時事ネタがつづきますが、今日のYahooニュースに「<北九州つめ切り事件>無罪確定看護師の解雇撤回で和解」と題して、つぎのようなニュースが掲載されていました。

 北九州八幡東病院(北九州市)で07年に起きた「つめ切り事件」で傷害罪に問われ、無罪が確定した看護師の上田里美さん(45)が病院側に地位確認などを求めた訴訟は18日、福岡地裁小倉支部(岡田健裁判長)で懲戒解雇撤回を柱に和解が成立した。

 病院を運営する特定医療法人北九州病院は和解について「裁判所の2度の和解提案に応じるべきだと判断した」と説明。懲戒解雇の撤回理由として、(1)刑事裁判の無罪確定(10年10月)(2)北九州市の虐待認定撤回(11年8月)の2点を挙げた。

 上田さんの代理人の東敦子弁護士らによると、和解では「上田さんが10年10月末で病院を円満退職した」とし、医療法人が未払い賃金や退職金などを支払うことで合意した。

 上田さんは記者会見で「無罪判決、虐待認定の撤回、そして今日の和解成立と一つ一つ問題が解決できたことが何よりの喜び」と語った。【内田久光、西嶋正法】
(毎日新聞 11月18日(金)21時41分配信)


認知症患者の足の爪をケアするために肥厚した爪を切った際、爪床部分を出血させたことに対して、担当した看護師が傷害罪に問われたこの事件について、知り合いの看護師たちも「ショックだ」「信じられない」「これじゃまともなケアもできない」と言ってましたが、多くの認知症患者を抱える療養型の病院ではいつでもどこでも起こりうる事件だと言ってもいいでしょう。

密室で自白を強要する警察の見込み捜査、警察発表そのままに逮捕された看護師を「鬼看護師」と書きたて、「犯罪者」に仕立て上げたマスコミ、ここにはいつもの冤罪の構図があります。しかし、この事件に加担したのは、警察やマスコミだけではないのです。患者の家族や行政も加担していると言うべきです。

教育現場でのモンスターペアレントと同じように、なにかにつけクレームをつけてくる家族の存在に頭に悩ましている医療関係者も多いはずです。彼らがふた言目に口にするのは、「医療過誤(ミス)」と「虐待」です。病院に対する不信や不満がときに現場の看護師や看護助手たちにぶつけられるのですね。そして、この事件でもそうですが、行政に首根っこを押さえられている病院も、事なかれ主義で問題を処理しようとするのです。

行政にしても同様です。医療ケアと犯罪の見極めなど簡単についたはずです。しかし、いざとなったら小役人的な事なかれ主義に走るのです。医療監視なんて偉そうな権限をもっているわりには、医療現場の現実がまるでわかってないのです。

この冤罪事件の重さをいちばん認識しているのは、現場の看護師や看護助手たちですが、警察やマスコミや行政が同じように認識しているかは疑問です。
2011.11.19 Sat l 社会・メディア l top ▲
ジャイアンツワッペン

巨人軍の内紛を考えました。

この内紛劇は、世のサラリーマンたちに格好の話題を提供したようです。どこに行ってもその話題でもちっきりです。まさにサラリーマン社会の縮図なのでしょう。

オーナー職を解かれる話さえあった桃井オーナーや原監督が、一転して清武代表を批判してナベツネに忠誠を誓うなど、まるで会社の派閥抗争をみているかのようで、私も昔のサラリーマン時代を思い出しました。裏切りと寝返りはサラリーマンの得意技です。永年サラリーマンをやっている人で、ホントに「いい人」なんて誰もいないでしょう。

私の知っている会社で、ある女子社員が上司の行状について本社の幹部に注進したのだそうです。しかし、結局会社を辞めることになったのは、その女子社員でした。今回の巨人の内紛でもそうですが、日本の会社にはまったく奇妙な組織の論理が存在しているのです。

