インターネットイメージ

関東地方も寒波襲来とかで底冷えの一日でした。駅前まで買物に行くのにも、耳が冷たくてなりませんでした。「ちぎれるくらい」とまではいきませんが、日が陰る前にこんなに耳が冷たくなるのは横浜ではめずらしいことです。

埼玉に比べれば横浜は暖かいなと思っていましたが、先日、静岡の人と話をしていたら、「横浜より静岡の方が全然暖かいですよ」と言ってました。私もサラリーマンの頃、静岡を担当していて、毎月2泊3日で静岡に行ってましたが、そんなに暖かったっけと思いました。どんどん記憶も薄れているのです。

静岡と言えば、父親が亡くなったとき、ちょうど静岡に出張中で、朝、浜松の駅ビルのメイワンの1階にある公衆電話から、九州の病院にいる母親に電話したことを覚えています。いくら記憶が薄れても、あの朝のことだけはいつまでも忘れずに残っています。

ところで、寒いからよけいそう思うのか、最近、やたらダウンのジャケットやコートを着ている人が目につきます。それも若者の場合は猫も杓子もファーのフード付きです。私はダウンよりキルティングのジャケットの方が好きなので、もう1着キルティングのジャケットを買おうとネットを探したのですが、いいものがありませんでした。圧倒的にダウンが多いのです。しかも、ほとんどが若者向けです。ネットでは相変わらず若者信仰が強いのです。

ネットで買物をする場合、まず私達の年代向けのものを探すことからはじめなければならず、それがひと苦労です。さらに私の場合、サイズが大きいので(XL)二重の苦労があります。「私達の年代向け」と言っても、別に特別なものではなく、ごく普通の(!)、トラッドなもの、オーソドックスなものです。それすらないのです。それで、現在、私がもっぱらネットで利用しているのは、エディバウアーLLビーンランズエンドです。ネット広しと言えども、この3つしかないのです。今日も結局、キルティングのジャケットをあきらめて、エディバウアーでダウンジャケットを買いました。

このようにネットは意外と世間が狭いのですね。”ネット言論”なんて言いますが、それも「多様な」というには程遠く、ほとんど似たような言論で埋め尽くされているのが実情です。ネットは同調圧力がはたらきやすいので、どうしても単色に染まる傾向があると言われますが、その同調圧力なるものも、ただ付和雷同をそう言い換えただけで、要は水は低い方に流れるということなのです。

ネットにはいろんなものがある。そんなネットに対する幻想が「ネットには限りない可能性がある」というつぎの幻想につながっているように思います。でも、ホントに「いろんなものがある」のでしょうか。ネットには叡智が集まっているという見方もありますが、一方でネットは悪意の塊だという言い方もあります。でも、私が言いたいのは、たかがXLのキルティングのジャケットさえ探せないのがネットだということです。

ポータルサイトだってYahooとmsnと各プロバイダーのサイトくらいです。ショッピングモールだってYahooと楽天しかありません。まして検索エンジンは95%以上がGoogleです。キーワードでヒットしても、その多くはアフィリ用のサイトです。実際はそんなに「いろんなものがある」わけではないのです。しかも、ネットが成熟するにつれ、一部の先行者によってネットがどんどん整序されリアル社会化されているのを感じます。検索エンジンもある意味ではその役割を担っているように思います。でも、ネットというのは、もともとそういった権力や権威が生まれる方向とは逆の方向にあったはずです。そう考えるとき、いまひとつはっきりしないところもありますが(アメリカの謀略説さえあるようですが)、ネットのコアなユーザーがウィキリークスに喝采を送る気持はわからないでもないのです。
2010.12.30 Thu l ネット l top ▲
子どもの頃、正月の前に必ず散髪に行かされたものです。また、親と一緒に近所の衣料品店に新しい洋服や下着を買いに行きました。そうやって新しい年を迎えたのです。田舎でしたので、どこかに遊びに行くというわけでもなかったのですが、なんだか新しい服を着て晴れがましい気持になったことを覚えています。ちなみに、私の田舎(大分)では、年神様を迎える風習のなごりなのか、「年取り」と言って、大晦日に家族そろって1日早くおせち料理を食べるのが習わしでした。だから、都会に出ている人も大晦日の「年取り」に間に合うように帰省してくるのです。

「もう『年取り』はしたんかえ?」
「××(都会に行ってる子ども)が帰っち来たらはじめようと思っちょるんじゃ」
近所のおばさん同士で、よくそんな会話が交わされていました。

