国会議事堂
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世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の被害者救済を目的とした「救済法」(法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律)と改正消費者契約法が昨日(10日)、参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立しました。採決では、自民・公明の与党と、立憲民主・日本維新の会・国民民主が賛成し、共産とれいわ新選組は反対したそうです。

でも、前も書いたように、この法律が今国会で成立するのは、与野党の間では合意済みと言われていました。会期末ギリギリに成立したのも筋書きどおりなのかもしれません。

この法律に対しては、宗教二世や被害対策の弁護団などからは、「ザル法」「ほとんど役に立たない」という声がありました。また、野党も当初は同じようなことを言っていました。

実際に今回のような法律では、法の不遡及の原則により、「救済」の対象はあくまでこれから発生する「被害」に対してであって、過去の「被害」は対象外なのです。また、「被害」の認定にしても、法案では「配慮義務」という曖昧な文言が使われているだけです。「禁止」という明確な言葉はないのです。それでは「被害」の認定が難しい「ザル法」で、実効性に乏しいと言われても仕方ないでしょう。

ところが、国会の会期末が近づくと、立憲民主党など野党は、「充分ではないがないよりまし」「一定の抑止効果はある」などと言い出して、このチャンスを逃すと被害者救済は遠のくと言わんばかりの口調に変わったのでした。すると、救済を訴えてきた宗教二世からも、「ザル法」などという言葉は影をひそめ、法案の成立は「奇跡に近い」、尽力してくれた与野党に「感謝する」というような発言が飛び出したのです。私は、その発言にびっくりしました。と同時に、そう言わざるを得ない宗教二世たちの心情を考えると、何だかせつない気持にならざるを得ませんでした。

9日には、宗教二世と全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士が、参院の消費者問題特別委員会に参考人招致され、意見陳述したのですが、そのときは、国会の会期は延長せず、翌日10日の参院本会議で採決し成立させることが既に決定していたのです。何のことはない、参考人招致は、形式的な儀式にすぎなかったのです。

国会での審議は僅か5日でした。立憲民主党は、みずからの主張と政府与党が提出した法案とは「大きな隔たりがある」と言いながら、会期延長を求めるわけではなく、会期末の成立に合意したのです。

「救済法」には2年後を目処に見直すという付帯事項が入っており、岸田首相も、賛成した野党も、盛んにそれを強調しています。何だか法律が「役に立たない」ことを暗に認めているんじゃないかと思ってしまいます。宗教二世は、「被害者を忘れずに議論を続けてほしい」と言っていましたが、そういった言葉も空しく響くばかりです。

宗教二世たちは、結局、与野党合作の猿芝居に振りまわされただけのような気がしてなりません。彼らの切実な訴えより”国対政治”が優先される、政治の冷酷さをあらためて考えざるを得ないのでした。

ジャーナリストの片岡亮氏は、『紙の爆弾』(1月号)の「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」という記事で、「救済法」の国会論議に関連して、自民党議員の若手秘書の次のような発言を紹介していました。

 自民党の若手秘書は「議員はみんな、公明党がいるから宗教法人法には手をつけられないと口を揃えている」と話す。
「それこそ自公政権自体が政教分離違反ですよね。本来、公明党は統一教会との違いをハッキリ示すべきなのに、ただ規制強化に反対しているのですから、これでは同じ穴のムジナ」
 旧統一教会の問題とは、言ってしまえば、社会的に問題のある団体があった場合、政治がどう対処するのか、ということだ。その方法には大別して「攻めと守りがある」と、同秘書は続ける。
「攻めとは悪質な宗教団体の取り締まりです。統一教会であれば解散で、宗教団体という認定を外すこと。法人格や税優遇を取り消せます。公的な認定がなくなれば、自然と信者の脱会も促せるでしょう。実際、それを提案して、脱会信者の専門サポート体制も作ろうとした人は自民党にもいましたが、大きな反発を受けています。一方、守りは被害者の保護。契約法改正や献金規制で、被害を食い止めること。ただ、あくまで被害があった場合の救済措置なので、被害自体をなくす作業ではありません。いま自民党は教団を繋がっている議員ばかりなので、攻めには反対が多く、守りだけで世間の批判を収めようという流れになっています」
(『紙の爆弾』1月号・片岡亮「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」)


記事のタイトルにあるように、自民党の政治家たちと旧統一教会との関係は今も続いている、と指摘する声も多くあります。政権の中枢に浸透するくらいのズブズブの関係だったのですから、そう簡単に手が切れるわけがないのです。今回の法案の与党側の調整役だったのは、旧統一教会の信者から「家族も同然」と言われ、信者の集まりで「一緒に日本を神様の国にしましょう」と挨拶したあの萩生田光一自民党政調会長でした。文字通り泥棒に縄をわせるようなもので、悪い冗談みたいな話です。

また、片岡氏は、同じ記事で、「ステルス信者」の問題も取り上げていました。「ステルス信者」というのは、言うなれば隠れキリスタンのようなもので、「信者であることを隠して信仰し、特定の政治家を応援」している信者たちのことです。と言うのも、旧統一教会には正式な入信制度がないそうで、そのため、他の教団と違って「組織が非常に曖昧」で、信者数も「不明瞭」なのだとか。報道されているように、関連団体が無数に存在するのもそれ故です。「ステルス信者」は、「彼らが隠密に政治や行政に取り入るための方法」なのですが、今回の騒動で、ステルス、つまり、信者であることを隠す行為がいっそう「加速」されるようになった、と片岡氏は書いていました。カルトは何でもありなので、今までも脱会運動を行っていたのが実は教団寄りの人物だったということもありましたが、今後偽装脱会も多くなるかもしれません。

今の流れから行けば、宗教法人法に基づいて解散命令の請求が行われるのは間違いないでしょう。それと今回の「救済法」の二点セットで、旧統一教会の問題の幕引きがはかられる可能性が大です。実際に、メディアの報道も目立って減っており、彼らの関心もこのニ点に絞られています。

ただ、教団の抵抗で最高裁まで審理が持ち込まれるのは間違いないので、最終的な決定が出るまでかなり時間がかかるでしょう。それまで、「他人ひとの噂も四十九日」のこの国の世論が関心を持ち続けることができるかですが、今のメディアの様子から見てもほとんど期待はできないでしょう。下手すれば、姿かたちを変えて、再び(三度)ゾンビのように復活する可能性だってあるかもしれません。

旧統一教会の問題は、「信教の自由」や「政教分離」のあり方などを根本から問い直すいい機会だったのですが、結局、それらの問題も脇に追いやられたまま、まるで臭いものに蓋をするようにピリオドが打たれようとしているのです。

泥棒に縄をわせるやり方もそうですが、”鶴タブー”をそのままにして旧統一教会の問題を論じること自体、ものごとの本質から目を背けたその場凌ぎの誤魔化しでしかないのです。


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2022.12.11 Sun l 旧統一教会 l top ▲
岸田首相が、旧統一教会に対して、宗教法人法に基づく調査実施の検討に入ることを、17日(月)の国会の予算委員会で表明する、というニュースがありました。

朝日新聞デジタル
政府が旧統一教会の調査検討 法令違反の有無など、首相17日に表明

政府は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題をめぐり、宗教法人法に基づく調査実施の検討に入った。消費者庁の有識者検討会が近くまとめる提言に調査要求が盛り込まれる見通しであることを踏まえ、岸田文雄首相が17日に開かれる衆院予算委員会で表明する考えだ。必要があれば調査をするよう文部科学相に指示するとみられる。

政府関係者が15日、明らかにした。調査は、所轄庁が教団の業務や管理運営についての報告を求める。法令違反など解散命令の要件に該当するかどうかを調べ、結果次第では、教団の宗教法人格を剝奪(はくだつ)する解散命令の請求につながる可能性もある。
(上記記事より)


とは言え、この記事の後半に書いていますが、政府・与党の中では「解散請求」に慎重な声が大勢を占めているようです。その一方で、おざなりなアンケート以外何のアクションも起こさない岸田政権に対して、支持率低下というきびしい世論の声が突き付けられているのです。それで、記事にも書いているように、とりあえず「調査」を指示して世論の批判をかわそうという狙いもあるのかもしれません。「質問権の行使」という迂遠なやり方も、時間稼ぎをして世論が下火になるのを待つという姑息な計算がはたらいているのではないか、と思ったりもします。

ただ、逆に考えれば、いくら向こう3年間選挙がないとは言え、このまま旧統一教会の問題を嵐が去るまでやり過ごすことがさすがにできなくなってきた、そこまで追い詰められた、と言えないこともないのです。岸田首相は、2日前には「解散命令は難しい」と消極的な発言をしていたのです。まさに”急転直下”と言ってもいいような方針転換なのです。

たまたま今の政治に詳しい知人と会った際、この記事が話題にのぼったのですが、彼は、(具体的な発言の内容を待つ必要があるけど)総理大臣が国会でわざわざ表明するということは、国会答弁のノウハウから言えば、「解散命令の請求まで行く可能性がある」と言っていました。

支持率の低下だけでなく、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が、文科大臣と法務大臣に対して、解散命令の請求を行うよう申し入れたことや、消費者庁の有識者検討会も、全国弁連と同様な提言を予定しているなど、「解散命令の請求」という伝家の宝刀に対して、外堀が埋められつつあるのは間違いないようです。

消費者庁の検討会は週1回のペースで進められたそうですが、その会合におけるメンバーの菅野志桜里氏(弁護士・元衆院議員)らの発言を、朝日新聞が記事にまとめています。そこには、私たちが想像する以上に明確な方向性が示されているのでした。

朝日新聞デジタル
悪質宗教法人の根っこ、どう絶つ? 消極的な行政に「猛省促したい」

「税優遇のうまみを前提とした搾取のシステムを壊す必要がある。やはり宗教法人としての法人格を剝奪(はくだつ)することは大きな意味がある」(第3回・菅野氏)


「刑事だけでなく、民事も含めて個別の違法行為を組織的に繰り返す団体が、調査を受けて解散命令も受けるというルールが機能するよう提言が必要」(第2回・菅野氏)


「(民事裁判で)伝道、教化、献金要求行為などに組織的な違法が認められたものが積み上がっているし、そのほか明らかになっている数々の問題を直視すれば要件に該当すると考えるのが自然」「所轄庁において質問・報告徴収権を行使して、解散命令請求の判断に向けた調査を速やかに開始すべき」(第6回)


また、検討会の座長である河上正二東大名誉教授も、「非常に消極的な態度を示しているけれども、その姿勢には猛省を促したい」(同上)と文化庁の姿勢を批判し、メンバーの中央大の宮下修一教授も 「あるものをまず活用してダメだったら次に行こうという話になる時に、そもそも『活用しません』とか『やりません』という姿勢自体について私自身も座長と同じように猛省を求めたい。まずそこからスタートすべきだ」(同上)と、文化庁の(公務員特有の)事なかれ主義を批判しているのでした。

このブログを読んでもらえばわかりますが、私は、いくらでも拡大解釈が可能なフランスのような反カルト法ではなく、現行法で処分(解散命令=法人格を剥奪)する方が適切だと考えていますので、この方向性には賛成ですし期待したい気持があります。

もとより、教団があろうがなかろうが、法人格を持っていようが持ってなかろうが、個人に信仰の自由はあるのです。「信教の自由の観点から慎重でなければならない」という政府・自民党の主張は、旧統一教会との関係を絶つことができない彼らの詭弁にすぎないのです。

もちろん、これから旧統一教会から自民党に対する”ゆさぶり(脅し)”も激しさを増すでしょう。「安倍応援団」と言われ(る旧統一教会の走狗のような)メディアや文化人やコメンテーターたちの、「いつまで統一教会のことをやっているだ。他に大事なことがあるだろう」という大合唱もはじまるでしょう。

当然、自民党内の反発もあります。安倍元首相を「国賊」と呼んだ村上誠一郎衆院議員に対して、自民党の党紀委員会は、「極めて非礼で許しがたい」として1年間の党の役職停止処分を下すなど、旧統一教会との関係に蓋をする(言論封殺の)動きもはじまっています。党内で旧安倍派(清話会)が最大勢力であることには、いささかも変わりがないのです。

玉川徹氏の“失言”に対するバッシングも、その動きに連動したものと言えるでしょう。文字通り、彼は国葬と電通という二つの虎の尾を踏んだのです。それにつれ、旧統一教会と安倍元首相の関係を伝える報道も目立って少なくなってきました。

でも、安倍元首相が、「反日カルト」に「国を売ってきた」中心人物であり、「国賊」と呼ぶべき存在であることはまぎれもない事実なのです。「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を体現する人物であることは否定しようがないのです。

戦後の保守政治は虚妄だったのです。「愛国」も壮大なるウソだったのです。

そのことを言い続ける必要があるでしょう。メディアに”腰砕け”の兆候が見られるのが懸念材料ですが、そう言い続けることでもっと外堀を埋めなければならないのです。でないと、大山鳴動して鼠一匹になってしまうでしょう。


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2022.10.16 Sun l 旧統一教会 l top ▲
ジョーカー


国葬では、菅元首相の弔辞が参列者の涙を誘ったそうで、菅元首相は文才があると書いているメディアもありましたが、その前に、国葬と言っても、実際はイベント会社がとりしきる内閣のイベント(国が主催する「お別れの会」)であった、ということを忘れてはならないでしょう。小泉政権のシングルイシューの”郵政選挙”で知られるところとなりましたが、もはや政治と広告代理店は切っても切れない関係にあるのです。

また、ネットを見ていたら、「小林よしのり氏、安倍元首相国葬で2万人超訪問の一般献花に私見『統一教会の動員で十分集まる』」(日刊スポーツ)というニュースの見出しがありました。

それで、小林よしのり氏のブログを見たら、次のように書いていました。

YOSHINORI KOBAYASHI BLOG
献花2万人超は統一協会の動員で十分

秘書みなぼんが昨夜、こうメールしてきた。
「一般の献花に行列ができたことを、Hanada、WiLLはじめネトウヨは『これが日本人の本当の民意だ!』『国葬に半数以上が反対とか偏向報道だったんだ!』とか騒いでいて滑稽ですw こんな平日に献花で並ぶとか、統一協会の信者もかなり動員されてますよね」

確かに献花がたった2万人超なら、統一協会の動員で十分集まる。
統一協会の権力浸食問題は、そういう邪推や偏見を生んでも仕方がないということなんだ。
わしも統一協会が献花に来ないはずないと思っているがな。(略)


平日の昼間なのに、2万5889人(政府発表)の人たちが献花に訪れ、3時間も4時間も並んでいたのです。しかも、インタビューによれば、遠くからわざわざ訪れた人たちも結構いるのです。山梨から献花に訪れたと答えていた親子連れがいましたが、子どもは学校を休んで来たんだろうか、と思いました。

旧統一教会にとって、安倍(岸)一族は、教団の財政を支える「資金源」を与えてくれた大恩人です。それこそ足を向けて寝られないような存在です。

8月16日にソウルで開かれた、故文鮮明教祖の没後10年を記念するイベントでも、安倍晋三元首相を追悼する催しが行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって参加者が献花をしていました。昨日の国葬でも、多くの信者たちが行列に並んでいたとしても不思議ではないでしょう。

テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」で取り上げられた中に、合同結婚式でアフリカなどの奥地に嫁いだ日本人花嫁が多く含まれていたという話がありましたが、昨日の国葬でも、もしかしたら、献花の花束を持って並んでいた信者をインタビューして、「賛否両論あります」なんて言っていたのかもしれません。

国葬が終わった途端、二階俊博元幹事長が言っていたように、「終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」という方向に持って行こうとするかのような報道が目立つようになりました。その最たるものが、菅元首相の弔辞に対する本末転倒した絶賛報道です。今、問われているのは、安倍元首相の政治家としてのあり様なのです。クサい思い出話や弔辞の中に散りばめられた安っぽい美辞麗句や修辞なんかどうだっていいのです。弔辞は、当然ながら安倍元首相を美化するために書かれたものです。この当たり前すぎるくらい当たり前の事実から目を背けるために、弔辞に対する絶賛報道が行われているとしか思えません。

国葬では、安倍元首相のピアノ演奏や金言集のような演説の動画が流されていましたが、あれだって編集した誰かがいるのです。仮にゴーストライター(スピーチライター?)がいても、ゴーストライターがいるなんて言うわけがありません。こんな「名文」を貶めるなんて許さないぞという恫喝は、同時に「名文」が持ち上げる安倍の悪口を言うことは許さないぞ、という恫喝に連動していることを忘れてはならないのです。その心根は、旧統一教会のミヤネ屋に対する恫喝まがいのスラップ訴訟にあるものと同じで、Yahoo!ニュースや東スポやSmartFLASHや現代ビジネスやディリー新潮などのような品性下劣なメディアは、ネトウヨと一緒になってその恫喝にひと役買っているのです。

ここに至っても、文化庁の担当者は、「解散命令を請求するのは難しい」と言ってくれるし、そうやって安倍を庇うことで自分たちも庇ってくれるのですから、教団にとって日本はどこまでもアホでチョロい存在に見えるでしょう。

一方、上映を国葬当日にぶつけた『REVOLUTION +1』は、狙い通りかどうかわかりませんが、大きな話題になっています。ただ、2日間限定で上映されたのはあくまで編集前のラッシュなので、当然毀誉褒貶があります。だからこそ、否が応でも、劇場用に編集された本編に対する期待が高まってくるのでした。

