「見てみろ、凄いじゃないか。とうとう内閣の改造まで行ったぞ」と私は彼に言いたくなりました。

鉄パイプに黒のビニールテープを巻いただけの粗末な手製の銃から発射された2発の銃弾が、ここまで世の中を変えたのです。1発目を撃ったとき、まわりにいた人たちは、銃声だと思わなかったそうです。自転車か何かのタイヤがパンクした音のように聞こえたと。そんな粗末な手製の銃が、これほどのインパクトをもたらすとは誰が想像したでしょう。

まるでみずからの不手際を弁解するかのように、事件直後から垂れ流される容疑者の供述。それもまた、今までの事件では見られない異例のものだと言われます。事件直後には、「安倍元首相に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という供述がありましたが、すぐに「元首相の政治信条への恨みではない」と「訂正」するような供述に代わっています。またそのあとも、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相が団体と繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ」というような供述も発表されたのでした。

専門家の中には、犯行直後にそんな供述をするのは不自然だという声があるそうです。容疑者は、逮捕直後の混乱(興奮状態)の中で、「思い込んだ」と自分の犯行を後悔(否定)するようなことを口にしているのです。時間が経ってから後悔の念に苛まれてそう言うのならわかりますが、犯行直後なのです。

警察がメディアに発表した供述内容が、公判の際、調書に出てないことも多いのだとか。それはあくまで警察が発表した一方的な供述にすぎず、正式な供述ではないのです。

さらには、容疑者を精神鑑定するために鑑定留置することが認められたと発表されたのでした。それも4ヶ月にもわたる長期です。「動機に論理の飛躍が見られる」というのがその理由ですが、たしかに奈良県警が発表した供述に従えば、単なる「思い込み」であれだけの犯行に及んだのですから、「論理に飛躍が見られる」ことになるでしょう。

犯行からひと月が経ちましたが、あらためて暴力が持つインパクトの大きさを痛感させられるばかりです。容疑者は、決行するにあたって、「政治的意味を考える余裕はない」と言ったのですが、時間の経過とともに容疑者の行為はとてつもなく大きな「政治的意味」を持つに至ったのでした。

犯行の翌々日が参院選の投票日でしたが、選挙の結果がどうであれ山上容疑者の銃撃がなければ、これほど日本の政治が旧統一教会に浸食されていたことが白日のもとに晒されることはなかったでしょう。与党の議席がどうの野党の議席がどうのといういつもの報道がくり返されるだけで、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」政治家たちと韓国のカルト宗教の蜜月は、何事もなかったかのようにこれからも続いていたでしょう。

前も書きましたが、自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、「愛国」政治家たちがジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」と主張しているのも、旧統一教会からの受け売りであったことが徐々にあきらかになっています。

今年の6月に開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の席で、同性愛は「回復治療の効果が期待できる」「依存症」や「精神障害」であり、「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」というような内容のパンフレットが配布されたとして問題になりましたが、神道系の議員たちが前はほとんど関心がなかった”性の多様性”の問題に急に関心を持ちはじめ、強硬な反対論を展開するようになったのも、旧統一教会の働きかけがあったからだと言われているのでした。

それどころか、彼ら神道系議員の母体である神社本庁が、日本人をサタンと呼ぶキリスト教系の旧統一教会の影響下に置かれているという、信じられない話まで飛び出しているのでした。神道の信者は数の上では莫大ですが、葬儀や結婚式を神道式で行なう人が稀であるように、実際に信仰している人は少なく、しかも、御多分に漏れず信者の高齢化が進んでいるそうです。そんな中、旧統一教会がNPO法人のような団体名で近づき、若い隠れ信者たちが神社本庁の活動を手足となって手伝うことで、神社本庁に浸透していったそうです。中には本部の職員に採用された信者もいたそうです。国会議員の選挙運動を手伝って、その議員を取り込み思想的影響下に置くのとまったく同じ手口です。また、神社本庁は内紛によって分裂状態にあるのですが、それも旧統一協会が裏で糸を引いていたのではないかという見方さえあるのでした。

