今日、用事があって墨田区の錦糸町に行きました。朝の7時台の電車に乗って、池袋で先に要件を済ませ、そのあと池袋からお茶の水まで地下鉄丸の内線、お茶の水から錦糸町までは総武線に乗りました。

たしかに、電車は空いていました。ただ、この時期は学校が春休みなので、普段でも電車は空いています。普段の春休みのときと比べても、やや空いている程度でした。テレワークなんて、ごくごく一部の人たちの話なのです。モミクシャにはならなかったけど、お互いに身体が触れ合う程度には混んでいました。欧米では考えられない光景でしょう。

そんな中で、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」も健在で、我先に電車に乗り込むと空いている席に向かって突進していました。この手の人たちは、もはやビョーキなので、新型コロナウイルスも関係ないのでしょう。こういった人たちに、「3密」とか「自粛」とか言っても、所詮は馬の耳に念仏なのではないかと思いました。

久し振りに錦糸町に行ったら、駅周辺がすっかり都会になっていたのでびっくりしましたが、駅前のカフェの前でも朝食用のコーヒーなどをテイクアウトするサラリーマンやOLなどが列を作っていました。もちろん、1メートルの間隔なんてどこの国の話だという感じでした。

私も、朝食を食べようと、某外資系ハンバーガーチェーンの店に入りました。注文すると、カウンターの女性はマスクを顎にかけたまま、唾を飛ばしながら(?)「サンキュー!」と言ってました(日本人なのに)。

帰りは、錦糸町から総武線の快速に乗って武蔵小杉まで戻り、武蔵小杉で東横線に乗り換えたのですが、車両のいちばん端にある三人掛けの座席に座っていたら、見るからにメタボの中年男性がやって来て、私の横に座りました。そして、座るや否や、咳をしはじめたのでした。それも軽い咳です。マスクもしてないし、手で口元を覆うわけでもありません。

そのため、向かいの席に座っていた人たちはいっせいに立ち上がってほかの席に移って行きました。私もヤバいと思って、席を立ってドアのところに行きました。

男性はそんなことはおかまいなしに、ひとしきり咳をすると、居眠りを始めたのでした。あきらかに睡眠時無呼吸症候群のような感じで、すぐに大きなイビキをかいて寝込んでしまったのでした。でも、男性はスーツを着た、メタボである以外はどこから見ても普通のサラリーマンのようです。

文字通り、新型コロナウイルスなんてどこ吹く風のような光景です。たしかに過剰な反応は問題ですが、それにしても緊張感のなさには唖然とするばかりです。

それもひとえに感染の実態が見えないからだと思います。見えないというより見えないようにされているからです。そのため、(どこかの国の総理大臣夫人のように)掛け声ばかりで緊張感がないのでしょう。

若者にしても、いくら症状が軽くても検査をしないのでは、自分が感染しているかどうか、あるいは、免疫を持ったかどうかもわからず、自分たちが感染の発生源になっているという自覚が持てないのは当然でしょう。小池都知事のように、検査もしないで、一方的に若者を責めるのは酷と言うものです。

小池都知事が「(新型コロナウイルスで)はしゃいでいる」と書いていた週刊誌の記事がありましたが、たしかに今夏の都知事選を控えて、指導力をアピールする絶好のチャンスとばかりに「はしゃいでいる」ように見えないこともありません。

クラブやライブハウスやカラオケボックスやバーなどに行くなと言いながら、飛沫感染が懸念される通勤電車はスルーです。外で飲み食いするなと言って、飲食店を苦境に陥らせながら、補償は知らん顔です。それに何より、「大変だ」「大変だ」と大騒ぎしながら、未だ1日の検査数が2000件以下で、ドイツの17分の1しかない現状に対しては、「医療崩壊を招くから」と肯定しているのです。これではただのアピールと思われても仕方ないでしょう。

アメリカ14万904人(2405人)
イタリア10万1739人(1万1591人)
スペイン8万5195人(7340人)
中国8万1518人(3305人)
ドイツ5万7298人(229人)
フランス4万4550人(3024人)
韓国9786人(162人)
日本1953人(56人)

上記は、多少バラつきがありますが、29日~30日現在の各国の感染者数(カッコ内は死者数)です。

どうして日本だけが感染者数が極端に少ないのか。ホントに「封じ込めに成功しているから」なのか。電車の中や街の様子を見ても、封じ込めに成功しているとはとても思えません。日本だけ極端に少ないのは、奇跡なのか、それとも過少申告なのか、と皮肉っぽく書いていた外国紙がありましたが、感染者数をごまかすと正しい現状把握ができないので、的確な対策も取れず、結果的に自分で自分の首を絞めることになるのです。どうしてそんな簡単なことがわからないのかと思います。

WHOが言うように、「パンデミックを止めるためには『検査、検査、検査』」しかないのです。「目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない」(テドロス事務局長)のです。既にパンデミックは始まりましたが、日本はこの基本的なことを意図的に怠っているのです。それでは、緊張感も持てないし、長期戦を見据えて次にどうするかという対策も打てないでしょう。

iPS細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授も、みずから開設した「新型コロナウイルスに関する情報発信サイト」で、次のような「提言」を行っていました。

これまでわが国は、無症状や軽症の感染者の急増による医療崩壊を恐れ、PCR検査を限定的にしか行ってきませんでした。(略)このままでは医療感染者への2次感染が急増し、医療崩壊がかえって加速されます。自分が感染していることに気づかないと、家族や他の人への2次感染のリスクが高まります。また感染者数を過小評価すると、厳格な対策への協力を得ることが難しくなります。ドライブスルー検査などでPCR検査体制を拡充し、今の10倍、20倍の検査体制を大至急作るべきです。

山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html


人口の60%だかが「集団免疫」しないと終息しないという意見に従えば、新型コロナウイルスはまだとば口に差しかかったばかりです。少なくとも欧米の国は、「集団免疫」が終息に至る唯一の方法だとして、あえて”苦難の道”を歩もうとしているのです。そのために、今のきびしい状況と正面から向き合っているのです。一方、日本は、感染者数をごまかし、「集団免疫」が現在どのレベルにあるのかさえ把握できないまま、「封じ込めに成功している」と自演乙しているだけです。

日本政府や安倍マンセー!のネトウヨは、中国は無症状の感染者を公表していない(感染者の数の中に含めていない)と批判していますが、まだしも無症状の感染者を把握しているだけましで、日本は検査をしてないので把握すらしていないのです。別に中国の肩を持つわけではありませんが、自分たちのことを棚に上げた中国批判には呆れるしかありません。他国のことをとやかく言っている場合ではないのです。

オリンピックのための隠ぺい工作。大本営発表のメディア。政府の広報担当のような専門家。”国難”のひと言で膝を屈した野党。これでは、そのうち大きなしっぺ返しを受けるのは間違いないでしょう。「バカっぽい」政府や「バカっぽい」政治家によって弄ばれているのは、ほかならぬ私たちの健康なのです。
2020.03.31 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿駅~立川駅~青梅駅~奥多摩駅~奥多摩湖バス停~サス沢山~惣岳山~【御前山】~体験の森(奥多摩都民の森)~境橋バス停~奥多摩駅

※山行時間:6時間30分(休憩を含む)
※山行距離:10キロ
※標高差:877m
※山行歩数:25,000歩
※交通費:3,069円

昨日、御前山(1405メートル)に登りました。先月に続いて2度目です。前回の山行の写真が残ってないことがずっと心残りになっていましたので、あらためて写真を撮りたいという気持もありました。

前回は境橋から「栃寄コース」を歩きましたが、今回は奥多摩湖から「サス沢山コース(大ブナ尾根コース)」を登り、「栃寄コース」は下山に使いました。尚、「栃寄コース」は、正確には「栃寄沢コース」と言うのですが、現在、沢沿いを歩くコースは木橋の崩落で通行止めになっており、「体験の森」までは車道(林道)を歩かなければなりません。それで、(勝手ながら)便宜的に沢を外して「栃寄コース」としました。

いつものように奥多摩駅から8時43分発のバスに乗って、先週、六ッ石山に登った際に利用した水根バス停のひとつ先の奥多摩湖バス停で降りました。バスにはハイカーが10人くらい乗っていましたが、そのうち奥多摩湖で降りたのは8人でした。8人のうち6人が御前山の登山口に向かいました。残りの2人は、首から一眼レフのカメラを提げた若者二人組で、どうやら奥多摩湖周辺を散策して写真を撮るのが目的みたいです。

トイレに行ったり、服装を整えたりしていたら、登山口から登ったのは私がいちばん最後になりました。そして、みるみるうちに先行者から離され、やがて先行者の姿は見えなくなりました。

今回の「サス沢山コース」も、ご多分に漏れず急登でした。先週、六ッ石山に登ったので心が折れることはありませんでしたが、六ッ石山よりむしろ疲れた感じがしました。マイナーな山と違って、どうしてもほかのハイカーを意識してしまうので、マイペースで歩けないからだと思います。

途中で木を揺らす音が聞こえたので、熊かと思って笛を吹いたら、下から高校生のような若いカップルが登ってきました。聞けば、男の子が杖代わりに使う木の枝を取った音だったみたいです。二人ともザックも背負ってなくてまったくの手ぶらでした。ただ、足元を見ると、一応トレッキングシューズを履いていました。歩くスピードは、私の倍くらいあり、息も絶え絶えの私を尻目に、キャーキャーお喋りをしながらどんどん登って行くのです。そして、あっという間に姿が見えなくなりました。

年齢を考えれば、私は彼らの半分以下の心肺能力しかないので、それも仕方ないと言えば仕方ないのですが、なんだか情けない気持になりました。もっと若い体力のあるうちに山に登りたかったなあとしみじみ思いました。

山頂の手前の惣岳山で休憩をしていたら、小河内峠の方から男性が登って来ました。「小河内峠から登って来たのですか?」と訊いたら、「そうです。途中まで車で来ました。奥多摩湖からだときついじゃないですか? こっちの方がいくらか楽じゃないかと思って」と言っていました。

年齢は71歳だそうで、「70を越すと急に体力がなくなって、山を歩くのもしんどくなってしまいました」と言うので、「そういう話はよく聞きますね」と私も言いました。一眼レフカメラを首から下げているので、「写真を撮りながら登っているんですか?」と訊いたら、「植物を撮るのが趣味なんですよ」と言う。

