今日、横浜では桜の開花宣言があったそうです。しかし、やはり今年は桜どころじゃないかもしれません。花見の話題なんてほとんど耳にすることはありません。

朝、ひとつ手前の駅で下車して、自宅の最寄り駅との間にあるスーパーに寄りました。ティッシュが底をついたからです。花粉症の人間にとって、ティッシュがないのはつらいものがあります。幸いにも数個残っていましたので、どうにか手に入れることができました。

午前10時すぎの開店間際でしたが、既に店の周辺には自転車がびっしり止められ、駐車場もほとんど満車の状態でした。店内も買物客でごったがえしており、既にレジには行列ができていました。

買物客が群がっている一角があったのでなんだろうと思ったら、ペットボトルの水を販売しているコーナーでした。でも、乳児がいるような若い母親は皆無で、大半は中高年の専業主婦と既にリタイアしたとおぼしき初老の夫婦でした。知り合いの共稼ぎ家庭の奥さんが、「仕事が終わってスーパーに駆け込んでも、めぼしいものは売り切れている」と嘆いていましたが、たしかに平日、午前中の早い時間にスーパーに行けるのは、時間に余裕のある人たちなのです。そして、我先に品薄の商品を買い漁っていくのです。

枝野官房長官が記者会見で、水は「乳児のいる家庭に譲っていただきたい」と言ってましたが、そんな”思いやりの精神”なんて夢のまた夢のようです。「バカ正直なことをしていると自分が損をする」というのが彼らの本音なのでしょうが、考えれみれば、彼らのエゴは今にはじまったことではないし、そもそもそういったエゴは彼らに限った話ではないのです。

横浜では「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」がホントに多くて、彼らは電車が駅に着いても降車口をふさぐように立っていて、おりる人がいてもお構いなしに目を血走らせて電車に乗り込んでくるのですが、それはなにも中高年の人たちばかりではありません。それこそ老若男女を問わず、サラリーマンでもOLでも小学生でも高校生でも大学生でも同じです。

また、駅のエスカレーターでも横からどんどん割り込んでくるので、列のうしろに並んでいる正直者はいつまでも経っても前に進まないという、まるで北京や上海のような光景も横浜ではおなじみです。そういったエゴまる出しの日常を考えれば、スーパーの買いだめなんて驚くにあたいしないのかもしれません。

しかし、私は、これを「いいか悪いか」で見ることはできないように思います。もともと人間というのは、そういうものではないかという気持があるからです。坂口安吾は、敗戦直後の焼け跡闇市を前にこう言い放ったのでした。

 戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。(『堕落論』)


私は、この言葉に今の状況にも通じるリアリティを覚えてなりません。

2011.03.30 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
山下公園3413

山下公園3415

関東地方はここ数日、冬に逆戻りしたかのような寒い天気がつづいています。気温はそんなに低くないものの、風が強くて気温以上に冷たく感じられます。しばらく小康状態だった花粉症も再び息を吹き返したみたいで、今度は鼻水が止まりません。このブログでも書きましたが、シーズン当初は目の痒みに悩ませられ、それがいったん治まったかと思ったら、今度は鼻水です。

今日は始終鼻をかみながら、久しぶりに山下公園から赤煉瓦倉庫、みなとみらいまで散歩しました。節電の影響で、駅では停止しているエスカレーターも多いので、階段の上り下りが結構しんどくで、それだけでも散歩をしなくてもいいくらい効果大です。そういえば、最近「ちい散歩」ごっこの中高年の姿がめっきり少なくなったような気がします。電車も間引き運転をしているので、出かけるのがおっくうになったのでしょうか。

みなとみらいもいつもの休日に比べて人出が少ない気がしました。ただ、若者向けのショップが多いワールドポーターズは春休みになった子どもたちで賑わっていました。

福島原発の放射能汚染と計画停電の影響で、地域経済がこれから深刻度を増していくのは間違いないでしょう。まだはじまって2週間しか経ってないのです。それでも既に売上げが30%落ちたとか、中には半分だとか3分の1だといった話もあるくらいです。でも、計画停電はこれから夏も冬も行われると言われています。個人商店にとっては死刑宣告にも等しい話です。

