
新宿のテアトル新宿で、「かぞくのくに」(ヤン・ヨンヒ監督)を観ました。
ウェブサイトに「2012年インディペンデント映画を代表する一作」というキャッチコピーがありましたが、そのコピーどおり、第86回キネマ旬報ベスト・テンにおいて日本映画ベスト・テン第1位に選出され、同時に主演女優賞(安藤サクラ)を受賞した作品です。その他、第55回ブルーリボン賞(作品賞、主演女優賞、助演男優賞)、第67回毎日映画コンクール(脚本賞)、「映画芸術」2012年日本映画ベストテン第1位、第62回ベルリン国際映画祭(国際アートシアター連盟賞)など数々の映画賞を受賞。文字通り2012年の日本映画を代表する作品と言ってもいいでしょう。また、受賞は映画賞だけにとどまらず、第64回読売文学賞でも 戯曲・シナリオ賞が与えられ、文学的な視点においてもヤン・ヨンヒ監督の脚本が高く評価されたのでした。
映画は昨夏に公開されたのですが、あいにく私は見逃していたので、今回受賞記念のアンコール上映を機に観に行ったのでした。平日の午前でしかも再上映にもかかわらず、上映前から受付に行列ができるほど多くの観客がつめかけていました。
ストーリーの大半は、ヤン・ヨンヒ監督の家族の実話に基づいているそうです。そのあたりの経緯については、アジアプレスのウェブサイトに掲載されているヤン・ヨンヒ監督のインタビューで詳しく語られています。
ヤン・ヨンヒ監督はもともとドキュメンタリー映画出身で、帰還事業で北朝鮮に帰国した3人の兄とその家族を撮った「ディア・ピョンヤン」や「愛しきソナ」で知られていますが、この「かぞくのくに」は、そんな生涯のテーマをフィクションの手法をとることでさらに飛躍させ、「ついにやったか!」と言いたくなるような、生まれるべくして生まれた映画だと言えます。
隣に座っていた若い女性の観客も、上映中しきりに涙をぬぐっていましたが、「政治に翻弄された」という常套句で言い表せないような、悲しくてやりきれない映画です。この映画が低予算のため、わずか2週間で撮られたというのは驚きですが、名作というのは、予算や期間に関係なく生まれるべくして生まれるもんだなとあらためて思いました。
なにより主演の井浦新(兄ソンホ)と安藤サクラ(妹リエ)の演技が光っており、この映画の質をより高めているように思いました。特に安藤サクラの個性が際立っていました。安藤サクラは、昨年度の各映画賞で主演女優賞と助演女優賞を総ナメして、一気に女優としての評価を高めましたが、おそらく「かぞくのくに」は彼女にとっても記念碑的な作品になるのではないでしょうか。
北朝鮮に帰国していた兄ソンホが25年ぶりに帰ってきた。それは頭にできた腫瘍を治療するためでした。「総連」(映画では「同胞協会」)の活動家である父親と喫茶店をやって家計を支える母親が、5年かけて働きかけやっと実現した「一時帰国」でした。しかし、その帰国には監視役のヤン同志が同行し、帰国中も常にソンホの行動に目を光らすのでした。
滞在予定は3ヶ月でした。それでも診察した医師からは、3ヶ月では責任を持てないと手術を断られます。両親は本国にかけあえば6ヶ月くらい延ばせるのではないかと考えるのですが、そんな淡い期待を打ち砕くように、突然「明日帰国するように」という命令が下されるのでした。6ヶ月どころか3ヶ月の予定がわずか2週間で打ち切りになり、怒り悲嘆する家族たち。でも、ソンホだけは「こういうのはよくあるんだよ」と淡々とそれを受け入れます。「理由は?」と問う妹に、ソンホは「理由なんてない。あの国に理由なんて何の意味もない」と答えます。
通りかかった店でシルバーのスーツケースをみつけて、妹に「お前は、そういうのを持って、色んな国に行けよ」という兄。この映画には、こういった胸をしめつけられるようなセリフが至るところに出てきます。
「考えずにただ従うだけだ。考えると頭がおかしくなる」
「考えるのはどう生き抜くかだけだ」
「あとは思考停止。楽だぞ~、思考停止は」
こんなセリフに込められたソンホの現実。私たちは、同じようなセリフを拉致被害者の蓮池薫さんからも聞いた覚えがあります。それは、「あなたもあの国も大っ嫌い!」と監視をなじる妹に対して、ヤン同志が放った次のセリフにも重なるものでした。
「私にも家族がいますし、お兄さんにも家族がいます」「あの国で、私もあなたのお兄さんも生きているんです。死ぬまで生きていくんです」