御前山はゆり科の花のカタクリの群生地として有名で、登山が趣味だった脚本家の田中澄江が御前山を「花の百名山」として紹介したことで、御前山に中高年ハイカーが押し寄せるようになったと言われています。しかし、近年は鹿の食害によって数も少なくなり、かつての群生地としての面影はなくなっています。登山道からも、まだ蕾でしたが、ぽつんぽつんとしか見つけることができませんでした。

惣岳山から山頂に登っていると、近くで鹿の鳴き声が聞こえていましたが、奥多摩でも鹿の増加が問題になっているのです。奥多摩町には鹿肉処理場もありますが、それでも問題の解決には至ってないようです。ただ、男性は、「鹿が食べても根は残るので、また芽を出すはずなんだがなあ~」と言っていました。

『奥多摩- 山、谷、峠、そして人』(山田哲哉著・山と渓谷社)によれば、昔は頂上付近も一面タカクリが群生していたそうです。カタクリが減り出したのは30年くらい前からで、原因は鹿の食害のほかに、地球の温暖化もあるのではないかと書いてました。また、昔の御前山は、「北面を中心に茅原に覆われ、南面には広葉樹が広がり、明るい山頂だった」そうです。

この『奥多摩- 山、谷、峠、そして人』は、登山ガイドの山田哲哉氏が『山と渓谷』誌に連載していた同名のエッセイをまとめたものです。奥多摩の山を歩いていると、気候や風土の違いはあれ、いつの間にか奥多摩と九州の田舎を重ね合わせている自分がいて、山田氏の本を読むと奥多摩がよけい身近に感じられるのでした。

また、奥多摩の歴史や風土も知りたいと思うようになり、『奥多摩風土記』という古本をネットで見つけて買いました。昭和55年初版で、奥多摩の役場に勤めていた人が書いた本です。山行の途中に遭遇する廃屋など見るにつけ、こういった山奥に住んでいた人たちがどんな生活をしていたのか、興味をそそられるのでした。

余談ですが、今のようにウイルスが脅威になった要因として、森林開発により人間と野生動物の距離が近くなったことがあると言われています。それからもうひとつ見逃せないのは、実験用の動物(主に霊長類)の輸入だそうです。アメリカでは年間2万頭の霊長類が実験用に輸入されているそうで、『感染症の世界史』でも、「実験用霊長類が、欧米に新たなウイルスを持ち込む主要なルートになった」と書かれていました。

山頂付近では蕾でしたが、下の「体験の森」では蕾が開きかけたカタクリもありました。山では秋は上から春は下からやって来る、という言葉を思い出しました。

下山も先月より今回の方が疲れました。アイゼンを付ければ、雪道の方がむしろ歩きやすいのです。先月は誰にも会わない文字通りの単独行で、とても印象深い山行になりましたので、写真がないことがかえすがえすも残念でなりません。

下山して境橋のバス停から16時25分のバスに乗ったのですが、いつものように奥多摩駅から青梅線・中央線・八高線・横浜線・東横線を乗り換えて最寄り駅に着いたときは、午後7時をまわっていました。

駅前のスーパーに寄ったら、棚はガラガラで、野菜も肉も魚もほどんど残っていません。米もありませんでした。そのくせ、この前まで品不足だったティッシュペーパーは残っていました。まったくバカバカしいとか言いようがありません。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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奥多摩湖(小河内ダム)。

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奥多摩湖バス停の広場(管理事務所や交番まであります)。「水と緑のふれあい館」は、新型コロナウイルスの自粛要請で休館していました。

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堤防の上を歩いて登山口に向かいます。

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いきなり急登の洗礼を浴びました。

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途中、こんな平坦な尾根道もありましたが、それも僅かな距離です。

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ちょうど中間点に当たるサス沢山(940メートル)に到着しました。ザックを降ろして休憩しました。

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サス沢山には展望台がありました。

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展望台からの眺め。

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新しいザック。他人が持ってないものが欲しいと思って、パタゴニアのザック(36リットル)を買いました。パタゴニアかミステリーランチか、どっちにするか迷ったのですが、パタゴニアを選びました。容量もたっぷりだし、軽くていいのですが、機能的にはノースフェイスのテルスに劣ります。写真のように荷物が少ないと、雨蓋が下に垂れてカッコ悪い。

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岩も多くなりました。

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この尾根道はいったん下ったあと、登り返しがありました。

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カタクリの蕾。

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惣岳山(1341メートル)に到着。御前山の山頂まであと600メートルです。ザックを降ろして休憩して、持参したパンを食べました。

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惣岳山にあった道標。

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御前山山頂への道。惣岳山からは20分くらいです。

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おなじみの山頂標識。

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山頂からの眺望。前方に見えるのが、先週登った六ッ石山です。

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山頂の遠景。

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先月と同じ「栃寄ルート」で下ります。

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少し下ったところにある避難小屋。先月は周辺に30センチくらいの雪が積もっていました。

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この道も雪に覆われていました。僅か1か月半で、風景が一変しています。

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「体験の森」に入ると、道標が至るところにあります。

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「カラマツの広場」の中の東屋。「体験の森」の中にはこういった施設も多くあります。

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カタクリの説明板。

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登山道では、アイゼンでキズが付いた石を多く見かけました。

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途中からは登山道を外れて「体験の森」の遊歩道を歩きました。

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「わさび田の広場」にあるトロッコ。これもツアーに参加すれば乗ることができるのかもしれません。奥多摩は、昔はわさびの栽培も盛んだったそうです。今でも山奥でわさび田を見かけることがあります。

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カタクリ?と思ったら、ハシリドコロというナス科の毒草のようです。よく似ていてまぎらわしい。

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先月はこのあたりがアイスバーンのようにカチカチに凍っていて、歩くのに怖かった。

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いちばん下にある「トチノキの広場」の東屋。先月はここでアイゼンを装着し、帰りもここでアイゼンを外しました。

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林道から見えた”無名”の山。周辺には、このようなハイカーも足を踏み入れない”無名”の山が方々にあります。

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標高650メートルの栃寄集落にある宿泊施設・栃寄森の家。新型コロナウイルスの自粛要請で休館していました。

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バス停のある境橋の下は深い渓谷になっています。下を流れるのは多摩川です。

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橋の上からは、遠くに境地区の集落が見えます。

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境橋のバス停。先の方に標識が立っています。
2020.03.28 Sat l l top ▲
前の記事で書いたように、22日、IOCは東京オリンピックについて、延期も含めて4週間以内に結論を出すと表明したのですが、それから僅か2日後の24日、安倍首相とIOCのバッハ会長が電話会談をして、日本側から「1年程度の延期」が提案され、バッハ会長もその場で同意。IOCの理事会も即日、延期を承認して、あれよあれよという間に「1年程度の延長」が決定したのでした。これにはたまげました。

じゃあ、4週間以内に結論を出すという22日の声明はなんだったのかと思わざるを得ません。延長の提案は、中止の決定を怖れた日本政府が先手を打ったと言われていますが、IOCの権限はそんなにいい加減なものだったのかと言いたくなります。

「1年程度の延期」という提案も、安倍首相の任期が関係しているという見方があります。安倍首相の自民党総裁の任期は来年の9月までですから、それまでにオリンピックを開催して、総理大臣として歴史に名を残したいという個人的な野望が強くはたらいていると言われているのです。さすが野党の立憲民主党までがひれ伏す独裁者だけあります。

オリンピックの「1年程度の延長」が決定したら、さっそく外務省は、国民に向けて、全世界を対象にした不要不急の渡航の自粛を呼びかけました。また、小池東京都知事も歩調を合わせるように、「感染爆発の重大局面」に差し掛かったとして、今週末は不要不急の外出を自粛するよう都民に要請したのでした。

オリンピックの延期が決まった途端に、東京都の感染者数が跳ね上がったのは、どう見ても不自然です。また、「緊急会見」と言いながら、フリップを用意していたのも、あまりにも準備が良すぎる気がします。

7月の都知事選では、自民党は小池知事の対抗馬の擁立を「断念」したそうですが、自民党の決定とこの連携プレーは関係があるのではないかと、穿った見方をしたくなります。

おそらく早晩、安倍首相によって「緊急事態宣言」が出されるのは間違いないでしょう。急に跳ね上がった感染者数は、その布石なのでしょう。対抗馬の「断念」は、お膳立ての見返りなのではないか。その結果、自民党の改憲案を先取りする待望の“戒厳令ごっこ”が”帝都”で行われることになるのです。安倍首相にとって、これ以上のお膳立てはないでしょう。

震災もそうでしたが、何かことが起きると、国家は私たちの前に立ち現れ、そして、「国難」を口実に、国家に従属する日常をわたしたちに強制します。「緊急事態」条項というのは、その暴力的な要請にほかなりません。何度も言いますが、特措法改正に賛成した立憲民主党は、もはや「リベラル」を名乗る資格もありません。

ここに至っても、安倍内閣の支持率は40%台後半でそんなに落ちていません。一方、立憲民主党は、野党第一党と言っても10%を割り一桁の支持率しかありません。立憲民主党は、今後、益々集票組織の連合への依存度が増し、連合の“右派労働運動の論理”にがんじがらめに縛られるようになるのは必至でしょう。連合は、立憲民主党が旧民社党のような存在になってほしいと思っているはずです。そのための「労働戦線の右翼的再編」=政界再編成だったのですから。

しかし、新型コロナウイルスは、世界の感染状況を見てもわかるとおり、もはや国家のコントロールが効かないほどモンスターと化しています。日本だって、国民の半分以上が感染する事態が訪れるかもしれません。と言うか、国民の60%だかが感染して免疫を持たないと、感染は終息しないという専門家の意見もあります。それは、先日のドイツのメルケル首相の発言と符合しています。

欧米の感染者数が日本に比べて桁違いに多いのは、あえてそういった「集団免疫」の方法を選択したからだとも言われているのです。日本だけが極端に少ないのは、何度も言うように、日本がPCR検査をサボタージュして感染者数を隠ぺいしているからです。にもかかわらず、「感染者数が少ないのは、感染の封じ込めに成功したからだ」などと言って自画自賛しているのです。それでは「集団免疫」のレベルを把握できないまま、逆に深刻な事態さえ招きかねないでしょう。

良心的な医者が言っていましたが(テレビに出ているのは、政府の広報官のような医者ばかりです)、「集団免疫」のレベルを把握することで、免疫を得た人から順に仕事に復帰させることも可能なのだそうです。そうやって徐々に経済活動を元に戻すことも大事だと言っていました。「のべつまくなしに検査をすると医療崩壊を招くだけだ」などと言って検査をサボタージュしていては、長期戦に備えた柔軟な対応もできないのです。でも、もう日本はすべてが手遅れなのかもしれません。

