「吉田清治証言」の記事取り消しに関する朝日新聞へのバッシングは、エスカレートするばかりです。安倍首相も、「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められている。朝日新聞自体が、もっと努力していただく必要がある」などとわざわざコメントして、バッシングをさらに煽っているのでした。
朝日が最初に「吉田証言」を記事にしたのは1982年9月ですが、既に90年代の初めには、慰安婦問題を調査する関係者の間でも、「吉田証言」に対して疑問を呈する意見が出ていたそうです。木村伊量社長も記者会見で言っていたように、朝日の訂正はあまりに遅きに失した感は否めません。そこには、日本を代表するクオリティペーパー(?)たる朝日の夜郎自大な体質が露呈しているような気がしてなりません。
もっとも、「吉田証言」を記事にしたのは、朝日だけではないのです。読売新聞も産経新聞も(共同通信も毎日新聞も)、同じように「吉田証言」を大々的に取り上げているのですが(産経新聞は書籍化して「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」という賞まで受賞しているのですが)、もちろん訂正もしていません。それどころか、みずからは頬かむりをしたまま、連日、朝日バッシングをくり広げてているのです。別に朝日の肩をもつわけではありませんが、どうして朝日だけがこのように執拗にバッシングされるのかという疑問はどうしてもぬぐえません。
うがった見方をすれば、今回のバッシングとNHKの人事問題がリンクしているような気がしてならないのです。というのも、2001年NHK教育テレビが放送したETV特集・「問われる戦時性暴力」という慰安婦問題を扱った番組に対して、安倍晋三氏が中川昭一氏(故人)とともに、内容が「反日的」だとしてNHKに圧力をかけて番組内容を改変させた(と言われている)”事件”があったのですが(それが今回のNHK人事の伏線になっていると言われているのですが)、その際、安倍氏らの介入を記事にして二人の行為を批判したのがほかならぬ朝日新聞だったからです。ちなみに、当時、安倍氏らと一緒になってNHKに抗議をしていた「愛国」団体の多くは、のちにネットから進出した団体を除いて、今のヘイト・スピーチをおこなっている団体とほぼ重なっています。
また、上記の安倍首相の「世界に向かってしっかりと取り消す」という発言に、慰安婦の存在そのものを否定する歴史修正主義的な底意があるのは間違いないでしょう。そして、その先に、「戦時性暴力」を認めた「河野談話」の空洞化&見直しの狙いがあることは疑いえないのです。
しかし、「河野談話」が作成された経緯を見れば誰でもわかることですが、「河野談話」と「吉田証言」はなんら関係がないのです。あたかもそれらが関係があるかのように言い放つバッシングには、あきらかに意図的なウソ(情報操作)があります。「河野談話」を作成するために政府が二度に渡っておこなった調査においても、「吉田証言」は「信憑性が疑わしい」として調査の対象から外されているのです。その意味では、「問題の核心は変わらない」という朝日新聞の発言は、開き直りでもなんでもなく事実を言っているだけです。
Peace Philosophy Centre 緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」(田中利幸)日本政府は、1991年7月に公表した「第一次調査」のなかで、慰安所の設置や管理及び「慰安婦」の募集や管理等について、当時の政府や軍が関与していたことは認めたものの、慰安婦にするために女性を強制連行したことについては、「資料が見つからない」として認知を留保したために、内外の批判を浴びました。そのため、翌年の1992年から「第二次調査」を開始し、1993年8月4日にその調査結果を公表しました。
政府(内閣外政審議室)は、「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題したこの第2次調査の結果を、1993年8月4日に公表したが、その中で以下の3点を調査対象としたことが説明されている。
調査対象機関:
警視庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館
関係者からの聞き取り:
元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総務府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家
参考とした国内外の文書及び出版物:
韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。」