何度もくり返さなければなりませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教なのです。

そんなカルト宗教に日本の「愛国」や「伝統」が簒奪されコントロールされていたのです。岸田首相は昨日の記者会見で否定していましたが、自民党の改憲案や神道政治連盟のパンフレットに見られるように、政権与党の政策が影響を受けていたのではないかという疑惑は拭えません。

神道政治連盟のサイトのトップページには、「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」と麗々しく謳っていますが、そんな議員たちがよりによって、日本人をサタンと呼ぶ韓国のカルト宗教と密通していたのです。こんなふざけた話があるでしょうか。

国民に「愛国」を説き、国民向けには”嫌韓”を装いながら裏では韓国のカルト宗教にへいつくばりおべんちゃらを言っていたのです。こんな「愛国」者がいるでしょうか。

日本は美しい国、日本人の誇りを取り戻そうと言っていた政治家が、よりによって日本を「エバ国家」と呼ぶ韓国のカルト宗教と三代前から親しい関係を結び、選挙の際は票の配分を依頼するなど、みずから日本の政治のど真ん中に招き入れていたのです。

2発の銃弾が暴き出したのは、この国の「保守」と呼ばれる政治がまったくの虚妄だったという事実です。「保守」なるものが、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”の産物にすぎなかったことがあらためて明らかになったのです。「愛国」や「保守」や「反日」や「売国」という言葉はことごとく失効したのです。

江藤淳は、占領軍の検閲によって、戦後の言語空間は閉ざされたものになったと言ったのですが、そもそも言語空間もくそもなかったのです。保守主義者の江藤淳が見ていたのは虚構だったのです。

今、私たちの前にあるのは、戦後の「保守」政治が見るも無残に破綻した光景です。それを未だに空疎な言葉を使って糊塗しようとするのは、あまりに往生際が悪くみっともない所業としか言いようがありません。ホントに「反日」なのは誰だったか、もう一度自問した方がいいでしょう。国葬なんかやっている場合じゃないのです。

それは、橋下徹や三浦瑠麗や東浩紀らテレビの御用知識人たちの言語も同様です。今回の事件では、彼らの言語の薄っぺらさが晒されるという副産物も生んだのでした。テレビを観ていて呆れた人も多いはずです。

目の前に突きつけられた事態があまりに衝撃的で想像を越えていたためか、彼らは、みずからの常套句で説明することができずトンチンカンを演じてしまった感じでした。わからないことはわからないと正直に言えばよかったのです。彼らが駆使する言語も、現実を剔抉することのできない、単なる口先三寸主義の屁理屈にすぎないことが明らかになったのでした。

このように、一夜にして世の中の空気が一変したのです。旧統一協会に再び世間の厳しい目が向けられるようになりました。また、今まで視野に入ってなかった信仰二世の問題にも、目が向けられつつあります。

自転車のタイヤがパンクしたと間違われるような粗末な手製の銃から発せられた2発の銃弾が、こと、、の善悪を越えて「凄いじゃないか。やったじゃないか」と言いたくなるような光景を引き出したのです。それは驚き以外のなにものでもありません。
2022.08.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
また、『紙の爆弾』の記事の話になりますが、今月号(9月号)の中川淳一郎氏のコラム「格差を読む」に、思わず膝を打つような記事が載っていました。

ホントは全文を紹介したいくらいですが、もちろん、それは叶わぬことなので、もし興味があれば、『紙の爆弾』9月号(鹿砦社)をお買い求めください(いつもお世話になっているので宣伝します)。

