感染症と文明



私たちは、科学の進歩によってあたかも万能の力を得たかのように錯覚し、自然に対してもいつの間にか傲慢になっていたのです。しかし、相次ぐ大震災によって、その傲慢な考えを打ち砕かれました。特に東日本大震災では、科学的進歩の象徴とも言える原発の事故による未曽有の被害まで招き、自然から大きなシッペ返しを受けたのでした。

そして、今度は新型コロナウイルスによって、再び手ひどいシッペ返しを受けているのです。

山に登るとわかりますが、自分の足で登ると、わずか数百メートルの道でさえ息が上がり、ときどき足を休め息を整えなければ登ることができません。でも、自動車だと数百メートルなんてあっという間です。ハンドルさえ握っていれば、ガムを噛み鼻歌を歌いながら登ることができるのです。

野生動物に対しても同じです。熊と遭遇しても、登山中であれば足が竦んで、なるべく目を合わせないようにして、そっとその場を離れ、ときには今まで苦労して登って来た道をまた下らなければなりません(私自身、その経験があります)。でも、車だと、「あっ、カワイイ」なんて言いながらカメラを向ける余裕があります。クラクションを鳴らせば、熊もあわてて逃げるでしょう。熊に対する認識も全然違ってくるのです。

私たちは、自然の一員でありながら、自分が自然に対して如何に非力なのか、小さい存在なのか、ということをいつの間にか忘れていたのです。それではシッペ返しを受けて慌てふためくのも当然でしょう。

『感染症と文明』(岩波新書)の中で、著者の山本太郎教授は、感染症の起源は野生動物の家畜化にあると書いていました。

野生動物の家畜化は、動物に起源をもつウイルス感染症をヒト社会に持ち込んだ(略)。天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌに起源をもつ。いうまでもないことだが、これらの動物は、群居性の動物で、ヒトが家畜化する以前からユーラシア大陸の広大な草原で群れをなして暮らしていた。
(略)
家畜に起源をもつ病原体は、増加した人口という格好の土壌を得て、ヒト社会へ定着していった。専門的な言葉で言えば、病原体は新たな「生態学的地位」と獲得した、ということになる。


そして、ウイルスも人間と共生すべく変異をくり返していくように、人間もまた、ウイルスと共生するために抗体を獲得するのです。それが免疫です。

また、人間と共生したウイルスは、新たなウイルス(病原体)の侵入に対して、ときに防御する役割も担っているそうです。そのため、ウイルスを根絶することは、人類にとって逆にリスクをもたらすことにもなりかねないのです。

病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた「適応」といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対して中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものになる可能性がある。
(同書)


一方で、「いつの時点においても、達成された適応は、決して『心地よいとはいえない』妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえない」とも書いていました。発症するまでの期間が長くなり、その期間が人間の寿命を越えると、ウイルスは「無毒化された」ことになるのですが、しかし、それも一筋縄ではいかないということなのでしょう。

とまれ新柄コロナウイルスの感染拡大を終息させるには、「集団免疫」しかないという考えも、ウイルスとは共生するしかないという感染学の“常識”に基づいたものなのです。

しかし、感染者がゼロになったという中国も、もちろん、中国に対抗して経済活動の再開を手探りではじめたアメリカも、まだ「集団免疫」を獲得していません。世界で「集団免疫」を獲得した国は、1022万人と人口が少なく、その意味では「集団免疫」を獲得しやすかったスウェーデンだけです。そのスウェーデンにしても、最新の情報では、感染者が19621人、死者が2355人の犠牲を払っているのです。

これから「集団免疫」を獲得するまで、第二波、第三波の流行がやって来るのは間違いないでしょう。

山本教授によれば、スペイン風邪では、「多くの地域で、第一波の流行より第二派の流行で致死率が高く、第三波で再び致死率が低下した」そうです。自然は、私たちにシッペ返しという大きな試練を与えているのです。

また、生物学者の福岡伸行氏も、朝日新聞の特集記事の中で、「ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない」、共生するしかないと言っていました。

ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

 その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。

 いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。

朝日新聞デジタル
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡


もちろん、個人的には新型コロナウイルスの感染は「怖い」のですが、しかし、無定見な”自粛厨”(煽られるアホ)にならないためにも、ただ怖がるだけでなく、このようなウイルスに対する客観的な視点を持つことも大事ではないかと思いました。

※タイトルを変更しました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
沖縄の玉城デニー知事が、航空会社の予約によれば、このゴールデンウイークで沖縄に来る予定の人が6万人もいるとして、旅行のキャンセルを求めたというニュースがありました。玉城知事は、ツイッターで呼びかけたほか、27日には記者会見でも、あらためてキャンセルを求めたのでした。

メディアによれば、4月29日から5月6日までのゴールデンウイーク期間中の沖縄便は、「日航グループでは約2万7千人(昨年比18%)、全日空で約2万3千人(同10%)で、計約5万人の予約がある」(朝日)そうです。玉城知事の呼びかけは、その数字を踏まえてのものだったのでしょう。

しかし、当初から玉城知事の発言を疑問視する声がありました。6万人というのは、往復便の合計数なので、単純に考えても来沖の人数は半分の3万人です。しかも、これはあくまで予約にすぎず、キャンセルの手続きをしていない予約客も多いので、最終的にはもっと少なくなるだろうと言われていました。

すると、案の定、赤羽国交相は28日の閣議後の会見で、「県外から沖縄への予約者は27日時点で約1万5千人になったと説明した」(朝日)そうです。これも往復便の合計数でしょうから、実際の来沖数は7千5百人以下でしょう。もちろん、その中には、仕事で来る人も、帰省する人もいるでしょう。

玉城知事は、呼びかけに際してあきらかに数字を盛っているのです。もしそれがわかってなくて発言したのだとしたら、緊急事態宣言&自粛ムードの中で、完全に浮足立っていると言えるでしょう。さらに、玉城知事は、会見では、東京都の小池知事が提唱した「STAY HOME 週間」という言葉まで使ってキャンセルを呼びかけていたのでした。まるで小池都知事に右へ倣えしたかのようです。

感染者数のコントロール(情報操作)と同じことが、いろんな分野で行われているのです。それは、リベラル派の知事も例外ではないのです。と言うか、リベラル派もその片棒を担いでいるのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、立憲民主党の特措法改正案賛成と軌を一にしていると言えるのかもしれません。そうやって、家にいること以外はことごとく自粛に反するとして指弾される異常な空気が作られているのです。

何度も言いますが、海や山に行くことにどうして地元民が「恐怖を感じる」のか。この前まで彼らは、観光客相手に特産品や食べ物を売って小遣い稼ぎをしていたのです。それが途端に「恐怖を感じる」ようになり、まるで石を持って追い払うように観光客を敵視しているのでした。

そのうち、地元民が自警団を作って、(岡山県のように)検問をはじめるかもしれません。

一方で、玉城知事のような薄っぺらな政治家やメディアがそれを煽っているという側面も見逃せないでしょう。

ゲーブルカーも運休し茶店も閉まった閑散とした高尾山の参道で、徒歩で登ってきたハイカーに向けてマイクを突き付け、「どうして高尾山に来たのですか?」「どうして自粛できないのですか?」と問いただすメディアの異常性。しかし、その異常性を指摘する声は皆無です。メディアは、そうやって「オレたちが家で我慢しているのに、外を出歩く奴は許せない」という大衆の負の感情を煽っているのです。

昨日会った同郷の人間は、先週、田舎の父親が亡くなったそうですが、葬儀にも帰ることができなかったと言っていました。田舎の親戚から「東京から帰って来ると、田舎の人たちに迷惑をかける」と言われたのだとか。それに、飛行機も1日1便に減便されているので、チケットを取るのさえ難しいと言ってました。

そのため、事情を知った葬儀会社が葬儀の模様をLINEの動画で送ってくれたそうです。彼は、スマホの画面を見ていたら涙が出て仕方なかったと言っていました。

自粛要請に従って休業したものの、満足に補償も得られないので生活も立ち行かなくなり、決してオーバーな話ではなく、破産か自殺かの選択を迫られている自営業者も少なからずいます。それを考えれば、未だに営業しているパチンコ店は「最後まで抵抗をしている気骨のある店」と言えなくもないのです。「従業員の雇用を守るため」という理由もウソではないでしょう。パチンコ店で働いている人たちは、不安定な身分の雇用形態の人が多いので、休業したら途端に職を失い路頭に迷うことになるのです。

店名公表に対して、パチンコ店は「行政による集団リンチだ」(朝日)と反発していたそうですが、誰が見てもそうでしょう。しかし、その危険性を指摘する人間もいないのです。言えない空気があるからです。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない」と反対したのが保守派の三浦瑠麗だけというのも異常です。三浦瑠麗の発言は、至極真っ当でした。

三浦氏は24日、ツイッターで「パチンコは騒がしいので普段から好きではありませんが、見せしめのような店名公表には反対です」と言及。「自粛なんだからあくまでも基本自由であるということを原則として頭においていただきたい。行政が電凸を誘う社会的圧力をかけるべきではないし、潰れて労働者がクビになったら責任を取れるのでしょうか」とした。

続くツイートで「コロナ禍は好ましいものと好ましくないものに人の心のなかで差をつけさせる。望ましくない業態、望ましくない職業。休業して持ち堪えることできない場合、要請にとどまるあいだは営業は自由だと思う」と指摘。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない。法治国家はそれをすべきでない」と訴えた。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
三浦瑠麗氏が要請応じないパチンコ店施設公表を批判


