昨日、朝からアクセス数が急速に伸びていましたので、どうしたんだろう、と思っていました。

しかも、Google経由でアクセスしてくるお客様が多く、その大半は”シール”のキーワードでいらっしゃるお客様でした。通常の4~5倍はありました。

夕方、某全国紙の記者の方からメールが届いて、その”異変”に合点がいきました。

前にも書きましたが、先々月、エントリーした記事がきっかけで、検索エンジン、特にGoogleについて取材を受けたのですが、その記事が昨日の朝刊に掲載されたらしいのです。

私自身はまだ読んでないのですが、恐らくそれを読まれた方がアクセスしてきたのではないでしょうか。

今更ながらに新聞の影響力の大きさを痛感させられました。
2006.07.29 Sat l 仕事 l top ▲
今日は暑い一日でした。日中、外を歩いているとめまいさえおこしそうでした。酷暑、ふと、そんな言葉が頭に浮かびました。

そんな中、浅草橋に発送の際に使うOPP(透明の袋)を買いに行きました。埼玉にも包装用品の問屋があるのですが、どうしても浅草橋まで足を延ばしてしまいます。

以前は車で行くことが多かったものですが、最近はもっぱら電車なので、重い荷物を下げて帰るのはひと仕事です。それでも浅草橋まで行くのは、この業界にいると浅草橋は何かにつけ縁のあるおなじみの土地だからです。

独立した当初、文具関係の商品を扱っていた関係で、浅草橋にある某文具メーカーの子会社の問屋と取引きをしていました。

別の問屋から紹介されたのですが、どこの馬の骨とも知れない新参者と取引きをすることに対して、会社が二の足を踏むのは当然です。しかし、当時、部長をしていた方が尽力してくれたおかげで取引きすることができました。

最初に会社に呼ばれて、社長をはじめ会社の人達に紹介されたのは、そうやって私の人となりと見てもらえば安心するのではないか、という配慮があったみたいです。

そのあとも何かにつけ「会社に来ませんか?」と言われてよく伺いました。そして、そのたびに夕飯をご馳走になりました。

部長は、私が自分の息子と同じくらいの年齢なので、「がんばってもらいたいんですよ」と言ってましたが、ホントは心配だったのだろうと思います。

やがて部長は会社を定年退職することになりました。その頃は既に取引きも有名無実化していましたので、それをきっかけに取引きも解消しました。

最後に会った夜も「がんばってくださいね」と言われて手を差し出してきました。私は握手をしながら、「ありがとうございました」と言って別れました。

そして、先日、文具業界の旧知の人に会った際、部長が退職後ほどなくして病気で亡くなったことを知りました。

商売の現場にいると、えげつなくて不愉快な思いをすることはよくありますが、ときにそんな暖かい人情に触れることもあります。
2006.07.26 Wed l 東京 l top ▲
昨日、渋谷の取引先の店にいたら、「子供用の歯ブラシはありますか?」と初老の女性がやって来ました。「孫が夏休みで遊びに来るので用意しておかなくちゃと思いましたね」とうれしそうに言ってました。

まして地方のおじいちゃんおばあちゃん達は、そうやって帰省してくる孫に会えるのを今から心待ちにしているのではないでしょうか。

今日の午後、埼玉に向かっている電車の中に小学校低学年くらいの男の子がひとりで乗っていました。背中には大きなリュックを背負っていて、そのリュックには名前と連絡先を書いた名札が下がっていました。

彼は落ち着かない様子で、ドアの上にある駅の案内板を何度も見に行ったり、駅に着くたびに窓の外に目を凝らして駅名を確認していました。

それを見て、なつかしい感じがしました。

私も子供の頃、夏休みになるとひとりでバスに乗って母親の実家に遊びに行ってました。

あといくつで目的のバス停に着くか、何度も指を折って数えていました。目的のバス停が近づくと、もし降りるのに遅れたどうしようと不安に襲われて、早くから座席を立ち、出口の前に立っていました。

そして、バス停が近づき、迎えに来ている叔父の姿を遠くに見つけると、ホッとしたものです。「よく来たな」と叔父から頭を撫でられると、なんだが誇らしい気持になったことを覚えています。

今日の小さな旅は、おそらく彼にとって一生忘れられない思い出になるのではないでしょうか。そして、何十年後かに思い出したとき、ちょっぴりせつない気持になるのかもしれません。
2006.07.23 Sun l 日常・その他 l top ▲
駅を降りて、自宅へ向かう途中、賑やかなお囃子が聞こえるのでなんだろうと思ったら、近所の小学校の校庭に櫓が組まれて盆踊り大会が行われていました。

埼玉や東京ではお盆は7月なのです。近所の知り合いの家でも、お盆には親戚が集まるので大変だ、と言ってました。

そういえば、スーパーでも、お盆のコーナーが設けられて、提灯や仏壇にお供えするお菓子や果物などが売られていました。

私達地方出身の人間には、お盆というのは月遅れの8月というイメージが強いので、この時期のお盆にはなんだか違和感があります。

私にとって、お盆は夏の終わりのイメージと重なっています。だから、なんとなくもの哀しい気分になったものです。

田舎では正月とお盆はひとつの区切りでした。田舎では掛売りは当たり前で、正月とお盆の前には一括して払うというのが暗黙のルールになっていました。

我が家は商売をしていたのでほとんど現金払いでしたが、同級生の家では床屋代(九州では”散髪代”)も正月とお盆の年に2回まとめて払っているという話を聞いたことがあります。

ところが、同じ埼玉でも戸田市に住んでいる知人の話では、お盆は我々と同じ月遅れの8月なのだそうです。彼は別に地方から来たのではなく、れっきとした戸田生まれです。同じ埼玉でも違うのだな、と思いました。

