総合病院に行った翌週、紹介状を書いてもらった近所の病院に診察に行きました。

診察室に入り、ドクターの手元にある私のカルテを見ると、そこには総合病院から送られてきた「報告書」のような紙が貼られていました。私はそれを見て、「なんだ、ちゃんと連携していたんだ」と思いました。

何事においてもそういった傾向がありますが、私自身が勝手にいろいろ考えて、一人相撲を取ろうとしていたみたいです。

ドクターは手元の「報告書」を見ながら、「✕✕注射を打ったんですね?」と言いました。

「どうでした?」
「3日くらい痛みが消えましたが、また元に戻りました」
「ああ、そうですか」
「ステロイドの注射ってそんなもんですか?」
「人によりますね。効く人もいればそうでもない人もいます」

8月に「再来」を指定されたので、そのことについても行くべきかどうか訊いてみました。

「たしかに8月とはちょっと間が空きすぎですが、ただ、✕✕注射の効果を含めて経過を診たいんだと思いますよ。その上で診断が適切だったのかどうか知りたいんだと思います。もし、症状と診断に食い違いが出ていたら、さらにMRIなどで検査して、別の角度から診断することになるのだと思います」

そして、「(キャンセルしないで)指定された診察は受けた方がいいと思いますよ」と言われました。

痛みは多少ぶり返したものの、だからと言ってそれほど気になるほどではなく、どちらかと言えば違和感の方があります。どうしても痛い方の足をかばい、歩く際も足を充分伸ばして歩くことがためらわれるのですが、意識して足を伸ばして歩いても、地面に足を置いて膝を伸ばす際、かすかな痛み(みたいなもの)がある程度です。改善されてきたことは事実です。

「少し水が溜まっていますが、今日はこのままにして様子を見ましょう」
ドクターはそう言って、「来週来れますか?」と訊かれました。「大丈夫です」と答えると、「じゃあ、そのときに次の注射を打つかどうか判断しましょう」と言われました。

前の膝痛の記事でリンクを間違えていたのですが、下記に紹介するヤマケイオンラインの記事は、変形膝関節症に悩むハイカーにとってはまさに”希望の糧”になるような記事とも言えます。そして、引用したようなドクターの発言を考えると、近所の整形外科医の説明も納得がいくのでした。近所の整形外科医はスポーツ医なので、あえて変形性膝関節症よりオーバーユースの方を強調することで、とおりいっぺんの診断とは違った保存療法の大切さを説いていたのかもしれないと思いました。まったく患者というのは勝手なものです。

ヤマケイオンライン
「変形性膝関節症」の痛みの理由を知って、膝痛とうまく付き合おう。認定スポーツ医に聞く膝痛対策<後編>

(略)体重がかかった状態で軟骨がすり減ってくると、圧力の受け皿となる上下の骨が痛みだすことがほとんどです。けれども、人間の体というのはうまくできていて、何とかしようと頑張るのです。
圧力を逃がす方法は2つあります。1つは面積を広くすること。そしてもう一つは、受け皿となる骨が硬くなること。面積が広くなって、土台の役割を果たす骨が硬くなれば、その関節は強くなってきます。この状態を繰り返すのが、変形性膝関節症なのです」


「圧力がかかるようになると、まずは骨棘というものができて、受け皿になる部分の骨の面積が広がります。次に土台の役割を果たす骨が硬くなって骨硬化像というのが生じ、レントゲンで撮影すると白く写るようになります。この状態になれば、軟骨がすり減っても耐えられるようになるんです。そうすると痛みも次第に消えていくでしょう。その状態が、3ヶ月くらいで作られていくのです」


先日の総合病院のレントゲン写真で、白い部分がありまだ炎症が残っているとか棘があると言われたのも、上記の話から考えれば、逆に”希望の糧”と解釈していいのかもと思いました。もちろん、痛みの緩和が遅い場合、別の原因を考えるというのも、ドクターとして当然の判断でしょう。「痛み(炎症)」や「水」や「棘」は、よくなるための”通過儀礼”のようなものと考えてもいいのかもしれません。

整骨院には行っていませんが、個人的に知っている理学療法士も、軟骨が減って骨と骨がぶつかると言うけど、実際にそういった人はほとんどいませんよと言っていました。

私の田舎などには、長年の農作業で極端に腰が曲がった年寄りがいましたが、そういった年寄りが深刻な腰痛や膝痛を抱えるようになるというのならわかります。当然、足も極端なO脚になっています。しかし、それでも痛い膝をかばいながら農作業を続けているのです。

