ハーシス(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)の不具合の影響なのかどうか知りませんが、28日、東京都の新規感染者数が4万人を越えました。一方で、5万人越えも想定されているという声さえあります。

ちなみに、東京都の専用サイトを見ると、28日現在、入院中の感染者は30,794人、ホテルなどの宿泊療養が6,323人、自宅療養が178,862人、さらに入院・療養調整中が70,884人いるそうです。

東京都の病床使用率は50.5%で「まだ余裕がある」はずですが、にもかかわらず70.884人が入院・療養調整中というのはどう考えればいいのか。保健所のコントロールが機能してないのか。あるいは病院側に問題があるのか。いづれにしても、とても正常な状態とは思えません。

奈良で行われた全国知事会で、平井伸治会長(鳥取県知事)は、冒頭「私たちは今、未曽有の危機にあります」と挨拶したそうですが、しかし、そのあと「新型コロナを抑え、経済も回さなければなりません」と述べたそうです。「そういった難しいかじ取りが使命となっている」のだと。

でも、それは、「難しいかじ取り」ではなく「二兎を追う者は一兎をも得ず」で、最初から無理な相談ではないのかと思いました。

できないことでも、みんなでやればできるみたいな精神論は日本人の得意とするものですが、今回の新型コロナウイルスにおいても、そうやって最後は没論理の精神論に行き着いてしまう「日本の思想」の哀しさを感じました。

スーパー近代と前近代が切れまなく連続しているのが「日本の思想」の特徴だと言ったのは丸山眞男ですが、新型コロナウイルスでもそれが見事なほど露わになっているように思います。

朝のワイドショーで、コロナに感染したコメンテーターがみずからの体験談を話していましたが、その際、「感染したことで経済を止めたのもたしかで」とわけのわからないことを言っていました。要するに、感染して仕事を休んだことで、「経済を止めた」結果になり申し訳ないと言いたかったようです。

何だかひとりで国家を背負っているような発言ですが、そこにも日本人特有のメンタリティがあるように思えてなりません。でも、それは間違っても思考ではありません。ただ神のご託宣を伏して待つようなメンタリティがあるだけです。だから、いとも簡単に自我の中に国家が入って来るのでしょう。

政府が「経済を止めることはできない」と言えば、識者たちも国民も、さらには公衆衛生学や感染学の立場から感染防止策を進言し啓蒙していたその道の専門家たちも、途端に思考停止に陥って、オウム返しのように同じ台詞を口にしはじめるのでした。「悩ましい問題ですね」と他人事のように言うのですが、悩ましくしているのは自分自身だということがわかってないのです。

たとえば、朝日に載っていた下記のような記事にも、日本人特有の寄らば大樹の陰のメンタリティが示されているように思いました。

朝日新聞デジタル
マスクなし、声出しありの欧州の応援 日本「ガラパゴス化」のなぜ

スポーツライターの増島みどり氏は、マスクを付けて大声も出さずに応援する日本のサッカーの観戦スタイルに、「違和感」を覚えたそうです。「ガラパゴス化」した光景に見えたと言うのでした。

もっとも、それは「海外と比べて」そう見えたという話にすぎないのです。そこにあるのも思考停止です。どうして海外をお手本にしなければならないのかという留保さえ存在しないのです。その手の言説は、私たちのまわりにうんざりするほどあります。

私は、花粉症ということもあり、コロナ禍の前から真夏を除いて1年の3分2以上マスクをしているような”マスク人間”ですが、そんな人間から言わせてもらえば、マスクを外さずに感染防止に努める日本人の潔癖な習性は、むしろ”日本的美徳”と言ってもいいはずです。それがどうして同調を求める日本社会の象徴みたいに言われ、否定的な意味合いで語られなければならないのか。

今回の第7次感染拡大がはじまる前、感染が落ち着いたのでもう終息に向かっていると早とちりしたのか、いつまでもマスクを外さない日本人をヤユするような文章が新聞などメディアに飛び交い、上記の記事のように、マスクを外すことが日常を取り戻すことであるかのようなもの言いが多く見られました。

たとえば、下記のようなキャッチーな記事のタイトルにも、そんな”含意”が顔をのぞかせているように思いました。

朝日新聞デジタル
マスク外す?外さない? 自分で決められない日本社会の空気感

今回の感染拡大では、あらためてエアロゾル感染を防ぐ重要性が指摘されていますが、メディアや識者はつい昨日まで、いつまでマスクをしているんだ、海外を見習え、とマスクを外さない日本人を恫喝していたのです。

海外がそうだからというだけで、それが”いいこと”なのかどうかという検証はないのです。先日のテレビで、フランス人は政府が強制すると、反発しながら一応マスクを装着するけど、強制が解除されるとほとんどの人はマスクを外すという話をしていましたが、新型コロナウイルスの感染防止にとって、それが”いいこと”がどうかが大事なのです。フランス人がマスクを外したので日本人もマスクを外すべきだという話にはならないでしょう。それこそ日本人が好きなエビデンス(!)の問題でしょう。

丸山眞男は、『日本の思想』の中で、「思想評価の際にも、西洋コンプレックスと進歩コンプレックスとは不可分に結びつき、思想相互の優劣が、日本の地盤で現実にもつ意味という観点よりは、しばしば西洋史の上でそれらの思想が生起した・・・・時代の先後によって定められる」と書いていましたが、私は、ただの思考停止の産物でしかない夜郎自大な「マスク論」を目にするたびに、このような丸山のシニカルな言葉を思い出さざるを得ませんでした。

そんな中、「未曾有の」感染拡大を前にして、新型コロナウイルスを感染症法上の「2種相当」から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げるべきだ、という声が日ごとに大きくなっています。

「5種」になれば、診察した病院が、感染者の詳細な情報を保健所に届け出る義務(全数把握)がなくなります。代わりに都道府県が指定した指定医療機関が、患者の発生状況を一定の期間ごとに報告するだけです(定点把握)。医療機関や保健所の業務の負担が減るというのは、そのとおりでしょう。

しかし、その代わり、今のようなリアルタイムの新規感染者数のカウントがなくなるのです。もちろん、濃厚接触者という扱いもなくなります。新型コロナウイルスが可視化されなくなるのです。

「5種」に引き下げられると、今までの発熱外来に限られた窓口が一般の病院にまで広がりますので、症状があるのに病院から断られて診察してもらえない「受診難民」が減るのは間違いなく、それもたしかにメリットです。でも、濃厚接触者の追跡がなくなるのは、今後に大きな禍根を残すような気がしてなりません。

濃厚接触者の追跡がなくなれば、当然、今以上に感染は広がります。しかし、どのくらい感染が広がっているのかはわかりません。感染症なのですから、無症状や軽症の人たちも他人に感染させる可能性は当然あります。にもかかわらず彼らは市中に放置されるのです。

また、「5類」引き下げには、別の政治的背景があることも忘れてはなりません。今回の感染拡大では、行動制限をしてないにもかかわらず、感染拡大で休む人間が多くなり、社会インフラや企業活動に支障が出てしまいました。これでは元の木阿弥です。「休む理由をなくせ」「休ませないようにしろ」という資本の要請があったことは想像に難くありません。

一方、メディアも、ほとんど異論をはさむことなく、むしろ逆に、「5種」引き下げの世論を煽っている感さえあります。既に一部の新聞には、今回の第7次の感染が収まったら、「5種」に引き下げになる方向だという記事も出ています。

”日本的美徳”と言えば、弱肉強食の欧米式「社会実験」ではなく、重症化リスクの高い高齢者に対する”配慮”を一義に考える敬老精神もそう言えるでしょう。「5種」に引き下げになれば、高齢者に対する”配慮”もなくなり、「経済をまわす」ためにはある程度の犠牲はやむを得ないという、無慈悲な経済合理主義が大手を振ってまかり通るようになるのです。

資本にとって、眼中にあるのは労働力として使える(再生産できる)健康な現役世代の人間だけです。労働力として使えない高齢者なんて知ったことじゃないのです。ネットでよく高齢者はコストばかりかかる社会のお荷物みたいな言い方がされますが、それは思考停止したネット民が資本の論理を受け売りしているだけです。古市憲寿や落合陽一なども同じようなことを言ってますが、彼らも資本の論理を代弁しているだけです。「資本家の犬」は岸田首相だけではないのです。

もちろん、新型コロナウイルスは終息する目処が立ったわけではありません。いつ終わるか誰にもわからないのです。今後、免疫をすりぬける新種が出て来る可能性もあると言われています。感染が一旦収まっても、それは次の感染拡大までの”準備期間”にすぎないのです。

それに、いくら弱毒化したからと言って、みんながみな無症状や軽症だとは限らないのです。自分が無症状や軽症で済むという保障もないのです。上の東京都のデータを見てもわかるとおり、「風邪みたいなもの」と言われながら、感染して入院中の人、ホテルなどで宿泊療養している人、入院・療養調整中の人を合わせると、10万人以上の人たちが入院・加療を必要としているのです。

「5類」引き下げ、あるいは「5類」並み緩和の方針に対して、医療現場も専門家も与野党の政治家も識者もメディアも国民も、明確に反対する声はほとんどありません。私のような考えの人間は、「不安神経症」などと言われるほど圧倒的に少数です。

一応医療費の公費負担は維持されるようですが、「5種」引き下げになれば、行政レベルの感染対策はほとんどなくなるに等しいのです。もう補償金や支援金を払うことはないぞ、休む理由もなくなったぞ、あとはお前たちの責任でコロナ禍を乗り越えろ、と言われているようなものです。でも、みんな歓迎しているのです。いつの間にかパンデミックという言葉も使われなくなりましたが、「5類」引き下げになれば、パンデミックが終わったかのような空気が益々広がっていくことでしょう。

感染して自宅療養している知人がいるのですが、その知人のもとに、政府が「5類」に引き下げてくれればこんなに騒がれなくてもよくなるのにね、と職場の同僚から慰めのメールが届いたそうです。コロナ疲れもあるのかもしれませんが、なんだか面倒くさいものから解放されたい、という気持の方が先に立っているような気がしないでもありません。新型コロナウイルスはイメージではないのですから、私たちの見方や捉え方が変わったからと言って、ウイルスの性質が変わるわけではないのです。これからも(当分は)新型コロナウイルスに翻弄される日々は続くのです。今の感染状況を見ると、集団免疫というのも随分怪しい話になってきました。なのに、こんな安易な気分に流されてホントにいいんだろうか、と「不安神経症」の私は思うのでした。
2022.07.29 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
オミクロン株「BA.5」の感染は拡大する一方です。WHO(世界保健機関)の最新レポートによれば、先週1週間の日本の新規感染者は96万9068人で世界で最多だったそうです。また、昨日(7/27)の国内での新規感染者も20万人を越えた、というニュースもありました。

それでも政府は行動制限を行わない姿勢を崩していません。政府がやったことは、抗原検査キットを医療機関に配ったくらいです。

NHKが発表している病床使用率は、7月20日時点で全国平均が37%、酸素吸入などが必要な重症病床の使用率は19%です。政府の無作為は、こういった数字を根拠にしているのかもしれません。

しかし、この数字は、毎週木曜日に1週間分を集計して翌日の金曜日に発表したものです。つまり、あくまで1週間前の20日時点の数字にすぎないのです。20日以後この1週間で、東京都の新規感染者数は3万人を越すなど、ほとんどの自治体で新規感染者数が「過去最高」を更新しているのです。明日(7/29)発表される最新データが、これよりはるかに高い数値を叩き出すのは火を見るよりあきらかでしょう。

実際に昨日(27日)のデータでは、大阪府の病床使用率が52.0%です。東京都も50.5%、沖縄に至っては87.8%(重症病床使用率43.5%)です。

一方、厚労省が発表した7月20日現在の自宅療養者は全国で61万2023人にものぼっているそうです。何度もくり返しますが、これも20日時点の話なので、この1週間でさらに増えていることは安易に想像できます。

病院の外来が一日に診察するキャパを超え診察を断っている、というニュースが連日伝えられています。そのため、発症しても病院で診察を受けることができないのです。でも、病床使用率は「まだ余裕がある」というのです。これもおかしな話と言えるでしょう。

現在は感染しても、病院どころかホテル療養も難しいと言われています。専門的な診断を受けることもなく、保健所との電話のやり取りで「軽症」と判断され、自宅療養を余儀なくされるのです。しかも、保健所の受付もキャパを越えたため、電話ではなくFAXに切り替えたなどという話さえあります。

感染した人の中には、「軽症」と言われても症状が想像以上にきつく、2~3日食事もできず重症化するのではないかという不安に襲われたと話す人も多いのです。

もちろん、医療従事者も感染の蔓延と無縁ではありません。感染したり濃厚接触者になったりして休まざるを得ないケースも多いのです。先の病床使用率が低い”矛盾”も、人員の配置ができずベットを使いたくても使えないケースも多いのではないかと思います。

すると、政府は、科学的知見を無視して、濃厚接触者の待機機関を従来の7日から原則5日(最短3日)に短縮すると方針転換したのでした。要するに、「早く職場に出て来い」ということです。泥縄式とはこのことでしょう。でも、日本医師会が会見を開いて注意を喚起したように、7日間は他人を感染させる可能性があるのです。これでは、政府みずから感染を拡大させる要因を作っているようなものでしょう。

医療が逼迫した状況がある一方で、夏休みに入った街には人々が繰り出し、繁華街は感染拡大がウソのように人でごった返しているのでした。その別世界のような光景にも驚かざるを得ません。それは、文字通り「水は低い方に流れる」光景と言うべきでしょう。彼らは、政治の無作為を口実に、「自分だけは大丈夫」「所詮は風邪と同じ」と言い聞かせて、楽な方、欲望の赴く方に身を預けるだけで、それ以上のことは考えることができないのでしょう。政治の方も、旧統一教会との関係を黒塗りしたり、見せしめのために死刑を執行することには熱心ですが、肝心な感染拡大に対しては、「経済をまわすため」というお題目を唱えてサボタージュするだけなのです。どっちもどっちという気がしてなりません。

しかし、感染者や濃厚接触者が集中して発生したため、郵便局の窓口が閉鎖されたとか電車やバスが運休されたとかいう話も出ています。皮肉なことに、政府の無作為によって社会インフラがみずから崩壊しつつあるのです。

夜の飲み屋街でも、人出が減り飲食店が再び苦境に立たされているという話も出ています。感染の拡大を怖れ、外での飲食を控える人が多くなっているからです。政府は感染源は飲食ではなく家庭が多いと言うのですが、実際に感染した人の話を聞いても、飲食が原因だったという人も多いのです。

この季節でこれほど感染が拡大しているのですから、秋冬になったらどうなるのだろうと考えてしまいます。今の「BA.5」に比べて3倍も感染力が強いと言われる新しい変異株「BA.2.75」の市中感染も、既に東京や大阪などで確認されています。第8波の感染爆発も当然のように予定(予想ではなく予定)されているのです。それが、秋冬にずれ込んだらと考えると戦慄さえ覚えます。

もちろん、「BA.2.75」は最終型ではありません。重症化率が低くなり「弱毒化」されたからと言って、新型コロナウイルスが終わりに近づいたという保障はどこにもないのです。次々と登場する変異株の中には、免疫をすり抜ける新種も含まれているという話もあるくらいです。

新型コロナウイルスとの戦いがはじまってまだ3年も経ってないのです。いつ終わるのか、誰もわからないのです。

にもかかわらず、政府が根拠のない”楽観論”を振り撒き、「経済をまわす」ことを優先する背景には、深刻度を増す世界経済の状況も無関係ではないように思います。

アメリカのFRBが2ヶ月続けて利上げを行なったのも、資本主義世界の危機の表われだとしか思えません。それくらいインフレが深刻なのでしょう。アメリカは、インフレ(物価高)と不況の股裂き状態にあり、その泥沼(=スタグフレーション)から抜け出す手立てもなく苦境に喘いでいるのです。それが属国・日本に及ぼす影響は想像を絶するものがあるでしょう。

