一昨日、このブログのアクセス数が普段より伸びていました。調べてみると、朝日新聞のWEBRONZA”「木嶋佳苗」という女性の生き方”のなかで、4/11の記事(「木嶋佳苗被告と東電OLの影」)が「関連情報」として紹介されていることがわかりました。

死刑判決については、裁判員裁判だからなのか、意外にも妥当性を疑問視する声は少なかったように思います。しかし、状況証拠による検察の立証は、被告の生き方や生活態度に対しての予断と偏見に基づく印象操作が主眼で、客観的で合理的な立証とは言い難いものです。そして、裁判長が示した判決理由も、そんな検察の立証に沿ったきわめて抽象的で観念的なものでしかありません。

「婚活サイトで知り合った男性から真剣な交際を装って多額の金を受け取り、返済を免れるために殺害した」「働かずにぜいたくで虚飾に満ちた生活を維持するため、犯行に及んだ」と判決文は言うのですが、その根拠は非常に脆弱です。あたかも「婚活サイトで知り合った男性から多額の金を受け取り」「働かずにぜいたくで虚飾に満ちた生活」をしているようなふしだらな女だから人だって殺しかねない、とでも言いたげです。

婚活サイトそのものが、「真剣な交際」とは無縁な新手の出会い系サイトであるのはいわば暗黙の了解でしょう。少なくともオークション詐欺をはたらいたこともある被告にとって、婚活サイトは最初からそんな存在でしかなかったはずです。その意味では、被告には「悪意」があったとも言えます。でもそれは、ネットのどこにでもあるような「悪意」であって、なにも被告に限った話ではありません。男性のほうだって似たようなもので、お互い様なのです。判決文ではその「悪意」を殺人にむすびつけているのです。

要するに、銀座のクラブや六本木のキャバクラの女性たちが、思わせぶりでお客にたかるのと同じことを、被告はネットでやっただけなのです。ネットの掲示板では、それをデブでブスの年増女がやったから許せん、だから殺したんだろう、と言うのですが、判決文もほとんど似たようなレベルで、「合理的疑いを超える心証」とはほど遠いものです。

この事件に対する世間のもの言いも滑稽です。売春はけしからんと言いながら、一方で男たちは、エリート社員だって裁判官だって公務員だって学校の教師だって警察官だって、みんな被告のような「ふしだらな女」を相手に買春しているのです。にもかかわらず、そんな現実には頬被りして、ほとんど機能していない市民的価値意識や倫理観で被告を断罪するのです。判決文に対しては「女への嫌悪感があふれている」という真っ当な指摘も一部にありましたが、”良識的市民”たちが下した今回の判決は、”市民社会”とか”市民としての日常性”とかいったものの滑稽さをただ証明しただけのように思います。
2012.04.22 Sun l 社会・メディア l top ▲
同じ田舎の人間で、すごく仲のいい友達がいました。年齢はひとつ上だったのですが、中学のとき、同じ野球部に入って急に親しくなりました。

高校はそれぞれ親元を離れて別の学校に行ったのですが、休みで実家に帰ったときは、毎日家に遊びに来て、他愛のないおしゃべりをして時間を潰したりしていました。また、彼が東京の大学に進学してからも、休みになり帰省すると、やはり毎日家にやって来ました。

私の大学受験のときも、試験の前夜は彼の下宿に泊まって、試験会場まで付き添ってくれました。あいにく受験には失敗したのですが、そのときも、合格発表をみに行った彼から「サクラチル、ムネン」という電報が届いたのを覚えています。

どうして急に友達のことを思い出したのかと言えば、たまたま仕事先の知り合いの方と話をしていたら、渋谷の富ヶ谷にある某病院の話が出たからです。知り合いの方はその病院に入院していたそうですが、実は私も予備校に通っていた頃、その病院に受診したことがあったのです。

検査の結果がよくなくて、先生から「このままでは取り返しのつかないことになるので、いったん田舎に帰って、身体を直してから再挑戦したほうがいいんじゃないか」と説得されました。そして、九州から父親が迎えにきて、東京を引き上げることになったのでした。

そのとき一緒に病院に行ってくれたのも彼でした。私は既に体重が20キロ近く減って、大泉学園に借りていたアパートでほとんど寝たっきりの毎日を送っていました。上京する前に、その大泉学園のアパートを探してくれたのも彼でした。私の予算で探したら大泉学園まで行ってしまった、と言っていました。

そんななか、突然彼がアパートにやってきたのです。連絡がないので心配して、目黒からわざわざ訪ねてきたのでした。そして、私の様子をみた彼は、びっくりして、「とにかく病院に行こう」と言いました。しかし、どこの病院に行っていいのか、あてもありません。それに、病院に行くお金もありません。すると、彼が、「学校に行く途中に病院があったけど、あそこがいいんじゃないか」と言うのです。彼は通学のバスのなかから、山手通り沿いにあるその病院をいつもみていたらしいのです。お金は彼が親しくしている近所のパン屋さんから借りることになりました。そして、二人で電車とバスを乗り継いで富ヶ谷の病院に行ったのでした。

