師岡熊野神社2012年3月29日

今日は春本番を思わせるようなうららかな天気でした。そんな陽気にさそわれて、午後から久しぶりに散歩に出かけました。鶴見川の土手に出て、新羽橋から下流に向けて歩きました。土手の上の遊歩道は、同じように散歩する人たちがひっきりなしに行き交っていました。ただ、平日なので、歩いているのはいづれも中高年の人たちでした。

大綱橋の手前で大曽根台の商店街に入り、それからいったん綱島街道に出て、大倉山ヒルタウンの前から脇道に入りました。ふと師岡の熊野神社にお参りしようと思ったからです。今年は初詣にも行ってませんでしたので、熊野神社も久しぶりでした。

境内のベンチでは、若いカップルが楽しそうにおしゃべりをしながら弁当を広げていました。あの弁当は彼女の手作りなんだろうかと思いました。

春はどうしてこんなにせつないんだろうと思います。無性にせつなくてもの哀しくてなりません。特に、平日の午後、こうしてあてもなく郊外の街を歩いていると、よけいそんな気分になります。

気が付いたらこんなところまで来ていたのです。そして、これからどこまで行くつもりなんだろうと思います。この人生もまた、ただあてどもなく歩いてきたような気がします。人を疑い、人を誹謗し、人を貶め、人に背を向け、ずっとあてもなく歩いてきたのです。そんな思いが頭のなかで交錯しました。そして、それをふり払うかのように、必死の思いで手を合わせている自分がいました。

帰りは2号線を大豆戸の交差点に向かって歩きました。交差点の角にある洋服の青山の前で、自転車を停めて、店頭のワゴンに並べられている男物のワイシャツを一心に物色している女性の姿が目に入りました。おそらく買物帰りの奥さんなのでしょう。なんだかその姿が目にまぶしく映ってなりませんでした。

当たり前のことを当たり前に暮らしていくということが、どんなに大切なことかとしみじみ思います。

春はまだはじまったばかりなのです。
2012.03.29 Thu l 日常・その他 l top ▲
酒井法子の弟(異母弟)が例の覚せい剤事件に関連した恐喝容疑で逮捕というニュースがありました。久々の酒井法子ネタですが、3年前、相前後して姉と弟が覚せい剤で逮捕されたという話まで蒸し返され、彼女にしてみれば迷惑この上もない行為でしょう。

既に元マネージャーを中心に、3年の執行猶予が明ける11月以降の芸能界復帰が着々と進められているそうですが、これで復帰も少し遠のくのではないかという話もあります。しかし、いづれにしても芸能界には復帰するつもりなのでしょう。そう言えば、長男は今春小学校を卒業して、私立の有名中学に進学することになったそうですが、そういった生活費はどこから出ているのだろうと思ったりします。なんだか優雅な執行猶予生活と言えなくもありません。芸能マスコミはどうでもいい話にうつつをぬかすのではなく、そういった庶民の疑問(!)にこそ答えてほしいものです。

もうひとつ、「あれはどうなったんだ?」と思ったことがあります。逮捕後、彼女が口にしていた「介護の仕事」です。「介護の仕事」はしないのでしょうか。あのときは、「芸能界復帰は考えてない。介護の勉強がしたい」と言ってました。あれはただ殊勝な態度を印象づけるための”イメージ戦略”だったのでしょうか。もしかしたら、そのときから将来の復帰をにらんで”戦略”が練られていたのかもしれません。

それにしても、芸能人はすごいなとしみじみ思いますね。芸能人をやめても芸能人なのです。スポットライトをあびて人様に身をさらす仕事をしている人間というのは、並みの神経の持ち主ではないようです。並みの神経ではそんな仕事はできないのでしょうか。

「広尾に行きたい」山口智子と同じように、最近は広尾に行くことが多いのですが、広尾あたりではそういった人様に身をさらす仕事から落ちこぼれた人間たちが、やや奇抜な格好をして歩いているのをよく目にします。そんな姿をみるにつけ、(よけいなお世話と言われるかも知れませんが)そうやって人生を踏み間違えたまま老いていくんだろうかと思ったりします。広尾に住んだことのある小倉千加子と中村うさぎも、対談で、広尾や麻布を「虚栄の町だ」「みんな成り上がりだ」と言ってましたが、世間のイメージと違って、広尾の路地にはそういった「虚栄」や「成り上がり」の裏に貼り付いたさみしさやかなしさが漂っているような気がしてなりません。それは酒井法子とて例外ではないはずです。

