有隣堂本店
      「本やタウン」有隣堂本店より

埼玉にいた頃、川越のブックオフに行ったことがありますが、あまりほしい本がなくてずっと足が遠のいていました。しかし、横浜に来て、伊勢佐木町の有隣堂本店の近くにあるブックオフにたまたま入ったら、ひと月前に出たばかりの文庫や新書が半額くらいで売っているのです。それで、有隣堂に行ったついでにときどき行くようになりました。昨日も新書や文庫を10冊以上買って、おかげで(と言うべきか)有隣堂では何も買わずに帰ってきました。

ただ、ブックオフでズラリと並んだ柳美里の単行本がいづれも105円で販売されているのを見たときは、さすがに複雑な心境になりましたね。私の前では初老の男性が年代ものの井伏鱒二全集を105円で買っていました。

一方、「本やタウン」のサイトを見たら、来月の3日で有隣堂本店の「本やタウン」のサービスが終了になる旨の告知が出ていました。私は買いたい本があった場合、「本やタウン」で店内在庫の確認をして、それから出かけていたのですが、「本やタウン」のサービスがなくなると店内在庫の検索もできなくなるのです。かと言って、ジュンク堂や紀伊国屋のように自社のウェブサイトにオリジナルの検索を設ける予定もないみたいなので、不便になります。

有隣堂本店に関しては最近、前と違って品揃えが悪くなったなと思っていたら、案の定、来月、文具館の売場が本店の書籍売場に移動するのだそうです。やはりこの不景気の影響なのかなと思いますが、もうひとつは、伊勢佐木町という立地がネックになりつつあるのかもしれません。イセザキモールを歩いている人達を見ても、とても書店が成り立つような土地柄でなくなったのは事実です。ブックオフにしても、マンガとゲームソフトでもっている感じです。

地元の人に話を聞くと、昔は”銀ブラ”ならぬ”伊勢ブラ”という言葉もあったそうで、親に連れられて伊勢佐木町に買物に行くのが何よりの楽しみだったとか。それを思えば、松坂屋(旧野澤屋)が閉店した現在、当時の名残をとどめているのは有隣堂だけになったと言えなくもありません。

追記:
その後、有隣堂書店は独自で「在庫検索」を設置しました。下記のページで検索が可能です。

http://book.yurindo.co.jp/
2009.07.28 Tue l 横浜 l top ▲
平岡正明

遅ればせながら、平岡正明氏が今月の9日、脳梗塞のため亡くなったことを知りました。よく横須賀線を利用するのですが、保土ヶ谷を通るとき、ときどき平岡正明氏のことを思い出したりしていました。野毛には千回通ったと書いていましたが、保土ヶ谷から愛用のバイクに乗って野毛や伊勢佐木町や福富町などに通う中で、あの名著『横浜的』(青土社)が生まれたのです。

高校時代、図書室にあった日本読書新聞で、当時「世界革命浪人」などと名乗っていた平岡正明(ヒラオカセイメイ)氏の犯罪とジャズに関する文章を読んで以来、文字通りジャズのアドリブを地で行くような平岡氏の文章のファンになりました。『韃靼人宣言』・『ジャズ宣言』・『ジャズより他に神はなし 』・『あらゆる犯罪は革命的である』・『闇市水滸伝 』・『マリリン・モンローはプロパガンダである』etc、なんだか見てはいけないものを覗き見るような感じで、心臓を高鳴らしながら読んだ覚えがあります。

平岡正明氏には、五木寛之氏や山下洋輔氏や筒井康隆氏やタモリなどにつながる”人脈”がありますが、それをつなぐのは言うまでもなくジャズです。山下洋輔トリオの復活のステージを見ずして亡くなられたのはかえすがえすも残念でなりません。今から25年以上前に書かれた『おい、友よ』(PHP新書)という本で、あまりに過激な内容のために発売禁止になったタモリの「戦後日本歌謡史」を高く評価し、「タモリを応援せよ」と言った平岡正明氏に、今の「いい人」タモリを見てどう思っているか、一度聞いてみたかった気がします。