静かに進行するパニック。この事態は、メルトダウンしてコントロールできなくなった原子炉と同じで、国家秩序の溶解へとつながっていく懸念さえあります。今のパニックも、既に国家が国民の消費行動をコントロールできなくなった証拠でしょう。節電ムードや「がんばろう!ニッポン」キャンペーンで、一見国家的な紐帯は強くなっているような印象を受けますが、実際はまったく逆のように思います。私のまわりでも、政府や東電が発表する「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」情報について、額面通りに受け止めている人間なんてほとんどいません。誰も信じてないのです。

少なくとも、東浩紀が言うように、「日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。」(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)とはとても思えません。

 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。

 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日


そうでしょうか。もちろん、東北地方のきびしい気候風土のなかで培われてきた相互扶助の精神は、避難生活の中でも生きているでしょう。しかし、この震災とそれにつづく福島第一原発の事故によって、国民に植えつけられたトラウマは、国家(秩序)への不信のそれでしかありません。

今、福島第一原発周辺での高濃度の放射性物質の存在がつぎつぎとあきらかになってますが、それは放射性物質とともに、”真実の情報”も原子炉格納容器から漏れ出てきたと言えなくもなく、その衝撃度はこのような能天気な回帰主義も吹っ飛ばすくらい大きなものがあるはずです。

この”危機”が今後どのような方向に向かうのか、まったく見当もつきませんが、やがて新しい秩序が築かれるとしても、それは東浩紀が言うような回帰的な場所ではなく、むしろ国家と距離をおいた(国家的紐帯の緩い)、言うなれば”東浩紀的啓蒙”とは真逆の場所に築かれるような気がします。この大震災とそれにつづく福島第一原発の(実質的な)メルトダウンは、それくらい大きな価値転換の出来事だと言ってもいいのではないでしょうか。

2011.03.27 Sun l 震災・原発事故 l top ▲
我が家もトイレットペーパーが残り少なくなったので、今朝、駅の近くにあるスーパーに行きました。しかし、行ったのは午前10時すぎの開店間際でしたが、既に「売切れ」でした。ティッシュや米もありません。それどころか、東京の金町浄水場から規制値を上まわる放射性物質が検出されたというニュースの影響で、水やお茶のペットボトルも全滅で、ガラガラの棚にはポツンと数本のCCレモンが残っているだけでした。店員に聞いたところ、「開店して数分でなくなった」そうです。

そういえば、開店間際なのに、いつもより店内はごった返していました。見ると乳児のいるような若い母親の姿は意外と少なくて、大半は買いだめの主犯だとヤユされている中高年の女性たちです。まるで悪霊にとり憑かれたように米だトイレットペーパーだティッシュだと買いだめに走り、今度はミネラルウォーターに殺到したのでしょうか。彼女たちにとっては、今や買いだめはバーゲンに走る感覚と同じなのかもしれません。

ただ、同じ横浜でも戸塚あたりに行くとやや様相を異にするのです。前日も戸塚に行ったのですが、駅前のスーパーの棚には米が積まれていました。たまたま品出しをした直後だったのかもしれませんが、しかし、お客が殺到するというようなことはありませんでした。戸塚在住の知り合いに聞いても、米やトイレットペーパーに関しては、「充分あるとは言い難いけど、なんとか見つかる」と言ってました。ということは、やはり大倉山の方が買いだめに走る人が多いのでしょうか。あるいは一部で指摘されているように、個々のスーパーの対応能力の問題もあるのかもしれません。