前に浅間嶺からの下りの時坂(とっさか)峠の山道で、下から腰の曲がった老婆が手作りの案内板のようなものを持って登って来た話を書きましたが、そういった老婆だと、気の毒だけど「軟骨が減って骨と骨がぶつかる」深刻な状態に至る可能性がないとは言えないでしょう。

しかし、私たちの場合、痛みの具合とのバランスを考えながら、ストレッチとある程度の運動を取り入れ、よく言われるように膝を支える筋肉の柔軟性を取り戻し、さらに筋力不足を解消して膝の変形を防げば、そこまで悲観的に考える必要はないのではないかと思いました。

もっとわかりやすく言えば、痛みがある間は膝を休ませる(何もしない)。痛みがある程度和らいだら無理しない程度にストレッチをはじめる(しかしやりすぎない)。痛みがほとんど改善されたら筋力を付ける運動をはじめる。そういう段階を進んで行くことが大事なのだと思います。要はその見極めでしょう。でも、これがシロウトには難しく、焦りからフライングして一時的に悪化させてしまうことも多いのです。

余談ですが、記事のなかに出てくる小林医師は以前、大分の病院に勤務していたみたいで、なんだかそれだけで嬉しくなりました(現在は静岡の病院に勤務しているそうです)。また、日本山岳会が主催するハイカー向けの講演会でも講演しているようです。記事のなかで紹介されている本も買いましたが、本はあまりにお手軽にできすぎており、ちょっと物足りない気がしました。

私は、最近、エアロバイクも買いました。今は負荷をかけずに毎日10分~20分ゆっくり漕いでいる程度ですが、膝の状況を見ながら徐々に筋力不足を解消する運動もはじめようと思っています。もちろん、ダイエットも大事なので、(性懲りもなく)またはじめました。3キロくらい減りましたが、ただ、運動ができないので思うように減りません。運動だけではダイエットはできないけど、だからと言って、食事制限だけでも効果を得るのはなかなか難しいのです。
2021.06.30 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
昨日(21日)にYahoo!トピックスに掲載された下記の記事に対して、「国際ジャーナリスト」の高橋浩祐氏が書いたコメントが正鵠を射ていたので、あえて再掲します。

Yahoo!ニュース
共同通信
東京五輪、観客上限1万人で開催 5者協議決定、政府制限に準拠

東京オリパラがマネーファーストになっている。スポンサー招待客やチケット代、IOC委員ら五輪貴族を重視し、有観客になったとみられる。

コロナ禍の人命重視で五輪中止が内外で叫ばれてきた中、ここに来て、スポンサー企業などに左右される世界一大スポーツ興行の五輪の地金が出てきている。

ある大会組織委幹部は、「何十億円も出してくれた各スポンサー企業のことを考える、中止という選択肢はない」「電通がスポンサー集めに奔走した。中止になったら電通がつまはじきにされ、つぶれかねない」と話した。

しかし、スポーツはいったい誰のためにあるのだろうか。スポーツの語源はラテン語の「deportare」で仕事や家事から解放される人々の「気晴らし」や「娯楽」を指す。

一方的な決定に国民感情としては大会を支持する気持ちが薄れていくばかりではないだろうか。

五輪を巨額のカネが動く商業主義に陥らせたIOCの罪は大きい。


「マネーファースト」というのは、言い方を変えれば利権ということです。お金がからめば利権が生じるのは当然でしょう。

「スポーツの力」とか「アスリートの夢」とか、あたかもスポーツやアスリートは特別であるかのような言説がふりまかれるのも、その根底にスポーツにからむ利権があるからです。

与党の政治家や産経や読売や右派コメンテーターらが、オリンピックは「国際公約」なので中止はあり得ないと言っていましたが、それは詭弁で、ホントは単にお金を出してもらっているスポンサーとの契約に縛られているだけなのです。こういったところにも、「マネーファースト」の資本主義が持つ野蛮さや節操のなさが顔を覗かせているように思います。

時流におもねる現代文学(平成文学)を「電通文学」だと一刀両断したのは、セクハラで失脚した渡部直己ですが、それは文学だけでなくスポーツも同じです。スポーツに限らず「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などという言い方が盛んに使われるようになったのは東日本大震災からですが、言うなればそれは広告代理店のコピーのようなものでしょう。

ネットでは黒色のウレタンマスクをしている人間は頭が悪いイメージがあると言われているそうですが、私は、テレビのインタビューで臆面もなく「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などと言っているアスリートや芸能人を見ると、「私は何も考えていません」「私はバカです」と言っているようにしか聞こえませんでした。

