前の記事でも書きましたが、西村賢太の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という短編は、ぎっくり腰になった主人公が腰の痛みに苦悶しながら、文学賞(川端康成賞)がなんとしてでもほしい、そして文名を得たい、と渇望する話なのですが、私も今朝、ふと前かがみになった途端に腰に痛みが走りました。以来、腰が痛くてなりません。今までも何度かぎっくり腰を経験していますので、もしかしたら軽いぎっくり腰なのかもしれません。

それで、午前中はベットに横になっていました。そうやって腰に負担をかけないようにすると痛みが消えるのです。ところが、こんなときに限って、電話がかかってくるのでした。しかし、すぐに起き上がることができないので、無視して寝ていました。でも、電話は何度もくりかえしてかかってきます。私は、もしや田舎の母親になにかあったのではないかなんて思って、スローモーションのような緩慢な動作で起き上がり、着歴の番号を確認しました。

しかし、そこに表示されていたのは、見たこともない携帯の番号でした。それも2種類の番号が交互にかかっているのです。私はそのひとつに電話をかけてみました。すると、中年の男性が出ました。

「あのー、先ほど、電話がかかってきたみたいですが、どちらさんですか?」
「エッ、私はかけていませんが・・・」
「じゃあ、間違い電話ですかね?」
「でも、私はそっちの番号は知りませんよ」
「だから、間違い電話だったんでしょう」
「エッ、どういうことですか?」
「どういうことって・・・。番号に覚えがなければ間違ってかけたということではないですか?」
「間違ってかけたと言われても、知らない番号なのに」
「お前、バカか!」と言いたかったけど、そんな元気もなく黙って受話器を置きました。

再びベットに横になっていたら、今度はピンポーンとチャイムが鳴りました。でも、すぐに玄関まで行くことができません。へたにインターフォンに出ると、話がややこしくなりそうなので、ベットに横になったままやりすごしました。そして、あとで玄関に行ったら、郵便局からの不在票が入っていました。見ると差出人は「日本郵便」となっていました。前日、郵便局に代金引換のラベルの印字を頼んでいたので、それが出来上がったんだと思います。昔に比べて仕事が早くなったのはありがたいのですが(民営化の前は頼んでもひと月もかかることがありましたから)、どうして郵便受か宅配ボックスに入れてくれなかったんだろうと思いました。今までは不在の場合、いつもそうやってもらってたのですが。

夜になると、いくらか痛みも和らぎました。それで、歩いて10分くらいのところにある本局のゆうゆう窓口(夜間窓口)に行きました。寒風吹きすさぶ底冷えの夜で、マスクをしていてもやたら鼻水が出てきます。そんな中、痛い腰をかばいながら、暗がりの中をのしのしやって来る猫背の大男は、さながらフランケンシュタインのようだったかもしれません。心なしか前から歩いてくる若い女の子達は、端によけて通りすぎていたように思います。

窓口で代金引換郵便の手続きをして、ついでに”不在票”も差し出しました。応対したのは、ひと月くらい前から見かけるようになったアルバイトの男性でした。しばらくして、彼が日本郵便の専用封筒に入ったラベルの束を持ってきました。そして、「免許証か健康保険証をお持ちですか?」と言われました。

「ああ、忘れました。印鑑は持ってますが」
財布を落として痛い目にあったので、それ以来、免許証や保険証は財布の中に入れるのをやめたのです。
「そうですか・・・。身分を証明するものがないとお渡しできませんが・・・」
「でも、中は印字を頼んだ代金引換のラベルで、この控えと同じものです。だからこれと照合すれば証明になりませんか?」と言って私は、ラベルの控えを差し出しました。しかし、「免許証か健康保険証でないとダメです」と言うのです。
「じゃあ、銀行のキャッシュカードもあります。ここにも名前が書いていますが、ダメですか?」
「ダメですねぇ」
「じゃあ、これはどうですか?」と言って、財布から救急搬送の会員カードを出しました。私はいざというときのために、民間の救急搬送サービスの会員になっており、そこには名前と生年月日と血液型が記載されています。
「やはり、免許証か健康保険証でないと・・・」

