3・11後の叛乱


しばき隊初期のメンバーで、先頃『サッカーと愛国』(イースト・プレス)を上梓したばかりの清義明氏は、『3.11後の叛乱』(集英社新書)について、ツイッターで、この本は野間易通氏の「プロパガンダの書」で、それを笠井潔氏がロマンチックに「ポジショニングしようとしている」と書いていましたが、言い得て妙だと思いました。

清義明 (@masterlow) | Twitter
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清義明2016年7月ツイッター1

清義明2016年7月ツイッター2

おそらくこの本を読んだ多くの人たちも、清氏と同じように、チグハクと思ったのではないでしょうか。なかでも笠井潔氏の言説をトンチンカンに思った人も多いはずです。

笠井潔氏は、60年代後半は構造改革派の共産主義労働者党のイデオローグでした。そして、70年代に入ると「マルクス葬送派」として左翼論壇で存在感を放っていました。共労党やその学生組織に属していたメンバーのなかには、のちにメディアで名を馳せた人が多いのですが、笠井潔氏もそのひとりでした。

笠井氏は、反原発や反安保法制で国会前を埋め尽くした群衆こそ、ネグリ/ハートが『叛逆』で規定した新たな大衆叛乱の姿だと言います。それは、<1968>後の「新しい社会運動」たる反グローバリズム運動をも乗り超えた、<2011>後の大衆叛乱なのだと。その主体となるのは、「何者でもない私」である「ピープル」です。

 分子的な無数の主体(シトワイヤン)がブラウン運動を続けながら、創発的に自己組織化し、やがてピープルを実現する。無数の微粒子としての主体は「何者でもない私」である。ピープルという創発的なシステムに、決定論的で機械論的なシステムであるネーションが対立する。ネーションを構成するのは、その国籍を有し国家に権利を保障される者、ようするに「何者かである私」だ。ピープルが流体リキッド的な分子運動の産物だとしたら、ネーションはステートという鋳型のなかで凝固した均質な固形物ソリッドにすぎない。


これは、SEALDsのデモで発せられた「国民なめんな」のコールが、「近代の国民概念を先鋭化しているとか、国民主体から排除されているマイノリティに差別的だという批判」に対しての反論であり、SEALDsを擁護する論拠です。私は、最初、皮肉ではないのかと思ったほどでした。

笠井氏は、しばき隊の後継組織であるあざらしについても、つぎのように書いていました。

 興味深いのはあざらしが、声なき声の会に始まる「市民」性と全共闘的な「大衆」性の双方を、意識的・無意識的に継承しているらしい点だ。同じ陣営に属すると見なされていた進歩派教授を全共闘が徹底批判したように、「しばき隊」はヘサヨや大学の文化左翼などに容赦ない攻撃を浴びせかける。


辺見庸氏の言う元全共闘の「ジジババども」が反原連やしばき隊やSEALDsにシンパシーを覚えるのは、こういった理由なのかと思いました。

一方、野間易通氏は、「官邸前デモでは規範や規律が重視されていて、はみだし者が自由に参加する余地があまりない」という素人の乱(福島の原発事故直後に高円寺の反原発1万人デモを主催した人たち)の批判に対して、つぎのように反論しているのでした。

(略)私は、「大衆というのは、はみだし者の集合ではない。そのはみだし者が忌避するような、規律を好む穏健で目立たない普通の人たちの集まりである」と反論した。デモや抗議行動が奇異な恰好で反社会的行動を好んでとるようなはみだし者の集まりになるとそれは同好の士の集いにすぎなくなり、ひいてはデモそれ自体が目的化してしまう。官邸前に集まっている人々のあいだに「反社会的で暴力的なアンチヒーローを望む声」などなく、ただ政策を変更してほしいと訴えているだけなのだと。


だから、デモの参加者に対して「おまわりさんの言うことを聞け」とか「選挙に行こう」などと呼び掛けていたのでしょう。となると、デモに参加している「規律を好む穏便で目立たない普通の人々」は、「何者でもない私」というよりむしろ「何者かである私」ではないのかと思ってしまいます。さしずめSEALDsはその典型ではないのか。彼らが体現しているのは、どう見ても共産党や民進党に一票を投じればなにかが変わるというような、それこそ<1968>の運動で否定された古い政治の姿です。

しかし、笠井氏の論理はエスカレートするばかりです。しばき隊の運動に、初期社会主義運動の理論家で、「武装した少数精鋭の秘密結社による権力の奪取と人民武装による独裁の必要を主張した」(ウキペディアより)ルイ・オーギュスト・ブランキの「結社」の思想を重ね合わせるのでした。

特定の行動という一点に目標を絞り込んで、他の一切を排除するところにブランキ型の<結社>の特異性がある。これは近代的な政治運動や社会運動の団体としては異例、むしろ異形である。レイシストしばき隊の特異な組織思想は、ブランキの<結社>と時代を超えて響きあうところがあるように感じられる。


笠井氏は違った見解をもっているようですが、ブランキの思想は、18世紀末のフランス革命におけるジャコバン派の独裁政治を起源とし、パリコミューンで実践されたことにより、レーニンの「プロレタリア独裁」にも影響を与えたと言われています。笠井氏は、しばき隊を日本左翼の悪しき伝統であるボリシェヴィズム(ロシアマルクス主義)の対極に据えているのですが、そういった論理自体が既に矛盾していると言えなくもないのです。

 大衆蜂起が自己組織化され、市民社会の諸分節に評議会という自己権力機関が形成される。大小無数の評議会が必要に応じて連合し、下から積みあげられて政治領域まで到達する。最終的には、政府が評議会の全国連合に置き換えられる。