もっとも政府の発表を見ると、人々が不安に駆られるのはわからないでもありません。IAEA(国際原子力機関)からも情報の開示が足りないと指摘されましたが、言ってることがわけがわからないのです。基準値の数倍の放射性物質が検出されても、「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」と必ず付け加えられますが、じゃあ基準値の「基準」とは一体なんだったんだ?と言いたくなります。すると、基準値はあくまで「暫定基準値」で、余裕をもたせて設定しているので心配ない、とあと出しジャンケンのように言うのです。それじゃ「基準」の意味がなくなってしまいます。

野菜から放射性物質が検出されても、仮にそれを1年間食べ続けても放射線量はCTを1回受けたときの半分にも満たないとかなんとか、目くらましのような説明をしていますが、素人からみても、外部被爆と内部被曝(体内被曝)を単純に比較するのは無理があるように思えてなりません。体内被爆の怖いところは放射性物質が一定期間体内に蓄積される(蓄積されて恒常的に被爆を受ける)ことなのです。それじゃ不安は増幅こそすれ解消されないのは当然でしょう。

もちろん、「現段階から推測すれば、今後広範囲の地域の空気や水や野菜や魚介類から放射性物質が検出される懸念があります」「除染しても食物連鎖によって放射性物質が人体にとり込まれるので、その結果、人体が影響を受ける可能性があります」なんて言ったらパニックになるでしょうから、パニックにならないように慎重な言い回しをするしかないのでしょう。そもそも量が多かろうが少なかろうが、「人体に影響のない」放射能なんてあるはずがないのです。

どう考えても、実質的にはもうパニックははじまっている気がします。というか、いづれにしてもパニックは避けられない。それが原発事故の怖いところです。廃炉するにしても10年以上かかるそうですが、環境や人体への影響を考えれば途方もない時間が必要です。文字通りパンドラの箱は開けられたのです。もうあと戻りはできない。だから、自分の身を自分で守るというのは当然のことで、決して「過剰反応」なんかではないと思います。

計画停電が地域経済に与える影響は考えている以上に深刻で、そういったことも相まって、このパニックがこれからどう進行し拡大していくか心配です。その意味では、ホントの”危機”はこれからはじまるのではないでしょうか。
2011.03.24 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
今日、テレビをみていたら、東京電力の「ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます」「節電にご協力ください」というお詫び広告が流れていたのでギョッとしました。もちろん、これは無料ではないはずです。CM放映料が(それも大金が)電通かどこかの広告代理店を通して各テレビ局に流れているはずです。

計画停電のグループ分けにしても、ネットなどによる情報収集ができない高齢者所帯などは、自分がどこのグループに入っているのかさえわからないケースもあるといわれています。そんなお金があるなら、どのグループに入っているのか、各戸にチラシを入れるくらいの心遣いがあってしかるべきだと思いますが、この広告の狙いはそんなところにあるのではないのでしょう。

要するに、これはマスコミ操作(マスコミ対策)なのです。福島第一原発の一連の経緯の中でも、マスコミの前に出てくるのは6人いる(らしい)副社長ばかりで、社長はほとんど姿を見せていません。昨日、6分の1人の副社長が、大名行列のように部下を引き連れ避難所に謝罪に赴いたシーンが出ていましたが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというわけか、ネットでは副社長の態度が「不遜だ」「ふてぶてしい」などという批判がありました。言われてみればたしかに、東電の幹部達はどことなく頭が高くて、民間会社の社員というより役人のような感じを受けます。今回の原発事故で、国が負担する賠償総額は1兆円をはるかに超すだろうといわれていますし、当然、東電にも賠償責任が生じるはずですが、しかし、東電が倒産することは絶対にないのです。東電は倒産しない特殊な会社なのです。

