25日、ディエゴ・アルマンド・マラドーナが心不全により自宅で亡くなったそうです。まだ60歳でした。早すぎる死と言うべきでしょう。

マラドーナに関しては、サッカー界の偉大なレジェンドという以外に、さまざまなスキャンダルによって、私たちにはヒール(悪童)のようなイメージもあります。

しかし、ラテンアメリカでは、どんなにスキャンダルに見舞われようとずっと変わらず英雄でした。現役時代も現役を引退してからも、ラテンアメリカの民衆から熱狂的な支持を得ていたのです。

ラテンアメリカの民衆にとって、マラドーナの死は文字通り「巨星堕つ」という感じなのではないでしょうか。

私は、ちょうど10年前の2010年、代表監督としてアルゼンチンを率いて出場した南アフリカワールドカップの際に、マラドーナが「ラテンアメリカの民衆から熱狂的に支持されるもう一つの理由」について、下記のような記事を書きました。


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2020.11.26 Thu l 訃報・死 l top ▲
昨日、仕事関係の知人に会ったらやけに元気がないのです。「どうしたんですか?」と尋ねると、身体の調子が悪くてずっと仕事を休んでいたと言うのです。

彼は、数年前に脳出血で入院したのですが、そのときの後遺症で未だに半身にしびれが残っているそうです。見た目にはわからないのですが、本人にとってはそれが憂鬱の種のようでした。

その脳出血に由来することかと思ったら、そうではなくて「ヘルニアが再発した」と言うのです。ヘルニアとは初耳でしたが、なんでも10数年前に発症して、そのとき手術を勧められたけど症状が治まったのでそのままにしていたのだそうです。

首の後ろが痛いと言っていましたので、頚椎椎間板ヘルニアだと思います。しかも、ヘルニアの影響なのか、半身の痺れもひどくなり、最近は字を書くのもままらななくなったと言っていました。

彼は、離婚してひとり暮らしです。お父さんとお母さんも既に亡くなっています。昔はお父さんが会社を経営していたらしく、一人っ子だった彼はおぼっちゃまとして大事に育てられ、有名な私立の学校も出ています。某女性タレントとも幼馴染だそうで、学校でも幼稚園のときからずっと一緒だったそうです。彼女はタレント同士で結婚したのですが、夫が前に結構大きなスキャンダルに見舞われたことがありました。そのときも、実際は話が全然違うのにと嘆いていたそうです。そんな話を彼から聞いたことがありました。

しかし、お父さんの会社が倒産して状況は一変します。それが原因なのかどうか、離婚しそれまで勤めていた会社も辞めたのだそうです。

私が知り合ったのは今の会社に転職したあとで、お母さんは既に亡くなり、お父さんと二人暮らしをしていました。しかし、お父さんが認知症になったため、世話するのに苦慮していました。それで、介護施設に入所させたのですが、ほどなくお父さんが亡くなったのでした。

たまたま私もよく知っている病院で亡くなったのですが、葬儀会社に搬送を頼み、彼だけが立ち会って都内の火葬場で荼毘に伏したそうです。荼毘のあとは、自分の車で遺骨を霊園まで運び、自分で納骨しようとしたけど、霊園の決まりで専門の指定業者でないと納骨できないと言われ、仕方なくその業者に頼んで納骨したのだそうです。「ただ墓石を動かして骨壺を入れるだけなのに4万円も取られたよ」と言っていました。

離婚したとき、死にたいと思って何度も駅のホームの端に立ったことがあったそうですが、やはり死ぬ勇気がなかったと言っていました。一人娘がいて、もう成人式も迎えたはずだと言っていましたが、離婚してから一度も会ったこともなく、どこに住んでいるのかもわからないのだそうです。「池袋や新宿を歩いていると、ばったり出くわすんじゃないかと思うことがある」と言っていました。

そんな彼が、またひとつ憂鬱の種を抱えることになったのです。決してオーバーではなく、神様はなんと無慈悲なんだろうと思いました。自分の身体がままならないということほど憂鬱なことはありません。病気だけではありません。怪我や離婚や失業などのアクシデントに見舞われ、人生が一変するのはよくあることです。私たちの日常はかくも脆く儚いものなのです。

別の年上の知人の姿が見えないのでどうしたのか訊いたら、彼もまた手術して入院しているということでした。みんな詳しくは知らないみたいですが、どうやら内臓のガンのようです。彼の場合、再雇用の嘱託なので、このままフェードアウトするんじゃないかなと言っていました。彼もまた独り者なのでした。子どもがいなくて奥さんと二人暮らしだったのですが、奥さんは10数年前にガンで亡くなり、以来ひとり暮らしをしていました。最近は、電話しても出ないので、どうなったかわからないと言っていました。

会社と言ってもその程度なのです。昔のように世話を焼いたり心配したりすることもないのです。もうそんな濃密な関係ではないのです。だから、よけい孤立感は深まるでしょう。

今までこのブログでも、孤独死した女性の話を何度か書いてきましたが、先日もまた同じような話を聞きました。30代の女性なのですが、何故か身寄りがなく福祉事務所からの依頼で転院してきたそうです。不治の病気だったそうで、数ヶ月入院して亡くなったということでした。

身寄りがなかったら、葬祭扶助を受けて無縁仏として葬られるしかありません。入院する際に持ってきた僅かな遺品を整理していたら、免許証が出て来たそうです。でも、免許証も3年前だかに有効期限が切れたままだったとか。

免許証の写真は、入院中には見たこともないような笑顔だったそうです。免許証を取得して未来に心を弾ませ、仕事に精を出していたときもあったのでしょう。もちろん、お父さんやお母さんと一緒に暮らしていた時期もあったかもしれません。それがどうして30代の若さで、身寄りもなく、孤独に死を迎えなければならなかったのかと思います。どんな思い出を胸に旅立ったんだろうと思いました。

この社会では、労働して(労働力としてみずからを資本に売って)その対価としての賃金を得て、それで生活し、さらに労働力としてみずからを売るという「労働力の再生産」の過程のなかに、私たちの人生は存在しています。それには健康な身体が前提です。その前提が崩れると、途端に再生産のレールから外れ、生活だけでなく人生も立ち行かなくなるのです。

それはちょっとしたはずみやちょっとした違いやちょっとした運にすぎません。私たちの生活や人生はかくも脆く儚いものなのです。「人間らしい」とはどういうことだろうと思わずにはおれません。そして、明日は我が身かも知れないとしみじみ思うのでした。


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2020.11.25 Wed l 日常・その他 l top ▲
最近、老眼鏡をかけないと本を読めないということもあって、本を読む時間が少なくなっていました。しかし、そうなればそうなったでこれではいけないと強く思うのでした。本を読むことだけが自分の取り柄みたいなところがありますので、これで本から遠ざかったら何の取り柄もなくなってしまうじゃないか、と自分に言い聞かせているもうひとりの自分がいます。