横浜に関して言えば、野毛の大道芸やジャズ祭などとの関わりを見てもわかるとおり、アジテーター&オーガナイザーとして面目躍如といった感じがありました。

0時0分0秒、停泊中の巨船の咆哮を合図に大小の船が競って汽笛を鳴らした。隣のフォルクスワーゲンの男は、日本人だと思うが、フィリッピンあたりの人かな、手をひろげて「オー・イエース」と言いやがった。空冷エンジン、うるさいんだよ。でも横浜だからゆるしちゃう。
 シルクホテルは、消防法基準に合致していないとかで、ホテル・ニュージャパンの火災のあと自主的に営業中止しているはずだが、その五階の暗い窓を開けて、ハラリとフランス国旗がたれ下がった。拍手するドライバーがいる。フランス人よ、なにもフランスを支持しているわけではないのだぜ。われわれ日本人はお祭り好きなんだよ。
 海面を渡ってきた汽笛が海岸通りの建物の列でドッブラー効果をおこし、町全体がオルガンのように鳴り響いた。その音はたしかに除夜の鐘に似ていた。(「港ヨコハマ・除夜の汽笛」)


こういった文章を読むと、やはり横浜が好きだったんだなと思います。
2009.07.21 Tue l 訃報・死 l top ▲

 私には「世の中には、”銀蠅的なもの”に対する需要が、常に一定してあり、その一定量は驚くほど多い」という持論がある。昭和50年代終わりという時代の「銀蠅的なもの」が「横浜銀蠅」だった、ということで、横浜銀蠅出現以前にも、そして消滅以降にも「銀蠅的なもの」はあったし、あり続けているのだ。
 有意識・無意識にかかわらず「銀蠅的なもの」に心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の約5割を占めると私が見ている。勝手に、だが。


これは、『ハイファッション』(文化出版局)の1996年7月号に掲載された、故・ナンシー関氏のコラム「日本人の5割は『銀蠅的なもの』を必要としている」からの抜粋です。ナンシー関氏は、ヤンキーという言葉を使っていませんが、ここで言う「銀蠅的なもの」が「ヤンキー的なもの」あるいは「ヤンキーテイスト」の代名詞であることは言うまでもありません。そして、このコラムがこの国のヤンキー論の幕開けを告げたのでした。

だから、最近たてつづけに出版され話題を集めている五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)や難波功士『ヤンキー進化論』(光文社新書)でも、いわばヤンキー論のたたき台としてこのナンシー関さんのコラムが紹介されていたのは当然と言えば当然でしょう。(『ヤンキー文化論序説』に至っては巻末で「ヤンキーコラム傑作選」と銘打って、彼女のコラムを4本紹介していました)

酒井順子さんは、斉藤環氏との対談集『「性愛」格差論』(中公新書ラクレ)の中で、「ヤンキーを把握せずして、日本は語れないでしょう」と言ってましたが、今や若者文化が「おたく」と「ヤンキー」と「サブカル」の三つ巴になっている中で(斉藤環氏)、たしかにヤンキー文化だけは、不当に貶められ語られざる対象になっている感は否めません。

斎藤環氏は、ヤンキーテイストの代表例として、ビートたけしが初期の頃よく着ていたフィッチェ・ウォーモのセーターをあげていましたが、それを言うなら、むしろ和歌山カレー事件の林真須美被告が着ていたミキハウスのトレーナーをあげるべきではないでしょうか。そして、そのミキハウスのトレーナーからヴィトンのバッグやピーチジョンの下着、Jウェディングや住宅地のクリスマスイルミネーションやキラキラネーム、ヒップホップやレゲエ、東京ディズニーランドやサンリオピューロランドやドンキホーテまで、今や日本全国津々浦々「ヤンキー的なもの」で満ち溢れているというのは事実でしょう。たとえば、深夜に子供連れでドンキホーテにやってくるのはヤンキーが多い(『ヤンキー進化論』)なんて言われると、思わず頷いてしまいます。