横浜の旭区で、物件の内覧に訪れたアパートの室内で、不動産会社の女性社員をナイフで刺してカバンなどを奪った犯人は、先月まで大阪の風俗店で働いていたけど、休業要請で職を失ったため、横浜で路上生活をしていたのだそうです。そのため、わずか数千円しか入ってないカバンを奪うために人を刺したのです。これからは、こういった事件も多くなるでしょう。都市の最深部に行けば行くほど、世も末のような荒涼とした光景が広がっているのです。

緊急事態宣言が発令されたら、先の戦争のときと同じように、いつの間にかリベラル派も問答無用の翼賛体制の隊列に並んでいるのでした。そして、みんなで思考停止に陥って、右に倣えして最敬礼しているのです。異論であるはずの野党(リベラル派)が、異論を排する側に立っているのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、そんなヘタレなリベラル派を象徴しているように思いました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
カミュの『ペスト』を読み返したいと思って、本棚を探したのですが、どうしても見つかりません。しかし、アマゾンや紀伊国屋やhontoなどの通販サイトをチェックしましたが、いづれも電子書籍しかなく、紙の本は「在庫なし」でした。

私は、電子書籍をまったく利用してないわけではないのですが、やはり、できれば紙の本で読みたいという気持があります。それで、日販(日本出版販売)が運営する通販サイトに、『ペスト』(新潮文庫)と『感染症と文明』(岩波新書)の2冊を注文しました。そして、注文して1週間近くが経った今日、やっと発送したというメールが届きました。

考えることは誰でも同じみたいで、現在、この2冊はベストセラーになっており、どこの書店も入荷したらすぐ売り切れるそうです。

『感染症と文明』は、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授が2011年に書いた本です。先日、朝日新聞に載っていた山本教授のインタビュー記事を読んで、あらためて著書を読みたいと思ったのでした。

朝日新聞
感染症と社会、目指すべきは「共存」 山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授に聞く

山本教授は、記事の中で次のように言っています。

「多くの感染症は人類の間に広がるにつれて、潜伏期間が長期化し、弱毒化する傾向があります。病原体のウイルスや細菌にとって人間は大切な宿主。宿主の死は自らの死を意味する。病原体の方でも人間との共生を目指す方向に進化していくのです。感染症については撲滅よりも『共生』『共存』を目指す方が望ましいと信じます」
(略)
「従来の感染症は多くの犠牲者を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化を促したが、新型コロナウイルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。感染症と文明の関係で言えば、従来とは異なる、現代的変化と言えるかもしれません」


今回の新型コロナウイルスが、時代的背景こそ違え、ペストと同じように、政治経済や文明に歴史的な変化をもたらすのは間違いないでしょう。後世の歴史家は、ターニングポイントとなった新型コロナウイルスの流行について、ページを割いて詳述するに違いありません。

岡江久美子が死亡したというニュースも衝撃でした。感染だけでなく感染死が他人事ではないことを痛感させられた気がして、テレビで彼女の死が取り上げられているのを観るたびに、重苦しい気分になっている自分がいます。

感染するのは覚悟している、覚悟するしかないなどと言いながら、その先にある死に対しては、目を背けていたところがありました。しかし、芸能人の死によって、その現実を目の前に突き付けられたような気がするのでした。

政府や専門家は、人との接触を8割減らせと言います。そのためには、会社も休め、スーパーに買い物に行くのも3日に1回にしろと言います。

でも、それでホントに感染の拡大は止むのだろうかという疑問は拭えないのです。政府や専門家が言っていることは、どう見ても場当たり的にしか思えません。実際に、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が言っていることも、最初の頃とはずいぶん違って来ているのです。

最近、「集団免疫」とのカラミで、市中感染率の重要性が取り沙汰されていますが、それも多くの人たちが前から指摘していたことです。無症状や軽症の感染者を顕在化しなければ、効果的な感染対策ができないことくらいシロウトでもわかる話です。でも、それすらやってこなかったのです。それが、今のような日本が「独り負け」した状態をもたらしたのは間違いないでしょう。

「人との接触の8割削減」だけがひとり歩きしていますが、そういった(衆愚政治の常套手段の)シングルイシューによって、隠されているもの、ごまかされているものがあるのではないか。私は、あの痴呆的なアベノマスクやアベノ動画が、日本政府の感染対策のレベルを象徴しているように思えてなりません。

埼玉では、白岡市と東松山市で、入院の調整がつかないなどの理由で自宅待機を余儀なくされていた感染者の男性が二人、相次いで亡くなりましたが、その背景に、「病床が満杯になるのを避けるため、(PCR検査の)条件を厳しめにやった」というさいたま市の保健所長の発言が示しているような、事なかれ主義の”小役人的発想(対応)”があるのはあきらかでしょう。

白岡市の男性は、ひとり暮らしだったそうですが、ひとり肺炎の苦しみの中で死を迎えたその姿を想像すると、いたたまれない気持になります。現実は、(トリアージとは別に)既に命の選別が行われているのではないか。そんな疑問すらあります。「人との接触の8割削減」の陰で、大事な問題がなおざりにされているように思えてなりません。

ゴールデンウィークを前に、自治体の首長からは、道路封鎖を要望するような過激な発言も出ていますが、なんだかそうやって問題のすり替えが行われているような気がしてなりません。“非常時”を錦の御旗に、基本的人権などどこ吹く風の風潮がまかり通っているのです。

休業要請に従わないパチンコ店の店名公表も然りです。感染の拡大が一部の不心得者の行動にあるかのようなもの言いは、詐術以外のなにものでもありません。パチンコ店は在日のイメージが強いので、自粛のストレスのはけ口として格好のターゲットになったという側面もなくはないでしょう。

動員の思想によって、大衆の負の感情ばかりが煽られているのです。メディアがその先兵の役割を担っているのです。煽るアホに煽られるアホという言葉しか浮かびませんが、そこに垣間見えているのは、「ファシスト的公共性」(佐藤卓己)を陰画とする自粛の風景です。そして、文字通りの“自粛厨”として、産経新聞から朝日新聞、百田尚樹から玉川徹まで、みんな口を揃えて「ファシスト的公共性」を称揚しているのでした。その点においては、寸分の違いもないのです。
2020.04.25 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今更言うまでもありませんが、自粛により多くの自営業者が苦境に喘いでいます。雀の涙ほどの協力金では、それこそ焼石に水でしょう。中には、協力金が命綱だと言う個人事業主もいますが、それも5月6日まで休業して、そのあとは以前のように事業が再開できると思っているからでしょう。

しかし、緊急事態宣言が5月6日で終了する可能性はほとんどなく、緊急事態宣言の延長はもはや既定路線なのです。

それは地方も同じです。地方の観光地ほどインバウンド頼りだったので、いきなり奈落の底に突き落とされたような感じで途方に暮れているのです。

地元の温泉地で商売をしている友人によれば、夜の街では、このところ金貸しの姿がやたらが目に付くようになった、と顔見知りのポン引きのおばさんが話していたそうです。ポン引きのおばさんたちは、毎夜、路地に立って目の前を行き交う人を見ているので、人の情報や街の変化をキャッチするのが早いのです。つまり、苦境に陥っている自営業者たちが、それだけ高利のお金に手を出しているということなのでしょう。また、10万円の給付も決定したので、それを担保にお金を借りようという人も多いのかもしれません。それで、金貸しが俄然忙しくなったのです。

もちろん、苦境に陥っているのは、ポン引きのおばさんたちも例外ではなく、今月はヘルスに2件紹介しただけで、収入は6千円しかないと嘆いていたそうです。ちなみに、紹介料はヘルスが3千円、ソープは5千円~6千円だとか(ヤクザがやっている店は女性のレベルが高く高級店が多いので、紹介料も高いそうです)。

厚労省の助成金(いわゆる”休業補償金”)では、当初、風俗業などで働く人たちは対象外とされていました。しかし、批判が殺到したため、厚労省は方針を転換して、風俗業や夜の飲食業で働く人たちも対象にすることにしたのですが、ポン引きのおばさんたちのようなブラックな職業の人たちはどうなるんだろうと思いました。

歌舞伎町で風俗業をしていた知り合いも、“休業補償金”をめぐって、早速、闇社会の住人たちがあれこれ知恵を絞っていると言っていました。

もっとも、新型コロナウイルスの感染拡大で、「経済崩壊」の声さえ囁かれる中、日経平均株価がときに大幅上昇する奇妙な現象が示しているのは、今や株式市場が実体経済を離れてマネーゲームの賭場になっているからですが、そうやって日銀がせっせせっせと印刷して株式市場に投入したお札が、得体の知れない(?)外国人投資家の懐に吸い上げられていることを考えれば、数十万円の金額をめぐる闇社会の悪知恵なんてまだかわいいものです。

今夜、インタフォーンがピンポーンと鳴ったので、誰だろうとモニターを見たら、マスクをした女性たちが並んで立っていました。

「どなたですか?」
「あの~、新型コロナについてお話ししたいことがあるので、玄関まで通していただけないでしょうか?」
それで、「おい、お前、なに言っているんだ?」と声を荒げると、「じゃあ、新聞を入れておきますので読んで下さい」と言ってモニターから消えました。

郵便受けに入っていた「新聞」を見ると、カルトで有名な仏教系の新新宗教団体でした。

新型コロナウイルスの感染拡大は、カルト宗教にとっては「広宣流布」のチャンスでもあるのでしょう。

右か左かではなく上か下かで見ると、まさに世も末のような荒涼たる光景が広がっているのでした。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、3週間ぶりに開かれた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で、同会議が提言した「人との接触を8割減らす。 日常生活を見直す10のポイント」なるものを見て、私は「なに、それ」と思いました。

