田中龍作ジャーナル
【キーウ発】たとえ戦争広告代理店があったとしても
湾岸戦争(1991年)やコソボ紛争(1990年代)の頃と決定的に違うのは、SNSの普及である。デッチあげは「ウソだ」とすぐに告発される。
もう一つ決定的に違うのは、ウクライナでは言論の自由が保障されていることだ。ゼレンスキー大統領をクソミソにこき下ろしても許される。(略)
戦争広告代理店による捏造があったりしたら、住民がSNSで告発するだろう。それが今のところない。
(略)
「ネオナチ説」「自作自演説」を唱える言論人に共通するのは、虐殺の現場に一歩も足を踏み入れず、住民の話をひと言も聞いていないことだ。
最初に断っておきますが、今のウクライナは非常事態宣言が発令された挙国一致の戦時体制下にあるので、「言論の自由」は保障されていません。昔の日本と同じで、民主的な制度(権利)は完全に停止されています。野党の政治活動も停止させられていますし、それどころか先日は新ロシア派の野党の党首が逮捕されています。もちろん、「ゼレンスキー大統領をクソミソにこき下ろしても許される」自由などあろうはずもないのです。そんなことを口にしたら、当局に密告されて「ロシアの手先」のレッテルを貼られ、とんでもない目に遭うでしょう。
それより私が看過できないと思ったのは、「『ネオナチ説』『自作自演説』を唱える言論人に共通するのは、虐殺の現場に一歩も足を踏み入れず、住民の話をひと言も聞いていないことだ」という箇所です。
しかし、実際には私が知る限り、「言論人」でロシアの荒唐無稽な主張をそのままなぞったような主張を唱えている人はほとんどいません。「ロシア寄り」と言われている人たちも、ロシアの侵略は弁解の余地もない蛮行だけど、だからと言ってゼレンスキーが言っていることを百パーセント信じていいのかと主張しているだけです。
にもかかわらず、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの人たちは、「ロシアの侵略は弁解の余地もない蛮行」という断りを故意に無視し、”ゼレンスキー批判”だけを言挙げして「陰謀論」「ロシア寄り」と決めつけ、問答無用に悪罵を浴びせるのでした。彼らには、そういった”客観的な視点”も利敵行為に映るみたいです。敵か味方か、旗幟を鮮明にしなければ、戦争を語ってはいけないとでも言いたげです。田中氏は、針小棒大なもの言いをすることで、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの人たちの「俗情と結託」(大西巨人)しているにすぎないのです。
もっとも、ウクライナ可哀そうVSプーチン憎しの彼らも、最近はウクライナ問題に関心が薄らいでいるという指摘もあります。それはそうでしょう。彼らは、メディアのセンセーショナルな戦争報道に動員された(煽られた)人たちにすぎないので、メディアの情報量が減っていけば、関心も薄らいでいくのは当然なのです。そのうち(大声で”正義”を叫んでいた人ほど)、「いつまでウクライナのこと言ってるんだ?」なんて言い出すに決まっています。所詮はその程度の存在にすぎないのです。
どういった団体なのかよくわかりませんが、「世界の共産党・労働者諸党」が2月25日に発表した緊急声明「ウクライナにおける帝国主義戦争に反対する」では、ロシアのウクライナ侵攻を批判する一方で、次のようにウクライナ政府も批判しているそうです。
われわれは、ウクライナにおけるファシスト・民族主義勢力の活動、反共主義および共産主義者迫害、ロシア語話者住民への差別、ドンバスの人びとへのウクライナ政府の無力攻撃を糾弾する。
われわれは、ヨーロッパ=大西洋諸国[=NATO諸国]が彼らのプランを実施するため、ウクライナの反動的政治勢力をファシスト集団も含めて利用していることを糾弾する。
(『「世界」臨時増刊 ウクライナ侵略戦争』所収「資料と解説 異なる視点―第三世界とウクライナ危機」)
これは、所謂「どっちもどっち」論とも言えますが、少なくとも世界の左派の間では、ゼレンスキー政権は「ファシスト」「民族主義者」「反共主義者」に支えられた反共右派政権であるとの認識が共通していたのは事実のようです。
ウクライナは、人口が4130万人で、ヨーロッパで7番目に人口の多い国ですが、今のウクライナが建国されたのはロシア革命時の1917年で、正式に独立したのはソ連崩壊後の1991年です。