私も徐々に興奮して、いつの間にかため口になっていました。
「でも、これって書留ではないんでしょ。ただ郵便局からの事務用の届けものにすぎないわけで、いつもだと郵便受に入れてくれるんだけど、今日に限って不在票が入っていただけなんで、こうして名前と住所が一致すればそれでいいんじゃないの?」
「いえ、やはり免許証か健康保険証がないと・・・」
彼はアルバイトだからなのか、その一点張りです。
それで、私は、「職員の人はいないの?」と訊きました。職員だったら私の顔を覚えているはずなので、融通が効くのではないかと思ったからです。
「いえ、今は休憩中です」
「休憩中って・・・。なんかさぁ、もう公務員じゃないんだから、そんなに杓子定規にものごとを解釈しなくてもいいんじゃないの? 差出人は郵便局で中味もわかっているんだし」
と、とうとう悪態まで吐きはじめる始末です。
しかし、アルバイト氏は「でも、やっぱり免許証か健康保険証でないと・・・。申し訳ありませんが」とくり返すばかりです。ふと後ろを振りかえると、既に3~4人行列ができていました。それで、私は、「しょうがねぇな」とぶつぶつ言いながら、あきらめて帰りました。

ところがです。寒空の下をとぼとぼ自宅に戻り、ふと郵便受を見た私は、一瞬わが目を疑ったのでした。なんと、先程ゆうゆう窓口でアルバイト氏とやり取りしていた際に目の前にあった日本郵便の封筒が、郵便受に差し込まれていたからです。まるで狐につままれたような感じで、「エエッ、どういうこと?」と、熊のツヨシよろしくその場で頭を抱えてしまいました。私が自宅に歩いて帰る10分間の間に急遽バイクで配達に来たのでしょうか。そうとしか考えられません。それはそれでありがたい話ですが、なんとも手間のかかることをするもんだなと思いました(一方で、やっぱり文句は言うもんだなと思いましたが)。

腰の痛みのせいもあり、なんだかいつもと違う出来事に翻弄された一日でした。もっとも私の場合は、鼻水ばかり流していましたので、「落ちぶれて袖に洟(はな)のふりかかる」って感じでしたが。
2011.01.29 Sat l 日常・その他 l top ▲
ちょっと前の話になりますが、年末のレコード大賞でスマイレージが最優秀新人賞を受賞したのにはびっくりしました。スマイレージなるグループなんて知らなかったからです。私は、最優秀新人賞は少女時代で決まりだろうと思っていました。マスコミの露出度から言ってもCDの売上げ実績などから言っても少女時代と考えるのが妥当でしょう。

案の定、この不可解な選考に対して怪文書が出ているようで、先日、アクセスジャーナル(有料版)でその怪文書がとりあげられていました。それによれば、現在日本の芸能界を席巻しているK-POPをめぐって、日本側のマネジメントを行っているプロダクションとそれを心よく思ってないプロダクションの暗闘が背景にあり、スマイレージの逆転劇は後者の前者に対する意趣返しだったというのです。さもありなんと思いました。

 それにしても、なぜ、K-POPなのか。
 この点につき、ある芸能プロ社長はこう解説する。
 「ともかく経費が安く済む。韓国芸能人の人権なんか無きに等しく、10分の1もかからない。だから、わが国でヒットを飛ばせば我々の実入りはそれだけ美味しいからですよ」。

  
そして、その「美味しい」背景には、「わが国芸能界など比ではない、韓国芸能界と組織暴力団との蜜月関係」があるのだとか。

そう言えば、今、KARAのメンバーと所属プロダクションの間で契約解除をめぐってトラブルが発生していますが、メンバーも「人権を無視された」と主張していました。しかも、少女時代の日本側のマネジメントを行っている会社は、KARAやあの東方神起のマネジメントも行っていたそうですから、東方神起の分裂以後のK-POPをめぐる一連の騒動は全て1本の糸でつながっていると言えるのかもしれません。

もともと韓国の芸能界には「セックス接待」なんていう醜聞もありましたが、日本の芸能マスコミはそういった背景はいっさい報道しません。だから、東方神起にしてもKARAにしても、マスコミの報道を見ている限り、「売れたのでわがままになった」芸能人が独立したがっているとかいった感じで受けとられがちです。

もっとも、日本のテレビにしても、一方で、K-POPのアーチスト達を「人権なんか無きに等しく」安く使っていた(それに加担していた)わけですから、こんな現代版女工哀史のような背景を報じるわけがないのです。
2011.01.27 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
苦役列車

