今月の高橋源一郎氏の「論壇時評」(朝日新聞)は、なぜか「個人的な意見」と断った上で、「愛国」の「作法」について書いていました。

朝日新聞デジタル
(論壇時評)〈個人的な意見〉 「愛国」の「作法」について

朝日新聞の誤報に対するバッシングについて、高橋氏はつぎのように書いていました。

 その中には、有益なものも、深く考えさせられるものもある。だが、ひどいものも多い。ひどすぎる。ほんとに。罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐。そして、「反日」や「売国」といったことばが頻出する。


総理大臣はじめ政権与党のなかに、「反日」や「売国」を煽る政治家が何人もいるのですから、”煽られる人たち”がますますエスカレートするのは当然でしょう。国家公安委員長という警察行政のトップが、その政治信条にシンパシーを表明するほどヘイト・スピーチのメンバーと親しい関係にあることを考えれば、ヘイト・スピーチに対して刑事訴迫を求める国連の勧告もなんだか悪い冗談のように思えてきます。

 自称「愛国者」たちは、「愛国」がわかっていないのではない。「愛」が何なのかわかっていないのだ、とおれは思う。こんなこといってると、おれも、間違いなく「反日」と認定されちまうな。いやになっちゃうぜ。


でも、高橋氏のように、ただ嘆くばかりではなにもはじまらないのです。これもおなじみの常套句と言えます。

私は、高橋氏と違って、やはり「自称『愛国者』たちは、『愛国』がわかっていない」のだと思います。そこには、「愛国」と「売国」が逆さまになった「戦後」という時代の背理が露呈されているのです。まず「戦後」を疑うことでしょう。高橋氏と親しい加藤典洋氏のことばを借用すれば、敗戦を「終戦」と言い換えた虚妄の時代の、その「ねじれ」や「汚れ」を直視することではないでしょうか。

たとえば、加藤氏が『敗戦後論』で紹介していた大岡昇平のつぎのような文章。

 わが家の日の丸は無論、終戦後米袋に化けた。そのうち破れて、その用をなさなくなったから、すててしまった。以来うちには日の丸はない。
 日本は再び独立し、勝手な時に日の丸を出せることになったが、僕はひそかに誓いを立てている。外国の軍隊が日本の領土上にあるかぎり、絶対に日の丸をあげないということである。
 捕虜になってしまったくらいで弱い兵隊だったが、これでもこの旗の下で、戦った人間である。われわれを負かした兵隊が、そこらにちらちらしている間は、日の丸を上げない。これが元兵隊の心意気というものである。(『白地に赤く』1957年)


 自衛隊幹部なんかに成り上がった元職業軍人が神聖な日の丸の下に、アメリカ風なお仕着せの兵隊の閲兵なんかやっている光景を見ると、胸くそが悪くなる。恥知らずにも程がある。
 捕虜収容所では国旗をつくるのは禁ぜられていた。帰還の日が来て、船へ乗るためタクロバンの沖へ筏でひかれて行ったら、われわれが乗るのは復員船になり下がった「信濃丸」で、船尾に日の丸が下っていた。
 海風でよごれたしょぼたれた日の丸だった。
 私が愛する日の丸は、こういう汚れた日の丸で、「建国記念日復活促進国民大会」なんかでふり回されるおもちゃの日の丸なんか、クソ食らえなのだ。(同前)


ここにあるのが、「文学のことば」です。それは、「愛国」とはないかということを考えさせられることばなのです。

赤坂真理は、『愛と暴力の戦後とその後』で、「戦後」の日本は、「政治は右翼的でありながら、言論や教育は左翼的だった」と書いていましたが、「左翼的」であったかどうかは別にしても、言論や教育に平和憲法と共有するリベラルな理念が存在していたのは事実でしょう。でも、それは、象徴天皇制とワンセットになった占領政策の置き土産でしかなかったのです。だから、今のようにカルトな右翼政権が生まれ、社会が「本音モード」に変われば、もちつもたれつの「双生児的関係」(アメリカの核の傘の下での「まれに見る不思議な幸福さ」)が、反故にされるのは当然でしょう。高橋源一郎氏の嘆きも、そんな「まれに見る不思議な幸福さ」への郷愁にすぎないように思います(それこそが「閉された言語空間」というものです)。

一水会の鈴木邦男氏は、雑誌『創(9・10月号)のコラム(「言論の覚悟」真の愛国心とは何か)で、戦争前、東條英機のもとに、一般国民から「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような「攻撃・脅迫」めいた手紙が段ボール箱に何箱も届いたというお孫さんの話を紹介していましたが、そうやって国民もマスコミもみんな一緒になって戦争を煽っていたのです。東條英機らは、そんな声に押されるように、「人間たまには清水の舞台から飛び降りるのも必要だ」という有名なセリフを残して、無謀な戦争へと突き進んでいったのでした。でも、戦争が終わったら、いつの間にか国民は、軍部に騙された「被害者」になっていたのです。

加藤典洋氏は、これを「歪み」あるいは「汚れ」と表現したのですが、そんな大衆の欲望と感情が生み出すいびつな光景を冷徹な目で描出するのが「文学のことば」でしょう。私たちが作家・高橋源一郎に求めるのはそんな(大岡昇平のような)ことばなのです。
2014.09.26 Fri l 社会・メディア l top ▲
愛と暴力と戦後とその後


