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病院に行きました。検査の結果は案の定、よくありませんでした。検査入院の必要ありとのことです。ある程度予期していたものの、やはりショックでした。「まさか自分が」という気持もありました。まだ時間的な余裕はあるというので、「少し考えさせてください」と言って病院をあとにしました。

病院の窓口で健康保険証を提出しようと思ったら、保険証が見当たりません。財布に入れていたはずなのですが、どうやら落としたみたいです。それで、病院のあと、保険証の再交付のために区役所に行きました。ちょうど移動時期なので、区役所は大変な混雑でした。保険証はすぐに再交付されましたが、「悪用されるといけないので警察に届けてください」と言われたので、その足で近くの交番に行って落し物の届けを出しました。

もちろん、気分は落ち込んだままです。このまま帰って仕事をするのもちょっと重すぎると思ったので、電車に乗って横浜駅まで行き、そこから新港埠頭の赤煉瓦倉庫まで歩きました。「とにかく考えよう」と思ったのです。私はいつもそうです。考えてもどうなるものでもないようなことでも「とにかく考えよう」と思うのでした。

雨はあがったものの冷たい風が吹く寒い午後でした。でも、春休みだからでしょう、いつもより人は多くて、そのためよけい孤独感を覚えました。楽しげに談笑しながらすれ違う若者達がうらやましくてなりませんでした。

赤煉瓦倉庫のあとは日本大通りから海岸通りを歩いて、日が陰る前に帰ってきました。

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2010.03.26 Fri l 健康・ダイエット l top ▲
相変わらずネットで買物ばかりしています。買っても封もあけずにそのまま放置しているものもあるくらいで、スケールは比べようもないですが、なんだか中村うさぎさんの「ショッピングの女王」みたいです。

ネットで買物をする際、どうしても楽天などショッピングモールに出店しているショップを利用することが多く、そうなるといきおいポイントを意識するようになります。それで楽天会員になっていたのですが、先頃退会してヤフー1本にしぼることにしました。退会した理由は、もちろん、どっちかにしぼった方がポイントの効率がいいということもあります。でも、それだけではありません。楽天がうざいからです。

買物する際、なるべくメルマガには登録しないようにしているつもりですが、自動的なのかどうか、知らないうちにメルマガに登録させられていて、毎日何通もメールが届くのです。それで、解除しようとすると、いったん楽天のページで解除の申し込みをして、楽天から送られてきたURLに再度アクセスした上で、ずらりと並んだメルマガの「購読」ボタンを解除しなければなりません。しかも、「全て解除」にしても、その「全て」に入ってないメルマガもあったりして、そのあともメルマガが届くたびにいちいち解除のページにアクセスして解除の手続きをしなければならないのです。

ところが、それでもなお「楽天家電新商品ニュース」とかいうメルマガだけが届いており、いつまでたっても停止されません。解除のページにアクセスしてもそういったメルマガは見当たらないのです。

解除の手続きもわざとめんどうにしているとか思えません。なぜならメルマガも楽天の収益源だからです。聞くところによれば、メルマガ1通にいくらとテナントから手数料をとっているらしいのです。だから、なるべく多くのメルマガを送って、わざと解除しにくくしているのでしょう。

ちなみに、Googleで「楽天 メルマガ」と入れたら、出てくるわ、出てくるわ、検索候補のキーワードがつぎつぎと表示されました。停止、勝手に、解約、解除、うざい、配信停止できない、一括停止、勝手に登録、迷惑、ect。なんだかみなさんのイライラが伝わってくるようですね。でも、楽天はどこ吹く風です。医薬品のネット販売規制(反対)にはえらく熱心だけど、こういうことはまるで他人事です。

