感情天皇論


天皇の代替わりに伴い、あと四日で元号が「平成」から「令和」に変わりますが、最近は西暦を使用することが定着していますので、個人的には「昭和」から「平成」に変わるときほどの感慨はありません。先日、ラジオを聴いていたら、パーソナリティの女性が「もう平成も残り少なくなりましたので、平成のうちに会いたい人に会いに行きたいと思っています」と言っていましたが、かように改元にまつわるメディアの狂騒はバカバカしいの一語に尽きます。

今回の生前退位について、大塚英志は、最新刊『感情天皇論』(ちくま新書)で、次のように書いていました(以下、引用は全て同書)。

(略)今回の退位に最も問題があったとぼくが考えるのは、「国民の総意」でこれからも天皇を退位させられる前例ができたことだ。今や左派がリベラルな天皇を以て政権の暴挙を牽制しようとしているが、こういう二重権力は、パブリックなものの形成を損なうだけでなく、世論の形を借りて政権の気に入らない天皇を退位させることを可能にする。権力の暴走阻止は三権分立の仕組みと選挙によってのみなされるべきである。天皇という三権の外側に権力の抑止機能を求めてはいけない。
「お気持ち」を世論が忖度しての退位は、天皇の最悪の政権利用の余地をつくってしまった。


また、「お気持ち」についても、次のように書いていました。

 彼の訴えたかったことは、象徴天皇制のあり方の表明とその制度化であった。つまり国事行為以外に「感情労働」が象徴天皇の「機能」であり、そして、その「機能」を高齢となった自分が果たせないなら「機能」の継続性を担保するために、退位を制度化してほしいという、「象徴天皇制の継続性を担保する制度化」が彼の主張だった。


とどのつまりは、「感情による国民統合」(=象徴天皇制)をどう考えるかでしょう。自民党の憲法改正草案が目指す、戦前型の元首化よりまだ「マシ」と考えるのか。

大塚英志も『感情天皇論』の中で指摘していましたが、リテラなどに代表される多くの左派リベラルは「マシ」と考えているようです。彼らは、戦後的価値を保守する現天皇と戦後レジームからの脱却を目論む安倍政権が対立しているかのように主張します。しかし、その”片恋”にどれほどの意味があるというのでしょうか。

 リベラル派はかつて戦争責任を昭和天皇に求めたことを忘れたかのように、今は明仁天皇を戦後憲法的な平和主義の象徴と見なす。しかし、戦後民主主義を天皇に託すことが正しいとはぼくには思えない。(略)戦後憲法について考え、実践し、考えを示すことを天皇に託してしまうことは主権者としての判断停止であると考える。


これは、至極真っ当な意見です。

大塚英志は、「『近代』とは人に等しく『個人たれ』という抑圧としてあり、同時にそのサボタージュの精神史としてある」と書いていましたが、まさに天皇制は、そのサボタージュする装置として存在していると言えるでしょう。

また、いわゆる「不敬文学」なるものが、天皇をはじめとする皇室の人間たちを「個人たれ」と描いている(描こうと試みている)というのは、そのとおりでしょう。

一方で、「感情労働」としての象徴天皇制は、「天皇ってカワイイ」と言う女子高生に象徴されるように、アイドルまがいに消費される対象にすらなっており、天皇制を権威付ける神道由来の「神秘性」は後景に退いています。保守派にはそれが天皇制の危機と映っているのかもしれません。自民党の元首案も、そういった危機意識の表れなのかもしれません。でも、見方によっては、「天皇ってカワイイ」というのは象徴天皇制の”あるべき姿”と言えないこともないのです。

戦争責任という側面でしか天皇制を捉えてこなかった左派リベラルが、戦争犠牲者を慰霊し平和を希求する(そういった「感情労働」をみずからの「務め」とする)今の象徴天皇制の前ではただ現状を追認することしかできないのは、当然と言えば当然です。と言うか、今や左派リベラルが象徴天皇制の最大の擁護者になっていると言っても過言ではないでしょう。山本太郎参院議員が2013年に園遊会に出席した際、天皇に原発事故の現状を訴える手紙(上奏文?)を渡した”事件”がありましたが、左派リベラルこそ誰よりも天皇の政治利用を目論んでいると言えなくもないのです。

戦後74年が経ち、天皇制はここまで「倒錯」した存在になっているのです。でも、それが象徴天皇制の本質なのです。大塚英志風に言えば、そうやって「象徴天皇制の継続性」が担保されるのです。