もちろん、私たち自身も、いつ感染してもおかしくないのです。もしかしたら既に感染しているのかもしれません。「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」と言っている、古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨたちだって同じです。でも、感染しているかどうかもわからないから、「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」などと無責任なことが言えるのでしょう。

長期戦の備えもない場当たり的な対策では、インバウンド頼りだった日本経済の脆弱さだけが露わになり、経済的に破産する人が続出するのは当然でしょう。仮に(数年後?)終息しても、暫くの間、外国人観光客が戻って来ることはないでしょう。観光地で商売している人に聞けばわかりますが、日本人の消費なんてたかが知れているのです。いくら現金を配り、高速料金を無料にしても、国内消費だけでは国の経済はまわらないのです。既に1人当たりのGDPでは、日本は韓国にぬかれていますが、日本経済の凋落はさらにスピードを増すに違いありません。

その一方で、東証の株価が26年ぶりの上げ幅を記録するなど、株式市場は異常な状態になっています。麻生財務大臣は、国会の答弁で「我々は、野党とではなくマーケットと仕事をしているんだ」と啖呵を切っていましたが、そのマーケットは実体経済を離れたマネーゲームの賭場になっており、日銀のETFによる爆買いは火事場泥棒の投資家たちの恰好の餌食になっているのです。麻生財務大臣はマンガが愛読書だそうですが、文字通りマンガみたい話です。

テレビでは感染の専門家が、全体の感染者の中で、「感染経路不明」の感染者が半数を超えると「感染爆発」に至る「危険な状態」になると言っていましたが、しかし、実際は「危険な状態」はとっくに訪れているのではないか。検査をしないので「危険な状態」が顕在化していないだけで、今後、クラスター(集団感染)が続出したり、重症化した人が多くなれば、「感染爆発」の実態がおのずとあきらかになってくるでしょう。ところが、「感染爆発の重大な局面」に差し掛かっていると言いながら、公立学校の休校措置は解除されるのです。検査もしないで自粛しろと言うのと同じで、やっていることがあまりにもチグハグでお粗末と言うしかありません。

全ては子どもじみた「バカっぽい」政府を持ったツケと言えるでしょう。私たちは、そのツケを払わされているのです。でも、それでも地球は回るではないですが、それでも衆愚は衆愚でありつづけるのでしょう”動員の思想”でいいように煽られた彼らは、まるで狂った蟻のように、せっせせっせと買いだめに走るだけなのです。
2020.03.26 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
4か月後にせまった東京オリンピック開催について、国際陸連をはじめ、各国の競技団体が次々と延期を求める要請を行ったことで、IOC(国際オリンピック委員会)もやっと重い腰を上げたようです。声明によれば、4週間以内に延期を含めた検討を行い結論を出すとのことです。IOCの腰が重かったのは、テレビの放映権等開催に伴う利権が絡んでいたからでしょう。

IOCの表明を受けて、安倍首相も23日の参院予算委員会で、延期を容認する意向を示したのでした。すると、森喜朗大会組織委員会会長も小池百合子東京都知事も、次々と延期容認を表明。併せてメディアも、IOCや日本政府が延期に大きく傾いたといっせいに伝え始めたのでした。なんだか官邸によって延期論が解禁されたような感じです。

前日までは、みんな、延期などあり得ない、予定どおり準備を進めると言っていたのです。ワシントン・ポストは、このような姿勢に対して、20日の社説で、IOCや日本政府がオリンピックを開催できるかのように振る舞っているのは「完全に無責任だ」と批判していました。一方、日本のメディアは、日本政府が公式発言とは別に延期を検討しはじめていることをいっさい伝えず、ワシントン・ポストのように延期すべきという持論を主張することもありませんでした。

安倍首相の顔色を窺っているのは、内閣総理大臣の嘘に整合性を持たせるために、公文書を改ざん・隠蔽する官僚だけではないのです。メディアも、そして特措法改正に賛成して安倍首相に超法規的な権限を与えることを容認した立憲民主党などの野党も同じなのです。このような翼賛的な光景に対しては、なんだか全体主義のシュミレーションを見ているような気さえします。

20日、JOC(日本オリンピック委員会)委員の山口香氏は、朝日新聞のインタビューで、「アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべき」との考えを示しました。これは、多くの人たちの本音を代弁した常識論とさえ言えるでしょう。

朝日新聞デジタル
JOC理事の山口香さん「五輪、延期すべき」

しかし、山口氏の発言に対して、JOCの山下泰裕会長は、「安全、安心な形で東京大会の開催に向けて力を尽くしていこうというときに、一個人の発言であっても極めて残念」と不快感を示したそうです。

でも、代表選手の選考も行われてない国も多い中で、4か月後のオリンピック開催なんて、誰が考えても無理な話です。オリンピックどころではないというのが本音でしょう。

にもかかわらず、政府の予定通り開催するという方針に盲目的に従い、誰が考えても無理なことを無理だと言った山口氏に対して不快感を示すなどというのは、無謀な戦争を「聖戦」と言い募り、総動員体制のプロパガンダを担った戦前の大政翼賛会を彷彿とさせます。

それから3日後、安倍首相が延期を容認する発言を行うと、山下会長も一転して延期やむなしと発言していました。こういった(柔道が強いだけで)頭の中が空っぽでなんの見識もない人物は、空っぽなだけに逆に怖いなと思います。こういった人物が全体主義では先鋭的な役割を演じるのです。

今の状況では、たとえ延期しても、1年後に開催できる保証はどこにもありません。違約金やあらたな会場の確保といった事務的な手続きも含めて、延期が往生際の悪い選択であるのはあきらかで、常識的に考えれば中止するしかないでしょう。

森友問題の決裁文書の改ざんを強要されて自殺した近畿財務局職員に対する安倍首相や麻生財務相の態度を見ても、まるで時代劇に出て来る悪代官のようですが、官邸が無法地帯と化し、こういった犯罪が公然とまかりとおるのも、安倍一強という翼賛体制ゆえで、メディアや野党が安倍一強にふれ伏しているからでしょう。

新型コロナウイルスは、欧米からウイルスの故郷であるアフリカ大陸へ広がりつつあり、さらなる感染の拡大が懸念されています。感染規模から言っても、100年前のスペインかぜに匹敵すると言っても過言ではなく、あと1年で終息するとはとても思えません。オリンピックなんてできるわけがないのです。

「東京オリンピックは”復興五輪”なので、是非開催してもらいたい」と福島の住民が開催を熱望しているというような記事が出ていましたが、もしそれがホントなら、”復興五輪”の広告塔になっている「好感度ナンバーワン」のサンドイッチマンともども衆愚の代表と言うしかないでしょう。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが、原発の次はオリンピックなのかと言いたくなります。安倍首相が言う「(オリンピックで)感動を分かち合う」という言葉の背後に、動員の思想が伏在していることを忘れてはならないでしょう。”復興五輪“を熱望する福島の住民は、その尖兵の役割を担っている、と言うか担わされていると言っていいでしょう。
2020.03.24 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿~立川~青梅~奥多摩~水根~【六ッ石山】~水根~奥多摩

※山行時間:6時間(休憩を含む)
※山行距離:9キロ
※標高差:1037m
※山行歩数:25000歩
※交通費:3040円

昨日(木)、六ッ石山(1478メートル)に登りました。

諸説ありますが、六ッ石山の水根ルート(ハンノ木尾根コース)は、奥多摩三大急登に数えられるほどの急登です。しかし、電車とバスを乗り継いで行くと、麓のバス停に着くのが午前9時で、さらにバス停から登山口まで15〜20分くらい歩かなければなりません。そのため、山に入るのは9時半近くになるのです。距離はそんなに長くありませんが、日が長くなったとは言え山の中は陽が陰るとすぐ暗くなるので、”日没恐怖症“の私としては、明るいうちに下山できるか不安です。それで午後1時まで登れるところまで登り、午後1時をすぎたら下山することに決めて出かけました。

奥多摩駅からバスに乗り、登山口のある水根のバス停で降りました。バスには、登山姿のハイカーが10人くらい乗っていました。その中には、おそらく鴨沢から雲取山に登ってテン泊するのでしょう、大きなザックを背負った中年のハイカーもいました。ほかには、高校生くらいの(あるいは大学生?)男女混合の若者のグループもいました。見るからに真面目で利発そうな若者たちで、どう見ても山岳部という感じではありません。休校なのでみんなで山登りに来たのかもしれません。今日は中高年の団体がいないのでホッとします。逆に、若い人がいると気持も明るくなってきます。

水根で降りたのは私だけでした。水根は青梅街道沿いの奥多摩湖畔にある集落で、寺島進主演でシリーズ化されているテレビドラマ「駐在刑事」の舞台になっているところです。しかし、商店もなにもなく、ただ山ひだに転々と家が建っているだけの小さな集落でした。

六ッ石山の登山口も、ほかの奥多摩の山と同じように、集落を上り詰めた民家の横にありました。案の定、最初からからきつい登りでした。考えてみれば、奥多摩の山は、中腹まで奥多摩湖(小河内ダム)の水がめになっており、山のすそ野は水の中なのです。だから、いきなり急登なのは当然と言えば当然なのです。

途中からさらに傾斜が大きくなり、見上げるようなけわしい斜面を直登しなければなりません。しかも、樹林帯なので、眺望もなく、ただひたすら足元を見て登るだけの苦行のような登山でした。そうやって息を切らして登っていると、上方に人影が見えました。初めて遭遇したハイカーです。すると、間もなく人影は斜面に腰をおろしました。どうやら休憩したようです。

追いついたので「こんにちわ」と挨拶しました。しかし、返事がありません。耳が聞こえないのかと思って、さらに大きな声で「ここの山はきついですねっ」と言ったら、「こんなのたいしたことない」とヤマレコのユーザーのような返事が返ってきました。それも、ぶっきらぼうな言い方です。

六十歳をとうに越した感じのダルマのような身体をしたメタボなハイカーです。肩でハアハア息をしていて、かなりきつそうです。横に置いたザックを見ると、ミステリーランチのクラシックなタイプで、テント泊の際に使用する折りたたみ式のマットを取り付けていました。