タイトルは『「34位」の日本人が生きる道』。記事は次のような文章で始まっています。

  スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力ランキング2022」を発表した。日本の競争力は二〇二一年の三一位から三四位に低下。これは六三ヵ国を対象に二〇項目・三三三の基準で競争力を数値化したもので、調査開始の一九八九年から九二年まで日本は四年連続一位。その後も二位、三位、四位、四位と上位の常連だった。九七年に一七位に急落し、二十番台が続いたが、ついに三四位まで落ちた。マレーシア(三二位)やタイ(三三位)の下である。
  もはや日本は東アジアの没落国といってもいいかもしれない。上位常連のころは、自動車・家電・金融・不動産が活況だったものの、ネット時代以降は社会の変化についていけなくなったようだ。また、かつて世界に五〇%はあった半導体のシェアが 一〇%を切るなど、目も当てられない状態になっている。
(『紙の爆弾』2020年9月号・「格差を読む」”「34位」の日本人が生きる道”)
※以下、引用は同じ。


私がこのブログでしつこいように書いている「ニッポン凄い!」の自演乙も、ここまで来るともはやギャグのように思えてきます。

だったら、日本にとって強みは何があるのか?、と中川氏は考えるのでした。

  (略)日本にとっての強みというのは、「物価が安くて食・サービスの質が高く、インフラが整い、歴史もあり、豊かな自然もあり、観光に適した国」というものしかなくなってしまう。あとは魚介類や野菜をはじめとしたグルメ方面か。


  自動車も家電もネットサービスも、今後日本が世界で存在感を示すことは難しいだろう。これから考え得る日本の進む道は「観光立国」しかない。となれば、国民の働き先は飲食店やホテルの掃除、コンビニ店員といったところになるだろう。現在、日本の都市部に住む東南アジア系の人々が担っている仕事を日本人がやるということだ。


私は、ほかに風俗と児童ポルノがあるのではないか、と思いました。コロナ前までは、中国人や韓国人の買春ツアーは活況を呈していました。風俗に詳しい人間の話では、外国人専用の派遣ヘルスも多くあったそうです。ガーシーではないですが、外国人相手に大和撫子をアテンドするプロのブローカーも「掃いて棄てるほど」いたそうです。

中川氏は、続けてこう書いていました。

国の物価を示す「ビッグマック指数」においても、もはや日本はタイよりも下である。この三十年間、給料が上がらない稀有な国こそ日本なのだ。


前も書きましたが、日本は「安くておいしい国」なのです。買春する料金も、外国人から見たら格安で「良心的」です。給料が上がらない分、風俗の料金も30年前から上がってないそうです。

「Youは何しに日本へ?」でインタビューされている外国人たちのかなりの部分は、ホントは日本に買春に来ているのです。秋葉原に行きたいというのも、ホントは児童ポルノが目当てなのです。昔のJ-POPのレコードを探しに来たとか、地方のお祭りに参加するために来たというのは、奇人変人の部類に属するような稀な例です。

以前、このブログで、若者の間で海外旅行離れが進んでいるという話題を取り上げたことがありますが、今調べてみたら2008年4月の記事でした。既にその頃から没落が顕著になり、私たちも身に沁みてそれを実感するようになっていたのでしょう。

私たちのまわりを見るとわかりますが、格差と言っても、親がどれだけ資産を持っているか、親からどれだけ遺産を受け継いだかによっても違います。起業しても同じです。手持ちの資金にどれだけ余裕があるかによって、どれだけチャンスをものにできるか、どれだけ持ちこたえることができるかが決まるのです。

とは言え、日本にはまだ個人の金融資産が2000兆円弱もあるそうです。それを食いつぶす間は”豊かな幻想”を持つことができるでしょう。一方、金融資産の恩恵に浴することができない人たちの多くは、既にこの社会の中で落ちぶれてアンダークラスを形成しているのです。

安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者の父親は、京大卒で大手建設会社に勤務していたそうです。母親も大阪市立大(現・大阪公立大)卒の栄養士だったとか。旧統一教会に寄付した総額は1億円だったそうですから、遺産も含めて、山上家には1億円の資産があったことになります。もし、母親が旧統一教会に入ってなければ、容疑者が言うように、その資産を使って大学にも行けたでしょうし、今もそれなりの生活を送ることができたでしょう。

