武蔵野稲荷神社1

九州の友人から電話があり、同級生たちの近況を聞きました。親が認知症になり施設に入っているとかいった話が多く、おれたちももうそういう年になったのかとしみじみ思いました。そして、以前「哀しい」という記事で紹介した、作家の盛田隆二さんの「子どものように泣く父」というエッセイを思い出しました。

糖尿病のために視力も弱り、既に人工透析もはじまったある同級生は、最近子供が登校拒否になり、苦悩しているそうです。しかも、彼のお母さんも認知症で施設に入っているのですが、面会に行っても息子の顔もわからず、ただ虚ろな目で一点を見つめているだけなのだとか。電話がかかってきて、「生きていてもなにもいいことなんてない。おふくろが逝ったら、おれも死にたいよ」と嘆いていたそうです。

その話を聞いて、高校生の頃、彼と海に行ったことを思い出しました。ちょうど今時分でしたが、あのときのはじけるような笑顔はもう戻ってこないのだろうか、と思いました。

私たちが出た高校は一応普通科の進学校でしたので、親たちも総じて教育熱心でした。東京の大学を受験するときも、わざわざ付き添いで来る親もいたくらいです。あの頃、親たちはみんなバイタリティにあふれ、「勉強しろ。勉強しろ」と子どもの尻を叩いていたのです。でも、もうそんな元気な親の姿はありません。

もちろん我が家とて例外ではありません。しかし、私はこうして現実から目をそむけ、逃げているだけです。

今日、用事で練馬のとある街に行きました。駅の近くを歩いていたら、線路沿いに神社があるのに気付きました。鳥居をくぐり朱色の幟旗に囲まれた参道を進むと、瀟洒な社殿がありました。あたりはひっそりとして、私以外、参拝者は誰もいませんでした。柏手を打って手を合わせていると、襟首から汗がたらりと滴っているのがわかりました。そして、なんだか泣きたくなるような気持になりました。

この年になると、ホントに神や仏がいてほしいと思いますね。たとえ<空虚>であってもです。

武蔵野稲荷神社2

武蔵野稲荷神社3
2012.07.25 Wed l 故郷 l top ▲
世界が土曜の夜の夢なら

斎藤環著『世界が土曜の夜の夢なら』(角川書店)を読みました。タイトルがあまりに凝りすぎてミスマッチなのですが、副題に「ヤンキーと精神分析」と付いているように、要するにヤンキー文化(「ヤンキー的リアリズム」)を著者の専門である精神分析の視点から論じた本です。

著者が言う「日本の芸能界がいかにヤンキー的な美意識に浸潤されているか」「世間とヤンキー文化との親和性」というような問題意識からヤンキー文化を考えると、ヤンキーは強し(ヤンキーあなどれず)という思いをあらたにせざるを得ません。

折しも今日のYahooトピックスに、「avexがヤンキーアイドル募集」という記事が出ていましたが、さまざまな分野で今やヤンキー文化(ヤンキーテイスト)は一大市場と化しているのです。そして、最近の橋下現象に見られるように、ヤンキーは政治の世界でも猛威をふるうまでになったのでした。

個人的には、蒔絵シールがヤンキーのアイテムだったことを初めて知り、シールを扱う人間として不勉強を恥じた次第ですが、それはともかく、このように、ヤンキー(文化)はますます進化し拡散しているのです。

不良文化を出自として、当初はごく狭いトライブ内だけで共有されていた文化が、当事者性を超えた一つの美学として一般化されることで、むしろ文化はいったん「蒸留」されることになるのだ。それはサブカルチャー内に、あたらな棲み分けの構図をもたらす(略)。


そんなメカニズムによって、ヤンキー文化に隣接して生まれたのがギャル文化です。著者は、「ヤンキー → チーマー → ギャル」という系譜をあげていて、ヤンキーとギャルの接点になる美学が「気合」と「アゲ」だと書いていました。

先日、たまたま都築響一氏の『夜露死苦 現代詩』(ちくま文庫)を読んだのですが、そこで紹介されているその手の「詩」には、たしかにファンシー好き・光もの好きなどの趣味嗜好だけでなく、ことばの上でも両者の共通点が見てとれます(というか、正直言って、私にはほとんど同じに見えます)。それは、斎藤氏の分析に従えば、「メタレベルの欠如」「情緒志向」「反知性主義」「家族主義」ということになるのです。