ナベツネのような独裁者が日本一の発行部数をほこる新聞社の「主筆」なのですから、”老害”なんてレベルをはるかに超える深刻な問題があると言ってもいいでしょう。読売グループあげて、あることないこと書き連ねれば、ウソもホントになるのです。”清武落とし”はこれから本格化するのではないでしょうか。読売の記者がジャーナリストだなんて片腹痛いのです。

ベイスターズ決別宣言を行った山本哲士氏が、今回の内紛について、ブログで秀逸な分析をしていました。

ナベツネ問題は、個人の問題ではない、プロ野球界総体の根源的な悪の問題である、根深い。エンターテイメント・ビジネスにかならずのようにはいりこんでくる、ヤクザ的興行がマルクス主義的=スターリニスト的に変容したその典型でさえある。共産党くずれの大企業オーナーが、メディアや野球界を、スターリニストばりに支配している、「口をだす」という非経済関係の象徴界の場から、巧妙に統治術をはたらかせている、くさった企業経営の一方の典型がそこに見えている。「院政」的な、どこの企業にもかいまみられる日本的統治の残滓でもある。
日本の企業体が、おそろしくマルクス主義的であることは、左翼組織以上の実態であるのだが、その典型がプロ野球のナベツネ問題だ。
だが、オールド・ファシストとポストモダン・ファシストとの共謀が、それをささえつづける。
東電など、その典型であるのだが、プロ野球界も同じだ。組織の全体主義にしたがえば生活が保障されると云う仕組みだ。下までからみこんでいる。(ホスピタリティの場所【山本哲士公式ブログ】


ナベツネやその盟友であった氏家齊一郎前日本テレビ会長などのような左翼くずれが、経営者になった途端、左翼の組織原理を応用してとんでもない恐怖政治を敷くというのはよくある話です。日本の企業は、前の社長が後継社長を指名する「禅譲」が特徴で、さらに前の社長は会長職などにとどまり「院政」を敷くケースが多く、それがオリンパスや大王製紙などのように組織を腐ったものにしているのです。読売でもナベツネに指名されたい茶坊主たちが、ここぞとばかりに忠犬ぶりを競っているのは想像に難くありません。その意味でも、ニッポンのサラリーマンたちにとって、巨人軍の内紛は決して他人事ではないのです。
2011.11.14 Mon l 社会・メディア l top ▲
先日、「流通ニュース」に、「家電量販店市場/2012年は20%減の約7兆円」と題して、つぎのような記事が掲載されていました。

日本政策投資銀行は11月7日、世帯保有台数からみた家電量販店の市場規模予測(試算)を発表した。調査によると、2010年度にエコポイント効果やテレビの買換需要の先食いにより、家電小売市場規模全体は約8兆5000億円まで拡大したが、2012年以降は約2割市場規模が縮小し、約7兆円で推移するという。

市場の縮小要因として、テレビの販売減少がある。2010年のエコポイント政策と2011年のアナログ停波というダブルの要因による特需は、「代替需要」を先食いしただけであり、2012年以降は2010年比で約5割まで販売台数が減少し、今後さらに減少することはあっても、回復する可能性は低い。

単価下落を織り込むと、2012年以降のテレビの市場規模は2010年比の約45%程度まで縮小する試算結果となったという。

パソコンについても、買換需要などで販売台数が伸びるものの、単価の下落が続くと予想されるため、販売金額ベースでは、2012年は2010年比で市場規模が3割程度縮小し、その後も単価下落の影響から縮小傾向が続く見込みだ。

約7兆円という市場規模は1994年~95年と同水準であるが、テレビやパソコン、白物家電といった商品別の推計を踏まえると一定の整合性があるとしている。(2011年11月07日)