若い頃は、2~3冊の本を同時に読んだりしていました。むしろ、それが当たり前でした。でも、今はそういう芸当もできなくなりました。年を取ると知識欲も減退するのか。しかし、それでは知性に敵対する元学ラン剃りこみ応援団員のどこかの国の総理大臣と同じになってしまいます。それではいけないと思って、本を買って来て自分で読書週間を設け、みずからを鼓舞して読み始めているところです。

買ってきたのは、仲正昌樹『人はなぜ「自由」から逃走するのか』(ベストセラーズ)、斎藤幸平編『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への分岐』(集英社新書)、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)、崔実『pray human』(講談社)の4冊です。

斎藤幸平は、今、話題のベストセラー『人新世の「資本論」』の著者で、久々に若手の左派の論客が登場したという感じです。世界が中世に逆戻りしているかような今の状況のなかで、なんだか“期待の星”にすら思えるのでした。

『未来への分岐』は、マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソンという世界的に著名な”左派“の論客と対談した本ですが、そこで語られているのは、「『上からの』共産主義、スターリン主義とは異なる、社会運動に依拠した『下からの』コミュニズム」(あとかぎ)を志向する、マルクスを現代風に解釈したエコロジカルで斬新でラジカルな革命論です。

まだ読み始めたばかりですが、『未来への分岐』のマイケル・ハートとの対談で、斎藤は次のように言っていました。

斎藤 (略)本来なら、カリスマ的なリーダー探しをするのではなく、現実の社会問題に地道に取り組む社会運動をいかに政治的な勢力に変容させるかを模索すべきだし、そうして生まれた政治的な勢力が、運動とのつながりを断ち切らないようにするにはどうしたらよいか、を考えるべきでしょう。
しかし、リベラル派はそのような思考をめぐらすことはせず、安倍に対抗できるくらい強力な政治権力をもつことによって――ただし今度は「立憲主義」の理念のもとで――社会変革をするのが、効率的な対抗戦略であると信じて疑わないのです。そして、主戦場はいつも選挙政治と政策提言になっていて、「投票に行こう」がリベラル派のお題目になってしまっています。


最近の社民党の立憲民主党への合流(吸収?)と重ね合わせて考えると、“愚劣な政治”はなにも右派の専売特許でないことがよくわかります。斎藤も本のなかで言っていましたが(私もこのブログで何度も書いていますが)シリザもポデモスもSNPも、そして、バーニー・サンダーズも、みんな社会運動のなかから生まれたのです。社会運動の基盤があったからこそ、あれほどの政治勢力になり得たのです。

社民党の立憲民主党への合流=実質的な消滅は、社会運動を放棄し、社会運動の基盤を否定するものです。社会運動の基盤を担う”戦う左派”を解体して、野党を中道保守の”戦わないリベラル”に糾合する「選挙政治」の最たるものと言っていいでしょう。言うまでもなくそれは、二大政党制という政治の翼賛化に通底する行為でもあります。そんなリベラル派に何が期待できるのでしょうか。

また、4年の沈黙を破って発表した途端に三島由紀夫賞の候補になった、崔実の『pray human』も楽しみです。眠れない夜など、この弛緩した感性がゆさぶられるようないい小説を読みたい渇望感に襲われることがあります。本を読んでよかったなと思えるような本に出会いたい、そんな干天の慈雨のような本に出会いたいと切に思うことがあります。


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2020.11.24 Tue l 本・文芸 l top ▲
今日、アメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」に、柳美里の『JR上野駅公園口』が選ばれたというニュースがありました。

朝日新聞デジタル
柳美里さんに全米図書賞 「JR上野駅公園口」英訳版

トランプの狂気が覆うアメリカ社会に、まだこういった小説を選ぶようなナイーブな感性が残っていることになんだかホッとさせられました。

格差社会によってもたらされたネトウヨ化やヘイトの蔓延は、日本も例外ではありません。もはや、他人(ひと)の振り見て我が振り直す“余裕”すらなくなっているのです。

海外旅行が趣味だという若者が、「日本人は外国人に比べて冷たい」「恥ずかしがり屋だとかいうのはウソで、そうやって冷たい自分たちを誤魔化しているだけなんだと思う」と言っていましたが、『JR上野駅公園口』が描く居場所のない人間のやり場のない哀しみこそ、「冷たい」日本人の心に向けて放たれた矢なのだと思います。

『JR上野駅公園口』が日本よりアメリカの文学界で評価されているという現実も、宮台真司の言う日本社会の「感情の劣化」を表しているように思えてなりません。


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柳美里『JR上野駅公園口』
2020.11.19 Thu l 本・文芸 l top ▲
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池袋駅~飯能駅~名郷~【天狗岩】~名郷~飯能駅~自由が丘駅

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約7キロ
※標高差:530m
※山行歩数:約17,000歩
※交通費:3,584円


悪夢のような蕨山から3ヶ月、一昨日、再び名郷に行き、今度は武川岳に登りました。と正確に言えば、武川岳には登らずに途中の天狗岩で引き返しました。ただ、最初からその計画でした。

名郷から飯能駅に戻るバスは、14時28分のあとは17時01分まで便がないのです。この時期、17時と言えば既に暗くなっています。前の蕨山のときも、14時28分のバスに乗り遅れましたが、今回の武川岳は蕨山より山行時間が長いので、14時28分で帰るのは最初から無理な相談です。それで、14時28分のバスに合わせて、天狗岩で引き返すことにしたのでした。

それにしても、名郷のルートは私にとって鬼門です。と言うのは、棒ノ折山のときも、蕨山のときも、そして今回も、いづれも一睡もしないで出かけたからです。何故か、特に理由もなく、名郷に行くときはいつも眠れないのでした。

睡魔に襲われながら、途中で山に行くのはやめようかと何度も思いましたが、そう思いながら電車は飯能駅に着きました。しかも、飯能駅に着くまで、どの山に登るかという計画もまったくありませんでした。

前から何度も言っているように、奥武蔵(埼玉)や奥多摩(東京)で日帰りで行ける山はほぼ行っているので、いくら考えても行く山が思いつかないのでした。高尾山や陣馬山や高水三山などはまだ行っていませんが、そういった人の多い(特におばさんが多い)山は私のリストでははじめから除外されているのでした。

飯能駅には7時に着きました。飯能から秩父線に乗り換えて沿線の山に登るか、それともバスに乗って名郷に行くか、駅のホームに降りた時点でもまだ迷っていました。秩父線の電車は7時40分だかに出ます。名郷行きのバスは7時45分です。

ホームのベンチに座って思案した結果、上記のとおり武川岳の天狗岩に行こうと思い至ったのでした。岩登りが面白いので、天狗岩の岩がどんな感じなのか、見てみたいという気持がありました。それで、スマホで登山届を作成しながら駅の改札口を出たのでした。

バスの発車まで時間があったので、バス停の前にある吉野家で朝食を食べました。吉野家で朝食を食べるのは4~5年ぶりでしたが、前のしょぼい朝食と違って見違えるようにバージョンアップしていたのには驚きました。