感染対策を二の次にして「経済をまわす」という日本政府のかたくなな方針も、換言すれば、感染対策を二の次にせざるを得ないということなのかもしれません。ウイズコロナなんて呑気な話ではないのかもしれないのです。
2022.07.28 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、2008年の「秋葉原事件」の実行犯で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚に刑が執行されたというニュースがありました。事件から14年。加藤智大死刑囚は39歳だったそうです。

穿ちすぎと言われるかもしれませんが、どうして今のタイミングなんだ?と思いました。「模倣犯に対する抑止効果」「みせしめ」。そんな言葉が浮かびました。宮台真司風に言えば、「呼んでも応えない国家」からの警告なのか、と思ったりしました。

加藤智大死刑囚は、青森県下トップレベルの進学校である青森高校を卒業しています。しかし、犯行時は派遣工として各地を転々とする生活をしていました。安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者も、奈良県下でも有数の進学校を卒業しています。でも、犯行時は派遣社員として務めた工場を辞めて無職でした。年齢もほぼ同じのいわゆるロスジェネ世代です。驚くほどよく似ています。しかし、ふたりが胸の内に持っていた言葉はまったく違うように思いました。

「秋葉原事件」について、私は、このブログでは事件直後と事件から10年目の2回記事を書いています。事件直後の記事で、事件を聞いて憂鬱でやり切れない気分が続いていると書きましたが、今日、死刑執行のニュースを聞いたときも同じような気分になりました。

僭越ですが、とり急ぎ事件直後の記事を再掲させてもらいます。

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秋葉原事件 2008.06.20

秋葉原の無差別殺傷事件以来、憂鬱でやり切れない気分がつづいています。山田昌弘氏の『希望格差社会』(ちくま文庫)には”「負け組」の絶望感が日本を引き裂く”という副題が付けられていますが、秋葉原事件はまさにそれが現実のものとなった気がします。私も事件の報を聞いたとき、雨宮処凛氏がマガジン9条のブログに書いていたのと同じように「とうとう起きてしまったか」と思いました。

埼玉に住んでいたとき、たまたま近所の工場で派遣社員として働く若者と知り合い、話を聞いたことがありますが、誤解を怖れずに言えば、派遣会社が借り上げたワンルームマンションに住んでいるという点も含めて、秋葉原事件の犯人とあまりにも似通った部分が多く、あらためて愕然とせざるを得ませんでした。今や年収200万円以下の労働者が1000万人もいるというような現実の中で、程度の差こそあれ、絶望感に打ちひしがれ閉塞した日々を送っている彼らのような若者達は日本中の至るところにいると言っても過言ではないのでしょう。

派遣社員の彼はさかんに「あいつら」という言い方をしていました。「あいつら」とは誰なのかと言えば、正社員のことなのです。そんな二重あるいは三重とも言われる差別構造の中で、秋葉原事件の犯人は、始業前に自分の作業服(つなぎ)が見つからなかったことがきっかけで「この会社はなめている」とその鬱屈した感情を爆発させたのですが、恐らく似たような環境にある彼も「その気持はわかる」と言うに違いありません。

犯人と同じ青森県出身で、30年近く前、季節工として半年間トヨタの自動車工場に勤務した体験をもとに書かれたルポルタージュ『自動車絶望工場』(講談社文庫)の著者の鎌田慧氏は、今回の事件に関する新聞のコメントの中で、「派遣は(当時の)季節工よりも労働条件が劣悪だ」と言ってました。30年前より現在の派遣工(派遣社員)の方が劣悪な条件におかれているというのは信じがたい話ですが、しかし、考えてみれば、本工→期間工(季節工)→派遣工というヒエラルキー(三重構造)の中で、派遣工は会社にとって直接雇用のリスクがない分、雇用の調整弁として安易に「使い捨てられる」運命にあるのは当然かもしれません。

そんな中で、戦前のプロレタリア文学の代表作である小林多喜二の『蟹工船』が多くの若者達に読まれベストセラーになっているという現象もあります。最初、この話を聞いたとき、正直言って、どうして今、『蟹工船』なんだ?と思いました。古典的な窮乏化論などとっくに終ったと思われていたこの時代に、『蟹工船』と重なるような搾取や貧困がホントに存在するのだろうかと俄かに信じられない気持でした。

吉本隆明は、『文芸春秋』7月号で、『蟹工船』ブームについて、『蟹工船』を読む若者達は、貧困だけがつらいのではなく、彼らが感じている重苦しさはもっと別のものかもしれないと言ってました。

ネットや携帯を使っていくらコミュニケーションをとったって、本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。若い詩人や作家の作品を読んでも、それを感じます。その苦しさが、彼らを『蟹工船』に向かわせたのかもしれません。
 僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分の言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。
 友人同士でひっきりなしにメールで、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものなのです。
(「蟹工船」と新貧困社会)


この記事は秋葉原事件の前に書かれていますが、なんだか秋葉原事件の犯人に向けて言っているようにも受け取れます。秋葉原事件の犯人も、とりわけネットに依存し、ネットに翻弄されたことが大きいように思います。彼のネットの書き込みを読むにつけ、大方の書き込みと同じように、あまりにもものの考え方が短絡的で想像力が貧困なのにはびっくりします。恐らくそれは自分の言葉を持ってない、つまり、ホントに自分と向き合い胸を掻きむしるように苦悩したことがないからでしょう。

しかし、それでも私は、今回の事件を個人の問題に還元するのは、やはり、問題を矮小化することになるような気がしてならないのです。たしかに、本人や家庭に問題があったかもしれません。でも、20才そこそこの若者にしては、親に頼らず派遣会社に登録して、ひとりで知らない土地に行き、1年なり2年なり工場で働いて生活の糧を得ていたというのは、むしろ「がんばっていた」と言えるのではないでしょうか。それをマスコミのように、「実家とは疎遠」「派遣会社を転々とした生活」などというのはあまりにも底意地が悪く冷たい気がします。要は、「偉いじゃないか」「がんばっているじゃないか」と言ってくれる人がいなかったことが彼の悲劇だったように思います。だからこそ、派遣の問題やその背景にあるグローバリズムの問題も含めて、社会的に未熟な25才の若者をそこまで追い込んだこの社会のしくみや風潮こそもっときびしく問われて然るべきではないかと思うのです。


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秋葉原事件
秋葉原事件から10年
2022.07.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
昨日(7/25)の朝日に、北アルプスにおいて、4月から行われている「登山道整備の協力金を求める実証実験、『北アルプストレイルプログラム』」の記事が出ていました。

朝日新聞ジタル
北アルプスで登山道がピンチ 整備の協力金一口500円を呼びかけ

記事を書いたのは、”山岳記者”として知られる近藤幸夫氏です。実験は昨年に続いて2回目だそうです。

通常、登山道の整備は山小屋のスタッフを中心にしたボランティアの手で行われています。しかも、人員だけでなく費用の一部も山小屋が負担しているのです。

ところが、近年、山小屋の経営がきびしくなったことで、登山道の維持管理にも支障が出はじめているそうです。それで、関係する団体や有志で協議会を立ち上げて、登山者に1口500円の「任意の協力金」を求める試みがはじまったのでした。

 安全登山を支える登山道の整備は山小屋を中心にした関係者の努力で整備されてきました。しかし、自然災害による登山道の被害に加え、新型コロナ禍で山小屋の経営が厳しくなり、これまでの枠組みでは登山道を守ることが難しくなっています。この実態を登山者に知ってもらい、新たな制度を発足させる狙いがあります。


しかし、それでも費用を賄うことはできてないのだとか。

 2021年度の同協議会の決算書によると、約1600万円の歳入に対し、歳出は約2500万円でした。差額の約900万円は、山小屋の収益から持ち出すことで補われました。しかし、コロナ禍で、各山小屋とも経済的な余裕がなくなっています。


私たちが登る山の多くは、国立公園や国定公園(あるいは県立公園)の中にあります。しかし、国立公園の中で国が所有するのは6割にすぎず、あとは民有地なのです。

よく知られた話では、尾瀬の40%は東京電力が所有し、間ノ岳・塩見岳・悪沢岳・赤石岳・聖岳・光岳など、3000メートル級の山がひしめく南アルプスの山域は、特種東海製紙が所有しています。余談ですが、私はポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、オリジナルのポストカードを作るのに、当時は特種製紙と呼ばれていた静岡の同社に何度か足を運んだことがありました。

このブログでも触れたことがありますが、以前『週刊ダイヤモンド』(2019年10月5日号)でも「日本の山が危ない 登山の経済学」という特集が組まれ、その中で登山道の問題が取り上げられていました

記事を担当した鈴木洋子記者も、次のように書いていました。

(略)登山道整備の多くは日常の整備を担当する山小屋が担う。どの登山道をどの山小屋が分担するかは、山小屋間の申し合わせで決まる。
  だが、経営が安定している山小屋とそうではない山小屋では、登山道整備に費やせる金銭・人的リソースが全く異なる。実際は山小屋の費用持ち出しが発生するからだ。登山道の安全は近隣の山小屋の経営状況で決まるのが現実だ。
   国立公園は『美しい景観を国民が楽しむことを目的として、国が管理する自然公園』と定義されている。だが、山の環境や登山道の正確な状況について全容を把握し管理計画を立てている機関は、国にも地方自治体にも存在しない。


下記は、『週刊ダイヤモンド』の特集に添付されていた、日本とアメリカとイギリスの国立公園のデータを比較した図です。これを見ると、記事でも指摘されていましたが、日本の国立公園は「ヒト」「カネ」のリソースが足りてないことがよくわかります。

週刊ダイヤモンド国立公園
(『週刊ダイヤモンド』(2019年10月5日号より)

アメリカやイギリスの国立公園では、投資対効果や地域への経済効果なども細かに検証されているそうです。もちろん、当然のように入山料も徴収しています。しかし、「日本では国立公園の経済効果の試算は存在しない。そもそも行政が積極的に国立公園を運用する計画自体がない」のです。

そのため、日本とアメリカ・イギリスとでは、国立公園の”あり様”が大きく異なっています。簡単に言えば、日本の場合、門戸が開放されてない、誰でも行ける国立公園ではないのです。とりわけ、北アルプスや南アルプスなどは、上高地など麓の施設を除くと、国立公園と言っても、近づくことすらできません。ただ、遠くから山を眺めるだけです。しかも、その山は、上級者レベルの登山者だけが登ることができる”特別な場所”のようになっています。

私は、谷川岳の天神平や北横岳の坪庭や新穂高ロープウエイの展望台に、家族に手を引かれた高齢者や車椅子に乗った身障者が来ているのを見たとき、「ああいいなあ」と感動さえ覚えました。年を取っても、身体が不自由になっても、山に来たい(登りたい)という気持はあるのです。そう考えたとき、山は誰のものなのかと思わざるを得ませんでした。一部の特殊な登山者のものではないはずです。ましてや、「勝者」や「強者」のものではないのです。

国立公園であるなら、子どもでも高齢者でも身障者でも誰でも、自然に触れ合えるような場所であるべきでしょう。もちろん、それは無節操に開発するという意味ではありません。手始めにまず、アメリカやイギリスのように、「山岳レンジャー」や山岳ガイドが常駐する体制くらいは整えるべきしょう。

とは言え、前例主義と事なかれ主義に呪縛された行政にそうそう期待できるはずもなく、とりあえず現状の中で次善の策を考えるしかないのです。「北アルプストレイルプログラム」もそのひとつと言えるのです。

あまり整備されると登るのがつまらなくなる。最低限の整備にとどめるべきだ。危険と背中合わせなところが登山の魅力だ。一部の「軽業師」か「消防夫」(田部重治)のような登山者に、そういった高慢ちきな特権意識が存在するのは事実でしょう。

また、北アルプスなどはブランド化され、「登山者のあこがれ」「聖地」みたいに祭り上げられている現実もあります。登山雑誌でも登山シーズンになると、北アルプスの特集が組まれるのが定番です。そんなミーハーな意識で訪れている登山者も多いのです。

山小屋を運営する自治体もあるので、自治体の支援に濃淡があるのは当然ですが、中央の行政機関の担当者の中には、登山道の整備に税金が投入しづらいのは、現状ではまだ世論が充分納得しているとは言い難いからだという声もあるそうです(と言いながら、皇族が登るときは惜しみなく税金を使って整備しているのですが)。

遭難事故が発生するとさも迷惑みたいに叩かれるのも、警察やメディアに誘導された無知と悪意による予断が大きいのですが、一部にはそういった登山者の特権意識に対する反発もなくはないように思います。

山を「征服」するヨーロッパ由来のアルピニズム思想を無定見に信奉しながら、一方で自然保護を唱える矛盾も同じです。私の知人で登山愛好家を「偽善者」「似非ナチュラリスト」と痛罵する人間がいますが、まったく的外れとは言えないのです。

前から言っているように、私も登山における利用者負担は当然と思っています。また、行政の支援に頼るだけでなく、上記のような”協議会方式”で利用者負担の仕組みを作るのも、ひとつの方法だと思います。実際に北アルプスだけでなく、全国の山域でも同じような試みが既にはじまっているそうです。

考えてみれば、魚釣りに行くのも入魚料を徴収されるのです。私が子どもの頃、九州の山奥の渓谷みたいところで魚を釣るのでも、途中にある煙草屋で入漁料を払っていました。山に登る際も、入山料を払うのが当たり前のようになるべきでしょう。記事にも書いているように、登山者の間でも、利用者負担(入山料の徴収)に対する理解は広がっているのです。というか、むしろ登山者自身が率先して声を上げるべきでしょう。

入山料が当たり前になれば、登山道の整備費用が賄えるだけでなく、登山者の抑制にもつながるので、丹沢などに象徴されるようなオーバーユースの問題が解消されるメリットもあるのです。国立公園のあり方を考えるきっかけにもなるでしょう。

北アルプスのようなブランドの山なら、子どものお誕生日会のプレゼント代みたいなケチな金額ではなく、1万円でも2万円でも入山料を徴収すればいいのではないか。「あこがれの」ブランドの山なのだから、それくらい払ってもバチが当たらないだろう。そんな皮肉さえ言いたくなるのでした。
2022.07.26 Tue l l top ▲
新型コロナウイルスの新規感染者数が23日、初めて20万人を超え、4日連続での過去最多を更新しました。東京都は23日が3万2698人で、3日連続での3万人超えになりました。

政府は、急遽、4回目のワクチン接種を医療従事者や介護施設の職員などに拡大する方針を決定しましたが、同時に、現時点では「まん延防止等重点措置」などの新たな行動制限は行わない考えをあらためて表明しました。

そんな中、軽井沢で開かれている経団連の夏セミナーを訪れた岸田首相は、その席で、「『日本は、これまで6回の感染の波を乗り越えてきた。全体として対応力は強化されている。政府としては現時点で新たな行動制限を考えてはいないが、医療体制を維持・強化しメリハリのきいた感染対策を行ないながら、社会経済活動の回復に向けた取り組みを段階的に進めていく方針だ』と強調した」(FNNニュースより)そうです。

一方で、政府は、濃厚接触者の待機期間を現在の原則7日間から5日間に短縮するなど方針転換を発表したのでした。行動制限や時短営業についても、「感染者が減らせるエビデンスがない」「感染拡大の原因は飲食店ではなく家庭だ」と今までとは180度違うことを言い出しているのでした。政府は、オミクロン株は感染力が強いけど重症化リスクが低く、弱毒化していると言っていますが、オミクロンはそんな根本的な転換を伴うほど違うのだろうか、と首をひねりたくなります。

現在の感染拡大はBA.5という亜種によるものですが、でも、オミクロン株にも次々と新種が発見されています。既にBA.5に比べて3倍もそれ以上も感染力が強いと言われる、新しい変異株のBA.2.75が市中で発見されたという話もあります。そんなに能天気に構えていていいのかと思わざるを得ません。

先日、ワイドショーの某電波芸者コメンテーターが、「国民はもうこれ以上できないというくらい感染防止をしっかり行ってきました」、それでも感染を防げないのならウィズコロナに向けてウイルスと共存する方法を考えた方がいいのではないか、というようなことを言っていました。

