ネイビージャケット

この春は街角でネービーのジャケットを着ている女の子を多く見かけます。と言って、いわゆるリクルート服ではなく、金ボタンがついたドラッドなデザインで、やや丈が短いのが特徴ですね。ユニクロのサイトで見たら、胸にワッペンがついているデザインで、なんと2980円で売ってました。信じられない値段です。

と言うのも、私は、春夏もののネイビーのジャケットをクリーニングに出したら、裾の方がほつれているのに気付いて、急遽、新しいジャケットを誂えることにしたのですが、これがユニクロのジャケットだと数十枚買える値段なのです。もちろん、既製品ならメンズでも安いものはいくらでもありますが、何度も言うように、縦に長いトールサイズなので、既製品であっても、新宿の伊勢丹のメンズ売り場で売っている海外のブランドものくらいしかないのです。

ちなみに、靴のサイズは28センチです。靴に関しては今は困ることはありませんが、昔はやはり苦労しました。まして、九州にいた頃は店頭で見つけるなんて皆無でした。それで、リーガルの専門店からカタログをもらって、カタログで注文して取り寄せてもらっていました。リーガルは普通よりワンサイズ大きかったので、リーガルの27センチだとちょうどよかったのです。

以前、私の悩みを聞いた女の子から、某ファッションメーカーのサンプルバーゲンの招待状をもらったことがあります。主にヨーロッパから輸入したサンプル品を格安で処分するのだそうで、やはりサイズで困っている外人のモデルなどもたくさんやってくるので、サイズの合うのがあるんじゃないかと言うのです。

それで、会場のホテルに行ったら、まず外人のモデル達のパワーに圧倒されました。彼らは試着室などには行かず、その場で手当たり次第に試着するのでした。草なぎ剛ではないですが、ビキニのパンツひとつで平気でウロウロしていました。

たしかにサイズも合うし、イタリアのブランドものが驚くほど格安で買えたのですが、ただ、私のような着たきり雀の東洋の貧乏人にはやはり高級すぎました。どれも生地がやわらかくて繊細なのです。そのため、毎日着ていると、すぐ擦り切れてしまうのでした。特に、ポケットとお尻が傷みました。それでもなんとかソプラーノとかいったイタリアのブランドものですから、あるとき、友達の買物に付き合って原宿のショップに行ったら、店員から「ファッション関係の方ですか?」と訊かれたことがありました。友達に聞こえないような小さな声で「ええ、まあ」と答えましたけど。地方出身者の哀しい性(さが)です。

>>おしゃれをする
2009.04.25 Sat l 日常・その他 l top ▲
私はほとんど決まったブログしか読みませんが、普段あまり読まないブログでもたまにのぞいてみると、思わず膝を叩くような文章に出くわすことがあります。最近の収穫は、毀誉褒貶の激しい元NHK職員にして経済学者の池田信夫氏がみずからの「池田信夫blog」に書いていた次の文章です。(引用してページを埋めます)

(前略)かつては誰にでもチャンスはあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、もう椅子取りゲームの音楽は終わった。いま正社員という椅子に座っている老人はずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流するしかない。だから彼らは意外に「正社員になりたい」という願望をもっていない。気楽なフリーターに順応すれば固定費も少なく、それなりに生活できるからだ。

この状況から「派遣村」のように労働組合と連帯しようという方向と、赤木智弘氏のように「戦争」を求める方向の二つにわかれる。前者のほうが建設的にみえるが、実はその先には何もない。彼らが連帯を求めている労組は、椅子にしがみついている人々だから、同情して仮設住宅を世話してくれるが、決して席を空けてはくれないのだ。この椅子取りゲーム自体をひっくり返すしかない、という赤木氏のアナーキーのほうが本質をとらえている。

しかし残念ながら、若者にはその力はない。かつてのマルクス主義のような、彼らを駆り立てる「大きな物語」が失われてしまったからだ。こうして実社会の共同体から排除された若者は、仮想空間で共同体を築く。「2ちゃんねる」に見られるのは、似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出す、ほとんどステレオタイプなまでに古い日本人の姿だ。世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、実社会で闘うことをあきらめた若者の姿がみえる。
(2009/04/19 希望を捨てる勇気)


私は、いわゆる“池田信者”ではないし、むしろアンチの方だと思いますが、この意見に関しては「異議なし!」ですね。ネットは世間の延長で、旧弊な如何にもニッポン的な世間は今やネットの中に生きているというのは、前にも書いたことがありますが、若者だから「新しい」とか「進んでいる」とか、まして「賢い」というようなことはないのです。ネットというのはともすれば夜郎自大になりがちで、自分達は政治に「抵抗」しているつもりでも(と誇大妄想しても)、現実は彼らをパシリに使っている既得権者の老人や世襲議員達の方が一枚も二枚も上手なのです。ネットの若者達はそのことにあまりにも鈍感すぎる気がします。