「天皇が国家の象徴などと言う言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だと言う言い分と同じ笑止で理の通らぬたわごとだと言うことになる、と言うより問題にもされなくなる、と僕は信じる」と大塚英志は書いていましたが、それはあまりに楽観的すぎると言わねばなりません。


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2019年4月帰省1


ふと思いついて、二泊三日で九州に帰りました。昨年十月に帰りましたので、半年ぶりの帰省です。

いつものように墓参りをして、友人たちと会いました。また、高校時代の友人と喫茶店で待ち合わせていたら、そこに別の同級生が偶然やって来たりと、田舎ならではの邂逅もありました。

前の記事でも書きましたが、私は、中学を卒業すると、親元を離れてまちの学校に行ったので、小中学校の友達はひとりもいません。もちろん、幼馴染はいますが、彼らとも疎遠になっています。

祖父母と両親が眠る墓は、田舎の菩提寺にあるのですが、しかし、既に実家もありませんので、生まれ故郷の町に帰っても、ただ墓参りをするだけで誰に会うこともありません。

とは言ってもやはり、自分が生まれ、祖父母と両親が眠る町は特別なものです。心の中には、子どもの頃の風景がずっと残っているのでした。今回も空港から真っ先に向かったのは、生まれ故郷の町でした。

町に近づくと新しく作られたバイパスから離れ、昔の道に入りました。雑草が生い茂った道沿いには、住人がいなくなって放置された家が点々とありました。昔は、県庁所在地の街から実家のある町まで、路線バスで二時間半かかりました。バスは、大正時代(?)泥棒を県庁所在地の警察署まで護送する際、用を足していた巡査が泥棒から突き落とされたという逸話が残る「巡査落としの谷」を眼下に見ながら峠を越すのですが、峠の突端にある商店で十分間のトイレ休憩をするのが決まりでした。

その商店も人影もなく朽ちていました。しかし、店の看板やビール瓶ケースはそのまま残されていました。外観が痛んでいることを除けば、今も住人が住んでいるのではと錯覚を覚えるくらい、生活の痕跡もそのまま残っていました。

商店の前を通る道も雑草で覆われ、昔はこんな狭い道をバスが走っていたのかと思いました。バイパスは、峠にトンネルが掘られ、その中を走っているのです。

商店の前のバス停から同じ中学に通っていた一学年下の女の子がいました。そこから三十~四十分かけてバスで通学していたのです。

彼女とは高校生のとき、一度だけ会ったことがあります。中学時代は、映画館もスーパーもない山奥の町でしたので、デートなんて望むべくもなかったのですが、高校になってから連絡をとり、二人で映画を観に行ったのでした。朽ちて傾きかけた家を前にして、そんな甘酸っぱい思い出がよみがってきました。

墓参りのあとは、地元の会社に勤めていた頃の同僚を訪ねて、来たときとは反対側の山を越え、彼が住んでいる町へ行きました。

同僚と言っても、私よりひと回り以上も年上で、既に七十歳を越え、今は奥さんと二人でのんびりと老後を過ごしています。夕方までお喋りをして帰ろうとすると、「夕飯を食べに行こうや」と言われました。

それで、三人で町内にある和食の店に行きました。彼もガンで何度か手術をしています。痩せて見た目も変わり、声も弱々しくなっていました。でも、口をついて出るのは、昔と変わらないトンチの効いた明るい話ばかりでした。店の前で別れ車を走らせると、外灯の下でこちらに向かって手を振りつづけている姿がルームミラーに映っていました。

二日目は、別府から車を飛ばして宇佐神宮にお参りに行きました。私は、宇佐神宮は初めてでした。翌日、高校の同級生たちと会ったとき、宇佐神宮に行った話をしたら、高校三年の冬休みに、十人くらいで汽車に乗って宇佐神宮に行ったことがあると言うのです。

「お前も行かなかったっけ?」と言われましたが、私は行っていません。受験の合格祈願に行ったのだそうです。翌月には、合格祈願に行った友人たちと受験のため一緒に上京しているのです。どうして私だけが抜けていたのか、しかも、今までその話を知らなかったのか、なんだかわけもなくショックを覚えました。

宇佐神宮は、全国の八幡さまの総本宮と言うだけあって、想像以上に大きな神社でした。クラブツーリズムのツアーでやってきたお年寄りたちが前を歩いていましたが、「伊勢神宮と同じくらい広いな」と言っていました(いくらなんでもそれはオーバーでしょう)。宇佐神宮は、前も書きましたが、「六郷満山」と呼ばれる国東半島の寺々に大きな影響を与え、独特な神仏習合の仏教文化を生み出したのでした。でも、最近、宮司の跡継ぎ問題で内紛が起き、裁判沙汰になったそうです。