しかし、身近を見てもわかるとおり、「国民はこれ以上できないくらいしっかり感染防止を行っている」わけではありません。政府の180度転換した楽観論をこれ幸いに、国民の感染防止もかなり緩んでいるのは事実です。夏は外ではマスクを外しましょう。でも、2メートル以内に接近したらマスクを付けましょうと呼びかけていますが、そんな面倒なことをしている人なんていません。マスクを外した人も目立って多くなりました。手の消毒をスルーする人も多くなりましたし、電車内でのあたり憚らないお喋りも復活しています。何より夜の繁華街や行楽地を見れば、その緩みは一目瞭然でしょう。

場当たり的なワクチン接種の拡大を見てもわかるとおり、結局のところ、政府に成す術がないということではないのか。行動制限も、行わないのではなくできないのではないのか。もはや日本の経済にそんな余裕がないというのが本音ではないのか、と思ってしまいます。

それを言い訳のようにアナウンスするので、国民もオミクロンは風邪と同じみたいな受け止め方をして、感染対策がいっきに緩みはじめたように思います。いつの間にか日本全体が反コロナの陰謀論に宗旨変えしたみたいになっているのです。

既にいろんなところで言われていますが、先進国において日本だけがこの30年間成長が止まったままです(給与も上がってない)。そのため、いつの間にか韓国や中国の後塵を拝するまでになっているのです。過去の”遺産”があるので何とか先進国のふりをしていますが、年を経るごとに貧しくなり没落しているのは誰の目にもあきらかです。ゼロ金利政策を取り続けているのも日本だけです。日本だけが泥沼から抜け出せない状態になっているのです。それはあきらかにアベノミクスなど政策ミスによるものです。

中国のような強権的なゼロコロナ政策も問題かもしれませんが、ああやって経済を止めて強力な感染対策を講じることができるのも、中国に経済的な余裕があるからでしょう。

しかも、あろうことか、政府の分化会などでは、現在の感染症法上の「2類相当」の扱いからインフルエンザ並みに緩和すべきだという声も出ているようです。これだけの感染爆発を前にして、「2類相当」の厳格な要件を適用すると、社会経済活動に再び支障が出てくるからでしょう。すべては本末転倒した社会経済活動ありきの発想なのです。

「だが重症化率が低いといっても、季節性インフルエンザに比べればまだ高い水準にある。厚生労働省の資料によると、60歳以上の重症化率はオミクロン株2・49%に対し、インフルは0・79%。致死率もオミクロン1・99%、インフル0・55%でなお開きがある」(JNNニュースより)という指摘があることも忘れてならないのです。

先日、バイデン政権の首席医療顧問を務めるアンソニー・ファウチ博士が、バイデン大統領の任期が終わる2025年1月までに退任する意向を明らかにしたというニュースがありました。ファウチ博士は現在81歳ですが、退任の理由として、「新型コロナがなくなってから辞めるとなると、私は105歳になってしまう」と言ったそうです。

新型コロナウイルスとの戦いは、これからも長く続くのです。国内で初めて新型コロナウイルスの患者が確認されたのは、僅か2年前の2020年1月です。なのに、早くもギブアップしている日本はホントに大丈夫なのかと心配になってきます。

発熱外来は患者が殺到して予約が取れないとか、保健所も電話が鳴りやまずパニックになっているとか、救急外来も救急車を断るようになったとか、重症化リスクが低いと言いながらまた医療現場の混乱が伝えられています。にもかかわらず、何故かメディアも識者も、肝心な感染防止策に対して言及することはないのです。水が溢れて大変だと言いながら、蛇口から流れる水をどうすれば減らすことができるかの議論がまったくないのです。それは実に奇妙な光景です。

不勉強なので素人の戯言ですが、今のような感染防止がないがしろにされた状態を見るにつけ、紙幣を増刷してそれを国民に配り(俗な言い方をすれば、働かないでも当面しのげるお金を給付して)とりあえず感染防止を優先するという、MMT理論のような大胆な方策も必要ではないか、と考えたりもするのです。そして、感染が収まったら、十全な状態で経済活動を復活させればいいのではないか。ちなみに、アメリカは200兆円使って国民一人あたり15万円の支援金を3回給付しました。一方、日本は10万円を1回給付しただけです。

いつまで続くのかわかりませんが、これからも新株が出るたびに感染爆発が起きるのは間違いないでしょう。新型コロナウイルスは、世界史の上でも特筆すべき大きな出来事なのです。私たちは現在、その歴史の真っ只中にいるのです。この国の為政者には、その認識が決定的に欠けているように思えてなりません。
2022.07.24 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
武蔵小杉駅~立川駅~武蔵五日市駅~「仲の平」バス停~【数馬峠】~【笹ヶタワノ峰】~「浅間尾根登山口」バス停~武蔵五日市駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約6時間(休憩等含む)
※山行距離:約6.5キロ
※累計標高差:登り約488m 下り約392m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3,808円


一昨日、奥多摩の笹尾根を歩きました。前回の1年3ヶ月ぶりの山行から既にひと月の間が空いてしまいました。

雨が続いたかと思えば、つかの間の晴れ間は「熱中症警報」が発令されるような酷暑で、山どころではなかったのです。

早朝5時すぎの東横線に乗って武蔵小杉駅。武蔵小杉駅から南武線で立川駅。立川駅から武蔵五日市線の直通電車で武蔵五日市駅。武蔵五日市駅に到着したのは7時すぎでした。そして、駅前から7時20分発の「数馬行き」のバスに乗って、終点の「数馬」のひとつ手前のこのブログではおなじみの「仲の平」(檜原村)のバス停まで行きます。「仲の平」まで約1時間かかりますが、半分も進まないうちに乗客は私だけになりました。これもいつものことです。

実は前日にいったん出かけたのです。武蔵小杉まで行き、南武線の改札口に向っている際、首にサコッシュがかかってないことに気付いたのでした。サコッシュには、財布や健康保険証やクスリなどが入っています。もっとも、普段の移動はモバイルスイカを使っていますので、スマホさえあれば支障はないのですが、とは言え、心はまだアナログ人間なので一抹の不安がありました。それで、山行を中止して自宅に戻ることにしたのでした。ちなみに、翌日の山行では、財布をサコッシュから一度も出すことはありませんでした。

登山口がある「仲の平」のバス停に着くと、外は雨になっていました。それもかなり雨脚が強く、山の方も霧におおわれています。前回(と言っても一昨年)下山で使った道を登ろうと計画していましたので、傘を差してバス停から民家の横の細い道を川の方に下って行きました。その際、民家から出て来たおばさんに出くわしました。

「おはようございます」と挨拶したら、「今から山に登るんですか?」と訊かれたので「そうです」と答えたら、「生憎の雨で大変ですね。気を付けて下さいね」と言われました。

川まで下りると、そこは昔のキャンプ場の跡になっています。朽ちたバンガローが数軒、そのまま残っています。炊事場だったところに屋根があるので、そこで雨宿りを兼ねて山に登る支度をはじめました。

40分以上待ったけどいっこうに雨が止む気配がないので、しびれを切らして雨具を着て登ることにしました。途中の伐採地まで結構な登りが続きます。

私は笹尾根には今まで冬か秋しか来たことがなく、夏は初めてでした。道中は草が繁茂して半分藪漕ぎみたいなところもあり、同じ山だとは思えないくらい様相が変わっていました。もちろん、山行中誰にも会うことはありませんでした。

息が上がり足も重くてなりませんでした。それに雨具を着ているので、外気と湿気で水を被ったように全身汗びっしょりになり、よけい疲労感が増します。雨も止む気配がなく、情け容赦なく叩きつけてきます。

30分近く歩くと、ようやく登りがいったん緩む伐採地に出ることができました。既に疲労困憊でした。でも、山の中なので雨宿りができる建物などあろうはずもありません。

それで、木の下にあった倒木に座って、休憩がてら雨脚が弱くなるのを待つことにしました。天気予報によれば、1~2時間経てば雨が止むはずです。

再び傘を差してうずくまるように座り、おにぎりを頬張っていたら、何だか情けなくて泣きたいような気持になりました。でも一方で、「やっぱりひとりがいいなあ」と心の中で呟いている自分もいました。自己愛の強い私は、そんな孤独な自分が嫌いではないのです。

30~40分待つと、空も明るくなり雨脚も急速に衰えてきました。雨具を脱いで再び歩きはじめたのですが、1年以上のブランクとまだ少し痛みが残っている膝の影響もあって、足を前に進めるのがつらくてなりませんでした。それに、同じ道とは思えないほどの景色の違いにも、心が萎えるばかりでした。全身から吹き出す汗に水も減る一方です。水は2.5リットル持って来ましたが、既に1リットル以上飲んでいました。

山に登ることほど孤独な営為はありません。常に自分と向き合い、自分と葛藤しながら足を出して登っているのです。しかも、その自分は文字通り素の自分です。そこにいるのは、ハァーハァー息を切らし鼻水を垂らしながらネガティブな気持と戦っている、何の後ろ盾もない非力な自分です。

普段の生活のように、自分を強く見せたり、大きく見せたりすることもできないのです。自然の前にいる自分は何と非力で小さな存在なのかとただただ思い知るだけです。

前も書きましたが、ヨーロッパ由来のアルピニズムでは、山は「征服」するものでした。アダム・スミスの研究者である山口正春氏(日本大学教授)が下記の論稿でも指摘しているように、西洋の自然観は『聖書』の「天地創造説」に影響されています。つまり、「神が自然(世界)を創造し、『神の似像』として人間を創り、人間が支配し、食糧とするために自然が与えられている」という考えです。そのように、「元々キリスト教の教義の中には『自然支配』の思想、さらに『人間中心主義』が包含されていた」のでした。

山口正春
西洋の自然観とその問題点

私たちは、「人間中心主義」と言うと、ルネッサンスのような人間賛歌、ヒューマニズムの原点のように思いがちですが、しかし、それは「自然支配」と表裏の関係にあるものにすぎないのです。ヨーロッパ由来のアルピニズムに、軍隊用語がふんだんに使われているのも故なきことではないのです。

それに対して、日本人は古来から自然に対して畏敬の念を持っていました。とりわけ山岳信仰などはその代表的なものでしょう。また、採集経済においては恵みを与えてくれるものとして、そして、畑作や稲作の農耕文化が伝来すると雨乞い信仰の対象として、山を崇拝するようになりました。山は「征服」するものでなく、「ありがたい」ものだったのです。

文字通りほうほうの体で笹尾根上の数馬峠(標高1102メートル)に着いたときは、既に12時をまわっていました。登山アプリのコースタイムより1時間以上多く時間がかかってしまいした。

他の季節だと、数馬峠からは山梨県側の眺望がひらけているのですが、大きく茂った灌木が邪魔をしている上に、まだ水蒸気が下から上に登っている最中だったということもあり、正面にそびえる権現山(標高1312メートル)の大きな山容もほどんど雲に隠れていました。その先には富士山も望めるのですが、もちろん、姿かたちもありません。

笹尾根は、東京都(檜原村)と山梨県(上野原市)の間に延びている、標高1000メートル前後の都県境尾根です。檜原村からは尾根の上に向っていくつも道が伸びています。それこそ、檜原街道沿いのバス停があるところからは大概登山道があるくらいです。そして、尾根の上からは、今度は山梨側に向って道が下っているのでした。さらに尾根上にもそれらをつなぐ道が走っています。

私たちが今登っている道は、昔の人たちの生活道路だったのです。そうやって双方を行き来したり、尾根の上で物々交換をしていたのです。尾根を越えて反対側の集落に嫁ぐ例さえあったそうです。ちなみに、数馬峠というのは東京側の呼び名で、山梨側は「上平峠」と呼ぶみたいです。

私の奥多摩歩きのバイブルである『奥多摩   山、谷、峠、そして人』(山と渓谷社)の中で、著者の山田哲哉氏は、今から110年前の1909年、田部重治が東京帝国大学の先輩である木暮理太郎と二人で、笹尾根を歩いたことを「日本初の縦走路   笹尾根」と題して書いていました。二人は、奥多摩の小仏峠から景信山、陣馬山、和田峠を経て奥多摩に入り、途中、浅間峠のあたりで1泊したあと、西原峠まで笹尾根を歩いたのでした。私も田部重治の『山と渓谷』で、その山行について書かれたエッセイを読みましたが、実は二人の最終目的は笹尾根ではなく、笹尾根を経由して雲取山に登ることだったです。

そのため、三頭山の手前の西原峠から上野原側の郷原へ下山して鶴峠を越え、今の奥多摩湖畔の川野から(恐らく鴨沢ルートで)雲取山に登っているのでした。しかも、田部重治は、それが初めての本格的な登山だったそうです。山田氏は、二人のこの「壮大な山行」が日本で初めての「縦走登山」だったと書いていました。

笹尾根は、広義に解釈して三頭山から高尾山まで40キロ近くの縦走路をそう呼ぶ人もいますが、実際は、三頭山から浅間峠までの20キロあまりを笹尾根と呼ぶのが正しいようです。

山田氏は、笹尾根について、次のように書いています。

  起伏が少なく、山上に広々とした地形をもつ笹尾根は、その尾根自体が生活を支える重要な場所であった。ここ20年ほどの間に広葉樹が繁茂し、かつてのような一面カヤトは少なくなっても、40年ほど前までは、茅葺き屋根の材料だったカヤを得る場所として、明るい展望とともに随所に美しい茅原が広がりを見せていた。今でも、峠道を少し下れば炭焼き窯の跡が点々と残っている。
(『奥多摩   山、谷、峠、そして人』)


このブログにもたびたび出て来るように、私は笹尾根が好きで、今までも何度も歩いています。

前も書きましたが、田部井淳子さんも冬の笹尾根を歩くのが好きだったそうです。今の笹尾根は、檜原街道を挟んで反対側にある浅間尾根に比べると歩く人が少ないのですが、たまたま山中で一緒になった女性ハイカーに話を聞くと、やはり田部井さんの足跡を辿って歩いている人も多いようです。

数馬峠には、たしかベンチが二つあったはずです。ところがベンチが見当たりません。一瞬、「エッ、これが数馬峠?」と思ってしまいました。よく見ると、ベンチは原型をとどめないくらい朽ちて崩壊していました。私はその荒れように少なからずショックを受けました。

仕方なくベンチの残骸の上に腰を下ろすと、バリバリと木が折れてさらに崩壊してしまいました。ザックからおにぎりを出して食べようとすると、コバエが集まって来て食べるどころではありませんでした。しかも、どこからか蟻も這い出てきてスタッフバッグの上を我が物顔に徘徊しているのでした。そのため、ザックに戻すのにくっ付いた蟻をいちいち払い落さなければなりませんでした。

雨のあがった夏空からは強烈な陽光が容赦なく照り付けています。じっとしていても汗が吹き出して、ひっきりなしに水を飲みました。

と、そのときでした。山梨側の方から「オッ、オッ」というようなやや甲高い鳴き声が聞こえてきたのでした。山梨側にも道が通っているはずですが、藪に覆われて踏み跡も判明しないほどかなり荒れていました。最初、猟犬かと思いましたが(山中でGPSのアンテナを装着した猟犬に遭遇すると腰をぬかすほどびっくりしますが)どうも犬の鳴き声のようには思えません。何だろうと思っていたら、ふと、山の中で「おーい、おーい」と人を呼ぶような声が聞こえたら注意した方がいいという話を思い出したのでした。

「おーい、おーい」というのは、仔熊が母熊を呼んでいる鳴き声なのだそうです。私は、首から下げている笛を「ピーピー」と吹きました。しかし、鳴き声は止みません。それで、あわててザックを背負うとその場をあとにしたのでした。あとで気付いたのですが、その際、カメラのレンズのキャップを落としたみたいです。

冷静になって考えると、熊だったという確証はなく、いつものひとり芝居だったのかもしれないと思いました。誰にも会わずにひとりで山の中を歩くのが好きだと言いながら、このように過剰に熊に怯える自分もいるのでした。前方にある枯れ木や岩が熊に見えることもしょっちゅうです。そんなときは枯れ木や岩に向って懸命に笛を吹いているのでした。

当初の予定では数馬峠から7キロくらい先にある浅間峠から下る予定でしたが、時間が押していたので計画を変更して、数馬峠の先にある笹ヶタワノ峰(標高1121メートル)から「浅間尾根登山口」のバス停に下りることにしました。

