秋はどうして人をメランコリックな気分にするのでしょうか。若い頃はこの季節になるとよく胸がキュンとしたものです。胸がキュンとするのは、主にフェニルエチルアミンという脳内物質が分泌するからだそうですが、では、そういった脳内物質の分泌と気温や湿度はなにか関連があるのだろうかと、身もふたもないことを考えてしまいました。

日頃は、横浜なんてただの地方都市で、お行儀の悪いブルーカラーの街じゃないかなんて悪態ばかり吐いているくせに、この季節、夕暮れの横浜の街を歩いていると、「横浜っていいな~」と思ったりするのです。人生は思い出ですから、こうして秋の夕暮れに横浜の街を歩いたことも、やがてどこかの老人介護施設のベットの上で思い出すことがあるのかもしれません。

2009馬車道まつり1

2009馬車道まつり2

ちょうど今日から「馬車道まつり」で、関内ホールの前に人だかりができていました。なんだろうと思ったら、10月31日は「ガスの日」とかで、日本で最初にガス灯がともったこの日を記念して、ガス灯の点灯式が行われていたのでした。そのあと、泰地虔郎とトワイライトセッションという地元のおじさんグループの街角ライブが行われていましたが、MCの中で、当時はプロパンもなかっただろうし、ガス灯のガスはどうしてたんだろう?と言ってました。たしかに言われてみればそうですね。それで、帰ってネットで調べたら、既にガス管が通っていてそれでガスを送っていたのだとか。ちなみに、1870年(明治5年)9月に日本で最初のガス工場を造ったのは、あの「高島易断」で有名な高島嘉右衛門です。伊勢山の下の石炭倉庫跡(現在の中区花咲町の本町小学校)にガス工場があり、そこからガスを送っていたそうです。

みなとみらい1.20091031

みなとみらい2・20091031

そのあとはいつものように、みなとみらいを通って横浜駅まで歩きました。週末のみなとみらいはどこもカップルばかりです。みんな手をつないだりして仲がよさそうです。でも、そうやってまだ人の心が移ろいやすいものだということを知らないうちが華かも、なんて意地の悪いことを考えながら汽車道の入口に立ったら、薄明かりの中からこれでもかと言わんばかりにカップルが歩いてくるのです。まるでどこからか湧いて出てくる蟻の大群みたいでした。さすがのおじさんもその不気味さに気圧され、汽車道を歩くのをやめてそそくさと帰ってきました。
2009.10.31 Sat l 横浜 l top ▲
ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~

ずっと忙しくてなかなか時間がとれなかったのですが、やっと今日、みなとみらいのワールドポーターズのワーナー・マイカル・シネマズで「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」を観ました。

ところで、最近の映画館にはいろんな割引制度がありますが、私に該当するものはほとんどありません。女性は毎週水曜日が1000円、どちらか50才以上の夫婦ならひとり1000円、60才以上も1000円、また、高校生は3人以上のグループならひとり1000円などのサービスがありますが、いづれも対象外です。強いていえば、毎月1日の1000円均一ぐらいですが、その日はどこも混雑していてゆっくり映画を観る雰囲気ではありません。まして、私のようなトールサイズの人間は、座席の両サイドが埋まっていると、途中で足がしびれて映画を観るどころではなくなるのです。

今日などは、平日の午後だったということもあるのか、それこそ数えるほどしか観客が入っていませんでしたが、見渡すとみんなそれぞれ割引に該当するような人達ばかりでした。もしかしたら正規の料金(1800円)で入っているのは自分だけじゃないかと思ったら、なんだかバカらしい気持になりました。

さて、「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」ですが、監督が「遠雷」や「サイドカーに犬」の根岸吉太郎、脚本が「ツィゴイネルワイゼン」や「セーラー服と機関銃」の田中陽造となれば、いやが応でも期待せざるをえません。しかし、残念ながらその期待は裏切られてしまいました。原作に忠実だった方がよかったんじゃないかと思いましたが、全編これ予告編という感じで、散漫な感は否めませんでした。”如何にも”のような映画ですが、ただ”如何にも”で終わっている感じでした。

「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には、幸福も不幸も無いものです」
「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」


こんな太宰のアフォリズムにイカれるのもわからないでもありませんが、個人的にはこの台詞が出てきただけで興ざめでした。太宰一流の韜晦(とうかい)に惑わされて、「太宰読みの太宰知らず」みたいなところがあったのかもしれません。