今の「それなりに豊かに見える」生活も、単に親から受け継いだ資産が投映されたものにすぎない、と言ったら言いすぎかもしれませんが、没落していく国では、とりわけ親の資産や遺産の多寡によって子の人生が決まる無慈悲な現実があるのも事実です。そもそもスタートが平等ではないのですから、個人の努力の範囲は最初から限られているのです。

私たちの世代は、進学資金や結婚資金やマイホームの頭金などを親から出して貰うのが当たり前でした。じゃあ、私たちは、自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうそんな余裕はありません。せいぜいが奨学金の保証人になるくらいです。

私は九州の高校を出たのですが、私たちの頃は東京の大学に進学した同級生が100人近くいました。今でも都内で開催される同級会には常時20~30人は集まるそうです。しかし、現在、母校から東京の大学に進学する生徒は数人程度です。それも私たちのような凡人ではなく、超優秀な生徒だけです。

私たちの頃と違って、圧倒的に地元志向、しかも公立志向なのです。つまり、それだけ親に経済的な余裕がなくなっているのです。同級生と話をすると、みんな口をそろえて「あの頃、親はよく仕送りしてくれたな」「考えられないよ」「よくそんなお金があったと思うよ」と言いますが、それが私たちの世代の実感です。

このように、私たちは子どもに残す遺産がないのです。身も蓋もないことを言えば、それだけ貧しくなっているということです。”負の世代連鎖”に入っていると言ってもオーバーではないでしょう。

ネットニュースの編集者でもあった中川淳一郎氏は、こうも書いていました。

  おそらく日本で給料が大幅に上がることは難しい。それは、ひとえに、情報の伝播のしやすさの問題だ。英語のサイトが世界中からアクセスを集められるのと比べて、日本語の情報は、ネット上の存在感が極端に低いのである。


とどのつまり、益々没落していくしかないということでしょう。

デジタル革命に乗り遅れたと言えばその通りなのですが、日本語の問題も含めて、そこには日本の社会そのものに起因する致命的な問題があるような気がしてなりません。

日本の企業は、いつまで経っても日本流の生産方式や品質管理が一番いいという「神話」から脱皮できず、そのために世界から取り残されてしまったという話を前にしたことがありますが、ネットの時代になって日本は逆に「愛国」という病理に、そして「ニッポン凄い!」という自演乙に自閉していったのでした。つまり、「パラダイス鎖国」の幻想に憑りつかれ、内向きになっていったのです。そうやっていっそう没落を加速させたのです。

海外に出稼ぎに行くにしても、「壊滅的に英語ができない国民」である日本人には、言語の壁が立ちはだかって難しいと皮肉を書いていましたが、それも笑い話で済まされるような話ではないでしょう。「同じ東アジアのタイやベトナム、カンボジアの方が日本より英語が通じる」現実を前にしてもなお、「ニッポン凄い!」と自演乙しつづけるのは、何だか哀愁を漂わせるピエロのギャクのようにしか見えません。


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2022.08.10 Wed l 社会・メディア l top ▲
ナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問は、当初、中間選挙で民主党の敗色が濃厚と言われている中での季節外れの“卒業旅行”みたいなものだとヤユする向きもありました。ところが、蓋を開けてみるとそんな呑気な話ではなく、82歳の老婆による、とんでもない”戦争挑発旅行”だったということがわかったのでした。

「これでウクライナが東アジアに飛び火した」と論評した専門家がいましたが、まさにそれこそがナンシー・ペロシの「電撃的な台湾訪問」に隠されたバイデン政権の狙いだったように思います。

アメリカ空軍の軍用機(要人輸送機C-40C)を使った今回の訪問が、露骨に中国を挑発するものであることは誰が見てもあきらかでしょう。でも、対米従属の日本では、「挑発」という言葉はまるで禁句であるかのようです。メディアにもその言葉は一切出て来ないのでした。

ナンシー・ペロシの行動をバイデン大統領が止めることができなかった。個人的な旅行なのに、中国が「メンツを潰された」と過剰に反応して、台湾や日本に軍事的な圧力をかけている。このまま行けば中国が戦争を仕掛けて来るかもしれない、というような報道ばかりです。

