今日は郵便局に行ったついでに環状2号線を歩いて、鶴見区の三ツ池公園まで行きました。

最近は自転車も使わずになるべく歩くようにしています。電車で出かけるときも、時間があれば隣駅まで歩いていますし、郵便局もすぐ近くの駅前に特定局があるのですが、わざわざ1キロ近く離れた本局まで行くようにしています。

私の場合、散歩コースは大きく二つに分かれています。ひとつは、駅を越して綱島街道や環状2号線沿いを歩くコースで、もうひとつは、駅とは反対側の鶴見川沿いのコースです。今日は前者のコースでした。

新横浜から出た環状2号線は二つの坂を上ることになります。まず、綱島街道との交差点から最初の坂を上り切ったところに「南谷戸」というバス停がありました。「谷戸」というのは、私の知る限り九州ではほとんど使われてなくてこっちに来て初めて耳にした言葉でした。谷戸の語源に付いてというサイトでは、「丘陵地の谷間で小川の原流域を指す環境のことで、それに関連する森や沼池などをひっくるめて“谷戸”という。」と説明されていました。特に関東地方の丘陵地に「谷戸」が付くバス停が多いのだそうです。

トレッサ横浜

バス停の前方には先月オープンしたトヨタ自動車が運営する複合商業施設・トレッサ横浜がありました。ただ、現在オープンしているのは北館だけで、3月に環状2号線をはさんだ反対側に南館がオープンする予定だそうです。

私は既に2度行きましたが、修理工場を併設したトヨタ系列の販売店が6店舗入っているため、道路に面した表側はそれらの店舗に占領され、警備員が立っている駐車場の入口以外にこの施設の正面入口がどこなのか、まったくわかりませんでした(実際それらしきものはありません)。自動車会社が運営しているので、やはり、車で来るお客さんを主体に考えているのでしょうか。

トレッサを過ぎると次の坂が見えてきました。住所の表示もいつの間にか鶴見区になっていました。そして、坂を上ると、右手の丘陵に沿うように円筒状の建物があり、スノーヴァ新横浜という看板が見えました。「エッ、どうしてここが新横浜なの?」と一瞬思いましたが、スノーヴァ新横浜は知る人ぞ知るスノボー専門の室内ゲレンデなのだそうです。

環状2号線

スノーヴァ新横浜の前から下り坂になり、前方が大きくひらけてきました。遠くに川崎駅周辺の建物を見渡すこともでき、なんだかすごく遠くに来たような気がしました。そして、少し坂を下ると「三ツ池公園前」という道路標識があり、右手の脇道を50メートルくらい進むと、公園の入口が見えて来ました。

三ツ池公園は名前のとおり三つの池からなる公園で、他に野球場やテニスコートやプールなども併設され、広大な敷地を有する公園でした。そんな公園を周回する遊歩道で特に目立ったのは犬を散歩する人達でした。そう言えば、途中の環状2号線沿いもペット関連の店が目に付きましたが、京浜工業地帯の後背地に位置するこの一帯はとりわけペットを飼う家庭が多いのでしょうか。

三ツ池公園

水鳥が遊ぶ池の畔に立っていると、「こんなゆったりした時間もいいもんだな~」とあらためて思いました。日常においてこういった時間を持つというのは、すごく大事な気がします。なんだか息継ぎをしているような、そんな気がするのです。三ツ池公園は桜の名所としても有名だそうで、桜の季節になったらもう一度来てみたいなと思いました。

自宅に戻ったらすっかり暗くなり、駅前通りも夕方の買い物客で人通りが多くなっていました。今日は10キロ強を3時間くらいかけて歩いた計算になります。しかし、帰る途中、空腹を覚えすき家で牛丼を食べたので、カロリー消費の目的から言えば全てが帳消しになりました(笑)。
2008.01.27 Sun l 健康・ダイエット l top ▲
検査の結果を聞くために病院に行きました。その後、体調はすこぶるいいものの、一抹の不安はありました。しかし、幸いにも細胞検査の結果は陰性。既に血尿も出てないとのことでした。やはり、単なる尿路結石で、知らない間に石が出たのだろうという話でした。

