昨日、朝日に下記のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」

ウクライナは現在、戒厳令と総動員令がセットになった戦時体制下にあり、政党活動は禁止され、18~60歳の成人男性の出国も禁止されています。もちろん、ロシアの理不尽な侵攻に対して一丸となって戦うためですが、政党活動が禁止されているというのは、実質的に政府のやることに異を唱えることができないということです。その意味では、きつい言い方ですが、今のウクライナはロシアよりむしろ全体主義的な状況にあると言っていいのかもしれません。

余談ですが、昨日の「モーニングショー」では、ロシアでは戦場に派遣する兵士が不足して、片目がない身障者まで駆り出されているというウクライナのニュースを紹介していました。そして、例によって例の如く電波芸者コメンテーターの石原良純や山口真由らがああでもないこうでもないと与太話をくり広げていました。しかし、ロシアはウクライナと違って徴兵制を敷いていません。ホントに兵員不足が深刻なら徴兵制を敷くでしょう。スマホのアクセスログなどのチェックはあるみたいですが、出国も可能です。そのため、多くの若者が侵攻に失望して国を離れていると言われています。

そもそもロシアのニュースはプロパガンダで、ウクライナのニュースが真実だという捉え方自体がお粗末なのです。戦争なのですから、情報戦(プロパガンダ合戦)が行われるのは当然なのです。

話は戻りますが、記事によれば、ウクライナでは、成人男性の出国禁止に対して、出国を「可能にすることを求める請願書に2万5千人の署名がインターネット上で集まっている」のだそうです。

そのネット請願に対して、ゼレンスキー大統領は、次のように「不快感を示した」のだとか。

「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」


バイデンと一緒になって「ウクライナ頑張れ」と外野席から声援を送っている人たちから見れば、ゼレンスキーの言うとおりで、何と身勝手な人たちなんだろうと思うかもしれません。

しかし、私は、民衆は国家に対して「身勝手」を言う権利と言うか、資格はあるだろうと思います。それが民主主義ではないのか。「身勝手」が言えないなら全体主義国家でしょう。「国を出るなら勝手に出ろ、その代わり二度と戻ってくるな」と言うのならわかりますが、国を出ることは一切認められない、そんな人間は”非国民”だとでも言いたげなゼレンスキーの発言は、どう見ても全体主義者のそれに近いものでしょう。

ゼレンスキーが求めているのは、最後の一人まで戦えということです。文字通り戦前の日本が掲げた「進め一億火の玉だ」と同じ愛国心を求めるものです。

今も毎日多くのウクライナ国民がロシア軍の銃弾の犠牲になっているのは、ゼレンスキーの言うとおりです。しかし、ゼレンスキーら指導部は、厳重に警護された安全地帯にいて、ただ国民を鼓舞しつづけるだけです。もちろん、鼓舞すればするほど国民の悲劇は増すばかりです。それでも、ゼレンスキーは、今の時点で和平交渉を行うつもりはないと明言しています。

もしかしたら、国民の犠牲と引き換えに、和平交渉に向けて有利な条件を創り出そうとしているのかもしれません。犠牲になった国民に対しては、「お前は英雄だ」と言っておけばいいのです。いつの時代でも、戦争では国家が「英雄」の空手形を乱発するのが常です。”英雄予備軍”の国民はいくらでもいるのです。

今回の戦争は、21世紀とは思えない古色蒼然としたものだと言われますが、しかし、戦争に駆り出される国民の間に、戦争で死んで「英雄」扱いされるより(戦争で犬死するより)、目の前のささやかな幸せを守る方が大事だという考えが前の世紀より浸透しているのはたしかな気がします。戦争のやり方は進歩してないけど、戦争に向き合う人々の意識は多少なりとも進歩していると言えるのではないでしょうか。

幸福追求権を持ち出すまでもなく、自分の運命は自分で決めるというのは立派な権利です。戦争で死にたくない、そのために、国を出て戦争で死なない人生を選択したいと思うのはごく自然な気持でしょう。でも、国の指導者は、愛国心を盾に彼らを”非国民”扱いして不快感を示すのです。不快感だけならまだしも、警察権力を使って拘束した上で、強制的に前線に送ることだってあるかもしれません。

「平和国家」の国民を自認するなら、バイデンやメディアに煽られて「ウクライナ頑張れ」と声援を送るだけでなく、戦争で死にたくないと思う人たちの存在や、その人たちの視点からこの戦争を見ることも必要ではないか。そうやってウクライナ・ロシアを問わず、戦争で死にたくないと思っている人々と「連帯」することの方がはるかに大事なことではないかと思うのです。
2022.05.24 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
マリウポリのアゾフスターリ製鉄所で、2ヶ月以上に渡って抵抗していたウクライナ軍(アゾフ大隊)がついに投降、ウクライナ政府も任務の完了=敗北を認めました。

アゾフスターリ製鉄所の陥落について、朝日新聞は、これで「ロシアが占領するクリミア半島とウクライナ東部をつなぐ要衝を、ロシアが近く完全制圧する可能性が高くなった」と伝えています。

併せて、「ウクライナ戦争で最も長く血なまぐさい戦闘が、ウクライナにとって重要な敗北に終わる可能性がある」というロイター通信の見方も紹介していました。

朝日新聞デジタル
ロシア軍、マリウポリ完全制圧へ 「最も血なまぐさい戦闘」が節目

また、メディアは、当初、投降した兵士たちがロシア支配地域に移送されたことで、今後、兵士たちは捕虜交換に使われる見込みだと報じていました。ところが讀賣新聞は、ネオナチのアゾフ大隊の兵士たちは、ウクライナに引き渡さない可能性が出てきたと伝えています。

讀賣新聞オンライン
「アゾフ大隊」兵士の引き渡し、ロシア拒否か「彼らは戦争犯罪者」…捕虜交換の禁止案

ロシア下院は18日、ウクライナ南東部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所から退避した武装組織「アゾフ大隊」の兵士と、ロシア兵との捕虜交換を事実上禁じる法案を審議する。アゾフ大隊の兵士のウクライナへの引き渡しにロシアが応じない可能性が出てきた。


私たちは、こういった報道を見ると、頭が混乱してしまいます。私たちが日頃接している報道では、士気の高いウクライナ軍によって、ロシア軍は各地で劣勢を余儀なくされ、それに加えて厭戦気分も蔓延しているため、今にもロシアの侵攻は失敗で終わるかのようなイメージを抱いていたからです。

もっとも、「国境なき記者団」が先日発表した2022年の「報道の自由度ランキング」では、日本は世界180の国や地域のうち71位でした。私たちが日々接しているのはその程度の報道なのです。

何度も言いますが、戦争なのですから敵も味方もありません。どちらもプロパガンダが駆使され、真実が隠されるのは当然のことです。でも、日本人はそんなことは露ほども念頭になく、まるでサッカーの代表戦と同じように、「ウクライナ大健闘」を信じ込んでいるのでした。

ウクライナから日本に避難した人たちが、記者会見で、祖国を離れて安全な日本に避難したことに後ろめたさを覚えるとか、祖国のために戦っている同胞を誇りに思うとか、今年の秋(何故か今年の秋を口にする人が多い)までには戦争が終わって祖国に帰ることを望んでいるとか言うと、日本人も彼らに同調して、そう遠くない時期にウクライナ勝利で戦争が終わるかのように思い込んでいるのです。

しかし、それは、ウクライナ人たちが戦時体制の中で、自由にものを考えることを禁止されているからに他なりません。ロシアの侵略はまぎれもない蛮行=戦争犯罪ですが、でも、もはやウクライナは取り返しがつかない国家の分断に向っているように思えてなりません。

あえて言えば、ウクライナの国民たちは皆が皆、”ロシア化”に反発しているわけではありません。ロシア語の話者たちの中に、ロシアへの帰属を望んでいる人たちがいるのも否定できない事実です。一方で、ロシアの支配地域に住んでいながら帰属を望まない人たちもいます。

勝ったか負けたか、敵か味方かではなく、そんな国家に翻弄される人々の視点で戦争を見ることも大事でしょう。いつの戦争でもそうですが、そこには私たちの想像も及ばない個々の事情とそれにまつわる悲劇が存在するのです。

どっちの国が正しいかではないのです。まして、どっちの国に付くかでもないのです。大事なのは、人々が国家から少しでも自由になることでしょう。戦争の際、「国のために死ぬな」という言葉がリアリティを持つのはそれ故です。国家の論理に対して、人々の個々の論理(事情)が対置されるべきだし優先されるべきなのです。ホントに戦争に反対し「ウクライナを救え」と言うのなら、まず「国のために死ぬな」と言うべきでしょう。

「ウクライナを救え」の人たちの間では何故かタブーになっていますが、そもそも今のウクライナは、ロシア革命に勝利したボリシェヴィキによって半ば人工的に作られた国という側面もなくはないのです。プーチン政権は、それを持ち出して、ロシア語の話者が多く住む地域をロシアに併合する暴挙に出たのでした。もちろん、そこには、NATOの東方拡大に対する危機感やロシア帝国再興の野望(大ロシア主義)もあったでしょう。

一方、ウクライナ国内でも、オレンジ革命による民主化への高まりによって、逆に「二つのウクライナ」が政治的に大きなテーマになり、ネオナチの集結とともにロシア語話者に対する差別や迫害がエスカレートしていったのでした。「民主主義」とネオナチが、反ロシアと愛国(ウクライナ民族主義)で手を結んだのです。そこにも、西欧的価値観=西欧民主主義の限界と欺瞞性が露呈されているように思います。

何度もくり返しますが、勝ったか負けたかでも、敵か味方かでもないのです。戦争で命を奪われた人々は「英雄」でもないし、「美談」の主人公でもありません。占領されると、お前はどっちの側だと旗幟鮮明を迫られ、敵側だと見做されると拷問されて殺害されるのです。「お国のため」という美名のもとに兵士になり、国家からは「英雄」だと持ち上げられ、家族からは「誇り」だと尊敬されても、敵国に捕らえられると容赦なく命を奪われ、”家庭の幸福”も一瞬にして瓦解します。

それでもアメリカは、和平の「わ」の字も口にすることなく、「お前たちは英雄だ」「もっとやれ」「もっと戦え」「武器はいくらでも出すぞ」と言って、ゼレンスキー政権を煽りつづけているのでした。まるでそうやってロシアをウクライナに張り付かせていた方が、都合がいいかのようにです。そこにあるのは、ヒューマニズムや民主主義で偽装された大国の都合=国家の論理だけです。

先日、床屋で髪を切っていたら、テレビからロシア軍がアゾフスターリ製鉄所に籠城するアゾフ大隊に対して、白リン弾を使用したというニュースが流れました。すると、それを観ていた床屋の主人が、「でも、アメリカだってベトナムで同じことをやってたじゃないですか。だからドクちゃん何とかちゃんみたいな奇形児が出来たんでしょ」と言ってました。たしかに、その通りです。アメリカはどの口で言っているだという話でしょう。

しかも、アゾフスターリ製鉄所で化学兵器を使ったという話も、確証がないままいつの間にか消えてしまったのでした。このようにウクライナ側の情報も、(ロシアに負けず劣らず)フェイクなものが多いのです。

ウクライナは、アメリカやNATO諸国にとって、所詮は”捨て駒”なのです。誰かも同じことを言って炎上していましたが、ロシアの体力を消耗させるのために、アメリカが用意したサンドバックのようなものです。「ウクライナを救え」と言うのなら、いい加減そのことに気付くべきでしょう。


関連記事:
「戦時下の言語」とジャーナリズムの死
2022.05.19 Thu l ウクライナ侵攻 l top ▲
田中龍作氏は、5月3日の記事で、キーウの基地で遭遇した日本人義勇兵を取り上げていました。

田中龍作ジャーナル
【キーウ発】日本人義勇兵 「自由と独立を守るためには武器を取って戦わなければならない」

元自衛隊員の義勇兵は、まだ正式にウクライナ軍の兵士と認められてないため、無給だそうです。志願の動機について、下記のように書いていました。

 志願の動機は―

 「(旧ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って満洲に侵攻してきた)1945年と同じことがまた起きたと思った」

 「かつて交際していた女性の祖父は満洲で終戦となったためシベリアに抑留された」。

 57万5千人の日本軍将兵・満蒙開拓団員などがシベリアに連行され、強制労働に従事させられた。5万5千人が病気や衰弱などで死亡した(厚生省調べ)。

 「ロシアはウクライナに対しても当時と同じようなことをした」

 「自由と独立を守るためには武器を取って戦わなければならないことを日本人は認識していない」 

 「私戦予備罪を押してでも行く価値があると思い志願した」


しかし、この義勇兵は、田中氏が書いているように、ホントにただの義憤に駆られた人なのか。彼こそ、前に藤崎剛人氏が書いていた、世界中からウクライナに集まっているネオナチのひとりではないのか。

田中宇氏は、Qアノンまがいのコロナワクチンを巡る発言などにより、ややもすれば陰謀論の権化のように言われる毀誉褒貶の激しい人ですが、ウクライナ・ネオナチ説について、次のように書いていました。

田中宇の国際ニュース解説
ウクライナ戦争で最も悪いのは米英

ウクライナ軍は腐敗していたため国民に不人気で、2014年の政権転覆・内戦開始後に徴兵制を敷いたものの、徴兵対象者の7割が不出頭だった(2017年秋の実績)。多くの若者が徴兵を嫌って海外に逃げ出していた(若者の海外逃亡の結果、国内で若手の労働力が不足した)。予備役を集めて訓練しようとしても7割が出頭せず、訓練の会合を重ねるほど出席者が減り、4回目の訓練に出席したのは対象者の5%しかいなかった(2014年3-4月の実績)。(略)


親露派民兵団やロシア側に対抗できる兵力を急いで持つことを米英から要請されていたウクライナ政府は、政府軍の改善をあきらめ、代替策として、ウクライナ国内と、NATO加盟国など19の欧米諸国から極右・ネオナチの人々を傭兵として集め、NATO諸国の軍が彼らに軍事訓練をほどこし、政府軍を補佐する民兵団を作ることにした。極右民兵団の幹部たちは、英国のサンドハースト王立士官学校などで訓練を受けた。民兵団は国防省の傘下でなく、内務省傘下の国家警備隊の一部として作られた。ボー(引用者註:NATOの要員だったスイス軍の元情報将校)によると、2020年時点でこの民兵団は10万2千人の民兵を擁し、政府軍と合わせたウクライナの軍事勢力の4割の兵力を持つに至っている。ウクライナ内務省傘下の極右民兵団はいくつかあるが、最も有名なのが今回の戦争でマリウポリなどで住民を「人間の盾」にして立てこもって露軍に抵抗した「アゾフ大隊」だ。


今回のロシア侵攻を考えるとき、このようなゼレンスキー政権の極右化の問題も無視することはできないのです。もちろん、だからと言って、ロシアの戦争犯罪が免罪されるわけではありません。ただ一方で、ほぼ内戦状態にあったウクライナ東部において、ゼレンスキー政権が「極右民兵団」を使ってロシア系住民(ロシア語話者)を迫害していたのは、いろんな証言からもあきらかです。もちろん、ロシアへの併合を目論むロシア系民兵組織も同じことをやっています。しかし、「極右民兵団」によるロシア系住民の迫害が、ロシアに「個別的自衛権」の行使という侵攻の口実を与えることになったのは事実です。

そこにアメリカの”罠”があったのではないか。結果として、ゼレンスキー政権はバイデン政権からいいように利用され、そして煽られ、和平交渉の糸口さえ見つけることもできずに、総力戦=玉砕戦に突き進むことになったのでした。これではウクライナ国民はたまったものではないでしょう。でも、バイデン政権にしてみれば、してやったりかもしれません。アメリカはウクライナに巨額の軍事援助を行っていますが、それは同時に民主党政権と密接な関係にある産軍複合体に莫大な利益をもたらすことになるからです。

このように和平の働きかけも一切行わず、8千キロ離れたワシントンからただ戦争を煽るだけのバイデン政権の姿勢(それを異常と思わない方がおかしい)が、今回の侵攻を考える上で大きなポイントになるように思います。

今回の侵攻で、その帰趨とは関係なく、ロシアの国力や軍事力が大きくそがれ、プーチンの目論見とは裏腹に、ロシアが国家として疲弊し弱体化するのは否めないでしょう。一方で、プーチンの神経を逆なでするかのように、NATOはさらにフィンランドとスウェーデンの加入が取り沙汰されるなど、拡大の勢いを増しているのでした。言うなれば、アメリカは、ウクライナ国民の犠牲と引き換えに、ロシアをウクライナ侵攻という”泥沼”に引きずり込むことに成功したのです。そこに民主主義国家VS権威主義国家という、多極化後にアメリカが選択するあたらな世界戦略が垣間見えるように思います。

アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が対極化するということは、アメリカがみずから軍隊を派遣するのではなく、今回のように”同盟国”に武器を提供して”同盟国”の国民を戦わせることを意味するのです。そう方針転換したことを意味するのです。アメリカにとって、戦争は政治的な側面だけでなくビジネスの側面も強くなっており、そのため戦争の敷居が格段に低くなったのは事実でしょう。

日本でも早速、対米従属愛国主義の政治家ポチたちが、敵基地への先制攻撃を可能にする憲法9条の改定や核シェアリング(実質的な核武装)の導入など、戦争ができる体制を作るべきだと声高に主張し始めています。しかも、2014年のクリミア半島とルハンスク州南部・ドネツィク州東南部侵攻の際には、ウラジーミルとシンゾーの関係を優先して欧米の制裁に歩調を合わせなかった安倍晋三元首相が、今度は先頭に立って核武装を主張しているのですから開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

でも、実際に戦場で戦うのは自衛隊員だけでなく国民も一緒です。ウクライナでも見られたように、避難した民間人を警護するという建前のもと、実際は弾除けの盾に使われることだってあるでしょう。戦争なのですから何だってありなのです。政治家ポチの勇ましい言葉に踊らされている「風にそよぐ葦」の国民は、戦争に対するリアルな想像力が決定的に欠けていると言わねばなりません。ウクライナが可哀そうという感情に流されるだけで、戦争の現実をまったく見てないし見ようともしてないのです。

何だかまわりくどい話になりましたが、このような敵か味方かの国家の論理に依拠した今の報道は、ウクライナが可哀そうという”善意の仮面”を被ったもうひとつのプロパガンダと言うべきなのです。
2022.05.08 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲
侵攻前からキーウ(キエフ)に入っていたフリージャーナリストの田中龍作氏は、ロシア軍がキーウ(キエフ)に侵攻した際も、大手メディアの記者たちがまるで蜘蛛の巣を散らすように逃げ去るのを尻目に戦火のなかにとどまり、今なお現地の生々しい状況を発信しつづけているのですが、4月25日の記事で次のように書いているのが目に止まりました。

田中龍作ジャーナル
【キーウ発】たとえ戦争広告代理店があったとしても

  湾岸戦争(1991年)やコソボ紛争(1990年代)の頃と決定的に違うのは、SNSの普及である。デッチあげは「ウソだ」とすぐに告発される。

  もう一つ決定的に違うのは、ウクライナでは言論の自由が保障されていることだ。ゼレンスキー大統領をクソミソにこき下ろしても許される。(略)

  戦争広告代理店による捏造があったりしたら、住民がSNSで告発するだろう。それが今のところない。

(略)
 
  「ネオナチ説」「自作自演説」を唱える言論人に共通するのは、虐殺の現場に一歩も足を踏み入れず、住民の話をひと言も聞いていないことだ。


最初に断っておきますが、今のウクライナは非常事態宣言が発令された挙国一致の戦時体制下にあるので、「言論の自由」は保障されていません。昔の日本と同じで、民主的な制度(権利)は完全に停止されています。野党の政治活動も停止させられていますし、それどころか先日は新ロシア派の野党の党首が逮捕されています。もちろん、「ゼレンスキー大統領をクソミソにこき下ろしても許される」自由などあろうはずもないのです。そんなことを口にしたら、当局に密告されて「ロシアの手先」のレッテルを貼られ、とんでもない目に遭うでしょう。

それより私が看過できないと思ったのは、「『ネオナチ説』『自作自演説』を唱える言論人に共通するのは、虐殺の現場に一歩も足を踏み入れず、住民の話をひと言も聞いていないことだ」という箇所です。

しかし、実際には私が知る限り、「言論人」でロシアの荒唐無稽な主張をそのままなぞったような主張を唱えている人はほとんどいません。「ロシア寄り」と言われている人たちも、ロシアの侵略は弁解の余地もない蛮行だけど、だからと言ってゼレンスキーが言っていることを百パーセント信じていいのかと主張しているだけです。

にもかかわらず、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの人たちは、「ロシアの侵略は弁解の余地もない蛮行」という断りを故意に無視し、”ゼレンスキー批判”だけを言挙げして「陰謀論」「ロシア寄り」と決めつけ、問答無用に悪罵を浴びせるのでした。彼らには、そういった”客観的な視点”も利敵行為に映るみたいです。敵か味方か、旗幟を鮮明にしなければ、戦争を語ってはいけないとでも言いたげです。田中氏は、針小棒大なもの言いをすることで、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの人たちの「俗情と結託」(大西巨人)しているにすぎないのです。

もっとも、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの彼らも、最近はウクライナ問題に関心が薄らいでいるという指摘もあります。それはそうでしょう。彼らは、メディアのセンセーショナルな戦争報道に動員された(煽られた)人たちにすぎないので、メディアの情報量が減っていけば、関心も薄らいでいくのは当然なのです。そのうち(大声で”正義”を叫んでいた人ほど)、「いつまでウクライナのこと言ってるんだ?」なんて言い出すに決まっています。所詮はその程度の存在にすぎないのです。

どういった団体なのかよくわかりませんが、「世界の共産党・労働者諸党」が2月25日に発表した緊急声明「ウクライナにおける帝国主義戦争に反対する」では、ロシアのウクライナ侵攻を批判する一方で、次のようにウクライナ政府も批判しているそうです。

  われわれは、ウクライナにおけるファシスト・民族主義勢力の活動、反共主義および共産主義者迫害、ロシア語話者住民への差別、ドンバスの人びとへのウクライナ政府の無力攻撃を糾弾する。

  われわれは、ヨーロッパ=大西洋諸国[=NATO諸国]が彼らのプランを実施するため、ウクライナの反動的政治勢力をファシスト集団も含めて利用していることを糾弾する。

(『「世界」臨時増刊 ウクライナ侵略戦争』所収「資料と解説 異なる視点―第三世界とウクライナ危機」)


これは、所謂「どっちもどっち」論とも言えますが、少なくとも世界の左派の間では、ゼレンスキー政権は「ファシスト」「民族主義者」「反共主義者」に支えられた反共右派政権であるとの認識が共通していたのは事実のようです。

ウクライナは、人口が4130万人で、ヨーロッパで7番目に人口の多い国ですが、今のウクライナが建国されたのはロシア革命時の1917年で、正式に独立したのはソ連崩壊後の1991年です。

しかし、ウクライナは、「東ウクライナ」と「西ウクライナ」の二つのウクライナがあると言われるように、ウクライナ語とロシア語が併存する言語やカトリック教会と3つの正教会からなる4つの教会が存在する宗教など、多元的な文化を内包している若い国です。言うまでもなく、ウクライナの多元的な文化は、他の旧東欧諸国と同様、ソ連によって人為的に「人民共和国」が作られた建国の経緯から来ているのでした。ちなみに、ウクライナ国民のうち、35~40%がロシア語の話者で、同じ割合でウクライナ語の話者が存在し、残り20%がロシア語とウクライナ語の両方を話すバイリンガルだそうです。

下記の論稿の執筆者のアンドリー・ポルトノフ氏(ベルリン・フンボルト大学客員教授)によれば、「教育や人文学においては、ウクライナ語は支配的であるものの、ロシア語はマスメディア、政治、ビジネス、科学の分野において明白に浸透している」のだそうです。

WEBアスティオン
ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か(上)─ウクライナ・アイデンティティ
アンドリー・ポルトノフ(ベルリン・フンボルト大学客員教授)

ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、ロシア語も準公用語の扱いでした。ところが、オレンジ革命(2004年)を機に、二つのウクライナという「定型句」が流布されるようになり、ウクライナのアイデンティティを求める機運が高まったと言われます。

ふたつのウクライナという定型句(つまり、ナショナルな意識に目覚めたウクライナと、〔ロシアおよびソ連の影響が残った〕「混ざりものの」('creole')ウクライナであり、前者が好ましい規範とされる)は、政治的選択の範囲、あるいは所属集団の選択の動機を単純な図式に押し込めることになる。

そして、その図式では、規範とそこからの逸脱という二者択一の考えが生まれてしまうのである。

(ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か・上)


私は、ウクライナのナショナリズムを考えるとき、「ウクライナのナショナリズムの要素が、法の支配、社会的正義、移動と表現の自由といったヨーロッパの神話に溶けあわされたのである」というアンドリー・ポルトノフ氏の指摘が重要であると思いました。「民主化運動」が排外主義的なナショナリズムと融合し、西欧的デモクラシーがその方便に使われたというパラドックス。そこには、右か左か、独裁か民主かでは捉えきれない、現代世界が抱える深刻な問題が伏在しているように思いました。

「帝国主義戦争」というのは、ロシア革命に際してレーニンが唱えたテーゼですが、そういった古い左派の視点も一概に無視できないものがあるように思います。と言うか、そういった視点でこの戦争を見ると、今まで見えなかったもの(見えにくかったもの)も見えてくるような気がするのです。

ウクライナの経済成長率は、ロシアがウクライナ領のクリミア半島に侵攻し併合した2014年がマイナス6.58%、翌年の2015年がマイナス9.79%に落ちたものの、その後、プラスの成長が続いて経済は持ち直していました。ところが、ゼレンスキーが大統領に就任した翌年の2020年にいっきにマイナス3.80%に落ち込んだのでした。そのため侵攻前、ゼレンスキー政権の支持率は41%まで下がり、ウクライナで反ゼレンスキーデモが頻発していたのでした。田中氏自身も記事のなかで、「開戦前、反ゼレンスキーデモで掲げられたプラカード。DICKTATORは独裁者と男性器(大統領はコメディアン時代、裸踊りで人気を博した)をかけたシャレだ」というキャプションを付けて、反ゼレンスキーデモの写真を掲載していたくらいです。

では、侵攻前に反ゼレンスキーデモに参加したような人々は、どうなったんだろうと気になります。これ幸いに、アゾフ大隊のようなネオナチから排斥(処刑?)されたりしてないだろうかと心配せざるを得ません。

当たり前の話ですが、何事にも表もあれば裏があります。況や政治や戦争においてをやです。それを伝えるのがジャーナリストではないのか。自由な言論による談論風発、百家争鳴がジャーナリストの生命線でしょう。何度もくり返しますが、国家に正義などないのです。戦争で亡くなった人々は「英雄」なんかではないのです。ましてや、「美談」であろうはずもありません。

田中氏は、「オレはお前たちと違ってこの目で現場を見ているんだ」とすごんでいるつもりかもしれませんが、しかし、敵か味方か、勝ったか負けたかの二項対立(=国家の論理)でしか戦争を語ることができないという点では、田中氏も、大手メディアの記者たちも、同じ穴のムジナのようにしか見えません。「戦時下の言語」に与するのはジャーナリズムの死ではないのか。そう言いたくなります。
2022.04.26 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナのドネツク州にあるマリウポリで、ウクライナ政府軍の最後の拠点となっているアゾフスターリ製鉄所をめぐる攻防戦は、製鉄所内に閉じこもって抵抗を続けるウクライナ軍がロシア軍の再三の降伏勧告にも応じなかったことで、プーチン大統領が火器による攻撃の中止を命令。今後は「ハエも入り込めないよう封鎖」(プーチン)した兵糧攻めの戦術に転換するというニュースがありました。

アゾフスターリ製鉄所は、ソ連時代に作られたウクライナ国内最大の製鉄所で、核攻撃でも耐え得るように地下に要塞を備えているそうです。アゾフスターリ製鉄所は、その名称からもわかるとおりアゾフ大隊の地元(誕生の地)にあり、地下要塞に立てこもっているのはアゾフ大隊を中心とする部隊だと言われています。

しかも、地下要塞には、アゾフ大隊だけでなく、1000人近くの一般市民も避難しているため、世界中のメディアが注視するなか、ブチャの二の舞を怖れるロシア軍も容易に手が出せないというのが真相かもしれません。こう言うとまた「ロシア寄り」と批判されるかもしれませんが、製鉄所を前にして地団駄を踏んでいるロシア軍を見るにつけ、ウクライナ政府のメディア戦略は見事に成功しているように思います。

でも、よくよく考えてみれば、アゾフ大隊の抵抗は一般市民=民間人を盾にした”背水の陣”と言えないこともないのです。ブチャでの「ジェノサイド」キャンペーンで敵を牽制する方法を学んだウクライナ政府は、今回もメディアを使って、「またジェノサイドをくり返すのか」とロシア軍を牽制しているようにも見えます。

製鉄所の地下要塞に避難しているのは、女性や子どもや高齢者が大半のようですが、悲しいな、彼らもまた、「人間の盾」として国家に利用されていると言わざるを得ません。

ホントに戦争に反対して平和を求めるのなら、くり返しになりますが、「国家のために死ぬな」と声を上げるべきでしょう。ロシアとウクライナ双方に対して、「一般市民=民間人を戦争に巻き込むな」「戦争を美談にするな」と言うべきでしょう。私たちは、侵略する国の非道さとともに、国民に銃を渡して総力戦を強いた上に、戦場で戦う国民を英雄扱いする国家の非道さ、いかがわしさも考える必要があるのです。

勝ったか負けたか、(どっちが)敵か味方かではないのです。勝とうが負けようが、敵であろうが味方であろうが、一度きりの人生を戦争で奪われた人々は、決して浮かばれることはないのです。

一方、Yahoo!ニュースには、次のようなCNNの記事が転載されていました。記事は、今回の戦争でも看過してはならない大事な問題を伝えているように思いました。

Yahoo!ニュース
CNN.co.jp
ウクライナに供与した大量の兵器の行方、米国も把握しきれず

(略)長期的なリスクとして、そうした兵器の一部が米国の意図していなかった相手の軍や武装組織の手に渡る可能性があると、米当局者も軍事アナリストも指摘している。


「短期的な保証はある。だが戦争という霧の中に入ればほぼゼロになる」。米国が入手した情報について説明を受けた関係者はそう語る。「短い期間が過ぎれば大きなブラックホールの中に落ち、ほとんど感知できなくなる」


以前、ロシアの政治や経済はマフィアに支配されていると盛んに言われた時期がありました。それがいつの間にか、マフィアがオリガルヒと言い換えられるようになったのですが、それはウクライナも同じです。ウクライナも、ロシアに勝とも劣らないマフィアが支配する社会だったはずです。

私もふと、あのマフィアたちはどこに行ったんだろうと思いました。高潔な愛国人士に生まれ変わり、銃を手に先頭に立って戦っているのでしょうか。まさか、そんなことがあるんだろうかと思います。

戦争終結後、欧米から供与された武器で過激に武装したアゾフ大隊が、イスラム原理主義組織と同じように、ウクライナにとって”獅子身中の虫”になるのではないかと前に書きましたが、それはマフィアのような犯罪組織も同じでしょう。

「ブラックホール」のなかに消えていった大量の武器が、来るべき「全体主義の時代」に、あらたな”戦争の種”を蒔き散らす危険性もなくはないのです。
2022.04.22 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
『週刊プレイボーイ』のウェブサイトに、新著の宣伝で大塚英志のインタビュー記事が掲載されていましたが、そのなかで今回のウクライナ侵攻にも言及していました。

ちなみに、大塚英志は、戦時下大衆文化が戦意高揚のために如何に活用されたかという研究をすすめているのですが、新著『大東亜共栄圏のクールジャパン「協働」する文化工作』(集英社新書)もそのシリーズのひとつです。刊行と侵攻が重なったのは、「まったくの偶然」だと言っていました。

大塚英志は、ゼレンスキー大統領の演説について、次のように言っていました。

週プレNEWS
大塚英志氏インタビュー「ウクライナ侵攻から見える戦時の国家宣伝の意図とは」(後編)

大塚   (略)ゼレンスキーが用いている動員の話術みたいなものにも注意が必要です。もちろん、ウクライナのほうが侵略された側だし、対プーチンではゼレンスキーが正しいように見える。それでも、第三者である日本が彼らの宣伝戦に巻き込まれて、今度は自分たちの国の選択を間違えるようではいけない。とくにゼレンスキーの国会での演説が、世論を誘導するためのものとして使われようとしていることには注意すべきです。


大塚   ウクライナ市民が市内にとどまり市街戦のため銃を持つ姿が「美談」として日本でも報じられています。そうした戦争美談報道が、人々の戦争への認識をどう情緒的に作り替え、それが有権者としての政治的選択をどう左右してしまうかについて、私たちは冷静に考えなければいけない。この時代錯誤的な姿が改憲論などに与える影響は大きいでしょう。前提として、戦争に感動を求めたらダメだよという自制が必要だと思いますね。


手前味噌になりますが、これは私自身もこのブログでくり返し書いていることです。しかし、今、私たちの前にあるのは、大塚英志の警鐘も空しく響くような現実です。

ウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの安直な感情に覆われた日本。まるでウクライナ政府のスポークスマンのような発言をくり返す識者たち。スポーツの試合のように、ロシアは敵、ウクライナは味方の論理で戦況を解説する軍事ジャーナリストたち。そこにあるのは善か悪か、敵か味方かに色分けされた二項対立の身も蓋もない風景です。