吉野家を出たあと、バスの時間までまだ少しあるので、バス停から少し離れたところでバスを待っていました。バス停には、既にザックを背負った初老の夫婦が立っていました。と、突然、駅の階段からどどっと中高年のおばさんの一団が下りて来たのでした。「これはやばい」と思って、あわててバス停に並びました。おばさんたちは10人は優に越える団体でした。めずらしくおばさんだけで、男性はひとりもいません。おばさんたちは、ご多分に漏れずテンションが高く、バスのなかでもワイワイガヤガヤ姦しい限りでした。ソーシャルディスタンスなどどこ吹く風です。

バスは8割がた埋まっていましたが、通勤客は数人であとはハイカーでした。それも若者はひとりもいません。見事なほど中高年ばかりです。通勤客は、途中の中学校前などで降りて、あとは完全な登山バスになりました。45分くらい走ると、棒ノ折山の登山口の最寄りのバス停に到着しました。そこで団体のおばさんたちやほかの大半のハイカーも降りて行き、バスのなかはやっと静かになりました。

残ったのは、一番前に並んでいた初老の夫婦と高齢の男性ハイカー、それに私だけです。みんな、当然終点の名郷まで行くんだろうと思っていました。

ところがしばらく進むと、突然、高齢の男性のハイカーが降車ボタンを押したのでした。こんなところで降りてどこに行くんだろう?と私は思いました。すると、男性のハイカーは、料金を払う際、「さらわびの湯はどう行けばいいんですかね?」とバスの運転手に尋ねていました。運転手は、「先程団体さんが降りたでしょ。あそこにさわらびの湯があるんですよ。朝の便は中まで入って行かないですよ」と答えていました。男性は、「そうですか。じゃあ歩いて戻るしかないですね」と言って、如何にも重そうなザックを背負ってバスを降りて行きました。

終点の名郷は、団体が降りたバス停からさらに20分くらい進んだところにあります。蕨山のときはバス停の手前の橋を渡りましたが、武川岳はバス停の先の林道を進みます。一緒にバス停で降りた初老の夫婦も、同じ林道を歩いていました。やはり武川岳に登るのかと思いましたが、武川岳の登山口の方には曲がらずに、キャンプ場がある方へそのまま進んで行きました。それ以後はまったくの単独行でした。行きも帰りも誰にも会いませんでした。

民家が点々と建っているあたりを進み、二度ほど林道を横切り、急階段を登ると、武川岳の登山道に入りました。あとは樹林帯のなかをひたすら進みます。途中、結構な急登もあり、息が上がりました。

今回は、ハードなシャンク(ソールの芯)が入った重い登山靴を履いて来たので、アスファルトの道を歩いて来た時点で既に足の脛が疲労しているのがわかりました。靴底も固いので、足裏も痛くなります。

最近の山行では、コロナの“巣ごもり消費”で買ったノースフェイスのトレッキングシューズを履いていましたが、石や岩が多い道を歩いていると、足を捻ることがありました。登山靴とスニーカーの中間のような、靴底がやや柔いトレッキング用の靴なので、石や岩が多い道だとどうしても左右にぶれるのでした。足を捻るのは怖いことです。捻挫でもしたら歩けなくなってしまいます。まして、私は、いつもひとりだし、あまり人がいない山を歩くことが多いので、へたすると遭難になってしまいます。

それで今回は「本格的な登山にも適している」と謳われているハードなシャンクの入った靴を履いて来たのでした。ただ、その分足の疲労度が増すのは仕方ありません。

天狗岩にはバス停から1時間半くらいで着きました。一昨日は半袖でも充分なくらい、秋晴れの暖かな天気だったので汗びっしょりになりました。水もペットボトルを3本持って来たのですが、それでも足りないほどでした。

天狗岩は、「結構な」という言い方が適しているような岩場でした。蕨山のそれとは比較にはならないほどです。「上級者向け」という看板が出ていましたが、上級者というのはオーバーにしても、初心者には少し難度が高いかもしれません。標高差は約80m、距離が約230mの岩場だそうです。かなり斜度の高い登りもありました。足を滑らせると大きな怪我になる可能性もあります。特に下りは慎重を要しました。岩に正対して下りた方が安全な箇所もありました。今の時期は、岩に積もった枯葉の上に不用意に足を置くとずるっと滑るので、神経を使いました。

天狗岩からは、40分くらいで前武川岳に行けます。さらに前武川岳から20分で武川岳の山頂に着くそうです。まだ時間的には余裕があったので、前武川岳まで行こうかと思ったのですが、昼食も持って来てなかったので、余裕をもって早く下りることにしました。

麓から山の中まで紅葉がまだ残っており、色鮮やかな秋の山を堪能することができました。天狗岩の頂上の岩に座って、行動食の羊羹と饅頭を食べながら、断崖に広がる紅葉を眺めてしばらく休憩しました。

帰りは、途中寄り道をしたりしてゆっくり下りたので、1時間ちょっとかかりました。名郷のバス停に着いたのは12時半すぎで、バスの時刻表を見ると、13時28分のバスがあることがわかりました。前武川岳までの往復の時間を考えると、あのまま前武川岳まで行ったら、14時28分のバスにはギリギリ間に合うかどうかです。天狗岩で引き返したのが正解だったなと思いました。それに、時間を気にして急かされて歩くより、こうしてゆとりを持って歩いた方が山を満喫できていいなあと思いました。

名郷バス停には、登山者用の駐車場(1回500円)もありますが、朝停まっていたのは1台だけでした。しかし、帰る頃には7~8台停まっていました。ほとんどは蕨山方面に登っている人たちなのでしょう。

始発の名郷からバスに乗ったのは私だけでした。まだ午後の早い時間なので、いつも行列ができているさわらびの湯からも、数人ハイカーが乗っただけでした。しかし、途中から一般客が増えて、飯能の街に入る頃には立っている乗客もいたくらいでした。

いつもだと東飯能から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰るのですが、まだ時間が早かったので、飯能駅から特急の「横浜・中華街行き」に乗り、自由が丘で各駅停車に乗り換えて帰りました。最寄り駅に着いたのは、16時半すぎでした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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飯能駅北口バス停(右が吉野家)

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名郷バス停

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武川岳の登山口がある林道へ向かって歩きはじめる
前を行くのが初老の夫婦ハイカー

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既に名郷のバス停から1キロ歩いた

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林道から近道の階段を登る

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階段の上にあった紅葉

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登山道みたいですが、もう一度林道に出ます。

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8月に散々な目にあった蕨山

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再び林道に出てもう一度階段

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階段の上はロープが張られているほどの急坂

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ここから実質的な登山道
巻道が正解で、直登の「上級者向け」は現在死んでいます(採石場に迷い込むみたいです)。

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最初はゆるやかな巻道でした。

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やがて直登になり、息が上がりました。

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登って来た道を見下ろす

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登った先は採石場の金網
石を砕く音が間断なく聞こえていました。

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途中、登山道の右上に岩場がありました。天狗岩と間違えるみたいですが、天狗岩ではありません。でも、岩に登ってみました。

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岩の上を歩きました。

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同上

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岩場が終わり、登山道と合流してしばらく歩くと、目的の天狗岩に着きました。