ただ、腎臓に石があるため、また同じ痛みに襲われる可能性もあります。ネットで知ったのですが、私のような人間を「石持ち」と呼ぶみたいです。金持ちではなく石持ち。

あっけないほど簡単に診察が終わり、会計に行ったら再診料も含めて480円でした。あまりの安さに申し訳ないくらいでした。

病院を出たあと、ついでに散歩することにしました。隣駅の手前に鶴見川が流れているのですが、最寄駅と鶴見川の間に小さな商店街があるのです。電車の中からそのひなびた通りを見るたびにいつも気になっていたので行ってみることにしました。

綱島街道を下って、一本脇に入るとその商店街はありました。失礼ながらゴーストタウンのようでほとんど人影がありませんでした。すぐ横を平行して走っている綱島街道にはひっきりなしに車が行き来しているので、不思議なくらいです。大型店の進出と後継者不足で店舗も最盛期の半分に減り、現在、20数軒しか残ってないそうです。

背後には丘に沿って住宅地が控えているし、駅前通りまで行くにはちょっと距離があるので、地元の人達には重宝しているような気がしないでもないのですが、やはり、大型店の影響が大きいのでしょうか。と言って、どこに大型店があるのか、わかりませんでした。

大倉山公園

住宅地の背後の丘には駅名にもなっている大倉山公園があります。帰りに公園に寄ってみることにしました。こちらへ来て1年が過ぎましたが、私はまだ一度も行ったことがありません。東横線の線路を跨ぐ歩道橋を渡り、斜面にへばり付くように建ち並んでいる住宅地の中を上って行くと、樹木におおわれた公園がひらけてきました。

大倉山公園は梅林で有名ですが、まだ蕾もほとんど膨らんでなくて裸木が立ち並んでいるだけでした。梅林の中のベンチには母子が一組ぽつんと座っていました。

大倉山記念館

さらに歩道を上って行くと、この公園のシンボルである大倉山記念館の建物が見えてきました。冬の昼下がりのやわらかな陽射しを浴びたそれは、まるでギリシャ神殿のような威厳のある建物でした。建物については建物マップというサイトで詳しく解説されていますが、プレ・ヘレニズム様式というのだそうです。建物の中からは子供達の澄んだ歌声が流れていました。

帰途、枯葉が敷き詰められた坂道を下りながら、ふと、サイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道」という歌を思い出しました。身体にも異常はなかったし、心なしかいつもより足取りも軽くなっているような気がしました。
2008.01.18 Fri l 健康・ダイエット l top ▲
ボロ市1


世田谷のボロ市に行きました。私はボロ市は初めてでした。

三軒茶屋から世田谷線に乗って「世田谷」で下車、世田谷通りから一本脇に入ったいわゆるボロ市通りとその周辺の路地は文字通り芋を洗うが如しの賑わいでした。

このボロ市は430年の伝統があり、東京都の無形民俗文化財に指定されているのだそうです。約700の露店が軒を連ね、それこそ何でもありという感じでした。骨董品や古着はもちろん、漬物やプロマイドを売る店までありました。中には「屋根の修理」という看板を出して年老いた店主がひとりぽつんと座っているだけの店もありました。

ボロ市2

私が興味を持ったのは売っている商品よりも各露店の店主達でした。それこそサラリーマンとは対極に位置するような個性的な風体の人物が多いのです。

私はサラリーマンの頃、知り合いの会社から頼まれて、催事を仕切るアルバイトをしていたことがありました。催事の初日、出店業者の場所の割りふりを行ったり、最終日に片付けがスムーズに行われるよう陣頭指揮をするのが主な仕事でした。いつも輸入雑貨の業者が多かったのですが、それは個性的な人達ばかりでした。ボロ市をまわりながら、当時のことを思い出しました。

