朝日新聞デジタル
ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」
ウクライナは現在、戒厳令と総動員令がセットになった戦時体制下にあり、政党活動は禁止され、18~60歳の成人男性の出国も禁止されています。もちろん、ロシアの理不尽な侵攻に対して一丸となって戦うためですが、政党活動が禁止されているというのは、実質的に政府のやることに異を唱えることができないということです。その意味では、きつい言い方ですが、今のウクライナはロシアよりむしろ全体主義的な状況にあると言っていいのかもしれません。
余談ですが、昨日の「モーニングショー」では、ロシアでは戦場に派遣する兵士が不足して、片目がない身障者まで駆り出されているというウクライナのニュースを紹介していました。そして、例によって例の如く電波芸者の石原良純や山口真由らがああでもないこうでもないと与太話をくり広げていました。しかし、ロシアはウクライナと違って徴兵制を敷いていません。ホントに兵員不足が深刻なら徴兵制を敷くでしょう。スマホのアクセスログなどのチェックはあるみたいですが、出国も可能です。そのため、多くの若者が侵攻に失望して国を離れていると言われています。
そもそもロシアのニュースはプロパガンダで、ウクライナのニュースが真実だという捉え方自体がお粗末なのです。戦争なのですから、情報戦(プロパガンダ合戦)が行われるのは当然なのです。
話は戻りますが、記事によれば、ウクライナでは、成人男性の出国禁止に対して、出国を「可能にすることを求める請願書に2万5千人の署名がインターネット上で集まっている」のだそうです。
そのネット請願に対して、ゼレンスキー大統領は、次のように「不快感を示した」のだとか。
「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」
バイデンと一緒になって「ウクライナ頑張れ」と外野席から声援を送っている人たちから見れば、ゼレンスキーの言うとおりで、何と身勝手な人たちなんだろうと思うかもしれません。
しかし、私は、民衆は国家に対して「身勝手」を言う権利と言うか、資格はあるだろうと思います。それが民主主義ではないのか。「身勝手」が言えないなら全体主義国家でしょう。「国を出るなら勝手に出ろ、その代わり二度と戻ってくるな」と言うのならわかりますが、国を出ることは一切認められない、そんな人間は”非国民”だとでも言いたげなゼレンスキーの発言は、どう見ても全体主義者のそれに近いものでしょう。
ゼレンスキーが求めているのは、最後の一人まで戦えということです。文字通り戦前の日本が掲げた「進め一億火の玉だ」と同じ愛国心を求めるものです。
今も毎日多くのウクライナ国民がロシア軍の銃弾の犠牲になっているのは、ゼレンスキーの言うとおりです。しかし、ゼレンスキーら指導部は、厳重に警護された安全地帯にいて、ただ国民を鼓舞しつづけるだけです。もちろん、鼓舞すればするほど国民の悲劇は増すばかりです。それでも、ゼレンスキーは、今の時点で和平交渉を行うつもりはないと明言しています。
もしかしたら、国民の犠牲と引き換えに、和平交渉に向けて有利な条件を創り出そうとしているのかもしれません。犠牲になった国民に対しては、「お前は英雄だ」と言っておけばいいのです。いつの時代でも、戦争では国家が「英雄」の空手形を乱発するのが常です。”英雄予備軍”の国民はいくらでもいるのです。
今回の戦争は、21世紀とは思えない古色蒼然としたものだと言われますが、しかし、戦争に駆り出される国民の間に、戦争で死んで「英雄」扱いされるより(戦争で犬死するより)、目の前のささやかな幸せを守る方が大事だという考えが前の世紀より浸透しているのはたしかな気がします。戦争のやり方は進歩してないけど、戦争に向き合う人々の意識は多少なりとも進歩していると言えるのではないでしょうか。
幸福追求権を持ち出すまでもなく、自分の運命は自分で決めるというのは立派な権利です。戦争で死にたくない、そのために、国を出て戦争で死なない人生を選択したいと思うのはごく自然な気持でしょう。でも、国の指導者は、愛国心を盾に彼らを”非国民”扱いして不快感を示すのです。不快感だけならまだしも、警察権力を使って拘束した上で、強制的に前線に送ることだってあるかもしれません。
「平和国家」の国民を自認するなら、バイデンやメディアに煽られて「ウクライナ頑張れ」と声援を送るだけでなく、戦争で死にたくないと思う人たちの存在や、その人たちの視点からこの戦争を見ることも必要ではないか。そうやってウクライナ・ロシアを問わず、戦争で死にたくないと思っている人々と「連帯」することの方がはるかに大事なことではないかと思うのです。