
(著作者:starline/出典:Freepik)
■パンデミックがもたらした大きな変化
今回のパンデミックでいろんなものが変わったのはたしかでしょう。後世になれば、そのひとつひとつが「歴史の証言」として記録されるに違いありません。
キャッシュレス化がいっきに進んだとか、マイナンバーカードのような個人情報の管理がいっそう進んだとか、ウクライナ戦争とそれに伴う世界の分断と経済の危機が益々顕著になったとか、そういったことが記録されるのかもしれません。
と同時に、パンデミックは個人の生き方にもさまざまな変化をもたらしたのですが、そういった私的な事柄は記録されることはないのです。ただ、その時代を特徴付ける風潮や価値観として語られることはあるでしょう。
私の年上の知り合いで阪神大震災のとき、兵庫県西宮市に住んでいて被災した人がいました。家族で会社の社宅に住んでいたのですが、幸いにも社宅の倒壊は免れたものの、地震が収まったので外に出たら、外の風景が一変していて、思わずその場にへたり込みそうになったそうです。「考えてみろよ。目の前の風景が昨日までとはまったく違っているんだぞ。それを見て何もかも終わったと思ったよ」と言っていました。
彼が勤めていた会社は一部上場の大手企業で、既に年収も1千万円を超えていたそうですが、その翌年、会社を辞めて故郷に帰り、自分で小さな商売を始めたのでした。彼は、もし震災に遭わなかったら、会社を辞めてなかったかもしれないと言っていました。
「お前もそうかもしれないけど、俺たちは子どもの頃からお金より大事なものがあると教えられてきた。震災によってその言葉を思い出したんだ。仕事ばかりしていたので、もっと家族との時間も持ちたかったし、親も年を取ってきたので、親の傍にいることが親孝行になるんじゃないかと思ったんだ。そういうことがお金より大事なことだということに気付いたんだよ」
今回のパンデミックでも同じように思った人は多いのではないでしょうか。
私の知っている職場でも、パンデミックのあと、次々と人が辞めて人手不足で困っていると言っていました。その職場は公的な仕事を行なう非営利団体で、職員たちも公務員に準じた身分保障を与えられ、当然ながら定着率が非常にいい職場でした。ところが、パンデミックを経て辞めていく職員が続出しているのだそうです。私の知ってる元職員は、地方に移住して農業をやるつもりだと言っていました。故郷に帰った人間も何人もいます。
どうしてこれほど退職者が出ているのかと言えば、その団体がパンデミックに際して、COVID‑19に感染した生活困窮者をケアする仕事をしていたからです。中には充分なケアができずに亡くなった人も多く、職員たちが精神的なストレスを抱えることもあったようです。職員たちが目にしたのは、文字通り惨状と言ってもいいような光景だったのです。実際に精神的にきついと口にする元職員もいました。
戦争や自然災害においては、直接の被害者だけでなく、被害者をサポートした人たちもPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症するケースがあると言われますが、それと似たような話なのかもしれません。
■あるブログの閉鎖
私がここ数年愛読していたあるブログがありました。それは10年以上前から書き継がれていたブログで、山行(登山)を主なテーマにしていました。ブログ主は中年の女性で、初心者のときから徐々にステップアップして、北アルプスを縦走するまでになり、そして、再び奥多摩や奥武蔵(埼玉)の山に戻って、自分のペースで山歩きを楽しむ様子が綴られていました。
やがて、そんな日常に、地方に住む母親の遠距離介護がはじまるのでした。それでも、介護と仕事の合間に近辺の山に通っていました。実家に帰った際も、時間を見つけて故郷の山に登ったりしていたのでした。
ところが、そこにパンデミックがはじまったのです。実家で一人暮らしする母親を何としてでもコロナウイルスから守らなければならない、というような書き込みもありました。