それで、私も今日は散髪に行き、その帰りに駅前のスーパーで新しい下着を買ってきました(もっとも、私は”予備がないと不安シンドローム”なので、既に下着の予備は沢山あるですが)。ついでに夕飯の買物をしようと思ったら、売場は既に正月用に模様替えになっていて、刺身などもえらく高いのです。それを見たら、”正月料金”だとかいってコーヒー1杯が1500円とかに暴騰する新宿や渋谷の喫茶店を思い出しました。

最初知らないで入った田舎者の私は、ぼったくりに合ったのかと思ってまわりを見まわしました。しかし、まわりの人達は何事もなかったかのように談笑しているのです。翌年からは”正月料金”のないマックやドトールなどに入るようになりましたが、そういった店は同じように痛い目にあって学習した地方出身者でえらく混んでいるのでした。ただ最近はチェーンのカフェなどが多くなったので、そういった”正月料金”の店も少なくなったのかもしれませんが(最近はデートにも無縁になったので正月事情に疎いのです)。

偏屈爺さんへ確実に近づいている私は、売場にいた店員に「ねぇ、もっと安い刺身はないの?」と尋ねました。すると、若い店員は「うーん、安い刺身ですかぁ~」と言って、憐れむような目で私を見るのでした。なんだか正月を前にしたら途端に「貧乏人はご用がありません」と言われているようでいやな感じでした。年末になると、「刑務所に行きたかった」なんていう理由で、駅などで庖丁をふりまわす「住所不定・無職」の人間がいますが、そんな人間の気持が少しわかったような気がしました。

ところで、床屋のご主人と話をしていたら、今は昔のように年末だからといって忙しくなるなんてことはないそうで、「うちなんてね、毎月18万円で家族4人が生活しているんですよ。生活保護をもらった方がよほどいいですよ」と言ってました。そう言えば、先日乗ったタクシーの運転手も収入は15万ちょっとくらいしかなく、「子どものアルバイトと同じですよ」と言ってました。高齢の入居者の下の世話までして、重労働で腰を痛めたりする人も多い介護ヘルパーも、月に数日の夜勤をやってやっと手取り20万円に届くかどうかだそうです。テレビでは相変わらずお笑い芸人がくだらぬ身内芸でキャーキャー騒いでいますが、世相は決して明るくないのです。
2010.12.29 Wed l 日常・その他 l top ▲
寂寥感におそわれる年の瀬。いつから年の瀬がこんなにさみしいものになったんだろうと思います。

当たり前のことですが、愚かな人間は自分が愚かであるという自覚はありません。どう考えても自滅への道を歩みはじめているとしか思えない菅政権などはその最たるものでしょう。菅政権はもはや錯乱状態に陥っているのではないかという声さえありますが、たしかに異常としか言いようのない事態がつづいていますね。さしずめ私が清水寺の貫主なら、今年を表す漢字として「愚」と書くでしょう。

冬休みになって朝夕の電車もめっきり空いてきました。大学なんて都会にある必要はないんだから、地方に移転させればいいんだ、と言ってた人がいましたが、学生がいなくなりいくらか居心地がよくなった車内を見ると、それも一理あるなと思います。テレビの意見広告にもありましたが、ハタ迷惑も考えずに足を組んで座席を占領し、ヘッドホーンの音楽に頭をゆらしている大学全入時代の××学生を見ると、ホントにどっかに行ってくれと言いたくなります(ただ、ミニスカートの女子学生は別ですが)。

ところで、男と女が別れた真相なんて誰にもわからないと思いますが、芸能人に限ってはマスコミの格好の標的になり、結局誰が悪いかという話になってしまうようです。上野千鶴子さんの「ミソジニー」風に言えば、二人の女性を手玉に取っていた男が悪いということになるのでしょうが、いくら離婚が納得いかなったとは言え、山路徹氏と麻木久仁子さんとの「不倫」をツイッターで暴露した大桃美代子さんの”自爆テロ”には、今さらながら女の嫉妬の怖さ(別名「愛の執念」ともいう)を見せつけられた気がしました。ことの重大さに気付いて投稿を削除し、「軽率な行為だった」「未熟だった」と反省してみせてももうあとの祭りなのです。これも「愚」と言うべきでしょう。

それにしても、いつものことですが、「不倫」だとか「重婚」だとか、一体いつの時代の話なんだと思います。芸能レポーター達は、芸能人のゴシップになると、まるで国防婦人会ばりの古色蒼然たる価値観を持ちだして、正義のお裁きごっこをはじめるのです。もっともそうやってお茶の間に”蜜の味”を提供するのが彼らの役割なのでしょうが。まったく下劣な連中です。