池袋や有楽町をはじめ、都内のターミナル駅周辺でも大型家電量販店が相次いでオープンするなど、私たちには益々競争が激しくなっているような印象があり(そのわりには価格はほとんど横並びですが)、それは同時に、市場も拡大しているかのような錯覚につながっています。しかし、現実はこのように市場が縮小すると言われているのです。私たちがマスコミなどを通してみている”現実”と、実際の現実はまったく違うのです。

「拡大再生産」は資本主義の宿命のようなもので、家電量販店に限らず、資本というのは、いったん走りはじめたらどこまでも突っ走っていかざるをえないのです。たとえ、先に待ちうけているのが奈落の底(恐慌)であってもです。その過程には、「先行者利益」や「残存者利益」といわれるものもありますが、それも多くのプレイヤーにとっては気休めでしかありません。

もちろん、TPPにしても然りです。JA全中や日本医師会などが出てくると、どうしてもTPP反対論者は既得権益を守ろうとする”守旧派”のように思われがちですが、実際はTPPが対米従属の踏み絵になっているのは否定できない事実でしょう。そして、TPPにも、根底にはアメリカが抱える「拡大再生産」という資本主義の宿命が伏在しているように思えてなりません。

「国を開く」ということと、TPPのように関税自主権を放棄して(実質的に)アメリカのいいなりになるということは、まったく別の問題です。TPPは世界に向かっているのではなく、単にアメリカに平伏しているにすぎません。どうもそのあたりがごっちゃになっているような気がします。もっとも全品目の平均関税率をみると、日本は韓国やアメリカより低いのだそうです。「開国」どころか、とっくに国は開かれているのです。にもかかわらず、政府やマスコミのように、TPPに参加することが「開国」になるのだと強弁するのは、(個人的には好きな言葉ではありませんが)「売国的」と言われても仕方ないのではないでしょうか。”対米従属愛国主義”ともいうべき如何にも「戦後的」で偏奇なナショナリズムをふりかざすフジ・サンケイグループは言わずもがなですが、TPPを「経済のグローバル化」なる一般論にすりかえて”開国論”を展開する、朝日新聞などの詭弁もきわめて悪質です。

農業に関しても、たしかに補助金で「保護」され、米や乳製品など特定の農産物の関税率が高いのは事実ですが、ただ農産物全体の関税率は、日本は韓国やEUより低いと言われています。農業一般に限っていえば、対外的には言われるほど「保護」されているわけではないのです。そのため、アメリカの本当の狙いは、いわゆる非関税障壁の撤廃(食品・環境・労働・金融・保険・医療分野などの開放)のほうではないかという指摘もあるくらいです。非関税障壁の撤廃は、以前より「構造改革」の名のもとにアメリカが要求していたことです。その先鞭をつけたのが小泉改革で、いわばTPPは小泉改革の延長上にあると言ってもいいのかもしれません。

日本医師会が言うように、混合医療が全面解禁されて、医療サービスに競争原理が導入されれば、実質的に国民皆保険制度が崩壊するのは目に見えています。大きな病院に行くと、よく「医療だけは平等だ」とか「誰でも等しく医療を受ける権利がある」とかいった”理念”が掲げられていますが、たとえそれが建前であっても、その建前すら姿を消すようになるのです。

よく言われる新薬の承認の問題にしても、諸外国に比べて時間がかかりすぎるのは事実かもしれませんが、あくまでそれは日本の薬事行政の問題であり、国内問題として改善すればいいだけの話です。別にアメリカに言われる筋合いではないのです。どうしてアメリカから要求されなければならないのか。そこにはアメリカの思惑があるからでしょう。テレビなどに新薬の承認を待ち望む難病患者が出てきて、「TPPに期待しています」と言うのは、どう考えてもおかしな話です。言うべき相手は、日本政府であり厚生労働省でしょう。