そういった「戦時下の言語」によって、非核三原則や専守防衛など戦後この国が堅持してきた平和憲法の理念も、何の躊躇いもなく捨て去ろうとしているのでした。ロシアの振り見て我が振り直せではないですが、侵略戦争の反省もどこかに行ってしまったかのようです。

もちろん、それは、右派の話だけではありません。言い方は多少異なるものの、立憲民主党も含めた野党も同じです。むしろ、彼等こそ、この空気をつくり出していると言ってもいいでしょう。

最近、防衛省の防衛研究所の研究員が頻繁にテレビに出演して戦況を解説するという奇妙な現象がありますが、防衛研究所は防衛省直轄の研究機関です。彼らは、間違ってもフリーハンドで解説しているわけではないのです。そこに国家のプロパガンダがないとは言えないでしょう。

これでは大塚英志のような主張も袋叩きに遭うのがオチです。「言論の自由なんてない、あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは竹中労ですが、ウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの感情に囚われた(ある意味で)「善意」の人々は、みずからの感情に少しでも棹さして逆なでするような異なる意見=自由な言論に対して、いつの間にか「ロシアの手先」「陰謀論」というレッテルを貼り牙を剥きだして襲いかかるほどエスカレートしているのでした。こういうのを「善意のファシズム」というのではないか。

私は、前の記事で、戦争に反対するには人々の個別具体的なヒューマニズムこそが大事だと言いましたが、それと今のウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの感情は似て非なるものです。何故なら、ウクライナ(国民)が可哀そうVSプーチン憎しの感情のなかには、国家の論理=「戦時の言語化」が混在しているからです。だから、一方で、戦時体制を希求するナショナリズムやロシア人に対するヘイトクライムに向かわざるを得ないのです。何度も言いますが、国家に正義なんてないのです。

「あまりにひどい」として、ネットで袋叩きに遭った『アエラ』(3/21号)の的場昭弘神奈川大副学長と伊勢崎賢治東京外語大教授の対談「糾弾だけでは停戦は実現せず」を読みましたが、どこが「ひどい」のかまったくわかりませんでした。

伊勢崎   (略)(NATOは)軍事支援はするものの、届ける確証のないまま、外野席からの「戦え、戦え」という合唱ばかりでウクライナ人だけに戦わせている。非常に歪な構造です。何故「停戦交渉」を言わないのか。
的場   (略)ゼレンスキーのほうはショーをやってしまっている。ぼろぼろの服を着て、追い込まれて大変だという雰囲気を醸し出しながら、民衆には「武器を持って戦え」と。国家同士なら状況次第で降伏しますが民衆は降伏しませんから、どんどん犠牲者が増えてしまう。民衆には絶対銃を渡しちゃだめなんです。そこを煽れるのが彼が役者出身だからというのが皮肉な話ですが。


このように、両人は、どうすれば「一日も早く停戦を実現」できるかについて、至極真っ当な意見を述べているに過ぎません。その前にどっちが悪いか、どっちが敵でどっちが味方かはっきりしろ、と言う方が異常なのです。

的場    私は、ウクライナは中立化するしか生きる道はないと思います。地理的にさまざまな国や民族が行き来し、ときに土足で踏みつけられてきた「ヨーロッパの廊下」のような存在です。ロシアにとってNATO、EU(欧州連合)との緩衝国家(クッション役の果たす国家)でもあります。さらにウクライナを流れるドニエプル川、ドネツ川はロシアへつながり、黒海から入った船はこれらを上がってロシアへ行く。ウクライナがここを「占領」することは難しく、中立化して「開けて」おかないといけないんです。
伊勢崎   そこは国民の意思を越えたところでの「宿命」ですね。ウクライナは緩衝国家を自覚するしかない。西、東、どちらに付くかで、市民は死んではならないのです。日本でも「ウクライナを支持する」として「反戦」を訴えている人がいます。私は違和感がある。悲惨な敗戦を経験した国民なら、なぜ「国家のために死ぬな」と言えないのか。


政治家たちはさかんに「ウクライナに寄り添う」「日本はウクライナとともにある」と言ってますが、そういった扇動(文字通りの動員の思想)は、一方で、この対談にあるような”客観的な視点”はいっさい許さないという、日本社会特有の同調圧力(感情の強要)を誘発しているのでした。

伊勢崎氏は、(日本国民は)「国家のために死ぬな」となぜ言えないのかと言ってましたが、「ウクライナに寄り添う」「日本はウクライナとともにある」と言う政治家たちは、「国家のために死ぬことは美しいのだ」と言いたいのがミエミエです。

某軍事ジャーナリストは、みずからのツイッターで、「ヨーロッパの廊下」や「宿命」ということばだけを切り取ってこの対談に罵言を浴びせていましたが、それも同調圧力に便乗したきわめてタチの悪いデマゴーグと言うべきでしょう。戦争は、軍事ジャーナリストにとってバブルのようなものなので、「勝ったか負けたか」「敵か味方か」を煽ることで自分を売り込んでいるつもりかもしれませんが、それが彼らをしておぞましく感じる所以です。

案の定、ヤフコメなどは、軍事ジャーナリストの口真似をした俄か軍事評論家たちによる、”鬼畜露中”の痴呆的なコメントで溢れているのでした。戦争のような悲惨なニュースであればあるほど、それをバズらせてマネタイズすることしか考えてないYahoo!ニュースはニンマリでしょうが、これではどっちが”鬼畜”かわからないでしょう。
2022.04.13 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
今日、朝日新聞にロシアのペスコフ大統領報道官が、イギリスのテレビ局のインタビューで「ロシア軍は多大な損失を被った。我々にとって大いなる悲劇だ」と語ったという記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ロシア大統領報道官「多大な損失、大いなる悲劇」 自軍の苦戦認める(有料会員記事)

たしかに記事にあるように、「ロシア側が自軍の苦戦を認めるのは珍しい」のですが、私が注目したのではそこではなく、次のような箇所です。

 ロシア国防省は3月25日時点で1351人のロシア兵が死亡したとしている。一方、ウクライナ軍参謀本部は今月8日の発表で1万9千人のロシア兵を殺害したと主張している。


ロシアのプロパガンダばかりが取り沙汰されていますが、ウクライナだってプロパガンダを流しているはずです。戦争とはそういうものでしょう。

私たちは、いわゆる”西側”の情報に接しているので、ロシアだけがウソを吐いていると思っていますが、両方ウソを吐いている場合もあるのではないか。

上記の戦死者数がそれを示しているように思います。出来る限り数を少なく発表して被害を小さく見せるロシアと、逆に数を盛って戦果を強調するウクライナの姿勢の違いが、この二つの数字によく表われているように思います。

キーウ(キエフ)周辺からロシア軍が撤退したニュースも、ウクライナ側から言えば「撃退」したことになるのです。たしかに侵略者がいなくなったので「解放」されたのは事実だし、ロシアの作戦がウクライナ軍の抵抗で「うまくいかなかった」と見ることができるかもしれませんが、「撃退」したというのはいささかオーバーな気がします。ロシアがウクライナ東部での戦いに傾注するために撤退したというのが真相でしょう。

ブチャのジェノサイドで、ロシア軍に銃殺され路上に放置された遺体のなかに、白い腕章をした遺体があったというニュースを見て、私は、白い腕章って何だろうと思い調べてみました。

腕章と言ってもただの布切れですが、田中宇氏によれば、市街戦では敵と味方を見分けるために、ウクライナ側の住民は青い腕章を巻いているそうです。他の映像を見ると、たしかにウクライナ軍の兵士たちは青い腕章を巻いていました。一方、白い腕章は、文字通り白旗を上げたもので、ロシア軍に降参して恭順の意を示した印なのだそうです。白旗を上げるというのが万国共通だとは思いませんでしたが、となれば、白い腕章を巻いた遺体は、ロシア側に寝返ったとして処刑された可能性もなくはないのです。

もちろん、ロシア軍の虐殺や略奪や性暴力は事実でしょう。キーウに入って精力的に取材している田中龍作ジャーナルの記事などを見ても、ロシア軍の蛮行は弁解の余地がありません。

参考サイト:
田中龍作ジャーナル

ブチャの遺体がウクライナの「自作自演」だというロシアの主張があまりに荒唐無稽で、お話にならないのは言うまでもありません。

しかし、だからと言って、ウクライナ軍は、ロシア軍と違って聖人君子のような軍隊なのかという疑問があります。ロシア軍が撤退したあとにブチャに入ってきたウクライナ軍のなかにはアゾフ大隊も含まれていたと言われます。アゾフ大隊は、まるでヒットラーの時代を彷彿とするようなネーミングの国家親衛隊に所属しており、通常の軍事行動以外に、治安維持や工作員の摘発など”国家警察”としての役割も担っているそうです。

前の記事でも書いたように、アゾフ大隊は、国内の少数民族や性的マイノリティーや左派活動家を標的にして暴力を振るったりしていたのですが、それにとどまらず、今回プーチン政権が分離独立を画策しているドネツクやルガンスクなどでは、ロシア系住民を拉致して殺害したり、暴行、拷問などを行ってきたのは公然の事実で、それがロシアに侵攻の口実を与えたという指摘もあるくらいです。そんなネオナチのアゾフが、戦場でお行儀のいい、模範青年のような振舞いをしているとはとても思えません。むしろ、極限状況下では、排外主義的なネオナチの本性をむき出しにしていると考えるのが普通でしょう。

ネットには、住民からウクライナ軍の兵隊の妻だと密告された女性がロシア兵にレイプされ殺害された、という記事が出ていましたが、短期間とは言え、ロシア軍が占領していた間には当然密告を強要されることはあったでしょう。なかには拷問されて取り調べられた人間もいるかもしれません。協力を拒否して銃殺されたケースもあったに違いありません。

今のウクライナは、政党活動が禁止され、国民総動員令で18歳〜60歳までの成人男性の出国も禁止されるなど、民主的な制度が停止された戒厳令下にあります。そして、ウクライナ政府は、国民に武器を渡して徹底抗戦を呼びかけているのです。成人男性だけでなく、武装できない女性や老人たちが、市街戦に備えて火炎瓶や土のうを作っている場面が映像でも流れていました。そうやって昔の日本のように、「民間人」も一丸となって戦えと言っているのです。

武装した民兵が、女性や子どもや老人たちの周辺を警護していることもあるでしょう。あるいは、一部で指摘されているように、民兵が女性や子どもや老人たちを盾に応戦したり、そのなかに紛れて敵を待ち伏せたりすることだってあるかもしれません。戦争なのですから何でもありなのです。

そうなれば、戦闘員と「民間人」の識別も困難になりますし、遭遇した「民間人」が民兵ではないかと疑心暗鬼に囚われるようになるのは当然でしょう。ロシア軍による憎悪を伴った暴力が「民間人」にも向けられるようになったのも、(語弊を招く言い方ですが)当然の成り行きとも言えるのです。一方で、ロシア側に協力した人間が、ウクライナの国家親衛隊から”裏切り者”として処刑されたケースがあったとしても不思議ではないように思います。

「民間人」が虐殺されたのは事実だとしても、今のようにメディアが報道している内容が全てかと言えば、必ずしもそうとは言いきれない現実があるのではないか。ゼレンスキー大統領は、ブチャに外国首脳やメディアを”招いて”、みずから悲惨な現場を案内したりしていますが、今のジェノサイド報道には、情報発信に長けたウクライナ政府による政治的プロパガンダの側面がないとは言えないでしょう。

戦争でいちばん犠牲になるのは女性と子どもと老人だと言われますが、検証のためと称して、まるで見世物のように、いつまでもブチャの路上に並べられている彼らの遺体を見るにつけ、死んでもなお国家の宣伝に使われ、(それが事実だとしても)「可哀そうなウクライナ人」を演じなければならない彼らの不憫さを思わないわけにはいきません。

そう言うと、今回の戦争はロシアの一方的な侵攻からはじまったのではないか、ロシアが侵攻しなかったら住民の虐殺も発生しなかった、だから全てはロシアの責任だ、というお決まりの反論が返ってくるのがオチです。でも、そういった紋切型の解釈で済ませてホントにいいんだろうかと思えてなりません。真相は真相としてあきらかにすべきではないのか。

先日の「モーニングショー」で、コメンテーターの女性が、ゲストで出ていた防衛省の防衛研究所の研究員に、「ロシアはこんなことをしたらもう二度と国際舞台に出て来ることはできないように思いますが、プーチンはそのことをどう考えているんでしょうか?」と質問していました。それに対して、防衛研究所の研究員は、「ロシアの狙いは世界が多極化することなんで、欧米とは別に自分たちの極を造ることしか考えてないのだと思いますよ」というようなことを言ってました。

それは今回のウクライナ侵攻を考える上で大変重要な話だと思いますが、司会の羽鳥慎一はあっさりとスルーして、次のロシアが如何に極悪非道かという話に移っていったのでした。

女性コメンテーターが言う「国際舞台」というのは、たとえば国連やG20のようなものを指しているのかもしれませんが、そういった発想自体が既に古く、世界の多極化を理解してないと言えます。

前からしつこいくらい何度もくり返し言っているように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するのは間違いないのです。そのなかで、大ロシア主義や”新中華思想”やイスラム主義が台頭して、欧米とは違う価値観を掲げる「全体主義の時代」が訪れるのもまた、間違いないのです。今、私たちはそんな世界史の転換(書き換え)の真っ只中にいるのです。

先のアフガンからの撤退や今回のロシア侵攻に対するバイデン=アメリカ政府の”腰砕け”に見られるように、もはやアメリカが唯一の超大国などではなく世界の警察官の役割も果たせなくなったことは、誰の目にもあきらかになっています。今、私たちが見ているものこそ、多極化する世界の光景なのです。

7日に国連総会で採択された国連人権理事会におけるロシアの理事国資格を停止する決議は、賛成が欧米や日本など93カ国、反対はロシアや中国・北朝鮮など24カ国で、採択に必要な投票の3分の2を超えて資格停止が成立したのですが(採決を受けてロシアは理事会から脱退)、投票数に含まれない棄権はインドやブラジルやメキシコなど58カ国にも上ったのでした。中南米やアフリカや東南アジアの多くの国は棄権にまわっています。

私たちが日々接する報道から見れば考えられないことですが、そこからも多極化という世界史の転換を読み取ることができるように思います。敢えて棹さすことを言えば、ロシアは必ずしも世界で孤立しているわけではないのです。

イスラム学者の中田考氏は、先日出演したビデオニュースドットコムで次のように言ってました。

マル激トーク・オン・ディマンド (第1095回)
ロシアのウクライナ侵攻と世界の反応に対するイスラム的視点

(略)中田氏は現在、われわれが「国際秩序」と呼んでいるものは、17世紀以降、西欧を中心に白人にとって都合のいい理屈をいいとこ取りして作られたものに過ぎず、そのベースとなるウェストファリア体制下の主権国家という考え方も、それを支える「自由」や「民主」、「平等」などの概念も、あくまで白人が非白人を支配するために都合よく考え出された概念に過ぎないと、これを一蹴する。

 実際、西欧の帝国主義が世界を席巻する前の17世紀の世界は、「東高西低」と言っても過言ではないほど、オスマン帝国(トルコ)やサファヴィー朝(イラン)、ムガール帝国(インド)、清(中国)などアジアの帝国が世界で支配的な地位を占め、空前の繁栄を享受していた。中田氏はその時代がイスラム教にとっても全盛期だったと語る。しかし、1699年のカルロヴィッツ条約でオスマン帝国が欧州領土の大半を失った後、西欧諸国が帝国主義的な植民地政策によって経済的に優位な立場に立ち、18世紀以降、かつてのアジアの帝国は植民化されるなどして西欧諸国から支配され、好き放題に搾取される弱い立場に立たされた。その関係性はその後の2度の世界大戦を経た後も、大枠では変わっていない。
(概要より)


同時に、私たちがいる”西側世界”も、「全体主義の時代」に引き摺られるかのように、政治は右へ全体主義の方へ傾斜しています。ヨーロッパでは極右政党が台頭しており、明後日(10日)から始まるフランス大統領選挙でも、ロシア寄りの極右・国民連合のルペン候補が現職のマクロン大統領を「猛追」しているというニュースがありました。ハンガリーでは、4月3日に行われた総選挙で、政権与党が勝利して、右派で強権的なオルバン政権が信任されています。ハンガリーはEU加盟国ですが、ウクライナに武器の提供はしないと明言していますし、ロシア産原油の支払いをプーチンの要請に従ってルーブルに変更することを決定しています。それどころか、アメリカでも、バイデン政権が一期で終わるのは必至で、もしかしたら共和党を簒奪したトランプの復活もあるのではないかと言われているのです。

右へ傾斜しているという点では、日本も例外ではありません。野党の立憲民主党まで含めて、戦争に備えるために、防衛予算を増やして非常時に対応した現実的な安保政策を再構築すべきだという声が大きくなっています。東浩紀が称賛したように、国家がどんどん際限もなくせり出して来ているのです。それが国民の基本的な権利の制限と表裏一体であるのは言うまでもありません。でも、世論もそれを容認しているように見えます。