そんな中、やはり上映会の会場に来ていた切通理作氏が、みずからのユーチューブチャンネルで、町山智浩氏と『REVOLUTION +1』について語っていたのを興味を持って観ました。

YouTube
切通理作のやはり言うしかない
切通理作/足立正生作品『REVOLUTION +1』を語る【特別ゲスト】町山智浩

動画では、いろんな角度から『REVOLUTION +1』が論じられていました。これだけ論じられるというのは、国葬にぶつけたという話題だけにとどまらず、足立正生監督の新作が出たこと自体が既に「事件」だったということなのでしょう。

編集前ということもあるのでしょうが、『REVOLUTION +1』が今までのシュールレアリスムの手法を使った足立作品に比べれば、非常にわかりやすかった、「敷居を低くしていた」と切通氏は言っていました。松田政男の「風景論」が生まれる端緒になった「略称・連続射殺魔」などに比べると、作品の前提になっている事件に予備知識がなくても理解できる作品になっているので、その分、カタルシスを得て「すぐ忘れる」懸念がある、というのはそのとおりかもしれません。家に帰ってもずっと考えなければ理解できないような作品こそ、いつまで心に残るのです。それがどう編集されどんな作品として完成されるのか、そういった楽しみもあるように思います。

私は町山智浩氏の話の中で、興味を持った箇所が2つありました。ひとつは、映画で主人公の父親が大学時代、学生運動家と麻雀仲間だったという設定になっているそうですが、それは監督のノスタルジーではなく、実話に基づいたものだと言うのです。

山上容疑者の父親は、1972年のテルアビブ空港乱射事件で自爆した赤軍派の活動家と京都大学の同級生で、顔見知りだったという話があるそうです。

もうひとつ、いちばん興味を持ったのは、山上容疑者が2019年に公開された映画「ジョーカー」を大変評価しており、Twitterで何度も「ジョーカー」について投稿しているという話です。

読売新聞の記事によれば、山上容疑者の「ジョーカー」に関する、ツイッターへの投稿は14回にも及んでいたそうです。

私は、「ジョーカー」を観たとき、真っ先に思い浮かべたのは永山則夫でした。(永山則夫は母親を殺してはいませんが)特に主人公のアーサーの母殺しは、永山と近いものがあるような気がしました。

アメリカで「ジョーカー」が公開される際、犯罪を誘発するのではないかと言われ、公開に難色を示す声もあったそうですが、結局、アメリカでは何も起きなかった。しかし、日本で起きた。町山氏は、そう言っていましたが、山上容疑者は、アーサーの絶望や、そこから来る哀しみや怒りに共感したのかもしれません。特に、母親殺しや同僚殺しに、自分を重ね合わせていたのかもしれません。それは衝撃的ですが、しかし、納得できる気もします。

名門の政治家の家に生まれたというだけで、周りからチヤホヤされ、小学校からエスカレート式で大学まで進み、漢字もろくに読めないのに総理大臣にまでなった安倍晋三に対して、頭脳明晰だったにも関わらず父親の自殺や母親の入信などがあって貧困の家庭に育ち、大学進学も叶わず、様々な資格を取得しても人間関係が原因で仕事が続かず、不遇の人生を歩むことになった山上容疑者は、黒澤明監督の「天国と地獄」を思わせるような対称的な存在です。

しかし、町山氏が言うように、それはたまたまにすぎないのです。「親ガチャ」にすぎないのです。安倍晋三と山上徹也が入れ替わることだってあり得たのです。

山上容疑者は、そんな自分の人生を、自己責任のひと言で一蹴するような社会の不条理に対して引き金を引いたのではないか、と想像することもできるように思います。
2022.09.28 Wed l 旧統一教会 l top ▲
元『週刊現代』編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに連載する下記の記事に、旧統一教会に関して「衝撃的」とも言えるようなことが書かれていました。それは、情報誌『エルネオス』(休刊)の2018年4月号で行われた、樋田毅氏との対談の中の話です。

PRESIDENT Online
だから「生ぬるい追及」しかできない…朝日新聞が認めない「統一教会側との談合」という信じがたい過去

一連の赤報隊事件の中で、朝日新聞阪神支局の記者2名が銃撃されたのは1987年5月3日ですが、当時、『朝日ジャーナル』は、霊感商法で多くの被害者を出している統一教会(当時)に対して、詐欺商法を糾弾するキャンペーンを行っていました。そのため、「社員のガキをひき殺す」という脅迫状が届いたり、朝日新聞に国際勝共連合の街宣車が押しかけたりしていたそうです。

樋田氏によれば、「朝日ジャーナル誌上で霊感商法批判の記事を書いた記者は、信者とみられる複数の男たちによって四六時中監視されていたし、娘さんが幼稚園に通う際、これらの男たちが付きまとうので、家族や知人が付き添っていた時期」もあったそうです。また、赤報隊事件の3日後には、東京本社に「とういつきょうかいのわるぐちをいうやつはみなごろしだ」という脅迫状が届き、その中には「使用済みの散弾容器二つが同封されていた」こともあったそうです。

朝日の大阪本社は赤報隊事件のあと専従取材班を組んで、事件の真相に迫るべく「地を這はうような取材」を行なうのですが(樋田氏はのちに専従取材班のキャップになる)、対談では次のような話が出て来ます。

【元木】  (略)襲撃事件の前に、対策部長と名乗る男が、「サタン側に立つ誰かを撃ったとしても許される」と、信者の前で言っていたとも書かれています。

統一教会は、当時、全国に二十六の系列銃砲店を持ち、射撃場も併設していた。樋田さんたちは、「勝共連合の中に秘密軍事部隊が存在していた」と話す信者にも会っていますね。

【樋田】  (略)秘密軍事部隊のほうは、脱会した元信者の紹介で、学生時代の仲間で、やはり脱会していた夫婦から、「三年前に脱会する直前まで秘密軍事部隊にいて、銃の射撃訓練も受けていた」と打ち明けていたというので会いましたが、朝日の記者と名乗って話を聞いていないので、当時は記事にできませんでした。


当時、旧統一教会が全国に銃砲店を持っていたとは驚きです。こんな宗教団体があるでしょうか。当時から旧統一教会の中に、ヨハネの黙示録に出てくる「鉄の杖」を「銃」と解釈する”裏教義”があったかもしれません。それが、今の七男が設立したサンクチュアリ教会に引き継がれているのではないか。

また、元木氏は次のようなことも書いていました。

  警察は新右翼の捜査は熱心にやってくれたようだが、統一教会への捜査は及び腰だったという。

  樋田氏はこうも話してくれた。

「明治大学の吉田忠雄教授から聞いた話ですが、元警察官僚で総理府総務副長官の経験もあった弘津恭輔氏が『勝共連合が少々むちゃをしても、共産党への対抗勢力だから許される』と発言したと聞いています」

  こういう警察側の姿勢が、統一教会を追い詰められなかった大きな要因ではなかったか、そうした疑問は残る。


ところが、さらに驚くべき話があります。記者たちが多くの脅迫や嫌がせにもめげず取材にかけまわっている中で、朝日新聞の上層部は統一教会との手打ちを模索し、事件から2年後の1988年に、統一教会と朝日新聞の幹部たちの間で実質的な「手打ち」をしていたことが判明したのでした。

統一教会と「内通」していたベテラン編集委員の仲介で、「広報担当の役員と東京本社編集局の局次長の二人が、世界日報の社長や編集局長らと会食」していたのです。会食は2回行われたそうです。

旧統一教会と政治、特に政権与党がズブズブの関係を築き、政治の深部まで旧統一教会に蚕食されたその傍らで、メディアや警察も、まるで政治に歩調を合わせるかのように、旧統一教会に対する姿勢をトーンダウンしていたのです。そうやって「保守」政治家たちが、「愛国」を隠れ蓑にして、「反日カルト」に「国を売っている」「日本終わった」現実が隠蔽されたのです。

にもかかわらず、今なお旧統一教会に対する批判に対して、政治と宗教は分けて考えるべきだ、信教の自由は尊重すべきだ、感情的になって解散を求めるのは極論だ、旧統一教会なんかよりもっと大事な政治案件がある、教団を「絶対悪」と見ること自体がカルト的思考だ、教団を叩くことは信仰二世の社会復帰を拒むことになる、などという声が出ているのでした。旧統一教会から見れば、そういったカルトの本質から目をそらした訳知り気な声は、願ってもない「利用価値のあるもの」と映るでしょう。実際に、そういった訳知り気な声は、「宗教弾圧」だと抗議する教団の論拠と多くの部分が重なっているのでした。どこまでトンマな「エバ国家」なんだろうと思います。

カルトである彼らは、バッシングが続いていても怯むことなどあり得ません。手を変え品を変え、いろんなダミー団体を使って活動を続けており、最近のキーワードは、「平和」「SDGs」「医療従事者支援」だそうです。自治体や公的な団体が後援しているからと言って油断はできないのです。

問題なのは、カルトが何たるかも考えずに、「リベラル」や「ヒューマニズム」の建前論を振りかざして、結果的にカルトに抜け道を与えているような人たちです。カルトはときに「リベラル」や「ヒューマニズム」を利用することもあるのです。そのことにあまりにも鈍感すぎるのです。

口幅ったい言い方をすれば、自分たちの自由を脅かす存在とどう向き合うか、自由を奪う存在にどこまで寛容であるべきか、旧統一教会をめぐる問題が、そういった「自由と寛容」という重いテーマを私たちに突き付けているのはたしかでしょう。

それは、私たち自身が、自分たちにとってカルトとは何かを問うことなのです。そのためには、まずカルトを知ることでしょう。その上で、自分たちの自由のリスクも勘案しながら、国家に対して「解散命令」なりを要求することなのです。

あの足立正生監督が、山上徹也容疑者を描いた映画を、国葬の日の公開に合わせて突貫工事で撮っているというニュースがありましたが、映画を撮ろうと思った動機について、「この事件は事件として扱われて、半年ぐらい1年ぐらいで忘れられる可能性すらある」ので、「そういったことにしちゃいけないと思った」からだと言っていました。また、「俺は山上徹也の映画を撮る。徹底的に山上のフォローに回る。公開は断固国葬の日にやる。これが俺の国家に対するリベンジだ」とも語っていたそうです。その言やよしと思いました。

足立正生監督が言うように、30年前のように大山鳴動して鼠一匹で終わらせてはならないのです。今また、当時と同じように、信教の自由や感情論を方便に、元の鞘に収めようとする言説が出始めているように思えてなりません。あまり騒ぐと信者や信仰二世が孤立して戻って来る場所がなくなるという、その手の言説は別に目新しいものではないのです。

じゃあ、ほとんど叩かれることがなかったこの30年の間に、信仰二世は孤立することなく社会に戻って来ることができたのか、と言いたいのです。どうして、山上徹也のような人物が出て来たのか、出て来ざるを得なかったのか。「リベラル」や「ヒューマニズム」の建前論をかざして事足りとするような人たちは、その根本のところをまったく見てないような気がしてなりません。

旧統一教会に関しては、信仰二世の問題だけではありません。政治との関係もあります。それらを貫くカルトの問題があります。「リベラル」や「ヒューマニズム」の身も蓋もない建前論でカルトに抜け道を与えた挙句、「統一教会はもう飽きた」「いつまで統一教会の話をしているんだ?」となったら元も子もないのです。それでは結局、信仰二世の問題も現状のまま置き去りにされることになりかねないでしょう。

カルトの規制に関して、フランスの「反カルト法」がよく引き合いに出されていますが、フランス在住のジャーナリストの広岡裕児氏が、『紙の爆弾』10月号で「反セクト法」について書いていました。

「反カルト法」は信教の自由を侵す危険性があるという主張がありますが、それについて、広岡氏は、フランスの「反セクト法」=「アブー・ピカール法」は、(カルトを)「精神操作(マインドコントロール)とそれを使う危険な団体と定義」しているにすぎず、「宗教とは関係ない」と書いていました。

  統一教会問題の本質は精神操作(マインドコントロール)である。ところが、宗教学者たちはいまでも宗教団体における精神操作(マインドコントロール)を認めていない。これを認めると、宗教には自由意思で入るという彼らの学問の基礎が崩れてしまうからだ。
  日本で四十年来議論が進まず統一教会が跋扈している責任の一端は宗教学者にある。
  いま提起されている統一教会と政治の関係は、「宗教(団体)」と政治の関係ではなく、「重大または繰り返しの圧力、またはその人の判断を変質させるのに適した技術の結果心理的または肉体的な服従の状態を創造し利用する団体」と政治の関係なのだ。
  宗教問題ではないから宗教団体の規制とは無縁である。既成宗教は何の心配もいらない。本質をみきわめて犠牲者を減らすことを考えるべきだ。
(『紙の爆弾』10月号・広岡裕児「『反カルト法』とは何か」)


現在、「フランスでは統一教会はなきに等しくなった」そうです。「でも、それは『反カルト法』で解散させられたからではない。法的根拠ができたために、追及を逃れようとさまざまなセクト的団体は、活動を穏健化させ、金銭的要求などもおさえている」からだそうです。つまり、法律の抑止効果のためなのです。

しかし、私は、カルトを宗教団体に限定せずに、「精神操作(マインドコントロール)とそれを使う危険な団体」と対象を団体一般に広げたことで、民主主義にとってはリスクが大きすぎるように思いました。そう考えると、個人的には、やはり現行法(宗教法人法)で対処するのが適切なように思います。

鈴木エイト氏によれば、今、教団がいちばん怖れているのが「解散命令」だそうですが、消費センターへの接触も、被害届(被害の拡大)を窓口で防ぐという狙いがあるのは明白です。それくらい教団も必死なのです。

「自身が信仰を望まない場合でも宗教活動を強制させられる」、いわゆる「宗教虐待」を受けている「統一教会の祝福2世」の方が、change.orgで、宗教虐待防止のための法律制定を求めるネット署名を立ち上げています。

change.org
【統一教会・人権侵害】宗教虐待防止のための法律制定を求めます。#宗教2世を助けてください #宗教2世に信教の自由を

その中で、「提言」と「問題の概要」について、次のように書かれていました。

【提言】
子供の基本的人権(信教の自由・幸福追求権など)を守るために必要な法律の整備をお願いします。
①虐待の定義に「宗教虐待」の概念を追加
②子供に対する宗教虐待の禁止、刑事罰化
③他者に対して宗教虐待を行うように指導する行為を厳罰化

【問題の概要】
多くの日本の宗教信者の子供(宗教2世)は「自身が信仰を望まない場合でも宗教活動を強制させられる」という問題を抱えています。(以後「宗教虐待」と呼びます。)

これは、宗教組織が存続するために、資金源・労働力となる信者が抜け出せない様な『歪んだ教義』を作り上げている事が大きな原因です。宗教組織が、更なる信者確保のために真っ先に狙うのは信者の子供です。宗教組織(特に新興宗教)が信者の子供を狙うのは常套手段なのです。

しかし、この問題は『非常にセンシティブな家庭内の問題』として日本社会は介入しません。蹂躙され続ける宗教2世の存在を、2世自身が独力のみで家族を捨てて脱会することの厳しさを日本社会は十分に認知せず、問題が存在しないものとして扱われてきました。日本の立法機関や行政機関による「家庭内の問題や宗教活動に対して強く干渉しない姿勢」がこれらの被害を増大させてきました。

宗教2世には、日本国憲法の定める『基本的人権』がありません。日本社会はこの人権蹂躙を許してはいけないと私は強く確信しています。これは宗教組織が仕組んだ『虐待』の問題なのです。

日本では信教の自由が認められているからこそ宗教組織は活動できる。一方その結果、信者の子供たちの人権が侵されています。


社会保障にしても、日本では「世帯」が基本です。まず家庭(家族)による自助努力が前提なのです。行政による援助はその先にしかありません。それは、カルトの問題も同じです。それが日本を「カルト天国」にした所以なのでしょう。

これを読むと、救済のための法整備とともに、教団の活動を規制する必要があるということがよくわかります。専門家の話では、マインドコントロールから脱するには、まず教団との連絡を絶つことが大事だそうです。信仰二世の問題の前には子どもを信仰に縛り付ける親の問題もありますが、いづれにしても本腰で彼らを救済しようと思えば、「解散命令」なりで教団の活動を規制することが前提なのです。そして、教団から引き剥がして、徐々にマインドコントロールを解くことから始めるしかないように思います。

なのに、それがどうして感情論に走るのは危険だとか、信仰二世を孤立させ苦しめるという話になるのか、私には理解できません。そういった主張は、30年前と同じ”元の木阿弥論”のようにしか聞こえないのです。「宗教虐待」を受ける子どもを親と教団に縛り付ける、非情な主張のようにしか思えないのです。もし、そういった”元の木阿弥論”の背景に、自民党と連立を組む公明党=創価学会の意向や忖度が存在しているとしたら、問題はもっと深刻だと言えるでしょう。

カルトは、信教の自由とは別の次元の話です。それを橋下徹や太田光のように、バカのひとつ覚えのように信教の自由で解釈しようとすると、あのようなトンチンカンな醜態を晒してしまうことになるのです。

