Yahooジャパン

今日、日本のインターネット業界に衝撃的なニュースが流れました。Yahoo! JAPANが決算発表の席で、Googleの検索技術を採用すると発表したからです。

このブログでも何度もとり上げていますが、本家のアメリカのYahooとマイクロソフトの提携により、Yahooは自社のYSTを廃止してマイクロソフトの検索エンジンBingを搭載することが決定しており、既にアメリカでは移行実験もはじまっていました。

当然日本のYahooもアメリカに追随すると見られていました。ネットでもそれを前提にして、もっぱら移行時期がいつになるのかということに関心が移っていました。私の知る限り、今回の決定を予想した人は誰もいません。それどころか、前にも書いたとおり、ネットでは事大主義的にBingに尻尾を振るような論調が目立っていたくらいです。しかし、どうひいき目に見ても、Bingの検索技術がGoogleやYST(Yahoo)に比べて劣っているのは事実です。Bingのシェアは日本では1~2%くらいですが、シェアは正直と言うべきなのです。その意味では、日本のYahooはひとつの見識を示したと言えるのではないでしょうか。少なくともYahooにとってもユーザーにとっても、Bingを搭載するよりははるかにメリットがあるのは間違いありません。

2004年までYahooはGoogleのエンジンを搭載していましたので、今回の決定は、2004年以前に戻るということでもありますが、ただ、少なくとも日本のYahooが、本国のYahooと異なる選択をしたということの意味は大きいと思います。私は、GoogleのDNAとも言うべき「(マイクロソフトのように)邪悪な存在にならない」という”思想”を日本のYahooも選択したのだと思いたいですね。それが今回のYahoo! JAPANの決定をひとつの見識を示したと評価するゆえんです。

先日の記事で、Bingに対してやや辛辣なことを書いた数日後、シールマニアはBingで100位以下に大きく後退しました。Bingは先日ベータ版から正式版に変わったばかりで、細かなトラブルがつづいていますので、これも単なる偶然(ハグ?)だろうと思いますが、以前、検索エンジンに関して新聞の取材を受けた際、何気にそういう話をしたところ、記者の方が律儀にも検索エンジンの担当者に「人為的なペナルティはあるのか?」と質問したらしいのです。すると、ネットに存在する膨大なサイトの中から個人的な書込みを特定してペナルティを課すなど現実的にとても無理な話で、そんなことはあり得ないという回答だったそうです。

たしかにその通りなのでしょう。そもそも自分がペナルティを受けたのではないかという発想自体、ネット特有の”夜郎自大病”の(裏返しとしての)被害妄想なのかもしれません。ただ、検索エンジンに依存せざるを得ない私達は、ついそういった見方をしてしまいがちですし、そこには検索エンジンに対する不信感もあるように思います。そして、その不信感はどこから来ているのかと言えば、「糞エンジン」とヤユされるような技術的な未熟さ(検索精度のレベルの低さ)から来ているのです。

ただ、今回の決定で、日本の検索エンジンはGoogleが95%以上のシェアを占めることになり、それはそれで問題がないわけではありません。おそらく今後そういった声も大きくなるでしょう。しかし、Yahoo! Japanにとっては、実質的にBingかGoogleかという選択肢しかなかったわけで、その中で検索の精度が検索エンジンの生命線であることを考えれば、今回の選択は当然だと思います。寡占問題を云々するなら、むしろGoogleに対抗し得るような検索エンジンが(第二のGoogleが)未だ登場してないネットの現状こそ問題にすべきではないでしょうか。

今回の決定に対しては、台頭するフェイスブックなどSNSに対抗するために、”強者連合”さえいとわない検索サイト側の事情とかいったような”非日本的”な解釈もありますが、いづれにしても、日本のYahooの英断には、ネットユーザーのひとりとして敬意を表したいと思いますね。そして、ホッとしたというのが正直な気持です。
2010.07.27 Tue l ネット l top ▲
東芝太尾アパート2704