メディアも国民も、戦争が長引くにつれ、益々安直にプーチン憎し、ウクライナが可哀そうの敵か味方かの二項対立で戦争を語るようになっているのです。でも、それでは目には目を歯には歯の復讐律しか生まないでしょう。政治家たちが短絡的なナショナリズムを振りかざして悪乗りしているように、それこそが動員の思想と言うべきなのです。

マイケル・ムーアが言うように、ウクライナ侵攻におけるメディアの戦争プロパガンダは、戦争主義者たちにとって”願ってもない成果”をもたらしつつあるのです。バイデンの再三に渡る挑発的な発言は、どう見ても戦争を煽っている(火に油を注いでいる)としか思えませんが、何故かそう指摘するメディアはありません。これでは、常に敵を必要とする産軍複合体は笑いが止まらないでしょう。
2022.04.08 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
岸田首相の特使として、ウクライナの避難民支援のためにポーランドを訪問していた林外務大臣は、昨日(日本時間4日)、日本行きを希望する避難民20名を政府専用機の予備機に乗せてワルシャワを出発。今日(日本時間5日)、羽田空港に到着するそうです。

このニュース、なんだか人道支援に積極的に取り組む日本政府の姿勢をアピールするパフォーマンスのように思えてなりません。政府専用機で避難民を移送するなどという、こんな大仰なやり方をするのは日本だけです。

しかし、定員が150人の予備機に乗れるのは僅か20名。自力で渡航手段を確保するのが困難な人というだけで、その選定基準も定かではありません。なかには、日本のアニメにあこがれて、日本でマンガを学びたいという若い女の子も含まれているようです。

昨夜放送された「報道ステーション」によれば、その女の子は前にメインキャスターの大越健介氏の現地取材に出たことがあるそうです。それで、アピールするのに好都合だとして選ばれたのではないか、と余計なことまで考えてしまいました。

国外に避難したウクライナ人は既に400万人を越えていますが、そのうち日本が受け入れたのは3月30日現在で337人(速報値)です。言うまでもなく高額な渡航費(飛行機代)がネックになっているからです。

政府専用機で避難民を運ぶというのなら、1回きりでなく、それこそ何度でもピストンで運べばいいように思いますが、そういった予定はないようです。

各自治体が、避難民を受け入れます、公営住宅を用意してサポートします、とアピールしていますが、それも地方都市では10人とかそれくらいを想定しているにすぎません。大きいのは掛け声だけなのです。

日本政府の方針は、渡航費はあくまで自分で用意するというのが原則です。遠くて渡航費が高額なのを幸いに、そうやって避難民が押し寄せるのをコントロールしているような気がしてなりません。

2020年12月現在、日本にいるウクライナ人は1867人で、そのなかで1404人が女性です。女性が多いのは、ロシアンパブ(外国人パブ)などで働く出稼ぎのホステスなどが多いからかもしれません。そこにも平均年収が日本の5分の1以下というウクライナの現実が投映されているような気がします。

ニュースなどを見ると、日本政府は避難民の多くは日本にいる親戚や知人を頼って来ると想定しているようです。本音はなるべく縁故のある人間だけにしてもらいたいということかもしれません。

でも、日本人の受け止め方はきわめて安直で情緒的です。避難民が迎えに来た親戚と空港で抱き合うシーンに胸を熱くして、日本政府の人道支援に対して、日本国民として誇らしい気持すら抱いているかのようです。そこに冷徹な政治の思惑がはたらいていることは知る由もないし、知ろうともしないのです。

私たちは、可哀そうなウクライナ人VS憎きロシアのプーチンの感情のなかで、いつの間にか「戦時下の言語」でものを考え、語るようになっているのです。そうやって、メディアによる「戦争の『神話化』」(藤崎剛人氏)に動員されているのです。誤解を怖れずに言えば、ウクライナのためにキーウ(キエフ)に残って戦うゼレンスキー大統領が「英雄」に見えたら、それはもうアゾフと心情を共有していると考えていいでしょう。

作家の津原泰水氏のTwitterで知ったのですが、映画監督のマイケル・ムーアは、ポッドキャストでウクライナをめぐるマスコミ報道を次のように批判していたそうです。

長周新聞
米映画監督マイケル・ムーアが批判するウクライナ報道 「戦争に巻き込もうとする背後勢力に抵抗を!」

 ゼレンスキーの演説は強く感情的なものになるだろうが、その背後に私の知っている者たちがいる。私たちを戦争に引き込もうとしている奴らがいるが、それはプーチンのような人々ではない。

 私は、旧ソビエト連邦とソ連崩壊後のロシアを訪問したことがある。その時に数回プーチン氏と顔を合わせて、ウクライナについて考えを聞いたこともある。その時のプーチンの考えと今のプーチンの考えは、何も変わってはいない。

 変わったのは、私たちを戦争に引きずりこもうとしている奴が出現したことだ。それは政治家、マスメディア、戦争で何千万、何億ドルともうけようとする軍需企業だ。私たちは、「われわれはウクライナに行かねばならない。われわれは戦争しなければならない」という内側からの誘惑に対して抵抗しなければならないのだ。

 アメリカは第二次世界大戦後の75年間に世界で暴虐の限りを尽くしてきた。それらは朝鮮、ベトナム、カンボジア、ラオス、中近東諸国。中南米ではチリ、パナマ、ニカラグア、キューバ。第一次イラク戦争とそれに続くグロテスクなイラク戦争、アフガニスタン戦争など数えたらきりがない。

 アメリカはイラクで、アフガニスタンで100万人もの人々を殺し、多くの米兵が死んだ。その陰には息子を失った親、夫を失った妻、父親を失った子どもたちがいる。もはや、アメリカ人は戦争することは許されないのだ。

 私はアメリカのテレビがどんな放送を耳や目に押し込んでいるかを確認するとき以外はスイッチを切っている。テレビは毎日、毎日、悲しいニュースばかり流している。道路の死体や子どもたちを見せて、ひどいひどいと刷り込むことであなたの心をむしばんでいく。悲しければ、悲しいほど、大衆洗脳と戦争動員プロパガンダ効果があるのだ。


今もキーウ(キエフ)近郊のブチャで、410人の民間人とみられる多数の遺体が見つかったというニュース映像がくり返し報じられ、欧米各国もロシア軍によるジェノサイドだとしてロシアを強く非難、対ロ制裁をさらに強化すべきだとの声が高まっています。

このロシア軍の行為を民間人や民間施設を攻撃することを禁止したジュネーブ条約に違反する「戦争犯罪」だと非難しているのですが、しかし、戦場の極限下において、そういった条約がどれほど効力を持つのかはなはだ疑問です。不謹慎かもしれませんが、「戦争ってそんなもんだろう」「お行儀のいい戦争なんてあるのか」「それを言うなら戦争そのものが犯罪じゃないのか」と言いたくなります。

ジェノサイドがセンセーショナルに報じられることによって、欧米にさらなる制裁を促して和平交渉を有利に持っていくという意図がまったくないとは言えないでしょう。

もちろん、ロシア政府は、フェイクだ、ウクライナの演出だ、とお得意の謀略論を展開してジェノサイドを否定しています。日本でも安倍晋三元首相に代表される右派が、先の戦争での南京大虐殺や従軍慰安婦を否定していますが、それと同じです。そうやって戦争犯罪を否定することが愛国者の証しなのでしょう。

だからと言って、ロシアを非難するヨーロッパの口吻も額面通りに受け取るわけにはいかないのです。EU加盟国は、ここに至っても未だにロシアから天然ガスや石油の供給を受けているのです。ちなみに、2020年度にロシアがパイプラインで外国に送った天然ガスの84.8%がEU向けだそうです。『エコノミスト』(毎日新聞)によれば、「侵攻後25日間でEUがロシアに支払った輸入総額は(略)160億ユーロ(約2兆円)を超えている」そうです。

なかでもドイツとフランスの依存度が高く、ドイツが輸入した天然ガスの55.2%はロシアからノルドストリーム1(NS1)という海底パイプラインを使って供給を受けたものです。現在もノルドストリーム1は稼働しています。ロシアからの天然ガスの供給がストップすれば自国の経済が大混乱に陥るので、それだけはなんとしてでも避けなければならないというのがドイツなどの本音なのでしょう。もちろん、その背後には、ロシアとの貿易で巨利を得ているコングロマリットの意向もあるでしょう。

戦争ほど理不尽でむごいものはありません。「民間人」に被害が及ぶのは、知らないうちに自分たちが味方の軍隊の盾にされているからということもあるのですが、戦争でいちばんバカを見るのは「民間人」と呼ばれる市井の人々です。それこそ自力で避難する手段を確保することができずに戦場に取り残された人たちなのです。それが戦争の本質です。戦争がどんなかたちで終結を迎えようと、犠牲になった無辜の人々は浮かばれることはないのです。

「祖国のために」末端の兵士が憎悪をむき出しにして殺し合い、市井の人々が進駐してきた敵の兵士に殺害されたり拷問されたりレイプされたりする傍らで、国家の中枢にいる権力者や資本家たちは、みずからの延命や金儲けのために、落としどころを見つけるべく、戦闘相手国と丁々発止のかけ引きを行っているのです。もちろん、市井の人々の悲劇も、かけ引きの材料に使われているのは言うまでもありません。

井上光晴は、『明日』という小説で、長崎に原爆が投下される前日、明日自分たちの身に降りかかって来る”運命”も知らずに、小さな夢と希望を持ってつつましやかでささやかな日常を送る庶民の一日を描いたのですが、私は、今回の戦争でも、『明日』で描かれた理不尽さややり切れなさを覚えてなりません。

しかも、マイケル・ムーアが言うように、戦争がビジネスになっている現実さえあります。戦争では日々高価な武器が惜しみなく消費されるので、軍需産業にとってこれほど美味しい話はないのです。今回の戦争にも、そういった資本主義が持っている凶暴且つ冷酷な本性が示されているのです。それが西欧の醜悪な二枚舌、ダブルスタンダードを生み出していると言えるでしょう。

私たちは、メディアの戦争プロパガンダに煽られるのではなく、冷静な目で戦争の現実とそのカラクリを見ることが何より大事なのです。
2022.04.05 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲

昨日、みなとみらいのランドマークタワーに行ったら、イベント用のスペースでウクライナ支援の募金と演奏会が開かれていました。募金箱が置かれ、寄せ書きをするコーナーもありました。看板を見ると、ウクライナのオデッサ州と友好関係を結んでいる神奈川県が主催した支援のイベントだそうです。ちなみに、横浜市も、オデッサ州の州都であるオデッサ市と姉妹都市になっています。

ウクライナは、現在、国民総動員令が施行され、18~60歳の男性の出国が禁止されているため、避難している人の9割は女性と子どもだそうです。また、高齢者が少ないのは、体力的な問題とともに経済的な問題もあるからでしょう。避難するにもお金がかかるのです。

避難した人たちの話を聞いても、子どもの将来を考えて、子どもだけでも安全なところに避難させたいと考えた家庭が多いことがわかります。そのため、自宅に残りロシア軍の攻撃に晒されている祖父母や両親などを心配し後ろめたさを口にする避難民も多いのです。

自分たちの身近を考えても、寝たきりや一人暮らしの老人などが動くに動けないのはよくわかります。また、経済的に困窮している人たちにとって、避難がとても叶わぬことであるのは容易に想像がつきます。

まして、ウクライナは、お世辞にも豊かな国とは言えません。ロシア侵攻前の直近(2022年1月)のウクライナの平均年収は、日本円に換算するとおよそ636,000円です。ちなみに、日本(2022年)の平均年収は4,453,314円(中央値3,967,314円)です。ウクライナの年収は日本の5分の1以下なのです。そんな国の国民のなかで、子どもの将来のことを考えて避難できるのはごく一部の恵まれた、あるいは運のいい人たちの話にすぎないでしょう。

平均年収が60万円ちょっとしかない国の国民が、家族3人なら100万円以上もかかる飛行機代を払って日本に来るなど、援助してくれる人がいない限り、とても無理な話なのです。

東欧にネオナチが多いのも、反ソ連=反ロシアの感情以外に、貧困の問題もあるような気がします(一方で、ロシアにも大ロシア主義に憑りつかれレコンキスタの幻影を追い求める「ロシア帝国運動」のようなネオナチが存在します。そのことも強調しておかなければなりません)。

大半の国民たちは、銃弾が飛び交うなか、恐怖と不安と空腹で眠れる夜を過ごしているのです。ロシア軍に包囲され孤立した街では、餓死する市民も出ているという話さえあります。

逃げたくても逃げることができない人々。そんな戦場に取り残された人々こそ戦争のいちばんの犠牲者と言えるでしょう。まるでスポーツの試合のように戦況を解説する軍事ジャーナリストたちの話を聞いていると、がれきの下で息をひそめて日々を過ごしている人々の存在をつい忘れてしまいそうになります。

前も書いたように、国家が強いる敵か味方かの二項対立の”正義”に動員されないためには、メディアのステレオタイプな視点とは別の視点から今の事態を見ることも必要です。そう考えるとき、半ばタブーになっているウクライナのネオナチの存在も無視することはできないのです。もちろん、だからと言って、ロシアの蛮行が正当化されるわけではありませんが、ウクライナのネオナチの存在が、ロシアにウクライナ侵略(実際はウクライナ併合の野望)の口実を与えたことは否めないように思います。

ウクライナのアゾフ大隊は、アメリカのCIAやヨーロッパの情報機関だけでなく、日本の公安調査庁の「国際テロリズム要覧」でも取り上げられているウクライナのネオナチ組織です。しかし、現在、アゾフはウクライナ国防省の指揮下に置かれ、今回の侵攻でも民兵として大きな役割を担い、その戦いぶりで英雄視されるまでになっているのでした。
※4月8日、公安調査庁は「国際テロリズム要覧2021」からアゾフ大隊に関する記述を削除しました。日本でもこうして「戦時下の言語」に塗り替えられているのです。

昨日のテレビ朝日の「サンデーステーション」でも、アゾフ大隊は「国家親衛隊」の一員として紹介され、マクシム・ゾリンなる司令官のインタビューが放送されていました。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は、番組のなかで、「アゾフはナショナリストで極右ではあるけれど、ネオナチではない」とわけのわからないことを言っていました。

YouTube
ANNnewsCH
【独自】ロ軍が敵視する「アゾフ連隊」司令官が語る(2022年3月27日)

出版社のカンゼンが、『ULTRAS』と『億万長者サッカークラブ』というサッカー関連の本のなかで、ロシアとウクライナのとんでもなく過激なサポーターをルポした章を2週間限定で無料公開しているのですが、そのなかでアゾフのことが詳しく書かれていました。

note
【全文公開】『ULTRAS』第8章 ウクライナ 民主革命を支えた極右勢力のこれから

ちなみに書名になっている「ULTRAS(ウルトラス)」というのは、フーリガンと同じようなサッカーの熱狂的なサポーターを指すことばです。日本では理解しがたいかもしれませんが、とりわけ東欧においては、「サッカーは、共産主義によって封じ込められていた民族主義的な衝動を、暴力的な手段で表現するはけ口」(『ULTRAS』)になっており、ウクライナのアゾフもそんなウルトラスに起源を持っているのでした。

 もともとアゾフはメタリスト・ハルキウ(引用者註:ウクライナのサッカークラブ)のウルトラスが設立した志願兵の部隊を前身としていたが、当時はアンドリー・ビレツキーという人物が率いていた。
 ビレツキーは極右の指導者で、超国家主義者、急進右派、そしてネオナチの連合体である社会国民会議という組織を創設しており、ユーロマイダンが始まった時点ではハルキウ(引用者註:ウクライナの都市)で服役していた。だがヤヌコーヴィチがロシアに逃亡して4日後、ウクライナ最高議会は全ての政治犯を釈放する法律を可決する。かくして自由の身になったビレツキーは、アゾフの初代司令官に収まることとなった。