ただ、このような学者特有の紋切型の分析では、いまひとつピンとこないのも事実です。「メタレベルの欠如」なんて、要するにシャレもわからない単純バカということじゃないかと思いますが、そう言ってしまったのでは身も蓋もないのでしょう。

そして、著者は、「(日本人が)キャラ性をきわめていくと必然的にヤンキー化する」という仮説を立てるのでした。その仮説に従えば、芸能人にヤンキーが多いというのもうなずけようというものです。工藤静香とキムタクがいかにお似合いの夫婦であるか、二人の間にある「相通じるもの」の正体も、おのずと理解できるのです。

また、この本では、ヤンキー文化の本質をさぐる上で、ふたつのキーワードをあげていました。それは、「女性性」と「換喩性」です。

「女性性」については、『文藝』(2012年秋号)での著者と赤坂真理との対談「母殺しの不可能性と天皇」でも話題になっていましたが、ヤンキーは、原理原則よりもまず行動(「気合」)、そしてなにより関係性を重んじる行動様式に特徴があるのだそうです。彼らのドメスティック(自国的)&ネイバーフッド(地元)志向は、そこから生まれているという指摘も納得がいきます。

ヤンキーの成功者を見ると、”父親殺し”が行われず、”偉大な”母親の精神的な庇護と母性的同一化のなかで成長しているのが特徴だそうですが、著者は、「世間」とヤンキー文化との高い親和性も、こういった母性によって媒介されているのではないかと書いていました。

”母の文化”の要素が強い日本の社会では、ヤンキー文化を広く受け入れる素地がもともとあるのかもしれません。この本では、元「ヤンキー先生」の義家弘介参院議員を例にあげていましたが、政治家でも教育者でも宗教家でも芸能人でもスポーツ選手でも、ちょっとやんちゃをしていた方がいいキャラになり信用されるのです。そして、そういった美学は須佐之男命(スサノオノミコト)にまで行き着くというのが斎藤説です。

これは、もうひとつのキーワードの「換喩性」ということにも関わってきます。著者はこう書きます。

ヤンキー文化には、「本質」や「起源」と呼べるものがない。その本質なるものがありうるとしても、それは中心ではなく周縁に、内容ではなく形式に、深層ではなく表層にしか宿り得ないからだ。


本質的な比喩表現の「隠喩」ではなく、隣接的な比喩表現の「換喩」こそがヤンキー的表現の特徴だと言うのです。そして、そのエートスは日本文化の「粋」や天皇制をささえる構造にもつながっているのだと。

丸山眞男は、『古事記』のなかに、「つぎつぎになりゆくいきおい」なる歴史的オプティズムが存在することを指摘したそうですが、そういった「日本文化の古層」とヤンキー文化のつながりも、非常に興味のある話でした。

要するに「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」というような話だ。これが日本文化のいちばん深い部分でずっと受け継がれてきているということ。つまり丸山というわが国でも屈指の政治思想家が、まだヤンキーという言葉もなかった戦後間もない時期に、日本文化とヤンキー文化の深い連関をみぬいていた、ということになる。


ヤンキースタイルの「模倣とパロディによる逸脱が『つぎつぎ』と新たな『様式』をもたらす、という進化の形式」は、日本文化の特徴でもあります。その代表例が、伊勢神宮の式年遷宮(式年造営)です。私も以前「コピー文化」という記事で指摘しましたが、三島由紀夫が『文化防衛論』で言っているように、「二十年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになる」、それが日本文化なのです。

我らが大分県出身の建築家・磯崎新も、『始原もどき ジャパンネスキゼーション』(鹿島出版会)という本で、「伊勢神宮における本質の不在」について自論を述べているそうです。著者は、磯崎の論をつぎのように紹介していました。

磯崎によれば、神社の建物というのは要するに囲いがあってヒモロギというものがあればそれで十分なのであって、そこには「ご本尊」のような本質は一切不要であるということになる。何もない空虚であるにもかかわらず、周りにいろいろと立派な建物があるから、何かありそうな感じがするという、かなり身も蓋もない話になっている。