また、記者会見で麻木久仁子さんが、苦し紛れだったのか、別れた理由として、山路氏に金銭的な援助をしてきたことに「疲れたから」と言ってましたが、いやしくも夫婦だったんだし、それにジャーナリストとしての山路氏の仕事を尊敬していたと自分でも言っていたのですから、今更そんな言い方はないだろうと思いました。

余談ですが、麻木さんの発言に対して、海老蔵と同じ1泊6万円の虎ノ門病院の特別室に入院していた鳥越俊太郎が、山路氏が代表をつとめるAPF通信社のような独立系ジャーナリズムはどこも金銭的に困っているなどとコメントしていたのを見るにつけ、よく言うよと思いました。

一方、私はと言えば、昨日も郵便局で「いつまで待たせるんだ!」と大声を出してしまいました。まったく、このような妄言を含めて、永井荷風のように偏屈で、岸部シローのようにネガティブな老人に、また一歩近づいたなと思う今日この頃です。
2010.12.26 Sun l 日常・その他 l top ▲
午後から散歩を兼ねて新横浜の駅ビルにある三省堂書店に行きました。今日はうららかな小春日和だったので、新横浜に通じる緑道も散歩する人の姿が多く見られました。

途中、横浜アリーナの前に開場を待つ大勢の人がいました。また、新横浜駅からアリーナまでの舗道も人々の行列がつづいていました。誰のコンサートなんだろう?と思って、前からやってきた若い女性(きれいな子を選びましたけど)に訊いたら、「ドリカムで~す」と言ってました。

横浜アリーナでコンサートがあるとき、外に出ると「ワァー」という歓声が聞こえてくることがあります。最初は日産スタジアムから聞こえているのかと思ったのですが、そうではなくアリーナでした。最近で記憶しているのは、EXILEと宇多田ヒカルのときです。

ほしい本が2冊あったのですが、三省堂書店にはどちらも置いていませんでした(いづれも新刊なんですが)。駅前の文教堂にも寄ってみましたが、やはり同じでした。このブログでもいつも嘆いていますが、横浜で本を探すのはホントに苦労します。

それで市営地下鉄に乗って関内に行きました。言うまでもなく、伊勢佐木町の有隣堂に行くためです。イセザキモールも休日ということもあってか、結構にぎわっていました。有隣堂の横では地元の子ども達によるミニコンサートが行われていました。横浜の街もクリスマス一色ですが、やはり場末感は否めません(何度も言いますが、それが横浜のいいところです)。

有隣堂も撃沈でした。そうなればみなとみらいのランドマークプラザのくまざわ書店に行くしかありません。休みの日にみなとみらいに行くのは気が進まないのですが、もうそんなことは言ってられません。こうなったら意地です。

伊勢佐木町から馬車道をぬけて大通りをみなとみらいに向けて歩くと、おなじみの夜景が見えてきました。すっかり日が陰った汽車道も多くの人が行き交っていました。できるだけ人ごみを避けるために、汽車道の入口を通りすぎてロイヤルパークホテルの先の裏口(?)から入ることにしました。ライトアップされた日本丸の前でも多くの家族連れやカップルが記念写真を撮っていました。姉妹なのか、小さな女の子が二人、日本丸をバックにVサインしている姿がほほえましく思いました。ただ、同じVサインでも、最近の子どもは立てる指が違うのですね。私は写真屋の息子なので、そうやって写真を撮っている姿を見ると、いいなぁ~と思います。そういった思い出が人生にとってかけがえのないものだということが、やがてわかるときがくるのではないでしょうか。

くまざわ書店では目当ての本は1冊だけありました。もう1冊はネットで買うしかなさそうです。結局、1冊の本を買うのに半日かかってしまいました。もっとも、歩きまわったおかげで、帰って万歩計を見たら1万5千歩近く歩いていました。何事にも効用はあるというわけです。
2010.12.23 Thu l 横浜 l top ▲
菅首相が沖縄に行って、仲井知事に普天間の辺野古移転が「ベター」だとして協力を求めたそうです。それに対して、仲井知事が県外への移転を「主張した」と。なんだかタヌキとキツネの化かし合いのようですが、昨年、政権交代が行われたとき、民主党の総理大臣が辺野古移転を求め、自公推薦の知事が県外移転を主張する、なんてことを誰が想像したでしょうか。