 2014年6月、アゾフはマリウポリを親ロシア派の勢力から解放することに成功し、彼の地に拠点を置くようになる。ロシアとの軍事衝突が始まって以来、ウクライナは屈辱的な敗北を重ねていただけに、マリウポリでの勝利は画期的だった。
 ユーロマイダン、そしてロシアとの軍事衝突における貢献度の高さは、アゾフの名前を広めただけでない。ウクライナにおけるウルトラスの名誉復権にも貢献した。
 かつてのウルトラスは、粗暴で人種差別的で社会に何らの利益ももたらさない存在として見なされていた。たとえばBBCは2012年、ウクライナがポーランドとEURO2012を共催する前に、ドキュメンタリー番組を放送。カルパティ・リヴィウのサポーターがナチス式の敬礼を行い、黒人選手に罵声を浴びせる場面を伝えている。
 また同番組はハルキウで、メタリストのウルトラスにインタビューしている。この人物はアンドリー・ビレツキーが率いるもう一つの極右組織、「ウクライナの愛国者」の幹部も務めていた。彼は自分たちがネオナチではないと盛んに強調したが、やはりメンバーはナチス式敬礼をしたり、インド人の学生グループを襲ったりしていた。
 さらに彼らの党旗には、ナチス時代のヴォルフスアンゲル(狼用の罠をモチーフにしたデザイン)に似たシンボルも用いられている。ビレツキーは「ウクライナの愛国者」を解散させた後、同じシンボルをアゾフの軍旗にも採用するようになった。
 だがユーロマイダンとロシアとの軍事衝突を通して、ウルトラスと極右勢力は自らの悪しきイメージを払拭し、社会において一定の立場を確保することに成功したのである。
「ロシアとの紛争が起きた後は、多くのウクライナ人にとって、極右勢力は二次的な問題に過ぎなくなったのです」
 ヨーロッパ大西洋協力研究所の政治学者で、ウクライナとロシアの政治に詳しいアンドレアス・ウムランドは指摘している。
「極右勢力は反ロシア、反プーチン主義の立場を貫いてきました。この事実は、そもそも彼らが反ロシアを標榜する理由(ラディカルな民族主義)よりも重視されたのです」
(『ULTRAS』)


こうしてアゾフは、世界の情報機関の懸念をあざ笑うかのように、過去の悪行は水に流され、ウクライナ国民から英雄視され美談の主人公に祭り上げられていったのでした。

ロシアへの経済制裁に対して、インドやアフリカの国が反対はしないものの積極的に賛同もしない曖昧な態度を取っているのも、ロシアや中国に対する遠慮だけでなく、アゾフの存在が暗い影を落としているような気がします。

ロシアの侵攻がはじまった当初、ウクライナから脱出する留学生たちについて、次のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
ロイター
焦点:ウクライナ脱出図る留学生、立ちはだかる人種差別や資金難

人種差別によって出国がさらに難しくなっている、と語る学生もいる。ソーシャルメディアを見ると、アフリカやアジア、中東出身者が国境警備隊に暴行を受け、バスや列車で乗車を拒否される動画が目に入る。そのかたわらで白人は乗車を許されている。


アゾフには、他に遊牧民のロマ(ジプシー)のキャンプを襲撃したり、LGBT(性的マイノリティ)の集会に乱入して暴力を振ったり、左派の労働運動家を拉致してリンチするなどの行為が指摘されています。ネオナチどころか、ど真ん中のナチス信奉者、ゴリゴリの白人至上主義者で、ファシストとしか呼びようがない集団なのです。

何より「サンデーステーション」で司令官が身に付けていた防弾チョッキの記章が、彼らの主張を雄弁に語っているように思いました。それは、上記の『ULTRAS』の記事で指摘されているように、ナチスのヴォルフスアンゲルを模したアゾフ大隊の記章です。ネットで画像検索すれば、彼らがナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)の旗とともに記念写真に映っている画像も見ることができます。

『ULTRAS』に「極右はウルトラスの人気に便乗する形で勢力を拡大している。その際には、自分たちが信奉するのは、ファシズムやナチズムではなくナショナリズムだ、単にウクライナという国を愛しているに過ぎないと幾度となくアピールした」という記述がありましたが、「サンデーステーション」でもアゾフの司令官は、自分たちは(ネオナチではなく)ただの愛国者だと強調していました。黒井文太郎氏が言っていることも同じでした。

ネットには、アゾフはウクライナ軍に編入された時点で「無力化」されているので、アゾフを問題視するのはロシアに加担する陰謀論だと言う声がありますが、それこそ国家の”正義”に動員された先にある思考停止=反知性主義の典型と言うべきでしょう。「無力化」の意味が今ひとつわかりませんが、ファシストが「無力化」されたなどというのは、如何にもネット民らしいお花畑の戯言にすぎません。そもそも極右だけどネオナチではないなどという、禅問答のような話を理解しろという方が無理でしょう。

旗幟鮮明し単色化した世界(タコツボ)のなかで、異論や少数意見をシャットアウトして、メディアから発せられる多数派の口上に同調するだけでは、当然ながら見えるもの、見るべきものも見えなくなってしまうでしょう。今や”電波芸者”と化した軍事ジャーナリストたちのさも訳知りげな解説は、眉に唾して聞く必要があるのです。

非常時なのでとりあえず目を瞑るということもあるのかもしれませんが、戦争にカタがついたあと、欧米から提供された武器で武装したアゾフが、手のひらを返して開き直り、「飼い犬に手を噛まれた」イスラム原理主義組織の二の舞になる怖れは多分にあると言えるでしょう。そうやって再度ウクライナに悲劇を招く懸念も指摘されているのです。アメリカの軍事顧問はアゾフに対して、提供した武器の使用方法などを指導していたそうですが、それはかつてアメリカが中東やアフガンにおいて、「敵の敵は味方」論でイスラム原理主義組織にやったこととまったく同じです。それどころか、藤崎剛人氏が指摘しているように、ネオナチのネットワークでウクライナにやってきて、容赦ない戦争暴力を体験したネオナチたちが自国に戻ることで、既存の”民主主義世界”、とりわけヨーロッパの脅威になる可能性も大きいのです。

アゾフが求めるのが、プーチンと同じような(あるいはそれ以上の)”ヘイトと暴力に直結した政治”であることを忘れてはならないのです。それは、ロシアの侵略戦争に反対することやウクライナを支援することと、決して矛盾するものではないのです。


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ウクライナに集結するネオナチと政治の「残忍化」
2022.03.28 Mon l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカの連邦議会で演説した際に、ロシアの侵略を日本軍の真珠湾攻撃に例えたことに対して、日本のネトウヨが猛反発して、”ゼレンスキー叩き”が沸き起こっているのだそうです。

リテラが次のように伝えていました。

リテラ
ロシアの侵略を「真珠湾攻撃」にたとえたゼレンスキー大統領を非難する日本のネトウヨの言い分がプーチンとそっくり!

 これ(引用者注:ゼレンスキー演説)に対し、ネトウヨが「真珠湾攻撃とロシアの侵略を同列に語るなんて許せない」と怒り狂い始めたのだ。

〈こいつ何言ってるんだろう…。 真珠湾を今回のロシアの侵略と同義で扱うとか控えめに言って頭おかしい。 ウクライナに対する気持ちが一気に冷めた。〉
〈真珠湾攻撃を思い出せ?お前らを応援するのやめたわ、バカバカしい〉
〈正直、ウクライナには冷めた。〉
〈ゼレンスキー、日本に喧嘩を売っているのだろうか?〉

 演説内容が報じられた直後から、ツイッター上ではこんなウクライナ、ゼレンスキー攻撃であふれ、16日深夜、東北で大地震が起きても、「真珠湾攻撃」「パールハーバー」がトレンドワードに留まり続けた。

 さらに、在日ウクライナ大使館のツイッターアカウントに直接、こんな罵倒リプを飛ばす輩も現れた。

〈真珠湾攻撃を引き合いに出した時点でウクライナを支援する気持ちは毛頭無くなりました〉
〈真珠湾攻撃を例えにしたから支援は無理です。 旧ソ連同士潰し合いよろしくやってな!〉
〈まずは真珠湾攻撃発言の謝罪と撤回を。ヘイトスピーチをやっておいて支援をしろとは、ウクライナはヤクザ国家ですか?〉
〈お宅の大統領が米議会で真珠湾攻撃をネタにして演説したことに日本人は憤りを感じてますよ?〉
〈大統領が真珠湾攻撃云々という国に対して援助する必要はあるのだろうか。日本人はお人好しばかりだね。日ソ中立条約を破って北海道に侵攻した旧ソ連。ウクライナって旧ソ連だよね。〉

 そして、ゼレンスキー大統領が日本の国会で演説をするという計画についても反対意見が巻き起こっている。

〈ゼレンスキー何故いまそれを言う? 日本人舐めてんの? 日本の国会で何言って煽るの? この大統領アホかも?〉
〈ロシアの攻撃を日本の真珠湾攻撃に例えるようなやつを国会で演説なんてさせてはいけない。〉
〈テロと真珠湾攻撃を同等扱い。こんな奴国会で演説させんの、ど〜すんの笑〉


「戦争反対」も、国家や党派や民族と接続されると全体主義に架橋される怖れがあると前の記事に書きましたが、その典型のような話です。

21日の時点で、国外に避難したウクライナ人は353万人を超えているそうですが、そのなかで日本に来た難民は、百数十人にすぎません。距離が遠いということもあって、高額な渡航費がネックになっていると言われています。日本に避難できたのは、身内などが住んでいて国内に受け入れ先があり、一人当たり30万とも40万とも言われる飛行機代を払うことができた人たちだけです。

それに、仮に渡航費の一部でも日本政府に援助して貰いたいなどと言おうものなら、上記のゼレンスキー大統領の発言ではないですが、途端に、避難民は甘えている、迷惑な存在だ、受け入れるだけでもありがたく思え、なんていうバッシングがはじまるのは目に見えています。「受け入れて頂いてありがとうございます」と頭を下げ、日本人に感謝する「従順で哀れなウクライナ人」と認められれば、まるで捨て猫が頭を撫でられるように、日本人のヒューマニズムは機能するのです。そうでなければ難癖を付けられて、機能しなくなるのです。

一方で、ロシアのウクライナ侵攻以来、在日ロシア人に対する嫌がらせも頻発しているようです。ロシア料理店の看板が壊されたり落書きされたり、「日本から出て行け」というような恐喝めいた電話がかかってくることもあるそうです。

「哀れなウクライナ人」と「侵略者の手先のロシア人」、日本人にとってそれはまるでコインの表裏のようです。

そんなニュースを見て、私は、日本国内の「戦争反対」の声はホンモノなんだろうかと思いました。

”ゼレンスキー叩き”とロシア人ヘイトに共通するのは、”日本第一”です。「戦争反対」と言っても、結局、ナショナリズムに縛られたままなのです。偏狭なナショナリズムの呪縛から自由ではないのです。

私は、ロシア料理店にいたずら電話をかけるくらいなら、世界の首脳のなかでも異常なほどプーチンに入れ込み、2019年9月に27回目(!)の首脳会談を終えたあと、プーチンに向って「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」と語りかけた(朝日の記事より)安倍晋三元首相を糾弾する方が先だろうと思いますが、そんな愛国者はこの国にはいないのです。それどころか、安倍晋三元首相は愛国者たちにとって未だにヒーローでありつづけるのです。

今になれば、お粗末な資質を見抜かれたのか、安倍晋三元首相はプーチンにいいように利用されていただけなのは誰が見てもわかりますが、その結果、ロシアとの平和条約交渉に向けた経済協力費として、2016年度から6年間で約200億円を支出しているのでした。しかも、あろうことか、ウクライナ侵攻が始まり、経済制裁の意趣返しに平和条約交渉が一方的に破棄されたにもかかわらず、先ごろ成立した今年度予算には未だ関連予算として21億円が計上されているのです。でも、日本の愛国者たちはその事実さえ見ようとせず、いつものように現実を糊塗するだけです。

2014年のクリミア侵攻の際は、ウラジーミル❤シンゾーの関係を重視して、日本政府(安倍政権)は制裁に及び腰で、欧米と共同歩調を取ることはありませんでした。今の中国と同じように、ロシアの蛮行を半ば黙認したのです。そのときと比べればいくらかマシとは言えますが、それでもどこか「所詮は他人事」のような姿勢を感じてなりません。入国ビザを簡素化しても、いちばんのネックの渡航費の問題は見て見ぬふりなのです。政府の支援策が曖昧ななかで、むしろ自治体が国に先んじて支援を始めているのが実状です。政府は、アメリカに押されて仕方なくやっているように見えなくもないのです。

このように、この国は「戦争反対」でも愛国でも見せかけだけで、中身は薄っぺらとしか言いようがないのです。


※この記事は、日本の国会でのゼレンスキー演説の前に書きました、為念。

追記:(3/25)
前回の記事に、ウクライナとネオナチに関する清義明氏の記事のリンクを貼りました。
2022.03.23 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
前の記事からのつづきですが、思想史が専門で、カール・シュミットの公法思想を研究している藤崎剛人氏は、Newsweek日本版に次のような記事を書いていました。

Newsweek日本版
世界中の極右を引き寄せるウクライナ義勇軍は新たなファシズムの温床か

ウクライナを支援するために、義勇兵として世界各地からネオナチが集まっているそうですが、藤崎氏は、そういった戦争経験によって、世界的に政治の「残忍化」が進むことは避けられないと書いていました。

その前に、2月27日のメルマガで田中宇氏が書いていた記事を紹介します。

田中宇の国際ニュース解説
ウクライナがアフガン化するかも

ウクライナには以前から、ロシア敵視のウクライナ系ナショナリスト勢力(極右ネオナチ)から、ロシア系などの親ロシア勢力までの諸勢力がいる。極右は米英諜報界に支援されてウクライナの諜報機関を握ってきた。ゼレンスキー大統領も極右の側近たちに囲まれている。ウクライナの極右は、イスラエルの入植者と似て、ナショナリストと言っているが本質はそうでなく、ロシアに打撃を与えることを最優先にしている。彼らの本質は極右というより米英のスパイだ(エリツィン時代のロシアのオリガルヒとか、コソボのKLAも同質)。


新型コロナウイルスでもトランプばりの謀略論を唱え、すっかり”イタい人”になった田中氏ですが、ただ、ウクライナ政府と極右=ネオナチの関係については、他にも鳩山由紀夫氏が、Twitterで「ウクライナのゼレンスキー大統領は自国のドネツク、ルガンスクに住む親露派住民を『テロリストだから絶対に会わない』として虐殺までしてきたことを悔い改めるべきだ」と発言していましたし、寺島実郎氏も「サンデーモーニング」(TBS系)で「(ウクライナが)一方的な被害者かっていうと、そうでもない」と発言していました。二人ともロシアのウクライナ侵攻は「ヒトラーがやったこととほぼ同じ」(寺島氏)と断った上での発言でしたが、いづれもネットで袋叩きに遭っています。

藤崎氏によれば、少なくともソ連崩壊後に頻発した東欧の紛争において、ネオナチの存在は半ば常識のようです。しかし、私の知る限り、メディアに出ている日本の専門家たちのなかで、ウクライナとネオナチの関係に触れている人は皆無でした。

ウクライナはロシアに侵略された被害者です。プーチンの演説に帝政ロシア時代の3色旗を打ち振りながら熱狂する国民の姿が示しているように、ロシアこそファシスト国家と呼ぶべきでしょう。ましてウクライナの民衆の悲惨な現実から目をそらしてならないことは、言うまでもありません。それはいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。

しかし、一方で、メディアが国家のプロパガンダのお先棒を担ぎ、善か悪かに単純化されてしまっているのは否めないように思います。テレビに出ている「軍事評論家」たちは、戦争をまるでスポーツの勝ち負けのように解説するだけだと言った人がいますが、同じように思っている人も多いはずです。とは言え、ロシアが一方的に侵略したのはまぎれもない事実で、それを考えれば、善か悪かの二元論で語るのもそうそう間違いではないのです。ただ、善か悪かの二元論では見えない部分があることもまた、たしかなのです。上記のように思わず口に出してしまった粗忽な人間以外にも、いわゆる「識者」のなかには、メディアはものごとの一面しか報じてないと心のなかで思いながらも、火中の栗を拾わないように沈黙を選んでいる人もいるに違いありません。

もちろん、藤崎氏が上記の記事のなかで紹介しているように、政治アナリストのジョナサン・ブランソンの「現時点でウクライナに必要なのは兵力であり『今は』その中身について問うべきではない」という意見はそのとおりかもしれません。

でも、同時に、「ロシアの侵略と戦うウクライナは、ネオナチに実戦経験とその神話化の機会を提供する。それはかつてナチスの台頭を招いた政治の『残忍化』につながりかねない」という藤崎氏の懸念にも、無視できないものがあるように思いました。ウクライナの抵抗に冷水を浴びせる話と思われるかもしれませんが、私たちの素朴実感的なヒューマニズムが国家や党派に簒奪され”動員の思想”に利用されないためにも、善か悪か、敵か味方かの二元論とは別にところにある、こういった少数意見に耳を傾けることも大事であるように思います。

(引用者注:ドイツの)左翼党の議員マルティナ・レンナーは、こうしたネオナチの活動家がウクライナで戦闘経験を積むことはドイツ政治に悪い影響を与えるのではないか、と述べている。

レンナー議員のこの危惧は理解できる。というのは100年前のドイツでもやはり、ヴァイマル共和国に暴力的な政治文化を形成し、ヒトラーの台頭を招いたのは、第一次大戦やそれに続くバルト地方からの撤退戦などに参加し、凄惨な暴力を体験してきた兵士たちだったといわれているからだ。

第一次大戦後のドイツでは、前線経験がある若者を主体とする義勇軍組織(フライコール)が結成され、縮小した正規軍に代わって左翼活動家や労働者たちの弾圧に関わった。(略)