一方で、TPPによって製造業の空洞化が益々進むだろうと言われています。企業は、生き残りをかけて生産拠点を海外に移すでしょう。その傾向にますます拍車がかかるでしょう。そして、国内には本社機能や研究部門が残るだけです。その分、国内の雇用機会は奪われるのです。それはTPP推進論者も認めています。だから、彼らは「製造業に張り付いている労働人口をサービス業に移転する労働市場の改革も必要」だと言うのですが、製造業が空洞化して、それで生活していた多くの労働者の職が失われるような時代になってもなお、サービス業だけが繁栄して、より多くの雇用が必要になるとはとても思えません。

ネットでグローバリズムを礼賛する若者たちにしても、どう考えても大半はグローバリズムの恩恵とは無縁な人間たちです。まるでグローバル企業の経営者か世界を股にかけて仕事をする超エリートでもなったかのようなものの言い方をしていますが、現実には雇用を奪われ路頭に迷うような階層の人間たちでしょう。でも、彼らはそういった自分たちの生活やこれからの人生に対するリアリティを描けないのです。それは、シュンペーターの「創造的破壊」などを援用して、マスコミからの受け売りのTPP=開国論を口にする丸の内や新橋のサラリーマンたちも同様です。グローバリズムの時代では、彼らもまた将来のリストラ要員にすぎないのです。

このようなアメリカに従属したグローバリズムで国が発展するとは思えないし、私たちの生活や人生が豊かで幸せなものになるとはとても思えません。ただ、「グローバル化」という強迫観念にせきたてられ、この閉塞した状況をTPPで一点突破できるような幻想にかられているだけのようにしか思えません。
2011.11.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
島田紳助引退でにわかに脚光を浴びた「暴力団排除条例」に関して、背景に警察の利権拡大の思惑があるという声もありますが、なんだかオウムの一連の事件によって、公安調査庁が生き返ったという話と似ている気がします。しかし、だからといって、オウムの犯罪が免罪されるわけではないのです。それは「暴力団排除条例」も同じでしょう。

その「暴力団排除条例」に関連して、昨日、民放連(日本民間放送連盟)が、都内で開かれた民間放送60周年記念全国大会で、新たに「反社会的勢力に対する基本姿勢」を策定したという新聞記事がありました。それによれば、(1)市民としての良識を持ち「放送基準」や「報道指針」を守る、(2)介入のすきを与えないために社内一丸となり行動する、(3)暴力団排除条例で、契約相手が反社会的勢力でないことを確認する努力義務規定が設けられていることに留意する、という3点が「基本姿勢」としてあげれられているそうです。相変わらず言うことだけはご立派なのです。

テレビについて、私が前からおかしいんじゃないかと思っていることがあります。それはタレントや歌手が所属していたプロダクションから独立した場合です。なぜか決まって独立をめぐって「トラブル」がおきるのです。そして、件のタレントがテレビから消えるのです。仮にタレントとプロダクションの間で、「トラブル」があったとしても、テレビ局は関係ないはずです。しかし、独立したら仕事を干されるという芸能界のやくざなオキテに、なぜかテレビ局も一枚かんでいるのです。それで、「市民としての良識を持ち『放送基準』や『報道指針』を守る」とか、「介入のすきを与えないために社内一丸となり行動する」とか、よく言えるもんだと思います。

そういったテレビ局と芸能プロとのズブズブの関係が、とかく噂のあるプロダクションを一大勢力としてのさばらせ、島田紳助や橋下徹や北野武を高登りさせることになったのではないでしょうか。一方で「暴排条例」に関連して、「芸能界のご意見番」だの「演歌の大御所」だの「毒舌お笑い芸人」だの「ニューミュージックの旗手」だの「”夏バンド”のミュージシャン」だの、さまざまな噂が飛び交っていますが、そういった「大物芸能人」たちの”黒い交際”を見て見ぬふりをして、臭いものに蓋をしてきたのも同じでしょう。

なんのことはない、テレビ局の「反社会的勢力に対する基本姿勢」こそカマトトと言うべきなのかもしれません。
2011.11.02 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