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車椅子生活は相変わらずつづいているし、「薬の副作用でパンパンにむくれてブスになり」、「時々、もう何もかもが嫌になる」と書いていました。「しかも薬の副作用で思うように舌が回らず、テレビに出ても『何言ってるかわからない。あんなのコメンテイターとしてテレビに出すな』なんて言われる始末」だそうです。
それで、「5時に夢中!」のプロデューサーに、番組を降板するとメールを送ったというのです。さらに、副作用をもたらした「ステロイド」と「ホリゾン」の服用もやめると宣言しているのです。
「覚悟」どころか、なんだかますます弱気になっている感じで、中村うさぎらしさも消えています。
「去年の今頃は、自分が立ても歩けもしなくなるなんて夢にも思わなかった。」と書いていましたが、たしかに病気になってそれまでの人生が一変するのはよくあることです。
私の身近でも、最近、超難関大学を出て有名企業で役員までしていた同級生が、脳梗塞で倒れて半身不随になり、家族を東京に残してひとり九州に帰ったという話がありました。文字通り人生が一変したのです。そんな話は枚挙に暇がありません。
入院していた二十歳のとき、隣の部屋の女性患者が、病院の裏山で首を吊って自殺したという出来事がありました。私は彼女とは親しくしていて、夕食を終えると、彼女の部屋を訪れて小1時間話をするのが日課になっていました。同病相哀れむではないですが、お互い重い病を背負い、病気のために仕事や学校も辞め、夢も希望も閉ざされたような気持で入院生活を送っていたのです。
早朝、彼女が自殺したという話を聞いたとき、私は、自分でも不思議なくらい冷静で、「やっぱり」と思いました。私は、彼女の気持が痛いほどよくわかりました。私自身も、彼女と同じような気持だったからです。彼女はいつも枕元にマリア像を置き、月に何度か神父さんが病室を訪れてお祈りを捧げていましたが、信仰も救いにならなかったのです。
でも、この年になると、その頃のように死にたいと思うことはなくなりました。なぜなら、いづれ死が訪れることがわかっているからです。死は間違いなくやってくる。それは、明日かもしれないし、1カ月後かもしれないし、1年後かも10年後かもしれません。死を意識するようになると、死にたいという気持は逆に遠ざかっていくのです。人間というのは、なんと勝手で単純なんだろうと思います。
絶望もまた人生だし、悲しみもまた人生だし、つらさもせつさなもやり切れなさも、みんな人生です。「いいことなんてなにもない」のもまた人生です。
私が以前通っていた病院で知り合った人たちも、みんな病気によって人生が一変した人たちでした。
倒れる前は女子高生を愛人にしていたとうそぶく男性は、半身不随になり、今は生活保護を受ける身ですが、いつも元気いっぱいで、病院のロビーで私の姿を見つけると、「待ってたよ」「コーヒー飲む?」と言いながら笑顔でやってくるのでした。私が「脳梗塞になったのはバチが当たったんじゃないの」と言うと、彼は、「ヘヘへ」と笑って、不自由な手で坊主頭を掻くしぐさをするのでした。
また、20代の頃に離婚して、それから女手ひとつで3人の子どもを育てたという女性は、50代の半ばで難病(病名を何度聞いても覚えられないようなめずらしい病気でした)を発症して、不自由な身体になり、車椅子のうしろにチューブでつながった尿を入れる袋を提げて、いつもロビーをウロウロしていました。「子どもも育ったし、これから好きなことをして生きようと思っていた矢先にこんな病気になって」「なんのための人生だったかと思うけどね」と言いながら、退院後に入居するグループホーム探しに忙しんだと言っていました。
彼らは、死の淵をさまよったことで、そんなに積極的ではないかもしれませんが、もう一度生への欲求を抱くようになったように見えます。彼らを見ていると、ちょっとしたささやかなことでもそれを希望にして生きているような気がするのです。
中村うさぎを見ていると、ネットの見すぎのような気がしてなりません。本を読まない作家というのがいるそうですが、中村うさぎもそのひとりかもしれません。その分、ネットに依存しているのではないか。
中村うさぎには、あんなネットの「バカと暇人」にふりまわされてどうするんだと言いたいです。私も中村うさぎを批判することがありますが、毀誉褒貶それもまた人生です。せっかく神様からもらった命じゃないかなんてくさい言い方をするつもりはありませんが、死は否が応でもやってくるのです。それまでもう少ししぶとく且つふてぶてしく生きてもらいたいと思いますね。
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