提言なんて仰々しい言い方をしていますが、ここに至っても、そんな子どもに悟すようなことしか言えないのかと思いました。もっとも、この提言は、緊急事態宣言を延長するための”前振り”のように思えなくもありません。

頭隠して尻隠さずのような自粛ばかり押し付けられていますが、ホントに感染の拡大の原因は、自粛の不徹底だけなのでしょうか。一方では、外出の自粛と関係のない、院内感染や家庭内感染の問題が取り沙汰されるようになっているのです。また、都心の繁華街だけでなく、今度は地元の商店街やスーパーや公園などの”密”が問題視されています。なんだか都心から地元へ地元から家庭へと、追いかけっこしているような気がしないでもありません。

挙句の果てには、政府や東京や大阪などの自治体からは、休業要請に応じないパチンコ店などの店名を公表するという話が出ています。いよいよ緊急事態宣言の本性が表れてきたように思えてなりません。こうやって要請が命令になっていくのです。

それにつれ、ネットを中心に、自粛に従わない人間たちに対するバッシングもエスカレートするばかりです。しかも、そのバッシングは感染者にも向けられ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。

前も書きましたが、自粛は人々に大きなストレスを与えます。そのストレスのはけ口が、自粛要請を守らない不謹慎者や「迷惑をかけられる」感染者にぶつけられるのです。これこそファシズムにおける大衆心理の典型的な構造と言えるでしょう。

ヤフコメをはじめネットは、この手の書き込み(罵言)で溢れています。そうやって全体主義に「レイプされた大衆」(セルゲイ・チャコティン)は、まるでファシストたちの”サディズム的快感”をインプットされたかのように「不謹慎者狩り」に走るのでした。まさに歴史は繰り返しているのです。

自治体には、公園で親子連れが遊んでいるので迷惑だというクレームが多く寄せられ、自治体は公園の遊具にテープを貼って使用できないように対策を講じているそうです。また、先週の日曜日には、千葉や湘南の海に多くのサーファーなどが押し寄せたため、地元の住民たちが「恐怖を覚えた」として、地元の自治体は駐車場の閉鎖を決めたそうです。さらに、鎌倉や藤沢や逗子など湘南地区の11自治体は、神奈川県の黒岩知事に対して、「海岸の封鎖や道路を通行止めの措置をとるよう」要望したのだそうです。

こうやって移動の自由という基本的人権も、なんの躊躇いもなくあっさりと否定されるのです。

私が通う奥多摩でも、山梨の小菅村や東京の奥多摩町や檜原村など関係自治体が、登山の自粛を呼びかけ、併せて駐車場や林道の閉鎖を決定したというニュースがありました。

また、それに呼応するように、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟の山岳4団体は、登山の自粛を呼びかける共同声明を発表したそうです。

その共同声明「山岳スポーツ愛好者の皆様へ」は、次のように呼びかけていました。

(略)全国民が、外出制限、商業施設の相次ぐ閉鎖あるいは在宅勤務等々、日々逼迫した窮屈な生活を強いられています。このような現況下で、都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高めます。

(略)この緊急事態に対処するには、山岳スポーツを愛する皆様の他者への思いやり、そして何よりご自身の感染防御に専心され、事態の収束を見るまで山岳スポーツ行為を厳に自粛していただきますよう山岳四団体としてお願いいたします。

日本山岳・スポーツクライミング協会
<山岳四団体声明>山岳スポーツ愛好者の皆様へ


先の戦争のときも、おそらく似たような声明が出されたのでしょう。

登山には、「自立した登山者であれ」という言葉があります。人に連れられて行った「山」は山ではない、という言い方もあります。山に登るということは、すべてのリスクを自分で背負うということです。その”覚悟”を持つということです。そのためには、”覚悟”に似合う体力と技術と知識と精神力が要求されるのです。それが「自立」ということです。

誤解を怖れずに言えば、今回の声明は、登山の“自立(孤高)の精神”とは真逆にあるものと言えるでしょう。もちろん、自粛に従わないことが「自立した登山者」であると言いたいわけではなく、山岳団体が、登山者に対して八つ当たりしているとしか思えない地元の要望を受けて、頭から登山者を縛るような声明を出すことに違和感を覚えてならないのです。山岳団体としては、(自粛に反対するのでも従うのでもなく)静観する姿勢があってもいいのではないかと思います。どこかの「頭悪すぎて笑う」登山家とは違うのですから、静観するのもひとつの見識でしょう。

閑話休題、私には、昨日の専門家会議の提言は、自分たちの瑕疵(ミス)を棚に上げて、感染の拡大の責任を国民に押し付ける”詭弁”のようにしか思えません。そして、”詭弁”を”詭弁”と指摘できない今の風潮は、益々日本の「独り負け」を加速させるだけのように思います。自然の猛威である新型コロナウイルスは、原発事故などと違って、日本人お得意のごまかしはきかないのです。

オリンピックや政権の体裁のための初動の遅れ。PCR検査の抑制による感染者の隠蔽。その延長にある政府の場当たり的な対応に唯々諾々と従い、お墨付けを与えるだけの専門家会議。未だに市中感染率さえ把握できてない事態を招いた責任は、専門家会議にもあるでしょう。これでは、ナチスのNSV(ナチス民衆福祉団)と同じようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
私が前々回の記事で書いた渋谷健司氏に対する誹謗は、立憲民主党の有田芳生参院議員もリツイートしていました。

有田議員自身も渋谷氏を毛嫌いしていたみたいで、そのあとも、渋谷氏がWHOの「上級顧問」であるというのはまったくの嘘だ、履歴詐称だという別の人物のツイートもリツイートしていました。それは、次のようなものです。


ところが、このツイート自体がデタラメだったのです。指摘した人物によれば、WHOのHPを検索したら「0.01秒」で渋谷氏の名前が出てきたそうです。

しかし、有田議員は、あろうことか指摘した人物を逆に「デマを流している」と決めつけたのでした。そのため、指摘した人物から猛反発を受け、結局、次のような「お詫び」を出す羽目になったのでした。


指摘した人物ならずとも、大丈夫かと言いたくなりました。有田議員の醜態は、特措法改正に賛成した立憲民主党のテイタラクを体現しているような気がしてなりません。

政府の感染対策を批判する専門家に対して、フェイクだと誹謗するツイートを次々とリツイートするその感覚には、ただ驚くばかりです。もっとも、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党の姿勢を考えると、有田議員のリツイートには納得もできるのです。

一方で、今回のトンマな所業には、故・平野謙が指摘した、前衛党神話に呪縛された左翼特有のリゴリズムが垣間見えるような気がしないでもありません。話が飛躍しているように思われるかもしれませんが、そういった思考法は元左翼も無縁ではないのです。

くり返しますが、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるのです。

これが私が二度に渡って、イデオロギーや党派性の”怖さ”について「余談」を書いた理由です。
2020.04.21 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今の自粛一色の空気は、子どもだけでなく大人だってストレスを抱えるものです。わけもなく重苦しい気分になったかと思うと、やたらイライラしたりして、いつもと違うのが自分でもわかります。

私にとっての自粛は、帰省をキャンセルしたことと、それから山に行ってないというか、行きづらくなって山行きを自重していることです(と言っても、まだ10日ちょっとですが)。

実は今日(20日)から九州へ帰省する予定でした。今回の帰省のいちばんの目的は、数十年ぶりに地元の山に登ることでした。子どもの頃、父親と一緒に登った思い出があり、いつかまた登りたいなとずっと思っていたのです。

しかし、先月、田舎の友人から電話があり、今回はやめた方がいいぞと言われ、やむなくキャンセルしたのでした。

おかげでストレス太りして困っています。今日も、久しぶりに会った知り合いから、「太りましたねぇ~」「どうしたんですか?」と言われました。

山に行くのも、自粛の同調圧力に抗すればいいだけなので、行こうと思えば行けるはずなのです。ザックを背負って登山靴を履いて、早朝の電車に乗ればいいだけの話です。帰りの電車では、乗客からの白い目にちょっと耐えればいいだけの話です。前回と同じように寝たふりをすればいいのです。

聞くところによれば、昨日の日曜日は天気も良かったので、ヤビツ峠に行く道は登山客の車で渋滞していたそうです。表尾根や大倉尾根の登山道も、普段の休日と変わらないくらい人でいっぱいだったそうです。そんな話を聞くと、「オレも」と思ったりするのでした。

たしかに、自粛にはアホらしいような建前の一面があります。スーパーに行くと、「ソーシャルディスタンス」なのか、レジの前の床に1メートル間隔(?)にラインが引かれていました。しかし、「ソーシャルディスタンス」は並んでいるときだけで、レジのまわりは狭いので、レジの先にある支払い機で支払いするときは、レジで計算している次のお客や横の支払い機で支払いしているお客と密着しているのでした。

一方、通勤電車の中では、「ソーシャルディスタンス」なんてどこ吹く風で、人々が座席に座ろうと我先に電車に乗り込んできます。また、車両の間を歩いて空いている席を探している乗客もいます。みんな、みずから進んで密着しようとしているのです。