宇佐神宮のあとは、豊後高田市の「昭和の町」へ行きました。宇佐神宮から車で10分くらいでした。私たちの世代の人間にとって、豊後高田と言えば、バスケットの強豪校の高田高校がある街というイメージしかありません。ところが、20年くらい前からさびれた商店街を逆手に取った町おこしが行われ、それが見事に当たったのです。さまざまなメディアに取り上げられて、「昭和の町」はいっきに全国区の町になったのでした。

しかし、行ってがっかりでした。平日ということもあってか、文字通り閑古鳥が鳴いていました。休日になれば訪れる人も多くなるのかもしれませんが、これではレトロではなくただのさびれた町だと思いました。

閑古鳥が鳴いているのは「昭和の町」だけではありません。県内のほかの温泉地や観光施設も、地元の人間に訊くと、意外にも悲観的な声が多いのです。メディアでふりまかれるイメージやトリップアドバイザーのレビューでは伺い知れない現状があるようです。このままではインバウンドの「千客万来」も、一夜の夢に終わる懸念さえあるでしょう。

今回も旧知の人間たちと会い、昔話に華を咲かせましたが、しかし一方で、だんだん田舎に帰るのがしんどくなっているのを感じます。それは、体力面ではなく、多分に精神的なものです。このもの哀しさはなんだろうと思います。

なつかしさに駆られて田舎に帰るものの、戻ってくるときは、いつも暗い気持になっている自分がいます。田舎で目に入るのは、”黄昏の風景”ばかりです。坂口安吾ではないですが、なつかしさというのは残酷なものでもあるのです。そのため、東京に戻る飛行機の中では、いつもこれで最後にしようと思うのでした。


2019年4月帰省2
原尻の滝1(豊後大野市)

2019年4月帰省3
原尻の滝2

2019年4月帰省4
宇佐神宮1

2019年4月帰省5
宇佐神宮2

2019年4月帰省6
宇佐神宮3

2019年4月帰省7
宇佐神宮4

2019年4月帰省8
宇佐神宮5

2019年4月帰省9
昭和の町1(豊後高田市)

2019年4月帰省10
昭和の町2

2019年4月帰省11
昭和の町3
2019.04.20 Sat l 故郷 l top ▲
先日、NHKの「クローズアップ現代」で、「独自映像 “ショーケン”最期の日々」と題してショーケンのプライベート映像が放送されていました。GIST(消化管間質腫瘍)を発病したあと、八年間に渡って撮りだめた53時間の映像がNHKに託されたのだそうです。

映像には、死を意識しながら仕事に取り組むショーケンの姿が克明に記録されていました。前に『日本映画[監督・俳優]論』を取り上げた中でも書きましたが、ショーケンの俳優としての覚悟と「感受性の高さ」が映像にも出ていました。

ショーケンは、四度目の結婚に際して、今までジェットコースターのような人生だったけど、メリーゴーランドのような穏やかな人生を送りたいと言っていたそうで、映像の中でも、奥さんに対する感謝のことばを述べている場面がありました。

死を前にしたとき、家族がどんなに支えになったことでしょう。家族のいない私は、ひとりで死んでいく覚悟は持っているつもりです。しかし、それでも、孤独な死に耐えられるだろうかと思ったりもします。その意味では、ショーケンが羨ましくもあります。

ただ、一方で、ショーケンには(ショーケンだけは)最後まで破天荒でいてもらいたかったという気持もあります。

映像の中で、ショーケンは、今まで三回結婚したけど、ひとりの女性も幸せにできなかった、ひとりの女性も幸せにできない男になりたくないというようなことを言ってました。

でも、私は、ショーケンからそんなことばを聞くのは、ちょっとさみしい気持がしました。

破天荒なら破天荒でいいじゃないか。別に丁寧に生きなくたっていいじゃないかと思います。最後まで破天荒を貫くことで、映画や文学の本質にせまることができるはずです。俳優にとって(表現を生業とする人間にとって)、それこそ本望なのではないでしょうか。

何度も引用して恐縮ですが、ショーケン自身も、神代辰巳監督について、次のように語っているのです。

 これはあの人のいいところでもあるんだけど、名刀を持っているくせして、止めを刺せない優しさがあるんです。獲物を捕ってもさらに止めを刺せ、というんだ。でも刺せない。それがあの人の優しさなんだな。止めを刺せよ。もう死んでるも同然じゃないか。これ以上生かしておいたらかわいそうだよ。生き物なんだから。映画監督なら止めを刺さなきゃ。それが黒澤にも溝口(健二)にも小津(安二郎)にもあるんだよ。人間としての残酷さが。
(『日本映画[監督・俳優]論』)