今回のオリンピックでも、招致の段階から電通が大きな役割を担い、今回のオリンピックの陰の主役は電通ではないかと言われているくらいですが、もしかしたら、菅首相や丸川五輪大臣や橋本大会組織委員会会長の発言も、電通が作成した台本をただ読んでいるだけかもしれないのです。

昔の政商と言えば、三井や三菱などの旧財閥を思い浮かべますが、高度な情報化社会になった現代では、電通やパソナのような広告や情報を扱う第三次産業の会社がそれに代わったと言えるのではないでしょうか。どこかのバカ息子が役員になっていた東北新社も然りでしょう。

言うまでもなく登山もスポーツですが、だからと言って、私たちのような個人的に山が好きで山に登っている下々のハイカーには、たとえば日本山岳会のような団体はほとんど関係のない存在です。

ところが、(私もこのブログで批判しましたが)昨年の緊急事態宣言の際、日本山岳会をはじめとする山岳関連の4団体が共同で登山自粛の呼びかけをしたのでした。それが登山者を縛るだけでなく、さらに”自粛警察“やメディアに、山に行く登山者を攻撃する格好の口実を与えることになったのでした。しかし、呼びかけはその一度きりで、その後の緊急事態宣言では同様の呼びかけはありませんでした。じゃあ、去年のあの呼びかけは一体なんだったんだと思わざるを得ないのです。ただ国家の要請に盲目的に従っただけのようにしか思えないのです。日本山岳会は、戦前がそうであったように、今も「お国のための登山」を奨励する翼賛団体にすぎないのではないか。私は、彼らが登山者を代表しているかのように振舞うことには反発すら覚えるのでした。一方で、日本山岳会は、百名山、二百名山、果てはみずから三百名山までねつ造して、「モノマネ没個性登山者」(本多勝一)のミーハー登山を煽っているのです。おそらくそこにも、モンベルなどスポンサーの存在があるからでしょう。

それは、登山だけでなく、ほかのスポーツについても言えることです。街のスポーツ愛好者がいつの間にか電通などによってオリンピックのような国家イベントに動員される、その巧妙なシステムを知る必要があるのです。これだけ感染防止が叫ばれているのに、ボランティアを辞退しない人間たちに対する批判がいっさい出て来ないのが不思議でなりません。彼らはホントに”善意の人々”なのでしょうか。彼らの陰で、ボランティア募集の実務を担ったパソナは、対前年比10倍の莫大な利益を得ているのです。

パンデミック下のオリンピック開催によって、初めて(と言っていい)「スポーツは特別なのか」「アスリートは特別なのか」という疑問が人々の間に生まれたのですが、それが「元気をもらう」とか「勇気をもらう」とかいったカルトのような呪縛から抜け出すきっかけになれば一歩前進と言えるでしょう。そして、今回のオリンピックを奇貨として、もう一度スポーツのあり方を根本から考え直すことができれば、”狂気の祭典”もまったく無駄ではないと言えるのかもしれません。と言うか、既に開催が既成事実化された今に至っては、もうこんなことくらいしか言えないのです。


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2021.06.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
怖れていたことが現実になった感じです。オリンピックの事前合宿のため、19日の夜に来日したウガンダの選手団9人のなかで、成田空港での検査によって1人の陽性が確認されたというニュースがありました。

しかも、当初、成田空港で行われた検査は、唾液による抗原検査で、抗原検査ではっきりした反応が出なかったので、PCR検査を行ったところ陽性が判明したということでした。入国時の検査の問題について、私は、以前、このブログで次のように書きました。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

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選手たちは、母国でアストラゼネカ製のワクチンを2回接種し、出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書も提出していたそうですが、それでも陽性者が出ているのです。医療関係者の話では、そういったケースは充分あり得るそうです。ワクチンを打ったから大丈夫というわけではないのです。

ワクチンの接種率が90%に上るイギリスでは、デルタ株(インド型のなかでいちばん最初に発見された変異株)の変異ウイルスが猛威を振るいはじめ急拡大しているというニュースもあります。日本でも早晩、インド型が主流になると言われています。

今回のウガンダ選手団は僅か9人です。そのなかで1人の陽性が判明したのです。東京オリンピック開催に伴う入国者数は、当初の予定から大幅に減って3万5千人になったとか言われていますが、それでも3万5千人に9分の1をかけると、身の毛もよだつ数値が出てきます。もちろん、現実はそんな単純な話ではないにしても、相当数の陽性者が出るのは間違いないでしょう。