東京都の感染者の年齢構成と自粛後の通勤電車の乗客の年齢構成が重なるという話がありますが、たしかにそうかもしれません。未だ多くの人たちが感染に怯えながら(?)通勤しているのです。だからこそ、誰よりも「ソーシャルディスタンス」を心がける必要があるのです。それが、感染を避けるために自分でできる対策でしょう。しかし、実際はそんな最低限の自衛策さえ取ってない人があまりに多すぎるのです。それが現実なのです。

小池都知事ではないですが、「ソーシャルディスタンス」なんて英語を使うので、みんな、ことばの意味を理解してないのではないかと皮肉を言ってみたくなります。そのくせ隣の乗客が咳をすると、顔をしかめて睨みつけたりするのでした。もしかしたら、そういう人間に限って、ネットで石田純一に罵言を浴びせたりしているのかもしれません。

今日会った旧知の若いサラリーマンは、給与が減っているわけでもないのに、子どもも含めて3人家族なので、今回の10万円給付で30万円もらえると喜んでいました。「ラッキーですよ」と言ってました。また、「同じ会社の人で子どもが4人いる人がいるんですが、その人なんか60万円もらえるんですよ」「自粛が終わったら家族で旅行に行きたいと言ってましたよ」と言ってました。

この10万円給付については、元衆議院議員の杉村太蔵が「強烈な格差を生み出す」として、「大反対」を表明し「炎上」しているそうです。

Yahoo!ニュース
ORICON NEWS
『サンジャポ』国民一律10万円給付に賛否両論 杉村太蔵「強烈な格差を生み出す!」

 杉村は「生活支援策としても景気回復策としても大反対です!  というのも私、今、こうしてテレビで使っていただいている。生活に経済的に影響ありません。うちは家族5人ですから、杉村太蔵に50万円。一方、派遣切りに遭った、収入が半分以下になってしまった、そういう人、派遣の方は残念ながらなかなか結婚できない。1人暮らしの方が多い。こういう方は10万円なんですね。国民全員に配るというのは、公平なようで強烈な格差を生み出すことになる」と主張。


杉村太蔵は、自民党の衆院選候補者公募に応募するまでは、派遣の仕事をしていたそうなので、まだこういった感覚が残っているのでしょう。

非常時になると、意外な人が意外なことを言ったりするものです。反対に、日頃、リベラルなことを言っている人間が、途端に“国家への帰順のすすめ”のようなことを言ったりしてがっかりさせられることがあります。

私たちは、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるでしょう。それは、右や左かのイデオロギーではありません。そんなものはなんの尺度にもならないのです。自由や共生、あるいは平和というものに対して、どれだけ高い見識とデリケートな感性を持っているかでしょう。

前回の記事でも書きましたが、何事もイデオロギーの色眼鏡で見ることしかできないリベラル左派の硬直した観念は、むしろ怖いなと思います。そういうところにもまだ、党派性の悪夢=左の全体主義が生きていることがよくわかりました。
2020.04.20 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
ここに至ってもなお、検査数が抑えられている現状で、感染者数を云々(「デンデン」ではありません)するのはナンセンスのような気がしないでもありませんが、日本の感染者数が韓国を抜くのはいよいよ時間の問題となりました。

◎感染者数 カッコ内は死者数
日本9795人(154人)
※4月18日 午後6時現在 厚労省発表
韓国10635人(230人)
※4月17日 午前0時現在 中央事故収拾本部及び中央防疫対策本部発表

◎新規の感染者数 ※4月18日現在
日本577人
韓国18人


PCR検査は、日本は現在も一日に5千件弱しか行われておりません。安倍首相は、先日の記者会見で、一日に1万2千件行う体制にあると言ってましたが、実態はまるで違います。

マスクも然りです。マスク不足が問題になった2月頃から「来週には十分供給できる」と言ったり、それが過ぎると今後は「来月には」と言っていました。でも、未だに改善されていません。

マスクだけではありません。除菌用品も同じです。ネットで販売されていても、従来の10倍もするような高額なものばかりです(それも予約販売でいつ手に入るかわからない)。

昨夜の「報道特集」(TBS)でもキャスターの日下部正樹氏が嘆いていましたが、マスクや除菌用品など、家庭内で感染対策するのに必要な最低限なものさえ手に入らない状態なのです。不要不急の外出の自粛を呼び掛ける前に、することがあるだろうと思います。

検査を抑制していることについて、最近は感染症学会など一部の医療関係者から、これ以上検査をすると医療が崩壊するという抑制を正当化するイデオロギーが、メディアを通して振り撒かれています。医療関係者お得意の半ば脅しのような話ですが、キングス・カレッジ・ロンドン教授で公衆衛生学者の渋谷健司氏は、下記の『AERA』のインタビューで、医療崩壊と検査は別の問題だと言っていました。

余談ですが、渋谷健司氏は医療の規制緩和を推進しているなどの理由により、立憲民主党に随伴する一部のリベラル左派から毛嫌いされているみたいで、ネットには「こんな人物の言うことを信じる人がいるなんて信じられない」という声さえありました。また、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、渋谷氏が日本には実際に10万人の感染者がいると発言したことに対して、10万人もいればとっくに医療崩壊しているだろうとヤユする声もありました。

言うまでもなく、10万人というのは、無症状や軽症の未検査の潜在的な感染者のことです。それがどうして医療崩壊になるのか。ヤユするにしても、言っていることがあまりにもバカっぽいのです。何度も言いますが、表に出ている感染者以外に、自分が感染していることがわかってない潜在的な感染者が10万人もそれ以上もいると考えても、決しておかしくないでしょう。そういった無自覚な感染者の存在が集団感染や目に見えない感染爆発の要因になっているのです。PCR検査をして、まずそういった感染者を顕在化する必要があるのです。

安倍マンセーのネトウヨ同様、右か左かの色眼鏡で見ることしかできない(そして、自分たちのお眼鏡にかなわなければ総否定する)リベラル左派もまた、この状況の中でトンチンカンな醜態を晒していると言えるでしょう。

Yahoo!ニュース
AERA
WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点

――日本では当初から「検査を抑えて医療態勢を守る」という考えがありました。そもそも、世界の専門家の間でこのような手法はどう評価されているのでしょうか。

検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません。検査を抑えないと患者が増えて医療崩壊するというのは、指定感染症に指定したので陽性の人たちを全員入院させなければならなくなったからであり、検査が理由ではありません。

むしろ、検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状です。

――政府の専門家会議は、機能していると考えていますか。

科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題だと感じています。

先ほど指摘しましたが、4月1日時点で「東京は感染爆発の初期である」と会議メンバーは知っていたはずです。それならばそこで、緊急事態宣言をすべしという提案を出すべきでした。

しかし、この日の記者会見で出てきたメッセージには、国内の逼迫(ひっぱく)した状況を伝えてはいたものの、『我が国では諸外国で見られるようなオーバーシュートは見られていない』といった国民の緊張感を緩ませるような言葉もまぎれていました。


感染対策の遅れによって、日本がアメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のひどい状況になり、「独り負け」するのではないかという指摘もありますが、決してオーバーな話ではないのかもしれません。日本は感染対策で「独自の道」を歩んでいるなどと書いていたバカなメディアがありましたが、そんなおめでたい状況にないことだけはたしかでしょう。

マスクも除菌用品もなくて、ただ外出を控えろと言われるばかりで、ホントに感染の拡大が止まるのか。感染要因はホントに3密だけなのか。検査の抑制と政府の言う「感染の封じ込め」は、一体どんな関係にあるのか。その二つに合理的な関係があるのか。「集団免疫」ができなければ感染は止まないと言われているのに、「感染の封じ込め」はただ「集団免疫」を先送りするだけではないのか。

ワクチンもなく治療法も確立してない中では、とりあえず「感染を封じ込めて」時間稼ぎをするしかないという方針に”三分の理”はあるにしても、このように素人の疑問は尽きないのでした。

専門家の話では、新型コロナウイルスに関しては、ホントに免疫ができるのかどうか、また、免疫ができたとしてもいつまで有効なのか、まったくわかってないそうです。つまり、「集団免疫」という感染症の一般論(常識論)が成立するかどうかもわからないのです。

仮に「集団免疫」が有効だとしても、アメリカでもまだ「集団免疫」は30%くらいしかないという話があります。昨日だか、トランプが、最終的に死者が現在の2倍の6万人くらいになる見込みだと話していたのは、おそらく「集団免疫」の獲得=終息を想定して言っているのでしょう。

しかし、日本は、(検査を抑制してきたので)正確な市中感染率も把握していないため、現在「集団免疫」がどのくらいまで進んでいるのかという客観的な感染状況さえわからないのです。

感染数を少なく見せて「ニッポン、凄い!」を演出(自演乙)する政治的な思惑ばかりが優先されたのです。オリンピックと政権の体裁(支持率)のために、私たち国民の健康がなおざりにされてきたのです。その結果、今のような誰が見ても手遅れの状態を招いてしまったのでした。

国民全員に一律10万円を配るという決定に対しては、国民も野党もこぞって「大歓迎」で、ツイッターでは、森友学園の園児と同じように、「♯安倍首相がんばれ」というハッシュタグがトレンド入りしているそうです。

麻生財務大臣が手を上げた者に給付することになるだろうと発言して反発を受けていましたが、彼の日頃の尊大な態度を見てもわかるとおり、安倍政権の面々にしてみれば、10万円給付は、節分の日に成田山新勝寺の壇上から豆まきするのと同じような感覚なのかもしれません。

麻生財務大臣の言動には、10万円給付に群がる国民の卑しさという彼の本音が出ているように思います。4人家族なら40万円ももらえるのですから、そりゃ卑しくもなろうというものですが、私には、その卑しさはマスクやトイレットペーパーの買いだめの光景とタブって見えて仕方ありません。