私は東芝には縁もゆかりもありませんし、東芝の社員の方に世話になったとかなにか義理があるわけでもありません。家で使っている電化製品を見ても東芝製はほとんどありません。たまに出先で東芝のエレベーターに乗るくらいです。

しかし、なぜかしょっちゅう前を通る東芝太尾家族アパートの行く末が気になって仕方ありませんでした。前にたまたまこのブログでアパートのことを書いたら、それ以来ときどき「東芝太尾アパート」のキーワードでアクセスする方がいらっしゃいます。以前、そのアパートに住んだことがある方なのかもしれないと勝手に想像しています。もし子どもの頃、家族で住んだのなら、とりわけ思い出深いのではないでしょうか。

東芝太尾アパート2711

封鎖されてずいぶん経ちますが、先日、前を通りかかったらフェンスに「建築計画」の看板が取り付けられていました。それによれば、跡地には三井不動産が手がける分譲マンションが建つようです。ロケーションは申し分ないので、かなり高価なマンションになるのではないでしょうか。

建物が新しく建つと、「あれっ、前ここはなんだったっけ?」と思うことも多いので、記念にもう一度写真を撮りました。これが最後の東芝太尾家族アパートの姿です。

東芝太尾アパート2700

そのあと隣駅の菊名まで歩いて、菊名から東横線で終点の「元町・中華街」まで行きました。知り合いが週末に山下公園でバンドをやっていると聞いたので、もしやと思って散歩を兼ねて山下公園に行きました。しかし、残念ながらそれらしき姿はありませんでした。その代わりというわけではありませんが、東端の石のステージでは、「踊るマハラジャ」で見たようなインドの踊りが披露されていました。聞けばインドの現地のお祭りを再現するイベントなのだそうです。ステージ前はインド人の家族連れでいっぱいでした。ただ、彼らの強烈な香水(?)のニオイが鼻についてならないので、早々に会場をあとにしました。私はあのニオイは苦手です。

口直しならぬ”鼻直し”で、潮のニオイを嗅ぎながら山下公園を歩いていたら、ときおり吹き抜けていく潮風がとても心地よかったです。身近でこういった時間をすごすことができるのが横浜のいいところですね。水辺の風景は不思議と心が落ち着きます。

山下公園からいったん日本大通りに出て、それから象の鼻公園を通って赤レンガ倉庫に行きました。赤レンガ倉庫前の広場では、メキシコ独立200周年・メキシコ革命100周年を記念したAlegria de Mexico / Verano en Yokohama(アレグリア・デ・メヒコ)というイベントが行われていました。会場はほとんど宴会場と化していて、飲み食いしながらにぎやかに談笑しているかと思えば、ステージの前ではDJのパフォーマンスに合わせて多くの若者達が踊っていました。メキシコ流レイブパーティかと思いましたが。

赤レンガの先の新港埠頭では、薄闇の中で、アマチュアカメラマン(大半は中高年のおっさん)達が埠頭に係留された帆船にレンズを向けていました。ポルトガルの帆船・サグレス号(1940トン)で、今日寄港したばかりだそうです。ちょうど船からはラフな格好をした若い乗組員達がつぎつぎと上陸していましたが、はて、どこに行くんだろうと思いました。新港埠頭から横浜の繁華街までは遠いし、みなとみらいでは飲み食いするにも金がかかるし。と思ったら、すぐ近くの埠頭公園の石段に座ってコーラかなにかを飲みながら談笑していました。ポルトガルもギリシャと同じように経済的な苦境にあえいでいるそうですが、彼らのつつましい姿を見たらなんだかかわいそうな気がしました。

帰宅して万歩計を見たら1万5千歩でした。体重もその後少し落ちて、既に5キロ減量しています。しかし、今回は10キロ減を目標にしていますので、まだ半分です。先は長い。