官庁の法案作りにも参画したことのある、どちらかと言えば体制派の知り合いの弁護士は、「法律というのは国家が作るので、自分達に都合のいいようになっているのです」と言ってましたが、今の若者達は国家というのはそういうものだという認識が足りないように思います。それが、既得権者から奪われたものを奪いかえせとか言いながら、結局は狡猾な既得権者にいいように利用されている所以なのではないでしょうか。もっとも、この池田氏の文章も、「希望を捨てる勇気」というタイトルからして、そんな若者達に対して半分は皮肉で書いているような気がしないでもありませんが。
2009.04.23 Thu l 社会・メディア l top ▲
伊勢佐木町と野毛の間に吉田町という小さな街があります。わずか250メートルの通りなのですが、そこに画材屋やギャラリーなどが集まっており、真偽のほどはわかりませんが、地元では“横浜のモンマルトル”と呼ばれているのだそうです(どこが?という感じですが)。その吉田町で土日に「アート&ジャズフェスティバル」が開催されるというので、午後から出かけました。すでに10回目だそうですが、例年もそうなのか、「ヨコハマ大道芸2009」の一環として催されていました。

みなとみらい線の馬車道駅で下車したのですが、表に出ると馬車道も大変な人で、いたるところで大道芸が行われていました。また、松坂屋が閉店してややさびれた感のあった伊勢佐木町もいつになく人で埋まっていました。他に、みなとみらいでも大道芸が行われたそうです。

アート&ジャズフェスティバル1

アート&ジャズフェスティバル2

吉田町の通りは歩行者天国になっており、路上ではアート作品の販売やジャズのライブが行われていました。今日は永井隆雄グループ・竹内直グループ・渡辺典保グループが演奏していました。観客の年齢層がやや高いのが気になりましたが、やはり、ジャズの生演奏はいいですね。出演しているミュージシャンの中で二人見覚えのある顔がありました。彼らのアドリブを交えた巧みな演奏を聴いていると、ジャズミュージシャンというのは職人なんだなと今更ながらに思います。それが、横浜の古い街に残る下町的な気質と合うのかもしれませんね。彼らもときどき缶ビールを飲みながらいつになく楽しんで演奏しているように思いました。

永井隆雄グループ

竹内直グループ

渡辺典保グループ

ところで、横浜では今月の28日から9月27日まで、開港150周年を記念する開国博Y150が開かれます。私のまわりではその話題を耳にすることはほとんどありませんが、「横浜はオシャレだ」と思っている(勘違いしている)ような人達には大きなイベントなのかもしれません。「博覧会」と謳ってはいますが、内容はフジテレビがお台場でやっているイベントとたいして変わらないように思います。そう言えば、今日もテントの下でペラペラのパンフレットを500円で売っていました。私は無料かと思って、勝手に取ろうとしたら、「Y+150」のスタッフジャンパーを着た係員があわてて両手でパンフレットを押え、「500円ですっ!」と叫んでいました。

大道芸2009・2

大道芸2009・1

大道芸2009・3
2009.04.19 Sun l 横浜 l top ▲
恒例の秋の健康診断に行きました。詳しい検査結果は後日に出ますが、前回やや難があった血圧や左耳の聴力は今回は問題はありませんでした。胴まわりをはかる際、メジャーを当てた係の人から「お腹を引っ込めないで、普通にしてください」と言われました。ついいつもの癖が出てしまいましたが、体重は前回より6キロ減っていました。

「何かダイエットでもしているんですか?」
「ええ、まあ」
「半年で6キロってすごいですね。どんなダイエットしているんですか?」
「コアリズムですよ。毎日、姿見の前で腰を振ってます」
「ああ、あれ‥‥」

まわりの人達も興味深々という感じで耳を傾けていました。ホントはただ歩いているだけなんですけど。

気分がいいとサービス精神も旺盛になります。
2009.04.11 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
太尾隊道桜

うららかな春の陽気に誘われて、散歩がてら花見に行きました。

まず、最寄駅とは反対側の太尾新道沿いの桜を見ながら新横浜まで歩きました。新横浜からは市営地下鉄で桜木町に行きました。

野毛を横切り、都橋から長者橋までの大岡川沿いを歩きました。平日の昼間にもかかわらず、結構人は多かったです。日本人が3分の2で、残りは中国や韓国、フィリピンなどの外国人でした。

大岡川桜1

以前このあたりは外国人の街娼達のメッカだったそうです。しかし、開港150周年を前にした浄化作戦でほとんど姿を消したのだとか。もっとも、この花見のシーズンは例年開店休業だったのでしょう。

大岡川桜2

大岡川桜3

川沿いの道路は福富町西通りと呼ばれ、その奥はソープランドと韓国料理店が林立する横浜の暗所とも言うべき福富町です。道路沿いにもソープランドが並んでいますが、黒のスーツを着た呼び込みの男性達が手持ち無沙汰な様子で花見客を見ていました。

川の歩道沿いにはビニールのテントを張った屋台が出ていましたが、スペインやベトナムやブラジルなど、実に国際色豊かでした。ただ、なんとなく胡散臭い感じがなきにしもあらずでしたが。