自宅待機していても、給料が下がってないサラリーマンも大勢います。公務員も給料は下がってないでしょう。当初の30万円の給付の対象要件があまりに厳しすぎたのはたしかですが、やはり、所得制限をして、その分給付額を20万円にするとか、そういった考えが必要ではないかと思います。ホントに困窮している人たちに少しでも多くのお金が行き渡るような、そんな相互扶助の精神がこの国にはないのかと思います。

電車の中の“席取り合戦”のように、我先に手をあげて10万円の札束を奪い合う光景が目に浮かぶようです。もしかしたら「♯安倍首相ありがとう」というハッシュタグがトレンド入りして、支持率も上がるかもしれません。そして、壇上では安倍や麻生や二階ら安倍政権の古狸たちがふんぞり返って、札束を奪い合う国民を指差しながら高笑いするのでしょう。まるでどこかの独裁国家のようで、衆愚政治ここに極まれりという気がしてなりません。
2020.04.19 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
昨夜のTBS系列の「情熱大陸」に出ていた、ウイルス学者で、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーでもある河岡義裕氏は、新型コロナウイルスについて、「季節性があるのかどうかわらないけど、もし季節性があれば6月くらいに一旦収まるかもしれない。しかし、冬になれば再び感染が再発する可能性がある。何故なら、日本人はまだ感染してない人が多くいるからだ」と言ってました。そして、「ワクチンが開発されるまで最低でも2年かかるので、年単位の戦いになるのは間違いない」とも言っていました。

しかし、赤道直下のシンガポールでも感染が広がったことを考えると、季節性(つまり、暖かくなるとウイルスの感染力が弱まるという性質)についても、楽観視できないように思います。もし、季節性がなければ、今の状態が年単位で続くことになるのです。人口の60~70%が感染して「集団免疫」ができなければ、感染は収まらないという(感染症の)一般論から考えれば、終息まで2年くらいかかるという話に現実味が増します。ましてや季節性があろうがなかろうが、来年のオリンピックなどできるわけがないのです。

日本は、政府がオリンピックのために感染者数をごまかしていたので、統計上は外国に比べて感染爆発がひと月遅く始まっています。そのため、本格的な感染対策もひと月遅れているのです。しかも、検査を抑制していたので市中感染率など感染状況についての客観的で正確なデータがないため、的確な対策を打ち出すことができず、対策が場当たり的になっているのです。そのため、対策専門家会議の見解も二転三転しています。

自粛して人と人との接触を80%減らせばひと月で終息できるという安倍首相の話がひとり歩きしていますが、市中感染率さえ把握できてないのに、その話にどれだけ信憑性があるのか疑問です。

ひと月というのも、あくまで「そうなればいい」という希望的観測に過ぎないように思います。他国の例を見ても、ひと月で終息するなど、とてもあり得ないでしょう。

素人考えでも、終息するにはやはり、ワクチンであれ自然感染であれ、「集団免疫」しか方法はないのではないかと思います。

それどころか、他国に比べて対策が遅れたことを考えると、アメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のリスクが生じる可能性すらあるような気がします。まだ感染者数が1万人にも満たない今の段階でもう医療崩壊が取り沙汰されるくらい、日本の医療インフラは脆弱なのです。そのことも大きな懸念材料でしょう。

既に日本の至るところで感染爆発が起きているのは間違いないでしょう。しかし、検査をしてないので、どこで誰がどの程度感染しているかわからないのです。厚労省が発表するクラスターなるものも、たまたま顕在化した一部の感染をそう呼んでいるだけで、氷山の一角に過ぎないのはあきらかです。感染者数の隠ぺいとそれに伴う対策の遅れは、失政というよりもはや犯罪と言うべきでしょう。

日本人の中には、まだ「自分だけは感染しない」と呑気に構えている人も多いようですが、ゴールデンウィークが終わっても終息せず、緊急事態宣言も延期されたら、そんな「所詮は他人事」の人たちも慌てはじめることでしょう。電車で席取り合戦をしている場合じゃないのです。もちろん、潜行している感染爆発が顕在化すれば、経済が益々深刻な事態に陥るのは間違いなく、それに伴い、政治も大きく揺れ動くでしょう。一方、韓国では新型コロナウイルスの封じ込めにほぼ成功して、総選挙まで行われているのです。既に終息に向かって歩みはじめているのです。この違いはなんなのかと思わざるを得ません。

そんな中、「子どもっぽい」無能なこの国の指導者は、星野源の「うちで踊ろう」とコラボした動画をツイッターにアップして物議を醸しています。外出自粛の呼びかけのつもりなのかもしれませんが、私邸で優雅にくつろぐ動画は、休業要請によって苦境に陥っている自営業者やフリーランスの人たちの神経を逆撫でする、KYどころではない挑発的とさえ言っていいようなシロモノです。この時期に、あんな能天気な動画をアップしている指導者なんて、世界中を探しても彼しかいないでしょう。

かえすがえすも、「子どもっぽい」無能な指導者を持ったことの不幸を覚えてなりません。(夫婦ともども)あまりにもバカすぎて情けなくなります。自身が言う「国難に立ち向かうリーダー」としては、どう考えても能力的に無理があるとしか思えません。無能な独裁者ほど怖いものはないのです。ところが、糸井重里や爆笑問題の太田光は、(安倍首相や政府は)一生懸命やっているのだから、責めるのではなくみんなで協力しようと、“愚民根性”丸出しでハイルヒトラーのようなことを言っています。また、件のツイートにも30万の「いいね」が付いているそうです。お粗末なのは指導者だけではないのです。
2020.04.13 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
「田中宇の国際ニュース解説」に、各国のPCR検査数が出ていました。

田中宇の国際ニュース解説
日本のコロナ統計の作り方

イギリスのオックスフォード大学などの研究者が作ったサイトによれば、4月5日~8日時点での各国の累計検査数は、以下のとおりだそうです。

米国219万
ドイツ132万
イタリア81万
韓国47万
カナダ36万
豪州32万
トルコ25万
英国23万
スイス17万
オーストリア12万
ノルウェー11万
ベトナム11万
日本4万6172件
(4/6現在)

また、人口千人あたりの累計検査数は、次のようになっているそうです。

アイスランド90
バーレーン31
ノルウェー20
スイス20
エストニア19
米国6.6
イタリア13.6
ドイツ15.9
韓国9.1
英国3.5
日本0.36


これを見ると、日本の累計検査数は韓国の10分の1で、千人あたりの累計検査数に至っては10分の0.4(100分の4)しかありません。

これでは、感染者数が少ないのは当然です。それで、「封じ込めに成功している」と自画自賛していたのです。

当初、韓国の感染者数が増加していることに対して、日本では「ざまあみろ」というような声がありました。医療崩壊がはじまって、韓国はもう国家として体を為してないかのような報道さえありました。

しかし、韓国は、徹底した検査と隔離政策を取ることで医療崩壊を招くことなく、最近はあらたな感染者数も20人台(4/10)まで減少しています。今の状況では、早晩、感染者数で日本が韓国を上回るのは間違いないでしょう。

一方、日本では、現場の医療関係者から既に医療崩壊がはじまっているという声が出ています。でも、日本の感染者数は、まだ韓国の半分以下なのです。つまり、それだけ日本の医療インフラが韓国に比べて遅れているからでしょう。だから、必要以上に医療崩壊に怯えるのでしょう。

もうひとつ指摘しなければならないのは、日本は累計検査数が韓国の10分の1、千人当たりの検査数が10分の0.4しかないにもかかわらず、感染者が既に韓国の半分近くも出ているという点です。

どうして日本は検査数の割にこんなに感染者が多いのか。それは、検査をしてこなかったツケで、感染しているという自覚がない無症状や軽症状の感染者が街に溢れているからでしょう。そのため、「感染経路が不明な」感染者が急増しているのです。検査を怠ったことで、目に見えない感染が蔓延しているのです。

森友や加計や桜を見る会で示された安倍政権の虚偽と隠ぺいの体質が、そのまま新型コロナウイルスの感染対策にも引き継がれているのです。しかし、新型コロナウイルスは、国民の健康・命に直結する問題です。オリンピックや政権の体裁のために、PCR検査を抑制して国民の健康を弄んだその責任は重大で、万死に値すると言っても言い過ぎではないでしょう。

しかも、ここに至っても、政府と東京都の休業要請の対象をめぐる対立に見られるように、日本の感染対策は迷走を続けています。それは、466億円を使ってマスク2枚を配るというトンチンカンな政策にも表れています。

NHKのETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~」でも紹介されていましたが、あの『サピエンス全史』の著者のユヴァル・ノア・ハラリは、イギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムズ」に掲載された寄稿文の中で、新型コロナウイルスの対応について、次のように書いていました。

 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

Web河出
新型コロナウイルス後の世界 ‐ この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(柴田裕之訳)


しかし、現実に私たちを覆っているのは、「全体主義的な監視」であり「ナショナリズムに基づく孤立」の方です。そのために、新型コロナウイルスだけでなく、経済も政治も、取り返しがつかない状態になっていくような気がしてなりません。

ユヴァル・ノア・ハラリは、さらに次のように言います。

(略)全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。

 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。

(同上)


これは、検査を意図的にサボタージュして感染者数をごまかしてきた日本政府のやり方に対するアンチ・テーゼでもあるように思います。日本の国民は、「子どもっぽい」全体主義的な指導者によって、文字通り厳しい規制を受け、無知に追いやられているのです。そのため、逆に感染の封じ込めに失敗しているのです。それが、積極的に検査を行って情報を開示することで封じ込めに成功した韓国との大きな違いです。

