Google

最近、ネットでGoogleに対する批判をよく目にするようになりました。

Googleには”Don't be evil”(邪悪にならない)という有名なスローガンがありますが、このスローガンと精度の高い検索技術によって、Googleはネットユーザーの絶大な支持を集め、またたく間にネットの覇者となったのでした。

しかし、最近、アメリカのネットユーザーの間では、”We Google, Don't be evil”とGoogleに対する懸念や失望が広がっているのだそうです。言うまでもなくそれは、独占的なシェアによるGoogleのarrogant(横柄)な姿勢が目に付くようになったからです。

Googleは3月1日から新しいプライバシーポリシーに基づいたサービスに変更すると表明しています。それはGoogleが言うところの「パーソナライズ」化がより徹底されることを意味しています。Googleの検索には、ブラウザの閲覧履歴やCookieを利用した「パーソナライズ検索」と呼ばれる機能があります。それは、過去に同じキーワードで検索してアクセスしたサイトが次回から優先して表示される機能で、一見便利のようにみえますが、しかし、そのデータを収集して分析すれば、ユーザーがなにに興味をもっているかがおのずとわかるはずです。それどころか、もっと精緻に分析すれば、なにを考えているかもわかるでしょう。

Gizmodo Japanが紹介する記事でも指摘されているように、3月1日からは、Googleアカウントでアクセスした場合、検索だけでなくGoogle MapsやYouTubeやGoogle+やGmailなどGoogleのサービスのプライバシー情報がすべて一元的に収集・管理されて、「パーソナライズ検索」や「行動ターゲティング広告」に利用されるようになるそうです。しかも、Google+の場合は実名が基本ですから、特定の個人の情報が丸裸にされる可能性さえあるのです。また、私もそうですが、Googleカウントが必須のAndroidユーザーは、さらにプライバシーが筒抜けになり「深刻」だと指摘する人もいます。

同時にGoogleは、アメリカでサーチ・プラス・ユア・ワールド(Search plus your world)という新しいサービスも開始して波紋をよんでいます。これはGoogleの検索に、GoogleがFacebookに対抗してはじめた二番煎じのSNS、Google+の関連情報を連動させる(優先的に表示する)というものです。これこそarrogant以外のなにものでもないでしょう。

私は以前、このブログで、Googleの台頭に関して、「総表現社会」ならぬ「総監視社会」を招来する懸念を書きましたが、それが現実のものになりつつあるような気がしてなりません。

日本ではYahoo JapanがGoogleの検索エンジンを採用したことによって、検索サービスの97~98%をGoogleが独占するようになりました。やむを得ない事情があったとは言え、これが決して好ましい現状ではないことは言うまでもありません。ましてとみにGoogleのarrogantな姿勢が目立つようになった現在、今後Yahoo Japanも高度な判断をせまられるときがくるかもしれません。(もっともその場合、残る選択肢が実質的にBingしかないというのも、悩ましい問題ではあるのですが)

ネットに対する絶大な影響力からGoogleが「神」と呼ばれたこともありましたが、ホントに神が悪魔に豹変することはないのでしょうか。最近のGoogleをみていると、その不安が増すばかりです。

>> Google
>> あらたな神
2012.01.30 Mon l ネット l top ▲
震災、そして原発事故から10ヶ月。何が変わったのでしょうか。原発事故で避難生活を余儀なくされ、東京に働きにきているという男性とたまたま話す機会があったのですが、男性は「なにも変わってないし、なにも進んでない」と怒りを含んだ口調で言ってました。

東電は4月から実施される企業向けの電気料金の値上げにつづいて、家庭向けの電気料金の値上げも予定しており、政府・経産省も最終的にはそれを認める方向だと言われています。要するにこれは、原発事故の費用を利用者にツケまわしするもので、事故当初から懸念されていたことでした。避難生活を余儀なくされ生活も人生もズタズタにされた福島の住民たちを尻目に、東電は値上げによって、5年後の黒字化を目指しているという話もあります。まったくあり得ないような話ですが、それがあり得るのが今の日本なのです。