今回の挑発行動には、米中対立によって、半導体の一大供給地である台湾の戦略的な重要性が益々増しているという、近々の状況が背景にあることは間違いないでしょう。石油や天然ガスのような天然資源ではなく、今の時代ではデジタル技術も大事な資源なのです。そういった新たな資源争奪戦という帝国主義戦争の側面は否定できないように思います。

しかし、それだけではなく、アメリカ経済が陥っている苦境とも無縁ではないような気がします。FRBは、6月に28年ぶりの大幅利上げを行なったのですが、翌月にも同様の利上げを再度行なって世界を仰天させたのでした。このように、現在、アメリカは「経済危機」と言ってもいいような未曽有のインフレに見舞われているのです。そのため、アメリカは、起死回生のために新たな戦争を欲しているのではないか。台湾有事という”危機”を現前化することで、今やコングロマリットと化した軍需産業を起爆剤に、低迷するアメリカ経済を好転させる魂胆があるのではないか、と思いました。もとより、蕩尽の究極の場である戦争ほど、美味しいビジネスはないのです。1機100億円以上もする戦闘機がどんどん撃ち落とされるのを見て、歓喜の声を上げない資本家はいないでしょう。

アメリカは戦後、朝鮮戦争からシリア内戦までずっと他国の戦争に介入してきました。そうやって超大国の座を維持してきたのです。ただ、ウクライナ戦争を見てもわかる通り、既に直接介入する力はなくなっています。しかしそれでも、他国の人々の生き血を吸って虚妄の繁栄を謳歌する”戦争国家”であることには変わりがありません。

もちろん、どうして今なのか?を考えたとき、中間選挙をまじかに控えた民主党の党内事情も無視できないように思います。苦戦が伝えられる中間選挙で逆転するためには、”強いアメリカ”を演出しなければなりません。しかし、ロシアは役不足です。案の定、ウクライナ戦争はインパクトに欠け、国民も冷めています。やはり、中国を民主主義と権威主義の戦いに引き摺り込むしかない。バイデンらはそう考えたのかもしれません。

でも、バイデンは79歳、ナンシー・ペロシは82歳です。私たちは、ガーシー当選に勝るとも劣らない悪夢を見ているような気持になってしまいます。

ナンシー・ペロシの台湾訪問のひと月前に発売された『紙の爆弾』(7月号)で、天木直人氏(元駐レバノン大使)と対談した木村三浩氏(一水会代表)は、今回の挑発行為を予見していたかのように、次のように発言していました。

木村   (略)米国が次に狙うのが中国で、だからこそ台湾有事の勃発が危惧されている。しかし、日本にはその視点がない。独裁者のプーチンが暴走した。香港・ウイグル・チベットなどで人々を弾圧している習近平も暴走するに違いない、と事態が極度に単純化されている。この論調に政治が乗っかり、日米同盟を強化すべきだ、NATOに入るべきだといったことまで公言されています。防衛費増強にしても、米国からさらに武器を買って貢ぐことにすぎません。
(「台湾有事」の米国戦略と「沖縄」の可能性)


一方、天木氏は、台湾有事に備えるには、沖縄の平和勢力が「反戦平和」を唯一の公約にする、つまり、その一点で結集できる「沖縄党」をつくって国政に参加するべきだと言っていました。

唯一の地上戦を経験しながら、戦後も基地の負担を強いられてきた沖縄には、本土のように対米従属に対する幻想はありません。だから、ネトウヨには、沖縄は「左傾」した「中共のスパイ」のように見えるのでしょう。天木氏の提案は、そんな対米従属の幻想から「覚醒」した沖縄が、日本の対米従属からの脱却を促し、日本を「覚醒」させることができるという、沖縄問題を論じる中でよく聞く”沖縄覚醒論”の延長上にあるものと言えます。