それを見ると、初心者には見えません。「どこかに泊まるんですか?」と訊いたら、「いや、帰る」と言う。しかも、鷹ノ巣山と水根山を縦走するんだと言うのです。話が二転三転するので、どこまでが本心なのかわかりませんが、見た感じでは縦走なんて無謀としか思えません。

いくら話してもラチが明かないので、「お先に」と言って歩きはじめたら、「お先になんて言う必要ない」「一緒に登っているんじゃないんだから、勝手に行けばいいんだ」と悪態を吐く始末でした。

途中から登りが緩やかになったということあって、午後1時前に山頂に到着しました。山頂には、三頭山や大岳山や御前山と同じように、石造りの山頂標識が建っていました。しかし、眺望はいまひとつで、ベンチもありません。

六ッ石山は、登る途中もベンチがありませんでした。六ッ石山レベルの山で、ベンチがひとつもない山なんて初めてです。そのくせ、場違いな(?)山頂標識だけはあるのです。そのアンバランスさには戸惑うばかりでした。

仕方ないので、地べたに携帯用の座布団を敷いて、その上に座り、30分休憩しました。いつものように、コンビニで買ったサンドイッチを食べました。しかし、誰も登って来ません。あのハイカーも登って来ません。もしかしたら、途中で死んでいるんじゃないかと思ったくらいです。

六ッ石山の場合、下山は石尾根を通って奥多摩駅まで下るのが一般的ですが、今回は慎重を期して、登って来たときと同じルートを下ることにしました。

山頂から少し下ったら、赤い機体の東京消防庁のヘリコプターが近づいてきて、轟音を響かせながら山頂のあたりでホバーリングをしていました。しばらくホバーリングしていましたが、やがて去って行きました。私はふと、あのハイカーの救助に来たのではと思いました。未だ登って来ないというのは、いくらなんでも時間のかかりすぎです。

しかし、私の心配は杞憂でした。ルートの半分くらいまで下ったら、前方に姿が見えたのです。ちょっと安心しました。件のハイカーは、私の顔を見ると、「糞したくなって、糞していた」と言っていました。それで、私が「野糞は気持がいいですからね」と皮肉を言ったら、「そんな問題じゃない」とまた悪態を吐いていました。「オレは石尾根を下るわ」と言うので、「気を付けて」と言って別れました。

もう時間は午後2時半すぎです。最初に会ったのが10時すぎですから、あれから4時間半も経っているのです。それなのに、1キロも進んでいません。これから山頂に登って石尾根を下れば、日が暮れるのは間違いないでしょう。想像するだけでも恐ろしい光景です。

でも、世の中にはこんな人間もいるのです。病気をしても、人の言うことを聞かずに、「オレの身体はオレがいちばんよくわかっているんだ」なんて言って、ろくに治療もしないで死んでいく人間がいますが、それと同じ部類の人間なのでしょう。こんな人間こそ、遭難者予備軍と言うべきじゃないかと思いました。

当然ながら、下りも気を許すと転がり落ちるような急坂です。滑らないように慎重に下りました。そのため、腿の筋肉がブルブル震えて悲鳴を上げていました。それで、筋肉痛用のローションを塗ってごまかしながら下りました。ところが、登山口の近くまで下りて、「今日は転ばなかったな」と思った途端、すってんころりと転びました。でも、足に力が入らないので、なかなか起き上がることができませんでした。

休憩時間を除くと、登りは3時間強、下りは2時間でした。

帰りは、いつものように八高線と横浜線を乗り継いで帰りました。水根から午後3時半すぎのバスに乗ったのですが、八王子から間違えて「逗子行き」の電車に乗ったため(ホントは「東神奈川行き」に乗らなければならない)、横浜の自宅に着いたのは午後7時半をまわっていました。


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水根バス停。すぐ先は奥多摩湖(小河内ダム)です。

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登山口に行く途中の集落から見えた奥多摩湖。

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登山口に入ってすぐのところ。

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少し登ると産土神社という小さな祠がありました。こう見えても、私は、山の中の祠には必ずお賽銭をあげて手を合わせるようにしています。

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登りはじめの急登を上から見たところ。

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こんな登山道をひらすら登ります。

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直登(九十九折ではなくまっすぐ登って行くこと)。

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風の神土の祠。ここから次のポイントのトキノクボまで、さらにけわしい急登になりました。

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ずっと直登がつづきます。

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岩も出て来た。

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トキノクボをすぎると防火帯の草原の中を緩やかに登る道になりました。

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先日の雪が残っているところがありました。

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前方に山頂が見えてきました。

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おなじみの山頂標識。

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山頂標識の横の道標。
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山頂からの眺望。

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ホバーリングするヘリコプター。

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山座同定しなかったので、山名は不明。

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登ってきた道をひらすら下る。

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このあと転びました。

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集落の坂道を下っている途中の民家の前にあった二宮金次郎?の像。でも、この二宮金次郎は、歩きスマホならぬ歩き読書はしてなくて、なぜか座って休んでいます。
2020.03.20 Fri l l top ▲
感染の世界史


  学校や公的機関は閉鎖され、外出する人は全員マスクで武装した。サンフランシスコでは、マスクをしていない者を警察が逮捕した。町の入り口は自警団が固めて見知らぬ人を追い返した。あやしげな治療薬や薬がはびこった。劇場の入り口には「咳くしゃみをするものの入場禁止」の掲示が張り出された。まるで一四世紀のペスト流行のときのような様相になった。


これは、石弘之氏の『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)に書かれていた文章です。でも、新型コロナウイルスの話ではありません。100年前のスペインかぜの話なのです。びっくりするくらい、今の状況とよく似ています。

スペインかぜは、1918年に最初の患者(ゼロ号患者)が発生して1921年に収束するまでに、当時の世界の人口18億人のうち3分の1が感染、3~5%が死亡したと推定されているそうです。また、スペインかぜによって、第一次世界大戦の終結も早まったと言われています。兵士たちが感染して、戦場死より感染死の方が多くなり、戦争どころではなくなったからです。しかし、戦争の終結により帰国した兵士たちによって、さらに感染は拡大して行ったのでした。

『感染症の世界史』によれば、これまで約5400種のウイルスと約6800種の細菌が発見されているそうですが、これはごく一部で、著者の石氏は、「あらゆる生物を含めれば、ウイルスの総種類数は1億種を超えることになるかもしれない」と書いていました。さらに細菌まで含めると途方もない数になるのです。ウイルスの大きさは、1億分の1メートルしかありません。細菌はウイルスの50倍くらいだそうです。私たちは、そんな微細なウイルスや細菌に囲まれて暮らしているのです。

(略)「ピロリ菌」「エイズ」「パピローマウイルス」「ハシカ」「水痘(水ぼうそう)」「成人T細胞白血病」「結核」などの原因になる病原性微生物は、いづれもアフリカが起源と見られる。宿主の人とともに進化しながら、世界に拡散していったものの子孫だ。
(『感染症の世界史』)


女優の夏目雅子の命を奪った「成人T細胞白血病」は、「ヒトT細胞白血病ウイルスI型」に感染することで発病する病気ですが、このウイルスの起源は、西アフリカの霊長類だそうです。約20万年前にアフリカ大陸で誕生した私たちの祖先が、数万年かけて世界各地に渡った「壮大なグレートジャーニー」によって、ウイルスも日本列島にやって来たのです。そして、日本人の体内に棲み着いたのです(現在、国内の感染者は100万人いるそうです)。

しかも、あらゆる生物が進化するように、ウイルスや細菌も進化しているのです。中には、人間の体内に侵入したあと、さらに人体の環境に順応するように変異するウイルスもあるそうです。そうやって宿主の細胞内に侵入したウイルスの大半は、宿主の死まで生涯に渡って体内に留まりつづけるのです。

同じコロナウイルスでも、新型コロナウイルスは、遺伝子が変異した新しい型なので、従来の治療法が通用しないのは当然でしょう。だから、世界中が感染の拡大に怖れおののいているのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文らのように、「インフルエンザと同じでたいしたことない」というような単純で「バカっぽい」話ではないのです。

同じコロナウイルスのSARSの流行について、『感染症の世界史』は次にように書いていました。

   今後、どんな形で新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。


単行本の発売は2014年ですが、『感染症の世界史』は、上記の文章によって、今回の新型コロナウイルスの流行を警告(予告)していたと言われているのでした。

中国の広東省深セン市でSARSの最初の感染者が出たのは、2002年11月で、収束したのは翌年の2003年9月でした。WHOによれば、世界30ヶ国(地域)で8098人の感染者が出て、死者は774人だったそうです。

一方、新型コロナウイルスは、発生から僅かひと月で、156ヶ国(その他も含む)に広がり、3月17日現在で、感染者は178368人、死者は7095人です(厚労省発表)。感染規模は、SARSとは比較にならないほど大きいのです。

SARSは収束するまで1年近くかかったのですが、新型コロナウイルスはその感染規模から考えても、1年で収束するとはとても思えません。田中宇氏が書いていたように、「人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる」というのが現実的な話かもしれません。

株価の変動は、マネーゲームの側面もあり、必ずしも実体経済を反映しているとは言えませんが、しかし、誰が見ても、新型コロナウイルスが世界経済に大きな危機をもたらすのは必至のように思います。米中の”覇権争い”もますます熾烈を極めるでしょう。

そんな中で、アジアの東端にある“カルトの国”は、哀しいかな、検査数を抑えて感染者を少なく見せる姑息なやり方で、「感染の拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自演乙しているのです。そのため、下記の記事にあるように、アメリカの専門家からは、「日本の検査数は少ない」「韓国を手本にすべき」と指摘されるあり様です。

朝日新聞デジタル
「日本のPCR検査少ない」米専門家が指摘 手本は韓国

至極真っ当な指摘と言えるでしょう。と言うか、これが常識なのです。でも、今の日本では常識が通用しないのです。それが“カルトの国”であるゆえんです。

また、WHOのテドロス事務局長も、次のように呼びかけています。

   目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない。すべての国に簡単なメッセージを伝えたい。検査に次ぐ検査を。疑わしいケースはすべて検査してほしい。


Yahoo!ニュース
ロイター
パンデミックを止めるためには「検査、検査、検査」=WHO

日本には耳の痛い話ですが、でも、今の日本にはこの声も届かないのです。

メディアの中でも、政府の対応を批判する声はどんどん影をひそめています。厚労省が、感染者数の中でクルーズ船の感染者は除くべきだと言ったら、いっせいにクルーズ船の感染者を除いた感染者数に変更されています。また、安倍首相が、退院した人の数も伝えるべきだ言ったら、退院者数も伝えるようになっています。

