前立腺炎ですが、薬のおかげか、その後、痛みもなくなり尿の色も元に戻りました。これで終了かと思って、今日クリニックに行きました。ところが、先生の答えは意外なものでした。「前立腺炎はよくなったと思っても、すぐぶり返すことがありますので、あと1週間薬を飲みましょう」と。抗生物質のクラビットと利尿剤のハルナールを飲むとなんとなく身体がだるくなるのです。でも、仕方ありません。

また、「おしっこの勢いはどうですか?」と訊かれたのですが、実は私もそれが気になっていたのです。回数は普通なのですが、どうもいまひとつ勢いがないように思うのです。華厳の滝のような勢いは望むべくもありませんが、なんだかジョロで朝顔に水をやっているような感じ、哀しいくらいしょぼいのです。先生にそう話したら、「やっぱり」というような顔をして、「じゃあ次回はおしっこの勢いの検査をしましょう」と言われました。

おしっこの勢いの検査? まさか、先生か看護婦さんの目の前でおしっこをするんじゃないだろうな?

そう思ったら気になって仕方ありません。たまたまそのあと、仕事で別の病院に行ったのですが、そこで顔見知りの看護婦さんに「おしっこの勢いを調べる検査ってやったことがあります?」と訊いたら、「エエッ、そんなの知らないわ」と言われました。

特殊な検査なのか? 

それで、今度は医事課の女の子に、「今までおしっこの勢いの検査をしたことってあります?」と聞きました。

「エエッ、私が?」
「違いますよ(私は変態じゃありません)。患者さんでそういう検査をした人がいたかどうかってことですよ」
「記憶はないけど、そう言えば、そんな検査があったような」と言って、分厚いレセプト用の点数早見表をめくっていました。そして、「ありました。あまり点数が多くないから、たいした検査ではないと思いますよ」と言うのです。

たいした検査ではない? やっぱり、あれか?

と、そのとき、ふと、前立腺のガンの手術をした人を思い出したのです。それで、さっそく電話しました。

「なんだよ。仕事中なんだよ」
「すいません。つかぬことをお聞きしたいのですが、おしっこの勢いの検査をしたことってありますか?」
「エッ、おしっこの勢い? あるけど、それがどうした?」
「どんな検査なんですか?」
「どんな検査って、バケツのようなものにおしっこをして、先生が別室でなんかデータのようなものを見ているだけだけど」
「じゃあ、先生の目の前でおしっこをするわけじゃないんですね」
「当たり前じゃん」

これでひと安心です。

念のために帰宅してから、ネットで「尿 勢い 検査」と検索したら、OKWaveコミュニティーでヒットしました(尿の出る勢いの検査とは?)。”目測”とかそういった原始的なものではなく、ちゃんとした検査の機械があるのですね。杞憂に終わってよかったよかったという感じです。

ただ、同時に「前立腺の大きさも調べます」と言ってましたので、恐らくまたあられもない格好をしておしりの穴に指を入れられるのでしょうか。それも憂鬱ですが。
2009.08.29 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
午後から日本大通りの横浜簡易裁判所に行きました。訴訟の申し立てをするためです。商売をしていると、ときにいやな役目も引き受けなければなりません。裁判員制度の影響なのか、民事の受付の担当者の方は恐縮するくらい親切でした。30分近く申立書の書き方など懇切丁寧に説明していただきました。そう言えば、その前に県警本部にも行ったのですが、そこでも皆さん親切でした。

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用件を終え、裁判所から外に出たら、前の日本大通りが大変な騒ぎになっていました。道路も封鎖され、赤色灯を点滅させた消防車や救急車が集まり、舗道も大勢のヤジ馬で埋まっていました。よく見ると、ハシゴ車まで出動していました。最初、出初め式かなと思ったのですが、この季節に出初め式はないだろうと思って、近くの人に訊いたら、通りに面したビルでボヤ騒ぎがあったのだそうです。三脚を立ててカメラを構えているテレビ局までいました。

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ボヤ騒ぎのあと、いつものように海沿いを散歩することにしました。象の鼻公園から大桟橋、そして、赤レンガから汽車道を通ってみなとみらいまで歩きました。夕暮れまでは少し早かったのですが、埠頭を渡る風にも秋の気配が感じられました。夏休みの間は人が多いので、どうしても足が遠のいてしまいますが、これからは散歩にいい季節になりますね。私は、どちらかと言えば、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)より「横浜暮色」という言い方のほうが好きです。平岩弓枝の「御宿かわせみ」シリーズに『横浜慕情』というのがありますが、「横浜慕情」というと、ちょっと重すぎて現実感がなくなりますね。