何度もくり返しますが、日本という国は、国民に「愛国」を説きながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、ふざけた「愛国」者しかいない国なのです。それは政治家だけではありません。”極右の女神”に代表されるような右派のオピニオンリーダーたちも同じです。嫌韓で自分を偽装しながら、陰では韓国のカルト宗教から支援を受け、教団をヨイショしていたのです。また、旧統一教会の魔の手は、「愛国」の精神的支柱とも言うべき神社本庁にまで延びているという話さえあります。

自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」者たちが、ジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対するのも、教団からの受け売り(働きかけによるもの)だったのではないかと言われています。それどころか、女系天皇反対もそうだったのではないかという指摘もあるくらいです。

そんなふざけた「愛国」者が煽る戦争に乗せられないためにも、「沖縄の覚醒」を対置するという考えはたしかに傾聴に値するものがあるように思います。しかし、同時に、もう沖縄に頼るしかないのか、また沖縄を利用するのか、という気持も拭えないのでした。

天木   米国はいまでも「一つの中国」について変わらないと繰り返す一方で、あいまい戦略を、どんどんあいまいではないようにしています。台湾への軍事支援を公然と行ない、独立をそそのかしている。五月に来日したバイデンは岸田首相との会談で「武器行使」を肯定する発言をしました。(略)そんな発言をすること自体、バイデンは米中関係を損ねているのです。


天木   この現実を変えるには、沖縄に期待するしかないと思うに至りました。(略)このままいけば再び沖縄は捨て石にされる。今度は中国と戦うことを迫られる。これだけは何があっても避けたいはずです。沖縄の人たちは、「ぬちどぅたから(命こそ宝)や万国津梁ばんこくしんりょう」という言葉を琉球王国時代からの沖縄人の魂だと言います。ならば、それを唯一の公約とした「沖縄党」をつくって国政に参加してほしい。


天木   (略)本当に有事になったときは、日本人は皆”反戦”に傾くはずです。そのときに民意を集約できるのは、既存の左翼勢力ではなく「沖縄党」だと、私は思っているのです。


天木氏の発言に対して、木村氏も次のように言っていました。

木村   (略)このまま台湾有事に向えば、今のロシアと同じように、冷静な意見も「お前は親中か!」と排斥が始まるでしょう。それでも沖縄が「二度と戦争の犠牲にならない」と言えば、誰も反論はできない。


ただ、中には、台湾有事になれば自衛隊が戦うだけ、沖縄が犠牲になるのは地政学上仕方ない、自分たちが安全圏にいられるならいくらでも防衛費を増強すればいい、と考えているような日本人も少なからずいます。彼らもまた、”対米従属「愛国」主義”に呪縛され、戦争のリアルから目を背けているという点では、ふざけた「愛国」者と五十歩百歩と言うべきなのです。


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2022.08.08 Mon l 社会・メディア l top ▲
先の参院選で当選したNHK党のガーシーが、8月3日の臨時国会の招集にあたって提出した海外渡航届に対して、参院議院運営委員会理事会は「納得がいく理由がない」として、全会一致で許可しないことを決定したという報道がありました。

この「許可しない」というのは渡航を許可しないという意味だと思いますが、許可するも何もガーシーは選挙前から渡航していて日本にいないのです。しかも、渡航届の帰国日は「未定」になっていたそうです。まったく冗談みたいな話です。

ところが、議院運営委員会理事会の決定に対して、ガーシーは、インスタグラムに下記のような怒りの投稿を行ったのでした。

Instagram
ガーシーチャンネル(東谷義和)
https://www.instagram.com/p/Cgx0SHVPvkA

gaasyy_chアホらし
お前らに参議院議員にしてもらった訳でもないのに偉そーにすな
オレの議員としての存続を決めれるのは、票を入れてくれた支持者だけや
居眠りこいてるジジイやゴルフや飲み過ぎで議会欠席してるジジイ、パパ活不倫してる奴らに言われる筋合いはない
オレの存在が疎ましーのはわかるけどな、
人のことばっかり気にしてると足元すくわれんぞ
『明日は我が身』この言葉、よー噛み締めてオレに攻撃してこい