ここまでくると、たしかにロマンチシズムと言うしかないでしょう。なんだか片恋者の妄想のようです。

清氏が言う「書かれていないこと」がなにを意味するのかわかりませんが、鹿砦社の『ヘイトと暴力の連鎖』でとりあげられていたしばき隊のスキャンダルもそのひとつかもしれません。「リンチ事件」でも、被害者に対して、ツイッターで執拗に誹謗中傷がおこなわれ、被害者の氏名や住所、学校名までネットで晒されるという二次被害が生じているそうです。野間氏自身も、個人情報を晒すなどの行為により、ツイッター社からアカウント停止の処分を受けたのだとか。

私は、ネットで個人情報を晒すという行為に対して、新左翼の内ゲバの際、対立する党派のメンバーが勤めている職場に、「おたくの××は、過激派の○○派ですよ」などと電話をして、対立党派の活動家=「反革命分子」を職場から追放するように仕向けていたという話を思い出しました。襲撃して殺害するよりはマシと言えますが、そういった”内ゲバの論理”としばき隊がネットでやっていることは似ているような気がしてならないのです。

そして、私は、やはり(今や幻となった)辺見庸氏のSEALDs批判を思い出さないわけにはいかないのでした。

だまっていればすっかりつけあがって、いったいどこの世界に、不当逮捕されたデモ参加者にたいし「帰れ!」コールをくりかえし浴びせ、警察に感謝するなどという反戦運動があるのだ?だまっていればいい気になりおって、いったいどこの世の中に、気にくわないデモ参加者の物理的排除を警察当局にお願いする反戦平和活動があるのだ。
よしんばかれらが××派だろうが○○派だろうが、過激派だろうが、警察に〈お願いです、かれらを逮捕してください!〉〈あの演説をやめさせてください!〉と泣きつく市民運動などあるものか。ちゃんと勉強してでなおしてこい。古今東西、警察と合体し、権力と親和的な真の反戦運動などあったためしはない。そのようなものはファシズム運動というのだ。傘をさすとしずくがかかってひとに迷惑かけるから雨合羽で、という「おもいやり」のいったいどこがミンシュテキなのだ。ああ、胸くそがわるい。絶対安全圏で「花は咲く」でもうたっておれ。国会前のアホどもよ、ファシズムの変種よ、新種のファシストどもよ、安倍晋三閣下がとてもとてもよろこんでおられるぞ。下痢がおかげさまでなおりました、とさ。コール「民主主義ってなんだあ?」レスポンス「これだあ、ファシズムだあ!」。

かつて、ぜったいにやるべきときにはなにもやらずに、いまごろになってノコノコ街頭にでてきて、お子ちゃまを神輿にのせてかついではしゃぎまくるジジババども、この期におよんで「勝った」だと!?おまえらのようなオポチュニストが1920、30年代にはいくらでもいた。犬の糞のようにそこらじゅうにいて、右だか左だかスパイだか、おのれじしんもなんだかわからなくなって、けっきょく、戦争を賛美したのだ。国会前のアホどもよ、安倍晋三閣下がしごくご満悦だぞ。Happy birthday to me! クソッタレ!

(辺見庸「日録1」2015/09/27)

※Blog「みずき」より転載
http://mizukith.blog91.fc2.com/


「左翼の終焉」はそのとおりだとしても、それがどうして反原連・しばき隊・SEALDsになるのか、私にはさっぱりわかりません。「教義も修道院も持たない新たなレフトの誕生」(野間氏)なんて片腹痛いと言わねばなりません。私たちは、前門の虎だけでなく、後門にも狼がいることを忘れてはならないのです。
2016.07.31 Sun l 本・文芸 l top ▲
Windows10ロゴ


私は現在、デスクトップとノートの二台のPCを使っています。主に仕事によって二台を使い分けているのですが、OSはデスクトップがWin7でノートがWin8でした。

Windows10の無償アップグレードがはじまったとき、どうしようか迷ったのですが、とりあえずノートのほうをアップグレードしました。アップグレード自体も問題なくすんなりとおこなわれました。

一方、デスクトップはメインのネットの仕事に使っていますので、さまざまなソフトを使っています。また周辺機器も日常的に使用しているものばかりで、Win10との互換性に不安があったので、アップグレードは保留していました。

しかし、貧乏性の習いで「無償」の誘惑をどうしても拭うことができません。ノートで確認してみると、ソフトも周辺機器も、特別問題はなさそうでした。

それで、意を決して(!)アップグレードを試みたのですが、何度やっても失敗するのでした。ネットで調べてみると、どうもWindows Updateの「更新プログラムの確認」ができないことが原因のようでした。更新プログラム自体はインストールされているようですが、なぜか「最終確認」が2015年の3月で止まったままなのです。

もちろん、現実的にはWin7でもなんら支障はないのです。そのため、いったんはアップグレードをあきらめてこのままWin7で行こうかと思いました。ところが、貧乏人の哀しい性で、やはり「無償」の文字が目の前にチラついてならないのでした。更新期限が近づくと、よけい「アップグレードしなければ損」みたいな気持になってくるのでした。しかも、そんな浅ましい気持はどんどんエスカレートして、「こうなったら意地でもアップグレードしてやる」というようなレベルまで行ってしまったのでした。それが更新期限(7月29日)の二日前です。

最新の「更新プログラムの確認」ができるようにするにはどうすればいいのか。素人考えで思いついたのは、「システムの復元」です。しかし、「復元ポイント」を見ると、今年の3月の日付しかありません。それ以前がないのです。引っかかるものがありましたが、とりあえず、3月のポイントで復元してみることにしました。