30年前と同じ愚を繰り返してはならないのです。

※タイトルを変更しました。(9/12)
2022.09.09 Fri l 旧統一教会 l top ▲
Newsweek913.jpg


『Newsweek』(9・13号)で、ノンフィクションライターの石戸諭氏が、「統一教会を『絶対悪』と見るべきか」というタイトルの記事を書いていました。

石戸氏も、教団と政治の関係は実はあまりたいしたものではなく、ただ、教団が自分たちを大きく見せるために誇大に宣伝しているだけだ、「信用保証」に使っていただけだ、と書いていました。教団が叩かれているけど、「政治との距離や信者の実態は正確には知られていない」と言うのです。

そして、石戸氏は、「カルト信者の脱会支援」を行っている瓜生崇氏の次のような言葉を紹介していました。

「(略)宗教が政治に訴えるのは自由です。教会が『反社会的』だから政治に関わってはダメだという主張もある。でも、伝統宗教だって寄付やお布施の問題はあるし、統一教会も69年以降は霊感商法もかなり減っている。今、違法な行為に手を染めていない信者はどうなりますか? 暴力団と同じ扱いにするなら信仰を理由に銀行口座開設も許されなくなる」
特定の宗教を法人としてつぶしたところで、信者の信仰は続く。だが、届け出も登録もなくなってしまった宗教は地下に潜ってしまい、問題を起こしたとしても責任を取る主体すら明らかでなくなる。過激な言葉で統一教会を批判する人々は、どこまで考えているのかと瓜生は思う。


仮に教団に「解散命令」が下されても、瓜生氏が言うように「信仰を理由に銀行口座開設も許されなくなる」ということはありません。宗教法人法と、いわゆる暴対法や全国の自治体で施行されている暴力団排除条例を混同すること自体メチャクチャです。

瓜生氏は、私も信仰する浄土真宗大谷派の僧侶だそうですが、旧統一教会の問題を考えるのに、憲法20条の「政教分離」の問題にもまったく触れていません。それも驚きでした。それどころか、宗教が政治に接近するのは自由だとさえ言うのでした。

石戸氏は、記事の最後に、「〈自分たちは絶対善の正しい存在、相手は絶対悪〉という思考こそがカルト的な思考なのです。社会がそれにとらわれてはいけない」という瓜生氏の言葉を紹介していましたが、悪人正機を説教したにしても、あまりにも粗雑な現状認識と言わざるを得ません。日本はカルトに「鈍感」だと言われていますが、もっと「鈍感」になれと言っているようなものです。これでは、旧統一教会を擁護するのかと抗議されでも仕方ないでしょう。

私も前に仕事の関係で、旧統一教会とは別のカルト宗教の二世信者の若者とつきあいがありましたが、私の経験から言っても、彼らが社会に適応するのは至難の業だと思います。

もちろん、同じ信仰二世でも濃淡があり、信仰にどっぷり浸かっている人間と信仰と距離を取っている人間がいると思いますが、瓜生氏や石戸氏が取り上げているのはどうも後者のようです。でも、実際にそういった例は少ないのではないか。

山上徹也容疑者のように、カルトに狂った親の元に生まれ、信仰とは別に、半ばネグレクトのような扱いを受けて育てられた子ども対しては、援助の仕組みを設けて社会が受け入れる体制を作ることは必要だと思います。

ただ、一方で、カルトの家に生まれ、親とともにマインドコントロール下に置かれて信仰を余儀なくされた子どもが信仰から離れるのは、傍で考えるほど簡単なことではないと思います。たとえはよくないかもしれませんが、虐待の世代連鎖というのがあるように、育った環境はときに理不尽でむごいものでもあるのです。昔、親がよく「血は汚い」と言っていましたが、親と子の関係は傍で考えるほど簡単ではないのです。

あまり過剰に教団を叩くと、二世信者たちが社会から孤立して益々行き場がなくなると言いますが、しかし、孤立するも何も彼らは最初から社会に背を向けているのです。そういった前提も考えずに安易な「ヒューマニズム」で救済の手を差し伸べるだけなら、前も書いたように、逆にカルトに利用されるのがオチでしょう。

実際に、教団が全国の消費者センターに接触しはじめているとして、全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)が注意を喚起したという報道がありました。

毎日新聞
「旧統一教会が消費生活センターに接触」 全国弁連が注意喚起

  全国弁連によると、8月下旬以降、名古屋市や大阪府、広島県などにある、少なくとも全国8カ所の消費生活センターに、旧統一教会の地元教会から来訪や電話で「(教団に関する)相談には誠実に対応するので、連絡してほしい」という趣旨の申し出があったという。全国弁連は1日、消費者庁所管の独立行政法人「国民生活センター」に、こうした申し出に応じないよう全国の消費生活センターへの周知徹底を求めた。


カルトはどんなことでもするのです。だからカルトなのです。これを差別だと言われたら言葉もありませんが、カルトの本質を軽視してはならないのです。

テレビに出て来る信仰二世を見ると、ごぐ普通のどこにでもいる若者が親の信仰で悩んでいるように見えますが、マインドコントロールされてない若者の方が取材に応じるという事情も考慮に入れる必要があるでしょう。哀しいかな、子どもは親を選べないのです。カルトに狂った(はまった)親に育てられた子どもが、社会になじめないのはある意味で当然なのです。まずそういった共通認識を持つことが大事でしょう。

信者やその子どもたちを「被害者」として捉えて救済の手を差し伸べ、社会が温かく迎えるというのはとてもいいことですが、しかし、そのやり方は教団には通用しないと思った方がいいでしょう。たとえば、一時山上徹也容疑者の母親を引き受けていた弁護士の伯父さん(母親の義兄))などは、それをいちばん痛感しているはずです。

東洋経済 ONLINE ※追記(9/10)
山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」
統一教会からの「返金終了」が山上家貧窮の決定打

やはり、為すべきことは教団の活動に対する規制です。「解散命令」も視野に入れた規制が必要なのです。それが信仰二世の問題なども含めた、旧統一教会をめぐる問題の解決策だと思います。大前提と言っていいのでしょう。

石戸氏は、政治との距離は「正確には知られていない」と書いていますが、それはジャーナリストとしてあまりにも怠慢と言わざるを得ません。というか、知ろうとしてないのではないか。これほど明白な現実が目の前に突き付けられているのです。しかも、よりによってそれは、政権与党と韓国のカルト宗教の関係なのです。憲法改正やLGBTや夫婦別姓や女性天皇などに関して、自民党「保守」派と旧統一教会の主張が、どうしてあんなに似通っているのか。あるいは国際勝共連合設立の経緯などを考えれば、政治との距離が「正確には知られていない」などとはとても言えないはずです。

石戸氏は、「統一教会を批判する側にも、相手の実像を見極めるより深い思考が必要になる」と書いていましたが、何をか況やと思いました。

旧統一教会を「絶対悪」だと決めつけて感情的にバッシングすると、益々信者やその二世の子どもたちの社会的な孤立を招くと言うのは、何だか話を別の方向に持って行こうとしているように思えてなりません。教団に対する批判に、あえて冷水を浴びせるようなもの言いには、やはり反論せざるを得ないのです。

旧統一教会をめぐる問題にはいろんな側面がありますが、バッシングしているのは、旧統一教会と政治(主に政権与党)との関係であり、赤報隊事件に関する疑惑や、今なお続いている教団に批判的なジャーナリストや弁護士に対する脅迫や嫌がらせに見られるような、カルト特有の狂暴な反共団体という側面に対してです。何故、公安調査庁が内密に監視していたのか。公安警察が強制捜査の準備をしていたのか。権力でさえ危険視していた教団の体質を考えないわけにはいかないでしょう。それらが「政治の力」で潰された現実を無視して、旧統一教会は言われるほど危険ではなかったと断じるのは、詭弁と言わざるを得ません。

名称変更の問題でも、文化庁宗務課長として関わってきた前川喜平氏の「当時の下村文部科学大臣の意思が働いていたことは間違いない」(野党のヒヤリングでの証言)という発言については、「証拠がない」水掛け論だとして一蹴する一方で、何故か石戸氏の取材を受けた下村博文氏の「(旧統一教会と手を)切っていい」という発言を取り上げて、教団も高齢化して集票マシーンとしては力がなくなったので「簡単に『切る』と言えた」のだろう、と書いているのでした。何だか下村氏の言い分をただ垂れ流しているだけのような感じで、下村氏の発言をそう「簡単に」信用していいのか、と思わざるを得ませんでした。

旧統一教会はただの、、、宗教団体ではないのです。問題の所在は、旧統一教会がカルトであるということなのです。石戸氏の記事は、どう見ても、橋下徹や古市憲寿や太田光や、あるいはパックンと同じように、その肝心な点が捨象され”宗教一般”として論じ問題を矮小化するものでしかありません。どうしてこんな牽強付会な記事を書いたのか、首を捻らざるを得ません。

ここにも、大山鳴動して鼠一匹に収斂しようとする言説があるように思えてならないのでした。
2022.09.07 Wed l 旧統一教会 l top ▲
安倍銃撃事件からやがて2ヶ月が経とうとしています。事件をきっかけに、「30年の空白」を経て再び旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題がメディアに取り上げられるようになったのですが、この問題に対する言説にも微妙に変化が出てきたような気がします。私なりに解釈すると、それは三つに分類できるように思います。

一つ目は、橋下徹や古市憲寿や太田光や田崎史郎らが言う、旧統一教会と言えども「信仰の自由」は認められるべきだ、という意見です。要するに、旧統一教会の宗教と政治活動の顔を分けて考えるべきだと言いたいのだと思いますが、そもそもカルトというのは、宗教活動と政治活動を分けられるような性格のものではありません。だからカルトなのです。そういったカルトに対する認識が欠落したお粗末な言説、いうか屁理屈と言わざるを得ません。

彼らの屁理屈は、韓国で世界平和統一家庭連合の信者たちが、日本の報道に対して抗議デモをした際に掲げていた、「宗教弾圧をやめろ!」「信仰の自由を尊重しろ!」というスローガンとまったく同じです。このようなカルトが何たるかも考えない単細胞な屁理屈こそカルトの思う壺(!)と言えるでしょう。

橋下徹は、旧統一教会の宗教的な部分まで規制するのは、憲法第20条の「信教の自由」に反すると言ってましたが、それを言うなら、まず後段の「政教分離の原則」を問題にすべきでしょう。ちなみに、憲法第20条は次のように謳われています。

1  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


公明党の石井啓一幹事長は、4日の「NHK日曜討論」で、宗教法人への寄付について、「重要なのは、本人の自由意思で行われたかどうか。自発的な意思で行われたかどうかということが重要だ」と述べたそうですが、問題はそういったところにあるのではなく、その先の心理学等を駆使した現代の宗教的帰依、つまり洗脳(マインドコントロール)にあるのです。旧統一教会の信者たちだって、縛られたり殴られたりして強奪されているわけではないのです。創価学会の信者たちと同じように、自発的に献金しているのです。だから、問題があるのです。石井幹事長の発言は、天に唾する”苦しい弁解”のようにしか聞こえません。それより、今回の問題をきっかけに、自民党と公明党=創価学会の関係も含めて、政治と宗教の問題を根本から問い直すべきなのです。

朝日新聞デジタル
公明・石井幹事長「自由意思を妨げるような寄付の勧誘は対策を」

二つ目は、細野豪志やパックンや安倍応援団だった右派文化人たちに見られるような、旧統一教会の問題にいつまで関わっているんだ、もっと大事な政治案件があるはずだ、という意見です。でも、今回の問題で、憲法改正や夫婦別姓やLGBTや外交防衛など、国の根幹に関わる「大事な政治案件」が、韓国のカルト宗教の主張をそのままトレースしたものにすぎなかったことがわかったのです。日本はそんな国だったのです。

日本の政治の深部まで「反日カルト」に蚕食され、安倍元首相に代表される日本の「保守」政治家たちが、「愛国」を隠れ蓑に「反日カルト」に「国を売っていた」のです。旧統一教会の問題は、とてもじゃないけど、「いつまで関わっているんだ」というような、そんな軽い問題ではないのです。それこそ徹底的に究明しなければならない、「日本終わった」ような問題なのです。細野豪志やパックンらの言説は、そんな世も末のような深刻な問題に蓋をしようとする、きわめて反動的で悪質な詭弁としか言いようがありません。パックンはハーバード大出身がウリで、ニュース番組のコメンテーターなどにも起用されていましたが、何だかここにきて馬脚を露わした気がします。

三つ目は、一部のジャーナリストたちに見られますが、旧統一教会と政治との関わりについて、実態はそれほどでもなく、教団が自分たちを大きく見せるためにオーバーに言っているにすぎない、という意見です。それどころか、古参信者の中には、韓国の本部と手を切り日本の支部が”独立”して、純粋な宗教団体として出直すべきだという声もある、と”怪情報”を披瀝するジャーナリストもいます。

古参信者というのが、ポリタスTVの中で樋田毅氏が話していた人物と同じなのかどうかわかりませんが、たしかに、文鮮明教祖が亡くなったことで教団の求心力が落ちたところに、遺族の間で跡目争いが勃発して、教祖の家庭が教団名とは真逆にバラバラになったので、嫌気が差したというのは考えられなくもありません。しかし、相手はどんなウソでも平気で言うカルトなのです。だからと言って、宗教的な帰依がなくなったり、憲法改正して日本を「神の国」にするとか、「エバ国」と「アダム国」を自由に往来できるように日韓トンネルを掘るとかいった、文鮮明の”御託宣”から自由になっているわけではないのです。仮に今の体制に嫌気が差しているとしたら、むしろ逆に、かつての生学連(生長の家学生会全国総連合)のように、原理主義に回帰してより過激になっていくということも考えられます。彼らは、文鮮明の悲願を達成するために、長い時間をかけて、日本の政治の奥深くにまで触手を伸ばしてきたのです。その”持続する志”は、今のようなバッシングで萎えるような、そんなヤワなものでは決してないでしょう。

あれだけ共産主義を悪魔の思想のように言っておきながら、ある日突然、(日本からふんだくった)2千億円とも言われる持参金を持って北朝鮮を訪問して、金日成と”義兄弟”の契りを結ぶという、天地がひっくり返るような出来事があったにもかかわらず、彼らの文鮮明に対する帰依心はゆるがなかったのです。なのに今になって、霊感商法を反省して宗教の原点に帰るみたいに言うのは、眉に唾して聞く必要があるでしょう。

どんな手段を使ってでも目的を達するというのがカルトです。そのためにはどんな風にも装うしどんなことでも言います。私は、むしろ、カルトを過小評価し軽視することの怖さを覚えてなりません。

霊感商法や多額の寄付などの被害者(信者)を救済する必要があるという声を受けて、政府が今日から電話相談窓口を開設するそうです(ただし今月末までの期間限定)。また、河野太郎消費者担当大臣もさっそく得意のパフォーマンスで、消費者庁に「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」の設置を命じたそうですが、その実効性はともかく、もしかしたら、被害者救済にも教団がダミーを使って介入してくる可能性さえあるのではないかと思ったりもするのです。カルトはなんでもありなのです。

それにしても、急に電話相談をはじめるなど白々しいにもほどがあります。じゃあ、安倍銃撃事件がなかったら何もしなかったのか。今まで通り知らぬ存ぜぬを決め込んで、「反日カルト」との蜜月を送っていたのかと言いたくなります。

山上容疑者の行為を美化するのかと言う声もありますが、事件後の流れを見ると美化したくなる人間の気持もわからないでもありません。山上容疑者の犯行があったからこそ、このように旧統一教会の問題が表に出て、政府も相談窓口を設置したのです。言論の自由と言いながら、それまで(30年間)メディアは何も報道しなかったのです。言論の自由は絵に描いた餅にすぎなかったのです。民主主義が機能していなかったから、テロが義挙として美化されることになるのです。

先日、本村健太郎弁護士が日テレの「情報ライブミネヤ」で、次のように発言していたそうです。

ディリーニュース
本村弁護士、旧統一教会「布教活動が違法と司法判断」解散申し立てないのは「怠慢」

  宗教法人法第81条(解散命令)の条文には「著しく公共の福祉を害すると認められる場合」「宗教団体の目的を著しく逸脱した場合」とあり、本村氏は「これには十分、すでに該当しているはずなんです」と説明。「文化庁、行政の怠慢だと思います。文部科学大臣が権限を行使して早急に、あるいはとっくの昔に裁判所に統一教会の解散命令申し立てをするべきだったんです」と切った。

  本村氏は2001年の札幌地裁が統一教会の布教活動の違法性を認定した判決を下しており、最高裁まで争われたが、確定判決となっていることも説明。「すでに裁判所は統一教会のやっている布教活動そのものが違法であるという司法判断が下っているんです。最高裁で確定しているんです。にもかかわらず行政、あるいは政治家の方がやれることをやっていないだけなんですね」と“怠慢”をあらためて強調した。
(上記ディリニュースの記事より)


まさにこれが旧統一教会をめぐる問題の肝で、私たちがめざすべき終着点だと言っていいでしょう。でなけば、元も子もないのです。それこそ大山鳴動して鼠一匹で終わるだけです。

一方で、まだカルト認定してないうちに、感情だけで「解散命令」に走るのは危険だ、という意見がありますが、だったら、カルト認定って誰がするのですか?と問いたいのです。裁判官が異端審問官のように、「はい、これはカルトです」と認定するのか。本村氏が言うように、既に「布教活動の違法性を認定した判決」が最高裁で確定しているのです。現に信者本人だけでなく”信仰二世”の問題も出ているのです。