彼は大学を卒業すると、そのまま東京の会社に就職しました。そして、近所のパン屋さんで働いていた女性と結婚しました。その後、私も再び上京しました。しかし、いつの間にか会うこともなくなりました。もう20年近く前、新宿駅近くの路上でばったり会って、一緒に食事をしたのが最後です。年賀状も途絶え、連絡先もわからなくなりました。新宿で会ったとき、彼が「もう帰る家がなくなった」とさみしそうに言っていたのを覚えています。田舎の両親も亡くなり、実家も既に人手に渡っていたからです。

昔の恋人に会いたいかと言えば、私の場合、ひとりを除いてそんなに会いたいとは思いません。でも、友達はいつかは会いたいと思います。恋人はいつまでも恋人ではないけれど、友達はいつまで経っても友達なのです。「ピカピカの1年生、友達何人できるかな?」というのも、案外、人生の深いところを衝いているのではないか、と冗談ではなく思うことがあります。武者小路実篤もむげにバカにできない気分です。

商業的には「恋愛」のほうがお金になるので、恋愛至上主義と言われるように、世間やマスコミではやたら「恋愛」がもてはやされますが、しかし、やっぱり「恋人より友達」なのだと思います。特に同性の友達は大事です。年をとればとるほどそれを痛感させられます。
2012.04.19 Thu l 故郷 l top ▲
いわゆる首都圏連続不審死事件で、殺人や詐欺などの罪に問われ死刑を求刑されている木嶋佳苗被告に対する裁判員裁判の第一審判決が、いよいよ明後日(4月13日)、さいたま地裁で言い渡されます。

この事件は、物的証拠も自白も一切なく、ただ状況証拠とも言えないような“疑わしい状況”があるのみですが、裁判員たちの“市民目線”がどう事件を裁くのか注目されます。と、マスコミみたいな紋切型の建前論を言っても仕方ありません。裁判員裁判だからこそ、逆にマスコミからの刷り込みによって、「疑わしきは被告人の利益に」などどこ吹く風のような判決が下される可能性が大でしょう。

実際、裁判はシロウトの裁判員たちを多分に意識した法廷劇のような色彩をおびていたようです。『週刊朝日』誌上で、この裁判の傍聴記(「北原みのりの100日裁判傍聴記」)を連載しているコラムニストの北原みのり氏は、月刊『創』(5・6月号)のインタビューで、つぎのように裁判の感想を語っていました。

(略)こんな面白い裁判は見たことがなかった、というのが感想です。男性たちの死が問われているわけですが、被告人質問にしても、検事や裁判長の質問から浮かび上がるのは、木嶋被告の残忍さや殺意のありようではなく、むしろ裁判長や検事の持つ古い男性観だったりする。それを聞いていると、佳苗が問われているのは、殺人なのか愛なのか分からなくなる瞬間が多々あります。


一方、法廷で被告がみずからのセックス歴を赤裸々に語ったことが話題を呼びましたが、そのことについて、北原みのり氏はこう述べていました。

(略)佳苗が、そこまでセックスのことを言いたがるのは、裁判上、有利に運ぶために計算して組み立てた論法というよりは、自分が特別な女であるというアピールを、裁判でもせずにはいられない自意識なんじゃないかと思いました。または、売春という仕事を肯定するための物語か。どっちにしても、セックスの話をすることで、彼女が裁判で得たものは何もないと思います。


それにしても、『週刊朝日』の傍聴記を読むと、今さらながらに木嶋佳苗被告の"特異さ"を痛感されられます。彼女は北海道別海町の高校を卒業して上京するのですが、上京して1年後には既に高級デートクラブに登録して、売春で生計を立てるようになったそうです。ただ、彼女にとって売春は、単に生活の糧を得るための手段だけにとどまらなかったように思います。「セックス・アンド・ザ・シティ」を引き合いに出すむきもありますが、そこまで軽いものでもなかったように思います。むしろ、「私が私である」という、いわば実存の承認を得るための手段でもあった(やがてそのように転化した)、と読めなくもないのです。傍目には支離滅裂にみえますが、彼女にとって、「私が私である」というのは、私たちが想像する以上に切実なものだったのかもしれません。

私は以前、ネットで知り合った男性と月に何度かデートをして、そのたびに5万円だかのお金をもらっていたという女性に話を聞いたことがありました。彼女は、大手企業に勤める夫と小学生の子供がいるれっきとした既婚者でした。相手の男性は、彼女の話では、木嶋被告がつきあっていた男性と同じような、中年のさえない独身男だったそうです。そして、あるとき、相手の男性から「お金がもたないので、デート代を半分に減額させてくれ」と懇願されたそうです。それを聞いた彼女は、男性を面罵して、二度と会わないことを告げて席を立ったのだとか。