メルマガだけでなく、買物をすると、途中でクレジットカード入会などに誘導するページがデカデカと出てきて、入会するかどうかいちいち「はい」「いいえ」を答えなければ先に進めないようになっています。まあ商売だから仕方ないと言えばそうかもしれませんが、同じ商売する人間から見ても、あざといって思います。なによりそういった姿勢が(よく指摘されることですが)楽天という会社の体質を表しているように思います。

楽天の場合、入会するといくらプレゼント、エントリーするといくらプレゼントと、やたらお金やポイントで釣る広告も目につきます。商売というのはそうやって人間の劣情に訴えるのがいちばん手っ取り早いのかもしれませんが、なんだかえげつない気がしないでもありません。しかし、イーバンク銀行も5月から「楽天銀行」に商号変更するみたいで、どんなにうざくてもどんなにえげつなくてもネットのコングロマリットはまさに向かうところ敵なしって感じです。天狗の鼻は高くなる一方です。
2010.03.24 Wed l ネット l top ▲
仕事をしながら久しぶりにオールナイトニッポンを聴いていたら、ニッポン放送のアナウンサーのくり万太郎とかという人がユーミンのベストアルバムを紹介していました。

ユーミンの歌を聴いていたら、ふと、昔田舎にいた頃に顔見知りだった女の子のことを思い出しました。当時、私は人口2万足らずの山間の小さな町に住んでいました。大分の地元の会社に勤めていたのですが、その町に新しくできた営業所に転勤になったのです。アパートなんてないので、古い民家を借りてひとり暮らしをしていました。

そんな町の取り引き先に小さな自動車の修理工場がありました。田んぼの中にあるその工場は社長と事務の女の子がいるだけでした。女の子は20代の中頃で、ごく普通の田舎の素朴な子でした。聞けば、隣町に実家があるにもかかわらず、その町でアパートを借りてひとり暮らしをしているということでした。しかし、私はその町に5年近くいましたが、彼女のアパートがどこにあったのか知らないままでした。そもそも女の子がひとり暮らしするようなアパートがあったとはとても思えないのです。

私は若い女の子がどうしてこんな田舎でひとり暮らしをしているんだろうと不思議でなりませんでした。どうせひとり暮らしをするなら都会に出て行けばいいのにと。かく言う私ももう一度東京に行きたいと思って、悶々とした日々をすごしていたのです。いったんは田舎に骨をうずめる覚悟をしたものの、やはり、どうしても東京に行きたいという気持をぬぐい去ることができなかったのです。

だから、その子に対しても、同じような目で見ていたのだろうと思います。のちに彼女が同じ町の魚屋のオヤジと愛人関係にあることを知りました。その話を聞いたとき、「どうして?」と俄かに信じられませんでしたが、それでよけい「どうしてこんなところで、あんなオヤジの愛人になんかになってくすんでいるんだろう?」と思いました。羽ばたいて自由になればいいのにと。

その彼女がユーミンが好きで、よくユーミンの話をしていたのです。ユーミンのアメリカナイズされたオシャレな世界と田舎で魚屋のオヤジと愛人関係をつづけている現実をどう折り合いをつけているのか、それも不思議でした。

でも、今になるとなんとなくわかるのです。世の中にはどうしても羽ばたけない人間っているのです。田舎で生まれて田舎の生活しか知らない女の子にとって、田舎を離れるということはとても勇気のいることなのでしょう。それに、他人にはわからない事情もあったのかもしれません。そして、そんな彼女にとってユーミンというのは、ある意味で「宗教」のようなものだったのかもしれません。東京や横浜で聴くユーミンもあるけど、そうやって田舎で心の支えとして聴くユーミンもあるのではないでしょうか。

会社を辞めて再び東京に行くことを決心して修理工場に挨拶に行ったら、彼女は「すごいですね」と言ってました。もちろん、羽ばたいても山の彼方に幸せがあるとは限らないのですが、ユーミンの歌を聴きながら、彼女はどうしているんだろう、幸せになっているんだろうか、と思いました。
2010.03.23 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
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また急に身体の調子が悪くなって病院に駆け込みました。そのまま入院して昨日は精密検査を受けました。検査の結果が不安です。

