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■国際法違反のシファ病院突入


12日に、WHOと国連人口基金とユニセフの国連三機関が共同で、ガザ北部にあるシファ病院をはじめとする病院への攻撃を停止するための「緊急行動」を求める声明を、国際社会に向けて出したばかりですが、イスラエル軍はそれをあざ笑うかのように、15日未明、シファ病院に突入したのでした。国連三機関の声明はまさに悲鳴にも似た悲痛な訴えだったのですが、”狂気”と化したイスラエルには通じなかったのです。

朝日新聞は、病院突入は「国際法違反の可能性がある」と書いていましたが、誰がどう見ても、戦時における「傷病者、難船者、医療組織、医療用輸送手段等の特別の保護」を定めるジュネーヴ条約及び追加議定書の違反であることはあきらかです。

しかし、イスラエルがターゲットにしているのは医療機関だけではありません。難民キャンプや学校も無差別に空爆しているのです。

また、イスラエルの空爆による死者は、ガザの北部だけではなく南部でも多く発生しているのでした。北部から南部への避難を促すイスラエルの警告も罠の疑いさえあるのです。国連人権問題調整事務所(OCHA)が発表した11月9日現在のデータによれば、イスラエルの空爆で亡くなったガザの住民は10,818人で、それをおおまかに北部と南部に分けると、北部は7,142人(66%)、南部は3,676人(34%)です。南部に避難すれば安全というわけではないのです。

シファ病院には600~650人の入院患者と200~500人の医療従事者、それに約1500人の避難民が残っていると言われますが、既に地上侵攻後、医療従事者16人を含む521人が死亡したと言われています。

エルサレムからの共同電によれば、病院に残る医師は、アルジャジーラの電話取材に、突入したイスラエル軍によって、「多くの避難者が軍に拘束され裸にされた」「手錠をされた上、目隠しで連れて行かれた」と語ったそうです。

病院には電気が供給されておらず、子どもたちは麻酔もないまま手術を受けていると報じられていますが、そんな中に武装したイスラエル兵が突入して、避難している人たちを次々と連行したのです。

ガザではこの1ヶ月のイスラエル軍による爆撃で既に1万人以上が死亡し、そのうち半数は子どもだそうです。

『エコノミスト』(11月21・28日号)の「絶望のガザ」という特集の中で、福富満久氏(一橋大学教授)は、「今、私たちが目にしているパレスチナと中東の問題は、恣意的に権力を行使して好きなように振る舞う欧米諸国に対する憤りの表出であり、屈辱を受けてきた者たちの反乱なのである」と書いていました。

ここに来て、パレスチナ人差別をホロコーストの贖罪に利用した欧米の欺瞞と矛盾もいっきに噴き出した感じです。イスラエルの蛮行に反対する人たちは、同時に欧米も同罪だと非難しているのです。

しかし、アメリカは今なお、シファ病院の地下がハマスの司令部になっているというイスラエルの主張に同調し、イスラエルの蛮行を容認する姿勢を崩していません。

■司令部があれば病院を攻撃していいのか


私は、イスラエルの主張を聞いて、映画「福田村事件」の中で、行商人たちが(朝鮮人ではなく)日本人かも知れないので、鑑札の鑑定の結果を待とうではないかと村人たちを説得する村長に対して、「朝鮮人だったら殺してもええんか?」と村長に詰め寄った行商人のリーダーの沼部新助の言葉を思い浮かべました(その直後、沼部新助は、頭上に斧が振り下ろされ惨殺されるのですが)。じゃあハマスの司令部があれば病院を攻撃していいのかと言いたいのです。

もっとも、イスラエルが公表した映像もずいぶん怪しく、司令部と言うには自動小銃や手榴弾があるだけのしょぼい装備で、せいぜいが兵士の隠れ家と言った感じでした。ずらりと並べられた自動小銃も、撮影のために置かれたのは間違いなく、病院の地下室にあったという証拠にはならないのです。

映像に映っているのは病院とは違う場所なのではないかと話す病院関係者さえいるのでした。また、イスラエルが主張していた地下通路も映像には出ていませんでした。中には、MRIの裏に武器を隠していたという、(テレビドラマの観すぎのような)わざとらしい映像もありました。

そのため、欧米のメディアでも、イスラエルの主張には説得力がないという受け止め方が大半だそうです。しかし、このお粗末なプロパガンダがガザの地上侵攻の口実に使われ、多くの命が奪われることになったのです。

■ヨーロッパに広がる反ユダヤ主義


イスラム研究者の同志社大学大学院教授・内藤正典氏のX(旧ツイッター)には、胸を締め付けられるようなパレスチナ難民たちの動画がアップされていますが、下の動画もそのひとつです。この動画に内藤氏は、「子どもにこんな恐怖を与えるな」とコメントを付けていました。


ヨーロッパではユダヤ人に対する嫌がらせや暴力が広がっているというニュースがありましたが、イスラエルの”狂気”がシオニズムに由来するものである限り、反ユダヤ主義に結び付けられるのは仕方ない面もあるように思います。ユダヤ人というのは、〈民族〉というよりユダヤ教徒を指す言葉なのですが、ユダヤ人=ユダヤ教徒=シオニズム=イスラエルの蛮行という連想には、根拠がないわけではないのです。

こんなジェノサイドを平然と行うユダヤ教やそれを心の拠り所にするユダヤ人って何なんだ、ナチスと同じじゃないかと思われたとしても、それを咎めることはできないでしょう。もちろん、だからと言って、ユダヤ人=ユダヤ教徒がみんなイスラエルの蛮行を支持しているわけではありません。

ホロコーストの贖罪から無条件にイスラエル(シオニズム)を支持してきたドイツは、それ故にイスラエルの蛮行を前にしてもただ傍観するだけです。イスラエルに負い目があるヨーロッパは、この歴史のアイロニーに、なす術もなく見て見ぬふりをしているのです。それどころか、ドイツに至っては、国内での反イスラエルのデモを禁止しているくらいです。

ホロコーストの犠牲になったユダヤ人が、今度はパレスチナ人に対して自分がやられたことと同じ民族浄化ジェノサイドを行っているのですが、この不条理が「ユ ダヤ人は神から選ばれた民であり、メシア(救世主)に救済されるのは選民であるユダヤ人だけである」というユダヤ教の教義に内在する選民思想=差別の構造に起因するものであることを認識しないと、イスラエルの”狂気”を正しく理解することはできないでしょう。リベラル派が言うように、イスラエルの蛮行と「ユダヤ人問題」を切り離すことはできないのです。

欧米を中心とする国際社会が求めている「共存」は共存ではありません。イスラエルへの「隷属」です。欧米が地図に定規で線を引いて中東を分割し、それを王族をデッチ上げて捏造した絶対君主制の国に配分した、帝国主義列強による中東政策の固定化にすぎません。イスラエルはその延長上にあるのです。しかも、そのイスラエルがいつの間にか核を保有する軍事大国=怪物になり、コントロールが利かなくなってしまったのです。

■アメリカの凋落


1年ぶりに対面での米中首脳会談がはじまりましたが、日本のメディアでは、経済的な苦境に陥った習近平政権が背に腹を変えられずバイデン政権に泣きついたみたいな報道が主流です。しかし、それは対米従属の見方にすぎず、実際は逆でしょう。中国には、来年の大統領選挙でほとんど勝ち目がない、ヨボヨボのバイデンと交渉するメリットはないのです。案の定、アメリカは、「デカップリング(供給網などの分離)を模索しない」(イエレン米財務長官)と、日本などをけしかけて「明日は戦争」のムードを作ったあの対中強硬策はどこに行ったのかと思うほど、会談前から中国に媚びを売っているのでした。前から言っているように、「明日は戦争」は、日本など対米従属の国に型落ちの兵器を売りつけるセールストークだったのです。

今回のガザへの地上侵攻においても、アメリカの凋落は惨めなほどあきらかになっています。イスラエルがまったく言うことを聞かないので、アメリカは後付けでイスラエルの行為を追認して、みずからの影響力の低下を糊塗しているようなあり様です。

そこにあるのは、超大国の座から転落してもなお、精一杯虚勢を張ろうとするアメリカのなりふり構わぬ姿です。もとより、ロシアがウクライナを侵攻したのも、イスラエルが強気な姿勢を取り続けるのも、そんなアメリカの凋落を見通しているからでしょう。

■「人道主義」という言葉


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https://twitter.com/MirTaqi_

”狂気”と化したイスラエルの蛮行はもう誰にも止められないのです。国連安保理が停戦決議を採択しても、今まで何度も国連の決議を無視してきたイスラエルにとってはカエルの面にションベンです。

ただ、イスラエルの蛮行がエスカレートすればするほど、イスラエルは世界で孤立し、反ユダヤ主義が広がり、アメリカの権威の失墜、凋落が益々顕著になり、ヨーロッパの分断と混乱が増し、そして、世界の多極化がいっそう進むのです。その先にあるのは、グローバルサウスの台頭に見られるように、アメリカなき新たな世界秩序です。

しかし、そんな「国家の論理」とは関係なく、私たちには平和や人権といった絶対に譲れない私たち自身の論理があるはずです。国連三機関の悲痛な訴えはイスラエルやユダヤ人には通じなくても、世界の世論には通じたと信じたい気がします。でないと、「人道主義」という言葉は死語になってしまいます。”西欧的理念”が崩壊した現在、空爆を受けた子どもの膝の震えに目を止めることができる人々の怒りと悲しみの感情と意思だけが理性の最後の砦なのです。
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(写真AC)


■アゾフ連隊に志願する若者


今朝のTBSのニュースは、アゾフ連隊に若者の志願者が殺到しているという話を伝えていました。中には17歳の少年もいるのだそうです。

しかし、アゾフ連隊がネオナチの元民兵組織(現在はウクライナ国家警備隊に所属する準軍事組織)であることはひと言も伝えていませんでした。戦争の長期化により、祖国を守るために若者たちも立ち上がった、というようなトーンで伝えているだけでした。

もっとも、ウクライナの若者たちは正規軍に徴兵されるはずなので、アゾフ連隊に志願しているのは国外の若者たちが多いのではないかと思います。17歳の少年は、胸に入れている、ナチスの記章のヴォルフスアンゲルを反転させたアゾフの記章の入れ墨を見せていましたが、アゾフ連隊の極右思想に共鳴した入隊であることがミエミエでした。しかし、TBSに限らず日本のメディアは、そういった背景を一切報じることはないのでした。

■ゼレンスキーのブラフ


ゼレンスキー大統領は、アメリカCBSテレビのインタビューで、「ウクライナが敗北すればロシアはポーランドやバルト3国に迫り、第3次世界大戦に発展しかねないと警告した。『プーチン(ロシア大統領)を食い止めるか、世界大戦を始めるか、全世界が選ばなければならない』と述べた」(下記記事より)そうですが、これは国連総会での演説を前にしたブラフ(脅し)であるのはあきらかでしょう。

東京新聞 TOKYO Web
「ウクライナ敗北なら世界大戦」 ゼレンスキー氏が警告

こういったゼレンスキー大統領の要求に引き摺られて、軍事支援をエスカレートさせれば、最後にどういった事態を招くことになるのか、火を見るよりあきらかです。相手が核保有国であることを考えれば、ゼレンスキー大統領の発言は核戦争=終末戦争をも厭わない、と言っているのに等しいものです。

■ウクライナ政権内の不穏


もっとも、こういった過激な発言の背景には、政権内で”ゼレンスキー外し”が始まっているからではないかという指摘もあります。

先日、ゼレンスキー大統領は、突然、軍事物資の横流しや汚職などの疑惑が取り沙汰されていたレズニコフ前国防相を更迭したのですが、後任に就いたルステム・ウメロフ氏は、就任早々、ハンナ・マリャル国防次官ら国防次官6人全員の解任を発表したのでした。解任の理由はあきらかにされてないのですが、記事によれば、ハンナ・マリャル国防次官などは、解任当日の朝まで、ウクライナの反転攻勢の進展について情報を発信していたそうで、唐突な解任であったことがわかります。

政権内では、(汚職なんて当たり前の政権なのに)汚職を理由にした“粛清”が行われているような気がしてなりません。政権の内部で、停戦か徹底抗戦かの対立が表面化しつつあるのかもしれません。

■ウクライナ支援で背負う負債


いづれにしても、ウクライナという国の現実から目をそらして、アメリカの言うがままに軍事支援に突っ走ったヨーロッパ各国は、仮に戦争が終わっても、ネオナチの拡散(逆流)という大きな負債を背負うことになるのは間違いないでしょう。

日本にいるウクライナからの避難民はもう2千人を切っているのではないかと思いますが、言いにくいことを言えば、彼らウクライナ避難民は、個々の事情とは別に、ウクライナのプロパガンダを体現する役割を担っているとも言えるのです。原口議員に対する在日ウクライナ大使館の高圧的な態度に示されるように、彼らを盾にすることで、ウクライナに対する批判やウクライナ戦争に対する疑問が一切封じられているのでした。それは、福島の被災住民を盾に、汚染水の海洋放出に反対する意見が封じられているのとよく似ています。

日本のメディアは、ウクライナの問題においても、伝えるべきこと(伝えなければならないこと)を何を伝えてないのです。
2023.09.20 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(©Matti Karstedt・フリー素材)



■原口議員に対するバッシング


私は、立憲民主党の原口一博衆院議員についてはまったく興味もなく、どういった人物か仔細には知りませんが、最近、彼のネット上の発言が問題視され、批判に晒されているようです。

それを報じたのが、下記の朝日の記事です。

朝日新聞デジタル
ウクライナ大使館、立憲・原口議員の投稿に「強い懸念」 本人は反論

原口議員は、血液癌のひとつである「瀰漫性大細胞型B細胞リンパ腫」に罹患した経験も関係しているのか、新型コロナウイルスのワクチンに関して、癌を誘発するとか何とか陰謀論めいた発言もしていたようですが、ただ、今回のウクライナに関しての発言については、一概に陰謀論とは言えないような気がします。もとより、私自身も、このブログで同じようなことを書いています。

ロシアのウクライナ侵攻に関しては、異論を許さないという風潮に覆われているのは事実でしょう。ウクライナ=絶対的な善、ロシア=絶対的な悪という二元論が全ての前提になっており、それに異論をはさもうものならこのように陰謀論扱いされるのです。こうして自由な言論をみずから否定し、問答無用の言論統制を招来しているのです。と同時に、原口議員の問題でも見られるように、ヘタレな左派リベラルが陰謀論の片棒を担いでいることも忘れてはなりません。

サッカー好きな人ならわかると思いますが、アゾフ連隊に象徴されるように、ウクライナでネオナチが跋扈していたのは事実です。また、侵攻後、ヨーロッパのネオナチが義勇兵としてウクライナに集結しているという指摘もあります。そのため、戦争が終わると、ウクライナで醸成されたネオナチの暴力が、軍事支援で注ぎ込まれた最新兵器とともにヨーロッパに拡散され、深刻な影響をもたらすのではないかという懸念の声もあるくらいです。

また、ウクライナが名にし負う腐敗国家であったことはよく知られています。今月初め、ゼレンスキー大統領は、レズニコフ国防相の更迭を発表したのですが、レズニコフ国防相はロシアの侵攻後、欧米からの軍事支援を取り付ける中心的な役割を担っていたのでした。しかし、一方で、かねてより装備品や物資の調達を巡って、横流しなどの疑惑や汚職が指摘されていたいわくつきの人物でもありました。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、一説には50万人とも言われる国民が戦場に散った戦争の只中で、本来その責にあるべき人間がこのあり様なのです。ゼレンスキー大統領の役者仕込みの言葉巧みな演説の裏で、相も変わらず政治の腐敗は続いているのです。でも、今のウクライナは、政党活動が禁止された翼賛体制下にあるので、クーデターでも起きない限り、指導者の責任を問う声が出て来ることはありません。むしろ、レズニコフのように、やりたい放題のことができる環境にあるとも言えるのです。

関連記事:
ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ
ウクライナに集結するネオナチと政治の「残忍化」

■陰謀論という問答無用


もっとも、陰謀論が異論排除の手段に使われているのは、原口議員の発言に限った話ではありません。汚染水の海洋放出も同じです。

少しでも異論をはさもうものなら、非科学的とか媚中とか言われて頭ごなしに排除されるのでした。汚染水の海洋放出がナショナリズムと結びつけられているため、陰謀論という言葉が「反日」や「売国」と同じような意味に使われているのでした。

そのため、今や「汚染水」という言葉を使うことさえタブーになっているのでした。そうやって言論を抑圧する役割を担っているのが、ジャニー喜多川氏の性加害をタブー視した新聞やテレビをはじめとするメディアです。今や彼らは、自由な言論とは真逆な存在なのです。

原口議員に対する批判や誹謗について、下記のようなツイートがありましたが、こういう意見は、今やホントに貴重になっているのでした。



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(パブリックドメイン)


何だか同じことばかり書いているような気がしないでもありませんが、しかし、蜘蛛の糸を掴むように、拙い小さな”希望”であっても、ひとつひとつ丁寧に拾っていくしかないのです。日本中が”戦時の言葉”に覆われ、金網デスマッチを観戦しているような今の状況は、どう見ても異常と言うしかありません。

■ルラ大統領の和平案


昨日(8日)、ブラジルのルラ大統領が提案した和平案について、ウクライナが一蹴したというニュースがありました。

AFPBB NEWS
ウクライナ、ブラジル大統領の和平案一蹴 クリミア放棄せず

ブラジルは、2月の国連総会におけるロシア軍の即時撤退を要求する決議案では、BRICSの中では唯一賛成票を投じた国です。

ルラ大統領は左派の労働党出身ですが、ウクライナ戦争で中立を保っている国々が共同で、ウクライナ・ロシア双方に停戦を働きかけるべきだとして、そのための枠組み作りを模索しているのでした。今回の和平案はそのためのたたき台と言えるかもしれません。

記事にもあるように、ルラ大統領は、ウクライナに対して、「すべてを手に入れることはできない」「クリミア半島の領有権を放棄して和平交渉を開始すべき」」という現実的な着地点を提案したのです。

しかし、ウクライナ政府の反応は、次のようににべもないものだったようです。

 ウクライナ外務省のオレグ・ニコレンコ(Oleg Nikolenko)報道官は、「ウクライナの領土を1センチでも譲ることを正当化する政治的・道徳的理由はない」「和平調停の試みはいかなるものであれ、主権尊重に基づき、ウクライナの領土保全を完全に回復するものでなければならない」とフェイスブック(Facebook)に投稿した。
(上記記事より)


ただ、これはウクライナ政府の公式な見解とは言い難いので、水面下で何らかの動きがあるかもしれません。そう願うばかりです。

■地に堕ちた欧米の民主主義


ルナ大統領は、来週、中国を訪問する予定で、そこでも和平案の枠組み作りを協議すると言われています。

また、フランスのマクロン大統領も訪中し、やはり中国に積極的に和平に乗り出すよう要請したという報道がありました。フランスは、侵攻当初、和平にひと役買ったのですが、ブチャの虐殺が起きたことで、ウクライナが態度を硬化して決裂したと言われています。そのため、ブチャの虐殺は和平を潰すためにでっちあげられたものではないかという陰謀論まで出ているのでした。

尚、中国の習近平国家主席と会談したマクロン大統領と欧州委員会のライエン委員長は、中国をサプライチェーンから排除するデカップリング(分離)に反対することで意見が一致したとの報道もありました。アメリカが主導する対中強硬策に冷水を浴びせた格好で、今の世界経済で中国を無視することはできないという本音が吐露されたと言えるでしょう。

このように好き嫌いは別にして、300年ぶりに覇権を手にする中国の存在感は増すばかりです。ウクライナ戦争でも、中国やブラジルなどBRICSの国が和平を主導する可能性さえあるのです。それは、今までの国際紛争ではまったく見られなかった光景です。

一方、欧米は武器供与をエスカレートして、戦争の拡大に手を貸すだけです。今や、欧米の民主主義の理念は完全に地に堕ちたと言ってよく、権威主義と民主主義の戦いだというバイデンの口吻など、片腹痛いと言わねばなりません。

ウクライナ戦争をめぐるこのような光景もまた、世界が多極化して政治や経済の軸が欧米からBRICSをはじめとする新興国に移っていくという、新しい世界の構図を示唆していると言えるでしょう。

もとより、(何度も言いますが)核の時代の戦争では勝者も敗者もないのです。核保有国が敗者になるということは、核戦争で世界が破滅することを意味するのです。それはオーバーな話でも何でもないのです。

ゼレンスキーが唱える、領土を1センチでも譲ることができないという徹底抗戦路線は、ウクライナにとっての玉砕戦であるだけでなく、世界の最終戦争をも招来しかねない危険なものです。ゼレンスキーの要求どおり武器を供与し続ければ、プーチンは間違いなく核を使うでしょう。それでも「ロシアが悪い」で済ませるつもりなのかと言いたいのです。核戦争には、敵も味方も、善も悪も関係ないのです。

もちろん、裏では私たちがうかがい知れない丁々発止のやり取りが行われているはずなので、どこに本音があるのかわかりませんが、とにかくこれ以上犠牲を増やさないためにも、誰でもいいから和平を仲介することが切望されるのでした。

そう考えると、今の欧米はまったく当てになりません。欧米は戦争の当事者であっても、和平を仲介する当事者ではありません。左派リベラル界隈には、平和憲法を持つ日本が仲介の役割を担うべきだと宣うおめでたい人間がいますが、それも悪い冗談です。

仮に中国やBRICS主導で和平が実現すれば、何度も言いますが、世界がひっくり返ることになるでしょうし、世界地図は一瞬にして塗り替えられることになるでしょう。しかも、今の状況では、もうそれしか残された道はない感じなのです。
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■声明に批判的な質問


昨日(5日)、学者やジャーナリストが記者会見して、「ロシアによるウクライナ侵攻に対して日本が停戦交渉の仲裁国となるよう求める声明を発表」したそうです。声明の中で、日本政府に対して、5月に広島で開かれる主要7カ国首脳会議(G7サミット)に際して停戦交渉を呼びかけるよう訴え」のだとか(下記記事より)。

朝日新聞デジタル
ウクライナ侵攻、政府に仲裁求め学者ら声明 報道陣から批判的質問も

 声明は学者ら約30人が連名で発表。現状では「核兵器使用や原発をめぐる戦闘の恐れ」があると指摘し、「戦争が欧州の外に拡大することは断固防がねばならない」と訴えた。ロシアとウクライナは即時停戦の協議を再開すべきだと訴え、日本政府が中国、インドとともに交渉の仲裁国となるよう求めている。
(上記事より)


ところが、会見の場で、「ウクライナで現地取材した記者らから、『ロシア寄りの提案ではないか』などと批判的な質問」が出たそうです。

それに対して、和田春樹・東京大名誉教授は、「『ロシアと米国が核兵器を持って対峙(たいじ)する世界で、ロシアをたたきつぶして降伏させることはあり得ない。核戦争になるような事態は止めなきゃいけない』と説明」したそうです。

件のジャーナリストが言っていることは、何度も言うように、敵か味方か、ロシアかウクライナか、勝ちか負けか、という二者択一を迫る”戦時の言葉”にすぎません。そんな思考停止した言葉で記事を書いているのかと思うと、おぞましささえ覚えてなりません。戦時中も「言論報国」のもと、メディアは戦争を礼賛して、“動員の思想”に奉仕しその先兵の役割を担ったのでした。そういった思考停止は、戦争中のように“戦争の狂気”を呼び起こすだけです。

声明を発表した30名の学者やジャーナリストたちは、同時にネット署名や新聞広告を出すためのクラウドファンディングもはじめたようで、相も変わらぬお友達サークルでの自己満なやり方にうんざりさせられますが、それはそれこれはこれです。

前の記事のくり返しになりますが、核保有国に敗北などあり得ないのです。それが核の時代の実相です。

■金網デスマッチ


一方で、ウクライナ戦争や台湾危機などきな臭い世相を反映して、自衛隊に入隊する人間が減っており、自衛隊は人材確保に苦慮しているという記事もありました。

自分たちが戦争の当事者になるのは嫌だけど、他国の戦争だったら、まるで金網デスマッチを応援する観客のように、「やれ、やれ、最後までやれ」と囃し立てて死闘(玉砕戦)を煽るのです。防衛増税は、言うなれば、そんな国民に向けた金網デスマッチの観戦料のようなものと言っていいのかもしれません。

如何にも日本的な光景とも言えますが、戦前と同じようにこういった空気に流されると、やがてそのツケが自分たちにまわってくるということがまるでわかってないのです。(前も書きましたが)戦争前、東条英機の自宅に「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙を段ボール箱に何箱も書いて寄越した国民たちは、やがて戦死者の半数以上が餓死と言われるような無謀な戦争の先頭に立たされ、生活も人生も戦争に翻弄されて塗炭の苦しみを味わうはめになったのでした。そして、敗戦になった途端、今度は自分たちは被害者だ、軍部に騙された、と言い始めたのです。

宮台真司は、「日本人は一夜にして天皇主義者から民主主義者に豹変する存在」「空っぽの日本」という三島由紀夫の言葉を引用して、そこにクズな(空虚な)日本人の精神性を指摘したのですが、あの頃から見事なほど何も変わってないのです。


関連記事:
『永続敗戦論』
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※赤の広場と聖ワシリイ大聖堂(public domain)


■マリン首相の苦戦


NATOの加盟が正式に決定したばかりのフィンランドで、2日、フィンランド議会の任期満了に伴う総選挙が行われました。まだ、選挙結果が出ていませんが、マリン首相が率いる中道左派の社会民主党は、最新の世論調査でも18.7%の支持率しかなく、「苦戦」を強いられているとメディアは報じています。

朝日新聞デジタル
マリン首相が「厳しい選挙」に直面 右派はティックトックで追い上げ

ロシアと国境を接するフィンランドは、従来ロシアを刺激しないために中立政策を取っていたのですが、ウクライナ侵攻を受けて危機感を抱き、NATO加盟に舵を切ったのでした。

今回の総選挙ではNATO加盟を主導した与党に有利にはたらくのではないかと言われていましたが、あにはからんやそうではなかったのです。ロシアへの経済制裁に伴うエネルギー価格の高騰で国民生活が苦境に陥り、それが戦争をエスカレートさせる一方のNATOに対する反発になっているのでした。

一方で、EU懐疑派の右派政党・フィンランド人党が19.5%と、与党の社会民主党を凌ぐ支持を集め、躍進が予想されています。フィンランドでも他国と同様、右派の存在感が増しているのです。

■メディアと世論の違い


日本のメディアの報道だけを見ていると意外だと思うかもしれませんが、ヨーロッパでは反NATOの声が拡大しているのでした。それは「戦争をやめろ」という声です。

ちなみに、米中対立に関する台湾の世論に関しても、日本のメディアが伝えるものとはかなり違っているようです。田中康夫氏は、ツイッターで、与党系のシンクタンクが行った世論調査の結果を次のように伝えていました。そこで示されているのも、「中国(大陸)を挑発するな」という声でしょう。

EUの人々は、戦争をやめなければ、自分たちの生活がにっちもさっちもいかなくなるという危機感を抱き始めているのです。その危機感が、極右への支持に向けられているのです。


■プーチンの発言


ウクライナ戦争を通して、世界が多極化に向かって加速しはじめていることが、もはや誰の目にもあきらかになっています。それはもう押しとどめることができない歴史の流れです。

人口比で言えば、国連のロシア非難決議に反対している人の方が多いのです(正確に言えば、非難決議に反対、もしくは棄権した国の方が賛成した国より人口が多い)。欧米支持派は、世界では少数なのです。

既に中国とロシアが中心となって、BRICsを拡大し上海協力機構(SCO)と結合させた、人民元やルーブルを軸にする新たな決裁システムの構築も始まっています。

エマニュアル・トッドも、今年の1月に執筆された「第三次世界大戦が始まった」の中で、次のように書いていました。

 もしロシア経済が、いつまでも経済制裁に持ちこたえ、遂にはヨーロッパ経済を疲弊させるに至り、中国の支援でロシア経済が生き延びるならば、通貨上及び金融上のアメリカによる世界制覇は崩壊に至ります。それとともに、アメリカは膨大な貿易赤字を無料でファイナンスしてきた重要な手段を失うことになります。
(文春新書『トッド人類史入門』所収・「第三次世界大戦が始まった」)


また、『トッド人類史入門』の中で、佐藤優氏は、2022年の10月24~27日に、ウクライナ侵攻後初めて開かれたヴァルダイ会議における講演の中で、プーチン大統領が次のように述べたことをあきらかにしていました。

〈今起きていることは、例えばウクライナを含めて、ロシアの特別軍事作戦が始まってからの変化ではありません。これらの変化はすべて、何年も長い間、続いています。(略)これは世界秩序全体の地殻変動なのです〉
〈ソ連の崩壊は、地政学的な力のバランスを破壊しました。欧米は勝者の気分になり、自分たちの意志、文化、利益のみが存在する一極的な世界秩序を宣言しました。
 今、世界情勢における西洋の独壇場は終わりを告げ、一極集中の世界は過去のものになりつつあります。私たちは、第二次世界大戦後、おそらく最も危険で予測不可能な、しかし重要な一〇年を前にして、歴史の分岐点に立っているのです〉(プーチン発言はいづれも佐藤優訳)


ロシアは、当初、民族浄化を行っているネオナチのゼレンスキー政権から、ウクライナ国内のロシア語話者を守るためという大義名分を掲げて侵攻したのですが、しかし、時間を経るに連れ、欧米との代理戦争の性格を帯びて来たウクライナ戦争について、世界の多極化という観点から歴史的な位置づけを行って、その意義を強調しはじめたのでした。それは、言うまでもなく、ドル本位制に支えられたアメリカと西欧の没落を意味するのですが、中国やBRICsなど新興国の支持を受けたロシアの自信の表れとも言えるでしょう。

余談ですが、エマニュアル・トッドが言っているように、ウクライナでは、ロシアの侵攻前から多くの中産階級が国外へ脱出していたのです。ウクライナはヨーロッパでもっとも腐敗した国と言われていました。しかもウクライナ民族主義を掲げるネオナチが跋扈し(アゾフ連隊のような民兵が当たり前のように存在し)、ロシア語話者や左翼運動家やLGBTなどを誘拐したり殺害したりする事件が頻発していました。そんな母国の現状に失望して、多くのウクライナ国民が国外へ脱出していたのです。また、NATOの東方拡大を背景に、ウクライナの農地の30%を欧米の穀物メジャーが所有しているという現実も、ウクライナ戦争の背景を考える上で重要なポイントでしょう。