ところが、それが”悪夢”のはじまりでした。ハードディスクがビジー状態になり、にっちもさっちもいかなくなったのでした。いつまでたっても復元が完了しないのです。

仕方なく強制終了しましたが、その途端、パソコンの動作が異常に重くなったのでした。ネットにつないでも、昔のアナログ回線の頃のような緩慢な動きをするだけです。パソコンが不調になると頭が真っ白になることがありますが(それだけ実務的にもパソコンに依存しているからでしょう)、もうこうなったらリセットしてOSを再インストールするしかないなと思いました。まるで元プロ野球選手(清原のことです)や有名女優の夫の元タレント(高知東生のことです)ように、全身から汗が噴き出し異常な興奮状態に陥っていた私には、それしか思いつかなかったのでした。

とりあえずセーフティモードで立ち上げて、仕事用のデータを外付けのハードディスクにバックアップしました。仕事用のデータは週に一回はバックアップしていますので、2~3日分をバックアップするだけです。顧客データ等は、契約しているサーバーに保存されていますので、バックアップの必要はありません。

バックアップを終えてから、Win7を再インストールしてパソコンをリセットしました。そして、Win10のアップグレードを試みると、今度はすんなりと進み、アップグレードは完了したのでした。

ところが、アップグレードしたあとにとんでもない“忘れ物”をしていることに気付いたのでした。「マイピクチャ」のフォルダに入っている画像をバックアップしてなかったのです。そこには、今までデジカメで撮った写真が入っていたのです。

今のパソコンに買い替えたのは4年前ですが、そのときはWindowsの転送ツールを使ってデータを移動したので、外のメディアに保存していませんでした。あわてて,、押し入れの段ボール箱のなかから古いCD-Rを探し出して再生してみたら、さらにその前の2002年ににパソコンを買い替えたときに保存したデータしか残っていませんでした。つまり、2002年以後のこの14年間に撮った写真が消えてしまったのです。未編集のまま撮ったものを次から次に入れていましたので、数千枚は優にあったと思います。

14年間パソコンのなかのデータをいっさい保存してなかったという、このIT社会に生きる人間にあるまじき怠惰な態度は、迂闊どころではなく、文字通り自業自得と言うしかありません。

なんのことはない、14年間に撮った写真で残っているのは、わずかにこのブログにアップしたものだけになったのです。ブログをつづけるのは、結構しんどいものがあり、自己顕示の塊のような記事を読み返しては、自己嫌悪に陥ってやめようと思ったことも一度や二度ではありません。でも、ブログに残った写真を見ると、やめないでよかったのかなと思ったりもするのでした。今はそう思って自分を慰めるしかないのでした。

追記:
その後、データ復元ソフトを使って、6~7割くらいの画像が復元できました。
2016.07.31 Sun l ネット l top ▲
地震で打撃を受けた九州の観光地を支援する「九州ふっこう割」の多くは、既に完売になっていますが、一部のフリープランではまだ募集しているものがあります。

大分行きのフリープランも、往復の航空運賃・ホテル・レンタカーのセットで、通常のほぼ半額の金額でした。第一期は9月までなので、「ふっこう割」を利用して帰ろうかと思いましたが、しかし、考えてみれば、帰っても行くところがないのです。墓参りするだけでは時間を持て余すし、だからと言って、行くあてもなく田舎をウロウロしてもわびしくなるばかりです。田舎嫌いで、田舎の人間とのつきあいを避けていましたので、友人や知人も少ないのです。

田舎はたまに帰ると歓迎されますが、しょっちゅう帰ると迷惑がられます。「また帰ってきたのか」と言われるのがオチです。それに、友人たちもそれぞれ年齢相応の人生の苦悩を背負っていますので、風来坊のような人間の里帰りにそうそうつきあっているヒマはないのです。

でも、なかには二十年間年賀状をもらいながら、その間一度も会ってない”元同僚”もいます。二月に帰ったときも車で彼の家の近くを通ったのですが、家には寄らないままでした。この二十年間で電話で話したのが二度か三度あるだけです。

私が会社を辞めて東京に行くと決めたとき、突然、彼から家に電話がかかってきたのでした。彼はその前に会社を辞めて、実家のある町の農協だかに転職していました。会社ではそんなに親しくしていたわけではないのですが、なぜか電話がかかってきて、「辞めたと聞いてびっくりしましたよ。東京に行くなんてすごい決意ですね」と言ってました。それ以来ずっと年賀状の交換をしているのでした。

そう言えば、大学受験に失敗したとき、同じクラスの人間から実家に戻っていた私のもとに電話がかかってきてびっくりしたこともありました。彼も特に親しくしていたわけではありませんでした。私は中学を卒業すると実家を離れて街の高校に通っていましたので、高校の同級生たちは私の実家や田舎を知らないのですが、ただなぜか実家の家業を知っていたらしく、番号案内で調べてかけてきたということでした。

彼は志望の大学に合格したそうですが、私に対して「残念だったな。来年がんばれよ」とさかんに励ましてくれるのでした。そのためだけにわざわざ電話をかけてきたのです。ただ純粋に“善意“で電話してきたようですが、私にはそういう“善意“はありませんので、まるで他人事のようにすごいなと思いました。それで未だに忘れられないエピソードとして自分のなかに残っているのでした。

風の便りによれば、現在、彼は地元の大手企業の代表を務めているそうです。企業のトップになるというのは、その過程において、決してきれいごとではいかないこともあったでしょう。姦計をめぐらすこともあったかもしれません。あの若い頃の“善意“とサラリーマンとしてトップに上り詰める”したたかさ”の間にどう折り合いをつけてきたのか。彼の話を聞いたとき、そんなことを考えました。