「浅間尾根登山口」は「仲の平」から三つ手前のバス停です。2年前も反対側の浅間峠から歩いて来て下りたことがありますし、また、浅間尾根(浅間嶺)に登る際に下車したこともありました。

下の方は「中央区の森」になっているため道も整備され、2年前はそれこそ鼻歌交じりで下りたものですが、今回は痛い方の膝をかばうように歩いたので、前回の倍くらい時間がかかりました。そのため、鼻歌どころではなく、やたら時間が長く感じて苦痛を覚えるばかりでした。

バス停に下りたのが15時すぎで、武蔵五日市駅行きのバスは出たばかりでした。15時台のバスはないので、次は16時すぎです。1時間以上も待たねばなりません。仕方なくバス停のベンチにひとりぽつんと座ってバスを待ちました。もちろん、やって来たバスには乗客は誰も乗ってなくて、来たときと同じ私ひとりだけでした。

武蔵五日市駅からは朝と逆コースを帰りましたが、電車の連絡がスムーズに行ったので、横浜の自宅に帰り着いたのは19時半すぎでした。

翌日はオミクロン株BA.5の感染爆発に怖れをなしてワクチン接種に行ったのですが、太腿に筋肉痛はあったものの、接種会場の階段を下りる際、セサミンのテレビCMに出ているおばさんのようにトントントンと下ることができたので、自分でもびっくりしました。


関連記事:
田部重治「高山趣味と低山趣味」
若い女性の滑落死と警鐘


※オリジナルの画像はサムネイルをクリックしてください。

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閉鎖されたキャンプ場の炊事場

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途中の伐採地から

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数馬峠からの眺望

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数馬峠の朽ちたベンチ

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笹ヶタワノ峰から下る

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途中の大羽根山(標高992メートル)

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「中央区の森」の中のヌタ場
※沼田場(ヌタ場)とは、イノシシやシカなどの動物が、体表に付いているダニなどの寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びるぬたうちを行う場所のこと。(ウィキペディアより)

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「中央区の森」の中にある炭焼き小屋
※体験用の炭焼き小屋です。

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「浅間尾根登山口」バス停

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反対側のバス停
バス停の上から下りて来ました。
2022.07.24 Sun l l top ▲
一昨日、今回の安倍晋三元首相銃撃事件に関連して、朝日新聞デジタルに、下記のような宮台真司氏のインタビュー記事が掲載されていました。

宮台真司氏は、近代化により(中間共同体が消滅して)むき出しになった個人が、近代合理主義(=資本主義)のシステムと直接向き合わなければならなくなり、その結果「寄る辺なき個人」が大量に生まれた、そのことが今回の事件の背景にあると言うのです。そして、「寄る辺なき個人をいかに社会に包摂するかを考えていくことが大切だと指摘」するのでした。

朝日新聞デジタル
(元首相銃撃 いま問われるもの)バラバラな人々に巣くう病理 宮台真司さん

それは、オウム真理教の事件の際に出版された『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)に書かれていることのくり返しで、正直言って「またか」という気持を持ちましたが、言っていることはよくわかるのでした。たままた本棚を整理していたら『終わりなき日常を生きろ』が出て来ましたので、もう一度読み返してみようかなと思ったくらいです。

宮台氏は次のように言います。

 「既に安倍氏への過度な礼賛や批判が『確かな物語』を求めて増殖中です。それとは別に、『民主主義への挑戦』と批判して済ませる紋切り型も気になります。無差別殺傷事件も政治家を狙った事件も、『剥き出しの個人の不安』と『国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済』という類似面があります」


前に書いた『令和元年のテロリズム』に出て来るような事件を、宮台氏は「国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済」だと言います。それと「剥き出しの個人の不安」は「類似」していると。でも、私には、「類似」というより表裏の関係のように思いました。

そんな「寄る辺なき生」に、カルトは「確かな物語」(大きな物語)を携えてやって来ます。『令和元年のテロリズム』を読むと、登場する人物たちがカルトとすれすれのところで生きていることがよくわかります。

ただ、それは今回の事件の一面にすぎません。今までの報道を見る限り、容疑者はカルトに取り込まれたわけではないのです。容疑者にとって「大きな物語」は、ネトウヨの陰謀論であり、その延長にある安倍政治に随伴することだったのです。

なのに容疑者は安倍を撃ったのです。統一教会によって家庭がメチャクチャにされた積年の恨みが、「本来の敵ではない」安倍に向けられたのです。たとえイデオロギーと関係がなくても、行為自体はきわめて政治的なものと言っていいでしょう。

もしかしたら、ネトウヨを自認する容疑者には、安倍元首相に対して「可愛さ余って憎さ百倍」のような感情があったのかもしれません。安倍元首相は、国内向けには嫌韓的なポーズを取りながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと主張する韓国のカルト宗教と三代に渡って親密な関係を続けてきたのです。そのジキルとハイドのような二つの顔を知ったことが、安倍元首相をターゲットにする”飛躍”につながったのではないか。そう考えなければ今回の事件は理解できません。

宮台氏の言説に従えば、あの腰の座った覚悟の犯行も「自己救済」ということになります。私はむしろ逆ではないかと思っていました。ロープシンの『蒼ざめた馬』のような”虚無のテロリスト”さえ幻視していたのです。一発目が逸れたあと、容疑者はためらうことなくさらに前へ進み、致命傷となる二発目を命中させているのです。容疑者にとって、「本来の敵ではない」安倍元首相は「呼んでも応えない」国家だったのか。あるいは、国家を呼び出すために安倍を撃ったのか。警察発表の犯行動機を理解するためには、私たちもまた、”飛躍”が必要なのです。

一方で、宮台氏も言うように、既に「心の平穏に向けた物語化」がはじまっているのでした。ワイドショーの電波芸者コメンテーターたちの言動にも、そういった空気の変化が反映されています。メディアも、統一教会と政治の関係に言及するのを避けるようになっているそうです。

これから「国葬」に向けて、死者の悪口を言わないという”日本的美徳”のもと、安倍政治を賛美する声が益々大きくなっていくのでしょう。そして、今回の事件も、容疑者個人の一方的な「思い込み」で起きたことにして幕が下ろされるに違いありません。

朝日の記事のタイトルのように「病理」と言うなら、個人の心より政治、特に安倍元首相を含めたこの国の「愛国」者たちの”二律背反”こそそう呼ぶべきなのです。間違っても(記事のタイトルに含意されているような)「個人的な思い込みによる事件」として回収させてはならないのです。


関連記事:
『令和元年のテロリズム』


追記:(7/21)
事件の政治的な側面ということで言えば、宮台氏もインタビューでは統一教会と自民党の関係に言及していたそうです。しかし、J-CASTニュースによれば、朝日新聞が掲載に当たってその部分を削除したのだとか。宮台氏もTwitterでそれを認めています。

Yahoo!ニュース
J-CASTニュース
宮台真司氏「掲載中止よりもマシ、Twitterで捕捉」 朝日新聞がインタビューから削除した「重要なポイント」

削除された「重要なポイント」について、J-CASTニュースは次のように書いていました。

(略)旧統一教会が提唱する原理を学ぶ団体の原理研究会が1970年代末以降どのように活動していたかや、自民党と教会が2000年代末以降にズブズブの関係になっていたことについて、宮台氏の元の原稿では言及されていた。しかし、朝日の担当記者がその記述を残そうと奮闘したにもかかわらず、記事公開に当たって、それらの部分が削除されたという。


別に目新しい話ではなく、正直言って、そんなに騒ぐことなのかと思いました。自民党に忖度したと言えばそう言えないこともありませんが、私には穿ちすぎのような気がしました。
2022.07.21 Thu l 旧統一教会 l top ▲
先日、自民党の某国会議員が、過去に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が開催したイベントに祝電を送ったという指摘を受け、お詫びのコメントを発表した上で、旧統一教会との関係を否定したという報道がありました。

しかし、その「国会議員」こそ、30年近く前に、私が元取引先が統一教会のフロント企業であったことを知った週刊誌の記事に書かれていた人物なのです(「統一教会・1」参照)。

保守系の国会議員のサイトから、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に関係する記述が次々と削除されているそうですが、このように国会議員たちの間で再び、知らぬ存ぜぬの”猿芝居”がはじまっているのでした。

しかも、それは、自民党だけにとどまらず、国民民主党の玉木雄一郎代表にも飛び火したのでした。玉木代表への寄付は、同代表が旧民社党の流れを汲む政治家だからだと思いますが、もしかしたら、統一教会は野党や労働団体にも触手を伸ばしていたのかもしれません。

有田芳生氏がツイートしていましたが、テレビに出た際、事前に番組の担当者から、「政治の力」という言葉は使わないでほしい、具体的に政治家の名前を出すのは控えてほしいと釘を刺され、「昔のテレビとは違うんだ」と言われたそうです。

たしかにテレビのワイドショーを観ていると、時間の経過とともにコメンテーターたちに、統一教会の問題と安倍元首相の事件を分けて考えるべきだ、一緒くたにするのは誤解を招く、というような言動が目につくようになりました。そうやって、事件は山上容疑者の「思い込み」だったという結論に持って行こうとしているかのようです。「精神鑑定」が行われたという話も、恰好の口実になっているように思います。

でも、安倍晋三元首相こそ統一教会の問題を「象徴する存在」(山上容疑者)なのです。「安倍三代」と統一教会との関係を考えれば、統一教会にもっとも近い政治家と言っていいでしょう。

一方で、コメンテーターたちの言動を見るまでもなく、政治と宗教の”不都合な真実”も、徐々に幕引きがはかられているように思えてなりません。結局、安倍元首相らが体現する”戦後の背理”は糊塗され、獅子身中の虫もそのままに、元の日常に戻っていくのでしょう。その大団円として「国葬」が用意されているのかもしれません。

山上容疑者は、みずからをネトウヨとツイートしていましたが、そのネトウヨが、彼らのヒーローの安倍元首相に引き金を引いたのです。そのことの意味はあまりに大きいと言わねばなりません。「愛国者に気をつけろ」というのは鈴木邦男氏の著書の書名ですが、私たちはまず、「愛国」者を疑うことからはじめなければならないのです。

サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教の教祖に、「日本を守るために」反共団体の設立を依頼する。そんな愛国者がどこにいるでしょうか。統一教会の問題であきらかにされたのは、そういった日本の戦後政治を蝕んでいた「愛国」という病理なのです。
2022.07.20 Wed l 旧統一教会 l top ▲
親族によれば、容疑者の母親は、統一教会に入信したあと、自殺した父親の保険金などを原資に3年間で6000万円、容疑者の祖父が死亡後、相続した会社の土地や自宅などを処分して4000万円、総額1億円を献金したそうです。その後、親族が教団と交渉して5000万円が返金されたそうですが、それも再び献金したという話があります。

11年以上前の資料ですが、下記の『週刊文春』の記事によれば、1999年から9年間に日本から韓国に送金された総額は約4900億円にのぼるそうです。年平均約544億円です。

週刊文春 Shūkan Bunshun 2011.9.8
統一教会 日本から「4900億円送金リスト」を独占入手!

統一教会の献金や霊感商法などの”集金システム”の背景に、「真の父母と一緒にいる食口(引用者注:シック。信者のこと)たちは、この世の中のすべての物を自由に使えるのがあたりまえだ」というこ故・文鮮明総裁の考え方があるのは間違いないでしょう。この世の中の物やお金は、サタンが勝手に奪ったものにすぎない。だから、「真の父母と一緒にいる食口たちが、たとえそれを盗んで使ったとしても、それが世の中の法律にひっかかったとしても、実際には何でもないことになる」(後述する朴正華氏の手記より)と文鮮明氏は言うのです。ただ、サタンから奪い返しただけだと。

統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、そうやって集めた巨額な資金を使って、食品業や建設業や不動産業やリゾート産業に進出し、今や韓国でも有数な財閥になったのでした。

2018年の平昌冬季オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートも、世界平和統一家庭連合が所有するスキー場です。また、龍平リゾートは、のちに日本でもブームとなった韓流ドラマ「冬のソナタ」のロケ地にも使われたそうです。教団も、日本人観光客を呼び込むためにロケ地めぐりのツアーを手がけ、文鮮明氏の肖像画が飾られたスーベニールショップでは、日本人観光客が先を競ってグッズを買い求めていたそうです。

高麗人参(朝鮮人参)でおなじみの「一和」も、統一教会系列の会社(フロント企業)です。「一和」は、サッカークラブ城南FCの実質的なオーナー企業と言われています。

また、先頃、ニューヨークタイムズが、アメリカに寿司を広めたのは日本ではなく韓国の統一教会だった、という記事を掲載して話題になりました。記事によれば、統一教会は所有する食材卸会社「True World Foods」を通して、現在、アメリカの寿司レストランの7割から8割と取引しており、年間で500億円を売上げているそうです。

日本人は「アメリカで寿司ブーム!」「ニッポン凄い!」と自演乙していましたが、実はそんな話ではなかったのです。テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」という番組で紹介された日本人女性たちの中に、統一教会の合同結婚式で嫁いだ信者が含まれていたとして問題になったことがありましたが、それと似たような話です。しかも、統一教会は、寿司は韓国が発祥だと主張しているそうです。

話は戻りますが、紀藤正樹弁護士は、日本からの送金額は世界全体の半分以上を占めているとテレビで言っていました。どうして日本が突出して多いのか。もちろん、政界に深く食い込んでいるため、他の国に比べて規制が緩く、活動しやすいということが大きいでしょう。ただ、それだけでなく、日帝の植民地支配に対する韓国人の反日感情も関係していると言われています。韓国を植民地支配した日本はとりわけ罪深い「エバの国」であり、日本人は極悪なサタンである。サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという考えです。セミナーなどでも、日本人信者にそういった贖罪意識を植え付けるのだそうです。

1949年北朝鮮の興南収容所で、同じ服役囚として文鮮明氏と知り合い、以後13年間行動をともにして、統一教会の設立に加わった朴正華氏も、手記『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版・1993年刊)の中で、次のように書いていました。

六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!
統一教会創始者 朴 正華(パク チョン ファ)
https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/

  ことに隣国の日本では、統一協会の実態を知らない食口たちが、理想世界の実現を信じて金集めに走り、霊感商法という反社会的な大問題に発展した。

  創成期の苦労を知らない一族がなせる弊害、という他はない問題である。「法に触れて盗んでも神様は許してくれる」と、女食口を唆した文鮮明の身内らしいやり口で、物欲・金銭欲にいっそう拍車がかかっている。

  そしてもう一つ。

  朝鮮は日帝支配で被害を受けた。その日本に仇を討つためにも、日本の金を洗いざらい捲き上げよ」と文鮮明が豪語していた事実(何人もの幹部が聞かされた)を、日本の純粋な食口たちは知っているのだろうか。

(以下引用は同じ。一部、改行やスペースを引用者が修正しています)


私は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)についての報道や識者の発言には、隔靴掻痒の感を覚えてなりません。言うまでもなく、統一教会の教義の大きな柱である「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる、「セックスリレー」=「血代交換」のことがまったく触れられてないからです。

文鮮明氏が北朝鮮の興南刑務所で服役(強制労働)することになったのも、当時、「混淫教」という土俗の”セックス教”を信仰していた文氏が、夫と3人の子どもがいる信者の家で人妻と同棲し、しかも、神の啓示を受けたとしてその人妻と「小羊の儀式」(正式な結婚)を行なうと言い出して騒ぎになり、「社会秩序紊乱罪」で警察に逮捕されたからでした。

朴正華氏の手記にある「六人のマリア」というのも、「六人の人妻」という意味です。統一教会の「復帰摂理(復帰原理)」については、朴正華氏の手記に多くの具体例が出ていますが、もとは聖書の「創世記」の独自な解釈に基づいたものだそうです。

  六千年前、神様は、土で人のかたちを造りその鼻に息を吹き込んで、人として動けるようにした。その名をアダムと呼び、エデンの園に住まわせた。そして、ふさわしい伴侶を造るため、アダムが眠っているとき、アダムのアバラ骨を一本とって女性を造った。それがエバである。神様は二人に、エデンの園の中央にある木の実だけはとって食べてはいけないと命じたが、蛇がエバを唆したため、エバはついに禁断の木の実を食べ、夫であるアダムにも勧めて食べさせた。