西側のメディアが言うように、ロシアは決して孤立しているわけではないし、また、経済的に疲弊しているわけでも、軍事的に劣勢に立たされているわけでもありません。というか、そもそも核保有国が劣勢に立つなど、戦況以前に論理的にあり得ないことです。エマニュアル・トッドが言うように、スペインと同じくらいのGDPしかないロシアが、欧米を相手にどうしてこんなに持ちこたえているのか。そこに新たな世界秩序の謎を解くヒントがあるように思います。

しかし、対米従属を国是とする日本では、相も変わらず勝ったか負けたか、ウクライナかロシアかの戦時の言葉が飛び交うだけで、世界が多極化に向かっている現実をまったく理解しようとしないのです。私は、そんなイギリス国防省とアメリカのペンタゴンと防衛省の防衛研究所のプロパガンダに踊らされ、彼らの下僕のようになっている日本に歯がゆさを覚えてなりません。


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(Wikipediaより)


■SVBの破綻


3月10日、総資産が2090億ドル(約28兆円)で、全米16位の資産規模をほこるアメリカシリコンバレーバンク(SVB)が経営破綻したというニュースがありました。SVBの破綻は、FRB(米連邦準備理事会)の量的緩和(QE)から量的引締め(QT)への、金融政策の転換による急速な利上げで資金調達が悪化したためと言われています。

さらに2日後、総資産が1103億ドル(約15兆円)で、全米29位のシグネチャーバンクでも取り付け騒ぎが起こり、破綻に追い込まれたのでした。シグネチャーバンクの破綻は、もともと暗号資産(仮想通貨)関連の顧客が多く、経営基盤が脆弱な中で、SVBの破綻で信用不安が高まったためと言われています。

SVBの破綻について、金融当局や市場関係者は、「特殊事例」で、信用不安につながる可能性は低いと言っていたのですが、その舌の根が乾かぬうちに”連鎖倒産”が起きたのです。もっとも、考えてみれば、金融当局や市場関係者が信用不安が起きるなどと言うわけがないのです。彼らは、リーマンショックのときも同じことを言っていたのです。

3月12日のシグネチャーバンクが破綻した当日、アメリカ財務省とFRBと米連邦預金保険公社(FDIC)は、通常の預金保険では1口座当たり最大25万ドルまでしか保護されないのですが、今回は25万ドルを超えても全額保護するとの声明を発表したのでした。それが信用不安を防ぐための特例処置であり、表向きの”楽観論”とは裏腹に、深刻な事態を懸念しているのはあきらかです。

■経済制裁の返り血


このようにアメリカ経済は、未曾有のインフレに見舞われて疲弊し、金融システムにも軋みが生じはじめているのでした。もちろん、それはアメリカだけではありません。いわゆる西側諸国はどこも同じで、資源高やエネルギー価格の高騰によって、国民生活はニッチもサッチもいかなくなっているのです。そのため、労働者は賃上げを要求して立ち上り、中には治安当局と衝突するような”暴動”まで起きているのでした。

この遠因にあるのは、言うまでもなくウクライナ戦争に伴うロシアへの経済制裁です。言うなれば、西側の国民たちはその返り血を浴びているのです。

■中国の存在感


そんな中で、SVBが破綻した3月10日、2016年から断交していたイランとサウジアラビアが、中国の仲介によって、外交関係の正常化で合意したというニュースがありました。西側諸国がロシア制裁で自縄自縛に陥る中で、中国の存在感がいっそう高まっているのでした。その発表に対して、「ホワイトハウスのジョン・カービー米国家安全保障会議(NSC)の戦略広報調整官は、アメリカ政府は『地域の緊張関係を緩和させようとするあらゆる取り組み』を支持すると述べた」(BBCより)そうです。また、国連のアントニオ・グテーレス事務総長も、「中国による仲介努力に感謝し、『湾岸地域に持続する平和と安全を確保』するための努力を支援する用意があると、報道官を通じて述べた」(同)そうです。国連のロシア非難決議では、世界の全人口の半分にも満たない国しか賛成しなかったのですが、中国は中東においても、(アメリカに代わる)その影響力を見せつけたと言っていいでしょう。

BBC NEWS JAPAN
イランとサウジアラビア、7年ぶりに外交関係正常化で合意 中国が仲介

さらには、今日(3月14日)、びっくりするニュースが飛び込んで来たのでした。それは、次のようなものです。

Newsweek ニューズウィーク日本版
中国・習近平、ウクライナ・ゼレンスキーと会談へ

米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は13日、中国の習近平国家主席が、ロシアのウクライナ侵攻後初めてウクライナのゼレンスキー大統領と会談する予定だと伝えた。

WSJが関係者の話として伝えたところによると、ゼレンスキー大統領との会談は、習主席が来週、ロシアを訪問してプーチン大統領と会談した後に行われる公算という。


報道によれば、もともと「中国はロシアとウクライナの和平交渉に積極的に関与する姿勢を示していて、ゼレンスキー大統領も習主席との対話を望んできた」そうです(ロイターより)。しかし、日本のメディアは、中国は台湾や日本を攻めて来ると言うばかりで、そんなことはひと言も報じていません。そのため、こういったニュースが流れると、文字通り青天の霹靂のような気持になるのでした。

一方、アメリカ国務省のプライス報道官は、今回の報道を受けて、「ウクライナ侵攻を終わらせるために中国が影響力を行使することを望む」と述べたそうです(同)。

■アメリカの落日と中国の台頭


こういった発言を見てもわかるとおり、ウクライナ戦争に限らず世界秩序の維持において、アメリカが完全に当事者能力を失っていることがわかります。ウクライナ戦争においても、バイデン政権がやって来たことは、ただ火に油を注ぎ戦火を拡大することだけでした。

バイデン政権が当事者能力を失っていることについては、国内でも懸念の声が上がっています。今やウクライナへの軍事支援に賛成している国民は半分もいないのです。

アメリカのプロパガンダを真に受けて、「ウクライナが可哀そう、ロシアは鬼畜」という印象操作の虜になり、「勝つか負けるか」「ウクライナかロシアか」の戦時の言葉でしかものごとを考えることができない日本国民には信じられないかもしれませんが、アメリカ国内では下記のようなテレビ番組さえ存在しているのでした。


私は、昨年の侵攻直前、このブログで、ウクライナ侵攻を目論むロシアの強気の背景には、アメリカが唯一の超大国の座から転落して、世界が多極化する歴史的転換があると書きました。それを象徴するのがあの惨めなアフガン撤退ですが、今回のウクライナ戦争でアメリカの威信は完全に地に堕ちたと言っても過言ではないでしょう。

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世界の覇権は100年ごとに移譲するという説がありますが、あえて挑発的な言い方をすれば、300年ぶりに中国が世界史の中心に返り咲くのはもはやあきらかで、それがわかってないのは、カルト(ネトウヨ)的思考にどっぷりと浸かり歴史的な方向感覚を失っている日本国民だけです。

日本人は見たくないものからは目を背ける怯懦な傾向がありますが、しかし、好むと好まざるとにかかわらず、世界の歴史は大きく変わろうとしているのです。今のような対米従属一辺倒のカルト(ネトウヨ)的思考に呪縛された状態では、日本が”東夷の国”として歴史に翻弄されるのは目に見えているような気がします。


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■バフムトの陥落


今日の夕方のテレビ東京のニュースは、いわゆる「ドンバスの戦い」の中で、最重要の攻防戦と言われるウクライナ東部の都市・バフムト(バフムート)において、バフムトを防衛するウクライナ軍をロシア軍が完全に包囲しており、バフムトの陥落が近づいていることを伝えていました。

YouTube
テレ東BIZ
ロシア軍近くバフムト包囲(2023年3月4日)

■誰が戦争を欲しているのか


こういったニュースを観ると、私たちは唐突感を抱かざるを得ません。というのも、私たちは、日頃、多大な犠牲を強いられているロシア軍には厭戦気分が蔓延し、敗北も近いと伝えられているからです。

たとえば、下記の記事などはその典型でしょう。

東洋経済ONLINE
プーチン激怒?ロシア軍と傭兵会社「内輪揉め」(2月25日)

日本のメディアが伝えていることはホントなのかという疑問を持たざるを得ないのです。そもそも核保有国のロシアに敗北なんてあるのかと思います。ロシアは国家存亡の危機にあると日本のメディアは書きますが、国家存亡の危機に陥ればロシアはためらうことなく核を使用するでしょう。そうなれば、国家存亡の危機どころか世界存亡の危機に陥るのです。核の時代というのは、そういうことなのです。勝者も敗者もないのです。

勝ったか負けたか、どっちが正しいかなんて、まったく意味がないのです。政治家は言わずもがなですが、メディアや専門家や左派リベラルの運動家や、そして国民も、そんな意味のない戦時の言葉でこの戦争を語っているだけです。

勝者も敗者もない戦争の先にあるのは破滅だけです。だからこそ、何が何でもやめさせなければならないのです。80歳のバイデンが主導する今のような武器援助を続けていけば、核を使用するまでロシアを追い込んでいくことにもなりかねないでしょう。

侵攻してほどなく、フランスのマクロン大統領の仲介で和平交渉が行われ、和平の気運も高まっていました。ところが、”ブチャの虐殺”が発覚したことで、ウクライナが態度を硬化させ、とん挫したと言われています。”ブチャの虐殺”に関してはいろんな説がありますが、何だかそこには和平したくない(させたくない)力がはたらいていたような気がしてなりません。誰が戦争を欲しているのかを考えることも必要でしょう。

中国が仲介に乗り出したことに対しても、日本のメディアでは、中国は「誠実な仲介者ではない」「習近平の平和イメージをふりまくためだ」「NATOの分断が狙いだ」などと、ゲスの勘繰りみたいな見方が大半ですが、しかし、中国以外はどこも和平に乗り出そうとしないのです。それどころか、欧米は武器の供与を際限もなくエスカレートするばかりなのです。

『Newsweek』(日本版)によれば、次期大統領選の共和党候補指名獲得レースに名乗りを上げたニッキー・ヘイリー元国連大使は、「大統領選に出馬する75歳以上の候補者に精神状態の確認検査を義務付けるべきだ」と言ったそうですが、笑えない冗談のように思いました。私たちだって、70歳になれば車の免許を更新する際に、認知機能のテストを受けなければならないのです。況や大統領においてをやでしょう。

■プロパガンダ


今日のテレ東のニュースは、次のように伝えていました。

(略)ウクライナ側は、バフムトに戦略的価値はほとんどないとしていますが、この都市をめぐる双方の莫大な損失が戦争の行方を左右する可能性があるという指摘も出ています。


でも、おととい(3月2日)のCNNのニュースは、こう伝えていました。

Yahoo!ニュース
CNN
ウクライナ軍、バフムートで「猛烈に抗戦」 ワグネルのトップが認める

(略)ウクライナのゼレンスキー大統領は、現時点でバフムート防衛が最大の課題になっていると強調。ロシア軍は同市周辺でじりじりと前進しているものの、ウクライナ軍は未だ退却しておらず、膠着(こうちゃく)状態に持ち込んでいると指摘した。


ゼレンスキーは、「バフムート防衛が最大の課題になっていると強調」していたのです。それが、戦況が不利になると、「バフムトに戦略的価値はほとんどない」と言い出しているのです。

戦争にプロパガンダが付きものであるのは、言うまでもありません。しかし、日本のメディアは、ウクライナのプロパガンダをプロパガンダとして伝えていません。あたかもニュース価値の高い真実のように伝えているのでした。そのため、私たちは、バフムト陥落のようなウクライナ不利のニュースに接すると唐突感を抱くことになるのでした。

ウクライナ戦争でもこのあり様なのですから、身近な”台湾危機”では、どれだけ日米政府のプロパガンダに踊らされているかわかったものではないでしょう。
2023.03.04 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(public domain)


■東野篤子教授の言説


今月の24日がウクライナ侵攻1年にあたるため、メディアでもウクライナ関連の報道が多くなっています。バイデンがキーウを電撃訪問したのも、まさか1周年を記念したわけではないでしょうが、”支援疲れ”が言われる中、あらためて支援への強い意志を内外にアピールする狙いがあったのでしょう。バイデンのウクライナに対する入れ込みようは尋常ではないのです。

朝日新聞も「ウクライナ侵攻1年特集」と題してさまざまな記事を上げていますが、19日にアップされた下記の東野篤子・筑波大教授のインタビュー記事には、強い違和感を抱かざるを得ませんでした。と言うか、おぞましささえ覚えました。

朝日新聞デジタル
「徹底抗戦」が必要なわけ 21世紀の侵攻、許してはいけない一線

東野教授は、この戦争の落としどころを問うのは「ウクライナに酷だ」として、次のように述べていました。

「戦えば戦うほど犠牲が出てかわいそうだ」という指摘も間違いではありませんが、それは目先の犠牲を甘受してでもウクライナの独立と領土、主権を守りたいというウクライナの世論を見誤っていると思います。


 ウクライナ人の多くが言うような、「ロシア軍を完全に追い出して」戦争が終わることは、はっきりいって非現実的だと思っています。どこかで諦めないといけない。一方で、これだけの犠牲を払わされたうえ、とても不本意な終わり方をしてしまったときに、今と比べものにならないくらいの復讐心が生まれてしまうでしょう。

 それが避けられないからこそ、ウクライナが完全に納得するまで戦う以外の道はないことを、侵攻開始から1年が経ったいま、改めて感じています。


また、ウクライナの「降伏」が「21世紀に起きた軍事侵攻の帰結であってはいけない」、そうなれば「武力による現状変更のハードルは世界各所で下がることでしょう」と言います。「軍事侵攻で得をする国が出てくれば、中小諸国が『緩衝地域』扱いされ、大国の横暴に従属せざるを得ないような国際秩序を黙認」することになると言うのです。

つまり、ウクライナ国民が撃ちてし止まんと叫んでいるので、悪しき国際秩序を阻止するために犠牲になっても構わない。気が済むまで戦えばいい、と言っているようなものです。

大国の横暴をあげるなら、まずアメリカにそれを言うべきでしょう。アメリカが「世界の警察官」として、今までどれだけの国に侵攻し大量虐殺を行ってきたか。今回もアメリカは、ウクライナをけしかけて戦争をエスカレートさせているのです。それが、アメリカの対ロシア戦略なのです。

ウクライナ国民が徹底抗戦を支持しているというのも、昔の日本のことを考えればわかることです。憲法が停止され、国家総動員体制にある今のウクライナで戦争反対を主張すれば、拘束されるか、へたすればスパイとみなされて銃殺されるでしょう。戦時下の特殊事情をまったく考慮せず、あたかも国民が徹底抗戦を望んでいるかのように言挙げするのは、悪質なデマゴーグとしか言いようがありません。

埴谷雄高は、「国家の幅は生活の幅より狭い」と言ったのですが、私たちにとっていちばん大事なのは自分の生活です。国家から見れば、人民は自分勝手なものなのです。でも、それは当たり前なのです。

「愛国」主義は、自分の生活より国家を優先することを強いる思想です。それは独裁国家と地続きのものです。東野教授が言うような国家のために犠牲になることを是とする考えは、文字通り戦前回帰の独裁思想にも連なるものと言えるでしょう。

■ウクライナ民族主義の蛮行


一方、今回の戦争には、地政学上の問題だけでなく、ウクライナという国のあり様も関係しており、そういった側面からも見る必要があります。ウクライナはネオナチが跋扈する(というか、支配した)国で、ウクライナ民族主義=西欧化を旗印に、アゾフ連隊のようなネオナチの民兵を使って、国内の人口の3分の1を占めるロシア語話者を弾圧、民族浄化を行ってきたのです。同時に、アゾフ連隊は左翼運動家やLGBTや少数民族のロマなどにも攻撃を加えたのです。ウクライナには、ヨーロッパ随一と言われるほど統一教会が進出していますが、国際勝共連合がアゾフ連隊を支援していたという話もあります。そういったウクライナ民族主義の蛮行は欧米でも非難の声が多かったのですが、戦争がはじまると「可哀そうなウクライナ」の大合唱の中にかき消されてしまったのでした。

大事なのは、どうすれば戦争をやめさせることができるか、どうすれば和平のテーブルに付かせることができるかを考えることでしょう。でも、東野教授は最初から思考停止しているのです。それは知識の放棄と言わねばなりません。思考停止したあとに残るのは、「勝ったか負けたか」「敵か味方か」の戦時の言葉だけです。

■民衆連帯の視点


私たちにとっても、この戦争は他人事ではありません。ウクライナ侵攻により、エネルギー価格、特に天然ガスの価格が上昇し、それが電気料金の値上げになり、さらには小売価格に跳ね返り、今のような物価高を招いているのです。小麦などの食料価格の上昇も同じです。資源大国のロシアに経済制裁を科した影響が、私たちの生活を直撃しているのです。だからこそ、自分たちの生活のためにも戦争反対の声をあげるべきなのです。

何度も言うように、私たちに求められているのは、ウクライナ・ロシアを問わず「戦争は嫌だ」「平和な日常がほしい」という民衆の素朴実感的な声に連帯することです。国家の論理ではなく、市井の生活者の論理に寄り添って戦争を考えることなのです。その輪を広げていくことなのです。

しかし、侵攻から1年を迎えて開催が予定されている日本の反戦集会の多くでスローガンに掲げられているのは、国家の論理・戦時の言葉ばかりです。平和を希求する民衆連帯の視点がまったく欠落しているのです。ミュンヘン安保会議に合わせてヨーロッパ各地で開かれた反戦集会では、明確に「ウクライナへの武器供与反対」を訴えています。しかし、日本の反戦集会ではそういった声はごく少数です。

バイデンがキーウを電撃訪問して、更なる支援を表明したことで戦争の悲劇はいっそう増すでしょう。ミュンヘン安保会議に出席したウクライナのクレバ外相が、戦闘機だけでなく、非人道兵器として国際条約で禁止されているクラスター弾やバタフライ地雷の供与をNATOに要求したという報道がありましたが、ゼレンスキーが志向しているのは手段を選ばない徹底抗戦=玉砕戦です。東野教授の主張も、そんなゼレンスキーの徹底抗戦路線をなぞっているだけです。

ロシアからドイツに天然ガスを送っていた海底パイプラインのノルドストリームが、昨年9月爆発された事件について、ピューリッツァー賞受賞記者でもあるアメリカの調査報道記者のシーモア・ハーシュ氏は、バイデン大統領の命令を受けたCIAの工作でアメリカ海軍が破壊したことを暴露したのですが、誰が戦争を欲しているのか、誰が戦争をエスカレートさせているのかを端的に示す記事と言えるでしょう。

アジアにおいても、ノルドストリーム爆破と同じような謀略によって、戦争の火ぶたが切って落とされる危険性がないとは言えないでしょう。

北朝鮮のICBMにしても、メディアは北朝鮮が軍事挑発を行っていると盛んに書いていますが、どう見ても軍事挑発を行っているのは米韓の方です。米韓が軍事演習を行って挑発し、それに北朝鮮が対抗してICBMを撃っているというのが公平な見方でしょう。

ICBMが日本のEEZ(排他的経済水域)の内や外に落下したとして大々的に報道され、まるでEEZが”領海”であるかのような言い方をしていますが、EEZは国際条約で認められた「管轄権」が及ぶ海域ではあるものの、ただ線引きにおいて周辺国の主張が重なる部分が多く、確定しているわけではありません。日本のEEZは中国や韓国や台湾のEEZと重複しており、内や外という言い方もあくまで国内向けで、対外的にはあまり説得力はないのです。

このようなプロパガンダが盛んになるというのは、アジアにおいても戦争を欲している国(アメリカ)の影が色濃くなっているからでしょう。対米従属「愛国」主義の国は、(与党も野党も右も左も)それに引き摺られて”新たな戦前の時代”を招来しようとしているのです。
2023.02.21 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
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■高官たちの相次ぐ辞任


ロシアのウクライナ侵攻から1年が経ちますが、最近、ウクライナで政府の高官たちが相次いで辞任している、という報道がありました。

BBC NEWS JAPAN
ウクライナ政府高官が相次ぎ辞任 ゼレンスキー大統領、汚職対策に着手

記事によれば、下記の高官たちが辞任したそうです。

キリロ・ティモシェンコ大統領府副長官
ヴャチェスラフ・シャポヴァロフ国防副大臣
オレクシー・シモネンコ副検事総長
イワン・ルケリヤ地域開発・領土担当副大臣
ヴャチェスラフ・ネゴダ地域開発・領土担当副大臣
ヴィタリー・ムジチェンコ社会政策担当副大臣
ドニプロペトロウシク、ザポリッジャ、キーウ、スーミ、ヘルソンの5州の知事

記事にあるように、キリロ・ティモシェンコ大統領府副長官は大統領選のときにゼレンスキー陣営のキャンペーンに携わっていた、ゼレンスキー大統領の側近中の側近で、ロシア侵攻後はウクライナ政府のスポークスマンを務めていました。

この他に、オレクシイ・レズニコフ国防相にも疑惑の目が向けられている、と記事は書いていました。

■汚職認識指数


しかし、これは今にはじまったことではないのです。前も書きましたが、ロシア侵攻前から、ウクライナは名にし負う汚職国家として知られていました。

政府高官の汚職はその一端にすぎず、人身売買や違法薬物の製造なども以前より指摘されていたのです。昨年、国連薬物犯罪事務所(UNODC)が、「薬物に関する年次報告書」で、ロシア侵攻によって、ウクライナ国内の「違法薬物の製造が拡大する恐れがあると警告した」というニュースも、このブログで取り上げました。

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ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ

これなども、「かわいそうなウクライナ」のイメージが裏切られるようなニュースと言えるでしょう。

ロシアは、政治や経済をマフィアが支配する「マフィア国家」だとよく言われていましたが、ウクライナも五十歩百歩なのです。ロシアやウクライナで言われる新興財閥オルガルヒというのは、マフィアのフロント企業のことです。

汚職・腐敗防止活動を行っている国際NGO団体のトランスペアレンシー・インターナショナル(TI)の「汚職認識指数」によれば、ウクライナは、180の国と地域の中で、2022年が116位、2021年が122位でした。

TIの「汚職認識指数」は、世界経済フォーラムの「年次報告書」でもその方法が採用されているくらい、信頼度が高いものです。

トランスペアレンシー・インターナショナル
汚職認識指数(2022年)

ちなみに、ロシアは、2022年が137位で、2021年が136位です。

今、世情を賑わせている広域強盗事件で、「ルフィ」と呼ばれる人物がフィリピンの入管施設の収容所からテレグラムを使って指示を出していたとして、あらためてフィリピンの収容所や刑務所の腐敗がクローズアップされていますが、そのフィリピンは、2022年がウクライナと同じ116位で、2021年はウクライナより上(良)の117位です。つまり、ウクライナはフィリピンと同じくらい腐敗した国なのです。

■武器の横流し疑惑


しかも、ウクライナの腐敗は、BBCの記事にあるような「役人が食料を高値で購入している」とか「ぜいたくな生活を送っている」とかいったレベルにとどまりません。

ウクライナに節操のない軍事支援を行うことのリスクは、かねてより指摘されていました。

ひとつは、武器の横流しです。時事通信も、次のような記事を書いていました。

JIJI.COM(時事通信)
国際支援の陰で汚職懸念 武器流用や着服の疑いも―有識者ら「監察機関設置を」・ウクライナ

支援が有効に機能してないのではないか、つまり、底に穴が空いたバケツに水を注いでいるようなものではないか、とずっと言われていました。

■ネオナチ


それからもうひとつ、ウクライナはアゾフ連隊のような民兵が跋扈するような、ネオナチが支配する国だったので、ヨーロッパ各地からネオナチの傭兵が多く参戦しており、彼らがウクライナでアメリカやヨーロッパの最新兵器の使用法を会得することも懸念されていました。私も下記の記事で書きましたが、そのことによって、ヨーロッパにネオナチの暴力が拡散する怖れが指摘されているのでした。

関連記事:
ウクライナに集結するネオナチと政治の「残忍化」

いつその暴力が自分たちに向かって来るかもしれないヨーロッパの国が、軍事支援に逡巡するのはむべなるかなと思いますが、しかし、結局、バイデンの”強硬策”に押し切られているのが現状です。でも、バイデンの”強硬策”とは、とどのつまり、自分の手は汚さずに戦争をけしかけて、今までと同じように覇権を維持しようとする、唯一の超大国の座を転落したアメリカの新たな世界戦略にすぎません。それは、“台湾危機”も同じです。

日本のメディアは、ずっとうわ言のように中国経済は崩壊すると言い続けて来ました。にもかかわらず、気が付いたら中国はアメリカの向こうを張る経済大国になっていたのです。今もまた、ロシアは瀕死状態にあり、ロシアが白旗を上げる日は近い、と熱に浮かされるように言い続けています。ホントにそうなのか。

政府がアメリカに隷属しているので、メディアも同じように隷属しているだけではないのか。クイズではないのですから、ウクライナかロシアかという二者択一がナンセンスなのではないか。そう思えてなりません。

ここからはくり返しになりますが、それにしても誰も停戦を言わない不思議を考えないわけにはいきません。ゼレンスキーは、奪われた領土を奪還するまで戦争はやめないと言っています。しかし、ウクライナの国民の3分の1は、ウクライナ語は話せずロシア語しか話せないのです。でも、2004年に行われた大統領選で親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ前首相が当選したことに端をした親欧州派によるオレンジ革命やそれに続く2014年のマイダン革命で台頭したウクライナ民族主義によって、ロシア語話者は弾圧されるようになったのでした。その先頭に立ったのがネオナチの民兵・アゾフ連隊(大隊)です。

さらには、アゾフ連隊のようなネオナチの台頭を招いた上に、親欧州派はネオナチと結託して、ロシア語話者や左翼運動家やLGBTへの弾圧をエスカレートしていったのでした。オレンジ革命やマイダン革命は、それがウクライナ人の「尊厳」だとして、西欧かロシアかの二者択一を掲げることで、ユーロマイダンの裏に隠された「民族浄化」を誤魔化したのでした。

奪われた領土を奪還するまで戦争はやめないというゼレンスキーの主張は、玉砕するまで戦うということです。そして、ゼレンスキーの玉砕戦をアメリカやヨーロッパが支援しているのです。戦争をやめさせようとはしないのです。間に入って調停しようという国がないのです。これこそがホントの意味でウクライナ(国民)の悲劇と言うべきでしょう。
2023.02.01 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(2022年12月・奥多摩)


■予定調和


あのジェフ・ベックが亡くなったというニュースがありました。若い頃仰ぎ見ていた上の世代の人たちが次々と旅立っています。

ジェフ・ベックについて、音楽評論家の萩原健太氏が、朝日新聞のインタビュー記事の中で次のように語っていました。

朝日新聞デジタル
「ギターは歌う」 本気でそう思わせたジェフ・ベック 萩原健太さん

 そんな彼が革新的だったのは、音楽的におかしな音を平気で弾いちゃうこと。「ブロウ・バイ・ブロウ」でも、ビートルズの曲をカバーしていますが、コード進行から外れてしまう音に平気で行くんですよね。多分、「これがいけない」とかじゃなくて、「こういう風に歌いたい」っていう気持ちがすごく強いんだと思う。

 予定調和も嫌う。たどり着くべき正解なんていうのは元々なくて、1回演奏したら、次の演奏では違うことをしたい、という気持ちがすごく強い人だったんじゃないかな。不協和音も、彼にとってはたぶん全然不協和音ではなくて、「ここでこっちに行きたいよね」っていう気持ちが、ギターに伝わってそのまま音になって出てくる、みたいな感じだった。


そうなんです。昔、「予定調和」を嫌う時代があったのです。「予定調和」という言葉は”軽蔑語”のように使われていました。

でも、最近毒ついているように、ネットの時代になり、「予定調和」こそ正道、あるべき姿みたいな風潮が強くなっています。「不協和音」を激しく排斥しようとする、文字通り同調圧力が強くなっている感じです。

SNSは一見言いたいことを言う百家争鳴みたいに見えるけど、それはただのノイズでしかないのです。ノイズは、むしろ同調圧力を高めるための燃料のような感じでさえあります。

自分と反対の意見にどうしてあんなに感情的に反発するのか。しかも、それは「自分」の意見ではないのです。「自分たち」の意見にすぎないのです。何が何でも「予定調和」で終わらなければならないとでも言いたげです。萩原健太氏が言うように、何だか最初から「正解」が用意されているかのようです。

言うなれば、ジェフ・ベックはへそ曲がり、天邪鬼だったと言えるのかもしれません。それが彼の個性であり、彼の音楽性だったのです。ジェフ・ベックも今だったら、「へたくそ」「邪道」なんて言われたでしょう。

話は飛びますが、ウクライナ侵攻についても、メディアに流通しているのは「予定調和」の言葉ばかりです。それがあたかも真実であるかのようにです。私も何度も書いているように、防衛省付属の防衛研究所の研究員がしたり顔でメディアで戦況を解説していますが、それはもはや大本営発表と同じようなものでしょう。でも、誰も疑問を持たずに、いつの間にかウクライナは味方VSロシアは敵という戦時の言葉に動員されているのでした。

誰が戦争を欲しているのか。誰が世界大に戦争を拡大させようとしているのか。誰が私たちを戦争に巻き込もうとしているのか。それを「予定調和」の言葉でなく、もう一度自分たちの言葉で考えるべきでしょう。

と、今更言っても空しい気もしますが、そんな中で、次のようなツイートは「予定調和」の言葉に抗するものとして貴重な気がしました。

アジア記者クラブ(APC) (@2018_apc) · Twitter




2023.01.13 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
昨日10日の朝8時すぎ(キーウ現地時間)、ロシア軍はキーウ中心部など、ウクライナ各地をいっせいにミサイル攻撃しました。それに伴い、全土で90人以上の死傷者が出たそうです。ウクライナ軍の発表によれば、ロシア軍は83発のミサイルを放ったものの43発が迎撃され、残り40発が着弾したということです。