先日第144回芥川賞を受賞した西村賢太の『苦役列車』(新潮社)を読みました。

主人公の北町貫太は、東京の片隅の安アパートで、孤独で鬱屈した日々を送っている19歳の少年です。彼は、日雇い労働で生計を立てているのですが、わずか数万円の家賃を滞納しては追い立てを食らうような自堕落な生活をくり返しています。そんな貫太が派遣先の冷凍倉庫で、やはり荷役仕事のアルバイトに来ていた専門学校生・日下部と知り合い、同年代のよしみで急速に親しくなります。しかし、貫太の妬みと僻みと嫉みに満ちた性向のために、せっかく知り合った日下部も貫太を疎ましく感じはじめ徐々に離れていくのでした。そんな交遊の過程を描いた、多分に私小説の要素が入った作品です。

貫太の妬みと僻みと嫉みの性向の背景にあるのは、小学生のときに父親が犯した事件(性犯罪)があります。そのために両親は離婚して、それこそ追い立てられるように転居を余儀なくされ、貫太も高校進学をあきらめたのでした。そんな貫太にとって、日下部と知り合ったことはわずかな”希望”だったのかもしれません。しかし、それも歪んだ性向のために、みずからの手で摘み取ってしまうのでした。

作者の西村賢太氏は、戦前に芝公園で凍死した孤高の作家・藤澤清造に私淑しているそうですが、この作品も古い私小説のスタイルをとっています。そのためか、特にこの作品では漢語調の古めかしい表現が多く、やや辟易するところがありました。また、登場人物の台詞にしても時代がかったもの言いが多くて、「それはないだろう」と思わず突っ込みを入れたくなりました。それに、主人公の北町貫太の台詞の一人称が「ぼく」となっていましたが、やはりそれは「おれ」だろうと思いました。そういった違和感は至るところで感じました。

でも、にもかかわらず、不思議と魅力のある小説です。どこか惹かれるところがありますし、読後感がいつまでも残ります。私達もまた「孤独死」を覚悟しなければならないような人生を生きているのです。そう考えるとき、この小説の世界は私達の前で大きく広がっていく気がします。

私は、この小説を読みながら、やはり中上健次の『十九才の地図』を連想しないわけにはいきませんでした。『苦役列車』と一緒に収録されていた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という、文学賞を渇望するいじましいほど正直で自虐的な心情をつづった短編の中に、「芥川賞の選考委員の乞食根性の老人」という表現がありましたが、そんな文壇政治のガンのような「乞食根性の老人」達に認められ受賞するに至った作者がこれからどうなるのか、興味があります。

中上健次には「熊野」があり「路地」がありました。そのために「乞食根性の老人」の呪縛から逃れて、独自の文学世界を築くことができたのです。そう考えると、本人も言ってましたが、この作者の場合、やはり「父親」を書くしかないように思います。非情な気がしますが、それが文学に生きる人間の定めなのです。西村賢太がそういう”定め”を感じさせる作家であることはたしかです。
2011.01.25 Tue l 本・文芸 l top ▲
今日、アクセス解析を見ていたら、このブログに「ずるくてずうずうしい人間が大嫌い」というキーワードでアクセスしてきた方がいました。どうして?と思って、Googleに「ずるくてずうずうしい人間が大嫌い」と入力して検索してみたら、私の「人間嫌い」という記事がヒットしました。そして、説明文の中の「人間」「ずるくて」「図々しい」という言葉がハイライトされていました。

実は「ずるくてずうずうしい人間が大嫌い」というキーワードに目がとまったのも理由があるのです。私も最近、「ずるくてずうずうしい人間」に悩ませられているからです。私はもともと緊張感のある人間関係はそんなに苦手ではなかったし、それこそ一触即発な状態で心理戦を行うのも、どっちかと言えば得意な方でした。

ただ最近はさすがに後退戦を余儀なくされることが多くなっています。年をとると体力だけでなく、(変な言い方ですが)”精神的な体力”も衰えるからでしょう。いわゆる「キレる老人」というのも、年をとって気難しくなるというより、”精神的な体力”がなくなるからではないかと思います。要するに、精神的に踏ん張りがきかなくなるのです。