やはり、”黄昏”が近づいてきたからなのか、最近はこのように、なにかにつけ過去の出来事やエピソードを思い出すことが多くなっているのでした。

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墓参りに帰省した
2016.07.26 Tue l 故郷 l top ▲
やっぱり、週刊文春が鳥越俊太郎候補に対するスキャンダルを掲載しました。文春につづいて新潮や東スポなども、負けじと鳥越候補に対して後追い記事を書いています。そして、待ってましたとばかりに、ネガキャンに走る産経新聞の記事がYahoo!トピックスに踊っています。見事な連携プレイと言えるでしょう。おそらくこの記事が、鳥越候補にとって”致命傷”となるのは間違いないでしょう。

業界関係者によれば、メディアの情勢調査では「まだ投票先を決めてない人が4割おり、情勢は変わる可能性がある」というような文言が最後に必ず入っていますが、しかし、その「4割」の人は、実際は投票に行かない人なのだそうです。つまり、余程のハプニングでもない限り、「情勢が変る可能性」はないのです。

私は、”舛添叩き”のときに、東京都知事は選挙などしても意味がない、週刊文春に選んでもらえばいいと書きましたが、まったくそのとおりになりました。

鳥越候補の「淫行疑惑」は14年前の話だそうですが、週刊文春や週刊新潮は、石原慎太郎氏が立候補したときに、石原氏の「愛人」や「隠し子」を記事にすることはありませんでした。それを記事にすることは絶対的なタブーだったのです。

記事自体は、下記の斎藤貴男氏のコメントにあるように、周辺の伝聞話を集めただけのマユツバなもので、鳥越候補のイメージダウンを狙った文春お得意の”ためにする”記事と言えますが、でも、日ごろリベラルな発言をしている作家やライターなどが文春を表立って批判することはないのです。高橋源一郎だって、大江健三郎だって、文春や新潮を批判することはないのです。みんな、見て見ぬふりです。それもいつもの光景です。

昔の学生たちは、文春や新潮は内調(内閣情報調査室)の広報誌だと言ってました。文春や新潮の記事が公安情報に基づいたものが多いというのも、半ば常識でした。ところが、今やそんな文春や新潮の記事は、昔とは比べ物にならないくらい大きな影響力をもつようになっているのです。

今回の選挙でも、内調の意向を組んで文春が鳥越候補のスキャンダルを書く準備をしているという記事が、選挙前から一部のメディアに出ていました。予想できないことではなかったのです。

文藝春秋の松井清人社長とジャーナリスト時代からの知り合いで、日ごろから親しい関係であることを公言している民進党の有田芳生参院議員は、今回の記事に対して、「スキャンダル報道があると、決まって『官邸筋のリーク』などと言われます。こんどの報道の背景で多方面に密かに語っていたのは官邸筋ではなく、鳥越さんを良からぬとする者たちだった」とツイッターに書いていましたが、なんだか話のすり替えのようにしか聞こえません。これでは獅子身中の虫と言われても仕方ないでしょう。

それに比べれば、「赤旗」に掲載されていた元文春記者の斎藤貴男氏のコメントのほうが“真っ当“と言えます。

 鳥越俊太郎氏の「疑惑」を取り上げた「週刊文春」の記事は、「被害者A子」さん自身の証言はなく、仮名の夫と匿名の「有名私立大学関係者」のコメントばかりで構成されています。肝心の事実関係もすべて「という」で結ばれています。こういうふうに言っている人がいるというだけです。このタイミングで報じるにはあまりにも政治的すぎる、と断じざるを得ません。選挙のときに、「という」としか書けないようなスキャンダル記事を出すべきではない。
 実際に記事を読めばいいかげんな内容だとわかりますが、ほとんどの人は読まない。それを踏まえ、一番多くの人に見られる電車や新聞広告の柱にすえるという、計算しつくした非常に卑劣なやり方です。
 週刊誌はゲリラですから、新聞やテレビとは違います。面白ければ何でもあり、選挙への影響をあまり配慮する必要はないという論理はわかりますし、私も否定はしません。 
 しかし、だったらどうして、東京都の金を自分の財布のように使っていた石原慎太郎知事の時は沈黙を決め込んでいたのか。
 そのくせ、今回は、鬼の首でも取ったみたいに鳥越さんのイメージダウンをはかる卑劣さは、かって『文春』に身を置いた者としても許せません。
 保守的な編集姿勢も結構ですが、保守と権力のイヌとは違うはずです。

※下記より転載
「文春」報道の不可解 選挙妨害の意図的記事 非常に卑劣なやり方 斎藤貴男さんコメント「赤旗」7/22


でも、何度も言いますが、共産党だって昨日までは文春の記事に踊っていたのです。都合のいいときだけ踊って、都合が悪くなると「卑劣」と言うのは、(如何にも共産党らしい)ご都合主義と言えるでしょう。

文春砲に沈黙するリベラル左派の”文化人”。都合のいいときは踊って、都合の悪いときは批判する野党。まさに「勝てない左派」の典型と言えるでしょう。きつい言い方になりますが、無定見に文春の掌の上で踊る(踊っていた)アホがシッペ返しを食らい、足をすくわれるのは当然なのです。


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2016.07.23 Sat l 社会・メディア l top ▲
一昨日、私は、紙の爆弾2016年7月号増刊『ヘイトと暴力の連鎖』(鹿砦社)と笠井潔・野間易道『3.11後の叛乱』(集英社新書)の二冊の本を買いました。二冊の本の副題には、それぞれ「反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター」「反原連・しばき隊・SEALDs」と同じ文言が並んでいます。