東芝太尾アパート2706

東芝太尾アパート2716

東芝太尾アパート2719

山下公園_2723

象の鼻公園_2733

赤レンガ2753_edited

ザグレス号2794

インターコンチネンタルホテル2813

>>東芝太尾アパート
2010.07.24 Sat l 横浜 l top ▲
大分鶏のから揚げ

私は九州の大分県出身なので、鶏のから揚げが大好きです。子どもの頃から誕生日やお祭りや来客があったときなどは、必ず地元で「オードブル」と呼ばれていた鶏のから揚げが食卓に並びました。東京で言えば、寿司のようなものかもしれません。ちなみに、寿司もご馳走の定番でしたが、ただ関東のような”にぎり”ではなく巻きずし(関東で言う太巻き)か”ちらし”でした。あとは押しずしです。

最近、東京でも大分の鶏のから揚げがブームなのだそうで、大分から進出した店がテレビや雑誌などでとりあげられ、またたく間に有名店になっています。もっとも東京の人だってもともと鶏のから揚げは好きっだったそうで、どうして今頃ブームなんだという疑問はあります。やはり”仕掛け”があったのかもしれません。

今日も朝からあちこちのテレビの情報番組が、イトーヨカドーららぽーと横浜店で開催中の「からあげカーニバル」(企画・運営/近畿日本ツーリスト)なるものを話題にしていました。たかが一(いち)スーパーのイベントをこれほど大々的にとりあげるというのも不自然ですね。私のダイエットを妨害する陰謀かもしれないと思いました。

ところが、哀しいかな、テレビをみているうちに、まんまと陰謀にはまった感じで、私の中の大分県人のDNAがうごめきはじめたのでした。から揚げが恋しくてなりません。ダイエットはなんとか4キロ減までこぎつけました。ここは我慢のしどころです。歩いている途中立ち止まって、やにわにズボンをずり上げるあの快感を思い起こしては、悪魔の誘惑をふり払おうとしました。

しかし、我らがみな煩悩具足の凡夫で、気がついたらスーパーのレジでから揚げ弁当を手にしている自分がいました。やはり、一時の快楽におぼれるのは人間の性(さが)なのでしょうか。

そして今、ノートを前にして、まるでこれで人生が終わったかのようなひどい自己嫌悪に陥っている自分がいます。

>>ライティングダイエット
2010.07.22 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
若い頃、仲のいい友人からよく「人間嫌いだ」と言われていました。と言っても、学校でも職場でも別に孤立してわけではありません。むしろ逆で、取引先の人からも、「絶対に人見知りしないタイプですよね」とか「誰とでもすぐ友達になれるタイプですよね」とか言われていたくらいです。でも、自分ではやはり、「人間嫌い」だと思っていました。他人(ひと)を好きになることがないのです。いつも相手のアラばかりさがして自分から嫌いになるのでした。

20世紀は戦争と革命の世紀だと言われますが、一方で「人間賛歌」「人間復権」の時代でもあったのだそうです。たしかに「人間ってすばらしい」なんていうヒューマニズムと一体になった”人間主義”みたいな思想が私達をおおっています。学校でもそういった教育を受けます。間違っても「人間は汚い」とか「人間はずるい」なんて教えられることはありません。「人間を好きになれ」と言われます。しかし、私の中にいる人間はいつも汚くてずるくて信用ならないものです。それは恋愛でも同じでした。

昔の話ですが、ある休日、私達は浅草でデートしました。そして、駒形橋から水上バスに乗ることになりました。川岸にある乗り場に行ったら、既に多くの人が行列してつぎの便を待っていました。私達はその最後尾に並ぼうとしたのですが、ふと横を見ると、列を外れて椅子に座っている7~8人の中年の女性のグループがいました。それで私は、女性達に「先に並びますがいいですか?」と声をかけました。すると、図々しいおばさん達は「あれれ、ごめんなさいね」とかなんとか調子のいいことを言いながら私達の前に並んだのでした。

そのとき、横にいた彼女が「バカだねぇ。ホントに人が好いんだから。だから、ダメなんだよ」と私に言ったのです。私はただ苦笑いをしただけですが、一方でそのときふと、「もしかしたら、オレはこの子と別れるかもしれない」と思ったのでした。