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ザックをデポして、カメラとサコッシュ、それにズボンのポケットにペットボトルを入れて登りました。

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同上

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同上

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同上

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下る際はこのピンクテープが目印になりました(ピンクテープはホントにありがたい)。

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岩と岩の間に落葉が積もっているので注意です。

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同上

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天狗岩の上にある紅葉

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岩の上から見える紅葉

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天狗岩頂上の標識

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前武川岳に向かう道

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岩の横の断崖にある紅葉

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岩を下る途中

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同上

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同上

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麓に下りるとススキが風に揺れる風景も見ることができました。田舎の通学路でいつも見ていた風景です。

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入間川沿いにある大鳩園キャンプ場
テントが一張ありました。

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川岸の紅葉

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林道の上にあった小さな神社
お賽銭をあげてお参りしました。
2020.11.18 Wed l l top ▲
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東京駅~佐久平駅~高峰温泉~【水ノ塔山】~【東篭ノ登山】~池の平~高峰温泉~新宿バスタ

※山行時間:約4時間(休憩含む)
※山行距離:約8.3キロ
※標高差:320m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:10,410円


昨日、東篭ノ登山(ひがしかごのとやま・2228m)に登りました。東篭ノ登山は、長野県(東御市)と群馬県(嬬恋村)の県境にある山です。近くには、知名度の高い黒斑山(くろふやま・2404m)があり、どちらかと言えば、黒斑山の陰に隠れたような存在の山です。

当初、黒斑山に登ろうかと思ったのですが、私がいつも参考にしている登山サイトで調べたら、黒斑山に比べて水ノ塔山(2202m)と東篭ノ登山をミニ縦走した方がコースタイムが長いみたいなので、水ノ塔山経由で東篭ノ登山に登ることにしたのでした。

と言うのも、帰りは登山口のある高峰温泉から出ているバスタ新宿行きの高速バスに乗る予定で、そのバスの出発時間が16時17分なのでした。行きは高速バスだと到着が午後になるので、新幹線で行きました。新幹線だと、駅からバスを乗り継いで登山口に到着するのが9時半すぎです。それから登ると、黒斑山だと下山が13時前になります。ホテルが1軒あるとは言え、バスの出発まであまりにも時間が余ります。まだしも東篭ノ登山の方が待ち時間がいくらか少なくなると思ったのでした。

それともうひとつは、登山者が少ない東篭ノ登山で、久しぶりにゆっくり山を歩きたいという気持もありました。

東篭ノ登山も黒斑山も、浅間連峰に属する浅間山の外輪山です。ちなみに、浅間山は昨年11月の噴火に伴い現在噴火警戒レベル2に指定され、火口周辺は入山規制されています。また、火口から2キロ以内は噴火時の噴石や火砕流の警戒が今も呼びかけられているそうです。地元の人は、「今の予報官は慎重な人なので、警戒レベルの解除には時間がかかるのではないか」と言っていました(各山に担当の予報官がいるとは知りませんでした)。

行きは、東京駅6時28分発の北陸新幹線はくたかで長野県の佐久平駅まで行きました。

佐久平駅から8時25分発の高峰温泉行のバスに乗車し、約1時間で終点の高峰温泉に到着しました。バス停のすぐ横に東篭ノ登山の登山口がありました。黒斑山の登山口はひとつ手前の高峰高原ホテル前のバス停にあります。もっとも、二つのバス停は数百メートル離れているだけです。

佐久平駅からバスに乗ったのは私を含めて二人だけでした。ひとつ先の小諸駅からさらに一人乗り、乗客は三人になりましたが、二人はいづれも途中で降りたので、以後乗客は私ひとりだけでした。バス料金は先払いで1470円でした。ちなみに、帰りの高速バスはGoToキャンペーンが適用されたらしく2200円でした(ネットで予約した際初めて知り驚きました)。高速バスは、佐久平駅までは路線バスを兼ねていましたので、2200円から1470円を引くと、佐久平駅から新宿までは730円の計算になります。新幹線だと6260円です。こんなことでいいんだろうかと正直思いました。

時間の調整が面倒くさいので、最初は前泊することを考えていました。まず、高峰高原ホテルに泊まって、黒斑山に登ることを考えました。そうすれば、16時まで高速バスを待たなくても、午後1番のバスで佐久平駅に戻って新幹線で帰ることができるのです。

ホテル代もGoToが適用されて1泊2食付きで11000円でした。しかし、ある理由で前泊はあきらめたのでした。それは、夕食です。夕食がフランス料理のコースらしいのです。しかも、それ一択。それがホテルのウリで評判らしいのですが、ナイフとフォークが両脇にずらりと並べられる光景を想像するだけでも気が滅入ってきます。それに、普段食べ慣れないものを食べると腹を壊して下痢をする懸念もあります。実際に上高地に行った際、人生が終わったような経験をしたことがあり、未だそれがトラウマになっているのでした。

そもそも山に登るのにどうしてフランス料理のコースを食べなければならないんだという気持もありました。それでホテルの前泊は取りやめたのでした。

次に終点の高峰温泉の旅館に泊まることも考えました。高峰温泉には「ランプの宿」として有名な日本秘湯を守る会推奨の旅館があります。サイトで予約する際は、日本秘湯を守る会に入会することが条件になっていました(入会は無料です)。しかし、宿泊数を一人にすると、どうしても予約できませんでした。二人以上でないと予約できないのかと思って予約をあきらめたのですが、下山時、旅館に寄ってそのことを話したら、GoToでずっと満室で予約ができない状態になっていると言っていました。

旅館の横からは林道(湯の丸林道)がさらに奥に延びており、4キロ先には大きな駐車場やインフォメーションセンターを備えた池の平という登山口もあります。近くには湿原もあるそうです。池の平からだと東篭ノ登山は1時間でお手軽に登れるので、シーズン中は家族連れも登るみたいです。しかし、湯の丸林道の入口はゲートが閉じられていました。既に11月4日から来年の4月末まで冬季期間の通行止めになっていました。私は、下山に池の平のルートを使ったのですが、駐車場もトイレもインフォメーションセンターも閉鎖され、まったく人影もなく閑散としており、えも言われぬ淋しい光景が広がっていました。池の平からは、4キロの林道を1時間かけて高峰温泉まで戻りました。

朝、高峰温泉に着いたとき、気温は氷点下3度でした。登山道に入ると、前に降った雪が残っていて、それが凍結していました。南側は雪が解けていましたが、北側はまだ真っ白でした。また、霧氷も至るところで見られました。ただ、念の為に軽アイゼン(スノースパイク)を持って行きましたが、使うことはありませんでした。

最初はゆるやかな登りの道でしたが、水ノ塔山の手前に来ると岩場が続きました。北アルプスに行く練習になるとネットに書いている人がいましたが、それはいささかオーバーにしても、たしかに西穂高の独標に似ていると言えばそう言えないこともありません。岩場は南に面しているので、残雪も少なく、それに凍結もしてなかったので、あまり苦労せずに登ることができました。山頂は岩の上にありましたが、南側がひらけているので、小海線沿線の小諸や東御市の街並みやその奥にそびえる八ヶ岳連峰の山並みを見渡すことができました。