今回のお詫び広告が、CMが封印され収入減に苦しむテレビ局の足元をみた東電の戦略とみるのは穿ちすぎでしょうか。少なくとも、原発建設では、東電はそうやって札束でマスコミや地元自治体をねじ伏せてきたのでした。それが東電のやり口でした。かつての耐震偽装や食品偽装の報道などと比べると一目瞭然ですが、今でも東電に対してマスコミの報道はどこか及び腰です。しかし、これからますます表立った批判は姿を消すのではないでしょうか。その結果、なにが問題でどこに責任があるのかがあいまいな、わけのわからない報道ばかりがたれ流されることになるのです。そして、そんな場合必ず出てくるのが、「今は批判している場合じゃない」というマスコミの常套句です。

もうひとつ、気をつけなければならないのは、マスコミによる美談作りが既にはじまっているということです。特に福島第一原発の対応に当たる東電の社員や自衛隊員や消防職員の「勇気ある行動」などをやたら持ち上げる報道が目立ちますが、しかし、その背後には今回の事故で数万人の住民が避難生活を余儀なくされ、今後の生活の不安にさらされている理不尽な現実があることを忘れてはなりません。テレビのアナウンサーがよく「私たちのためにがんばってくれている現場の作業員の方々」という言い方をしますが、それが作業員(その多くは下請けの社員だと言われていますが)個人に対して言うのならわかります。でも、東電に対しては「そんなの当たり前だろう」と言いたくなります。でも、いつの間にかそう言えない、言いづらい空気になりつつあることも事実です。

明日開催される選抜高校野球にしても同様です。被災地から出場する東北高校は万雷の拍手で迎えられ、多くの美談に包まれるのでしょうが、被災地では東北高校が出場することに多くの異論があったことも忘れてはなりません。それに、ダルビッシュや宮里藍の例をあげるまでもなく、東北高校は全国からスポーツに秀でた生徒を集めた学校なので、そんなスポーツコースの選手達をみれば「地元代表」とは言い難い一面があることもたしかでしょう。

過度な自粛ムードは問題だとは思いますが、そもそも選抜高校野球はホントに開催すべきだったのかという疑問はぬぐえません。どこかの出場校の選手が「野球によって被災地の人達に勇気を与えることができればと思います」と言ってましたが、一体この言葉になんの意味があるのかと思います。よく耳にする言葉ですが、こういったマスコミが捏造した空疎な言葉を高校生に言わせる大人達は、実に悪質だなと思います。「純粋無垢な高校球児」というイメージも同様ですが、ホントは新聞社や高野連に、ソロバン勘定も含めた開催しなければならない”大人の事情”があるのでしょう。そして、そんな裏の事情を隠ぺいするために、東北高校が格好のヒーローに仕立て上げられるというわけでしょう。NHKのアナウンサーが美辞麗句を乱発する場面が目にみえるようで、想像するだけでもおぞましい気がします。

しかし、そんな美談に関係なく、被災者の苦難はこれからもつづくのです。それだけは間違いない。
2011.03.22 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
渋谷の代々木公園にも福島ナンバーの車が集まっているというニュースがありました。福島第一原子力発電所の事故で退避勧告を受けて避難してきた人達なのだそうです。 まるで流浪の民みたいですが、政府はただ「避難しろ」と言うだけであとはかまってられないというわけなのでしょうか。数万単位の住民がこうやって行き場を失い途方に暮れているのです。海外メディアではないですが、これで略奪や暴動がおきないのが不思議なくらいです。

今日のテレビで、自宅が津波の被害にあって父母と連絡がとれないにもかかわらず、老人ホームで入所者の老人や避難してきた人達を明るく献身的に世話をしている管理栄養士の女性が紹介されていましたが、被災地にはこんな天使のような人もいるのです。

内田樹氏は、朝日新聞のインタビューで、阪神大震災のとき、住んでいたマンションが半壊して、小学校6年の娘と一緒に近くの小学校の体育館で3週間の避難生活を送った経験から、つぎのように言ってました。

被災経験から言えることは、被災者は「失ったもの」を数えないこと。命あってのものだねだと、「手元に残ったもの」を数え上げてみる。希望を持つ。希望を持っている人間はしのげる。そして最後は人情にすがる。16年前、人の情が身にしみた。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月17日1時20分配信)


