
昨年もこの時期に同じようなブログを書いた覚えがありますが、シールをお送りする際に使用するOPPを買いに浅草橋に行きました。
ラッピング関係の問屋はクリスマス用品の買い出しに来た人達で混雑していて、店内はなんだかひと足早く師走が訪れているような感じでした。
都営浅草線で行ったので、帰りに「人形町」で下車して久しぶりに食事でもしようかと思ったものの、両手に重い荷物を下げている上、ちょうど夕方のラッシュにかかる時間帯だったので、断念してそのまま帰って来ました。
帰ったら、商品と印刷を頼んでいた封筒が届いていました。そして、それらの梱包をほどいていたら、今度は郵便局から小荷物が届きました。
2ヶ月近く前に印字を頼んでいた代金引換用のラベル(送り状)でした。ところが、この辺りはおとといから住居表示が変更になったばかりで、届いたのは古い表示が印字されたラベルでした。もちろん、古い表示でも使えないことはないし、それに無料サービスなのであまり文句は言えないのですが、もしこれがヤマトや佐川だったら1週間で届くでしょう。
じゃあ、どうしてヤマトや佐川に替えないのかと思われるかもしれませんが、要するに、小包以外の普通郵便の代金引換は郵便局しか扱ってなく、いわゆる郵便(一般信書便)は依然として郵便局の独占状態がつづいているからです。
現在、総務省も他の民間会社が郵便事業に参入しやすいように障壁を緩和するなど郵便法や信書便法の改正を検討しているようですが、1日も早く実質的な郵便事業の自由化を実施してもらいたいものです。そうすれば、こんな旧社会主義国の国営企業のようなだるい対応も少しは改善されるのではないでしょうか。
もっとも、「非常識がまかり通る」というのは、郵便局だけでなく、身近な人間関係においても例外ではありません。私も最近、いやになるくらい経験しています。
私達は「人間は理性的な動物である」=「話せばわかる」という、いわば西欧近代の理性第一主義的な人間観を前提に様々な人間関係を成り立たせていますが、しかし、そういった人間関係は、もしそこに「話してもわからない」人間が闖入してきたらもはやなす術もないきわめて脆弱なものでしかないのです。さらに、まわりの人間達の、ただ傍観するだけの無責任な態度がよけい「非常識が居座る」結果を招いているように思います。
「知に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。」(『草枕』)
夏目漱石ではないけれど、そんな心境です。漱石はつづけて、「意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は棲みにくい。」と言ったのですが、まったくです。