魑魅魍魎が跋扈する、なんでもありの芸能界ですから、いいようにたかられ、”キズもの芸能人”としてボロボロになるまで利用されポイ捨てされるのは目にみえている気がします。それでも芸能界に復帰して、恥を忍んで人様に身をさらすというのは、なんだかそうせざるをえない「宿命」を背負っているかのようです。もっとも、芸能の民がかつて「河原乞食」と蔑まれ、市民社会の公序良俗の埒外にいたことを考えれば、酒井法子が芸能界にすがるのもわからないでもないし、もとより芸能人というのは、そういうさみしくもかなしい「宿命」を背負った人間なのかもしれない、と思ったりもするのです。

>> 介護の勉強をしたい
>> 魔性

2012.03.28 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
今朝のフジテレビの「とくダネ」に、オセロの中島知子をマインドコントロールしていたと言われていた占い師が登場して、マスコミの一連の報道に反論していました。マスコミの報道では、占い師は美食家で、豚のようにブクブク太っていると言われていましたが、実際はそうでもありませんでした。私は、同郷ということもありますが、どこか素朴な感じがするものの言い方に、逆に親近感を覚えたくらいです。宗教学者の島田裕巳氏も自身のブログ・島田裕巳の「経堂日記」で、「洗脳」に疑問符を付けていましたが、ただ単に仲がいいだけで、それを依存した関係と悪意を持って見ているだけのように思いました。

中島知子がみるみる太っていったのも、占い師の命令で焼肉だがすき焼きだかを食べさせられたからだと芸能レポーターは、見てきたたようなウソを言ってましたが、あれはむしろ”洗脳報道”のストレスが原因のように思えてなりません。

恋愛で傷ついた部分もあるかもしれませんし、相方の松嶋尚美との関係で心おだやかでないものもあったかもしれません。アラフォーを迎える女性が、生き馬の目をぬくような芸能界をひとりで生きぬいていくには、さまざまなストレスやプレッシャーがあることは想像できます。芸能界はカタギの世界ではないのです。そんななかで、本音を吐き出して相談できる相手に出会えば、多少なりとも依存するようになるのは仕方ないでしょう。それをマインドコントロール(洗脳)と言ったら、身も蓋もないように思います。

それより、マインドコントロールと言うなら、野田佳彦首相のほうが深刻でしょう。まるでなにかにとり憑かれたかのように消費税増税に狂奔するその姿をみるにつけ、精神病理学的な分析も必要ではないかと冗談ではなく思います。なんだかヒロイズムに酔っている感じさえあります。

若い頃からただ政治家になりたい一心で松下政経塾に入った彼らにとっての政治と、私たちが考える政治とは全然違うのかもしれません。松下政経塾は、政党ではないのです。いわば政治家予備校みたいなもので、テクノクラートな政治家を養成する機関なのです。彼らは政党人ではないので、政党政治という観念も薄いのではないでしょうか。その意味では、官僚からマインドコントロールされやすいのはたしかでしょう。

民主党が「官僚政治の打破」を掲げて政権をとったことを考えれば、「官僚の言うまま」の彼らは”稀代の詐欺師”と言われても仕方ないでしょう。自民党が言うように、消費税増税はあきらかなマニフェスト違反です。それは増税の是非以前の問題です。どうして誰も今の状況が「異常だ」と言わないのか。マスコミは、中島知子なんかより野田首相らのマインドコントロールの問題を取り上げるべきではないでしょうか。そのほうがよっぽど深刻です。
2012.03.26 Mon l 芸能・スポーツ l top ▲
先日、田舎の友人からどこか居候させてくれるところを知らないかと電話がありました。といって、居候するのはその友人ではなく、彼の甥っ子です。なんでも俳優になるために上京すると言ってきかないらしいのです。しかし、住むところのあてもなく、本人は「ホームレスをしてもいい」と言っているのだとか。

私はその気持がまぶしく思えてなりませんでした。それで、「五木寛之は早稲田に入るために上京したとき、下宿するお金がなかったので、早稲田の穴八幡神社の床下に寝泊まりしたらしいぞ。そのほうが大物になるんじゃないか」と言いました。

折しも、先日、『ヤンキー進化論』を書いた難波功士氏の新著『人はなぜ〈上京〉するのか』(日本経済新聞出版社)を読んだばかりなのですが、今の若者たちの人生にとっても、上京は大きな意味をもつのだろうかと思いました。