いつもながら、故・平岡正明さんの『横浜的』にもこんな「横浜暮色」を描写した文章がありました。

 花火は風のある日がいい。硝煙が吹き払われるからだ。今年の夏は快晴の日がなく、七月中旬の市主催の花火も、八月初めの神奈川新聞社主催の大会もぼんやりした夜空だったが、九時前終了してレンガ倉庫の間を引きあげてゆく人々の影がよかった。電灯の数がすくなく、ふだんは見回り用に使っている警備員の懐中電燈で足下を照らされてデコボコ道を家路につく市民の影絵が清親の明治浮世絵の雰囲気に近かった。赤煉瓦倉庫と花火の残照。日露戦争期の輸出主力、絹製品をさばくために建てられた倉庫が、旧字の「横濱」を描出する一夜だった。
(「赤煉瓦倉庫で見る花火」)


少し陽が陰ってきた大桟橋に立ったら、ふと、五木寛之さんの『青年を荒野をめざす』を思い出しました。主人公のジュンもたしか大桟橋からバイカル号でナホトカに向かったのです。高校時代、この小説を読んで、自分も遠くへ行きたいと思ったものです。もっとも、九州の片田舎の高校生にとって「遠くへ行く」と言っても、せいぜいが東京で、海を渡るなんてまったく想像の埒外でしたが。そう言えば、同じ五木さんの『海を見ていたジョニー』でも、ジョニーが最後に身を投げたのも山下公園でした。ベトナム帰りのジョニーが見ていたのも横浜の海だったのです。


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2009.08.26 Wed l 横浜 l top ▲
酒井法子2

覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された酒井法子容疑者の、夫が逮捕されたあとの逃亡劇といい、逮捕後の供述といい、とにかくシロウトとは思えないようなしたたかさを感じるのは私だけでしょうか。捜査をかく乱するような工作を行ったり、ウソの供述をつづけているのを見るにつけ、事件のあと、「パニックになった」とか、「死にたいと思った」というようなシロウトのそれとはとても思えません。もちろん、そこには彼女をサポートしていた継母や知人の「社長」など、その道のプロのアドバイスもあったのでしょうが、私は、もともと彼女の中にもそういった(市民社会の公序良俗とは真逆にある)美意識や価値観があったように思えてならないのです。

一部では、左足首や左手薬指だけでなく下腹部にも華の刺青を入れているという仰天情報がありますが、中学時代もソフトボール部で活躍していた明るく活発で健康的なイメージばかりでなく、素行の悪さが目立っていたという話もあるようです。「姐さん」であった継母の姿を見て、子供心に「カタギではない世界」に憧れる気持があったのかもしれません。少なくともそういった環境の中で人格の形成が行われたのですから、「カタギではない世界」の美意識や価値観を自然に受け入れる素地があったことは間違いないでしょう。

清純派アイドルや”ママドル”ののりぴーのイメージと、今のしたたかな酒井法子のイメージがあまりにギャップが大きすぎるために、逆によけい今の酒井法子のしたたかさが目立つわけですが、この大きなギャップをもたらした責任はのりピーの生みの親であるサンミュージックにあることは言うまでもありません。今になってカマトトぶっていますが、サンミュージックが酒井法子の生活の実態や周辺にいる人物達の素性などを知らなかったはずがありません。その意味ではサンミュージックはもっと批判されてしかるべきだと思いますが、しかし、常に持ちつ持たれつの関係をつづけお互い脛に傷をもつ者同士であるマスコミの矛先は、いっこうにサンミュージックに向かうことはないのです。

かくして誰も罪や責任を認めようとせず、なんとかそれから逃れようと悪あがきをしているのが、この事件の特徴だと言えるのかもしれません。

しかし、酒井法子ほどしたたかではないにしても、「バレなきゃいい」という考えは今の若者達にも広く見られる特徴です。若者とトラブルを経験したことがある方はわかると思いますが、とにかくどんなウソでも並べて言い逃れようとする、その往生際の悪さにはいつも唖然とさせられます。

商売をしていてつらいのは、人間の嫌な面を見ることですが、最近、その手口がそれこそシロウトとは思えないほど巧妙化しているのを感じます。どこかにシロウトっぽさでも残っていればまだ救われる気もしますが、金額の多寡を除けばもう取り込み詐欺の手口そのものです。警察の担当者も「最近はシロウトとプロの見分けがつかないくらい巧妙化していますよ」と言ってましたが、そんな話を聞くとこっちの方が気が重くなってしまいます。