また、松たか子はまだしも、浅野忠信と妻夫木聡にはどうも違和感を禁じえませんでした。きつい言い方をすれば、彼らが太宰が生きた「戦後の混沌とした時代」を演じるのは無理があるように思いました。

太宰が「すごい」のは、敗戦により価値観が転倒し、焼け跡の中で国民が空腹を満たすことだけに汲々としていた時代に、ひとり生きる哀しみを抱え、ただ死ぬことだけを考えて生きていたということです。それが太宰の文学なんですね。しかし、この映画からはそういった太宰の「すごさ」が伝わってきませんでした。「耐える女」なんてどうでもいいことなのです。それが「美しい愛の物語」だというのはフジテレビの幻想です。そんなことは太宰にとってどうでもいいことだったのだと思います。

かろうじてラストシーン(写真)が救いだったように思いますが、でも、やはりこの映画に1800円は高いと思いました。
2009.10.29 Thu l 本・文芸 l top ▲
もう酒井法子のことを書くのはやめようと思ったのですが、公判での「介護の勉強をしたい」発言についてひと言。これで打ちどめにします。

彼女の発言に対して、介護の現場で「戸惑い」や「反発」の声があるのは当然でしょう。そもそも介護の仕事をするのに、どうしてわざわざ4年制の専門学校の通信教育を受けなければならないのかという疑問もあります。通常は30時間の実習を含めた130時間の研修を受けて、ヘルパー2級の資格を取得し、あとは現場で実務経験を積んで、介護福祉士の国家試験に挑戦したりケアマネージャーをめざしたりするのです。少なくとも酒井法子と同じくらいの年齢で、介護の仕事に就く場合、そういったコースをたどるのが一般的です。もっとも、酒井法子の場合は、「仕事がしたい」ではなく「勉強がしたい」というところがミソなのかもしれませんが。

私はほとんど朝しかテレビを観ないのですが、先日のフジテレビの「どーも☆キニナル!」で、酒井法子の「介護の勉強をしたい」発言について、コメンテーターのお笑い芸人(名前は不明)が、「実際に介護をやっている人達からはホントに介護の仕事をわかっているのかというような疑問の声もありますね」と批判めいたコメントをしていました。すると、フジご用達の芸能レポーター・前田忠明が、「いや、それは本気ですよ」とやや感情的とも言えるような言い方で、件のお笑い芸人の発言を封印する場面がありました。

私はその場にデヴィ夫人がいたら面白いのにと思いましたが、案の定、今日の「どーも☆キニナル!」で、デヴィ夫人は酒井の発言について、「なんだか作為的な気がしてなりませんわ」と言ってました。もっとも、その発言も西山喜久恵アナの「作為的な」横やりですぐにかき消されてしまいましたが。

そう言えば、酒井法子がまだ勾留されていたとき、サン・ミュージックの相澤秀禎元会長のもとに、酒井本人から反省している旨の手紙が届いたとして、さもうれしそうに相澤元会長がインタビューにこたえているシーンがやはりフジテレビで放送されていましたが、そのとき、顔は出ていなかったものの、インタビューしている声はあきらかに前田忠明でした。このように酒井の事件に関して、前田忠明はサン・ミュージックと一体となって、酒井反省のイメージ作りにひと役かっている気がしてなりません(狙いは酒井法子の独占インタビューか?)。

そもそも酒井を解雇した元所属プロダクションの元社長らが未だに彼女の周辺をうろついていること自体、おかしな光景ですね。それは、14才のときから自宅に住まわせて面倒をみてきた親心だと言うのですが、私に言わせればよく言うよという感じです。要するに、商品として金の成る木にするために「自宅に住まわせて面倒をみてきた」だけで、家庭的にめぐまれない子供を里親としてめんどうをみてきたわけではないのです

今回の「介護の勉強したい」発言も相澤元社長らのアドバイスによるものだそうですが、下衆の勘繰りで言わせてもらえば、公判対策であるとともに、どうも「復帰」への地ならしの意図もあるように思えてなりません。要するに、マネーロンダリングのようなものでしょう。そして、そういった芸能界のうさん臭さを補完しているのが前田忠明ら芸能レポーター達なのです。

