去る16日、吉本隆明が亡くなったというニュースがありました。私は全共闘世代のように、強烈な“吉本体験”があるわけではありません。むしろ私たちの世代では既に“吉本神話”は終焉していて、批判的な見方のほうが強かったように思います。ただ、私たちも全共闘世代の人たちと同じように、吉本隆明を「ヨシモトリュウメイ」と呼んでいました。
最近も反原発の風潮に対して、かつての「反核異論」と同じ口調で、原発をやめることはできない、原発をやめろというのは人間をやめろということだ、反原発は思想的な退廃だみたいなことを言ってましたが、たしかに吉本のなかには、多くの人が指摘するように、科学信仰に代表されるような近代主義的な進歩史観に囚われた部分がなきにしもあらずでした。それがときに、時事的な問題ではトンチンカンな発言になり、「耄碌した」とヤユされたのでした。
しかし、私にとって吉本隆明は、親鸞に関心をもつきっかけを作ってくれた”恩人”として存在しています。
まだ20代のフリーターだった頃、私は、吉本隆明の『最後の親鸞』が読みたくてなりませんでした。しかし、住所不定無職の私には、それを買うお金さえありませんでした。当時は浅草橋でアルバイトをしていたのですが、私は帰りに神保町のとある古本屋に寄るのが日課になっていました。というのも、その古本屋に春秋社の『最後の親鸞』の古本が出ているのを見つけたからです。そうやって毎日、『最後の親鸞』がまだ売れてないことをたしかめていたのです。そして、アルバイトの給料が出ると真っ先に買い求め、電車のなかでむさぼるように読んだことを覚えています。
親鸞の思想のキーワードは「業縁」と「還相」である、と教えてくれたのも吉本隆明です。
「何ごとでも心に納得することであったら、往生のために千人殺せと云われれば、そのとおりに殺すだろう。けれど一人でも殺すべき機縁がないからこそ殺すことをしないのだ。これはじぶんの心が善だから殺さないのではない。また逆に、殺害などすまいとおもっても、百人千人ころすこともありうるはずだ」(「歎異抄」吉本隆明私訳)という親鸞のことばについて、吉本隆明は、『最後の親鸞』でつぎのように書いています。
人間は、必然の〈契機〉があれば、意志とかかわりなく、千人、百人を殺すほどのことがありうるし、〈契機〉がなければ、たとえ意志しても一人だに殺すことはできない、そういう存在だと云っているのだ。それならば親鸞のいう〈契機〉(「業縁」)とは、どんな構造をもつものなのか。ひとくちに云ってしまえば、人間はただ、〈不可避〉にうながされて生きるものだ、と云っていることになる。もちろん個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意志して選択した出来事にぶつかりながら決定されていく。しかし、偶然の出来事と、意志によって選択できた出来事とは、いずれも大したものではない。
人間というのは、自分ではどうすることもできない、みずからのはからいを越えたところで生きているのです。人を好きになるのが理屈ではなく、どうして好きになったかわからない、ただ好きだから好きだとしか言えないのと同じように、生きていくのも理屈ではないのです。
真に弁証法的な〈契機〉は、このいずれ(ブログ主注:偶然の出来事と意志によって選択できた出来事)からもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかすべがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。一見するとこの考え方は、受身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。
また、「還相」について、つぎのように書いています。
念仏によって浄土を志向したものは、仏になって浄土から還ってこなければならない。そのとき相対的な慈悲は、絶対的な慈悲に変容している。なぜなら、往相が自然的な上昇であるのに、還相は自覚的な下降だからである。(略)
自覚的な還相過程では、慈悲をさし出すものは、慈悲を受けとるものと同一化される。慈悲をさし出すことは、慈悲を受けとることであり、慈悲をさし出さないことは、慈悲を受けとらないことである。衆生でないことが、衆生であることである。そして、この慈悲が絶対的であるうるのは、さし出すこと受けとることの同一化とともに、還相の過程が弥陀の第十八願の〈摂取不捨〉に接触したのちの過程だからである。
「大悲は常に我を照らし給う」のです。「摂取不捨の利益にあずけしめたもう」存在として私たちは在るのです。そう思うとどんなに救われるでしょう。
絓秀実氏は、『吉本隆明の時代』(2008年・作品社)という本で、吉本隆明をとおして全共闘世代の思想史(それは新左翼の思想史と言い換えてもいいかもしれません)を敷衍していましたが、冒頭につぎのように書いていました。
「吉本隆明の時代」と呼ぶべき時代があった(あるいは、その時代は今なお続いているというべきだろうか)。誰もが吉本隆明の発言に注目し、その発言は世界を的確に解読しているかに思われた。そのパフォーマティヴな言葉は、多くの者の指針でもあった。実際、吉本も単に発言するだけでなく、世界の矛盾が露呈する闘争の場におもむいて行動もした。その発言や行動に賛同しない者も、その言葉の鋭さと影響力は認めざるをえなかった。
しかし、絓秀実氏は、吉本の親鸞に関する「発言」については一行も触れていません。文字通り、私たちは、絓秀実氏らとは違う全共闘以後の世代の人間なのです。「吉本隆明の時代」を知らない私たちにとって、吉本隆明は親鸞の思想とともに生き続けていると言っていいでしょう。