「バレなきゃいい」「バレても言い逃れれば勝ちだ」

しかし、よく考えれば、これは政治の世界でも私達の日常でもよく見られる光景なのですね。結局のところ、子供は大人を見て大きくなっただけなのかもしれません。

>>魔性
2009.08.21 Fri l 社会・メディア l top ▲
病気ついでにもうひとつ。

先日、旧知のドクターと話をしていたら、日本の医療費は「先進国最低」で、なおかつ医療費の国民負担は「世界最高」だと言うのです。私は「そんなバカな」と思いました。政府やマスコミは、常々、医療費が増加の一途をたどっているので、医療費を抑制しなければならないと言ってます。そのために、介護保険や後期高齢者医療制度などがあらたに設けられ、国民負担が増えているわけです。

そこで、ネットで調べてみました。医療費(対GDP比)の各国比較はOECD(経済開発協力機構)が発表しているデータで見ることができますが、それを見ると、たしかに日本は非常に少なく、先進国の中で「最低」という表現が決してオーバーではないことがわかりました。

さらに驚くべきことに、医療費に対する国民負担率は45%(本人負担15%・本人保険料25%)で「世界最高」なのです。国の負担率は25%で、国や事業主の負担率はむしろ下がっています。医療費そのもの(金額)の比較で言えば、国が負担している医療費はアメリカの10分の1にすぎません。

しかも、日本の医療費の特徴は薬と医療機器のウエートが高く、実際の医療行為にかかる費用(技術料)だけを比較すれば、文字通り「世界最低」と言っても過言ではないでしょう。なおかつ、医者の数もGDP比、あるいは人口比でみても、先進国中「最低」だそうです。

つまり、日本という国は、世界(先進国)最低の医療費で、国民は最高の負担を強いられ(国は最低の負担しかせず)、医者の数も最低であるにもかかわらず、世界一の長寿国だということです。

今まで私達が抱いていたイメージと大きく異なりますが、これをどう解釈すればいいのでしょうか。それだけ健康で病院にかかる患者も少ないパラダイスのような国だと考えればいいのでしょうか。でも、現実はとてもそうは言えないことは誰でも知っています。

つまり、日本の医療費が低いのは、病院にかかる人が少ないからではなく、診療報酬の算定基準が低いからです。しかも、大学病院などで高度な先進医療を受けようとすると、その多くは保険対象外で患者負担が大きくなるシステムになっています。入院費を何百万円も払ったなんていう話を聞くと、あたかも診療報酬が高いと思いがちですが、実際は診療報酬が高いのではなく、患者負担が高いからなのです。

医は算術だ(古い!)などとヤユされますが、病院が必要以上に計算高くなるのは、そうしなければ経営が成り立たないからです(病院の70%は赤字だそうです)。また、若い医者が産婦人科や小児科や外科や救急医などになりたがらないのも、訴訟リスクだけでなく、医者の数が少ないために負担があまりに大きすぎるからです。勤務医の加重労働の問題も同様です。

こう考えるとき、先進国最低の医療費であるにもかかわらず、高齢化社会をタテに医療費の増加をことさら誇張して宣伝し、さらなる国民負担を設け、新自由主義的な市場原理を医療の中に持ち込んだ小泉改革は正気の沙汰だとは思えませんね。これでは地域医療が崩壊するのは当然でしょう。

余談ですが、医療費とともによくとりだたされるのが「公務員問題」ですが、公務員に関してのOECDの各国比較を見ると、公務員の数(人口千人あたりの公務員数)については日本の場合、特に多いということはありません。意外に思われるかもしれませんが、むしろ少ないくらいです。ただ、(ややこしい統計なので説明しづらいのですが)、公務員1 人当り人件費の官民賃金格差は、日本は他国に比べて断トツといってもいいほど大きい(つまり、公務員の給与は民間に比べて高い)ことがわかりました。これが役人天国といわれる所以なのです。
2009.08.20 Thu l 社会・メディア l top ▲
昨日、突然悪寒がしはじめ、熱がみるみる38度5分まであがりました。風邪かなと思ったのですが、咳や鼻水の症状はありません。さらに深夜になると頻繁にトイレに行くようになりました。いわゆる頻尿です。おしっこをしても残尿感があり、何度もトイレに行くのです。しかも、おしっこをするたびに下腹部が痛い。もちろん、尿の量は少量ですが、トイレから戻るとまた尿意をもよおし、我慢していると失禁しそうになるのです。結局、明け方まで何十回もトイレと寝室を行き来するはめになりました。