さらにびっくりするのは、抗原検査で陰性と判定された残りの選手たちは、どう見ても濃厚接触者であるにもかかわらず、「行動制限が不要と判断され」(東京新聞)、合宿地の大阪府泉佐野市にバスで移動したそうです。合宿地の泉佐野市に到着すると、市民たちが拍手で迎えたのだとか。しかも、陽性の1人も、陰性になれば「入国と国内移動が可能になる」そうです。

パンデミック下にオリンピックを開催するという”狂気の沙汰”が、野郎自大な政治の力によってまかり通ってしまうこの国の現実。しかも、政府は、オリンピック期間中はリモートしろ、通勤は控えろと言うのです。まさに言いたい放題、やりたい放題です。私たちは、現在いま、アイパーを当てて剃りこみを入れ、チョビ髭を生やし、学ランを着て学内を闊歩していた学生時代から一歩も出ない、稚児じみた政治思想の持ち主が運転する専制主義という名の暴走列車に乗っているのです。

加速主義者が願うように、こうやってこの国は堕ちるところまで堕ちていくのだと思います。オリンピックが、国威発揚どころか二等国の悲哀をかこつそのターニングポイントになるのは間違いないでしょう。

あらためてしみじみ思うのは、菅義偉首相は、田舎の市会議員くらいががお似合いの政治屋にすぎないということです。そんな政治屋が、政権与党内のパワーバランスによって、あろうことか国の指導者に祭り上げられたのです。それはマンガチックな不幸でさえあります。

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らの提言(案の定、腰砕けになったけど)を無視して開催に突き進む菅内閣の姿勢を、日米開戦について「日本必敗」の結論を出した戦中の総力戦研究所になぞらえるむきもありましたが、しかし、あのときとはあきらかに社会の体制は違っているのです。曲がりなりにも今は「言論の自由」があるのです。

にもかかわらず、産経や読売の保守メディアを筆頭に、オリンピック開催を擁護する言説がこれほど多く存在する現実は、むしろ天皇制ファシズム体制下の戦中よりも深刻な問題を孕んでいると言えるでしょう。右派メディアや右派文化人(コメンテーター)たちが、唖然とするようなアクロバチックな論理で政府の方針を追認する姿を見るにつけ、私はやはり「太鼓持ち」「狂気」ということばしか思い浮かびません。それは、元オリンピック選手をコメンテーターに起用して、彼らにオリンピック賛美を言わせている各局のスポーツ番組も然りです。

反対運動をしている活動家たちに対する警察の監視も日ごとにきびしくなっているようですが、開催まで残りひと月になり、オリンピック開催が治安問題として扱われ、「テロ」を名目に反対運動に対する取締りが香港のようにエスカレートしていく懸念もあります。オリンピックに反対するのは「プロ市民」だというイメージを流布するために、みせしめの強制捜査が行われる可能性もないとは言えないでしょう。そうやって「ニッポン低国」(©竹中労)は、”狂気の祭典”にいっきに雪崩れ込んでいくつもりなのでしょう。

オリンピック開催の問題が、いつの間にか観客数の上限をどうするかという問題に矮小化され、開催そのものが既成事実化されていますが、いみじくも国会の党首討論で前回の東京オリンピックに対する思い出を延々と語っていたように、菅首相には、ガラガラの客席に向かって開会式の挨拶をするような事態はなんとしてでも避けたい気持があるのだと思います。秋田出身のオールド世代の政治屋にとって、オリンピックの開会式は(運動会の来賓とは比べ物にならない)文字通り天にも上るような晴れ舞台に違いないのです。

一方で、無観客を避けるというのは、IOCの至上命令でもあるのだと思います。IOCの独断で、マラソン競技の会場が東京から札幌に変更になった理由について、『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(後藤逸郎著)は、暑さ対策というのはあくまで建前で、真意は「(暗くて)ヘリで中継できない」からだと書いていました。

当初、東京都は、「暑さ対策」のため、午前6時以前のスタートを決めていました。しかし、IOCは、それでは「(暗くて)ヘリで中継できない」ので午前7時以降のスタートの必要性を主張していたそうです。

IOCは、ドーハ大会でも、ドーハ当局が提案したマラソンのスタート時間について「視聴率が下がるから」という理由で拒否している過去があるそうです。IOCは、放映権を契約した放送局に対して高視聴率を保証しており、そのために、視聴率に貢献できる時間帯や撮影環境に必要以上に拘るのだとか。無観客のようなさみしい光景ではオリンピックは盛り上がらない、視聴率も稼げない、とIOCが考えても不思議ではないのです。