水ノ塔山からは北の方に一旦下りましたが、低い灌木におおわれた道に入った途端、一面真っ白な世界が目に飛び込んで来ました。岩が剥き出した道をしばらく下ると、今度は南側に向けて登り返さなければなりませんでした。再び稜線に出ると、それからは「赤ゾレ」と呼ばれる崩落地の上を歩くことになりました。地図には「滑落注意」のビックリマークがありましたが、思ったより道幅が広いのでそれほど緊張感もなく進むことができました。崩落地はかなり規模が大きく、100メートルくらいの距離を二か所歩くことになります。崩落地を歩いていると、先の方に東篭ノ登山が見えました。

最後の東篭ノ登山に登る道では、今回の登山で初めて息が上がりました。そして、その道で唯一の登山者とすれ違いました。埼玉から来たそうで、何でも自然の家だかなんだかに5連泊していて、周辺の山を歩いているのだそうです。池の平から登って来たけど、水ノ塔山まで行ったら引き返すと言ってました。

標高差は200メートルちょっとしかありませんが、水ノ塔山と東篭ノ登山をミニ縦走すると、一旦下ってまた登り返しがあるので累積標高差は500メートルを越えます。

稜線を歩くと風が吹き曝しなので、寒くてなりませんでした。そのため、山の上ではほとんど座ることができませんでした。東篭ノ登山も一等三角点の山なので、四方がひらけている分、風を除けるものがなく、立って足踏みしながら持参した行動食の羊羹やまんじゅうを食べました。

池の平までの下山ルートは40分程度でしたが、池の平が閉鎖されているということもあって人の気配はなく、熊笹が生い茂った登山道は今にも熊が出てきそうな雰囲気で、鈴はもちろんですが、見通しの悪い箇所では笛を吹きながら歩きました。

林道を1時間歩いて、高峰温泉に横にあるゲートをくぐって登山口に戻って来たのは、15時前でした。バスの出発まであと1時間ちょっとです。バスは到着していましたが、旅館の人の話では運転手はバスのなかで昼寝しているそうです。バスのドアが開くのは出発の15分くらい前だそうで、それまで旅館の喫茶室で時間を潰しました。食事をしようとしたら既に定食が終わったというので、おはぎを頼み、そのあと温かいコーヒーを飲みました。

高峰温泉のすぐ下にはスキー場があります。でも、スキーブームが去ったということもあって(それにアクセスも設備もお世辞にもいいとは言えないので)、シーズン中でも平日は10~20人くらいしか来ないときもあるそうです。広大なゲレンデに10人とは、ある意味で穴場じゃないかと思いました。

たしかにこの前行った入笠山や北横岳のスキー場に比べると、環境面では雲泥の差です。プロが使う球場と草野球用の河川敷のグランドくらいの違いがありました。

帰りの高速バスに始発から乗ったのは、私以外に旅館に泊まっていた若い女子グループ3人の4人だけでした。小諸駅からは、若いカップルが二組乗ってきました。なんのことはない年配者で格安の高速バスに乗っているのは私ひとりだけでした。

行きの北陸新幹線は、GoTo効果なのでしょう、平日にもかかわらず結構混んでおり、予約する際も、二人掛けの座席で横が空いている席を見つけるのに苦労するほどでした。三人掛けの座席も8割くらいは埋まっていました。途中軽井沢を通りましたが、さすがにこの時期に軽井沢で降りる人は誰もいませんでした。出張のサラリーマンは別にして、観光客はほとんど金沢に行くのかもしれないと思いました。新幹線で目立ったのは、年配の夫婦や成人した子どもがいる家族連れでした。

バスタ新宿からは、いつものように新宿三丁目駅まで歩いて副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたときは21時をまわっていました。

※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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佐久平駅

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駅前のロータリーにあった紅葉

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高峰温泉の水ノ塔山・東篭ノ登山の登山口

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同上

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凍結した登山道

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同上

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水ノ塔山の登りの岩場

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ひとつ越えるとまた岩場

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下から稜線を見上げる

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さらに稜線の先にある東篭ノ登山

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上から見えるスキー場

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右下の建物が登山口のある高峰温泉の「ランプの宿」

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正面に見えるのが水ノ塔山のピーク

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大きな岩

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水ノ塔山の山頂標識

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登って来たルートを振り返る

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遠くに小海線沿線の街と八ヶ岳連峰の山並み

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いったん北の方へ下りる

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北側に入った途端、白い世界

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北側からは菅平や嬬恋、軽井沢方面が見える
正面は四阿山?

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南側に登り返すと再び稜線
崩落地(赤ゾレ)

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崩落地と東篭ノ登山

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崩落地

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高峰の標識

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東篭ノ塔山山頂標識

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同上
横に一等三角点の石柱

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山頂の様子
とにかく寒い

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樹氷

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北側の風景
その先に見える山は、西篭ノ登山

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寒いので西篭ノ登山はパス

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池の平に下る

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熊に怯えながら歩いた

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池の平に到着

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こんな注意書きもあった

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湯の丸高峰自然休養林の看板

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駐車場(閉鎖中)

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トイレ(閉鎖中)。

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インフォメーションセンターも来年4月まで閉鎖

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熊出没注意の札がある東屋で休憩

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ゲートが閉まった林道を約1時間歩いて高峰温泉の登山口に戻る

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水ノ塔山

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縞枯れ現象?

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高峰温泉「ランプの宿」

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帰りのバスが既に待機していた
2020.11.11 Wed l l top ▲
アメリカ大統領選は、案の定、トランプの悪あがきによってグダグダにになっていますが、そもそも4年前にトランプを大統領に選んだことが全ての間違いのもとなのです。と、今更言っても仕方ないのですが、ただ多くの人たちもそう思っていることでしょう。

これで共和&民主という二大政党制も、大きな曲がり角を迎えることになるのは間違いないでしょう。とりわけ、日本で言えばネトウヨの権化のようなトランプに依拠してきた共和党は、深刻な事態を迎えるのではないでしょうか。草の根の保守運動の原点である「 ティーパーティー」も、トランプの登場でほとんど機能しなくなり瓦解してしまったと指摘する声もあります。だからよけいトランプに頼らざるを得なかったのでしょう。共和党がトランプ党になったというのは、決してオーバーな話ではないのです。

でも、何度も言いますが、日本も他人事ではないのです。Yahoo!ニュースが、大統領選の特集のなかで、トランプとバイデンのどっちが当選すると思うか?という「みんなの意見」のアンケート結果を円グラフにして掲載していました。それによれば、バイデンの当選がほぼ確実になった昨日の時点でも、トランプが当選すると答えた人が50%を越えており、バイデンが当選すると答えたのは30%台でした。

さすがにまずいと思ったのか、昨日、突然、円グラフはトップページから削除されてしまいましたが、その背景にあるのはトランプが唱える陰謀論です。日本のネトウヨたちも、本国のトランプ支持者と同様、トランプを信奉し、彼が唱える荒唐無稽な陰謀論を信じているのでした。Yahoo!ニュースは、そのフェイクニュースの牙城になっているのでした。