ところが、何の因果か、朝からどうしても欠かせない用事があったので出かけなければなりませんでした。高熱でしかも頻尿なので、電車も各駅停車に乗って駅ごとに下車してトイレに行くということを繰り返しました。さらに乗り換えの際は待っている時間が不安なので、駅を出てタクシーを利用しました。そして、やっと用事を済ませて帰宅してから、すぐに泌尿器科へ行きました。前に尿路結石の際に行った近くの総合病院に電話したところ、月曜日は泌尿器科の正規の診察日ではなく、担当医もいないので、予約の患者しか受け入れないということでした。それで仕方なくネットで調べて新羽の駅前にある泌尿器科のクリニックに行きました。

高熱がつづいていたので、診察を待つ間もベットで横になっていたほどです。おしっこを取ってくださいと言われて紙コップにおしっこを取ったところ、自分でもびっくりするくらい真っ赤な色をしていました。

検査は採血や採尿のほかに、下腹部のレントゲン、さらに「直腸診」と言うらしいのですが、ゴム手袋した先生が肛門に指を挿入して前立腺を触診しました(今もお尻の穴に違和感が残っています)。

自分ではいつもとは症状が違うもののやはり尿路結石に関連しているのではないかと思っていたのですが、先生の診断は結石とは関係なく、急性前立腺炎だということでした。細菌が入って前立腺が炎症をおこしているのだそうです。

「性病とかそういった思い当たることはないですか?」と訊かれたので、私はついムキになってしまいました。
「とんでもありません!先生。天地神明に誓ってそんなことはありません」
「別に天地神明に誓わなくてもいいですが(笑)」
「‥‥」

薬は、「細菌の感染を抑える」(要するに抗生物質)クラビットと「尿を楽に出せる」ハルナール、それに「熱を下げる」ボンタールカプセルをそれぞれ1週間分処方してくれました。これからも熱があがる可能性があるので、安静にするようにとの指示もありました。また、血液検査でもし「よくない結果」が出たら電話で連絡してくれるとのことでした。

まだ1回しか薬を服用していませんが、いくぶん楽になった感じです。それにしても、年2回健診を受けているにもかかわらず、このところ、毎年のように病院に駆け込んでいますが、やはり年なのでしょうか。若いときと違って堪え性がなくなったというか、身体の不調がすごく身にこたえます。それだけ体力がなくなっている証拠なのでしょう。
2009.08.17 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
絵本画家の熊田千佳慕氏が13日未明、横浜市内の自宅で亡くなられたというニュースを目にしました。

昨年、第5巻が出ましたが、眠れない夜、寝床の中で氏の『ファーブル昆虫記の虫たち』(小学館)をめくっていると、なんだか道端にしゃがみこみ、草の間で動いている虫を眺めていた子供の頃の感覚がよみがえってくるような気がします。

氏は「虫や花のことばのわかる画家になりたかった」そうですが、好奇心旺盛な子供の視点で描かれたような細密画は、文字通り単なるボタニカルアートの世界を越えて、感受性豊かな熊田千佳慕の世界が表現されています。もし子供のときに、熊田千佳慕の絵に出会っていたら、今とは違った世界観をもっていたかもしれないと思うことさえあります。

折しも、昨日から松屋銀座で「99歳の細密画家 プチファーブル・熊田千佳慕展」が開かれていますので、お近くの方は是非。

参考サイト:
>> 【PingMag】97歳現役、植物画の巨匠:熊田千佳慕
2009.08.13 Thu l 本・文芸 l top ▲
永井荷風は、誰にも世話にならずに、ある日突然ひとりでこの世を去ることをひたすら願い、実際に願いどおりに「孤独死」ができたのですが、私も同じように、誰にも世話にならずにひとりでひっそりと死ねたらどんなにいいだろうといつも思っています。

大原麗子さんの「孤独死」について、あまりにもさみしい最期だというような言い方がありますが、もしかしたら大原さんも同じようにひとりでひっそりこの世を去ることを願っていたのかもしれません。

こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、私は、大原麗子さんの「孤独死」を羨ましく思いました。まして苦しんだ様子もないそうで、理想的な最期だったように思えてならないのです。