「東京・東京・東京と書けば書くほど哀しくなる」と言った寺山修司と同じように、私はとにかく東京に行きたくてなりませんでした。東京に行かなければなにもはじまらない、東京から自分の人生ははじまるのだ、と思っていました。しかし、今になり、じゃあなにがはじまったんだと自問すると、ただ自己嫌悪におちいるばかりです。結局このざまだ、という気持しかありません。

しかし、それでも上京したことを後悔する気持はありません。それは自分でも不思議です。だから、将来田舎に帰りたいという気持もまったくありません。むしろ、(何度も言いますが)たとえ野垂れ死にしても田舎には帰らない、という気持のほうが強くあります。

『人はなぜ〈上京〉するのか』のなかでは、つぎのような五木寛之の文章が紹介されていました。

 九州出身者なら、九州から鈍行を乗りつぎ、参考書を枕にごろ寝しつつ悠々上京してくるような受験生が好きだ。東京の宿が高いと思えば、新宿あたりのフーテンと共に街に眠って、デパートの便所を使い、大学の池で顔を洗って試験場に臨むような高校生が好きだ。場合によったら、ジャズ喫茶か何かで金持ちの遊び人女子学生でも引っかけ、相手の車でも貸してもらって、その中で寝るような若者が好きだ。新宿旭町付近でも、どこでも一泊二百円のベットハウスぐらいびくともしない受験生が好きだ。(五木寛之『風に吹かれて』新潮文庫、1972年)


私も五木寛之の真似をして、ゴーリキーの『私の大学』を携えて上京し、友人のアパートを転々としていました。受験のために上京したときも、ホテルなんて望むべくもなく、このエッセイと似たようなことをしていました。親も私がどこに泊まっているか知らなかったくらいです。あの頃のことを思い出すと、息苦しくなるくらいなつかしくてなりません。

今の私にとって、春はどこかせつないものがあります。いつの頃からか、そんな季節になりました。春は希望に満ちた旅立ちのイメージがありますが、この年になると、もうそんな季節が訪れることがないからでしょうか。
2012.03.25 Sun l 東京 l top ▲
去る16日、吉本隆明が亡くなったというニュースがありました。私は全共闘世代のように、強烈な“吉本体験”があるわけではありません。むしろ私たちの世代では既に“吉本神話”は終焉していて、批判的な見方のほうが強かったように思います。ただ、私たちも全共闘世代の人たちと同じように、吉本隆明を「ヨシモトリュウメイ」と呼んでいました。

最近も反原発の風潮に対して、かつての「反核異論」と同じ口調で、原発をやめることはできない、原発をやめろというのは人間をやめろということだ、反原発は思想的な退廃だみたいなことを言ってましたが、たしかに吉本のなかには、多くの人が指摘するように、科学信仰に代表されるような近代主義的な進歩史観に囚われた部分がなきにしもあらずでした。それがときに、時事的な問題ではトンチンカンな発言になり、「耄碌した」とヤユされたのでした。

しかし、私にとって吉本隆明は、親鸞に関心をもつきっかけを作ってくれた”恩人”として存在しています。

まだ20代のフリーターだった頃、私は、吉本隆明の『最後の親鸞』が読みたくてなりませんでした。しかし、住所不定無職の私には、それを買うお金さえありませんでした。当時は浅草橋でアルバイトをしていたのですが、私は帰りに神保町のとある古本屋に寄るのが日課になっていました。というのも、その古本屋に春秋社の『最後の親鸞』の古本が出ているのを見つけたからです。そうやって毎日、『最後の親鸞』がまだ売れてないことをたしかめていたのです。そして、アルバイトの給料が出ると真っ先に買い求め、電車のなかでむさぼるように読んだことを覚えています。

親鸞の思想のキーワードは「業縁」と「還相」である、と教えてくれたのも吉本隆明です。

「何ごとでも心に納得することであったら、往生のために千人殺せと云われれば、そのとおりに殺すだろう。けれど一人でも殺すべき機縁がないからこそ殺すことをしないのだ。これはじぶんの心が善だから殺さないのではない。また逆に、殺害などすまいとおもっても、百人千人ころすこともありうるはずだ」(「歎異抄」吉本隆明私訳)という親鸞のことばについて、吉本隆明は、『最後の親鸞』でつぎのように書いています。

人間は、必然の〈契機〉があれば、意志とかかわりなく、千人、百人を殺すほどのことがありうるし、〈契機〉がなければ、たとえ意志しても一人だに殺すことはできない、そういう存在だと云っているのだ。それならば親鸞のいう〈契機〉(「業縁」)とは、どんな構造をもつものなのか。ひとくちに云ってしまえば、人間はただ、〈不可避〉にうながされて生きるものだ、と云っていることになる。もちろん個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意志して選択した出来事にぶつかりながら決定されていく。しかし、偶然の出来事と、意志によって選択できた出来事とは、いずれも大したものではない。