小沢国会招致問題も然りです。改革をサボタージュしたツケを小沢氏におっかぶせ、みずからの政権の延命をはかろうという魂胆がミエミエで、こういった愚劣な”党内政治”にうつつをぬかしている間に、「人にやさしい政治」もどこかに吹っ飛んだ感じです。

今日、病院に行ったら、玄関のドアのところに車椅子に乗った顔見知りの患者の方がいました。「どうしたのですか?」と訊いたら、病院の前のマンションの入口にある木を指差して、「今年はまだなんだよね」と言うのです。

なんのことかと思ったら、毎年、この時期になるとマンションの楓の木が電飾されるのですが、今年はまだなので気が気ではないらしいのです。脳梗塞で半身不随になった上に、最近、持病の糖尿病で人工透析もはじまったらしく、以前に比べて声にも張りがなく元気がありませんでした。夜になると自由が利かなくなった足が痛んで眠れないので、毎日、痛み止めを飲んで寝ているのだと言ってました。

私達が表参道だとかお台場だとかイルミネーションに浮かれる一方で、そんなたった1本の小さな木にきらめく光を楽しみにしている人もいるんだなとしみじみ思いました。ただ、クリスマスまでの残り日数を考えれば、彼のささやかな願いが通じる可能性はなさそうですが。
2010.12.18 Sat l 日常・その他 l top ▲
赤煉瓦3179

久しぶりに汽車道から赤煉瓦倉庫を散歩しました。たしかにこのあたりは格好のデートコースです。ロマンティックな夜景をバックに愛をささやけば、思わず彼女も手を握りかえし、あわよくば肩に頭をもたせかけてくるかもしれません。長い黒髪から漂ってくるシャンプーの残り香にうっとり・・・なんて年甲斐もない妄想におそわれました。

実際に汽車道ですれちがうカップルを見ていると、「年甲斐もない」カップルも結構多いのです。泌尿器科の待合室で順番を待っている(くたびれ果てた)中高年男性と、愛と性のオーラを放ちながら汽車道を手をつないで歩いている同年代の男性のこの違いはなんなんだと思いました。友人は「前立腺の耐久性の違いじゃないの」と身も蓋もないことを言ってました。

赤煉瓦倉庫前の広場ではクリスマスのイベントが行われていましたが、人も少なくてやはり場末感は否めませんでした。期間限定のスケートリンクも年々しょぼくなっており、もしかしたらそのうち姿を消すのかもしれません。でも、平岡正明ではないですが、横浜はこういった場末感が魅力なのです。ちょっとさみしくなるような雰囲気が、逆にロマンティックな気分をかきたてるところがあります。だから、(前立腺が丈夫な)老いも若きも愛をささやくために赤煉瓦倉庫にやって来るのでしょう。

赤煉瓦3197

赤煉瓦3175

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赤煉瓦3189
2010.12.16 Thu l 横浜 l top ▲
表参道3206

表参道のイルミネーションは、一昨年11年ぶりに復活したのですが、環境に配慮してLEDに切りかえたからなのか、以前に比べるとやや地味な感じを受けます。人出も以前ほどではありません。もっとも、今はいろんなところでイルミネーションが行われていますので、わざわざ原宿に来るまでもないのかもしれませんが。

表参道を歩いている人達を見ると、ここでも若者に混じって中高年の姿が目に付きました。中でも目立つのは、ホテルのランチバイキングのコーナーを占領しているような中高年の女性グループです。彼女達はヴィトンやグッチやシャネルやフェンディなど、誰でも知っているようなブランドのバッグを手に提げているのが特徴です。

道ですれ違う同年代の男性を見ても、結構おしゃれをしている人はいるのです。おそらくその人なりのこだわりをもって、おしゃれしているつもりなのでしょう。しかし、はたから見るとおしゃれしているようには見えないのです。だからといっておしゃれをやめると、”最後の砦”も失ってしまうような気がしてやめるわけにはいかないのでしょう。その気持はよくわかります。

雑誌などでもよく「ナイスミドルになるためのおしゃれ術」なんて特集が組まれて、「年を取るほどおしゃれは必要です」とか「おしゃれをする気持を忘れたらおしまいです」なんて”おしゃれ心”を煽るのですが、それは常に過剰生産恐慌の恐怖にさらされながら拡大再生産をつづけなければならない資本主義の呪文のようなものです。