意地の悪い見方かもしれませんが、私は、クスリをぬくために逃亡したり、クスリの入手先の情報が入った(?)携帯電話を壊して捨てたりという、酒井法子のシロウトとは思えないしたたかさが、この「介護の勉強したい」発言にもうかがえるような気がしてならないのです。

>>魔性
2009.10.28 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
今日、インフルエンザの予防接種を受けました。といって、新型インフルエンザではなく、季節性のインフルエンザの方です。年2回健診を受けている病院で接種してもらいました。病院の話では、今年はインフルエンザに対する関心が高い上に、季節性インフルエンザのワクチンの供給量も例年より少ないため、初回の入荷分の予約をとったら、予約が殺到して30分で打ち止めになったのだとか。

最近は問合せの際、「新型」と区別する意味で、インフルエンザの頭に「季節性」をつける患者さんも多くなったそうで、「季節性インフルエンザ」という言い方もすっかり定着したみたいと看護師さんが言ってましたが、言われてみればたしかにそうですね。ちなみに、マスクも先日ネットで300枚買いました。私は花粉症でもあるので、マスクの確保だけは怠りないのです。

先週は秋の定期健診も受けたし、前立腺でも別の病院に通っていますので、なんだか毎週のように病院に行ってる感じです。

前立腺の方は「少しぶり返している」そうで、再び1週間抗菌剤のクラビットを飲みました。また、この2ヵ月ずっとハルナールを飲んでいましたが、効果が乏しかった(?)ので、先週からユリーフという新しい薬に代えました。ドクターの話では、ユリーフの方が「強力」とのことでしたが、そのためか、お腹をくだすことが多くて難儀しています。特に外出するときは気が気ではなく、万一のときのために予備のパンツまで持ち歩く始末です。情けないデス。

これで腎臓の石が転がり落ちて、尿路結石なんてことになったらどうすればいいんでしょう。今までのパターンからすれば、ぼつぼつその時期ではあるのですが。「歌謡曲だよ、人生は」というオムニバス映画がありましたが、さしずめ今の私は「泌尿器科だよ、人生は」って感じですね。
2009.10.24 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
よくブログについてテクニックなるものを紹介している文章がありますが、大半は、どんなタイトルにすればいいか、本文にどうキーワードを配置すればいいか、被リンク(外部リンク)をもらうにはどうすればいいかなどといった、SEO、つまり検索エンジンで上位に表示されるためのテクニックであって、いわゆる「文章読本」でもなければ書く内容に関するものでもありません。それでは本末転倒したせこいブログやあざといブログが氾濫するのもむべなるかなと思います。もちろん、そのテクニックにしても、高度なアルゴリズムに基づいて作られている検索エンジンからみれば、素人の浅知恵、下衆の勘ぐりのようなものです。

たしかに、ブログをつづけるのはかなりしんどいものがあります。誰に?なんのために?なんて考えたら、もう書くのがいやになってきます。あとで読み返して自己嫌悪に陥り、思わず削除したい衝動に駆られることもしばしばです。

そんな経験からいえば、永井荷風と林真理子のつぎのような言葉がブログを書く上で参考になるように思います。

『断腸亭日乗』を書いた永井荷風は、日記について、こう語っていたそうです(新潮社『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』より孫引き)。

「日記というものはつまらない記事のあいだにときどき面白い箇所がある。そういう風にしなくては味がありません」(中村光夫『≪評論≫永井荷風』)


また、林真理子は、以前『編集会議』(休刊)という雑誌のインタビュー・「私のエッセイ作法」(2003年11月号)の中で、エッセイストになる5つの条件をあげていました。それによれば、第1が「意地の悪さ」、第2が「好奇心」、第3が「文章力」、第4が「自腹を切ること」、そして、第5が「ひとに嫌われても平気でいられる強さ」だと。

要は、テクニックではなく、何を書きたいか、そして、それをどう書くかですね。もちろん、文章を書くことは、日本語の文法や自分のボキャブラリーの制約の中で書くわけですから、それ自体は”虚構”です。でも、”虚構”だから、自分が表現できるとも言えます。

荷風が言うように「つまらない記事のあいだにときどき面白い箇所がある」、その程度でいいのではないでしょうか。そう考えれば、いくらか肩から力がぬけるような気がします。