人間というのは、自分ではどうすることもできない、みずからのはからいを越えたところで生きているのです。人を好きになるのが理屈ではなく、どうして好きになったかわからない、ただ好きだから好きだとしか言えないのと同じように、生きていくのも理屈ではないのです。

真に弁証法的な〈契機〉は、このいずれ(ブログ主注:偶然の出来事と意志によって選択できた出来事)からもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかすべがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。一見するとこの考え方は、受身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。


また、「還相」について、つぎのように書いています。

念仏によって浄土を志向したものは、仏になって浄土から還ってこなければならない。そのとき相対的な慈悲は、絶対的な慈悲に変容している。なぜなら、往相が自然的な上昇であるのに、還相は自覚的な下降だからである。(略)
自覚的な還相過程では、慈悲をさし出すものは、慈悲を受けとるものと同一化される。慈悲をさし出すことは、慈悲を受けとることであり、慈悲をさし出さないことは、慈悲を受けとらないことである。衆生でないことが、衆生であることである。そして、この慈悲が絶対的であるうるのは、さし出すこと受けとることの同一化とともに、還相の過程が弥陀の第十八願の〈摂取不捨〉に接触したのちの過程だからである。


「大悲は常に我を照らし給う」のです。「摂取不捨の利益にあずけしめたもう」存在として私たちは在るのです。そう思うとどんなに救われるでしょう。

絓秀実氏は、『吉本隆明の時代』(2008年・作品社)という本で、吉本隆明をとおして全共闘世代の思想史(それは新左翼の思想史と言い換えてもいいかもしれません)を敷衍していましたが、冒頭につぎのように書いていました。

「吉本隆明の時代」と呼ぶべき時代があった(あるいは、その時代は今なお続いているというべきだろうか)。誰もが吉本隆明の発言に注目し、その発言は世界を的確に解読しているかに思われた。そのパフォーマティヴな言葉は、多くの者の指針でもあった。実際、吉本も単に発言するだけでなく、世界の矛盾が露呈する闘争の場におもむいて行動もした。その発言や行動に賛同しない者も、その言葉の鋭さと影響力は認めざるをえなかった。


しかし、絓秀実氏は、吉本の親鸞に関する「発言」については一行も触れていません。文字通り、私たちは、絓秀実氏らとは違う全共闘以後の世代の人間なのです。「吉本隆明の時代」を知らない私たちにとって、吉本隆明は親鸞の思想とともに生き続けていると言っていいでしょう。
2012.03.19 Mon l 訃報・死 l top ▲
2ちゃんねる

覚醒剤の購入を煽る書き込みを削除せず放置したとして、麻薬特例法の幇助(煽り・唆し)の容疑で、警視庁が2ちゃんねるの関係先を家宅捜索していたというニュースがありました。さらに警察の捜査は、2ちゃんねるだけにとどまらず、性犯罪や薬物犯罪の温床になっているSNS全体に広がっていくのではないかという見方もあるようです。

2ちゃんねるの実態を考えるとき、警察の介入は当然予想されたことです。むしろ遅きに失した感さえあります。権力によるネット規制だと言う人もいるでしょうが、私は、ネットが自由ではないということを再認識する上でも、今回の強制捜査はむしろ「よかった」のではないかと思っています。

ネット規制を憂慮する声のなかには、まるでネットは自由であって、その自由を守らなければならない、あるいはネットは自由であるべきだ、というような考えがあるように思います。しかし、グーグルの新しいプライバシーポリシーをみてもわかるとおり、そもそもネットは自由なんかではないのです。覗き見しようと思えばいつでも簡単に覗き見ることができるし、規制しようと思えばいつでも簡単に規制できるのです。ネットというのはそういうシステムなのです。

私たちにとって、ネットというのは、あくまで制限付きのメディアにすぎないのです。そういうツール・手段にすぎないのです。「なんでもあり」なんて本来ありえない。2ちゃんねるの住人たちは論外にしても、権力のネット規制を憂う人たちに私が違和感を抱くのは、あたかもネットが自由である(自由であるべき)かのような幻想を振りまいているからです。私たちが考えなければならないのは、むしろそれから先のことではないでしょうか。つまり、自由ではないけど便利なネットをどう利用するか、そういうしたたかでしなやかなリテラシーをどう身につけていくかでしょう。
2012.03.10 Sat l ネット l top ▲
ノートパソコンは2台持っているのですが、なにを血迷ったのか、まだ買って2年しか経ってない新しい方のパソコンを分解してみたい衝動に駆られました。そして、とうとう分解したのでした。

