武蔵小杉駅~渋谷駅~池袋駅~飯能駅~東吾野駅駅~【ユガテ】~【スカリ山】~【北向地蔵】~鎌北湖~毛呂駅~高麗川駅~昭島駅~立川駅~武蔵小杉駅
※山行時間:約5時間(休憩等含む)
※山行距離:約5.5キロ
※累計標高差:登り約496m 下り約455m
※山行歩数:約16,000歩
※交通費:2,828円一昨日、埼玉(奥武蔵)の山に行きました。1年3ヶ月ぶりの山行です。
このところ長雨が続いており、予定が立てづらかったのですが、一昨日は朝から曇り空で雨が降るのは夜という予報でしたので、急遽、予定を立てて行くことにしました。
膝はまだ多少の痛みは残っています。そのため、どうしても痛い方の足をかばうところがあります。ただ、最初の頃と比べると「劇的」と言ってもいいほど改善しました。
病院も2月で終わりました。水も溜まらなくなったので、「これでいいでしょう」「あとは膝まわりをストレッチして下さい」とドクターから言われて、治療は終了になったのでした。
ドクターの見立ては「オーバーユース」でした。変形膝関節症もそんなに進行していないと言われました。ただ、私の場合、身体が大きくてその分体重も重いので、治りも遅れがちで、「ほかの人に比べて不利なんですよ」と言われました。
とは言え、自分では未だに湿布薬とサポーターは欠かせません。病院との縁が切れたので、湿布薬は薬局で買っています。
昨日は、湿布薬を貼って、頑丈なサポーターでガードして出かけました。サポーターを締めすぎたため、太腿の血流が悪くなり、痺れが出た以外は、そんなに痛みはありませんでした。ストック(トレッキングポール)を使いましたが、特別に痛みが増したということもありませんでした。
当然のことですが、体力は元に戻っています。また一からやり直すしかないのです。それを考えれば気が重いのですが、山に行きたい気持は募るばかりなので、自分を奮い立たせて出かけたのでした。
今回行ったのは、前に二度歩いたことのある西武秩父線の東吾野(ひがしあがの)駅と峠を越えた先にある鎌北湖の間のトレッキングコースです。よく知っている道なら、万一膝が痛くなってもエスケープすることができるだろうと考えたからでした。
早朝5時すぎの東急東横線に乗り、そのまま地下鉄副都心線で池袋駅まで行って、池袋から西武池袋線の飯能行きの特急ラビューに乗りました。飯能駅に着いたのが7時すぎでしたが、線路をはさんだ反対側にあるホームには、既に3分後に発車する秩父行きの電車が停まっていました。エスカレーターを急ぎ足で登り、電車に駆け込むと電車はすぐに発車しました。
余談ですが、特急ラビューは世界的な建築家・妹島和世氏がデザインした車両です。自宅のすぐ近所には、(このブログでも前に書きましたが)妹島氏がデザインした住宅があり、できた当初は建築家の卵とおぼしき学生たちがカメラを持ってよく見学に来ていました。また、お父さんが医者をしていた隈研吾氏の実家も近くにありました。その縁で、近所の寺院の庫裡の建て替えや境内の整備に、「子どもの頃遊び場だった」という隈研吾氏が担当したプロジェクトもはじまっています。
西武秩父線の東吾野駅に着いたのは7時半すぎでした。降りたのは私ひとりでした。
池袋駅で特急電車を待っていたら、秩父方面から到着した電車の車体が雨で濡れていたので、もしかしたら雨が降っているのかもしれないと思い不安になりました。私は”予備がないと不安症候群”なので、スマホには”お天気アプリ”をふたつ入れています。それを見ると、ひとつは曇りなのですがもうひとつは雨の予報です。もし雨だったら秩父まで行って、温泉にでも入って帰ろうと思いました。
しかし、東吾野駅に着いたら雨は上がっていました。雨は上がったばかりみたいで、駅前のベンチは座ることができないほどまだ濡れていました。
飯能から秩父までは谷底の川沿いを国道299号線が走っているのですが、秩父線はそれを見下ろす高台を走っており、国道に出るにはどこの駅からも坂道を下らなければなりません。
通勤時間帯にもかかわらず人気のない駅前の広場で準備をして、坂道を下り、交番の前を通って国道を少し進むと、吾野神社の階段が見えてきます。今回歩く登山道は社殿の横にあります。
この登山道は「飛脚道」と呼ばれています。江戸時代、飛脚の緊急用の裏道だったそうです。その道を現代の私たちは、重いザックを背負い登山靴を履いて歩いているのです。
3年ぶりですが、道案内の指導標も新しくなり、しかも、日本語の下に英語でも行先が書かれていました。前にも書いたことがありますが、都内から近いということもあって、このあたりのトレッキングコースは外国人が非常に多いのです。実際に歩いていると、必ずと言っていいほど外国人とすれ違います。昨日も、峠の途中にあるユガテという集落で休憩していたら、若い白人の女性二人組が英語でキャーキャーお喋りしながら通り過ぎて行きました。