先日はこんな新聞記事もありました。

<電力需給>政府今夏試算「6%余裕」伏せる

 今夏の電力需給について「全国で約1割の不足に陥る」と公表した昨夏の政府試算について「供給不足にはならない」という別の未公表のシナリオが政府内に存在したことが、分かった。公表した試算は、再生可能エネルギーをほとんど計上しないなど実態を無視した部分が目立つ。現在、原発は54基中49基が停止し、残りの5基も定期検査が控えているため、再稼働がなければ原発ゼロで夏を迎える。関係者からは「供給力を過小評価し、原発再稼働の必要性を強調している」と批判の声が上がっている。(以下略)
(毎日新聞 1月23日2時30分配信)


今考えれば、あの計画停電もなんだったのかと思います。当時、電力不足を演出した脅しじゃないかという声がありましたが、やっぱりそうだったのかと思わざるをえません。そういった東電の体質も、そして東電と癒着する政府や経産省や財界の姿勢もなにも変わってないのです。

関西電力が行った大飯原発3・4号機のストレステスト(耐性評価)の意見聴取会でも、傍聴を希望する反対派を排除した会場に、「事故はたいしたことはない」「チェリノブイリとは違う」などと安全デマをくり返していた原子力ムラのメンバーがずらりと顔を揃えてすわっていたのには、なんだか悪い夢でもみているかのようでした。これじゃストレステストに「妥当」というお墨付けを与えるのは最初から目にみえています。

枝野経産大臣がときに東電に対して批判めいた発言をするのも、お得意の二枚舌による単なるポーズのようにしか思えません。その裏では政府・経産省の支援を受けて、「国有化」を隠れ蓑に東電がゾンビのように生き延び元の姿に戻りつつあるのです。避難住民への賠償が遅々として進んでない現状もまるで他人事であるかのようです。

このように「なにも変わってないし、なにも進んでない」のです。犯罪はまだつづいていると言うべきでしょう。

2012.01.25 Wed l 震災・原発事故 l top ▲
昨日、このブログに通常より10倍多いアクセスがありました。アクセス解析をしたら、「すべて真夜中の恋人たち」というキーワードでアクセスが集中していることがわかりました。今日、知り合いにその話をしたら、一昨日の夜、爆笑問題の太田光がテレビ番組で「すべて・・・」を絶賛していたのでその影響だろう、と言ってました。

なぜかテレビは、太田光やビートたけしをインテリジェンスのある「文化人」のような扱いをするのですが、それを真に受ける視聴者も多いんだなとあらためて思いました。

川上未映子も、所詮そんなミーハー人気に支えられているということでしょうか。だから、本人もあのように芸能人気取りするのかもしれません。一方で出版不況にあえぐ出版社も、なりふり構わずそういったミーハー人気にすがるような傾向があります。もしかしたらこれも芸能人を使った「ステルス広告」かもしれないのです。

でも、作品がすべてです。「乳と卵」と「ヘヴン」はよかったけど、「すべて・・・」は駄作です。太田光がどれだけの小説読みか知りませんが、彼の宣伝に煽られて買っても、おそらくがっかりするだけでしょう。私はそう思います。

>> 「すべて真夜中の恋人たち」
2012.01.24 Tue l 本・文芸 l top ▲
先日、ネットをみていたら、昔仕事で取り引きのあった人間が公開しているサイトを偶然発見しました。

彼と知り合ったのはもう10数年前です。別の取り引き先からの紹介でした。個人でヨーロッパから雑貨を輸入しているというので、渋谷で待ち合わせることにしました。当時、私は毎日ように渋谷に行ってましたので、「じゃあ、センター街の入口で待ち合わせましょう」ということになったのです。

待ち合わせの時間が来たので、センター街のなかにある取引先の店を出て、入口に行ってみました。しかし、それらしき人物がいません。いったん店に戻り、10分後、もう一度行ってみました。でもやはりいないのです。

「おかしいな」と思ってあたりをみまわしました。すると、「渋谷センター街」という看板がかかっているポールの下で地べたにすわっている青年がいるのが目に入りました。髪を肩までのばしてヨレヨレのセーターを着て、そばには紙袋を置いていました。「まさか」と思いました。ところが、よくみると、相手も私のほうをじっとみているのです。それで近づいて行って、名前を確認するとなんと待ち合わせた相手だったのです。正直言って「エエッ!」と思いました。