これはブログに限らず商用サイトも同様で、検索エンジンで上位表示されるためにやたらテクニックに走り自己撞着に陥っている人達がいますが、内容(商品)がよければおのずとアクセスが集まり、結果的にSEOの効果も見込めるようになるのです。このようにみずからのはからい(自力)ではなく、他力の世界に身をまかせるのが一番の近道だというのは、SEOについても言えるのかもしれません。
2009.10.22 Thu l ネット l top ▲
加藤和彦

加藤和彦の自殺はショックでした。もちろん、加藤和彦は私達より上の世代なので、「帰ってきたヨッパライ」も必ずしも同時代的に聴いていたわけではありません。しかし、フォークル(フォーク・クルセダーズ)の音楽が内包する社会性やその自由なスタイルをたどることで、来るべき大学生活に思いを馳せ、少し社会の窓がひらかれたような気がしたものです。フォークルが解散して、北山修が大学に戻り精神科医をめざしたというのもなんだか「カッコいいな」と思いました。

私達は全共闘運動に乗り遅れた世代なので、鴻上尚史の『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社)ではないですが、この一大ムーブメントから生まれた「旧来の文化的・思想的規範に対する、新たな対抗文化」(絓秀美著『1968』)によけいあこがれる気持がありました。自前のスタイルにこだわるというのは、既成の権威を否定し、与えられたレールには乗らないということで、それはそれで、当時としてはすごくラジカルなことだったのです。

そのあとのサディスティック・ミカ・バンドもカッコよかったし、また、二番目の奥さんの安井かずみが亡くなったとき、いかにも加藤さんらしい穏やかな語り口で、クリスチャンだった亡き妻のことを話していた姿が今でも印象に残っています。

私達にとっても、”うつ”も含めて加藤和彦が直面した問題は決して他人事ではありません。むしろ、ついにそこまできたかという感じさえあります。なんだか今までのように「死にたいやつは死なせておけ、俺はこれから朝飯だ」と言えない自分がいるのです。
2009.10.19 Mon l 訃報・死 l top ▲
坂口安吾は、「恋愛論」の中で、「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」と書いていましたが、その前に恋愛に免疫ができて耐性がつくことの方が不幸な気がします。

たしかに、好きで好きでたまらずいつも幻影を求める気持は若いときでも「大人」でも変わりがありませんが、失恋したあとの気持は自分でもびっくりするくらい違うものがあります。どこかでさめている部分があるのです。よく復縁を求めて相手を刺傷したりストーカーになったりする人がいますが、あれは恋愛感情というよりなにか別の現世的な打算がからんでいるか、精神病理学上の問題があるように思えてなりません。実際はむしろ逆です。

人間には学習能力もありますし、慣れもあります。それに、分別もできます。別に泣き明かしたわけでも悶々として一睡もできなかったわけでもなく、翌朝、目をさまして部屋の窓をあけたら朝の澄んだ空気がとてもさわやかに感じました。どうしてさわやかなんだと思いましたが、これが「大人」の不幸というものかもしれません。

そして、いつものように「恋愛論」を読んでいる「大人」の自分がいました。

 人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。(略)
 人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。


それにしても、安吾や太宰の書いたものを同時代的に読むことができた人々は幸せですね。私もそんな”素朴な時代”に生きたかったなとしみじみ思いました。今の時代は恋愛に限らず何事においてもややこしすぎます。

>>恋をする
2009.10.16 Fri l 日常・その他 l top ▲
ヴィヨンの妻

今年は太宰治の生誕100年を記念して、太宰作品の映画化が相次いでいますが、今日は「ヴィヨンの妻」と「パンドラの匣(はこ)」が同時に封切りでした。

今日は病院に行ったのですが、診察の順番を待つ間に原作の『ヴィヨンの妻』(新潮文庫)を読みました(青空文庫「ヴィヨンの妻」)。『ヴィヨンの妻』は何十年ぶりかで読みましたが、やはり若い頃に読んだときと今とでは全然印象が違います。

太宰本人を投影したとおぼしき夫の「大谷」が、なじみの飲み屋で店の仕入れ代金5千円を盗んだため、店の「おかみさん」と「ご亭主」が家にねじ込んできて、それに語り手である妻の「私」が応対する場面は、私も笑いをこらえることができませんでした。泌尿器科の待合室は、圧倒的に中高年の男性が多いのですが、みなさん「なに、この人?」みたいな感じで私の方を見ていました。