怖いのは、満足に検査もしないまま、オリンピックのために(予定どおりできるわけがないのに)政府が見切り発車で収束宣言を行うことでしょう。しかし、私たちは、翼賛化する状況においても、政府の対外向けの(バレバレの)隠蔽工作のために、私たち国民の健康がなおざりにされているということだけは忘れてはならないでしょう。私たちの国の政府は、国民の健康よりオリンピック開催を優先するような政府だということを肝に命じておくべきでしょう。
2020.03.18 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
新型コロナに対する特措法改正案(改正特措法)が、今日、参院本会議で可決、成立しました。明日14日から施行されるそうです。国会の審議は、衆参それぞれ1日づつのわずか2日でした。これには、インド人だけでなく、ヒットラーもびっくりでしょう。

かつてこの国の議会政治に55年体制と言われる“慣れ合い政治”がありました。国会の議席を分け合う自民党と社会党の二大政党が、表面的には“対立”を装いながら、実際は慣れ合って国会運営を行うことで、結果的に自民党の一党独裁体制を補完してきたのです。強行採決の際、野党議員が議長席に押しかけて抗議する光景も、法案に抵抗する姿を国民に向けてアピールする野党(社会党)に花を持たせるために、二大政党間で“台本”ができていたと言われていました。

これほど国民を愚弄した政治はなく、のちの政界再編で社会党が潰れたのも当然なのです。

しかし、今の国会運営は、55年体制の頃よりもっとひどいのです。なぜなら、55年体制時の自民党と社会党間の距離より、今の与野党間の距離の方が全然近いからです。

立憲民主党は、間違っても護憲政党ではありません。それどころか、今回の特措法改正に賛成したことを見てもわかるとおり、看板にしている立憲主義の政党ですらないのです。私には、立憲民主党と自民党の違いがまったくわかりません。

たしかに、立憲民主党は野党の立場なので、表向きには自公の政策に反対していますが、根本にある政治理念に違いがない限り、今回のようにいざとなれば、いつでも小異を捨てて大同に就く可能性はあるでしょう。政策の違いなど小異でしかないのです。

立憲民主党も国民民主党も、改憲を主張しています。だから、安倍首相は、両党に対して、国会の憲法審査会に参加して(同じテーブルに付いて)、議論をはじめましょうと言っているのです。

しかし、立憲民主党は、安倍政権のもとでは同じテーブルには付かないと言っています。と言うことは、次の政権ではテーブルに付く可能性もなくはないのです。国民民主党に至っては、自民党の改憲案は安全保障の面で生ぬるいとさえ言っているのです。

このように立憲・国民民主の政治理念を考えれば、両党が“国難”突破のために、“戒厳令”まがいの超法規的な権限を総理大臣に与える特措法改正に賛成したのは、別に驚くことではないのです。

新型コロナウイルスによって、この国の政治の「バカっぽさ」が白日のもとに晒されたと言ってもいいでしょう。それは、無能ぶりを晒した政府与党だけではありません。野党も同じです。特措法改正に賛成した立憲民主党と国民民主党は、野党としてのみずからの存在をみずからで否定したのです。「緊急事態」に名を借りた、野党がいらない体制をみずからで認めたのです。彼らの国家観や憲法観が、自民党と共有していることをはからずも証明したと言えるでしょう。

自民党の憲法草案に盛り込まれた「緊急事態条項」について、憲法学者の木村草太氏(首都大学東京教授)は、内実は「(内閣の)独裁権条項」だと言っていましたが、まさに今回の改正案は自民党の憲法草案を先取りするものと言っていいでしょう。改正案で明文化された「緊急事態条項」は、文字通り安倍首相に「独裁権」を与えるものにほかならないのです。

特措法改正案に賛成した立憲民主党の議員たちに、もはや安倍政権を批判する資格はないのです。成立したあとも口を拭って、ツイッターなどで安倍首相の政治姿勢を批判しているのを見るにつけ、私は、厚顔無恥という言葉しか思い付きません。有権者をバカにするなと言いたいです。

一方で、新型肺炎は、生物兵器であるかどうかはさて措くとしても、コロナウイルスが変異した新しい感染症であるがゆえに、予測不能でごまかしが効かず、各国政府が取る小手先の予防策がまったくと言っていいほど効果がないことも、徐々にあきらかになっています。だから、朝日の編集委員ではないですが、「痛快」と言いたくなるほど、どこの政府も感染の拡大に怯え右往左往しているのでしょう。その中で、ろくに検査もしないで「拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自画自賛(自演乙)しているのは、日本と北朝鮮だけです。カルトが戯画と同義語だということがよくわかります。

日本政府は、ここに至ってもまだ、オリンピックは予定どおり準備すると言っていますが、文字通りそれは税金をドブに捨てるようなもので、さらなる無能ぶりを晒していると言えるでしょう。株の暴落に対して、日銀がお札をじゃんじゃん刷って買い支えるETFの買い入れも同じです。どう見てもそれは、崩壊への道をみずから歩んでいるとしか思えませんが、しかし、テレビ東京の株屋のおっさんのように、メディアが言うのは目先の株価のことばかりで、日銀の買い入れが危機をさらに増幅させているという話は一切出て来ないのです。私たちは、ますます真実から遠ざけられて、ねつ造された「ニッポン、がんばれ!」のニュースで目くらましをされるばかりです。

一昨日だったか、ドイツのメルケル首相が、会見で「国民の60~70%が新型コロナウイルスに感染する可能性がある」と発言して警戒を呼びかけたというニュースがありました。会見の中で、メルケル首相は、収束には数か月、もしくは1年かかるかもしれないとも話したそうです。私は、そのニュースにショックを受けたのですが、田中宇氏が、最新記事で、そのメルケル首相の発言を取り上げていました。

田中宇の国際ニュース解説
人類の7割が感染し2年以上続くウイルス危機

記事によれば、米国病院協会 (AHA)は非公式の報告書で、新型コロナウイルスの致死率は人類の0.3%、感染者全体では0.5%になると予測しているそうです。

何度も言いますが、当然ながら無症状や軽症の感染者からも感染します。PCR検査して自分が感染しているのだということがわからないと、そんな“無自覚の感染”がネズミ算式に拡大していくのは火を見るよりあきらかでしょう。記事にあるような致死率も、決して非現実的な数字ではないのです。

ここに来て、のべつまくなしにPCR検査をすると医療崩壊を招くので、PCR検査は抑制した方がいいという意見がまことしやかに流れていますが、これこそ“無自覚の感染”がネズミ算式に拡大することを認める暴論と言えるでしょう。PCR検査と医療崩壊は本来別問題のはずで、医療崩壊はあくまで医療現場のマネジメントの問題でしょう。自分が感染しているのかどうかわからなくて、どうして感染を防ぐことができるのか。それは、子どもでもわかる話です。PCR検査は抑制した方がいいという意見は、政府与党周辺から発せられた詭弁(言い訳)としか思えません。

記事の最後に田中氏は、次のように書いていました。

人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる。その間、国際的な人の移動が制限され、サービス業や飲食、エンタメ、観光、学校、議会、交通など、多くの産業や社会機能が制限され、世界経済に大打撃を与える。グローバリゼーションが劇的に終わる。金融危機が大幅に進行し、米国覇権体制が終わる。今起きている金融危機は、危機の序の口にすぎない。


前も書きましたが、新型コロナウイルスによって、世界地図が大きく塗り替えられる可能性はあるでしょう。少なくとも、米中の”覇権争い”=もうひとつの戦争があらたな段階に入ったことは間違いないように思います。と同時に、私たちは、ごまかしの利かない新型コロナウイルスによって、無能な政府や無能な政治家を持った不幸(そのツケ)を思い知らされることになるでしょう。

「ニッポン、凄い!」「ニッポン、がんばろう!」というような「(愛国」的)スローガンをいくら唱えても、神風は吹かないし、新型コロナウイルスの脅威をごまかすことはできないのです。スポーツや音楽で元気や勇気をもらっても、新型コロナウイルスを退散させることはできないのです。それらは、昔の疫病払いのおまじないと同じようなものです。それよりまずPCR検査を行って、”潜在的感染者”を顕在化させ、“爆発的感染”を防ぐことでしょう。古市憲寿の「新型肺炎はインフルエンザと同じでたいしたことない」「PCR検査しても意味ない」という言動などは、文字通り反動的で「バカっぽい」、ある意味で犯罪的なデマゴーグと言うべきなのです。自業自得とは言わないけど、新型コロナウイルスとともに、またあらたな”衆愚の歴史”がくり返されているように思えてなりません。
2020.03.13 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿~立川~武蔵五日市~人里(へんぼり)バス停~人里峠~【浅間領】~時坂(とっさか)峠~払沢の滝入口バス停

※山行時間:4時間30分
※山行距離:8キロ
※標高差:409m
※山行歩数:24000歩
※交通費:2265円


昨日、奥多摩の浅間嶺に登りました。

新宿から6時48分発のJR中央線中央快速高尾行きで立川、立川からJR青梅線五日市行きで武蔵五日市。五日市駅に着いたのは7時59分で、これもいつものコースです。

前に、笹尾根を繋いだのでしばらく武蔵五日市に行くことはないだろうと書きましたが、ゆっくり山を歩きたいと思ったとき、やはり思い付いたのは武蔵五日市駅から登る山でした。それで、前言を翻してまた武蔵五日市駅に向かったのでした。

浅間嶺は、笹尾根と同じ檜原街道沿いの浅間尾根にあるピークです。笹尾根にはいくつかのピークがありますが、浅間尾根の場合は浅間嶺が唯一のピークです。

笹尾根と浅間尾根は、檜原街道沿いのバス停が共通しており、簡単に言えば、バス停を降りて進行方向の左に登れば笹尾根で、右に登れば浅間尾根です。浅間尾根のピークはひとつしかないので、浅間尾根はどのバス停から登っても、めざすのは浅間嶺になります。私は、人里(へんぼり)のバス停から登りました。

武蔵五日市駅から人里までは、バスで50分かかります。しかし、駅に着いても、バスの時間まで1時間待たなければなりません。これもいつものことです。

駅前のコンビニで行動食のチョコレートと昼食のサンドイッチなどを買って、バス停のベンチに座ってバスを待つことにしました。武蔵五日市駅の場合、待合室がないのでバス停のベンチに座って待つしかないのです。