言うまでもなく、これらの本は、反原発の官邸前デモを主導した反原連(首都圏反原発連合)と反安保法制デモで脚光を浴びたSEALDs、それにヘイト・スピーチへの抗議活動で名を馳せた「しばき隊」を論じたものです。しかし、その姿勢は正反対です。

鹿砦社は福島第一原発の事故以後、『NONUKES』という「脱原発情報マガジン」を発行している関係もあって、反原連に対して2015年だけで300万円のカンパをしていたそうです。しかし、反原連がおこなった中核派・革マル派・顕正会排除宣言に対する松岡利康社長の苦言が反原連の逆鱗に触れ、絶縁状を突き付けられて訣別したのだとか。

松岡利康社長と作家の笠井潔氏は、全共闘運動の闘士として知る人ぞ知る有名な人物ですが、いみじくも「反原連・しばき隊・SEALDs」に対しては、まったく正反対の立場に立っているのでした。

まだ途中までしか読んでいませんので、この二冊の本を読んだ感想は後日あらためて書きたいと思いますが、それとは別に、私は、『ヘイトと暴力の連鎖』のなかで、つぎのような文章が目にとまったのでした。

それは、「しばき隊」内部の「リンチ事件」に関連するものです。記事によれば、「リンチ事件」の被害者に対して、相談者として接触してきた在日の「歌手」がいたのですが、彼は被害者に会ったあと、「リンチ事件」の現場にいて(本人は途中から帰ったと主張)、被害者に事件の「謝罪文」も送っている在日の女性ライターと「会談」した途端、事件は被害者の「嘘と誇張」によるものだと百八十度違うことを言い出したのだそうです。記事では、「一夜にして寝返った」と書いていました。ちなみに、「リンチ事件」では、刑事告発された実行犯三名に罰金刑が言い渡され(上記の女性ライターは無罪)、現在は民事訴訟が進行中です。

(略)録音データはじめリンチ事件の実態が一目瞭然の数々の証拠資料、特に事件直後の凄惨な顔写真を趙(引用者:「歌手」の姓)は見ているのに、たった一時間の会談で、人間こうも変わるのか!? 何かあったとしか思えない。弱みを握られ、これを突きつけられたのか? あるいは、甘い蜜を与えられたのか? 私の信頼する在日の人は「私は最初からこうなると判っていましたよ」と私に言った。この言葉の意味するところがまだ理解できないが、彼には在日同士の心の中の襞のようなものが実感できるのだろうか。
(「急展開した『しばき隊リンチ事件』の真相究明」松岡利康)


在日の人間と身近に関わってきた人間のひとりとして(今も身近に在日の人間がいますが)、「私は最初からこうなると判っていましたよ」ということばの意味がなんとなくわかる気がするのです。一見、在日同士は信用できる、日本人は信用できないみたいな話に聞こえますが、それだけではないように思います。

私は、身近な在日の人間に対して、「(朝鮮人は)勝ったか負けたか、得か損かでしか判断しない」と言って、いつも反発を受けていました。もちろん、そういった損得勘定は誰にもあります。でも、在日とつきあっていると、ときに呆気にとられるほど(人間同士の信義を越えるほど)露骨な場合があるのもたしかなのです。

私も、在日の人間とトラブルを経験したばかりで、それまで親しくしていた人間がまるでヤクザのように豹変する姿を見たとき、ふと上のことばを思い出したのでした。「一夜にして寝返る」どころではなく、一瞬で手の平を返して、ヤクザ口調で「ぶっ殺してやる!」なんて怒鳴りはじめる姿を前にすると(もっとも、それは、どこかの国がソウルや東京を「火の海にしてやる!」と叫ぶのと同じオーバーアクションなのですが)、「朝鮮人はうっとしくて嫌だな」と思います。

もちろん、日本人が相手だと「日本人はうっとうしくて嫌だな」とは思わないのです。その個人を嫌悪するだけです。そこに嫌悪と差別の分かれ道があるのかもしれません。私が「朝鮮人はうっとしくて嫌だな」と思うのは、考えようによっては既に差別していることになるのかもしれないのです。

でも、在日の”多様性”みたいなものももっと考える必要があるように思います。在日の問題を考えるとき、もちろん戦争責任や植民地支配の歴史的な背景をぬきにすることはできませんし、ヘイト・スピーチをあげるまでもなく、日本の社会に差別が存在するのは否定しようのない事実です。しかし、一方で、そういった視点からだけでは捉えられない在日の姿というのも当然ながらあるのです。

『韓国人を愛せますか?』((講談社+α新書)の著者・法政大学教授のパク チョンヒョン(朴倧玄)氏は、韓国人の世間や他人に対する考え方について、著書でつぎのように書いていました。

外でケンカしてきた子供に対して、日本人の親は「相手を殴るより殴られてくるほうがいい」なんて言う人も多いようだが、韓国人の親は「どうせケンカするなら、殴られるより殴るほうがいい」と思う人が多い。人を殴るという行為を、日本人は「相手に迷惑をかける行為だ」と解釈するかもしれないが、韓国人は「勝負に勝った、男らしい」と解釈するからだ。


韓国人の親が子供に望むのは、他人に迷惑をかけないことではなく、他人に対して肩身が狭くならないこと、他人に対して臆さないこと、自信のある態度を取れること、遠慮ばかりしないことだ。それは、負けず嫌いの韓国人の性格を表すものかもしれない。