遠距離介護は続いていましたが、おのずと山からは遠ざかっていきました。それまで月に2~3回は山に行っていましたが、半年に1回行くかどうかまでになり、そして、とうとう今年の春にブログも閉じてしまったのでした。山に行くのが生き甲斐みたいな生活でしたので、閉鎖すると聞いてショックでしたが、パンデミックによって山より大事なものがあることに気付いたのでしょう。
そんなに細かくチェックしているわけではありませんが、いわゆる登山系のユーチューバーの中でも、更新を停止する人がこのところ多くなっています。公式に停止を表明する人もいるし、停止したまま放置する人もいます。
更新を停止する理由を見ると、身内の不幸や転職や離婚などがあげられています。もちろん、配信料のシステムが変わり収入が減ったということもあるのかもしれませんが、ただ、もしパンデミックがなかったら、登山までやめるという決断はなかったのではないかと思ったりもするのです。人生の転機においても、パンデミックによって、それがより大きなものになったり切実なものになったということはあるのではないでしょうか。
■”お気楽な時代”の終わり
こんな言い方は誤解を招くかもしれませんが、何だか“お気楽な時代”は終わった、という気がしないでもありません。
パンデミックによって、ある日突然、感染したり命を落としたりすることが他人事ではなくなり、自分の生活や生き方を見直すきっかけになったということはあるのではないか。入院もできずに自宅で一人苦しみながら死を迎える人の姿はたしかにショックでした。日本は先進国で豊かな国だとか言われていますが、これが先進国の国民の姿なのかと思いました。訪問して来た医者が、「どこか入院できるように手を尽くしたけど受け入れ先がないんですよ。ごめんなさい。申し訳ない」と患者に告げているのを見ながら、どこが先進国なんだと怒りを禁じ得ませんでした。
ちょうど2年前に、私は、このブログで次のように書きました。
昨日の昼間、窓際に立って、ぼんやりと表の通りを眺めていたときでした。舗道の上を夫婦とおぼしき高齢の男女が歩いていました。買物にでも行くのか、やや腰が曲がった二人は、おぼつかない足取りで一歩一歩をたしかめるようにゆっくりと歩いていました。特に、お婆さんの方がしんどいみたいで、数メートル歩いては立ち止まって息を整え、そして、また歩き出すということをくり返していました。
お婆さんが立ち止まるたびに、先を行くお爺さんも立ち止まってお婆さんの方を振り返り、お婆さんが再び歩き出すのを待っているのでした。
私は、そんな二人を見ていたら、なんだか胸にこみ上げてくるものがありました。二人はそうやって励まし合い、支え合いながら、コロナ禍の中を必死で生きているのでしょう。
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まだこの先も感染拡大が起きる可能性はありますが、私は、個人的にこのパンデミックをよく生き延びることができたなと思っています。私自身が、受け入れ先もなく、一人で苦しみながら息を引き取ることだってあり得たかもしれないのです。感染もせずに何とか生き延びたのは、たまたま運がよかったにすぎないのです。
余談ですが、先日、横浜市に、姉妹都市であるウクライナのキーウから副市長らが訪れた際、横浜市長が「復興に役立てて貰いたい」として、コンテナを繋ぎ合わせて、その中にCTなどの医療機器や入院用のベットを設置することで、応急的な治療施設ができるシステムを紹介した、というニュースをテレビでやっていました。私はそれを観ながら、じゃあどうしてパンデミックのときにそれやらなかったんだ?と思いました。そんな応急的な施設があったなら、受け入れ先もなく適切な治療も受けずに亡くなった人たちの何人かは助かることができたでしょう。市民よりウクライナの方が大事なのか、と言ったら言いすぎになるでしょうが、何だか割り切れない気持になりました。
たしかに、パンデミックを経て、多くの人々はみずからの人権より給付金を貰うことを優先するような考えに囚われるようになったのは事実です。今の異次元の少子化対策もそうですが、わずかな給付金のために、国家にみずからの自由を差し出すことに何のためらいもなくなったように思います。ただ、その一方で、目先のお金よりもっと大事なものがある、といった考えに立ち戻った人々もいるのです。そういった価値の”分断”も、はじまったような気がしてなりません。