まさにロラン・バルトが喝破したように、日本(東京)の中心にあるのは<空虚>なのです。日本文化で重要なのは、内容より形式、中心より周縁、本質より様式なのです。それがヤンキー文化に凝縮して存在しているというわけです。

さらに、速水健朗が『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)で指摘している、「麺屋武蔵」にはじまるラーメン界の右傾化(作務衣の着用や相田みつおもどきの能書き)にも、著者が言うように、多分にヤンキーテイストが見てとれますが、ヤンキー文化はそうやってあらたな様式を身にまといつつ拡散しているということでしょう。

しかしひとたび視点を変えれば、「生存戦略」としてこれほど強力な文化もない。何しろ彼らは、正統な価値観や根拠なしに、自らに気合を入れ、テンションをアゲてことにあたることができる。それどころか、彼らは場当たり的に根拠や伝統を捏造し、そのフェイクな物語性に身を委ねつつ、行動を起こすことすら可能なのだ。宗教的な教義によらずにこれほど人を動員できる文化は、おそらくほかに例がない。


ヤンキー文化おそるべしです。

>> ヤンキー文化
2012.07.23 Mon l 本・文芸 l top ▲
本覚寺1

鎌倉在住の知人と会うために、午後から鎌倉に行きました。そして、ついでに本覚寺と鶴岡八幡宮にお参りしました。

本覚寺は鎌倉駅のすぐ近くにある日蓮宗のお寺です。そのため、本堂の前で、団扇太鼓を叩きながらリズミカルにお題目をあげている”先客”がいました。

日蓮宗のお題目は「南無妙法蓮華経」ですが、私は一応浄土真宗ですので、「南無阿弥陀仏」と唱えました。でも、やはり気がひけました。

鶴岡八幡宮からは、いつものように峠道をのぼって北鎌倉まで歩きました。北鎌倉では、円覚寺の下の広場で縁日がひらかれていて、浴衣を着た子どもたちでいっぱいでした。帰って調べたら、どうやら八雲神社の例大祭だったようです。

そして、「北鎌倉」から横須賀線に乗り、途中の「戸塚」で市営地下鉄のブルーラインに乗りかえました。買いたい本があったので、散歩がてら伊勢佐木町とみなとみらいへ行こうと思ったからです。

ブルーラインは「坂東橋」で下車して、イセザキモールを関内の方向に歩きました。イセザキモールのなかには、「伊勢佐木町ブルース」の歌碑があるのですが、途中、そこを通りかかったとき、イヤホーンから徳永英明が歌う「伊勢佐木町ブルース」が流れてきたのでした。その偶然に妙にはしゃぐ自分がいました。そういえば、最近は「偶然」にはしゃぐなんてこともなかったなと思いました。

イセザキモールでは有隣堂に寄って、さらにみなとみらいまで歩き、ランドマークタワーのくまざわ書店に行きました。これもいつものことですが、暮れなずむ街をとぼとぼ歩いていたら、ふと身もすくむような孤独感におそわれました。ひとりはいいけど、でもひとりはさみしいものです。そう思うとよけいお寺にお参りしなければと思うのです。


本覚寺2

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源平池

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2012.07.21 Sat l 鎌倉 l top ▲
スカイツリー1

連休の中日。しがない自営業の身には連休なんて関係ないのですが、それでも連休に浮かれる世間様がうらやましくてなりません。それでふと思いついて、お上りさん気分で、東京スカイツリーに行ってみました。

渋谷から銀座線で浅草まで行って、浅草からスカイツリーラインに乗ると、ひと駅で「とうきょうスカイツリー」駅に着きます。ちなみに、このスカイツリーラインというのは、以前は東武伊勢崎線と呼ばれていました。というか、今でも東武伊勢崎線には違いないのですが、一部区間のみスカイツリーラインと改称されたそうです。また、「とうきょうスカイツリー」駅も、スカイツリーができるまでは「業平橋」駅だったのです。このように都心から離れた”辺境の地”にスカイツリーを造らざるをえなかったために、いろんなところにイメージアップのための苦心がうかがえます。