まして、私は横浜銀蠅の横浜に移り住んでからというもの、「ヤンキー的なもの」に遭遇することが多くなり、ことのほかヤンキーを意識せざるを得なくなりました。前に住んでいた埼玉に比べても、むしろ横浜の方がヤンキー度は高い気がします。「オシャレな街」横浜が実はヤンキーの一大産地であるというのは、決してオーバーではないのかもしれません。

また、末端を肥大化したり、「バッド・テイスト趣味」と言われるような限りなく過剰で類型化されたものへの偏愛など、ヤンキーがこだわる様式美について、斎藤環氏は、「歌舞伎における様式性の進展には、あきらかにヤンキー文化に通底するような『構造』がみてとれる」(『ヤンキー文化論序説』所収「ヤンキー文化と『キャラクター』」)と歌舞伎との類似性を指摘していましたが、これは慧眼ではないでしょうか。

そもそも歌舞伎というのは、傾く(かぶく)という言葉が語源だと言われていますが、それは「やくさむ」という言葉と同義語で、「やくさむ」は「やくざ」の語源ではないかという説もあるくらいです。いづれもドロップアウトするという意味ですが、その意味ではヤンキーと歌舞伎の様式美が似ている(通底している)というのは、充分説得力があるように思います。そして、現代の歌舞伎者たる芸能人にヤンキーテイストの人間が多いというのも合点がいきます。

私は以前、下北沢の路上で俳優の柄本明さんとすれ違ったことがありますが、そのとき柄本さんは派手な柄のアロファシャツに女性もののサンダルをつっかけて(九州ではサンダルのことを「つっかけ」と言います)、なぜか晴天なのにビニール傘を手に持っていたのでした。私はその姿を見て、思わず「歌舞伎者」という言葉を連想したのですが、考えてみれば、ヤンキーも似たような格好をしているのです。余談ですが、ダッシュボードのムートンの敷物やレイやUFOキャッチャーで手に入れたぬいぐるみやディズニーやサンリオなどのキャラクターが好きだとかいった、ヤンキーとファンシーの親和性にも個人的にはすごく興味があります。

ナンシー関氏がコラムで俎上に乗せていたのは工藤静香やX-JAPANのYOSHIKIや鈴木紗理奈ですが、他にこれらの本では木下優樹菜や後藤真希や浜崎あゆみや氣志團やEXILEなどさまざまなヤンキーテイストの芸能人達があげられていました。しかし、私はこの中でぬけている芸能人が「三人」いるように思いました。

一人は、倖田來未です。今やこの人ははずせないでしょう。そして、倖田來未→大阪と連想すると次に浮かぶのは橋下徹大阪府知事ですね。彼の中にもヤンキーテイストを感じるのは私だけでしょうか。二人目は、ジャニーズ事務所のアイドル達です。私達は、襟足だけがやけに長い「ジャンボ尾崎のような髪型」とよく言ってましたが(いみじくも斎藤環氏が『「性愛」格差論』でまったく同じ言い方をしていたのでびっくりしましたが)、彼らジャニーズ系のアイドル達の多くはそんな「(ヤンキー的)美意識を刷りこまれた」子供がそのまま大きくなったような感じです。その意味では、倖田來未と中居クンはベストカップルと言うべきでしょう。三人目は、韓流スター達です。彼らはどう見ても歌舞伎町のホストそのものですが、だからこそ「ヤンキー的なもの」が垣間見えて仕方ないのです(と言うか、ファンが彼らに「ヤンキー的なもの」を見ていると言うべきかもしれません)。

うーん、こう考えると、ヤンキー的なものに「心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の約5割を占める」というナンシー関説が俄然真実味を帯びてきますね。この巨大なマーケットがこれからも姿かたちを変えて「ヤンキー的なもの」を再生産し消費していくのでしょうか。ヤンキー文化恐るべしです。