突けば吹き飛ぶよーなジジイ相手にケンカしたないねん
海外にいてもできることはよーけある。
海外やないとできひんこともよーけある。

日本にいても何もせん、人の粗さがしてる老害ども
ええ加減に身ひいて、次の時代の若者にバトン渡せや

もーお前らが作った時代は完成してん
次の新しい時代をまた築くのに、お前らはただただ邪魔な存在なんや

そのあたりよー理解して、最後の議員生活満喫せーや

リモートでも当選することを立証した、それが次の選挙にどー繋がるか?
お前らにもわかるような未来が訪れるわ

SNSをろくにつかえん奴は当選せーへん時代がもーそこまできとるわ

それはオレを議員辞めさせようが続けさせようが変わらん未来や

ジタバタせんとオレの攻撃を待っとけ、な?
政界に嵐を吹き込んだるから。

当選された皆様
初登院おめでとうございます!
いつかオレが初登院したあかつきには、クラッカー鳴らす用意しとってくださいw

古い時代を踏み台に、新しい時代に足跡つける
オレの好きなミュージシャンの言葉

それを実践したるから、支持してくれたみんな
期待して、歓喜に震え、待っとけよ!!

ほなの!


何だかチンピラの口上みたいですが、コメント欄には、「ほんとそのとおりですね。 許可なんてする必要あります? くだらない議員ばかりのために納税させられてる身にもなれ」「リアルに議会政治のあり方が変わりますよ」「じいちゃんたちは時代の変化についてこれないから、新しい風を怖がってるんだね」というようなコメントが寄せられていました。

冗談みたいな話なのに、みんな本気で怒っているのでした。しかも、老害を打破して新しい政治の夜明けがはじまるみたいなことを言いはじめているのでした。

言うまでもなく、ガーシーのYouTubeは私怨からはじまったのです。いわゆる”BTS詐欺”をネットに暴露され窮地に追い込まれたガーシーに対して、今まで女性をアテンドしたりと親しくつきあってきた芸能人たちがみんなソッポを向いたことに怒り、「死なばもろとも」と彼らのスキャンダルをYouTubeで暴露しはじめたことが発端だったのです。

ところが、「死なばもろとも」どころか国会議員になったため、上の投稿のように、私怨が付け焼刃の”公共性”を纏うようになったのでした。裏カジノで「つまんだ」借金を返済するため、文字通り窮鼠猫を噛むではじめたことが、いつの間にか新しい政治の夜明けの話になったのです。多くの人たちが、呆気に取られたのは当然でしょう。

議院運営委員会の不許可は、除名への布石だという見方もありますが、仮に除名されて国会議員の地位を剥奪されると、取り沙汰されているような詐欺や名誉棄損、業務妨害などの容疑で、警察が表立って動き出す可能性はあるかもしれません。でも、私は、除名までは行かないように思います。というか、そこまで行くべきではないと思います。

公民権の停止を受けてない限り、どんな人間であれ、選挙に立候補する権利はあります。議会制民主主義の建前に従えば、それは最大限尊重されるべきです。どんな人間であっても、どんな考えを持っていてもです。

ガーシーは、法律に則り、287714票を得て参議院議員になったのです。選挙で選ばれた国会議員を簡単に除名などできないでしょう。ガーシーと言えどもそれくらい国会議員の身分は重いのです。

ただ、一部で言われているように、機を見るに敏なところがあるみたいなので、みずから辞職する可能性がないとは言えないでしょう。

でも、声を大にして言いたいのは、問題の所在はガーシーの帰国や除名や逮捕にあるのではないということです。公人になったので「個人的な問題」という言い方は適切ではないと思いますが、ガーシーの帰国や除名や逮捕は二義的な問題にすぎないのです。それより、ガーシーに「清き一票」を投じた有権者を問題にすべきでしょう。それがこの問題を考える上での基本中の基本だと思います。身も蓋もない話と思われるかもしれませんが、その身も蓋もない話が大事なのです。でないと、これからも第二第三のガーシーが(NHK党から?)出て来るでしょう。

