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梅雨の中休み、時間ができたので秩父の山に行きました。

滝のように流れる汗を拭きながら息を弾ませて山道を歩いていると、いつの間にひとりで会話している自分がいました。「ハァー、ハァー」という荒い息使いの中から、「がんばれ、がんばれ」という声が聞こえているような気がしました。

日常の些事から離れて自然の中に自分を置くと、そこにはいつもと違う自分がいることに気付きます。

険しい山道をしばらく登っていくと、見晴らしのいい山の突堤に出ました。岩に腰掛けて、来る途中にコンビニで買ったおにぎりを頬張りました。すると、胸にこみ上げてくるものがありました。

人を傷つけることによって自分も傷つく。最近、そういうことをよく考えます。

人を信じること。人にやさしくあること。いつもそうありたいと思っていますが、実際は逆の場合も多いような気がします。

まわりの草木がさわさわと音を立てて、心地よい風が吹きぬけていきました。

この孤独感こそが人生の現実なのでしょう。そう思ったら再び胸にこみ上げてくるものがありました。
2006.06.30 Fri l 日常・その他 l top ▲
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本屋に行ったら、『ノルウェーの森』が他の村上作品とともに文庫本のコーナーに平積みにされていました。

文庫も単刊本とまったく同じあの赤と緑のカバーで、私は、なつかしくて『ノルウェーの森』を手にとりました。

私にとって『ノルウェーの森』は、今から20年近く前の恋の思い出につながっています。

知り合ったとき、彼女はちょうど『ノルウェーの森』を読み終えたところで、「ずっと沈んだ気分の中にいる」と言ってました。

初めて向かい合って座った喫茶店で、彼女は、伏目がちに、『ノルウェーの森』について、どうして沈んだ気分の中にいるのかについて、それまでの思いを一気に吐き出すかのように、喋りつづけていました。

しかし、それから8年目の冬に突然別れが訪れました。そして、ひと月も経たないうちに阪神大震災があり、地下鉄サリン事件がありました。

もう一度『ノルウェーの森』を読んでみようか、と一瞬思ったものの、やはり、本を平台に戻しました。もうあの頃と同じように読めないのはわかっているからです。
2006.06.28 Wed l 本・文芸 l top ▲
ときどき「すごいな~」と思うサイトがありますが、「東京紅團」もそのひとつです。

「東京紅團」は、小説やエッセイなどに登場するゆかりの場所を探訪するサイトです。

管理人がどんな方なのか、プロフィールがありませんのでわかりませんが、1999年の9月から探訪をはじめておられるようですから、もう7年近くつづけていることになります。

「東京東京と書けば書くほど哀しくなる」といったのは寺山修司ですが、地方出身者のひとりである私にはこの気持は痛いほどよくわかります。

無名の頃の多くの作家達も、貧乏や恋愛といったお定まりの青春を送っていたのですが、それが東京を舞台にするとまた違った色彩を帯びてくるから不思議です。

夢と希望の先にあるのは挫折と絶望です。東京というのは、そんな人生のつらさや哀しみを教えてくれる街でもあります。

しかし、一方で、東京は、つらさや哀しみに打ちひしがれた人間をそっと励まし慰めてくれる街でもあります。

「東京紅團」を通して、そんな小説の主人公や作家達の人生の断面を垣間見ることができるような気がします。
2006.06.25 Sun l ネット l top ▲
知り合いのレストランのオーナーと話をしていたら、彼が興味深いことを言ってました。

最近、ネットでみたといって来店するお客さんが多いので、ヤフーで検索したところ、意外に多くの書き込みがあるのでびっくりしたのだそうです。

しかし、それらの(自称グルメの)ブログなどを読むと、ほめるにつけけなすにつけ、ピントがずれたものが多く「がっかりした」のだとか。「インターネットの書き込みがこんなにレベルが低いとは思わなかった」といってました。

私はその話を聞いてさもありなんと思いました。

(前も書きましたが)ネットの情報は玉石混交といいますが、実際、その大半は”石”である、といっても過言ではないように思います。一知半解、わかってないのにわかったふりをする、そんな書き込みが多いのも事実です。

