メタボポスター

一日1万5千歩を歩くように心がけて、もう半年以上が経ちますが、最近、やっとその効果が表れてきました。今までのダイエットは、要するに食べるものを食べなかっただけなので、いったん痩せてもすぐリバウンドしていました。それで、今回は食べることは二の次にしてひたすら歩くことを心がけました。とは言っても、やはり、自然と食べることにも気を付けるようになり、間食はしなくなりました。その結果、7キロ体重が減ったのです。人から「最近、痩せたんじゃないですか?」と言われて、体重をはかったら思いのほか減っていたという感じです。

あと2キロ減量すれば目標達成なので、もう少しですね。問題はかつてのようにリバウンドをくり返さないことです。そのためには、今の生活をつづけるしかありません。歩くことに関しては、たとえば、時間があれば隣の駅まで歩きますし、帰りも隣の駅で降りて歩いて帰ったりしています。

横浜にお住まいの方ならわかると思いますが、みなとみらいでも関内でも伊勢佐木町でも元町でも、横浜駅で降りて、あとはひたすら歩いて行くようにしています。都内でもひと駅くらいは歩きます。散歩もしていますが、散歩だけだとやはり「散歩しなければ」という義務感が伴いますので、普段の生活でなるべく歩くように心がけています。

今まで少しきつかったズボンがゆるく感じられたりするのは気持のいいものです。そう思うと、心なしか身体も軽くなったような気がしますね。やはりダイエットを実践した岡田斗司夫さんに『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)という本がありますが、私は「いつまでもメタボと思うなよ」と言いたい気持です。
2009.03.29 Sun l 健康・ダイエット l top ▲
親鸞上人

昨日、有楽町の東京国際フォーラムで行われた「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」(真宗大谷派・朝日新聞主催)に行きました。私は、若い頃、浄土真宗大谷派の若い僧侶達が催す集まりに何度か出かけたことがありますが、なんだか当時の思いがよみがえってきた気がしました。

今でも『歎異抄』の一部をそらんじているくらい、若い頃は何かにつけ『歎異抄』を読み返していました。親しい友人に言わせれば、私はもともと「人間嫌い」の傾向があるそうですが、当時も、人間というのはどうしてこんなに汚たなくてえげつないんだろうというような人間不信の念に陥っていたように思います。もとより自分自身に対してもそうでした。

そんな中で、「わがこ々ろのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」(第十三章)というような『歎異抄』の言葉に惹かれたのでした。私は”因果業報”という言い方が好きなのですが、親鸞を読むうちに、”業”あるいは”宿業”ということをよく考えました。

当時、親鸞の思想に新しい光を与えたと言われた吉本隆明の『最後の親鸞』(春秋社)を久しぶりに開いたら、次のような箇所に赤線が引かれていました。

人が勝手に解釈できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうの観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ<不可避>の一本道しかない。その道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の<契機>(「業縁」)は成立しているようにみえる。


若い頃の切実な思いが垣間見えるようですが、要するに、”業”あるいは”宿業”というのは、単なる宿命論ではないということですね。人間というのは、知識や経験など自分のもっているものを総動員しても、、もうどうすることもできない、どうにもならないときがあります。そして、結果的に、そうせざるをえない(そうせざえるをえなかった)、そうならざるをえない(そうならざるをえなかった)ということがあります。人間という存在の根底には、そういったいわば”無明の闇”がひろがっており、それを”業”あるいは”宿業”というのではないでしょうか。

だから、親鸞は『歎異抄』の第一章で、かの悪人正機説の前段として、「念仏もうさんとおもいたつこ々ろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあずかりしめたまふなり」と言ったのでしょう。念仏を唱えることが大事なのではなく、念仏を唱えようという心(気持)こそが大事で、しかも、それだけで充分なのだ、と言うのです。

むしろ若い頃より今の方が人間不信の念は強くなっているかもしれませんが、しかし、最近は『歎異抄』を開くこともとんとなくなりました。でも、最後は『歎異抄』さえあればなんとか生きていけるような気がしますね。いづれもう一度若い頃のようにくり返しくり返し『歎異抄』を読むときが来るのではないでしょうか。そんな気がします。
2009.03.22 Sun l 日常・その他 l top ▲
新港埠頭の船

別に「海を見ていた午後」を気取ったわけではありませんが、新港埠頭で港を行きかう船を見ていたら、ふと、ゴールデン・カップスデイヴ平尾が昨年亡くなったことを思い出しました。ゴールデン・カップスについては、(以前に紹介しましたが)山崎洋子が『天使はブルースを歌う』(毎日新聞社)で詳しく書いています。また、同書の中でも長編小説『ハートに火をつけて!』が取り上げられていますが、鈴木いづみもゴールデン・カップスのファンでした。小説だけでなくエッセイなどでもよくカップスのことを書いていたのを覚えています。