同じ苦難の中にあっても、「人の情」をかけてくれる人がいるのです。自分もできればそういう人間でありたいと思いますが、いざとなったら自分のことだけで手いっぱいで、そんな余裕はないかもしれません。でも、そうやって情けをかけてくれる人に心から頭をさげることくらいはできそうです。せめてそのくらいの人間ではありたいと思います。
2011.03.18 Fri l 震災・原発事故 l top ▲

 東日本大震災を受けて在日フランス大使館は13日、余震の可能性や福島第1原発での事故を踏まえ、首都圏にいるフランス人に対し、滞在すべき特段の理由がない場合は数日間、関東を離れるよう同大使館のウェブサイトで勧告した。

 日本への旅行を計画している市民には旅行延期を呼び掛けた。(共同)
(msn 産経ニュース 2011.3.13 22:38)


 イラク、バーレーン、アンゴラの東京の在日大使館が一時閉鎖することになった。福島第一原発の事故で退避したとみられる。
 外務省によると、イラク大使館については16日付で連絡があり、17日に閉鎖すると伝えられた。バーレーン、アンゴラの両大使館は15日付で連絡があった。在東京のパナマ大使館も神戸市に大使館の機能を移したという。

 東京のオーストリア大使館も15日、大使はじめ館員の大半が東京を離れ、大使館機能を大阪市内の名誉総領事館に移した。

 大阪で勤務を始めたシュテファンバストル大使は16日、朝日新聞の電話取材に「東京の停電や交通事情のほか、万が一の時の空港の利便性も考えた。原発の状況が不透明なので本国と協議して大阪に移った」と述べた。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月16日21時16分)


 【北京=峯村健司】中国外務省は15日夜、東日本大震災の被災地にいる中国人に対し、避難勧告を出した。福島第一原子力発電所で発生した事故を受けた措置で、在日大使館や新潟総領事館は、宮城、福島、茨城、岩手4県に避難用のバスを派遣し、成田、新潟両空港から帰国させる準備を進めている。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月16日22時37分)


これを過剰反応だと笑うことができるでしょうか。唯一の被爆国である日本は、放射能に対してはとりわけ神経質だと言われてきましたが、今回の東電福島第一原発の問題に関しては、退避勧告を受けた地域の住民以外は案外のんびり構えているような気がしてなりません。

既に首都圏の大気中でも放射性物質が検出されていますが、半径20キロ圏という退避勧告にどれだけ合理的な根拠があるのかわかりません。アメリカ政府は現段階では「80キロ」と設定しているようです。

 【ワシントン=望月洋嗣】米国防総省のラパン副報道官は16日、東日本大震災の救援活動にあたる米海軍などの要員に対し、福島第一原発の半径約80キロ以内への立ち入りを禁止したことを明らかにした。「救援活動に際しての米兵の安全を確保するため」としている。

 日本政府は同原発から半径20キロ以内には避難を、20キロから30キロ以内では屋内退避を指示している。国防総省は、航空機を運用する兵士らには、同原発から約112キロ以内に近づく際は、ヨウ素剤を服用することを義務づけた。
     ◇
 在日米大使館は17日未明、日本に滞在している米国市民に対し、福島第一原発の半径約80キロ圏内からの退避を勧告した。退避が困難な場合は、室内に残るようにとしている。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月17日4時41分)


今回の事故で私は二つの”不幸”があったように思います。ひとつは、言うまでもなく菅政権(民主党政権)の存在です。「計画停電」でもそうですが、どこが「政治主導」だと言いたくなるほど、情報を管理する東電にただふりまわされるだけなのです。原子炉の冷却に海水を利用するのが遅れ、問題を深刻化させた件でもそうですが、我々素人目で見ても、ただ右往左往するだけで、そのテイタラクは目を覆うばかりでした。経産省の原子力安全・保安院にしても、囲碁番組の解説者のように、ただ東電が小出しにする情報を追認しもっともらしく解説するだけなのですから、お話になりません。