墨田区に住んでいる知人は、「スカイツリーのある押上(業平橋)なんてなにもないところだぜぇ」とワイルドな口調で言ってましたが、たしかに「なんにもないところ」でした。東京スカイツリーの「東京」は、かつて荒川区にあった「東京スタジアム」の「東京」と同じで、同じ「東京」でも場末感は否めないのです。

もっとも、そんな「なんにもないところ」が街の魅力だったりするのです。だから「住みやすい」ということはあるはずです。スカイツリーは、そんな「なんにもない」街のつつましやかな日常や記憶の積層を蹂躙してやってきたのでした。

東京タワーは、モスラが東京タワーを壊す映画の場面に象徴されるように、いわば高度成長に突き進む日本のシンボルでした。でも、今の日本には、そんな先進国に追いつけ追い越せというキャッチアップの力強さも希望に満ちた明るい未来もありません。東京タワーと違ってもはやシンボルにもなりえないスカイツリーの威容に、私は、悲哀すら覚えました。

スカイツリーには東武と京成の駅がありますが、いづれも改札口がスカイツリーや付属の商業施設の東京ソラマチと直結していますので、これでは大半の観光客はただ行って帰るだけで、周辺の商店街に人が流れることはあまり期待できないように思います。

東京ソラマチ(「エキナカ」や「エキュート」などと同じように、いかにも官僚的な鉄道会社らしい安易なネーミングですが)も新鮮味の乏しい商業施設でした。観光地の施設というより、むしろ街中でよく目にする駅ビルという感じです。ディベロッパーが変わっても、中身はどこも似たかよったかで、この手の施設がもう完全に手詰まりになっていることを痛感させられます。マツモトキヨシもあるし、魚力(魚屋)もあるし、二木の菓子もあるし、三省堂書店もあるし、プラザ(旧ソニープラザ)もあるし、ロフトもあるし、ZARAもあるし、ユナイテッドアローズもあるし、もちろんユニクロもあるのです。それどころか、東武百貨店だってある。どこにもあるものがあるだけです。これじゃJRがやってることと同じで、街を殺すだけでしょう。

帰りはついでに浅草を散策しました。浅草寺周辺は大変な人出でした。いつの間にか台数が増えた人力車の客引きがちょっとうざかったけど、東京スカイツリーを見たあとだとよけい人の温もりを感じてホッとしました。浅草は浅草で大変だという話も聞きますが、地元の人たちの努力もあって、まだかろうじて「街が生きている」という気がしました。

>> 浅草・ほうずき市


スカイツリー2

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2012.07.15 Sun l 東京 l top ▲
最近、知り合いと話をしていると、老親の話がよく出ます。上の年代では、認知がはじまった親の面倒をみているという人も何人かいます。

なかでも大変なのは、親ひとり子ひとりのケースです。きょうだいがいれば、まだしもシェアできますが、ひとりだとそうもいきません。まして認知が進めば、負担はもっと大きくなるのです。だからといって、生活のためには仕事を辞めるわけにはいかない。経済的な面でも、ひとりで全てを負担しなければならないのです。

私が知っているのは、いづれも男性で、離婚してひとりで親の面倒をみているというケースです。他人のことなのでその間の事情はわかりませんが、もしかしたら親のことが原因で離婚したのかもしれません。

まだ身体は元気なようですが、それでも警察から親を保護したという連絡が入り、会社を中退して引き取りに行ったなんてこともあったそうです。

そんな話を聞くと、みなさん大変なんだな、としみじみ思います。ホントは深刻なのかもしれないけど、そんな面を微塵もみせず明るくふるまっているのです。

もちろん私とて他人事ではありません。でも、私は、いつもそんな現実から逃げてばかりなのです。
2012.07.14 Sat l 日常・その他 l top ▲
松田聖子論

小倉千加子著『松田聖子論』(朝日文庫)を久しぶりに読み返しました。文庫のあとがきが1995年8月、単行本のあとがきが1989年1月7日ですから、もう25年前の本になります。

どうしてこの本を読み返そうと思ったのかと言えば、いわゆる首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗被告が、中学生のとき、「松田聖子の歌も好きだけど、彼女が女性週刊誌で悪口を言われているところも好きだ」「小倉千加子さんも好きだ」と、文章に書いていたということを思い出したからです。松田聖子だけでなく小倉千加子の名前も出てくるということは、中学生の木嶋被告がこの本を読んでいた可能性があります。もしそうだとしたら、彼女の早熟ぶりには驚くばかりですが、それも『朝日ジャーナル』を定期購読していたという父親の影響があったのかもしれません。