  そして、神を裏切り禁断の木の実を食べた二人は、木の陰に身を隠し、発見されたとき恥ずかしそうに無花果の葉で身体を隠していた。神様がアダムを創造しエバを造った目的は、エバが成熟したらこの世の中に罪のない子孫を繁殖させることだったが、神様に背いた二人は、やがてエデンの園から追放され、再び帰ることができなくなった。罪を犯し汚れたアダムは、汗を流して働かなければ生きてゆけなくなり、エバは、お産の苦しみという苦労をしなければならなかった。

  二人の間にはカインとアベルの兄弟が生まれたが、やがて兄のカインは弟のアベルを殺すことになり、この世の中に初めて罪人ができた。

  エバを唆した蛇とは天使長ルーシェルのことで、ルーシェルは、神様の摂理を知って甘い言葉で本成熟(原文ママ)なエバを誘惑し、禁断の木の実を食べさせた。つまりルーシェルとエバはセックスをしたのだ。そして処女を犯されたエバは、神様に見つかる前に、サタンの血で汚れた身体のまま夫のアダムともセックスをした。


  「形のない神様は、エバがエデンの園で成熟したら、形ある人間のアダムに臨在し、アダムとエバが結婚して、汚れていない子どもがこの世の中に生まれ、その子孫がこの世の中に繁殖することによって、この世の中を平和で罪のない社会にすることを目的としていた。ところが、天使長ルーシェルが神の目的を知って、エバを誘惑して奪い取ったため、この世の中はサタンのものになり、罪人ばかりになってしまった。だから、夫のいる人妻を奪い取ることによって、サタンに汚された血を浄める復帰摂理の儀式が成り立つことになる」と文鮮明は説明した。

  文鮮明は私に、復帰する方法まで具体的に教えてくれた。その復帰の方法とは、「今までのサタンの世の中では、セックスをするときに、男の人が上になり、女の人が下になっていたが、復帰をするときには、二回まで女の人が上になり、男の人が下になるのだ」「そして、蘇生、長成、完成と、三回にわたって復帰しなければならない」ということだった。


「血代交換」とは、「第二のアダムであるイエスが達成できなかったことを、第三のアダム(要するに文鮮明氏)がこの世の中に再臨して血代交換をする」という教えです。

メシア(引用者注:文鮮明氏のこと)が世界の代表として、六人のマリアと三十六家庭の妻たちとセックスをすれば、汚れた血がきれいになるということで、この儀式を血代交換と言う。そして、血代交換をした三十六家庭から生まれてくる子どもは、罪のない天使ばかりであり、こういう人たちが世界に広まることによって、罪悪のない世の中が生まれる」ということだ。


1987年に発生した朝日新聞阪神支局などを襲った赤報隊事件で、統一教会の関連団体が一時捜査の対象になったという話もありますが、有田芳生氏によれば、オウム真理教の事件のあと、警察庁の幹部から頼まれて、警察施設で眼光の鋭い刑事たちを前に、統一教会のレクチェーをしたことがあったそうです。その際、幹部は、オウムの次は統一教会だと言っていたのだとか。しかし、待てど暮らせどその気配はない。そして、10年が経った頃、たまたま会った幹部にレクチャーの話をしたら、「政治の力でストップがかかった」と言われたそうです。

全国霊感商法対策弁護士連絡会のサイトを見ると、2020年の旧統一教会関連の相談件数は、消費者センターに寄せられたものも含めて、214件、918072300円で、もっとも活発だった1990年前後に比べれば、件数・金額ともに10分の1以下に減っています。しかし、それでも被害がなくなっているわけではないのです。

自民党などの保守派の議員が、選択制夫婦別姓や同性婚やジェンダーフリーに強硬に反対するのも、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の結婚観や家庭観が影響しているからではないかと言う人もいるくらい、彼らは「愛国」を叫ぶ一方で、このようなカルト教団と深い関係を結び、日本を食いものにする彼らの活動に手を貸しているのです。それは、政治家だけではありません。あの”極右の女神”が系列の新聞社の集まりで講演している写真もネットにアップされていました。

1967年、来日中の文鮮明氏が右翼の大物の笹川良一氏や白井為雄氏(児玉誉士夫氏の代理)と本栖湖で会談して、70年安保をまじかに控えて高まりを見せる反対運動に対抗すべく反共団体を設立することで合意。そして、その翌年、統一教会の政治団体である国際勝共連合が日本でも設立され(韓国では前年に設立)、会長に統一教会の日本支部会長の久保木修己氏、名誉会長に笹川良一氏が就いたのでした。その裏には、統一教会の日本進出(1964年東京都が宗教法人として認可)に尽力した岸信介元首相のお膳立てがあったと言われています。実際に、日本の国際勝共連合の発起人には岸信介元首相も名を連ねています。その頃から、統一教会の日本の政界への浸透が本格的にはじまるのでした。

どうして日本に反共団体を作るのに、韓国の宗教団体の教祖が主導的な役割を果たすのか。そこにも戦後保守政治やそれに連なる戦後右翼の歪んだ姿が露わになっているように思います。

戦後政治を考える場合、どうしても日米関係ばかりに目が行きがちですが、隣の韓国との”奇妙な関係”も視野に入れるべきでしょう。もちろん、韓国との関係の背景に、当時のアメリカの東アジア戦略が伏在しているのは言うまでもありません。

韓国では1963年、日本の陸軍士官学校出身の朴正煕がクーデターを決行し、以後1979年まで軍事独裁政権を続けたのですが、国際勝共連合も軍事独裁政権下のKCIA(大韓民国中央情報部)の要請で作られたという説があります。

朴政権は日帝の植民地支配の記憶がまだ色濃く残っている中で、「反日」を演じながらその裏では岸信介氏ら日本の保守政治家と癒着して、日韓基本条約で対日請求権の放棄に伴って供与されることになった5億ドル(当時は1ドル360円)の経済支援=「経済協力金」をめぐる利権を築いたと言われています。経済支援は、最終的には借款等も併せて11億ドルにものぼったそうです。

そういった表では「反日」、裏では買弁的な「親日」を使い分けるヌエのような関係が、日本の戦後政治にさまざまな闇をつくったと指摘する声もあります。統一教会の日本の政界への浸透を許すことになったのも、そのひとつと言えるでしょう。

このように統一教会をめぐっても、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”が如実に示されているのでした。こんなことを言っても今の日本人には馬の耳に念仏かもしれませんが、この国を蝕む獅子身中の虫は誰なのか、「愛国」を口にする人間たちはホントに愛国者なのか、もう一度考えてみる必要があるでしょう。それは、安倍元首相の死に対する言説でも同じです。
2022.07.17 Sun l 旧統一教会 l top ▲
今朝、テレビを点けたら、「モーニングショー」で統一教会の特集をやっていて、金沢大学教授の仲正昌樹氏がリモートで出ていたのでびっくりしました。仲正氏は社会思想史の研究家ですが、昔から新書もよく出しており、雑誌などでもわかりやすい文章を書いていたので、私は比較的早い頃から読んでいました。

仲正昌樹氏が過去に統一教会に入っていたことは私も知っていました。自分でそのときのことを書いていたのを読んだ記憶があります。ハンナ・アーレントについて啓蒙的な文章をよく書いているのも、統一教会の体験と関係があるのかもしれないと思ったこともありました。でも、まさかテレビに出て、自分の学問とは直接関係ない”黒歴史”のことを話すとは思ってもみませんでした。

ただ、自分でも言っていましたが、仲正氏の場合、その性格ゆえか懐疑的な部分を完全に払拭できないまま信仰生活を送っていたみたいなので、完全にマインドコントロール下にあったとは言い難く、テレビで扱う事例としてはあまり参考にならないかもしれません。

私の高校時代の同級生にも、仲正氏と同じように東大で統一教会に入信し合同結婚式で外国人女性と結婚した人間がいます。あるとき、別の同級生から、同級生で彼の結婚をお祝いする会を開きたいという連絡が来ました。それで私は、「何言ってるだ、統一教会じゃないか」「どうして俺たちが信者の結婚をお祝いしなければならないんだ」と差別感丸出しで怒鳴りつけ、以来同級会には行っていません。風の噂に聞けば、彼はその後大学教授になったそうです。

私たちの年代は、桜田淳子の合同結婚式をきっかけにメディアを席捲した統一教会のキャンペーンを知っていますので、統一教会に対してはある程度の”免疫”がありました。駅頭でまるで憑かれたように「統一原理」の理論を延々と語っている若者の姿をよく見かけましたし、夜遅くアパートに北海道の珍味を売りに来た風体が怪しい若者とトラブルになったこともありました。

当時は私たちの身近にも統一教会の影が常にチラついていたのです。海外のポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、すごく買いっぷりのいい顧客がいました。いつもまとめて大量に買ってくれ、しかもニコニコ現金払いでした。しかし、都内の会社だったのですが、FAXと電話でやりとりするだけで一度も会ったことがありません。それで、一度ご挨拶に伺いたいと電話したところ、「いや、結構です」とにべもなく断られました。

それから数年経ち、私も転職していたのですが、週刊誌を見ていたら、ある記事の中にその会社と電話した担当者の名前が出ていたのを偶然目にしたのでした。

それは、保守系の国会議員のスキャンダルに関する記事だったのですが、その中で、議員が統一教会の影響下にあり、秘書も統一教会から派遣された人間で占められているというような内容のことが書いていました。そして、議員を取り込む工作をした中心人物として、得意先であった会社と担当者の名前が上げられていたのでした。記事の中でも、私が納めた商品が額に入れられてセミナー会場などで数万円で販売されていると書かれていました。でも、私が納めたのは1枚千円にも満たない商品です。何のことはない、得意先の会社は統一教会のフロント企業だったのです。

また、同じ頃だったと思いますが、当時交際していた女性のお父さんが病気で急死したという出来事がありました。彼女の実家は、JRのターミナル駅の近くにあって、数億円の資産価値があると言われていました。

ある日、彼女が「最近、変なおばさんが家によく来ている」と言うのです。今まで見たこともない人なので、どこで知り合ったのかお母さんに訊いたら、道で声をかけられてそれから親しくなった、と言うのだそうです。それを聞いた私はピンと来て、「そのおばさん、もしかしたら統一教会かも知れないよ」と言いました。「一回、たしかめた方がいいよ」と。

それから数日後、彼女から電話がかかってきて、「やっぱり、統一教会だった」と言うのです。お母さんに私から言われたことを話したら、お母さんがおばさんに「あなた、もしかしたら統一教会じゃないでしょうね」と問い詰めたそうです。すると、おばさんはお母さんの権幕に気圧されたのか、「ごめんなさい、統一教会です」とあっさり認めたということでした。

恐らく道で声をかけたのも偶然ではなく、家の資産やそのときの家庭状況も把握した上で接近して来たに違いありません。どこかでそういった情報を手に入れているのでしょう。

その頃、統一教会のキャンペーンは、合同結婚式から霊感商法などへ拡大しており、大学では統一教会の名を伏せたダミー団体を使って学生を勧誘したり、街角でも手相などの占いを餌に声をかけてセミナーに誘うという統一教会の活動が次々と可視化されていました。だから、そのときもピンと来たのだと思います。

しかし、ほどなく発生した地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件によってメディアもオウムの方に関心が移り、統一教会はいつの間にか「忘れられた存在」になったのでした。そのため、今は”免疫”どころか、統一教会について何の予備知識もない若者も多いそうです。しかも、統一教会は、分裂騒ぎもあって教団名を変えているのです。昔の統一教会のことを知らない若者が増えたということは、教団にとって好都合であるのは間違いないでしょう。そのための改名だったという話もあるくらいです。

今回の銃撃事件で、「暴力は民主主義の敵」「暴力に屈してはならない」「民主主義を暴力から守ろう」というような常套句が飛び交っていますが、しかし、考えてみれば、銃撃事件がなければ、これほど統一教会のことが取り上げられることはなかったのです。

元首相を銃撃する「許されざる暴力」があったからこそ、統一教会というカルト宗教の問題、特に日本の政界に深く食い込んでいる憂慮すべき問題が再び可視化されつつあるのです。怪我の功名と言ったら不謹慎かもしれませんが、もし今回の銃撃事件がなかったら、統一教会は「忘れられた存在」のままだったでしょう。

私たちは、今回の事件で、言論では微動だにしなかったものが暴力だと簡単に動かすことができるという、この社会の本質とも言える脆弱性を見せつけられたと言っていいかもしれません。同時に、「許されざる暴力」という規範や「話せばわかる」という幻想が、この社会から疎外された人たちにとっては、単なる”不条理”にすぎないことも知ったのでした。今回の事件で「暴力の連鎖」を懸念する声が出ていますが、これほど赤裸々に暴力のインパクトを見せつけられると、それもまったくの杞憂だとは言えないように思います。

どんな立派な意見も、最初に「もちろん暴力がいけないことは言うまでもありませんが」とか「容疑者がやったことは許されることではありませんが」という枕詞(断り)を入れると、途端に「きれいごと」のトンマな言説に見えてしまうのも、暴力のインパクトがあまりにも大きかったからでしょう。自業自得とは言え、言論は為すすべもなく戯画化されているのです。
2022.07.15 Fri l 旧統一教会 l top ▲
知り合いの話では、東京タワーが安倍元首相追悼のために真っ暗になっていたそうです。「びっくりした」と言っていました。それで、ネットで確認したら、株式会社TOKYO TOWERのサイトに次のようなプレスリリースがアップされていました。

東京タワーは本日(7/9)、安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、ライトアップを消灯して喪に服します。

株式会社TOKYO TOWER
2022年7月9日 15時45分

東京タワーは7月9日(土)、多大な功績を残された安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、終日、ライトアップを消灯して喪に服します。

尚、足元については観光でお越しのお客様の為ライトアップを点灯致します。

ご理解いただきますよう、よろしくお願い致します。


いくら追悼とは言え、ここまで来ると異常としか言いようがありません。それは東京タワーだけではありません。新聞やテレビなども、まるで独裁者が亡くなったかのように、歯の浮いたような賛辞のオンパレードなのでした。

安倍元首相は毀誉褒貶の激しい政治家だったのは衆目の一致するところです。それをすべて賛美や美化に塗り変えるのは、もはや言論の死と言っても過言ではないでしょう。死人を鞭打つのかと言われるかもしれませんが、死してもなお毀誉褒貶に晒されるのが政治家でしょう。民主国家ならそうあるべきでしょう。

今回の事件を「民主主義に対する挑戦」「自由を封殺する行為」と非難し、社説で「言論は暴力に屈しない」と表明していながら、メディアはみずからで言論を封殺しているのでした。これでは、私たちは警察が描いたストーリーの方向に誘導されているのではないか、という不信感さえ抱いてしまいます。

山岡俊介氏のアクセスジャーナルに次のような記事が出ていました。

アクセスジャーナル
安倍氏に批判的なジャーナリストも洗う? 本紙・山岡の出入り先に警視庁捜査員

山岡氏が一時事務所として使っていた建物の管理人室に刑事が訪れ、そこの住所が印刷された昔の山岡氏の名刺を出して、「(山岡氏は)ここの部屋を使っているかと聞いて来た」そうです。

「今回の安倍氏銃殺を機に、警察庁(中村格長官)の方から安倍氏に批判的な者、それもジャーナリストを徹底的に洗えとの指示が出ている」そうなので、「“私文書偽造”など、何でもいから微罪でいちゃもんを付けようと動いている可能性もあるのではないか」と書いていましたが、私は記事を読んで、そうではなく、警察はまだ”政治テロ”の線を捨てていないのではないかと思いました。

山岡氏が別の動画で言っていましたが、山上徹也容疑者が右翼団体に出入りしていたという話もあるそうです。山上容疑者は前日は新幹線で岡山の遊説先まで行ったことがわかっています。韓鶴子氏の代わりにしては、かなり執拗に安倍元首相を付け狙っていたことがわかります。それに、前も書きましたが、当日の山上容疑者の行動には相当な覚悟すら感じます。あの用意周到さと冷静沈着さは、警察が発表する供述とどこかそぐわない気がしてならないのです。