もうひとつの”不幸”は、テレビなどで解説している学者や専門家が今まで「原発は安全だ」「地震がきても大丈夫だ」と言ってきたような御用学者ばかりだということです。彼らの(事態をできるだけ小さく見せる)デマゴーグが、上記のような日本と海外の現状認識の違いになっているように思えてなりません。

かつては原発に警鐘を鳴らす声がたくさんありました。しかし、東電をはじめとする各電力会社は、政府やマスコミと一体となって反対論を徹底的に封じ込め、”原発ファシズム”ともいうべき「もの言えば唇寒し」環境をつくってきたのでした。東電OL殺人事件の際も、そういった”東電の闇”との関連を指摘する声があったくらいで、原発反対運動を治安問題として扱い、地域住民の監視・思想調査や警察による取締りが徹底されたのもよく知られていることです。そして、マスコミは電力会社の巨額の宣伝費に、地元自治体は国の原子力行政によってばらまかれる交付金と原発がもたらす雇用に、ひれ伏し沈黙したのでした。また、多くの芸能人が直接間接を問わずクリーンエネルギーとしての原発の宣伝に関与してきたのも事実です。

このような異なる意見を排除した環境が”不幸”をさらに増幅させたような気がしてなりません。それは独裁国家がやがて行き詰まり崩壊していく過程と似ています。まして科学というのは治安問題でも政治問題でもないはずです。そのうち真実があきらかになっていくでしょうが、決してオーバーではなく、もうとりかえしがつかないほど事態が切迫しているのは間違いないでしょう。
2011.03.17 Thu l 震災・原発事故 l top ▲
神奈川でも地震に伴う混乱がつづいています。つい数日前までいつものように棚に並んでいた商品が忽然と姿を消したのでした。

米・パン・カップ麺・トイレットペーパー・乾電池などが姿を消しました。スーパーやコンビニなどに行っても棚はガラガラで、ひとつとして残っていません。最近はコンビニの弁当も品薄気味です。

我が家も米がなくなったので、昨夜は深夜の散歩のついでに何軒かのコンビニをまわりましたが、影すらありませんでした。そんな中、周辺の道路が渋滞するほど客が殺到して、ちょっとした騒ぎになっているところがありました。ひとつはドン・キホーテです。スーパーが通常より早く店じまいしているため、迷える人々が深夜営業のドンキに殺到しているのです。もうひとつは、ガソリンスタンドです。関東近辺ではガソリン不足も深刻で、早朝にガソリンが入荷するという噂を聞きつけた車が、そうやって前夜から国道に長い行列を作っているのでした。

買いだめによって、このようなパニックがおきているのです。特に昼間、時間をもてあましている中高年のおっさんやおばさんたちが、アリが餌を運ぶように、せっせせっせとスーパーをまわって買いだめしている姿が目につきます。これは「計画停電」に対する過剰反応だけではないように思います。被災地へ支援にまわる前に自分達の分を確保しなければという心理がはたらいているような気がしてなりません。「被災地のことを考えれば、買いだめは慎まなければならない」と考えることは、そんなにむずかしいことなのでしょうか。

知り合いの若者が「スーパーでおばさん同士がカップヌードルを取り合ってケンカしてましたよ。アホでしょ」と言ってましたが、若者の方がはるかに真っ当です。海外のメディアでは略奪もない日本人のモラルの高さが称賛されているそうですが、そう言われるとなんだか面映ゆい気がしないでもありません。略奪はないけれど買いだめはあるのですから。

