既にOCNからSIMが届いているのですが、今のドコモで契約しているプランは日割り計算ができないため、「月末に解約したほうがいいですよ」とお客さまセンターで言われたので、今日まで延ばしていたのでした。
窓口で担当したのは、名札に「研修生」と書かれた若い男性でした。私は、彼も「派遣」か「契約社員」なんだろうなと思いました。隣のカウンターでは、空港のグランドホステスと見紛うような、やけに首のスカーフが目立つ制服を着た若い女性が応対していましたが、その後ろには同じ制服を着たフジテレビの宮澤智アナ似の女性が座って、若い担当者の応答に耳を傾けていました。隣の女性も「研修中」で、そうやってフォローしながら実戦訓練しているのでしょう。
店内を見渡すと、平日の昼間で、しかも悪天候だからなのか、客は少なく、なぜかラフな格好をした中高年の男性が目立ちました。隣も40代後半くらいのナイロンのジャンパーを着た冴えない感じの男性でした。なにやら早口で(しかもぞんざいな言葉使いで)、「研修中」の担当者に向かってスマホに対する浅薄な知識を延々と披歴していました。私は、こういうお客が携帯電話会社にとって「おいしいお客」なんだろうなと思いました。
今やスマホも「下流ビジネス」(もっと露骨な言い方をすれば、DQN相手のビジネス)のひとつになっているような気がしてなりません。あたらしいiPhoneがどうだ、スペックがどうだというような話を聞いていると、吉野家と松屋の牛丼の違いがどうだという話と似た感じがしてならないのです。新型のiPhoneを手に入れるために、早朝からApple Storeに行列を作っている人たちを見ると、私は、朝からパチンコ屋の前に並んでいる人たちと重なって見えて仕方ないのです。おそらく彼らは携帯に月に何万円も使い、それこそ歩きながらでも食事をしているときでもトイレに入っているときでも、いっときもスマホから目を離さない(離すことができない)、スマホにとり憑かれたような生活を送っているのではないでしょうか。そして、私は、村上福之氏の『ソーシャルもうええねん』(Nanaブックス)のつぎの文章を思い出さないわけにはいかないのでした。
ケータイコンテンツの世界は、クーラーのきいた涼しいオフィスビルのパソコン上で作られた仮想アイテムに、汗水流して働くトラックの運転手さんなどのブルーワーカーがお金を払う不思議な世界です。
「研修生」の彼に解約を申し出ると、別に理由を聞くでもなく「かしこまりました」と言って、淡々と手続きをはじめました。なんだか拍子抜けするくらいでした。もっとも、彼もまだ慣れてないみたいで、手続きをするのが手いっぱいの様子でした。
やっと書類が出来上がったと思ったら(と言っても、簡単な書類が3枚でしたが)、「最終確認をさせていただきますので、少々お待ちください」と言って、胸元のマイクで「書類の確認をお願いします」と告げたのです。すると、上司(社員?)とおぼしき男性が出てきて、書類をさっとめくって承認印を押し、一礼して立ち去って行きました。
私は15年以上もドコモを使っていましたので、さすがに寂しい気持が湧いてきました。それで、「お世話になりました」と挨拶したら、「研修生」の彼は、雨の日はそう言うように教育されているのか、たどたどしい口調で「足元にお気を付けてお帰りください」と言って一礼していました。
店を出ると、外はいちだんと雨脚がはやくなっていました。私は、傘をさすと肩をすぼめて歩道橋を上がり、駅ビルのほうに向かいました。でも、やはり、心のなかにはしんみりとした感情が残っていました。
それから、新横浜駅の三省堂書店で、本日発売されたばかりの田中康夫の『33年後のなんとなく、クリスタル』(河出書房新社)を買って帰りました。
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