今回の攻撃で目を引くのは、大統領府や中央官庁が集中するキーウ中心部を狙った攻撃である、と言われていることです。日本で言えば、霞が関を狙ったようなものでしょう。

同時に、キーウ、リヴィウ、ドニプロ、ヴィンニツィア、ザポリッジャ、ハルキウなど各地で、電力施設が攻撃されており、ゼレンスキー大統領が言うように、「ウクライナのエネルギー・インフラが標的」にされた公算が高いのです。キーウの中心部にあるエネルギー関連のインフラ企業「デテック」の本社ビルも攻撃の対象になったそうです。

そこで思ったのですが、今年2月からはじまった侵攻では、キーウへの攻撃もありましたが、その際、中心部の大統領府などの中枢機関への攻撃は手控えていたのか、ということです。昨日の攻撃は5月以来だそうですが、それまでキーウは戦争がひと息ついたかのようなのどかな空気に包まれていて、日本大使館も再開され、避難先から戻って来る人たちも多かったそうです。

昨日のテレビニュースに出ていたキーウ在住のウクライナ人の話でも、プーチンはキーウを手に入れることを考えて街を破壊することを控えていたけど、今回の攻撃でキーウを徹底的に破壊することに舵を切った、というようなことを言っていました。そんなことがあるのか、と思いました。

朝日の記事によれば、ロシアが支配するクリミア共和国のアクショノフ首長は、今回の攻撃について、「作戦初日から敵のインフラをこのように毎日破壊していれば、5月にはすべてが終わり、キエフの政権は粉砕されていただろう」とSNSに投稿していたそうですが、言われてみればそのとおりなのです。

このところ、ウクライナ軍が東部や南部のロシア側支配地域に進撃して次々に奪還している、というニュースが多くありました。また、ロシア下院の国防委員長が、国営テレビの番組で、「我々はうそをつくのをやめなければならない」とウクライナで苦戦を強いられている戦況について真実を国民に伝えるべきだと訴えた、というニュースもありました。このように、西側のメディアでは、ロシア敗色濃厚のような報道におおわれていたのです。

そんな状況下で、10月8日、クリミア半島の東部とロシア本土を結ぶ、クリミア半島併合の象徴とも言うべきクリミア橋が爆破されたのでした。それは、プーチンの70回目の誕生日の翌日でした。

さっそくキーウ市内には、クリミア橋爆破の壁画が掲げられ、その前で記念写真を撮る市民の様子がニュースで伝えられていました。ゼレンスキー大統領も「未来は快晴」と発言して、「ウクライナは歓喜に沸いた」そうです。

前に、プーチンが思想的に影響を受けたと言われている、国粋主義者アレクサンドル・ドゥーギンの娘が車に仕掛けられた爆弾で殺害された事件がありましたが、それもウクライナ政府の情報機関が関わっていた、とニューヨーク・タイムズが伝えています。

プーチン自身も、政権内部の強硬派から「手ぬるい」と突き上げを受けていた、と言われていました。追い込まれたプーチンが戦術核兵器を使う懸念さえ指摘されていたのです。そんな中でのクリミア橋の爆破は、ロシアの強硬派の神経をさらに逆なでするような挑発的な行為とも言えるのです。

案の定、今回の大規模攻撃によって、戦争が振り出しに戻ったと言われています。ベクトルを終結の方向ではなく、逆の方向に向けるような”力”がはたらいているように思えてならないのです。

ウクライナ侵攻で解せないのは、ウクライナ国内を通っているロシアとヨーロッパを結ぶパイプラインが破壊されずに温存されているなど、戦争なのにどこか手加減されている側面があるということです。

侵攻前、アメリカのシンクタンクが、ドイツ経済を弱体化させ、ドイツが牽引するEUの経済力を削ぐことがアメリカ経済の反転につながる、そのためにウクライナを利用してロシアとドイツの関係にくさびを打ち込むことが必要だ、というような報告書を出していたという話があります。実際に、ウクライナ侵攻で対ロシアの天然ガス依存率が35%まで下がったことなども相俟って、ドイツ国内の電気代は何と600%以上値上がりしているそうです。ドイツ経済が苦境に陥っているのは事実なのです。

ロシアとベラルーシが合同軍を編成するというニュースもありますが、厭戦気分が漂っていたと言われた戦況が、再び元に戻り、さらに拡大していくのは必至のような状況なのです。

たしかに、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、アメリアは紛争を終結させるために介入しました。しかし、今回はウクライナに武器を供与してひたすら戦争を煽るだけです。

今回のウクライナ侵攻は、唯一の超大国の座から転落したアメリカの悪あがきのようなものとも言えるのです。世界が多極化する中で、当然、このようにセクター間の争いや潰し合いも起きるでしょう。

今回の争いは、アメリカとドイツとロシアのそれぞれの”極”の潰し合いみたいな側面もあるように思います。その潰し合いの中で漁夫の利を得るのは、言うまでもなく中国です。

先日、OPECプラスが世界需要の約2%に相当する日産200万バレルを11月から減らすことを決定し、インフレに苦しむアメリカなどが強く反発したというニュースがありましたが、これもOPECプラスのメンバーであるロシアの反撃だとの見方が有力です。もはやOPECに対しても、アメリカの力は及ばなくなっているのです。

世界戦争や核戦争に至らないのは、言うまでもなく核の抑止力がはたらいているからですが、それ以外にも、ロシアとヨーロッパの関係に示されているように、20世紀の世界戦争の時代と違って経済的にお互いが強く結び付いており、単純に喧嘩すればいいという時代ではなくなっている、ということもあるような気がします。しかも、それぞれの国民の生活水準も格段に上がっているので、生活水準を維持するために相互の持ちつ持たれつの関係をご破算にすることはできない、という事情もあるように思います。それが最終戦争のブレーキになっているのではないか。

笠井潔は、19世紀は国民戦争、20世紀は世界戦争で、21世紀は「世界内戦」(カール・シュミットの言う「正戦」)が戦争の形態になると言ってましたが、このどこか抑制された戦争のあり様を見るにつけ、20世紀と違って核や経済のブレーキが利いていることはたしかな気がします。

しかし、どんな戦争であれ、真っ先に犠牲になるのは、徴兵される下級兵士や一般市民であることには変わりがありません。

ロシアでは、部分的動員令(徴兵)の発令をきっかけに、各地で戦争反対の大規模なデモが起きました。また、徴兵を逃れるために、ロシアから脱出する若者も続出しているというニュースもありました。そういった国家より自分の人生や生活が大事という”市民の論理”は、ロシアに限らずアメリカやウクライナなどの国家の論理=戦争の論理の対極にあるものです。

笠井潔は、「世界内戦の時代」は同時に「民衆蜂起の時代」でもあると言ってましたが、イランのような宗教国家においても、イスラムの戒律にがんじがらめに縛られていたように思われた民衆が、宗教警察(道徳警察)による少女虐殺に端を発して、「ハメネイ体制打倒」を掲げて蜂起しているのです。今回は、イスラム世界の中で抑圧されてきた女性たち、中でも若い女性が立ち上がったということが大きな特徴です。彼女たちの主張は、(戒律によって)スカーフで髪を覆わなければならないなんてナンセンス、自由にさせれくれ、という単純明快なものです。でも、それは、イスラム世界ではきわめてラジカルな主張になるのです。そのため、当局から狙いに撃ちされ、デモに参加した10代の若い女性の死亡が相次いでいるというニュースもありました。

ハメネイ師は、抗議デモはイスラエルからけしかけられたものだ、と言っているそうです。そんな最高指導者の発言を見ると、イランはもはや自滅の道を辿りはじめているようにしか思えません。イランの女性たちの主張に影響を与えているのは、イスラエルではなくネットです。だから、イラン当局もSNSを遮断したのです。しかし、今の流れを押しとどめることはもうできないでしょう。

それは、ロシアやウクライナも同じです。岡目八目ではないですが、傍から見ると、国家の論理が戦争の論理にほかならないことがよくわかるのでした。

ウクライナの人権団体「市民自由センター」(CCL)が、ロシアの戦争犯罪を記録しているとしてノーベル平和賞を受賞しましたが、CCLは、侵攻前まではウクライナ国内の人権問題を扱っていた団体でした。アゾフ連帯のようなファシストやウクライナ民族主義者による、ロシア語話者や労働運動家や同性愛者などに対する、暴行や拉致や殺害などの犯罪を告発していたのです。ウクライナは、マフィア=オリガルヒが経済だけでなく政治も支配し、汚職が蔓延する”腐敗国家”と言われていたのです。

元内閣情報調査室内閣情報分析官だった藤和彦氏も、次のように書いていました。

  ソ連崩壊後、ウクライナでもロシアと同様の腐敗が一気に広がった。独立後のウクライナはマフィアによって国有財産が次々と私物化され、支配権力は底なしの汚職で腐敗していった。現在に至るまでウクライナには国家を統治する知恵や経験を持った政治家や官僚がほとんど存在せず、マフィアが国家の富を牛耳ったままの状態が続いている。政党「国民の僕」を立ち上げ、大統領に就任したゼレンスキー氏も有力なオリガルヒ(新興財閥)の傀儡に過ぎないとの指摘がある。

Yahoo!ニュース
デイリー新潮
ウクライナは世界に冠たる「腐敗国家」 援助する西側諸国にとっても頭の痛い問題


私たちが連帯すべきは、国家より自分の人生や生活が大事という”市民の論理”です。それが戦争をやめさせる近道なのです。ウクライナかロシアかではないのです。勝ったか負けたかではないのです。

誰が戦争を欲しているのか。もう一度考えてみる必要があるでしょう。


関連記事:
ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ
2022.10.11 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
ダイヤモンドオンラインに、ノンフィクションライターの窪田順生氏が下記のような記事を書いていました。

ダイヤモンド・オンライン
ウクライナ侵攻5カ月目…日本人は「戦争報道のインチキさ」今こそ検証を

手前味噌ですが、私も同じことをこのブログでしつこいくらい書いています。

窪田氏は、冒頭、こう書いていました。

 侵攻直後は「ウクライナと共に!」と芸能人たちが呼びかけ、ワイドショーも毎日のように戦況を紹介し、スタジオで「どうすればロシア国民を目覚めさせられるか」なんて激論を交わしていた。今はニュースで触れる程度で、猛暑だ!値上げだ!という話に多くの時間を費やしている。

 作り手側が飽きてしまったのか、それとも視聴者が飽きて数字が稼げなくなったのかは定かではないが、「打倒プーチン!」と大騒ぎをしていたことがうそだったかのように、ウクライナ問題を扱うテンションが露骨に落ちてきているのだ。


「支援疲れ」と言えば聞こえはいいですが、要するに”支援ごっこ”に飽きてきたというのが本音かもしれません。

前の記事で触れた暴露系ユーチューバーのガーシーが、楽天の三木谷浩史社長が親しい経営者仲間とゴルフコンペしたあと、ウクライナ人モデルを集めてパーティをしていたとみずからのチャンネルで暴露したのですが、それに対して、三木谷氏自身がTwitterで過剰に反応して、結果的にパーティの存在をみずから認めてしまったというオチがありました。

もっとも、一方的なネットの話なので虚実は不明です。NHK党から立候補したガーシーの挑発(話題作り)に、三木谷氏がうっかり乗ってしまった、乗せられてしまったという側面もなきにしもあらずでしょう。ただ、下記のような三木谷氏の反応を見ると、ゴルフのコンペのあとにウクライナ人女性を集めてパーティをやったことはどうやら間違いないようです。


「戦争を忘れてあげようと思って」パーティしたという三木谷氏のツイートは、子どもの言い訳のようで笑ってしまいました。野暮を承知で言えば、楽天が子どもを含めたウクライナ人避難民たちを招待して交流をはかり激励した、というような話ではないのです。あくまでコンペの打ち上げの仲間内のパーティなのです。

日本在住のウクライナ人について、ウィキペディアには次のように書かれています。

日本に在留しているウクライナ人の数は2003年には最大の1,927人にまで急増したが、かつて主流だった興行ビザによる滞在は2005年の興行ビザ発給制限の影響で減少し、2006年の387人から2020年では29人にまで大幅に減った。 2021年6月時点の中長期在留者・特別永住者は1,860人となっている。


興行ビザが厳格化されるまでは、ダンサーやモデルなどの資格で来日してロシアンパブなどで働いていたウクライナ人たちも多かったのです。特に外国人の場合、モデルと言ってもピンキリで、ホステスやコンパニオンがそう呼ばれていることも多いのです。

私は、ここでも”支援ごっこ”という言葉を浮かべざるを得ませんでした。

日本のメディアには、自由で清く正しい民主国家・ウクライナVS世界で孤立した悪の帝国・ロシアという図式が所与のものとして存在しているかのようです。あるメディアは、上記のような二項対立を否定してロシア「擁護」の陰謀論にはまっている人間は、同時に新型コロナウイルスの陰謀論にもはまっているタイプが多いと書いていましたが、とうとうここまで来たかと思いました。こんなことを書くのは日本のメディアだけでしょう。同調圧力にもほどがあると言いたくなります。

でも、そこにも、おなじみの「日本、凄い!」の自演乙、自己愛が伏在しているのです。

 日本人が働く日本のマスコミは、どうしても「日本が世界の中心」という考えに基づいた自国ファーストの情報を流す。そして、「数字」が欲しいので、日本人の読者や視聴者が「いい気分」になる話を扱いがちになる。西側についた日本が世界の中心だと視聴者や読者に知らしめるには、ロシアという国がいかに狂っていて、非人道的な連中なのか、とおとしめるのが手っ取り早い。ナショナリズムが報道の客観性をゆがめてしまっているのだ。
(同上)


旧西側陣営の主要メンバーとしてウクライナを支援して、「可哀そうなウクライナ」の人たちから涙ながらに感謝される日本。でも、実際に受け入れた避難民は千人ちょっとにすぎません。しかも、中には早速外国人パブで働きはじめた避難民がいて、それは人道支援の主旨と違うと行政が指導したというニュースもありました。

これでは、給付金詐欺と同じように、外国人パブで人気のウクライナ人ホステスを入国させるために、人道支援を隠れ蓑にしたケースもないとは限らないでしょう。「ウクライナの美女が中国に避難するのを歓迎」という投稿が載った中国のSNSを日本のメディアはやり玉に上げていましたが、その前に我が身を振り返ってみた方がいいかもしれません。

一方、昨日、朝日新聞に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「ジャベリンなかった」最前線、報道と落差 愛国か命か、揺れる兵士

これは今までの翼賛的な戦争報道と一線を画す記事で、「支援疲れ」の中でやっと出てきた記事と言えるのかもしれません。

 命じられた任務は、想像以上に過酷だった。部隊が前進する際に最前線の状況を確認し、ロシア軍の地雷などがあれば破壊。軍用車両が来れば爆発物で吹き飛ばす――。ロシア軍の進軍を防ぎつつ自陣を確保する、いわば「先遣隊」のような役割だった。

 だが、ほぼ実現することはなかった。「なぜなら、ずっと劣勢で、ウクライナ軍は押し返され続けてきたからです」

 とにかく、武器が足りなかった。メディアは、ウクライナ軍が欧米諸国から対戦車ミサイル「ジャベリン」や「NLAW」などの提供を受け、大きな戦果を上げていると報じている。

 だが男性は、「ジャベリンもNLAWも、見たことなんてない」と不満を口にした。「どこにあるのでしょうか?」。そう尋ねると、「政府や政治家に聞いてくれ」と批判した。


愛国心から軍に入った兵士。でも、今、前線から離れることを望んでいるそうです。しかし、軍人だから脱走するわけにはいかないと言います。

 ゼレンスキー大統領は、「勇気や知恵は輸入できない。我々の英雄が携えているものだ」などと述べて兵士らを鼓舞するが、男性は「そういう言葉を口にするのが大統領の仕事だから」とだけつぶやいた。

 「現場で戦っている兵士は決してあきらめていない」とも男性は言う。一方で、本当の戦況を知らされていないようにも思う。「もう疲れた。こんな状況で、人生を失いたくない」


戦争にプロパガンダは付き物です。もちろん、プロパガンダはロシアの専売特許ではないのです。当然、ウクライナもロシアと同じように、もしかしたらロシア以上にプロパガンダを発信しています。でも、”支援ごっこ”の日本人は、そんな当たり前のことすら理解してないように見えます。

何度も言っていますが、私たちは記事の兵士が抱いているような「厭戦」と連帯すべきなのです。ウクライナ・ロシアを問わず「戦争で死になくない」と考えている人々と連帯すべきなのです。そして、「戦争で死ぬな」と呼びかけるべきなのです。そんな素朴実感的なヒューマニズムが何より大事なのです。それしか戦争を止める道はないのです。

今、街頭で選挙演説している政治家や、そんな政治家に向かって手を振っている有権者に、ホントの平和主義者なんていません。彼らは無定見に国家の論理に拝跪しているだけです。先の大戦前、東条英機の自宅に、「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」などというような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送った国民と同じ心性を共有する、国家の論理で動員された人々がいるだけです。
2022.07.05 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
先日、ロシアのサハリン州(樺太)北東部沿岸で開発されている資源プロジェクト「サハリン2」の運営会社の資産を、ロシアが設立した新会社に移管する大統領令にプーチン大統領が署名したというニュースが伝えられました。すると、当地での日本の天然ガスの権益が失われ、供給もままなくなるとして、日本でもセンセーショナルに報道されたのでした。

現在の運営会社の株は、ロシアの国営天然ガス企業・ガスプロムが50%、イギリスの石油大手シェルが27.5%、日本の三井物産が12.5%、三菱商事が10%を保有していますが、それがごっそり新会社に無償譲渡されることになるのです。文字通り火事場泥棒の所業とも言えますが、戦争当事国としてはあり得ない話ではないし、予想できない話ではなかったはずです。

「サハリン2」で生産される液化天然ガス(LNG)の60%は日本向けで、日本はLNGの輸入の8.8%(2021年)をロシアに依存しており、その大部分が「サハリン2」だそうです。

もちろん、岸田首相が日本の首相として初めてNATO首脳会談に参加して、「ウクライナは明日の東アジア」などと述べ、アジア太平洋地域とNATOとの連携の強化を呼びかけたことなどに対する意趣返しであるのはあきらかでしょう。

日本は、G7のロシア産の石炭や石油の段階的な禁輸の方針には足並みを揃えることを表明していますが、LNGに関しては代替の調達が難しいという理由で制裁から除外していたのです。ロシアは、そんな都合のいい態度をとる日本の足元を衝いて来たとも言えるのです。

しかし、誤解を怖れずに言えば、ロシアは決して孤立しているわけではありません。アメリカのシンクタンクの集計でも、ロシア非難に加わらなかった国の人口を合わせると41億人で、世界の人口77億人の53%になるそうです。つまり、G7やNATOの制裁に同調する国は、世界の人口の半分にも満たないのです。特にG7に対抗する新興国のBRICS (ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)が運営する新開発銀行(本部は上海市)には、既にUAE(アラブ首長国連邦)・ウルグアイ・バングラデシュが新規に加盟しており、BRICSを中心にドル離れも進んでいます。

それどころか、肝心なアメリカ国民にも、ロシアとの”経済戦争”に冷めた見方をする人たちが多くなっていると言われています。アメリカも一枚岩ではないのです。

コロンビア大学のShang-Jin Wei教授(金融学・経済学)も、『Newweek』(7/5号)のコラムで、「 彼ら(引用者:アメリカ国民)の多くは、エネルギー価格高騰の全ての責任がロシアのプーチン大統領にあるとするバイデンの主張に賛同していない」(「アメリカの原油高を止める秘策」)と書いていました。

アメリカのガソリン価格は、現在、1ガロン55ドルくらいだそうですが、これを1ガロン=3.78リットル、1ドル=135円で換算すると、1リットル178円です。アメリカのガソリンは水みたいに安いと言われたのも今は昔で、日本とほぼ変わらないのです。2022年5月の価格は、昨年同月比の75%増だったそうです。

アメリカは2017年以降、世界の産油国の中でトップを占めるくらい輸出を行っており、原油(シェールガス)の埋蔵量も豊富です。世界最大の原油消費国であるとともに、原油輸出国でもあるのです。だったら、この原油高なのですから、アメリカ経済にもっとうるおいをもたらしてもいいはずです。しかし、アメリカの一般市民は、恩恵に浴してないどころか、逆に値上げに苦しんでいるのでした。

そこには資本主義のしくみが関係しています。原油高の利益が貪欲な石油会社とその株主、つまり資本に独占されているからです。しかも、彼らにとって、国内の消費者も収奪の対象でしかないのです。

アメリカは40年ぶりと言われる猛烈なインフレに見舞われ、アメリカ経済は疲弊しています。それが、FRBが25年ぶりに、政策金利を通常の3倍の0.75%という大幅な利上げに踏み切った背景です。もちろん、金利が上がれば経済成長は鈍化しますが、それよりインフレを抑える方に舵を切ったのです。それくらいインフレが深刻なのです。

アメリカにかつてのような超大国としての”余裕”はもうないのです。今秋(11月)の中間選挙次第では、バイデン政権が進めるウクライナ支援にも、ブレーキがかかる可能性があるかもしれません。アメリカの世論は、ウクライナ支援より自分たちの生活が大事という内向き志向になっているのは間違いありません。もはや「世界の警察官」としての自負もなくなっているのです。

「協調を忘れた世界」のツケが先進国の人間の消費を享受する便利で豊かな生活を直撃する、私たちはその危うい現実を突き付けられたと言っていいでしょう。まして、資源小国の日本が資源大国に歩調を合わせて「協調を忘れた世界」の論理に与すると、「サハリン2」のようなどえらいシッペ返しを受けるのは当然でしょう。良いか悪いかではなく、それが世界の現実なのです。それでもやせ我慢して、(本音では誰も戦場に行きたくないのに)軍事増強に突き進み、犬の遠吠えみたいな対決姿勢を鮮明にするのか。勇ましい言葉に流されるのではなく、今一度虚心坦懐に冷静に考える必要があるでしょう。
2022.07.02 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナ侵攻がロシアの侵略であることは論を俟ちません。そんなのは常識中の常識です。しかし、だからと言って、ロシア糾弾一色に塗り固められた報道が全てかと言えば、もちろん全てではないでしょう。まったく別の側面もあるはずです。

旧西側のメディアが伝えているように、ホントにウクライナが小春日和の下で平和で穏やかな日々を過ごしていた中に、突然、無法者のロシアがやって来て暴力を振るい家の中をメチャクチャにしたというような単純な話なのでしょうか。

2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命とウクライナは国を二分する騒乱の渦中にありました。その中で、西欧流民主主義を隠れ蓑にしたしたウクライナ民族主義が台頭し、ロシア語話者に対する迫害もエスカレートしていったのでした。ロシアはその間隙を衝いて、ロシア系住民を保護するためという大義名分を掲げてクリミア半島に侵攻し併合したのです。

それは、ソビエト連邦やソ連崩壊時の独立国家共同体の理念を借用した行為であるとともに、国民向けには大ロシア主義=ロシア帝国再興の夢を振り撒く行為でもありました。

ただ、当時のウクライナは文字通り内憂外患の状態にあり、政治は腐敗しマフィアが跋扈し常に暴力が蔓延しており、欧州でいちばん貧しく遅れた国と言われていたのです。今回の侵攻で英雄視されているアゾフ大隊もそんな中で登場したネオナチの民兵組織で、国内の少数民族や社会主義者や労働運動家や性的マイノリティやロシア語話者に対する弾圧の先頭に立っていたのです。

でも、ロシアによるウクライナ侵攻によって、そういったウクライナのイメージはどこかに行ってしまったのでした。

欧米から供与された武器が闇市場に流れているのではないかという指摘もありますが、まったく荒唐無稽な話とは思えません。

今日、Yahoo!ニュースには次のような記事も出ていました。

Yahoo!ニュース
AFPBB News
ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ 国連

国連薬物犯罪事務所(UNODC)は、薬物に関する年次報告書で、ロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナ国内の「違法薬物の製造が拡大する恐れがあると警告した」そうです。

 年報によると、ウクライナで撤去されたアンフェタミン製造拠点の数は2019年の17か所から20年には79か所に増加した。20年に摘発された拠点数としては世界最多だった。

 侵攻が続けば、同国における合成麻薬の製造能力は拡大する可能性があるとしている。

 UNODCの専門家アンジェラ・メー(Angela Me)氏はAFPに対し、紛争地帯では「警察が見回ったり、製造拠点を摘発したりすることがなくなる」と説明した。
(上記記事より)


これなども、今まで私たちが抱いている「可哀そうなウクライナ」のイメージが覆される記事と言っていいかもしれません。

俄かに信じ難い話ですが、ゼレンスキー大統領が国民総動員体制を敷いて、最後の一人まで戦えと鼓舞している傍らで、「合成麻薬の製造能力が拡大する可能性がある」と言うのです。しかも、それを国連が警告しているのです。

日本のメディアの「可哀そうなウクライナ」一色の報道に日々接していると、文字通り脳天を撃ち抜かれたような気持になる記事ではないでしょうか。それともこれも陰謀論だと一蹴するのでしょうか。

また、『紙の爆弾』(7月号)には、こんな記事がありました。

ウクライナから避難民とともに日本に入国したペットについて、「農林水産省は入国に際し、180日間の隔離などの狂犬病の動物検疫を免除する特例を認めた」そうです。どうしてかと言えば、避難民が動物検疫所係留の管理費用を払うことができず、費用負担できなければ「殺処分になる」というメールを検疫所から受け取ったことに端を発して(でも、実際にはそういったメールは送信されてなかった)、テレビや超党派の動物愛護議員連盟が費用免除を訴えたからです。それで、農水省が「人道への配慮」により検疫免除の特例を認めたのでした。

しかし、ウクライナは、「毎年約1600件の狂犬病の症例が報告され」「狂犬病が動物と人間の間で広まっている欧州唯一の国」なのです。そのため、農水省の決定に対して、専門家の間から狂犬病のリスクを持ち込む「善意の暴走」という批判が起きているそうです。もっとも、記事によれば、動物検疫所に係留されているのは、犬5匹と猫2匹にすぎないそうです。

言葉は悪いですが、これもウクライナの”後進性”を示す一例と言えるでしょう。と同時に、「可哀そうなウクライナ」の感情だけが先走る日本人の薄っぺらなヒューマニズムを示す好例とも言えるかもしれません。

でも、そう言いながら、日本が受け入れている避難民は、今月の24日現在で1040人にすぎません。大騒ぎしているわりには、受け入れている避難民はきわめて少ないのです。善意のポーズだけなのです。

ウクライナ侵攻に反対を表明しているあるロシア人ユーチューバーは、最近、侵攻以来届いていた「クソリブ」がほどんど届かなくなり、それはそれで逆に悲しいことでもあると言っていました。どうしてかと言えば、「クソリブ」が届かなくなったのは日本人の間でウクライナ侵攻に対する関心が薄れてきたことを示しているからだと。熱しやすく醒めやすい日本人の性格をよく表した話だと思いました。

私たちは今回の戦争について、はたしてどれだけ知っているのでしょうか。というか、どれだけ知らされているのか。「可哀そう」の感情だけでなく、もっといろんな角度から知る必要があるでしょう。そして、ゼレンスキーのプロパガンダに抗して、「戦争で死ぬな」と言い続ける必要があるのです。
2022.06.27 Mon l ウクライナ侵攻 l top ▲
AFPの記事によれば、NATOのイエンス・ストルテンベルグ事務総長が、ウクライナ侵攻は今後数年続く可能性があると述べたそうですが、たしかに和平交渉が完全にとん挫している今の状況を考えると、その言葉に首肯せざるを得ません。と同時に、戦う前から戦意喪失しているロシア軍は早晩敗退するだろうと言っていた、当初のメディアの報道は何だったんだと思わざるを得ません。言うまでもなく、持久戦になれば、悲劇はその分増すことになるのです。

経済制裁でロシアが苦境に陥っていると言われていますが、しかし、日本の異常な円安と物価高、アメリカのインフレと大幅な利上げに伴うNYダウの暴落などを見ていると、むしろ苦境に陥っているのは反ロシアの側ではないのかと思ってしまいます。

アメリカ(FRB)がNYダウの暴落を覚悟で大幅な利上げに踏み切ったのも、ドル崩壊を阻止するためでしょう。そこに映し出されているのは、超大国の座から転落するアメリカのなりふり構わぬ姿です。そして、何度も何度もくり返しくり返し言っているように、世界は間違いなく多極化するのです。ウクライナ侵攻もその脈略で捉えるべきで、手前味噌になりますが、このブログでも2008年のリーマンショックの際、既に下記のような記事を書いています。

関連記事:
世界史的転換

少なくとも資源大国であるロシアや「世界の工場」から「世界の消費大国」と呼ばれるようになった中国を敵にまわすと、世界が無傷で済むはずがないのは当然でしょう。それが、どっちが勝つかとか、どっちが正しいかというような単純な話では解釈できない世界の現実なのです。

今回のウクライナ侵攻のおさらいになりますが、元TBSのディレクターでジャーナリストの田中良紹氏は、『紙の爆弾』(7月号)で、アメリカの世界戦略について次のように書いていました。

  米国の世界戦略は、世界最大の大陸ユーラシアを米国が支配することから成り立つ。米国はユーラシアを欧州・中東・アジアの三つに分け、欧州ではNATOを使ってロシアを抑え、アジアでは中国を日本に抑えさせ、そして中東は自らがコントロールする。
(「ウクライナ戦争勃発の真相」)


しかし、アフガン撤退に象徴されるように、アメリカは中東(イスラム世界)では既に覇権を失っています。アジアの「中国を日本に抑えさせ」るという戦略も、ここぞとばかりに防衛費の大幅な増額を主張し軍事大国化を夢見る(「愛国」と「売国」が逆さまになった)対米従属「愛国」主義の政治家たちの思惑とは裏腹に、その実効性はきわめて怪しく頼りないものです。と言うか、中国を日本に抑えさせるという発想自体が誇大妄想のようなもので、最初から破綻していると言わねばならないでしょう。

今回のウクライナ侵攻にしても、ロシアを「抑える」というバイデンの目論みは完全に外れ、アメリカは経済的に大きな痛手を受けはじめているのでした。それに伴い、バイデン政権が死に体になり民主党が政権を失うのも、もはや既定路線になっているかのようです。

  ウクライナ戦争はバイデンにとって、アフガン撤退の悪い記憶を消し、インフレを戦争のせいにできる一方、米国の軍需産業を喜ばせ、さらに厳しい経済制裁でロシア産原油を欧州諸国に禁輸させれば、米国のエネルギー業界も潤すことができる。そうなればバイデンは、秋の中間選挙を有利にすることができる。
(略)
しかしバイデンの支持率は戦争が始まっても上向かない。米国民は戦争より物価高に関心があり、バイデン政権の無策にしびれを切らしている。
(同上)