社会学ではフランスの「オルレアンの噂」が有名ですが、やがてそれはユダヤ人差別と接続され大衆扇動に転化したのでした。日本でも関東大震災の際に悲惨な朝鮮人虐殺がありましたが、それもまったく同じ構造でした。井戸に毒を入れたという噂に煽られ、朝鮮人や朝鮮人に間違われた日本人の頭上に斧を振りおろしていったのは、なにも特別な人達ではありません。普段は東京の下町に住む良き夫であり良き父親であるような、ごく普通の「善良」な人々だったのです。それが非常時の不安心理の中で、彼らの日常性の本質(「テロルとしての日常性」)がキバをむいて露出したのでした。私たちは決して「善良」なんかではないのです。ただ差別と排除の力学によって、そのように仮構されているにすぎないのです。
2011.03.15 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
午後2時半すぎ、シャワーを浴びているときでした。突然、大きな揺れに見舞われたのです。浴室が左右にグラグラ揺れ、立っているのもままならないくらいでした。私はあわてて裸のまま浴室の外に出て、下着を身に付けました。しかし、だからといってどうすればいいのかわかりません。ただオロオロするばかりでした。そして、何度かの揺れのあと、やっと揺れがおさまりました。

風呂からあがると、すぐにテレビをつけました。テレビには「只今、関東から東北地方にかけてかなり大きな地震がありました」というテロップが流れていました。しかし、私は夕方知人と会う約束をしていたので、そのまま身支度をして出かけました。

駅前通りを駅に向かっていると、電気店の店頭のテレビの前に人が群がっているのが見えました。さらに駅の近くに行くと、駅から人があふれ、舗道を埋め尽くしているのが見えました。それでもまだ私はピンときませんでした。ただ漠然と、地震で電車がとまっているんだろうと思っただけです。ただ、このままでは待ち合わせの時間に遅れる可能性があるので、とりあえず知人に連絡しようと、携帯電話を取り出しました。ところが、携帯がまったくつながりません。

それで、私は、いったん自宅に戻ることにしました。東横線が動かないなら、新横浜まで歩いて、地下鉄で行けばいいやと思ったのです。

舗道を自宅の方に戻っていると、突然、リュックを背負った中年女性から声をかけられました。どうやら大倉山公園に梅をみに来た人のようです。途方に暮れた様子で、「横浜まで帰りたいんですが、どうすればいいでしょうか?」と言うのです。

「横浜って横浜駅ですか?」
「そうです。そこから相鉄線に乗りたいんです」
「うーん、そうなると新横浜駅まで歩いて、市営地下鉄で行くしかないですね」
「新横浜にはどう行けばいいんでしょうか?」
「え~と、新横浜はこの道をまっすぐ・・・」
と道順を教えようとしていたら、近くに立っていた男性が「地下鉄もとまってるよ」と言うのです。

「エッ、地下鉄もとまっているの?」
私は驚いてそう聞きかえしました。地下鉄もとまっていると、私も待ち合わせの場所に行けないのです。
「そうだよ。全部とまっているよ」「どうしようもないよ」
それを聞いた中年女性は「そんな・・・」と言ったきり絶句してしまいました。

私は、「これはやっかいなことになっているかも」と思いながら、急ぎ足で自宅に戻り、再びテレビをつけました。テレビでは固定カメラで撮った仙台かどこかのテレビ局内の「地震直後の様子」がくり返し放送されていました。でも、まだ詳細な被害は不明のようでした。

私は、自宅の固定電話で知人の勤務先の病院に電話をしました。電話口に出た受付の女の子もあわてている様子がうかがえました。知人のPHSに転送してもらったのですが、「手が離せないみたいで」出ないと言うのです。それで、今日の約束をキャンセルするよう伝言を頼んで電話を切りました。

それから私はずっとテレビの画面に釘付けでした。伝えられる被害状況は時間の経過とともに拡大するばかりでした。アナウンサーの声も切迫感を増していました。一方、交通がマヒした首都圏では、帰りの足を失った人々がターミナル駅にあふれ、唯一運行を再開した都営バスに長蛇の列を作っている様子が映し出されていました。公共施設に臨時の宿泊所が設けられることになったというニュースも流れていました。待ち合わせどころの話ではなかったのです。