「自由の敵に自由を許すな」という言葉がありますが、「自由の敵だとまだ認定されないので、自由の敵にも自由を認める」と言ったら、自分の自由は守れないでしょう。旧統一教会がいつも衝いてくるのはそこなのです。その一方で、教団を批判するジャーナリストなどに、あれだけの脅迫や嫌がらせを行ってきたのです。今も批判的なメディアに対する抗議はすさまじいものがあると言われています。

ウクライナがヨーロッパにおける重要な拠点なので、ロシア侵攻の前から、国際勝共連合がアゾフ連帯を支援していたという話があります。と言うと、ロシアを利する陰謀論だと言われるのがオチですが、カルトとネオナチは親和性が高いということを忘れてはならないのです。

教団は、一連の報道に対して、宗教弾圧だ、集団ヒステリーだ、魔女狩りだと言っています。そういった教団の常套句と、まだカルト認定されてないとか、感情に走っているとかいったわけ知り気の口吻は、見事なほど共鳴しているのでした。それは、オウム真理教の坂本弁護士一家殺害事件などでも見られた言説でした。中にはカルト認定できるような新しい法律を作ればいい、と主張する声もありますが、その方がはるかに危険でしょう。もっとも、テレビで感情に走っているとか言っている弁護士は、旧統一教会の問題とはもっとも遠いところにいるようなタレント弁護士ばかりです。

このようにいろんな言説が出ていますが、その多くは問題のすり替えにすぎません。そうやってものごとの本質が隠蔽されていくのです。私には、早くも腰砕けに終わりそうな兆候のようにしか見えません。でも、旧統一教会の問題を”ありふれた話”として終わらせてはならないのです。大手新聞のようなオブスキャランティズムに回収させてはならないのです。

4日の「NHK日曜討論」では、自民党の茂木幹事長が、自民党と旧統一教会の関係を指摘されると、「共産党は左翼的な過激団体と関係があると言われてきた」と発言して物議をかもしていますが、それなども旧統一教会から吹きこまれたトンデモ話ではないのかと思ってしまいました。日本共産党と「左翼的な過激団体」が不倶戴天の間柄で、「反革命」「トロッキスト」と罵り合っているのは常識中の常識です。政権与党の幹事長がそんな初歩的なことも知らないのかと唖然としました。それこそ立憲民主党を「極左」と呼ぶネトウヨと同じレベルの話で、公安調査庁の報告書も読んだことがないのかと思いました。

旧統一教会の彼らは今もなお、丹沢の山ヒルのように日本の政治の深部に張りついたまま、じっと息を潜んで嵐がすぎるのを待っているのです。自民党が調査したと言っても、ただアンケート用紙を配っただけです。ここに至っても自民党が、どうしてそんな子どもだましのようなやり方で切り抜けようとしているのかと言えば、旧統一教会と手を切ることができないことを彼らがいちばんよくわかっているからでしょう。

本村弁護士が言う「怠慢」も、政治との蜜月と連動しているのは間違いないでしょう。オウム真理教は政権与党とつながりがなかったので「解散命令」が下されたけど、旧統一教会は政権与党と親密な関係にあるので「解散命令」が下されることはない、という見方はまったく的外れとは言えない気がします。そこに日本の問題があるのです。旧統一教会をめぐる問題は、戦後史の闇と言っても言いすぎではないのです。そういった背景も考える必要があるでしょう。

立憲民主党などの野党も、何故かその「怠慢」を指摘していませんし、宗教法人法による「解散命令」を視野に入れた主張もしていません。できもしない新しい法律で対処するようなことを言うだけです。まして、野党の中にも「鶴タブー」が存在するのか、「政教分離」の問題は俎上にすらのぼってないのです。
2022.09.05 Mon l 旧統一教会 l top ▲
前の記事の続きになりますが、「熊本岸田会」の会長の崇城大学の中山峰男学長が、旧統一教会の関連団体の「日韓トンネル推進熊本県民会議」の議長を11年間務めていた件について、有田芳生氏が次のようにツイートしていました。


何のことはない、旧統一教会との関係は父親の代から続いていたのです。にもかかわらず、「知らなかった」、今回初めて旧統一教会だと知って「ショックだった」と言っているのです。それは、父親が笹川良一の運転手?をしていて、しかも、今も住之江競艇場の電気関係のメンテナンスを請け負う仕事をやっているにもかかわらず、「勝共連合、はじめて知った」と言った松井一郎大阪市長とよく似ています。

岸田首相にも、このように親の代から「反日カルト」と深い関係にある筋金入りの人物が、後援会の会長を務めていたのです。そういったことと、安倍国葬を早々と決めたことはホントに関係がないのか。旧統一教会とのつながりは、他にもあるのではないかと思ってしまいます。

自民党は、今日開いた役員会で、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)やその関連団体とは、今後一切関係を持たないことを党の基本方針にすると決定したそうです。また、茂木幹事長は、記者会見で、「今後、関係を絶てない議員については『同じ党で活動できない』と述べ、離党すべきとの考えを示し」(Yahoo!ニュースより)たそうですが、この前まで「知らなかった」と答えろと指示していたのはどこの誰か? と言いたくなります。開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

何故かメディアも報じていませんが、今もなお多くの自民党議員の事務所には、旧統一教会から「若くてきれいで頭のいい」女性秘書が派遣されていると言われています。議員たちは党員集めがノルマになっていましたので、自民党員になっている信者も多いはずです。そうやって政治家たちはカルトに弱みを握られていくのです。茂木幹事長の考えが方便でなければ、100人以上の議員に引導を渡してもおかしくないのです。

それにしても、このふざけた光景は何なんだと思わざるを得ません。議員たちの言い訳は、もはやギャグ大会みたいになっているのでした。中でも「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」のモノマネタレントと名前も顔も似ている(?)山本朋広議員の言い訳は傑作でした。彼は、韓鶴子総裁を「マザームーン」と呼んだとして批判を浴びたのですが、自身は「韓鶴子」を「かんつるこ」だと思っていたのだとか。でも、会場に行ったら『かんつるこ』と呼ぶ人は誰もおらず、みんなハンとか何とか韓国語で呼んでいる。それで、「名前を言い間違えるのは大変失礼になるので悩んでいたところ、関係者が教えてくれたのが『マザームーン』」だったと言うのです。私は、その記事を読んで吹き出してしまいました。

自民党は旧統一教会と手を切ることなど絶対にできないのです。何度も言うように、自由民主党という政党が解体されない限り、それは無理な話です。

山上徹也容疑者の2発の銃弾によって、私たちの前にさらけ出されたのは、日本を食い物にする「反日カルト」の活動に、政権与党が便宜をはかってきたという文字通り「日本終わった」実態です。そんな関係が1950年代から連綿と続いてきたのです。

でも、その背景にあるものを考えないと、この「愛国」の名のもとに行われた「売国」の本質に行き当たることはできないし、自民党は手を切れないという言葉の意味を理解することもできないでしょう。そこにあるのは、今なお続いている東アジアの冷戦構造とそれに伴うアメリカの反共政策です。前も書きましたが、のちの中東におけるイスラム国やタリバンなどと同じように、旧統一教会は宗教の枠を越えて、アメリカやKICIAに庇護されてきたのです。

一方で、保守合同で誕生した自民党に課せられたのも、対米従属と反共です。岸信介の手引きによって、まるでアメリカの反共政策の伝道師のように(そう装って)日本にやって来た旧統一教会に、日本の政権与党が蚕食されたのは当然の成り行きだったと言っていいかもしれません。その「売国」路線を受け継いだ本家の三代目が、来月、”国家の英雄”のように数十億円の税金を使って盛大に送られるのです。

国葬について、岸田首相は、今日の病み上がりの記者会見で、次のように述べたそうです。

朝日新聞デジタル
岸田首相、国会で安倍氏の国葬を説明へ 「批判、真摯に受け止める」

(略)安倍晋三元首相の国葬に対する批判について「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」と述べた。その上で、首相自身が早急にテレビ中継される国会審議に出席し、質疑に答える場を設けるよう自民党の茂木敏充幹事長らに指示したことを明らかにした。


何かの雑誌に書いていましたが、官僚が官邸に報告書だかを持って行くと、前任の菅義偉首相が2・3行にまとめて持って来いとメチャクチャなことを言うのに対して、岸田首相はどんなに長い報告書でも最後まで丹念に読んでくれるそうです。でも、それだけ。そのあと何の指示もないのだと。「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」という言葉もただ聞いておくだけ、聞き流すだけという意味なのでしょう。

話は戻りますが、茂木幹事長の「離党」発言は大ぼらもいいところで、そうやって”本気度”を見せ国民をはぐらかせておけば、そのうち時間が経てば忘れるとタカを括っているのでしょう。それもいつものことです。

もし手を切れないなら離党して貰うと本気で思っているのなら、ましてや旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が、それほどの(離党を促すほどの)いわくのある教団だとホントに思っているのなら、まず党としてやるべきことは、宗教法人法に則り「解散命令」を求める方針を打ち出すことでしょう。それをしないで、手を切れないなら離党して貰うなどと大見栄を切るのは、本末転倒した大ぼら、白々しい目くらましとしか言いようがありません。

これからは、私はこうして旧統一教会と手を切りましたというギャグ大会がはじまるのでしょう。


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追記: (9/1)

早速、昨日(31日)、自民党の井上義行参院議員が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「賛同会員」をやめたというコメントを発表しました。併せて、党の方針に従って、関連団体を含めて、教団と一切の関係を断つと明言したのでした。

でも、有田芳生氏によれば、そもそも「賛助会員」なんていう制度はなく、井上議員のために「つくられたもの」だそうです。

井上義行参院議員は、参院選の決起集会で、応援演説に立った教団関係者が「井上先生は、もうすでに食口シック(信者)になりました」と演説しているシーンがテレビで放送され有名になりましたが、これは潜入取材をしていたジャーナリストの横田一氏によって撮影されたものです。それで、慌てた教団が井上議員と話し合い、信者ではなく「賛助会員」ということにしたそうです。

井上議員に関しては、先の集会とは別に、さいたま市で教団内部の「神日本第1地区」の出発式が催されたこともわかっています。もちろん、そもそも存在しない「賛助会員」を退会したというのはギャグでしかありません。これもまた、教団お得意の”偽装工作”の疑いは拭えないのです。

井上議員は、安倍晋三元首相が副官房長官だった頃からの秘書官で、総理大臣になったあとも内閣総理大臣秘書官を務めていました。今回の参院選は2期目ですが、前回はみんなの党(解党)の比例区からの出馬でした。しかし、今回自民党から”鞍替え出馬”するに際して、次のような証言がありました。

朝日新聞デジタル
旧統一教会側の支援受けた自民・宮島氏 陣営幹部「教団の力すごい」

前回の2016年の参院選で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から支援を受けた自民党の前参院議員の宮島喜文氏は、今回、教団から支援を受けられなくなり出馬を断念したのでした。理由は、井上義行議員の出馬です。

  宮島氏らによると、昨年11月、安倍氏が自民党の最大派閥・清和会(安倍派)の会長に就くと、宮島氏は政界を引退していた伊達忠一・元参院議長から、参院選に向け安倍氏と面会するよう指示されたという。

  年が明けてほどなくして安倍氏との面会が実現した。宮島氏は「態勢はある程度、整いました。ただ、ちょっと厳しいんです」と伝え、平和連合の支援を念頭に「前回と同じように応援票を回していただけませんか」と頼んだ。これに対し、安倍氏は「もう少し頑張らないと」などと、はっきりした考えを示さなかったという。

  その後も平和連合からの支援は決まらず、宮島氏は3月中旬にも安倍氏のもとを訪れた。すると安倍氏に「前回みたいな応援は難しい。6年間国会議員をやってきたのだから、自分で頑張れないか」などと告げられたという。

  宮島氏は、参院選には安倍氏の元首相秘書官の井上義行氏(59)が立候補を予定しており、支援組織に困っているとの情報を耳にしていた。安倍氏は、井上氏に平和連合の支援を割り振るのではないかとも感じた。宮島氏らは平和連合の支援は事実上、井上氏に一本化されたと受け止めた。


この証言は、安倍元首相が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を差配しており、少なくとも清和会内部ではそれが衆知の事実だったことを示していると言っていいでしょう。

尚、記事によれば、前回の選挙で当選したあと、宮島氏は、教団から「静岡県熱海市の温泉旅館で1泊2日の『研修』を求められた」のだとか。研修では、「教団の友好団体である政治組織『国際勝共連合』の歴史や、岸信介元首相とのつながりも聞いた。岸氏の孫である安倍晋三元首相が登場するビデオを見せられ、『安倍さんは我々の目標とする反共を理解してくれている』との話もあった。昼や夜は平和連合の幹部らと『豪華な食事』をともにした」そうです。
2022.08.31 Wed l 旧統一教会 l top ▲
津田大介氏が主催するYouTubeの「ポリタスTV」で、『君は早稲田で死んだ』(文藝春秋)の著者の樋田毅氏とジャーナリストの青木理氏をゲストに迎えた下記の番組を観ました。

ポリタスTV
『彼は早稲田で死んだ』と統一教会 ゲスト:樋田毅・青木理
https://www.youtube.com/watch?v=MDxYXmc1Z4o

樋田毅氏は、朝日新聞の記者時代、阪神支局に勤務していたそうです。1987年に赤報隊事件が起きたときは大阪社会部に配属されていたのですが、事件の翌日、阪神支局に派遣され、不審者情報などを聞き込むチームに入り、また、のちに大阪社会部で編成された専従取材班のキャップも務めたそうです。

樋田氏は、その体験をもとに2018年に岩波書店から『記者襲撃   赤報隊事件30年目の真実』という本を出しています。今回、旧統一教会の問題が再び取り沙汰されるようになったので、私も『記者襲撃』を読みたいと思ったのですが、考えることはみんな同じみたいで、どこも在庫切れでした。

『彼は早稲田で死んだ』は、私も下の「関連記事」に感想文を書いていますが、1972年に、早稲田大学で中核派のスパイと間違われた「川口大三郎君」が、当時、早稲田を暴力的に支配していた革マル派にリンチされ殺害された事件を扱った本です。

「川口君」は、文学部2年のとき、中核派系の集会に参加したことから、中核派のオルグの対象になりました。しかし、中核派に入る意志がなかったので、友人を介して同派と話し合い、中核派と距離を置いたのでした。にもかかわらず、その矢先、構内を歩いていた「川口君」は革マル派の活動家に拉致され、一文(第一文学部)の自治会室に監禁されて、リンチの末殺害されるのでした。

『彼は早稲田で死んだ』は、その事件を発端に誕生した新しい一文の自治会の委員長として、非暴力を貫いて革マル派と対峙し、みずからも革マル派に襲撃され大けがを負うという過酷な体験を通して、当時大学を覆っていた異常な空気を描いています。ところが、番組の中で、『彼は早稲田で死んだ』と赤報隊事件を扱った『記者襲撃』はつながっており、「川口事件」にも旧統一教会が絡んでいたという裏話が飛び出したのでした。

私もこのブログで書きましたが、有田芳生氏が、先日、94年頃だったかにオウムの次は旧統一教会だとして、公安警察を中心に強制捜査に着手する準備をしていたけど、結局、「政治の力」でとん挫したとテレビで発言して話題になりました。樋田毅氏も、同じ話を朝日の社内で聞いて小躍りしたそうです。でも、待てど暮らせど捜査は始まらなかったと。また、当時、共同通信で公安担当の記者だった青木理氏も、やはり、同じ情報を入手していたと言ってました。

もし強制捜査に入っていたら、日本の政治の風景もずいぶん変わったものになっていたでしょう。

公安の強制捜査を阻止した「政治の力」とは何なのか。誰なのか。自民党は旧統一教会との関係を絶対に切れないと言われるのは何故なのか。そこにあるのは、”戦後史の闇”と言ってもいいものです。選挙の手伝いをして貰ったとか、イベントに祝電を打ったとか、新聞や雑誌のインタビューを受けたとかいうのは枝葉の問題にすぎません。

樋田氏によれば、最初に旧統一教会が絡んできたのは、事件から1年後だそうです。『彼は早稲田で死んだ』でもチラッと触れられていますが、早稲田の原理研(原理研究会)の活動家(つまり信者)たちが、早稲田を暴力のない大学にするためと称して、「川口記念セミナーハウス」を造ることを提唱し運動を始めたのでした。そして、「川口君」のお母さんもその主旨に賛同して、お見舞金として大学から貰った600万円を寄付しました。また、当時の村井資長総長夫妻も、「革マル寄り」と言われた周辺の教授たちの薦めもあって、同氏が別荘用地として伊豆に持っていた土地を無償提供しました。残りの建設費は全国から寄付を集めて計画が実行されました。ところが、いざ完成してみたらセミナーハウスは宗教施設として登記されていたそうです。何のことはない、セミナーハウスがいつの間にか旧統一教会の宗教施設に化けていたのです。如何にも旧統一教会らしいやり方ですが、当然ながら訴訟沙汰になったそうです(のちに和解した)。