これが超大国の座から転落する姿なのです。ソ連崩壊によりアメリカは唯一の超大国として君臨し、「世界の警察官」の名のもと世界中に軍隊を派遣して、「悪の枢軸」相手に限定戦争を主導してきたのですが、ソ連崩壊から30年経ち、今度は自分がソ連と同じ運命を辿ることになったのです。今まさに世界史の書き換えがはじまっているのです。

(略)ロシアに対する経済制裁に参加した国は、国連加盟国一九三ヵ国の四分の一に満たない四七ヵ国と台湾だけだ。アフリカや中東は一ヵ国もない。米国が主導した国連の人権理事会からロシアを追放する採決結果を見ても、賛成した国は九三ヶ国と半数に満たなかった。
米国に従う国はG7を中心とする先進諸国で、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)を中心とする新興諸国はバイデンの方針に賛同していない。このようにウクライナ戦争は世界が先進国と新興国の二つに分断されている現実を浮木彫りにした。ロシアを弱体化させようとしたことが米国の影響力の衰えを印象づけることにもなったのである。
(同上)


最新のニュースによれば、フランス総選挙でマクロン大統領が率いる与党連合が過半数の289議席を大幅に割り込む歴史的な大敗を喫したそうです。

その結果、急進左派の「不服従のフランス」のメランションが主導する「左派連合」が141議席前後に伸ばし、野党第1党に躍り出る見通しだということでした。また、極右のルペンが率いる「国民連合」も前回の10倍以上となる90議席を獲得したそうです。

もちろん、この結果には、今までもくり返し言っているように、右か左かではない上か下かの政治を求める人々の声が反映されていると言えますが、それだけでなく、ウクライナ一辺倒、アメリカ追随のマクロン政権に対する批判も含まれているように思います。

極右の台頭はフランスだけではありません。来春行われるイタリア総選挙でも、世論調査では極右の「イタリアの同胞」がトップを走っており、今月イタリア各地で行われた地方選挙でも「右派連合」が主要都市で勝利をおさめており、ムッソリーニ政権以来?の極右主導の政権が現実味を帯びているのでした。

このように、ウクライナ侵攻が旧西側諸国に経済的にも政治的にも暗い影を落としつつあるのです。

一方、次のような記事もありました。

Yahoo!ニュース
共同
ロシア軍、命令拒否や対立続出 英国防省の戦況分析

Yahoo!ニュース
讀賣新聞
ゼレンスキー氏、南部オデーサ州訪問…英国防省「ウクライナ軍が兵士脱走に苦しんでいる可能性」

どうやらロシア軍だけでなく、ウクライナ軍にも兵士の脱走が起きているようですが、ホントに「戦争反対」「ウクライナを救え」と言うのなら、ウクライナ・ロシアを問わずこういった「厭戦気分」と連帯することが肝要でしょう。しかし、日本のメディアをおおっている戦争報道や、メディアに煽られた世論は、そんな発想とは無縁に、最後の一人まで戦えというゼレンスキーの玉砕戦を無定見に応援しているだけです。「戦争で死ぬな」とは誰も言わないのです。まるで金網デスマッチを見ている観客のように、ただ「やれっ、やれっ」「もっとやれっ」と観客席から声援を送っているだけです。そんなものは反戦でも平和を希求する声でも何でもないのです。


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戦争で死にたくないと思う人たちの存在
2022.06.20 Mon l ウクライナ侵攻 l top ▲
前の記事の続きになりますが、今回のウクライナ侵攻をきっかけに、国家はホントに頼るべきものなのか、できる限り国家から自由に生きるにはどうすればいいのか、ということを考えることが多くなりました。

今のように無定見に身も心も国家に預けたような生き方をしていたら、たとえば、ウクライナのように”国家の災難”に見舞われたとき、私たちは容赦なく国家と運命をともにすることを余儀なくされるでしょう。

国家に命を捧げるのが「英雄」とされ、それを支えた家族の物語が「美談」として捏造され称賛されても、人生の夢や希望が一瞬にして潰えてしまい、家族とのささやかでつつましやかな日常もはかない夢と化してしまうことには変わりがないのです。

そういった考えは、前の戦争のときよりは私たちの中に確実に根付いています。大震災からはじまってコロナ禍、そしてウクライナ侵攻と、国家が大きくせり出している今だからこそ、そんな”身勝手な考え”が大事なように思うのです。

現在、与野党を問わず政治家たちの間で、核武装も視野に敵基地攻撃能力を保有して、ロシアや中国の脅威に対抗しようというような勇ましい言葉が飛び交っていますが、では、誰がロシアや中国と戦うのですか?と問いたいのです。汚れ仕事は自衛隊に任せておけばいいのか。そうではないでしょう。

時と場合によってはロシアや中国と戦争することも覚悟しなけばならないというのは、当然ながら自分の人生や生活より国家の一大事を優先する考えを持つことが必要だということです。国家や家族を守るために、みずからを犠牲にするという考えを持たなければならないのです。

国家の論理と自分の人生、自分の生き方はときに対立するものです。俗な言葉で言えば、利害が対立する場合があります。まして命を賭す戦争では尚更でしょう。当然、そこに苦悩が生まれます。しかし、天皇制ファシズムの圧政下にあった先の大戦においては、そういった苦悩はほとんど表に出ませんでした。むしろ、没論理的に忠君愛国に帰依するような生き方に支配されたのでした。私たちは、のちに第一次戦後派と言われた若い文学者たちが、官憲の目を逃れて人知れず苦悩していたのを僅かながら知るのみです。しかし、現代はそうではありません。ささやかでつつましやかな幸せを一義と考えるような”ミーイズム”が人々の中に当たり前のように浸透しています。

そんな戦争に象徴される国家の論理と自分の生き方との関係性を考えるとき、朝日に掲載されていた次のような記事がとても参考になるように思いました(私は朝日新聞デジタルの有料会員なので、どうしても朝日の記事が中心になってしまいますがご容赦ください)。

最初は、過酷な引き揚げ体験を持つ五木寛之氏のインタビュー記事です。

朝日新聞デジタル
国にすてられ、母失った五木寛之さん 「棄民」の時代に問う命の重さ

五木氏は、現在は「棄民の時代」だと言います。そして、次のように言っていました。

 ――「はみ出した人々」ですか。初期のころから使ってこられたフランス語の「デラシネ」という言葉も印象的です。

 「デラシネとは『流れ者』じゃない。すてられた国民のことなんですよ。今の言葉だと、まさに難民です。これからの世界で、難民の問題がとても大きくなっていくでしょう。どうも、デラシネ、根無し草というと流れ者のような感じで、自分から故郷を出て行ってフラフラしている人っていうイメージを持つ人もいるんですが、ぜんぜん違う。たとえば、スターリン時代に、まさにウクライナなどから強制的に移住させられてシベリアへ移った大勢の人たちもそうです。政治的な問題や経済的な問題で、故郷を離れざるを得なかった人たちのことをデラシネだと僕は考えている」

 「私自身が難民であり、国にすてられた人間でした。敗戦の時に、日本の政府は、外地にいた650万人もの軍人や居留民が帰ってきては食料問題などもあって大変だと考えたんでしょうが、『居留民はできるだけ現地にいろ。帰ってくるな』という方針を打ち出していたのです。それを知ったときには怒り心頭に発しました。一方で当時の軍の幹部や官僚、財閥などの関係者といった人々は、私たち一般市民と違って、戦争が終わる前から家財道具と一緒に平壌から逃げ出していたのですから」

 「平壌はソ連兵に占領され、母を失い、収容所での抑留生活を余儀なくされました。戦後2年目に、私たちはそこから脱北しました。妹を背負い、弟の手を引いて、徒歩で38度線を越え、南の米軍キャンプにたどり着いたのです。国にすてられた棄民という心の刻印は一生消えません」

 「デラシネの基本思想だと私が思っているのは、評論家の林達夫さんの指摘です。移植された植物の方が、そこに原生の植物より生命力があると。最初からその地に生まれ育ったものより、無理やり移されたものには、『生命力』や『つよさ』があるというのです。もちろん例外はあるでしょうが、僕はそれを頼りにして生きてきました」

 「難民として世界に散らばって生きていかざるをえない人々が日々たくさん生まれていますが、その境遇をマイナスとだけ捉えないで、どうかプラスとして考えて生きていって欲しいと思います」


「棄民」というのは、文字通り国家に棄てられたという意味です。「難民」も似たような意味ですが、しかし一方で、「棄民」の方が国家との関係性において積極的な意味があるような気がします。国家に棄てられたというだけでなく、みずから国を棄てた(棄てざるを得なかった)というような意味もあるような気がするからです。だったら、五木氏が言うように「棄民の思想」というのがあってもいいのではないかと思うのです。

今の日本にも、「難民」ではなく、実質的に「移民」と呼んでもいいような人たちが政府の建前とは別に存在します。彼らは、ときに日本人から眉をしかめられながらも、逞しく且つしたたかに生きているのは私たちもよく知っています。そんな彼らの中に、私は「棄民の思想」のヒントがあるような気がするのです。

ロシアや中国に対抗するというのなら、国の一大事か自分たちの幸せかの二者択一を迫られる日が、再び来ないとも限りません。今のウクライナを見てもわかるように、国家というのはときにそんな無慈悲な選択を迫ることがあるのです。それが国家というものなのです。

話が脇道に逸れますが、健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化するという政府の方針も、たとえば国家が国民の健康状態を一元管理できれば、医療費の抑制だけでなく、いざ徴兵の際に迅速に対応できるという安全保障上の思惑もなくはないでしょう。もちろん、そうやってマイナンバーカードが義務化されれば、GooglePayどころではないさまざまな個人情報を紐付けることも可能で、ジョージ・オーウェルも卒倒するような超監視社会の到来も”夢”ではないのです。

たまたま今、『AI監獄 ウイグル』(新潮社)という本を読んでいるのですが、著者のジェフリー・ケインは、本の中で、中国政府はウイグル自治区を「ディストピア的な未来を作り上げる最先端の監視技術のための実験場に変えた」と書いていました。その先兵となったのが、アメリカのマイクロソフトと中国のIT企業が作った合弁企業です。それを著者は「不道徳な結婚」と呼んでいました。

もちろん、その監視技術は、コロナウイルス対策でも示されたように、ウイグルだけでなく、既に中国全土に広がっているのです。そうやって超監視社会に進む中国の現実は、私たちにとっても決して他人事ではないのです。と言うか、日本政府は中国に対抗するために、中国のようになりたいと考えているようなフシさえあるのでした。国民の個人情報を一元管理して迅速で効率的な行政運営をめざす日本の政治家や官僚たちにとって、もしかしたら中国共産党や中国社会こそが”あるべき姿”なのかもしれないのです。

もうひとつは、明治大学教授(現代思想研究)の重田園江氏が書いた、映画監督セルゲイ・ロズニツァをめぐる言説の記事です。

朝日新聞デジタル
体制に同意せざる者の行き場は 映画監督セルゲイ・ロズニツァに思う

ちなみに、セルゲイ・ロズニツァは、「1964年、ベラルーシ(当時のソ連)に生まれ、幼少期に一家でキーウに移住した。コンピューター科学者として勤務した後、モスクワの全ロシア映画大学で学んだ。サンクトペテルブルクで映画を制作し、今はベルリンに移住している」映画監督で、文字通り五木寛之氏が言う「デラシネ」のような人です。

彼は、ウクライナ侵攻後、ロシア非難が手ぬるいとしてヨーロッパ映画アカデミー(EFA)をみずから脱退したのですが、ところが翌月、今度はウクライナ映画アカデミー(UFA)から追放されたのでした。UFAがセルゲイ・ロズニツァを追放した理由について、重田氏は次のように書いていました。

UFA側の言い分はこうだ。ロシアによる侵略以来、UFAは世界の映画団体にロシア映画ボイコットを求めてきた。あろうことかロズニツァはこれに反対している。彼はロシア人の集団責任を認めていないのだ。ロズニツァは自らを「コスモポリタン(世界市民)」と称している。だが戦時下のウクライナ人に望まれるのは、コスモポリタンではなくナショナル・アイデンティティーなのだ、と。


ここにも今の戦時体制下にあるウクライナの全体主義的な傾向が見て取れるように思います。さらに重田氏はこう書いていました。

 ロズニツァは、コスモポリタンであることを理由に人を非難するのはスターリニズムと同じだという。スターリンは晩年、「反コスモポリタン」を旗印にユダヤ人迫害を強めたからだ。ロシア、そして世界の至るところに「ディセント=体制に同意せざる者」がいる。映画を通じて体制への疑念や物事の多様な見方を表現する者たちは、世界から排除されれば行き場を失うだろう。

(略)

 国家に住むのは人びとである。彼らは多様な感情と思想を持って生きている。悲惨な戦争のさなかにあっても、ナショナル・アイデンティティーに訴えて少数者や異端者を排除するのは危険である。ロズニツァはそれを誰よりも理解している。

 芸術家は、ハンナ・アーレントがエッセー「真理と政治」において示した、真理を告げる者である。政治は権力者によるうそをばらまくことで、大衆を操作し動員してきた。これに対し、芸術家は政治の外に立って、人びとが真理とうそを区別するための種をまく。政治がコスモポリタンたる芸術家を排除し、うそと真理を自在に作り変えるなら、真理はこの世界から消え去るだろう。後に残るのは政治的意見の相違だけだ。

 私たちは戦争をめぐるうそを聞かされすぎた。いまは世界を蝕(むしば)むこうした言葉を聞くべき時ではない。真理とうその区別がなおも世界に残ることを望むなら、その種を芸術と歴史のうちに探すべき時だ。


敵か味方かという戦時の言葉に席捲された世界。それは芸術においても例外ではないのです。もちろん、戦争当事国であるかどうかも関係ありません。

いくら侵略された被害国だからと言って、コスモポリタンであることを理由に非難され追放されるような社会、そんな国家(主義)を私たちはどう考えるかでしょう。だったら、「棄民の思想」を対置してそれをよすがに逞しく且つしたたかに生きていくしかないのではないか。そんな人々と「連帯」することが大事ではないのかと思います。

もっとも、UFAのような愚劣な政治の言葉は、ウクライナだけではありません。先日、国家の憎悪を一身に浴び20年の刑期を終えて出所したS氏(どっかのブログを真似てイニシャルで書いてみた)に対する、日本共産党や立憲民主党に随伴する左派リベラル界隈の人たちから浴びせられた罵詈雑言も同じです。愚劣な政治の言葉でひとりの人間の存在を全否定する所業は、昔も今も、左も右も、ウクライナも日本も関係ないのです。S氏の短歌のファンである私は、衣の下から鎧が覗いたような彼らの寒々とした精神に慄然とさせられたのでした。
2022.06.04 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲
昨日、朝日に下記のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」

ウクライナは現在、戒厳令と総動員令がセットになった戦時体制下にあり、政党活動は禁止され、18~60歳の成人男性の出国も禁止されています。もちろん、ロシアの理不尽な侵攻に対して一丸となって戦うためですが、政党活動が禁止されているというのは、実質的に政府のやることに異を唱えることができないということでもあります。その意味では、きつい言い方ですが、今のウクライナはロシアよりむしろ全体主義的な状況にあると言っていいのかもしれません。

余談ですが、昨日の「モーニングショー」では、ロシアでは戦場に派遣する兵士が不足して、片目がない身障者まで駆り出されているというウクライナのニュースを紹介していました。そして、例によって例の如く電波芸者コメンテーターの石原良純や山口真由らがああでもないこうでもないと与太話をくり広げていました。

もっとも、ロシアは徴兵制度はあるものの、ロシア軍は志願兵が主体で、徴兵制によって集められた兵士の割合は全体の2割以下だと言われています。ホントに身体障害者を戦場に派遣するほど兵員不足なら、もっと徴兵制の運用を強化するでしょう。スマホのアクセスログなどのチェックはあるみたいですが、ウクライナと違って男性の出国も可能です。そのため、多くの若者が侵攻に失望して国を離れていると言われているのです。

戦争なのですから、情報戦が行われるのは当然です。にもかかわらず、そうやって敵か味方かの二項対立で多分にバイアスのかかったニュースを取り上げ、戦争当事国の片方に肩入れするような「言論の自由度ランキング」71位の国のメディアでは、現在の戦況を含めて”ホントのこと”を知ることはできないでしょう。日本のメディアの報道は極めて政治的で、むしろ戦争を煽るものと言うべきなのです。

話は戻りますが、記事によれば、ウクライナでは、成人男性の出国禁止に対して、出国を「可能にすることを求める請願書に2万5千人の署名がインターネット上で集まっている」のだそうです。

そのネット請願に対して、ゼレンスキー大統領は、次のように「不快感を示した」のだとか。

「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」


バイデンと一緒になって「ウクライナ頑張れ」と外野席から声援を送っている人たちから見れば、ゼレンスキーの言うとおりで、何と「身勝手」な人たちなんだろうと思うかもしれません。

しかし、私は、民衆は国家に対して「身勝手」を言う権利と言うか、資格はあるだろうと思います。それが民主主義ではないのか。「身勝手」が言えないなら全体主義国家でしょう。「国を出るなら勝手に出ろ、その代わり二度と戻ってくるな」と言うのならまだわかりますが、国を出ることは一切認められない、そんな人間は”非国民”だとでも言いたげなゼレンスキーの発言は、どう見ても全体主義者のそれに近いものです。

ゼレンスキーが求めているのは、最後の一人まで戦えということです。文字通り戦前の日本が掲げた「進め一億火の玉だ」と同じ愛国心を求めるものです。ゼレンスキーは国を守るために国民に銃を渡すと言っています。総動員令というのは国民皆兵と同義語なのです。その意味では(暴論を承知で言えば)ブチャなどのジェノサイドも、「起こるべくして起こった」とも言えるのです。国民皆兵であれば、誰が兵士で誰が兵士でないか(誰が銃を持っているか)わからないでしょう。戦場の極限状況の中では疑心暗鬼に囚われ、「だったら皆殺しにしてしまえ」と命令が下されるのは「あり得ないことではない」ように思います。同じようなジェノサイドは、旧日本軍もやったし、アメリカも朝鮮やベトナムでやってきたのです。

今も毎日多くのウクライナ国民がロシア軍の銃弾の犠牲になっているのは、ゼレンスキーの言うとおりです。しかし、ゼレンスキーら指導部は、厳重に警護された安全地帯にいて、ただ国民を鼓舞するだけです。もちろん、鼓舞すればするほど国民の悲劇は増すばかりです。それでも、ゼレンスキーは、今の時点で和平交渉を行うつもりはないと明言しています。

もしかしたら、国民の犠牲と引き換えに、和平交渉に向けて有利な条件を創り出そうとしているのかもしれません。犠牲になった国民に対しては、「お前は英雄だ」と言っておけばいいのです。戦争では、いつの時代も国家が「英雄」の空手形を乱発するのが常です。

今回の戦争は、21世紀とは思えない古色蒼然としたものだと言われますが、しかし、戦争に駆り出される国民の間に、戦争で死んで「英雄」扱いされるより(戦争で犬死するより)、目の前の幸せを守る方が大事だという考えが前の世紀より浸透しているのはたしかな気がします。井上光晴が『明日』 という小説で、原爆投下の前日(1945年8月8日)の長崎の庶民の一日を描いたように、国家が強いる”運命”より以前に、私たちには人生の夢や希望や悲喜こもごもの日常が存在するのです。戦争のやり方は進歩していないけど、戦争に向き合う人々の意識は多少なりとも進歩していると言えるのではないでしょうか。

小室さんと眞子さんの結婚で盛んに言われた”幸福追求権”を持ち出すまでもなく、自分の運命は自分で決める、戦争で死にたくない、そのために、国を出て戦争で死なない人生を選択したいと思うのはごく自然な気持でしょう。でも、国の指導者は、愛国心を盾に彼らを”非国民”扱いして不快感を示すのです。不快感だけならまだしも、警察権力を使って拘束した上で、強制的に前線に送ることだってあるかもしれません。

「平和国家」の国民を自認するのなら、バイデンやメディアに煽られて「ウクライナ頑張れ」と声援を送るだけでなく、戦争で死にたくないと思う人たちの存在や、その人たちの視点からこの戦争を見ることも必要ではないのか。

反戦平和のためには、あるいは「ウクライナを救え」と言うのなら、戦争で死にたくない(銃を持ちたくない)と思っているウクライナの人たちや、ロシアの内外で侵攻に反対し心を痛めているロシアの人たちと、国を越えて「連帯」することでしょう。

ヒューマニズムを標榜するなら、戦争の論理や国家の論理より個人の論理、個人の事情を優先する考えをまず持つことでしょう。日本でのメディアの報道姿勢や国民の関心の持ち方を見ると、所詮は戦争の論理や国家の論理を忖度し拝跪したものにすぎません。そんなものはヒューマニズムでも何でもないのです。

前も書きましたが、たとえば、テレビで得々と戦況を解説している防衛省管下の防衛研究所の研究員にしても、彼らはヒューマニズムとは無縁な(税金を使って)戦争を研究する専門家です。戦略や戦術を研究して理論化する、言うなれば”戦争屋”なのです。その簡易版が「軍事評論家」と称するフリージャーナリストたちです。そんな彼らの戦争の論理がテレビを通して”お茶の間”を席捲し、多くの国民のこの戦争に対する視点を決定付けているのは否定すべくもない事実でしょう。これこそプロパガンダと言うべきではないでしょうか。
2022.05.24 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
マリウポリのアゾフスターリ製鉄所で、2ヶ月以上に渡って抵抗していたウクライナ軍(アゾフ大隊)がついに投降、ウクライナ政府も任務の完了=敗北を認めました。

アゾフスターリ製鉄所の陥落について、朝日新聞は、これで「ロシアが占領するクリミア半島とウクライナ東部をつなぐ要衝を、ロシアが近く完全制圧する可能性が高くなった」と伝えています。

併せて、「ウクライナ戦争で最も長く血なまぐさい戦闘が、ウクライナにとって重要な敗北に終わる可能性がある」というロイター通信の見方も紹介していました。

朝日新聞デジタル
ロシア軍、マリウポリ完全制圧へ 「最も血なまぐさい戦闘」が節目

また、メディアは、当初、投降した兵士たちがロシア支配地域に移送されたことで、今後、兵士たちは捕虜交換に使われる見込みだと報じていました。ところが讀賣新聞は、ネオナチのアゾフ大隊の兵士たちは、ウクライナに引き渡さない可能性が出てきたと伝えています。

讀賣新聞オンライン
「アゾフ大隊」兵士の引き渡し、ロシア拒否か「彼らは戦争犯罪者」…捕虜交換の禁止案

ロシア下院は18日、ウクライナ南東部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所から退避した武装組織「アゾフ大隊」の兵士と、ロシア兵との捕虜交換を事実上禁じる法案を審議する。アゾフ大隊の兵士のウクライナへの引き渡しにロシアが応じない可能性が出てきた。


私たちは、こういった報道を見ると、頭が混乱してしまいます。私たちが日頃接している報道では、士気の高いウクライナ軍によって、ロシア軍は各地で劣勢を余儀なくされ、それに加えて厭戦気分も蔓延しているため、今にもロシアの侵攻は失敗で終わるかのようなイメージを抱いていたからです。

もっとも、「国境なき記者団」が先日発表した2022年の「報道の自由度ランキング」では、日本は世界180の国や地域のうち71位でした。私たちが日々接しているのはその程度の報道なのです。

何度も言いますが、戦争なのですから敵も味方もありません。どちらもプロパガンダが駆使され、真実が隠されるのは当然のことです。でも、日本人はそんなことは露ほども念頭になく、まるでサッカーの代表戦と同じように、「ウクライナ大健闘」を信じ込んでいるのでした。

ウクライナから日本に避難した人たちが、記者会見で、祖国を離れて安全な日本に避難したことに後ろめたさを覚えるとか、祖国のために戦っている同胞を誇りに思うとか、今年の秋(何故か今年の秋を口にする人が多い)までには戦争が終わって祖国に帰ることを望んでいるとか言うと、日本人も彼らに同調して、そう遠くない時期にウクライナ勝利で戦争が終わるかのように思い込んでいるのです。

しかし、それは、ウクライナ人たちが戦時体制の中で、自由にものを考えることを禁止されているからに他なりません。ロシアの侵略はまぎれもない蛮行=戦争犯罪ですが、でも、もはやウクライナは取り返しがつかない国家の分断に向っているように思えてなりません。

とは言え、ウクライナの国民たちは皆が皆、”ロシア化”に反発しているわけでもありません。ロシア語の話者たちの中に、ロシアへの帰属を望んでいる人たちがいるのも否定できない事実です。一方で、ロシアの支配地域に住んでいながら帰属を望まない人たちもいます。

勝ったか負けたか、敵か味方かではなく、そんな国家に翻弄される人々の視点で戦争を見ることも大事でしょう。いつの戦争でもそうですが、そこには私たちの想像も及ばない個々の事情とそれにまつわる悲劇が存在するのです。

どっちの国が正しいかではないのです。まして、どっちの国に付くかでもないのです。大事なのは、人々が国家から少しでも自由になることでしょう。戦争の際、「国のために死ぬな」という言葉がリアリティを持つのはそれ故です。国家の論理に対して、人々の個々の論理、個々の事情が対置されるべきだし優先されるべきなのです。ホントに戦争に反対し「ウクライナを救え」と言うのなら、まず「国のために死ぬな」と言うべきでしょう。

「ウクライナを救え」の人たちの間では何故かタブーになっていますが、そもそも今のウクライナは、ロシア革命に勝利したボリシェヴィキによって半ば人工的に作られた国という側面もなくはないのです。プーチン政権は、それを持ち出して、ロシア語の話者が多く住む地域をロシアに併合する暴挙に出たのでした。もちろん、そこには、NATOの東方拡大に対する危機感やロシア帝国再興の野望(大ロシア主義)もあったでしょう。

一方、ウクライナ国内でも、オレンジ革命による民主化への高まりによって、逆に「二つのウクライナ」が政治的に大きなテーマになり、ネオナチの集結とともにロシア語話者に対する差別や迫害がエスカレートしていったのでした。「民主主義」とネオナチが、反ロシアと愛国(ウクライナ民族主義)で手を結んだのです。そこにも、西欧的価値観=西欧民主主義の限界と欺瞞性が露呈されているように思います。そして、オレンジ革命の「二つのウクライナ」は、2014年のユーロマイダン革命の悲劇へとつながっていったのでした。

何度もくり返しますが、勝ったか負けたかでも、敵か味方かでもないのです。戦争で命を奪われた人々は「英雄」でもないし、「美談」の主人公でもありません。占領されると、お前はどっちの側だと旗幟鮮明を迫られ、敵側だと見做されると拷問されて殺害されるのです。「お国のため」という美名のもとに兵士になり、国家からは「英雄」だと持ち上げられ、家族からは「誇り」だと尊敬されても、敵国に捕らえられると容赦なく命を奪われ、”家庭の幸福”も一瞬にして瓦解します。

それでもアメリカは、和平の「わ」の字も口にすることなく、「お前たちは英雄だ」「もっとやれ」「もっと戦え」「武器はいくらでも出すぞ」と言って、ゼレンスキー政権を煽りつづけているのでした。まるでそうやってロシアをウクライナに張り付かせていた方が、都合がいいかのようにです。そこにあるのは、ヒューマニズムや民主主義で偽装された大国の都合=国家の論理だけです。

先日、床屋で髪を切っていたら、テレビからロシア軍がアゾフスターリ製鉄所に籠城するアゾフ大隊に対して、白リン弾を使用したというニュースが流れました。すると、それを観ていた床屋の主人が、「でも、アメリカだってベトナムで同じことをやってたじゃないですか。だからドクちゃん何とかちゃんみたいな奇形児が出来たんでしょ」と言ってました。たしかに、その通りです。アメリカはどの口で言っているだという話でしょう。

しかも、アゾフスターリ製鉄所で化学兵器を使ったという話も、確証がないままいつの間にか消えてしまったのでした。このようにウクライナ側の情報も、(ロシアに負けず劣らず)フェイクなものが多いのです。

ウクライナは、アメリカやNATO諸国にとって、所詮は”捨て駒”なのです。誰かも同じことを言って炎上していましたが、ロシアの体力を消耗させるのために、アメリカが用意したサンドバックのようなものです。「ウクライナを救え」と言うのなら、いい加減そのことに気付くべきでしょう。


関連記事:
「戦時下の言語」とジャーナリズムの死
2022.05.19 Thu l ウクライナ侵攻 l top ▲
田中龍作氏は、5月3日の記事で、キーウの基地で遭遇した日本人義勇兵を取り上げていました。

田中龍作ジャーナル
【キーウ発】日本人義勇兵 「自由と独立を守るためには武器を取って戦わなければならない」

元自衛隊員の義勇兵は、まだ正式にウクライナ軍の兵士と認められてないため、無給だそうです。志願の動機について、下記のように書いていました。

 志願の動機は―

 「(旧ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って満洲に侵攻してきた)1945年と同じことがまた起きたと思った」

 「かつて交際していた女性の祖父は満洲で終戦となったためシベリアに抑留された」。

 57万5千人の日本軍将兵・満蒙開拓団員などがシベリアに連行され、強制労働に従事させられた。5万5千人が病気や衰弱などで死亡した(厚生省調べ)。

 「ロシアはウクライナに対しても当時と同じようなことをした」

 「自由と独立を守るためには武器を取って戦わなければならないことを日本人は認識していない」 

 「私戦予備罪を押してでも行く価値があると思い志願した」


しかし、この義勇兵は、田中氏が書いているように、ホントにただの義憤に駆られた人なのか。彼こそ、前に藤崎剛人氏が書いていた、世界中からウクライナに集まっているネオナチのひとりではないのか。

田中宇氏は、Qアノンまがいのコロナワクチンを巡る発言などにより、ややもすれば陰謀論の権化のように言われる毀誉褒貶の激しい人ですが、ウクライナ・ネオナチ説について、次のように書いていました。