前に峠の茶屋のご主人が、外国人のハイカーが多いので、週末はイギリスへの留学経験がある知り合いの女の子にアルバイトに来てもらっている、と話していたのを思い出しました。
平日のしかも梅雨の合間なので、山中で遭う人は少なくて6~7人くらいしかいませんでした。外国人の女性以外はみんな中高年のハイカーでした。
雨が上がったばかりなので、周辺の草木はまだ濡れており、地面もぬかるんでいます。そのため、靴やスボンの裾も泥ですぐ汚れてしまいました。それに、岩や木の枝にうっかり足を乗せると滑ってしまいます。私も急登を下っている際に濡れた木の枝に足を乗せてしまい尻もちをつきました。
今回のルートは、途中に小さな山が点在しているのが特徴で、ユガテに行く途中にも、橋本山という山があって、そこに差し掛かると「男坂」と「女坂」の案内板が立っていました。私は今までは「女坂」を歩き橋本山をスルーしていたのですが、今回は「男坂」から橋本山を登ってみることにしました。
この「男坂」「女坂」という表示は山の「あるある」で、身近でも高尾山や御岳山や大山や伊豆ヶ岳や武川岳などにあります。「男坂」は直登して山頂に至るコース、「女坂」は山頂を巻く(あるいは巻いて山頂に至る)コースの意味で、「男坂」はきつい道、「女坂」はゆるやかな道を示しているのです。
しかし、今のジェンダーレスの時代に、こういった表現に違和感を抱く人もいるでしょうし、時代にそぐわないという声が出てもおかしくないでしょう。「男坂」「女坂」には、男=きつい=逞しい、女=楽=ひ弱という固定観念が間違いなくあるのでした。
山は男のもんだよ、女が山に来るのは迷惑だみたいに嘯くおっさんが山に多いのは事実ですが(そういうおっさんたちに限って熊鈴がうるさいとかアホなことを言う)、そういうおっさんたちもあと10年もすれば山から姿を消すでしょう。そんなアナクロなおっさんたちが牽引してきた”山の文化”がこれから大きく変わるのは間違いありません。
だからと言って、何度も書いているように、アナクロなおっさんに引率され武蔵五日市駅や秦野駅のバス停に蝟集する、おまかせ登山のおばさんたちの振舞いが、ジェンダーレスとはまったく異なる次元の問題であることは言うまでもありません。一方で、女性登山家が”登山界”で「名誉男性」のような扱いを受けることにも違和感を覚えてなりません。
前に人流の「8割削減」を受けて登山の自粛を呼びかけた日本山岳会の愚行を批判しましたが、そもそも昔取った杵柄のようなおっさんたちが牛耳る日本山岳会の”歪さ”も考えないわけにはいきません。それこそ「男坂」「女坂」の象徴のような組織と言えるでしょう。「山の日」ってなんだよ、国立公園と言いながら、登山道の整備も民間のボランティア任せのようなおざなりな現実を見れば、もっと他にやるべきことがあるだろう、と言いたいのです。
橋本山の「男坂」はたしかにきつかったですが、ただ距離か短かったのでそれほどつらく感じませんでした。小さな山なので、山頂と言ってもそれほど広いスペースがあるわけではなく、ただの見晴らしのいい場所という感じでした。昔、埼玉に住んでいたとき、この山域にもしょっちゅう来ていて、林道に車を止めて見晴らしのいい場所までよく登っていましたが、橋本山も前に来たような錯覚を覚えました。
ユガテで休憩したあと、エビガ坂というチェックポイントまで行き、エビガ坂の分岐からは今まで歩いたことのないルートに歩を進めました。同じ鎌北湖に下りるのに、少し迂回して下りようと思ったのでした。
しばらく進むと、今回のメインであるスカリ山がありました。スカリ山は標高434メートルの低山で、このルートにある小さな山のひとつにすぎないのですが、スカリ山が注目されたのは伐採されて眺望がよくなってからで、それまでは誰からも見向きもされない「不遇の山」だったそうです。従来のハイキングルートはスカリ山を巻く(スルーする)ように設定されていたため、道標もなく、道も整備されておらず、道迷いも発生していたのだとか。特に、今回登った西側からは急登がつづき、ミッツドッケの山頂への直登ルートによく似ていました。きつさもミッツドッケの山頂に匹敵すると言ってもオーバーではないくらいでした。
岩と石がむき出しになった急登を登ったら、まったく眺望のないスペースに出ました。あれっと思ってスマホでルートを確認すると山頂はまだ先の方でした。でも、先は急な下りになっています。「エッ、これを下るのかよ」と思っていたら、60代くらいの女性がひとりで登って来ました。