書名は「松田聖子論」となっていますが、本で扱っているのは、松田聖子と山口百恵です。ふたりを比較するなかで、著者独自のアイドル論を展開しているのですが、今あらためて読むと、著者も若かったなと思う部分もあります。

かつての山口百恵ファンとしては、著者の山口百恵論には多少違和感がありますが、それはともかく、松田聖子論を木嶋佳苗被告の事件に重ねると、木嶋被告の心の奥底にあるものがなんとなく見えてくるような気がしました。そして、北原みのり氏をはじめ、多くの女性たちが彼女に関心を寄せた理由もわかるような気がしました。

山口百恵と違い、実人生でも「<近代家族の退屈>という温室の中で育った、芸能人としては稀有のケースに属する少女」の松田聖子は、和製ロックの伝説的なバンド「はっぴいえんど」の元メンバーである松本隆らによって、文字通り爛熟した資本主義の時代にふさわしいアイドルとして、時代の先端に躍り出たのでした。1960年代の終わりに登場し、「はっぴいえんど」から「キャラメルママ」「ティン・パン・アレー」へと推移した和製ロックは、80年代「松田聖子にたどり着いた」と著者は書いていました。そして、その本質は、「<都市>の<お金持ち>の音楽」だと。たしかに当時の時代の気分は、先行するユーミンに代表されるように、生活感が希薄な”都市”や”プチブル”でした。ただそれはあくまで「気分」だけで、現実は違っていたのです。

 日本中の女の子は、都市的リゾートを求めて、軽井沢に湘南にセブ島にフィジー島にと回遊しているのですが、それはしょせん有給休暇の範囲内であって、日常は、会社という<田舎>で周囲の眼に監視されて生活し、挙句の果ては、都市周辺部の<田舎>で新婚生活に入っていくのです。
 普通の女の子が<田舎>に苦しめられながら、つかの間の<都市>のファンタジーを楽しむという疑似解放を生きているのに対し、聖子ひとりが、日本という巨大な<田舎>で、<都市の夢>を手に入れるために、<田舎>の風圧に耐えているのです。


だから、若い女の子たちは、そういった松田聖子の「ミーハー・ラディカリズム」に魅かれたのだと言います。そして、木嶋佳苗被告のなかにも、同じように、<田舎>の風圧に耐え<都市の夢>を追いかける「ミーハー・ラディカリズム」があったように思います。

恋愛にしても然りです。著者は、恋愛は「近代の中で最後に残った不条理」だと言っていました。「人間は平等だ、男と女は対等だと言っても、ある男の前で二人の女は平等ではないし、ある男の前で、恋する女の対等が保障されるものでもないのです。つまり、、男は女の『女』という記号を愛しているのであって、個人を愛しているわけではない」のだと。

松田聖子は、そういった「恋愛とセクシュアリティの不条理」に戦いを挑み、多くの女性から支持されたのですが、一方、木嶋佳苗被告は、恋愛の「不条理」を逆手にとって、犯罪を重ねたのでした。

もっと具体的に言えば、木嶋佳苗被告が利用したのは、『松田聖子論』」から25年、日本中がファスト風土化し、都市文化に覆い尽くされてもなお、未だに残る次のような「日本の土着性」なのです。

 梅雨期のふくれ上がった畳の部屋でなくても、障子や襖が四方になくても、たとえ都心のマンションの洋室であっても、ホテルの一室であっても、男と女が二人だけでそこにいる限り、男は<田舎>になってしまうのです。
 男は<都市>の記号を背負う職業に就いていようが、インテリであろうが、年が若かろうが、そんな条件に一切関係なく、私的で閉鎖的な空間の中では、女にお茶を入れさせてしまうのです。
 生活の場の中で男と女の二者関係のモデルを親の世代にしか持ってこなかった男は、父親が母親にやっていた保守性と本音以外のふるまいようを知らないのです。ですから、「崩れそうな強がり」か、「くつろぎすぎた幼児性」の二つを交互に出して、女に弱さと母親性を求めてくるのです。