田中宇の国際ニュース解説
ウクライナ戦争で最も悪いのは米英

ウクライナ軍は腐敗していたため国民に不人気で、2014年の政権転覆・内戦開始後に徴兵制を敷いたものの、徴兵対象者の7割が不出頭だった(2017年秋の実績)。多くの若者が徴兵を嫌って海外に逃げ出していた(若者の海外逃亡の結果、国内で若手の労働力が不足した)。予備役を集めて訓練しようとしても7割が出頭せず、訓練の会合を重ねるほど出席者が減り、4回目の訓練に出席したのは対象者の5%しかいなかった(2014年3-4月の実績)。(略)


親露派民兵団やロシア側に対抗できる兵力を急いで持つことを米英から要請されていたウクライナ政府は、政府軍の改善をあきらめ、代替策として、ウクライナ国内と、NATO加盟国など19の欧米諸国から極右・ネオナチの人々を傭兵として集め、NATO諸国の軍が彼らに軍事訓練をほどこし、政府軍を補佐する民兵団を作ることにした。極右民兵団の幹部たちは、英国のサンドハースト王立士官学校などで訓練を受けた。民兵団は国防省の傘下でなく、内務省傘下の国家警備隊の一部として作られた。ボー(引用者註:NATOの要員だったスイス軍の元情報将校)によると、2020年時点でこの民兵団は10万2千人の民兵を擁し、政府軍と合わせたウクライナの軍事勢力の4割の兵力を持つに至っている。ウクライナ内務省傘下の極右民兵団はいくつかあるが、最も有名なのが今回の戦争でマリウポリなどで住民を「人間の盾」にして立てこもって露軍に抵抗した「アゾフ大隊」だ。


今回のロシア侵攻を考えるとき、このようなゼレンスキー政権の極右化の問題も無視することはできないのです。もちろん、だからと言って、ロシアの戦争犯罪が免罪されるわけではありません。ただ一方で、ほぼ内戦状態にあったウクライナ東部において、ゼレンスキー政権が「極右民兵団」を使ってロシア系住民(ロシア語話者)を迫害していたのは、いろんな証言からもあきらかです。もちろん、ロシアへの併合を目論むロシア系民兵組織も同じことをやっています。しかし、「極右民兵団」によるロシア系住民の迫害が、ロシアに「個別的自衛権」の行使という侵攻の口実を与えることになったのは事実です。

そこにアメリカの”罠”があったのではないか。結果として、ゼレンスキー政権はバイデン政権からいいように利用され、そして煽られ、和平交渉の糸口さえ見つけることもできずに、総力戦=玉砕戦に突き進むことになったのでした。これではウクライナ国民はたまったものではないでしょう。でも、バイデン政権にしてみれば、してやったりかもしれません。アメリカはウクライナに巨額の軍事援助を行っていますが、それは同時に民主党政権と密接な関係にある産軍複合体に莫大な利益をもたらすことになるからです。

このように和平の働きかけも一切行わず、8千キロ離れたワシントンからただ戦争を煽るだけのバイデン政権の姿勢(それを異常と思わない方がおかしい)が、今回の侵攻を考える上で大きなポイントになるように思います。

今回の侵攻で、その帰趨とは関係なく、ロシアの国力や軍事力が大きくそがれ、プーチンの目論見とは裏腹に、ロシアが国家として疲弊し弱体化するのは否めないでしょう。一方で、プーチンの神経を逆なでするかのように、NATOはさらにフィンランドとスウェーデンの加入が取り沙汰されるなど、拡大の勢いを増しているのでした。言うなれば、アメリカは、ウクライナ国民の犠牲と引き換えに、ロシアをウクライナ侵攻という”泥沼”に引きずり込むことに成功したのです。そこに民主主義国家VS権威主義国家という、多極化後にアメリカが選択するあたらな世界戦略が垣間見えるように思います。

アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が対極化するということは、アメリカがみずから軍隊を派遣するのではなく、今回のように”同盟国”に武器を提供して”同盟国”の国民を戦わせることを意味するのです。そう方針転換したことを意味するのです。アメリカにとって、戦争は政治的な側面だけでなくビジネスの側面も強くなっており、そのため戦争の敷居が格段に低くなったのは事実でしょう。

日本でも早速、対米従属愛国主義の政治家ポチたちが、敵基地への先制攻撃を可能にする憲法9条の改定や核シェアリング(実質的な核武装)の導入など、戦争ができる体制を作るべきだと声高に主張し始めています。しかも、2014年のクリミア半島とルハンスク州南部・ドネツィク州東南部侵攻の際には、ウラジーミルとシンゾーの関係を優先して欧米の制裁に歩調を合わせなかった安倍晋三元首相が、今度は先頭に立って核武装を主張しているのですから開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

でも、実際に戦場で戦うのは自衛隊員だけでなく国民も一緒です。ウクライナでも見られたように、避難した民間人を警護するという建前のもと、実際は弾除けの盾に使われることだってあるでしょう。戦争なのですから何だってありなのです。政治家ポチの勇ましい言葉に踊らされている「風にそよぐ葦」の国民は、戦争に対するリアルな想像力が決定的に欠けていると言わねばなりません。ウクライナが可哀そうという感情に流されるだけで、戦争の現実をまったく見てないし見ようともしてないのです。

何だかまわりくどい話になりましたが、このような敵か味方かの国家の論理に依拠した今の報道は、ウクライナが可哀そうという”善意の仮面”を被ったもうひとつのプロパガンダと言うべきなのです。
2022.05.08 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲
侵攻前からキーウ(キエフ)に入っていたフリージャーナリストの田中龍作氏は、ロシア軍がキーウ(キエフ)に侵攻した際も、大手メディアの記者たちがまるで蜘蛛の巣を散らすように逃げ去るのを尻目に戦火のなかにとどまり、今なお現地の生々しい状況を発信しつづけているのですが、4月25日の記事で次のように書いているのが目に止まりました。

田中龍作ジャーナル
【キーウ発】たとえ戦争広告代理店があったとしても

  湾岸戦争(1991年)やコソボ紛争(1990年代)の頃と決定的に違うのは、SNSの普及である。デッチあげは「ウソだ」とすぐに告発される。

  もう一つ決定的に違うのは、ウクライナでは言論の自由が保障されていることだ。ゼレンスキー大統領をクソミソにこき下ろしても許される。(略)

  戦争広告代理店による捏造があったりしたら、住民がSNSで告発するだろう。それが今のところない。

(略)
 
  「ネオナチ説」「自作自演説」を唱える言論人に共通するのは、虐殺の現場に一歩も足を踏み入れず、住民の話をひと言も聞いていないことだ。


最初に断っておきますが、今のウクライナは非常事態宣言が発令された挙国一致の戦時体制下にあるので、「言論の自由」は保障されていません。昔の日本と同じで、民主的な制度(権利)は完全に停止されています。野党の政治活動も停止させられていますし、それどころか先日は新ロシア派の野党の党首が逮捕されています。もちろん、「ゼレンスキー大統領をクソミソにこき下ろしても許される」自由などあろうはずもないのです。そんなことを口にしたら、当局に密告されて「ロシアの手先」のレッテルを貼られ、とんでもない目に遭うでしょう。

それより私が看過できないと思ったのは、「『ネオナチ説』『自作自演説』を唱える言論人に共通するのは、虐殺の現場に一歩も足を踏み入れず、住民の話をひと言も聞いていないことだ」という箇所です。

しかし、実際には私が知る限り、「言論人」でロシアの荒唐無稽な主張をそのままなぞったような主張を唱えている人はほとんどいません。「ロシア寄り」と言われている人たちも、ロシアの侵略は弁解の余地もない蛮行だけど、だからと言ってゼレンスキーが言っていることを百パーセント信じていいのかと主張しているだけです。

にもかかわらず、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの人たちは、「ロシアの侵略は弁解の余地もない蛮行」という断りを故意に無視し、”ゼレンスキー批判”だけを言挙げして「陰謀論」「ロシア寄り」と決めつけ、問答無用に悪罵を浴びせるのでした。彼らには、そういった”客観的な視点”も利敵行為に映るみたいです。敵か味方か、旗幟を鮮明にしなければ、戦争を語ってはいけないとでも言いたげです。田中氏は、針小棒大なもの言いをすることで、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの人たちの「俗情と結託」(大西巨人)しているにすぎないのです。

もっとも、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの彼らも、最近はウクライナ問題に関心が薄らいでいるという指摘もあります。それはそうでしょう。彼らは、メディアのセンセーショナルな戦争報道に動員された(煽られた)人たちにすぎないので、メディアの情報量が減っていけば、関心も薄らいでいくのは当然なのです。そのうち(大声で”正義”を叫んでいた人ほど)、「いつまでウクライナのこと言ってるんだ?」なんて言い出すに決まっています。所詮はその程度の存在にすぎないのです。

どういった団体なのかよくわかりませんが、「世界の共産党・労働者諸党」が2月25日に発表した緊急声明「ウクライナにおける帝国主義戦争に反対する」では、ロシアのウクライナ侵攻を批判する一方で、次のようにウクライナ政府も批判しているそうです。

  われわれは、ウクライナにおけるファシスト・民族主義勢力の活動、反共主義および共産主義者迫害、ロシア語話者住民への差別、ドンバスの人びとへのウクライナ政府の無力攻撃を糾弾する。

  われわれは、ヨーロッパ=大西洋諸国[=NATO諸国]が彼らのプランを実施するため、ウクライナの反動的政治勢力をファシスト集団も含めて利用していることを糾弾する。

(『「世界」臨時増刊 ウクライナ侵略戦争』所収「資料と解説 異なる視点―第三世界とウクライナ危機」)


これは、所謂「どっちもどっち」論とも言えますが、少なくとも世界の左派の間では、ゼレンスキー政権は「ファシスト」「民族主義者」「反共主義者」に支えられた反共右派政権であるとの認識が共通していたのは事実のようです。

ウクライナは、人口が4130万人で、ヨーロッパで7番目に人口の多い国ですが、今のウクライナが建国されたのはロシア革命時の1917年で、正式に独立したのはソ連崩壊後の1991年です。

しかし、ウクライナは、「東ウクライナ」と「西ウクライナ」の二つのウクライナがあると言われるように、ウクライナ語とロシア語が併存する言語やカトリック教会と3つの正教会からなる4つの教会が存在する宗教など、多元的な文化を内包している若い国です。言うまでもなく、ウクライナの多元的な文化は、他の旧東欧諸国と同様、ソ連によって人為的に「人民共和国」が作られた建国の経緯から来ているのでした。ちなみに、ウクライナ国民のうち、35~40%がロシア語の話者で、同じ割合でウクライナ語の話者が存在し、残り20%がロシア語とウクライナ語の両方を話すバイリンガルだそうです。

下記の論稿の執筆者のアンドリー・ポルトノフ氏(ベルリン・フンボルト大学客員教授)によれば、「教育や人文学においては、ウクライナ語は支配的であるものの、ロシア語はマスメディア、政治、ビジネス、科学の分野において明白に浸透している」のだそうです。

WEBアスティオン
ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か(上)─ウクライナ・アイデンティティ
アンドリー・ポルトノフ(ベルリン・フンボルト大学客員教授)

ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、ロシア語も準公用語の扱いでした。ところが、オレンジ革命(2004年)を機に、二つのウクライナという「定型句」が流布されるようになり、ウクライナのアイデンティティを求める機運が高まったと言われます。

ふたつのウクライナという定型句(つまり、ナショナルな意識に目覚めたウクライナと、〔ロシアおよびソ連の影響が残った〕「混ざりものの」('creole')ウクライナであり、前者が好ましい規範とされる)は、政治的選択の範囲、あるいは所属集団の選択の動機を単純な図式に押し込めることになる。

そして、その図式では、規範とそこからの逸脱という二者択一の考えが生まれてしまうのである。

(ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か・上)


私は、ウクライナのナショナリズムを考えるとき、「ウクライナのナショナリズムの要素が、法の支配、社会的正義、移動と表現の自由といったヨーロッパの神話に溶けあわされたのである」というアンドリー・ポルトノフ氏の指摘が重要であると思いました。「民主化運動」が排外主義的なナショナリズムと融合し、西欧的デモクラシーがその方便に使われたというパラドックス。そこには、右か左か、独裁か民主かでは捉えきれない、現代世界が抱える深刻な問題が伏在しているように思いました。

「帝国主義戦争」というのは、ロシア革命に際してレーニンが唱えたテーゼですが、そういった古い左派の視点も一概に無視できないものがあるように思います。と言うか、そういった視点でこの戦争を見ると、今まで見えなかったもの(見えにくかったもの)も見えてくるような気がするのです。

ウクライナの経済成長率は、ロシアがウクライナ領のクリミア半島に侵攻し併合した2014年がマイナス6.58%、翌年の2015年がマイナス9.79%に落ちたものの、その後、プラスの成長が続いて経済は持ち直していました。ところが、ゼレンスキーが大統領に就任した翌年の2020年にいっきにマイナス3.80%に落ち込んだのでした。そのため侵攻前、ゼレンスキー政権の支持率は41%まで下がり、ウクライナで反ゼレンスキーデモが頻発していたのでした。田中氏自身も記事のなかで、「開戦前、反ゼレンスキーデモで掲げられたプラカード。DICKTATORは独裁者と男性器(大統領はコメディアン時代、裸踊りで人気を博した)をかけたシャレだ」というキャプションを付けて、反ゼレンスキーデモの写真を掲載していたくらいです。

では、侵攻前に反ゼレンスキーデモに参加したような人々は、どうなったんだろうと気になります。これ幸いに、アゾフ大隊のようなネオナチから排斥(処刑?)されたりしてないだろうかと心配せざるを得ません。

当たり前の話ですが、何事にも表もあれば裏があります。況や政治や戦争においてをやです。それを伝えるのがジャーナリストではないのか。自由な言論による談論風発、百家争鳴がジャーナリストの生命線でしょう。何度もくり返しますが、国家に正義などないのです。戦争で亡くなった人々は「英雄」なんかではないのです。ましてや、「美談」であろうはずもありません。

田中氏は、「オレはお前たちと違ってこの目で現場を見ているんだ」とすごんでいるつもりかもしれませんが、しかし、敵か味方か、勝ったか負けたかの二項対立(=国家の論理)でしか戦争を語ることができないという点では、田中氏も、大手メディアの記者たちも、同じ穴のムジナのようにしか見えません。「戦時下の言語」に与するのはジャーナリズムの死ではないのか。そう言いたくなります。
2022.04.26 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナのドネツク州にあるマリウポリで、ウクライナ政府軍の最後の拠点となっているアゾフスターリ製鉄所をめぐる攻防戦は、製鉄所内に閉じこもって抵抗を続けるウクライナ軍がロシア軍の再三の降伏勧告にも応じなかったことで、プーチン大統領が火器による攻撃の中止を命令。今後は「ハエも入り込めないよう封鎖」(プーチン)した兵糧攻めの戦術に転換するというニュースがありました。

アゾフスターリ製鉄所は、ソ連時代に作られたウクライナ国内最大の製鉄所で、核攻撃でも耐え得るように地下に要塞を備えているそうです。アゾフスターリ製鉄所は、その名称からもわかるとおりアゾフ大隊の地元(誕生の地)にあり、地下要塞に立てこもっているのはアゾフ大隊を中心とする部隊だと言われています。

しかも、地下要塞には、アゾフ大隊だけでなく、1000人近くの一般市民も避難しているため、世界中のメディアが注視するなか、ブチャの二の舞を怖れるロシア軍も容易に手が出せないというのが真相かもしれません。こう言うとまた「ロシア寄り」と批判されるかもしれませんが、製鉄所を前にして地団駄を踏んでいるロシア軍を見るにつけ、ウクライナ政府のメディア戦略は見事に成功しているように思います。

でも、よくよく考えてみれば、アゾフ大隊の抵抗は一般市民=民間人を盾にした”背水の陣”と言えないこともないのです。ブチャでの「ジェノサイド」キャンペーンで敵を牽制する方法を学んだウクライナ政府は、今回もメディアを使って、「またジェノサイドをくり返すのか」とロシア軍を牽制しているようにも見えます。

製鉄所の地下要塞に避難しているのは、女性や子どもや高齢者が大半のようですが、悲しいな、彼らもまた、「人間の盾」として国家に利用されていると言わざるを得ません。

ホントに戦争に反対して平和を求めるのなら、くり返しになりますが、「国家のために死ぬな」と声を上げるべきでしょう。ロシアとウクライナ双方に対して、「一般市民=民間人を戦争に巻き込むな」「戦争を美談にするな」と言うべきでしょう。私たちは、侵略する国の非道さとともに、国民に銃を渡して総力戦を強いた上に、戦場で戦う国民を英雄扱いする国家の非道さ、いかがわしさも考える必要があるのです。

勝ったか負けたか、(どっちが)敵か味方かではないのです。勝とうが負けようが、敵であろうが味方であろうが、一度きりの人生を戦争で奪われた人々は、決して浮かばれることはないのです。

一方、Yahoo!ニュースには、次のようなCNNの記事が転載されていました。記事は、今回の戦争でも看過してはならない大事な問題を伝えているように思いました。

Yahoo!ニュース
CNN.co.jp
ウクライナに供与した大量の兵器の行方、米国も把握しきれず

(略)長期的なリスクとして、そうした兵器の一部が米国の意図していなかった相手の軍や武装組織の手に渡る可能性があると、米当局者も軍事アナリストも指摘している。


「短期的な保証はある。だが戦争という霧の中に入ればほぼゼロになる」。米国が入手した情報について説明を受けた関係者はそう語る。「短い期間が過ぎれば大きなブラックホールの中に落ち、ほとんど感知できなくなる」


以前、ロシアの政治や経済はマフィアに支配されていると盛んに言われた時期がありました。それがいつの間にか、マフィアがオリガルヒと言い換えられるようになったのですが、それはウクライナも同じです。ウクライナも、ロシアに勝とも劣らないマフィアが支配する社会だったはずです。

私もふと、あのマフィアたちはどこに行ったんだろうと思いました。高潔な愛国人士に生まれ変わり、銃を手に先頭に立って戦っているのでしょうか。まさか、そんなことがあるんだろうかと思います。

戦争終結後、欧米から供与された武器で過激に武装したアゾフ大隊が、イスラム原理主義組織と同じように、ウクライナにとって”獅子身中の虫”になるのではないかと前に書きましたが、それはマフィアのような犯罪組織も同じでしょう。

「ブラックホール」のなかに消えていった大量の武器が、来るべき「全体主義の時代」に、あらたな”戦争の種”を蒔き散らす危険性もなくはないのです。
2022.04.22 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
『週刊プレイボーイ』のウェブサイトに、新著の宣伝で大塚英志のインタビュー記事が掲載されていましたが、そのなかで今回のウクライナ侵攻にも言及していました。

ちなみに、大塚英志は、戦時下大衆文化が戦意高揚のために如何に活用されたかという研究をすすめているのですが、新著『大東亜共栄圏のクールジャパン「協働」する文化工作』(集英社新書)もそのシリーズのひとつです。刊行と侵攻が重なったのは、「まったくの偶然」だと言っていました。

大塚英志は、ゼレンスキー大統領の演説について、次のように言っていました。

週プレNEWS
大塚英志氏インタビュー「ウクライナ侵攻から見える戦時の国家宣伝の意図とは」(後編)

大塚   (略)ゼレンスキーが用いている動員の話術みたいなものにも注意が必要です。もちろん、ウクライナのほうが侵略された側だし、対プーチンではゼレンスキーが正しいように見える。それでも、第三者である日本が彼らの宣伝戦に巻き込まれて、今度は自分たちの国の選択を間違えるようではいけない。とくにゼレンスキーの国会での演説が、世論を誘導するためのものとして使われようとしていることには注意すべきです。


大塚   ウクライナ市民が市内にとどまり市街戦のため銃を持つ姿が「美談」として日本でも報じられています。そうした戦争美談報道が、人々の戦争への認識をどう情緒的に作り替え、それが有権者としての政治的選択をどう左右してしまうかについて、私たちは冷静に考えなければいけない。この時代錯誤的な姿が改憲論などに与える影響は大きいでしょう。前提として、戦争に感動を求めたらダメだよという自制が必要だと思いますね。


手前味噌になりますが、これは私自身もこのブログでくり返し書いていることです。しかし、今、私たちの前にあるのは、大塚英志の警鐘も空しく響くような現実です。

ウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの安直な感情に覆われた日本。まるでウクライナ政府のスポークスマンのような発言をくり返す識者たち。スポーツの試合のように、ロシアは敵、ウクライナは味方の論理で戦況を解説する軍事ジャーナリストたち。そこにあるのは善か悪か、敵か味方かに色分けされた二項対立の身も蓋もない風景です。

そういった「戦時下の言語」によって、非核三原則や専守防衛など戦後この国が堅持してきた平和憲法の理念も、何の躊躇いもなく捨て去ろうとしているのでした。ロシアの振り見て我が振り直せではないですが、侵略戦争の反省もどこかに行ってしまったかのようです。

もちろん、それは、右派の話だけではありません。言い方は多少異なるものの、立憲民主党も含めた野党も同じです。むしろ、彼等こそ、この空気をつくり出していると言ってもいいでしょう。

最近、防衛省の防衛研究所の研究員が頻繁にテレビに出演して戦況を解説するという奇妙な現象がありますが、防衛研究所は防衛省直轄の研究機関です。彼らは、間違ってもフリーハンドで解説しているわけではないのです。そこに国家のプロパガンダがないとは言えないでしょう。

これでは大塚英志のような主張も袋叩きに遭うのがオチです。「言論の自由なんてない、あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは竹中労ですが、ウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの感情に囚われた(ある意味で)「善意」の人々は、みずからの感情に少しでも棹さして逆なでするような異なる意見=自由な言論に対して、いつの間にか「ロシアの手先」「陰謀論」というレッテルを貼り牙を剥きだして襲いかかるほどエスカレートしているのでした。こういうのを「善意のファシズム」というのではないか。

私は、前の記事で、戦争に反対するには人々の個別具体的なヒューマニズムこそが大事だと言いましたが、それと今のウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの感情は似て非なるものです。何故なら、ウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの感情のなかには、国家の論理=「戦時の言語化」が混在しているからです。だから、一方で、戦時体制を希求するナショナリズムやロシア人に対するヘイトクライムに向かわざるを得ないのです。何度も言いますが、国家に正義なんてないのです。

「あまりにひどい」として、ネットで袋叩きに遭った『アエラ』(3/21号)の的場昭弘神奈川大副学長と伊勢崎賢治東京外語大教授の対談「糾弾だけでは停戦は実現せず」を読みましたが、どこが「ひどい」のかまったくわかりませんでした。

伊勢崎   (略)(NATOは)軍事支援はするものの、届ける確証のないまま、外野席からの「戦え、戦え」という合唱ばかりでウクライナ人だけに戦わせている。非常に歪な構造です。何故「停戦交渉」を言わないのか。
的場   (略)ゼレンスキーのほうはショーをやってしまっている。ぼろぼろの服を着て、追い込まれて大変だという雰囲気を醸し出しながら、民衆には「武器を持って戦え」と。国家同士なら状況次第で降伏しますが民衆は降伏しませんから、どんどん犠牲者が増えてしまう。民衆には絶対銃を渡しちゃだめなんです。そこを煽れるのが彼が役者出身だからというのが皮肉な話ですが。


このように、両人は、どうすれば「一日も早く停戦を実現」できるかについて、至極真っ当な意見を述べているに過ぎません。その前にどっちが悪いか、どっちが敵でどっちが味方かはっきりしろ、と言う方が異常なのです。

的場    私は、ウクライナは中立化するしか生きる道はないと思います。地理的にさまざまな国や民族が行き来し、ときに土足で踏みつけられてきた「ヨーロッパの廊下」のような存在です。ロシアにとってNATO、EU(欧州連合)との緩衝国家(クッション役の果たす国家)でもあります。さらにウクライナを流れるドニエプル川、ドネツ川はロシアへつながり、黒海から入った船はこれらを上がってロシアへ行く。ウクライナがここを「占領」することは難しく、中立化して「開けて」おかないといけないんです。
伊勢崎   そこは国民の意思を越えたところでの「宿命」ですね。ウクライナは緩衝国家を自覚するしかない。西、東、どちらに付くかで、市民は死んではならないのです。日本でも「ウクライナを支持する」として「反戦」を訴えている人がいます。私は違和感がある。悲惨な敗戦を経験した国民なら、なぜ「国家のために死ぬな」と言えないのか。


政治家たちはさかんに「ウクライナに寄り添う」「日本はウクライナとともにある」と言ってますが、そういった扇動(文字通りの動員の思想)は、一方で、この対談にあるような”客観的な視点”はいっさい許さないという、日本社会特有の同調圧力(感情の強要)を誘発しているのでした。

伊勢崎氏は、(日本国民は)「国家のために死ぬな」となぜ言えないのかと言ってましたが、「ウクライナに寄り添う」「日本はウクライナとともにある」と言う政治家たちは、「国家のために死ぬことは美しいのだ」と言いたいのがミエミエです。

某軍事ジャーナリストは、みずからのツイッターで、「ヨーロッパの廊下」や「宿命」ということばだけを切り取ってこの対談に罵言を浴びせていましたが、それも同調圧力に便乗したきわめてタチの悪いデマゴーグと言うべきでしょう。戦争は、軍事ジャーナリストにとってバブルのようなものなので、「勝ったか負けたか」「敵か味方か」を煽ることで自分を売り込んでいるつもりかもしれませんが、それが彼らをしておぞましく感じる所以です。

案の定、ヤフコメなどは、軍事ジャーナリストの口真似をした俄か軍事評論家たちによる、”鬼畜露中”の痴呆的なコメントで溢れているのでした。戦争のような悲惨なニュースであればあるほど、それをバズらせてマネタイズすることしか考えてないYahoo!ニュースはニンマリでしょうが、これではどっちが”鬼畜”かわからないでしょう。
2022.04.13 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
今日、朝日新聞にロシアのペスコフ大統領報道官が、イギリスのテレビ局のインタビューで「ロシア軍は多大な損失を被った。我々にとって大いなる悲劇だ」と語ったという記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ロシア大統領報道官「多大な損失、大いなる悲劇」 自軍の苦戦認める(有料会員記事)

たしかに記事にあるように、「ロシア側が自軍の苦戦を認めるのは珍しい」のですが、私が注目したのではそこではなく、次のような箇所です。

 ロシア国防省は3月25日時点で1351人のロシア兵が死亡したとしている。一方、ウクライナ軍参謀本部は今月8日の発表で1万9千人のロシア兵を殺害したと主張している。


ロシアのプロパガンダばかりが取り沙汰されていますが、ウクライナだってプロパガンダを流しているはずです。戦争とはそういうものでしょう。

私たちは、いわゆる”西側”の情報に接しているので、ロシアだけがウソを吐いていると思っていますが、両方ウソを吐いている場合もあるのではないか。

上記の戦死者数がそれを示しているように思います。出来る限り数を少なく発表して被害を小さく見せるロシアと、逆に数を盛って戦果を強調するウクライナの姿勢の違いが、この二つの数字によく表われているように思います。

キーウ(キエフ)周辺からロシア軍が撤退したニュースも、ウクライナ側から言えば「撃退」したことになるのです。たしかに侵略者がいなくなったので「解放」されたのは事実だし、ロシアの作戦がウクライナ軍の抵抗で「うまくいかなかった」と見ることができるかもしれませんが、「撃退」したというのはいささかオーバーな気がします。ロシアがウクライナ東部での戦いに傾注するために撤退したというのが真相でしょう。

ブチャのジェノサイドで、ロシア軍に銃殺され路上に放置された遺体のなかに、白い腕章をした遺体があったというニュースを見て、私は、白い腕章って何だろうと思い調べてみました。

腕章と言ってもただの布切れですが、田中宇氏によれば、市街戦では敵と味方を見分けるために、ウクライナ側の住民は青い腕章を巻いているそうです。他の映像を見ると、たしかにウクライナ軍の兵士たちは青い腕章を巻いていました。一方、白い腕章は、文字通り白旗を上げたもので、ロシア軍に降参して恭順の意を示した印なのだそうです。白旗を上げるというのが万国共通だとは思いませんでしたが、となれば、白い腕章を巻いた遺体は、ロシア側に寝返ったとして処刑された可能性もなくはないのです。

もちろん、ロシア軍の虐殺や略奪や性暴力は事実でしょう。キーウに入って精力的に取材している田中龍作ジャーナルの記事などを見ても、ロシア軍の蛮行は弁解の余地がありません。

参考サイト:
田中龍作ジャーナル

ブチャの遺体がウクライナの「自作自演」だというロシアの主張があまりに荒唐無稽で、お話にならないのは言うまでもありません。

しかし、だからと言って、ウクライナ軍は、ロシア軍と違って聖人君子のような軍隊なのかという疑問があります。ロシア軍が撤退したあとにブチャに入ってきたウクライナ軍のなかにはアゾフ大隊も含まれていたと言われます。アゾフ大隊は、まるでヒットラーの時代を彷彿とするようなネーミングの国家親衛隊に所属しており、通常の軍事行動以外に、治安維持や工作員の摘発など”国家警察”としての役割も担っているそうです。

前の記事でも書いたように、アゾフ大隊は、国内の少数民族や性的マイノリティーや左派活動家を標的にして暴力を振るったりしていたのですが、それにとどまらず、今回プーチン政権が分離独立を画策しているドネツクやルガンスクなどでは、ロシア系住民を拉致して殺害したり、暴行、拷問などを行ってきたのは公然の事実で、それがロシアに侵攻の口実を与えたという指摘もあるくらいです。そんなネオナチのアゾフが、戦場でお行儀のいい、模範青年のような振舞いをしているとはとても思えません。むしろ、極限状況下では、排外主義的なネオナチの本性をむき出しにしていると考えるのが普通でしょう。

ネットには、住民からウクライナ軍の兵隊の妻だと密告された女性がロシア兵にレイプされ殺害された、という記事が出ていましたが、短期間とは言え、ロシア軍が占領していた間には当然密告を強要されることはあったでしょう。なかには拷問されて取り調べられた人間もいるかもしれません。協力を拒否して銃殺されたケースもあったに違いありません。

今のウクライナは、政党活動が禁止され、国民総動員令で18歳〜60歳までの成人男性の出国も禁止されるなど、民主的な制度が停止された戒厳令下にあります。そして、ウクライナ政府は、国民に武器を渡して徹底抗戦を呼びかけているのです。成人男性だけでなく、武装できない女性や老人たちが、市街戦に備えて火炎瓶や土のうを作っている場面が映像でも流れていました。そうやって昔の日本のように、「民間人」も一丸となって戦えと言っているのです。