著者の赤坂真理は、アメリカの歴史家ジョン・ダワーが著した『敗北を抱きしめて』という占領期研究の書名について、「抱きしめて」の原題”Embracing”には、日本語の「抱きしめる」よりもっと性的なニュアンスが強く、そこには「性的な含み」さえあると書いていました。

どうして日本人は、”昨日の敵”をあれほど愛したのか。

赤坂真理はそう問います。そして、日本国憲法や日米安保条約の文言のなかに、その甘美な関係を成り立たせている「欲望」のありかを探ろうとするのでした。

たとえば、「戦争を放棄する」の「放棄」は、原文では”renounce”という動詞ですが、これは「自発的に捨てる」というニュアンスが含まれているのだそうです。「他者の(引用者注:傍点あり)言葉で、『私はこれを自発的に捨てる』と言うことほど、倒錯的なことはない」「こういう単語が、私たちの憲法に、他者のしるしとして刻印されている」と。

「侵略戦争」ということばも然りです。東京裁判の起訴状では、”War of aggression”と書かれているのですが、”aggression”は「攻撃性」を意味することばであり、先制攻撃をかけた戦争、それが「侵略戦争」と訳されるのです。

1951年の日米安保条約にも、同じように二者の関係性が戦勝国のことばで、そして、戦勝国の論理で表現されているのでした。

”Japan desires a Security Treaty with the United States of America”
日本国は欲する / アメリカ合衆国との間に安全条約を結ぶことを

”Japan grants, and the United States of America accepts to dispose United States land, air ”
日本国は保証し、アメリカ合衆国が受け容れる / 陸、海、空の武力を日本国内と周辺に配置することを。


そして、赤坂真理は、つぎのように書きます。

 日本が欲し、アメリカ合衆国にお願いする。
 日本が保証し、アメリカ合衆国は受け容れる。
 決して、逆ではなく。
 それをアメリカ合衆国が、書く。
 他人の手で、ありもしない欲望を、自分の欲望として書かれること。まるで「共犯」めいた記述を、入れ子のような支配と被支配性。ほとんど男女関係のようだと思う。誘うもの、誘発されること。条約にここまで書かれるものなのか。いや、条約とはもともと関係の写し絵なのか。二者しか知らない直接の占領期の生々しさがここにある。そして、二者にしかわかりがたい、占領期の甘美さも、ここにある。


もちろん、それらは日本語に翻訳され日本語として解釈されます。その日本語のなかには、当然「漢字」も含まれています。「漢字」は、英語では”Chinese character”と言うそうで、文字通りそれは漢=中国の文字なのです。私たちの元に届くまでには、二重の翻訳が存在しているとも言えるのです。

 漢字はもともとは中国でも言葉が通じない人たちのための字だったらしい。広い国土で、放言同士が通じないような人たちが商売をするときの、読めなくても見ればわかる符牒であったらしい。そんな漢字を、日本人が日本語として、外国語の翻訳に使ったとき、実はかなり危険なことが起きたと思う。
 そして私たちはその上に自らを規定している。


私たちはただわかったつもりになっているだけではないのか。赤坂真理が言うように、私たちは、自らが告発されたことばを「私たちの言語に照らし、じっくり精査したことが、一度だってあったのか」。そもそも私たちは「私たちの言語」をもっているのか。

天皇を「元首」とする自民党の改憲案について、赤坂真理はこう書きます。

 けれど、権力を渡す気などさらさらないのに、「元首」である、と内外に向けて記述するのは、まずいだろう?
 しかし・・・。
 私はここではたと考え込んでしまった。
 それが、明治に日本国をつくり運営し記述した者の、したことではないのか?
 天皇権威を崇め、利用し、しかし実権を与えない。


それは誰も責任を取らない巧妙なシステムです。そんなこの国の近代を貫く「無責任体系」が、歴史修正主義という亡霊をよみがえらせる要因になっているのではないか。責任を取るべき人間が責任を取らずに、”昨日の敵”に取り入り、挙句の果てにはあの戦争は正しかったと言い出す。一方で、私たちには、戦死者より病死者や餓死者のほうがはるかに多かったあの無謀な戦争に、国民を駆り出した戦争指導者たちを告発することばさえもってないのです。

戦争に負けたにもかかわらず、甘美な幸福に包まれていたなんてこれ以上の「侮辱」があるでしょうか。しかも、その「侮辱」を旗印に「愛国」が叫ばれているのです。誰も責任を取らず、誰も「総括」しなかった。だから、戦争の暴力の残り香が連合赤軍やオウムを生み出したのだ、という著者の解釈は、そのとおりだと思いました。

「私たちは敗戦を忘れることにした。そして、他人の欲望を先読みして自分の欲望とすることに夢中になった」のです。それを対米従属と言ってしまえば簡単ですが、しかし、産経新聞に見られるように、ナショナリズムでさえ”対米従属「愛国」主義”とも言うべきゆがんだものにならざるを得ないほど、その”病理”は深刻なのです。

著者は、80年代のバブル期で「戦後は終わった」と書いていましたが、しかし、(何度も同じことをくり返しますが)戦後は終わってはいないし、はじまってもいないのです。あの戦争を「総括」しない限り、戦後は終わらないし、はじまりもしないのです。「敗戦を忘れることにする」ような(歴史に対する)不誠実な態度で、どうして戦後なんてあり得るだろうと思います。