やっぱり、おしゃれは若者のものです。表参道を歩きながらつくづくそう思いました。何と言っても彼らのおしゃれは街に映えています。そんな若者が羨ましくてなりません。若い頃もっと勇気を出しておしゃれをすればよかったと思いました。

彼らの可処分所得の多くはおしゃれに使われているのでしょう。よくひとり暮らしの女の子から、食事代をけずってでもファッションにお金をかけるという話を聞きますが、そういう”情熱”が羨ましいなと思います。中高年のおしゃれは、どこか「浮いている」感じがあり、ある種の痛ましささえ覚えることがありますが、若者のおしゃれにはそれがないのです。

もちろん、武田泰淳ではないですが、そんな若者達も苦悩とは無縁ではないのでしょう。しかし、少なくともそうやっておしゃれをして街を闊歩している姿は、すがすがしくていいもんだなと思いました。人生において、そういった「楽しい」とか「好き」とかいった気分や気持は、ホントに大事だなと思います。

街を歩く楽しさ、東京にはそれがあります。それが東京の大きな魅力です。

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2010.12.14 Tue l 東京 l top ▲
海老蔵事件はマスコミの格好の餌食になっていますが、一連の報道を見て面白いなと思ったのは、週刊誌やスポーツ新聞などが「海老蔵事件」と呼び捨てしているのに対して、新聞やテレビなどは「海老蔵さん事件」と「さん」付けしていることです。海老蔵は被害者なので、「さん」付けしているのでしょうか。それにしても、ついこの前まで海老蔵を「平成の光源氏」なんてもてはやしていたマスコミが、途端に手の平をかえしたようにバッシングしているのは、いつものことながらあきれるばかりです。

ネットの掲示板を見ていたら、市川海老蔵を「林家海老蔵」と書き込んでいる人間がいました。落語家じゃないんだからと思いましたが、マスコミに比べればまだしもネットの方がほほえましく思えます。

海老蔵にはかつて元歌手との隠し子騒動もありましたが(市川染五郎にも同じような騒動がありましたが)、「女遊びも芸の肥やし」なんていう俗言をいいことに遊び呆けている、それこそテレビドラマなどに出てくるような典型的なバカ息子であるのは間違いないでしょう。あの(六本木界隈では有名な)米倉涼子とも一時つきあっていたようですが、六本木や麻布はその手の人間達が夜毎集まりバカ騒ぎする街なので、頬に傷があるような連中も彼らの周辺に自然と集まってくるのです。

今や「人間国宝」にまで祭り上げられるほど社会的に上昇した歌舞伎者に、「女遊びも芸の肥やし」なんて時代錯誤のようなことを言うからバカが勘違いして高のぼりするのでしょう。”河原乞食”として蔑まれていた芸能の民が、差別されていたがゆえにまつろわぬ者として「市民社会」の埒外にいたのはたしかでしょう。そして、そうやって「市民社会」の公序良俗とは真逆の”芸能の論理”が形成されていったのも事実でしょう。しかし、それはあくまで体制に順応しないマージナルな存在という意味であって、2億円だか3億円だかの豪邸(実は競売物件の中古で名義は松竹らしいけど)に住みセレブな生活を演じる一方で、六本木でバカ騒ぎして「オレは人間国宝だ」とか「おたく、給料いくら?」なんてほざくようなこととはまったく次元の異なる話です。

私は最初に勤めた会社が六本木にあった関係で、当時は芸能人にまつわるいろんな噂を耳にしました。行きつけの喫茶店で顔見知りになり、よく話をしていた(噂のネタ元の)自称「モデル」の女の子がいたのですが、店のマスターから「あの娘(こ)はクスリをやっているよ。気を付けた方がいいよ」と言われたことがあります。そして、ある日、麻布十番のレストランに行ったら、彼女が男と二人で食事をしているのに出くわしたのです。ところが、相手の男はどう見てもシロウトとは思えないヤバそうな感じで、「やっぱり」と思ったことがありました。

それから半年くらい経った頃、私は、偶然目にした週刊誌の記事を見てびっくり仰天しました。それは、彼女が超大物お笑いタレントの一夜妻だったというスキャンダラスな記事で、しかもグラビアにヌード写真まで掲載されていたからです。記事では彼女は「AV女優」となっていました。私はそれを見て「ああ、これが芸能界なんだな」とあらためて思ったものです。