荷風の日記『断腸亭日乗』(岩波文庫)は死の前日まで書き記されていますが、最後(昭和33年4月29日)は次のような一行で終わっていました。

四月廿九日。祭日。陰。


たったこれだけの文字の中にも底なしの孤独感と好き勝手に生きてきた満足感と、そんな人生に対する諦観が垣間見える気がします。それをどうして「あまりにもさみしい最期だ」と決めつけることができるのでしょうか。それは生きている人間の傲岸のように思えてならないのです。もしかしたら荷風も大原麗子さんも、草葉の陰で「同情無用」と言っているのもしれないのです。
2009.08.10 Mon l 訃報・死 l top ▲
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用事で元町に行ったついでに、石川町の駅の先から地蔵坂をのぼって、港の見える丘公園まで山手を歩きました。今日は蒸し暑くて汗びっしょりになりましたが、気持のいい汗でした。

山手本通りの両側は目を見張るような豪邸ばかりです。どうすればそんなに金持ちになれるんだろうなんて思いながら歩きました。私達のような下層貧民から見れば、もはや羨望をとおりこして不思議な気さえします。

湿気の多い低地は庶民が住み、風通しのいい丘の上は上流階級が住むというのは欧米流なのかもしれません。横浜が開港し、山手が外国人居留地となってから高級住宅地たる山手の歴史がはじまったのです。

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山手の丘からは眺めがいいですね。私も九州にいた頃、丘(山?)の上のアパートに住んでいたことがありますが、地震のときが大変でした。寝ている上に本棚が倒れかかって危うく下敷きになりそうになったこともありました。翌朝、会社に出勤して「いや~、昨夜の地震は大変でしたね。死ぬかと思いましたよ」と言ったら、「オーバーだよ」とみんなから笑われました。”下界”は大したことがなかったのです。関東大震災の際、山手の洋館はほとんど倒壊するなど、とりわけ被害が甚大だったというのもわかります。

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上の写真は、ご存知ユーミンも結婚式をあげた山手教会(正式にはカトリック山手教会)です。横浜の若者達のあこがれの教会です。そう言えば、近くの庭付きの洋館(レストラン?)ではパーティがひらかれていました。私は、披露宴かと思ったのですが、もしかしたら婚活パーティだったのかもしれません。

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山手教会の斜め前はフェリス女学院です。写真を撮っていたら、警備員が遠くからじっとこちらを見ていました。このあたりは名門女子高も多いので、普段から制服フェチのカメラ小僧やカメラおやじが多く出没するのかもしれません。でも、今は夏休みなので、校内は閑散としていました。

>>山手
2009.08.08 Sat l 横浜 l top ▲
酒井法子

女優という生きものには「魔性」が潜んでいます。

すべての行動原理は「自からの利害得失」による、という「魔性」であります。 その女優が「好きになったから」という理由だけで女優が結婚するとはまったく考えられないのでございます。

女優は自分自身に惚れて惚れぬいて、自分しか愛せなくなった人間の就く職業でございます。 由に人前で他人の男とも平気でSEXが出来て、泣き笑い叫び歌えるのでございます。

女優とは人々からの「喝采」に魂を売り渡した人間であります。

「喝采」のためならなんでもやれる、のでございます。 淫売になれるどころか、必要なら人殺しさえやりかねない、それが女優であります。

だから普通の「お嬢さま」では絶対に「ならない」「なれない」のが「女優というお仕事」なのでございます。

( 「陣内と紀香の離婚の『真相』」)


これは、ポリスジャパンという決してお上品とは言えないサイトに連載されていた、AV監督の村西とおる氏のコラム(「帝王村西とおるの今日もナイスですね」)からの抜粋です。押尾逮捕や酒井法子に逮捕状のニュースを聞くにつけ、私はこの文章が思い出されてなりませんでした。

酒井法子が結婚する際も、やはり「大丈夫か?」という声がありましたが、当時は清純派アイドル=のりピーとサーファー=遊び人の旦那のイメージがそぐわないので、そんな声があがったのかもしれません。しかし、「女優というお仕事」が、村西監督の言うように普通のお嬢さまにはできない、カタギの仕事ではないということを考えれば、別にそぐわない話ではなかったように思います。酒井法子も足首に「一蓮托生」のタトゥーを入れているようですが、矢田亜希子も恋愛中に押尾学と一緒に入れた(と言われている)タトゥーはこれからどうなるんだろうかと思いました。

