出川哲郎のCMでおなじみの仮想通貨取引所コインチェックにおいて、顧客から預かっていた580億円相当の仮想通貨NEMが流出した事件で、真っ先に思い浮かべたのは、先日、朝日新聞に載っていた下記の岩井克人氏のインタビュー記事です。すべては、この記事に尽きるように思います。

朝日新聞デジタル
(インタビュー)デジタル通貨の行方 経済学者・岩井克人さん

そもそも「通貨」という呼び方が間違っていると言った人がいましたが、仮想通貨(デジタル通貨)は、あくまで貨幣という幻想、貨幣になるであろうという幻想で成り立っているものにすぎないのです。

しかし、岩井氏は、投機の対象になった仮想通貨は、貨幣になるためには「過剰な価値」を持ちすぎたと言います。

 「(略)あるモノが貨幣として使われるのは、それ自体にモノとしての価値があるからではありません。だれもが『他人も貨幣として受け取ってくれる』と予想するからだれもが受け取る、という予想の自己循環論法によるものです。実際、もしモノとしての価値が貨幣としての価値を上回れば、それをモノとして使うために手放そうとしませんから、貨幣としては流通しなくなります」


貨幣は、価値が安定していることが大前提なのです。それが「だれもが『他人も貨幣として受け取ってくれる』」という安心(信用)につながるのです。

――一方、使える店やサービスは増えており、日本も資金決済法を改正して通貨に準ずる扱いにしました。この動きのギャップは、どう考えればよいですか。

 「値上がりしているので事業者が受け入れを始める一方、人々は値上がり益を期待して貨幣としてはあまり使わない、という矛盾が起きています。もちろん、価値が下がると思い始めたら人々は急いで貨幣として使おうとするでしょうが、その時、事業者は受け入れを続ければ損をするので、受け入れをやめるはずです。ただ、投機家はこうした動きのタイムラグを見越し、だれかがババをつかんでくれると思って投機をしているのかもしれない。現実に多少なりとも支払い手段として使われている以上、対応した法整備は必要ですが、それが貨幣になることを保証しているわけではありません」


仮想通貨が投機のババ抜きゲームの対象になるのは必然かもしれません。しかも、百歩譲って投機=投資の対象として見ても、インサイダー取引きやノミ行為がやりたい放題の”仮想通貨市場”は、最低限のマネーゲームの体も成してないとさえ言えるのです。

また、デジタル技術で支えられた「匿名性」や「自由放任主義」が、ジョージ・オーウェルが描いた超管理社会と紙一重だというのは、慧眼と言うべきでしょう。

コインチェックの社長も20代ですが、流出の報道を受けて、渋谷のコインチェックの本社に押しかけてきた顧客も、ネットで不労所得を得ようとする若者たちが大半でした。

ネットには、「できれば汗を流して働きたくない」と思っている人間が、働かなくても金儲けができるような幻想を抱く(抱かせる)一面があります。そういった情弱な人間たちに幻想を抱かせて金儲けをする仕掛けがあるのです。しかし、そこにあるのは、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間のほうが儲かる(山本一郎)身も蓋もない現実です。

金を掘る道具を売る人間は、宝探しの犬のように、「ここに金があるぞ」「早く掘らないと他人に先を越されるぞ」とワンワン吠えて煽るのです。ネットで一攫千金を夢見る人間たちは、所詮「煽られる人」にすぎないのです。
2018.01.28 Sun l ネット l top ▲
手前味噌になりますが、文春砲とそれに煽られる“お茶の間の論理”や、大塚英志が言う「旧メディア のネット世論への迎合」によって文春砲が増幅される“私刑の構造”について、私はこのブログで一貫して批判してきたつもりです。

ただ、今回の小室哲哉に関する文春砲については、文春砲に煽られる“お茶の間の論理”だけでなく、一転して文春砲を批判する世論に対しても、違和感を抱かざるを得ません。

今回の文春砲について、いろんな人が発言していますが、そのなかで目にとまったのは、ゲスの極み乙女。の川谷絵音の「病的なのは週刊誌でもメディアでもない。紛れも無い世間。」という発言と、新潮社の出版部部長でもある中瀬ゆかり氏の「二元論でものを考える人は怖い」という発言です。