しかし、笑いをこらえることができなかったのは、私だけではないのです。

(略)わけのわからぬ可笑しさがこみ上げて来まして、私は声を挙げて笑ってしまいました。おかみさんも、顔を赤くして少し笑いました。私は笑いがなかなかとまらず、ご亭主に悪いと思いましたが、なんだか奇妙に可笑しくて、いつまでも笑いつづけて涙が出て、夫の詩の中にある「文明の果の大笑い」というのは、こんな気持の事を言っているのかしらと、ふと考えました。


坂口安吾は、太宰の道化を「M・C(マイ・コメディアン)」と呼んでいましたが、笑いも太宰作品の大きな特徴ですね。もはや笑うしかないのでしょう。

また、ラストの自虐をきわめたような会話の中に、そこはかとない哀しみが漂っている気がするのは、『ヴィヨンの妻』が玉川上水で「スタコラサっちゃん」こと山崎富栄と入水自殺した前年の1947年に書かれた作品だからかもしれません。ちなみに、同じ1947年には『斜陽』が、自殺した1948年には『人間失格』が書かれています。これをもって太宰は永遠の「スタア」になったのでした。

 夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは当たっていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんてい書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけど、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事を仕出かすのです」
 私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは。生きていさえすればいいのよ」
と言いました。


誤解する人も多いのですが、『ヴィヨンの妻』には”希望”なんてのはないのです。ただひとりよがりな生きる哀しみがあるだけです。

作中、「私」が二人の子供である「坊や」のことを、「わが子ながら、ほとんど阿呆の感じでした」と表現する箇所がありますが、実際に太宰に障害をもった子供がいたことを考えれば、こういった悪趣味ともいえるようなユーモアには、「家庭の幸福は諸悪の根源である」と嘯いた(うそぶいた)太宰の精一杯の虚勢が込められているように思いました。そもそも妻の「私」がけなげであればあるほど、夫の”ダメ亭主ぶり”が際立つこの小説自体、太宰一流の虚勢だと言えなくもありません。坂口安吾が、「太宰治情死考」で書いているように、太宰はホントは「サっちゃん」を軽蔑していたのです。にもかかわらず、「サっちゃん」と心中するのでした。もしかしたら、『ヴィヨンの妻』の「さっちゃん」も軽蔑していたのかもしれません。

坂口安吾は、人間には「どうしても死なゝければならぬ、などゝいう絶体絶命の思想」はなく、太宰の自殺も「芸道人の身もだえの一様相」のようなものだろうと書いていましたが、もとより人間というのは、生きる哀しみで死を選んだりするほどヤワな存在ではないのです。「死にたい」と思うことと実際に死ぬことは、まったく次元の異なる問題です。

金を無心に来た友人に「人間ほんとうに食うに困った時は、強盗でも何でもやるんだな」と言った吉本隆明ではないですが、にっちもさっちもいかなくなったらそれこそ強盗でも泥棒でもやって、地べたを這いつくばってでも生きていくのが人間ではないでしょうか。そうやって人生と格闘すべきだ(「不良少年とキリスト」)という坂口安吾に、そして、「人非人でもいいじゃないの」と言った『ヴィヨンの妻』の「さっちゃん」に、私は共鳴しますし、そこに人生の真実があるのだと思いたいですね。もっとも、私自身、そう言えるまで何十年もかかったのですが。
2009.10.10 Sat l 本・文芸 l top ▲
無印ニッポン

堤清二氏と三浦展氏の対談『無印ニッポン 20世紀消費社会の終焉』(中公新書)を読みました。

最近、高級ブランドのヴェルサーチが事実上日本から撤退するというニュースがありましたが、ヴェルサーチだけでなく、他の高級ブランドも店舗の閉鎖や計画の見直しなどがつづいているようです。変われば変わるもので、今やこれみよがしにブランドのバックをもっているのは「カッコ悪い」「頭が悪そう」というようなイメージさえあります。これはファッションだけでなく、ベンツやBMWに乗っているのも同じです。

