万歩計を買って、毎日1万歩を目標になるべく歩くように心がけているのですが、いっこうに効果は表れません。今回はリバウンドを避けるために、食事に関しては間食をしない程度でほとんど制限をしてないのですが、やはり、そのせいなのでしょうか。怖いので体重計には乗っていませんが、逆に増えているような気がします。クワバタオハラのクワバタのように、コアリズムで腰を振らないとダメなのでしょうか。

おかげで、スニーカーを先月は2足、今月も1足買いました。と言って、履きつぶしたわけではありません。最近は、年のせいなのか、このように何事も予備を用意しておかないと不安で仕方ないのです。ちなみに、トイレットペーパーやティッシュなど生活用品は勿論、下着や靴下なども少なくとも数ヶ月分くらいの予備があります。仕事に関するものでも、たとえばコピー用紙やプリンターのインクなどは2年分くらい買い置きしてあります。また、最近は、パソコンで使っているソフトも次々とバージョンアップの最新版に買い替えています。ボールペンやタックなど文房具も山ほど買い置きがありますし、レターケースも箱に入ったままの新品が3つもあります。こうして書くと、さすがに自分でも別の不安が頭をかすめますが‥‥。

桜木町高架下1

桜木町高架下2

桜木町高架下3

今日も時間ができたので、夕方から散歩に出かけました。横浜駅の西口から国道1号線を南下して桜木町駅、さらに汽車道を通って山下公園まで歩きました。

写真はおなじみの桜木町の高架下の落書きです。こういうのを巷ではストリートアートとか壁画アートとか呼ばれているようですが、おしなべてアメリカンコミックのコピーが多くて、哀しいかなここにもニッポン人の国民性が出ているように思いました。

山下公園7

山下公園の芝生の上では外人のゲイのカップルが抱き合うように二人の世界に入っていました。そして、立ち止まって見ていたら、矢庭にキスをしたのです。私は思わずカメラを向け、その瞬間を見事シャッターにおさめることができました。ちょっと睨まれましたが、してやったりという感じでした。ところが、人様の恋路を邪魔した天罰が下ったのか、モニターで写真の出来を確認していたら、うっかり消去してしまったのです。まさに魔がさしたとしか思えません。デジカメにはPCのように「元に戻す」機能がないので、涙を飲むしかありませんでした。
2008.07.30 Wed l 横浜 l top ▲
歩いても 歩いても

今、個人的に旬なのは、出版ではNHKブックスと光文社新書とバジリコ社、映画ではシネカノンですが、そのシネカノンが制作に参加し、宣伝・配給を担当する是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」を有楽町のビックカメラの7階にあるシネカノン有楽町1丁目で観ました。

「歩いても 歩いても」の舞台は、京浜急行が走る海辺の湘南の街です。その街で暮らす、老いて町医者を廃業した父と専業主婦として一生を送る母。その家に15年前に不慮の事故で亡くなった長男の命日のために、長女と二男の一家が帰って来る。そんな何気ない夏の一日とその裏に隠されたそれぞれの家族の思いや事情がゴンチチのアンニュイなギターの音色をバックに描かれています。

上野千鶴子氏は、江藤淳の『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)の解説で、江藤が指摘した「父の崩壊」と「母の不在」という「日本近代」に固有の家族像について、近代の洗礼を浴びて家長の座から転落した「みじめな父」とその父に仕え「いらだつ母」、その母に期待されながら期待に添うことのできない「ふがいない息子」と、自分の人生は所詮、母のようになるしかないと観念する「不機嫌な娘」という、近代産業社会によって出現した中産階級の家族のイメージを具体的に提示していましたが、この「歩いても 歩いても」でも、「みじめな父」「いらだつ母」「ふがいない息子」「不機嫌な娘」が多少の濃淡を交えながら見事に配置されているように思いました。なかでも「いらだつ母」を演じた樹木希林の存在が際立っていました。

「歩いても 歩いても」のもうひとつのテーマは、言うまでもなく“老い”です。持参したスイカを冷やすために風呂場に入った息子(阿部寛)が見たのは、洗い場に新しく取り付けられたパイプの手すりでした。子供にとって親の老いを実感するときほど哀しいものはありません。しかし、老いは誰にも(親にも自分にも)必ずやって来るもので、その当たり前の事実を私達はどこかで受け入れなければならないし、その覚悟を決めなければならないのです。