デイリースポーツ
川谷絵音「病的なのは週刊誌でなく世間」

デイリースポーツ
中瀬ゆかり氏、文春批判にひそむ危険性を警告「二元論でものを考える人は怖い」

中瀬氏はつづけて、つぎのように言ってます。

「私の好きな言葉に『知性っていうのは、思ったことを極限までに突き進めないことだ』っていう。知性っていうのは、あるところで歩留まりというか、そこで止められることが一種の知性だと思っているので。一方的に、感情だけでカッとして、『だから廃刊にしろ』とか『不買運動だ』みたいになっている人たちは、また今度、何かあった時には手のひらを返すんだろうなって気はしてみてますね。


川谷絵音の発言に対して、ネットでは「お前が言うな」と批判が起きているそうですが、私はむしろ中瀬氏の発言のほうに、「お前が言うな」と言いたくなりました。

世間も週刊誌もメディアも「病的」なのです。そうやって“異端”や”異物”を排除することで、”市民としての日常性”が仮構されるのです。”市民としての日常性”は、そんな差別と排除の力学によって仮構されているにすぎないのです。

それにしても、中瀬氏の“知性論”は噴飯ものです。「留保」ということを言いたかったのかもしれませんが、そうやって他人の不幸を飯のタネにする自分たちのゲス記事をただ弁解しているとしか思えません。そもそも新潮社の中瀬氏がテレビのワイドショーに出て、したり顔でコメントしている光景にこそ、”私刑の構造”の一端が垣間見えるのです。

今回、文春砲を批判し炎上させている人間たちは、小室の場合はやりすぎだけど、山尾志桜里や上原多香子やベッキーは別だというスタンスが多いようです。男の不倫には理由があるが、女の不倫はどんな理由も許されないとでも言いたげです。そこにあるのは、文春や新潮と同じ男根主義的な”オヤジ目線”です。また、日頃不倫に眉をしかめる世間の人間たちも、妻の介護によるストレスや欲望のはけ口を身近な女性に求めたことには、なぜか理解を示すのでした。

前も書いたことがありますが、小室哲哉に関しては、みずからが手を付けたB級アイドル(華原朋美)をデビューさせた公私混同ぶりや、絶頂期の目をおおいたくなるようなバブリーな振舞いに、私は当時から違和感を抱いていました。

絶頂期の彼には、今のような如何にも「誠実そうな」姿とは真逆な一面がありました。常にクスリやオンナの噂が付き纏っていたのは事実です。詐欺事件で逮捕されたときも、事件に登場する人物たちにどこかいかがわしい人間たちが多かったのも事実でしょう。

芸能人である限り、「不倫なんてどうだっていいじゃないか」「どこが悪いんだ」「お前たちだって不倫したいと思っているだろう」と口が裂けても言えないのです。そのため、小室哲哉は、よりによって妻の介護と不倫を結び付け弁解しているのです。小室哲哉が虚像であることは言うまでもないでしょう。文春砲に対してどっちの立場をとるにせよ、その当たり前の前提がすっぽりとぬけ落ちているのです。それが違和感を抱く所以です。


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2018.01.25 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
二階堂


遅くなりましたが、鎌倉に初詣に行きました。日曜日だったので、鎌倉駅も小町通りも若宮大路の段葛も人でごった返していました。

ただ今日は、鶴岡八幡宮を素通りして、金沢街道を東に進み、二階堂に行きました。鶴岡八幡から5分くらい歩くと、その名もずばり「岐れ道」という標識が見えてきます。その「岐れ道」を左折すると二階堂です。昔は「二階堂大路」とか呼ばれていたみたいですが、角には「お宮通り」という表示がありました。

二階堂は、大きな邸宅が並ぶ閑静な住宅街で、昔から作家や画家などが居を構えていました。私も鎌倉では好きな場所です。下記のウィキペディア以外にも、久米正雄や川端康成も一時住んでいたそうです。また、高橋和己や神西清や高橋源一郎も住んでいたという話を聞いたことがあります。

Wikipedia
二階堂(鎌倉市)

ただ、最近は、屋敷跡にマンションや建売住宅が建てられて、昔の面影を失いつつあります。もっとも、今日行ったのは、二階堂のほんの入口にすぎません。鎌倉はどこもそうですが、同じ地名でも、表のバス通りから昔ながらの狭い道(大概一方通行になっている)をずっと奥に入って行ったところに住宅地が広がっているのが特徴です。鎌倉で暮らすなんて言ったら、優雅で素敵なイメージがありますが、実際は田舎で生活するのと同じで、通勤や通学はむろん、日常の買い物も不便を我慢しなければならないのです。そのため、私の知っている鎌倉出身の人間たちは、みんな高校卒業と同時に親元を離れ東京に出ています。地方出身者と同じなのです。