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『永続敗戦論』
2014.09.21 Sun l 本・文芸 l top ▲
「吉田清治証言」の記事取り消しに関する朝日新聞へのバッシングは、エスカレートするばかりです。安倍首相も、「世界に向かってしっかりと取り消すことが求められている。朝日新聞自体が、もっと努力していただく必要がある」などとわざわざコメントして、バッシングをさらに煽っているのでした。

朝日が最初に「吉田証言」を記事にしたのは1982年9月ですが、既に90年代の初めには、慰安婦問題を調査する関係者の間でも、「吉田証言」に対して疑問を呈する意見が出ていたそうです。木村伊量社長も記者会見で言っていたように、朝日の訂正はあまりに遅きに失した感は否めません。そこには、日本を代表するクオリティペーパー(?)たる朝日の夜郎自大な体質が露呈しているような気がしてなりません。

もっとも、「吉田証言」を記事にしたのは、朝日だけではないのです。読売新聞も産経新聞も(共同通信も毎日新聞も)、同じように「吉田証言」を大々的に取り上げているのですが(産経新聞は書籍化して「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」という賞まで受賞しているのですが)、もちろん訂正もしていません。それどころか、みずからは頬かむりをしたまま、連日、朝日バッシングをくり広げてているのです。別に朝日の肩をもつわけではありませんが、どうして朝日だけがこのように執拗にバッシングされるのかという疑問はどうしてもぬぐえません。

うがった見方をすれば、今回のバッシングとNHKの人事問題がリンクしているような気がしてならないのです。というのも、2001年NHK教育テレビが放送したETV特集・「問われる戦時性暴力」という慰安婦問題を扱った番組に対して、安倍晋三氏が中川昭一氏(故人)とともに、内容が「反日的」だとしてNHKに圧力をかけて番組内容を改変させた(と言われている)”事件”があったのですが(それが今回のNHK人事の伏線になっていると言われているのですが)、その際、安倍氏らの介入を記事にして二人の行為を批判したのがほかならぬ朝日新聞だったからです。ちなみに、当時、安倍氏らと一緒になってNHKに抗議をしていた「愛国」団体の多くは、のちにネットから進出した団体を除いて、今のヘイト・スピーチをおこなっている団体とほぼ重なっています。

また、上記の安倍首相の「世界に向かってしっかりと取り消す」という発言に、慰安婦の存在そのものを否定する歴史修正主義的な底意があるのは間違いないでしょう。そして、その先に、「戦時性暴力」を認めた「河野談話」の空洞化&見直しの狙いがあることは疑いえないのです。

しかし、「河野談話」が作成された経緯を見れば誰でもわかることですが、「河野談話」と「吉田証言」はなんら関係がないのです。あたかもそれらが関係があるかのように言い放つバッシングには、あきらかに意図的なウソ(情報操作)があります。「河野談話」を作成するために政府が二度に渡っておこなった調査においても、「吉田証言」は「信憑性が疑わしい」として調査の対象から外されているのです。その意味では、「問題の核心は変わらない」という朝日新聞の発言は、開き直りでもなんでもなく事実を言っているだけです。

Peace Philosophy Centre
緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」(田中利幸)

日本政府は、1991年7月に公表した「第一次調査」のなかで、慰安所の設置や管理及び「慰安婦」の募集や管理等について、当時の政府や軍が関与していたことは認めたものの、慰安婦にするために女性を強制連行したことについては、「資料が見つからない」として認知を留保したために、内外の批判を浴びました。そのため、翌年の1992年から「第二次調査」を開始し、1993年8月4日にその調査結果を公表しました。

政府(内閣外政審議室)は、「いわゆる従軍慰安婦問題について」と題したこの第2次調査の結果を、1993年8月4日に公表したが、その中で以下の3点を調査対象としたことが説明されている。

調査対象機関:
警視庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館

関係者からの聞き取り:
元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総務府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家

参考とした国内外の文書及び出版物:
韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。」

その結果として、「慰安所」の経営と「慰安婦」の募集については、以下のように報告している。

「(6)慰安所の経営及び管理:
 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営していたケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。

 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊道具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の検査を行う等の措置をとった。慰安婦の外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦域においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかである。

 (7)慰安婦の募集:
 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況下で、業者らが或は甘言を弄し、或は畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。」
(緊急寄稿「河野談話検証報告を検証する」)


これは、日本政府が発表したれっきとした調査結果です。それを今になって反故にするような態度をとっているのですから、国際社会にとうてい受け入れられるものではないでしょう。朝日新聞がどうしたというような話ではないのです。

しかも、「性奴隷」「強制連行」は、それだけにとどまりません。

(略)日本軍将兵が女性を暴力的に略取してきて強姦し、長期間にわたって性奴隷として監禁した例は、抗日武装活動が激しかった中国大陸北東部やフィリッピンでは数多くあったことがこれまでの調査研究で明らかとなっている。さらにインドネシアでは抑留所に入れられていたオランダ人市民女性を日本軍が文字通り強制連行して「慰安所」に送り込み、強姦したうえで性奴隷にしたこと(いわゆる「スマラン事件」)が戦後のオランダ軍による戦犯裁判でも明らかにされた。
(同上)


慰安所や慰安婦については、中曽根康弘元首相(当時は海軍主計官)やフジサンケイグループの元議長で、産経新聞の社長でもあった故・鹿内信隆氏(当時は陸軍経理部)も、それぞれ自著で、自慢げに”証言”している事実さえあります。

