最近、テレビや雑誌などの広告で、GoogleやYahoo!にあるような検索窓口の画像が使われているのをよく目にします。自社の名前や商品名を入力して検索してくださいと言いたいのでしょうか。

広告にも流行があるのはわかりますが、それにしても右へ習えしたような同じパターンの広告を目にすると、なんだかなぁ~と思ってしまいます。

毎朝揃って「今日の朝刊チェック」なんてやっているテレビも同様ですが、どうしてニッポン人というのはこんなにヒトマネばかりで個性がないんだろう、とあらためて思います。

一方、ネットでよく目にするのは「恋する‥‥」というフレーズです。恋するコスメ、恋するスィート、恋するデジカメ(?)、なんでも恋すればいいのか、と言いたくなります(笑)。

と言いながら、実は私も、前に「恋するシール」というフレーズが頭に浮かんだことがありました。しかし、やはり、とてもじゃないが恥ずかしくて使うことはできませんでした。

作家の五木寛之氏は若い頃、雑誌などに掲載される写真を自分で管理していたことで有名で、たしかにそれが流行作家としての氏のイメージを形成するのに大きな役割を果たしたのは事実ですが、氏自身は、(恰好をつけた写真は)たしかに恥ずかしいけど、傍から見ると恥ずかしいくらいがちょうどいいんだ、とエッセイに書いていました。

オーバーなくらいが傍目にはちょうどよく映るというのは、ある意味真実かもしれませんね。しかし、私はやはり、どうしても恥ずかしさの方が先に立ってしまいます。

そこで思ったのですが、安倍総理が外遊の際、夫人と手をつないで飛行機のタラップを下りるのも、やはり、意識してやっているのかもしれませんね。どう見てもわざとらしく見えますからね。本当はご本人も恥ずかしくてたまらないのかもしれません。

ただ、安倍総理の場合、わざとらしく見えるというのが既に役者としての”限界”を示しているように思います。その点、小泉元総理の方が役者としては一枚も二枚も上だったのではないでしょうか。安倍政権の支持率が低下の一途の辿っているのも案外そのあたりに原因があるのかも、と思いました。
2007.01.22 Mon l 社会・メディア l top ▲
ほしい本があったのですが、ネットで調べるとアマゾンにも在庫がありませんでした。紀伊国屋も有隣堂も文教堂も旭屋もどこも在庫がありません。ところが唯一池袋のジュンク堂にあったのです。さすが100万冊の在庫を誇るだけあります。

それで、仕事のあと、池袋まで目当ての本を買いに行きました。

若い頃は今年は映画を200本観るとか本を500冊読むとか自分にノルマを課していたものですが、いつの頃からかそういったこともなくなりました。それどころか、今年は何をしようとかどんな年にしたいとか、そういった抱負さえもなくなりました。それだけ人生に緊張感がなくなってきた証拠なのでしょうか。

ところで、今年は元日からトラブルつづきでした。

まず、ノートパソコンのHDDが壊れました。買ってまだ2年なので、メーカーのコールセンターに電話してそう言うと、「HDDの場合、2年で壊れることもあります」と木で鼻を括ったような返事が返ってきました。

それで、休み明けにHDDの交換に出したのですが、この場合、パソコンメーカーに出すよりHDDのメーカーに出す方が安くつくということを知りました。私は、アイ・オ・データに出したのですが、部品代や送料など全て込みの交換サービスというのがあり、とても便利でした。

また、腕時計も壊れました。針が止まったので電池が切れたんだろうと思って時計屋に持って行ったら故障だと言われたのです。見積りでは修理代が4万円近くかかるというのです。そして、そのあと、時計屋のご主人からお決まりの台詞が出て来ました。「修理するより新しいのを買った方がお得ですよ」と。

それから、電話の子機も故障しました。電池を交換してもウンともスンとも言いません。

いづれも元日のことです。まるで年が明けるのを待っていたかのようにいっせいに壊れたのです。どこかの宗教団体ではないけれど、悪い電波でも出ているのではないかと思ったくらいです。

他に外付けHDDと液晶モニターも買うはめになりました。正月早々こんな調子では今年はもの入りの年になりそうです。
2007.01.15 Mon l 日常・その他 l top ▲