしょう。

若者にしても、いくら症状が軽くても検査をしないのでは、自分が感染しているかどうか、あるいは、免疫を持ったかどうかもわからず、自分たちが感染の発生源になっているという自覚が持てないのは当然でしょう。小池都知事のように、検査もしないで、一方的に若者を責めるのは酷と言うものです。

小池都知事が「(新型コロナウイルスで)はしゃいでいる」と書いていた週刊誌の記事がありましたが、たしかに今夏の都知事選を控えて、指導力をアピールする絶好のチャンスとばかりに「はしゃいでいる」ように見えないこともありません。

クラブやライブハウスやカラオケボックスやバーなどに行くなと言いながら、飛沫感染が懸念される通勤電車はスルーです。外で飲み食いするなと言って、飲食店を苦境に陥らせながら、補償は知らん顔です。それに何より、「大変だ」「大変だ」と大騒ぎしながら、未だ1日の検査数が2000件以下で、ドイツの17分の1しかない現状に対しては、「医療崩壊を招くから」と肯定しているのです。これではただのアピールと思われても仕方ないでしょう。

アメリカ14万904人(2405人)
イタリア10万1739人(1万1591人)
スペイン8万5195人(7340人)
中国8万1518人(3305人)
ドイツ5万7298人(229人)
フランス4万4550人(3024人)
韓国9786人(162人)
日本1953人(56人)

上記は、多少バラつきがありますが、29日~30日現在の各国の感染者数(カッコ内は死者数)です。

どうして日本だけが感染者数が極端に少ないのか。ホントに「封じ込めに成功しているから」なのか。電車の中や街の様子を見ても、封じ込めに成功しているとはとても思えません。日本だけ極端に少ないのは、奇跡なのか、それとも過少申告なのか、と皮肉っぽく書いていた外国紙がありましたが、感染者数をごまかすと正しい現状把握ができないので、的確な対策も取れず、結果的に自分で自分の首を絞めることになるのです。どうしてそんな簡単なことがわからないのかと思います。

WHOが言うように、「パンデミックを止めるためには『検査、検査、検査』」しかないのです。「目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない」(テドロス事務局長)のです。既にパンデミックは始まりましたが、日本はこの基本的なことを意図的に怠っているのです。それでは、緊張感も持てないし、長期戦を見据えて次にどうするかという対策も打てないでしょう。

iPS細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授も、みずから開設した「新型コロナウイルスに関する情報発信サイト」で、次のような「提言」を行っていました。

これまでわが国は、無症状や軽症の感染者の急増による医療崩壊を恐れ、PCR検査を限定的にしか行ってきませんでした。(略)このままでは医療感染者への2次感染が急増し、医療崩壊がかえって加速されます。自分が感染していることに気づかないと、家族や他の人への2次感染のリスクが高まります。また感染者数を過小評価すると、厳格な対策への協力を得ることが難しくなります。ドライブスルー検査などでPCR検査体制を拡充し、今の10倍、20倍の検査体制を大至急作るべきです。

山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html


人口の60%だかが「集団免疫」しないと終息しないという意見に従えば、新型コロナウイルスはまだとば口に差しかかったばかりです。少なくとも欧米の国は、「集団免疫」が終息に至る唯一の方法だとして、あえて”苦難の道”を歩もうとしているのです。そのために、今のきびしい状況と正面から向き合っているのです。一方、日本は、感染者数をごまかし、「集団免疫」が現在どのレベルにあるのかさえ把握できないまま、「封じ込めに成功している」と自演乙しているだけです。

日本政府や安倍マンセー!のネトウヨは、中国は無症状の感染者を公表していない(感染者の数の中に含めていない)と批判していますが、まだしも無症状の感染者を把握しているだけましで、日本は検査をしてないので把握すらしていないのです。別に中国の肩を持つわけではありませんが、自分たちのことを棚に上げた中国批判には呆れるしかありません。他国のことをとやかく言っている場合ではないのです。

オリンピックのための隠ぺい工作。大本営発表のメディア。政府の広報担当のような専門家。”国難”のひと言で膝を屈した野党。これでは、そのうち大きなしっぺ返しを受けるのは間違いないでしょう。「バカっぽい」政府や「バカっぽい」政治家によって弄ばれているのは、ほかならぬ私たちの健康なのです。
2020.03.31 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
前の記事で書いたように、22日、IOCは東京オリンピックについて、延期も含めて4週間以内に結論を出すと表明したのですが、それから僅か2日後の24日、安倍首相とIOCのバッハ会長が電話会談をして、日本側から「1年程度の延期」が提案され、バッハ会長もその場で同意。IOCの理事会も即日、延期を承認して、あれよあれよという間に「1年程度の延長」が決定したのでした。これにはたまげました。