もうひとつは、樋田氏が、昨年(2021年)の11月8日の「川口君」の命日に、『彼は早稲田で死んだ』が出版されたのでその報告も兼ねて伊豆のお墓にお参りに行ったときのことです。ちょうど50回忌にあたるため、本堂では、亡くなったお母さんに代わり実のお姉さん夫婦が施主で法要が営まれていたそうです。それで、お姉さんに挨拶したあと、お墓で待っていると、5~6人の男女と一緒にお姉さんがやって来ました。ところが、一緒にやって来た人間たちから挨拶された樋田氏はびっくりします。中に取材したことのある旧知の人物がいたからです。何と彼らは当時の早稲田の原理研のメンバーだったのです。もちろん、「川口君」のお母さんやお姉さんは信者ではありません。

旧統一教会は、50年近くずっと「川口君」の遺族と接触をつづけていたのです。実は、ジャーナリスト志願だった「川口君」は、1年のときに、早稲田学生新聞に一時席を置き早慶戦の記事などを書いています。しかし、そのあと、修練会に参加させられた「川口君」は、早稲田学生新聞が旧統一教会(原理研)の関連団体であったことを知り、びっくりしてすぐにやめています。でも、彼らは、早稲田学生新聞にいたことを根拠に、「川口君」が信者だったと主張しているのでした。そして、「川口」君は、早稲田の原罪(つまり共産主義の汚染)の身代わりになって死んだのだとして、同じように人類の罪を背負って磔刑になったイエス・キリストの化身のように祭り上げていたのでした。

ある古参信者は、樋田氏の取材に対して、教団は赤報隊事件に関与してないと断言できるけど、ただ末端の信者で個人的に暴走した人間がいたかどうかまではわからない(その可能性を否定することはできない)と語ったそうです。一方で当時、教団が、自衛隊員をターゲットに勧誘活動を行ったり、教団内部で「特殊部隊」を組織して訓練していたことがあきらかになっています。

私は、その古参信者の発言はもしかしたら樋田氏に対する”警告”の意味も含んでいたんじゃないかと思いました。前の記事で書いたように、そうやって暴力をチラつかせる脅しの手口は旧統一教会が得意とするもので、ヤクザのそれとよく似ているのです。組織はやらないけど、もしかしたら一部の跳ね上がりが勝手にやるかもしれないというような言い方は、相手に恐怖を与える彼らの常套手段です。実際に旧統一教会を取材していたジャーナリストたちは、個人的に様々な脅しや嫌がらせを受けていたと証言しています。

ちなみに、樋田氏に赤報隊の話をした古参信者は、日韓トンネル研究会の会長を務め、2009年から2017年までは日韓トンネルを推進する国際ハイウェイ財団の理事長(その前は事務局長)を務めていたそうです。と、この話は、先日、週刊文春が伝えた、岸田首相の熊本の後援会の会長である崇城大学の中山峰男学長が、旧統一教会の関連団体の「日韓トンネル推進熊本県民会議」の議長を務めていた話と重なるのでした。

中山学長は、「日韓トンネル推進熊本県民会議」が設立された2011年から報道後辞任するまで議長を務めていたのですが、記者会見では、旧統一教会の関連団体だとは知らなかった、「ショックだった」と言ってました。でも、地元の人間には、それが旧統一教会のプロジェクト(と言っても、実際は1口5万円の金集めの口実)だというのは周知の事実で、2016年には韓鶴子総裁が直々に現地を訪れているのです。その際、現地で出迎えたのかどうか知りませんが、中山学長のおとぼけは教育者としてあるまじき、というか恥ずべき詭弁と言わねばならないでしょう。

樋田氏によれば、国際ハイウェイ財団の理事長を務めた古参信者はもと民青(日本民主青年同盟)の同盟員で、共産党員だった有田芳生氏のお父さんの選挙運動も手伝ったことがあるそうです。信者の中には、元革マル派だったという理論派の信者もいたということでした。

旧統一教会と言うと、カルトにとりつかれた真面目だけど浅学無能で愚鈍な信者たちのようなイメージを抱きがちですが、でも、一方で、「頭のいい人間が多い」「文鮮明の教義を彼らなりに解釈してより深化させている」「いくらか醒めたような信者の方がオルガナイザーとして優れているし怖い」という声があります。偏差値の高い大学で熱心にリクルートしているので当然と言えば当然ですが、そんな彼らにとって、ろくに漢字も読めない自民党の議員を篭絡するのは、それこそ赤子の手を捻るくらい簡単なことでしょう。

青木理氏が言うように、右派学生運動を主導した旧生長の家の学生信者たち(生学連)が中心になって作った日本会議ともども、原理研のOBたちも、フロント団体を通じて自民党清和会と親密な関係を築き、憲政史上最長の安倍政権を陰で支えていたのです。そうやって政権の中に深く入り込み、日本の政治に関与してきたのです。そこにあるのは、新左翼との死闘を生きぬいてきた彼らの”持続する志”です。

日本会議(生学連)にしても、旧統一教会(原理研)にしても、60年代後半の”叛乱の季節”の残党とも言うべき彼らが、50年経った今なお、政権与党の周辺に蝟集し国の政治に関与していたというのは、考えてみれば凄い話です。中心メンバーは既に70代半ばなのです。あと10年もすれば彼らの多くは、彼らが言う「霊界」の住人になるでしょうが、それにしても、まるでゾンビのような彼らの”持続する志”には驚嘆するしかありません。

彼らの「神の国をつくる」という”祭政一致”の思想は、たとえば、高市某や杉田某や城内某のような安倍元首相に近い政治家たちに、とりわけ多大な影響を与えてきました。でも、旧統一教会の問題が噴出したことで、そんな政治家たちが信奉する、日本を戦前のようなまるでタリバンが支配するような国に戻すといったウルトラ「保守」思想が、何のことはない韓国のカルト思想をトレースした「エバ国家」の”自虐思想”にすぎなかったことがあきらかになったのでした。「愛国」と「売国」があべこべ(おやじギャグ?)だったのです。

どうして韓国のカルト宗教が日本の憲法改正を主張するのか。それを不思議に思わない方がおかしいのです。私が、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共」といった言葉は失効したとしつこく言うのも、それゆえです。究極の目的のためには、ヌエのようにどんな姿にも、どんな主張にも変えることができるというカルト特有の戦略を理解しないと、見えるものも見えなくなるでしょう。

憲法改正して日本を「誇りの持てる国」にすることや、ジェンダーフリーやLGBTや夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」ことを彼らは主張していますが、その先には、「エバ国家」の日本を「アダムの国」の韓国に永遠に奉仕する国にするという目的があります。本来の目的は、そうやって日本を「浄化」することなのです。そもそもLGBTにしても、それが旧統一教会の復帰摂理(復帰原理)=血代交換の教理と真っ向から対立する性的指向なので反対しているだけであって、「日本の伝統的な家庭を守る」ためというのは単に日本の「保守」を懐柔するための方便にすぎないのです。そんなこともわからないのかと思います。

「エバ国家」と「アダムの国」の主張にしても、荒唐無稽な話のように思われるかもしれませんが、でも、霊感商法や身ぐるみはがされるような献金などを見れば、理解できない話ではないはずです。もとより、カルトは荒唐無稽なものでしょう。具体的な金額は不明ですが、今まであきらかになった金額から推定しても、兆に喃々なんなんとするような莫大なお金がむしり取られ、韓国に送金されたのは間違いないでしょう。

私たち国民に、日の丸に頭を下げろ、君が代を歌え、愛国心を持てと説教して、君が代斉唱の際に椅子から立たなかった教師を懲戒免職にしたような(胸にブルーリボンのバッチを付けた)「愛国」政治家やその追随者たちが、その陰では、彼ら流の言い方をすれば「反日カルト」に「国を売っていた」のです。「エバ国家」を「アダムの国」に奉仕させる活動にお墨付きを与え、便宜をはかってきたのです。その中心人物が「日本の誇り」だなどと言われ、来月、まるでどこかの国の独裁者と同じように「国をあげて」送られるのです。

ここにきて、「24時間テレビ」に旧統一教会のフロント団体がボランティアとして協力していたことを教団がリークしてざわついていますが、それも先の「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文に沿った彼らの反撃であるのはあきらかです。

フジは論外としても、NHKともども旧統一教会の報道に及び腰と言われてきたテレビ朝日が、教団の施設に「初潜入取材」などと言って、施設内で撮影した嫌がらせの被害を訴える信者のインタビューを流していましたが、それは教団の意に沿ったテレビ局だから許可が出ただけです。一方で、教団の意に沿わないメディアに対しては、日テレのように、これから”過去の癒着”がリークされゆさぶりをかけて来るでしょう。そういったメディアに対する選別&”脅し”にも、拍車がかかるのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら元も子もないのです。

何度もくり返しますが、自民党が旧統一教会と手を切るなどできるわけがないのです。自由民主党という政党が解体されない限り、関係を絶つことはできないでしょう。


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2022.08.26 Fri l 旧統一教会 l top ▲
カルト宗教には、カルトとしての、というか、カルトであるがゆえの”もうひとつの顔”があります。そこには、「法難」などというみずからを合理化する便利な言葉もあります。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)も例外ではないのです。

私たちは、旧統一教会の”もうひとつの顔”を見逃してはならないのです。そのためには、オーバーだと思われるかもしれませんが、「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる「セックスリレー」を信仰の柱にする”セックス教団”をここまでゾンビにした、その歴史的背景も含めて考える必要があるのです。

自民党は絶対に旧統一教会と手を切ることはできないと言われるのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”と深くかかわっているからです。単に選挙を手伝ってもらったからというような単純な話ではないのです。

自民党は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかないのでしょう。その意味では、岸田首相の感染も恰好の時間稼ぎになったのかもしれません。

余談ですが、岸田首相の感染に対して、「何やってんだお前」「夏休みで遊んでたからじゃね」「マジでギャグみたいなヤツだな」「遊びまくってコロナにかかるw うけるw」というのがどうして「心ない言葉」なのか。オミクロンとは言え、今は未曽有の感染状況下にあり、医療も逼迫して入院することもままならない状態です。神奈川県の病床使用率も、89%まで上昇し入院はまず無理だと言われています。感染しても軽症だという保障はないのです。コロナに限りませんが、もし入院しなければならなくなったらどうすればいいんだろう、と不安にならざるを得ません。

そんな中、夏休みだといって、マスクもせずにゴルフだ伊豆旅行だと遊び呆けた末に感染したのです。彼はそこいらの無知蒙昧な下級国民ではなく、内閣総理大臣なのです。あまりにもお粗末で、危機意識がなさすぎると言わねばなりません。

岸田首相は、”ウィズコロナ”の幻想に憑りつかれて感染防止策を放棄し、バカのひとつ覚えのように社会経済活動を維持するというお題目を唱えるばかりでした。しかも、行動制限を撤廃する方針を打ち出したことによって、コロナは風邪と同じという間違ったメッセージを衆愚に発信したのでした。その挙句、自分が感染したのです。私も「マジでギャグみたいなヤツだな」と思いました。

閑話休題それはさておき、自民党の萩生田光一政調会長が、今後旧統一教会と「二度と関係は築かないのか?」と記者に問われて、「適切な対応をしていきたい」と曖昧に答え、関係を絶つと明言しなかったのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”を怖れているからではないかと思ったりもするのでした。

萩生田光一氏は、八王子市議時代から旧統一教会の施設に出入りしていたと言われていますが、2009年の総選挙で落選した際、教団は信者たちに向かって、「萩生田さんを政界に戻すことが神様の計画」だと言ってハッパをかけていたそうです。また、TBSの「報道特集」によれば、萩生田氏自身も、”浪人”中は頻繁に施設を訪れ、壇上に向かって左側にある文鮮明教祖と韓鶴子夫人の写真に深々と敬礼して登壇し、「私(萩生田氏)もご父母様の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう。一緒に日本を神様の国にしましょう」と挨拶していたそうです。そんな人間が旧統一教会と手を切るなんて、間違っても言えるわけがないでしょう。

1986年に『朝日ジャーナル』が旧統一教会の「霊感商法追及キャンペーン」を行った際、それを担当した元朝日新聞記者の藤森研氏は、みずからが体験したカルトの”もうひとつの顔”を下記の記事で語っていました。

AERA dot.
旧統一教会「霊感商法」を本格追及した朝日ジャーナル名物記者への非道な抗議と嫌がらせ電話の「中身」

少しでも批判的な報道をすると抗議が殺到するのは、カルトではよくある話ですが、それで効果がないとわかると、今度は「記者本人や家族を標的にするようになった」そうです。

自宅の近くに停められたワンボックスカーの中に、「屈強な若者が何人か乗っていて」ずっとこちらを監視するようになったのだとか。さらには、自宅に嫌がらせ電話がかかるようになり、それは「1日100本以上」にものぼったそうです。

  最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。

  「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」

  ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。

  「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」


そんな中、1987年から1990年にかけて朝日新聞を標的にした「赤報隊事件」が立て続けに発生し、1987年の阪神支局襲撃事件では、記者2人が散弾銃で撃たれて殺傷されたのでした。当然、旧統一教会も捜査線上にのぼりますが、やがてリストから消えていったのです。

また、最近、有田芳生氏の証言で話題になりましたが、オウム真理教の事件のあと、警視庁公安部を中心に次のターゲットは統一教会だとして準備が進められていたのですが、「政治の力」によってとん挫したそうです。

8月21日に旧統一教会が各メディアに送った「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文は、何だか衣の下から鎧が覗いたような文面で、旧統一教会の”もうひとつの顔”がチラついているような気がしてなりません。

この抗議文にも示されているように、一旦関係を持つとそれをネタに脅されて手が切れなくなるという、ヤクザ顔負けの手口も旧統一教会の得意とするものです。”空白の30年”と言われた中でも、『やや日刊カルト新聞』の鈴木エイト氏らフリーのジャーリストたちは、抗議や脅しにめげず取材を続けてきたのです。彼らの地道な取材があったからこそ、ここまで報道が広がることができたのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら旧統一教会の思う壺(!)でしょう。

国際勝共連合については、当初からいろんな”闇”が指摘されていました。その中には、猪野健治氏の著作などに詳しく書かれていますが、「任侠右翼」と呼ばれるヤクザ組織との関係を指摘する声もありました。岸信介は、そんな闇の組織の力も使って、60年安保の大きなうねりを抑え込もうとしたのです。

でも、考えてみれば、60年安保は本来右翼民族派のテーマであってもおかしくないのです。というか、本来はそうあるべきでしょう。これこそ対米従属を国是とするこの国の、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する光景なのです。そんな中で、岸の手引きで隣国からやって来たカルト宗教に、この国の政治は蝕まれていくのでした。

岸と旧統一教会の関係については、たとえば、次のような話もあります。

1984年に、文鮮明教祖が、アメリカにて脱税容疑で逮捕・拘束された際、岸信介が「日本国元総理」として、時のレーガン大統領に、次のような文氏釈放を求める「嘆願書」を送ったそうです。

300万人近い人々の宗教指導者で国際的にも認められている人物が、このような状況下で米国の刑務所に投獄されていることは私たちにとって非常に気がかりです。大統領閣下、私たちは「宗教の自由」および「言論の自由」を保障した米国憲法修正第一条に基づいて、閣下が直ちに過ちを是正する行動を取るようお勧めするものであります。文師を引続き投獄しておくことは、国家にとっても何ら利益になりません。私たちは閣下がこの問題に注意を向けてくださるようお願いするものであります。

※『紙の爆弾』9月号・「創価学会と岸・安倍家」(大山友樹)より。


300万人近い人々の宗教指導者? 思わず笑ってしまいましたが、岸信介はホントにそう信じていたのでしょうか。

それにしても、これを読んで情けないと思わない日本人はいるのか、と言いたくなるような文面です。これがこの国の「愛国」(者)なのです。そして、こんなお爺ちゃんを尊敬し、その路線を継承した孫が「日本の誇り」と言われていたのです。来月には2億円だか3億円だか税金を使って、国をあげてお別れの会が催されるのです。

前の記事でも書きましたが、旧統一教会は韓国で戦後に生まれた教団であるがゆえに、そこには東アジアの冷戦構造におけるアメリカの反共戦略が色濃く投影されているのでした。時系列で表すとそれがよくわかります。

1945年 ポツダム宣言を受諾(終戦)
1948年 南北朝鮮分裂
1949年 中華人民共和国建国
1950年 朝鮮戦争開戦
1953年 朝鮮戦争休戦
1954年 統一教会設立
1955年 保守合同により自由民主党誕生
1956年 統一教会日本進出
1957年 岸内閣成立
1960年 60年安保(日米安保約反対運動)
1960年 岸内閣退陣
1961年 軍事クーデターにより朴正煕(日本名・高木正雄)が国家再建最高会議議長に就任
1963年 朴正煕大統領に就任
1964年 統一教会宗教法人認可取得
1967年 国際勝共連合韓国で設立
1968年 同日本支部設立
1970年 70年安保(日米安保条約改定反対運動)
1979年 朴正煕暗殺

旧統一教会の設立からほどなく、文鮮明教祖は南北朝鮮分断を目の当たりにして、国際勝共連合の前身となる「勝共運動」をはじめています(ところが、1991年に文鮮明教祖は北朝鮮を訪問して、当時の金日成主席と”義兄弟”の契りを結んだのでした)。そして、朴正煕政権の成立以後はKCIAの庇護を受けるようになります。このように、旧統一教会は、設立当初から”政教一致”と言ってもいいほど、非常に政治色の濃い教団だったのです。