「お宮通り」の突き当りに鎌倉八幡宮(大塔宮)があります。鎌倉八幡宮は、鶴岡八幡宮のミニチュア版のような感じです。観光ルートから外れているからなのか、外国人観光客の姿はまったくありませんでした。その代わり、(鎌倉ではおなじみの)歴史散歩を兼ねた中高年のハイキンググループが目に付きました。リュックを背負った彼らが、神社横の道からぞくぞくと出てくるのでした。おそらく「鎌倉アルプス」というハイキングコースを歩いて、ニ階堂の奥にある瑞泉寺から下りてきたのでしょう。

鎌倉宮のあとは、「お宮通り」を引き返し、途中の荏柄天神社に寄りました。来るとき、鎌倉駅に到着して改札口に向かっていると、前を歩いていた若い女の子たちが、「荏柄天神社は学問の神様だからさ‥‥」と言っているのが聞こえてきました。受験シーズンの真っ只中なので、菅原道真を祭っている荏柄天神社は合格祈願の受験生でいっぱいなのではないかと思ったのですが、参拝の列は思ったほど長くはなく、10分くらい並ぶと順番がきました。

Wikipedia
荏柄天神社

菅原道真を祭る「学問の神様」と言えば、九州の人間が思い出すのは福岡の大宰府天満宮ですが、荏柄天神社は大宰府天満宮とは比べようもないくらい小さな神社でした。やはり、受験生と思しき子供を連れた親子の姿が目立ちました。境内には、大宰府天満宮と同じように梅の木が植えられ、既に枝には赤い蕾が付いていました。

昔、年を取って二階堂あたりに住めたらいいなあと思ったことがありましたが、それも叶わぬ夢に終わりました。それだけによけい、合格祈願をする若者が眩しく見えて仕方ありませんでした。


鎌倉宮1
鎌倉宮

鎌倉宮2
鎌倉宮

荏柄天神社1
荏柄天神社

荏柄天神社2
荏柄天神社

荏柄天神社3P
荏柄天神社
2018.01.21 Sun l 鎌倉 l top ▲
ドッグヤード1月3日


正月休みの間、文字通り食っちゃ寝てのプチ引きこもり生活をしていましたので、夕方から散歩に出かけました。

横浜駅で降りて、馬車道・伊勢佐木町・長者町を歩き、帰りも日出町から桜木町、みなとみらいをまわって横浜駅まで歩きました。

途中、温かい蕎麦を食べたいと思いましたが、まだ正月の3日なので目当ての店はどこも休みでした。それで、仕方なくラーメンを食べて帰りました。

何度も同じことを書きますが、私は、休日の夜の横浜の街が好きです。祭りのあとのさみしさのようなものを覚えるからです。平岡正明の言う“場末感”が漂っているからです。

横浜は決してオシャレな街などではありません。文明開化の足音がする時代には、西欧文化の入口だった横浜はオシャレな街だったのかもしれませんが、今はどちらかと言えば、時代に取り残されたようなレトロな街になっています。

めまぐるしく変わる東京と比べれば、その違いは一目瞭然でしょう。みなとみらいや、あるいは青葉区や都筑区や港北区のような郊外のベットタウンは別にして、古い横浜の街にはまだ個人商店が残っているところも多いのです。アイパーをあてた古典的なヤンキーなども未だ生息しています。

私は、当時勤めていた会社で横浜を担当していましたので、白塗りのメリーさんが馬車道のベンチに座っている姿を見ることもできました。ちょうど横浜博覧会が催された頃です。その頃の馬車道は、今と違って人通りも多く賑わっていました。伊勢佐木町も、“伊勢ブラ”の時代には及ばないものの、まだ繁華街の華やかさが残っていました(だからゆずも路上ライブをやったのでしょう)。

一方で、都内と比べれば横浜はどこか地方都市のような雰囲気がありました。それが横浜の個性だったのです。そして、それからほどなく横浜の旧市街は、みなとみらいの開発と引き換えに、日増しに”場末感”を増していくのでした。