ところが、分解したもののもとに戻すのが面倒になり、そのまま1週間放置しました。1週間後、やっと気を取り直して組み立てたのですが、OSは起動するものの画面が真っ暗なままです。再び分解したら、モニターのカードが外れていました。しかし、今度はタッチパッドがまったく反応しません。そんなことをくり返しているうちにいやになって、新しいノートを買うことにしました。

家で仕事をするのに、別にノートは必要ないのです。それにもう一台ノートパソコンがあります。ただ、分解したのは外に持って歩くために買ったモバイルノートでしたので、モバイルノートがほしくなり、そう思ったらもう欲求を抑えることができなくなりました。

新しく買ったのは、ウルトラブックの東芝ダイナブック・R631です。「世界最軽量、世界最薄」という宣伝文句に惹かれました。たしかに軽いし、SSDも搭載されているし、CPUも最新のCorei7で快適です。Wimaxが内蔵されていたので、Wimaxにも加入しました。

でも、まだ一度も外へ持って行ってません。そんな用事がないからです。会社勤めではないので、外に持って行く用事なんてほとんどありません。

木の芽どきとはよく言ったもので、この季節は、魔がさすというか、ついよからぬことを考えたりするものです。でもまあ、渋谷駅で庖丁をふりまわすよりはマシか。そう思って自分を慰めています。
2012.03.07 Wed l 日常・その他 l top ▲
このあたりは都市計画法で第一種住居地域に指定されていて、商業施設の面積が細かく規制されているのですが、なぜか今月4000平米を超える大型スーパー(スーパーと医療モールとドラッグストアからなる複合施設)がオープンすることになりました。

オープンに至る経緯については、「ライフ大倉山店建築計画を解剖する」という秀逸なサイトに詳しく書かれていますが、たしかに、近所にスーパーができれば、わざわざ駅の近くに行かなくて済むので便利です。それに、食品スーパーが必要だというのも理解できないわけではありません。しかし、周辺の道路事情を考えると、駐車場付きの大型スーパーなんてホントに大丈夫なんだろうか、「無謀」じゃないか、と思わざるを得ません。

それに、最初に計画したスーパーは却下されたのに、どうして今のスーパーがOKだったのかという疑問もあります。さまざまな噂も流れていますが、過酷な競争のなかにある企業が、生き残りをかけて新しい市場を開拓するのはある意味で当然で、そのためにはどんな手段だって(どんな政治力だって!)使うでしょう。要は、それに対して、地元がどういう姿勢で臨むかではないでしょうか。

何度も同じことを言いますが、大倉山にはいい素材があるのに、どうしてわざわざこのような「ファスト風土化」を選択しなければならなかったのかと思います。この件では、横浜市の事なかれ主義もさることながら、まちづくりに対する商店街や住民たちのポリシーのなさが、はからずも露呈したように思えてなりません。大倉山出身の建築家・隅研吾氏は、清野由美氏との対談『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)のなかで、「二十一世紀に町を再開発するなら、まず道路を『敵』にする発想が絶対に必要です」と言ってましたが、どうしてそんな発想が生まれなかったのでしょうか。近隣のほかのスーパーでも問題になっているようですが、どこにでも車で行かなければ気が済まないような”イタい人”たちに迎合して、どんなまちづくりができるんだと思います。

同じ東横線沿線でも元住吉などは、個人商店ががんばっていて、すごく魅力のある商店街になっています。地元の食品スーパーが大手のスーパーに伍してがんばっている姿を元住吉では見ることができます。隣の日吉からも買物に来るそうですが、それもよくわかります。そのいちばんの要因は、駅前の道路を日中通行止めにして買物客を優先しているからです。それこそ「道路を『敵』にする発想」と言うべきでしょう。

「便利になるからいいじゃないか」「反対するやつはなんでも反対するんだ」と言うのは、原発と同じで、(宮台真司の受け売りですが)丸山真男が言う「作為の契機の不在」です。水は低いほうに流れるではないですが、悲しいかな、そうやってほとんどなにも考えなくても済むような(考えようともしないような)、自明性や二者択一論のわかりやすさや長いものに巻かれろの事大主義といった「作為の契機の不在」の空気に流されるのが現実なんだな、としみじみ思いました。
2012.03.06 Tue l 横浜 l top ▲