じゃあ、4週間以内に結論を出すという22日の声明はなんだったのかと思わざるを得ません。延長の提案は、中止の決定を怖れた日本政府が先手を打ったと言われていますが、IOCの権限はそんなにいい加減なものだったのかと言いたくなります。

「1年程度の延期」という提案も、安倍首相の任期が関係しているという見方があります。安倍首相の自民党総裁の任期は来年の9月までですから、それまでにオリンピックを開催して、総理大臣として歴史に名を残したいという個人的な野望が強くはたらいていると言われているのです。さすが野党の立憲民主党までがひれ伏す独裁者だけあります。

オリンピックの「1年程度の延長」が決定したら、さっそく外務省は、国民に向けて、全世界を対象にした不要不急の渡航の自粛を呼びかけました。また、小池東京都知事も歩調を合わせるように、「感染爆発の重大局面」に差し掛かったとして、今週末は不要不急の外出を自粛するよう都民に要請したのでした。

オリンピックの延期が決まった途端に、東京都の感染者数が跳ね上がったのは、どう見ても不自然です。また、「緊急会見」と言いながら、フリップを用意していたのも、あまりにも準備が良すぎる気がします。

7月の都知事選では、自民党は小池知事の対抗馬の擁立を「断念」したそうですが、自民党の決定とこの連携プレーは関係があるのではないかと、穿った見方をしたくなります。

おそらく早晩、安倍首相によって「緊急事態宣言」が出されるのは間違いないでしょう。急に跳ね上がった感染者数は、その布石なのでしょう。対抗馬の「断念」は、お膳立ての見返りなのではないか。その結果、自民党の改憲案を先取りする待望の“戒厳令ごっこ”が”帝都”で行われることになるのです。安倍首相にとって、これ以上のお膳立てはないでしょう。

震災もそうでしたが、何かことが起きると、国家は私たちの前に立ち現れ、そして、「国難」を口実に、国家に従属する日常をわたしたちに強制します。「緊急事態」条項というのは、その暴力的な要請にほかなりません。何度も言いますが、特措法改正に賛成した立憲民主党は、もはや「リベラル」を名乗る資格もありません。

ここに至っても、安倍内閣の支持率は40%台後半でそんなに落ちていません。一方、立憲民主党は、野党第一党と言っても10%を割り一桁の支持率しかありません。立憲民主党は、今後、益々集票組織の連合への依存度が増し、連合の“右派労働運動の論理”にがんじがらめに縛られるようになるのは必至でしょう。連合は、立憲民主党が旧民社党のような存在になってほしいと思っているはずです。そのための「労働戦線の右翼的再編」=政界再編成だったのですから。

しかし、新型コロナウイルスは、世界の感染状況を見てもわかるとおり、もはや国家のコントロールが効かないほどモンスターと化しています。日本だって、国民の半分以上が感染する事態が訪れるかもしれません。と言うか、国民の60%だかが感染して免疫を持たないと、感染は終息しないという専門家の意見もあります。それは、先日のドイツのメルケル首相の発言と符合しています。

欧米の感染者数が日本に比べて桁違いに多いのは、あえてそういった「集団免疫」の方法を選択したからだとも言われているのです。日本だけが極端に少ないのは、何度も言うように、日本がPCR検査をサボタージュして感染者数を隠ぺいしているからです。にもかかわらず、「感染者数が少ないのは、感染の封じ込めに成功したからだ」などと言って自画自賛しているのです。それでは「集団免疫」のレベルを把握できないまま、逆に深刻な事態さえ招きかねないでしょう。

良心的な医者が言っていましたが(テレビに出ているのは、政府の広報官のような医者ばかりです)、「集団免疫」のレベルを把握することで、免疫を得た人から順に仕事に復帰させることも可能なのだそうです。そうやって徐々に経済活動を元に戻すことも大事だと言っていました。「のべつまくなしに検査をすると医療崩壊を招くだけだ」などと言って検査をサボタージュしていては、長期戦に備えた柔軟な対応もできないのです。でも、もう日本はすべてが手遅れなのかもしれません。