もとより、韓鶴子氏の代わりなら他の教団幹部をターゲットにしてもおかしくないでしょう。日本支部の幹部でもいいはずです。集会で挨拶するビデオを見たからと言って、どうして安倍元首相だったのか、どうしてそこまで”飛躍”したのか、という疑問は残ります。

山岡氏は、下関市長選に絡んで(山口の)安倍元首相の自宅に火炎瓶が投げ込まれた放火未遂事件をスクープしていますし、最近も、13年間安倍元首相の私設秘書を務めた経歴を持ちながら、先の参院選に立憲民主党の山口選挙区から立候補して話題になった秋山賢治氏の自宅やその周辺に、糞尿がまかれる事件があったこともあきらかにしていました。

このように安倍元首相周辺ではきな臭い事件も起きていたので、警察はそういったことに関連して聞き込みをしていたのではないでしょうか。

旧統一教会との関係もそうですが、安倍元首相は、祖父や父親の代からの縁もあって、地元では在日朝鮮人実業家などと深い関係があるのはよく知られています。青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)にも書かれていますが、山口県下関市にある安倍元首相の自宅や事務所も、パチンコで財を成した地元の在日朝鮮人実業家から提供されたものなのです。その政治姿勢や言動を考えると信じられないかもしれませんが、地元の総連系の朝鮮人で安倍元首相の悪口を言う者はほとんどいないそうです。

旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、教祖の文鮮明氏亡きあと、未亡人の韓鶴子氏と子どもたちの間で後継者争いが起きて、韓鶴子氏と三男と四男・七男が対立し、四男・七男が「サンクチュアリ協会」を設立しました。日本にも支部がありますが、アメリカの「サンクチュアリ協会」は、トランプ派によるホワイトハウス占拠事件にも関わっているような過激な団体で、占拠事件の際、七男の文亨進氏も現場にいたそうです。

聖書のヨハネの黙示録に出て来る「鉄の杖」は銃を指していると解釈する「サンクチュアリ協会」は、半自動小銃を信奉しており、合同結婚式にも小銃を携行するように呼びかけているくらいです。

折しも設立者の文亨進氏が先月から来日しており、今も日本に滞在中で各地で集会を開いているそうです。

文亨進氏の来日については、下記に詳しく書かれています。

ディリー新潮
統一教会から分派「サンクチュアリ教会」指導者が来日 文鮮明7男は集会でアブナイ発言を連発

いわゆる「信仰二世」の山上容疑者は、幼い頃は母親に連れられて統一教会に通ったのは間違いないでしょう。そのあと脱会したのかどうか。また、統一教会の分裂の際、山上容疑者と教会はどういう関係だったのかなど、気になる点はいくつもあります。

警察も自分たちが描いたストーリーに沿った情報を小出しにしながら、それとは別に、事件の洗い直しを行っているのかもしれません。

尚、前の記事で、実兄が自殺して本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書きましたが、「ディリー新潮」によれば、父親も自殺だったそうです。しかも、父親が亡くなったので母親が宗教にのめり込んだと言われていますが、そうではなく、母親が統一教会の前に別の宗教にのめり込んでいたのが原因で父親が自殺したと記事には書かれていました。父親が京大卒だったというのにも驚きました。山上容疑者が学業優秀だったというのもわかった気がしました。
2022.07.14 Thu l 社会・メディア l top ▲
私は山に着て行く服はパタゴニアが多く、特にこの季節はズボンもTシャツもパタゴニアです。雨具もパタゴニアです。ザックは、大小ともにパタゴニアのものを使っています。このようにいつの間にか”歩くパタゴニア”みたいになっているのでした。

パタゴニアの商品は少し値段が張りますが、パタゴニアを使っていると環境にやさしいことをしているみたいな気分になるので、”気分料”みたいなものだと割り切って買っています(ホントは大きなサイズが揃っているからですが)。山に登るなら環境のことを考えなければならない。そういった強迫観念みたいなものがありますが、そこをパタゴニアにうまく突かれているような気がしないでもありません。もっとも最近は、外国のアウトドアメーカーはどこもリサイクル素材を使ったりと、環境に配慮するのがトレンドになっています。

パタゴニアの製品自体は特に優れていると思ったことはありません。逆にちゃちなと思うことすらあります。

先の参院選に際して、パタゴニアの公式サイトに掲げられた次のような呼びかけも、他のメーカーのサイトではなかなかお目にかかれないものでしょう。

パタゴニア(Patagonia)
VOTE OUR PLANET

私たち人間は、健全な地球とそれを基盤とした社会がなければ生きられません。
近年顕著な気候危機とともに、私たちは人間、動物、生態系の健康がつながっていること、地球の生物多様性の破壊や生態系の損失は、経済にも大きな影響を与えることを知りました。

私たちには、自然に根差した解決策をもって、社会構造を大胆かつ公正に変化させようとするリーダーが必要です。

政治に関心がなくとも、関係なくはいられません。
私たちそれぞれにとって大切な何かとともに生きるために、行動しましょう。


そんな意識高い系から支持されているパタゴニアですが、一昨日の朝日に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「パタゴニア」パート社員ら労組結成 雇用「5年未満」見直し求める

それは、パタゴニアの店舗で働くパート社員や正社員ら4人が、「不更新条項」の撤廃を求めて労働組合を結成したという記事でした。2013年に改正された労働契約法では、非正規労働者が同じ会社で通算5年を超えて働いた場合、本人が希望すれば無期雇用に転換できるという「5年ルール」が設けられたのですが、それに対して「雇用期間を制限し、無期転換できないようにする『不更新条項』を設ける企業」もあり、パタゴニアも例外ではなかったのです。

アパレル業界では、ファストファッションの台頭によって、委託先の工場がある発展途上国では、低賃金・長時間労働・使い捨て雇用といった劣悪で過酷な労働環境が問題になっていますが、そんな中でパタゴニアはいち早くフェアトレードの方針を打ち出し、環境にやさしいだけでなく労働者にもやさしい会社のイメージを定着させたのでした。

ところが、足元の職場では法律のすき間を利用して労働者に不利な条項を設けるような、資本の論理をむき出しにした”普通の会社”であることが判明したのでした。

環境にやさしい、身体にやさしいというオーガニック信仰は、思想としてはきわめて脆弱で、手軽でハードルも低く、そのため、意識が高いことをアピールする芸能人などの間では、一種のファッションとして流通している面もあります。

しかも、ヨーロッパでは既に「エコファシズム」という言葉も生まれているように、そういった純潔なものを一途に求める思考は、ややもすればナチスばりの純血主義のような思考に行き着いてしまう危険性もあるのです。

古谷経衡氏は、Yahoo!ニュース(個人)で、今回の参院選の比例区で176万3429票を集めて1議席を獲得し、選挙区・比例区ともに得票率2%をクリアして政党要件を満たした参政党をルポしていましたが、その中で、参政党の躍進が意識高い系の人たちのオーガニック信仰に支えられていることを指摘していました。

Yahoo!ニュース個人
参政党とは何か?「オーガニック信仰」が生んだ異形の右派政党

参政党は、1.子どもの教育、2.食と健康・環境保全、3.国のまもりを三つの重点政策として掲げていますが、特に2と3が両翼の政党だと言われています。3を具体的に言えば、「天皇を中心とした国家」「外国資本による企業買収や土地買収が困難になる法律の制定」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」というような多分に右派的な主張です。

しかし、古谷氏は、どちらかと言えば2が「主」で3は「従」みたいな関係にあると言っていました。

古谷氏は同党の街頭演説などに出向いて、数多くの「定点観測」をしたそうですが、その中で、中心メンバーのひとりである歯科医師の吉野敏明氏の次のような演説に、参政党が意識高い系の人たちに支持される秘密が隠されていると書いていました。

…悪性リンパ腫に限らずですよ、白血病とかでも限らず、普通のがん、骨肉腫もそうです。まず(甘いものを)やめなきゃいけない。

結局は甘いものは何もかもダメなんです。人工甘味料でもダメなんです。蜂蜜もだめなんです。(中略)これらのものに加えてもっと強い発がん物質である食品添加物。


セブンイレブンの何とかハンバーグって、和風ハンバーグとかってなるでしょ。(中略)ところが100g98円とかで売ってるわけ。ありえないでしょ。どうやったら安くなるんですか。

 それは、クズ肉を使うしかない。本来だったら廃棄処分にする。例えば死んだ豚とか。ね。あるいはそもそも全部内蔵取っちゃったあとの余ってる部分の、豚の顔とか牛の顔とか、或いは糞便が詰まってる普通使わない大腸とか。こういうとこを使うわけですよ。そういうのを使うと凄いにおいがします。食品添加物が臭いを消すんです。においを消したらハンバーグっぽい味にしなきゃならないから、合いびき肉だから、豚のエキスとか牛のエキスとか、食品添加物だからそれっぽい味を出すわけです。


一番いけないのはコンビニの弁当とかを、電子レンジでチーンってやって、みそ汁代わりにカップヌードルを飲んでるとかなんだか、中にコーディングしてるわけでしょ、毒の水をわざわざ毒性を強くして、電子レンジで化学反応を起こして食べてる。ていう人たちががんになってるの。もう全員って言っていい、もう。


もちろん、古谷氏も書いているように、どれも科学的根拠があるわけではなく、陰謀論というか都市伝説みたいなものです。それは、「日本版Qアノン」と言われた新型コロナウイルスについての主張も同様です。

しかも、国立ガンセンターなど専門機関が(すべて原因がわかっているのに)公表しないのは、日米合同委員会や国際金融資本による圧力や情報操作があるからだと主張するのでした。

古谷氏は、演説の中で唐突に日米合同委員会や国際金融資本の話が出て来ることについて、次のように書いていました。

(略)だがこれは何ら不自然ではない。

「混じりけのない純粋なる何か」をそのまま延長していくと、「日本は純血の日本民族だけが独占する、混じりけのない国民国家であるべきだ」という結論に行きつくのは当然の帰結だからだ。


このようにオーガニック信仰が持っている純潔主義が、(民族の)純血主義、そして国家主義へと架橋されるメカニズムを指摘しているのでした。

(略)熱心な参政党支持者の人々は、驚くほど政治的に無色であり、むしろ参政党支持以前には政治自体に関心がほとんどないような、政治的免疫が全く無いような人々が多い。でいて自然食品や有機野菜などを好んで摂取する、消費者意識の高い比較的富裕な中高年や、自分の子供に食の安全を提供しよう思っている女性層が、あまりにも、驚くほど多い。

 それまでヨガ教室に熱心に通い、自然食品を愛好し、個人経営の自然派喫茶店が行きつけである、とフェイスブックに書いていた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化されシェア・投稿しだす。それまでインド等の南アジアを放浪し、自然の偉大さや神秘に触れる感動的な旅行記を寄稿していた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化され…。このような事例は観測するだけで山のようにあるし、私の周辺にも極めて多い。


従来、「環境・エコロジー」は左派リベラルの専売特許でした。反戦や人権や多元主義とセットで論じられることが多かったのです。ただ一方で、『古事記』でも「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し」と謳われているように、「環境・エコロジー」はもともと右派のテーマではないのかという声があったこともたしかです。参政党は、荒唐無稽でカルトな面はあるものの、初めてそれを前面に出して、有権者に認知された右派政党と言えなくもないのです。

私は、日本のトロッキズム運動の先駆者だった太田竜が、アイヌ解放論者から自然回帰を唱えるエコロジー主義者になり、さらにユダヤ陰謀論者から最後はウルトラ右翼の国粋主義者へと、めまぐるしく転向(?)していった話を思い出しましたが、今にして思えば彼の”超変身”も支離滅裂なことではなかったと言えるのかもしれません。

辺野古の基地建設反対運動をしていた女性に久し振りに会ったら、参政党の支持者になっていたのでびっくりしたという話がネットに出ていましたが、あり得ない話ではないように思います。

これは蛇足ですが、私たちは、政治のような”大状況”より日々の生活の”小状況”の方が大事です。それは当たり前すぎるくらい当たり前のことです。多くの人たちは、”大状況”なんてあまり関心もないでしょう。でも、カルトやそれと結びついた政治は、私たちの”小状況”の中に巧妙に入り込んできて、無知なのをいいことに彼らの”大状況”に誘導し引き込んでしまうのです。
2022.07.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
参院選挙は文字通り空しくバカバカしいお祭りで終わりました。

自民党は単独で改選過半数を越えたばかりか、寄らば大樹の陰の「改憲勢力」も3分の2を越え、改憲の発議も可能になったのでした。このように、少なくとも次の国政選挙がある3年後まで、絶対的な数を背景に「やりたい放題のことができる」環境を手に入れたのです。文字通り「大勝」の一語に尽きるでしょう。

もっとも、この選挙結果は大方の予想どおりだったとも言えるのです。メディアの事前の予想も、ここまで自民党が大勝するとは思ってなかったものの、与党が過半数を越えるのは間違いないという見方で一致していました。

これもひとえに野党、特に野党第一党の立憲民主党のテイタラクが招いた結果だというのは、誰の目にもあきらかです。厳しい状況だとわかっていたにもかかわらず、執行部は野党共闘からも背を向け、漫然と(敗北主義的に)選挙戦に突入したのでした。

ところが、開票後の記者会見で、泉健太代表は辞任するつもりはないと断言しています。その無責任な感覚にも唖然とするばかりです。3年後も与党の勝利に手を貸すつもりなのか、と思いました。

そもそも労使協調で業界の利害を代弁するだけの、文字通り獅子身中の虫のような大労組出身の議員たちをあんなに抱えて、何ができるのでしょうか。彼らは、間違っても労働者の代表なんかではないのです。

私は、旧民主党は自民党を勝たせるためだけに存在しているとずっと言い続けてきましたが、とは言え、まさかここまであからさまに醜態を晒すとは思っても見ませんでした。

「野党は批判ばかり」というメディの批判を受けて、泉代表は「提案型野党」という看板を掲げ(そうやってみずからずっこけて)、野党としての役割を実質的に放棄したのでした。そのため、先に閉幕した第208回通常国会では、1996年以来26年ぶりに政府が提出した法案61本が全てが成立するという、緊張感の欠けた国会になったのです。これでは野党がいてもいなくても同じでしょう。

90年代の終わり、メディアは55年体制の弊害を盛んに取り上げていました。何故なら、自民党の支持率の長期低落と(旧)社会党の労組依存による退潮がはっきりとしてきたからです。つまり、彼らが支配してきた議会政治にほころびが生じ始めたからです。そのため、既存政党の、特に野党の再編(立て直し)の必要に迫られたのでした。それを受けて、小沢一郎などが先頭に立ち、野党の支持基盤である労働戦線の右翼的統一を手始めに、小選挙区制と政党助成金制度をセットにした「政権交代のできる」二大政党制の実現に奔走(ホントは暗躍)、その結果「連合」と民主党が誕生したのでした。あれから20数年経った現在、見るも無残な野党の劣化を招き、一方で、選挙を「金もうけ」と考えるような政党まで輩出するに至ったのです。少なくとも政党助成金制度がなかったら、NHK党のような発想は生まれなかったでしょう。

さらにメディアは、今度は「批判ばかりの野党」キャンペーンを展開して野党の骨抜きをはかり、巨大与党の誕生を後押ししたのでした。

津田大介氏は、今回の選挙結果について、朝日のインタビュー記事で次のように語っていました。

朝日新聞デジタル
この10年変わらぬ選挙構図、続く低投票率 津田大介さんが見た絶望

自民、公明の両党が全体の4分の1の得票を得て大勝する。この大きな構図は直近10年間の国政選挙と変わっていない。ただ、安倍元首相に対する銃撃事件があってなお低投票率が続き、NHK党、参政党といった新興政党が議席を確保した2点からは、有権者の既存政党に対する絶望感が見えてくる


(略)投票に行った有権者のなかにも既存政党に対するあきらめが漂っていた。こうした人々の不満を巧みなマーケティングとネット戦略ですくいとったのが、参政党とNHK党だった。