もとより、ネットでは編集者がいていちいちチェックするわけではありませんので、”ネットの話は書き捨て”みたいなところがあるのではないでしょうか。

既存のメディアも、特に時事問題などに関連して、「ネットで批判が多い」「ネットで支持がひろがっている」なんて言い方をすることがありますが、それに対して「おい、おい、大丈夫かよ~」と半畳を入れたくなります。

社会学者の宮台真司さんは、インターネットについて次のように言ってました。

インターネット文化は、一方で女の子の社交性をEメールを通じて急上昇させていますが、他方で男の子は「2ちゃんねる」的な掲示板に引きこもって脆弱なプライドを温存する結果、とても人前に出せない、それこそ掲示板の世界に永久に引きこもっておいてもらうしかないような勘違い野郎が急増しています(笑)。

既存メディアにはネットに対するコンプレックスがあるのかもしれませんが、そんな書き込みを「世論」と勘違いしているのではないでしょうか。もちろん、ことは掲示板に限らず、ブログにしても五十歩百歩でしょう。

ネットに大いなる可能性があることには異論はありませんが、ただ、玉石混交をひとまとめにして過大視する傾向には違和感を覚えてなりません。
2006.06.21 Wed l ネット l top ▲
日本橋人形町界隈には一時期プライベートでよく通っていました。(残念ながらカメラを持って行ったことがないので、写真がありません)

普段仕事で訪れている街とはまるで雰囲気が違いますので、とても新鮮な感じがします。

人形町界隈には、グルメが垂涎する有名店が数多くありますが、もともとは職人の多い街だったので、それらもかつてはいなせな職人達が通う店だったのではないでしょうか。

だから、老舗といっても、そんなに敷居も高くないし、まだ庶民的な雰囲気を残した店が多く、それが人形町の魅力だと思います。

年の瀬も押し迫ると、舗道に衣類や食品を売る露天がずらりと並び、まるで昭和30年代にタイムスリップしたような光景をみることができます。

確定申告のシーズンには、やはり、舗道にテーブルをひとつ置いただけの受付に、作業着姿の職人達が書類を手に次々訪れているのをみたこともあります。恐らく、ひとり親方の職人達がまとまって申告するために、互助組織が設置したものではないでしょうか。

かつて人形町には芝居小屋や寄席などもあり、また、吉原の遊郭も最初は人形町にあったのだそうです。昔は華も色もある街だったのです。

地元に住んでいる知人から蛎殻町の小さなバーに連れて行ってもらったことがあります。ジャズの音色が心に沁みる、とてもいい店でした。

外に出たら、人通りの絶えた路地裏で、酔いでほてった頬に夜風がとても心地よかったのを覚えています。傍若無人にふるまうような若者達がいないというのが、この街のいいところでもあります。

人形町は谷崎潤一郎の生家があったことでも有名です。また、誰だった忘れてしまいましたが、蛎殻町の芸妓の元に足しげく通った作家の話を読んだ記憶もあります。再開発がはじまった現在の蛎殻町からは想像もできませんが、昔はそんなしっとりした雰囲気もあったのでしょう。

元日の早朝、人形町に行ったことがありました。人っ子ひとり通らない表通りに日の丸の旗だけがパタパタと風にはためいていて、なんだかすごく厳かな気分になりました。

ゆったりした時間が流れている、というとなんだかありきたりな表現になりますが、都心にあってそんな表現がよく似合う街だと思います。
2006.06.18 Sun l 東京 l top ▲
最近、ひそかにお気に入りのサイトがあります。

それは、株式会社オーエムエムジーという結婚紹介会社が運営するサイト・恋愛結婚の新しいカタチの中で、作家・室井佑月さんが恋愛相談をしている「うじうじ悩んでど~すんの!?」というコーナーです。