しかし、ウクライナは、「東ウクライナ」と「西ウクライナ」の二つのウクライナがあると言われるように、ウクライナ語とロシア語が併存する言語やカトリック教会と3つの正教会からなる4つの教会が存在する宗教など、多元的な文化を内包している若い国です。言うまでもなく、ウクライナの多元的な文化は、他の旧東欧諸国と同様、ソ連によって人為的に「人民共和国」が作られた建国の経緯から来ているのでした。ちなみに、ウクライナ国民のうち、35~40%がロシア語の話者で、同じ割合でウクライナ語の話者が存在し、残り20%がロシア語とウクライナ語の両方を話すバイリンガルだそうです。
下記の論稿の執筆者のアンドリー・ポルトノフ氏(ベルリン・フンボルト大学客員教授)によれば、「教育や人文学においては、ウクライナ語は支配的であるものの、ロシア語はマスメディア、政治、ビジネス、科学の分野において明白に浸透している」のだそうです。
WEBアスティオン
ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か(上)─ウクライナ・アイデンティティ
アンドリー・ポルトノフ(ベルリン・フンボルト大学客員教授)
ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、ロシア語も準公用語の扱いでした。ところが、オレンジ革命(2004年)を機に、二つのウクライナという「定型句」が流布されるようになり、ウクライナのアイデンティティを求める機運が高まったと言われます。
ふたつのウクライナという定型句(つまり、ナショナルな意識に目覚めたウクライナと、〔ロシアおよびソ連の影響が残った〕「混ざりものの」('creole')ウクライナであり、前者が好ましい規範とされる)は、政治的選択の範囲、あるいは所属集団の選択の動機を単純な図式に押し込めることになる。
そして、その図式では、規範とそこからの逸脱という二者択一の考えが生まれてしまうのである。
(ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か・上)
私は、ウクライナのナショナリズムを考えるとき、「ウクライナのナショナリズムの要素が、法の支配、社会的正義、移動と表現の自由といったヨーロッパの神話に溶けあわされたのである」というアンドリー・ポルトノフ氏の指摘が重要であると思いました。「民主化運動」が排外主義的なナショナリズムと融合し、西欧的デモクラシーがその方便に使われたというパラドックス。そこには、右か左か、独裁か民主かでは捉えきれない、現代世界が抱える深刻な問題が伏在しているように思いました。
「帝国主義戦争」というのは、ロシア革命に際してレーニンが唱えたテーゼですが、そういった古い左派の視点も一概に無視できないものがあるように思います。と言うか、そういった視点でこの戦争を見ると、今まで見えなかったもの(見えにくかったもの)も見えてくるような気がするのです。
ウクライナの経済成長率は、ロシアがウクライナ領のクリミア半島に侵攻し併合した2014年がマイナス6.58%、翌年の2015年がマイナス9.79%に落ちたものの、その後、プラスの成長が続いて経済は持ち直していました。ところが、ゼレンスキーが大統領に就任した翌年の2020年にいっきにマイナス3.80%に落ち込んだのでした。そのため侵攻前、ゼレンスキー政権の支持率は41%まで下がり、ウクライナで反ゼレンスキーデモが頻発していたのでした。田中氏自身も記事のなかで、「開戦前、反ゼレンスキーデモで掲げられたプラカード。DICKTATORは独裁者と男性器(大統領はコメディアン時代、裸踊りで人気を博した)をかけたシャレだ」というキャプションを付けて、反ゼレンスキーデモの写真を掲載していたくらいです。
では、侵攻前に反ゼレンスキーデモに参加したような人々は、どうなったんだろうと気になります。これ幸いに、アゾフ大隊のようなネオナチから排斥(処刑?)されたりしてないだろうかと心配せざるを得ません。
当たり前の話ですが、何事にも表もあれば裏があります。況や政治や戦争においてをやです。それを伝えるのがジャーナリストではないのか。自由な言論による談論風発、百家争鳴がジャーナリストの生命線でしょう。何度もくり返しますが、国家に正義などないのです。戦争で亡くなった人々は「英雄」なんかではないのです。ましてや、「美談」であろうはずもありません。
田中氏は、「オレはお前たちと違ってこの目で現場を見ているんだ」とすごんでいるつもりかもしれませんが、しかし、敵か味方か、勝ったか負けたかの二項対立(=国家の論理)でしか戦争を語ることができないという点では、田中氏も、大手メディアの記者たちも、同じ穴のムジナのようにしか見えません。「戦時下の言語」に与するのはジャーナリズムの死ではないのか。そう言いたくなります。