それはまた、両国の指導者の資質の違いでもあるのでしょう。あらためて、「子どもっぽい」無能な指導者を持った不幸を痛感せざるを得ないのでした。

これから私たちは、暫くの間、おどろおどろしい脅し文句とともに、感染の恐怖、さらには死の恐怖の中で、文字通り息を潜めて、カミュが『ペスト』で描いたような日常を過ごさなければならないのです。
2020.04.11 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
緊急事態宣言に関連して、次のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
産経新聞
「はっきりして」 休業要請で国と都に違い 理美容室に不安の声

私は、個人的には、美容室はまだしも理容店に対する休業要請には納得する気持があります。

先日、近所の理容店に散髪に行きました。このあたりも、理容店の廃業が相次いでおり、現在、私が知る範囲で残っているのは、1900円だかの格安店が2軒と、同業組合に入っている3700円の“一般店”が1軒だけです。最近は、男性の多くも美容室に行っているみたいで、この前、通り沿いにある美容室の前を通りかかったら、頭の禿げたおっさんが椅子に座って順番を待っていたので驚きました。

しかし、私は、近所のよしみで昔ながらの“一般店”に通っています。他の店に行きたくても、普段道で顔を合わせるので行かざるを得ないのです。店の主人も、「来なくなった人の中には、私の顔を見たら、急に脇道に入ったりする人がいるんですよ」と言ってましたが、正直言って、そうしたくないので行っているようなものです。

その店も昔は従業員を雇っていましたが、今は主人がひとりでやっています。それに伴い、店の中も乱雑になり、おせいじにもきれいだとは言えません(むしろ、汚い)。しかも、主人はヘビースモーカーなので、店内にはいつも煙草の匂いが充満しています。

主人は部類の話好きで、話しているうちに興奮してくるのか、こっちの話を遮ってひとりで独演をはじめるようなタイプの人です。

先日、行ったときも、「コロナなんてあんなものは風邪と同じですよ」と言ってました。しかし、主人はもう60代の後半で、ヘビースモーカーで、なおかつ高血圧で病院通いをしているのです。この時期なのに、マスクもしないで、そうやってひとりでまくし立てていました。当然、唾も飛んできます。

私は、心なしか、熱で主人の顔が紅潮しているような気がして、だんだん不安になってきました。マスクして下さいと言いたかったけど、そう言うと、主人がさらに興奮して気まずい空気になるのはわかっているので、言い出せませんでした。

あれから3日経っており、一日に何度も体温を測っていますが、今のところ異常はありません。でも、一抹の不安はあります。

美容室の場合、競争も激しく、感染源になると死活問題になるので、マスクはもちろん、消毒なども気を使っているところが多いみたいです。しかし、理容店は家族経営の店が多く、あきらかに“斜陽化”していますので、美容室のような経営努力もあまり行われていないような気がします。もとより、衛生管理においても、個々の店で大きな差があります。

たしかに、一律に休業要請というのは酷な面もあるように思いますが、ただ、杜撰な店があることも事実です。“斜陽産業”なので、おそらく同業組合もあまり機能していないのではないかと思います。

世の中には、「そんなの関係ないよ」「たいしたことないよ」と言って粋がるような、独りよがりで無神経で無知蒙昧な人間は一定数存在します。どこに行っても、必ずいるのです。

私は、東京都が理容店を休業要請の対象にしたことに対して、不謹慎な言い方ですが「よく気が付いたな」と思いました。
2020.04.09 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
シナリオどおりと言うべきか、緊急事態宣言が発令されました。

私たちは、この緊急事態宣言が民主党政権時代に作られた新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に基づいて発令されていることを忘れてはならないのです。つまり、フォーマットは民主党政権が作ったのです。民主党政権が悪夢であったことを、あたらめて思い知らされるのでした。

国民民主党が自公と保保大連立を組むのではないかという噂がありますが、もとよりそれは、「経団連労働部」とヤユされる連合の意向でもあるのでしょう。これは、国民民主党だけではありません。立憲民主党を含めた“保保保大大連立”の可能性さえあるのではないでしょうか。

“国難”を理由に、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党は、今回の緊急事態宣言の発令に対しても、「遅かった」と批判するくらいが関の山です。それも、一応野党なので、批判めいたことを言っているに過ぎないのでしょう。

立憲民主党は、特措法改正に賛成することで、党是であったはず(?)の立憲主義の旗もあっさりと降ろしたのでした。立憲民主党も、国民民主党と同様に改憲を主張していますので、今回の特措法改正に賛成したことで、“保保保大大連立”のハードルはいっきに低くなったと言えるでしょう。

今回の立憲民主党の選択を見るにつけ、自社さ連立に走り自滅への道を突き進んだ日本社会党と二重写しになって仕方ありません。それらに共通するのは、労働戦線の右翼的再編で生まれた連合の存在です。

たとえば、同党の辻元清美議員は、安倍首相を腐った鯛の頭と言ったのですが、その舌の根も乾かぬうちに、腐った鯛の頭に超法規的権限を与える特措法改正に賛成票を投じたのでした。これでは、安倍批判が単なるパフォーマンスだったのではないかと言われても仕方ないでしょう。実際に、安部批判すれば自己矛盾に陥ることがわかっているからなのか、最近はあまり目立った発言をしていません。自縄自縛とはこういうことを言うのでしょう。それは、ここに至ってもまだ、立憲民主党に随伴している自称リベラル派も同じです。彼らに安倍政権を批判する資格はないのです。彼らは、「アベ政治を許さない」というボードを掲げるのが好きですが、その前に「立憲民主党を許さない」というボードを掲げるべきでしょう。

緊急事態宣言が発令されたと言っても、通勤電車は、多少空いているものの、それでも肩が触れ合うくらいには混んでいます。相変わらず「電車の席に座ることが人生の目的のような人々」の席取り合戦も繰り広げられています。彼らは、他人との間に距離を保つなどどこ吹く風で、ただ欲望の赴くままに隣と密着する座席に向かって突進しているのでした。一方で、政府や自治体は、外出するな、3密を避けろと言います。でも、いちばん感染リスクが高い通勤電車は放置されたままなのです。口の悪い知人は、「最近の通勤電車はDQN率が高いな」と言ってましたが、たしかに車内の光景を見ると、そう言えないこともありません。

昨日の深夜、用事があって車で都内を走ったのですが、都心の繁華街は別にして、郊外の繁華街などでは結構酔っぱらいが歩いていました。また、某私鉄沿線の街では、作業服姿の若者のグループが路上に座り込んで酒盛りをしていました。粋がってやっているのでしょうが、こういったDQNから感染が「指数関数的に増えていく」(岡田晴恵氏)のかもしれません。

地元の商店街の人の話では、この土日は忙しかったそうです。都心の繁華街に行かない代わりに、地元の商店街に人が繰り出していたからです。

緊急事態宣言によこしまな政治的思惑が含まれている以上、こういった頭隠して尻隠さずのような現実があるのは当然でしょう。なによりろくに検査もしてないので、現在、どの程度の感染状況にあるのかという正確なデータも存在しないのです。だから、緊急事態宣言を発令する安倍首相の話に、精神論に依拠した曖昧な言葉が多かったのも頷けようというものです。私は、その前に自分の嫁さんを説教しろと言いたくなりました。

「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」であるという安倍首相の話について、岡田晴恵氏は、そのバックグランドにある数値を公表していただきたいとテレビで言っていましたが、感染者数をごまかすことしか考えてなかった政府に、バックグランドの数値などあろうはずもないのです。

Yahoo!ニュース
スポーツ報知
岡田晴恵教授、安倍首相の「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」との発言に「このバックグラウンドの数値を公開していただきたい」

日本の新型コロナウイルス対策は、あの戦争のときと同じように、精神論だけで、竹槍で敵機に立ち向かえと言っているようなものです。大震災に見舞われ未曾有の原発事故が起きても、元気をもらった勇気をもらったなどと言ってごまかしてきた日本の”無責任体系”(丸山真男はそれが日本のファシズムの特徴だと言ったのですが)が、ここに来ていっそう露わになった気がします。でも、新型コロナウイルスは、治療法も確立していない感染症なのです。震災や原発事故と違って、そんな空疎な精神論でごまかすことはできないのです。
2020.04.08 Wed l 社会・メディア l top ▲
新宿駅~高尾駅~上野原駅~石楯尾神社バス停(登山口)~三国山~【生藤山】~熊倉山~浅間峠~上川乗バス停~武蔵五日市駅

※山行時間:約6時間(休憩含む)
※山行距離:約10キロ
※標高差:638m
※山行歩数:約25,000歩
※交通費::3,274円

人によっては三頭山から高尾山までを「笹尾根」と呼ぶ人もいますが、厳密には三頭山から浅間峠までを笹尾根と呼ぶのが一般的なようです。その浅間峠より東側の尾根上で、前から気になっていた生藤山(しょうとうさん)に登りました。

私は、高尾山やその周辺の山には一度も行ったことはありません。このブログを読んでいただければわかるように、ひとりで山を歩くのが好きなので、あの人の多さは最初から選択肢に入ってないからです。

生藤山も、私の中では“高尾山グループ”の中に入る山のようなイメージがありました。実際に、(高尾山周辺の地理には疎いのですが)、生藤山から陣馬山や高尾山まで縦走する人も多いようです。