そうするうちに、テレビは海沿いの街が一面赤い炎に包まれている空撮の画面に切りかわりました。炎の下から人々の阿鼻叫喚が聞こえるようで、まるで地獄絵をみているような光景でした。事態がとんでもない方向に進行していることだけはわかりました。それから私は、まんじりともせずに点けっ放しのテレビとともに朝を迎えたのでした。
2011.03.13 Sun l 震災・原発事故 l top ▲
花粉症のシーズンははじまったばかりですが、既にグロッキー気味です。今年は去年に比べて花粉の量が10倍だとか言われていましたが、想像以上です。病院で処方してもらった薬を飲んでいますが、あまり効果がありません。特に目がひどい。目薬(点眼薬)も処方してもらってますが、全然効きません。痒くなったらもうどうしようもなくて、目ん玉をくりぬきたくなります。そのたびに洗浄液で目を洗っていますので、目のまわりがヒリヒリしています。少なくとも花粉症は来月いっぱいまでつづきますので、まだまだ先は長いのです。考えただけでも憂鬱です。

ところで、今、京大のカンニング事件がマスコミを賑わせていますが、なんともやり切れない事件ですね。犯人の予備校生は、高三のときに父親を亡くし、それで「学費の安い京大に入りたかった」と供述しているそうですが、そんな話を聞くとよけいやり切れなさがつのります。私も大学受験に失敗して、九州から上京して東京の予備校に通いましたが、今考えれば、よく親がお金を出してくれたなと思います。というか、よくそんなお金があったなと思います。

私は家族から「銭食い虫」と言われていましたが、後年、お金のことで親と話をしていたとき、「オレん名義になっちょる山を売ればいいじゃん」と言ったところ、父親が「なに言ちょるか、あんな山とっくにねぇぞ」と言うのです。

「なんで?」
「お前んために売っちしもうた」
さすがにそのあと言葉が出ませんでした。

京大がみずからの監督の不備を棚にあげて(しかも、大学の自治を放棄して)警察に被害届を出したことに対して、一部から批判が出ているそうですが、京大の対応は、教育的配慮のカケラもない小役人的な事なかれ主義のそれでしかありません。京大新聞もスクープだとか喜んでいる場合ではないと思いますが、学生も五十歩百歩ですね。結果、被害届を受けた京都府警は偽計業務妨害なる犯罪に無茶ぶりして、異例の逮捕に踏み切り、警察と連動したマスコミはまるで凶悪犯人であるかのように予備校生を晒し者(現代版市中引き回しの刑)にしたのでした。山形の実家の近所で「どんな子どもでしたか?」と聞いてまわるあの周辺取材こそ犯罪と言うべきでしょう。あれがマスコミの言う「言論の自由」なのでしょうか。入試は滞りなく行われたので、偽計業務妨害での起訴は無理だろうという専門家の意見もあるくらいで、要するに一罰百戒の見せしめのための逮捕だった公算が大です。(おそらく「社会的制裁を受けた」という理由で、起訴猶予になるのではないでしょうか)

コンビニの前でウンコ座りしているどうしようもない若者とは違うのです。「このくらいのことで」とは言いすぎかもしれませんが、このことで予備校生の将来が閉ざされてしまうのはせつないですね。じゃあ、裏口入学やコネ入学はホントにないのか、正義ヅラする記者達もコネ入社じゃないのか、と言いたくなります。

予備校生は予行演習も兼ねて早稲田でもカンニングしていたようですが、考えてみれば早稲田の一芸入試やスポーツ入試だっておかしな話なのです。今回の事件で、真面目に勉強している受験生がバカを見るという意見がありますが、それを言うならまずヒロスエや卓球の愛チャンに言うべきでしょう。モラルハザードはネットなんかより大学の中からおきているのですから。
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