木嶋佳苗被告は、幼い頃から母親との葛藤を抱えていたそうですが、早熟で聡明な彼女が見つけたのが母親の人生に張り付いているこの「土着性」だったのではないでしょうか。そして、文字通り「ママのようなつまらない生き方」をしたくない「不機嫌な娘」になったのでしょう。それゆえに彼女の犯罪は、母親への意趣返しの意味合いもあったように思えてならないのです。

>> 木嶋佳苗 100日裁判傍聴記
2012.07.10 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
ネットにも動画がアップされていますが、原発再稼動に反対する抗議行動は、近来まれにみる大衆的な盛り上がりをみせています。毎週金曜日の夕方に行われている首相官邸への抗議デモも、最初は300人からはじまったそうですが、先々週(6/22)は4万人(主催者発表)、先週(6/29)は15万~16万人(同)、そして、昨日(7/6)も15万人(同)が官邸周辺の道路を埋め尽くしたのでした。

この抗議行動について、新聞やテレビなど大手のマスコミは、当初は無視を決め込んでいました。巨万の市民が首相官邸に押し寄せ、周辺の道路がマヒ状態になるなんて、60年安保以来なかったことだと言われています。あろうことか、国会記者会館の目の前の舗道をデモの人波が埋め尽くしたのです。にもかかわらず、NHKなど大半のマスコミは、文字通り見て見ぬふりをして報道しなかったのでした。

しかし、ますます規模を拡大していくデモに対して、さすがに無視しきれなくなったのか、ようやく報道管制を解きはじめました。ただ、その報道姿勢は、相変わらず政府・経産省や財界、電力会社に対して腰がひけたものでしかありません。原発が対米従属というこの国の戦後体制の根幹に関わる問題である限り、彼らマスコミにとってもそれは侵すことのできないタブーだったのでしょう。そのなかで、東電のようなアンタッチャブルな会社が生まれたのですが、マスコミには未だに原発問題や東電に対するタブーが生きているかのようです。

昨日のデモに対しても、今日の朝日新聞(asahi.com)は、「原発抗議行動、人数どっち? 主催者と警視庁発表に大差」などという、間のぬけた記事を書いていました。主催者と警察発表で、デモや集会の参加人数がまったく違うのは、今にはじまったことではありません。政治的意図から警察が過小に発表し、主催者が過大に発表するのは、半ば常識です。そんなことはとるに足らない二義的な話にすぎません。報道管制が解かれたと言っても、このように原発再稼動問題を正面から扱うことを避けた”焦点ぼかし”の記事でお茶を濁しているのが実情です。

一方、消費税増税問題では、まるで申し合わせたかのように(!)各社揃って3党の密室合意を支持、”増税賛美”の論陣を張っています。そして、政策論議はそっちのけで、増税に反対する小沢一郎氏への低俗な”人格攻撃”をつづけているのです。その異常な光景が今のマスコミのあり様を象徴しているように思います。

ダイヤモンド・オンラインの原英次郎編集長は、「小沢グループの造反に理あり 理念を掲げて総選挙を実施せよ」という秀逸な記事を書いていましたが、そういった異なる意見がまったく出て来ない今のマスコミの状況は、「大政翼賛会的」と言われても仕方ないでしょう。

アンケートなどを見ても、とりわけ原発事故以降、国民の間に政府や専門家(学者)やマスコミに対する不信感が増幅されたと言われます。なかでも深刻なのは、「ただちに人体に影響はない」という”安全デマ”を流しつづけたマスコミでしょう。多くの人が指摘しているように、ホントのことを伝えてないんじゃないかという不信感が、いっそうのマスコミ離れ・新聞離れを加速させているのです。でも、彼らにはまだその危機感が足りないようです。そこにあるのは、「言論の自由」をかなぐり捨て為政者に擦り寄る卑しい(としか言いようのない)姿だけです。原発についても、消費税増税についても、小沢一郎についても、マスコミの報道姿勢はどこかおかしい、と思っている国民は多いはずです。政治だけでなくマスコミもまた、旧態依然とした体質をひきずったままで、なにも学んでないしなにも変ってないのです。

>> なにも学んでない
>> なにも変ってない
2012.07.07 Sat l 震災・原発事故 l top ▲