万葉倶楽部前観覧車

一気に秋めいてきて散歩するにもいい季節になりました。いつものように時間ができたので、夕方、新港界隈を散歩しました。みなとみらいをぬけて、新港パークの入口にある万葉倶楽部の前でうしろを振り返ったら、視界いっぱいにイルミネーションで縁取られた観覧車が飛び込んできました。

それにしても、どうしていつもみなとみらいばかりなんだろうと思います。横浜にはそれしかないのかと思ってしまいます。もっとも、地元の人によれば、真偽のほどはわかりませんが、真向かいの横浜ワールドポーターズも一時撤退の噂があったそうです。なんとなくわかる気がします。

今、横浜では現代芸術の国際展・横浜トリエンナーレ2008が開催されています。ということは、先日の汽車道のモニュメントの工事も開港150周年のものではなく、その展示だったのかもしれません。馬車道の駅にもモニュメントが展示されていましたが、私にはどうということもない作品にしか見えませんでした。私は現代芸術にはどうもいまひとつ馴染めないところがあります。なんというか、どこぞのラーメン屋と同じでやたら講釈が多いからです。どうしてあんなに屋上屋に言葉を重ねなければならないのかと思ってしまいます。

ところで、この横浜トリエンナーレは、あまり話題にもならず、いまひとつ盛り上がりに欠けている気がしてなりません。10月4日~5日には野毛の大道芸大会(野毛大道芸 2008 オータムフェスティバル)がありますが、やはり、美空ひばりを生んだ横浜には、芸術より芸能の方が似合っているのかもしれません。
2008.09.28 Sun l 横浜 l top ▲
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1998年9月7日、スタンフォード大学の学生であったラリー・ページとセルゲイ・ブリンが、シスコシステムズのゼネラルマネージャー兼副社長であったアンディ・ベクトルシャイムから渡された10万ドルの小切手を手に、カリフォルニア州メンロパークの住宅街にあるガレージで創業して10年、今やグーグルは年商2兆円・時価総額17兆円という、誰もが認めるインターネットの覇者となったのでした。ちなみに、ラリー・ページとセルゲイ・ブリンは当座預金口座を持ってなかったため、10万ドルの小切手は現金化できず数週間机の中で眠っていたという逸話まであります。

Googleが10年を迎えたということで、新聞や雑誌などでもGoogleの特集が相次いでいますが、しかし今までとはやや違ったトーンの論調が目に付き、Googleに対する風向きも若干変わりつつあるような気がします。

私の中でも、YouTubeやストリートビューなどをきっかけに、Googleに対する違和感が徐々に生まれています。それどころか、ときにアメリカの経済システムをグローバルスタンダードとして押し進めるあのグローバリズムの強引さがオーバラップすることさえあります。

シリコンバレーでGoogleを真近に見ている海部美知氏は、そのあたりの事情について、Tech Mom from Silicon Valleyの中で、Googleの新しいサービスはCEO(経営最高責任者)のエリック・シュミット主導による経営の多角化の表れだというようなことを書いていましたが(Chromeは「エリックのおうち」の玄関か)、たしかに二桁の成長は維持しているもののその成長の伸びにもやや陰りが出ている現在、依然売上げの大半(97%)はアドワーズとアドセンスの広告に依存し新しい収益源を生み出してないという“焦り”も背景にはあるのかもしれません。

週刊東洋経済

『週刊東洋経済』(9/27号)の特集「グーグル10年目の大変身」に掲載されていたアーキタイプの中嶋淳氏と樋口理氏による対談(「グーグルはいい会社。だけど心配・・・」)によれば、アメリカでは最近、若者達がアンチグーグルみたいな感情を持つようになっており、「グーグルはアロガント(傲慢)だとしきりに言われている」のだそうです。二人は口を揃えて、最近のグーグルは「技術力ではなく、単なる力任せでやっているサービスが多い」と言ってましたが、とりわけYouTubeやストリートビューなどはその最たるものでしょう。