バス停のベンチには、既に3人の60代くらいの女性が座っていました。3人とも登山の恰好をしており、私が乗ってきたのと同じ電車で来たみたいです。おそらく女性たちも浅間嶺に登るのだと思います。

横で話しているのを聞くと、どうやら団体(グループ)で登るようで、同行者たちは次の電車でやって来るみたいです。平日は定期便の1台で充分ですが、これが週末になると100人以上が行列を作り、臨時バスも出ます。浅間嶺はアクセスがよくて、しかも登りやすいので、特に中高年の登山者に人気なのです。

8時半近くになると、次の電車で来た人たちがバス停にやって来ました。その中には、女性たちの同行者もいました。やはり60~70代の既にリタイアしたとおぼしき男性ばかりで5人いました。これもよくあることですが、男性たちは列の後ろに並ばないで、先頭にいる女性たちのところでおしゃべりをしていました。私のうしろには、既に20人近くが並んでいました。

私のうしろでは、温泉にでも行くのか、かなり高齢の男性がやって来て、「ベンチに座らせてもらえませんか」と言っていました。それで、ベンチに座っていた人たちが間を詰めていました。しかし、先頭のグループはそんなことはおかまいなしにおしゃべりに興じていました。

それにしても、山に来る団体の中高年女性たちはどうしていつもこんなにハイテンションなのだろうと思います。年甲斐もなくと言ったら叱られるかもしれませんが、キャーキャー言いながら大声でお喋りに夢中です。男性たちにとって、そんな女性たちはマドンナのような存在なのか、話の中心はいつも女性たちのことでした。

しかし、男性たちも、登山者にありがちな「オレ、凄いだろう」式の自己誇示も忘れないのです。「あの✕✕山はきつかったわ」と女性が言うと、「あんなもんはたいしたことない」と男性。「あんな山は、コースタイムの0.7くらいで充分だ」と言ってましたが、「お前、ヤマレコか」と突っ込みたくなりました。

やがてバスが来ました。ところが、先頭の女性のところにいた男性たちも、女性につづいてバスに乗り始めたのです。それで、私は、「お前たち、みんなが並んでいるのがわらないのか」「山に行く人間で、そのくらいのマナーも守れないのか」と言いました。すると、まだバスに乗ってない人間は、びっくりした様子で足を止めていました。

週末だとバス会社の人間が出てきて、カラーコーンを並べて整列乗車を呼び掛けるのでまだマシですが、平日はこのような光景はめずらしくないのです。

ネットに中高年登山禁止条例を作ってくれないかなという書き込みがありましたが、集団心理もあるのか、団体の登山者のマナーがよくないのはたしかです。ホントに中高年団体登山禁止条例を作ってもらいたいほどです。

警察が発表する年代別の遭難者のデータによれば、遭難者は70代がいちばん多いそうです。数年前までは60代が一番多かったけど、登山者が年を取り、中心の年齢層が60代から70代に移ったのに伴って、遭難者も70代が一番多くなったそうです。と言うことは、あと10年もすればマナーの悪い団体客は自然淘汰されるのです(そのはずです)。

運の悪いことに、このグループは帰りのバスでも一緒でした。払沢の滝(ほっさわのたき)入口のバス停まで下りて、ついでに払沢の滝を見に行ったときでした。滝はバス停から15分くらい歩かなければなりません。滝の近くまで行って、岩に乗って写真を撮っているときでした。足場が悪いので、ひとりつづ順番に写真を撮るような暗黙のルールがあるにもかかわらず、私のすぐ横に来てカメラを構えている高齢の男性がいました。見ると、ザックを背負って登山の恰好をしていました。

写真を撮り終えて横の石段に戻ろうとしても、男性がすぐ横に立っているので戻ることもできません。それに、男性がバランスを崩すと私も巻き添えを食って下の岩場に落ちる危険性さえあります。しかし、男性は私のことなどお構いなしにカメラを構えています。

「ちょっとのいてもらいますか?」と言っても、知らん顔です。それで、再度強い口調で「のいてもらえるかな」と言ったら、やっと石段に戻って行ったのでした。

男性を見ると、石段から滝つぼの脇に下りる際も、石段が狭いにもかかわらず、下から登って来る人がいても、「のけ」と言わんばかりに強引に下りて行くのでした。下から登ってくる人たち(大半は若い人たち)は、石段の横に設置された鎖を握って身体を横向きにしてよけていました。「なんだ、あの爺さんは」と思って見ていたら、下でキャーキャー言いながら男性たちを待っていた女性に見覚えがありました。朝のあのグループだったのです。

私がバスを降りるとき、彼らはまだバスに乗っていましたので、先にある浅間尾根登山口のバス停あたりから登ったのでしょう。そして、私と同じように払沢の滝に下りて来たのでしょう。マナーの悪い連中は、どこに行ってもマナーが悪いんだなと思いました。中高年向けの登山サークルのサイトに、「ナンパ目的で入会する方へ」という注意書きがあったことを前に書きましたが、もしかしたらマドンナ(と言っても60すぎの婆さん)が一緒なので、爺さんたちも気分が高揚して分別を失っているのかもしれません。顰蹙を買うかもしれませんが、なんだか“老人ホームの恋“を連想しました。

それに比べると、浅間嶺の展望台で会った高齢の夫婦は対照的でした。展望台に行くと、とっくに70を越えているような高齢の夫婦が望遠鏡で遠くの山を見ていました。そして、二人で手元の地図と見比べながら「山座同定」をしていました。何度もその作業をくり返していて、如何にも山に来たことを楽しんでいるといった感じでした。

私がベンチで昼食のサンドウィッチを食べていたら、「お先に」と言って、二人は払沢の滝方面に歩いて行きました。しかし、少し歩くとまた立ち止まって、二人で奥多摩の山塊を指差してなにやら話をしていました。

ハイキングとしては、こっちの方がよほど「健全」に見えますし、山歩きの本来の姿があるように思います。ヤマレコやヤマップの影響なのか、中高年の中には同じ山に何度も登って、コースタイムがどうのと自慢するような人たちが多いのですが、その背景にあるのは「オレはいつまでも若いんだ」という誇示と自己承認を求める気持でしょう。おまかせ登山のおばさん相手にお山の大将になりたがる心性も同じなのだと思います。

人里バス停から浅間嶺までは3キロ弱、浅間嶺から払沢の滝までは6キロくらいでした。登りは休憩を除けば1時間半くらいで、払沢の滝バス停までの下りは、2時間弱でした。久し振りの軽めの登山で、その分余裕を持って山を楽しむことができました。

帰りは、いつものように武蔵五日市から拝島、拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰ってきました。武蔵五日市を出たのが午後4時前だったということもあって、電車は空いており、今回もずっと座って帰ることができました。

不思議なのですが、山に行っている間は花粉症の症状がまったく出ないのです。昨日は、春を思わせるようなポカポカ陽気でしたが、くしゃみをしたり目がしょぼしょぼしたりとか、そんなことはまったくありませんでした。ところが、帰宅して夜になるとくしゃみが出たり、目が痒くなったりするのです。前回の本仁田山に行ったときもそうでしたが、たぶん街中のようにアスファルトに落ちた花粉が舞い上がることがないからかもしれません。



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人里バス停。

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浅間尾根登山口へ。

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登山口は民家の脇から入ります。

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登山口に入り上から見たところ。登山口までのアスファルトの坂道がきつかった。

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登山口に入りうしろを振り返る。

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登る途中にあった祠。

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ふと見上げると民家が・・・・。

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テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家でした。しかし、今は無人です(敷地内は自由に見学できます)。

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庭の奥にある400年前から出ているという湧き水。とてもおいしかった。水筒を持って来なかったことを後悔しました。実家の水道も天然の湧き水でしたので、田舎を思い出しました(このルートを登るなら、水筒は必携です)。

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尾根に着きました。時間にして約1時間。

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ここからは尾根筋を歩きます。

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見晴らしのいいところに出ました。奥多摩の山塊が一望できました。しばらく立ち止まって見入ってしまいました。

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御前山。

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大岳山。

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見晴らしのいい尾根道。

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浅間嶺休憩所の東屋。『奥多摩風土記』(大舘勇吉著・有峰書店新社)には、「浅間嶺(略)の嶺上に近い所に浅間神社の祠があり、明治の頃までお堂と五輪塔がありました」と書いていましたが、たぶんこの場所だったと思われます。お堂と五輪塔は「仙元社」と呼ばれ、尾根の麓にある下川乗(しもかわのり)地区の古民家に保存されていた絵地図には、天正10年(1582年)武田氏滅亡の際に武田勝頼の最期に準じた家臣や女中を祀っていたことが記されているそうです。武田信玄の四女の松姫が武田家滅亡の際、甲斐の国(今の山梨県)から八王子へ逃亡する際に、浅間尾根でひと息ついて、「郷国の霊山富士の見えるここから兄勝頼に殉じた人々の手向けを行なったものでしょう」、と『奥多摩風土記』には書いていました。

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はじめて会ったハイカー。このあと展望台に登ったら、休憩していました。

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展望台の山頂標識。浅間嶺の最高標高地点は展望台ではないのですが、実際は展望台が山頂のような扱いになっています。

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展望台からの眺望。

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展望台には3人の先客がいました。このあと女性の2人組が登って来ました。

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展望台をあとにして払沢(ほっさわ)の滝バス停までの下り。

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このような石ころだらけの道もありました。

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峠を下る途中にあった蕎麦屋。この蕎麦屋も「ポツンと一軒家」で紹介されたそうです。そのあと閉店したと聞いていました。しかし、看板を見ると、12月~3月は冬季休業で、4月~11月は営業しているようです。

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このあたりの「関東ふれあいの道」は、「甲州古道」と呼ばれていますが、明治時代までの甲州街道です。明治時代までは「駄馬道」で、今の「払沢の滝入口」のバス停横の坂道を登り、このように浅間尾根を越え、小菅から大菩薩峠を越えて塩山に下っていたのです。現代の私たちは、その一部をザックを背負い登山靴を履いたご大層な恰好でヒーヒー息を切らして歩いているのです。

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林道の途中にあった大山祇(おおやまつみ)神社。山の神様で各地にあります。今も奥多摩の山林が東京の水源地として保護されているように、山の神ということは水源・水利の神でもあり、山から恵みを得ていた地域の人たちに信仰されていました。

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大山祇神社の下には、閉店した「峠の茶屋」の建物がありました。

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上記の蕎麦屋は、峠の茶屋の本家でもあったのでしょうか?