彼らの多くはいわゆる団塊の世代です。60年代後半のカウンターカルチャーの洗礼を受け、いわば日本株式会社のレールからドロップアウトした人達です。ここには80兆円とも言われる退職金目当てにやたらもてはやされるサラリーマン退職者達とは別の団塊の世代の姿があるような気がします。私は個人的に団塊の世代は好きではないのですが、こういった組織に頼らず個性的な生き方をしている人達にはシンパシーを覚えます。

松陰神社

帰りに近くの松陰神社に寄ってお参りしました。昨日は散歩の途中、最寄り駅にある熊野神社にお参りしたし、健康に不安を持った途端、所かまわず神頼みしている自分がいます。まったく人間というのは現金なものです。
2008.01.16 Wed l 東京 l top ▲
ウェブ時代をゆく

梅田望夫さんの最新刊『ウェブ時代をゆくーいかに働き、いかに学ぶか』(ちくま新書)を読みました。本書の帯には”『ウェブ進化論』完結編!”という惹句がありました。『ウェブ進化論』ではGoogleを中心としたネット社会の近未来が描かれていましたが、今回は書名どおりネット社会の中で如何に働き如何に学ぶかがみずからの体験をまじえながら具体的に説かれています。

もちろん、今回も『ウェブ進化論』同様、梅田流オプティミズムは健在で、中でも持論の「総表現社会の三層構造」に関しては、次のようなミクシィでの感想に出会い、益々確信を深めた、と梅田さんは書いていました。

ちなみに、「総表現社会の三層構造」というのは、ブログなどによる総表現社会化を考える場合、そこに不特定多数無限大の人達が参加するとネットが衆愚化するのではないかという懸念に対して、梅田さんが『ウェブ進化論』の中で提示した仮説(イメージ)です。梅田さんによれば、エリート(1万人)と大衆(1億人)の二つの層の間に、<多様で質の高い人たちの第三層「総表現社会参加者層(1千万人)」>が存在するはずで、そういった一定の知的レベルを持った善意の層が「総表現社会」のイニシアティブを握ることによって衆愚化は免れるのではないかと言うのです。

彼女は、自分こそ「総表現社会参加者層」に参入したい代表的な人間と強く自覚した、と日記に書いていた。
 リアル社会の職業だけからは「大衆」層に分類されてしまうかもしれないし「エリート」になりたいわけではないが、自分の存在を知らしめたいという欲望がある。読書をしたり、文章を書いたり、文化的に活動している側面があり、その活動や知識を誰かと共有したいが、そういう場所が今まで日本には少なかった。読書にまつわるキーワードでつながったミクシィ上の知己には、読んでいる本の質・量も豊富で文章を書く能力も素晴らしい知識人が多い。昔の「サロン」のような会話ができるコミュニティをネット上に彼女は持ち、充実した生活を送っている。大学の専門では「エリート」集団に属することはできなかったが、「大衆」の中に埋没するのも違和感がある。受験勉強と部活だけに追われていた進学校で表面上のつきあいをしてきた高校時代の友人たちと、いまさら苦しみや悩みをわかちあったりはできない。「エリート」でもなく「大衆」にも埋没していない中間層の人たちにとっての新しい可能性の出現、それがネットの本当のありがたみだ、と彼女は結んでいた。この感想は、私の問題意識とぴったり合致するものだった。


個人的にはすごくよくわかる話ですが、しかし、(矛盾した言い方になりますが)同時に少し首を傾げたくなる部分でもあります。

梅田さんは、こういった中間層の人達がリアル社会の様々な制約から解放されたネット上に「志向性の共同体」たる「島宇宙」を作ることによって、この社会がもっと住みよいものになるはずだと書いていました。

たしかに最近、ネットを探索していると、思わず唸るような高い見識を持ったブログに出会うことが多くなったのも事実です。それは、かねがね梅田さんが主張しているように、ブログによって表現手段を得た巷の有能な人材が、ネットの拡がりとともに私達の前に浮上して来ている証拠(「群衆の叡智」の出現)なのかもしれません。