それから数年後、彼女と別れることになりました。もちろん直接の原因は別にあったのですが、ただ、そのときの「もしかしたら・・・」という気持が私の中にずっと残っていたことはたしかです。いつの間にかそんなネガティブな気持にしばられている自分がいて、それが彼女に対するうしろめたさになっていました。

これは恋愛に限らず、人間関係全般にも言えます。そのために、「すぐ仲よくなる」けれど、いつも「来る者は拒まず去る者は追わず」みたいな感じで、一過性なものに終わってしまいます。永井荷風のように偏屈で、岸部シローのようにネガティブな老人になりたいと思っている私には、それはそれでいいのかもしれませんが、ただ一方で、年をとればとるほど、他人(ひと)が去っていくことに対して、より心の負担を感じるようになっているのも事実です。ことはそう単純ではないのです。
2010.07.19 Mon l 日常・その他 l top ▲
ヤフーオークション

遅ればせながら、最近、ヤフオクにはまっています。それも尋常ではありません。もしかしたら嗜癖かもしれないと思うことさえあります。やはりストレスが関係しているのでしょうか。

ひとつは、ダイエットでしょう。食欲という人間の三大本能のうちのひとつを制御すれば、ストレスがかかるのは当然です。そういう「悪魔の声」も日ごとに大きくなっています。

もうひとつは、病気だと思います。先日も先生から「定期的にチェックしていれば大丈夫なので、そんなに気に病むことはありませんよ」と言われましたが、とは言っても”暗い影”が徐々にせまっていることには代わりがなく、それに、検査の結果次第ではいつ急転直下するかもしれないのです。

毎日、せっせせっせと入札しています。現在、入札中の商品は10数件あり、既に落札した分はこの1週間だけで20件以上あります。毎日、落札した商品を抱えた宅配業者が、ピンポーンというチャイムを鳴らして入れ替わり立ち替わりやってきます。

落札する商品は、圧倒的にバッグ(ブリーフケース&ショルダーバック)と靴が多く、こんなにバックと靴ばかり増えてどうするんだと思いますが、それでも深夜になると入札ボタンを押してしまう自分がいます。このままでは数年分のストックができるかもしれません。それで、古いバックと靴をどんどん廃棄していますので、最近は出かけるときはいつもピカピカの一年生です。

もちろん、お金もバカになりません。持病が原因で「持病があっても入れる」入院保険を断られたので(それ以来テレビのCMを見るたびに「ウソばっかり」と悪態を吐いていますが)、いざというときのことを考えれば無駄使いはできないのですが、この現実逃避の病はエスカレートする一方です。
2010.07.17 Sat l 日常・その他 l top ▲
マラドーナ

スター不在と言われた今回のW杯ですが、もし決勝トーナメントでアルゼンチンがドイツに勝っていたら、今大会の主役は間違いなくアルゼンチンのマラドーナ監督になっていたはずです。それくらい彼は常にマスコミの注目を一身に集めていました。

今日、アルゼンチンサッカー協会が、マラドーナに対して、代表監督としてあらたに4年契約を(つまり、ブラジル大会までの続投を)提示するというニュースがありました。マラドーナは、日本では未だに「薬物常習者」とか「堕ちた偶像」とかいったヒールのイメージがありますが、アルゼンチンに限らずラテンアメリカでは、”マラドーナ信仰”とも言われるほど熱狂的な人気をほこっているのだそうです。

折しも先日届いた某記者クラブの会報に、「マラドーナ:反帝国主義の10番」という記事が出ていました。これは、ホセ・ステインスヘルというコラムニストがメキシコの日刊紙「ラ・ホルナダ」に書いた記事を転載したものですが、この記事には、「貧困から這い出して頂点に駆け上がった天才プレイヤーが貧困に苦しむラテンアメリカの民衆から熱狂的に支持されるもう一つの理由」(編集部のリード)が書かれていました。

マラドーナが「ラテンアメリカの民衆に熱狂的に支持されるもう一つの理由」、それは彼が反米・反帝国主義という「下層で左派的な人々に由来する理念」をラテンアメリカの民衆と共有しているからです。「そして、これが、彼と、サッカー資本主義界におけるアンクル・サムであるペレとの違い」なのだと。