私は、いつも朝日新聞のアサヒコムから入っています。

室井さんの回答には”恋愛の達人”らしく含蓄のある言葉が多くて、いつも感心させられます。

正直にいうと、あたし、恋愛市場において臆病者は用がないと思ってる。傷つきたくないやつは、背中をまるめて独りで家にいればいい。

女はね、「君を愛してる」、そんなふうにはっきりと告白してくれる男の潔さに惚れるんだよ。

う~んと唸るしかないですね(笑)。室井さんの言葉は、簡潔な分、恋愛の真髄を突いているように思います。

「恋は人生の花だ」といったのは坂口安吾ですが、たしかに、人生の思い出といったら、恋愛をおいてほかにありません。まさに「これより他に花はなし」です。
2006.06.17 Sat l 日常・その他 l top ▲
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昨日、仕事の帰り、ふと、海が見たい、と思いました。

それで、新木場からりんかい線とゆりかもめに乗り換えてお台場に行きました。

私は、高校時代は大分県の別府ですごしましたが、別府は背後に山を控え、前方に海が広がる坂の多い街でした。

昼下がり、坂道を下っていると、建物と建物の間に客船がひょっこり姿を現し、スローモーションフイルムのように白い波紋を残しながらゆっくりと通り過ぎて行くのです。私はそんな光景が好きでした。

お台場には今のようにひらける前はよく出かけて行きました。まだ、工事のダンプが行き交っている頃でした。

当時、周辺の大きな建物といったら、有明コロシアムか船の科学館か青海の流通センターくらいしかありませんでした。

ただ、海沿いには応急的に造ったような公園がやたらとありました。どこの公園でも片隅に沢山の赤錆びた廃車がうち棄てられていました。

そんな公園のコンクリートのベンチに座って、ボーッと海を眺めるのが好きでした。銀座から10分ちょっと車で走っただけで、こんな忘れられたような場所があるなんて不思議な気さえしました。

今のお台場は当時の面影など微塵もなくまるで別世界のようになりました。なんだか海も遠くなったような気がします。

海浜公園のベンチに座ったものの、カップルや修学旅行生などやたら人が多くてなんだか落ち着きませんでした。波の音よりキャーキャーいう嬌声ばかりが聞こえてきます。

それで、缶コーヒーを飲んだだけで、早々に退散して帰って来ました。
2006.06.15 Thu l 日常・その他 l top ▲
先日、何かの本に、人間関係がうまくいかないのは、自分の中のネガティブな感情をうまくコントロールできないからだ、と書いていましたが、それってよくわかる話でした。

相手の欠点ばかりをみる、そんな嫌な自分がいます。いつも”いい人”でいたいと思う一方で、意地の悪い自分がいるのです。

いつも明るくて誰とでもすぐ仲良くなるので、「人見知りしない人なんですね」とよくいわれますが、しかし、親しい友達からは、逆に人間嫌いだといわれています。

エゴというのはどうしようもないもので、むしろそんなネガティブな感情に動かされる場合が多いのではないでしょうか。

私は社会に出てからずっと営業の仕事をやってきましたし、周囲からは典型的な営業向きな性格だといわれてきましたが、うちの親は私が営業している姿なんて想像すらできないといつも言ってました。

外では冗談ばかり言ってますが、家では冗談ひとつ言ったことがありません。

じゃあ、どっちの自分が本当の自分かといえば、ユング心理学のいうペルソナ(仮面)とシャドー(影)ということになるのかもしれませんが、まあ、どっちも本当の自分だというしかありません。

相手のことを見ているつもりでも、ホントは自分のことを見ているのかもしれません。相手の欠点はホントは自分の欠点なのかもしれません。

自分にやさしい人間は他人にもやさしくなれる。

こんな言葉はちょっとクサイけど、しかし、ときに「そうかもしれないな~」と思うことがあります。
2006.06.13 Tue l 日常・その他 l top ▲
ビッグイシュー』という雑誌をご存知でしょうか。

イギリス生まれのこの雑誌は、ホームレスの人達が街頭で販売し、その売上げによって彼らが自立をめざすというユニークなストリートマガジンです。

月刊誌ですが、既に発行は50号を越えています。

私は、矢井田瞳さんが表紙を飾った第4号からほぼ毎月買って愛読しています。

このところ、テレビでもたてつづけに『ビックイシュー』のことをとりあげたドキュメンタリー番組が放映されましたので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