ストリートビューのようなサービスの発想は以前から他社にもあったようですが、収益とプライバシーの問題でどこも二の足を踏んでいたそうです。ところが、GoogleはYouTubeと同じで、見切り発車でやってしまうのです。Yahoo!にもパノラマ写真による駅の出入り口案内のサービスがありますが、Yahoo!の場合はなるべく人のいない時間帯に撮影し、人の顔が写った場合は画像処理で人影そのものを除去しているのだとか。また、動画投稿サイトに関しても、あらかじめJASRAC(日本音楽著作権協会)と提携し、著作権を確認、処理した上で公開しており、Googleのようにグレーなことには手を出さないというポリシーがあるのだそうです。このあたりがYahoo!が日本で圧倒的なシェアを維持している理由かもしれません。

いづれにしても現在の偏った収益構造から脱却しない限り、次の10年後にGoogleが単なる普通の会社になっている可能性もなきにしもあらずですが、もしかしたら、今、いろんな意味でその分岐点に差し掛かっているのかもしれません。たしかに、グーグルはすごいと思います。しかし、いつまでもただ「すごい」「すごい」と言っているだけでは肝心な点を見過ごしてしまうことになるような気がしてなりません。

>>あらたな神
>>Google
2008.09.24 Wed l ネット l top ▲
健康診断に行きました。検査の結果は後日届く予定ですが、体重が半年前より僅かに減っていました。「やった」と喜んだのもつかの間、考えてみれば、体重をはかると言っても裸になるわけではなくただ上着と靴を脱いで体重計に乗るだけなのです。前回は3月で今回は9月なので、ただ身につけているものの重さが違っただけのような気がしないでもありません。こういうのをぬか喜びと言うのでしょうか。

一方、聴力検査ではあきらかに左耳が聴こえづらくなっていました。これは自分でも自覚症状があります。今までも何度か、まったくと言っていいほど聴こえなくなるときがあり、しばらくすると再び聴こえはじめるのです。それにつれ、話す声が益々大きくなっている気がしますし、また、(これは性格もあるのでしょうが)聞き返すのが面倒臭いので適当に相槌を打つことも多くなりました。

血圧測定では、上が150もあり「高いですね~」と言われました。それで、「深呼吸を三度してください」と言われ、深呼吸してもう一度はかったのですが、逆に158にあがっていました。先日の電話で母親が「血圧が高いので薬を飲んでいる」と言っていたのを思い出し、血圧が高いのは遺伝なのかと今更ながらに思ったりしました。ところが、健康診断が終わったあと、病院のロビーに自動の血圧計が設置されていたので、それではかってみました。すると、115しかないのです。都合4回もはかりましたが、やはりいづれも110~115の間でした。

紙コップに尿を取って提出する際、私の前は20代の若い男の子でしたが、彼の尿はまるでレモンを絞ったみたいにきれいな黄色でした。それに比べて私の尿は濁ったような濃いオレンジ色なのです。それを見て途端に検査の結果が不安になり、「若いっていいなあ~」と脈絡もないことを考えました。

どうして健康診断を受けるんだろうと思います。長生きしたいからでしょうか。私自身は長生きしたいとは思いませんし、そもそも健康な生活というのは性に合ってないように思います。ホントは家でゴロゴロして終日本を読んですごせたらそれが一番なのです。でも、そうは言いながら、やはり、病気が怖いのだと思います。

井上光晴氏(先日、直木賞を受賞した井上荒野さんのお父さん)の絶筆となった『病む猫ムシ』(集英社)という短編集には、病気のことで頭がいっぱいで本を読む気もしなくなったとか、貯金が残りいくらあるか気になって仕方ないとか、病気に苦悩する作家の心のうちが正直に描かれていますが、若い頃の苦い経験もあって、そういった自分でままならない状態になるのが怖いのだと思います。そうかといって特別健康的な生活を心がけているわけでもありませんので、まあ有体に言えば気休めなのでしょう。
2008.09.20 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
今日、田舎の母親から突然、ぶどうが届いたのでびっくりしました。実家はぶどう農家でもないし、近所にぶどう農園があるわけでもなく、どうしてぶどうなんだと思い、母親に電話をしました。すると、聞いたこともない名前をあげて、その人が「ぶどうで成功した」ので、毎年親戚などにぶどうを贈っているのだと言ってました(私の元に届いたのは今年が初めてでしたが‥‥)。

