「反原発」を訴えるために、首相官邸にドローンを飛ばしたという男が、一方で、ネトウヨの元祖・「嫌韓流」の山野車輪の漫画を愛読し、山野に影響されたような漫画を描いていたとして、話題になっています。

男は、みずから福井県の地元の警察署に出頭して逮捕されたのですが、逮捕容疑は「威力業務妨害」だそうです。でも、ドローンは、官邸の屋上に2週間も放置されたままだったのです。マスコミは、「政府中枢へのテロ」「警備当局も衝撃」と言ってますが、本人が「こんなはずでは」と首を傾げるくらい、2週間、誰も気が付かなかったのです。誰も気が付かず放置されていたのに、どうして「業務」を「妨害」したことになるのか。そう疑問を抱くのは私だけではないでしょう。

弁護士の話では、通常なら起訴猶予で釈放という事案だそうですが、そんな”微罪”であるにもかかわらず、まるで凶悪犯のように、連行される姿がマスコミのカメラの前に晒され、氏名や住所はもちろん、本人の周辺情報も大々的に報道されています。これこそ、公権力の都合で犯罪が”捏造”され、判決以前に懲罰的な市中引き回しがおこなわれる好例でしょう。

一方、反原発派の人たちは、今回の”放射脳”まがいの行為に「迷惑顔」だそうですが、しかし、反原発派のなかにも、同じような体質がないとは言えないのです。それが反原発運動を停滞させ後退させている要因になっているとも言えるのです。

『紙の爆弾』(鹿砦社)の4月号に、福島第一原発事故から4年を特集して、「新たなキーワードは『ノーニュークス・エナジー・オートノミー』」という記事が掲載されていました。これは、金曜日の官邸前デモなどを主催する「首都圏反原発連合」の「象徴的存在といえる」ミサオ・レッドウルフ氏に聞き書きした記事ですが、そのなかに口をあんぐりするような箇所がありました。イラストレーターであったミサオ・レッドウルフ氏が反原発の運動に入ったきっかけは、なんと”霊的啓示”だったと言うのです。

 アメリカから帰ってきて、イラストレーターをしていたのですが、そのころ、瞑想、メディテーションをしていたんです。そのなかで、自分の祖先とアクセスできるようになったんですね。三千年前とかに遠い祖先。さまざまな、隠蔽された歴史を観せられるなかで、”六ヶ所という重要な土地が「再処理工場」というとどめを刺されようとしている”という直感が来たわけです。”これは最後の縄文潰しだ”と。


氏自身も、こんなこと言うと、「普通引くでしょ」と言ってましたが、たしかに引かざるを得ません。

また、もうひとり、反原発運動の”象徴的人物・三宅洋平氏についても、昨年、Facebookでの発言が波紋を呼び、のちに三宅氏が「お詫びと釈明 」をする出来事がありました。

ユダヤ陰謀論者として一部のネット民の間では有名な内科医・内海聡氏が、“田布施システム“なる朝鮮人陰謀論のトンデモ話をFacebookに投稿しているのですが、三宅氏はその投稿をシェアして、つぎのように発言したのでした。

Facebook 
内海聡 2013年7月14日
https://ja-jp.facebook.com/satoru.utsumi/posts/481746535242438

アベシは確かに売国の度が過ぎて、その出自との関連を疑わざるを得ない。
だがそも、純血の日本人なんてのは居るのか?それはムーから環太平洋に四散した時の血を持って(仮説)、日本人と呼ぶのか?
アイヌはアイヌ。琉球は琉球。混じりまくりの日本人て、実はアジアの人種の坩堝ならぬ「つむじ」だと思ってる。

内海 聡

え、アベシが日本人じゃないってまだ知らない人がいるの?

https://www.facebook.com/yohei.miyake123/posts
/791993677542560


さらに、アベであれ誰であれ、素行と出自をむすびつけること自体、差別(ヘイト)ではないかという批判に対して、三宅氏はTwitterでつぎのように反論したのでした。

僕自身にも大陸や半島の血が流れてる以上、ヘイト感情がないのだから、アベシの出自にまつわる内海聡さんのコメントをシェアしたくらいで騒がれても、なんと言って良いのか。騒ぎ立てる前に文を最後まで読んだらどうなんだろう。感情的に過ぎる。

https://twitter.com/MIYAKE_YOHEI/status
/574805560924749824


これではカルトと言われても仕方ないでしょう。こういったお粗末な感覚が、前に指摘したように、「原発事故によって奇形な子どもがどんどん生まれている」「目が見えなくなったとか白血病で死にましたとかいう話がどんどん出ている」というような発言にもつながっているのだと思います。