リテラ
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り

一方、朝日をバッシングする人たちのなかには、朝日の「罪」の本質は、「河野談話」より「クマラスワミ報告」のほうにあるという意見もあります。つまり、朝日の「吉田証言」が慰安婦問題を「性暴力」と認定した国連の「クマラスワミ報告」に根拠を与え、そのために世界に「性暴力」という間違ったイメージを流布させることになったという意見です。しかし、「クマラスワミ報告」の「性暴力」の記述も、朝日の記事とは直接関係がないとクマラスワミ氏自身も明言しているのです。

リテラ
朝日誤報と国連の批判は無関係…安倍政権の慰安婦問題スリカエを暴く

また、もうひとつの誤報、同じ「吉田」なのでややこしいのですが、福島第一原発の事故に現場で対応した吉田昌郎元所長(故人)に対して、事故の4ヶ月後から政府の事故調査・検証委員会が行った聴取記録、いわゆる「吉田調書」をめぐる誤報も、なんだか意図的なものを感じてなりません。

朝日はどこからかのリークによって「吉田調書」の一部を手に入れ、誤報につながるスクープをものにしたのですが、朝日のスクープのあと、今度は産経新聞が朝日のスクープを否定する記事を書いているのです。もちろんそれもリークによるものでしょう。相反するふたつのリーク。そして、今回の公開によって朝日の誤報がはっきりしたのでした。

公開するかどうかは政府の胸三寸でしたので、そこになんらかの計算がはたらいていたとしても不思議ではないでしょう。「吉田清治証言」の記事取り消しのあとの絶妙のタイミングで一転方針が転換され、公開された「吉田調書」。それによって、朝日新聞はさらにバッシングの嵐に見舞われ窮地に陥ることになったのでした。

ただ、「吉田証言」に対しての朝日バッシングは、逆に言えば、慰安婦問題に再び光を当て、慰安婦問題を国民的議論の俎上に乗せるいいチャンスだとも言えるのです。

それは、戦争責任に頬かぶりをして、国体を守るために、”昨日の敵”に取り入り、「敗戦」を「終戦」と言い換えた戦後の虚妄をあきらかにするチャンスでもあります。もっとありていに言えば、おじいちゃんの戦争責任を否定するために、ヘイトなナショナリズムを煽り、戦争を煽っている末裔のいびつな「愛国」心をあきらかにするチャンスでもあるのです。

たしかに、慰安婦問題は、日本人にとって見たくないもの、認めたくないものかもしれません。それは、私たちの祖父や父親の世代がおこなった悪夢のような”恥ずかしい行為”です。もちろん、彼ら日本兵は、赤紙一枚で戦争に駆り出された”被害者”という一面もあります。それに、戦時の極限状況がもたらした特殊な行為という側面もあるかもしれません。でも、そこにはまぎれもなく兵士の欲望のはけ口にされ、女性の尊厳を蹂躙され戦争の犠牲になった女性たちがいることは事実なのです。その事実を事実として認めるのが、近代社会に生きる人間としての最低限のあり方ではないでしょうか。それは、戦時でも平時でも関係ないはずです。どの国でもやっている、誰でもやっているというのは、低劣な言い逃れにすぎず、とうてい近代社会の論理に受け入れられるものではないでしょう。ましてや、その事実から目をそむけている限り、ソ連兵やアメリカ兵が日本人婦女子に対しておこなった蛮行を批判することができないのは当然でしょう。

 大日本帝国陸軍は大局的な作戦を立てず、希望的観測に基づき作戦を立て(同盟国のナチス・ドイツが勝つことを前提として、とか)、陸海軍統合作戦本部を持たず、嘘の大本営発表を報道し、国際法の遵守を徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。(引用者注:原文では「唯一の」に傍点あり)
(『愛と暴力の戦後とその後』赤坂真理・講談社現代新書)


私たちが目を向けるべきは、中国や韓国の「反日」な世論でも、朝日新聞の報道でもなく、こういった戦争に私たちの祖父や父親たちを駆り出した戦争指導者たちの責任なのではないでしょうか。そして、どうして他国民に対しても自国民に対しても戦争責任があきらかにされなかったのか、誰も責任をとらなかったのか、という問題にもう一度立ちかえり、戦後を検証することではないでしょうか。朝日新聞バッシングは、そのいいチャンスなのだと思います。

しかし、文春や新潮の問題でも示されているように、(江藤淳の言い方を”反語的”に借用すれば)戦後の「閉ざされた言語空間」では、そのせっかくのチャンスを生かすことができないのは自明でしょう。象徴天皇制と平和憲法がワンセットになったのがアメリカの占領政策でした。そんな「天皇制民主主義」(加藤典洋氏)のもとにおいては、改憲派も護憲派も、「保守」と「革新」も、単に「一つの人格の分裂」、ジキルとハイドでしかないのです。「改憲」やヘイト・スピーチが文春や新潮に支えられているように、「反戦」や「反核」も文春や新潮に支えられているのです。そういった戦後の「閉ざされた言語空間」に依拠している限り、せっかくのチャンスを生かすことができず、「本音モード」としての「熱狂なきファシズム」(想田和弘氏)に飲みこまれるのがオチでしょう。