その結果として、「慰安所」の経営と「慰安婦」の募集については、以下のように報告している。
「(6)慰安所の経営及び管理:
慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していたケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。
慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊道具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の検査を行う等の措置をとった。慰安婦の外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦域においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかである。
(7)慰安婦の募集:
慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況下で、業者らが或は甘言を弄し、或は畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。」
(緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」)
これは、日本政府が発表したれっきとした調査結果です。それを今になって反故にするような態度をとっているのですから、国際社会にとうてい受け入れられるものではないでしょう。朝日新聞がどうしたというような話ではないのです。
しかも、「性奴隷」「強制連行」は、それだけにとどまりません。
(略)日本軍将兵が女性を暴力的に略取してきて強姦し、長期間にわたって性奴隷として監禁した例は、抗日武装活動が激しかった中国大陸北東部やフィリッピンでは数多くあったことがこれまでの調査研究で明らかとなっている。さらにインドネシアでは抑留所に入れられていたオランダ人市民女性を日本軍が文字通り強制連行して「慰安所」に送り込み、強姦したうえで性奴隷にしたこと(いわゆる「スマラン事件」)が戦後のオランダ軍による戦犯裁判でも明らかにされた。
(同上)
慰安所や慰安婦については、中曽根康弘元首相(当時は海軍主計官)やフジサンケイグループの元議長で、産経新聞の社長でもあった故・鹿内信隆氏(当時は陸軍経理部)も、それぞれ自著で、自慢げに”証言”している事実さえあります。
リテラ中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り一方、朝日をバッシングする人たちのなかには、朝日の「罪」の本質は、「河野談話」より「クマラスワミ報告」のほうにあるという意見もあります。つまり、朝日の「吉田証言」が慰安婦問題を「性暴力」と認定した国連の「クマラスワミ報告」に根拠を与え、そのために世界に「性暴力」という間違ったイメージを流布させることになったという意見です。しかし、「クマラスワミ報告」の「性暴力」の記述も、朝日の記事とは直接関係がないとクマラスワミ氏自身も明言しているのです。
リテラ朝日誤報と国連の批判は無関係…安倍政権の慰安婦問題スリカエを暴くまた、もうひとつの誤報、同じ「吉田」なのでややこしいのですが、福島第一原発の事故に現場で対応した吉田昌郎元所長(故人)に対して、事故の4ヶ月後から政府の事故調査・検証委員会が行った聴取記録、いわゆる「吉田調書」をめぐる誤報も、なんだか意図的なものを感じてなりません。
朝日はどこからかのリークによって「吉田調書」の一部を手に入れ、誤報につながるスクープをものにしたのですが、朝日のスクープのあと、今度は産経新聞が朝日のスクープを否定する記事を書いているのです。もちろんそれもリークによるものでしょう。相反するふたつのリーク。そして、今回の公開によって朝日の誤報がはっきりしたのでした。
公開するかどうかは政府の胸三寸でしたので、そこになんらかの計算がはたらいていたとしても不思議ではないでしょう。「吉田清治証言」の記事取り消しのあとの絶妙のタイミングで一転方針が転換され、公開された「吉田調書」。それによって、朝日新聞はさらにバッシングの嵐に見舞われ窮地に陥ることになったのでした。
ただ、「吉田証言」に対しての朝日バッシングは、逆に言えば、慰安婦問題に再び光を当て、慰安婦問題を国民的議論の俎上に乗せるいいチャンスだとも言えるのです。
それは、戦争責任に頬かぶりをして、国体を守るために、”昨日の敵”に取り入り、「敗戦」を「終戦」と言い換えた戦後の虚妄をあきらかにするチャンスでもあります。もっとありていに言えば、おじいちゃんの戦争責任を否定するために、ヘイトなナショナリズムを煽り、戦争を煽っている末裔のいびつな「愛国」心をあきらかにするチャンスでもあるのです。