しかし、ネットというのは、見方によっては良くも見えるし悪くも見えるものです。一方で、既に衆愚化しているとしか思えないようなひどい現実があることも事実です。それに、ほとんどまともなウェブリテラシーも語学力も持ち合わせていない私達1億人の「大衆」は、じゃあどうすればいいんだ、とはたと考え込んでしまいます。

また、これを読んだ若い人達が「ネットが全てだ」「ネットは万能だ」と誤解するのではないか、そんな懸念も抱きました。

梅田さんは、「リアル世界とネット世界の境界領域に大きなフロンティアが生まれようとしている」「そこでは『新しい職業』もたくさん生まれ」るはずだと書いていましたが、この「リアル世界とネット世界の境界領域」というのが大きなポイントではないでしょうか。それは、換言すれば、リアル世界にもネットの世界にも通じていなければならない、両方のスキルを身につけていなければならない、ということではないでしょうか。

陳腐な言葉を使えば、やはり経験なのだと思います。とりわけ、リアル世界での経験が大事なのではないでしょうか。ましてや、人間関係が嫌だからとか人に頭を下げるのが嫌だ(できない)からとかいった理由でネットに逃避してそんな自分を合理化するだけでは道が拓けるはずもないのは当然でしょう。本書でくり返し強調している「好きなことを貫く生き方」というのは、多分にこういった誤解を招きやすい気がします。

ネットが全てではないし、ネットは万能ではないのです。このことは強調しても強調しすぎることはないと思います。「書を捨てよ街に出よう」と言ったのは寺山修司ですが、それをもじった言い方をすれば、パソコンをシャットダウンしてもっと街へ出ようと言いたい気がします。

このミクシィの女性についても、本当に心を揺り動かすような言葉はリアル社会の中にあるはずなのです。ネットとは関係のないところで、好きなことだけではなく嫌なことも厭わぬような生き方をしてきた、そんな市井の人が持つ言葉の重みを彼女は知らないだけではないでしょうか。

街に出たり旅をしたり、あるいは仕事先や近所など日常の中でももっといろんな出会いがあるはずなのです。そして、そのときの感動はネットでの出会いなど比ではないでしょう。ただ単にネットのコミュニティで知的充足感を得たというだけではいつまで経っても何も変わらないように思います。

最後に、本書に関するAmazonのカスタマーレビューで、以下のような3つの現実を対置している方がいましたが、それは本書に対するすぐれた批評になっていると思いました。

1.オープンソースだから成功するわけではない。
2.電気を使える人は世界の半分以下。
3.ウェブでご飯は食べられない。

ネットは所詮「情報」なのです。それ以上でもそれ以下でもない。そのことを忘れてはならないとあらためて思いました。
2008.01.13 Sun l ネット l top ▲
朝方、少し痛みがあったので、先日もらった紹介状を持って、最寄り駅にある総合病院に行きました。

駅の向こう側を歩くのは初めてでしたが、線路に沿って坂を上り下りすると東横線と平行して走っている綱島街道に出ました。そして、信号から少し入った坂の途中にその病院はありました。某財閥系の企業が経営する病院なのですが、地元に密着しているみたいで、1階の待合室や廊下などは順番を待つ人達でいっぱいでした。しかも、大半は中高年の人達で、若い患者が来るとそれだけで目立つほどです。

案内された泌尿器科は2階の一番奥の突き当たりにありました。そこだけは何故かほかと違って閑散としており、廊下の椅子に座っているのはひとりだけでした。受付の横の壁にはおなじみのカシニョールの版画が架けられていました。

泌尿器科のドクターはこの病院の院長だそうです。かなりの年配で、先日の緊急外来の若いドクター達とはまったく対照的なタイプでした。べらんめ調で少し荒っぽい喋り方をするのですが、私は誠実そうな印象を受けました。尿検査と腹部エコーと腹部レントゲンの結果、やはり、尿路結石だろうという話でした。腎臓にも小さな石があるけど、石があること自体は心配ないとのこと。