>> 『世界が土曜の夜の夢なら』
2009.07.15 Wed l 本・文芸 l top ▲
韓国在住の方から商品について問合せがありました。実際は弊社では扱ってない商品なのですが、韓国で販売したいと言うのです。何回かのメールのやりとりのあと、私は以下のような返事を出しました。これは私自身が日頃感じていることですし、とりわけネットショップをやっている多くの人達も同じように感じていることではないでしょうか。

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お問合せいただいた商品は、いづれもファンシー文具の会社の商品で、弊社では残念ながら取り扱っておりません。それに、文具の会社は非常に保守的で、日本的な商慣習にしばられていますので(ビジネスがオープンではありませんので)、通常は問屋か小売店で仕入れるしかありません。従って、そんなに安く仕入れることはできないと思います。

お尋ねしたいのですが、○○さんはご自分で小売店(ショップ)を開いているのですか? シール(ステッカー)はそこで販売したいと考えているのでしょうか?

だとすると、ネットを通して取引をはじめるのは現実的には難しいと思います。まして、上記のような会社は、非常に古い体質が残っていますので、ネット取引自体を嫌がる傾向があります。アメリカなどの方がはるかにネットでの取引が可能(ビジネスがオープン)ですよ。

たとえば、私達が上記の会社に取引したいとメールを送っても返事もくれません。また、上記の商品を扱っている問屋に連絡してもなかなか取引をしてもらえません。たとえ現金払いであってもです。中には別に保証金を入れれば商品を売ってもいいなんて言う会社もあるくらいです。

取引ができるという保証があるわけではありませんが、できれば一度見本市などに来て、直接商談をするのもひとつの方法かもしれません。ただ、文具業界はそのように非常に古い体質がありますので、門戸が狭い(なかなかビジネスのサークルに入れてもらえない)ことは覚悟された方がいいでしょう。だからと言って、文具業界が新規取引を断るくらい景気がいいわけではなく、むしろ逆です。要するに、業界特有の村社会の論理(習慣)からぬけられないだけなのです。

以前、原宿の取引先の店で、韓国から来た方が若い女の子向けのソックスやレッグウォーマーを大量に買っているのに遭遇しました。「そんなに買ってどうするのですか?」と聞いたところ、「韓国で店をやっているのでそこで売ります」と言ってました。「でも、定価で買った商品を売っても高くて売れないのではないですか?」と訊いたところ、「日本製のいいものだったらある程度高くても売れます。それに、この商品を参考にして自分達で商品を作るつもりです」と言ってました。なるほどなと思いました。そういうことも方法かもしれませんね。

お役に立てず申し訳ありませんが、以上、ご連絡申し上げます。
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こういうところにも広くネオリベラリズム(新自由主義)を受け入れる背景があるように思います。正直言って、私の中にもあります。この現状を打破するには、徹底的に規制緩和して、市場原理主義にすべてを委ねるしかないんじゃないかと思ってしまうのです。
2009.07.11 Sat l 仕事 l top ▲
浅草・ほうずき市01


マスコミ風の言い方をするなら、下町の夏の風物詩、浅草のほうずき市に行ってきました。私は、ほうずき市は初めてでしたが、仲見世から浅草寺の界隈は大変な人出でした。お約束のマスコミもテレビ局各社が取材に来ていました。

また、外国人観光客の姿も目立ちました。欧米系の外国人はひと目でわかりますが、アジア系、特に台湾・韓国・香港・中国からの観光客は、人ごみに紛れたら日本人と見分けがつきません。それを考えれば、相当数の外国人観光客が来ていたのではないでしょうか。今や浅草も原宿の竹下通りなどと同じように外国人観光客で持っているようなものかもしれません(竹下通りの場合は大半はアジアからの観光客ですが)。

田舎の人間にすれば、ほうずきがひと鉢2500円と言われると「なんで?」と思いますが、ここは花の都・東京ですので致し方ないのかもしれません。子供の頃、よくほうずきを口で鳴らしたものですが、この鉢植えのほうずきもやはり口で鳴らすんだろうかと思いました。