「だってそうでしょう。それだったらただの売春婦じゃない」と彼女は言ってました。彼女は男性からもらうお金を通して自分の価値をはかっていたのでしょう。そうやって自分が「特別な女」であることを確認していたのかもしれません。

私は、その話を聞いたとき、彼女もまた東電OLに自分の姿を映した女性のひとりに違いないと思いました。そして、北原みのり氏が言うように、私は木嶋佳苗被告にも同じ影を見るのです。

やはり裁判を傍聴している精神科医の香山リカ氏が、同じ『創』のコラムで書いていましたが、交際していた男性の家が全焼して遺体で発見されたとき、木嶋佳苗被告は、妹につぎのようなメールを送ったそうです。

あのゴミ屋敷、まあ○○さん(注・妹の名)なら気絶したと思うわ


そんな「ゴミ屋敷」に住むようなさえない男たちを相手にして、ことば巧みに金をむしり取っていたのです。男性に対するシビアな目が、そのまま裁判長や検事たちがもちだす古い男性観を手玉にとるしたたかさにつながるのは当然でしょう。

もっとも、そのしたたかさの先には、人生のかなしみもあったはずです。「佳苗に、一人で泣きたい夜は、あるのだろうか。」と北原みのり氏は書いていましたが、なかったはずがない。母親との”葛藤”もそのひとつだったのかもしれません。北原氏によれば、木嶋佳苗被告は、交通事故で亡くなった父親の墓を、地元では名家の流れをくむ別海町ではなく、わざわざ東京の浅草の寺に造ったりと、故郷の別海町と縁を切ろうとしたふしさえあったそうです。

彼女はどんな心の闇を抱えていたのか。法廷での”セックス自慢”も、それを隠すための自己韜晦とみえなくもありません。茶番のような裁判員裁判ではどだい無理な話なのかもしれませんが、裁判でもそれはほとんどあきらかになっていないのです。

>> 東電OL殺人事件
>> 『私という病』

※この記事は、WEBRONZA(朝日新聞)に「関連情報」として紹介されました。
2012.04.11 Wed l 社会・メディア l top ▲
先月、ノートパソコンを買ったことを書きましたが、その勢いで(?)今度はデスクトップも買い換えました。遅ればせながらやっとXPから7(Windows7)に変わったのです(しぶしぶでしたので、「した」というより「なった」という感じです)。ただ、今回はお金をケチってprofessionalではなくHome Premiumで妥協したために、のちに後悔することになるのでした。

最近はGoogleのアロガント(arrogant)な姿勢ばかりが目につきますが、アロガントの元祖と言えば、なんといってもMS(マイクロソフト)です。この7にもMSのせこさが存分に出ています。

7はvistaを改良したものと言われていますが、そのためにXPまで維持されていたソフトの互換性が、7の登場によって途切れることになるのでした。それが、あと2年でサポートが終了するというのに、未だにXPの愛用者が多い理由でもあるのでしょう。

私の場合は、レーザープリンターとスキャナーがダメでした。そのために、プリンターとスキャナーも買い換えるはめになりました。

professionalだとXPモードというのがあって、7で使えないソフトでもXPモードで使うことができます。カスタマイズでは、professionalとHome Premiumの価格差は5千円ちょっとでしたので、機器をあたらしく買い換えるよりはるかに安くついたのです。最初にケチったのが運の尽きでした。

それにしても、本体は問題なく使えるのに、ただソフトに互換性がないために使えないというのは、なんとももったいない話です。それもひとえにMSの独占的な商法によるものです。それこそエコに反するアロガントなやり方と言うべきでしょう。

また、メールソフトのOutlookもXPで終了、7からはWindows Liveメールに統一されました。そのためにメールのデータを移行するだけでなく、使い勝手の悪いフォルダも設定しなおす必要があり、非常に手間でした。

MSにふりまわされるのはシャクでなりません。同じ商売をする人間からみても、こんなやり方はないだろう、と思います。Officeなどの価格にしても異常です。アメリカの会社や自治体では、あえてMSのソフトを使わずに、オープンソフトのOpenOfficeなどに移行する動きがさかんだそうですが、なんでも「すごい」「便利だ」としか言えない事大主義的な国民性の日本では、そんな話は聞いたことがありません。ヴィトンやシャネルなどと同じように、青い目をしたハゲタカにとって、日本は実においしい市場なのかもしれません。

OSが変わっただけで、どうしてこんなに時間と経費をかけて設定しなおさなければならないのかと思います。1日半かけてやっと終わりましたが、どっと疲れが出ました。と同時に、なんだかやり場のない無力感のようなものを覚えてなりませんでした。
2012.04.10 Tue l ネット l top ▲