感情の劣化は対岸の話ではなく、この国でももはや修復ができないほどエスカレートしているのです。「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。それは、民主主義にとって深刻な問題でしょう。

ちなみに、このブログでも再三登場する評論家の田中宇氏も、みずからのサイトで、開票日当日は、トランプが当選すると主張していました。しかし、開票日の翌日には、最初の主張を覆してトランプが負けそうだという記事を書いていました。ところが、さらに翌々日には、民主党が選挙不正しているという陰謀論を書いて、主張を二転三転させているのでした。

昨日の記事「米民主党の選挙不正」で、田中氏は次のように書いていました。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

http://tanakanews.com/190527spygate.htm
スパイゲートで軍産を潰すトランプ

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。

田中宇の国際ニュース解説
米民主党の選挙不正


なんだかネトウヨみたいですが、田中氏の場合、ただインターネットで海外の新聞などを読んで情勢を分析するだけなので、フェイクニュースに惑わされてこんな醜態を演じることになるのでしょう。

何度もくり返しますが、トランプの狂気は他人事ではないのです。

学生時代、挨拶は「押忍」しか言ったことがないと本人も言っているように、法政大学で学ランを着てアイパーに剃りこみを入れた髪型で構内を闊歩していた学生が、横浜で代議士秘書になり、秘書から市会議員になると、代議士事務所の威光を笠に市の人事に介入し、「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を手に入れたのでした。

彼はどう見ても政治家というより政治屋です。人事を盾に権勢を振るう、官僚制度の弱点を熟知した政治屋なのです。だから、「内閣人事局」の創設に関わり、官邸が官僚の人事権を一手に握る体制を敷いたのでしょう。さらには、公安警察に隠然たる影響力を持つ元公安OBを側近に据え、公安を使った情報管理で霞が関ににらみをきかせて、有無を言わせない絶対的な権力を手にしようとしているのです。まるでロシアのプーチンを真似たかのようです。

でも、メディアには、秘密警察化する公安への懸念も、全体主義に対する危機感も皆無です。それどころか、危険な権力に尻尾を振って取り入ろうとするあり様です。大統領の狂気に及び腰だったアメリカのメディアの二の舞どころか、そこには歌を忘れたカナリアの「あさましくさもしい」姿しかありません。権力の太鼓持ちは、ネトウヨ御用達のフジサンケイグループだけではないのです。


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ネトウヨ化する社会
2020.11.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
米大統領選は混迷を極めています。と言っても、混迷を極めているのは選挙結果よりそれを報じるメディアの方です。郵便投票など期日前投票が1億100万人もいるので(これは前回の大統領選の総投票数の73%に当たる数字だそうです)、即日開票分なんてまだ半分程度を開票した途中経過にすぎないのです。それなのに、どっちが当選確定したとか性急に結果を求めるので、ますます混迷に拍車がかかるのでした。

最終的にはトランプの悪あがきで法定闘争にまで持ち込まれるのではないかと言われていますが、あらためて大統領選を見るにつけ、アメリカと対立する中国やロシアが本音ではトランプ再選を期待しているというのはわかる気がします。

宮台真司は、ビデオニュースドットコムの開票特番で、自分は前回から一貫してトランプ支持だと言っていました。それは、彼独特の「加速主義」という考えによるものです。「加速主義」というのは、民主制が機能不全になり、人々の実存的な不全感、鬱屈がポピュリズムの標的になった結果、「自分が凄くないので国が凄いと思いたい」とか「昔思っていたような生活ができないなのは異分子がいるからだ」(異分子は、アメリカでは移民やヒスパニック、日本では「在日」)というような排外主義によって人々の感情的な劣化が進んだこの社会は、ポピュリズムの権化であるトランプや安倍(今の菅)の手に委ねて、手っ取り早く終わらせた方がむしろ建設的だという考え方です。言うなれば逆療法、あるいは「創造的破壊」のような考え方です。宮台は、それを「制度による社会変革ではなく技術による社会変革」という言い方をしていました。必ずしも的確ではないかもしれませんが、私は、「加速主義」の考えを聞きながら、若い頃に読んだ林達夫の『反語的精神』を思い浮かべました。

共和党はもはやトランプにすがるしかないのです。共和党が掲げる伝統的な保守主義なるものは、トランプのハチャメチャなポピュリズムに簒奪されたのです。それはバイデンを担ぎ出した民主党も同じです。党内の権力バランスでバイデンのような人物を担ぎ出さざる得ない民主党のテイタラクもまた、共和党と軌を一にしていると言えるでしょう。トランプは、バイデンは「認知がはじまっている」と言って物議を醸しましたが、バイデンのトンチンカンぶりを見るにつけ、私も「もしかしたら」と思いました。町山智浩氏が言うように、バイデンではなくバーニー・サンダースだったらもっと違ったものになったに違いありません。

今回の子どものケンカのような大統領選が映し出しているのは、アメリカの「加速度的」な凋落です。それが誰の目にもあきらかになったのです。そこにはもはや唯一の超大国の面影は微塵もありません。低レベルのドタバタぶりを演じる、それこそお笑いネタになるような滑稽な姿しかないのです。それは政党や政治家だけではありません。メディアも同じです。

私たちは、今までアメリカ人と言ったら、ニューヨーカーと呼ばれるような大都市に住むエリート市民しか知りませんでしたが、今回の大統領選をとおして、アメリカの国民ってこんなにバカだったんだということを初めて知りました。彼らの民度の低さをこれでもかと言わんばかりに見せつけられのでした。

子どもの頃、社会科の授業でアメリカン・デモクラシーこそ民主主義のお手本のような教育を受けましたが、今回の大統領選を見て、こんなバカな国民ばかりいてどこが民主主義のお手本なんだと思わざるを得ません。おそらくそういった幻想もこれで終わるでしょう。

再三言っているように、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないです。私たちは、まさに今、その光景を、その赤裸々な姿を見ている、見せられているのです。

もちろん、日本も他人事ではありません。宮台が言う「インテリ憎しの反知性主義」という点では、安倍や菅はトランプと瓜二つです。老害を絵に描いたような偉ぶることしか能のない麻生や二階、それにいつも的外れでトンチンカンな河野太郎や小泉進次郎も、どう見ても感情の劣化を象徴する道化師にすぎません。そんな連中が権力の中枢に座り、トンマな姿を晒しているのです。民主党のテイタラクも、日本の野党のそれとよく似ています。もう「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。「話せばわかる」というのは民主制の前提ですが、ポピュリズムによって感情の劣化が進んだ現在、その前提が壊れてしまったのです。

現代史に君臨しつづけた<帝国>が、バカな国民と”狂気のヒーロー”によって崩落の危機に瀕しているのは痛快ですが、しかし、それは他人事ではないのです。トランプの狂気を笑い物にして見ている私たちは、天に唾しているようなものかもしれません。
2020.11.05 Thu l 社会・メディア l top ▲
先日、国師ヶ岳に登った際、70歳を優に超えているような高齢の女性がひとりで登っているのに遭遇しました。かなりきつそうで、少し歩いては立ち止まりまた歩いては立ち止まるということをくり返しながら登っていました。横を通り過ぎる際、「こんにちわ」と挨拶するとハアハア荒い息を吐きながら「はい、こんにちわ」と弱々しい声で挨拶を返してきました。