また、藤崎氏は、「ヴァイマル共和国の不安定化はそれ以前の戦争経験に基づくという、政治の『残忍化』テーゼを打ち出し一躍注目を浴びた」ジョージ・L・モッセの『英霊』(筑摩文庫)も紹介していました。

モッセによれば、兵士や義勇兵たちによって形成された「戦争体験の神話」は政敵を非人間化し、その殲滅を目指す思考を受け入れやすくする。そのことによってファシズムの残忍さは、残忍であるがゆえに魅力的なものとなるのだ。


さらに藤崎氏は、こうつづけます。

『英霊』におけるモッセの議論は、我々がメディアを通して戦争を受容するときの戒めにもなるかもしれない。メディアを通して我々が「残忍化」するというと、我々は「××人を殺せ」のような好戦的メッセージの危険性をまず思い浮かべる。しかしモッセが取り上げているのはそれだけではない。戦没者追悼などを通した「英雄化」や、小説やゲーム、絵葉書、子供の玩具などを通した戦争表象の「陳腐化」も彼は議論の対象にしている。


我々が日々接しているメディアでも、ウクライナ戦争の「英雄化」や「陳腐化」が行われている。たとえばSNSで拡散されるような英雄的に戦うウクライナ兵士のエピソードや、ロシア軍に屈しないウクライナ市民たち、不屈の指導者としてのゼレンスキー表象、ウクライナを応援するための国旗色が施された様々なグッズ、などはその例といえるだろう。

戦争が始まってから二週間、SNSを含むメディアの進化によって、虚実入り混じった情報が急速なスピードで世界を飛び交い、戦争の「神話化」がリアルタイムで進んでいる。我々は少しずつ戦争に慣れ始め、戦時下の言語で語るようになっている。(略)


鳩山由紀夫氏に対しても、「喧嘩両成敗は加害者の味方」というような批判があったそうです。旗幟鮮明でなければならないのです。それも「戦時下の言語」と言わねばなりません。そこにあるのは、まさに”動員の思想”です。

何度もくり返しますが、どんな国家であれ、国家に正義などないのです。現在、ロシアがウクライナでやっていることは、アメリカが世界各地でやっていたことと同じです。ロシアとアメリカは、同じ穴のムジナ、どっちもどっち!なのです。にもかかわらず、敵か味方かの発想は、必ず正義の旗を掲げた国家の介入を招くことになり、どっちの側に付くのかという旗幟鮮明を迫られるのです。

私たちは、それとは別に、熾烈な弾圧にもめげずにロシア国内から反戦のメッセージを発している「3.5%」のロシアの人々に対しても、連帯することを忘れてはならないのです。今日も、国営テレビの生放送中に、女性ディレクターが「乱入」して、手書きの反戦メッセージが書かれたボードを掲げたというニュースが世界を駆け巡りましたが、そういった内からプーチン政権に異を唱える人々に連帯の意志を示し支援することも、戦争を終わらせるためには非常に大事なことなのです。

現代の戦争は、「ハイブリッド戦争」と呼ばれ、地上の戦闘だけでなく、ネット空間でのサイバー戦や情報戦も欠かせない要素になっています。「ハイブリッド戦争」は、人々の声が国家のプロパガンダに利用される可能性がある反面、人々が直接戦争に関与できる余地もあるように思います。国境を越えて侵略国家の中の「3.5%」の勇気ある人々と連帯し、反戦の世論を喚起することも可能になったのです。そうやって国家でも党派でもない、ひとりひとりの自立した素朴実感的な平和を願う声が世界を動かすことも不可能ではなくなったのです。それが、19世紀とも20世紀とも違う現代の特徴なのです。

新型コロナウイルスが瞬く間に世界に広がって行ったように、私たちは、自分たちの連帯の声が瞬く間に世界に広がって行くような時代に生きているのです。それを武器にしない手はないでしょう。

そのためにも((ハイブリッド戦に巻き込まれないためにも)、少数意見や反対意見にも耳を傾け、常にみずからを対象化し検証することが肝要でしょう。反戦平和のヒューマニズムにしても、時代的な背景は異なるものの、スペイン人民戦線の悪夢が示しているように、国家や党派や民族と接続されると全体主義に架橋される怖れがないとは言えないのです。


追記:(3/25)
その後、清義明氏が、朝日の「論座」で、ウクライナとネオナチの関係について書いていました。でも、清氏の記事も、ネットではロシアを擁護する陰謀論として叩かれていました。

論座
ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【上】
ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【中】
ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像【下】
2022.03.15 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
ロシア軍によるキエフの掃討作戦(ザチストカ)が目前に迫っていると言われています。キエフのビタリ・クリチコ市長によれば、3月11日現在、人口350万人のうちまだ200万人がキエフにとどまっているそうです(ロイターの記事より)。

常岡浩介氏は、『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書)で、次のように書いていました。

国際紛争の場で難民はメディアに取り上げられがちだが、本当に悲劇的な状況に直面しているのは難民よりもむしろ、難民になれず戦争の中に取り残された人たちや、絶望の中で遂に武器をとって立ち上がった人たちだ。難民とは危険な境遇からの脱出に成功した運のいい人たちのことだ。


200万人の市民が残っているキエフで掃討作戦が実行されれば、想像を絶するような惨劇を目にすることになるでしょう。アサド政権支援のためにシリア内戦に参戦したときと同じように、生物・化学兵器の使用も懸念されています。キエフにもサリンが撒かれる可能性があるかもしれません。

ただ、ウクライナにもチェチェンと同じように、「一人が倒れても、次の10人が立ち上がる」(同上)パルチザンの歴史があります。ウクライナの民兵の士気の高さは、メディアなどでも指摘されているとおりです。ロシアにとって、ウクライナはアフガニスタンの二の舞になるのではないかという見方もありますが、その可能性は高いでしょう。仮にロシアがウクライナに傀儡政権を作り、ウクライナを支配しても、ウクライナ人の抵抗がそれこそ世代を越えて続いていくのは間違いないでしょう。

一方、ポーランドがウクライナに戦闘機を供与するという話も、ロシアを刺激するからという理由でアメリカが反対して中止になりました。ロシアが核の使用を公言するなど、あきらかにルビコンの河を渡ったにもかかわらず、アメリカやヨーロッパは旧来の戦略から抜け出せず、世界から失望され呆れられるような怯懦な態度に終始しています。ただ手をこまねいて見ているだけの欧米は、ウクライナに「俺たちのために人柱になってくれ」と言っているようなものでしょう。

バイデンは、ロシアが生物・化学兵器を使えば「重い代償を払うことになる」と警告したそうですが、ワシントンでそんなことを言ってももう通用する時代ではないのです。誰かのセリフではないですが、戦争は現場で起きているのです。

もっとも、(矛盾することを言うようですが)これはあくまで全体主義(ロシア)VS民主主義(ウクライナ)の図式を前提にした話でもあるのです。欧米の腰が重い背景には、核戦争の脅威やNATO加入の有無、天然ガスの供給の問題の他に、もうひとつ別の理由もあるような気がしないでもありません。それは”懸念”と言い換えてもいいかもしれません。もちろん、だからと言って、ロシアの蛮行がいささかも正当化されるわけではありませんし、ウクライナ国民の悲惨な姿から目を逸らしていいという話にはなりません。上にも書いたとおり、パルチザン=人民武装の歴史は正しく継承されるべきだと思いますが、それにまったく”懸念”がないわけではないのです。

いづれにしても、ロシアは後戻りできない状態にまで進んでいるようにしか思えません。ロシア帝国の失地回復(レコンキスタ)は、「ロシアの権力を”シロビキ”と呼ばれる治安機関と軍の出身者で固めて、ソ連時代を上回る秘密警察支配を完成させた」(同上)プーチンにとっても、みずからの権力と命を賭けた責務になっているかのようです。

2008年、プーチンが2期8年でいったん大統領を退いた際、「一旦、権力を渡してしまった秘密警察から、再び権力を取り上げて民主的体制を建設し直すのは困難だし、ことによるとプーチンの身にも危険が及ぶだろう」(同上)と常岡氏は書いていましたが、大ロシア主義というあらたな愛国心に取り憑かれたロシアの暴走をもはや誰も押しとどめることができないのかもしれません。

日本のメディアでは、NATOの東方拡大に対するプーチンの不信感と警戒心が今回の侵攻を引き起こしたというような論調が多く見られますが、多極化を奇貨とした大ロシア主義=ロシア帝国再興の野望に比べれば、それは副次的な問題にすぎないように思います。

下記の朝日の記事もNATOの東方拡大について書かれた記事ですが、その主旨とは別に、今回のロシアの暴走を知る上で参考になるものがあるように思いました。

朝日新聞デジタル
ゴルバチョフは語る 西の「約束」はあったのか NATO東方不拡大(有料記事)

クリントン政権時代に国防長官を務めたウィリアム・ペリー氏は、著書(共著『核のボタン』田井中雅人訳・朝日新聞出版)のなかで、次のように述べているそうです。

「冷戦終結とソ連崩壊は米国にとってまれな機会をもたらした。核兵器の削減だけでなく、ロシアとの関係を敵対からよいものへと転換する機会だ。端的に言うと、我々はそれをつかみ損ねた。30年後、米ロ関係は史上最悪である」


また、米軍将校から歴史家に転じたアンドリュー・ベースビッチ氏は、2020年6月の朝日新聞のインタビューで次のように語っていたそうです。

「ベルリンの壁崩壊を目の当たりにして、米国の政治家や知識人は古来、戦史で繰り返された『勝者の病』というべき傲慢(ごうまん)さに陥り、現実を見る目を失ったのです」


冷戦に勝利した欧米の民主主義がその寛容さを忘れ傲慢になってしまったというのはそのとおりかもしれません。欧米にとって、新生ロシアは、あらたな市場(資本主義世界にとってあらたな外部)の出現であり、収奪の対象でしかなかったのです。その結果、司馬遼太郎が指摘していたような自意識の高いロシアのノスタルジックな大国意識に火を点け、核を盾にした暴走を許すことになったのです。挙げ句の果てには、今のように、暴走するロシアに対して為す術もなく、ただオロオロするばかりなのです。

それは日本も同じです。と言うか、むしろ日本は欧米以上にロシア寄りでした。ロシアの暴走は、2014年のクリミア半島の併合からはじまったのですが、当時、プーチンに肩入れしていた安倍政権はロシアに対する制裁に消極的で、欧米と歩調を合わせようともしなかったのです。それが今になって「暴挙だ」「力による現状変更はとうてい認めることはできない」などとよく言えたものだと思います。

昨日のテレビでも、今回の侵攻は、NATOに加入したかったけど加入できなかったプーチンの個人的な恨みによるものだ、と大真面目に解説しているジャーナリストがいました。また、ロシアに対する経済制裁の影響で、イクラやカニなどの仕入れが難しくなり、「回転ずしにも暗い影を落としそうだ」という新聞記事もありました。能天気な日本人のトンチンカンぶりには、口をあんぐりせざるを得ません。

何度も同じことをくり返しますが、欧米の民主主義は、現在、我々の目の前に姿を現わしつつある「全体主義の時代」にほとんど無力なことがはっきりしたのです。もちろんそれは、アジアの端に連なる日本にとっても、決して他人事ではないはずです。

韓国に”親日”の大統領が当選したからバンザイとぬか喜びしている場合ではないのです。私は嫌韓ではありませんが、僅差とは言え、ミニプーチンような前検事総長を大統領に選ぶ国(国民)の怖さと愚かさをまず考えるべきでしょう。民主主義に対して、あまりにデリカシーがなさすぎると言わざるを得ません。
2022.03.12 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲
言うまでもなく戦争では、武力衝突だけでなく、プロパガンダを駆使した情報戦で敵を撹乱するのも重要な戦略です。

たとえば、2003年にアメリカがイラクに侵攻する際の根拠となったイラクの大量破壊兵器(WMD)の保有がまったくの捏造だったことは、あまりに有名です。アメリカはネット顔負けのフェイクニュースを流して、テロ撲滅の名のもと50万人(推定)の無辜の民を殺戮したのでした。

また、1991年の湾岸戦争では、アメリカ軍によってアラビア海の油まみれの水鳥の写真が公表され、国際世論がいっきにイラク非難に傾くということがありました。それは、イラクがクェートの油田を攻撃して、流出した油でアラビア海が汚染された写真だと言われたのですが、実はアラビア海とはまったく関係がなく、アラスカ沖のタンカー事故の写真だったのです。

さらに、「ナイラ」という名前のクェートの少女が、NGOの人権委員会で、イラクの兵士たちが生まれたばかりの赤ん坊を床に投げつけて殺害していると涙ながらに証言したニュースが世界に発信され、まるで鬼畜のようなイラク兵の蛮行に世界中が憤慨したのですが、そう証言した少女はクェートの駐米大使の娘で、アメリカの広告会社が14億円で請け負ったプロパガンダだったことがのちに判明したのでした。

今回の戦争でも、似たようなプロパガンダが行われていることは想像に難くありません。もちろん、アメリカだけでなく、ロシアもウクライナもやっているでしょう。しかも、始末が悪いのは、テレビのコメンテーターたちが、そのプロパガンダの片棒を担いでいるということです。

もちろん、だからと言って、それでロシアの侵攻がいささかも正当化されるわけではありません。何が言いたいかと言えば、どんな戦争であろうと、戦争に正義はないということです。国家の言うことに騙されてはならないということです。私たちが依拠すべきは、国家でも党派でも、あるいは制度でもイデオロギーでもなく、みずからの心のなかにある自前の平和や人を思う気持なのです。それしかないのです。

キエフなどで実施された「人道回廊」は、チェチェン紛争でも実施された過去がありますが、しかし、そのあとクラスター爆弾や化学兵器を使った容赦ない無差別攻撃によって、人口の半分が殺害されるようなジェノサイドが行われたのでした。時間稼ぎのために、「人道回廊」や一時停戦を提案するのはロシアの常套手段だと言われていますが、今回もキエフの掃討作戦(ザチストカ)の前触れのような気がしてなりません。

アムネスティ・インターナショナルの発表でも、チェチェンでは、1994年から1996年にかけての第一次チェチェン紛争で、数万人の民間人が死亡(10万人という説もある)。プーチン政権が介入した1999年から2009年の第二次チェチェン紛争では2万5千人が犠牲になったと言われています。その他に数千人の行方不明者がいるそうです。行方不明者というのは、「強制失踪」や誘拐によるものです。常岡浩介氏の『 ロシア語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書)によれば、「25万人、一説には30万人」が犠牲になったと書かれていました。ちなみに、チェチェン共和国の人口は80万人、首都グロズヌイの人口は6万人ですから、如何にすさまじいジェノサイドが行われたかがわかります。

コメンテーターの玉川徹氏は、これ以上犠牲を増やさないために、ウクライナの国民は降伏することも選択肢に入れるべきだと発言して物議をかもしたのですが、それに対して、降伏することは銃で戦うことより恐ろしい現実が待っているというウクライナ国民の声がメディアで紹介されていました。ウクライナ国民は自分たちがチェチェン人と同じ目に遭うのを恐れているのです。抵抗をやめれば、チェチェンのように街ごと焼かれ、ジェノサイドの標的になるのがわかっているからでしょう。

ライオンの檻のなかに入れられたら、あらん限り抵抗しないとライオンに食われるのです。ライオンに食われないために抵抗しなければならないのです。もう抵抗しませんと両手を上げたら即ライオンの餌食になるだけです。玉川徹氏の発言が「平和ボケ」と言われたのは、ライオンの檻のなかに入れられたらどうなるかがわかってないからです。情報機関出身者の発想は、殺るか殺られるかで殲滅の一択しかないと言った人がいましたが、プーチンを見ているとむべなるかなと思わざるを得ません。

アメリカはもちろんですが、ヨーロッパの国々も、プーチンのKGBとFSBで培われた非情さは熟知しているはずです。しかし、それでもなお、ロシアへの制裁に及び腰で、こっそりロシアと取引きする抜け道を設けているのでした。もしかしたら、ヨーロッパの人間たちは、他国で万単位の人間が犠牲になることより、ロシアの天然ガスで自分たちがぬくぬくと冬を過ごす方が大事と思っているのではないかと勘繰りたくなります。

何度も言いますが、今回の戦争では、欧米が掲げる民主主義のその欺瞞性も露呈されているのでした。そのことも忘れてはならないでしょう。
2022.03.10 Thu l ウクライナ侵攻 l top ▲
(前の記事からのつづきです)

ロシア国内では、反戦デモで連日数千人から1万人近くの参加者が拘束されていますが、ロシア政府は最近、デモによる逮捕者を戦場に送ることができるよう法律を改正したそうです。これにより逮捕された参加者は、戦場に送られ弾除けに使われる怖れが出てきたのです。21世紀にこんな国があるのかと思いますが、ロシアには死刑がないので(制度を廃止したわけではなく一時凍結)、そうやって「反逆者」たちに見せしめの懲罰を課すつもりなのでしょう。