そんな思惑は日本政府も共有しているのです。国民なんて(バカだから)開催反対なんて言っていても、開催すれば戯言を忘れて感動するに違いないと思っているので、そのためにはなんとしてでも観客を入れて、感動を演出しなければならないのです。

海外を見てもわかるように、早晩、第五波の感染爆発が起きるのは必至です。感染防止の優等生だと言われていた台湾やイスラエルでさえ感染拡大に見舞われているのです。私たちは、「風にそよぐ葦」に同調して祝祭ムードに踊らされるのではなく、なにより自分のために、次の感染爆発に備えて「正しく怖れる」ことが肝要なのです。それが”狂気の祭典”に対する賢明な向い方でしょう。


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2021.06.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
前の記事から2日後の今日、かかりつけ医から紹介状を書いてもらった総合病院に行きました。この病院は、13年前の正月に尿管結石で二夜に渡って駆け込んだ病院です。ちなみに、その9年後には尿管結石が再発して、結局、ESWLで破砕することになったのですが、破砕した病院はそれとは別の総合病院です。

いづれもこのブログで体験記を書いていますが、今、読み返すとちょっとトンチンカンなことがあり、今日、13年ぶりに診察に訪れて、あらためてそのことが思い出されたのでした。

それは、腹痛で夜間の救急外来に最初に駆け込んだ際、「便秘」と診断されたことです。それまでも3・4年の間をおいて何度か腹痛に襲われたことがありましたが、病院には一度も行ってないので、私自身にも腹痛の原因が尿管結石だという認識はありませんでした。腹痛に襲われたのはいづれも夜間でしたので、病院に行くのがためらわれて布団の中で腹をさすりながら我慢していると、明け方近くにいつの間にか寝てしまい、そして、目が覚めるとウソのように痛みがなくなっていました。それでいづれも病院に行かずじまいでした。

それにしても、私の説明不足もあったにせよ、「便秘」という診断はなんだったんだと思わずにおれません。そして、次の夜、再び腹痛に襲われて同じ救急外来に駆け込んだのですが、その際も若いドクターから、「腎臓が悪いですね」と言われました。問診表の既往症の欄に、若い頃、腎炎で三度入院したと書いたからかもしれませんが、今考えれば、「腎臓が悪い」というのは、結石で尿路の流れが悪くなったことにより水腎症の症状が出ていたからでしょう。

私は、「腎臓が悪いですね」と言われて、「腎炎が再発したのか」とショックを受けました。しかし、そう告げられたきり、私はERのベットの上で、間断なく襲ってくる腹痛に耐えながら、救急車で運ばれて来た別の患者の処置が終わるので待たされることになりました。今考えれば、救急車で運ばれてくる患者を優先的に診るというトリアージがあったのだと思います。

救急患者の処置が終わると、救急外来のリーダーとおぼしきドクターが先程の若いドクターを連れて私の元にやって来て、腎臓のあたりに再びエコーを当てモニターに映し出された画像を見ていました。すると、若いドクターに向かってかなり強い口調で、「どうしてこれがわからないんだ?」と言いながら、専門用語を使って説明しはじめたのでした。

若いドクターへの説明が終わると、今度は私に向かって、「尿路に石が落ちています。尿路結石ですね」「石はそんなに大きくないので、多分時間が経てば尿と一緒に排出されるでしょう。膀胱に移動すれば痛みもなくなるはずです」と説明したのでした。

「とりあえず痛み止めの薬を出しますが、念の為に、明日近くの病院で診てもらって下さい」と言われました。そして、「個人のクリニックがいいですか? それとも大きな病院がいいですか?」と訊かれました。それで「大きな病院がいいです」とわけもわからず答えると、近所にある総合病院(ESWLとはまた別の病院)への紹介状を書いてくれたのでした。

翌日、近所の総合病院に行くと、既に石は流れ出たあとで姿かたちもないと言われました。「おしっこをするとき石が出たのがわかりませんでした?」と訊かれたのですが、尿管結石を意識したのはそのときが初めてだったので、気付きようもありません。ただ、その際、「腎臓に別の石がありますが、それは問題ないです」と言われました。しかし、その石こそがのちに尿路に落ち、ESWLで破砕することになるのでした。

予約では11時からの診察でしたが、診察がはじまったのは12時半すぎでした。診察の前には、いろんな角度からレントゲンを撮りました。私は、れっきりMRIを撮るものと思っていましたので、「レントゲンだけなのか」とがっかりしました。

レントゲン撮影を終え、廊下の椅子で1時間くらい待って診察室に入ったら、そこには足を投げ出して椅子に深々と座った40代くらいのドクターがいました。

「よろしくお願いします」
「あっ、どうも」
そして、私の予診票を見ながら「登山かぁ~」と独り言のように言い、椅子に身体をあずけたまま、レントゲン写真をボールペンで指し示しながら説明をはじめました。