そのため、おととい(木曜日)ご注文いただきました分の出荷が遅れまして大変ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。

ところで、今月の15日から地上波ラジオ放送をインターネットで同時配信する実用化試験・radikoがはじまりましたが、これはラジオのあらたな可能性をさぐる試みであるように思います。私達のようなパソコンで仕事をしている人間にはラジオは身近なメディアです。それがAM・FMを問わずパソコンを通して聴けるのですから非常に便利ですね。

ただ、パソコンのスピーカーはチャチなのが多いので、音質にやや難があります。そこで私は、パソコンのジャックに直接イヤホンをつないで聴いています。そうすれば、当たり前のことですが、デジタル音楽プレーヤー並みの音質を手に入れることができます。

スマートフォンがもっと普及すれば当然、こういったラジオの聴き方も広がってくるのではないでしょうか。もともとラジオとネットは親和性が高く、最近はメールだけでなくTwitterなどもどんどん番組の中に取り入れられています。それに、テレビのように"お茶の間の論理"を気にする必要がないので、ネット時代の情報ツールとしてもテレビよりむしろ可能性があるように思います。

サイマル配信(2つ以上の媒体で同時に配信すること)には、放送免許を管理する国との調整や二次使用に関する権利関係などいろんなむずかしい問題もあるようで、そのため8月31日までの試験運用となっていますが、この試みが順調にいけば"ラジオ復活"も夢ではないかもしれません。
2010.03.20 Sat l ネット l top ▲
海岸通り20100312

午後、郵便局に行ったついでにそのまま東横線に乗って、終点の「元町・中華街」まで行きました。中華街や山下公園などはいつもの平日に比べて人が多かったように思います。卒業旅行で来ているような若い女の子のグループが目につきました。あとはどこでも出没する中高年のおっさんとおばさん達です。

うららかな日差しのなかを海岸通りや日本大通りや馬車道などをぶらぶら散歩しました。ホントは野毛山公園に行きたかったのですが、出かける時間が遅かったので今日はあきらめていつもの散歩となったのでした。

3月9日の神奈川新聞に、「野毛の"盟友"しのぶ」という平岡正明氏に関する記事が出ていました。平岡氏は、野毛をことのほか愛していて、なかでも野毛の「萬里」の特別中華ランチ「19番」が大好物だったそうです。『横浜的』でも、「秘法19番 一皿に港町の精髄が」と題し、「19番」の味をとおして「異国情緒が坂の途中で艶歌に変わる」港町・横浜の魅力を書いていたくらいです。

 材料は安いものを使っている。安いものは腕で食わせる。これが料理人の誇りだろう。材料は安くでも、油や香辛料や火加減は、南京町の連中も一目置く「萬里」のものだから、一つ皿の上でいい味をかもしだす。野毛は闇市から上ってきたということを示す一皿だ。
(「秘法19番 一皿に港町の精髄が」)


ちなみに、私は『横浜的』の中では、この「秘法19番‥‥」と「シャンソン語り元次郎は野毛のジャン・ジュネである」という文章が好きです。「萬里」の店主・福田豊氏が責任編集した追悼集「アートタイムズ5号・平岡正明葬送パレード」(デラシネ通信社)には、山下洋輔氏・梁石日氏・田中優子氏の弔辞をはじめ、山崎洋子氏や朴慶南氏など平岡氏と交流のあった多くの作家や文化人達が追悼文を寄せていました。

馬車道20100313

馬車道の裏通りに最近お気に入りのジャズバーがあるのですが、私はほとんど酒を飲まないので、よっぽど気合が入ってないとひとりで入るのは勇気がいります。それで、今日は遠慮して散歩に徹することにしました。