西側から見れば悪魔のように見えるプーチン政権ですが、ロシア国内では3分の2以上の国民から支持されており、反戦デモに参加する人はごく一部にすぎません。今のロシアで反戦デモに参加することは、人生や命を賭けた決断が必要なのでそれも当然かもしれません。もっとも、それはロシアに限った話ではなく、日本でも似たようなものです。大多数の人は寄らば大樹の陰なのです。

そう考えるとき、斎藤幸平氏が『人新生の「資本論」』で書いていた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるということばをあらためて思い出さざるを得ないのでした。「真理は常に少数にあり」と言ったのはキルケゴールですが、いつの時代も世の中を動かしてきたのは少数派なのです。

私は今、『トレイルズ ―「道」と歩くことの哲学』(エイアンドエフ)という本を読んでいるのですが、たとえばトレイル(道)ができるのも、集団のなかで勇気があったり好奇心が旺盛だったりと、跳ね上がりの個体が最初に歩いてトレースを作ったからなのです。

国家や党派とは無縁な、素朴実感的なヒューマニズムに突き動かされて立ち上がった「3.5%」の人々が国際的に連帯すれば、やがてそれがロシア国内に跳ね返って、クロンシュタットの叛乱のような造反の呼び水になるかもしれないのです。プーチン政権がネットだけでなく、言論統制の法律を作り外国メディアを締め出したのも、海外から入ってくる報道が呼び水になるのを怖れているからでしょう。

それにつけても、今回の戦争に関する報道では、玉川徹氏だけでなく、テレビに出てくる専門家たちのお粗末さ加減には目を覆うばかりです。もちろん、彼らは予想屋ではないのですが、侵攻が始まるまで、ロシアがウクライナに侵攻することはないだろう、たとえ侵攻しても親露派が傀儡政権を作ったウクライナ東部に限るのではないかと言っていました。キエフ侵攻の可能性を指摘した人間は皆無でした。ロシア問題のアナリストを名乗りながら、単なる「平和ボケ」の知ったかぶりにすぎないことが判明したのでした。

彼らの解説を聞いても、その大半は想像でものを言ってるだけで、ホントに現状を分析しているのか首を捻らざる得ません。挙げ句の果てには、自分たちの予想が外れたからなのか、プーチンは精神に変調をきたしている、暗殺を恐れて秘密アジトから指令を出しているなどと、ユーチューバーもどきの怪しげな情報を吹聴する始末です。

ただ、そんな講談師見てきたような嘘を言う「平和ボケ」の一方で、今回の戦争が今までになく市井の人々の関心を集めていることはたしかで、私はそのことにささやかながら希望のようなものを感じました。

パンデミックを経験した多くの人々は、みずからの民主的権利を国家に差し出すことにためらいがなくなり、感染防止のためならプライバシーが多少侵害されても仕方ないと考えるようになっています。民主主義が毀損されることに鈍感になっていったのでした。東浩紀ではないですが、国家がせり出してきたことに一片の警戒心もなく、むしろ礼賛さえするようになったのです。

ところが、ウクライナ侵攻が始まり、連日、戦火に追われるウクライナの民衆の姿を見て、戦争こそが国家が全面にせり出した風景であることにはたと気付いた人も多かったはずです。同時に、自分たちの民主的な権利の大切さに思い至った人もいるでしょう。

また、ワクチン・ナショナリズムに象徴されるように、排他的な考えも蔓延し、ヘイトがまるで正義の証しであるかのような風潮も日常化していました。感染対策で入国を制限しているということもあって、少し前までは国境の向こうにいる人々に思いを寄せるなど考えられない空気がありました。でも、今回の侵攻でその空気も少しは緩んできたように思います。

パンデミックで”動員の思想”に絡めとられた寄らば大樹の陰の人々も、ウクライナ侵攻で冷水を浴びせられ、自分たちのあり様を少しは見直す契機になったかもしれません。

口ではロシアを非難しながら、今もなお石油や天然ガスをロシアに依存し、みずから経済制裁の抜け道を作っているヨーロッパの国々。それを見てもわかるとおり、相変わらず国家はクソでしかありませんが、しかし、たとえば地下壕のなかで、「死にたくない」と涙を流す女の子にいたたまれない気持になり何とかしなければと思うような、素朴実感的なヒューマニズムを抱く人は昔に比べて多くなったし、そのネットワークも世界に広がっているのです。ウクライナの現状を考えれば、気休めのように思われるかもしれませんが、とにかく、あきらめずに連帯を求めて声を上げ続けることでしょう。プーチンがいくら情報を遮断しても、世界はウクライナやロシアと繋がっているのです。それだけは間違いないのです。


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”左派的なもの”との接点
2022.03.08 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
今回のウクライナ侵攻に関して、ロシア文学者の亀山郁夫氏の次のような発言が目に止まりました。

讀賣新聞オンライン
[視点 ウクライナ危機]プーチン氏 無謀な賭け、露中心 秩序再構築狙う…名古屋外国語大学長 亀山郁夫氏

   ロシアの内在的な論理に目を向けると、「ロシア人は歴史を引きずるが、歴史から学ばない」といえる。ソ連崩壊後、欧米流の自由と民主主義を基軸とするグローバリズムの波はロシアにも及んだ。しかし、ロシアには古来、個人の自由は社会全体の安定があってようやく保たれるという考えがある。この「長いものに巻かれろ」的な考えについて、ドストエフスキーは「わが国は無制限の君主制だ、だからおそらくどこよりも自由だ」という逆説的な言葉を残した。
   絶対的な権力が失われれば、社会の無秩序が制御不能な形で現れるのではないかと恐れるロシア人は、グローバリズムに対抗するためだけでなく、自らを統制するためにも強大な権力を本能的に求める。プーチン氏の側近たちが、これほど異常な決定に誰も異を唱えないのは、このためだ。
(略)
   ロシア人の心性には、永遠の「神の王国」は歴史の終わりに現れるという黙示録的な願望があり、それが政治の現状に対する無関心を助長している。だから自立した個人が市民社会を形成するという西欧のデモクラシーが入ってきても、やがてそれに反発する心情が生まれ、再び権力に隷従した以前の状態に戻ってしまう。この国民性をロシアの作家グロスマンは「千年の奴隷」と呼んだ。
   現在の状況は、ロシア自らの世界観に直結する問題だけに、外部から解決の働きかけを行うことは難しい。


ロシア文学について「深い森」と称する人もいるくらい、ロシア文学は深淵な心理描写が特徴ですが、そんな内省的な文化を持つ国の国民がどうしてプーチンのような人物をヒーローのように支持するのか、ずっと不思議に思っていました。

西側のメディアは、ロシアの国民はロシア政府のプロパガンダで洗脳されていると言ってますが、ホントにそうなのか。多くの国民は、みずから戦争を欲し開戦に熱狂しているのではないのか。開戦後、プーチンの支持率が急上昇しているという話があります。独立系調査機関による世論調査でも、プーチン大統領の支持率は69%に上昇したそうで、むしろそっちの方がロシア国内の現実を表しているように思えてなりません。あの東条英機だって、「戦争するのが怖いのか」「早く戦争をやれ」というような手紙が段ボール箱に何箱も自宅に届くほど国民が戦争を欲したからこそ、清水の舞台から飛び降りるつもりで戦争に踏み切ったのです。国民は嫌々ながら戦争に引きずり込まれたのではないのです。

ドフトエフスキーでもトルストイでもゴーリキーでも、『蒼ざめた馬』のロープシンでも、彼らの小説を読むと、国家と宗教が登場人物たちの上をまるで梅雨空のように重く覆っているのがわかります。国家や宗教がニーチェが言うツァラトゥストラの化身のように、ニヒリスティックに描かれている場合が多いのです。そして、登場人物たちの苦悩もそこから生まれているのでした。

このようなロシア人の心の奥深くに伏在する国家と宗教の問題を考える必要があるように思います。今回の侵攻の背景にある大ロシア主義が、ロシア特有の復古的な世界観に基づいているのは言うまでもありません。亀山氏の「ロシア人は歴史を引きずるが、歴史から学ばない」ということばは秀逸で、ソ連の崩壊についてもロシア人は何ら検証も反省もしていません。表面的には議会制民主主義や自由経済を標榜しながら、実際はソ連共産党から「統一ロシア」に政権の看板が変わっただけです。旧共産党員で旧KGBの出身で、ソ連崩壊後、KGBが再統合されたFSB(ロシア連邦保安庁)の長官だったプーチンは、共産党時代と変わらないような秘密警察が支配する独裁体制を築いたのでした。だからと言ってクーデターを起こしたのではありません。ヒットラーと同じように、「歴史から学ばない」ロシア国民に支持されて合法的に政権を手に入れたのです。

驚くべき無節操さとしか言いようがありません。無血革命とも言えないようない加減で無責任な歴史に対する態度と言えるでしょう。そんなロシア国民が、ソ連崩壊後、ロシア正教の復活に合わせて、今度は革命前の帝政ロシア時代を郷愁し大ロシアの再興を夢見るようになったのは、当然と言えば当然かもしれません。ロシアが世界の文明の中心であると言う大ロシア再興の野望は、何もプーチンひとりの暴走などではないのです。「シロビキ」と呼ばれるFSBや軍出身者で固められた政権中枢やロシア国民の欲望が、コミンテルンから大ロシア主義に変わっただけなのです。

亀山氏が言うように、ロシア人としてのアイデンティティを再認識するためには、当然ながらロシアは強い国でなければなりません。ロシア民族の聖地とも言うべきキエフを首都に持つウクライナへの侵攻は、文字通りのレコンキスタ(失地回復)で、ロシア国民はそれをプーチンの民族浄化作戦(ザチストカ)に託したのです。それゆえ、プーチンはニーチェの超人と未来永劫思想を体現するヒーローでなければならないのです。

そんなロシアの見果てぬ夢を考えると、ウクライナの次はバルト三国だという話もあながち杞憂とは思えないのでした。
2022.03.06 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲
今日、ウクライナの南部エネルホダル市にあるザポリージャ原発がロシア軍から砲撃を受け、既に火災が発生しているというニュースがありました。ザポリージャ原発はヨーロッパ最大級、世界で3番目の規模の原発で、もし爆発すれば旧ソ連時代に同じウクライナのチェルノブイリ原発で発生した事故の10倍の被害が出ると言われているそうです。文字通り身の毛もよだつような話です。今日の攻撃が事実なら、いよいよロシアによるジェノサイドが本格的にはじまったと言っても過言ではないでしょう。

このようにロシアの蛮行はエスカレートする一方ですが、しかし、欧米各国は相変わらず口先で非難するだけで、傍観者の立場を崩していません。何度も言うように、ウクライナを見殺しにしているのです。

そんな欧米の二枚舌を知る上で、下記のForbes JAPANの記事が参考になるように思いました。

Forbes JAPAN
一部は焦げつく恐れも ロシア向け債権額の多い国

記事では、国際決済銀行(BIS)のデータに基づいた、ロシア向け債権(残高)の多い国とその金額が下記のように示されていました(記事ではドルの金額だけでしたが、それに円に換算した金額を付け足しました)。

ロシア向け債権額が多い国(2021年9月30日時点の残高)
イタリア(253億ドル・約2兆9300億円)
フランス(252億ドル・約2兆9200億円)
オーストリア(175億ドル・約2兆250億円)
米国(147億ドル・約1兆7000億円)
日本(96億ドル・約1兆1100億円)
ドイツ(81億ドル・約9360億円)
オランダ(66億ドル・約7600億円)
スイス(37億ドル・約4270億円)
※韓国(17億ドル・約1970億円)
(出所:BIS)

これを見ると、どういう国がロシアに入れ込み、プーチンと親密な関係を築いていたかがわかります。もっとはっきり言えば、どんな国がプーチンの独裁体制を経済的に支えていたかがわかるのです。

記事では次のように書いていました。

欧州諸国はロシアから輸入する天然ガスの支払いもできなくなるのではないかと議論になっているが、こうした決済を主に担っているガスプロムバンクは今のところ排除の対象にはなっていない。


紆余曲折の末、やっと合意したSWIFTからの排除ですが、それも勇ましい掛け声とは裏腹にザルになっているのです。

オーストリアの地元紙シュタンダルトによると、オーストリアはエネルギービジネスでもロシアとの関係が深い。オーストリアは当初、ドイツやイタリア、ハンガリーなどとともにロシアのSWIFT排除に反対したと伝えられる。
(同上)


ウクライナの悲劇を尻目に、オーストリアやドイツやイタリアやハンガリーが制裁に反対したのは、何より天然ガスや石油などの取引きの停止を怖れたからでしょう。しかも、現在もまだ取引きは継続されているのです。だから、天然ガスの決済銀行であるガスプロムバンクが制裁対象から外されたのです。ウクライナの現状を考えれば、まったくふざけた話だと言わざるを得ません。

繰り返しになりますが、今回のウクライナ侵攻では、このように欧米が掲げる民主主義なるものの欺瞞性も、同時に露呈されているのでした。バイデンの言う「民主主義と権威主義の対立」も片腹痛いと言わねばなりません。国際政治学者たちもバイデンの口真似をして同じような図式を描いていますが、たとえば彼らが言う「権威主義」ということばも多分にフォーカスをぼかしたヘタレなものでしかありません。それを言うなら全体主義でしょう。大ロシア主義も中国共産党の”新中華思想”もイスラム主義も、まぎれもなく全体主義です。世界が多極化するにつれ、それそれの”極(センター)”で全体主義が台頭しているのです。しかも、欧米の掲げる民主主義はお家大事のダブルスタンダートであるがゆえに、全体主義の対立軸(受け皿)になり得てないのです。それが今回のウクライナ侵攻ではっきりしたのでした。

何度も言いますが、核の脅しを伴ったこの全体主義の時代に対抗するには、国家や党派とは関係ない民衆の素朴実感的なヒューマニズムの連帯しかないのです。雨垂れが岩を穿つのを待つような話ですが、あきらめずに辛抱強く声を上げ続けるしかないのです。

「モーニングショー」のコメンテーターの玉川徹氏が、これ以上犠牲者を出さないためにウクライナ国民は降伏の選択肢も考えるべきだ、ゼレンスキー大統領も、銃を持って戦うことを鼓舞するのではなく、国民に降伏を呼び掛けるべきだと言ってましたが、なんだか所詮は他人事の日本における「戦争反対!」の声を象徴するような発言だと思いました。玉川氏の発言は、大国に翻弄されたウクライナの歴史と国民のなかに連綿と受け継がれているパルチザンの思想をまったく理解していない戯言と言わざるを得ません。降伏することは銃で戦うことより恐ろしい現実が待っている、というウクライナ国民の声を理解できない「平和ボケ」の発言と言わざるを得ません。

ウクライナには、民衆がみずから銃を持ってソビエト政府の赤軍やナチスのファシスト軍と戦ったパルチザンの歴史があります。ウクライナの民兵組織は一部で極右だという声もありますが、彼らにも人民武装=パルチザンの思想が受け継がれているのは間違いないでしょう。日本には秩父事件などを除いてほとんどその歴史がないので、パルチザンに対する理解が乏しいのかもしれませんが、反戦デモには、玉川氏と違って、みずから銃を持って戦うウクライナ国民に共感し連帯を呼びかける側面もあるのです。民衆の素朴実感的なヒューマニズムには、そういったおためごかしではない、市民革命の経験で得たラジカルな一面があることも忘れてはならないのです。
2022.03.04 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
先日(25日)の朝日新聞デジタルに次のような記事がありました。

朝日新聞デジタル
世界の警察官に戻らない米国、嘆くより受け入れを アメリカ総局長(有料記事)

望月洋嗣・アメリカ総局長は記事の最後を次のようなことばで結んでいました。

   今回の侵攻は、米国が描く戦略の前提通りには事が進みそうもない現実を突きつけた。そして、相対的な力が低下している米国が、力を振りかざす「専制主義」の大国から民主主義の仲間を守る手立てが乏しいということも国際社会に印象づけた。
   米国が世界の警察官の役割を果たした時代は戻ってこない。それを嘆き、警察官の再登場を願っても、平和と安定は取り戻せない。
   この現実を受け入れた上で、従来の国際秩序を守っていくにはどうすればいいのか。日本を含め、米国と協力関係にある国々は、これまでにない覚悟と行動を求められることになる。


その通りだけど、だからどうすればいいんだ?、今のこの戦争をどうすれば止められるんだ?、と歯痒さを覚えるよう記事です。こういうのをオブスキュランティズム(曖昧主義)と言うのでしょう。

それは、バイデンの一般教書演説も同じです。「プーチンは間違っている」「彼に責任をとらせる」と言ったそうですが、まさに言うだけ番長で所詮は他人事なのです。支援のポーズを取るだけなのです。

また、我が国の国会の非難決議も似たようなものです。脊髄反射で核保有を主張しながら、味噌もクソも一緒にして翼賛的に採択される国会の非難決議なんか、ただのアリバイ作りのためのポンチ絵にすぎません。