アメリカはのちの中東政策で、 毒には毒をもって制すの論理でイスラム原理主義組織を育成し、現在のイスラム国やタリバンのようなゾンビを生むことになったのですが、それは東アジアにおいても同じでした。中国や北朝鮮や旧ソ連に対抗して、反共組織を育成し利用しようとしたのです。日本における保守合同=自由民主党の誕生も、その脈絡で捉えるべきです。ほどなく岸信介を仲介に、自民党と旧統一教会の蜜月がはじまったのは自然の摂理(!)と呼んでいいかもしれません。

このように日本の戦後のナショナリズムは、最初から対米従属を前提としなければならなかったのです。フジサンケイグループが掲げる、”対米従属「愛国」主義”とも言うべき奇妙奇天烈なナショナリズムがまかり通るようになったのもそれゆえです。でも、それは「愛国」でも何でもないのです。日章旗を振りながら「アメリカバンザイ」と叫んでいるだけです。

「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”も、日本の戦後を覆った”「愛国」という病理”も、アメリカの反共政策が強いた宿命とも言うべきものです。それが旧統一教会の問題の根幹にあるものです。

何度もくり返しますが、「保守」なるものは虚妄だったのです。最初からそんなものはなかったのです。今回の旧統一教会の問題によって(山上容疑者が放った2発の銃弾によって)、それが白日のもとに晒されたのです。

自民党の「保守」政治家たちは、そんな「アメリカ世」の中で、国民には「愛国」を説きながら、その裏では、岸信介に乞われ、韓国から日帝の植民地支配の”記憶”を背負ってやって来た旧統一教会と密着して(旧統一教会の言うままに)「国を売ってきた」のです。

それは、政界だけでなく、右派学生運動においても同じでした。60年代後半の旧生長の家の学生信者を中心とした右派学生運動と原理研の野合が、時を経て、日本会議や神社本庁と韓国のキリスト教系のカルトである旧統一教会が政治的主張を共有する(もっとはっきり言えば、旧統一教会の影響下にある)ような、今日の「常識では考えられない」関係にまで至っているのでした。

自民党が、旧統一教会やその亜流と手を切ることなど絶対にないでしょう。その証拠に、大手メディアがどうして報道しないのか不思議でなりませんが、今でも多くの若くてきれいで優秀な女性信者たちが、議員会館の自民党議員の事務所に秘書として派遣されています。自民党にすれば、「だったら今までの関係を全部バラすぞ、それでもいいのか?」と脅されたら元も子もないでしょう。旧統一教会を敵に回すなどできっこないのです。
2022.08.22 Mon l 旧統一教会 l top ▲
先の参院選東京選挙区で当選した自民党の生稲晃子参院議員と萩生田光一自民党政調会長(当時は経済産業大臣)が、公示直前の6月に、萩生田政調会長の地元である八王子の旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の施設を訪問したことに関して、昨日、それぞれが党本部で取材に応じました。

生稲議員は、訪問先が旧統一教会の施設だと知ったのは最近で、岸田首相の指示を受けて調べた結果そうだとわかり、訪問時にはどんな施設かもわからなかった、と言っていました。

五十すぎのいい歳した大人が、それも国政選挙に立候補しようという人間が、たまたま街頭で声をかけられただけで、どんな施設かもわからずに言われるままに訪問したと言うのです。では、施設に入るときに表札も見なかったのか、訪問先の人間と挨拶を交わすこともなかったのか、名刺交換もしなかったのか、とアホみたいなことを考えてしまいました。だとしたら、そんな(空っぽではないけれど)三歳児並みの知能しか持ってないような人間が、国民の代表として国会で法律を作るというのは、とてもじゃないけどあな恐ろしやと言うしかありません。すぐに辞めて貰うのが世のため人のためでしょう。

でも、彼女は619,792票を得て当選したまぎれもない選良なのです。その身分は、私たちのような下級国民と違って最大限に保障されており、現実には自分で辞めない限り、その身分が剥奪されることはほぼありません。

にもかかわらず、事前に打ち合わせをしていたのか、記者たちの質問は通りいっぺんのもので、生稲議員の言い分をただ聞くだけのような感じでした。その場で突っ込んだ質問をするのではなく、あとで報道する際にチクリと論評するだけです。それもいつものことです。

生稲議員から6時間後、取材に応じた萩生田政調会長の発言は、さらに輪をかけてひどいものでした。萩生田氏は現在、政権与党の政策・立案をまとめ、その方針を決める政務調査会の会長です。そんな重責にある人物が口から出まかせのいい加減な発言に終始しているのを見るにつけ、唖然とするとともに世も末のような気持さえ持ちました。

訪問先の施設でのイベントを主催していた「世界平和女性連合」について、「(施設でのイベントを主催した)団体と統一教会の名称は非常に似ていますが、あえて触れなかったというのが正直なところだ」(下記朝日の記事より)と言ってました。しかし、萩生田氏の資金管理団体が2012年から2019年まで毎年「世界平和女性連合」に会費を支出していたことがわかっています。「世界平和女性連合」がどんな組織かもわからず毎年会費を払っていたのでしょうか。

まして、萩生田氏は、2019年9月の安倍内閣から2021年10月の菅内閣まで、宗教法人を所管する文化庁を外局に持つ文部科学大臣を務めていたのです。「世界平和女性連合」と「世界平和統一家庭連合」の関係も知らずに文部科学大臣の任にあったとしたら、それは驚くべきことです。また、後述するように、旧統一教会に問題があるのは過去の話で現在は問題があるとは認識していなかったと発言しているのでした。それも文部科学大臣として驚くべきことと言わねばなりません。

朝日新聞デジタル
萩生田氏「思いが足りなかったと反省」 旧統一教会の関連施設訪問

話は元に戻りますが、教団について、萩生田氏は、「かつての社会的な問題については、今そういうことはないという認識をしていた」「安倍総理が殺害され、山上容疑者の発言から、教会がクローズアップされ、いまだいろんなことで苦しんでいる方がいらっしゃる。少し思いが足りなかったと反省をしている」(同)と言ったそうです。また、選挙についても、「私からお願いをしたこともない」「もしかしたら、ご支援いただいている方の中にそういう方がいらっしゃったっていうことは否定できないかもしれないが、私はわかりません」(同)としらばっくれたのでした。動画も観ましたが、生稲議員のときと同じように記者たちの突っ込みもなく、白々しい空気が流れるばかりでした。

そもそもこの教団施設訪問の話も、自民党本部でお行儀よく聞いていた大手メディアの記者がスクープしたものではないのです。発端になったのは週刊新潮の記事です。大手メディアの記者たちはそれに便乗しているだけです。ジャーナリストして恥ずかしくないのか、と思いました。

萩生田政調会長に関しては、1990年代の霊感商法がもっとも活発だった頃から旧統一教会の施設に出入りしていたという指摘もあります。実際に八王子の旧統一教会の信者たちの間では、萩生田政調会長は「家族も同様」という声もあるそうです。

政治家たちがこのような弁明を平然と行う背景には、彼らの中に有権者を見下す”愚民思想”があるのは間違いないでしょう。適当にその場しのぎの弁明をしておけば、あとは時間が経てばメディアも有権者も忘れるとタカを括っているからでしょう。今回の問題も、下手すれば大山鳴動してネズミ一匹で終わる可能性もなきにしもあらずです。あきらかに腰の引けた記者たちのヘタレな姿が、それを暗示しているような気がしてなりません。

萩生田氏が、安倍政権になって頭角を表し、「最側近」「腰巾着」と言われるまでに安倍元首相から重用されたのも、「家族も同様」と言われるくらい旧統一教会と深い関係にあったことが無関係ではないように思います。萩生田氏は、若い頃から喧嘩っ早く、右派的な思想の持ち主だったようですが、だからこそ、、、、、御多分に漏れず旧統一教会と懇ろになったと言っていいかもしれません。彼にもまた、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”が投映されているように思えてなりません。

安倍元首相の秘書官であった井上義行参院議員の選挙集会における、あの熱狂的な旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の支援に見られるように、安倍元首相と旧統一教会は、他の議員とはレベルの違う特別な関係にあったのです。安倍元首相が旧統一教会の組織票の配分まで行っていたという証言がありましたが、そうやって安倍元首相は日本の政治のど真ん中に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)を招き入れたのです。

1997年から門前払いされていた名称変更問題が、2015年の安倍政権下で変更が認められたという話がありますが、それだけでなく、公安調査庁の報告書「内外情勢の回顧と展望」の中で、2005年と2006年分で触れられていた「特異集団」という項目が、2007年に安倍政権になった途端、削除されたという話も出て来ました。報告書で具体的な名前が伏せられた「特異集団」について、立憲民主党の辻元清美参院議員が名前をあきらかにするように質問主意書を提出したのですが、それに対して政府が「特異集団」は旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のことであるという答弁書を閣議決定したことで、俄かに削除の件が注目されはじめたのでした。

『月刊Will』(ワック)は、9月号で「安倍総理ありがとう」という「追悼特集号」を組んでおり、その中で、桜井よし子氏は、「安倍元総理は日本の誇り」と題して、次のように書いていました。

日本の歴史を振り返れば、日本は心優しくも雄々しい文化と価値観を築いてきた。素晴らしい国なのだから、もっと自信を持っていい。世界は日本にもっと活躍してほしいと期待している――。安倍総理は大きな 世界戦略を描きながら、日本の国家としての誇らしさを説いたのです。


でも、実際は、日本を「エバ国家」と呼び、日本人を「サタン」と呼んで、「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと説き、それどころか日王(日本の天皇)を教祖の前に膝まづかせるとまで言った韓国のカルト宗教と三代にわたって深い関係にあったのです。イベントでは教祖を賛美するメッセージを送り、選挙のときはみずからが旧統一教会の組織票の配分を決めていたのです。さらには、上記のような便宜もはかってきたのです。それをどう考えるかでしょう。それでも「日本の誇り」と言えるのか。

ともあれ、東京オリンピックのときもそうでしたが、すべては時間が経てば忘れるという確信が政治家たちにあるのはミエミエです。昨日の有権者をバカにした(としか思えない)会見がそれを物語っているように思います。でも、肝心な有権者にバカにされているという自覚があるのかと言えば、それも極めて疑問です。

ヘタレなメディアには期待できないので、国民がメディアにハッパをかけて膿を出すしかないのです。でも、国民がメディアと同じようにヘタレでは元の木阿弥になるだけでしょう。
2022.08.19 Fri l 旧統一教会 l top ▲
ドキュメンタリー作家の森達也氏が、次のようなツイートを行っていました。


また、故文鮮明教祖の没後10年を記念して、12日からソウルで開かれている旧統一教会の関連団体の「天宙平和連合」が主催するイベントでは、開会式につづいて安倍晋三元首相を追悼する催しも行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって、「世界各国から招かれた関連団体などの参加者が献花した」(スポニチ)そうです。

入閣した政治家たちが「旧統一教会とは知らなかった」「軽率だった」「今後いっさい関係を絶つ」などと弁明している中で、それはまるで彼らに無言の圧力をかけている光景のように見えなくもありません。

この追悼について、安倍元首相は旧統一教会に利用されただけだ、というような意見が一部にありますが、それは問題を矮小化する近視眼的な見方と言わねばならないでしょう。旧統一教会と岸信介の切っても切れない関係を見てもわかるように、安倍元首相は旧統一教会の問題における一丁目一番地と言ってもいいような存在です。自民党の中でも、旧統一協会と関係のある議員が清和会(安倍派)に多いのも、故なきことではないのです。安倍元首相は、文字通り問題の根幹にいる人物なのです。

岸田首相は、組閣後の記者会見で、「組閣にあたり、それぞれが当該団体との関係を点検し、厳正に見直すことを厳命して、それを了解した者のみを任命した」と言ったのですが、いざ蓋を開けて見ると次々と関係があきらかになり、どこかのメディアが言うようにもはや「底なしの様相」を呈しているのでした。

旧統一教会との関係について、自民党は党として調査を行っていませんし、行う予定もないと明言しています。あくまで自己申告に任せているのです。それは、調査したら組閣もできないどころか、党として収拾がつかなくなるからだと言われています。それくらい旧統一教会は政権与党に深く食い込んでいたのです。

ホリエモンや古市憲寿や太田光などが、エスカレートする旧統一教会の報道にあえて水を差すようなことを言うのも、そういった事態を察知しているからかもしれません。いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、彼らは今の旧統一教会に関する報道は山上容疑者の「思うつぼ」だと言うのです。しかし、山上容疑者自身は実行するにあたって、米本和広氏に宛てた手紙で「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」と書いているのです。それを意図的に狙っていたかのように言うのは、悪質な論理のすりかえと言うしかありません。それに、仮に「思うつぼ」だとしても、だからと言って旧統一協会の問題を不問に付していいという話にはならないでしょう。

また、森達也氏は、1970年に日本武道館で開催された国際勝共連合主催の「WACL世界大会」で、「右翼の巨頭」の笹川良一が、「私は文鮮明の犬だ」と発言したこともリツイートしていました。これなども「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。まさにそこに映し出されているのは、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”です。これが日本の「愛国」(者)の姿なのです。

ちなみに、件の「右翼の巨頭」が、競艇のテラ銭で作ったのが日本財団です。日本財団の研究者がテレビに出て国際情勢などを解説していますが、日本財団が設立者の右翼思想を組織として検証したという話は寡聞にして知りません。今も日本財団はウクライナ支援などを行って「平和」をアピールしていますが、彼らが掲げる「平和」と、国際勝共連合が唱える「平和」はどう違うのか、問い質したい気がします。

旧統一教会が韓国で設立されたのが1954年で、日本に進出したのが1958年です。そして1964年に東京都から宗教法人の認証を得ています。その日本進出に大きく関わったのが岸信介で、以来、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って親しい関係を続けてきたことは、先日の旧統一教会の記者会見でも会長みずからがあきらかにしていました。

旧統一教会の日本支部から韓国に送金された金額については、(前も書きましたが)2011年の「週刊文春」に、「4900億円の送金リストを入手した」と書かれていました。また、それとは別に、「ニューヨーク・タイムズ」は、7月23日、1976年から2010年までに日本の支部からアメリカの支部に36億ドル(4700億円)が送金され、それがアメリカでの事業の資金になった、という記事を書いていました。これだけでもとてつもない金額ですが、もちろん、これは一部の期間に送金された金額にすぎません。一体、彼らは「エバ国家」の日本からどれだけのお金を巻き上げたのかというのでしょうか。

そんな美味しい「エバ国家」への進出に手を貸してくれた恩人の三代目を、旧統一教会があのように大々的に追悼するのは当然と言えば当然でしょう。旧統一教会にとって、岸・安倍一族の恩義は計り知れないほど大きいのです。

それを自分たちを大きく見せるために「利用している」などというのは、まことのお母様に失礼でしょう。岸・安倍家があってこそ、今の旧統一協会(世界平和統一家庭連合)があると言っても過言ではないのです。まるで「国葬」の予行練習のように厳かに営まれた追悼の催しは、旧統一協会の安倍元首相に対する報恩にほかならないのです。

旧統一教会との関係を調べると組閣さえできないというのは、まさに「日本終わった」としか思えませんが、今、必要なのは、ホリエモンや古市憲寿や太田光のような論理のすりかえや、他に重要な政治案件があるのにいつまで旧統一教会の問題に拘って政治を停滞させる気だというような脅しに屈するのではなく、たとえ国の土台がぐらつくようなことがあってもこの際徹底的に膿を出し切る、その覚悟を持つことでしょう。NHK党の立花党首は、自身が幸福の科学の信者であることを認めているそうですが、それは政権与党にとどまらず、ガーシー当選などにも通じる問題でもあるのです。

1994年、下野した自民党は、当時の細川政権と公明党=創価学会の関係が憲法20条で謳われている「政教分離」に反するとして、「憲法20条を考える会」を立ち上げ、池田大作名誉会長のハレンチなスキャンダルを取り上げたり、同名誉会長の証人喚問を要求したりと、週刊誌顔負けの”反創価学会キャンペーン”を行ったのでした。ところが、政権に復帰して公明党との連立がはじまった途端、「考える会」はなかったことにされ、「政教分離」の問題は闇に葬られてしまったのでした。もとより憲法20条の「政教分離」は、そんな政党のご都合主義で解釈されるような問題ではないでしょう。

今回の旧統一教会と政治の関係には、旧統一教会やカルトの問題にとどまらず、根本にはそのような政治と宗教の問題があるのです。「憲法20条を考える会」のような問題意識が今こそ求められているのだと思います。でも、そのタブーは依然残ったままです。

何度もくり返しますが、旧統一教会の問題が示したのは、日本の「保守」と言われる政治(思想)がまったくの虚妄だったということです。「保守」政治家たちは、日本が「美しい国」だとか「とてつもない国」だとか誰もオリジナルに思ってなかったということです。そのテンプレートは、日本を「エバ国家」と呼び日本人をサタンと呼んで、日本から兆を超すお金を巻き上げた韓国のカルト宗教にあったのです。私たちの前にあるのは、そんな卒倒するような「日本終わった」現実なのです。