反原発だからなんでもOKというわけにはいかないのです。これでは、「反原発は思想的退廃だ」と言った吉本隆明に反論できないでしょう。ドローン男に「迷惑顔」だなんて片腹痛いと言わざるを得ません。
2015.04.28 Tue l 震災・原発事故 l top ▲
最近は、なにかに取り憑かれたように、という表現が決してオーバーではないくらい、よく歩いています。今日も、東銀座から広尾まで歩き、さらに広尾で用事を済ませて、中目黒まで歩きました。昨日は、東京駅から六本木まで歩きました。おかげで足の裏にマメができてしまいました。

帰省した際、久しぶりに会った姉から「アンタ、老けたねぇ~」としみじみ言われたのですが、その姉のことばが未だ残響のように耳の奥に残っています。年をとるのもある時期をすぎると弾みがつくのか、特にこの2~3年で急激に老けたように思います。街中でふとウィンドウガラスに映った自分の姿を見ると、なんだか玉手箱を開けた浦島太郎のような心境になります。そこには、いつの間にか翁(竹取物語?)、いや、老人の姿になった自分がいるのです。それは、昔近所にいたおじいさんとそっくりなのです。なんのことはない、自分がそのおじいさんになっていたのです。若づくりの服装と衰えた容貌がとてもアンバランスに映っていました。

先日、知り合いと「直葬プラン」の話になりました。「直葬」というのは、通夜や告別式を省き、火葬のみで済ませる簡略化した葬儀のことです。最近は「直葬」が多くなり、東京では既に30%が「直葬」なのだそうです。それで、警備会社と葬儀会社が提携して、単身者向けの「直葬プラン」なるものも発売されているのだそうです。費用は30万円で、遺体の搬送と保管、そして火葬がセットになっており、さらにあと数万円払えば、遺骨は5年間納骨堂に収められ、そのあと合祀されるオプションもあるだとか。要するに、30数万円”預託”しておけば、火葬から納骨までやってくれるという身寄りのない単身者にはありがたいプランなのです。

「それはいいな。すぐにでも入りたいな」と言ったら、知り合いは、「でも、それだけじゃ済まないでしょ?」と言うのです。

「エッ、ほかになにかあるの?」
「だって、遺品の整理なども必要でしょ」

たしかに、そうです。立つ鳥跡を濁さずではないですが、できるならやりっ放しで死にたくない。絲山秋子の小説に、お互い先に亡くなった相手のPCのHDDを消す約束をしている二人の話がありましたが、私もHDDの中身は他人に見られたくない。

「遺品整理などをやってくれるプランもあるそうよ」
「それもオプション?」
「そう。それも付けるとあと10~20万必要らしい」

そんな話をしていたら、外の黄昏の風景が自分の人生と重なって見え、なんだか死期がせまっているような気持になりました。

歩け、歩け。忍び寄る老いを振り払うには、ひたすら歩くしかないのです。
2015.04.25 Sat l 健康・ダイエット l top ▲
今日、近所の駅前通りにコンビニが新規開店したのですが、たまたま前を通りかかったら、午前中の時間帯で、しかも醤油の無料券を配っていたということもあってか、店内のお客が見事なほどお年寄りばかりだったのでびっくりしました。駅前通りは、今までもいくつもコンビニができては消えています。駅前通り商店街と言えども、コンビニでさえ(と言うべきか)生き残れないきびしい環境にあるのですが、新規開店になにか特別な秘策でもあるのだろうかと思いました。そして、コンビニがお年寄りに「占領」された光景は、ややオーバーな言い方をすれば、黄昏ゆくこの国を象徴しているように思えてなりませんでした。

以前通っていた広尾のコンビニも同じでした。広尾界隈には、ナショナルマーケット以外、これといったスーパーがないので、周辺の高齢者たちは、日常の買い物をコンビニで済ませていました。そのため、広尾駅周辺のコンビニは、高齢者向けに野菜や肉なども売っていました。今でこそ、コンビニ各社は、ターゲットを若者からシニアにシフトして、シニア向けの品揃えやサービスなどに力を入れはじめていますが、その流れはずっと以前よりあったのです。