「ずるくてずうずうしい人間」には正攻法は通用しませんので、イスラム法典ではありませんが、「目には目を」で対抗しなければなりません。それにはまず精神的にタフである必要があります。

世の中の人間は、必ずしも「話せばわかる」人間ばかりとは限りません。まして「ずるくてずうずうしい人間」にそういったデカルト的(理性主義的)な人間観が通用するはずもありません。「やられたらやりかえせ」という山谷を舞台にしたドキュメンタリー映画がありましたが、やられたらやりかえすくらいの心構えも必要です。

しかも、年をとると、なぜか「ずるくてずうずうしい人間」に遭遇するケースが多くなるのです。若い頃と違って年齢が近くなると、敬老精神なんてなくなり、「このクソ×××が」というようなあからさまな(その意味では正直な)気持になるからでしょうか。そして、そうやって「クソ×××」の中に明日の自分を見ているような気がしないでもありません。
2011.01.23 Sun l 日常・その他 l top ▲
結核病棟物語

関東地方も真冬の寒さがつづいていますが、午後から伊勢佐木町のブックオフに行きました。ふと斎藤綾子の『結核病棟物語』(新潮文庫)をもう一度読みたいと思ったからです。ところが家の中をいくら探してもないのです。しかも、既に廃版になっているらしく、近くの本屋にも売っていませんでした。それで、ブックオフだったらあるかもしれないと思って出かけて行ったのですが、思ったとおり伊勢佐木町のブックオフに1冊ありました。

『結核病棟物語』は、作者の分身とおぼしき女子大生の主人公がある日突然、肺結核と診断され結核病棟に入院、そこで体験したことをつづった話です。若い女性らしくあっけらかんとした中にやはりどこかせつなさのようなものが全編にただよっており、そういう空気感は間違いなく青春のものだと思いました。

私も主人公と同じ二十歳のとき、1年間入院した経験がありますので、そこで描かれている療養生活の日常や年老いた患者達の生態、そしてその中に突然入ることになった若い患者の戸惑いは痛いほどよくわかります。作者は「あとがき」で、入院当初、「こんな体験はお金を払ったって買えませんよ」と大勢の人から励まされたと書いていましたが、そう言えば、私も同じようなことを言われました。「いい経験になるよ」と。

まあ「いい経験」だったかどうかは別にして、たしかに若い頃のそういった経験はいつまでも心の奥底に残るものです。退院して10数年後、同じ病棟に入院していた女の子から突然電話がかかってきて、びっくりしたことがありましたが、彼女もやはり同じような気持だったのかもしれません。

寺山修司は、人生で読書をする時間というのは限られていて、それは刑務所に入っているときか病院に入院しているときか学生時代しかないと言ってましたが、私も入院中は毎週近所の本屋さんがご用聞きにくるくらい本をよく読みました。ただ、同じ本を読むにしても、あの頃の感覚は今とは全然違っていたように思います。そして、『結核病棟物語』で描かれているのも、あの頃私が抱いたのと同じような感覚なのです。

 「あんた、若いねェ」
 ほうきに体を凭せ掛けて、爺さんはメガネの奥からショボショボした目で私を見下ろした。喋るたびに一本だけ残った長い歯に、真っ赤な舌がベロンベロン巻きつく。口の中に糸車がしまってあるようだ。きっとあの中は、魔物が住む洞穴みたいに腐敗臭が漂い、食べカスがヌルヌルとどくろを巻いているに違いない。妄想に身震いしながら爺さんの口から目が離せないでいると、何も喋っていないのに、
 「なんだってェ?」
 不気味に白いその顔が、スーッと擦り寄ってきた。プーンと老人の臭いがした。私は慌てて布団を引っ張り寄せ、眠ったふりをした。


かの堤玲子を彷彿とするようなこんな描写が随所に出てきますが、当時の風俗で言えば、おそらくワンレン・ボディコンであったであろう、イケイケドンドンの女子大生にすれば、結核病棟の日常は、まるで悪夢でも見ているような感じだったのかもしれません。そして、入院患者でありながら病棟の雑役をしている、その「粉を吹いたように真っ白な」顔をした爺さんから、やがて主人公は布団に手を入れられて身体を触られるようになるのでした。でも、そんな身の毛もよだつような行為に対しても、主人公は明確に拒否の姿勢を示しません。そういった主人公の姿勢はこの小説全体をおおっており、それがこの小説の大きな特徴です。