要するに、旦那だけがやさぐれで遊び人だったのではなく、美意識や価値観を共有していたという意味で「似たもの夫婦」だったのではないか。にもかかわらず、彼女達はあたかも自分を健気な妻、夫に裏切られて悲しむ妻であるかのように演じるのです。そう演じることができるのです。怪しげなレイブパーティに参加したりクスリをやったりしながら、一方で”ママドル”として理想のママを演じていたのも、ただそれが仕事だったからにすぎないのでしょう。

よく「魔性の女」なんて言いますが、同じ「魔性」でもシロウトのそれとはケタが違うように思います。夫が逮捕されたとき、「のりピーがかわいそう」と街頭インタビューでこたえていたような人々は、あまりにもお人好しと言わねばなりません。これは矢田亜希子の場合も然りです。

もっとも、”芸能の論理”というのが本来、市民社会の公序良俗とは真逆にあったことを考えれば、「だから女優(芸能人)なんだ」と言えなくもないように思います。さしずめ酒井法子は、交通事故で亡くなった実父の職業(前歴)やその育った家庭環境等を考えると、(市民社会の公序良俗と真逆にあるという意味で)文字通り「古典的な」芸能人だったと言えるのかもしれません。子供は親を選べないけど、哀しいかな、人間にとって育った環境というのは自分で思っている以上に大きなものです。「のりピーがかわいそう」なのは、むしろこれからでしょう。
2009.08.07 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
ふかわりょう

最近、ネットの仕事をしながら、土曜日の深夜(26:00~29:00)、ROCKETMANことふかわりょうがパーソナリティをつとめるJ-WAVEの「ROCKETMAN SHOW!!」をよく聴いています。ふかわりょうは、普段のテレビのイメージとは違って、ラジオでは意外に硬派な面を見せてくれるのです。これはブログでもそうです。彼は慶応出身ですが、少なくとも、北野たけしなどよりはよほど真っ当なインテリのように思います。

新型インフルエンザで騒がれていたときも、マスコミの報道について、やんわりと異議をとなえていました。「まあ、テレビというのはもともとそういったものなので、仕方ないのかもしれませんが、報道番組もバラエティなどと同じように視聴率や話題性といった尺度でしか考えられていないのはおかしいと思いますよ」というような発言をしていましたが、まったくそのとおりですね。なんだかテレビの中にいてテレビの異常性(バカバカしさ)をさめた目で見ているような気さえしました。

先日も「フニオチ(腑に落ちない)」というテーマで聴取者から寄せられた投稿に関連して、フジテレビの「とくダネ!」で、司会の小倉智昭が中野美奈子アナの発言を無視するような場面が目立ち、中野アナが居心地が悪そうだというようなことを、きわめて慎重な言い回しで指摘していました。私も前から感じていたのですが、たとえば、中野アナが遠慮がちに(?)にコメントしても、それを無視して「では、デーブはどう思いますか?」と、デーブ・スペクター(や他のコメンテーター)に振る場面がよくあります。それは、前の佐々木恭子アナのときとあきらかに違います。たしかに、中野アナのコメントは、勉強不足なのか、やや的を外れたものが多いのも事実ですが、だからと言ってそこまでしなくてもと思います。小倉智昭とデーブ・スペクターはものごとを仰々しく言うわりに内容は日和見という面がよく似ていますので(まさにワイドショー向き!)、通じ合うものがあるのかもしれませんが。

よく言われることですが、テレビというのは、そういった普段はなかなか見えない人間の機微のようなものをときにあからさまに映し出すことがあります。それを指摘するふかわりょうの知性は、当然テレビでは無用の長物で、あくまでテレビが彼に求めるは、いじめられ役あるいはすべり役の小心者キャラなのです。ヤンキー的なものに「心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の約5割を占める」というナンシー関説から言えば、ヤンキーにいたぶられる役回りといった感じなのかもしれません。

追記:
芸能ネタとしては、その後、押尾学逮捕のニュースが飛び込んできましたが、うっかりしていました。ヤンキーテイストの芸能人として、押尾学&矢田亜希子夫妻をリストアップするのを忘れていました。変死体があった六本木ヒルズの部屋を押尾学に提供していたのは、「服飾関連の会社の女社長」だという報道がありますが、それを聞いて私は「やっぱり」と思いました(この場合、「下着通販会社の女社長」と言うべきでしょう)。こういうところにも”ヤンキー人脈”が生きていたのです。ヤンキー文化恐るべしです。(08/05)

>>ヤンキー文化
2009.08.04 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