そして、突然、「あんたは自民党?民主党?どっちなんね?」と訊いてくるのでした。なんでも今度の総選挙がどうなるか、今一番の楽しみなのだとか。

「どっちでもないよ」
「あんたは民主党じゃないの?」「あたしは民主党は組合が支持しちょるけん、民主党が勝ってもあんまり良くはならん気がするんよ」
「じゃあ、自民党支持なん?」
「うーん、でもなあ、田舎は介護保険が高こうてな。年金から6千円も引かれるからたまらんのよ。それで今、迷っちょるとこ」

なんだかある意味で国民の声を代弁している気がして、妙に感心しました。「政治の幅は生活の幅より狭い」と言ったのは埴谷雄高氏ですが、しかし、介護保険や後期高齢者医療制度などは、田舎で雀の涙ほどの年金を支えに老後を送る母親にとっては切実な政治の問題でもあるのしょう。「ふがいない息子」としては、そんな母親にいくらかでも希望を与えてくれるような政治が出現することを願うばかりです。

それにしても、年老いた母親の声を聞くといつもせつない気持になります。電話を切ったあとも母親の声がずっと耳元に残っていました。そして、母親が喋ったことを何度も反芻している自分がいました。
2008.09.13 Sat l 故郷 l top ▲
汽車道対岸1

汽車道対岸2_edited

赤レンガ倉庫正面の空地にいつの間にかトタンの囲いができていました。施主が広告代理店になっていましたので、開港150周年関連の工事でもはじまるのかもしれません。山下公園に向かう遊歩道沿いも整備が進んでいますし、汽車道でもモニュメント(?)の設置工事が行われていました。

写真は汽車道から対岸の風景を撮ったものですが、ご覧のとおり古いアパートも取り壊されています。それに伴い手前の屋形船も撤去される予定だそうです。開港150周年を前に逆に横浜らしさがどんどん失われている感じで、なんだかさみしい気がします。そのうちどこもみなとみらいのようになるのかもしれません。

行政に民間の経営手法を取り入れるという発想では無駄なものは必要ないのかもしれません。しかし、都市には無駄なものや古いものや、あるいは汚いものも必要なのです。それは人が生きている証しだからです。そして、そういった無駄なところにこそ都市の個性があるのではないでしょうか。そう考えると、横浜らしさが失われていくのも当然という気がします。
2008.09.11 Thu l 横浜 l top ▲
荷風1

年金問題の影響なのか、最近、やたらと老後のことを考えます。街を歩いていても、お年寄りばかりが目に入るようになりました。私にとって老後の理想は永井荷風岸部シローです。つまり、偏屈とネガティブに開き直って老後をすごせたら、どんなに気が楽だろうと思うのです。まわりは迷惑かもしれませんが、好々爺なんて疲れるだけです。残り少ない人生なら、少しくらい嫌われてもいいから自分に正直に生きたいものです。

荷風尾張屋

戦後、自宅のある千葉の市川から浅草に日参していた荷風は、いつも決まった時間になじみの店に顔を出し、いつも決まったメニューを注文していたそうですが、その際、座る席も決まっていたのだとか。ある日、尾張屋本店で、自分が座る席に先客が座っていたところ、荷風はそのお客をジロリと睨みつけ、背後からわざと大きな咳払いをして席を移動させたのだとか。荷風らしいエピソードだなと思いました。

荷風2

フランスに遊学したことのある荷風は一時、フランス文学者宅の離れを借りていたのですが、最後は家主のフランス文学者から退去通告を受け引っ越すはめになったのだそうです。なんと部屋の畳の上に七輪を置いて煮炊きをやっていたため、火事の心配をした家主が何度注意をしてもまったく聞く耳を持たなかったのだとか。また、あまりに部屋が散らかっていたので、見かねた家主が掃除をしていたところ、荷風が飛んできて嫌味たらしく押入れの中の札束を数えはじめたとか、偏屈を物語るエピソードにはこと欠きません。