たしかに、慰安婦問題は、日本人にとって見たくないもの、認めたくないものかもしれません。それは、私たちの祖父や父親の世代がおこなった悪夢のような”恥ずかしい行為”です。もちろん、彼ら日本兵は、赤紙一枚で戦争に駆り出された”被害者”という一面もあります。それに、戦時の極限状況がもたらした特殊な行為という側面もあるかもしれません。でも、そこにはまぎれもなく兵士の欲望のはけ口にされ、女性の尊厳を蹂躙され戦争の犠牲になった女性たちがいることは事実なのです。その事実を事実として認めるのが、近代社会に生きる人間としての最低限のあり方ではないでしょうか。それは、戦時でも平時でも関係ないはずです。どの国でもやっている、誰でもやっているというのは、低劣な言い逃れにすぎず、とうてい近代社会の論理に受け入れられるものではないでしょう。ましてや、その事実から目をそむけている限り、ソ連兵やアメリカ兵が日本人婦女子に対しておこなった蛮行を批判することができないのは当然でしょう。
大日本帝国陸軍は大局的な作戦を立てず、希望的観測に基づき作戦を立て(同盟国のナチス・ドイツが勝つことを前提として、とか)、陸海軍統合作戦本部を持たず、嘘の大本営発表を報道し、国際法の遵守を徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。(引用者注:原文では「唯一の」に傍点あり)
(『愛と暴力の戦後とその後』赤坂真理・講談社現代新書)
私たちが目を向けるべきは、中国や韓国の「反日」な世論でも、朝日新聞の報道でもなく、こういった戦争に私たちの祖父や父親たちを駆り出した戦争指導者たちの責任なのではないでしょうか。そして、どうして他国民に対しても自国民に対しても戦争責任があきらかにされなかったのか、誰も責任をとらなかったのか、という問題にもう一度立ちかえり、戦後を検証することではないでしょうか。朝日新聞バッシングは、そのいいチャンスなのだと思います。
しかし、文春や新潮の問題でも示されているように、(江藤淳の言い方を”反語的”に借用すれば)戦後の「閉ざされた言語空間」では、そのせっかくのチャンスを生かすことができないのは自明でしょう。象徴天皇制と平和憲法がワンセットになったのがアメリカの占領政策でした。そんな「天皇制民主主義」(加藤典洋氏)のもとにおいては、改憲派も護憲派も、「保守」と「革新」も、単に「一つの人格の分裂」、ジキルとハイドでしかないのです。「改憲」やヘイト・スピーチが文春や新潮に支えられているように、「反戦」や「反核」も文春や新潮に支えられているのです。そういった戦後の「閉ざされた言語空間」に依拠している限り、せっかくのチャンスを生かすことができず、「本音モード」としての「熱狂なきファシズム」(想田和弘氏)に飲みこまれるのがオチでしょう。
『敗戦後論』で加藤典洋氏が書いていましたが、マーク・ゲインの『ニッポン日記』によれば、連合軍総司令部民政局長のコートニー・ホイットニーは、自分たちで作成した憲法草案を日本側の検討チームの閣僚たちにつきつけた際、「総司令官マッカーサーはこれ以外のものを容認しないだろう」と述べて、日本側に15分間検討の時間を与え、「隣のベランダに退いた」のだそうです。するとほどなく爆撃機が1機、「家をゆさぶるように」検討チームがいる家屋すれすれに飛んで行き、そして、15分後、部屋に戻ったホイットニーはこう言ったのだとか。
”We have been enjoying your atomic sunshine”
加藤典洋氏は、平和憲法の武力放棄条項が、このように「武力による威嚇の下で押しつけられ、さしたる抵抗もなく受けとめられた」、その「矛盾」「自家撞着」を「ねじれ」と表現したのでした。その結果、「戦後」の日本は、平和憲法の理念は称賛するが、それを信じてないという「二枚舌」(「自家撞着」)のなかで生きることになったのです。
新憲法は、そのあと、天皇の勅語とマッカーサーの支持表明を経て、国会で採択され公布されるのですが、このホイットニーのジョークを「屈辱」と感じた日本人がどれだけいたでしょうか。戦後の虚妄をあきらかにするためには、私たちは、まず、アメリカの核の傘の下(atomic sunshine)で空疎なことば(与えられた常套句)を弄ぶだけの「閉ざされた言語空間」を対象化することからはじめなければならないのです。すべてはそこからはじまるのだと思います。『永続敗戦論』で白井聡が書いていたように、戦後はまだ終わってはいないし、まだはじまってもいないのです。
※タイトルを変更しました(9/20)
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『永続敗戦論』