もちろん、私たち自身も、いつ感染してもおかしくないのです。もしかしたら既に感染しているのかもしれません。「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」と言っている、古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨたちだって同じです。でも、感染しているかどうかもわからないから、「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」などと無責任なことが言えるのでしょう。

長期戦の備えもない場当たり的な対策では、インバウンド頼りだった日本経済の脆弱さだけが露わになり、経済的に破産する人が続出するのは当然でしょう。仮に(数年後?)終息しても、暫くの間、外国人観光客が戻って来ることはないでしょう。観光地で商売している人に聞けばわかりますが、日本人の消費なんてたかが知れているのです。いくら現金を配り、高速料金を無料にしても、国内消費だけでは国の経済はまわらないのです。既に1人当たりのGDPでは、日本は韓国にぬかれていますが、日本経済の凋落はさらにスピードを増すに違いありません。

その一方で、東証の株価が26年ぶりの上げ幅を記録するなど、株式市場は異常な状態になっています。麻生財務大臣は、国会の答弁で「我々は、野党とではなくマーケットと仕事をしているんだ」と啖呵を切っていましたが、そのマーケットは実体経済を離れたマネーゲームの賭場になっており、日銀のETFによる爆買いは火事場泥棒の投資家たちの恰好の餌食になっているのです。麻生財務大臣はマンガが愛読書だそうですが、文字通りマンガみたい話です。

テレビでは感染の専門家が、全体の感染者の中で、「感染経路不明」の感染者が半数を超えると「感染爆発」に至る「危険な状態」になると言っていましたが、しかし、実際は「危険な状態」はとっくに訪れているのではないか。検査をしないので「危険な状態」が顕在化していないだけで、今後、クラスター(集団感染)が続出したり、重症化した人が多くなれば、「感染爆発」の実態がおのずとあきらかになってくるでしょう。ところが、「感染爆発の重大な局面」に差し掛かっていると言いながら、公立学校の休校措置は解除されるのです。検査もしないで自粛しろと言うのと同じで、やっていることがあまりにもチグハグでお粗末と言うしかありません。

全ては子どもじみた「バカっぽい」政府を持ったツケと言えるでしょう。私たちは、そのツケを払わされているのです。でも、それでも地球は回るではないですが、それでも衆愚は衆愚でありつづけるのでしょう”動員の思想”でいいように煽られた彼らは、まるで狂った蟻のように、せっせせっせと買いだめに走るだけなのです。
2020.03.26 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
4か月後にせまった東京オリンピック開催について、国際陸連をはじめ、各国の競技団体が次々と延期を求める要請を行ったことで、IOC(国際オリンピック委員会)もやっと重い腰を上げたようです。声明によれば、4週間以内に延期を含めた検討を行い結論を出すとのことです。IOCの腰が重かったのは、テレビの放映権等開催に伴う利権が絡んでいたからでしょう。

IOCの表明を受けて、安倍首相も23日の参院予算委員会で、延期を容認する意向を示したのでした。すると、森喜朗大会組織委員会会長も小池百合子東京都知事も、次々と延期容認を表明。併せてメディアも、IOCや日本政府が延期に大きく傾いたといっせいに伝え始めたのでした。なんだか官邸によって延期論が解禁されたような感じです。

前日までは、みんな、延期などあり得ない、予定どおり準備を進めると言っていたのです。ワシントン・ポストは、このような姿勢に対して、20日の社説で、IOCや日本政府がオリンピックを開催できるかのように振る舞っているのは「完全に無責任だ」と批判していました。一方、日本のメディアは、日本政府が公式発言とは別に延期を検討しはじめていることをいっさい伝えず、ワシントン・ポストのように延期すべきという持論を主張することもありませんでした。

安倍首相の顔色を窺っているのは、内閣総理大臣の嘘に整合性を持たせるために、公文書を改ざん・隠蔽する官僚だけではないのです。メディアも、そして特措法改正に賛成して安倍首相に超法規的な権限を与えることを容認した立憲民主党などの野党も同じなのです。このような翼賛的な光景に対しては、なんだか全体主義のシュミレーションを見ているような気さえします。

20日、JOC(日本オリンピック委員会)委員の山口香氏は、朝日新聞のインタビューで、「アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべき」との考えを示しました。これは、多くの人たちの本音を代弁した常識論とさえ言えるでしょう。