もともと荷風が世間に媚びることなくそうやって偏屈を貫くことができたのは、彼の財力によるところが大きいと言われていますが、その財力にしても、長男の特権にものを言わせて父親の遺産を母親や弟にはビタ一文渡さずひとり占めしたからにほかなりません。しかも、父親が倒れたとき、荷風はなじみの女性とどこかにしけ込んでいて連絡さえつかなかったそうですから呆れるばかりです。

それにしても、こんなに身勝手に生きていけたらどんなにいいだろうと羨ましくさえあります。それが荷風に惹かれる所以なのでしょうか。案外、文学における“孤高”というのはこんなものかもしれません。そもそも成金趣味や世間の良識を冷笑する文士の生き方は、うだつのあがらぬ人生にとって格好のお手本でもあるように思います。

先日、同年代の知人から、最近の若者は道を歩いていてもよけないやつが多いので自分もよけないで真っ直ぐ歩くようにしているという話を聞いて、それはいいなと思い、さっそく私も実行に移すことにしました。今日は絶対によけないで真っ直ぐ歩くぞと心に決めて、横浜駅の中を歩いていたのですが、途中でシルバアクセのネックレスを首からぶら下げたガテン系のニイチャンとぶつかりそうになり、すごすごと道を譲ってしまったのでした。おかげで、偏屈とネガティブに生きるにはまだまだ修行が足りないことを痛感させられました。
2008.09.08 Mon l 本・文芸 l top ▲
Googleが新しいブラウザChromeを発表したりと、ネットは日々話題にこと欠きませんが、日本における検索エンジンは依然Yahoo!が強く、事情通の観測とは逆にシェアを伸ばしている感さえあります。たまたま今、ビックキーワードの「シール」でYahoo!もGoogleもともに4位に位置していますので、比較するタイミングとしては最適なのですが、シールマニアにおけるシェア(アクセス数)は以下のとおりです。

Yahoo!  71.0%
Google 26.5%
※同じ4位に位置する期間の平均。
※グーグルはgooなど他の提携サイトのシェアも含む。

今更という感もありますが、ビギナーや女性のユーザーにとって、ネット=Yahoo!というのがもはや”常識”でさえあるのかもしれません。とりわけ女性向けの商品を扱う場合、歴史の浅いサイトほどヤフーの順位が重要であるように思います。もちろん、いくら順位が上にあっても売れる商品でなければお話にならないのですが、しかし、まずヤフーで上位を確保しないことにはそのスタートラインにさえ立てないのです。

このようにネットショップの場合、まず検索サイトでの上位表示というハードルを越えなければなりません。そして、そのあとに商品力という次のハードルが待っているのです。

営業にしろ販売にしろ実際に経験したことのある人ならわかると思いますが、ものを売るというのは並大抵なことではありません。一人前にものを売ることができるためには、商品に対する目利きも含めてそれこそプロにならなければならないのです。それには「血のにじむような努力」が必要なのです。しかし、ネットでそこまで自分を律してやっていけるのはホンの一部の人達だけです。ましてや、モノマネやハッタリや自作自演などは論外で、それではいつまで経っても商売のプロになれないのは自明でしょう。

たとえば、集客に直結するビッグキーワードで20位以内に入っている店がどのくらいあるかと言えば、もちろんキーワード(商品)によって違うでしょうが、せいぜい2~3店舗くらいではないでしょうか。このようにネットの場合、リアル店舗などよりもはるかに熾烈な競争を勝ち抜かなければならないのです。

Googleでもマイクロソフトでも私達の知らないところでそれこそ靴底を減らして営業しているのです。もちろん、Yahoo!でも同じです。どこもそうやって泥臭い「血のにじむような努力」をしているのです。それはビジネスの現場では当たり前のことですが、ネットの中にはその当たり前のことがわかってない人が多いように思います。先日、起業しても70%は3年以内に廃業する(飲食業は90%)という記事が新聞に出ていましたが、恐らくネットショップの場合はもっときびしい状況にあるはずです。

よくネットで成功するのはリアルの世界でも優秀な営業マンだった人が多いという話を聞きますが、それは経験上そうやって「血のにじむような努力」ができるからでしょう。ビジネスにおける“個性”というのは、本来そういった努力から生まれるものです。当たり前のことですが、商売の基本はリアルでもネットでも同じなのです。
2008.09.05 Fri l ネット l top ▲