武装した民兵が、女性や子どもや老人たちの周辺を警護していることもあるでしょう。あるいは、一部で指摘されているように、民兵が女性や子どもや老人たちを盾に応戦したり、そのなかに紛れて敵を待ち伏せたりすることだってあるかもしれません。戦争なのですから何でもありなのです。

そうなれば、戦闘員と「民間人」の識別も困難になりますし、遭遇した「民間人」が民兵ではないかと疑心暗鬼に囚われるようになるのは当然でしょう。ロシア軍による憎悪を伴った暴力が「民間人」にも向けられるようになったのも、(語弊を招く言い方ですが)当然の成り行きとも言えるのです。一方で、ロシア側に協力した人間が、ウクライナの国家親衛隊から”裏切り者”として処刑されたケースがあったとしても不思議ではないように思います。

「民間人」が虐殺されたのは事実だとしても、今のようにメディアが報道している内容が全てかと言えば、必ずしもそうとは言いきれない現実があるのではないか。ゼレンスキー大統領は、ブチャに外国首脳やメディアを”招いて”、みずから悲惨な現場を案内したりしていますが、今のジェノサイド報道には、情報発信に長けたウクライナ政府による政治的プロパガンダの側面がないとは言えないでしょう。

戦争でいちばん犠牲になるのは女性と子どもと老人だと言われますが、検証のためと称して、まるで見世物のように、いつまでもブチャの路上に並べられている彼らの遺体を見るにつけ、死んでもなお国家の宣伝に使われ、(それが事実だとしても)「可哀そうなウクライナ人」を演じなければならない彼らの不憫さを思わないわけにはいきません。

そう言うと、今回の戦争はロシアの一方的な侵攻からはじまったのではないか、ロシアが侵攻しなかったら住民の虐殺も発生しなかった、だから全てはロシアの責任だ、というお決まりの反論が返ってくるのがオチです。でも、そういった紋切型の解釈で済ませてホントにいいんだろうかと思えてなりません。真相は真相としてあきらかにすべきではないのか。

先日の「モーニングショー」で、コメンテーターの女性が、ゲストで出ていた防衛省の防衛研究所の研究員に、「ロシアはこんなことをしたらもう二度と国際舞台に出て来ることはできないように思いますが、プーチンはそのことをどう考えているんでしょうか?」と質問していました。それに対して、防衛研究所の研究員は、「ロシアの狙いは世界が多極化することなんで、欧米とは別に自分たちの極を造ることしか考えてないのだと思いますよ」というようなことを言ってました。

それは今回のウクライナ侵攻を考える上で大変重要な話だと思いますが、司会の羽鳥慎一はあっさりとスルーして、次のロシアが如何に極悪非道かという話に移っていったのでした。

女性コメンテーターが言う「国際舞台」というのは、たとえば国連やG20のようなものを指しているのかもしれませんが、そういった発想自体が既に古く、世界の多極化を理解してないと言えます。

前からしつこいくらい何度もくり返し言っているように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するのは間違いないのです。そのなかで、大ロシア主義や”新中華思想”やイスラム主義が台頭して、欧米とは違う価値観を掲げる「全体主義の時代」が訪れるのもまた、間違いないのです。今、私たちはそんな世界史の転換(書き換え)の真っ只中にいるのです。

先のアフガンからの撤退や今回のロシア侵攻に対するバイデン=アメリカ政府の”腰砕け”に見られるように、もはやアメリカが唯一の超大国などではなく世界の警察官の役割も果たせなくなったことは、誰の目にもあきらかになっています。今、私たちが見ているものこそ、多極化する世界の光景なのです。

7日に国連総会で採択された国連人権理事会におけるロシアの理事国資格を停止する決議は、賛成が欧米や日本など93カ国、反対はロシアや中国・北朝鮮など24カ国で、採択に必要な投票の3分の2を超えて資格停止が成立したのですが(採決を受けてロシアは理事会から脱退)、投票数に含まれない棄権はインドやブラジルやメキシコなど58カ国にも上ったのでした。中南米やアフリカや東南アジアの多くの国は棄権にまわっています。

私たちが日々接する報道から見れば考えられないことですが、そこからも多極化という世界史の転換を読み取ることができるように思います。敢えて棹さすことを言えば、ロシアは必ずしも世界で孤立しているわけではないのです。

イスラム学者の中田考氏は、先日出演したビデオニュースドットコムで次のように言ってました。

マル激トーク・オン・ディマンド (第1095回)
ロシアのウクライナ侵攻と世界の反応に対するイスラム的視点

(略)中田氏は現在、われわれが「国際秩序」と呼んでいるものは、17世紀以降、西欧を中心に白人にとって都合のいい理屈をいいとこ取りして作られたものに過ぎず、そのベースとなるウェストファリア体制下の主権国家という考え方も、それを支える「自由」や「民主」、「平等」などの概念も、あくまで白人が非白人を支配するために都合よく考え出された概念に過ぎないと、これを一蹴する。

 実際、西欧の帝国主義が世界を席巻する前の17世紀の世界は、「東高西低」と言っても過言ではないほど、オスマン帝国(トルコ)やサファヴィー朝(イラン)、ムガール帝国(インド)、清(中国)などアジアの帝国が世界で支配的な地位を占め、空前の繁栄を享受していた。中田氏はその時代がイスラム教にとっても全盛期だったと語る。しかし、1699年のカルロヴィッツ条約でオスマン帝国が欧州領土の大半を失った後、西欧諸国が帝国主義的な植民地政策によって経済的に優位な立場に立ち、18世紀以降、かつてのアジアの帝国は植民化されるなどして西欧諸国から支配され、好き放題に搾取される弱い立場に立たされた。その関係性はその後の2度の世界大戦を経た後も、大枠では変わっていない。
(概要より)


同時に、私たちがいる”西側世界”も、「全体主義の時代」に引き摺られるかのように、政治は右へ全体主義の方へ傾斜しています。ヨーロッパでは極右政党が台頭しており、明後日(10日)から始まるフランス大統領選挙でも、ロシア寄りの極右・国民連合のルペン候補が現職のマクロン大統領を「猛追」しているというニュースがありました。ハンガリーでは、4月3日に行われた総選挙で、政権与党が勝利して、右派で強権的なオルバン政権が信任されています。ハンガリーはEU加盟国ですが、ウクライナに武器の提供はしないと明言していますし、ロシア産原油の支払いをプーチンの要請に従ってルーブルに変更することを決定しています。それどころか、アメリカでも、バイデン政権が一期で終わるのは必至で、もしかしたら共和党を簒奪したトランプの復活もあるのではないかと言われているのです。

右へ傾斜しているという点では、日本も例外ではありません。野党の立憲民主党まで含めて、戦争に備えるために、防衛予算を増やして非常時に対応した現実的な安保政策を再構築すべきだという声が大きくなっています。東浩紀が称賛したように、国家がどんどん際限もなくせり出して来ているのです。それが国民の基本的な権利の制限と表裏一体であるのは言うまでもありません。でも、世論もそれを容認しているように見えます。

メディアも国民も、戦争が長引くにつれ、益々安直にプーチン憎し、ウクライナが可哀そうの敵か味方かの二項対立で戦争を語るようになっているのです。でも、それでは目には目を歯には歯の復讐律しか生まないでしょう。政治家たちが短絡的なナショナリズムを振りかざして悪乗りしているように、それこそが動員の思想と言うべきなのです。

マイケル・ムーアが言うように、ウクライナ侵攻におけるメディアの戦争プロパガンダは、戦争主義者たちにとって”願ってもない成果”をもたらしつつあるのです。バイデンの再三に渡る挑発的な発言は、どう見ても戦争を煽っている(火に油を注いでいる)としか思えませんが、何故かそう指摘するメディアはありません。これでは、常に敵を必要とする産軍複合体は笑いが止まらないでしょう。
2022.04.08 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
岸田首相の特使として、ウクライナの避難民支援のためにポーランドを訪問していた林外務大臣は、昨日(日本時間4日)、日本行きを希望する避難民20名を政府専用機の予備機に乗せてワルシャワを出発。今日(日本時間5日)、羽田空港に到着するそうです。

このニュース、なんだか人道支援に積極的に取り組む日本政府の姿勢をアピールするパフォーマンスのように思えてなりません。政府専用機で避難民を移送するなどという、こんな大仰なやり方をするのは日本だけです。

しかし、定員が150人の予備機に乗れるのは僅か20名。自力で渡航手段を確保するのが困難な人というだけで、その選定基準も定かではありません。なかには、日本のアニメにあこがれて、日本でマンガを学びたいという若い女の子も含まれているようです。

昨夜放送された「報道ステーション」によれば、その女の子は前にメインキャスターの大越健介氏の現地取材に出たことがあるそうです。それで、アピールするのに好都合だとして選ばれたのではないか、と余計なことまで考えてしまいました。

国外に避難したウクライナ人は既に400万人を越えていますが、そのうち日本が受け入れたのは3月30日現在で337人(速報値)です。言うまでもなく高額な渡航費(飛行機代)がネックになっているからです。

政府専用機で避難民を運ぶというのなら、1回きりでなく、それこそ何度でもピストンで運べばいいように思いますが、そういった予定はないようです。

各自治体が、避難民を受け入れます、公営住宅を用意してサポートします、とアピールしていますが、それも地方都市では10人とかそれくらいを想定しているにすぎません。大きいのは掛け声だけなのです。

日本政府の方針は、渡航費はあくまで自分で用意するというのが原則です。遠くて渡航費が高額なのを幸いに、そうやって避難民が押し寄せるのをコントロールしているような気がしてなりません。

2020年12月現在、日本にいるウクライナ人は1867人で、そのなかで1404人が女性です。女性が多いのは、ロシアンパブ(外国人パブ)などで働く出稼ぎのホステスなどが多いからかもしれません。そこにも平均年収が日本の5分の1以下というウクライナの現実が投映されているような気がします。

ニュースなどを見ると、日本政府は避難民の多くは日本にいる親戚や知人を頼って来ると想定しているようです。本音はなるべく縁故のある人間だけにしてもらいたいということかもしれません。

でも、日本人の受け止め方はきわめて安直で情緒的です。避難民が迎えに来た親戚と空港で抱き合うシーンに胸を熱くして、日本政府の人道支援に対して、日本国民として誇らしい気持すら抱いているかのようです。そこに冷徹な政治の思惑がはたらいていることは知る由もないし、知ろうともしないのです。

私たちは、可哀そうなウクライナ人VS憎きロシアのプーチンの感情のなかで、いつの間にか「戦時下の言語」でものを考え、語るようになっているのです。そうやって、メディアによる「戦争の『神話化』」(藤崎剛人氏)に動員されているのです。誤解を怖れずに言えば、ウクライナのためにキーウ(キエフ)に残って戦うゼレンスキー大統領が「英雄」に見えたら、それはもうアゾフと心情を共有していると考えていいでしょう。

作家の津原泰水氏のTwitterで知ったのですが、映画監督のマイケル・ムーアは、ポッドキャストでウクライナをめぐるマスコミ報道を次のように批判していたそうです。

長周新聞
米映画監督マイケル・ムーアが批判するウクライナ報道 「戦争に巻き込もうとする背後勢力に抵抗を!」

 ゼレンスキーの演説は強く感情的なものになるだろうが、その背後に私の知っている者たちがいる。私たちを戦争に引き込もうとしている奴らがいるが、それはプーチンのような人々ではない。

 私は、旧ソビエト連邦とソ連崩壊後のロシアを訪問したことがある。その時に数回プーチン氏と顔を合わせて、ウクライナについて考えを聞いたこともある。その時のプーチンの考えと今のプーチンの考えは、何も変わってはいない。

 変わったのは、私たちを戦争に引きずりこもうとしている奴が出現したことだ。それは政治家、マスメディア、戦争で何千万、何億ドルともうけようとする軍需企業だ。私たちは、「われわれはウクライナに行かねばならない。われわれは戦争しなければならない」という内側からの誘惑に対して抵抗しなければならないのだ。

 アメリカは第二次世界大戦後の75年間に世界で暴虐の限りを尽くしてきた。それらは朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、中近東諸国。中南米ではチリ、パナマ、ニカラグア、キューバ。第一次イラク戦争とそれに続くグロテスクなイラク戦争、アフガニスタン戦争など数えたらきりがない。

 アメリカはイラクで、アフガニスタンで100万人もの人々を殺し、多くの米兵が死んだ。その陰には息子を失った親、夫を失った妻、父親を失った子どもたちがいる。もはや、アメリカ人は戦争することは許されないのだ。

 私はアメリカのテレビがどんな放送を耳や目に押し込んでいるかを確認するとき以外はスイッチを切っている。テレビは毎日、毎日、悲しいニュースばかり流している。道路の死体や子どもたちを見せて、ひどいひどいと刷り込むことであなたの心をむしばんでいく。悲しければ、悲しいほど、大衆洗脳と戦争動員プロパガンダ効果があるのだ。


今もキーウ(キエフ)近郊のブチャで、410人の民間人とみられる多数の遺体が見つかったというニュース映像がくり返し報じられ、欧米各国もロシア軍によるジェノサイドだとしてロシアを強く非難、対ロ制裁をさらに強化すべきだとの声が高まっています。

このロシア軍の行為を民間人や民間施設を攻撃することを禁止したジュネーブ条約に違反する「戦争犯罪」だと非難しているのですが、しかし、戦場の極限下において、そういった条約がどれほど効力を持つのかはなはだ疑問です。不謹慎かもしれませんが、「戦争ってそんなもんだろう」「お行儀のいい戦争なんてあるのか」「それを言うなら戦争そのものが犯罪じゃないのか」と言いたくなります。

ジェノサイドがセンセーショナルに報じられることによって、欧米にさらなる制裁を促して和平交渉を有利に持っていくという意図がまったくないとは言えないでしょう。

もちろん、ロシア政府は、フェイクだ、ウクライナの演出だ、とお得意の謀略論を展開してジェノサイドを否定しています。日本でも安倍晋三元首相に代表される右派が、先の戦争での南京大虐殺や従軍慰安婦を否定していますが、それと同じです。そうやって戦争犯罪を否定することが愛国者の証しなのでしょう。

だからと言って、ロシアを非難するヨーロッパの口吻も額面通りに受け取るわけにはいかないのです。EU加盟国は、ここに至っても未だにロシアから天然ガスや石油の供給を受けているのです。ちなみに、2020年度にロシアがパイプラインで外国に送った天然ガスの84.8%がEU向けだそうです。『エコノミスト』(毎日新聞)によれば、「侵攻後25日間でEUがロシアに支払った輸入総額は(略)160億ユーロ(約2兆円)を超えている」そうです。

なかでもドイツとフランスの依存度が高く、ドイツが輸入した天然ガスの55.2%はロシアからノルドストリーム1(NS1)という海底パイプラインを使って供給を受けたものです。現在もノルドストリーム1は稼働しています。ロシアからの天然ガスの供給がストップすれば自国の経済が大混乱に陥るので、それだけはなんとしてでも避けなければならないというのがドイツなどの本音なのでしょう。もちろん、その背後には、ロシアとの貿易で巨利を得ているコングロマリットの意向もあるでしょう。

戦争ほど理不尽でむごいものはありません。「民間人」に被害が及ぶのは、知らないうちに自分たちが味方の軍隊の盾にされているからということもあるのですが、戦争でいちばんバカを見るのは「民間人」と呼ばれる市井の人々です。それこそ自力で避難する手段を確保することができずに戦場に取り残された人たちなのです。それが戦争の本質です。戦争がどんなかたちで終結を迎えようと、犠牲になった無辜の人々は浮かばれることはないのです。

「祖国のために」末端の兵士が憎悪をむき出しにして殺し合い、市井の人々が進駐してきた敵の兵士に殺害されたり拷問されたりレイプされたりする傍らで、国家の中枢にいる権力者や資本家たちは、みずからの延命や金儲けのために、落としどころを見つけるべく、戦闘相手国と丁々発止のかけ引きを行っているのです。もちろん、市井の人々の悲劇も、かけ引きの材料に使われているのは言うまでもありません。

井上光晴は、『明日』という小説で、長崎に原爆が投下される前日、明日自分たちの身に降りかかって来る”運命”も知らずに、小さな夢と希望を持ってつつましやかでささやかな日常を送る庶民の一日を描いたのですが、私は、今回の戦争でも、『明日』で描かれた理不尽さややり切れなさを覚えてなりません。

しかも、マイケル・ムーアが言うように、戦争がビジネスになっている現実さえあります。戦争では日々高価な武器が惜しみなく消費されるので、軍需産業にとってこれほど美味しい話はないのです。今回の戦争にも、そういった資本主義が持っている凶暴且つ冷酷な本性が示されているのです。それが西欧の醜悪な二枚舌、ダブルスタンダードを生み出していると言えるでしょう。

私たちは、メディアの戦争プロパガンダに煽られるのではなく、冷静な目で戦争の現実とそのカラクリを見ることが何より大事なのです。
2022.04.05 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲

昨日、みなとみらいのランドマークタワーに行ったら、イベント用のスペースでウクライナ支援の募金と演奏会が開かれていました。募金箱が置かれ、寄せ書きをするコーナーもありました。看板を見ると、ウクライナのオデッサ州と友好関係を結んでいる神奈川県が主催した支援のイベントだそうです。ちなみに、横浜市も、オデッサ州の州都であるオデッサ市と姉妹都市になっています。

ウクライナは、現在、国民総動員令が施行され、18~60歳の男性の出国が禁止されているため、避難している人の9割は女性と子どもだそうです。また、高齢者が少ないのは、体力的な問題とともに経済的な問題もあるからでしょう。避難するにもお金がかかるのです。

避難した人たちの話を聞いても、子どもの将来を考えて、子どもだけでも安全なところに避難させたいと考えた家庭が多いことがわかります。そのため、自宅に残りロシア軍の攻撃に晒されている祖父母や両親などを心配し後ろめたさを口にする避難民も多いのです。

自分たちの身近を考えても、寝たきりや一人暮らしの老人などが動くに動けないのはよくわかります。また、経済的に困窮している人たちにとって、避難がとても叶わぬことであるのは容易に想像がつきます。

まして、ウクライナは、お世辞にも豊かな国とは言えません。ロシア侵攻前の直近(2022年1月)のウクライナの平均年収は、日本円に換算するとおよそ636,000円です。ちなみに、日本(2022年)の平均年収は4,453,314円(中央値3,967,314円)です。ウクライナの年収は日本の5分の1以下なのです。そんな国の国民のなかで、子どもの将来のことを考えて避難できるのはごく一部の恵まれた、あるいは運のいい人たちの話にすぎないでしょう。

平均年収が60万円ちょっとしかない国の国民が、家族3人なら100万円以上もかかる飛行機代を払って日本に来るなど、援助してくれる人がいない限り、とても無理な話なのです。

東欧にネオナチが多いのも、反ソ連=反ロシアの感情以外に、貧困の問題もあるような気がします(一方で、ロシアにも大ロシア主義に憑りつかれレコンキスタの幻影を追い求める「ロシア帝国運動」のようなネオナチが存在します。そのことも強調しておかなければなりません)。

大半の国民たちは、銃弾が飛び交うなか、恐怖と不安と空腹で眠れる夜を過ごしているのです。ロシア軍に包囲され孤立した街では、餓死する市民も出ているという話さえあります。

逃げたくても逃げることができない人々。そんな戦場に取り残された人々こそ戦争のいちばんの犠牲者と言えるでしょう。まるでスポーツの試合のように戦況を解説する軍事ジャーナリストたちの話を聞いていると、がれきの下で息をひそめて日々を過ごしている人々の存在をつい忘れてしまいそうになります。

前も書いたように、国家が強いる敵か味方かの二項対立の”正義”に動員されないためには、メディアのステレオタイプな視点とは別の視点から今の事態を見ることも必要です。そう考えるとき、半ばタブーになっているウクライナのネオナチの存在も無視することはできないのです。もちろん、だからと言って、ロシアの蛮行が正当化されるわけではありませんが、ウクライナのネオナチの存在が、ロシアにウクライナ侵略(実際はウクライナ併合の野望)の口実を与えたことは否めないように思います。

ウクライナのアゾフ大隊は、アメリカのCIAやヨーロッパの情報機関だけでなく、日本の公安調査庁の「国際テロリズム要覧」でも取り上げられているウクライナのネオナチ組織です。しかし、現在、アゾフはウクライナ国防省の指揮下に置かれ、今回の侵攻でも民兵として大きな役割を担い、その戦いぶりで英雄視されるまでになっているのでした。
※4月8日、公安調査庁は「国際テロリズム要覧2021」からアゾフ大隊に関する記述を削除しました。日本でもこうして「戦時下の言語」に塗り替えられているのです。

昨日のテレビ朝日の「サンデーステーション」でも、アゾフ大隊は「国家親衛隊」の一員として紹介され、マクシム・ゾリンなる司令官のインタビューが放送されていました。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は、番組のなかで、「アゾフはナショナリストで極右ではあるけれど、ネオナチではない」とわけのわからないことを言っていました。

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ANNnewsCH
【独自】ロ軍が敵視する「アゾフ連隊」司令官が語る(2022年3月27日) ※リンク切れ

出版社のカンゼンが、『ULTRAS』と『億万長者サッカークラブ』というサッカー関連の本のなかで、ロシアとウクライナのとんでもなく過激なサポーターをルポした章を2週間限定で無料公開しているのですが、そのなかでアゾフのことが詳しく書かれていました。

note
【全文公開】『ULTRAS』第8章 ウクライナ 民主革命を支えた極右勢力のこれから ※リンク切れ

ちなみに書名になっている「ULTRAS(ウルトラス)」というのは、フーリガンと同じようなサッカーの熱狂的なサポーターを指すことばです。日本では理解しがたいかもしれませんが、とりわけ東欧においては、「サッカーは、共産主義によって封じ込められていた民族主義的な衝動を、暴力的な手段で表現するはけ口」(『ULTRAS』)になっており、ウクライナのアゾフもそんなウルトラスに起源を持っているのでした。

 もともとアゾフはメタリスト・ハルキウ(引用者註:ウクライナのサッカークラブ)のウルトラスが設立した志願兵の部隊を前身としていたが、当時はアンドリー・ビレツキーという人物が率いていた。
 ビレツキーは極右の指導者で、超国家主義者、急進右派、そしてネオナチの連合体である社会国民会議という組織を創設しており、ユーロマイダンが始まった時点ではハルキウ(引用者註:ウクライナの都市)で服役していた。だがヤヌコーヴィチがロシアに逃亡して4日後、ウクライナ最高議会は全ての政治犯を釈放する法律を可決する。かくして自由の身になったビレツキーは、アゾフの初代司令官に収まることとなった。

 2014年6月、アゾフはマリウポリを親ロシア派の勢力から解放することに成功し、彼の地に拠点を置くようになる。ロシアとの軍事衝突が始まって以来、ウクライナは屈辱的な敗北を重ねていただけに、マリウポリでの勝利は画期的だった。
 ユーロマイダン、そしてロシアとの軍事衝突における貢献度の高さは、アゾフの名前を広めただけでない。ウクライナにおけるウルトラスの名誉復権にも貢献した。
 かつてのウルトラスは、粗暴で人種差別的で社会に何らの利益ももたらさない存在として見なされていた。たとえばBBCは2012年、ウクライナがポーランドとEURO2012を共催する前に、ドキュメンタリー番組を放送。カルパティ・リヴィウのサポーターがナチス式の敬礼を行い、黒人選手に罵声を浴びせる場面を伝えている。
 また同番組はハルキウで、メタリストのウルトラスにインタビューしている。この人物はアンドリー・ビレツキーが率いるもう一つの極右組織、「ウクライナの愛国者」の幹部も務めていた。彼は自分たちがネオナチではないと盛んに強調したが、やはりメンバーはナチス式敬礼をしたり、インド人の学生グループを襲ったりしていた。
 さらに彼らの党旗には、ナチス時代のヴォルフスアンゲル(狼用の罠をモチーフにしたデザイン)に似たシンボルも用いられている。ビレツキーは「ウクライナの愛国者」を解散させた後、同じシンボルをアゾフの軍旗にも採用するようになった。
 だがユーロマイダンとロシアとの軍事衝突を通して、ウルトラスと極右勢力は自らの悪しきイメージを払拭し、社会において一定の立場を確保することに成功したのである。
「ロシアとの紛争が起きた後は、多くのウクライナ人にとって、極右勢力は二次的な問題に過ぎなくなったのです」
 ヨーロッパ大西洋協力研究所の政治学者で、ウクライナとロシアの政治に詳しいアンドレアス・ウムランドは指摘している。
「極右勢力は反ロシア、反プーチン主義の立場を貫いてきました。この事実は、そもそも彼らが反ロシアを標榜する理由(ラディカルな民族主義)よりも重視されたのです」
(『ULTRAS』)


こうしてアゾフは、世界の情報機関の懸念をあざ笑うかのように、過去の悪行は水に流され、ウクライナ国民から英雄視され美談の主人公に祭り上げられていったのでした。

ロシアへの経済制裁に対して、インドやアフリカの国が反対はしないものの積極的に賛同もしない曖昧な態度を取っているのも、ロシアや中国に対する遠慮だけでなく、アゾフの存在が暗い影を落としているような気がします。

ロシアの侵攻がはじまった当初、ウクライナから脱出する留学生たちについて、次のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
ロイター
焦点:ウクライナ脱出図る留学生、立ちはだかる人種差別や資金難 ※リンク切れ

人種差別によって出国がさらに難しくなっている、と語る学生もいる。ソーシャルメディアを見ると、アフリカやアジア、中東出身者が国境警備隊に暴行を受け、バスや列車で乗車を拒否される動画が目に入る。そのかたわらで白人は乗車を許されている。


アゾフには、他に遊牧民のロマ(ジプシー)のキャンプを襲撃したり、LGBT(性的マイノリティ)の集会に乱入して暴力を振ったり、左派の労働運動家を拉致してリンチするなどの行為が指摘されています。ネオナチどころか、ど真ん中のナチス信奉者、ゴリゴリの白人至上主義者で、ファシストとしか呼びようがない集団なのです。

何より「サンデーステーション」で司令官が身に付けていた防弾チョッキの記章が、彼らの主張を雄弁に語っているように思いました。それは、上記の『ULTRAS』の記事で指摘されているように、ナチスのヴォルフスアンゲルを模したアゾフ大隊の記章です。ネットで画像検索すれば、彼らがナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)の旗とともに記念写真に映っている画像も見ることができます。

『ULTRAS』に「極右はウルトラスの人気に便乗する形で勢力を拡大している。その際には、自分たちが信奉するのは、ファシズムやナチズムではなくナショナリズムだ、単にウクライナという国を愛しているに過ぎないと幾度となくアピールした」という記述がありましたが、「サンデーステーション」でもアゾフの司令官は、自分たちは(ネオナチではなく)ただの愛国者だと強調していました。黒井文太郎氏が言っていることも同じでした。

ネットには、アゾフはウクライナ軍に編入された時点で「無力化」されているので、アゾフを問題視するのはロシアに加担する陰謀論だと言う声がありますが、それこそ国家の”正義”に動員された先にある思考停止=反知性主義の典型と言うべきでしょう。「無力化」の意味が今ひとつわかりませんが、ファシストが「無力化」されたなどというのは、如何にもネット民らしいお花畑の戯言にすぎません。そもそも極右だけどネオナチではないなどという、禅問答のような話を理解しろという方が無理でしょう。

旗幟鮮明し単色化した世界(タコツボ)のなかで、異論や少数意見をシャットアウトして、メディアから発せられる多数派の口上に同調するだけでは、当然ながら見えるもの、見るべきものも見えなくなってしまうでしょう。今や”電波芸者”と化した軍事ジャーナリストたちのさも訳知りげな解説は、眉に唾して聞く必要があるのです。

非常時なのでとりあえず目を瞑るということもあるのかもしれませんが、戦争にカタがついたあと、欧米から提供された武器で武装したアゾフが、手のひらを返して開き直り、「飼い犬に手を噛まれた」イスラム原理主義組織の二の舞になる怖れは多分にあると言えるでしょう。そうやって再度ウクライナに悲劇を招く懸念も指摘されているのです。アメリカの軍事顧問はアゾフに対して、提供した武器の使用方法などを指導していたそうですが、それはかつてアメリカが中東やアフガンにおいて、「敵の敵は味方」論でイスラム原理主義組織にやったこととまったく同じです。それどころか、藤崎剛人氏が指摘しているように、ネオナチのネットワークでウクライナにやってきて、容赦ない戦争暴力を体験したネオナチたちが自国に戻ることで、既存の”民主主義世界”、とりわけヨーロッパの脅威になる可能性も大きいのです。

アゾフが求めるのが、プーチンと同じような(あるいはそれ以上の)”ヘイトと暴力に直結した政治”であることを忘れてはならないのです。それは、ロシアの侵略戦争に反対することやウクライナを支援することと、決して矛盾するものではないのです。


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2022.03.28 Mon l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカの連邦議会で演説した際に、ロシアの侵略を日本軍の真珠湾攻撃に例えたことに対して、日本のネトウヨが猛反発して、”ゼレンスキー叩き”が沸き起こっているのだそうです。

リテラが次のように伝えていました。

リテラ
ロシアの侵略を「真珠湾攻撃」にたとえたゼレンスキー大統領を非難する日本のネトウヨの言い分がプーチンとそっくり!