朝日新聞デジタル
JOC理事の山口香さん「五輪、延期すべき」

しかし、山口氏の発言に対して、JOCの山下泰裕会長は、「安全、安心な形で東京大会の開催に向けて力を尽くしていこうというときに、一個人の発言であっても極めて残念」と不快感を示したそうです。

でも、代表選手の選考も行われてない国も多い中で、4か月後のオリンピック開催なんて、誰が考えても無理な話です。オリンピックどころではないというのが本音でしょう。

にもかかわらず、政府の予定通り開催するという方針に盲目的に従い、誰が考えても無理なことを無理だと言った山口氏に対して不快感を示すなどというのは、無謀な戦争を「聖戦」と言い募り、総動員体制のプロパガンダを担った戦前の大政翼賛会を彷彿とさせます。

それから3日後、安倍首相が延期を容認する発言を行うと、山下会長も一転して延期やむなしと発言していました。こういった(柔道が強いだけで)頭の中が空っぽでなんの見識もない人物は、空っぽなだけに逆に怖いなと思います。こういった人物が全体主義では先鋭的な役割を演じるのです。

今の状況では、たとえ延期しても、1年後に開催できる保証はどこにもありません。違約金やあらたな会場の確保といった事務的な手続きも含めて、延期が往生際の悪い選択であるのはあきらかで、常識的に考えれば中止するしかないでしょう。

森友問題の決裁文書の改ざんを強要されて自殺した近畿財務局職員に対する安倍首相や麻生財務相の態度を見ても、まるで時代劇に出て来る悪代官のようですが、官邸が無法地帯と化し、こういった犯罪が公然とまかりとおるのも、安倍一強という翼賛体制ゆえで、メディアや野党が安倍一強にふれ伏しているからでしょう。

新型コロナウイルスは、欧米からウイルスの故郷であるアフリカ大陸へ広がりつつあり、さらなる感染の拡大が懸念されています。感染規模から言っても、100年前のスペインかぜに匹敵すると言っても過言ではなく、あと1年で終息するとはとても思えません。オリンピックなんてできるわけがないのです。

「東京オリンピックは”復興五輪”なので、是非開催してもらいたい」と福島の住民が開催を熱望しているというような記事が出ていましたが、もしそれがホントなら、”復興五輪”の広告塔になっている「好感度ナンバーワン」のサンドイッチマンともども衆愚の代表と言うしかないでしょう。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが、原発の次はオリンピックなのかと言いたくなります。安倍首相が言う「(オリンピックで)感動を分かち合う」という言葉の背後に、動員の思想が伏在していることを忘れてはならないでしょう。”復興五輪“を熱望する福島の住民は、その尖兵の役割を担っている、と言うか担わされていると言っていいでしょう。
2020.03.24 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
感染の世界史


  学校や公的機関は閉鎖され、外出する人は全員マスクで武装した。サンフランシスコでは、マスクをしていない者を警察が逮捕した。町の入り口は自警団が固めて見知らぬ人を追い返した。あやしげな治療薬や薬がはびこった。劇場の入り口には「咳くしゃみをするものの入場禁止」の掲示が張り出された。まるで一四世紀のペスト流行のときのような様相になった。


これは、石弘之氏の『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)に書かれていた文章です。でも、新型コロナウイルスの話ではありません。100年前のスペインかぜの話なのです。びっくりするくらい、今の状況とよく似ています。

スペインかぜは、1918年に最初の患者(ゼロ号患者)が発生して1921年に収束するまでに、当時の世界の人口18億人のうち3分の1が感染、3~5%が死亡したと推定されているそうです。また、スペインかぜによって、第一次世界大戦の終結も早まったと言われています。兵士たちが感染して、戦場死より感染死の方が多くなり、戦争どころではなくなったからです。しかし、戦争の終結により帰国した兵士たちによって、さらに感染は拡大して行ったのでした。

『感染症の世界史』によれば、これまで約5400種のウイルスと約6800種の細菌が発見されているそうですが、これはごく一部で、著者の石氏は、「あらゆる生物を含めれば、ウイルスの総種類数は1億種を超えることになるかもしれない」と書いていました。さらに細菌まで含めると途方もない数になるのです。ウイルスの大きさは、1億分の1メートルしかありません。細菌はウイルスの50倍くらいだそうです。私たちは、そんな微細なウイルスや細菌に囲まれて暮らしているのです。

(略)「ピロリ菌」「エイズ」「パピローマウイルス」「ハシカ」「水痘(水ぼうそう)」「成人T細胞白血病」「結核」などの原因になる病原性微生物は、いづれもアフリカが起源と見られる。宿主の人とともに進化しながら、世界に拡散していったものの子孫だ。
(『感染症の世界史』)