『敗戦後論』で加藤典洋氏が書いていましたが、マーク・ゲインの『ニッポン日記』によれば、連合軍総司令部民政局長のコートニー・ホイットニーは、自分たちで作成した憲法草案を日本側の検討チームの閣僚たちにつきつけた際、「総司令官マッカーサーはこれ以外のものを容認しないだろう」と述べて、日本側に15分間検討の時間を与え、「隣のベランダに退いた」のだそうです。するとほどなく爆撃機が1機、「家をゆさぶるように」検討チームがいる家屋すれすれに飛んで行き、そして、15分後、部屋に戻ったホイットニーはこう言ったのだとか。

”We have been enjoying your atomic sunshine”

加藤典洋氏は、平和憲法の武力放棄条項が、このように「武力による威嚇の下で押しつけられ、さしたる抵抗もなく受けとめられた」、その「矛盾」「自家撞着」を「ねじれ」と表現したのでした。その結果、「戦後」の日本は、平和憲法の理念は称賛するが、それを信じてないという「二枚舌」(「自家撞着」)のなかで生きることになったのです。

新憲法は、そのあと、天皇の勅語とマッカーサーの支持表明を経て、国会で採択され公布されるのですが、このホイットニーのジョークを「屈辱」と感じた日本人がどれだけいたでしょうか。戦後の虚妄をあきらかにするためには、私たちは、まず、アメリカの核の傘の下(atomic sunshine)で空疎なことば(与えられた常套句)を弄ぶだけの「閉ざされた言語空間」を対象化することからはじめなければならないのです。すべてはそこからはじまるのだと思います。『永続敗戦論』で白井聡が書いていたように、戦後はまだ終わってはいないし、まだはじまってもいないのです。

※タイトルを変更しました(9/20)

>> 『永続敗戦論』
2014.09.17 Wed l ネット l top ▲
また出たっ!、芸能界の魑魅魍魎! 

何度も同じことを書きますが、タレントが独立すると、どうしていつもゴシップが流され、「タレント生命の危機」などと言われるのか。先日の安室奈美恵とまったく同じパターンのゴシップ記事です。しかも、それに火を点けたのが、我らが週刊文春です。どこまでもわかりすぎるくらいわかりやすい話です。

江角マキコバッシングの核心は、つぎの文章に集約されています。

日刊サイゾー(2014年09月10日)
「もう叩いちゃっていいから!」各事務所の“お墨付き”で、江角マキコのスキャンダル報道が止まらない!?

 業界からも、江角を擁護する声は皆無だ。江角は今年3月に大手芸能プロ「研音」を辞め、独立。表向きは円満退社ということになっているが「ワガママな江角さんに事務所が業を煮やしたというのが、本当のところ」(芸能プロ幹部)。


背景にある「ママ友いじめ」は、事実関係においても人間関係においても、いろいろと入りくんだ事情があるようですが、朝日の「従軍慰安婦」問題と同じように、ものごとを牽強付会に解釈して、はじめにバッシングありきの悪意ある記事に仕立てているのでした。独立した途端、どうしてこういった記事が出てくるのか、まずそのカタクリを知る必要があるでしょう。

しかし、サイゾーをはじめ芸能マスコミは、まるで“乞食犬”(連中にはこの差別用語こそふさわしいでしょう!)のように、週刊文春がばらまく餌に群がり、我も我もと”江角叩き”の隊列に加わるのでした。そして、週刊文春の言うままに、「見てきたようなウソ」の大合唱をはじめるのです。

これじゃ悪貨が良貨を駆逐し、芸能界に魑魅魍魎が跋扈するのも当然でしょう。陰で高笑いをしている者たちがいることさえわからないのでしょうか。いや、わからないはずはないのです。芸能マスコミは、まさに彼らの走狗でしかないのです。

さらに、その悪意ある記事を真に受けて、「やっぱり江角ってワガママでひどい女だったのネ」とばかりに、”江角叩き”に動員される芸能ファンたち。日頃、マスコミなんてゴミだ、信用できない、なんて言いながら、週刊文春のような“マスゴミ”にいいように踊らされ、これみよがしに江角に罵言を浴びせる情弱なネット住人たち。彼らはいつでも”煽られる人たち”なのです。

その構造は、アベノミクスや特定秘密保護法や集団的自衛権行使などにおいても然りです。

カルトな総理大臣が妄想と現実をとり違え、周辺国を挑発して戦争を煽ると、週刊文春をはじめマスコミがいっせいに“鬼畜中韓”の記事を書き立てて戦争前夜のような”危機感”をふりまく。そして、ネットの情弱者たちが、そんな“マスゴミ”に煽られて「撃ちてし止まん」とばかりにヘイト・スピーチをがなり立てる。ここにも陰で高笑いをしている者たちがいることでしょう。

芸能界も政治も同じ構造のなかにあるのです。空念仏のように「言論・表現の自由」のお題目を唱えるだけで、肝心な”自由な言論”はどこにもないのです。それが今この国をおおいつつある全体主義の空気です。

関連記事:
『芸能人はなぜ干されるのか?』
江角マキコさんの手紙
2014.09.11 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
ブログの編集ページを見ていたら、当方のミスで、設定が「下書き」になったまま「公開」になってない記事が見つかりました。「保存」した日時は、2010年8月27日になっていましたので、ちょうど4年前の記事です。記事中にあるように、『日本の路地を旅する』のあとです。