でも、実際に登ってみたら、“高尾山グループ”とはまったく別の山であることがわかりました。ちなみに、山で会った人たちの間では、陣馬山も非常に評判がよくて、私が“高尾山グループ”の話をすると、「高尾山とは関係なく行くことができるので、毛嫌いしないで一度行ってみたらいいですよ」「お勧めですよ」と言われました。

新宿駅から午前6時48分発のJR中央特快・高尾行きに乗りました。そして、高尾で中央線に乗り換えて、山梨県の上野原駅で下車しました。上野原駅は、駅舎が建て替えられたばかりのようで真新しく、駅前もきれいに整備されていました。Googleのストリートビューで見ると、バス停のある南口周辺は、以前は草ぼうぼうの原っぱだったようです。

上野原駅から「井戸」行きのバスに乗って、終点のひとつ手前の「石楯尾神社(いわておのじんじゃ)」というバス停で降りました。終点の「井戸」にも登山口はありますが、私は、「石楯尾神社」から登ることにしました。私が乗ったのは、8時32分発のバスでしたが、次は14時台しかありません。

バス停の係の男性に訊いたら、「井戸」行きのバスを利用するのはほとんどが登山客だそうです。しかし、今は平日だけでなく、土日も「ウソみたいに」乗客が少ないと言ってました。

今日、上野原駅から乗ったのは、私も含めて8人でした。彼らは、不要不急の外出は控えて下さいというお上の要請を無視して、弁解の余地のない不要不急の外出をしている不心得者です。

8人のうち6人は女性でした。いづれも2人連れが3組で、残りの男性は子どものように身体が小さい高齢者と年齢のわりに若作りの大男(私)の2人です。その中で、男性2人と女性1組の4人が「石楯尾神社」で降りました。あとの4人(女性2組)は、終点の「井戸」から登るようです。

「石楯尾神社」で降りた女性の2人連れは、60歳前後でどうやらどこかの登山グループに入っているみたいです。グループ内で計画されていた山行が、自粛ムードでことごとく中止になった話をしていました。計画されていた山行の責任者なのでしょう、「〇〇山の✕✕さん」というような言い方をしていましたが、「申し込んだけど、メールで中止の連絡が来て」と言っていました。

そうやって中高年のおっさんやおばさんたちが山を介してメールで連絡を取り合っているのでしょう。語弊があるかもしれませんが、なんだか気持が悪いなと思いました。単独行が好きな私には、まったく考えられない世界の話です。

生藤山の手前に、昔は三国峠(さんごくとうげ)と呼ばれていた三国山があり、三国山から生藤山までは10分くらいです。今回のルートの休憩ポイントは、甘草水(かんぞうすい)という湧き水がある地点と三国山、そして生藤山です。いづれもベンチ(と言っても3つか4つ)があります。バスで一緒だった人もほかのルートから登って来た人たちも、それらのポイントで休憩していました。

生藤山の手前には岩が剥き出しになった急登がありますが、それ以外は子どもの遠足でも使えるような、まったく危険な箇所もなく登りやすい道でした。今日は絶好の登山日和でしたので、峠を越えると木々の間から雪化粧した富士山を眺めることができました。三国山までのピストンなら、子ども連れのハイキングにはうってつけのルートだと思いました。

生藤山はヤマザクラで有名ですが、途中で会った男性の話では、桜の木は病気になってほとんど花が付いてないそうです。登山道を登り詰めた佐野川峠(ほかのルートから合流する)から甘草水の休憩ポイントまで一緒に歩いたのですが、「昔はこのあたりは桜並木だったんですよ」「この時期になると大勢の登山者で賑わっていましたよ」と言っていました。しかし、今は見る影もありません。

見ると、桜の木は手入れがされてないため、大きくなりすぎているように思います。これは桜に限らず、60年代から70年代に植えられたスギやヒノキは、その後、外国産の安い木材が入ってきたり、林業の人出不足などで、手入れがされず放置され荒廃した山も多いのです。

男性の話では、桜の時期は甘草水のベンチで「酒盛りが行われていた」そうです。

次の三国山や生藤山でも、休憩しているのはほぼ同じ顔触れでした。男性は単独で、女性は2人連れとその構成が決まっていました。そして、自然と自粛ムードの中で山に来た話になりました。

「休日は目立つので、出かけにくいですね」
「そうそう、平日なら通勤客に紛れることができるけど(笑)」
「でも、どうしても他人の目が気になって」
「それで、電車の中ではずっと寝たふりをしていましたよ(笑)」

みんな、そんな話をして盛り上がっていました。なんだか同類と会えて、ホッとしている感じでした。

上野原のバス停で、とっくに70歳をすぎているような女性の2人組(終点の「井戸」で降りた)が「これが最後と思って来ました」と言っていたので、私は、もう歳なので人生最後の山行で来たのかと思いましたが、どうやらそうではなく、緊急事態宣言の発令も近いので、そうなったら山に来れなくなるからという意味だったみたいです。なんだか新型コロナウイルス=戦争、緊急事態宣言=戒厳令のようです。社会を覆いつつあるこの全体主義の空気に、ファシストたちは、してやったりとほくそ笑んでいることでしょう。

生藤山からは、熊倉山などいくつかのピークを越えて浅間峠まで歩きました。浅間峠は、1月に笹尾根を歩いた際に登っています。今回は前回とは逆コースで、浅間峠から檜原街道の「上川乗」のバス停まで下りました。生藤山から先は誰にも会いませんでした。私にとってはこれ以上のない山行になりました。

考えてみれば、自粛ムードのあとの山では、ハイカーはまだしもトレランのランナーはすっかり姿を消しています。ハセツネカップという有名な大会のコースでもある今回の尾根でも、ひとりも会いませんでした。トレランの大会がことごとく中止になっているということもあるのでしょうが、トレランの人たちは権力に弱いヘタレな人間が多いのかと思いました。もとより、ブームに乗る(乗せられる)人間というのはそういうものかもしれません。

帰りは、いつもの五日市線・八高線・横浜線・東横線を利用して帰ってきました。最寄り駅に着いたのは午後6時をまわっていましたが、駅前のスーパーに寄ったらレジの前は勤め帰りのサラリーマンやOLで長蛇の列でした。店内の棚も空いているところが目立ちます。週が明けたばかりなのにどうしたんだろうと思ったら、明日、緊急事態宣言が発令されるというニュースが流れたことがわかりました。扇動され動員される人々(そういう役割を担った衆愚たち)の愚行がまたはじまったのです。これからは、彼らのようなミニ・アイヒマンたちによって、自粛を破った者たちに対するバッシング(不謹慎者狩り)がはじまるのでしょう。


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上野原駅南口

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石楯尾神社の隣にあった蠶影神社(こかげじんじゃ?)。蠶は蚕(かいこ)のことで、要するに養蚕業が盛んだった頃のお蚕さんを奉る神社のようです。尚、石楯尾神社は、日本武尊の東征に関連したこの地方ではよくあるおなじみの神社です。

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登山口までの車道。

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麓の集落には至る所に春の花が咲いていました。

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登山口。

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祠。ここでもお賽銭をあげて手を合わせました。

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登山道。

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『山と渓谷』の付録の「山の花ポケット図鑑」を持って行きましたが、ページを開くことはなかった。

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佐野川峠に到着。

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佐野川峠道標。

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本家の笹尾根よりこっちの方が笹が多い。

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甘草水の休憩ポイント。

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ここから生藤山の山頂までは富士山を見ることができます。

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甘草水の休憩ポイントにあった桜の花。

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甘草水の謂われ。甘草水も、日本武尊が東征の際、喉の渇きを潤したとかいった謂れがあるそうです。ウソばっかりと心の中で呟いている自分がいました。

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三国山。ここにも休憩ポイントがあり、上の生藤山が狭いので、三国山で昼食を食べる人もいました。

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生藤山。狭い山頂にベンチが4つありました。団体が登って来たら一般の登山者はさぞ迷惑でしょう。生藤山や三国山では、地元の登山者から口頭で山座同定をしてもらいました。そのため、お喋りばかりしていて写真を撮るのを忘れてしまいました。

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三国山から浅間峠(せんげんとうげ)に向けて歩きます。以後、誰にも会わず文字通りの単独行。

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最初のピーク軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)の元宮。別名・軍刀利山。軍刀利神社も日本武尊に由来する神社だそうです。関東一円にある日本武尊の東征神話は、朝鮮半島からの渡来人(日本式で言えば帰化人)による日本制圧の英雄譚です。

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次のピークが見えてきた。

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熊倉山。

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さらに登り返しが続き、次のピークが見えてきた。

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名もなきピークの道標。

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登ったり。

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下ったり。

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栗坂峠。

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栗坂峠からはもっぱら下りになります。

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そして、最後のポイント浅間峠が見えてきた。

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浅間峠。3ヶ月ぶりです。ここでリュックを降ろして、食べ残していたパンを食べました。

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足元には、新緑が芽吹いていました。ウグイスも鳴いていました。「春だったね」という吉田拓郎の歌を思い出しました。

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あとはひたすら下るだけです。生藤山の道に比べると、傾斜が大きい。

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ここでもお賽銭をあげて手を合わせました。

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木道を渡ると登山道は終わりです。

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上川乗バス停。バスを待っていると、2人のハイカーがやって来ました。反対側の浅間領から下りてきたのだと思います。
2020.04.06 Mon l l top ▲
既に朝日なども記事にしていますが、アメリカ大使館は、4月3日にホームページ上で、「幅広く検査をしないという日本政府の決定によって、新型コロナウイルスの有病率を正確に把握することが困難になっている」として、「現在一時的に日本に滞在しているアメリカ人は、無期限に日本に滞在する用意がない限り、直ちに帰国準備をすべきである」という文書を掲載し、早急な帰国を強く促したそうです。