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統一教会・2
統一教会・1
2022.08.15 Mon l 旧統一教会 l top ▲
「見てみろ、凄いじゃないか。とうとう内閣の改造まで行ったぞ」と私は彼に言いたくなりました。

鉄パイプに黒のビニールテープを巻いただけの粗末な手製の銃から発射された二発の銃弾が、ここまで世の中を変えたのです。一発目を撃ったとき、まわりにいた人たちは、銃声だと思わなかったそうです。自転車か何かのタイヤがパンクした音のように聞こえたと。そんな粗末な手製の銃が、これほどのインパクトをもたらすとは誰が想像したでしょう。

まるでみずからの不手際を弁解するかのように、事件直後から垂れ流される容疑者の供述。それもまた、今までの事件では見られない異例のものだと言われます。事件直後には、「安倍元首相に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という供述がありましたが、すぐに「元首相の政治信条への恨みではない」と「訂正」するような供述に代わっています。またそのあとも、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相が団体と繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ」というような供述も発表されたのでした。

専門家の中には、犯行直後にそんな供述をするのは不自然だという声があるそうです。容疑者は、逮捕直後の混乱(興奮状態)の中で、「思い込んだ」と自分の犯行を後悔(否定)するようなことを口にしているのです。時間が経ってから後悔の念に苛まれてそう言うのならわかりますが、犯行直後なのです。

警察がメディアに発表した供述内容が、公判の際、調書に出てないことも多いのだとか。それはあくまで警察が発表した一方的な供述にすぎず、正式な供述ではないからです。

さらには、容疑者を精神鑑定するために鑑定留置することが認められたと発表されたのでした。それも4ヶ月にもわたる長期です。「動機に論理の飛躍が見られる」というのがその理由ですが、たしかに奈良県警が発表した供述に従えば、単なる「思い込み」であれだけの犯行に及んだのですから、「論理に飛躍が見られる」ことになるでしょう。

犯行からひと月が経ちましたが、あらためて暴力が持つインパクトの大きさを痛感させられるばかりです。容疑者は、決行するにあたって、「政治的意味を考える余裕はない」と言ったのですが、時間の経過とともに容疑者の行為はとてつもなく大きな「政治的意味」を持つに至ったのでした。

犯行の翌々日が参院選の投票日でしたが、選挙の結果がどうであれ山上容疑者の銃撃がなければ、これほど日本の政治が旧統一教会に浸食されていたことが白日のもとに晒されることはなかったでしょう。与党の議席がどうの野党の議席がどうのといういつもの報道がくり返されるだけで、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」政治家たちと韓国のカルト宗教の蜜月は、何事もなかったかのようにこれからも続いていたでしょう。

前も書きましたが、自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、「愛国」政治家たちがジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」と主張しているのも、旧統一教会からの受け売りであったことが徐々にあきらかになっています。

今年の6月に開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の席で、同性愛は「回復治療の効果が期待できる」「依存症」や「精神障害」であり、「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」というような内容のパンフレットが配布されたとして問題になりましたが、神道系の議員たちが前はほとんど関心がなかった”性の多様性”の問題に急に関心を持ちはじめ、強硬な反対論を展開するようになったのも、旧統一教会の働きかけがあったからだと言われているのでした。

それどころか、彼ら神道系議員の母体である神社本庁が、日本人をサタンと呼ぶキリスト教系の旧統一教会の影響下に置かれているという、信じられない話まで飛び出しているのでした。神道の信者は数の上では莫大ですが、葬儀や結婚式を神道式で行なう人が稀であるように、実際に信仰している人は少なく、しかも、御多分に漏れず信者の高齢化が進んでいるそうです。そんな中、旧統一教会がNPO法人のような団体名で近づき、若い隠れ信者たちが神社本庁の活動を手足となって手伝い、中には本部の職員に採用された信者もいたそうです。そうやって神社本庁に浸透していったのです。それは、国会議員の選挙運動を手伝って、その議員を取り込み思想的影響下に置くのとまったく同じです。また、神社本庁は内紛によって分裂状態にあるのですが、それも旧統一協会が裏で糸を引いていたのではないかという見方さえあるのでした。

何度もくり返さなければなりませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教なのです。

そんなカルト宗教に日本の「愛国」や「伝統」が簒奪されコントロールされていたのです。岸田首相は昨日の記者会見で否定していましたが、自民党の改憲案や神道政治連盟のパンフレットに見られるように、政権与党の政策が影響を受けていたのではないかという疑惑は拭えません。

神道政治連盟のサイトのトップページには、「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」と麗々しく謳っていますが、そんな議員たちがよりによって、日本人をサタンと呼ぶ韓国のカルト宗教と密通していたのです。こんなふざけた話があるでしょうか。

国民に「愛国」を説き、国民向けには”嫌韓”を装いながら裏では韓国のカルト宗教にへいつくばりおべんちゃらを言っていたのです。こんな「愛国」者がいるでしょうか。

日本は美しい国、日本人の誇りを取り戻そうと言っていた政治家が、よりによって日本を「エバ国家」と呼ぶ韓国のカルト宗教と三代前から親しい関係を結び、選挙の際は票の配分を依頼するなど、みずから日本の政治のど真ん中にカルトを招き入れていたのです。

二発の銃弾が暴き出したのは、この国の「保守」と呼ばれる政治がまったくの虚妄だったという事実です。「保守」なるものが、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”の産物にすぎなかったことがあらためて明らかになったのです。「愛国」や「保守」や「反日」や「売国」という言葉はことごとく失効したのです。

江藤淳は、占領軍の検閲によって、戦後の言語空間は閉ざされたものになったと言ったのですが、そもそも言語空間もくそもなかったのです。保守主義者の江藤淳が見ていたのは虚構だったのです。

今、私たちの前にあるのは、戦後の「保守」政治が見るも無残に破綻した光景です。それを未だに空疎な言葉を使って糊塗しようとするのは、あまりに往生際が悪くみっともない所業としか言いようがありません。ホントに「反日」なのは誰だったか、もう一度自問した方がいいでしょう。国葬なんかやっている場合じゃないのです。

それは、橋下徹や三浦瑠麗や東浩紀らテレビの御用知識人たちの言説も同様です。今回の事件では、彼らの言説の薄っぺらさが晒されるという副産物も生んだのでした。テレビを観ていて呆れた人も多いはずです。

目の前に突きつけられた事態があまりに衝撃的で想像を越えていたためか、彼らは、みずからの常套句で説明することができずトンチンカンを演じてしまった感じでした。わからないことはわからないと正直に言えばよかったのです。彼らが駆使する言説も、現実をかすりもしない単なる口先三寸主義の屁理屈にすぎないことが明らかになったのでした。

このように、一夜にして世の中の空気が一変したのです。旧統一協会に再び世間の厳しい目が向けられるようになりました。また、今まで視野に入ってなかった信仰二世の問題にも、目が向けられつつあります。

自転車のタイヤがパンクしたと間違われるような粗末な手製の銃から発せられた二発の銃弾が、ことの善悪を越えて、、、、、、、、、「凄いじゃないか。やったじゃないか」と言いたくなるような光景を現出させたのです。それは驚き以外のなにものでもありません。
2022.08.11 Thu l 旧統一教会 l top ▲
一昨日、今回の安倍晋三元首相銃撃事件に関連して、朝日新聞デジタルに、下記のような宮台真司氏のインタビュー記事が掲載されていました。

宮台真司氏は、近代化により(中間共同体が消滅して)むき出しになった個人が、近代合理主義(=資本主義)のシステムと直接向き合わなければならなくなり、その結果「寄る辺なき個人」が大量に生まれた、そのことが今回の事件の背景にあると言うのです。そして、「寄る辺なき個人をいかに社会に包摂するかを考えていくことが大切だと指摘」するのでした。

朝日新聞デジタル
(元首相銃撃 いま問われるもの)バラバラな人々に巣くう病理 宮台真司さん

それは、オウム真理教の事件の際に出版された『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)に書かれていることのくり返しで、正直言って「またか」という気持を持ちましたが、言っていることはよくわかるのでした。たままた本棚を整理していたら『終わりなき日常を生きろ』が出て来ましたので、もう一度読み返してみようかなと思ったくらいです。

宮台氏は次のように言います。

 「既に安倍氏への過度な礼賛や批判が『確かな物語』を求めて増殖中です。それとは別に、『民主主義への挑戦』と批判して済ませる紋切り型も気になります。無差別殺傷事件も政治家を狙った事件も、『剥き出しの個人の不安』と『国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済』という類似面があります」


前に書いた『令和元年のテロリズム』に出て来るような事件を、宮台氏は「国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済」だと言います。それと「剥き出しの個人の不安」は「類似」していると。でも、私には、「類似」というより表裏の関係のように思いました。

そんな「寄る辺なき生」に、カルトは「確かな物語」(大きな物語)を携えてやって来ます。『令和元年のテロリズム』を読むと、登場する人物たちがカルトとすれすれのところで生きていることがよくわかります。

ただ、それは今回の事件の一面にすぎません。今までの報道を見る限り、容疑者はカルトに取り込まれたわけではないのです。容疑者にとって「大きな物語」は、ネトウヨの陰謀論であり、その延長にある安倍政治に随伴することだったのです。

なのに容疑者は安倍を撃ったのです。統一教会によって家庭がメチャクチャにされた積年の恨みが、「本来の敵ではない」安倍に向けられたのです。たとえイデオロギーと関係がなくても、行為自体はきわめて政治的なものと言っていいでしょう。

もしかしたら、ネトウヨを自認する容疑者には、安倍元首相に対して「可愛さ余って憎さ百倍」のような感情があったのかもしれません。安倍元首相は、国内向けには嫌韓的なポーズを取りながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと主張する韓国のカルト宗教と三代に渡って親密な関係を続けてきたのです。そのジキルとハイドのような二つの顔を知ったことが、安倍元首相をターゲットにする”飛躍”につながったのではないか。そう考えなければ今回の事件は理解できません。

宮台氏の言説に従えば、あの腰の座った覚悟の犯行も「自己救済」ということになります。私はむしろ逆ではないかと思っていました。ロープシンの『蒼ざめた馬』のような”虚無のテロリスト”さえ幻視していたのです。一発目が逸れたあと、容疑者はためらうことなくさらに前へ進み、致命傷となる二発目を命中させているのです。容疑者にとって、「本来の敵ではない」安倍元首相は「呼んでも応えない」国家だったのか。あるいは、国家を呼び出すために安倍を撃ったのか。警察発表の犯行動機を理解するためには、私たちもまた、”飛躍”が必要なのです。

一方で、宮台氏も言うように、既に「心の平穏に向けた物語化」がはじまっているのでした。ワイドショーの電波芸者コメンテーターたちの言動にも、そういった空気の変化が反映されています。メディアも、統一教会と政治の関係に言及するのを避けるようになっているそうです。

これから「国葬」に向けて、死者の悪口を言わないという”日本的美徳”のもと、安倍政治を賛美する声が益々大きくなっていくのでしょう。そして、今回の事件も、容疑者個人の一方的な「思い込み」で起きたことにして幕が下ろされるに違いありません。

朝日の記事のタイトルのように「病理」と言うなら、個人の心より政治、特に安倍元首相を含めたこの国の「愛国」者たちの”二律背反”こそそう呼ぶべきなのです。間違っても(記事のタイトルに含意されているような)「個人的な思い込みによる事件」として回収させてはならないのです。


関連記事:
『令和元年のテロリズム』


追記:(7/21)
事件の政治的な側面ということで言えば、宮台氏もインタビューでは統一教会と自民党の関係に言及していたそうです。しかし、J-CASTニュースによれば、朝日新聞が掲載に当たってその部分を削除したのだとか。宮台氏もTwitterでそれを認めています。

Yahoo!ニュース
J-CASTニュース
宮台真司氏「掲載中止よりもマシ、Twitterで捕捉」 朝日新聞がインタビューから削除した「重要なポイント」

削除された「重要なポイント」について、J-CASTニュースは次のように書いていました。

(略)旧統一教会が提唱する原理を学ぶ団体の原理研究会が1970年代末以降どのように活動していたかや、自民党と教会が2000年代末以降にズブズブの関係になっていたことについて、宮台氏の元の原稿では言及されていた。しかし、朝日の担当記者がその記述を残そうと奮闘したにもかかわらず、記事公開に当たって、それらの部分が削除されたという。


別に目新しい話ではなく、正直言って、そんなに騒ぐことなのかと思いました。自民党に忖度したと言えばそう言えないこともありませんが、私には穿ちすぎのような気がしました。
2022.07.21 Thu l 旧統一教会 l top ▲
先日、自民党の某国会議員が、過去に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が開催したイベントに祝電を送ったという指摘を受け、お詫びのコメントを発表した上で、旧統一教会との関係を否定したという報道がありました。

しかし、その「国会議員」こそ、30年近く前に、私が元取引先が統一教会のフロント企業であったことを知った週刊誌の記事に書かれていた人物なのです(「統一教会・1」参照)。

保守系の国会議員のサイトから、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に関係する記述が次々と削除されているそうですが、このように国会議員たちの間で再び、知らぬ存ぜぬの”猿芝居”がはじまっているのでした。

しかも、それは、自民党だけにとどまらず、国民民主党の玉木雄一郎代表にも飛び火したのでした。玉木代表への寄付は、同代表が旧民社党の流れを汲む政治家だからだと思いますが、もしかしたら、統一教会は野党や労働団体にも触手を伸ばしていたのかもしれません。

有田芳生氏がツイートしていましたが、テレビに出た際、事前に番組の担当者から、「政治の力」という言葉は使わないでほしい、具体的に政治家の名前を出すのは控えてほしいと釘を刺され、「昔のテレビとは違うんだ」と言われたそうです。

たしかにテレビのワイドショーを観ていると、時間の経過とともにコメンテーターたちに、統一教会の問題と安倍元首相の事件を分けて考えるべきだ、一緒くたにするのは誤解を招く、というような言動が目につくようになりました。そうやって、事件は山上容疑者の「思い込み」だったという結論に持って行こうとしているかのようです。「精神鑑定」が行われたという話も、恰好の口実になっているように思います。

でも、安倍晋三元首相こそ統一教会の問題を「象徴する存在」(山上容疑者)なのです。「安倍三代」と統一教会との関係を考えれば、統一教会にもっとも近い政治家と言っていいでしょう。

一方で、コメンテーターたちの言動を見るまでもなく、政治と宗教の”不都合な真実”も、徐々に幕引きがはかられているように思えてなりません。結局、安倍元首相らが体現する”戦後の背理”は糊塗され、獅子身中の虫もそのままに、元の日常に戻っていくのでしょう。その大団円として「国葬」が用意されているのかもしれません。

山上容疑者は、みずからをネトウヨとツイートしていましたが、そのネトウヨが、彼らのヒーローの安倍元首相に引き金を引いたのです。そのことの意味はあまりに大きいと言わねばなりません。「愛国者に気をつけろ」というのは鈴木邦男氏の著書の書名ですが、私たちはまず、「愛国」者を疑うことからはじめなければならないのです。

サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教の教祖に、「日本を守るために」反共団体の設立を依頼する。そんな愛国者がどこにいるでしょうか。統一教会の問題であきらかにされたのは、そういった日本の戦後政治を蝕んでいた「愛国」という病理なのです。
2022.07.20 Wed l 旧統一教会 l top ▲
統一教会・1からつづく

■”集金システム”の背景


親族によれば、容疑者の母親は、統一教会に入信したあと、自殺した父親の保険金などを原資に3年間で6000万円、容疑者の祖父が死亡後、相続した会社の土地や自宅などを処分して4000万円、総額1億円を献金したそうです。その後、親族が教団と交渉して5000万円が返金されたそうですが、それも再び献金したという話があります。

11年以上前の資料ですが、下記の『週刊文春』の記事によれば、1999年から9年間に日本から韓国に送金された総額は約4900億円にのぼるそうです。年平均約544億円です。

週刊文春 Shūkan Bunshun 2011.9.8
統一教会 日本から「4900億円送金リスト」を独占入手!