主人公は小田島という12歳年上の妻子ある男と不倫の関係にありました。しかし、主人公が入院中に、こともあろうに小田島は友人のリリカとも関係をもち、それをリリカから打ち明けられるのでした。それはそれでショッキングな出来事でしたが、しかし、それでもどこか冷めた目で自分が置かれた状況を見ている主人公がいます。入院患者のガテン系の青年を誘惑して、病棟の洗濯機置き場で身体の関係をもつのもそうですが、こういった”現代風な感覚”がわかる人とわからない人とではこの小説の捉え方は大きく違ってくるのではないでしょうか。

巻末の「解説」で、『思想の科学』編集委員としてこの小説を担当した黒川創氏が書いているように、この小説の大きなテーマに「死」があることはたしかです。退院した日、帰宅する途中にこんな描写があります。

(略) 横断舗道を渡っていたら、向こう側からびっこを引いた爺さんがやってきた。杖をついて肩で弾みをつけ、不自由な片足をブランブラン引き摺りながら歩いている。動かないその足は、爺さんにとって厄介な物という感じだった。こうして徐々に体の至る所が厄介になっていき、最後は自分を動かすこと自体厄介になるんだろう。死ぬってのはきっとそういうことなんだ。


入院していると否応なく「死」の現実に直面しなければなりません。隔離病棟で出会った「クマのようなゾウのような」亀山ミツも、「すすけたズロースみたいなヨボヨボの顔」の田辺八千代も、やがて亡くなったことを知るのですが、そのときの主人公にはイケイケドンドンの女子大生の姿も”現代風な感覚”もありません。ただ涙を流し「ワラワラ震えながら茫然と」主のいなくなった病室を眺めるだけなのでした。やはり「死」というのは、なによりも重い永遠のテーマなんだなと思いました。

ただ、私は、この小説にはもうひとつ別のキーワードがあるように思いました。それは、「涙」です。小説の中でも主人公が涙を流す場面がよく出てきますが、その「涙」がこの小説にただようせつなさにつながっているように思います。

 「悪かったね」
 若い技師は目を伏せたまま済まなそうに言うと、前と同じようにてきぱきと作業に取りかかった。撮影する位置をミリ単位で変えるために、一々奥から出て来ては機械を操作する。それまで気がつかなかったが、若い技師は左の足を引き摺っていた。大きな体をヒョコヒョコさせて、行ったり来たりする姿を見ているうちにいつの間にか私はポロポロ泣き出した。なぜ泣いているのか自分でもよくわからない。当てつけがましいと思われるのが嫌で必死に涙を拭ったが、そんなことをすればするほど涙は止まらなくなった。悔しいのでも悲しいのでもない。ただ泣きたかったのだ。


この場面には、レントゲン撮影をする際、スケベエな別の技師から一糸まとわぬ姿になるように指示されたという前触れがあるのですが(だから、この若い技師は「悪かったね」と謝っているのですが)、「悔しいのでも悲しいのでもない」「ただ泣きたかった」という、その「涙」もやはり青春のものではないでしょうか。

ありきたりな言い方をすれば、若いときにしか出会えないこんな青春小説もありだと思います。そして、その読後感は澱のようにいつまでも心の奥底に残っていくのです。
2011.01.17 Mon l 本・文芸 l top ▲
昨日、九州の友人から久しぶりに電話がかかってきて、また”男の長電話”で2時間以上も長話をしてしまいました(電話代は相手持ちなので気が楽でしたが)。彼は九州の山間の町で家業を継いでいるのですが、私が最近身体の調子が悪くて元気がないと風の便りに聞いたらしく、心配して電話してきたのです。「わが道を行くお前が元気がないなんてさみしいじゃないか」と言ってました。

でも、正直言って「わが道を行く」のも、結構しんどいのです。だからと言って、サラリーマンのように右へ倣いして生きていくのもしんどい。私はサラリーマンを10数年やりましたが、これほどの苦痛はありませんでした。しかし、「それくらい我慢できなくてどうする」とまわりから散々言われました。なんとか言ってもこの社会は「サラリーマンこそ人生」のドグマにおおわれていて、サラリーマンができなければ社会的不適格者の烙印さえ押されかねないのです。しかも、日本の場合、サラリーマンは「会社人間」と同義語なのです。昔、上司から「サラリーマンの給料は我慢料だ」と言われたことがありますが、言い得て妙だなと思いました。