 今回の参院選は、ネット選挙が本格化する嚆矢(こうし)となっただろう。良くも悪くも注目を集めてアクセス数を増やしてお金を集める。そんな「アテンションエコノミー」とも呼ばれる手法の有効性が示された。既存政党への不満が最高潮に達する中、不満を吸い取ることに特化した新興政党が出てくることに対し、既存政党側も対策をとり、ネットを積極的に活用していく必要があるだろう。


そして、最後にいつもの常套句を持って来ることを忘れていません。

 もちろん有権者にとっても投票する際の判断材料が増え、見極める力が問われる。自分で情報を集めて精査し、判断する人が増えることで有権者の投票の質が高まる。そのことが投票率の向上にもつながり、政治への信頼を高めることにもなる。


ビジネス用の言説なのか、ホントにそう考えているのかわかりませんが、こんな生ぬるい駄弁を百万編くり返しても何も変わらないでしょう。この国の議会制民主主義は、もはや「絶望」するレベルを越えているのです。与党か野党か、保守かリベラルか、右か左かのような、非生産的で気休めなお喋りをつづけても何の意味もないのです。無駄な時間を費やして日が暮れるだけです。

バカのひとつ覚えのように何度もくり返しますが、今、必要なのは「上」か「下」かの政治です。求められているのは、「下」を担う政党(政治勢力)です。そのためには、ヨーロッパで「下」の政治を担っている急進左派や極右が示しているように、ネットより街頭なのです。

やはり、お金の問題は大きいのです。安倍元首相銃撃事件の犯人が抱えていた疎外感や怨恨も、 シングルイシューのポピュリズム政党に拍手喝さいを送る人々のルサンチマンも、根本にあるのはお金の問題です。そして、言うまでもなく、お金の問題は「上」か「下」かの問題でもあります。「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざりぢっと手を見る」と謳った石川啄木が、アナキズムにシンパシーを抱いたのもゆえなきことではないのです。このままでは「最低限の文化的な生活を営む」こともままならない人々は、ファシズムに簒奪されてしまうでしょう。

泉代表だったか誰だったかが、選挙戦で物価高の問題を訴えたけど、有権者にそこまで切実感はないみたいで訴えが響いたようには見えなかった、と言ってましたが、それは物価高でもそれほど困ってない人たちに訴えていたからでしょう。今の野党は「中」を代弁する政党ばかりです。耳障りのいい政策を掲げて、そのクラスの有権者を与党と奪い合っているだけなのです。
2022.07.11 Mon l 社会・メディア l top ▲
私は、石原慎太郎と安倍晋三とビートたけし(北野たけし)が大嫌いですが、昨日、突然舞い込んできた安倍晋三元首相殺害のニュースには、びっくり仰天しました。

昼寝をしていてふと目を覚ましたら、点けっぱなしになっていたテレビから、奈良市内で参院選の応援演説していた安倍元首相が銃撃され、心肺停止になっているというニュースが目に入り、飛び起きてしまいました。

犯人は同じ奈良市内に住む41歳の元海上自衛隊員だそうで、しかも使われた銃が、鉄パイプに黒いビニールテープを巻いた手製だったというのにも驚きました。

夜になると、テレビ東京を除く東京のキー局は通常の番組を取りやめて、いっせいに安倍氏死去の報道特別番組をやっていました。出演するアナウンサーなどは黒い喪服のようなものを着て、沈痛な表情で事件の経緯や安倍氏の政治的な功績を伝えていました。

それは既存メディアだけではありません。ネットでも、「民主主義に対する挑戦だ」と既存メディアと同じセリフで今回の犯行を非難しているのでした。そして、いつの間にか、下手なことを言えば「不謹慎だ」として炎上しかねないような空気に覆われていたのでした。ホリエモンに至っては、日頃の”マスゴミ批判”はどこへやら、Twitterで「反省すべきはネット上に無数にいたアベカー達だよな。そいつらに犯人は洗脳されてたようなもんだ」などとトンチンカンなネット批判をする始末でした。

警察発表によれば、犯人は、政治信条とは関係なく、家族をメチャクチャにした宗教団体と関係がある元首相に恨みを持ち殺意を募らせた、と供述しているそうです。だとすれば、政治テロと言うには無理があるように思いますが、ただ、ジャーナリストの一部には、あの用意周到さと冷静沈着さと捨て身の覚悟に、政治テロの可能性も捨てきれないという見方も残っているようです。

たしかに、これほどの重大事件なのですから、情報が厳重に管理されているのは間違いないでしょう。昭恵夫人が病院に到着して数分後に亡くなったというのも、到着まで死亡確認を待っていたのかもしれません。

一方で、犯人の人生を考えると、あそこまで殺意をエスカレートした裏に、やはり”上と下の問題”があるように思えてなりません。元海上自衛隊員と言っても20代前半の3年間だけで、最近は家賃38000円のワンルームマンションにひとりで暮らし、派遣の仕事で生活を支えていたそうです。職場の人たちも、大人しくて孤独な印象だった、と口を揃えて証言しているのでした。

大物政治家の家系に生まれて上げ膳据え膳で大切に育てられ、おせいじにも優秀だったとは言えないボンボンだったにもかかわらず、周りが敷いたレールに乗って、とうとう総理大臣にまで上り詰めた元首相。父親の死をきっかけに母親が統一教会に入信して経済的に破綻した末に、家族の関係も崩壊して大学進学も断念し、人生設計をくるわされた犯人(この記事のあとにアップされた文春オンラインには、実兄が病気を苦に自殺、本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書かれていました)。そんな二人を対比すると、私には不条理という言葉しか浮かびません。文字通りこの世に神はいないのかと思ってしまいます。

ちなみに、事件の発端になった統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」と改名)は、霊感商法と合同結婚式で知られた韓国に本部があるカルト宗教で、安倍元首相が同会と深い関係があるのは衆知の事実でした。昨年の系列団体のイベントでもリモートで挨拶しているくらいです。犯人が元首相を逆恨みしたのも故なきことではないのです。

事件直後、ひろゆきは下記のように、今まで蔑ろにされ社会から疎外された人たちの多くは自殺を選んできたけど、これからは「他殺」を選ぶ人間も出てくるのではないか、とツイートしていましたが、ホリエモンなどに比べれば的を射た発言のように思いました。


さらに話を飛躍させれば、社会から疎外された人たちの声を代弁する「下」の政治(政党)が不在な中で、今回の犯人も含めて彼らは、政治的イデオロギーとは別の回路でこの社会の矛盾や不条理に突き当ったとも言えるのです。その結果として、個人的なテロがあるのではないか。

誤解を怖れずに言えば、フランスをはじめヨーロッパでは「下」の政治を極右や急進左派が担っているのですが、日本ではカルト宗教がその代わりを担っていると言えなくもないのです。もちろん、それは餌食にされているという意味です。参院選の応援演説の場で犯行が行われたのも、まったく機能していない政治に対する「下」からのメッセージのようにも私には思えました。

これだけ監視カメラが街中に設置され徹底した監視が行われていても、「暴力は民主主義の敵だ」というような「話せばわかる」民主主義の幻想が振り撒かれても、死や逮捕を覚悟した個人的なテロを防ぐことはできないように思います。「ロンリーウルフ型テロ」という言葉があるそうですが、まさかと思うような人間が政治的イデオロギーとは関係なくテロを実行するような時代になっているのです。今回の事件も特殊な例だとはとても思えません。


※「宗教団体」を実名に直しました。
※内容を一部書き直しました。


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2022.07.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
これは私の勝手な妄想なのですが、このブログでGoogleの悪口を書き始めた頃から、ブログのアクセス数が目に見えて減少したように思います。と言うと、ブログの質が落ちたからじゃないか、最近は、床屋政談のような時事問題ばかり扱っているので、検索でヒットしなくなったのは当然だ、という辛辣な声が返って来るかもしれません。ただ、今の私は、かように被害妄想を抱くほど、Googleに対しては不信感しかありません。

Web2.0の黎明期の16年前、私はこのブログで、Googleのことを半分皮肉を込めて「あらたな神」と書きましたが、その後、Googleは、かの有名な「Don't be evil」という行動規範をこっそり削除していたことがわかりました。今、私たちがGoogleに抱いているイメージも、神というより独裁者に近いものです。

検索で上位に表示されるものほど、内容のすぐれたものだとホントに言えるのでしょうか。そもそもAIは、公平で客観的な評価軸を持っているものなのでしょうか。でも、現実は欧州委員会も指摘しているように、ECサイトの「おすすめ順」と同じで、広告を出稿したりとGoogleに都合のいいサイトが上位に表示されるケースも多いのです。

千葉大学大学院教授で、科学史や科学技術社会論が専門の神里達博氏は、朝日新聞デジタルで、次のようなエピソードを紹介していました。

朝日新聞デジタル
ブラックボックスの「ご託宣」 アルゴリズムの透明性が欠かせない

 今月、米国のIT企業グーグルのエンジニア、ブレイク・ルモイン氏が、同社が開発した対話型のAI(人工知能)「ラムダ」に、感性や意識が芽生えたと主張している、と報じられた。

 まるでAIに魂が宿ったかのようだが、それは錯覚である。要するにこのシステムは、テキスト情報のビッグデータを元に、人間の会話のパターンを学習し、やりとりを模倣する仕組みに過ぎないからだ。


AIは「artificial intelligence」の略ですが、それを直訳すれば「人工知能」です。私たちもまた、この「人工知能」という言葉に惑わされ、上記のGoogleのエンジニアと同じように、AIに幻想を抱いているのではないでしょうか。

先日、アマゾンで、代金を払ったものの商品が届かない不正なサイトにひっかかり、アマゾンと返金交渉を行いました。以前とシステムが変更になったみたいで、カスタマーセンターに問い合せると、まずAIとチャットを行なうように指示されました。

「AIチャットボット」と名乗っていましたが、何のことはない問答集を自動化したものにすぎず、「人工知能」とはほど遠いものでした。そのため、チャットをしているとイライラして来るのでした。

最後に「解決しない」を選ぶと、今度は生の人間とチャットができるのですが、しかし、一旦チャットを終えたあと、確認したいことがありカスタマーセンターに再びアクセスすると、また最初から「AIボット」相手に同じ問答をくり返さなければ前に進まないのでした。何だか「AIボット」におちょくられている感じで、イライラが募るばかりでした。

挙げ句の果てに、AIの次に出た中国名の担当者も、「AIボット」と似たような問答をくり返すだけで、私は最初、AIなのか人間なのかわからず戸惑ったくらいでした。彼女?たちもまた、マニュアルどおりの(常套句を並べるだけの)返答を行なうように訓練されているのでしょう。

AIが人間の知能や知性を凌駕する「シンギュラリティ」が2045年頃にやって来ると言う人がいますが、そのことについて、神里達博氏は次のように書いていました。

 かつて米国の哲学者ジョン・サールは、人工知能を「弱いAI」と「強いAI」に区別して考察した。前述のラムダや、囲碁のAIなども含め、現在実現しているAIは全て前者である。一方で後者は、感性や意識、自我や感情などを持つAIのことを指す。「ドラえもん」のように人間の友達になったり、逆に「ターミネーター」のように人類の脅威になったりするのは「強いAI」だ。

 結論としては、「強いAI」は現在も、どうすれば実現できるのか、その端緒すら見えていない。また、そもそも原理的に可能なのかという点も、AIの専門家の間で意見が割れている。実現可能性を否定しない「楽観的な」専門家ですら、ほぼ全員が、できるにしても相当に遠い未来のことだろうと推測している。
(同上)


神里氏は、「そういう話を聞いたら全て、SFだと考えてよい」と書いていました。

「食べログ」が飲食店の評価に使っているアルゴリズムも、きわめて恣意的なものであったことが先日の東京地裁の判決で認定されました。要するに、もっともらしい衣装を着けたアルゴリズムが恣意的な評価の隠れ蓑になっていたのです。それが、神里氏が言う「食べログ」をめぐる「問題の核心」なのです。

 IT化によって客観的で公平な評価が実現すると期待している人は少なくないだろう。だが、どんなシステムも、運用するのはAIではなく人間だ。そこでは、透明性や可読性が欠かせない。
(同上)


私たちはネットだけではなく、人生のいろんな場面においても、既にAIやアルゴリズムに「支配」されています。でも、それは、集められたデータを基にスコアリングされ、導き出された「傾向」や「確率」を使って、推論したり再現(模倣)したものに過ぎないのです。そんな「傾向」や「確率」に、私たちは振り回されているのです。しかも、その「傾向」や「確率」は、「ブラックボックス」と化したアルゴリズムの中で操作されており、決して公平で客観的なものとは言えないのです。そもそも基礎になるデータが正しいかどうかもわかりません。入力ミスだってあるかもしれません。神里氏が言うように、「透明性」や「可読性」は大事ですが、ホントにそれが担保できるのか、きわめて疑問です。

生身の人間が評価したのなら「この野郎!」とか「間違っているだろ!」とか文句をいうこともできますが、AIから評価されたら拳を振り上げることもできません。機械的に処理され、私たち自身も機械的に受け止めるだけで、感情が介在する余地すらないのです。それはとても冷酷で怖いことですが、私たちはそんな時代に生きているのです。しかも、もう後戻りすることはできないのです。


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あらたな神
Google
2022.07.07 Thu l ネット l top ▲
ダイヤモンドオンラインに、ノンフィクションライターの窪田順生氏が下記のような記事を書いていました。

ダイヤモンド・オンライン
ウクライナ侵攻5カ月目…日本人は「戦争報道のインチキさ」今こそ検証を

手前味噌ですが、私も同じことをこのブログでしつこいくらい書いています。

窪田氏は、冒頭、こう書いていました。

 侵攻直後は「ウクライナと共に!」と芸能人たちが呼びかけ、ワイドショーも毎日のように戦況を紹介し、スタジオで「どうすればロシア国民を目覚めさせられるか」なんて激論を交わしていた。今はニュースで触れる程度で、猛暑だ!値上げだ!という話に多くの時間を費やしている。

 作り手側が飽きてしまったのか、それとも視聴者が飽きて数字が稼げなくなったのかは定かではないが、「打倒プーチン!」と大騒ぎをしていたことがうそだったかのように、ウクライナ問題を扱うテンションが露骨に落ちてきているのだ。


「支援疲れ」と言えば聞こえはいいですが、要するに”支援ごっこ”に飽きてきたというのが本音かもしれません。

前の記事で触れた暴露系ユーチューバーのガーシーが、楽天の三木谷浩史社長が親しい経営者仲間とゴルフコンペしたあと、ウクライナ人モデルを集めてパーティをしていたとみずからのチャンネルで暴露したのですが、それに対して、三木谷氏自身がTwitterで過剰に反応して、結果的にパーティの存在をみずから認めてしまったというオチがありました。

もっとも、一方的なネットの話なので虚実は不明です。NHK党から立候補したガーシーの挑発(話題作り)に、三木谷氏がうっかり乗ってしまった、乗せられてしまったという側面もなきにしもあらずでしょう。ただ、下記のような三木谷氏の反応を見ると、ゴルフのコンペのあとにウクライナ人女性を集めてパーティをやったことはどうやら間違いないようです。


「戦争を忘れてあげようと思って」パーティしたという三木谷氏のツイートは、子どもの言い訳のようで笑ってしまいました。野暮を承知で言えば、楽天が子どもを含めたウクライナ人避難民たちを招待して交流をはかり激励した、というような話ではないのです。あくまでコンペの打ち上げの仲間内のパーティなのです。

日本在住のウクライナ人について、ウィキペディアには次のように書かれています。

日本に在留しているウクライナ人の数は2003年には最大の1,927人にまで急増したが、かつて主流だった興行ビザによる滞在は2005年の興行ビザ発給制限の影響で減少し、2006年の387人から2020年では29人にまで大幅に減った。 2021年6月時点の中長期在留者・特別永住者は1,860人となっている。


興行ビザが厳格化されるまでは、ダンサーやモデルなどの資格で来日してロシアンパブなどで働いていたウクライナ人たちも多かったのです。特に外国人の場合、モデルと言ってもピンキリで、ホステスやコンパニオンがそう呼ばれていることも多いのです。