そして、山頂で休憩していると、やがてその高齢の女性も登ってきました。「やっと着いた」という感じで立ち止まると、額の汗を拭いながら山頂を見回し、如何にも嬉しそうな笑顔を浮かべていました。

見通しのいい岩に腰をおろすと、水を飲みながら地図を広げて、目の前に見える山と地図を見比べて山座同定していました。さらに山頂標識のところに行って、小さなデジカメで写真を撮っていました。また、地図を片手に山頂のあちこちに移動して四方の山に目を凝らし、山名を確認していました。

その様子を見ていると、如何にも山が好きだという感じで、表情も生き生きとしているのでした。

私は、女性の行動を目の端で追いながら、素敵な光景だな、自分もあんな風になりたいなと思いました。なんだかそこには、山が好きだから山に登るという本来の姿があるような気がしました。

前に山で会ったベテランの山岳ガイドの人が、高齢の男性がゆっくりしたペースで登って来ているのを指差しながら、「あの人の歩き方が登山の理想の歩き方なんですよ」と言っていたのを思い出しました。

登山はスポーツですが、しかし、競技ではないのです。それぞれのペースでそれぞれのスタイルで登ればいいのです。

脇目もふらず山に登り、山頂には少しの時間しかおらず、またあわただしく山を降りて行き、山と高原地図のコースタイムに比べて何分速かったとか言っている登山者もいますが、私は、(もうそんな登り方が叶わなくなったということもあって)彼らは何のために山に登っているんだろうと思うことがあります。それならわざわざ山なんかに来なくても、近所の河原を走ればいいのにと思います。そんな人たちに比べれば、高齢女性の山行はなんと贅沢なんだろうと思います。山に登るのなら、途中で立ち止まって山の景色やまわりの植物を見る余裕くらい持ちたいものだと思います。

しばらくすると、女性はザックからラップで包まれたおにぎりを出すと、それを両手で包むように持って食べ始めたのでした。そうやっておにぎりを頬張りながら、いろんな方向に目をやり山頂からの景色を楽しんでいました。

最近は、ユーチューバーなのか、スマホを取り付けた自撮り棒を片手で持ったり、ザックの肩ベルトに小型カメラを取り付けて登っているハイカーを見かけることが多くなりましたが、私はそれらは本来の登山とは違うように思えてなりません。

また、知り合いの若者は、「承認欲求で山に登る人がいるんですよ」と言っていましたが、そういった山行は高齢女性のそれとは真逆にあるもののように思えてなりません。

山を降りてから乗り合いタクシーの出発まで時間があったので、運転手の方と四方山話をしていた際、高齢女性の話をしたら、運転手も「そういう人がいますよ」と言っていました。年に6回だか都内からやって来る高齢の男性がいるのだそうです。その日も来ていると言っていました。運転手は名前も知っているようで「✕✕さん」と苗字を口にしていました。

「山に登るんですか?」
「いや、歳なんで山には登らないんですよ。小屋で時間を潰したりしていますね。山の雰囲気が好きみたいですよ」

上に登る体力はなくなったけど、それでも山の雰囲気を味わうために山を訪れるというのは、なんといい話なんだろうと思いました。

運転手自身も高齢で、シーズン中の運行日だけ臨時で働いていると言っていました(登山バスは11月いっぱいで今年の運行は終了するそうです)。若い頃はやはり山に登っていたみたいで、地元だということもあって「北岳や赤岳、間ノ岳や甲斐駒や仙丈ケ岳にも登ったことがありますよ」と言っていました。だから、山には登らないのに山の雰囲気を味わうために年に何度も通って来る高齢男性の気持がわかるのでしょう。

「山が好きだ」という気持は、私も痛いほどよくわかります。そして、その「山が好きだ」という気持と孤独の心は切っても切れない関係にあるように思います。ヘーゲル風に言えば、山に登るということは、「即自」でも「対自」でもなく「向自」的なところがあるような気がします。警察や山岳会などからは懸念されますが、やはり、山に登ることの本質は単独行にあるのではないかと思います。山の思い出というのは、孤独な心のなかから生まれるのではないか。他者(視聴者)を意識して自撮り棒で自分の顔を映したり、あるいはリーダーの背中を見て歩くだけのおまかせ登山では、ホントの山の魅力とは「理会」できないのではないかと思うのです。


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登山とYouTube
2020.11.03 Tue l l top ▲
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新宿駅~塩山駅~柳平~大弛峠~【国師ヶ岳】~【北奥千丈岳】~大弛峠~柳平~塩山駅~新宿駅

※山行時間:約3時間(休憩含む)
※山行距離:約2.7キロ
※標高差:260m
※山行歩数:約10,000歩
※交通費:11736円


昨日、奥秩父の国師ヶ岳(2592m)に登りました。国師ヶ岳は、所在地は山梨市で、山梨県と長野県の県境にあります。ついでに、国師ヶ岳から歩いて10分くらいのところにある北奥千丈岳(2601m)にも登りました。北奥千丈岳は、奥秩父の山塊の最高峰の山です。

大弛峠(おおだるみとうげ)は百名山の金峰山(2595m)の登山口として有名で、私も金峰山に登りたかったのですが、時間の都合で向かいにある国師ヶ岳に登ることにしたのでした。

というのも、電車やバスを利用して行くと、新宿・塩山間が特急で1時間25分、塩山駅から登山口まではバスと乗り合いタクシーを利用して1時間半もかかり、時間的にタイトだからです。

塩山駅から出ている登山バスは、週末のみの運行で、しかも行きが3便、帰りが2便しかありません。それに、登山バスは途中の柳平までで、柳平から大弛峠までは乗り合いタクシーに乗り換えなければなりません。また、利用するには前日までにネットか電話で予約する必要があります。

塩山駅に停車する特急かいじ(週末の臨時列車)の新宿発の始発は午前7時3分で、塩山駅に着くのは8時25分です。登山バスの1便は7時半なので、1便に乗るのは最初から無理な相談でした。2便が8時半で、それにギリギリ間に合うくらいでした。

帰りは、午後2時50分と4時の2便ですが、私は、午後2時50分発の1便を予約しました。登山開始が午前10時すぎになるので、それだと金峰山に登るには時間的に余裕がなさすぎます。

午後4時の2便を予約すれば金峰山に登ることも可能ですが、しかし、この時期の午後4時は既に暗くなり始めている頃でしょう。まして山のなかでは尚更です。正午までに目的地(山頂)に到着して、午後3時までに下山するという秋冬の山行の常識から言っても、それに私のスキルから言っても、金峰山はあきらめざるを得ませんでした。