アメリカ大使館は、日本国内で言われていることとはまったく逆に、日本は検査をせずに「有病率を正確に把握する」ことができてないので、医療崩壊が起きる可能性があると言っているのでした。

Yahoo!ニュース
在日アメリカ大使館、日本の新型コロナ検査不足を指摘「有病率を正確に把握するのは困難」

何度も言っていますが、これが世界の常識なのです。しかし、日本の社会では世界の常識が通用しないのです。それが、日本を「カルトの国」と呼ぶゆえんです。「ニッポン、凄い!」の自演乙が、ここまで日本を歪んだ国にしてしまったのです。

ただ、総理大臣が稀代の嘘つきで無能であっても、メディアが「王様は裸だ」とちゃんと言えば、ここまで歪んだ国にはならなかったはずです。

それは、メディアに登場する専門家も同様です。彼らは、PCR検査をのべつまくなしにすると、医療崩壊を招くので、“検査至上主義”は危険だという偽イデオロギーを振りまいていますが、しかし、医療崩壊の前は、新型コロナウイルスは風邪と同じようなものなので、検査の必要はないと言っていました。まだワクチンも開発されてないのに、そんなことを平気で言っていたのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨなども、口真似して同じことを言っていました。

ところが、欧米で感染が拡大し深刻度を増してくると、今度は医療崩壊を招くからと言い出したのでした。彼らは、そうやって政府の方針に盲従するだけの曲学阿世の徒にすぎないのです。

一方、「のべつまくなしに検査をしている」韓国に対しては、検査のやりすぎで医療崩壊が起きて、取り返しの付かない状態になっていると言っていました。ところが、最近は感染者数の増加が収まり、早期の抑え込みに成功したと言われて、韓国の取り組みが高く評価されているのでした。すると、あろうことか、あの嫌中憎韓を社是とする(?)産経新聞までが、韓国の対応に対して好意的な記事を書いているのでした。昨日まで、口を極めて罵っていたのがウソのようです。

産経新聞
韓国、シンガ、台湾…スピード最優先で新型コロナ押さえ込み

やっぱり、韓国や中国のやり方が正しかったということなのでしょう。と言うか、そんなことは最初からわかっていたことで、単に日本が特殊だっただけの話です。検査数を抑えて、感染者数を少なく見せていただけなのに、「日本は封じ込めに成功している」「ニッポン、凄い!」と自演乙していたのです。

専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)も、最近は従来の見解を見直すような言い方に変わっていますが、そのうち原発と同じように、「想定外」だったと言い出すのかもしれません。

専門家会議と言っても、所詮は政府の方針にお墨付きを与える茶坊主の集まりにすぎないのです。しかし、そうは言っても、彼らはれっきとした専門家です。専門家として、検査数を抑えることにお墨付きを与えて、アメリカ大使館が指摘しているように「有病率を正確に把握することが困難」な状態にした責任は極めて大きいと言ねばなりません。

森三中の黒沢かずこの感染に関連して、メンバーの大島美幸の夫の鈴木おさむが、Twitterで次のように呟いていたそうです。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
鈴木おさむ氏、感染の黒沢「粘って頼みこんで検査」

(引用者:黒沢は)味がしないという症状が出て、先週の木曜日26日から、自宅待機で仕事休んでます。しかも、病院行っても、検査してくれなくて、粘って粘って、頼みこんで、やっと今週水曜日検査してくれたんです!なかなか検査してくれない!これが怖い!


まだこんなことやっているのかという感じですが、いづれにしても、日本は「有病率」や正確な感染者数を把握できないまま、感染爆発を迎えることになるのです。それは、WHOの言い方を借りれば、目隠ししながら火を消すようなものでしょう。そうやって私たち国民の健康がなおざりにされているのです。検査を受けることもできず、自分が感染しているかどうかもわからないのに、人に感染させるので(あるいは人から感染されられるので)外出するなと言われ(そのくせ満員電車は放置され)、感染爆発したら命の選別が行われるかもしれませんよと言われているのです。

それは、現状を正確に把握してないのに、早く緊急事態宣言を発令しろと官邸を突き上げているメディアや野党も同罪でしょう。彼らは、稀代の嘘つきで無能な総理大臣に、超法規的な権限を早く行使しろと言っているのです。それこそ、竹槍でB29に立ち向かうしかないのに、早く戦争をしろと東条内閣を突き上げた79年前を彷彿とする挙国一致の光景と言えるでしょう。私たちは、現在(いま)、田中慎弥が『宰相A』で描いたディストピアの世界の中にいるのです。音楽やスポーツで元気や勇気を貰っても、ウイルスには糞の役にも立たないのです。
2020.04.05 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
先月の17日に映画評論家の松田政男氏が亡くなっていたことを知りました。享年87歳だそうです。

私は、若い頃、映画が好きで、中でも独立系と言われる映画をよく観ていました。大学受験に失敗して、東京で浪人生活を送るべく九州から上京して高田馬場の予備校に入ったものの、予備校には行かずアテネフランセの映画講座に通っていたくらい、一時映画にのめり込んでいました。

それで、映画の上映会などで松田政男氏の話を聞く機会も何度かありました。また、松田氏が編集長を務めていた『映画批評』を愛読していましたので、氏が書いた映画批評もよく読んでいました。

にもかかわらず、松田氏が「映画評論家」と呼ばれていることには、ずっと違和感がありました。「映画評論家」というのは”仮の姿”のように思えてならなかったからです。

以下は、書評誌「週刊読書人」のサイトに書かれていた松田氏の履歴です。

一九三三年一月十四日、旧植民統治下台湾・台北市で出生。一九五〇年の日本共産党入党後から職業革命家として活動し、六〇年安保には吉本隆明らとともに六月行動委員会の一員として反対運動に加わった。その後、自立学校の設立運営、ベトナム反戦直接行動委員会に関わったのち、東京行動戦線やレボルト社などを主導、『世界革命運動情報』などを発行した。そのかたわら、五〇年代末から未來社、現代思潮社などで埴谷雄高、吉本隆明、宮本常一などの著書を編集、独立後は第二次『映画批評』を創刊、編集長をつとめた。

週刊読書人ウェブ
追悼 松田政男


松田氏は、アナキストとしても知られており、私が高校生の頃だったか、日本赤軍との関係を疑われてフランスのパリで身柄拘束され、フランス政府から国外退去処分を受けたという事件がありました。帰国後、今のテレビ朝日がNET(日本教育テレビ)と名乗っていた頃の昼のワイドショーの「アフタヌーンショー」に出演して、国外退去が不当だと訴えていたのを観た覚えがあります。そのとき、私は、大正時代に同じようにフランス政府から国外退去処分を受けた大杉栄みたいだなと思ったものです。

松田氏の話を聞くと、長年さまざまな運動に関わっていただけにアジテーターの側面もありました。

松田氏は、いわゆる「風景論」の論客としても有名ですが、制作に関わったドキュメンタリー映画「略称・連続射殺魔」(1975年)で喝破したような風景の均質化(松田氏の言う「風景の死滅」)は、今日の散々たるあり様を見れば、今更言を俟たないでしょう。それは、とりもなおさず社会の均質化(画一化)を意味するのです。

新型コロナウイルスの猛威で、社会が瞬く間にネオ全体主義のような様相を呈し、まるで田中慎弥の『宰相A』の世界を再現したかのように、「子どもっぽい」総理大臣に超法規的な権限まで与え、挙句の果てにはマスクを配れば「不安がパッと消えます」という茶坊主の進言で、200億円(追記:その後466億円だったことが判明)の税金を使って各家庭に布製マスク2枚を配布するという、日本中が我が目を疑ったような方策まで登場したのでした。でも、発表する本人は得意満面で、見事なまでのバカ殿ぶりを演じているのでした。これが、均質化(画一化)の光景なのです。

風塵社という出版社のブログに、松田氏に関して次のような文章がありました。

(略)そんなある日の夕刻、M翁と二人で某所を歩いていたら、前方からおしゃれで可愛らしい感じの老婦人がこちらに向かってくる。そして、M翁に気づいたその女性が「あらぁ~、Mさん、お久しぶり~」なんて気さくに声をかけてきた。そのなにげない仕草が、なんとも色っぽい。エー、だれやろと見れば、あの吉行和子さんなのだ。小生、腰が抜けそうになる。しかもM翁、「ああ吉行さん、どうもご無沙汰で」なんて平然と応えている。M翁の語る武勇伝にも少しは真実が交じっていたんだなと感じた瞬間であった。

風塵社的業務日誌
追悼M翁


車で板橋区役所の先の中山道を走っていると、歩道橋に「北園高校入口」という文字が見えるのですが、そのとき「松田政男の母校はここなんだな」と思ったことがありました。

松田氏の文章は、「あだしごとはさておき(閑話休題)」という“接続語”が使われているのが特徴ですが、「あだしごとはさておき」と言いながら、半ば強引に語られる作品の”今日的意味”なるものも、よく考えれば氏なりのアジテーションであったように思います。

“新左翼文化”がまだ残っていたいい時代が生んだ、頑固おやじのようなアジテーターがまたひとりいなくなったのです。


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2020.04.03 Fri l 訃報・死 l top ▲