どう考えても飽和状態にあるコンビニ業界ですが、よく言われるように、今後、シニア向けの店づくりで生き残りをはかるしかないのはあきらかでしょう。しかし、同時にそれは、見方を変えれば、遺産を食いつぶしていくだけの未来のないマーケットでもあると言えます。

デパートやファッションビルなどに行くと、最近はやたら「tax‐free」の看板が目立ちますが、なかでも多いのが、「无税」や「免税」などという中国人観光客向けの表示です。総理大臣みずからが”嫌中憎韓”を煽りながら、その一方で、中国人観光客の爆買いに頼るデパートや有名ショップ。そのくせ、中国人に頭を下げなければならない自分たちを慰めるためか、テレビのニュースでは、まるで負け惜しみのように、爆買いの中国人たちをヤユする(バカにする)のです。でも、やがてキャッチアップした中国人たちが、日本の商品に見向きもしなくなるのは目に見えています。それも、過去の遺産を食いつぶしているだけの未来のないマーケティングにすぎません。

中国が創設したアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対して、フランスもイギリスもドイツも韓国も、アメリカの意向を無視して参加したなかで、日本はアメリカの言いなりになって参加を見送ったのでした。しかも、国内では「透明性がない」「公平性が担保されてない」などと不参加の言い訳ばかりが強弁され、「アジアの時代」に乗り遅れることを懸念する声は、「反日」「売国」などというお決まりのレッテルを貼られて片隅に追いやられています。そうやって自演乙することで、「アジアの盟主」を中国にとって代わられた現実から目を背けているのです(田中宇の国際ニュース「日本から中国に交代するアジアの盟主」)。これでは、ますます多極化する世界で、政治的にも経済的にも遅れをとるのは当然でしょう。これもまた、過去の遺産にすがるだけで未来を見ることができない、黄昏ゆくこの国を象徴する光景と言えるのではないでしょうか。

都内の、特に山手線の内側では、オリンピック開催を睨んで、至るところで市街地再開発がおこなわれ、つぎつぎとあたらしい商業施設ができていますが、しかし、それらに新鮮味はありません。マンネリ化したコンセプトのもと、どこにでもあるおなじみのショップがただ軒を並べているだけです。数年も経てば歯抜けになって、コンセプトもへったくれもないほど張りぼての状態になるのは目に見えています。それもまた、未来のないマーケティングの所産と言うべきでしょう。今や「トレンド」ということばも死語になったかのようで、『33年後のなんとなく、クリスタル』が最新の風俗とは無縁のところで描かれていたのは、今になればわからないでもないのです。

関連記事:
『33年後のなんとなく、クリスタル』
2015.04.23 Thu l 社会・メディア l top ▲
2015年4月17日鎌倉 153


中森明夫氏が新著『寂しさの力』(新潮新書)で、お母さんを亡くした喪失感、さみしさを吐露していましたが、私のなかでも、母親が亡くなり、もう帰るところがなくなったさみしさが日ごとに増しています。

中森氏と同じで、元気な頃はめったに帰らなかったくせに、いざ帰るところがなくなると、無性にさみしさを覚えるものです。「遺伝子を運ぶ船にすぎない」(リチャード・ドーキンス)私たちは、父親と母親から半分づつDNAを引き継いでいるわけですから、親がいなくなって心のなかに空白が生まれたように思うのは、生物学的にも当然と言えば当然なのかもしれません。

中森氏は、「『悲しみ』が終わった時から『さみしさ』が始まる」「悲しさは一瞬、さみしさは永遠」と書いていましたが、悲しみだけでなく、さみしさも、そしてせつなさも、みんな人生の親戚なのです。

まして年を取って親を亡くすと、つぎは自分の番だということをひしひしと感じます。中森氏が言うように、親はみずからの死によって、私たちに死というものを教えてくれているのかもしれません。

一方、柳美里は、『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記』(双葉社)のなかで、愛する人の死や大震災を経て、死に対する考え方が大きく変わったと書いていました。

 10代20代の頃は、この作品を書き上げたら自殺しようと思い詰めて書いていました。
 その気持ちは、2000年4月20日に東由多加を亡くし、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地に通って、大きく変わりました。
 わたしは、生きる時間を生き、書きたいことを書いて、終わりに備えます。


ことばを生業にする作家というのは、ことばを生むために悪戦苦闘し命さえ削るものですが、そのための「呼び水」になるようなことはなんでもしてみるつもりだ、という柳美里のことばに、私は、作家の覚悟を感じました。