ヘイト・スピーチは、決して今にはじまった問題ではないのです。ネットの書き込みを見ても、そのもの言いが、昔、私たちの上の世代が言っていたのとそっくり同じなのに驚かされます。つまり、差別のことばは、同じ構造のなかで連綿と受け継がれているのです。

それで、4年遅れになりましたが、あらためて本日付で記事をアップすることにしました(一部リンク切れを修正しました)。

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サンカの民と被差別の世界


『日本の路地を旅する』の流れで、五木寛之氏の『サンカの民と被差別の世界』(五木寛之 こころの新書・講談社)を読みました。私は、五木寛之氏が生まれた福岡県八女郡とは九州山脈をはさんでちょうど反対側の、大分県の山間の町で生まれ育ちましたので、やはり差別は身近にありました。門付けの芸人や物乞いを「カンジン」と呼んでいたのも同じです。

また、この本の中でも取り上げられていますが、同郷にサンカ小説で有名な三角寛がいましたので(三角寛は、池袋の文芸座を創設した人としても知られています)、サンカに対しても若い頃から興味をもっていました。

五木氏が本の中で書いていたように、田舎(農村)で家もなく土地もないような人達は、程度の差こそあれ、差別(蔑視)の対象になっていました。それは、言うまでもなく、定住して農業を営む在来の人間に対して、家も土地ももってない人間というのは、どこからかやってきた”よそ者”だったからでしょう。私の田舎でも、彼らの多くは山仕事をしたり山菜や川魚を取って、それを温泉旅館に売ったりして生計を立てていました。当然、生活は貧しくて、川岸や町はずれなどで、掘立小屋のような粗末な家に住んでいたのを覚えています。やがて高度成長の過程でみんな田舎を離れて行くのですが、私の中には、どうして彼らはこんな田舎に住み着いたんだろうという疑問がずっとありました。親に聞いても、よくわからないと言うのです。

五木氏は、「触穢(しょくえ)思想」の背景に「竹の文化」と「皮の文化」があると書いていましたが、大分県は竹の産地で竹工芸が盛んな土地でもあります。そんな地元の名産品の中にも、差別の歴史があることを知りました。

差別というのは、「差別はよくないのでやめましょう」「はい、やめます」というようなものではありません。いわんや、みずから負い目を背負って懺悔すればいいってものでもありません。私達にとって、差別というのは、やはり”乗り越えるべきもの”として”在る”のだと思います。なぜなら差別は、心の構造として、社会の構造として私達の中に”在る”からです。

一方で、差別問題の中に”同和利権”や”人権マフィア”のような負の部分が生まれ、そのために解放運動に失望して差別問題そのものに背を向ける人が多くなっているのも事実です。しかし、だからと言って、『日本の路地を旅する』でも書いているように、「路地の哀しみと苦悩」がなくなったわけではありません。

差別は歴史的な概念にすぎないと言えばそうなのですが、差別される当事者にとっては、そんな単純なものでないことは言うまでもありません。子どもの頃よく遊んでいた同級生にしても、普段は大人たちの陰口を除いて、差別なんてほとんど経験しなかったと思いますが、長じて結婚するような年齢になると、途端に差別の現実が立ち現われてくるのです。

大事なのは、差別の歴史を知ることとともに、そういった個々の人間の人生に投影された個別具体的な「路地の哀しみと苦悩」に思いを馳せ、それを少しでも共有することではないでしょうか。なによりそういった想像力をもつことだと思います。文学作品の中にも、『破戒』(島崎藤村)や『青年の環』(野間宏)や『死者の時』(井上光晴)や『枯木灘』(中上健次)など(個人的には堤玲子もいますが)、差別をとり上げた作品がありますが、その意味でも文学の役割は大きいのだと思います。

この本の中で紹介されていたサンカの末裔の方が書いた「サンカ研究の視座」という文章について、五木氏は、サンカの水平社宣言ではないかと書いていました。「それでも人間は生きんとした」、こういったことばのもつ重みを受けとめる感性を、私達が同じ人間としてもっているかどうかではないでしょうか。

 私の関心は一点、「なぜ人間がこの生き方を選んだか、あるいは選らばざるをえなかったのか」という疑問であり、サンカと呼ばれた側からの、その生き方の必然性に迫りたいという問題意識である。
 サンカ論は、「旅」「放浪」「漂泊」をキーワードとして、彼らの暮らしの特異性を都合よく切り取って、論じつくせるものではない。
 どのような要因が、「一所不在」すなわち「所有を断ち切る」という歴史的転回点に彼らを立たせたのか―。なぜそのような生活形態を自ら選択したのかという解明こそが、サンカ研究の視点ではないかと、私は考えている。
 それは数ある選択肢の中から、意気盛んに自ら選ぶといったロマンチックなものではない。歴史における支配の差別・弾圧が、苛酷なまでに死の淵、絶望の極みに人間を追いつめ、その時代を生きた多くの人間の怨嗟うずまく中で、生きる術をすべて奪われた者たちの、捨て身の抗いであったであろう。
 それでも人間は生きんとした。サンカ人の選択とは、「それでも生きねば」という生へのこだわりであったと私は考える。