「ここを見てもわかるとおり、一部の関節の間が狭くなっていて、変形膝関節症が進行していますね。末期ではないけど中期と言ってもいいでしょう。また炎症もあります。この白い部分がそうです。棘のようなものもあります」

さらに、私にとって衝撃なことばがそのあとにつづいたのでした。
「また登山をしようと思ったら、人工関節だと無理なので、脛骨の一部を切って繋ぎ直す手術をした方がいいでしょう」
「そんなに悪いのですか?」
「日常生活を送るには保存療法でいいと思いますが、登山のような運動をするなら話は別ですよ」

廊下で順番を待つ間、スマホで担当医のプロフィールを検索したら、スポーツ医とかではなく人工関節が専門のドクターのようで、もしや手術を勧められるんじゃないかと思っていましたが、杞憂が現実になった感じでした。

とりあえず、膝をロックしたまま足の上げ下げをして太腿の筋肉を鍛え、それから体重を落とす。「それで様子を見るしかないですね」と言われました。

「サポーターを持っていますか?」と訊かれました。私は、「来たな」と思いました。それで、「近くの病院で買いました」と答えました。すると、今度は「少しO脚なので、O脚を治すインソールを作ることもできます。値段は高いけど、保険を使えば3割負担で済みますよ。どうしますか?」と言われました。「O脚を治すインソールってアマゾンでも売ってるじゃん」と思って、「今日はいいです」と答えました。帰って調べたら、整形外科の「装具」はインソールでも数万円もするみたいです。

「あと、何度も打つことができませんが、炎症に効く注射があります。どうしますか?」と言われました。私は、ステロイド注射だなと思いました。ステロイド注射は、私の知り合いが打ったことがあり(彼は昨年脛骨を切る「骨切り術」を受け、1年経った8月に金具を取り外す手術を受けることになっています)、”魔法の注射”と言われているけど効果は一時的で、しかも、副作用があるので何度も打つことができないという話を聞いていました。

実際は、ステロイドを打つほど痛いわけではないのですが、全て断るのも気が引けるので「お願いします」と言いました。「糖尿病ではないですよね?」と訊かれてから、膝の前部の関節に注射を打たれました。帰って「診療明細書」を見たら、炎症を抑える「ケナコルトーA」と痛み止めの「キシロカイン」の関節腔内注射となっていました。

「じゃあ、次の診察日ですが・・・・」と言ってパソコンのモニターを見はじめたので、「エッ、次があるんだ?」と思いました。「予約でいっぱいなので、8月になりますね」と言われたので、「わかりました」と答えました。

何度も書きますが、膝痛(特に変形膝関節症など)の場合、「治療法」と呼べるものは、大腿四頭筋を鍛えるためのストレッチと体重を軽くすることくらいしかないのです。もとより、膝痛にはそういった”対症療法”しかないのです。患者から見ると、ドクターのあまりやる気があるように見えない態度も、膝痛が命に関わるような病気ではないからかもしれません。

診察の途中で携帯に電話がかかってきたのですが、どうもそれは救急外来からのようです。そして、外来からの電話を切ると、今度は院内のドクターに電話をしていました。専門用語を使っていましたので詳細はわかりませんでしたが、「麻酔は必要ないと思うんだよね」とか「骨折していたら」どうとか言っていました。診察に時間がかかっているので、他のドクターに処置を頼んだのだと思います。

ステロイド注射は、噂にたがわず効果てきめんでした。注射してまだ半日しか経っていませんが、痛みは完全に消え、多少の突っ張り感が残っているだけです。

帰ってから、さて、近所の整形外科に「精密検査」の報告に行った方がいいのかどうか、考え込んでしまいました。ヒアルロン酸は既に2クール打ったので、痛み止めの薬と湿布を処方してもらうことくらいしかないのですが、”予備がないと不安症候群”なので、痛み止めの薬と湿布と水抜きが途切れることの不安もあります。

患者の立場から言えば、「紹介状」 の意味が今ひとつわかりません。患者をそのまま基幹病院に送るケースもあるし、単に精密検査だけを依頼するケースもあります。片道切符なのか往復切符なのか、はたと悩んでしまうのでした。