年金だって25年保険料を納めなければ受給資格を得ることもできません。国民年金なんてとても生活できるような金額ではありませんので、現実的には最低でもサラリーマンを25年つづけなければまともな老後も送れないようになっているのです。そんな制度をそのままにして、「サラリーマンだけが人生ではない」「もっと多様な生き方があるべきだ」なんてよく言えるもんだと思います。そもそも社会保障の制度からして多様な生き方なんてできないようになっているのです。

その意味では、ベーシックインカムは一考の価値があるかもと最近思うようになりました。そうすればもっと多様な生き方を選択できるようになり、そこから新しい社会の活力も生まれるかもしれません。

この社会の閉塞状況は、そのまま人生の閉塞感につながっています。特に若者にその気持が強いのではないでしょうか。昔はシラケと言われ、モラトリアムと言われ、今はニートや引きこもりと言われていますが、彼らがそうやって現実から逃避したくなる気持はわからないでもありません。掛け声だけは立派だけど、この社会は生き方の選択肢があまりにも少なすぎるのです。
2011.01.12 Wed l 社会・メディア l top ▲
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別に正月だからといってご馳走を食べたわけでもないのに、気が付いたら3キロ太っていて、体重計の上で一瞬目の前が真っ白になりました。それで、運動も兼ねて午後から北鎌倉の円覚寺に初詣に行きました。

円覚寺は北鎌倉駅の改札口を出てすぐ線路沿いに石段があり、石段の上には夏目漱石の『門』のモデルになった山門が建っています。また、円覚寺には小津安二郎の墓もあります。小津の「麦秋」では主人公一家が北鎌倉在住という設定になっていて、北鎌倉駅周辺の風景も登場しますが、周辺は今でも当時の名残が残っています。北鎌倉駅のホームに立つと、不思議となつかしいような気持になります。円覚寺には小津のほかにも、木下恵介・田中絹代・佐田啓二(中井貴一の父)など映画関係者の墓があるそうです。それから、オウム真理教に殺害された坂本堤弁護士の墓もあるのだとか。
 
週末にもかかわらず、境内は人も少なくてのんびり散策することができました。ただ、やたら若いカップルが目に付きました。偏屈じいさん予備軍の私は、「こんなところでデートするんじゃないよ」と腹の中で悪態を吐く始末でした。左手に缶ジュースを持ち右手で彼女の髪を撫でていた長髪の若者は、仏殿の前に来ると缶ジュースを足元に置き、パンパンと柏手を打っていました。

私はいつものように、「商売繁盛」「無病息災」を交互に唱えながら手を合わせましたが、ふと「これってありなの?」と思いました。なんだかパンパンと柏手を打っていた長髪の若者と、たいして変わらないような気がしないでもありません。

昔、毎朝合掌して念仏を10回唱えるのを日課にしていたことがありました。仏教に造詣の深かった弁護士の故・遠藤誠氏が本の中で、毎日念仏を10回唱えるといいと書いていたのを読んだからです。その頃はいろんな意味で追いつめられていて、毎日が苦しくてなりませんでした。それで、それこそ切実な気持で毎日念仏を唱えていました。当時に比べれば、今は不真面目でいい加減です。こんな調子ではそのうちバチが当たるかもしれません(もっとも仏教に「バチが当たる」なんていう考え方はありませんが)。

円覚寺のあとは鎌倉駅まで歩きました。しかし、坂道を下り鎌倉駅に近づいたら、「失敗した」と思いました。鶴岡八幡宮の周辺は初詣の人や車でいっぱいなのです。小町通りも人であふれていました。クレープ屋の前に行列ができており、なんだか原宿の竹下通りを歩いているようでした。

帰りの横須賀線も通勤ラッシュ並みに混雑していました。途中、横浜駅で下車して、そごうで買物をして帰りましたが、帰って万歩計を見たら2万歩弱でした。

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2011.01.08 Sat l 鎌倉 l top ▲
愛という病