”リーマンショック”がきっかけだったとはいえ、人々は”お仕着せの消費”を否定し、”消費の主体”たるみずからを再び取り戻そうとしているのかもしれません。そして、そんな「20世紀消費社会」の終焉を先取りしたものとして無印良品があったのだと、無印良品の生みの親とそのイデオロギーを推進した二人は主張するのでした。ただ、無印良品の鬼っ子とも言えるユニクロに対してのつっこみは、当然ながらやや甘いものがあるように思いました。「20世紀消費社会」の先にあるのがユニクロだというのではシャレになりません。

一方、”消費の平等化”によってもたらされた郊外化=「ファスト風土化」については、この本でも大半を割いてその”罪”が語られていました。

三浦氏は、なぜ大型店がいけないかについて、アメリカで聞いた「シチズンシップ」という言葉を使って説明していました。「シチズンシップ」というのは、「地元への愛着や誇り、責任」という意味だそうです。つまり、郊外化=「ファスト風土化」によって、駅前の商店街にある地元密着の個人商店がなくなるのは、「地元への愛着や誇り、責任」が失われることを意味するのだというのです。もちろん、それは地方に限った話ではありません。三浦氏は、表参道ヒルズや六本木ヒルズやJRの”駅なか”も「都市のイオン・モール」だと言って批判していました。

三浦◎(略)パッサージュ(街路)をどんどんなくしていって、みんなパッケージの中に閉じ込めるというモール型手法が都市にまで及んでくるのは問題だと思う。都市はパッサージュ型でなければいけないんです。駅ビルもいまは駅地下、駅中開発によって、どんどんパッケージになってしまった。JRも悪い。駅から出さない。全部駅の中ですませるという、開発の仕方になっている。そういうふうになっていくと、都市文化の衰退につながると思います。


また、堤清二氏は、三浦氏の「シチズンシップ」と同じような意味で「ローカリティ」という言葉を使っていました。

◎(略)個人の誇りというのは「人と違っても俺は大丈夫だ」ということでしょう。しかし、他人と違うということに耐えきれるのは、ごく少数の人だけでしょう。ふつう、どんな人でも、ローカリティに支えられて、その上で個性を保っていると思うんです。そのローカリティの部分が根こそぎになって、浮遊してしまっているのが、現在の日本人ではないでしょうか。


私は田舎(故郷)がいやでいやで仕方なく、田舎にいた頃、「田舎はどういう人間が住みやすいか」ということばかり考えていました。どうして田舎がいやだったかと言えば、田舎には決まった生き方しかなく、生き方の選択肢がまったくなかったからです。私達のような地方出身者にとって、都会(=東京)に出てくるということは、「解放」や「自立」を意味したのです。

私は、寄る辺なき生は寄る辺なき生でいいじゃないかという考えです。そんな孤独に耐え絶望に耐えて生きていくことが人生じゃないかと思っています。それは、「強い」とか「弱い」とかいうことではありません。私にとって街というのは、そんな自分の人生を投影するようなきわめて観念的なものとしてあります。

私が個人商店の街が好きなのは、そこにはいろんな人がいていろんな人生があるからです。そういったいろんな人やいろんな人生に自分自身や自分の人生を映すことができるからです。人生にはうれしいことや楽しいこともあるけれど、それ以上に挫折や悲哀があります。そんないろいろな人生があるんだということがわかるだけでもどんなに支えになるでしょう。郊外のショッピングセンターではそういった人生を感じることはできません。田舎と同じようにやはりひとつの決まった生き方しかないのです。

ショッピングモールが掲げる”おしゃれな生活”や”かがやく生活”などといった、そんな空疎な「生活」のために人間は生きているのではありません。九州では生活することを「いのち(命)きする」といいますが、いのちきすることは、もっと個別的でもっと具体的でもっと泥くさいものです。二人がいう「フレンドシップ」や「ローカリティ」もそういった意味で使われているのであって、単なるジモト(地元)意識の称揚や古き良き共同体(的日常)の郷愁ではないことは言うまでもありません。

なぜ個性が大事かというと、人生にはいろんな生き方がありいろんな幸せの尺度があるからです。街が殺されるというのは、そういった個性的な生き方が殺されるということであり、ひとつの決まった生き方を強要される息苦しい社会になるということなのです。それは、ある意味で「20世紀消費社会」の当然の帰結と言えるのかもしれません。

>>渋谷と西武
>>港北
2009.10.07 Wed l 本・文芸 l top ▲