彼は30代の半ばをすぎていましたが、一度も会社に勤めたことがなく、得意の英語を生かして自分で輸入業をやりながら自由に暮らしていました。それからわりと頻繁に行き来をしたのですが、数年後、東京を引き払い実家に帰ったという話を聞きました。

サイトに「管理人情報」というページがあったのでクリックしてみました。すると、頭髪がやや薄いスーツ姿の中年のおっさんの写真が飛び込んできたのです。一瞬「お父さん?」と思いました。しかし、管理人の名前をみるとたしかにあの彼です。

でも、冷静になってよく考えれば、私だって同じかもしれません。10数年ぶりに会ったら、相手はさぞ戸惑うでしょう。「ただのおっさんじゃん」と思うかもしれません。気持はいくら若くても姿かたちはごまかせないのです。年齢は容赦ないのです。

それ以来、なぜか気分が沈んだままです。やはりなんだかんだ言っても、年をとって容姿が衰えることは悲しいことで、それは男でも同じなのです。
2012.01.24 Tue l 日常・その他 l top ▲
春節20124

今日は旧暦の元日だそうです。祖父母がまだ健在だった子どもの頃、祖父母の家では旧正月の前に餅つきをしていました。私の田舎では大晦日に「年取り」といって、一家が揃ってご馳走食べる風習があるのですが、旧暦の大晦日も祖父母の家では「年取り」をやっていました。子どもの私は正月が二度あるのが不思議でなりませんでした。また、祖父母は「数え年」で、実際より1つか2つ多く年齢を数えるので、それも混乱するばかりでした。

中国では旧正月のことを春節と言うのだそうです。それで、病院に診察に行ったついでに、中華街まで足をのばしました。さすがに旧正月の中華街は人も多く賑わっていました。首都圏の中国人たちも春節を祝うためにやってきているようで、いたるところで中国語が飛び交っていました。キンキラキンの成り金趣味の中国人は別ですが、一般の中国人は、ちょっとあか抜けない身なりや特徴ある髪型で、ひと目で中国人だとわかります。(余談ですが、中国人旅行客はどうしてみんなスポーツウェアなのでしょうか? この時期は決まってダウンジャケットだし)

そんなふるさとの正月情緒を求めてやってきた中国人の家族が、年に一度奮発して豪華な卓料理を囲んでいるのをみるにつけ、別に中国人に借りも義理もないけれど、なんだか胸が熱くなるものがありました。広島刑務所を脱獄した李国林受刑者の原点は、中国残留孤児二世らが江東区で結成した不良グループ「怒羅権(ドラゴン)」だそうですが、たしかに歌舞伎町や池袋西口などでは、金のブレスレットをチャラチャラいわせながら肩で風をきってのし歩き、青龍刀をふりまわすような、どうしようもない中国人がいるのも事実です。しかし、多くは異国の地でハンディを背負いながら、ささやかな夢と希望を胸に、歯を食いしばってがんばって生きているのだと思います。中華街に響き渡る春節のドラの音は、そんな中国人たちを励ましているようにも聞こえました。

今日は中華街では、「採青(さいちん)」という正月行事がおこなわれていました。要するに、日本で言う獅子舞のようなものです。詳細はつぎのサイトをご覧ください。http://www.chinatown.or.jp/agenda/event/984

「採青」がおこなわれている店の周辺は大変な人ざかりで、写真を撮るのも苦労するほどでした。ちょうど横ではNHKの腕章をつけたカメラマンが脚立の上に乗ってカメラをまわしていました。

春節20122

春節20123

春節20125

春節20126

春節20127
2012.01.23 Mon l 横浜 l top ▲
今回(第146回)芥川賞を受賞した田中慎弥氏の「断って気の小さい選考委員が倒れたりすると、都政が混乱しますので、知事閣下と東京都民各位のためにもらってやる」という受賞記者会見の発言は、まったく痛快でした。作家たるものこれくらいの個性はもってほしいものです。