在日の男性がどうしてあんなに虚勢を張り、強面に振る舞うのかと言えば、日本人には負けたくない、バカにされたくないと意識過剰になっているからだと思っていましたが、実はそれだけではなくて、世間や他人に対する朝鮮人特有の考え方が根底にあるからなのでしょう。

上の文章で言う、在日同士の「心の中の襞」というのは、そういうことではないかと思います。


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「在日」嫌い
2016.07.18 Mon l 日常・その他 l top ▲
東京都知事選が告示されましたが、その候補者選定の過程で示されたのは、うんざりするような古い政治の姿です。それは、与党だけではなく、野党も同じです。

「野党統一候補」の第一声に対して、動員された聴衆たちが、反安保法制デモのときの「アベ政治を許さない」と同じように、「みんなに都政を取り戻す」と書かれたお揃いの青いボードをいっせいに掲げている光景を見るにつけ、私は違和感を禁じ得ませんでした。

だからと言って、元官僚の「天下り候補」は論外だし、世渡り上手な「孤立無援パフォーマンス候補」も、過去にカルト宗教との関係が取りざたされ、今またヘイト団体との関係がささやかれるなど、その胡散臭さや海千山千ぶりは人後に落ちないのです。

元官僚に対して(しかも、知事経験者の”渡り”であるにも関わらず)、特別区長会や市長会など”地域のボス”が出馬を要請する官尊民卑の政治。そして、その官尊民卑の政治に、「卑しい」都民の多くが唯々諾々と従う東京都の民度。まったくいつの時代の光景かと言いたくなりますが、しかし、市民団体や労組が「野党統一候補」の擁立を要請する野党も似たかよったかで、与党を批判する資格はないのです。むしろ、分裂選挙にならなかった野党のほうが「全体主義的」とさえ言えるでしょう。古い政治に大差はないのです。

それどころか、自公に牛耳られ今や伏魔殿と化している議会への”対決姿勢”でも、「孤立無援パフォーマンス候補」にイニシアティブを握られる有り様で、いくら野党の基礎票があると言っても、このままでは浮動票を奪われ苦戦を強いられるのは間違いないでしょう。そもそも選挙の勝ち負けだけでなく、この候補でホントに大丈夫なのか?と思っている野党関係者も多いはずです。でも、「野党共闘」=「野党統一候補」の“体制翼賛“の空気に抗えず、そんな心の声をじっと押し殺しているのでしょう。

斎藤美奈子氏は、つぎのように「野党共闘」を批判していましたが、正鵠を射ていると思いました。

web掲示板談話
斎藤美奈子・森達也 第五十二回
都知事選について

 前回都知事選のときも、野党側が分裂選挙になって、あのときは私も「Uは下りたらいいのに」と思ったよ。でも、それはひどい発想だったんだって、今回わかった。前回も左派リベラル系の文化人が「下りろ」という記者会見まで開いたじゃない? あれは民主主義にもとるひどい行為だったんだって、改めて思った。
 個人の権利をつぶしておいて、都知事選に勝ったところで、何もいいことはない。もうこの人たちに、自民党を攻める資格はない。「民主主義をふみにじるのか」「言論を弾圧するのか」って、もう言えないもんね。自分たちが個人の被選挙権をつぶし、彼に投票する機会を奪い、この経緯に疑問を呈する声にも「黙れ」って、民主主義をふみにじってるのはどっちなの? 自民党の改憲草案だって批判できないじゃん。憲法13条の「個人として尊重される」の文言にもとることをやったんだからさ、自分たちで。
 こういう原理原則に反したツケは、必ず自分たちに跳ね返ってきて、敵に足元をすくわれ、ますます保守がはびこる土壌をつくることになると思う。

 というわけで、私はもう日本の左派リベラルには何の期待もしないし、野党連合も応援しない。日本の民主主義は今日、死んだ、と思った。たいへん残念です。

2016.07.16 Sat l 社会・メディア l top ▲
伊勢佐木町の劣化は目を覆うものがあります。外国人の比率の高さは、歌舞伎町や池袋西口や錦糸町も足元にも及ばないくらいで、一時目立っていた南米系の外国人は少なくなり、今は中国人に席巻されています。そうなると、どうしても中国人の横暴さやマナーの悪さが目に付いてならないのです。

昨日、伊勢佐木町のドンキホーテに行ったときのことです。最近流行りのシルバーワックスを買おうと思って行ったのですが、ヘアケアのコーナーには、試供品のような小分けにされてパックに入ったものが1種類あるだけでした。私は、とりあえずそのパックを持ってレジに行きました。

そして、レジの女の子に、「このワックスで容器に入ったものはありますか?」と尋ねました。すると、女の子は早口でムニャムニャ言いながら、パックを手に取るとさっさとバーコードを読み取る機械にかざしはじめたのでした。

私は、あわてて「エエッ、なに?」と訊き返しました。しかし、ただムニャムニャと言うだけです。私は、再度「エエッ、なに?」と訊き返しました。すると、女の子はやっと手を休め、 半ば不貞腐れたような感じで、「あるだけです」とたどたどしい日本語で答えたのでした。

レジの女の子は、中国人のアルバイトのようです。たしかに、伊勢佐木町のドンキも中国人客が目に付きます。それで、中国語で対応できる同国人を雇っているのかもしれません。

それにしても、その態度はないだろうと思いました。在庫があるかどうか確認しようともせず、つっけんどんに通り一遍のセリフを口にするだけなのです。もしかしたら、在庫の有無を訊かれたら、そう答えればいいと教えられているのかもしれませんが、あまりにもおざりな対応と言わねばなりません。私は、「ちゃんと日本語を喋る人間を雇えよ」などと心のなかで悪態を吐きながら店を出ました。

