
(高千穂峡)
最近、体調も、そして精神面も不安定な状態にあり、自分でもまずいなと思っていました。
それで、「最後の帰省」という二月の前言を翻して、気分転換のために九州に帰りました。今回の目的は、墓参りだけでなく、久住や阿蘇や高千穂に行って、秋を先取りすることでした。それは、ちょっと恰好を付けた言い方をすれば、過去を追憶する旅でもありました。
小学校低学年の頃、家族で久住高原にピクニックに行ったことがありました。最近、そのことがやたら思い出されてならないのでした。二月に帰ったときも、久住に行ったのですが、私のミスでそのとき撮った写真を消去してしまったのです。それで、今回再訪しました。
ピクニックに行ったのは、10月の20日すぎでした。非常に寒くてピクニックどころではなかったことを覚えています。ところが、今回も同じ10月22日に行ったのですが、暖かくて、フリースを羽織ることもなくずっとシャツ一枚で過ごしました。なんだかあらためて地球温暖化を痛感させられた気がしました。
ただ、ピクニックに行った草原は、その後、観光会社が買収して展望台として整備されたのですが、その会社が昨年倒産し、展望台に上る道路も閉鎖され、上にあがることができませんでした。
また、小学生のとき、父親と山に登ったときに利用した登山口にも行きました。やはり写真を消去したので、もう一度思い出の風景をカメラに収めたいと思ったのでした。あのとき登山口にバイクを停めて、二人で山に入って行ったことを思い出しました。下山する際、風雨に晒されて何度も転びながら下りてきたのを覚えています。当時、父親はまだ40歳前後だったはずです。私の中には晩年の老いた姿しかありませんが、そうやって思い出の場所に行くと、若い父親の姿がよみがえってくるのでした。
久住のあとは、阿蘇の大観峯に行きました。若い頃、彼女ができると必ずドライブに行った場所です。また、悩んだときもよく出かけました。会社を辞めようと思ったときも、再び上京しようと思ったときも、大観峯に行きました。
しかし、30年ぶりに訪れた大観峯はすっかり様相が変わっていました。駐車場が作られ、休憩所?のような建物もできていました。駐車場にはぎっしり車が停まっており、平日にもかかわらず観光客で賑わっていました。絶壁にひとり佇んで、眼下に広がる景色を眺めながらもの思いに耽ったような雰囲気はもはや望むべくもありません。落胆して早々に退散しました。
大観峯のあとは、高千穂に向けて車を走らせました。高千穂も父親との思い出があります。20歳のとき、一年間の入院生活を終え、実家に戻ってきた私は、毎日、実家で今で言う引きこもりのような日々を送っていました。当時はパソコンがなかったので本ばかり読んですごしていました。そんなある日、父親に誘われて高千穂峡に行ったのです。そのとき、父親が撮った写真は今も手元にあります。
大観峯から高千穂までは60キロ以上ありますが、山間を走る道路は昔と違って整備されていて、1時間ちょっとで着きました。でも、高千穂も昔とはずいぶん違っていました。すっかり観光地化され、素朴なイメージがなくなっていました。スペイン語を話す外国人観光客の一団と一緒でしたが、わざわざこんな山奥までやって来て後悔しないんだろうかと心配になりました。ほかに、韓国や中国からの観光客の姿もありました。
ふと思いついて、高千穂から地元の友人に電話しました。家にいるというので、地元に引き返すことにしました。友人と会うのは二年ぶりです。友人は、高千穂の手前にある高森(町)によく行くのだと言ってました。毎月月始めに高森の神社にお参りするのだそうです。高千穂に行くのを知っていたら、高千穂や高森のパワースポットを教えたのにと言っていました。あのあたりは、パワースポットが多いのだそうです。
ちなみに、私の田舎(地元)は大分県で、久住も大分県ですが、阿蘇と高森は熊本県、高千穂は宮崎県です。いづれも九州に背骨のように連なる山地の間にあるのでした。
友人が毎月高森に行っているというのは初耳でした。離婚してひとり暮らしているのですが、地元で生きていくのは傍で考えるよりつらいものがあるんだろうなと思いました。田舎が必ずしも温かい場所でないことはよくわかります。私は、そんな田舎から逃避するために再度上京したのですが、旧家の跡取り息子である彼にはそんな選択肢はなかったのでしょう。
「こんなこと他人に話すのは初めてだけど」と言いながら、心の奥底にある思いをまるでいっきに吐き出すように切々と話していました。私は、それを聴きながら、昔、母親になにか宗教でも信仰した方がいいんじゃないと言ったことを思い出しました。そのとき、母親も大きな苦悩を抱えていたのです。私の口から「宗教」なんて言葉が出てきたので、母親はびっくりして私の顔を見返していました。人間というのは、にっちもさっちもいかなくなったら、もうなにかにすがるしかないのです。それしかないときがあるのです。それが「宗教」の場合だってあるでしょう。誤解を怖れずに言えば、「宗教」のようなものでしか救われない魂というのはあるのだと思います。
地元の友人は、ずっと死にたいと思っていたそうですが、神社に行くようになって、「自分は生かされているんだと思うようになった」と言ってました。「笑うかもしれないけど、ホントだよ」と何度もくり返していました。
彼が一時、家業とは別に久住のホテルでアルバイトしていたことは知っていましたが、深夜、仕事を終え、あの草原の道を自宅に向けて車を走らせながら、どんなことを考えていたんだろうと思いました。死にたい気持になったのもわかるような気がするのでした。
翌日と翌々日は、別府に行って高校時代の同級生と会いました。夜の別府は昔と違ってすっかりさびれ、寂寥感が漂っていましたが、老いが忍び寄る私達の人生もまた同じで、もはや過去を追憶して心のよすがとするしかないのです。

(高千穂峡)







(芹川ダム)

(田ノ浦ビーチ)

(別府)