女優の夏目雅子の命を奪った「成人T細胞白血病」は、「ヒトT細胞白血病ウイルスI型」に感染することで発病する病気ですが、このウイルスの起源は、西アフリカの霊長類だそうです。約20万年前にアフリカ大陸で誕生した私たちの祖先が、数万年かけて世界各地に渡った「壮大なグレートジャーニー」によって、ウイルスも日本列島にやって来たのです。そして、日本人の体内に棲み着いたのです(現在、国内の感染者は100万人いるそうです)。

しかも、あらゆる生物が進化するように、ウイルスや細菌も進化しているのです。中には、人間の体内に侵入したあと、さらに人体の環境に順応するように変異するウイルスもあるそうです。そうやって宿主の細胞内に侵入したウイルスの大半は、宿主の死まで生涯に渡って体内に留まりつづけるのです。

同じコロナウイルスでも、新型コロナウイルスは、遺伝子が変異した新しい型なので、従来の治療法が通用しないのは当然でしょう。だから、世界中が感染の拡大に怖れおののいているのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文らのように、「インフルエンザと同じでたいしたことない」というような単純で「バカっぽい」話ではないのです。

同じコロナウイルスのSARSの流行について、『感染症の世界史』は次にように書いていました。

   今後、どんな形で新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。


単行本の発売は2014年ですが、『感染症の世界史』は、上記の文章によって、今回の新型コロナウイルスの流行を警告(予告)していたと言われているのでした。

中国の広東省深セン市でSARSの最初の感染者が出たのは、2002年11月で、収束したのは翌年の2003年9月でした。WHOによれば、世界30ヶ国(地域)で8098人の感染者が出て、死者は774人だったそうです。

一方、新型コロナウイルスは、発生から僅かひと月で、156ヶ国(その他も含む)に広がり、3月17日現在で、感染者は178368人、死者は7095人です(厚労省発表)。感染規模は、SARSとは比較にならないほど大きいのです。

SARSは収束するまで1年近くかかったのですが、新型コロナウイルスはその感染規模から考えても、1年で収束するとはとても思えません。田中宇氏が書いていたように、「人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる」というのが現実的な話かもしれません。

株価の変動は、マネーゲームの側面もあり、必ずしも実体経済を反映しているとは言えませんが、しかし、誰が見ても、新型コロナウイルスが世界経済に大きな危機をもたらすのは必至のように思います。米中の”覇権争い”もますます熾烈を極めるでしょう。

そんな中で、アジアの東端にある“カルトの国”は、哀しいかな、検査数を抑えて感染者を少なく見せる姑息なやり方で、「感染の拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自演乙しているのです。そのため、下記の記事にあるように、アメリカの専門家からは、「日本の検査数は少ない」「韓国を手本にすべき」と指摘されるあり様です。

朝日新聞デジタル
「日本のPCR検査少ない」米専門家が指摘 手本は韓国

至極真っ当な指摘と言えるでしょう。と言うか、これが常識なのです。でも、今の日本では常識が通用しないのです。それが“カルトの国”であるゆえんです。

また、WHOのテドロス事務局長も、次のように呼びかけています。

   目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない。すべての国に簡単なメッセージを伝えたい。検査に次ぐ検査を。疑わしいケースはすべて検査してほしい。


Yahoo!ニュース
ロイター
パンデミックを止めるためには「検査、検査、検査」=WHO

日本には耳の痛い話ですが、でも、今の日本にはこの声も届かないのです。

メディアの中でも、政府の対応を批判する声はどんどん影をひそめています。厚労省が、感染者数の中でクルーズ船の感染者は除くべきだと言ったら、いっせいにクルーズ船の感染者を除いた感染者数に変更されています。また、安倍首相が、退院した人の数も伝えるべきだ言ったら、退院者数も伝えるようになっています。

怖いのは、満足に検査もしないまま、オリンピックのために(予定どおりできるわけがないのに)政府が見切り発車で収束宣言を行うことでしょう。しかし、私たちは、翼賛化する状況においても、政府の対外向けの(バレバレの)隠蔽工作のために、私たち国民の健康がなおざりにされているということだけは忘れてはならないでしょう。私たちの国の政府は、国民の健康よりオリンピック開催を優先するような政府だということを肝に命じておくべきでしょう。
2020.03.18 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