そのあと、イセザキモールを歩いていたら、空腹を覚えてきました。ふと前を見ると、「〇〇や」という“かつ“で有名なチェーン店の看板が目に入りました。私は、「〇〇や」には今まで入った記憶がほとんどないのですが、看板を見たら急にかつ丼を食べたくなりました。

店に入ると、カウンターの奥に二人の女性のスタッフがいました。ひとりがホールを担当し、もうひとりが調理を担当しているようでした。二人はおしゃべりの最中で、「いらっしゃいませ!」と言って水を置くと、そのままカウンターの奥に入っておしゃべりのつづきをはじめるのでした。またしても中国語です。それも、店内に響き渡るような大きな声でまくし立てるようにしゃべっているのでした。

私は、かつ丼を注文しました。やがて前に置かれたかつ丼を見た私は、一瞬我が目を疑いました。かつの衣が黒く焦げているのです。あきらかに揚げすぎです。そのため、かつも惨めなくらい縮んで小さくなっていました。ご飯も器の半分以下しかなく、見るからにみすぼらしいかつ丼なのです。チューン店の公式サイトには、「サクサク、やわらか、ボリューム満点」と謳っていましたが、まるでそのキャッチフレーズを嘲笑うかのようなシロモノでした。隣の席の男性もかつ丼を頼んでいましたが、サイトの写真とは似ても似つかないみすぼらしいかつ丼に固まっていました。

私は、苦い味のカツ丼を半分残して席を立ちました。レジで伝票を出すと、店員は伝票には目をくれず「500円」と言うのです。しかし、私が頼んだのはかつの量が多いほうだったので、700円のはずです。私が「エッ」と言うと、店員はあわてて伝票に目をやり、「700円」とぶっきらぼうに言い直したのでした。

中国人を雇うなとは言いませんが、雇うなら接客の心得くらい教えろよと言いたくなりました。本人たちにその自覚があるかどうかわかりませんが、まったくお客をなめているのです。ただ人件費が安ければそれでいいと思っているのなら、それこそブラック企業と言うべきでしょう。

外に出ると、中国人のグループが店の看板をバックに記念写真を撮っていました。「〇〇や」も中国人ご用達なのかと思いました。なんだか中国人に翻弄されているような気持になりました。

もちろん、伊勢佐木町の中国人は観光客ばかりではありません。その背後には、メガロポリスを支える3Kの巨大な労働市場があるのです。「研修生」の名のもと、安い給料でこき使われているのでしょう。そんな外国人労働者たちが、まるで吹き寄せられるように伊勢佐木町に集まっているのでしょう。

伊勢佐木町は、デビュー前のゆずが路上ライブをしていた街として有名ですが、今は通りもすっかり荒んだ空気が漂っています。外国人だけでなく、日がな一日中、路上のベンチを占領している、見るからにやさぐれてうらぶれたような老人たち。それは、北関東の街の駅前の光景とよく似ています。

横浜には、「恋する横浜」というその標語を目にするだけで恥ずかしくなるような市公認のキャンペーンがありますが、わざわざ伊勢佐木町でデートするカップルなんていないでしょう。私は最近、横浜を舞台にした小説をよく読んでいるのですが、前も書いたように、馳星周(横浜市立大卒)が伊勢佐木町を舞台にしたピカレスク小説(悪漢小説)を書いたら面白いものができるような気がします。

「いせブラ」も今は昔、高知東生のように、はだけた胸から金のネックレスをちらつかせながら、チンピラが肩で風を切って歩くのなら似合うかもしれませんが、もはやカップルや家族連れがそぞろ歩きをするような街ではなくなっているのです。

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参院選について、大手新聞の情勢調査では、終盤になってもやはり、改憲勢力が3分の2を取る可能性が高いという結果が出ています。何度も言いますが、民進党(旧民主党)が存在する限り、この流れが変わることはないでしょう。そもそも民進党は、東京都連の顔ぶれなどを見てもわかるとおり、必ずしも護憲政党とは言えないのです。もちろん、電力総連の組織内議員を多く抱える民進党は、脱原発ですらありません。

そんな民進党と一緒に「野党統一候補」を立て、改憲を阻止しようなんて大甘の認識だとしか思えません。東京都知事選でも、「野党統一」の接着剤にすべくお人好しの石田純一を担ぎ出した「市民連合」は、そうやっていたずらに「野党共闘」という”選挙幻想”を煽り、結果的に敗北主義的な運動を演出しているだけです。”人民戦線ごっこ”をして「アベ政治を許さない」つもりになっている彼らこそ、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」「勝てない左派」(ブレイディみかこ)の典型と言えるでしょう。

それは、三宅洋平も然りです。彼は、「上か下かではなく、上も下もない社会」と言ってましたが、私には言っている意味がわかりませんでした。和をもって尊しの日本的美学なのかと思いました。市場原理主義やグローバリズムが格差の拡大をもたらし、国民の六人に一人が貧困にあえいでいるという現実を考えるとき、「上も下もない」という発言は、文字通りポエムだとしか言いようがありません。