浅草も久しぶりでした。私は、以前は仕事するのももっぱら車でしたので、都心の道路はそれこそタクシーの運転手ができるくらい精通しているつもりですが、他に江東区や墨田区や台東区といった、いわゆる下町の道路も結構詳しく、それくらいよく来ていた時期がありました。

浅草と言うと、どうしても永井荷風を連想しますが、荷風が通っていた頃の浅草は、(荷風自身は「昔のような江戸情緒がなくなった」と嘆いていたようですが)今と違ってまだワクワクするような華やかさがあったのではないでしょうか。

また、個人的には、故・竹中労氏が『黒旗水滸伝・大正地獄篇』(皓星社)で描くところの、「左右を弁別せざる時代」大正デモクラシー下の浅草にも遠く想像力をかきたてられるものがあります。当時、浅草の空にそびえていた十二階下の「青白き巣窟」(室生犀星)や浅草出身のニヒリスト辻潤と彼をめぐる「美的浮浪者の群れ」など、なんだか想像するだけでも蟲惑的なロマンを覚えます。

私は、浅草に来ると、「人生の幸せってなんだろう?」と考えることがあります。それは、野毛などと同じように、浅草も人生が露出している街だからかもしれません。浅草も個人商店の街なのですね。それは、渋谷や原宿や代官山や六本木やみなとみらいなどにはない浅草のよさです。だからこそ、浅草には本来の意味で”ハレ”があるように思います。荷風が晩年、孤独な生活の中で、浅草に日参したのもなんとなくわかる気がします。

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2009.07.09 Thu l 東京 l top ▲
”国営マンガ喫茶”こと国立メディア芸術総合センター(仮称)構想に関連して、『週刊SPA』(扶桑社)の7月7日号に「日本のマンガ、実は世界でウケてない!」という秀逸な記事が出ていました。

麻生総理は、この構想について、国会で次のように答弁したそうです。

今日、日本文化発信の中心的存在であります、アニメ、マンガ、ゲームなどのジャパン・クールと呼ばれるメディア芸術の国際的な拠点を形成することが重要だと考えております。


たしかに記事にあるように、「製造業が徐々に国際競争力を失いつつある中で、次代の日本はコンテンツ産業を中心とした知的財産権立国を目指す。それが麻生総理に限らない多くの声」で、今やお題目のようになっています。ところが、現実は「マンガに描いた餅に終わりそうな節がある」というのです。

JETRO(日本貿易振興機構)が今年の3月に発表した「フランスを中心とする欧州におけるコンテンツ市場('08~'09年)の実態」によれば、ヨーロッパにおける日本映画の観客動員ランキングで1位の「ゲド戦記」ですらわずか33万人だったとか(日本国内では約600万人)。2位の「ドラえもん のび太の恐竜」が9万、3位の「となりのトトロ」が8万、4位のクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」が7万、5位の「魔女の宅急便」が5万と散々たるあり様です。日本国内で1500万人を動員した「ハウルの動く城」に至っては、EC加盟国全体でたったの1万人だったとか。それを裏付けるように、おたく大国のフランスにおける日本アニメのDVDのシェアは、わずか2%にすぎないのだそうです。

これは、ヨーロッパに限らず、世界最大のコンテンツ市場を抱えるアメリカでも同様で、アメリカにおける日本アニメのDVDシェアはなんと1%台だそうですから、日本アニメは「所詮はニッチ産業」で、「クール・ジャパンは幻想」だと言うのは残念ながら事実のようです。ポケモンの時代は遠い昔の話なのです。