マラドーナは、右の肩にチェ・ゲバラの入れ墨を、左のふくらはぎにはフィデル・カストロの入れ墨を入れているのだそうです。一方で、サッカー選手の組合結成も呼びかけているのだとか。それではサッカー界の利権を握る権力者たちから煙たがられるのは当然です。

この記事では、ブッシュ(元アメリカ大統領)のことを「ブッシュのゴミ野郎」と呼んだり、ローマ法王の話を聞いたあと、サン・ピエトロ寺院の黄金の天井を見上げて、「カトリック教会が貧しい子どもたちのことを心配してるっていうなら、この天井を売っぱらって、なんとかしろよ」とかいった彼の発言も紹介していました。

こういったマラドーナのような存在が可能なのは、サッカーが野球や相撲と違って、常に「世界」にひらかれているインターナショナルなスポーツだからでしょう。そして、人々はサッカーを通して「世界」と出会うのです。

私のまわりでも彼のパフォーマンスが話題になっていましたが、ぜひ代表監督を続投して、これからもあのパフォーマンスとともに「五大陸の貧しく抑圧された人々の良心を揺さぶる」メッセージを発信してもらいたいと思います。

※この記事は、Yahoo!トピックスに「関連情報」として紹介されました。
2010.07.15 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
布袋様

今回のダイエットはライティングダイエットです。ライティングダイエット(レコーディングダイエット)と言えば、『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)の岡田斗司夫さんが有名ですが、このダイエット法はなんだかいつも自分を責めている感じで、精神的にはかなり疲れます。

食べすぎたときなどひどく自己嫌悪に陥り、気持が落ち込んでしまいます。だから効果があるんだと言えばそうかもしれませんが、しかし、なんだか食べることが苦行みたいな感じです。食欲は人間の三大欲望のひとつだと言われていますが、その本能的な欲望を苦行の場にしていいのか、いや、本能的な欲望だからこそ苦行の場になるのではないか、そんなさまざまな思いにおそわれながら、毎日せっせせっせと食べた物をノートに記録しています。そして、自己嫌悪に陥るのです。

舗道で若者とすれ違うたびに、うらやましいなと思います。私から見れば「驚異の体形」です。でも、考えてみれば、私だって若い頃は同じように「驚異の体形」でした。彼らもやがて布袋様のようなポッコリお腹になるに違いありません。

そう考えれば、いつまでも若い頃と同じように、スッキリお腹を求めるのは欲深いような気がしないでもありません。布袋様のように笑顔で、心やすらかに自然の摂理に従えばいいではないか、そんな声も聞こえてきます。でも、ダイエットではそれは「悪魔の声」なのです。

先日、菊名の駅からマックのフライポテトの袋を手にした中年の男性が乗ってきました。子どもじゃあるまいし、いい年して電車の中で人目もはばからずフライポテトをパクパク食べている姿に、「ちょっとおかしいんじゃないか」と思いましたが、同時にその体形に目がとまりました。私より痩せているではありませんか。私なんて、マックのフライポテトはもうかれこれ半年以上、いや1年近く食べていません。なんだか不条理を感じて、心が折れそうになりました。

また、病院に行った際、ロビーにいた入院患者の老女から突然、「あなた、背が高くてスマートねぇ」と言われました。「そんなことありませんよ。ほら、お腹が出ているでしょ。だから、今、ダイエットしている最中なんですよ」と私は半分謙遜して言いました。すると、老女はこう言ったのです。

「あらっ、そうね。お腹が出てるわね」

「このくそババア」とは思いませんでしたが、そのあと言葉がつづきませんでした。

ダイエットはいろんな意味で、精神修養の場ですね。つくづくそう思います。

2010.07.13 Tue l 健康・ダイエット l top ▲
ポーターショルダーバッグ

今日、野毛のにぎわい座の前で遭遇したホームレスの男性が、首から吉田カバンのポーターのショルダーバックを下げていました。それがすごくカッコよく見えました。そのあと、桜木町の駅前でヴィトンのモノグラム柄のトートバッグを下げている白髪の紳士に遭いましたが、ホームレスの男性に比べるとなんだか滑稽に見えて仕方ありませんでした。