ところで、その番組をみて意外だったのは、スタッフやボランティアの女性達が非常に若いということでした。しかも、みんな、おしゃれできれいなのです。

普通、こういった仕事をする女性というのは、献身的だけど、おしゃれなどにはまったく縁がない、どっちかといえば修道女のようなイメージがありましたので、意外でした。

そんな彼女達がホームレスの人達を相手に奮闘する様子をみるにつけ、不遜な言い方ですが、「日本も変わったな~」と思いました。

彼女達の存在は、アンジェリーナ・ジョリーの生き方にもつながるようなかっこよさを感じました。小難しい理屈やイデオロギーがないだけ、よけい颯爽としたかっこよさを感じますね。

私のまわりをみても、最近、特に若い女性達の間で、派手なIT企業の広報担当などより、こういった社会的に貢献する仕事の方がかっこいいんだ、というような風潮が生まれてきているような気がします。

たしかに、少しづつですが、日本の社会も変わりつつあるのではないでしょうか。そして、我が身を振り返るにつけ、彼女達がまぶしく見えるときがあります。
2006.06.11 Sun l 社会・メディア l top ▲
『怪しいお仕事!』や『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』などの著書でおなじみのライター・北尾トロさんのブログ・オンライン古本屋の日常を読んでいたら、次の文章を見つけて、思わず「わかる~」と心の中で叫びました。

西荻で幻冬舎の国東氏とあう予定だったけど、近くにいるのでと電話。オシャレなカフェを指定される。
いやー、落ち着かない。この町にルノアールはないのか。

私も仕事に出かけると、よく喫茶店を利用しますが、そんなとき、いつも無意識のうちにルノアールを探している自分がいます。

おかげで普段仕事で出かける街に関しては、ルノアールの場所はほぼ把握しているつもりです。

ルノアールは何故か落ち着くのですよね。まわりがおじさんばかりだからというのもありますが、読書するにしても昼寝するにしても、長居するのにまったく気を使う必要がないのです。

それどころか、途中、「どうぞごゆっくりなさってください」と言わんばかりにお茶まで持って来るのですから、かえって恐縮するほどです。

若い頃、彼女とデートしているときも、「疲れたね~」「どっか休みたいね~」と言われ、「じゃあ、ルノアールに行こう」「この先にあるよ」と得意満面に答えて、「フーッ」とため息を吐かれたことが何度かありました。

ちなみに、今まで寝ぼけて、テーブルの上のコップを割ったことが二度ありました。しかし、いづれも「(弁償は)結構ですから」と言われ感激しました。

ただ、ルノアールのサイトを見ると、最近、ルノアールもご多聞にもれず「オシャレなカフェ」路線に転換している感じです。

ルノアールファンとしてはちょっとさみしい気がします。
2006.06.09 Fri l 日常・その他 l top ▲
昔はホントによく人と会って食事をしていました。1週間、毎日誰かと食事なんてこともめずらしくありませんでした。

それに比べたら、ここ数年、人付き合いが悪くなったな~、と自分でも思います。

それで、前にも書きましたが、最近はつとめて人と会うように心がけています。

昨日も、四谷三丁目で、サラリーマン時代の元同僚(♀)と食事をしました。

彼女は、現在、海外に住んでいるのですが、一時帰国したこの機会に、約10年ぶりに会うことになったのです。

四谷三丁目界隈は、かつて親しい取引先があった関係で、毎日のように通っていた時期があり、それこそ私にとっては庭のようなところでした。

四谷三丁目のランドマーク・丸正の前で待ち合わせて、近くの「天春」という天ぷらの店に行きました。「天春」は天ぷらだけでなく、てんこ盛りのしじみ汁でも有名な店です。

昔は仕事でいいことがあったら、ご褒美に「天春」で食事をするのが楽しみでした。

彼女はいつもポジティブでバイタリティにあふれた女性なので、仕事のことや私生活のことなど、なんだか気合いを入れらっぱなしでした。どこぞのロックミュージシャン流にいえば、「パワーをもらった」感じでした。

友達っていいな~、とあらためて思いました。なんだか(ちょっとクサイ言い方ですが)心まで満腹になった気がしました。
2006.06.08 Thu l 東京 l top ▲