 これ(引用者注:ゼレンスキー演説)に対し、ネトウヨが「真珠湾攻撃とロシアの侵略を同列に語るなんて許せない」と怒り狂い始めたのだ。

〈こいつ何言ってるんだろう…。 真珠湾を今回のロシアの侵略と同義で扱うとか控えめに言って頭おかしい。 ウクライナに対する気持ちが一気に冷めた。〉
〈真珠湾攻撃を思い出せ?お前らを応援するのやめたわ、バカバカしい〉
〈正直、ウクライナには冷めた。〉
〈ゼレンスキー、日本に喧嘩を売っているのだろうか?〉

 演説内容が報じられた直後から、ツイッター上ではこんなウクライナ、ゼレンスキー攻撃であふれ、16日深夜、東北で大地震が起きても、「真珠湾攻撃」「パールハーバー」がトレンドワードに留まり続けた。

 さらに、在日ウクライナ大使館のツイッターアカウントに直接、こんな罵倒リプを飛ばす輩も現れた。

〈真珠湾攻撃を引き合いに出した時点でウクライナを支援する気持ちは毛頭無くなりました〉
〈真珠湾攻撃を例えにしたから支援は無理です。 旧ソ連同士潰し合いよろしくやってな!〉
〈まずは真珠湾攻撃発言の謝罪と撤回を。ヘイトスピーチをやっておいて支援をしろとは、ウクライナはヤクザ国家ですか?〉
〈お宅の大統領が米議会で真珠湾攻撃をネタにして演説したことに日本人は憤りを感じてますよ?〉
〈大統領が真珠湾攻撃云々という国に対して援助する必要はあるのだろうか。日本人はお人好しばかりだね。日ソ中立条約を破って北海道に侵攻した旧ソ連。ウクライナって旧ソ連だよね。〉

 そして、ゼレンスキー大統領が日本の国会で演説をするという計画についても反対意見が巻き起こっている。

〈ゼレンスキー何故いまそれを言う? 日本人舐めてんの? 日本の国会で何言って煽るの? この大統領アホかも?〉
〈ロシアの攻撃を日本の真珠湾攻撃に例えるようなやつを国会で演説なんてさせてはいけない。〉
〈テロと真珠湾攻撃を同等扱い。こんな奴国会で演説させんの、ど〜すんの笑〉


「戦争反対」も、国家や党派や民族と接続されると全体主義に架橋される怖れがあると前の記事に書きましたが、その典型のような話です。

21日の時点で、国外に避難したウクライナ人は353万人を超えているそうですが、そのなかで日本に来た難民は、百数十人にすぎません。距離が遠いということもあって、高額な渡航費がネックになっていると言われています。日本に避難できたのは、身内などが住んでいて国内に受け入れ先があり、一人当たり30万とも40万とも言われる飛行機代を払うことができた人たちだけです。

それに、仮に渡航費の一部でも日本政府に援助して貰いたいなどと言おうものなら、上記のゼレンスキー大統領の発言ではないですが、途端に、避難民は甘えている、迷惑な存在だ、受け入れるだけでもありがたく思え、なんていうバッシングがはじまるのは目に見えています。「受け入れて頂いてありがとうございます」と頭を下げ、日本人に感謝する「従順で哀れなウクライナ人」と認められれば、まるで捨て猫が頭を撫でられるように、日本人のヒューマニズムは機能するのです。そうでなければ難癖を付けられて、機能しなくなるのです。

一方で、ロシアのウクライナ侵攻以来、在日ロシア人に対する嫌がらせも頻発しているようです。ロシア料理店の看板が壊されたり落書きされたり、「日本から出て行け」というような恐喝めいた電話がかかってくることもあるそうです。

「哀れなウクライナ人」と「侵略者の手先のロシア人」、日本人にとってそれはまるでコインの表裏のようです。

そんなニュースを見て、私は、日本国内の「戦争反対」の声はホンモノなんだろうかと思いました。

”ゼレンスキー叩き”とロシア人ヘイトに共通するのは、”日本第一”です。「戦争反対」と言っても、結局、ナショナリズムに縛られたままなのです。偏狭なナショナリズムの呪縛から自由ではないのです。

私は、ロシア料理店にいたずら電話をかけるくらいなら、世界の首脳のなかでも異常なほどプーチンに入れ込み、2019年9月に27回目(!)の首脳会談を終えたあと、プーチンに向って「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」と語りかけた(朝日の記事より)安倍晋三元首相を糾弾する方が先だろうと思いますが、そんな愛国者はこの国にはいないのです。それどころか、安倍晋三元首相は愛国者たちにとって未だにヒーローでありつづけるのです。

今になれば、お粗末な資質を見抜かれたのか、安倍晋三元首相はプーチンにいいように利用されていただけなのは誰が見てもわかりますが、その結果、ロシアとの平和条約交渉に向けた経済協力費として、2016年度から6年間で約200億円を支出しているのでした。しかも、あろうことか、ウクライナ侵攻が始まり、経済制裁の意趣返しに平和条約交渉が一方的に破棄されたにもかかわらず、先ごろ成立した今年度予算には未だ関連予算として21億円が計上されているのです。でも、日本の愛国者たちはその事実さえ見ようとせず、いつものように現実を糊塗するだけです。

2014年のクリミア侵攻の際は、ウラジーミル❤シンゾーの関係を重視して、日本政府(安倍政権)は制裁に及び腰で、欧米と共同歩調を取ることはありませんでした。今の中国と同じように、ロシアの蛮行を半ば黙認したのです。そのときと比べればいくらかマシとは言えますが、それでもどこか「所詮は他人事」のような姿勢を感じてなりません。入国ビザを簡素化しても、いちばんのネックの渡航費の問題は見て見ぬふりなのです。政府の支援策が曖昧ななかで、むしろ自治体が国に先んじて支援を始めているのが実状です。政府は、アメリカに押されて仕方なくやっているように見えなくもないのです。

このように、この国は「戦争反対」でも愛国でも見せかけだけで、中身は薄っぺらとしか言いようがないのです。


※この記事は、日本の国会でのゼレンスキー演説の前に書きました、為念。

追記:(3/25)
前回の記事に、ウクライナとネオナチに関する清義明氏の記事のリンクを貼りました。
2022.03.23 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
前の記事からのつづきですが、思想史が専門で、カール・シュミットの公法思想を研究している藤崎剛人氏は、Newsweek日本版に次のような記事を書いていました。

Newsweek日本版
世界中の極右を引き寄せるウクライナ義勇軍は新たなファシズムの温床か

ウクライナを支援するために、義勇兵として世界各地からネオナチが集まっているそうですが、藤崎氏は、そういった戦争経験によって、世界的に政治の「残忍化」が進むことは避けられないと書いていました。

その前に、2月27日のメルマガで田中宇氏が書いていた記事を紹介します。

田中宇の国際ニュース解説
ウクライナがアフガン化するかも

ウクライナには以前から、ロシア敵視のウクライナ系ナショナリスト勢力(極右ネオナチ)から、ロシア系などの親ロシア勢力までの諸勢力がいる。極右は米英諜報界に支援されてウクライナの諜報機関を握ってきた。ゼレンスキー大統領も極右の側近たちに囲まれている。ウクライナの極右は、イスラエルの入植者と似て、ナショナリストと言っているが本質はそうでなく、ロシアに打撃を与えることを最優先にしている。彼らの本質は極右というより米英のスパイだ(エリツィン時代のロシアのオリガルヒとか、コソボのKLAも同質)。


新型コロナウイルスでもトランプばりの謀略論を唱え、すっかり”イタい人”になった田中氏ですが、ただ、ウクライナ政府と極右=ネオナチの関係については、他にも鳩山由紀夫氏が、Twitterで「ウクライナのゼレンスキー大統領は自国のドネツク、ルガンスクに住む親露派住民を『テロリストだから絶対に会わない』として虐殺までしてきたことを悔い改めるべきだ」と発言していましたし、寺島実郎氏も「サンデーモーニング」(TBS系)で「(ウクライナが)一方的な被害者かっていうと、そうでもない」と発言していました。二人ともロシアのウクライナ侵攻は「ヒトラーがやったこととほぼ同じ」(寺島氏)と断った上での発言でしたが、いづれもネットで袋叩きに遭っています。

藤崎氏によれば、少なくともソ連崩壊後に頻発した東欧の紛争において、ネオナチの存在は半ば常識のようです。しかし、私の知る限り、メディアに出ている日本の専門家たちのなかで、ウクライナとネオナチの関係に触れている人は皆無でした。

ウクライナはロシアに侵略された被害者です。プーチンの演説に帝政ロシア時代の3色旗を打ち振りながら熱狂する国民の姿が示しているように、ロシアこそファシスト国家と呼ぶべきでしょう。ましてウクライナの民衆の悲惨な現実から目をそらしてならないことは、言うまでもありません。それはいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。

しかし、一方で、メディアが国家のプロパガンダのお先棒を担ぎ、善か悪かに単純化されてしまっているのは否めないように思います。テレビに出ている「軍事評論家」たちは、戦争をまるでスポーツの勝ち負けのように解説するだけだと言った人がいますが、同じように思っている人も多いはずです。とは言え、ロシアが一方的に侵略したのはまぎれもない事実で、それを考えれば、善か悪かの二元論で語るのもそうそう間違いではないのです。ただ、善か悪かの二元論では見えない部分があることもまた、たしかなのです。上記のように思わず口に出してしまった粗忽な人間以外にも、いわゆる「識者」のなかには、メディアはものごとの一面しか報じてないと心のなかで思いながらも、火中の栗を拾わないように沈黙を選んでいる人もいるに違いありません。

もちろん、藤崎氏が上記の記事のなかで紹介しているように、政治アナリストのジョナサン・ブランソンの「現時点でウクライナに必要なのは兵力であり『今は』その中身について問うべきではない」という意見はそのとおりかもしれません。

でも、同時に、「ロシアの侵略と戦うウクライナは、ネオナチに実戦経験とその神話化の機会を提供する。それはかつてナチスの台頭を招いた政治の『残忍化』につながりかねない」という藤崎氏の懸念にも、無視できないものがあるように思いました。ウクライナの抵抗に冷水を浴びせる話と思われるかもしれませんが、私たちの素朴実感的なヒューマニズムが国家や党派に簒奪され”動員の思想”に利用されないためにも、善か悪か、敵か味方かの二元論とは別にところにある、こういった少数意見に耳を傾けることも大事であるように思います。

(引用者注:ドイツの)左翼党の議員マルティナ・レンナーは、こうしたネオナチの活動家がウクライナで戦闘経験を積むことはドイツ政治に悪い影響を与えるのではないか、と述べている。

レンナー議員のこの危惧は理解できる。というのは100年前のドイツでもやはり、ヴァイマル共和国に暴力的な政治文化を形成し、ヒトラーの台頭を招いたのは、第一次大戦やそれに続くバルト地方からの撤退戦などに参加し、凄惨な暴力を体験してきた兵士たちだったといわれているからだ。

第一次大戦後のドイツでは、前線経験がある若者を主体とする義勇軍組織(フライコール)が結成され、縮小した正規軍に代わって左翼活動家や労働者たちの弾圧に関わった。(略)


また、藤崎氏は、「ヴァイマル共和国の不安定化はそれ以前の戦争経験に基づくという、政治の『残忍化』テーゼを打ち出し一躍注目を浴びた」ジョージ・L・モッセの『英霊』(筑摩文庫)も紹介していました。

モッセによれば、兵士や義勇兵たちによって形成された「戦争体験の神話」は政敵を非人間化し、その殲滅を目指す思考を受け入れやすくする。そのことによってファシズムの残忍さは、残忍であるがゆえに魅力的なものとなるのだ。


さらに藤崎氏は、こうつづけます。

『英霊』におけるモッセの議論は、我々がメディアを通して戦争を受容するときの戒めにもなるかもしれない。メディアを通して我々が「残忍化」するというと、我々は「××人を殺せ」のような好戦的メッセージの危険性をまず思い浮かべる。しかしモッセが取り上げているのはそれだけではない。戦没者追悼などを通した「英雄化」や、小説やゲーム、絵葉書、子供の玩具などを通した戦争表象の「陳腐化」も彼は議論の対象にしている。


我々が日々接しているメディアでも、ウクライナ戦争の「英雄化」や「陳腐化」が行われている。たとえばSNSで拡散されるような英雄的に戦うウクライナ兵士のエピソードや、ロシア軍に屈しないウクライナ市民たち、不屈の指導者としてのゼレンスキー表象、ウクライナを応援するための国旗色が施された様々なグッズ、などはその例といえるだろう。

戦争が始まってから二週間、SNSを含むメディアの進化によって、虚実入り混じった情報が急速なスピードで世界を飛び交い、戦争の「神話化」がリアルタイムで進んでいる。我々は少しずつ戦争に慣れ始め、戦時下の言語で語るようになっている。(略)


鳩山由紀夫氏に対しても、「喧嘩両成敗は加害者の味方」というような批判があったそうです。旗幟鮮明でなければならないのです。それも「戦時下の言語」と言わねばなりません。そこにあるのは、まさに”動員の思想”です。

何度もくり返しますが、どんな国家であれ、国家に正義などないのです。現在、ロシアがウクライナでやっていることは、アメリカが世界各地でやっていたことと同じです。ロシアとアメリカは、同じ穴のムジナ、どっちもどっち!なのです。にもかかわらず、敵か味方かの発想は、必ず正義の旗を掲げた国家の介入を招くことになり、どっちの側に付くのかという旗幟鮮明を迫られるのです。

私たちは、それとは別に、熾烈な弾圧にもめげずにロシア国内から反戦のメッセージを発している「3.5%」のロシアの人々に対しても、連帯することを忘れてはならないのです。今日も、国営テレビの生放送中に、女性ディレクターが「乱入」して、手書きの反戦メッセージが書かれたボードを掲げたというニュースが世界を駆け巡りましたが、そういった内からプーチン政権に異を唱える人々に連帯の意志を示し支援することも、戦争を終わらせるためには非常に大事なことなのです。

現代の戦争は、「ハイブリッド戦争」と呼ばれ、地上の戦闘だけでなく、ネット空間でのサイバー戦や情報戦も欠かせない要素になっています。「ハイブリッド戦争」は、人々の声が国家のプロパガンダに利用される可能性がある反面、人々が直接戦争に関与できる余地もあるように思います。国境を越えて侵略国家の中の「3.5%」の勇気ある人々と連帯し、反戦の世論を喚起することも可能になったのです。そうやって国家でも党派でもない、ひとりひとりの自立した素朴実感的な平和を願う声が世界を動かすことも不可能ではなくなったのです。それが、19世紀とも20世紀とも違う現代の特徴なのです。

新型コロナウイルスが瞬く間に世界に広がって行ったように、私たちは、自分たちの連帯の声が瞬く間に世界に広がって行くような時代に生きているのです。それを武器にしない手はないでしょう。

そのためにも((ハイブリッド戦に巻き込まれないためにも)、少数意見や反対意見にも耳を傾け、常にみずからを対象化し検証することが肝要でしょう。反戦平和のヒューマニズムにしても、時代的な背景は異なるものの、スペイン人民戦線の悪夢が示しているように、国家や党派や民族と接続されると全体主義に架橋される怖れがないとは言えないのです。


追記:(3/25)
その後、清義明氏が、朝日の「論座」で、ウクライナとネオナチの関係について書いていました。でも、清氏の記事も、ネットではロシアを擁護する陰謀論として叩かれていました。

論座
ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【上】
ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【中】
ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【下】
2022.03.15 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
ロシア軍によるキエフの掃討作戦(ザチストカ)が目前に迫っていると言われています。キエフのビタリ・クリチコ市長によれば、3月11日現在、人口350万人のうちまだ200万人がキエフにとどまっているそうです(ロイターの記事より)。

常岡浩介氏は、『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書)で、次のように書いていました。

国際紛争の場で難民はメディアに取り上げられがちだが、本当に悲劇的な状況に直面しているのは難民よりもむしろ、難民になれず戦争の中に取り残された人たちや、絶望の中で遂に武器をとって立ち上がった人たちだ。難民とは危険な境遇からの脱出に成功した運のいい人たちのことだ。


200万人の市民が残っているキエフで掃討作戦が実行されれば、想像を絶するような惨劇を目にすることになるでしょう。アサド政権支援のためにシリア内戦に参戦したときと同じように、生物・化学兵器の使用も懸念されています。キエフにもサリンが撒かれる可能性があるかもしれません。

ただ、ウクライナにもチェチェンと同じように、「一人が倒れても、次の10人が立ち上がる」(同上)パルチザンの歴史があります。ウクライナの民兵の士気の高さは、メディアなどでも指摘されているとおりです。ロシアにとって、ウクライナはアフガニスタンの二の舞になるのではないかという見方もありますが、その可能性は高いでしょう。仮にロシアがウクライナに傀儡政権を作り、ウクライナを支配しても、ウクライナ人の抵抗がそれこそ世代を越えて続いていくのは間違いないでしょう。

一方、ポーランドがウクライナに戦闘機を供与するという話も、ロシアを刺激するからという理由でアメリカが反対して中止になりました。ロシアが核の使用を公言するなど、あきらかにルビコンの河を渡ったにもかかわらず、アメリカやヨーロッパは旧来の戦略から抜け出せず、世界から失望され呆れられるような怯懦な態度に終始しています。ただ手をこまねいて見ているだけの欧米は、ウクライナに「俺たちのために人柱になってくれ」と言っているようなものでしょう。

バイデンは、ロシアが生物・化学兵器を使えば「重い代償を払うことになる」と警告したそうですが、ワシントンでそんなことを言ってももう通用する時代ではないのです。誰かのセリフではないですが、戦争は現場で起きているのです。

もっとも、(矛盾することを言うようですが)これはあくまで全体主義(ロシア)VS民主主義(ウクライナ)の図式を前提にした話でもあるのです。欧米の腰が重い背景には、核戦争の脅威やNATO加入の有無、天然ガスの供給の問題の他に、もうひとつ別の理由もあるような気がしないでもありません。それは”懸念”と言い換えてもいいかもしれません。もちろん、だからと言って、ロシアの蛮行がいささかも正当化されるわけではありませんし、ウクライナ国民の悲惨な姿から目を逸らしていいという話にはなりません。上にも書いたとおり、パルチザン=人民武装の歴史は正しく継承されるべきだと思いますが、それにまったく”懸念”がないわけではないのです。

いづれにしても、ロシアは後戻りできない状態にまで進んでいるようにしか思えません。ロシア帝国の失地回復(レコンキスタ)は、「ロシアの権力を”シロビキ”と呼ばれる治安機関と軍の出身者で固めて、ソ連時代を上回る秘密警察支配を完成させた」(同上)プーチンにとっても、みずからの権力と命を賭けた責務になっているかのようです。

2008年、プーチンが2期8年でいったん大統領を退いた際、「一旦、権力を渡してしまった秘密警察から、再び権力を取り上げて民主的体制を建設し直すのは困難だし、ことによるとプーチンの身にも危険が及ぶだろう」(同上)と常岡氏は書いていましたが、大ロシア主義というあらたな愛国心に取り憑かれたロシアの暴走をもはや誰も押しとどめることができないのかもしれません。

日本のメディアでは、NATOの東方拡大に対するプーチンの不信感と警戒心が今回の侵攻を引き起こしたというような論調が多く見られますが、多極化を奇貨とした大ロシア主義=ロシア帝国再興の野望に比べれば、それは副次的な問題にすぎないように思います。

下記の朝日の記事もNATOの東方拡大について書かれた記事ですが、その主旨とは別に、今回のロシアの暴走を知る上で参考になるものがあるように思いました。

朝日新聞デジタル
ゴルバチョフは語る 西の「約束」はあったのか NATO東方不拡大(有料記事)

クリントン政権時代に国防長官を務めたウィリアム・ペリー氏は、著書(共著『核のボタン』田井中雅人訳・朝日新聞出版)のなかで、次のように述べているそうです。

「冷戦終結とソ連崩壊は米国にとってまれな機会をもたらした。核兵器の削減だけでなく、ロシアとの関係を敵対からよいものへと転換する機会だ。端的に言うと、我々はそれをつかみ損ねた。30年後、米ロ関係は史上最悪である」


また、米軍将校から歴史家に転じたアンドリュー・ベースビッチ氏は、2020年6月の朝日新聞のインタビューで次のように語っていたそうです。

「ベルリンの壁崩壊を目の当たりにして、米国の政治家や知識人は古来、戦史で繰り返された『勝者の病』というべき傲慢(ごうまん)さに陥り、現実を見る目を失ったのです」


冷戦に勝利した欧米の民主主義がその寛容さを忘れ傲慢になってしまったというのはそのとおりかもしれません。欧米にとって、新生ロシアは、あらたな市場(資本主義世界にとってあらたな外部)の出現であり、収奪の対象でしかなかったのです。その結果、司馬遼太郎が指摘していたような自意識の高いロシアのノスタルジックな大国意識に火を点け、核を盾にした暴走を許すことになったのです。挙げ句の果てには、今のように、暴走するロシアに対して為す術もなく、ただオロオロするばかりなのです。

それは日本も同じです。と言うか、むしろ日本は欧米以上にロシア寄りでした。ロシアの暴走は、2014年のクリミア半島の併合からはじまったのですが、当時、プーチンに肩入れしていた安倍政権はロシアに対する制裁に消極的で、欧米と歩調を合わせようともしなかったのです。それが今になって「暴挙だ」「力による現状変更はとうてい認めることはできない」などとよく言えたものだと思います。

昨日のテレビでも、今回の侵攻は、NATOに加入したかったけど加入できなかったプーチンの個人的な恨みによるものだ、と大真面目に解説しているジャーナリストがいました。また、ロシアに対する経済制裁の影響で、イクラやカニなどの仕入れが難しくなり、「回転ずしにも暗い影を落としそうだ」という新聞記事もありました。能天気な日本人のトンチンカンぶりには、口をあんぐりせざるを得ません。

何度も同じことをくり返しますが、欧米の民主主義は、現在、我々の目の前に姿を現わしつつある「全体主義の時代」にほとんど無力なことがはっきりしたのです。もちろんそれは、アジアの端に連なる日本にとっても、決して他人事ではないはずです。

韓国に”親日”の大統領が当選したからバンザイとぬか喜びしている場合ではないのです。私は嫌韓ではありませんが、僅差とは言え、ミニプーチンような前検事総長を大統領に選ぶ国(国民)の怖さと愚かさをまず考えるべきでしょう。民主主義に対して、あまりにデリカシーがなさすぎると言わざるを得ません。
2022.03.12 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲
言うまでもなく戦争では、武力衝突だけでなく、プロパガンダを駆使した情報戦で敵を撹乱するのも重要な戦略です。

たとえば、2003年にアメリカがイラクに侵攻する際の根拠となったイラクの大量破壊兵器(WMD)の保有がまったくの捏造だったことは、あまりに有名です。アメリカはネット顔負けのフェイクニュースを流して、テロ撲滅の名のもと50万人(推定)の無辜の民を殺戮したのでした。

また、1991年の湾岸戦争では、アメリカ軍によってアラビア海の油まみれの水鳥の写真が公表され、国際世論がいっきにイラク非難に傾くということがありました。それは、イラクがクェートの油田を攻撃して、流出した油でアラビア海が汚染された写真だと言われたのですが、実はアラビア海とはまったく関係がなく、アラスカ沖のタンカー事故の写真だったのです。

さらに、「ナイラ」という名前のクェートの少女が、NGOの人権委員会で、イラクの兵士たちが生まれたばかりの赤ん坊を床に投げつけて殺害していると涙ながらに証言したニュースが世界に発信され、まるで鬼畜のようなイラク兵の蛮行に世界中が憤慨したのですが、そう証言した少女はクェートの駐米大使の娘で、アメリカの広告会社が14億円で請け負ったプロパガンダだったことがのちに判明したのでした。

今回の戦争でも、似たようなプロパガンダが行われていることは想像に難くありません。もちろん、アメリカだけでなく、ロシアもウクライナもやっているでしょう。しかも、始末が悪いのは、テレビのコメンテーターたちが、そのプロパガンダの片棒を担いでいるということです。

もちろん、だからと言って、それでロシアの侵攻がいささかも正当化されるわけではありません。何が言いたいかと言えば、どんな戦争であろうと、戦争に正義はないということです。国家の言うことに騙されてはならないということです。私たちが依拠すべきは、国家でも党派でも、あるいは制度でもイデオロギーでもなく、みずからの心のなかにある自前の平和や人を思う気持なのです。それしかないのです。

キエフなどで実施された「人道回廊」は、チェチェン紛争でも実施された過去がありますが、しかし、そのあとクラスター爆弾や化学兵器を使った容赦ない無差別攻撃によって、人口の半分が殺害されるようなジェノサイドが行われたのでした。時間稼ぎのために、「人道回廊」や一時停戦を提案するのはロシアの常套手段だと言われていますが、今回もキエフの掃討作戦(ザチストカ)の前触れのような気がしてなりません。

アムネスティ・インターナショナルの発表でも、チェチェンでは、1994年から1996年にかけての第一次チェチェン紛争で、数万人の民間人が死亡(10万人という説もある)。プーチン政権が介入した1999年から2009年の第二次チェチェン紛争では2万5千人が犠牲になったと言われています。その他に数千人の行方不明者がいるそうです。行方不明者というのは、「強制失踪」や誘拐によるものです。常岡浩介氏の『 ロシア語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書)によれば、「25万人、一説には30万人」が犠牲になったと書かれていました。ちなみに、チェチェン共和国の人口は80万人、首都グロズヌイの人口は6万人ですから、如何にすさまじいジェノサイドが行われたかがわかります。

コメンテーターの玉川徹氏は、これ以上犠牲を増やさないために、ウクライナの国民は降伏することも選択肢に入れるべきだと発言して物議をかもしたのですが、それに対して、降伏することは銃で戦うことより恐ろしい現実が待っているというウクライナ国民の声がメディアで紹介されていました。ウクライナ国民は自分たちがチェチェン人と同じ目に遭うのを恐れているのです。抵抗をやめれば、チェチェンのように街ごと焼かれ、ジェノサイドの標的になるのがわかっているからでしょう。

ライオンの檻のなかに入れられたら、あらん限り抵抗しないとライオンに食われるのです。ライオンに食われないために抵抗しなければならないのです。もう抵抗しませんと両手を上げたら即ライオンの餌食になるだけです。玉川徹氏の発言が「平和ボケ」と言われたのは、ライオンの檻のなかに入れられたらどうなるかがわかってないからです。情報機関出身者の発想は、殺るか殺られるかで殲滅の一択しかないと言った人がいましたが、プーチンを見ているとむべなるかなと思わざるを得ません。

アメリカはもちろんですが、ヨーロッパの国々も、プーチンのKGBとFSBで培われた非情さは熟知しているはずです。しかし、それでもなお、ロシアへの制裁に及び腰で、こっそりロシアと取引きする抜け道を設けているのでした。もしかしたら、ヨーロッパの人間たちは、他国で万単位の人間が犠牲になることより、ロシアの天然ガスで自分たちがぬくぬくと冬を過ごす方が大事と思っているのではないかと勘繰りたくなります。

何度も言いますが、今回の戦争では、欧米が掲げる民主主義のその欺瞞性も露呈されているのでした。そのことも忘れてはならないでしょう。
2022.03.10 Thu l ウクライナ侵攻 l top ▲
(前の記事からのつづきです)

ロシア国内では、反戦デモで連日数千人から1万人近くの参加者が拘束されていますが、ロシア政府は最近、デモによる逮捕者を戦場に送ることができるよう法律を改正したそうです。これにより逮捕された参加者は、戦場に送られ弾除けに使われる怖れが出てきたのです。21世紀にこんな国があるのかと思いますが、ロシアには死刑がないので(制度を廃止したわけではなく一時凍結)、そうやって「反逆者」たちに見せしめの懲罰を課すつもりなのでしょう。

西側から見れば悪魔のように見えるプーチン政権ですが、ロシア国内では3分の2以上の国民から支持されており、反戦デモに参加する人はごく一部にすぎません。今のロシアで反戦デモに参加することは、人生や命を賭けた決断が必要なのでそれも当然かもしれません。もっとも、それはロシアに限った話ではなく、日本でも似たようなものです。大多数の人は寄らば大樹の陰なのです。

そう考えるとき、斎藤幸平氏が『人新生の「資本論」』で書いていた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるということばをあらためて思い出さざるを得ないのでした。「真理は常に少数にあり」と言ったのはキルケゴールですが、いつの時代も世の中を動かしてきたのは少数派なのです。

私は今、『トレイルズ ―「道」と歩くことの哲学』(エイアンドエフ)という本を読んでいるのですが、たとえばトレイル(道)ができるのも、集団のなかで勇気があったり好奇心が旺盛だったりと、跳ね上がりの個体が最初に歩いてトレースを作ったからなのです。

国家や党派とは無縁な、素朴実感的なヒューマニズムに突き動かされて立ち上がった「3.5%」の人々が国際的に連帯すれば、やがてそれがロシア国内に跳ね返って、クロンシュタットの叛乱のような造反の呼び水になるかもしれないのです。プーチン政権がネットだけでなく、言論統制の法律を作り外国メディアを締め出したのも、海外から入ってくる報道が呼び水になるのを怖れているからでしょう。

それにつけても、今回の戦争に関する報道では、玉川徹氏だけでなく、テレビに出てくる専門家たちのお粗末さ加減には目を覆うばかりです。もちろん、彼らは予想屋ではないのですが、侵攻が始まるまで、ロシアがウクライナに侵攻することはないだろう、たとえ侵攻しても親露派が傀儡政権を作ったウクライナ東部に限るのではないかと言っていました。キエフ侵攻の可能性を指摘した人間は皆無でした。ロシア問題のアナリストを名乗りながら、単なる「平和ボケ」の知ったかぶりにすぎないことが判明したのでした。

彼らの解説を聞いても、その大半は想像でものを言ってるだけで、ホントに現状を分析しているのか首を捻らざる得ません。挙げ句の果てには、自分たちの予想が外れたからなのか、プーチンは精神に変調をきたしている、暗殺を恐れて秘密アジトから指令を出しているなどと、ユーチューバーもどきの怪しげな情報を吹聴する始末です。

ただ、そんな講談師見てきたような嘘を言う「平和ボケ」の一方で、今回の戦争が今までになく市井の人々の関心を集めていることはたしかで、私はそのことにささやかながら希望のようなものを感じました。

パンデミックを経験した多くの人々は、みずからの民主的権利を国家に差し出すことにためらいがなくなり、感染防止のためならプライバシーが多少侵害されても仕方ないと考えるようになっています。民主主義が毀損されることに鈍感になっていったのでした。東浩紀ではないですが、国家がせり出してきたことに一片の警戒心もなく、むしろ礼賛さえするようになったのです。

ところが、ウクライナ侵攻が始まり、連日、戦火に追われるウクライナの民衆の姿を見て、戦争こそが国家が全面にせり出した風景であることにはたと気付いた人も多かったはずです。同時に、自分たちの民主的な権利の大切さに思い至った人もいるでしょう。