吉田カバンがどっちかと言えば、「サラリーマンこそ人生だ」というような保守的な若者達のアイテムであることを考えれば、いわばこの「反語的」とも言える感覚はなんなのか。ふと、そんな屁理屈が頭に浮かびました。

ボードリヤールは、モノの使用価値ではなく、差異化を示す記号的価値が前景化される大衆消費社会の到来を告知したのですが、あれから40年、既にその「差異化」さえ意味をなくしつつあるということなのかもしれない、なんて思いました。

高級ブランドを身にまとい千葉や埼玉から銀座にやってきては、カメラに向かって「ピーコさん、お手やわらかにお願いしま~す」なんて言っている母娘を見ても、こっちはただ小っ恥ずかしくなるだけで、誰も素敵だとかうらやましいとか思わないのです(だから、あの企画も姿を消したのでしょう)。

むしろ裾がほつれ穴があいているジーンズや、退色してヨレヨレになった古着のTシャツの方がカッコいいというストリート(系)ファッションの全盛は、このような「差異化」の変質とそれをもたらした価値の相対化を物語っているようにも思います。

穴があいたジーンズやヨレヨレになった(ときに虫食いの痕まで残るような)Tシャツは、従来であればただのゴミだったはずで、それは”着くずす”というファッションの本質をも凌駕していると言えます。もしかしたら、そこにあるのは、徹底した価値の相対化、そういうラディカリズムの萌芽かもしれません。あのズボンをずり下げストリートを闊歩している若者達が、実はモードをけん引するブランドやデザイナー達を冷笑しているのだと考えれば、なんと痛快な光景なんでしょう。
2010.07.10 Sat l 本・文芸 l top ▲
横須賀線で帰る途中、鎌倉駅で下車して北鎌倉まで歩きました。意気込みだけは強かったのですが、ダイエットは早くも停滞気味です。それで、もっと歩かなければという強迫観念のようなものがあるのです。

小町通りをぬけて、鶴岡八幡宮の横を走っている鎌倉街道を道なりに進めば、北鎌倉まで30分くらいです。明月院の入口のところで、鎌倉街道から横に逸れて線路沿いの小路を歩いていたら、横の路地からモデルのような若い女の子がすっと現われて、私の前を駅の方に歩きはじめたのでした。ハーフのようなきれいな顔の女の子でした。そう言えば、鎌倉の駅前の島森書店に寄ったときも、やはり、背の高いモデルのような女性が文庫本売場で本を選んでいました。

鎌倉では、ときどきこのようにいかにも血統のよさそうな女の子と遭遇することがあります。彼女達に共通しているのは、足がすっと伸びてきれいだということです。人間も馬と一緒で、血統は足に出るのでしょうか。いわば人間のサラブレッドのようなものかもしれません。

鎌倉仏教によって、仏教がそれまでの「国家護持」から「個人の救済」という性格をもつようになったのでした。つまり、仏教が民衆の信仰の中に入ってきたのです。北鎌倉の東慶寺は、女人救済の”駆け込み寺”として有名ですが、東慶寺の石段の下に立つと、封建時代の因習にしばられ、せっぱつまった女性達がこの石段を駆け上って行ったんだなという感慨を覚えます。もちろん、サラブレッドの女の子だって、みんななんらかの苦悩を背負って生きているはずなのです。

石原吉郎に『北鎌倉』という歌集がありますが、一時、石原吉郎もよく北鎌倉を訪れていたそうです。石原吉郎の自宅は埼玉の上福岡だったので、上福岡から電車を乗り継いで鎌倉まで出かけていたのです。