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前の駐車場からも絶景が広がります。

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商店の窓ガラスに貼ってあった「東京のスイス」檜原村の観光地図。そう言えば、私も子どもの頃、冗談半分で自分の田舎を「九州のスイス」と呼んでいました。

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遠くに都心のビル群も見えました。

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下る途中の分岐で、鎖で閉鎖されていた「車両通行止め」の方の林道を進むと、時坂(とっさか)峠に着きました。

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時坂(とっさか)峠から急坂の登山道を下ります。

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降り口に「危険」と注意書きがあった崩落箇所。思ったより危険ではありませんでした。

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払沢の滝に行く途中にあった雑貨店。昔の郵便局の建物を利用しているそうです。

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払沢の滝。

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2020.03.12 Thu l l top ▲
立憲民主党と国民民主党は、一応表向きは”消極的反対“あるいは”判断保留“のポーズを取っていますが、どうやら内閣総理大臣に戒厳令まがいの”独裁的な権限“を与える「新型インフルエンザ対策特別措置法改正案」について、ほとんど審議もせずに成立させることを自民党と合意したようです。

以下は、13日付の共同通信の記事です。

KYODO
国会に事前説明なら賛成も
立民・国民、修正か決議求める


 新型コロナウイルスの感染拡大に備えた新型インフルエンザ等対策特別措置法改正を巡り、立憲民主、国民民主両党は、私権制限を伴う緊急事態宣言に関し、国会への事前説明などを義務付けられれば賛成する方向で検討に入った。発令中の「適時報告」も条件とし、与党に改正案の修正か付帯決議を求める考えだ。関係者が7日、明らかにした。
(略)
 政府は、特措法改正案を10日に衆院へ提出し、13日にも成立させる意向だ。
(同上)


早速、安倍首相の”極右仲間”の有本香氏が夕刊フジのコラムで、「新型コロナで“挙国一致”も左派は妨害!? 朝日新聞、共産党、社民党は『国難』を乗り越える気がないのか」という記事を書いていました。

Yahoo!ニュース
夕刊フジ
新型コロナで“挙国一致”も左派は妨害!? 朝日新聞、共産党、社民党は「国難」を乗り越える気がないのか

「挙国一致」「国難」、それは全体主義の常套句です。戦前も「挙国一致」や「国難」を掲げた問答無用の翼賛体制のもと、天皇制ファシズムの“暴走”が始まったのでした。立憲民主党や国民民主党の旧民主党は、文字通り「国難」突破のために、「挙国一致」の翼賛体制にみずから(進んで)身を預けたと言えるでしょう。有本氏のコラムに、いつもの立憲民主批判がないのは、極右から「合格」のお墨付きをもらったからかもしれません。

もっとも、今回の改正案の土台になった新型インフルエンザ等対策特別措置法は、民主党政権のときに作られた法律です(そのときも共産党と社民党は反対しています)。安倍・枝野の党首会談の写真を見ると、消費税増税のときの野田・谷垣会談が彷彿とされ、なんだか民主党政権の悪夢がよみがえってくるようでした。

あらためてこういう野党は怖いなと思いました。ある意味で、自民党より怖い。

先日の京都市長選で、両党は自民党や公明党と一緒に現職候補を推薦しました。京都市長選だけではありません。過去には横浜市長選においても、旧民主党は林文子市長を支持してオール与党体制に与しているのです。それは、今回のような翼賛体制の地方版と言っていいでしょう(そして、今になって自治労横浜など市関係4労組と一緒に、「裏切られた」などと言って被害者ヅラしているのです)。

何度もくり返しますが、こんな政党を野党と言うのでしょうか。立憲民主党に随伴する左派リベラルの市民派は、こんな政党に一体なにを期待しているのでしょうか。

しかも、立憲民主党が身過ぎ世過ぎのために偽装する野党的ポーズは、悪しき左翼性だけを残した左派リベラルを通して、左の全体主義へ架橋されているのです。それは、前も書きましたが、国会前デモなどに端的に表れていました。

思えば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客のうち27人の重症化が判明したのが先月の20日でした。しかも、そのうち2人が死亡したのです。でも、安倍政権が新型コロナウイルスの対策本部を開いたのは、3日後の23日でした。

23日現在で、韓国のPCR検査の検体数は2万件でした。一方、日本(21日現在)は、693件しかありませんでした。にもかかわらず、我が国は感染者数が少ないと胸を張っていたのです。そして、対策本部も開かずに、連日、税金(内閣官房機密費)を使って、極右仲間やメディアの幹部とお食事会を開き、美酒に酔い痴れていたのです。

ところが、それからわずか10日後に突然、全国の公立学校の一斉休校を決定し、併せて不要不急の外出やイベント等の自粛を呼び掛け、さらに緊急事態宣言に向けての特措法改正まで表明したのでした。誰がどう見ても、場当たり的にしか見えないでしょう。

これで、安倍首相は、戒厳令まがいの“独裁的な権限”を行使し得る法的な裏付けを手に入れることができるわけで、まさに転んでもただでは起きないファシストの正体見たり枯れ尾花という感じです。

マスクもない、除菌スプレーもウエットティッシュもない。しかも、重症化するまで検査も受けられない。緊急事態なのは無能な政府の方で、”戒厳令ごっこ”をしている場合じゃないだろうと思いますが、そんなことはお構いなしに極右仲間におだてられて令和のヒットラーにでもなった気分なのかもしれません。

旧民主党の連中は、今までもいざとなれば”敵失”を演じて安倍政権の苦境を救ってきました。そうやって政権の延命に手を貸してきたのです。それが、今回は「国難」を口実に、さらに露骨に手を差し伸べているのでした。

立憲民主党に随伴する左派リベラルは、”第三の道”なんて非現実的で、今の構図の中で「よりましな」政治を選択するのが現実的で賢明な方法だと言っていましたが、立憲民主党のどこが「よりまし」なのでしょうか。今更ですが、左派リベラルの彼らが依拠しているのは、とっくに終わった”古い政治”でしかありません。それが、立憲民主党を「よりまし」と考える発想につながっているのです。

ホントに「政治を変える」ためには、立憲民主党ともどもヘタレでトンチンカンな左派リベラルにも、きっぱりと引導を渡す必要があるでしょう。何度も言いますが、そこからやり直すしかないのです。


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2020.03.07 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
武蔵小杉駅~立川駅~鳩ノ巣駅~本仁田山~鳩ノ巣駅~青梅駅~拝島駅~八王子駅~菊名駅

※登り3時間28分(休憩約40分)
※下り2時間10分(休憩時間10分)
※山行時間:5時間38分
※山行距離:9.4キロ
※標高差:904m
※山行歩数:26000歩
※交通費:2514円

奥多摩の本仁田山(ほにたやま・1224メートル)に登りました。本仁田山は、奥多摩駅から登る大休場尾根コースが一般的ですが、大休場尾根コースは奥多摩の三大急登に数えられるほどの急登で、今の私では荷が重いので、今回は奥多摩駅から二つ手前の鳩ノ巣駅から登る杉ノ尾根コースを選びました。

とは言え、奥多摩の山は標高のわりにきつい山が多いので、杉ノ尾根コースも後半は急登が続き、ヘトヘトになって山頂に辿り着きました。前半は順調だったのですが、後半のバテ具合が半端ない(!)のです。持久力がないと言えばそうなのでしょうが、やはり体重が6キロ増えたことも大きいのかもしれません。6キロと言えば、山に登る人間が背負うザック1個分の重さです。それでなくても、私は身体が大きいので、ほかの人より2つか3つ余分にザックを背負っているようなものですが、さらにまたひとつ増えたのです。つまり、平均的な日本人と比べれば、ザックを4つ背負って山に登っているようなものです。これではもはや歩荷の世界です。

アンクルウエイト(足首に付ける重し)を買って足の筋力を付けることも大事ですが、その前にダイエットが必要でしょう。いくらまめに山に行って体力を付けようと思っても、体重が増えたのでは自分で自分の足をひっぱっているようなものです。そんなことを考えながら、山を下りました。

今日も早朝5時半すぎの東横線に乗って、武蔵小杉で南武線に乗り換え、さらに立川で青梅線の奥多摩行きに乗り換えました。鳩ノ巣駅に着いたのが8時前でしたので、ちょうど2時間かかったことになります。

やはり、車内はいつもより空いており、そのため、いづれの電車でもずっと座って行くことができました。

鳩ノ巣駅は、まわりになんにもないローカルな駅です。コンビニはもちろん、商店もありません。ただ、山だけでなく近くに渓谷もあるので、駅前にはハイキング客向けの立派なトイレがありました(ハイキングのあとに汚れた靴を洗う水道もあります)。

もっとも、山と言っても、本仁田山以外では川苔山(川乗山)があるくらいです。それも、いづれもマイナーなルートの登山口で、どっちかと言えば、鳩ノ巣駅は本仁田山や川苔山の下山ルートで使われる場合が多いのです。

登りでは3人会っただけでした。また、途中、大根ノ杉ノ神という分岐点で休憩していたら、上から2人下りてきました。

登る途中、2人から追い抜かれましたが、山頂に行ったら誰もいませんでした。おそらく2人も川苔山に向かったのではないかと思います。川苔山のメインのルートである日原街道から百尋ノ滝を経て登るルートが、昨秋の台風19号によって日原街道が通行止めになり利用できないため、今は鳩ノ巣から登るしかないのです。

先日、棒ノ折山で会った人に川苔山の話をしたら、「冬は百尋ノ滝に行かない方がいいですよ」と言われました。冬は滝に行く道が凍結するので、滑落事故も起きているそうです。「氷瀑とか言いますが、百尋ノ滝はそうまでして観に行くほどの価値はありませんよ」と言っていました。

また、その話を別の人に話したら、その人もほかの人から同じようなことを言われたと言っていました。こういう話は、ネットでは知ることのできない”生の情報”です。ネットはウソとハッタリが多いので、書いていることを鵜呑みにすると、登山の場合、命にかかわることにもなりかねません。川苔山に関しても、逆コースから下りて百尋ノ滝に行ったけど、全然問題なかったみたいなお決まりの書き込みがありますが、自分の技量を鑑みながら割り引いて読む必要があるでしょう。むしろ、斜に構えて読むくらいがちょうどいいのです。

それは、コースタイムも然りです。山行記録を共有するサイトのコースタイムは、あまり参考になりません。コースタイムは修正できるみたいなので、さも健脚のように修正しているのではないかと思ってしまいます。中には、説明文の時刻と添付した写真のEXIF情報の時刻が違っている場合もありました。ちなみに、個人的にいちばん参考になるのは、登山届を作成する際に利用するコンパスのコースタイムです。