先日、私はある病院に旧知のおばあさんを訪ねました。80才を優に越え、耳が遠くなり記憶も曖昧で歩くこともままならない状態になっていましたが、周囲に気を遣う優しい性格は昔のままでした。「ご飯食べたの?」と訊くので、「いや、まだですよ」と耳元で答えると、「そう、かわいそうだね~」と言って飴玉を2個くれました。

彼女は、「最近、変な夢ばかり見るんだよ」と言ってました。
「どんな、夢なんですか?」
「田んぼで稲刈りをする夢なんだよ」「昔は機械がなかったから大変じゃったよ」「女子(おなご)は大変じゃった」と。

私はその話を聞きながら、ふと黒田喜夫の「毒虫飼育」という詩を思い出しました。故郷を出奔し、都会の安アパートで息子と二人暮らしをする母親が、突然、押入れの中で蚕を飼い始めるという詩ですが、それは、夜、家に迷い込んだ黄色の蝶を死んだ息子が帰って来たんだと言って追いかける、「歩いても 歩いても」の樹木希林演じる母親の姿とも重なるものがあります。

「そろそろ帰りますよ」と言ったら、彼女は、治療のつらさを訴え、「早くあの世に行きたいよ~」と言ってました。私は、「そうだよね」と言いたくなる気持を抑えて、ただ笑って聞き流すしかありませんでした。

みんな、そうやって最後に残った記憶を抱えて亡くなって行くのでしょう。人の一生は何とむなしくて何とせつないものなのでしょうか。しかし、一方で、誰しも死から逃れることはできないという当り前の事実によって、私達はいくらか救われているような気もします。東京に帰る息子一家をバス停で見送り、再び坂道を戻って行く原田芳雄と樹木希林の老夫婦の後姿を観ながら、典型的な「ふがいない息子」である私は、しみじみとそんなことを考えたのでした。
2008.07.26 Sat l 芸能・スポーツ l top ▲
熱ありて咳やまぬなり大暑の日 友の手紙封切らぬまま

帰るべき家持たぬ孤老の足音今宵も聞こへり盂蘭盆さみし

夜来の雨ぽたりぽたりと天井打ち 仰臥せし我を責めるが如く

裏山で縊死せし女のベットには白きマリア像転がりており

これらは二十歳のときに詠んだ歌です。当時、私は、東京から一旦九州に帰り、国立病院で入院生活を送っていました。高校時代から寺山修司の本を愛読していた私は、やはり同じ病気で数年間の入院生活を送った彼にあこがれ、見よう見まねで「二十歳の夏」と題する歌を詠みました。

恥ずかしいくらい稚拙な歌ですが、しかし、ここにはまぎれもなく二十歳の自分がいたように思います。

入院していたとき、毎週、日曜日になると、父親がやって来るのですが、窓際にあった私のベットから、両手に紙袋を提げ、病院の横の坂道をてくてく上って来る父親の姿を遠くに見ることができました。そして、父親は、途中の生垣が途切れた個所までやって来ると、そこに一瞬立ち止まり、いつも私の病室の方に目をやるのでした。

病室で向かい合っても、父と息子では話が弾むはずもなく、とぎれとぎれのぎこちない会話を終えると、父親はまた洗濯物を詰めた紙袋を両手に提げ帰って行くのですが、帰るときもやはり、生垣が途切れた個所に立ち止まり、こっちの方をちらっと見て再び坂を下りはじめるのでした。

吉田拓郎の「おやじの唄」ではないですが、親父が全てではないし、むしろ親父には反発ばかりしていましたが、その光景を思い出すだびに、やはり、親父は親父だったんだな~と思います。

長い人生の中で、人はときにやけっぱちになり自暴自棄になることもあるかもしれませんが、要はこういった思い出を持っているかどうかでずいぶん違ってくるのではないでしょうか。人生というのは、案外そんなものではないかと思ったりします。
2008.07.22 Tue l 日常・その他 l top ▲