「空疎な小皇帝」(©斉藤貴男)都知事閣下が、その傲慢かました態度とは裏腹に、実はCoward (臆病者)だというのは、いろんな人が指摘しています。都知事として初めて迎える都の幹部が、どんな強面の人だろうと思っていたら、「弱々しい声のただの老人で拍子抜けした」というような記事が、以前新聞に出ていましたが、案外そういうものかもしれません。Cowardだから自分を強くみせるために、あんな傲慢かました態度をとるのでしょう。そういう人間は私たちのまわりにもいます。

でも、今まで文壇では誰も閣下の首に鈴をつける人はいませんでした。陰では眉をひそめる人はいても、(前も書きましたが)文学に政治のことばを持ちこんで傲慢かましている閣下に誰もものは言えなかったのです。むしろ出版不況にあえぐ出版社のなかには、閣下の政治力にすがろうとする心卑しい会社さえありました。

閣下が芥川賞の選考委員を辞任したのは、(本人は否定するでしょうが)そのタイミングといい、やはり田中慎弥氏の発言がきっかけになっているのは間違いないでしょう。そして、そこにはCowardな性格も関係しているように思えてなりません。まさに痛快ですね。

ただ、肝心の受賞作の「共食い」はまだ読んでいませんので、読んでからまた感想を書きたいと思います。
2012.01.21 Sat l 本・文芸 l top ▲
鶴岡八幡宮00530

遅ればせながら鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行きました。

私と同じようにまだ初詣に来ている人もいるのか、参拝客も普段の平日より多い感じでした。ここでも中高年(どっちかと言えば初老)の人たちが目立ちました。鎌倉はどこに行っても彼らの天下です。そして、電車に乗れば我先にシルバーシートに殺到するのです。この前の記事のつづきではありませんが、シルバーシートは、ちい散歩ごっこしているようなおっさんやおばさんたちのためにあるのではないでしょう。先日も若い女の子たちが「若者がどうだとか言うけど、電車のなかでいちばんマナーが悪いのは年とったおじさんやおばさんたちでしょ」と言ってましたが、そのとおりですね。電車のなかに限らず、スーパーのレジでも郵便局の窓口でも舗道でもどこでもそうです。

ところで、最近どうしてこんなに中高年の人たちの悪口を言うんだろうと思います。年齢が離れていた若い頃は、もっと鷹揚な態度でみていたように思います。しかし、年齢が近くなると、彼らのアラがやたら目に付いてならないのです。おそらくそれは、彼らに明日の自分をみているからでしょう。いわば近親憎悪のような心理がはたらいているのかもしれません。

大石段をのぼった本宮の前に、びっくりするくらいきれいな女の子が立っていました。傍若無人なおっさんやおばさんたちのなかでは、まるで天女みたいに光り輝いているのでした。私は、きれいな娘をみて感激する自分に逆に感激しました。まだそういう感覚が残っているのがうれしかったのです。

お守りを買おうかと思いましたが、お守りを買うと運が悪いのを思い出し、買うのをやめました。帰りは戸塚から市営地下鉄に乗り替えて関内で降り、伊勢佐木町の有隣堂で本を買って帰りました。

鶴岡八幡宮00515

鶴岡八幡宮00494
2012.01.19 Thu l 鎌倉 l top ▲
何気に鏡をみていたら、左の頬に黒い汚れがあるのに気づきました。墨でもついたのかと思って、洗面所で石鹸をつけてゴシゴシ洗いました。しかし、落ちません。拡大鏡をもってきてよくみたら、どうやらシミのようです。

老人斑? そう思ったら、途端に気が滅入ってきました。

以前、知り合いの女の子(といっても、三十路に入ったばかりの大人の女性ですが)が大きなマスクをしてやってきたことがありました。

「エッ、風邪?」
「そうじゃないけど」
「花粉症?」
「そうじゃない」
「じゃあ、どうしたの?」
「別に・・・」

よくみると、マスクの下に絆創膏を貼っているようです。

「怪我したの?」
「そうじゃない」

なんだかイライラしはじめている感じです。

「わたし、前から思っていたんだけど、男のくせに細かいことに関心をもちすぎるんじゃない」

あきらかにイライラが嵩じて不機嫌になりはじめたようなので、それ以上は詮索しませんでした。

後日、同じ会社の女の子に訊いたところ、「私が言ったことは内緒よ」とクギをさされてこっそり教えてくれたのですが、その日、彼女は美容外科でシミ取りのレーザー手術(?)を受けた帰りだったそうです。