いづれにしても、今の自分のいちばんの課題がダイエットであることは間違いありません。たしかに、膝を痛めて運動をしなくなったということもあって、体重は増える一方です。駅のトイレなどで、カガミに映った自分の姿を見て愕然とすることも多くなりました。それで、奮発して体組成計の体重計を買い変えたばかりでした。このブログを読んでもらえばわかりますが、いつもリバウンドのくり返しでダイエットは「もううんざり」という気持しかないのですが、今度は膝痛に直結した課題を与えられているので、気合を入れて取り組むしかないでしょう。

近所の整形外科では、レントゲンの結果は「きれいな膝」で変形膝関節症ではないと言われていたので、今日の診断結果は予想外で、その意味でもショックだったのですが、要するにオーバーユースで変形膝関節症を発症させたということなのでしょう。

膝痛に関しては、私の理解力に問題があるのか、このように捉え方が浅薄でそのときどきの状況にふりまわされて一喜一憂するばかりです。もっとも、(何度も言いますが)膝痛の診断には曖昧模糊としたところがあるのも事実で、そのために整形外科の病院や整骨院めぐりをするようになるのでしょう。医療費の”無駄”と指摘されて、整骨院の保険利用に規制が入ったのもわからないでもないのです。

現金なものですが、結局は下記のような記事を”希望の糧”にして膝痛と付き合っていくしかなさそうです。膝痛の場合、患者もまた、自分の都合ばかり考え、シロウトの浅知恵で自己診断する傾向もあるのです。たかが膝痛と言うなかれで、膝痛というのは命には直接関係がないけれど、それだけやっかいなものだということです(「病気」と書かずに「もの」と書くところもミソですが)。

YAMAKEI ONLINE
膝痛と上手に付き合い、対処していくために必要なこと。認定スポーツ医に聞く膝痛対策<前編>
「変形性膝関節症」の痛みの理由を知って、膝痛とうまく付き合おう。認定スポーツ医に聞く膝痛対策<後編>

診察のあと、会計の窓口の電光掲示板に私の計算が終了した表示が出なくて、私よりあとの番号がつぎつぎと表示されるので、しびれを切らして窓口に問い合わせたら「あっ、支払いできますよ」とあっさり言われました。公的な病院だから仕方ないのかもしれませんが、「申し訳ありません」のひと言もないのです。若い頃ならいざ知らず、年を取るとそんなことが妙に気にかかるのでした。私は早く帰りたいのでそのまま引き下がりましたが、ややもすると小言幸兵衛を演じて「キレる老人」などと言われることになるのでしょう。

病院を出たのは13時半すぎでした。行きも帰りもタクシーを使いましたが、関東地方は今日は局地的な大雨に襲われて、タクシーを捕まえるのもひと苦労でした。行きは最寄り駅の前のタクシー乗り場から乗り、帰りは病院の玄関前のやはりタクシー乗り場から乗りましたが、いづれも一台も待機してなくてしばらく待ちました。運転手によれば、新横浜駅のタクシー乗り場には長い行列ができていたそうです。

余談ですが、運転手の話では、私鉄の駅は指定の会社のタクシーでないと客待ちはできない決まりになっているそうですが、JRの駅は指定がないのでどこの会社でも客待ちができるのだとか。ただ、そうは言っても、客待ちするにも暗黙のルールがあって、ルールを知らない新参者のタクシーが入ると常連の運転手から文句を言われるのだそうです。「建前上は誰でもいいことになっていますが、実際は縄張りがあるんですよ」と言っていました。

帰りの道中では、気分は暗く憂鬱で仕方ありませんでした。今年の初めの山田哲哉氏の『奥秩父 山、谷、峠そして人』に関する記事でも書いたように、最近の私は山しか「逃避」するところがない感じだったので、落胆せざるを得ませんでした。山に行けないのならもう死んだほうがましと(一瞬ですが)思ったくらいでした。山に登らない人には理解できないかもしれませんが、私のような人間にとっては、「たかが山」だけど、でも「されど山」でもあるのです。帰りのタクシーでやたら運転手に話しかけ饒舌を装っていたのも、そんな落ち込んだ気分を紛らわそうとしていたからだと思います。
2021.06.16 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
その後の膝の具合ですが、相変わらず停滞したままです。従って、ここに書く内容も同じことのくり返しになります。

膝を痛めた山行が3月10日ですから、もう3ヶ月が経ちました。痛みはいくらか緩和されたものの、少しでも歩数が増えると途端に痛みが増し、膝が腫れぼったくなります。要するに水が溜まるのです。

ヒアルロン酸は既に2クール(5週を2回)注入しましたが、あまり効いている感じはありません。もう一度山を歩きたいという気持が強いので、焦燥感ばかりが募り、気分は落ち込む一方です。

