今回の選挙のポイントは「野党共闘」だと言われています。朝日の記事によれば、全国289選挙区の75%の217選挙区で候補者が一本化され、与野党による事実上の一騎打ちは約140選挙区にのぼるそうです。
朝日新聞デジタル
初の衆院選の野党共闘 217選挙区で一本化、強さには濃淡か
そのなかの東京8区で、公示前に「野党共闘」をめぐってトラブルがありました。
公示の10日前の10月8日、れいわ新選組の山本太郎代表が、突然記者会見を行ない、「野党統一候補」として東京8区から立候補することを表明したのでした。
東京8区は、杉並区(ただし方南1・2丁目を除く)を対象にする選挙区です。小選挙区制になってから今まで8度の選挙ではいづれも自民党の石原伸晃氏が当選しており、田中龍作ジャーナルのことばを借りれば、石原氏の「金城湯池」とも言うべき選挙区です。
しかし、この突然の山本代表の出馬会見にびっくりしたのは、立憲民主党の吉田はるみ候補を野党統一候補として担いでいた市民運動や立民の地元の関係者でした。「晴天の霹靂」「怒り心頭」と報じるメディアもありました。そして、その怒りは山本代表に向けられたのでした。
山本太郎は「限界系左翼」の盲動みたいな言い方をされ、今までの市民運動(と言ってもただの選挙運動)の成果を反古にする利敵行為だとの非難が浴びせられたのでした。吉田氏の支援者のなかには、「山本太郎さんに鼻をつまんで投票しない」というボードを掲げて抗議活動を行なう人たちまで登場する始末でした。
ところが、その後、山本自身があきらかにしたところによれば、東京8区の野党統一候補は山本で行くように水面下で話が進んでいたそうです。しかも、話を持ってきたのは立民の方で、枝野代表も承知済みだったとか。その際、山本氏が出馬すれば吉田はるみ氏を降ろすという生くさい話まで出たそうです。
そんななか、岸田内閣が誕生し、選挙日程が前倒しされた。でも、いっこうにラチがあかない。それでしびれを切らした山本が強行突破するかたちで立候補を表明したということでした。
しかし、山本太郎がフライングして立候補を表明し、彼に批判が集中すると枝野代表も立民中央も「困惑している」と言い出し、山本との”密約”についても知らぬ存ぜぬを決め込んだのでした。
結局、山本太郎が立候補を辞退することで一件落着になったのですが、すると今度は枝野代表や立民中央の姿勢を批判したリベラル系のジャーナリストに対して、「野党共闘」の周辺にいる支援者が「限界系ジャーナリスト」などというレッテルを貼って悪罵を浴びせはじめたのでした。
このトラブルで露呈されたのは、まぎれもない”もうひとつの全体主義”です。社民主要打撃論ならぬれいわ主要打撃論とも言うべき左翼政治のお家芸です。また、リベラル派であっても自分たちの意に沿わないジャーナリストは容赦なく叩くやり方には、あの夜郎自大な”無謬神話”さえ垣間見えるのでした。
立民の某国会議員は、それまで散々山本太郎を非難しておきながら、辞退が決まると一転して「山本太郎さんの英断に感謝します」とツイートしていましたが、なんだか白々しく思えてなりませんでした。私たちは、そんな白々しいことばの裏で、衣の下から鎧が覗いていたのを見過ごすことはできないのです。
「野党共闘」とはそんなスターリン主義的な左翼リゴリズムと保守反動が同床異夢する野合にすぎないのです。文字通り「『負ける』」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」古い左翼(左派リベラル)の姿にほかなりません。
こんな選挙になにを期待しろというのでしょうか。AかBかなどという二者択一論にどれほどの意味があるというのか。もちろん、政権交代なんて左派特有の大言壮語、誇大妄想にすぎません。「左翼小児病」というのはレーニンの有名なことばですが、このような夢見る夢子のようなおめでたさは「左翼中二病」と言うべきかもしれません。
折しも朝日の衆院選に関連した特集で、下記のような記事が掲載されていました。
朝日新聞デジタル
韓国に抜かれた日本の平均賃金 上がらぬ理由は生産性かそれとも…
私もつい先日、このブログで同じような記事を書いたばかりですが、朝日の記事も次のように書いていました。
経済協力開発機構(OECD)の2020年の調査(物価水準を考慮した「購買力平価」ベース)によると、1ドル=110円とした場合の日本の平均賃金は424万円。35カ国中22位で、1位の米国(763万円)と339万円も差がある。1990年と比べると、日本が18万円しか増えていない間に、米国は247万円も増えていた。この間、韓国は1・9倍に急上昇。日本は15年に抜かれ、いまは38万円差だ。日本が足踏みしている間に、世界との差はどんどん開いていた。
もちろん、賃金が上がらない理由のひとつに非正規の労働者が多くなったということがあります。しかし、いちばん大きな理由は、非正規の問題も含めて労働組合が弱くなった、戦わなくなったからです。労使協調路線が当たり前のようになったからです。それは、言うまでもなく1987年の連合の誕生=労働戦線の右翼的再編からはじまったのです。一方で企業の「内部留保」は「500兆円に迫るほど積み上がって」おり、自民党でさえ「分配」を政策に掲げるほど、企業はお金をため込んでいるのです。
その労働戦線の右翼的再編と軌を一にした政界再編の申し子のような存在が、今の立憲民主党であり国民民主党の旧民主党です。その根っこを見ることなしに、自公の悪政を正すには政権交代が必要だと言うだけでは、文字通り木を見て森を見ないおためごかしの論理と言わざるを得ません。どう考えても、立民や国民民主が今の状況を剔抉しているとは思えないし、そもそもどれほど自民党と違うのかもわかりません。その選択の幅はきわめて狭いのです。二大政党制を前提とする「政権選択選挙」なんて茶番でしかないのです。花田清輝の口吻をもじって言えば、すべてが選挙に収れんされ、そして、ものみな選挙で終わるのです。