16才で単身北朝鮮に渡ったソンホは、帰国船に乗る寸前、新潟の赤十字センターで見送りにきた叔父に、「ここで行くのをやめたらアボジに迷惑がかかるだろうか」と言ったそうです。その話を初めて聞かされ、父親はもちろん母親も妹も、ただ首をうなだれて涙を流すしかないのでした。
朝鮮人である限り、日本では差別され仕事もなく希望もない。子供の将来のためには、祖国に帰るのがいちばんだと親が考えたとしても、誰も非難はできないでしょう。ただ一方で、帰国者が「社会主義建設」という美名のもとに、一種の”人身御供”のように扱われたこともたしかです。そうやって彼らの受難の人生に、祖国が独裁国家であったという悲劇がさらに追い打ちをかけたのでした。
そのソンホにも北朝鮮に家族がいます。家族のためにも、さまざまな思いを胸の奥にしまい、口を閉ざすしかないのです。妹に工作員(スパイ)にならないかと誘ったのも、そう言わせられる(言わなければならない)祖国のむごい現実があります。そうやってすべてを諦観し、「凍土の共和国」での過酷な人生をこれからも生きていくしかないのです。
やせ細った息子の写真を見て以来、喫茶店の売上から小銭をためてはそれを北朝鮮の息子に送金する母親。一方、「地上の楽園と言われた国の人間が、栄養失調だったなんてね」と皮肉を言う娘。これは多くの在日が見聞きし実際に経験している現実でしょう。でも、ヤン・ヨンヒ監督が言うように、一方でそれを日本人から言われたくないという気持も朝鮮人のなかにはあるのです。
「じゃあ公の場で自分で先に言えってことですよ。でも、飲み屋で愚痴ってるだけ」「総連が情けないんですよ、はっきり言うて」というヤン・ヨンヒ監督のことばは、今の若い在日の多くが共有する気持でもあるのかもしれません。
個人的な話になりますが、私は、このインタビューを読んで、昔親しくしていた女性とヤン・ヨンヒ監督が重なって見えて仕方ありませんでした。そして、やはり同じような視点で在日の本音を描いた「月はどっちに出ている」(崔洋一監督)を彼女と一緒に観たことを思い出しました。
拉致問題がまだ公になる前でしたが、当時、私もこの映画の背景にあるような話を聞いたことがあります。ただ、金日成の誕生日の「プレゼント」として(!)、朝鮮総連が指名した朝鮮大学の学生たちが半ば強制的に帰国させられた話や、自分の進路を総連に委ねる「組織委託」の強要が朝鮮学校で行われていたという話は初耳でした。まったくヤン・ヨンヒ監督ならずとも「ヒットラー顔負けやん」と言いたくなるような蛮行と言わねばなりません。朝鮮総連や朝鮮学校が指弾されるのも当然でしょう。
ただ(と言うべきか、「だからこそ」と言うべきか)私たちは、(北朝鮮に限った話ではないですが)その国が好きだ嫌いだとかいう前に、まずその国で生きる(生きていかざるをえない)人間を見るべきで、そういった政治と一線を引いた視点をもつことがなにより大切ではないかと思うのです。何度も同じことをくり返しますが、坂口安吾が言うように、人間というのは政治という粗い網の目からこぼれおちる存在なのです。それは、北朝鮮の国民であれ在日であれ日本人であれみんな同じなのです。
ヤン・ヨンヒ監督は、朝鮮総連の幹部だった父親に焦点を当てた「ディア・ピョンヤン」で、北朝鮮当局の逆鱗に触れ入国禁止になっているのですが、それでも映画を撮りつづける”覚悟”について、次のように語っていました。
(前略)昔はとてもじゃないけど、「兄貴たちに迷惑がかからないように考慮して作ってます」としか言えなかったけど、最近は変わりました。申し訳ないけど、家族に迷惑かかっても作ります。オッパ(=お兄ちゃん)たちが収容所に入れられますけど、どないしますか?って言われたとしても、やっぱり、私、やめますって言わないと思う。だってそこでやめたら、オモニらと一緒になるんですよ。もうええやんそれは、そんな時代は終わりにしようって本当に言いたい。そのためには、まだ何人犠牲になるか分からないけど。
兄がお気に入りだったリモアのスーツケースを引いて交差点を渡る最後のシーンにも、ヤン・ヨンヒ監督の”覚悟”が表現されているように思いました。”覚悟”があるからこそ、この映画が私たちの胸を打つのでしょう。
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「かぞくのくに」予告編