3週間前、病院に行った際、いっこうに水が止まらないのはもしかしたらオーバーユースではない別の原因があるかもしれないので、一度、精密検査をした方がいいかもしれませんね、と言われました。

ところが、不思議なことに、そう言われた途端に水が引き始めたのでした。そして、次の週、病院に行ったら、ドクターから「水が引いていますね」「これでやはりオーバーユースが原因だということがはっきりしました」「精密検査の必要はないですよ」と言われました。しかし、喜んだのもつかの間、先週行ったらまた水が溜まっていました。

痛みは、ずっと変わらず続いています。家のなかだと突っ張り感だけで、ほどんど痛みは感じないのですが、外を歩くと痛みが出てきます。そして、距離が長くなると痛みが増すのでした。痛める前に日課になっていた4キロの道を試しに歩いてみましたが、帰ってきたら膝の張りが尋常ではありませんでした。

先週でヒアルロン酸の2クールが終わったので、私はドクターに「やはり一度精密検査を受けてみます」と言いました。そして、新横浜にある総合病院の整形外科の紹介状を書いて貰いました。私自身、MRIで詳細に診て貰いたいという気持があったので、水が引いて精密検査は必要はないでしょうと言われたときは、正直、がっかりしたのでした。

山で酷使したのは紛れもない事実なので、今になって後悔していますが、ただそれにしてもこんなに長引くものなのかという疑問もあります。今までも山から帰ったら膝痛に襲われたことは何度もあります。膝の場合、1日おいてから症状が出て来るので、山から帰った翌日に膝痛で階段の上がり下りに苦労したということもありました。しかし、いつも2~3日経つと痛みもなくなりました。

今までの酷使が積み重なったからだと言われればそうかもしれませんが、今回に限って3ヶ月も痛みが引かないというのはいくらなんでもレベルが違いすぎるような気がしてなりません。仮にMRIで異常はないと言われても、それはそれでいくらか安心はできるのです。

週が明けた今日(月曜)、総合病院に電話して外来の予約を入れ、明後日、MRI検査を受けることになりました。

何度も言いますが、オーバーユースと変形膝関節症の違いがよくわかりません。ネットの見過ぎなのかもしれませんが、変形膝関節症のストレッチを行なったりすると、オーバーユースでは逆効果になる場合もあるのではないか。そう思ったりします。

先週も、ドクターと次のようなやりとりをしました。

「なるべく膝に負担をかけないことですね。そう言うと、じゃあ、トイレに行くのも這って行くのですか?と極端なことを言う患者さんがいるのですが、日常生活で必要な歩行は仕方ないでしょう。でも、筋力を落とさないために少しくらい痛くても歩こうなどと考えるのは間違っています。✕✕さん(私のこと)は、まだ若いので仕事をするのにある程度歩くのは仕方ありません。また、人より体格がいいので体重も重くて、その点も直りが遅い要因になっていると思います。ただ、足腰を鍛えようと無理して歩いたりするのは禁物ですよ」
「じゃあ、先生、たとえば膝をロックして足を上げて大腿四頭筋を鍛えるとかいうストレッチなどはどうなのですか?」
「スクワットのような体重がかかるストレッチは論外ですが、そういった体重がかからないストレッチは痛みを軽減する効果はあります。ただ、それでオーバーユースの症状が改善されるということはありません。それとはまったく無関係です。基本は膝を休ませることです。筋力を付けるというのは、膝が良くなってからの話ですよ」
「膝を痛めて3ヶ月になりますが、3ヶ月かかってこんな状態というのは普通にあり得ることですか?」
「あり得ますね。膝痛の場合、症状の程度だけでなく、その人の生活や体形・体格など別の要素も関わってくるので、治りが早い人もいれば遅い人もいる。千差万別です。膝には体重の3倍の負荷がかかると言われていますので、体重を落とすことも大事ですよ」

体重も落とせないで膝痛を治そうと思うなと言われているようで、穴があったら入りたいような気持になりました。

ドクターが言うには、前も書きましたが、膝痛の7割はオーバーユース、つまり使いすぎなのだそうです。変形膝関節症などは一部にすぎないと言っていました。使いすぎには老いも若きもない、誰でも膝痛になるそうです。

こんな状態ではいつになったら再び山を歩けるようになるかわかりませんが、とにかく、「絶望の虚妄なること亦希望に同じ」(魯迅)の精神で、目の前の課題をひとつひとつこなして気長に待つしかないのです。もどかしいけど、それしかないのです。でも、気分は暗い。


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膝を痛めた
2021.06.14 Mon l 健康・ダイエット l top ▲