横浜市庁舎の建設に合わせるように、近くの北仲では高層マンションなどの建設がはじまっています。また、みなとみらいの空地も、いくつか建築中のビルがありました。

横浜の場合、街中のビジネスビルが建つ表通りから一歩なかに入ると、古い住宅街が広がっているのが特徴です。そんな路地の奥にひっそりと佇む家々が、街灯の仄かな灯りに照らし出される夕暮れの風景が私は好きです。それこそ、美空ひばりの「哀愁波止場」が聞こえてくるような感じがするのです。繁華街の路地にも、裏町のような雰囲気のところが多く残っています。そのコントラストが横浜の魅力なのです。

カメラをあたらしく買ったので、久しぶりにカメラをもって散歩に出かけたのですが、とは言え、写真を撮るとなると、やはりみなとみらいの風景になるのでした。みなとみらいは、謂わば表の顔です。横浜の人たちにとって、たしかにみなとみらいは”自慢”ではあるのですが、でも、愛着があるのは”場末感”が漂う旧市街なのです。


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哀愁波止場
横浜の魅力
野毛
2018.01.03 Wed l 横浜 l top ▲
元日は大手のスーパーは休みなので、夜、近所の食品だけを扱っているミニスーパーに行きました。

店内に入ると、数人の先客がいました。いづれも中年の男性ばかりでした。レジにはアルバイトと思しき若い男の子と女の子が立っていました。

奥の飲み物などを置いている棚のところに行くと、そこにも一人の男性が商品を物色していました。ところが、私の姿を見ると、ヨーグルトをひとつだけ手に持って売り場を離れ、入口の脇にあるレジに向かったのでした。棚のあるところはレジから死角になっています。私は何気に男性の後ろ姿を目で追いました。

すると、男性はレジを通り抜けてそのまま外に出たのでした。たしかに手にはヨーグルトのカップを持っていたはずです。

私は、レジに行って、「今の人万引きだよ」と言いました。「手にヨーグルトを持っていたはずだよ」。

しかし、レジの若者は、「そうですか」「わかりませんでした」と言うだけで慌てる様子はありません。「こらっ!」と叫びながら追いかける場面を想像していたので、なんだか拍子抜けしました。アルバイトの彼らには、どうだっていいことなのでしょう。私は、この店は万引きし放題だなと思いました。万引き犯も、それを知ってやったのかもしれません。

万引き犯は、40~50歳くらいで、ジャンパーを着た見るからにさえない感じの男性でした。バックを肩から下げていましたので、もしかしたら仕事帰りなのかもしれません。

元日に、ヨーグルトを1個万引きする中年男性。なにが哀しくてそんなことをしなければならないんだろうと思いました。吉本隆明は、お金を借りにきた友人に、「人間ほんとうに食うに困った時は、強盗でも何でもやるんだな」と言ったそうです。たしかに、強盗だったらまだしも納得ができます。どうしてヨーグルト1個だけなのか。

メンヘラで万引きをするケースも多いそうですが、男性はそんなふうには見えませんでした。もちろん、腹を空かした子どもが家で待っているようにも思えません。おそらく浅慮なだけなのでしょう。捕まったら「レジでお金を払うのが面倒くさかったから」なんて言い訳をするのかもしれません。カギのかかってない自転車を拝借したり、目の前の忘れ物をこっそり懐に入れたりするのも同じでしょう。もっと飛躍すれば、人を押しのけて座席に座る人や、歩きタバコや歩きスマホをする人も似たようなものかもしれません。

そんな人たちをどう考えるかというのも、大事な思想です。ヒューマニズムでは、あんなやつはゴミだと切り捨てることはできないのです。もとより「ゴミ」なんてことばは使ってはならないのです。

抑圧された人民。そんなステロタイプな考えだけでは捉えられない現実が私たちのまわりには存在します。政治などより、そんな日常にある現実のほうがホントは切実なのです。モリ・カケに対する怒りより、駅のホームで列に割り込まれたときの怒りのほうが、私たちにとっては大きなことなのです。

平岡正明のように「あらゆる犯罪は革命的である」と考えれば、そう言えないこともありません。でも、私はやはり、情けないという思いしかもてないのでした。

このようにヒューマニズムの思想は、私たちの日常やそこにある個人的な感情の前では無力、とは言わないまでも非力なのです。だから、見ないことにしたり(見て見ぬふりをしたり)、取るに足らないことだと無視を決め込んだりするのかもしれません。それが現実をかすらない所以のように思います。


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2018.01.01 Mon l 日常・その他 l top ▲