統一教会の献金や霊感商法などの”集金システム”の背景に、「真の父母と一緒にいる食口(引用者注:シック。信者のこと)たちは、この世の中のすべての物を自由に使えるのがあたりまえだ」というこ故・文鮮明総裁の考え方があるのは間違いないでしょう。この世の中の物やお金は、サタンが勝手に奪ったものにすぎない。だから、「真の父母と一緒にいる食口たちが、たとえそれを盗んで使ったとしても、それが世の中の法律にひっかかったとしても、実際には何でもないことになる」(後述する朴正華氏の手記より)と文鮮明氏は言うのです。ただ、サタンから奪い返しただけだと。

統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、そうやって集めた巨額な資金を使って、食品業や建設業や不動産業やリゾート産業に進出し、今や韓国でも有数な財閥になったのでした。

2018年の平昌冬季オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートも、世界平和統一家庭連合が所有するスキー場です。また、龍平リゾートは、のちに日本でもブームとなった韓流ドラマ「冬のソナタ」のロケ地にも使われたそうです。教団も、日本人観光客を呼び込むためにロケ地めぐりのツアーを手がけ、文鮮明氏の肖像画が飾られたスーベニールショップでは、日本人観光客が先を競ってグッズを買い求めていたそうです。

高麗人参(朝鮮人参)でおなじみの「一和」も、統一教会系列の会社(フロント企業)です。「一和」は、サッカークラブ城南FCの実質的なオーナー企業と言われています。

また、先頃、ニューヨークタイムズが、アメリカに寿司を広めたのは日本ではなく韓国の統一教会だった、という記事を掲載して話題になりました。記事によれば、統一教会は所有する食材卸会社「True World Foods」を通して、現在、アメリカの寿司レストランの7割から8割と取引しており、年間で500億円を売上げているそうです。

日本人は「アメリカで寿司ブーム!」「ニッポン凄い!」と自演乙していましたが、実はそんな話ではなかったのです。テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」という番組で紹介された日本人女性たちの中に、統一教会の合同結婚式で嫁いだ信者が含まれていたとして問題になったことがありましたが、それと似たような話です。しかも、統一教会は、寿司は韓国が発祥だと主張しているそうです。

話は戻りますが、紀藤正樹弁護士は、日本からの送金額は世界全体の半分以上を占めているとテレビで言っていました。どうして日本が突出して多いのか。もちろん、政界に深く食い込んでいるため、他の国に比べて規制が緩く、活動しやすいということが大きいでしょう。ただ、それだけでなく、日帝の植民地支配に対する韓国人の反日感情も関係していると言われています。韓国を植民地支配した日本はとりわけ罪深い「エバの国」であり、日本人は極悪なサタンである。サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという考えです。セミナーなどでも、日本人信者にそういった贖罪意識を植え付けるのだそうです。

■側近の手記


1949年北朝鮮の興南収容所で、同じ服役囚として文鮮明氏と知り合い、以後13年間行動をともにして、統一教会の設立に加わった朴正華氏も、手記『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版・1993年刊)の中で、次のように書いていました。

六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!
統一教会創始者 朴 正華(パク チョン ファ)
https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/

  ことに隣国の日本では、統一協会の実態を知らない食口たちが、理想世界の実現を信じて金集めに走り、霊感商法という反社会的な大問題に発展した。

  創成期の苦労を知らない一族がなせる弊害、という他はない問題である。「法に触れて盗んでも神様は許してくれる」と、女食口を唆した文鮮明の身内らしいやり口で、物欲・金銭欲にいっそう拍車がかかっている。

  そしてもう一つ。

  朝鮮は日帝支配で被害を受けた。その日本に仇を討つためにも、日本の金を洗いざらい捲き上げよ」と文鮮明が豪語していた事実(何人もの幹部が聞かされた)を、日本の純粋な食口たちは知っているのだろうか。

(以下引用は同じ。一部、改行やスペースを引用者が修正しています)


私は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)についての報道や識者の発言には、隔靴掻痒の感を覚えてなりません。言うまでもなく、統一教会の教義の大きな柱である「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる、「セックスリレー」=「血代交換」のことがまったく触れられてないからです。

文鮮明氏が北朝鮮の興南刑務所で服役(強制労働)することになったのも、当時、「混淫教」という土俗の”セックス教”を信仰していた文氏が、夫と3人の子どもがいる信者の家で人妻と同棲し、しかも、神の啓示を受けたとしてその人妻と「小羊の儀式」(正式な結婚)を行なうと言い出して騒ぎになり、「社会秩序紊乱罪」で警察に逮捕されたからでした。

朴正華氏の手記にある「六人のマリア」というのも、「六人の人妻」という意味です。統一教会の「復帰摂理(復帰原理)」については、朴正華氏の手記に多くの具体例が出ていますが、もとは聖書の「創世記」の独自な解釈に基づいたものだそうです。

  六千年前、神様は、土で人のかたちを造りその鼻に息を吹き込んで、人として動けるようにした。その名をアダムと呼び、エデンの園に住まわせた。そして、ふさわしい伴侶を造るため、アダムが眠っているとき、アダムのアバラ骨を一本とって女性を造った。それがエバである。神様は二人に、エデンの園の中央にある木の実だけはとって食べてはいけないと命じたが、蛇がエバを唆したため、エバはついに禁断の木の実を食べ、夫であるアダムにも勧めて食べさせた。

  そして、神を裏切り禁断の木の実を食べた二人は、木の陰に身を隠し、発見されたとき恥ずかしそうに無花果の葉で身体を隠していた。神様がアダムを創造しエバを造った目的は、エバが成熟したらこの世の中に罪のない子孫を繁殖させることだったが、神様に背いた二人は、やがてエデンの園から追放され、再び帰ることができなくなった。罪を犯し汚れたアダムは、汗を流して働かなければ生きてゆけなくなり、エバは、お産の苦しみという苦労をしなければならなかった。

  二人の間にはカインとアベルの兄弟が生まれたが、やがて兄のカインは弟のアベルを殺すことになり、この世の中に初めて罪人ができた。

  エバを唆した蛇とは天使長ルーシェルのことで、ルーシェルは、神様の摂理を知って甘い言葉で本成熟(原文ママ)なエバを誘惑し、禁断の木の実を食べさせた。つまりルーシェルとエバはセックスをしたのだ。そして処女を犯されたエバは、神様に見つかる前に、サタンの血で汚れた身体のまま夫のアダムともセックスをした。


  「形のない神様は、エバがエデンの園で成熟したら、形ある人間のアダムに臨在し、アダムとエバが結婚して、汚れていない子どもがこの世の中に生まれ、その子孫がこの世の中に繁殖することによって、この世の中を平和で罪のない社会にすることを目的としていた。ところが、天使長ルーシェルが神の目的を知って、エバを誘惑して奪い取ったため、この世の中はサタンのものになり、罪人ばかりになってしまった。だから、夫のいる人妻を奪い取ることによって、サタンに汚された血を浄める復帰摂理の儀式が成り立つことになる」と文鮮明は説明した。

  文鮮明は私に、復帰する方法まで具体的に教えてくれた。その復帰の方法とは、「今までのサタンの世の中では、セックスをするときに、男の人が上になり、女の人が下になっていたが、復帰をするときには、二回まで女の人が上になり、男の人が下になるのだ」「そして、蘇生、長成、完成と、三回にわたって復帰しなければならない」ということだった。


「血代交換」とは、「第二のアダムであるイエスが達成できなかったことを、第三のアダム(要するに文鮮明氏)がこの世の中に再臨して血代交換をする」という教えです。

メシア(引用者注:文鮮明氏のこと)が世界の代表として、六人のマリアと三十六家庭の妻たちとセックスをすれば、汚れた血がきれいになるということで、この儀式を血代交換と言う。そして、血代交換をした三十六家庭から生まれてくる子どもは、罪のない天使ばかりであり、こういう人たちが世界に広まることによって、罪悪のない世の中が生まれる」ということだ。


■統一教会と”戦後の背理”


1987年に発生した朝日新聞阪神支局などを襲った赤報隊事件で、統一教会の関連団体が一時捜査の対象になったという話もありますが、有田芳生氏によれば、オウム真理教の事件のあと、警察庁の幹部から頼まれて、警察施設で眼光の鋭い刑事たちを前に、統一教会のレクチェーをしたことがあったそうです。その際、幹部は、オウムの次は統一教会だと言っていたのだとか。しかし、待てど暮らせどその気配はない。そして、10年が経った頃、たまたま会った幹部にレクチャーの話をしたら、「政治の力でストップがかかった」と言われたそうです。

全国霊感商法対策弁護士連絡会のサイトを見ると、2020年の旧統一教会関連の相談件数は、消費者センターに寄せられたものも含めて、214件、918072300円で、もっとも活発だった1990年前後に比べれば、件数・金額ともに10分の1以下に減っています。しかし、それでも被害がなくなっているわけではないのです。

自民党などの保守派の議員が、選択制夫婦別姓や同性婚やジェンダーフリーに強硬に反対するのも、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の結婚観や家庭観が影響しているからではないかと言う人もいるくらい、彼らは「愛国」を叫ぶ一方で、このようなカルト教団と深い関係を結び、日本を食いものにする彼らの活動に手を貸しているのです。それは、政治家だけではありません。あの”極右の女神”が系列の新聞社の集まりで講演している写真もネットにアップされていました。

1967年、来日中の文鮮明氏が右翼の大物の笹川良一氏や白井為雄氏(児玉誉士夫氏の代理)と本栖湖で会談して、70年安保をまじかに控えて高まりを見せる反対運動に対抗すべく反共団体を設立することで合意。そして、その翌年、統一教会の政治団体である国際勝共連合が日本でも設立され(韓国では前年に設立)、会長に統一教会の日本支部会長の久保木修己氏、名誉会長に笹川良一氏が就いたのでした。その裏には、統一教会の日本進出(1964年東京都が宗教法人として認可)に尽力した岸信介元首相のお膳立てがあったと言われています。実際に、日本の国際勝共連合の発起人には岸信介元首相も名を連ねています。その頃から、統一教会の日本の政界への浸透が本格的にはじまるのでした。

どうして日本に反共団体を作るのに、韓国の宗教団体の教祖が主導的な役割を果たすのか。そこにも戦後保守政治やそれに連なる戦後右翼の歪んだ姿が露わになっているように思います。

戦後政治を考える場合、どうしても日米関係ばかりに目が行きがちですが、隣の韓国との”奇妙な関係”も視野に入れるべきでしょう。もちろん、韓国との関係の背景に、当時のアメリカの東アジア戦略が伏在しているのは言うまでもありません。

韓国では1963年、日本の陸軍士官学校出身の朴正煕がクーデターを決行し、以後1979年まで軍事独裁政権を続けたのですが、国際勝共連合も軍事独裁政権下のKCIA(大韓民国中央情報部)の要請で作られたという説があります。

朴政権は日帝の植民地支配の記憶がまだ色濃く残っている中で、「反日」を演じながらその裏では岸信介氏ら日本の保守政治家と癒着して、日韓基本条約で対日請求権の放棄に伴って供与されることになった5億ドル(当時は1ドル360円)の経済支援=「経済協力金」をめぐる利権を築いたと言われています。経済支援は、最終的には借款等も併せて11億ドルにものぼったそうです。

そういった表では「反日」、裏では買弁的な「親日」を使い分けるヌエのような関係が、日本の戦後政治にさまざまな闇をつくったと指摘する声もあります。統一教会の日本の政界への浸透を許すことになったのも、そのひとつと言えるでしょう。

このように統一教会をめぐっても、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”が如実に示されているのでした。こんなことを言っても今の日本人には馬の耳に念仏かもしれませんが、この国を蝕む獅子身中の虫は誰なのか、「愛国」を口にする人間たちはホントに愛国者なのか、もう一度考えてみる必要があるでしょう。それは、安倍元首相の死に対する言説でも同じです。
2022.07.17 Sun l 旧統一教会 l top ▲

■仲正昌樹氏


今朝、テレビを点けたら、「モーニングショー」で統一教会の特集をやっていて、金沢大学教授の仲正昌樹氏がリモートで出ていたのでびっくりしました。仲正氏は社会思想史の研究家ですが、昔から新書もよく出しており、雑誌などでもわかりやすい文章を書いていたので、私は比較的早い頃から読んでいました。

仲正昌樹氏が過去に統一教会に入っていたことは私も知っていました。自分でそのときのことを書いていたのを読んだ記憶があります。ハンナ・アーレントについて啓蒙的な文章をよく書いているのも、統一教会の体験と関係があるのかもしれないと思ったこともありました。でも、まさかテレビに出て、自分の学問とは直接関係ない”黒歴史”のことを話すとは思ってもみませんでした。

ただ、自分でも言っていましたが、仲正氏の場合、その性格ゆえか懐疑的な部分を完全に払拭できないまま信仰生活を送っていたみたいなので、完全にマインドコントロール下にあったとは言い難く、テレビで扱う事例としてはあまり参考にならないかもしれません。

私の高校時代の同級生にも、仲正氏と同じように東大で統一教会に入信し合同結婚式で外国人女性と結婚した人間がいます。あるとき、別の同級生から、同級生で彼の結婚をお祝いする会を開きたいという連絡が来ました。それで私は、「何言ってるだ、統一教会じゃないか」「どうして俺たちが信者の結婚をお祝いしなければならないんだ」と差別感丸出しで怒鳴りつけ、以来同級会には行っていません。風の噂に聞けば、彼はその後大学教授になったそうです。

■身近にいた統一教会


私たちの年代は、桜田淳子の合同結婚式をきっかけにメディアを席捲した統一教会のキャンペーンを知っていますので、統一教会に対してはある程度の”免疫”がありました。駅頭でまるで憑かれたように「統一原理」の理論を延々と語っている若者の姿をよく見かけましたし、夜遅くアパートに北海道の珍味を売りに来た風体が怪しい若者とトラブルになったこともありました。

当時は私たちの身近にも統一教会の影が常にチラついていたのです。海外のポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、すごく買いっぷりのいい顧客がいました。いつもまとめて大量に買ってくれ、しかもニコニコ現金払いでした。しかし、都内の会社だったのですが、FAXと電話でやりとりするだけで一度も会ったことがありません。それで、一度ご挨拶に伺いたいと電話したところ、「いや、結構です」とにべもなく断られました。

それから数年経ち、私も転職していたのですが、週刊誌を見ていたら、ある記事の中にその会社と電話した担当者の名前が出ていたのを偶然目にしたのでした。

それは、保守系の国会議員のスキャンダルに関する記事だったのですが、その中で、議員が統一教会の影響下にあり、秘書も統一教会から派遣された人間で占められているというような内容のことが書いていました。そして、議員を取り込む工作をした中心人物として、得意先であった会社と担当者の名前が上げられていたのでした。記事の中でも、私が納めた商品が額に入れられてセミナー会場などで数万円で販売されていると書かれていました。でも、私が納めたのは1枚千円にも満たない商品です。何のことはない、得意先の会社は統一教会のフロント企業だったのです。

また、同じ頃だったと思いますが、当時交際していた女性のお父さんが病気で急死したという出来事がありました。彼女の実家は、JRのターミナル駅の近くにあって、数億円の資産価値があると言われていました。

ある日、彼女が「最近、変なおばさんが家によく来ている」と言うのです。今まで見たこともない人なので、どこで知り合ったのかお母さんに訊いたら、道で声をかけられてそれから親しくなった、と言うのだそうです。それを聞いた私はピンと来て、「そのおばさん、もしかしたら統一教会かも知れないよ」と言いました。「一回、たしかめた方がいいよ」と。

それから数日後、彼女から電話がかかってきて、「やっぱり、統一教会だった」と言うのです。お母さんに私から言われたことを話したら、お母さんがおばさんに「あなた、もしかしたら統一教会じゃないでしょうね」と問い詰めたそうです。すると、おばさんはお母さんの権幕に気圧されたのか、「ごめんなさい、統一教会です」とあっさり認めたということでした。

恐らく道で声をかけたのも偶然ではなく、家の資産やそのときの家庭状況も把握した上で接近して来たに違いありません。どこかでそういった情報を手に入れているのでしょう。

その頃、統一教会のキャンペーンは、合同結婚式から霊感商法などへ拡大しており、大学では統一教会の名を伏せたダミー団体を使って学生を勧誘したり、街角でも手相などの占いを餌に声をかけてセミナーに誘うという統一教会の活動が次々と可視化されていました。だから、そのときもピンと来たのだと思います。

しかし、ほどなく発生した地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件によってメディアもオウムの方に関心が移り、統一教会はいつの間にか「忘れられた存在」になったのでした。そのため、今は”免疫”どころか、統一教会について何の予備知識もない若者も多いそうです。しかも、統一教会は、分裂騒ぎもあって教団名を変えているのです。昔の統一教会のことを知らない若者が増えたということは、教団にとって好都合であるのは間違いないでしょう。そのための改名だったという話もあるくらいです。

■暴力のインパクト


今回の銃撃事件で、「暴力は民主主義の敵」「暴力に屈してはならない」「民主主義を暴力から守ろう」というような常套句が飛び交っていますが、しかし、考えてみれば、銃撃事件がなければ、これほど統一教会のことが取り上げられることはなかったのです。

元首相を銃撃する「許されざる暴力」があったからこそ、統一教会というカルト宗教の問題、特に日本の政界に深く食い込んでいる憂慮すべき問題が再び可視化されつつあるのです。怪我の功名と言ったら不謹慎かもしれませんが、もし今回の銃撃事件がなかったら、統一教会は「忘れられた存在」のままだったでしょう。

私たちは、今回の事件で、言論では微動だにしなかったものが暴力だと簡単に動かすことができるという、この社会の本質とも言える脆弱性を見せつけられたと言っていいかもしれません。同時に、「許されざる暴力」という規範や「話せばわかる」という幻想が、この社会から疎外された人たちにとっては、単なる”不条理”にすぎないことも知ったのでした。今回の事件で「暴力の連鎖」を懸念する声が出ていますが、これほど赤裸々に暴力のインパクトを見せつけられると、それもまったくの杞憂だとは言えないように思います。

どんな立派な意見も、最初に「もちろん暴力がいけないことは言うまでもありませんが」とか「容疑者がやったことは許されることではありませんが」という枕詞(断り)を入れると、途端に「きれいごと」のトンマな言説に見えてしまうのも、暴力のインパクトがあまりにも大きかったからでしょう。自業自得とは言え、言論は為すすべもなく戯画化されているのです。

統一教会・2へつづく
2022.07.15 Fri l 旧統一教会 l top ▲