
一昨日、鳥取連続不審死事件の控訴審に関して、つぎのようなニュースがありました。
上田被告、二審も死刑=鳥取連続不審死―広島高裁支部
時事通信 3月20日(木)10時40分配信
鳥取県で2009年に男性2人が変死した連続不審死事件で、2件の強盗殺人罪などに問われ、一審鳥取地裁の裁判員裁判で死刑とされた元スナック従業員上田美由紀被告(40)の控訴審判決が20日、広島高裁松江支部であった。塚本伊平裁判長は一審判決を支持し、上田被告の控訴を棄却した。
上田被告は一審の被告人質問で黙秘を貫いたが、控訴審では一転して発言し、自分の言葉で無罪を訴えた。被告側は一審に続き、被告と同居していた男性の関与を示唆し、検察側は「被告の供述は虚偽」として控訴棄却を求めた。新たな証人や証拠は出ず、控訴審は3回で結審した。
(Yahoo!ニュース)
私は、折しもこの事件を扱ったフリージャーナリスト・青木理氏の『誘蛾灯』(講談社)を読んだばかりでした。『誘蛾灯』は、言うまでもなく、木嶋佳苗被告がブログで高く評価していた本です。それどころか、彼女は青木氏に取材を受けた上田美由紀被告に嫉妬すら覚えたと書いているのです。それで、私も読んでみようと思ったのでした。
青木氏は、木嶋佳苗被告の事件にはあまり興味がなかったそうですが、しかし、木嶋被告の熱烈なラブコールもあって、会えるなら会ってみたいとラジオ番組で言ってましたので、そのうち首都圏連続不審死事件の記事も書くことになるかもしれません。
このふたつの連続不審死事件は、驚くほど似通っています。どちらも同じ2009年に発生し、「首都圏」は4~6名(うち3名の事件が起訴)、「鳥取」は6名(うち2名の事件が起訴)の男性が、被告の周辺で不審死しているという点でも酷似しています。また、被告はいづれも詐欺の容疑で別件逮捕され、のちに殺人容疑で再逮捕されるという捜査手法もそっくりです。さらに、被疑者が殺人容疑に関して無罪を主張している点も同じです。
しかも、木嶋・上田被告ともに、「巨躯」で、年齢も3つ違いです。そのため、どうしてあんなメタボでトウの立った女性に多くの男たちが騙されたのか、という世間の反応も同じでした。
ただ一方で、ふたりの人物像や舞台となった土地は、この本でも書いているとおり、「対照的」と言ってもいいほどの違いがあります。「首都圏」は、文字通り東京や埼玉や千葉の首都圏の都市やあるいはネットを舞台にした事件だったということもあって、マスコミの注目度は高く、良きにつけ悪しきにつけ、木嶋佳苗被告は世間の耳目を集め、関連本も何冊も出版されました。
それに対して「鳥取」のほうは、世帯数も人口も全国最小の鳥取県の、日本海沿いの地方都市で起きた事件です。しかも、上田美由紀被告は、2度の離婚歴がある5人の子持ちの「地味で冴えない中年女」でした。彼女は、「デブ専門」と陰口を叩かれるような地元の場末のスナックで働いていました。しかも彼女が住んでいたのは、勤務するスナックのママが所有するアパートでしたが、そこは足の踏み場もないような”ゴミ屋敷”だったそうです。
そんな女に、読売新聞の記者や鳥取県警の刑事など多くの男たちが吸い寄せられるように心を奪われ金をむしり取られ、そして、家庭も職も失い、挙句の果てに命まで落とすのです。著者の青木理氏も、この「事件の陰鬱さ」をつぎのように書いていました。
事件の重要な舞台となった鳥取最大の歓楽街・弥生町にしても、美由紀と男たちとの出会いの場となった店にしても、最終的に命を落としてしまった男たちや事件関係者にしても、垣間見えてくる風景はあまりにも殺伐としていて、救いがまったくないように思えて仕方なかった。
すっかりと寂れ、人の気配がほとんどない歓楽街。その片隅で、太った二人の老女が営む店。ゴミ屋敷に一人住まい、唾を飛ばしながら憤る老女。縁者もなく、生活保護を受けながらぎりぎりの生を紡ぐ人々。
段ボールを被って轢死した記者。雪の山中で首を吊ったという刑事。身内の不審死を隠蔽する警察。不自然な捜査に憤りながら、息をひそめてそれを見つめるしかない遺族。
それぞれにそれぞれの事情はあるのだが、眼の前に次々と立ち現れてくる情景は溜息が出るほど暗く、目を背けたくなるほど澱んでいた。