芸能人というのは、市民社会の埒外に存在するものです。サラリーマンではないのです。サラリーマンの嘘臭さの対極にいるのが芸能人なのです。それは作家も同じです。

たしかに、死を前にすると、常識や規範や日常(家族)といった”市民的価値意識”に身を委ねたくなる気持もわからないでもありません。

でも、人間というのはもともと破天荒で矛盾だらけで、”市民的価値意識”に収まりきれない存在なのです。文学や映画が描こうとしているのも、そういった人間存在の真実なのです。人様に身を晒して生きる芸能人こそ、ことばの真正な意味においてヤクザな存在なのです。「河原乞食」には「河原乞食」の矜持があるはずです。だからこそ、差別をあこがれへと止揚することができるのです。


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『日本映画[監督・俳優]論』
2019.04.18 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
12日に行われた東大の入学式で、同大名誉教授の上野千鶴子氏が祝辞を述べたそうですが、その全文が朝日新聞デジタルに掲載されていました。

朝日新聞デジタル
東大生と言えない訳 上野千鶴子氏が新入生に伝えたこと

上野氏は、次のように述べていました。

 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

 そして、がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日、「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

 世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと……たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶(おとし)めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。


既にいろんなところで指摘されていますが、収入格差がそのまま教育格差につながっている現実があります。フェミニストの上野氏は男女差にウエイトを置いて話したようですが、男女差だけでなく貧富の差においても、「報われない社会」になっているのです。

ネットには次のような表がありました。これは、東大生の家庭の世帯年収の割合(2016年)を表にしたものです。

東大生世帯年収
※出典
年収ガイド
東大生の親の年収データ

表について、記事は次のように書いていました。

パーセンテージのみの数値で、具体的な金額が出ていないため確実な数字とは言えませんが、世帯年収で1000万円以上が平均になることは上の表から間違いないでしょう。
(略)
こちら(世帯の平均年収・所得)のデータでは、「児童のいる世帯」の平均所得は約700万円です。
この数字と比べると東大生の平均が約300万円以上も上回っていることがわかります。
以前から言われていることですが、やはり経済力と学力には相関関係があることが見て取れます。


ちなみに、世帯年収が1000万円以上の家庭の割合は、2016年で13.2%です。巷間言われるように、東大生は裕福な家庭の子弟が多いというのは、否定すべくもない事実なのです。

でも、それは意外な話ではありません。東大に行くには、幼少期から多大な教育投資が必要です。経済的に余裕がなければ、その資金も捻出できないのです。

一方で、日本社会も既に階層の固定化がはじまっており、東大生の親たちも高学歴で、大手企業や官庁の管理職が多いというデータもあります。それが「教育熱心」と「経済的な余裕」の背景なのでしょう。

東大生の出身地の割合を見ると、2018年度では関東出身者が59.7%(東京37.5%)を占めています。もっとも、早稲田や慶応はもっと偏っており、同じ2018年度で、早稲田が76.91%(東京37.99%)、慶応が77.0%(同41.22%)です。

東大研究室
合格者の出身地割合
慶大塾
慶應義塾大学 出身地区別志願者・合格者数
早大塾
早稲田大学 出身地区別志願者・合格者数

全国学力テストの結果などを見ると、義務教育時の学力は「地方の方が上」だそうです。しかし、その後の地域環境や教育投資の多寡によって進学先に差がついてしまうのです。

もとより地方では、今は進学も地元志向が主流になっています。それは、子どもを都会の大学に通わせるほど親の経済的な余裕がなくなったからです。

前も書きましたが、私は九州のそれなりの公立高校に通いましたが(私自身も中学を卒業すると親元を離れ、まちの学校に越境入学したのでした)、当時、東京の大学に進んだ同級生は100名以上いました(今でも50~60名の同級生が関東に居住しています)。しかし、現在、母校で東京の大学に進むのは10名もいません。

教育格差は、上の学校に行くかどうかというレベルだけでなく、こういった(目に見えない)部分でも広がっているのです。”上京物語”も今や昔の話なのです。

上野氏によれば、東大生ひとりに対して4年間で500万円の「国費」が投じられているそうです。こうやって教育においても、格差の世代連鎖が進むのです。

この冷酷な(としか言いようのない)現実を考えるとき、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」という上野千鶴子氏のことばも、なんだかむなしく響いてくるような気がしないでもありません。


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2019.04.12 Fri l 社会・メディア l top ▲