尿路結石の場合、通常、腎臓にできた石が尿管などに移動し尿路の流れを塞ぐために痛みが生じるのだそうです。「死ぬかと思うほどの激痛」に襲われるという話をよく聞きますが、実際は石の大きさ等によって痛みの度合いは違うのだそうです。私の場合、冷や汗は出たもののまあ死ぬほど痛いというわけではありませんでしたので、まだ運がよかったのかもしれません。

朝方、少し痛みがあったのは、まだ石が残っていたからじゃないか、と言われました。石が出た感覚はなかったのか訊かれたのですが、私自身は基本的に(?!)便秘だと思っていたので「石が出る」などという観念はそもそもなかったのです。

じゃあ、数年前から何度か襲われたあの痛みも便秘ではなく尿路結石が原因だったのでしょうか。食べたあと痛くなるような気がしていたのですが、尿路結石の場合、食べたから痛くなるとかいうことはないそうです。あれは素人の思い込みにすぎなかったのか。

ただ、血尿が出ているので(尿路結石でも血尿は出ることはあるみたいですが)、念の為、悪性の腫瘍や癌などの疑いがないか、採取した尿の細胞検査をするということでした。そのため、1週間後、もう一度検査の結果を聞くために受診することになりました。

私は若い頃腎臓を患い何度か入院した経験がありますので、腎臓の機能がやや低下しているというのが多少気になりましたが、病院を出ると不思議とあの憂鬱な気分からは解放されていました。

ちょうど昼飯時でしたので、駅の方向に戻る途中、たまたま通りかかった寿司屋に入り、久しぶりに心おきなく食事をしました。食べるのが怖くてずっと食事らしい食事をしていなかったのです。もちろん、食事のあと、痛みが出ることはありませんでした。
2008.01.10 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
早朝の新横浜

昨夜、再び腹痛に襲われました。ただ、病院からもらった痛み止めを飲んだので、我慢できる程度の痛みで収まりました。しかし、気分は憂鬱です。

痛みの最中、室内を歩き回ると何だか痛みが緩和されるような気がするのです。それで、ふと、思い付いて、早朝の散歩に出かけることにしました。もちろん、横浜に来て散歩なんて初めてのことです。

6時前だったので、外はまだ真っ暗でした。幸い今朝は真冬とは思えないほど暖かく、吐く息が白くなることもありませんでした。

駅とは反対の方向にしばらく歩くと、二車線の車道が横に走っています。そして、その車道に沿って緑道が新横浜の方向に延びています。緑道では同じように早朝の散歩をする人達とときどきすれ違いました。ほとんどが既に仕事をリタイアしたような年配の人達でした。そんな人達に混ざって自分が朝の散歩をするなど昨日までは思ってもみないことでした。

20分くらい歩くと新横浜に着きました。写真はまだ日が明け切らぬ新横浜の街の風景です。写真の手前に大きな橋(ワールドカップ大橋)があり、その橋の先には先夜二夜に渡って駆け込ん病院の建物が見えました。ちなみに、病院の向かいが日韓ワールドカップの決勝戦が行われた旧横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム>です。

帰りは鶴見川の土手を歩きました。川の向こうに長く連なる建物があったのでなんだろうと思って帰ってネットで調べたら、横浜市営地下鉄の車両基地でした。土手を歩いていると、日が昇りはじめ、みるみるうちに明るくなってきました。

土手ではすれ違う人も多くなりました。そして、時折「おはようございます」と声をかけられるのです。考えてみれば、見知らぬ人から挨拶されるなんてこちらに来て初めての経験かもしれません。なんだかうれしくなり、それから私はみずから進んで「おはようございます」と挨拶するようにしました。

太尾神社

帰る途中、近所にこの地区の鎮守の社があったことを思い出し立ち寄ってみました。路地の突き当たりの石段を登ると小さなお社がありました。拍手を打つと、乾いた音が誰もいない境内に響き渡り少し厳かな気分になりました。