鎌倉の山はいづれも応えざる
 こたえざるをしもしるしとせむか

鎌倉の坂をとがめて立つ桜
 とがめてつひに道標となる


あの頃、お寺めぐりでもしておけばもっといい思い出ができたかもしれないのに、と日が傾きはじめた北鎌倉の小路を歩きながら思いました。

鎌倉2653

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北鎌倉2673

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北鎌倉2698
2010.07.05 Mon l 鎌倉 l top ▲
2010年7月1日横浜1

サッカーW杯の日本対パラグアイ戦は、まさに「日本中がため息につつまれた」結末になってしまいました。ただ、あの前評判を考えれば、岡田ジャパンの健闘を称えない人は誰もいないでしょう。しかも、PKを外して泣き崩れる駒野をチームメイトがつぎつぎと慰める感動的な場面まで用意してくれたのですから。

私は、あの場面を見ながら、「もし、これが会社だったら?」と思いました。会社だったら、これほど同僚達が温かい態度で接してくれるでしょうか。少なくとも上司からは「どうしてこうなったんだ?」と詰問され、始末書を出せと言われるかもしれません。へたすれば、他の部署に移動なんてこともあるかもしれません。そういう理不尽なことがまかり通るのが会社なのです。だからこそ、逆にスポーツのすがすがしさが際立ち、率直に感動するのでしょう。

msnの記事では、94年アメリカ大会の決勝戦でやはりPKを外したイタリアのロベルト・バッジョの「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」という言葉を紹介していましたが、会社じゃないんだから、駒野は決して下を向く必要はないと思います。

今日は、横浜駅で用事をすませたあと、いつものように新港埠頭から赤レンガ倉庫、そして大桟橋まで歩きました。 横浜駅では、東口の地下街(ポルタ)の降り口で、なにやら人だかりがしているのです。見ると、何人かの女性が「福島みずほ」という看板を掲げており、その真ん中で帽子をかぶった背の低い女性がビラを配っていました。社民党党首の福島瑞穂氏でした。まわりは見事なくらい中高年の女性ばかりで、皆さん、携帯電話をかざして写真を撮っていました。

2010年7月1日横浜4

大桟橋ではいわゆる”くじらのせなか”でしばらく行き交う船を眺めたあと、冷房のきいた客船ターミナルの待合室のベンチで、いしかわじゅんの『ファイアーキング・カフェ』(光文社)を読みました。まだ途中までしか読んでいませんが、これは、帯に曰く「居場所をなくした男たちが、生きる意味を探す女たちが、自分の居場所を求めて沖縄にやってくる」、そんな那覇の裏通りにある「ファイアー・キング」というカフェで交差するさまざまな人間模様を描いた連作小説です。

私の田舎の同級生で、犯罪をおかして全国に指名手配された人間が二人いますが、二人とも沖縄に逃亡していました。そう言えば最近では、ライブドア事件の際、グループの証券会社の副社長で、事件の真相を知るひとりであると言われた野口某氏が、不可解な自殺を遂げたのも沖縄でした。私は一度も行ったことはありませんが、沖縄にはそういった”磁力”のようなものがあるのでしょうか。

普天間問題での鳩山政権の対応に対して、「沖縄に対する差別だ」という声がありましたが、私は、それを言うなら、基地問題だけでなく、沖縄にセカンドハウスを借りたり優雅な移住生活を送ったりしながら、一方で「沖縄のこころ」なるものや「癒しの島」幻想(花村萬月著『沖縄を撃つ』)をマスコミに売っている文化人なども同罪だと思います。作者のいしかわじゅん氏も”セカンドハウス組”のひとりですが、この小説が「沖縄のこころ」や「癒しの島」とは別の視点をもちながら、それでもなお「情緒」に流れるのはゆえなきことではないのです。

ついでに言えば、連立離脱の際、「沖縄を裏切ることはできません」と言った福島党首の「情緒」的なコメントも然りで、それまでさんざん民主党政権への幻想を煽ってきたことを考えれば、カマトトだと言われても仕方ないのではないでしょうか。

2010年7月1日横浜6

2010年7月1日横浜2

2010年7月1日横浜3

2010年7月1日横浜5
2010.07.01 Thu l 本・文芸 l top ▲