山頂には40分くらいいましたが、誰も登って来ませんでした。非常に暖かないい天気だったので、汗でぬれたパーカーを木にかけて干しました。奥多摩の山々の向こうには、富士山もくっきりと姿を見せていました。ちょうど昼の12時すぎだったので、ベンチに座って持参したピザパンを食べました。ピザパンにかじりついていたら、なんだか胸がつまってきて涙が溢れそうになりました。若い頃、定食屋でひとりで食事していると、わけもなく涙が出そうになったりしましたが、あのときと似た感じでした。いくら年を取っても、そういった感情は残っているのです。

それでもやはり、ひとりはいいなあと思いました。山頂をひとり占めできるなんて、これほど贅沢な話はないのです。

山から下りて駅に戻って来たら、ちょうど5分後に来る電車があったので、ホームまで走りました。帰りは、いつものように拝島で八高線に乗り換え、八王子から横浜線で帰りました。

途中から帰宅ラッシュの時間になったのですが、通学する学生が少ないので電車は空いていて、ずっと座って帰ることができました。ただ、私服姿の高校生とおぼしき若者たちがワイワイ騒ぎながら乗って来て、八王子や町田などで降りて行きました。一斉休校と言っても、これ幸いに遊び歩いているじゃないかと思いましたが、かく言う私も、「不要不急の外出を控えるように」という呼びかけに背いて山に行っているのですから、あまり他人(ひと)のことは言えないのです。

一方で、安倍首相は、新型コロナウイルス対策のために、あらたに緊急事態を想定した法整備の必要性を表明しています。新柄コロナウイルスを奇貨に、私権を制限する”緊急事態法”の拡大が目論まれているのです。検査もろくにしないでなにが緊急事態だと思いますが、東日本大震災のときと同じように、再び”動員の思想”が前面に出ているのでした。トンチンカンな東浩紀などは、またぞろ震災のときと同じように、国家がせり出している今の状況に誇りを覚えると言い出すのかもしれません。あれから「ニッポン、凄い!」が始まったのです。そして、今のようなボロ隠しの「愛国」が支配する「バカっぽい」国になってしまったのです。

本気で市中感染を防ぐつもりなら、もっと簡単にPCR検査を受けることができるようにすることが先決ですが、ここに至っても検査体制は何も変わってないのです。検査が保険適用され自己負担分も国が負担すると言いながら、実際は「指定感染症」として保健所が統括する「帰国者接触者相談センター」が窓口であることには変わりがなく、軽症レベルの患者が検査を申し込んでもハネられるのは目に見えています。

重症化するか感染者の濃厚接触者でなければ検査が受けられないのですから、感染している自覚がないままに、意図せず感染を拡大させることになるのは当然でしょう。にもかかわらず、感染者は、あたかも無責任な行動でウイルスをばらまいた”迷惑人間”のように言われ、指弾されるのです。国の怠慢(と隠蔽工作)がそのような理不尽な責め苦を感染者個人に強いているのです。感染の拡大を防ぐためには、なにより早い段階で感染しているかどうかをはっきりさせて、感染を防ぐべく手当てすることが大事なのは、子どもでもわかる話でしょう。

横浜線に乗っていたら、橋本駅からトイレットペーパーの束を両手に下げたおばさんが乗って来ました。おばさんは、次の相模原駅で降りたので、トイレットペーパーを求めて橋本まで「遠征」したのかもしれません。

私も思わず二度見してしまいましたが、ほかの乗客も、ある人は眉をひそめて、ある人は羨ましそうな目で、おばさんの手元を見ていました。「あんたとこの家族は、そんなにウンコするの?」とツッコミたくなりました。

メディアは、「トイレットペーパーは充分な在庫があります。買い占めをやめることで、品不足も解消されます。買い占めをやめて、みんなに行き渡るようにしましょう」と言っていますが、それって東日本大震災のときも耳にした台詞です。

メーカーも表向きには「在庫は充分あります」と言っていますが、今の品不足が消費ではなく買い占めによって起きているのはわかっているので、店頭に商品がなくても生産能力を上げることはしないでしょう。そうすれば、やがて過剰在庫になるのがわかっているからです。

そもそも、中国人が買い占めているから品不足が起きているんだと言いながら、せっせせっせと自分たちで買い占めていた日本人に、「みんなで分かち合いましょう」みたいなことを言っても馬の耳に念仏でしょう。腐っているのは総理大臣だけではないのです。

そんなことを考えながら帰って来ました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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鳩ノ巣駅

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登山口に行く途中の風景

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登山口
民家の脇を入ります。

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ちょっと荒れた道

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本仁田山の特徴は石が多いことです。
登山道も石が多く、歩きにくくて足にこたえます。

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大根ノ山の神
川苔山への分岐はいくつかありますが、ここが最初の分岐です。

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「あれっ、車が」と思いましたが、よく見ると林道が通っていました。車は、東京都の森林組合の車でした。

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道を間違えて林道を進みました。
「林道を歩くはずはないんだが」と思いながらもどんどん進んで行ってしまいました。
GPSの地図を拡大して見たら、登山道から微妙にずれていることがわかり、引き返しました。

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大根ノ山の神の分岐まで戻って来たら、こんな注意書きがあることに気が付きました。
最初は気が付かなかった。間違える人が多いのでしょう。

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車が停まっている広場の奥に登り口がありました。
こういった登り口はよく見落とす。

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杉ノ尾根

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最初のピーク殿上山

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本仁田山?

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尾根道をすぎると・・・・

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噂の急登

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途中から見た風景

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さらに急登は続く

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登り切ると再び尾根道

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二つ目のピーク瘤高山(コブタカ山)
個人的には、このあと山頂までの100メートルの登りの方がきつかった。

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山頂標識
三頭山や御前山や大岳山や川苔山の立派な石造りの標識と比べるとこのやっつけ感。
奥多摩での本仁田山の位置付けが伺えます。

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天気がいいので、富士山が見えました。

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山頂の様子

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同上
山頂も石が多い。

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個人的にいちばんきつかった山頂直下の登り
下山時に撮りました。

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登山口まで戻って来ました。
入口(出口?)の手前。
2020.03.03 Tue l l top ▲
今日、地元の温泉地で宿泊業と飲食業をしている友人から電話があり、新型コロナウイルスでキャンセルが相次いており、途方に暮れていると言ってました。

また、講演の斡旋をしている別の友人は、イベントの自粛要請で既に決定していた講演が全てキャンセルになって、今後の仕事も見通しがきかない状態だと嘆いていました。

朝日新聞に掲載されている「新型肺炎の情報」によれば、「2月29日午前8時半時点」で、「国内で確認された感染者」は946人で死者は11人です。

皮肉を込めて言えば、感染者がわずか946人しかいないのに、安倍総理は全国の学校に臨時休校の要請を行い、併せてイベントや不要不急の外出の自粛を呼びかけたのです。呼びかけに伴い、コンサートなどの各種イベントも中止され、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどレジャー施設も休園、スポーツ大会も無観客試合になっています。

「感染の拡大を防ぐため」と言っていますが、それにしては、予防処置と感染の実態があまりにも乖離しており、政府の要請もオーバーアクションのような気がしてなりません(これも皮肉です)。

専門家の間では、実際の感染者は公表数の100倍くらいいるのではないかという話さえありますが、ダイヤモンド・プリンセス号などの感染状況から見ても、あり得ない話ではないように思います。

私たちがいちばん心配しているのは市中感染の現状ですが、政府が公表する感染者の中では、市中感染の患者はほんの僅かしかいません。誰もがホントなのかと思うでしょう。その一方で、政府は国民生活を一時停止するような前代未聞の要請をしたのです。

市中感染の実態がわからないので、よけい疑心暗鬼に囚われてしまうのです。だから、ネットの嘘に騙され、買いだめに走ったりするのでしょう。実際は、「感染を未然に防ぐため」という建前とは別に、既に市中感染が相当のレベルに達したという認識があり、その“無限大の拡散”に恐怖しているからではないのか、と思ってしまいます。

中国や韓国に比べて、PCR検査が極端に少ないのは、オリンピック開催を控えて、感染者数をできるだけ少なく見せたいという“政治的配慮”がはたらいたのは間違いないでしょう。そのために、下記の「デイリー新潮」の記事が書いているように、「指定感染症」や「医療崩壊」を錦の御旗にして、保健所を窓口にした検査をサボタージュする官主導のシステムが設けられたのです。もちろん、背景には、気温が上がればウイルスの感染力が弱まり感染も終息するという楽観論があるからでしょう。

Yahoo!ニュース
デイリー新潮
【新型コロナ】PCR検査の拡大を感染研OBが妨害……「岡田教授」がテレ朝で告発の波紋

でも、熱や咳があるのに、検査も受けられず、感染したかどうかもわからないまま放置される国民はたまったものではありません。中には死亡し、別の死因で処理された患者だっているかもしれません。なによりPCR検査のサボタージュによって、感染の実態が隠蔽されているのは大きな問題でしょう。

国会の議論や政府の要請を見ると、ちゃんと仕事を持ってちゃんと家庭を持ってちゃんと生活している国民が前提になっているように思いますが、しかし、現実には、ちゃんと仕事も持ってなくてちゃんと家庭も持ってなくてちゃんと生活もしていない国民もいるのです。そういう人たちにも等しくウイルスは感染するのです。検査どころか、病院にも満足に行くことができない人たちだっているでしょう。

私たちが直面しているのは、感染症なのです。感染の拡大を食い止めるためには、制度の網をできるだけ広げることが肝要で、まず、ひとりでも多くの人が検査を受けることができるようにすることでしょう。ところが、今の政府が行っていることは、(数字を誤魔化すために)大半の国民を制度からはじき出すべく逆に網を狭めているのです。学校や仕事は休め、街には出るな。でも、検査も治療もしない。そう言っているに等しいのです。

ひと昔前なら切腹ものでしょう。「国賊」と呼ばれてもおかしくないのに、「国賊」どころか相変わらず「愛国」者扱いで、「みんなで応援しよう」なんて言っているのですから呆れるばかりです。そんな安倍政権の応援団であるフジ・サンケイグループに代表されるようなボロ隠しの「愛国」が、この国を劣化させているのです。彼らは、感染の実態の隠蔽に手を貸しているのです。
2020.03.01 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