そして、石段を下りようとしたら、若い女性が石段の下から社に向かって両手を合わせているのが目に入りました。格好から見ても出勤途中に立ち寄った感じでした。朝の澄んだ空気の中でその一途な姿がくっきりと浮かんで見えているような気がしました。
2008.01.09 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
昨夜遅く、再び腹痛に襲われ、前夜にひきつづき緊急外来に駆け込みました。

再度、検査した結果、尿路結石の疑いありとのことで、早急に詳しい検査をした方がいいと言われました。

おとといの夜は若いドクターでしたが、連夜の外来ということもあってか、昨夜はベテランのドクターが検査をしました。エコーのプローブ(と言うらしい)を左脇の下腹部に当てながら、横にいた若いドクターに「これがわからないのか」とを少し強い口調で言っていました。横にいた若いドクターが昨夜診察したドクターだったのか記憶がはっきりしませんが、大きな病院の緊急外来と言っても、研修中みたいな若いドクターが多いのでこれでは不安だなと思いました。薬を処方して貰うくらいしか期待できない感じです。

紹介状を書いて貰って、帰宅したのが午前4時近くでした。

ただ、別に治療をしたわけでもないのに、不思議と痛みは和らぎました。鎮痛剤も処方してもらいましたので、その点は安心でした。

診察の際、触診というのか、ドクターが手でお腹を押しながら、ぽつんと「別にお腹は張ってないですね」と言われたのですが、それを聞いて私は「エエッ」と思いました。自分ではお腹が張っていると勝手に思っていたからです。それで、便秘だと思い込んでいたのです。単に太ってお腹が出ただけだったのです。それもショックでした。
2008.01.07 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
夕方、突然、腹痛に襲われました。しかも、時間が経つにつれひどくなるばかりです。何度もトイレに行くものの便通はありません。それで、とりあえず、薬局に行って正露丸を買って来ました。

しかし、症状は改善するどころかひどくなるばかりです。じっとしておれないほど痛いのです。

でも、以前もこのブログに書いた覚えがありますが(「不吉な連想」)、この痛みは過去にも何度か経験があります。ただ、いづれも病院に行かないまま我慢しているうちに治ったのです。今回も同じように左脇腹が痛いので、それが便秘から来るものであることは自分でもわかっていました。

ただ、痛みはひどくなるばかりで、痛くて冷や汗が出るほどでした。このままではとても我慢できそうもありません。そう思ったら途端に不安に襲われました。それで、タクシーを呼んで新横浜の総合病院の夜間緊急外来に駆け込みました。

廊下で待っている間も冷や汗は止まりません。じっと座っておれないので、動物園のシロクマのように廊下を行ったり来たりしながら診察を待ちました。

そして、やっと自分の番になりましたが、血圧測定・採血・腹部のエコー・腹部のレントゲンと検査がつづきました。その間、痛みは和らぐことがなく、ずっと我慢を強いられました。最終的にはやはり異常はなく、便秘が原因だろうとの診断でした。

それで、「先生、この痛みはなんとかなりませんか?」と質問しました。しかし、「痛みを和らげる薬はありますが、その薬は腸の動きを止めるものなので、痛みは和らぐものの、便秘には逆効果になります」「だから、便通があるまで我慢するしかないですね」との返答でした。でも、やはり、我慢できない。

それで、再度訴えたところ、「じゃあ、便を掻き出して浣腸しましょうか?」と言うのです。一瞬、「イチジク浣腸?」という言葉が浮かんだものの、藁をもすがる思いですかさず、「先生、浣腸、お願いします!」と言いました。

その結果、思い出したくもないような”恥辱な光景”を演じるはめになったのですが、以後の展開については割愛させていただきます。

かくして恥辱と汚物にまみれた正月になったのでした。
2008.01.05 Sat l 健康・ダイエット l top ▲