プーチンのウクライナ侵攻は1年前から計画されていたと言われています。にもかかわらず、上の朝日の記事でも書いていますが、バイデンは早い段階から「ウクライナには米軍を派遣しない」と明言していました。それでは、プーチンにどうぞ侵攻して下さいと言っているようなものでしょう。むしろ侵攻を煽っていたと言ってもいいのです。

オレンジ革命によって親欧米派が政権を掌握したウクライナにも、当然、アメリカの軍事顧問や諜報部員が入っていたはずです。しかし、ロシアの侵攻が現実味を帯びるといっせいに引き上げたと言われているのです。そして、バイデンは上記のようにウクライナを見放すような発言をしているのです。

SWIFT(国際決済ネットワーク)からロシアの銀行を除外するという制裁にしても、案の定、「ロシア最大手ズベルバンクや、ガス大手ガスプロムに関係するガスプロムバンクは含まれていない」(共同)のです。「除外すればエネルギー供給の決済など、欧州経済への影響が大きいと判断した」(同)からだそうです。やっぱりお家大事なのです。侵攻下においても、ロシアからヨーロッパへ天然ガスの供給は継続されているのです。スポーツ選手は競技大会から排除されるけど、国家間のビジネスは続けられているのです。

欧米のウクライナへの支援の中心は武器の提供です。まるでウクライナの国民に、武器はふんだんに提供するので犠牲をいとわず最後の一人まで戦え、玉砕しろとでも言いたげです。その一方で、でも、オレたちはガスがないと困るのでロシアと取引きは続ける、お金も送ると言っているのです。

欧米の国々はまるでライオンの檻のなかで繰り広げられる残酷なショーを観客席から眺めている観客のようです。もちろん、ライオンの檻のなかに放り投げられるのはニワトリです。そのニワトリにがんばってと見え透いた声援を送るだけなのです。

もうひとつ忘れてはならないのは、武器の提供をメインにした支援の背後にいる軍需産業の存在です。アメリカの軍需産業が民主党政権と強いつながりがあるのはよく知られた話ですが、今や巨大化した軍需産業は国の政治にまで影響を及ぼすようになっているのです。アメリカ政府の兵隊は出さないが兵器は提供するという方針にも、産軍複合体たる軍需産業の影を覚えてなりません。

それはロシアも同じです。既にキエフなどに侵入して破壊工作を行なっている工作員は、正規の軍人ではなく民間の軍事会社の社員だと言われています。前も下記の記事で書きましたが、現代の戦争は軍需産業をぬきにしては語れないほど民営化されているのです。文字通り戦争がビジネスになっているのです。お金のためなら無慈悲に人も殺すのです。そういった現代の戦争が持つ新たな側面にも目を向ける必要があるでしょう。


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世界内戦の時代
2022.03.02 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
ウクライナ国旗


2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。それも当初の予想とは違って、首都のキエフの制圧を目指す大規模なものになりました。つまり、プーチンはウクライナ全土を支配下におく侵略戦争に舵を切ったのです。

今回のウクライナ侵攻に対して、アメリカは積極的に情報公開を行なってきました。そのなかには軍事機密まで含まれており、それは今までの戦争にはなかったアメリカの変化だと言われています。

でも、それは、もう自分には介入する気持も力もないので、同盟国に「みんなで一緒に抗議しましょう」と呼びかけているようにしか見えませんでした。そこにあるのは、超大国の座から転落した惨めなアメリカの姿です。それが老いぼれたバイデンの姿と二重映しになっているのでした。

今回のウクライナ侵攻が衝撃だったのは、核を振りかざす狂気の指導者の前には世界は無力だという冷厳な事実です。核戦争を怖れて誰も手出しができないという核の世界の現実です。

ロシア軍が真っ先にチェルノブイリの原発を制圧したのは、キエフに攻め入る近道であるという理由以外に、プーチンが再三口にしていた核兵器使用の脅しと同様、いざとなれば石棺で閉じ込められている放射性物質を拡散することもできるんだぞという脅しの意味合いもあるように思えてなりません。

バイデンは「ロシアのプーチン大統領は、破滅的な人命の損失をもたらす戦争を選んだ」と言ったそうですが、それはアメリカも同じでしょう。アメリカは今まで何度「破滅的な人命の損失をもたらす戦争を選んだ」んだ?と皮肉を言いたくなりました。しかも、バイデンはウクライナから8千キロ離れたワシントンで、まるで評論家のように、そう論評(!)するだけなのです。

経済制裁も多分に後付けで腰が引けたものです。現在言われている制裁ではどれだけ効果があるか疑問です。侵攻前の制裁でロシアの銀行の資産を凍結すると発表しましたが、制裁の対象になった銀行はロシアでは3番目とか4番目の規模の銀行に過ぎないそうです。1番目や2番目の銀行は侵攻したあとのカードとして残すということだったのかもしれませんが、それって侵攻するのを待っていたようにしか思えません。

ここにきて、制裁の目玉であると言われているSWIFT(国際決済ネットワーク)からロシアの銀行を排除する措置を欧米が検討しはじめたというニュースがありましたが、侵攻して市民の犠牲者が出たあとでは遅きに失した感を抱かざるを得ません。しかも、あくまで「一部の銀行」に限った話で、全ての銀行を対象にするものではないのです。ヨーロッパ(特にドイツやイタリア)にとって、ロシアは天然ガスの重要な輸出国(供給元)なので、ロシアの金融機関をSWIFTから完全に排除することにためらいがあるのでしょう。つまり、ここに至ってもなお、数万人の無辜の民の命より国家や資本の論理を優先する考え方から自由になれないのです。新型コロナウイルスでは自国民の命を守るために各国はロックダウンを行いましたが、それに比べると、ウクライナの国民の命はそんなに軽いものなのかと思ってしまいます。

ロシア軍は48時間以内に侵攻する。ロシア軍はミサイルを160発使用した。ロシア軍はキエフ近郊の空港を制圧した。アメリカ政府はそうやってメディアのように戦火の拡大を発表するだけで、完全に傍観者に徹しているのでした。でも、裏を返せば、それはウクライナを見殺しにするということでもあります。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、世界に向けた演説で「ウクライナは一人で戦っている。世界で一番強い国は遠くから見ているだけだ」と言ってましたが、たしかにバイデンの(口先だけの)大仰なロシア非難とは裏腹に、欧米各国の冷淡さとウクライナの孤立無援な姿が目に付きます。そんな所詮は他人事と見殺しにされたウクライナを見ると、やり場のない怒りとやりきれなさと理不尽さを覚えてなりません。今回の侵攻では、20世紀の世界を”正義の価値”として牽引してきた欧米式のデモクラシーの欺瞞性も同時に露呈されているのです。アメリカやEUの信用はガタ落ちになっており、国際的な地位の下落はまぬがれないでしょう。

侵攻に関して、下記のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
wowkorea
ウクライナ外相「米国の安保を信じて28年間 “核放棄”してきた」…「代価を払え」

クレバ外相は22日(現地時間)米フォックス放送に出演し「当時ウクライナが、核放棄の決定をしたのは失敗だったのか」という質問に、先のように答えた。 クレバ外相は「過去を振り返りたくはない。過去に戻ることはできない」と即答を避けた。 しかしその後「当時もし米国が、ロシアとともにウクライナの核兵器を奪わなかったら、より賢明な決定を下すことができただろう」と語った。
(略)
クレバ外相は同日、CNNでも「1994年、ウクライナの “核放棄”のかわりに、米国が交わした安全保障の約束を守らなければならない」と求めた。 クレバ外相は「1994年ウクライナは、世界3位規模の核兵器を放棄した。我々は特に米国が提示した安全保障を代価として、核兵器を放棄したのだ」と主張した。


アメリカが唯一の超大国の座から転落した現在、アメリカの核の傘にもう頼ることはできない。ロシアを見てもわかるように、核を保有することは国際政治で大きな力を持つことになる。自衛のための核保有は必要だ。今後、そういう考えが世界を覆うのは間違いないでしょう。これこそが従来の秩序が崩壊し世界が多極化したあとに必然的に立ち現れる、国際政治の末期的な光景です。

日本でも、中国や北朝鮮の脅威から自国を守るためにはアメリカの核の傘に頼っていてはダメだ、核の保有も選択肢に入れるべきだという声が大きくなるに違いありません。

今回のロシアの侵攻に対して、「ベネズエラのマドゥロ、キューバのディアスカネル両政権は22日、(略)ロシアのプーチン大統領の立場に相次いで支持を表明した」(時事ドットコムニュース)そうです。反米左派政権の両国は米国から厳しい経済制裁を受けており、軍事と経済の両面でロシアへの依存を強めているからだそうですが、こういったところにもロシア・マルクス主義の末路が示されているように思います。「国家社会主義ドイツ労働者党」という党名を名乗ったナチスとどう違うのか、私には理解の外です。

最新のニュースではロシア軍がキエフに迫っているそうで、予備役も招集したウクライナ軍との間で市街戦の可能性も高まってきました。5万人の犠牲者が出るという話も俄かに現実味を帯びてきました。

そんななかで、個人的にささやかな希望として目に止まったのは、ロシア国内の反戦デモのニュースです。ロシア各地で反戦デモが行なわれ1700人超が拘束されたそうです。ロシア政府は、いかなる抗議活動も犯罪行為として収監すると表明しており、そのなかで人々は街頭に出て「戦争反対」の声を上げているのです。

私は、ロシア国内の反戦デモに、ロシア革命の黎明期にボリシェヴィキ政府に反旗を翻したクロンシュタットの叛乱さえ夢想しました。革命の変質に憤ったクロンシュタットの水兵たちは、レーニンやトロッキーを革命の裏切者として指弾して蜂起し、鎮圧するために派兵された革命軍=赤軍と二度に渡る戦闘を繰り広げたのでした。叛乱に対して弾圧を指示する党の最高責任者はトロッキーでした。のちに党内の権力闘争に破れて国外に逃亡したトロッキーは、ノルウェー亡命中にかの『裏切られた革命』(岩波文庫)を書いてスターリン体制(主義)を批判。とりわけ世界の若いコミュニストたちに多大な影響を与え、日本でも革命的左翼を自称する新左翼の活動家たちから反スターリン主義の象徴として思想的に神格化されるようになったのでした。しかし、既に革命の黎明期において、トロッキーはクロンシュタットの水兵たちによって、裏切られた革命の当事者として指弾されていたのです。

私が夢想したのは、ロシア軍のなかで、反戦デモに呼応してプーチンに反旗を翻す兵士が出現することです。もしかしたら、それが千丈の堤が崩れる蟻の一穴になるかもしれないのです。

唐突な話ですが、沖縄で高校生がバイクを運転中に警察官の警棒と「接触」して(ホントは叩かれた?)失明した事件でも、若者たちがSNSで集まり警察署に押しかけ直接抗議をしたからこそ、警察もやっと重い腰を上げ、(しぶしぶながら)真相を究明する姿勢を見せるようになったのです。警察に押しかけてなかったら事件は闇に葬られたでしょう。市井の人々が声を上げて行動すると、思ってもみない力を発揮することもあるのです。

ロシアやアメリカなど大国の論理に対して、ウクライナ人もロシア人もアメリカ人も日本人もないという、平和を希求する人々の生の声を上げ続けることが何より大事でしょう。人民戦線とは、本来は共産党の前衛神話を前提とするようなものではなく、そのように民衆の連帯によって自然発生的に生まれる闘いの形態のことを言うのではないでしょうか。現代はスペインの人民戦線を描いたジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』(岩波文庫)の頃とは時代背景が違うと言う人がいますが、たしかに『カタロニア賛歌』のなかでも批判的に書かれていた共産党の前衛神話を前提とするような党派的な考え方をすれば、そう言えるのかもしれません。しかし、国家や党派とは関係なく民衆の素朴実感的なヒューマニズムの所産として人民戦線を考えれば、本質的には何も変わってないし、その今日的な意味は全然有効なのだと思います。

今までも私たちの日常は大国の核の傘の下にあったわけですが、全体主義の時代は、私たちの日常がウクライナの市民たちと同じように、核の脅威(プーチンのような脅し)に直接晒されることになるのです。その意味でも、今回の蛮行は決して他人事ではないはずです。
2022.02.25 Fri l ウクライナ侵攻 l top ▲
ロシア国旗


ロシアのプーチン政権によるウクライナ侵攻は依然予断を許さない状態が続いています。アメリカとロシアの情報戦も激しくなっていますが、これって普通に考えても戦争前夜と捉えるべきでしょう。

ロシアの強気な姿勢について、今日の朝日新聞は次のように書いていました。

  ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ東部の自称「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を承認したことは、冷戦終結後に各国が育んできた国際秩序への公然たる挑戦だ。力ずくの外交姿勢は、国際的なルールの順守や各国の主権の尊重、領土の一体性を無視している。
(略)
  米国とロシアとの間に立って対話の可能性を探り、米ロ会談の調整にこぎ着けたフランスなど欧州の仲介努力に冷水を浴びせた形となった。武力行使を避けようと奔走した欧州各国の努力に、真剣に応じることなく、逆に冷笑するかのように、その求めをはねつけた。


朝日新聞デジタル
外交努力を踏みにじったプーチン氏 全土侵略の布石か、世界の行方は(有料記事)

このロシアの強気な姿勢が示しているのは、今までも何度もくり返し言っているように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するというあらたな世界秩序(とも言えないような秩序)の時代に入ったということです。ありていに言えば、アメリカが世界の警察官として君臨してきたパクス・アメリカーナの終焉です。

これからは、このような大ロシア主義や”中華社会帝国主義”とも言うべき中国の新中華思想やイスラム主義が、あらたな世界秩序の間隙をぬってさらに台頭して来るでしょう。そして、今回のウクライナ危機と同じような危機が世界のさまざまな場所で発生するのは必至でしょう。

今回のウクライナ危機を見てもわかるとおり、アメリカはもはや過去のアメリカではありません。あきらかに腰が引けています。そこをプーチンに見透かされているのです。

もちろん、ロシアが核保有国であることが大きな足枷になっているのも事実でしょう。プーチンも盛んに核をチラつかせて欧米を脅していますが、欧米にとって、核戦争を回避するためにはロシアとの直接の軍事衝突は避けなければならないのです。せいぜいが経済制裁でお茶を濁しながら、ロシアの無法を外野席で野次るくらいが関の山です。ヨボヨボのバイデンが、負け犬の遠吠えみたいに虚しい「警告」を発していますが、ウクライナが我が身大事の欧米から見殺しにされるのは最初からわかりきった話なのです。

何度も言いますが、アメリカンデモクラシーももはや世界を主導する”正義の価値”ではなくなったのです。世界をアメリカが主導する時代が終わったのです。とんでもない全体主義の時代=無法が大手を振ってのし歩く悪夢のような時代と言えばそう言えるのかもしれませんが、しかし、歴史というのは、往々にしてそんな紆余曲折を経るものです。と同時に、グアンタナモ収容所に象徴されるアメリカンデモクラシーの欺瞞や、民主主義の名のもとにアメリカが世界各地で人民の自決権を蹂躙してきた”帝国の歴史”も考えないわけにはいきません。

大量破壊兵器の保持を口実にイラクに侵攻したアメリカに、ロシアの無法を非難する資格はないのです。また、アメリカは旧ソ連に対抗するためにイスラム圏でイスラム過激派を育て利用してきた経緯もあります。現在、イスラム過激派がアメリカに牙をむいているのも、いうなれば豹変した飼い犬に手を噛まれたようなものです。私たちは、全体主義の時代に慄くだけでなく、アメリカに対する幻想からも自由にならなければならないのです。

アメリカのやることはなんでも許されるというような時代が終わる。そう考えれば、全体主義の時代もまったく意味のないことではないように思います。あたらしい、よりバージョンアップした民主的な価値と世界の秩序を手に入れるための生みの苦しみと考えることもできなくはないのです。

とは言え、歴史の紆余曲折には多大な犠牲が伴います。ロシアがキエフなどに本格的に侵攻し市街戦になれば5万人の市民が犠牲になるという試算もあります。

一方、私たちにとって、ウクライナ危機も所詮は対岸の火事でしかありません。怖ろしいくらい冷めている自分がいます。5万人という数字も、日々AIがはじき出す単なる数値のようにしか受け止められてないのが現実です。

人間は自分で思うほど賢くはないので、塗炭の苦しみや悲劇を経験しないとあたらしい価値に目覚めることはないのかもしれません。今回のウクライナ危機を見ても、世界が第二次世界大戦から何も学んでないことがよくわかります。それはロシアだけでなく、先進国を自称しながら為す術もないG7の国も同じです。SDGsだとかAIだとか言っても、感情と欲望の動物である人間はたいして進歩もしてないのです。

手前味噌になりますが、このブログで世界の多極化を予見した「世界史的転換」という記事を書いたのは、2008年のリーマンショックのときでした。あれから13年、多極化する世界の輪郭がよりはっきりしてきたのはたしかでしょう。


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2022.02.22 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