「ここが山頂ではないんですよね?」
「そうみたいですね。私も初めてなんですがスマホで見るともっと先ですね」と言ってました。そして、そのまま急坂を下って行きました。
地面が濡れているので、身体を横向きにして慎重に下らなければならず神経を使いました。小さなコルに下りると、また見上げるような急登が目の前に現れました。足が全然進まず筋力が落ちていることを嫌というほど思い知らされました。ヒーヒー息が上がり、頭から玉のような汗が滴り落ちています。でも、一方で、そんな自分がちょっと嬉しくもありました。そうやって再びひとりで山に登る喜びを実感しているのでした。
山頂の手前の木の枝に「スカリ山」という小さな札が下げられていました。まだ人にあまり知られてない頃の名残りなのでしょう。その札を過ぎると突然、開けた場所に出ました。スカリ山の山頂でした。
「いやあ、これは凄いな」と思わず声が出ました。想像だにしなかった眺望が北側に広がっていました。小さなベンチが四つ山頂を囲うようにありました。眺望を見渡せるベンチに、夫婦とおぼしき60代くらいの男女のハイカーが座っておにぎりを食べていました。その横のベンチには、手前のスペースで会った女性が座っていました。女性は私の方に振り返ると、「お疲れ様でした」と言いました。そして、帰り支度をはじめ、「どうぞ、ここに座って下さい」と言いました。私は、「いいですよ。こっちに座りますので。ゆっくりして下さい」と言いましたが、女性はそのままザックを背負うと「お先に失礼します」と言って、登って来た道と反対側の道を下って行ったのでした。
反対側の道もかなりの急登で、私はそこで尻もちをついたのですが、ただ、距離は短くてそれほど時間もかからず林道に出ました。反対側からだと林道に車を停めれば、急登ではあるものの短時間で登ることができます。私が昔よくやっていたスタイルなので、もしかしたらここも来たことがあるかもしれないと思ったりしました。
スカリ山の標高434メートルは私の田舎より低いのですが、山頂からは毛呂山町や坂戸市の街並みだけでなく、遠くに長沢背稜から延びる蕎麦粒山や日向沢ノ峰(ひなたざわのうら)などの山々や群馬の山も見渡すことができました。
アスファルトの林道を15分くらい歩くと、今回のもうひとつの目的である北向(きたむかい)地蔵が林道沿いにありました。北向地蔵にお参りすると、再び登山道に入りあとはゆるい坂道をひたすら鎌北湖に向けて下って行きます。40~50分歩くと鎌北湖畔の廃墟になったホテルの横に出ました。
帰ってスマホのアプリで歩いたルートを確認すると、5つの山を登ったことになっていましたが、私が山頂を意識したのは、橋本山とスカリ山と、それからスカリ山の隣りにある観音ケ岳という3つの山だけでした。
鎌北湖では堤防の上に座って、コンビニで買ってきたおにぎりを食べました。下りて来たのが12時半近くで、1時間近く湖畔でゆっくりしたあと、鎌北湖から約1時間かけて八高線の毛呂駅まで歩きました。鎌北湖から毛呂駅までは5キロ近くあります。今まで何度も歩いていますが、一昨日がいちばんつらく感じました。山を歩くよりつらかったかもしれません。
毛呂からは昭島、昭島からは中央線で立川、立川からは南武線で武蔵小杉、武蔵小杉からは東横線で最寄り駅まで帰りました。途中の電車の乗り換えにえらく時間がかかり、最寄り駅に着いたのは午後5時半近くになっていました。鎌北湖から何と4時間もかかったのです。
帰ってズボンを脱いだら、お尻から下に一面泥が付いていました。知らぬが仏で、その汚れたズボンで電車を乗り継いで帰って来たのでした。
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西武池袋線・特急ラビューむさし1号の車内(1号車)

東吾野駅

吾野神社の階段

吾野神社

吾野神社の謂れ

吾野神社にあった標識

登山道(飛脚道)

途中からの眺望


途中の分岐にあった標識

分岐

橋本山山頂標識

橋本山からの眺望

橋本山の山頂

飛脚道の案内図


ユガテの入口にあった標識

ユガテ入口

ユガテの案内看板

ユガテ

同上

同上


エビガ坂分岐

同上

スカリ山登り口

急登を上から見る

急登

同上

「スカリ山」木札

スカリ山山頂
雨で煙っていたため、山頂から見た山の写真はうまく撮れていませんでした。

スカリ山山頂標識

北向地蔵

北向地蔵の謂れ

鎌北湖への道

同上

湖畔の廃墟のホテル

鎌北湖