三宅洋平は、演説のなかでさかんにポデモスということばを使っていました。今の長髪も、パブロ・イグレシアスを意識しているのかと思いました。しかし、その背景や拠って立つ基盤には雲泥の差があります。前も書きましたが、ポデモスは、文字通り「上か下か」の格差や貧困を告発する運動に端を発し、やがて既成政党批判やウォール街のオキュパイ運動の先駆けとなる学生たちの「15M」運動(占拠闘争)へと発展したのでした。笠井潔は、世界内戦の時代は同時に大衆叛乱の時代でもあると言ってましたが、シリザにしてもポデモスにしても、(日本では彼らを「中道左派」と分類する見方が多いのですが)単なる議会主義政党ではなく、大衆的な実力行使(直接行動)から生まれた政党なのです。選挙での躍進はその延長上にあるのです。それが、彼らが“急進左派“とか“新左派“とか言われるゆえんなのです。

私は、今回の選挙も、「無関心層」と同じように、「入れるところがない」「どこに入れても同じだ」という考えしかもてません。そういう考えは改憲勢力の思うつぼだという”脅し”がありますが、それこそ思考停止と言うべきでしょう。かつて詩人の秋山清は、『朝日ジャーナル』に、「積極的投票拒否の思想」という文章を書いていましたが(私は、高校時代、学校の図書室でそれを読んでショックを受けたのですが)、秋山が言うように、「積極的投票拒否の思想」という考えがあってもいいのではないかと思います。今の政治が愚劣だと思うなら(そして、既成の政治を乗り越えるには)、投票に行かないということに積極的な意味を見出すべきではないかと思うのです。


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参議院東京地方区に立候補している三宅洋平の選挙フェスに、創価学会の信者たちが登壇し、学会・公明党批判をおこなったことが話題になっています。

YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4hXdI4wXiyg

登壇したのは、「創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会」のメンバーたちです。代表者である学会4世の創価大生は、「本来なら公明党支持者であるはずなんですけれども、ちょっと無理です。こんなこと言うと、マズいんですけど、怖いんですけど、指をくわえて権力を暴走させるわけにはいかないのですよ」と言ってました。

「安保を批判すると地獄に落ちるぞと幹部から言われました。創価大学・創価学会は学問の自由とか言論の自由とは程遠い、思想統制の世界に変わってきています」

「今も熱心に支援活動に動いておられる全国827万世帯の学会員さんに伝えたい。自分の信仰を、自分の人生を、自分の幸せを、組織の意思に任せるだけにするのは終わりにしましょう」

「僕らは、かつて貧乏人と病人の集まりだとバカにされいじめられてきた。でも、今はバカにする側にまわっているのではないでしょうか」

そんな訴えを聞いて、学会員ならずとも胸を熱くした人は多いのではないでしょうか。

こういった純真な若者の声に耳を貸すこともなく、ときの権力と手を組み、愚劣な”現世利益”を求める創価学会=公明党の幹部たちを見るにつけ、獅子身中の虫は誰なのかと言いたくなりました。

既出ですが、竹中労は、「月刊ペン事件」などで創価学会が世の中から激しくバッシングされていた際も、一貫して学会を擁護していました。それどころか、「彼らを愚民と見なし、”淫嗣邪教”のレッテルをはる輩、ことごとく外道である」とさえ言っていたのです。その理由をつぎのように書いていました。

 民衆に愛され、民衆に恩義を受け、おのれ自身も一個の窮民であった者が、民衆の側に立つのは当然ではないか! (略) それは、ヴ・ナロードなどという知識人のセンチメンタリズムや、原罪意識とは無縁の所為である。おちこぼれの窮民・悩める者を百万の単位で済度して、生きる力と希望とを人々にあたえる信仰に対して、小生は一切の偏見と予断を抱かない。いやむしろ、謙虚にこれを評価する。
(ちくま文庫『無頼の点鬼簿』・駅前やくざはもういない)


それは、創価学会が文字通り「貧乏人と病人の集まり」で、社会から「バカにされていた」からでしょう。そういった下層の悩める人たちに「生きる力と希望」をあたえる信仰の受け皿として、創価学会があったからです。でも、創価学会は変質したのです。創価大生が言うように、なにを勘違いしたか、権力と癒着して「バカにする側にまわっている」のです。

私も仕事関係の知り合いに学会員がいて、彼から泣きつかれ一時聖教新聞を購読していたことがありました(もっとも、購読料は彼が払っていましたが)。その際、創価学会と公明党の関係について話をしたのですが、いくら信仰と公明党を支持することは別だろうと言っても、彼には通じませんでした。「公明党はブレーキ役を果たしている」という話をただくり返すだけでした。私が言いたいのはそういうことではなく、信仰のあり方について、その根本にある問題を問うているつもりだったのですが、彼には理解できないようでした。

自公連立を支持することが”功徳”になると言うのなら、もはや思想・信条の自由は存在しなくなります。思想・信条の自由を否定するも同然です。極端なことを言えば、イスラム国と同じです。

故山崎正友氏の例をあげるまでもなく、かつて(?)創価学会は、敵対する勢力に対して、盗聴や尾行や誹謗中傷など「謀略」めいたことをおこなっていたという話がありますが、創価学会に反旗を翻した彼らが「怖いんです」「助けてください」(登壇した女性の声)と言っていたのは、そういった巷間言われているような体質と関係があるのだろうかと思いました。彼らの行為が、私たち外部の人間からは想像できないほど勇気のいるもので、学会員として大きなリスクを負っているのは間違いないでしょう。

政権与党という”現世利益”を”絶対視”する創価学会には、もう下層の悩める人たちに「生きる力と希望」をあたえる純粋な信仰の世界は存在してないかのようです。なんだかますますカルト化しているように思えてなりません。日本会議もそうですが、宗教的カルトが権力の中枢を蝕んでいるこの現実は、とても怖いことで、看過できない問題を含んでいると言えます。彼らの勇気ある造反が蟻の一穴になることを願わずにはおれません。


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