『貧乏の神様』を読み終えて、久しぶりに柳美里のブログを見たら、なんと先月、鎌倉を引きはらって、福島県南相馬市に転居したことがわかりました。ブログには、別れを惜しむかのように、鶴岡八幡宮の桜の写真がアップされていました。それを見たら、なんだか鎌倉に行きたくなり、それで、昨日、久しぶりに横須賀線に乗って鎌倉に出かけたのでした。

最近、私は、知人から「精神を病んでいる」と冗談を言われるくらい、やや情緒不安定の傾向がありますので、ときに気分転換も必要です。たとえば、クタクタになるまで歩くだけでもずいぶん違うのです。同じものを考えるのでも、家のパソコンの前で考えるのと歩きながら考えるのとではまったく違います。”身体(身体的)”ということは、すごく大事なことなのです。

鎌倉駅を降りて、まず鶴岡八幡宮に行きました。鶴岡八幡宮も以前に比べて外国人観光客の姿が目立ちました。これも円安の影響なのでしょう。

鶴岡八幡宮のあとは、外国人観光客とは無縁な寿福寺に行き、そのあと長谷まで歩きました。途中、鎌倉市役所の近くの住宅街のなかを歩いていたら、どこかあたりの風景に見覚えがありました。若い頃、道ならぬ恋の相手と鎌倉に家を探しに来たことがあったのですが、あのとき、二人でこの道を歩いたのかもしれないと思いました。

長谷では、高徳院(鎌倉大仏)と長谷寺に行きました。鎌倉大仏や長谷寺も外国人観光客であふれており、7割~8割は外人といった感じでした。

長谷寺のあと、海岸に出て、堤防の上に腰かけ、しばらく海を見てすごしました。同じ海でも、やはり鎌倉の海は全然印象が違います。遠くに見える逗子の家並みが鎌倉の海をよけい「オシャレ」にしている気がしました。

長谷からはさらに極楽寺まで歩きました。極楽寺は初めてでしたが、訪れる人も少なく、意外なほど小さな佇まいの寺でした。

極楽寺に向かう途中、成就院の前の切通しを歩いていたら、やはり昔、この道を車で通ったことを思い出しました。そのときも、当時付き合っていた女の子と一緒だったのですが、切り通しのあたりに通りかかったとき、数か月前に亡くなったお父さんの話をしていた助手席の彼女が、突然泣き出したのです。それで、覚えていたのでした。

お寺では、いつになく神妙な面持ちで手を合わせている自分がいました。そのとき、頭のなかにあったのは、母親のことでした。

母親も過去の恋愛も、今はもう悲しい思い出です。鎌倉を歩いていたら、このようにいつになく過去が思い出され、悲しくせつない気持になりました。そして、『貧乏の神様』のなかの「わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない」ということばが思い出されたのでした。

 「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、わたしは、「過去」は決して過ぎ去らないと思うのです。
 自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去)が露出する――。
 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、過去の落とし穴に足をとられそうになりました。
 わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。
 過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま更新されるのです。
 未来は全て過去にある、という言葉の意味を、40歳を過ぎて噛み締めています。



2015年4月17日鎌倉 029

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2015年4月17日鎌倉 246


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母の死
『ファミリー・シークレット』
2015.04.18 Sat l 鎌倉 l top ▲
Google は、2月27日に、ウェブマスター(サイトのオーナー)に向けて、下記のような”重要なアナウンス”をおこないました。

Google では、4 月 21 日より、ウェブサイトうがモバイルフレンドリーかどうかをランキング要素として使用し始めます。この変更は世界中の全言語のモバイル検索に影響を与え、Google の検索結果に大きな変化をもたらします。この変更によって、検索ユーザーは、クエリへの関連性が高く使用端末にも適した高品質な検索結果を見つけやすくなります。

Google  ウェブマスター向け公式ブログ
検索結果をもっとモバイル フレンドリーに


つまり、スマホなどモバイルで検索した場合、モバイルで見やすいサイトであるかどうかを判断して、その結果を検索順位に反映させるというものです。PCやタブレットの検索は今までどおりですが、スマホの検索は、従来のアップデートの比ではないくらい大幅な順位変動が発生するとGoogle も認めています。