2014.09.08 Mon l 本・文芸 l top ▲
ヘイト・スピーチに関して、国連人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表した、というニュースがありました。

 東京や大阪を中心に在日韓国・朝鮮人を中傷するデモが最近活発になっていることを受け、同委員会は今回、「ヘイトスピーチ」問題について初めて勧告した。委員会はまず、ヘイトスピーチについて「デモの際に公然と行われる人種差別などに対して、毅然と対処すること」を求めた。
 また、ネットなどのメディアやデモを通じてヘイトスピーチが拡散している状況に懸念を表明。「ネットを含めたメディア上でのヘイトスピーチをなくすために適切な措置をとること」などを求めた。ヘイトスピーチにかかわる官僚や政治家への適切な制裁を促した。さらに、ヘイトスピーチの法規制や、人種差別撤廃法の制定を要請した。

朝日新聞デジタル
ヘイトスピーチ「法規制を」 国連委が日本に改善勧告


今年の7月には、国連規約人権委員会も、ヘイト・スピーチを「禁止」するように、日本政府に勧告を出していますので、それにつづいてのきびしい勧告と言えます。

ヘイト・スピーチの街頭デモの映像を見た委員たちが、デモを規制するはずの警察官(機動隊)がまるでデモを警護するように一緒に歩いている場面を見て、一様に「信じられない」と驚きの声をあげていた、という話も伝わっています。これが、世界の常識なのです。

尚、「最終見解」では、慰安婦問題についても、「『日本軍による慰安婦の人権侵害について調査結果をまとめる』ことを促した。」「その上で、心からの謝罪や補償などを含む『包括的かつ公平で持続的な解決法の達成』や、そうした出来事自体を否定しようとするあらゆる試みを非難することも求めた。」そうです。

慰安婦問題も、世界の常識と日本のそれはあまりにもかけ離れているのです。朝日新聞による「吉田清治証言」虚偽の検証報道を牽強付会に解釈して、慰安婦そのものを「朝日の捏造」と決めつけ、すべてを否定して闇に葬ろうとする歴史修正主義的な動きに対しても、国連人種差別撤廃委員会がクギを刺した格好です。

下記の勧告の「骨子」を見ると、ヘイト・スピーチに対して、きわめて具体的にその対策を求めている点が目につきます。日本政府(外務省)は、ヘイト・スピーチの規制は「表現の自由の規制につながりかねない」として、従来どおりの消極姿勢に終始したようですが、委員たちの間からは、「人種差別の扇動は、『表現の自由』には含まれない」という意見が相次いだそうです。

・(ヘイトスピーチを取り締まるために)法改正に向けた適切な措置をとる
・デモの際に公然と行われる人種差別などに対して、毅然(きぜん)とした対処をおこなう
・ネットを含めたメディア上でのヘイトスピーチをなくすため、適切な措置をとる
・そうした行為に責任がある個人や組織について捜査し、適切と判断される場合は訴追も辞さない
・ヘイトスピーチなどをあおる官僚や政治家に適切な制裁を追求する
・ヘイトスピーチの根底にある問題に取り組み、他の国や人種、民族への理解や友情を醸成する教育などを促進する
(同上)


ただ、今の日本の現状を考えれば、日本政府がこの勧告に素直に従うとはとても思えません。

そもそもヘイト・スピーチに対しては、既存の法律でいくらでも対処が可能なはずです。ヘイト・スピーチのデモに対する警察の対応が「甘い」というのはよく指摘されることですが、警察の姿勢は、「ヘイトスピーチなどをあおる官僚や政治家」の存在と無縁ではないでしょう。

安倍晋三首相自身、首相になる前に、ヘイト・スピーチの「愛国」デモの激励に訪れ、直接デモの参加者たちと握手したこともあるそうです。また、今回の改造人事で、自民党の政調会長や女性活躍担当大臣や拉致問題担当大臣(国家公安委員長も兼任!)に抜擢された女性議員たちは、いづれもかつてカルトな主張でヘイト・スピーチを煽り、ネトウヨからは”マドンナ”のような扱いを受けている極右の政治家です。そういった人物が政権与党の要職を占めているような今の政府に、ホントにヘイト・スピーチ規制などできるのか。なんだか泥棒に縄を結わせる話のように思えてなりません。

「ネットを含めたメディア」の問題も同様です。Yahoo!ニュースがどうして、時折、定期的にヘイトな記事を掲載するのか。ネットにアップされる記事は、どうして産経新聞の”ためにする”記事が多いのか。そこには、日本政府の消極姿勢に通じるような深い問題が伏在している気がしてなりません。

週刊誌にしても、えげつないヘイトな記事を書き散らしている新潮社や文藝春秋社は、一方で、日本の文学の二大スポンサーでもあります。新潮や文春は、戦前、作家や評論家を動員して戦争を煽り、全体主義への案内人をつとめたのですが、今また、同じことをくり返そうとしているのです。作家やライターは、新潮や文春の仕事で録を食みながら、「原発再稼動反対」「憲法改正反対」などと「進歩的」な言辞を弄んでいるのです。そして、週刊新潮や週刊文春のヘイト・スピーチや”私刑”の記事には見て見ぬふりをしているのです。どう抗弁しようと、新潮や文春の体質に危険なものがあるのは事実で、彼らは、戦前の”知識人”と同じ轍を踏みつつあるような気がしてなりません。全体主義を以て全体主義を制すではありませんが、「自由の敵に自由を許すな」というような考えにまで踏み込まなければ、ただのおためごかしに終わるだけでしょう。