この国の優秀な官僚達がこの事実を知らないわけがありません。にもかかわらず、117億円もの大金を投じてわざわざ箱ものを作ろうとするのはなぜなのでしょうか(しかも、117億円は土地代と建物の建築費で、作品を収集する経費などは別だそうです)。一方で、この問題を報じたテレビニュースによれば、(根拠の出所は不明ですが)アニメ制作などに携わる人材を育成する予算はわずか1400万円しかなく、”国営マンガ喫茶”の建築費の千分の1だとか。むしろ、現状を考えるなら、再び世界に通用する日本のコンテンツ産業を強化・育成しなければならないわけで、それにはまず人材を支援・育成することに予算を投じるべきではないでしょうか。どう考えても、素人には首をかしげざるを得ない話です。

>>”国営マンガ喫茶”
2009.07.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
マイカル本牧1

マイカル本牧へ10数年ぶりに行ってみました。かつて私は仕事だけでなくプライベートでもデートで行ったこともあるし、何よりマイカル本牧のベンチで当時つき合っていた彼女に別れの手紙を書いた苦い思い出もあります。しかし、今のマイカル本牧にデートで出かけるカップルなんていないでしょう。

メイン道路の角に閉鎖されたまま醜態を晒している5番館の建物がなんだかこの間のマイカルの歩みを物語っているようでした。かつてはスペインだったかの港町をイメージした業界では画期的なショッピングセンターでしたが、今は見る影もありません。

昔のイメージがあったので、どこがマイカル本牧なのか、さっぱりわからず最初は戸惑いました。犬を散歩しているご婦人に「マイカル本牧ってどこですか?」と聞いたくらいです。それもそのはずで、ウィキペディアによれば、当時は1~12番館まで建物があったそうですが、現在残っているのは、サティと横浜銀行が入る3番館とマイカルシネマズ(MOVIX本牧)が入る6番館だけで、残りは既に閉鎖されたり解体されたりしているそうです。もちろん、彼女に別れの手紙を書いたベンチなど跡形もありません。

マイカル本牧2

ただ、周辺は人どおりも多く、住宅街としてそれなりに活気がありました。交通手段がバスだけという不便さはあるものの、なにせ1980年代まで米軍に接収されていた土地ですので、横浜ではめずらしい平らな土地で、住宅地としてはめぐまれた環境にあり、マイカル本牧の凋落を尻目に宅地開発は順調にすすめられたようです。ただ、道路沿いの建物に「テナント募集中」の看板がやたら多かったのが気になりました。

メイン道路沿いはマンションが目立ちますが、一歩中に入ると瀟洒な一戸建ての住宅が立ち並ぶ住宅街もありました。それにしても、ウィキペディアではないですが、ニュータウンの中に屹立する廃墟というのはまさにシュールな光景です。

マイカル本牧3

マイカル本牧4

帰りは山手トンネルを越えて元町まで歩きましたが、途中の本牧の商店街も昔ながらのいい味は出しているものの、やはりシャッターが下りた店舗が目立ちました。

そもそもみなとみらい線を本牧まで伸ばす計画があったにもかかわらず、地元商店街の反対でとん挫したのだそうで、それを考えれば今日の廃れた光景は自業自得と言えなくもありません。余談ですが、横浜というのは、こういった住民エゴの影をいろんなところで見ることができます。かつての飛鳥田市政・長洲県政の負の遺産だという声もありますが、横浜市は依然として”役人天国”の側面がありますので、住民エゴをタテに事なかれ主義が蔓延している気がしてなりません。

マイカル本牧ができたとき、文字通り業界では衝撃をもって受け止められましたが、今考えれば、「大丈夫なの?」という冷静な声は皆無でした。みんな「すごい」「すごい」と言っていたのです。これもバブルのなせる業だったのかもしれません。

そう言えば、当時、私も会社から専用のクレジットカードをもたされ、給料とは別に月に30万円まで自由に使っていいとお墨付きをもらっていましたし、営業車もベンツをあてがわれ、月に9万円の駐車場(車1台分が9万円!)を借りていました。「いい時代」と言うより、どう考えても「おかしな時代」だったのです。マイカル本牧の今日の無残な姿も「おかしな時代」のなれの果てと言うべきかもしれません。みんな狂っていたのです。


2009.07.03 Fri l 横浜 l top ▲