また、ワクチン・ナショナリズムに象徴されるように、排他的な考えも蔓延し、ヘイトがまるで正義の証しであるかのような風潮も日常化していました。感染対策で入国を制限しているということもあって、少し前までは国境の向こうにいる人々に思いを寄せるなど考えられない空気がありました。でも、今回の侵攻でその空気も少しは緩んできたように思います。

パンデミックで”動員の思想”に絡めとられた寄らば大樹の陰の人々も、ウクライナ侵攻で冷水を浴びせられ、自分たちのあり様を少しは見直す契機になったかもしれません。

口ではロシアを非難しながら、今もなお石油や天然ガスをロシアに依存し、みずから経済制裁の抜け道を作っているヨーロッパの国々。それを見てもわかるとおり、相変わらず国家はクソでしかありませんが、しかし、たとえば地下壕のなかで、「死にたくない」と涙を流す女の子にいたたまれない気持になり何とかしなければと思うような、素朴実感的なヒューマニズムを抱く人は昔に比べて多くなったし、そのネットワークも世界に広がっているのです。ウクライナの現状を考えれば、気休めのように思われるかもしれませんが、とにかく、あきらめずに連帯を求めて声を上げ続けることでしょう。プーチンがいくら情報を遮断しても、世界はウクライナやロシアと繋がっているのです。それだけは間違いないのです。


関連記事:
”左派的なもの”との接点
2022.03.08 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
今回のウクライナ侵攻に関して、ロシア文学者の亀山郁夫氏の次のような発言が目に止まりました。

讀賣新聞オンライン
[視点 ウクライナ危機]プーチン氏 無謀な賭け、露中心 秩序再構築狙う…名古屋外国語大学長 亀山郁夫氏

   ロシアの内在的な論理に目を向けると、「ロシア人は歴史を引きずるが、歴史から学ばない」といえる。ソ連崩壊後、欧米流の自由と民主主義を基軸とするグローバリズムの波はロシアにも及んだ。しかし、ロシアには古来、個人の自由は社会全体の安定があってようやく保たれるという考えがある。この「長いものに巻かれろ」的な考えについて、ドストエフスキーは「わが国は無制限の君主制だ、だからおそらくどこよりも自由だ」という逆説的な言葉を残した。
   絶対的な権力が失われれば、社会の無秩序が制御不能な形で現れるのではないかと恐れるロシア人は、グローバリズムに対抗するためだけでなく、自らを統制するためにも強大な権力を本能的に求める。プーチン氏の側近たちが、これほど異常な決定に誰も異を唱えないのは、このためだ。
(略)
   ロシア人の心性には、永遠の「神の王国」は歴史の終わりに現れるという黙示録的な願望があり、それが政治の現状に対する無関心を助長している。だから自立した個人が市民社会を形成するという西欧のデモクラシーが入ってきても、やがてそれに反発する心情が生まれ、再び権力に隷従した以前の状態に戻ってしまう。この国民性をロシアの作家グロスマンは「千年の奴隷」と呼んだ。
   現在の状況は、ロシア自らの世界観に直結する問題だけに、外部から解決の働きかけを行うことは難しい。


ロシア文学について「深い森」と称する人もいるくらい、ロシア文学は深淵な心理描写が特徴ですが、そんな内省的な文化を持つ国の国民がどうしてプーチンのような人物をヒーローのように支持するのか、ずっと不思議に思っていました。

西側のメディアは、ロシアの国民はロシア政府のプロパガンダで洗脳されていると言ってますが、ホントにそうなのか。多くの国民は、みずから戦争を欲し開戦に熱狂しているのではないのか。開戦後、プーチンの支持率が急上昇しているという話があります。独立系調査機関による世論調査でも、プーチン大統領の支持率は69%に上昇したそうで、むしろそっちの方がロシア国内の現実を表しているように思えてなりません。あの東条英機だって、「戦争するのが怖いのか」「早く戦争をやれ」というような手紙が段ボール箱に何箱も自宅に届くほど国民が戦争を欲したからこそ、清水の舞台から飛び降りるつもりで戦争に踏み切ったのです。国民は嫌々ながら戦争に引きずり込まれたのではないのです。

ドフトエフスキーでもトルストイでもゴーリキーでも、『蒼ざめた馬』のロープシンでも、彼らの小説を読むと、国家と宗教が登場人物たちの上をまるで梅雨空のように重く覆っているのがわかります。国家や宗教がニーチェが言うツァラトゥストラの化身のように、ニヒリスティックに描かれている場合が多いのです。そして、登場人物たちの苦悩もそこから生まれているのでした。

このようなロシア人の心の奥深くに伏在する国家と宗教の問題を考える必要があるように思います。今回の侵攻の背景にある大ロシア主義が、ロシア特有の復古的な世界観に基づいているのは言うまでもありません。亀山氏の「ロシア人は歴史を引きずるが、歴史から学ばない」ということばは秀逸で、ソ連の崩壊についてもロシア人は何ら検証も反省もしていません。表面的には議会制民主主義や自由経済を標榜しながら、実際はソ連共産党から「統一ロシア」に政権の看板が変わっただけです。旧共産党員で旧KGBの出身で、ソ連崩壊後、KGBが再統合されたFSB(ロシア連邦保安庁)の長官だったプーチンは、共産党時代と変わらないような秘密警察が支配する独裁体制を築いたのでした。だからと言ってクーデターを起こしたのではありません。ヒットラーと同じように、「歴史から学ばない」ロシア国民に支持されて合法的に政権を手に入れたのです。

驚くべき無節操さとしか言いようがありません。無血革命とも言えないようない加減で無責任な歴史に対する態度と言えるでしょう。そんなロシア国民が、ソ連崩壊後、ロシア正教の復活に合わせて、今度は革命前の帝政ロシア時代を郷愁し大ロシアの再興を夢見るようになったのは、当然と言えば当然かもしれません。ロシアが世界の文明の中心であると言う大ロシア再興の野望は、何もプーチンひとりの暴走などではないのです。「シロビキ」と呼ばれるFSBや軍出身者で固められた政権中枢やロシア国民の欲望が、コミンテルンから大ロシア主義に変わっただけなのです。

亀山氏が言うように、ロシア人としてのアイデンティティを再認識するためには、当然ながらロシアは強い国でなければなりません。ロシア民族の聖地とも言うべきキエフを首都に持つウクライナへの侵攻は、文字通りのレコンキスタ(失地回復)で、ロシア国民はそれをプーチンの民族浄化作戦(ザチストカ)に託したのです。それゆえ、プーチンはニーチェの超人と未来永劫思想を体現するヒーローでなければならないのです。

そんなロシアの見果てぬ夢を考えると、ウクライナの次はバルト三国だという話もあながち杞憂とは思えないのでした。
2022.03.06 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲
今日、ウクライナの南部エネルホダル市にあるザポリージャ原発がロシア軍から砲撃を受け、既に火災が発生しているというニュースがありました。ザポリージャ原発はヨーロッパ最大級、世界で3番目の規模の原発で、もし爆発すれば旧ソ連時代に同じウクライナのチェルノブイリ原発で発生した事故の10倍の被害が出ると言われているそうです。文字通り身の毛もよだつような話です。今日の攻撃が事実なら、いよいよロシアによるジェノサイドが本格的にはじまったと言っても過言ではないでしょう。

このようにロシアの蛮行はエスカレートする一方ですが、しかし、欧米各国は相変わらず口先で非難するだけで、傍観者の立場を崩していません。何度も言うように、ウクライナを見殺しにしているのです。

そんな欧米の二枚舌を知る上で、下記のForbes JAPANの記事が参考になるように思いました。

Forbes JAPAN
一部は焦げつく恐れも ロシア向け債権額の多い国

記事では、国際決済銀行(BIS)のデータに基づいた、ロシア向け債権(残高)の多い国とその金額が下記のように示されていました(記事ではドルの金額だけでしたが、それに円に換算した金額を付け足しました)。

ロシア向け債権額が多い国(2021年9月30日時点の残高)
イタリア(253億ドル・約2兆9300億円)
フランス(252億ドル・約2兆9200億円)
オーストリア(175億ドル・約2兆250億円)
米国(147億ドル・約1兆7000億円)
日本(96億ドル・約1兆1100億円)
ドイツ(81億ドル・約9360億円)
オランダ(66億ドル・約7600億円)
スイス(37億ドル・約4270億円)
※韓国(17億ドル・約1970億円)
(出所:BIS)

これを見ると、どういう国がロシアに入れ込み、プーチンと親密な関係を築いていたかがわかります。もっとはっきり言えば、どんな国がプーチンの独裁体制を経済的に支えていたかがわかるのです。

記事では次のように書いていました。

欧州諸国はロシアから輸入する天然ガスの支払いもできなくなるのではないかと議論になっているが、こうした決済を主に担っているガスプロムバンクは今のところ排除の対象にはなっていない。


紆余曲折の末、やっと合意したSWIFTからの排除ですが、それも勇ましい掛け声とは裏腹にザルになっているのです。

オーストリアの地元紙シュタンダルトによると、オーストリアはエネルギービジネスでもロシアとの関係が深い。オーストリアは当初、ドイツやイタリア、ハンガリーなどとともにロシアのSWIFT排除に反対したと伝えられる。
(同上)


ウクライナの悲劇を尻目に、オーストリアやドイツやイタリアやハンガリーが制裁に反対したのは、何より天然ガスや石油などの取引きの停止を怖れたからでしょう。しかも、現在もまだ取引きは継続されているのです。だから、天然ガスの決済銀行であるガスプロムバンクが制裁対象から外されたのです。ウクライナの現状を考えれば、まったくふざけた話だと言わざるを得ません。

繰り返しになりますが、今回のウクライナ侵攻では、このように欧米が掲げる民主主義なるものの欺瞞性も、同時に露呈されているのでした。バイデンの言う「民主主義と権威主義の対立」も片腹痛いと言わねばなりません。国際政治学者たちもバイデンの口真似をして同じような図式を描いていますが、たとえば彼らが言う「権威主義」ということばも多分にフォーカスをぼかしたヘタレなものでしかありません。それを言うなら全体主義でしょう。大ロシア主義も中国共産党の”新中華思想”もイスラム主義も、まぎれもなく全体主義です。世界が多極化するにつれ、それそれの”極(センター)”で全体主義が台頭しているのです。しかも、欧米の掲げる民主主義はお家大事のダブルスタンダートであるがゆえに、全体主義の対立軸(受け皿)になり得てないのです。それが今回のウクライナ侵攻ではっきりしたのでした。

何度も言いますが、核の脅しを伴ったこの全体主義の時代に対抗するには、国家や党派とは関係ない民衆の素朴実感的なヒューマニズムの連帯しかないのです。雨垂れが岩を穿つのを待つような話ですが、あきらめずに辛抱強く声を上げ続けるしかないのです。

「モーニングショー」のコメンテーターの玉川徹氏が、これ以上犠牲者を出さないためにウクライナ国民は降伏の選択肢も考えるべきだ、ゼレンスキー大統領も、銃を持って戦うことを鼓舞するのではなく、国民に降伏を呼び掛けるべきだと言ってましたが、なんだか所詮は他人事の日本における「戦争反対!」の声を象徴するような発言だと思いました。玉川氏の発言は、大国に翻弄されたウクライナの歴史と国民のなかに連綿と受け継がれているパルチザンの思想をまったく理解していない戯言と言わざるを得ません。降伏することは銃で戦うことより恐ろしい現実が待っている、というウクライナ国民の声を理解できない「平和ボケ」の発言と言わざるを得ません。

ウクライナには、民衆がみずから銃を持ってソビエト政府の赤軍やナチスのファシスト軍と戦ったパルチザンの歴史があります。ウクライナの民兵組織は一部で極右だという声もありますが、彼らにも人民武装=パルチザンの思想が受け継がれているのは間違いないでしょう。日本には秩父事件などを除いてほとんどその歴史がないので、パルチザンに対する理解が乏しいのかもしれませんが、反戦デモには、玉川氏と違って、みずから銃を持って戦うウクライナ国民に共感し連帯を呼びかける側面もあるのです。民衆の素朴実感的なヒューマニズムには、そういったおためごかしではない、市民革命の経験で得たラジカルな一面があることも忘れてはならないのです。
2022.03.04 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
先日(25日)の朝日新聞デジタルに次のような記事がありました。

朝日新聞デジタル
世界の警察官に戻らない米国、嘆くより受け入れを アメリカ総局長(有料記事)

望月洋嗣・アメリカ総局長は記事の最後を次のようなことばで結んでいました。

   今回の侵攻は、米国が描く戦略の前提通りには事が進みそうもない現実を突きつけた。そして、相対的な力が低下している米国が、力を振りかざす「専制主義」の大国から民主主義の仲間を守る手立てが乏しいということも国際社会に印象づけた。
   米国が世界の警察官の役割を果たした時代は戻ってこない。それを嘆き、警察官の再登場を願っても、平和と安定は取り戻せない。
   この現実を受け入れた上で、従来の国際秩序を守っていくにはどうすればいいのか。日本を含め、米国と協力関係にある国々は、これまでにない覚悟と行動を求められることになる。


その通りだけど、だからどうすればいいんだ?、今のこの戦争をどうすれば止められるんだ?、と歯痒さを覚えるよう記事です。こういうのをオブスキュランティズム(曖昧主義)と言うのでしょう。

それは、バイデンの一般教書演説も同じです。「プーチンは間違っている」「彼に責任をとらせる」と言ったそうですが、まさに言うだけ番長で所詮は他人事なのです。支援のポーズを取るだけなのです。

また、我が国の国会の非難決議も似たようなものです。脊髄反射で核保有を主張しながら、味噌もクソも一緒にして翼賛的に採択される国会の非難決議なんか、ただのアリバイ作りのためのポンチ絵にすぎません。

プーチンのウクライナ侵攻は1年前から計画されていたと言われています。にもかかわらず、上の朝日の記事でも書いていますが、バイデンは早い段階から「ウクライナには米軍を派遣しない」と明言していました。それでは、プーチンにどうぞ侵攻して下さいと言っているようなものでしょう。むしろ侵攻を煽っていたと言ってもいいのです。

オレンジ革命によって親欧米派が政権を掌握したウクライナにも、当然、アメリカの軍事顧問や諜報部員が入っていたはずです。しかし、ロシアの侵攻が現実味を帯びるといっせいに引き上げたと言われているのです。そして、バイデンは上記のようにウクライナを見放すような発言をしているのです。

SWIFT(国際決済ネットワーク)からロシアの銀行を除外するという制裁にしても、案の定、「ロシア最大手ズベルバンクや、ガス大手ガスプロムに関係するガスプロムバンクは含まれていない」(共同)のです。「除外すればエネルギー供給の決済など、欧州経済への影響が大きいと判断した」(同)からだそうです。やっぱりお家大事なのです。侵攻下においても、ロシアからヨーロッパへ天然ガスの供給は継続されているのです。スポーツ選手は競技大会から排除されるけど、国家間のビジネスは続けられているのです。

欧米のウクライナへの支援の中心は武器の提供です。まるでウクライナの国民に、武器はふんだんに提供するので犠牲をいとわず最後の一人まで戦え、玉砕しろとでも言いたげです。その一方で、でも、オレたちはガスがないと困るのでロシアと取引きは続ける、お金も送ると言っているのです。

欧米の国々はまるでライオンの檻のなかで繰り広げられる残酷なショーを観客席から眺めている観客のようです。もちろん、ライオンの檻のなかに放り投げられるのはニワトリです。そのニワトリにがんばってと見え透いた声援を送るだけなのです。

もうひとつ忘れてはならないのは、武器の提供をメインにした支援の背後にいる軍需産業の存在です。アメリカの軍需産業が民主党政権と強いつながりがあるのはよく知られた話ですが、今や巨大化した軍需産業は国の政治にまで影響を及ぼすようになっているのです。アメリカ政府の兵隊は出さないが兵器は提供するという方針にも、産軍複合体たる軍需産業の影を覚えてなりません。

それはロシアも同じです。既にキエフなどに侵入して破壊工作を行なっている工作員は、正規の軍人ではなく民間の軍事会社の社員だと言われています。前も下記の記事で書きましたが、現代の戦争は軍需産業をぬきにしては語れないほど民営化されているのです。文字通り戦争がビジネスになっているのです。お金のためなら無慈悲に人も殺すのです。そういった現代の戦争が持つ新たな側面にも目を向ける必要があるでしょう。


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世界内戦の時代
2022.03.02 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナ国旗


2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。それも当初の予想とは違って、首都のキエフの制圧を目指す大規模なものになりました。つまり、プーチンはウクライナ全土を支配下におく侵略戦争に舵を切ったのです。

今回のウクライナ侵攻に対して、アメリカは積極的に情報公開を行なってきました。そのなかには軍事機密まで含まれており、それは今までの戦争にはなかったアメリカの変化だと言われています。

でも、それは、もう自分には介入する気持も力もないので、同盟国に「みんなで一緒に抗議しましょう」と呼びかけているようにしか見えませんでした。そこにあるのは、超大国の座から転落した惨めなアメリカの姿です。それが老いぼれたバイデンの姿と二重映しになっているのでした。

今回のウクライナ侵攻が衝撃だったのは、核を振りかざす狂気の指導者の前には世界は無力だという冷厳な事実です。核戦争を怖れて誰も手出しができないという核の世界の現実です。

ロシア軍が真っ先にチェルノブイリの原発を制圧したのは、キエフに攻め入る近道であるという理由以外に、プーチンが再三口にしていた核兵器使用の脅しと同様、いざとなれば石棺で閉じ込められている放射性物質を拡散することもできるんだぞという脅しの意味合いもあるように思えてなりません。

バイデンは「ロシアのプーチン大統領は、破滅的な人命の損失をもたらす戦争を選んだ」と言ったそうですが、それはアメリカも同じでしょう。アメリカは今まで何度「破滅的な人命の損失をもたらす戦争を選んだ」んだ?と皮肉を言いたくなりました。しかも、バイデンはウクライナから8千キロ離れたワシントンで、まるで評論家のように、そう論評(!)するだけなのです。

経済制裁も多分に後付けで腰が引けたものです。現在言われている制裁ではどれだけ効果があるか疑問です。侵攻前の制裁でロシアの銀行の資産を凍結すると発表しましたが、制裁の対象になった銀行はロシアでは3番目とか4番目の規模の銀行に過ぎないそうです。1番目や2番目の銀行は侵攻したあとのカードとして残すということだったのかもしれませんが、それって侵攻するのを待っていたようにしか思えません。

ここにきて、制裁の目玉であると言われているSWIFT(国際決済ネットワーク)からロシアの銀行を排除する措置を欧米が検討しはじめたというニュースがありましたが、侵攻して市民の犠牲者が出たあとでは遅きに失した感を抱かざるを得ません。しかも、あくまで「一部の銀行」に限った話で、全ての銀行を対象にするものではないのです。ヨーロッパ(特にドイツやイタリア)にとって、ロシアは天然ガスの重要な輸出国(供給元)なので、ロシアの金融機関をSWIFTから完全に排除することにためらいがあるのでしょう。つまり、ここに至ってもなお、数万人の無辜の民の命より国家や資本の論理を優先する考え方から自由になれないのです。新型コロナウイルスでは自国民の命を守るために各国はロックダウンを行いましたが、それに比べると、ウクライナの国民の命はそんなに軽いものなのかと思ってしまいます。

ロシア軍は48時間以内に侵攻する。ロシア軍はミサイルを160発使用した。ロシア軍はキエフ近郊の空港を制圧した。アメリカ政府はそうやってメディアのように戦火の拡大を発表するだけで、完全に傍観者に徹しているのでした。でも、裏を返せば、それはウクライナを見殺しにするということでもあります。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、世界に向けた演説で「ウクライナは一人で戦っている。世界で一番強い国は遠くから見ているだけだ」と言ってましたが、たしかにバイデンの(口先だけの)大仰なロシア非難とは裏腹に、欧米各国の冷淡さとウクライナの孤立無援な姿が目に付きます。そんな所詮は他人事と見殺しにされたウクライナを見ると、やり場のない怒りとやりきれなさと理不尽さを覚えてなりません。今回の侵攻では、20世紀の世界を”正義の価値”として牽引してきた欧米式のデモクラシーの欺瞞性も同時に露呈されているのです。アメリカやEUの信用はガタ落ちになっており、国際的な地位の下落はまぬがれないでしょう。

侵攻に関して、下記のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
wowkorea
ウクライナ外相「米国の安保を信じて28年間 “核放棄”してきた」…「代価を払え」

クレバ外相は22日(現地時間)米フォックス放送に出演し「当時ウクライナが、核放棄の決定をしたのは失敗だったのか」という質問に、先のように答えた。 クレバ外相は「過去を振り返りたくはない。過去に戻ることはできない」と即答を避けた。 しかしその後「当時もし米国が、ロシアとともにウクライナの核兵器を奪わなかったら、より賢明な決定を下すことができただろう」と語った。
(略)
クレバ外相は同日、CNNでも「1994年、ウクライナの “核放棄”のかわりに、米国が交わした安全保障の約束を守らなければならない」と求めた。 クレバ外相は「1994年ウクライナは、世界3位規模の核兵器を放棄した。我々は特に米国が提示した安全保障を代価として、核兵器を放棄したのだ」と主張した。


アメリカが唯一の超大国の座から転落した現在、アメリカの核の傘にもう頼ることはできない。ロシアを見てもわかるように、核を保有することは国際政治で大きな力を持つことになる。自衛のための核保有は必要だ。今後、そういう考えが世界を覆うのは間違いないでしょう。これこそが従来の秩序が崩壊し世界が多極化したあとに必然的に立ち現れる、国際政治の末期的な光景です。

日本でも、中国や北朝鮮の脅威から自国を守るためにはアメリカの核の傘に頼っていてはダメだ、核の保有も選択肢に入れるべきだという声が大きくなるに違いありません。

今回のロシアの侵攻に対して、「ベネズエラのマドゥロ、キューバのディアスカネル両政権は22日、(略)ロシアのプーチン大統領の立場に相次いで支持を表明した」(時事ドットコムニュース)そうです。反米左派政権の両国は米国から厳しい経済制裁を受けており、軍事と経済の両面でロシアへの依存を強めているからだそうですが、こういったところにもロシア・マルクス主義の末路が示されているように思います。「国家社会主義ドイツ労働者党」という党名を名乗ったナチスとどう違うのか、私には理解の外です。

最新のニュースではロシア軍がキエフに迫っているそうで、予備役も招集したウクライナ軍との間で市街戦の可能性も高まってきました。5万人の犠牲者が出るという話も俄かに現実味を帯びてきました。

そんななかで、個人的にささやかな希望として目に止まったのは、ロシア国内の反戦デモのニュースです。ロシア各地で反戦デモが行なわれ1700人超が拘束されたそうです。ロシア政府は、いかなる抗議活動も犯罪行為として収監すると表明しており、そのなかで人々は街頭に出て「戦争反対」の声を上げているのです。

私は、ロシア国内の反戦デモに、ロシア革命の黎明期にボリシェヴィキ政府に反旗を翻したクロンシュタットの叛乱さえ夢想しました。革命の変質に憤ったクロンシュタットの水兵たちは、レーニンやトロッキーを革命の裏切者として指弾して蜂起し、鎮圧するために派兵された革命軍=赤軍と二度に渡る戦闘を繰り広げたのでした。叛乱に対して弾圧を指示する党の最高責任者はトロッキーでした。のちに党内の権力闘争に破れて国外に逃亡したトロッキーは、ノルウェー亡命中にかの『裏切られた革命』(岩波文庫)を書いてスターリン体制(主義)を批判。とりわけ世界の若いコミュニストたちに多大な影響を与え、日本でも革命的左翼を自称する新左翼の活動家たちから反スターリン主義の象徴として思想的に神格化されるようになったのでした。しかし、既に革命の黎明期において、トロッキーはクロンシュタットの水兵たちによって、裏切られた革命の当事者として指弾されていたのです。

私が夢想したのは、ロシア軍のなかで、反戦デモに呼応してプーチンに反旗を翻す兵士が出現することです。もしかしたら、それが千丈の堤が崩れる蟻の一穴になるかもしれないのです。

唐突な話ですが、沖縄で高校生がバイクを運転中に警察官の警棒と「接触」して(ホントは叩かれた?)失明した事件でも、若者たちがSNSで集まり警察署に押しかけ直接抗議をしたからこそ、警察もやっと重い腰を上げ、(しぶしぶながら)真相を究明する姿勢を見せるようになったのです。警察に押しかけてなかったら事件は闇に葬られたでしょう。市井の人々が声を上げて行動すると、思ってもみない力を発揮することもあるのです。

ロシアやアメリカなど大国の論理に対して、ウクライナ人もロシア人もアメリカ人も日本人もないという、平和を希求する人々の生の声を上げ続けることが何より大事でしょう。人民戦線とは、本来は共産党の前衛神話を前提とするようなものではなく、そのように民衆の連帯によって自然発生的に生まれる闘いの形態のことを言うのではないでしょうか。現代はスペインの人民戦線を描いたジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』(岩波文庫)の頃とは時代背景が違うと言う人がいますが、たしかに『カタロニア賛歌』のなかでも批判的に書かれていた共産党の前衛神話を前提とするような党派的な考え方をすれば、そう言えるのかもしれません。しかし、国家や党派とは関係なく民衆の素朴実感的なヒューマニズムの所産として人民戦線を考えれば、本質的には何も変わってないし、その今日的な意味は全然有効なのだと思います。

今までも私たちの日常は大国の核の傘の下にあったわけですが、全体主義の時代は、私たちの日常がウクライナの市民たちと同じように、核の脅威(プーチンのような脅し)に直接晒されることになるのです。その意味でも、今回の蛮行は決して他人事ではないはずです。
2022.02.25 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
ロシア国旗


ロシアのプーチン政権によるウクライナ侵攻は依然予断を許さない状態が続いています。アメリカとロシアの情報戦も激しくなっていますが、これって普通に考えても戦争前夜と捉えるべきでしょう。

ロシアの強気な姿勢について、今日の朝日新聞は次のように書いていました。

  ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ東部の自称「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を承認したことは、冷戦終結後に各国が育んできた国際秩序への公然たる挑戦だ。力ずくの外交姿勢は、国際的なルールの順守や各国の主権の尊重、領土の一体性を無視している。
(略)
  米国とロシアとの間に立って対話の可能性を探り、米ロ会談の調整にこぎ着けたフランスなど欧州の仲介努力に冷水を浴びせた形となった。武力行使を避けようと奔走した欧州各国の努力に、真剣に応じることなく、逆に冷笑するかのように、その求めをはねつけた。


朝日新聞デジタル
外交努力を踏みにじったプーチン氏 全土侵略の布石か、世界の行方は(有料記事)

このロシアの強気な姿勢が示しているのは、今までも何度もくり返し言っているように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するというあらたな世界秩序(とも言えないような秩序)の時代に入ったということです。ありていに言えば、アメリカが世界の警察官として君臨してきたパクス・アメリカーナの終焉です。

これからは、このような大ロシア主義や”中華社会帝国主義”とも言うべき中国の新中華思想やイスラム主義が、あらたな世界秩序の間隙をぬってさらに台頭して来るでしょう。そして、今回のウクライナ危機と同じような危機が世界のさまざまな場所で発生するのは必至でしょう。

今回のウクライナ危機を見てもわかるとおり、アメリカはもはや過去のアメリカではありません。あきらかに腰が引けています。そこをプーチンに見透かされているのです。

もちろん、ロシアが核保有国であることが大きな足枷になっているのも事実でしょう。プーチンも盛んに核をチラつかせて欧米を脅していますが、欧米にとって、核戦争を回避するためにはロシアとの直接の軍事衝突は避けなければならないのです。せいぜいが経済制裁でお茶を濁しながら、ロシアの無法を外野席で野次るくらいが関の山です。ヨボヨボのバイデンが、負け犬の遠吠えみたいに虚しい「警告」を発していますが、ウクライナが我が身大事の欧米から見殺しにされるのは最初からわかりきった話なのです。

何度も言いますが、アメリカンデモクラシーももはや世界を主導する”正義の価値”ではなくなったのです。世界をアメリカが主導する時代が終わったのです。とんでもない全体主義の時代=無法が大手を振ってのし歩く悪夢のような時代と言えばそう言えるのかもしれませんが、しかし、歴史というのは、往々にしてそんな紆余曲折を経るものです。と同時に、グアンタナモ収容所に象徴されるアメリカンデモクラシーの欺瞞や、民主主義の名のもとにアメリカが世界各地で人民の自決権を蹂躙してきた”帝国の歴史”も考えないわけにはいきません。

大量破壊兵器の保持を口実にイラクに侵攻したアメリカに、ロシアの無法を非難する資格はないのです。また、アメリカは旧ソ連に対抗するためにイスラム圏でイスラム過激派を育て利用してきた経緯もあります。現在、イスラム過激派がアメリカに牙をむいているのも、いうなれば豹変した飼い犬に手を噛まれたようなものです。私たちは、全体主義の時代に慄くだけでなく、アメリカに対する幻想からも自由にならなければならないのです。

アメリカのやることはなんでも許されるというような時代が終わる。そう考えれば、全体主義の時代もまったく意味のないことではないように思います。あたらしい、よりバージョンアップした民主的な価値と世界の秩序を手に入れるための生みの苦しみと考えることもできなくはないのです。

とは言え、歴史の紆余曲折には多大な犠牲が伴います。ロシアがキエフなどに本格的に侵攻し市街戦になれば5万人の市民が犠牲になるという試算もあります。

一方、私たちにとって、ウクライナ危機も所詮は対岸の火事でしかありません。怖ろしいくらい冷めている自分がいます。5万人という数字も、日々AIがはじき出す単なる数値のようにしか受け止められてないのが現実です。

人間は自分で思うほど賢くはないので、塗炭の苦しみや悲劇を経験しないとあたらしい価値に目覚めることはないのかもしれません。今回のウクライナ危機を見ても、世界が第二次世界大戦から何も学んでないことがよくわかります。それはロシアだけでなく、先進国を自称しながら為す術もないG7の国も同じです。SDGsだとかAIだとか言っても、感情と欲望の動物である人間はたいして進歩もしてないのです。

手前味噌になりますが、このブログで世界の多極化を予見した「世界史的転換」という記事を書いたのは、2008年のリーマンショックのときでした。あれから13年、多極化する世界の輪郭がよりはっきりしてきたのはたしかでしょう。


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2022.02.22 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