私は、ヘイト・スピーチを煽るまとめサイトに、巨額の広告費を流しているGoogleも問題ありと思っています。 児童ポルノにはあれほどきびしいのに、どうしてヘイト・スピーチには「寛容」なのか。Google の怠慢は批判されて然るべきでしょう。

ろくでなし子氏の作品は、「表現の自由」の範囲を越えているとして摘発するが、「朝鮮人を殺せ」「海に沈めろ」というようなヘイト・スピーチに対しては、「表現の自由」を盾に野放しにする。そういった権力の恣意性に対して、どこまでが「表現の自由」の枠内でどこまでが枠外かなんて議論をしても、ほとんど意味はないと思います。それでは、自民党のプロジェクトチームのように、ヘイト・スピーチの規制を国会デモの規制にまで広げる罠にはまるだけでしょう。

ヘイト・スピーチは、デモをする人間だけが問題なのではないのです。むしろ彼らは、”煽られる人”にすぎません。役所に煽られて、ゴミのことを考えたら夜も眠れない近所のおっさんやおばさんたちと同じです。いちばん問題なのは、彼らを煽る人間たちです。彼らを煽ってそれで商売をしている人間たちです。政治家や評論家や新聞やテレビや週刊誌やネットのセカンドメディアやまとめサイトなどがそれです。それは、小保方さんや安室奈美恵や江角マキ子の”私刑”にも通じる、この国の言論空間の構造的なものです。どこまでが「表現の自由」として許されるのかなんて弛緩した議論では、とうていその構造的なものに立ち向かうことはできないでしょう。

個人的には、橋下大阪市長のヘイト・スピーチに対する訴訟費用を市で肩代わりするという案のほうが、はるかに具体的で有効な気がします。そうやって、この”私刑”の構造をひとつひとつ目に見えるところに引きずり出していくしかないのです。
2014.09.04 Thu l 社会・メディア l top ▲
私は、木嶋佳苗被告のブログはニコニコの「有料ブログ」に移行したものだとばかり思っていましたので、それ以来、「木嶋佳苗の拘置所日記」をまったくチェックしていませんでした。

ところが、先日、何気にアクセスしたら、あたらしい記事がアップされていたのでびっくりしました。さらに、その内容にもびっくりでした。

木嶋佳苗の拘置所日記
http://blog.livedoor.jp/kijimakanae/

木嶋佳苗被告によれば、有料ブログに移行するために閉鎖するという4月の書き込みは、事実ではないのだそうです。

 「年上のおじさま」を名乗る第三者によって、4月に書き込みがなされました。私や管理人が指示したことはなく、ログインすることも出来ず、記事の更新や削除が不可能な事態が続いておりました。
 4月に書き込まれた記事の内容は、事実ではありません。どのような経路でパスワードが漏洩し、誰が何の意図で虚偽の書き込みをしたのかは判明しています。4月の閉鎖告知記事により、読者の皆様に誤解を与え、ご心配をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
不正書き込みと更新遅延のお詫び


なんだか芸能界と同じように、ここにも魑魅魍魎が跋扈しているみたいで、真相は藪のなかならぬ塀のなか(?)という感じです。

最新の記事(上田美由紀さんへのアンサー)は、例の鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告への「反論」でした。相変わらず文章はうまいし、論理も明快で「反論」も的確です。

上田被告と文通していた「大阪拘置所の男性被告」から、上田被告の手紙をお金にしたいので、その仲介をしてほしい、マスコミの関係者を紹介してほしい、という相談事の手紙がきたそうです。そのことについて、木嶋被告はつぎのように書いていました。

 私は、手紙を売ろうと考えるようなさもしい根性の男にこんな仕打ちをされるあなたを気の毒に思いました。そして、こういうレベルの人間との付き合いに貴重な未決の時間を費やしているあなたを不憫に感じました。


そして、マスコミへの対応についても、つぎのように上田被告をたしなめるのでした。

 あなたより年下の私が言うのも何ですが、全然余裕がなくて本当に毎日がしんどいなんていうほど消耗した精神状態の時に取材を受けるのは、危険だと思います。結局取材者は、あなたから搾取しているんですよ。
 取材を受けるより、あなたのことを心から想ってくれる人との面会を大切にして、気持ちにゆとりを持てる生活を整えるのが先。3度の食事をしっかり食べること!まずはそこから。


この”上から目線の余裕”が木嶋佳苗被告の真骨頂と言えます。被害者の男たちは、こんな彼女に”母性”を感じ惹かれていったのは間違いないでしょう。でも、それは彼女にとって両刃の剣でもあるのです。

私たちは、ありきたりな人生訓でも、ときに心に染み入ることがあります。それを”弱さ”というならそう言えるのかもしれませんが、私たちにとって、かなしみとかせつなさとかやりきれなさは、生きる上で切っても切れない、文字通りの「人生の親戚」だからです。私たちは、そんな”凡庸な生”を生きているにすぎないのです。木嶋佳苗被告にしても、獄窓からふと夜空を見上げ、しんみりすることはあるはずです。

私たちが少しでも「毒婦」と呼ばれる彼女たちの心の内に触れ、彼女たちの実像を知ろうとするなら、まずそういった”弱さ”から入っていくしかないのです。その意味では、上田被告だけでなく、木嶋佳苗被告自身もまだ心を閉ざしているように思えてなりません。それが彼女のブログを読んで、どこかもどかしさを覚えるゆえんです。

>> 『誘蛾灯』
2014.09.01 Mon l 社会・メディア l top ▲