新年あけましておめでとうございます。

中村うさぎの『愛という病』(新潮文庫)を読みました。これもすぐれたフェミニズムの本だと思いました。先頃、上野千鶴子氏の『女ぎらいーニッポンのミソロジー』(紀伊国屋書店)も読みましたが、中村うさぎの方が断然面白く説得力があります。それは中村うさぎの言葉にはなによりリアルな体験が裏打ちされているからでしょう。買物依存でブランド品に1億円を使ったかと思えば、ホスト狂い、美容整形、デルヘル勤務とつづき、挙句の果てには、『セックス放浪記』(新潮社)などという本を出すほど男漁りまでした中村うさぎは、こう書くのです。

 私は、「女の欲望」のパロディだ。イタい恋も止まらない買い物もサイボーグみたいな美容整形も、私のすべての愚行は、女たちの欲望のデフォルメだ。そんな私が最後に求めたものは、「私」だったのだ。私は「私」を手に入れたくて、必死で生きてきたってわけよ。


多くの女は、欠落した自己に飢えている。オトコなんて、その自己の投影物に過ぎないの。だから女は「どんなオトコに愛されたいか」に固執する。それはオトコの個人性ではなくて、オトコの属性。私の場合は「若さと美貌」だけど、人によっては「知性」だったり「権力」だったり、まぁ、それぞれの欲望を反映したオトコの属性にこだわってるわけよ。つまり、彼女たちの選ぶオトコの属性は、彼女たちが自分自身に欲しがっている属性なのね。


上野千鶴子氏は『女ぎらい』の中で、「女は関係を求め、男は所有を求める」という小倉千加子氏の言葉を紹介していましたが、要するに、女性は「関係性を通してしか自己確認できない」ということなのかもしれません。中村うさぎは、その理由について、「女が自分を『他者の欲望の対象』として捉える生き物だから」だと言います。そして、ボーヴォワールの言葉を引用して、「私は、男の『自然体』が羨ましい。いつでもどこでも屈託なく『自分』でいられる自意識を、彼らはどうやって獲得したのだろう? やはり『女は女に生まれない。女になるのだ』という言葉は真実なのか?」と自問するのでした。女性は常にそういった不全感(「生き苦しさ」)を抱えて生きているのです。だからこそ、そこにみずからの女性性に対する違和感=ミソジニー(女嫌い)も生まれるのでしょう。

 何故、女は「愛し愛される事」に固執するのか? 他のすべてに充足していても、「愛し愛される相手がいない」という一点の欠落だけで、自分を価値のない存在のように感じてしまうのは何故なのか?
(略)
 これさえ解ければ、女たちは今よりずっとラクに生きられるような気がするのだ。「視られる性」としての自意識を過剰に発達させ、摂食障害や恋愛依存といった地獄にハマってしまう女たちも、この「愛し愛される事」への執着さえ解ければ、もつれていた糸がほどけるように、するりと袋小路から抜け出せるのではないか。


今、ネットに「男子よりダンス」というGoogleのCMが流れていますが、あれを見るたびに「そうだよな」と思いますね。私もよく女友達に「(大事なのは)恋人より友達だよ」と言ってましたが、これは、そんな「女としての袋小路」から抜け出す方途を探る本だと言ってもいいかもしれません。それがこの本がすぐれたフェミニズムの本だと思うゆえんです。

一方で、50歳をすぎて閉経した中村うさぎにも”老い”の影が忍び寄ってくるのはいかんともしがたいのです。中村うさぎは、率直にこう書いていました。

(略)私は怖い。自分が抗いようもなく変わってしまい、しかもそれが思春期の変化とは違って「成熟」や「成長」ではなく「老化」と「衰退」であることがわかっているのだから。なおさら絶望的な気分になる。これから、ゆっくりと、いろんなものを喪失しながら、私は生命の終わりへと歩んでいく、その道のりが怖い。


私は若い頃、年をとったら世間の人間から「エロじじい」と言われるような老人になりたいと冗談まじりに言ってましたが、実際はとてもじゃないけどそんな体力も気力も勇気もありそうにありません。でも、それでもできる限り無駄な抵抗をして、少しでも規格外の老人になりたいと思っています。その意味でも、これから”老い”と向かい合う中で中村うさぎがどう変わっていくのか、残酷なようですが、すごく興味があります。

>>『私という病』
2011.01.05 Wed l 本・文芸 l top ▲