
いよいよセカンドライフ日本版の試験サービスもはじまり、インターネットにまたひとつ大きな波が押し寄せている気がします。
私は何とかインターネットの時代に間に合った世代ですが、それでもあと20才、いや、10才でもいいから若かったらな~と思うことがあります。そうすればもっとすごい時代を体験することができるような気がするからです。
インターネットが本格的に普及しはじめて12年、グーグルに至っては創業(1998年)してまだ9年しか経ってないのです。それでこのウェブ2.0といわれる時代まで進化したわけですから、これからの10年はもっと大きく変わるだろうことは想像に難くありません。しかし、さらにその先の10年は‥‥と考えると、ネットの時代のスピードは従来の時間の概念を変えるくらいとてつもなく速いので、もはや我々の想像さえ及ばない世界が待っているのかもしれません。
セカンドライフにもオープンソースというウェブ2.0の思潮が生きていますが、ただ、グーグルのようにネットの世界を牽引するパワーを持ち得るのか、まだまだ未知数な面も多いように思います。
セカンドライフでは仮想通貨のリンデンドルが米ドルと換金できることが大きな特徴で、それによってリアル経済とリンクしたことが人気を博している理由のひとつだと言われていますが、ただ、セカンドライフ内で土地を購入しようとすれば、日本円でおよそ20万円近くのお金が必要なのだそうです。だとすれば、それは、無料経済あるいはチープ革命(梅田望夫氏)と呼ばれるウェブ2.0の思潮からは対極にあるような気がしないでもありません。
現に今週の『エコノミスト』(7/24号)でも「セカンドライフに群がる企業」という特集が組まれていましたが、名だたる大手企業が我先にセカンドライフに進出している姿を見るにつけ、なんだかいや~な予感がするのは私だけなのでしょうか。
ところで、先日の日本経済新聞で、グーグルのCEO(最高経営責任者)のエリック・シュミット氏が「5年以内に次のグーグルが必ず現れる」と発言しているのを読んで、今更ながらにグーグルのすごさを再認識させられた気がしました。普通、こんな感覚を持っている会社の社長なんていないでしょう。ましてこの日本では‥‥。
もちろん、グーグルが唱えるウェブ民主主義が必ずしも手放しで礼賛できるものではないことは前にも書いたとおりです。ただ、この発言をみる限り、分散型のネットワークであるインターネットが潜在的に持っている反中央集権・反権威の考え方が、グーグルの中にも流れているような気がしないでもありません。
以前、あるポータルサイトの社長が、検索エンジンの精度が上がったので検索連動型広告の売上げが鈍化したというような発言をしていましたが、グーグルの社長なら間違ってもこんな言い方はしないはずです。もしグーグルの社長だったら、アドワーズの売上げが上がらないのは検索エンジンの精度が上がってないからだ、と言うのではないでしょうか。こういった素朴なまでのテクノロジー万能主義ともいうべき姿勢とそれに裏打ちされた高い技術力が、日本を除いたネット先進国で僅かの期間に圧倒的なシェアを獲得するに至った要因であることは間違いありません。
もうひとつ、私がいつもすごいなと思っているのは、梅田望夫氏と茂木健一郎氏との対談集『フューチャリスト宣言』の中でも触れられていましたが、あのグーグルのトップページに広告がないということです。いつも見慣れているので広告がないのが当たり前のことのように思いがちですが、よく考えてみれば、それってすごいことではないでしょうか。もし広告を募集したらとてつもない値段が付くはずです。でも、あえてグーグルはそれをしない。そこにグーグルという会社のポリシーが貫かれているような気がするのです。
同じ『フューチャリスト宣言』の中で、やはりウェブ2.0の思潮のひとつである集合知を代表するウィキペディアようなコンテンツがどうして日本では生まれなかったのかということが話題になっていましたが、それは我々が考える以上に問題の根は深いのではないでしょうか。
ネットショップでも相変わらずモノマネばかりで、そうやって右顧左眄しながら人のあとに付いて歩くことしかできない人間に限って、我こそトップランナーなのだと大言壮語することだけには長けているのです。せめてネットの中くらい個性よ出でよと言いたい気がします。
梅田氏は、この特殊日本的な状況を打破するのはオープンソースの精神が身に付いている今の20代くらいからの若者達だろうと言ってましたが、であれば尚更もっと若ければな~と思えてなりません。