山下公園大道芸1

山下公園大道芸2

花見のあとは伊勢佐木町~寿町~石川町駅のルートで山下公園に行きました。山下公園では若い大道芸人のパフォーマンスに観客達が歓声をあげていました。

さらに山下公園から遊歩道を歩き、万国橋の運河沿いのいつものベンチでしばらく休憩して帰ってきました。帰って万歩計を見たら、1万8千歩歩いていました。満足、満足。
2009.04.03 Fri l 横浜 l top ▲
エチカ池袋

オープンしたばかりのエチカ池袋に行きました。残念ながら写真を撮ることができませんでしたので、今回はパンフレットの画像のみです。

私が上京して最初に住んだのは、西武池袋線沿線の街でした。そして、一昨年、横浜に引っ越すまで10数年住んでいたのが、東武東上線沿線の街です。従って、乗継ぎ駅の池袋は、私にとって東京でいちばん馴染みのある街です。特に、東武東上線を利用するようになってからは、東口より西口に出ることが多くなりました。西口は東口に比べて人が少なく、ややひなびた感じがあるので、なんとなくホッとするところがありました。

それに、なんと言っても私にとっていちばん大きな理由は、西口には芳林堂書店(2003年12月閉店)があったからです。東武デパートの旭屋や東口のジュンク堂など大型書店ができるまでは、池袋と言えば芳林堂でした。私は本屋に行くのが趣味のような人間ですが、いちばん利用したのはやはり池袋の芳林堂です。

西口の地下の端には人知れず新線池袋という駅がありました。有楽町線の和光市駅や小竹向原駅でうっかり「新線池袋行」に乗ろうものなら、西口の地底深くに作られたホームに放り出され、少なからず戸惑うはめになります。ましてJRに乗り換えようとすると、改札口を出てからさらに閑散とした地下通路を東口の方に向って延々歩かなければなりませんでした。

その閑散とした地下通路に約40の店舗が入って先月オープンしたのが、エチカ池袋です。ちなみに、”駅の地下”だから、「エチカ」だそうです。もちろん、事業主体は東京メトロ(旧営団地下鉄)です。エチカ池袋の場合、20代~40代のカップルがターゲットだそうですが、実際は有楽町線や副都心線を利用して都心で働く、埼玉都民の若い女性達が主流になるのでしょう。それにしても、東京メトロが「エチカ」で、JR東日本のエキナカ(駅の中)が「エキュート」(駅がキュート?)と、いづれも人を食ったような安易なネーミングで、なんだかまぎらわしくてなりませんね(ネーミングまでが横並びというのはいかにも官僚的な鉄道会社らしい気がします)。

西口の商店街は、今回は相乗効果を期待して反対もなかったそうです。たしかに、JRと違って改札口の外の通路なので、利用客が地上に出てくることを期待する気持はわからないではありません。しかし、残念ながら地下通路の構造や位置関係からみると、とても地上に上がってくるとは思えず、相乗効果は画餅になる可能性大です。

それより、池袋を利用する埼玉都民の多くが口にしているように、「ホントに大丈夫なの?」というのが偽らざる現実でしょう。これほどエキナカや駅ビルが乱立すると、もはやテナントに新鮮味もなく、あきらかに企画のマンネリ感は否めません。もっとも、東京の都心の地域間競争なるものも、所詮鉄道会社におんぶに抱っこしたものでしかないのですから、こんな個性のない街づくりが消耗戦になるのは当然でしょう。

ところで、私が何より驚いたのは、このエチカ池袋のコンセプトが「池袋モンパルナス」だということです。西口には東京芸術劇場があるので(かの舞台芸術学院もあるし)、その延長で「池袋モンパルナス」を思いついたのかもしれませんが、資本というのは金もうけのためならなんでも利用するもんだなとあらためて思いました。

「池袋モンパルナス」については、宇佐美承氏が文芸誌『すばる』に連載していたのを読んで私も初めて知ったのですが(同氏の『池袋モンパルナス』は現在、集英社文庫に収録)、その芸術家達御用達であった芳林堂も今はなく、また、サンカ小説で有名な作家・三角寛(大分県直入郡出身)がはじめた文芸座も実質的になくなり、今や池袋中華街構想に象徴されるように、中国人とムスリムの聖地と化したような西口に、「池袋モンパルナス」をコンセプトにもってくるなど、「いい根性しているな」と思いました。(西口の商店街が反対しなかったのは、中華街構想よりまだこっちの方がマシだという消去法だったのかもしれません)

もっとも、エチカ池袋は全面オープンではなく、今秋、さらに「アートの薫りがするゾーン」「ESPACE ART」がオープン、同時に地上9階地下3階のテナントビル・池袋12番街区ビル(仮称)も完成予定だそうです。しかし、西口には既に東武百貨店の隣にメトロポリタンプラザもありますし、埼玉都民ならずとも「ホントに大丈夫なの?」と言いたくなりますね。毎日乗継ぎでいろんなものを見ている埼玉都民の感覚は意外と鋭いですよ。あなどるなかれ。
2009.04.02 Thu l 東京 l top ▲