ときには一人芝居で架空の「妹」を登場させるなど、大ウソつきで金に異常な執着を見せる被告。でも、男たちは、女手ひとつで5人の子どもを育てる被告の姿に、「心を打たれ、情のようなものを抱いて」、被告の魔手に落ちていったのです。
本のなかでは、上田被告が交際していた男性に当てた手紙が紹介されていましたが、それは読んでいるこっちが面映ゆくなるような、まるで中学生か高校生が書いたような稚拙で情熱的なラブレターでした。
そういったところが、男たちに無邪気で可愛く映ったのはわかるような気がします。男たちは、彼女のことを「いい気分にさせてくれる」「癒される」「男を立ててくれる」と言っていたそうですが、そんな男たちの声を聞くと、木嶋佳苗被告と同じように、上田被告にも男たちの古い女性観を逆手に取るしたたかさがあったように思えてなりません。もとより、家庭的にもめぐまれず、結婚でも幸せを掴むことができず、お金も学歴も資格もコネもなんにもなく、しかも容姿端麗とも言い難い5人の子持ちの女性が、夜の街で生きて行くには、それしかなかったとも言えるのです。
上田被告の場合、男たちからむしり取ったお金は、木嶋被告のようにブランド品につぎ込んだわけではありません。「郊外のファミリーレストランやラブホテルを好んで利用し、格安量販店では不必要なものまで大量買いしてその大半をガラクタとして打ち捨てていた」のです。ゴミ屋敷といい、無計画な衝動買いといい、私はメンヘラの疑いさえ抱きますが、そこには今の消費社会に翻弄される人間の”悲劇”があるように思えてなりません。その”悲劇”は、消費社会に対する免疫のない下の階層に行けば行くほど顕著になるのでした。
今の世の中は、お金も学歴も資格もコネもなんにもない人間には、経済的にも気持の上でもホントに生きづらくてしんどいのではないでしょうか。上昇志向さえないというのは、夢や希望も持てないからです。上田被告の犯罪には、そんなやるせないロウアークラス(下層)の現実が映し出されているように思えてなりません。
それに、2件の殺人容疑は、青木氏が具体的に検証しているように、女ひとりで実行するにはあまりにも無理があるのです。検察が描いた事件の構図も矛盾だらけです。そもそも6名が不審死しているにもかかわらず2名しか立件しない(できない)ということ自体、捜査の杜撰さを表しているように思います。
一方、弁護士費用のない上田被告には、国選弁護人が選任されたのですが、その弁護団も、「大物刑事裁判の被告弁護にふさわしい技量を備えた弁護団」とは言い難く、弁護も「相当にレベルの低い」「お粗末な代物」だったそうです。一審の死刑判決が出たあと、著者は、「遅きに失した」と書いていました。
また、「首都圏」の事件と同じように、この事件でも素人裁判員が事件を裁く裁判員裁判の問題点も指摘されていました。
≪裁判員と補充裁判員の計十人は閉廷後、会見。補充裁判員の女性は「黙秘は一番残念だった。被告に真実を話してもらえる機会があればいいなと思う」と話した≫(二〇一二年十二月四日、共同通信の配信記事)
≪黙秘した上田被告には、四十代の男性が「やっていないなら、やっていない根拠を語って欲しかった」とし、女性は「いつか真実を話す時が来れば」と望んだ≫(同十二月五日付、読売新聞朝刊)
≪米子市の男性は「無実なら黙秘は駄目だ」と話した≫(同日付、日本海新聞朝刊)
この程度の認識の者たちが裁判員を務め、一段高い法壇から判決を宣告したと考える時、私は暗澹たる気持になってしまう。
しかし、上田被告は、死刑判決が下された法廷でも、閉廷の際、「ありがとう、ございました」と言って、裁判長と裁判員にぺこりと頭を下げたのだそうです。著者は、そんな被告の態度に「目と耳を疑った」と書いていました。上田被告は、そういった礼儀正しさも併せ持っているのだそうで、その姿を想像するになんだかせつなさのようなものさえ覚えてなりません。
これで二審も死刑判決が出たわけですが、青木理氏が言うように、「遅きに失した」感は否めません。事件の真相はどこにあるのか。無罪を主張する被告の声は、あまりにも突飛で拙いため、まともに耳を傾けようする者もいません。被告に「無知の涙」(永山則夫)を見る者は誰もいないのです。そして、刑事裁判のイロハも理解してない素人裁判員が下した極刑が控訴審でも踏襲されてしまったのでした。そう思うと、よけい読後のやりきれなさが募ってなりませんでした。