自サイトに於けるアクセスの割合は、スマホが55%、PCが40%、タブレットが5%です。今やスマホを意識したサイト作り、つまり、Google の言う「モバイルフレンドリー」は避けてとおれない現実なのです。「モバイルフレンドリー」と見なされずに、ペナルティを与えられてスマホの検索で順位が落とされることは、検索順位が生命線の独立系の弱小通販サイトにとっては、死活問題と言っても過言ではないでしょう。

「モバイルフレンドリー」の基準はいくつかあるのですが、Googleが推奨するのは、スマホでアクセスしたらサイトのサイズがスマホの画面サイズに合致するように設定する「レスポンシブWEBデザイン」です。

最近のあたらしいソフトで作成したサイトであれば、「モバイルフレンドリー」に適用させるのは簡単なのですが、自サイトのように10年以上も前の古いソフトで作成したPC用のサイトを「レスポンシブWEBデザイン」に変えるのは至難の業です。だからと言って、あらたにサイトを作り変えるには、時間も手間もかかりすぎるし、SEO上のリスクも大きすぎる。それで、数日間、連日徹夜して悪戦苦闘した結果、なんとか「モバイルフレンドリー」に変えることができました。

もちろん、「モバイルフレンドリー」と言っても、あくまでGoogle の基準に合致しただけで、スマホから見てホントに見やすいサイトであるかどうかは別です。将来的には、今のような付け焼刃ではなく、十全にスマホに対応した「レスポンシブWEBデザイン」のサイトを作るべきでしょう。ただ、それでも「モバイルフレンドリー」以前と以後とでは、アクセスの内容に変化が表れてきました。

ネットの環境もここ数年で大きく変わりしました。なによりスマホの普及が進んだことが大きく、それは、デバイスの問題だけにとどまらず、ネットの閲覧の仕方をも変えたのでした。通販サイトの目線で言えば、いわゆるウィンドーショッピングのようなランダムな閲覧の仕方はなくなり、目当ての商品やショップに直行するようになってきたのです。「ネットサーフィン」なることばも、スマホに関しては死語になりつつあるように思います。それだけに、ショッピングモールに頼らない(頼れない)独立系の弱小サイトにとって、SNSなどの口コミとともに検索順位がますます重要になっているのです。

話が飛躍しますが、私は、昨今の若者たちの権威や権力に弱い事大主義的な傾向と、それに伴う差別や非寛容さの特徴も、このような直行直帰する行動様式のスマホ(モバイル)の普及とどこか関連があるような気がしてならないのです。ネットはもともと夜郎自大なものですが、スマホによってますます異論を排し他者(=比較検証)が不在の世界にタコツボ化・夜郎自大化しているのではないか。その意味では、若干ニュアンスが異なるものの、信州大学や東京大学の学長の発言もわからないでもないのです。そして、あらためて、社会を一元的に管理する(管理しようとする)”ネットの神の采配”を考えないわけにはいかないのでした。

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あらたな神
グーグル
2015.04.13 Mon l ネット l top ▲
女性たちの貧困


NHK「女性の貧困」取材班『女性たちの貧困 ”新たな連鎖”の衝撃』(幻冬舎)を読みました。本書は、女性たちの貧困を取り上げた「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」などで、放送できなかった取材内容やエピソードをスタッフたちがまとめたものです。

渋谷や新宿や池袋の駅前などで、若い女性がキャリーバッグを引いて歩いているのをよく目にします。番組のスタッフが夜の新宿で、彼女たちに声をかけて話を聞くと、「家賃が払えず、携帯電話だけを頼りに、深夜営業の店を渡り歩く女性が数多くいることがわかってきた」そうです。

 街でよく見かけるキャリーバッグを転がす少女たち。
 ファーストフード店や、ファミリーレストラン、カフェで見かける携帯電話を充電する少女たち。
 今回の取材を始めるまでは、特に気にとめることもなかった日常の風景だった。しかし、実際に、こうした女性たちに話を聞いてみると、その背景には、貧困、経済的な困窮という現実があり、そこから逃れようと必死にもがく姿が、漂流という形になって現れているのだと感じられた。


新宿駅近くのあるネットカフェでは、定員の7割が長期で利用する女性なのだとか。また、行政との交渉で住民票を置くことが認められた別の店では、小学生の女の子を含む母子3人が2年間店で寝泊まりしているという、衝撃的な事例が紹介されていました。