では、地方から来て既に何代も住み着いている家ではどうなのだろう、と思ったら、まちまちなのだそうです。中には月遅れの8月に墓参りに行ったり仏壇に提灯を下げたりする家もあるのだとか。

ちなみに、私は、今年のお盆も帰省の予定はありません。あのもの哀しいお盆の記憶もずいぶん遠いものになってしまいました。
2006.07.15 Sat l 日常・その他 l top ▲
昨夜、突然、腹痛に襲われ、ひと晩中寝ずの苦しみを味わうはめになりました。

盲腸は右の下ですが、私の場合、左の下なので盲腸ではないみたいです。

何度も救急車を呼ぼうかと思ったものの、なんとか我慢していたら、明け方近くやっと収まりました。それからウトウトして目が覚めたのが昼前だったのですが、そのときも少し痛みに襲われました。

特に前かがみになると痛いのです。仰向けに寝てお腹を反らすようにするといくらか楽でした。

人間というのは現金なもので、痛みが去ると途端に空腹を覚えて、近くのコンビニに行きました。

コンビニの前に来ると、店の前のゴミ箱の上にカラスが1羽とまっているのに気付きました。しかも、そのカラスはすぐ手が届くくらいまで近づいてもまったく逃げるそぶりもみせないのです。首を傾げて私の方をじっと見ているだけです。

さらに、買物を終えて、外に出てみると、今度はまるで私を待っていたみたいに、私が乗って来た自転車の後ろの座席にとまっていました。

私が自転車に跨ろうとしても動く気配さえみせません。相変わらず首を傾げて私の方を見ているばかりです。それで、わざと自転車を揺らすと、やっと下の舗道に飛び降りたのでした。そして、舗道から私の方を見上げていました。

腹痛とカラス、つい不吉なことを連想して、何度も後ろを振り返りながら帰って来ました。
2006.07.13 Thu l 日常・その他 l top ▲
先日、たまたたまネットで見つけたネイルシールについて、某メーカーに問合せのメールを送りました。

しかし、返ってきたのは、ネットショップとの取引きは当分見合わせることになりましたとのつれない返事でした。

たしかに、ネットショップと取引きしたものの、たいして注文もなく、商売としてはメリットがないと考えるのはわからないでもありません。

実際にネットショップを見ていると、大半は見よう見まねではじめた素人だといっても過言ではありません。

もちろん、そうやって気軽に誰でもショップオーナーになれる(商売ができる)というのが、インターネットが産業革命以来の新しいパラダイムだといわれる所以なのですが、だからといってネットで商売が成り立つがどうかというのはまた別問題なのです。

もうこれ以上素人の商売には付き合っておれないというのが本音なのかもしれません。事実、メーカーや問屋の中にははっきりとそのようなことをいうところもあります。

しかし、ロングテールの法則を引き合いに出すまでもなく、ネットショップを十把ひとからげにして門前払いするというのもちょっと乱暴すぎるし、現状認識においてお粗末な気がしないでもありません。それどころか、旧弊な商習慣に胡坐をかいた傲慢ささえ感じます。

旧来の日本的商習慣の中で支配者であっても、それはあくまで『ウェブ進化論』がいう「あっちの世界」の話であって、「次の10年」、ネットの世界が時代のイニシアティブを握ったとき、いつまでも支配者でありつづけるという保証はないのです。

証券や旅行や損害保険の業界などでは、ご存知のように、もはやネット取引きが無視できないほどの規模になっています。

身近な例では、文具業界においても、会社関係の事務文具に関しては、今やアスクルなどの新興勢力に完全に市場を奪われてしまいました。

文具業界ほど閉鎖的で排他的なムラ社会はありませんからね。そのために新しい時代の動きを読むことができなかった、いや、時代の動きを読むことができても、旧来のシステムに縛られて対応できなかったというのが真相かもしれません。

ネットというのは、要するに、ロングテールの法則にみられるように、「塵も積もれば山となる」世界なのです。しかし、旧来のシステムに縛られた会社は、それが理解できないし、また、日本的な商習慣に基づいた高コスト体質になっているため、ネットの薄く広い”小口決済”に対応できないのが実情なのだと思います。

しかし、時代は確実にネットを中心とした世界の方向に進んでいることは誰の目にもあきらかで、もはやそれが前提のはずです。にもかかわらず、未だ前提にさえなってないとしたら、やはり、やがて朽ち果てるべき運命のアンシャンレジームだといわざるを得ないのではないでしょうか。
2006.07.12 Wed l ネット l top ▲
昨日、友人と電話で話しをしていた際、「謝るということはカッコいいよね」という話になりました。それは、謝ることが苦手なみずからに対しての戒めの意味もあったように思います。

過去を振り返っても、「あのとき謝っておけばな~」と後悔することがホントに多いです。

人生のさまざまな局面において、心ならずも人を裏切ったり人を傷つけたりすることはあります。そんなとき、謝る勇気があるかどうか、みずからが試されているような気がします。

私は人からよく「意地が強い」といわれますが、少なくともプライベートな人間関係において、意地が強くていいことなんて何もなかったように思います。

チャップリンは「ライムライト」の中で、「人生に必要なものは、勇気と想像力と少しのお金だ」といいましたが、「勇気」の中には謝る勇気も入っているのかもしれません。

意地を張っても気持は伝わらないのです。謝らなければ伝わらない気持もあるのです。

友人は「謝るが勝ちだよ」といってましたが、たしかにそうかもしれないな、と思いました。
2006.07.08 Sat l 日常・その他 l top ▲