馬車道からはいつものようにみなとみらいに行きました。そして、これも恒例のライドマークタワーのくまざわ書店に寄って本を買って帰りました。ふと思いついて、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造(普及版)』(紀伊国屋書店)を買いました。なぜかもう一度、この現代消費社会論のバイブルとも言うべき本を読んでみたいと思ったのです。

>>追悼・平岡正明
>>野毛
2010.03.12 Fri l 横浜 l top ▲
花粉症ですが、病院で処方してもらった薬が今のところ効果てきめんです。ほとんど症状が出ていません。このままいけば「(症状が)劇的に改善された」と言ってもいいかもしれません。

副作用としては、アレジオテックを飲むと眠くなるという1点だけです。ただ、アレジオテックは1日に1回、就寝前に服用するので、考えようによっては格好の睡眠導入剤にもなり得るのです。

もうひとつ、鼻炎スプレーのナゾネックスも1日1回使用するだけです。即効性はないものの、1週間くらいつづければ症状が改善されますよと言われましたが、まったくそのとおりで、鼻づまりや鼻水・クシャミ等もまったく出ていません。この薬は市販の鼻炎スプレーのように、眠気や「全身的な副作用」が少ないのも特徴で、それは特筆すべきことです。

先日は知り合いの病院(前立腺の病院とは別の病院)の職員にこの話をしたら、みんな薬の名前をメモしていました。

まだはじまったばかりなのでわかりませんが、この調子なら今年は久しぶりに春らしい春をすごすことができそうです。
2010.03.08 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
竹田市・町並み
おおいた見ちょくれアルバム 竹田市より


人生には忘れられない風景というのがあります。と言っても、それは旅行かなにかで行った特別な風景とかではなく、日常で遭遇したなんでもない風景なのです。でも、それがいつまでも心の中に残っていることがあるのです。

私は、子どもの頃、運動会の途中にそっと抜け出して、ひとりで校舎の裏に行くのが好きでした。遠くから歓声やアナウンスの声が聞こえる中、まるでそこだけ置き去りにされたかのようにひっそりと静まりかえり、えも言われぬ寂寥感につつまれているのでした。それはいつもと違う風景でした。と言って、別に暗い性格の子どもだったわけではなく、むしろ逆だったと思いますが、それは誰にも知られたくないヒミツとして自分のなかにありました。

そういった心性は、たとえば、終着駅のある街が好きだとか、横浜の場末っぽいところが好きだとか、大人になった今も残っているように思います。

若い頃、九州の地元の会社に勤めていたことがありました。そのときのことですが、ある夜、竹田市にいる友人に会いに行ったのです。商店街の中にある友人の家を尋ねたところ、友人は不在で、帰るまで時間を潰すことになりました。それで、まち外れにあるパチンコ屋に入りました。小一時間、客もまばらなその店で時間を潰して、再び友人の家に行きました。

そして、既に帰宅していた友人と近くのホテルの中にある小料理屋に行きました。古い城下町の通りは人っ子ひとり歩いてなく、まるでゴーストタウンのようでした。土塀が連なる路地に入ると、いっそう夜が濃くなっていく気がしました。小料理屋でなにを話したのか、まったく覚えていませんが、それから間もなく私は再び上京することになったのでした。もしかしたら、東京に行くことを相談に行ったのかもしれません。小料理屋を出たとき、路地をふきぬける風がやけに肌寒く感じたのを覚えています。

たったこれだけの話ですが、でも、今でもその風景が忘れずに残っているのです。と言うか、そのときの寂寥感のようなものが忘れられないのです。あれ以来、竹田にも行ってませんが、その後、友人は家庭を築き、しっかり地域に根付いた人生を送っています。一方、私は、相変わらず行きあたりばったりの風来坊のような生き方をつづけています。今思えば、あのとき私は、二度と田舎には戻らないということも含めて、あの風景の中にひとつの覚悟を決めたような気がするのです。
2010.03.03 Wed l 故郷 l top ▲