本牧の米軍住宅が返還されたのが1982年だそうですが、戦後の横浜はアメリカの占領地としての側面もあったのです。そして、そんなアメリカ文化の影響を直に受けて育った横浜の少年達。その代表としてゴールデン・カップスがいたのでしょう。「長い髪の少女」はゴールデン・カップスのヒット曲として有名ですが、彼らは普段のステージではこの曲を歌わなかったのだとか。「長い髪の少女」はあくまでテレビ用の歌で、自分達が歌いたい歌ではないからというのがその理由でした。

そういった先進的な音楽性は、当時のグループ・サウンズにも影響を与えたようで、新山下のタイクーンで行われた追悼ライブには、沢田研二や岸部一徳やギタリストのCharなども駆けつけたそうです。そこには私達が知らないもうひとつ別の横浜の顔があるように思いました。

今年の元日の朝日新聞・神奈川版に、「還暦ジュリーは止まらない~横浜に20年」というインタビュー記事が出ていました。沢田研二が横浜に住むようになったのもデイヴ平尾からすすめられたからだそうです。沢田研二は、その中で、横浜について次のように語っていました。

■人情深い街で空が広い■

東京にいたころ、「本牧にすごいバンドがいる」って聞いて、テレビ出演の後、車を飛ばして見に行きました。
それがザ・ゴールデン・カップス。彼らはお客さんとすぐ近い所にいて、メンバーの1人はアンプの上に腰掛けながらやってた。「何なのこれ。カッコええ」って思いましたね。
カップスのデイヴ平尾さんらに「ジュリー、横浜に住めばいいじゃん」「みんなジュリーのこと大好きだしさ」とか言われて。そうやって住むようになって20年くらいになります。
横浜に暮らして思うのは、人情深い街で、空が広いなあ、ってこと。
最近、よく歩くようになって、発見も多いんです。谷戸坂からマリンタワーが一番よく見えるってことに気づきました。
地元では買い物にも行きますよ。本牧のつるかめランドからイトーヨーカドー、それからグルッペ本牧--。
ニューグランドのバーにもよく行きました。ダイスのうまい名物バーテンダーがいてね、サイコロ高く積み上げる技を何度も見せてもらいました。
横浜の歌もたくさん作ったなあ。ランドマークタワーとか、本牧ふ頭とかが歌詞に出てくる。本牧ふ頭あたりからは昔はしょっちゅう霧が出てたけど、最近は気候が変わったのかなあ。本牧通りを上がってくると、夜空に映える独特なハーバーライトのオレンジ色が見えるんですよね。
伊勢佐木、野毛、馬車道、長者町通り……。何回歩いても、よくわからないごちゃごちゃした通りって好きなんです。中華街もまだ隅々行けてない。

大みそかの夜はいつも、日付が変わる瞬間に「はい」って家の窓を開けるんです。中華街の爆竹の音、港の汽笛の音、近くの寺のちょっと高い鐘の音……。みんな聞こえてくる。遠くには八景島の花火も見えます。
もうどこに引っ越そうって思わない。横浜ですね。横浜でお墓を探さないとなあ、なんて思ってます。

(朝日新聞・2009年1月1日)


横浜に対する思いがよく出た記事だと思いました。横浜というのは、必ずしも巷間言われるような「おしゃれな街」などではないのです。平岡正明が言うように、場末感も含めてそれが横浜の魅力なのです。俄か市民の私には、正直言って、こういった横浜の魅力が充分わかっているとは言い難く、まだよそ者の意識で横浜を見ているところがあります。やはり、横浜というのは一歩踏み込んで中に入り、時間をかけないとわからないところがあるのかもしれません。少なくともみなとみらいのような皮相なイメージで見ていたら、見えるものも見えないような気がします。それが東京と違うところなのです。
2009.03.14 Sat l 横浜 l top ▲
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 恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生のおそらく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。


これは、坂口安吾の「恋愛論」(『堕落論』所収)の一節ですが、たしかに今までの人生をふり返ってみるに、恋愛はいちばんと言ってもいいくらい大きな出来事(思い出)として残っています。

安吾は、「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」と書いていますが、私もいつの間にかその「大人の心」を持つ年齢になってしまいました。だからこそ、若い人達には大いに恋をして大いに失恋し大いに泣いた方がいいと言いたいのです。最近は傷つくのが怖くて恋愛をしない若者が多いそうですが、そんな歪んだナルシシズムを抱えたまま大人になっていくというのは逆に怖いなと思います。

寝ても覚めても好きな人のことを考える、そんな体験は長い人生でもそうそうあるものではありません。一方で、人を好きになればなるほどより孤独になっていく自分がいます。それは、人を好きになることが同時に自分と向き合うことでもあるからでしょう。

そして、そんな自分の目に映っているのは、今までの自分ではない自分です。人を好きになることによって新しい自分を発見することがあるのです。ときに、どうして自分はこんな人間なんだろうと悩むこともあります。そうやって自分という存在を激しく揺さぶられることがあります。それらは、歪んだナルシシズムとは対極にあるものです。

孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない。


人を好きになることはせつないしつらいし苦しいし、ときに哀しいものでもありますが、人生においてこんな(人間として)直截且つ原初的な体験を一度にすることは恋愛をおいて他にありません。大いに恋をすべしです。
2009.03.11 Wed l 日常・その他 l top ▲