鏡のなかの老人斑をまじまじとみていたら、ふと彼女のことを思い出しました。そのときは「シミ取りだなんて女も大変だな」なんて思ったものですが、今になれば彼女の気持がよくわかります。男だってシミは気になるものです。

でも、30代に入ったばかりならまだしも、この年齢になっていちいちシミ取りをしていたら、それこそもぐら叩きみたいできりがないでしょう。そう思ったら、なんだかつぎは死斑があらわれてもおかしくないような気持になりました。
2012.01.17 Tue l 日常・その他 l top ▲
私の父方の曽祖父は、8回結婚したそうです。もちろん曽祖父なんて顔も知りませんが、子どもの頃、母親からよく「あんたはどうもその血をひいているような気がしてならんのよ」と言われました。

そして、年をとるにつけ、やっぱり母親の勘は鋭いなと思うことが多くなりました。自分のことをつらつら考えるに、どうも結婚には向いてないように思えてならないのです。実際、まわりの人間たちからもそう言われます。もし節操もなく結婚していたら、曽祖父と同じように8回だって9回だって結婚と離婚をくり返したかもしれません。

とにかく私の場合、人間関係がかったるくて仕方ないのです。感激するのは最初だけで、しばらくつきあっていると、いつの間にか相手の悪い面ばかりをみている自分がいます。私は一見「いい人」に見えるらしいのですが(正直言って、そのように自分を演出している部分もありますが)、ホントは自分で思っている以上に性悪なのかもしれません。一見「いい人」に見える分、タチが悪いとも言えます。

前も書きましたが、私は小学校から中学を卒業するまで、毎晩祖父母の家に泊まりに行ってました。祖父母のところで朝食を食べて家に戻り、それから登校するのが日課でした。祖父母の家では、毎朝朝食の膳にお菓子が置かれていました。そうやってかわいい(?)孫のためにお菓子を用意してくれていたのです。

しかし、そのお菓子を持って帰ると、母親から「食べたらいかん」と言われました。「いつのお菓子かわからん」「腐っちょってお腹をこわすかもしれんよ」と脅されました。「なんと殺生な」と子ども心に思いましたが、母親と祖母は嫁姑の関係がよくなかったのです。

そんな子どもの頃のことを思い出すと、この結婚に向いてない意地悪な性格は、祖母だけでなく母親のほうの血もひいているような気がしないでもないのです。

>> 結婚できない男
2012.01.16 Mon l 日常・その他 l top ▲
江角マキコ

このところ久々にこのブログのアクセスが伸びています。それは、2007年5月の「江角マキコさんの手紙」という記事にアクセスされる方が多いからです。

というのも、江角さんが6日放送のTBS系「ぴったんこカンカン」に出演して、日本たばこ産業(現JT)のバレーボール選手だった頃の思い出の場所を訪ねるシーンが感動を呼んだからでしょう。たまたま私も見ていましたが、バレーボール部の寮を逃げ出して、ジャージ姿のまま島根の実家に帰ったというエピソードには、思わずもらい泣きしそうになりました。退部して会社を辞めるときも、見送りに来たのは同期の二人だけだったというのも、なんだかせつない話です。

江角さんは、芸能界に入っても当時の話は封印していたようですが、でもそんな挫折した経験があったからこそ、生き馬の目をぬく芸能界のなかでもがんばることができたのではないでしょうか。

私は当時の江角さんのエピソードを聞くにつけ、やはりJTに入る3年前に経験したお父さんの死が影を落としているような気がしてなりませんでした。そして、芸能界に入ってから、さらに弟さんの死も経験することになるのです。

生きていくことは同時にいろんな悲しみに遭遇することでもあります。たしかに江角さんが経験したことは悲しくつらいことかもしれませんが、しかし、女優としては大きな”財産”になっているのではないでしょうか。誰しもが人生の奥底にもっている悲しみ、江角さんにはそんな悲しみを表現できるような女優さんになってほしいと思います。
2012.01.12 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