村西とおる氏が言うように、芸能人というのはシロウトのお嬢様にはできないやくざな職業なのです。私は、今回の事件を見るにつけ、じゃあ、その「AV女優」と「恋のから騒ぎ」出身の小林麻央や米倉涼子にどれほどの違いがあるのかと思いました。上野千鶴子氏が言う「性の二重基準」ではないですが、ただ一流大卒でカマトトだったので正妻の座を射止めただけじゃないのか、なんて意地悪い見方をしたくなります。

歌舞伎ファンが言うように、市川海老蔵は歌舞伎俳優として魅力のある役者なのかもしれません(それを言うなら米倉涼子だっていい女優です)。しかし、今回海老蔵は、はからずも品性下劣で甘チャンな素の自分をさらけ出してしまったのです。これでは「海老さま」のイメージも台なしでしょう。中には「歌舞伎の名家に生まれた苦悩」なんてことを言うお人好しもいるようですが、それがどうして「恋のから騒ぎ」や六本木のバカ騒ぎになるんだ?と言いたいです。彼のやっていることはデカダンスとはまったく無縁なただのバカの高のぼりでしかありません。それを芸能マスコミが「平成の光源氏」ともてはやしてきただけです。

>>魔性
2010.12.12 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
今日、知り合いの20代半ばの女の子に久しぶりに会ったら、えらく痩せているのです。

「ダイエットしてるの?」と訊いたら、そうじゃなくて、毎日酒を飲んで嘔吐しているのだとか。「あたしヤバいかもしれません」と言うのです。

「この前なんて洗濯機の中に吐いていたんですが、自分では覚えてないんです」
「じゃあ、酒を飲まなければいいじゃん」
「ダメなんです。飲まないと夜眠れないんです」
「それって、くだらない男にふりまわされているからじゃないの?」
と言ったのですが、おそらく当たらずといえども遠からずなのでしょう。

それにしても、私の身近でもパニック障害や依存症など、”メンヘル”の若い子が多いのです。話を聞いてみると、原因は家族関係(特に母親との関係)と恋愛問題が多いように思います。しかも、”メンヘル”にまで至る恋愛には、少なからずDVがつきものです。

毎日酒を飲んで嘔吐しなければならないほど恋愛にのめり込むなんて、ある意味で羨ましいなと思いますが、ただ、彼女が危ういところに立っているのは事実でしょう。そして、私は、こういう女の子が読むに耐えうるような小説が今あるんだろうかと思いました。

この”メンヘル”の時代にふさわしい文学がどうして生まれないのか。所詮ないものねだりなのかもしれませんが、やはり時代の流れとともに作家のいる場所が違ってきたからではないでしょうか。私も最近は大庭みな子藤枝静男を読んでいればそれだけで充分のような気がしています。たしかに今の作家達を見ていると、このような苦悩に届く言葉をもっているとはとても思えません。それは電子書籍云々以前の問題で、巷間言われるようにもう「文学は終わった」のかもしれません。
2010.12.07 Tue l 本・文芸 l top ▲
Galaxy SC-02B

携帯をドコモの新しいスマートフォン・GalaxySに変えました。11月がいわゆる2年縛りの空白の1ヶ月(25ヶ月目)になるので、当初は11月になったらiPhone4にするつもりでした。しかし、10月の末にドコモからGalaxyが発売されたら、GoogleのAndroid 携帯に目移りがしたのです。いわば、iPhoneの先進性とAndroidのオープンな思想のどっちを選ぶかということでもありました。

それにしても、いまさら私が心配することではないですが、このままではPCも携帯もネットは完全にGooglの”一党支配”になってしまいます。しかも、その”一党支配”はなるべくしてなった気がします。おそらくネットユーザーであれば誰でもそう思うのではないでしょうか。”第二のGoogle”が出てこないネットの状況は深刻ですね。もっとも、ガラパゴスだとかパラダイス鎖国だとか言われながらも、相変わらず「国産がいちばん」神話の中でセコさとあざとさを競いあっている日本企業にはどうでもいい話なのかもしれませんが。

GalaxySは、既に世界約90カ国で700万台の出荷実績があるそうで、サムスンなんて井の中の蛙の日本企業を尻目に(北朝鮮の金王朝と同じ三代つづく世襲企業でありながら)今や押しも押されぬ世界企業です。販売店の担当者も「こんなに売れるとは思いませんでした」と言ってましたが、このままいけば、経済的にもアジアのイニシアティブを中国や韓国が握るのは目に見えています。脊髄反射で対米従属に逆戻りして内向きになる一方の日本ですが、ホントに大丈夫かと思ってしまいます。
2010.12.02 Thu l ネット l top ▲