当初、塩山駅の近くに前泊して1便で登ろうかと考えてネットで探したのですが、あいにく塩山駅の近くにビジネスホテルはありませんでした。

バスは前回の大菩薩嶺同様、補助席も使うほどの超満員でした。バスの運転手によれば、今年最高の人出だそうです。やはり、天気に恵まれたからかもしれません。

柳平に着くと、既に9人乗りのジャンボタクシーが5台待機していました。

乗り換え場所の前には、小学校がありました(下記写真参照)。休校中の牧丘第一小学校柳平分校の校舎だそうです。柳平は、標高1500メートルで、国内では最高峰の定住集落です。真冬はマイナス20度になることもあるそうです。柳平には昭和21年に8戸が入植し、現在も酪農を営んでいるのだとか。

また、同じ乗り換え場所には、金峰山荘という山小屋もありました(間違いやすいのですが、長野県側にも同名の山小屋があります)。

柳平から40分くらいで、大弛峠に着きました。びっくりしたのは、路上駐車している一般車の数です。駐車場は50台くらいのスペースがあるそうですが、それでも足りず、1キロくらいに渡って路肩に車が停められているのでした。道幅の狭い林道なので、ワゴンタイプのタクシーが通過するのも苦労するほどでした。

平日はマイカーしか来ることができないので、もともとマイカーで来る人が多いのでしょうが、それにしてもその光景には驚くばかりでした。運転手が言う今年最高の人出というのがわかりました。運転手も「離合もUターンもできないので困りますよ」と言っていました。

金峰山と国師ヶ岳の登山口は向い合ってありましたが、むしろ、国師ヶ岳の登山口の方が目立っていました。登山口のすぐ上に大弛山荘がありました。大弛山荘は、大弛峠で唯一の山小屋です。国師ヶ岳は、大弛山荘の横を通って登ります。途中の前国師ヶ岳というピークまでは、ひたすら木の階段を登らなければなりませんでした。それも結構傾斜の大きい階段がつづきました。山行時間は短いものの、階段嫌いの人には苦行に思えるかもしれません。途中の前国師ヶ岳からは、岩も多くなり登山道らしくなりますが、それまではあまり登山をしているという感じではありませんでした。私の場合、足が大きいので(今、いちばんよく使っているノースフェイスのトレッキングシューズは30センチです)、奥行きの短い階段の場合、靴を斜めに置かないと奥の段差の部分に靴が引っかかるので、特に下山するときは神経を使いました。

前国師ヶ岳(2592m)まで登るといっきに眺望がひらけました。富士山もよく見えました。また向かいにある金峰山の五丈岩も見えました。さらにその向こうには雪を頂いた南アルプスの山々を見渡すことができました。

さらに岩の道を進むと国師ヶ岳と北奥千丈岳の分岐が現れました。先に国師ヶ岳の方に進むことにしました。

登山口から約1時間で国師ヶ岳に着きました。国師ヶ岳の山頂は、岩峰の上にあります。一等三角点の山なので、山頂からはさらに眺望がひらけました。目の前に富士山がドンとそびえる眺望は、金時山に勝るとも劣らないほどです。予想外の快晴で、来てよかったなと思いました。大弛峠は先週雪が降ったみたいで、まだ雪が残っているのではないかと思い、チェーンスパイクを持って来たのですが、まったくの杞憂でした。長袖のTシャツにウインドブレイカーを羽織っていましたが、全然寒くありませんでした。これ以上ない登山日和と言っていいような天気でした。

山頂には6~7人くらい先客がいました。みんな「凄いね」「こんなに(富士山が)大きく見えるとは思わなかった」と口々に言っていました。最近、山に行くときはどら焼きを持って行くのですが、国師ヶ岳の山頂でも、岩の上に腰をおろししてどら焼きを食べながらしばらく眺望を楽しみました。

帰りは、分岐から北奥千丈岳に寄りました。北奥千丈岳の眺望にも目を見張るものがありました。南アルプスから中央アルプス、果ては北アルプスまで見渡せました。遠くの山の上に白いものが見えましたが、おそらく車山の山頂にある気象レーダーなのでしょう。

帰りは、夢の庭園を経由して40分くらいで登山口まで下りて来ました。登山口に着いたのが午後1時で、予約しているバス(タクシー)の出発まであと1時間50分もあります。タクシーは既に駐車場に待機していました。大弛峠の周辺を散策したあと、待機しているタクシーのところに行って、「中で待つことはできますか?」と訊きました。すると、高齢の運転手が「いいですよ。9人揃えばいつでも出発できるんですよ」と言うのです。ただ、乗り換えの柳平で後続のタクシーを待つことになるけどと言ってました。

既に女性が2人と男性1人が待っていました。それで、私が「じゃあ、あと5人探しますよ」と言って、峠に下りて来る登山者に「バスを予約している人はいませんか?」と声をかけました。すると、瞬く間に9人揃ったのでした。

柳平に着くと、既にバスが待機していました。それで、後続のタクシーが来るまで、バスに乗って待つことにしました。なかには、金峰山荘に行って時間を潰している人もいました。帰りのバスも補助席を使うほど超満員でした。

塩山駅に着いたのが午後4時すぎで、スマホで調べると午後4時27分発の特急かいじがあったので、スマホの「えきねっと」で予約してホームに下りました。すると、反対側のホームには、JR東日本が運行する豪華寝台特急の四季島が停車していました。職員がホームの下り口で、見学にやって来る親子に旗を配ったり、親子が記念写真を撮るのを手伝ったりしていました。私も(あまり興味はないけど)ホームの端に行って写真を撮りました。

新宿駅に着いたのは午後6時前で、それからいつものように新宿三丁目駅まで歩いて、東横線に乗り入れている地下鉄副都心線で帰りました。最寄り駅に着いたのは、午後7時前でした。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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柳平の牧丘第一小学校柳平分校(休校中)

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校庭の裏にある紅葉

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バス停

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乗り合いタクシー

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足元の落葉

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大弛峠駐車場

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国師ヶ岳登山口

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大弛山荘

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登山道

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階段(前国師ヶ岳まで延々とつづく)

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金峰山(山頂の小さく尖っているのが五丈岩)

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前国師ヶ岳

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国師ヶ岳と北奥千丈岳の分岐

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国師ヶ岳からの富士山

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国師ヶ岳山頂の様子

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山頂標識

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もう一度富士山

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もう一度山頂標識

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南アルプス

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遠くに北アルプス

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北奥千丈岳山頂標識

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山頂の様子

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山頂からの眺望

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よく見ないとわかりませんが、ここにも縞枯れ現象がありました。

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北奥千丈岳の山頂と金峰山

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夢の庭園

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夢の庭園の階段から大弛峠の駐車場を望む

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金峰山登山口
金峰山まで3.6キロと書いていました。御前山や川苔山や本仁田山や六ッ石山より短いのです。金峰山に比べると、奥多摩の山は地味だけど登り応えのある山が多いことがあらためてわかります。

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大弛峠の様子
登山者以外に峠越えのライダーやヒルクライムのサイクリストも多くいました。

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四季島

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塩山駅のホームの先端にあったよそ者には意味不明の碑
2020.11.01 Sun l l top ▲