彼女たちは、化粧して身ぎれいにしているので、一見そんなに困っているようには見えないのです。だから、彼女たちのことを「見えない貧困」と言うのだそうです。

「キャリーバッグと携帯電話だけを頼りに街をさまよう少女たち」。そんな彼女たちの背景にあるのが、親の貧困です。

私も昔、「風俗」で働く若い女性たちに話を聞いたことがありますが、そのなかでよく耳にしたのは、きょうだいが多くて貧乏、父親が病気あるいは失業中、母子家庭でまだ幼い妹や弟がいるなど、経済的に「家族には頼れない」事情でした。また、メンヘラの傾向がある子も多いように思いました。もちろん、女子高生のあこがれの職業の上位にキャバ嬢が入るなど、若い女性たちのなかで「風俗」への敷居が低くなっているのは事実ですが、だからと言って「楽でお金が稼げるから」というような、私たちが想像しがちな「軽い」ものばかりではないのです。

一方で、「風俗」が経済的に困窮する若いシングルマザーの受け皿になっているという現実もあります。本書でも、「セーフティネットとしての『風俗』」と題して、報道局の女性記者がその現実を報告していました。

取材したデルヘル店では、シングルマザーのために、寮だけでなく託児所まで用意しているのだそうです。

 就労、育児支援、居住。働くことを余儀なくされたシングルマザーにとって、生活に欠かせない三つの要素だ。行政に頼ろうとすると、いくつもの担当課をまたぎ、それぞれの手続きを進めなくてはいけない。しかし、ここでは、生活するための必要な環境や支援がワンストップで手に入るのだ。


専門家は、番組のなかで、これを「社会保障の敗北」と表現したのでした。

厚生労働省の専門部会では、年収200万円未満を「生活保護に至るリスクのある経済困窮状態」と位置づけているのですが、非正規雇用の若年女性(15~34歳)のなかで年収200万円未満の収入しかない人は、289万人もいるそうです(2012年)。また、「勤労世代」(20歳~64歳)の1人暮らしの女性の32.1%、未成年の子どもがいる母子世帯の57.6%が貧困状態にあるのだそうです。

今の社会保障は、よく言われることですが、結婚して家庭を作り、世帯主の男性の収入やあるいは共稼ぎによって「文化的な生活」を営むことを前提とした家庭単位、家族単位のものです。でも、離婚率や生涯未婚率の上昇で、その前提そのものが既に現実的ではなくなっているのです。

高齢者世帯のなかで、単身世帯の貧困率が高いのも、年金二人分と一人分の金額を考えれば、誰でも理解できる話ではないでしょうか。それは、シングルマザーの場合も同じです。離婚しても、実際に養育費を受け取っているのはわずか20%にすぎないという現実。そのため、家計を補助するためにパートやアルバイトに出ていたのが、離婚した途端、そのパートやアルバイトの収入で生活することを余儀なくされるのです。とりわけ子供に手がかかり経済力に乏しい20代のシングルマザーにおいては、相対的貧困率がなんと80%にも達するのだそうです。

当然、親の貧困は子どもの貧困へとつながっていきます。OECDのレポートによれば、ひとり親世帯のなかで、親が働いている世帯の子どもの貧困率は日本は54.6%で、加盟国34カ国中、とびぬけて高いのだそうです。これが、先進国で最悪と言われるこの国の格差社会の現実なのです。

日本はホントに豊かな国なのでしょうか。本書が書いているように、私たちは、「見えない貧困」と言いながら、ホントは見てないだけではないのか。見ようとしてないだけではないのか。

人並みのスタートラインに立つことさえできない貧困の世代連鎖。「女性が輝く社会」などという官製版やりがい搾取のようなスローガンの一方で、労働市場では相変わらず弱い立場に置かれている女性たち。本書が指摘した貧困は、私たちのすぐ身近にあるのです。もとより、私たち自身にとっても、決して他人事ではないはずです。

本書の最後に、「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターのつぎのようなことばが紹介されていました。

「自分のことを思い返しても、十代から二十代の前半の時代は、夢や希望にあふれる時期でした。時につらいことがあっても、憧れの人について友人ととどめもなく語り合ったりして、他愛のないことでも笑っていられる、人生の中でもキラキラ輝いている時期だと思います。その人生のスタート地点ともいえるときに、すでに夢や希望が失われる社会とはどんな社会なのでしょうか」



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『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』
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ワーキングプア
2015.04.08 Wed l 本・文芸 l top ▲