私は、ここでも”支援ごっこ”という言葉を浮かべざるを得ませんでした。

日本のメディアには、自由で清く正しい民主国家・ウクライナVS世界で孤立した悪の帝国・ロシアという図式が所与のものとして存在しているかのようです。あるメディアは、上記のような二項対立を否定してロシア「擁護」の陰謀論にはまっている人間は、同時に新型コロナウイルスの陰謀論にもはまっているタイプが多いと書いていましたが、とうとうここまで来たかと思いました。こんなことを書くのは日本のメディアだけでしょう。同調圧力にもほどがあると言いたくなります。

でも、そこにも、おなじみの「日本、凄い!」の自演乙、自己愛が伏在しているのです。

 日本人が働く日本のマスコミは、どうしても「日本が世界の中心」という考えに基づいた自国ファーストの情報を流す。そして、「数字」が欲しいので、日本人の読者や視聴者が「いい気分」になる話を扱いがちになる。西側についた日本が世界の中心だと視聴者や読者に知らしめるには、ロシアという国がいかに狂っていて、非人道的な連中なのか、とおとしめるのが手っ取り早い。ナショナリズムが報道の客観性をゆがめてしまっているのだ。
(同上)


旧西側陣営の主要メンバーとしてウクライナを支援して、「可哀そうなウクライナ」の人たちから涙ながらに感謝される日本。でも、実際に受け入れた避難民は千人ちょっとにすぎません。しかも、中には早速外国人パブで働きはじめた避難民がいて、それは人道支援の主旨と違うと行政が指導したというニュースもありました。

これでは、給付金詐欺と同じように、外国人パブで人気のウクライナ人ホステスを入国させるために、人道支援を隠れ蓑にしたケースもないとは限らないでしょう。「ウクライナの美女が中国に避難するのを歓迎」という投稿が載った中国のSNSを日本のメディアはやり玉に上げていましたが、その前に我が身を振り返ってみた方がいいかもしれません。

一方、昨日、朝日新聞に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「ジャベリンなかった」最前線、報道と落差 愛国か命か、揺れる兵士

これは今までの翼賛的な戦争報道と一線を画す記事で、「支援疲れ」の中でやっと出てきた記事と言えるのかもしれません。

 命じられた任務は、想像以上に過酷だった。部隊が前進する際に最前線の状況を確認し、ロシア軍の地雷などがあれば破壊。軍用車両が来れば爆発物で吹き飛ばす――。ロシア軍の進軍を防ぎつつ自陣を確保する、いわば「先遣隊」のような役割だった。

 だが、ほぼ実現することはなかった。「なぜなら、ずっと劣勢で、ウクライナ軍は押し返され続けてきたからです」

 とにかく、武器が足りなかった。メディアは、ウクライナ軍が欧米諸国から対戦車ミサイル「ジャベリン」や「NLAW」などの提供を受け、大きな戦果を上げていると報じている。

 だが男性は、「ジャベリンもNLAWも、見たことなんてない」と不満を口にした。「どこにあるのでしょうか?」。そう尋ねると、「政府や政治家に聞いてくれ」と批判した。


愛国心から軍に入った兵士。でも、今、前線から離れることを望んでいるそうです。しかし、軍人だから脱走するわけにはいかないと言います。

 ゼレンスキー大統領は、「勇気や知恵は輸入できない。我々の英雄が携えているものだ」などと述べて兵士らを鼓舞するが、男性は「そういう言葉を口にするのが大統領の仕事だから」とだけつぶやいた。

 「現場で戦っている兵士は決してあきらめていない」とも男性は言う。一方で、本当の戦況を知らされていないようにも思う。「もう疲れた。こんな状況で、人生を失いたくない」


戦争にプロパガンダは付き物です。もちろん、プロパガンダはロシアの専売特許ではないのです。当然、ウクライナもロシアと同じように、もしかしたらロシア以上にプロパガンダを発信しています。でも、”支援ごっこ”の日本人は、そんな当たり前のことすら理解してないように見えます。

何度も言っていますが、私たちは記事の兵士が抱いているような「厭戦」と連帯すべきなのです。ウクライナ・ロシアを問わず「戦争で死になくない」と考えている人々と連帯すべきなのです。そして、「戦争で死ぬな」と呼びかけるべきなのです。そんな素朴実感的なヒューマニズムが何より大事なのです。それしか戦争を止める道はないのです。

今、街頭で選挙演説している政治家や、そんな政治家に向かって手を振っている有権者に、ホントの平和主義者なんていません。彼らは無定見に国家の論理に拝跪しているだけです。先の大戦前、東条英機の自宅に、「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」などというような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送った国民と同じ心性を共有する、国家の論理で動員された人々がいるだけです。
2022.07.05 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
高橋理洋


このブログはFC2ブログを利用しています。

今日、管理画面に入るためにIDとパスワードを入力しようとしたら、画面の余白に「PR」の文字とともに、上記の画像が表示されたのでした。

私は、一瞬、「なんだ、このXJAPANのYOSHIKIみたいなおっさんは?」と思いました。FC2の創業者の高橋理洋氏です。高橋氏は、現在、アメリカ国籍を取得してアメリカに住んでいるのですが(FC2の本社もアメリカ)、2015年の「FC2わいせつ動画配信事件」に連座して、日本の警察当局から「国際海空港手配」されている身なのでした。そのため、日本に帰るには逮捕を覚悟で帰るしかないのですが、でも、逮捕されたら執行猶予は付かず、数年の実刑になる公算が高いので(ホントかな)帰ることができない、と本人は言っていました。

「国際海空港手配」については、下記の記事に詳しく書かれています。

ライブドアニュース
わいせつ動画配信事件で「FC2」創設者に逮捕状
「国際海空港手配」とはなにか?


ところが、高橋氏は今話題の暴露系ユーチューバーのガーシーと旧知の仲だったようで、先日、突然、ガーシーの動画に登場して、その場で今回の参院選にガーシーこと東谷義和氏ともどもNHK党から立候補することを明らかにしたのでした。

それも、本人の話では、NHK党の候補者募集にその場のノリで手を上げたということでした。NHK党は、得票率2%を獲得して政党要件を満たすために、塵も積もれば山となる作戦で、供託金300万円(比例は600万円)持参で選挙を”宣伝の場”と割り切る「当選を目的としない」候補者を手広く募集していたのです。

当日の動画も観ましたが、スキットルと呼ばれるウイスキーを入れた缶を手にしたサングラス姿の高橋氏はかなり酔っぱらっている様子で、呂律がまわらない口調でよくわからないことをブツブツ言うだけでした。

国会議員に与えられる不逮捕特権を手に入れて一時帰国したいんじゃないかという穿った見方もありますが、本人はユーチューブの中で否定しています。

ちなみに、憲法第50条は次のように謳っています。

第五十条
両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。


立候補にあたっての公約は、任期中の議員歳費を児童養護施設に寄付する、AVのモザイクを潰す(なくす)という2点を上げていました。ガーシーの動画に出ていたときと同じTシャツを着ていましたので、まだ酔いが残っていたのかもしれませんが、これってネタじゃないのかと思いました。話している内容も言葉使いも、おせいじにも聡明とは言い難く、48歳という年齢を考えても幼稚な感じがしてなりませんでした。

彼の公約にツッコミを入れるのは野暮のような気もしますが、たとえばAVについても、社会的に未熟だったりメンヘラだったりする女性が性被害を受けるとか、ガーシーが言う「デジタルタツゥー」によって顔を晒された動画が半永久的にネット上に残るとかいった問題などがあります。しかし、話を聞いていると、そういう問題はまったく視野に入ってない感じでした。

昨年末に父親が亡くなったけど、葬儀に出ることができなかったので悲しかったという話をしていましたが、その際、父親の死因について、腕に注射をする恰好をしながら、「これをやった直後になくなりまして」「でも、因果関係があるのかどうか不明です」と言っていたのには呆気に取られました。

FC2に関しては、動画、それも成人向けの動画共有サービスの「FC2動画アダルト」が大きな収益源であるのは言うまでもありません。FC2ユーザーとしてこんな言い方をするのはおかしいのですが、そんな会社がどうしてあまりお金にならないブログサービスを運営しているのか、不思議に思うくらいです。

FC2動画は、アダルト動画の投稿だけでなく、アニメなどの違法アップロードも多く、いつも当局とのいたちごっこがくり返されていますが、今やその言語は、(Wikipediaによれば)日本語・英語・中国語(簡体字、繁体字)・朝鮮語・スペイン語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・インドネシア語・ポルトガル語・ベトナム語をカバーしており、文字通り世界中に視聴者を抱えるまでになっているのでした。ネットはエロとアニメの天国を象徴するようなサイトと言えるでしょう。

2015年の「FC2わいせつ動画公開事件」の際、ユーザーである私のもとにも下記と同じ文面のメールが届きました。

本日の報道に関しまして

平素は、FC2(fc2.com)をご利用いただき、誠にありがとうございます。

2015年4月22日(日本時間23日)に弊社の開発委託先会社の社長が逮捕されたとの報道がございました。

報道では、開発委託先会社ではなく、FC2の代表者が逮捕されたとの誤った報道が散見されますが、FC2の代表者が逮捕されたという事実はございません。

FC2は、今までどおりコンプライアンスを重視し、ユーザー様のご要望・ご期待にに沿えるよう全力でサービスを提供して行く所存です。


FC2総合インフォメーション
04/23 本日の報道に関しまして

たしかに「逮捕されたという事実」はなかったので、FC2の文章だけを読むと、代表者の高橋氏は事件とは無関係で、メディアの勇み足みたいに思ってしまいます。私もそう思いました。でも、逮捕はされてないだど、その代わり指名手配されていたのです。ものは言いようとは言いますが、何だか騙されたような気持になりました。

今のネットにどっぷりと浸かった若者たちにとって、高橋氏は、ホリエモンなどと同じように、ネットの時代のサクセス・ストーリーを地で行くヒーローなのかもしれません。手段や方法は二の次に、金もうけがうまければそれだけで凄い!という話になるのです。それが、給付金詐欺やオレオレ詐欺(特殊詐欺)の敷居の低さにもつながっているような気がしてなりません。

正直言って、高橋氏のユーチューブを観て、FC2ブログを利用していることに恥ずかしさを覚えました。でも、ブログを移転するのもめんどうなのです。前にも一度、他の会社のブログに移転したものの、FC2の方が使いやすかったのですぐに戻ってきたということがありました。弁解するわけではありませんが、エロで稼いでいるからなのか、FC2ブログが安くて使いやすいのはたしかです。

もちろん、優等生ぶってコンプライアンスがどうたらと言いたいのではありません。高橋氏に対しても、ホリエモンなどと同じように、ただ単純に、生理的と言ってもいいような嫌悪感しか覚えないと言いたいだけです。「なんだ、このおっさん」という気持しか持てないのです。

どこかのホテルチェーンの女社長みたいにみずから広告塔になりたいのかもしれませんが、プラットホームを提供する裏方なら裏方に徹すべきでしょう。それが商売のイロハのはずです。
2022.07.03 Sun l ネット l top ▲
先日、ロシアのサハリン州(樺太)北東部沿岸で開発されている資源プロジェクト「サハリン2」の運営会社の資産を、ロシアが設立した新会社に移管する大統領令にプーチン大統領が署名したというニュースが伝えられました。すると、当地での日本の天然ガスの権益が失われ、供給もままなくなるとして、日本でもセンセーショナルに報道されたのでした。

現在の運営会社の株は、ロシアの国営天然ガス企業・ガスプロムが50%、イギリスの石油大手シェルが27.5%、日本の三井物産が12.5%、三菱商事が10%を保有していますが、それがごっそり新会社に無償譲渡されることになるのです。文字通り火事場泥棒の所業とも言えますが、戦争当事国としてはあり得ない話ではないし、予想できない話ではなかったはずです。

「サハリン2」で生産される液化天然ガス(LNG)の60%は日本向けで、日本はLNGの輸入の8.8%(2021年)をロシアに依存しており、その大部分が「サハリン2」だそうです。

もちろん、岸田首相が日本の首相として初めてNATO首脳会談に参加して、「ウクライナは明日の東アジア」などと述べ、アジア太平洋地域とNATOとの連携の強化を呼びかけたことなどに対する意趣返しであるのはあきらかでしょう。

日本は、G7のロシア産の石炭や石油の段階的な禁輸の方針には足並みを揃えることを表明していますが、LNGに関しては代替の調達が難しいという理由で制裁から除外していたのです。ロシアは、そんな都合のいい態度をとる日本の足元を衝いて来たとも言えるのです。

しかし、誤解を怖れずに言えば、ロシアは決して孤立しているわけではありません。アメリカのシンクタンクの集計でも、ロシア非難に加わらなかった国の人口を合わせると41億人で、世界の人口77億人の53%になるそうです。つまり、G7やNATOの制裁に同調する国は、世界の人口の半分にも満たないのです。特にG7に対抗する新興国のBRICS (ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)が運営する新開発銀行(本部は上海市)には、既にUAE(アラブ首長国連邦)・ウルグアイ・バングラデシュが新規に加盟しており、BRICSを中心にドル離れも進んでいます。

それどころか、肝心なアメリカ国民にも、ロシアとの”経済戦争”に冷めた見方をする人たちが多くなっていると言われています。アメリカも一枚岩ではないのです。

コロンビア大学のShang-Jin Wei教授(金融学・経済学)も、『Newweek』(7/5号)のコラムで、「 彼ら(引用者:アメリカ国民)の多くは、エネルギー価格高騰の全ての責任がロシアのプーチン大統領にあるとするバイデンの主張に賛同していない」(「アメリカの原油高を止める秘策」)と書いていました。

アメリカのガソリン価格は、現在、1ガロン55ドルくらいだそうですが、これを1ガロン=3.78リットル、1ドル=135円で換算すると、1リットル178円です。アメリカのガソリンは水みたいに安いと言われたのも今は昔で、日本とほぼ変わらないのです。2022年5月の価格は、昨年同月比の75%増だったそうです。

アメリカは2017年以降、世界の産油国の中でトップを占めるくらい輸出を行っており、原油(シェールガス)の埋蔵量も豊富です。世界最大の原油消費国であるとともに、原油輸出国でもあるのです。だったら、この原油高なのですから、アメリカ経済にもっとうるおいをもたらしてもいいはずです。しかし、アメリカの一般市民は、恩恵に浴してないどころか、逆に値上げに苦しんでいるのでした。

そこには資本主義のしくみが関係しています。原油高の利益が貪欲な石油会社とその株主、つまり資本に独占されているからです。しかも、彼らにとって、国内の消費者も収奪の対象でしかないのです。

アメリカは40年ぶりと言われる猛烈なインフレに見舞われ、アメリカ経済は疲弊しています。それが、FRBが25年ぶりに、政策金利を通常の3倍の0.75%という大幅な利上げに踏み切った背景です。もちろん、金利が上がれば経済成長は鈍化しますが、それよりインフレを抑える方に舵を切ったのです。それくらいインフレが深刻なのです。

アメリカにかつてのような超大国としての”余裕”はもうないのです。今秋(11月)の中間選挙次第では、バイデン政権が進めるウクライナ支援にも、ブレーキがかかる可能性があるかもしれません。アメリカの世論は、ウクライナ支援より自分たちの生活が大事という内向き志向になっているのは間違いありません。もはや「世界の警察官」としての自負もなくなっているのです。

「協調を忘れた世界」のツケが先進国の人間の消費を享受する便利で豊かな生活を直撃する、私たちはその危うい現実を突き付けられたと言っていいでしょう。まして、資源小国の日本が資源大国に歩調を合わせて「協調を忘れた世界」の論理に与すると、「サハリン2」のようなどえらいシッペ返しを受けるのは当然でしょう。良いか悪いかではなく、それが世界の現実なのです。それでもやせ我慢して、(本音では誰も戦場に行きたくないのに)軍事増強に突き進み、犬の遠吠えみたいな対決姿勢を鮮明にするのか。勇ましい言葉に流されるのではなく、今一度虚心坦懐に冷静に考える必要があるでしょう。
2022.07.02 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