呆気に取られるような日本の民主主義の劣化を体現しているのは、国民に「愛国」を説きながら、その裏で、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、胸にブルーリボンのバッチを付けた政治家だけではないのです。ガーシーに「清き一票」を投じた有権者も同じです。

ガーシーを支持するのは、「うだつのあがらない人生を送っている」ガーシーと同世代の中年男性が多いという説がありますが、世の中に対する不満がこのようなかたちで発露されるのはあり得ないことではないように思います。

集合知どころか、むしろ逆に「水は常に低い方に流れる」ネットの習性によって、反知性主義が臆面もなく跋扈するようになる「ネットの時代」を懸念する声は前々からありましたが、今回、それがきわめて具体的に、これでもかと言わんばかりに、私たちの前に突き付けられたとも言えるのです。

それは、NHKの問題も同じです。政治家と旧統一教会の関係にNHKが及び腰であるとして、リベラルな人間たちが、「#もうNHKに金払いたくない」などというハッシュタグを付けて反発しているそうですが、私は「またか」と冷めた目で見ることしかできませんでした。NHKに関しては、受信料の問題だけでなく、政治との関係においても以前から問題視されていました。今にはじまったことではないのです。

そもそもNHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員は、国会の同意が必要ではあるものの、放送法の規定によって内閣総理大臣が任命することになっています。ときの政権に忖度するなと言う方が無理でしょう。そんなNHKの体質を問題視して、昔は受信料支払い拒否の市民運動もあったくらいです。

NHKの問題をNHK党の専売特許にさせたのは誰なのかと言いたいのです。今になって「#もうNHKに金払いたくない」などと言うのは、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」左派リベラルお得意のカマトトなご都合主義だとしか思えません。それに彼らは「払いたくない」と言っているだけで、払わないと言っているわけではないのです。これじゃNHK党にバカにされるのがオチでしょう。

弱みがあるのか、(計算高い)彼なりの計算があるのか、田村淳なども国会議員になったガーシーにすり寄っているみたいですが、そういったことも含めて、ガーシーを持ち上げる民意にこそ問題の本質があるのだということを忘れてはならないのです。

要は、この目の前に突き付けられた「ネットの時代」の”夜郎自大な現実”を、私たちがどう考えるかでしょう。斜に構えて冷笑するだけでいいのか。あるいは、無責任にざまあみろと囃し立てるだけでいいのかということです。これからこういった”野郎自大な現実”が、容赦なく私たちのまわりを覆うようになるのは間違いないのです。
2022.08.05 Fri l ネット l top ▲
岩波文庫 新編山と渓谷


田部重治の「数馬の夜」を読みました。

「数馬の夜」については、山田哲哉氏が「名文」だと書いていましたし、ネットでも何度も読み返したという投稿がありました。私も前から読んでみたいと思っていましたが、私が持っている山と渓谷社の『山と渓谷  田部重治選集』には何故か収録されていませんでした。それで、「数馬の夜」が収録されている岩波文庫の『新編   山と渓谷』をあらためて買ったのでした。

「数馬の夜」は、文庫本で3ページ半の短いエッセイです。

文章の末尾には、「大正九年四月の山旅」と記されていました。今から102年前の1920年、田部重治が36歳のときです。

山行について、本文には次のように書かれていました。

昨日は、朝、東京を出て八王子から高原を登りながら、五日市を経て南北秋川の合流点にある本宿もとじゅくの宿屋に平和な一夜を送ったが、今日は私は北秋川の渓流に沿うてその上流の最高峰御前ごぜん山にじてから、更に南秋川の渓谷を分けて此処へ辿たどりついたのである。


「此処」というのは、南秋川の最上流の数馬にある宿です。年譜で調べると山崎屋という旅館に泊まったみたいです。翌日は三頭山の三頭大滝を見てから山梨の上野原に下りて、東京に戻っています。

午後、「深山の静寂がひしひしと胸に迫ってく来る」数馬に着いて宿に荷を解き、山旅を振り返るのですが、それは、秋川の上流にある春の渓谷や山の風景に自分の心情を重ねた、内省的で情緒的なとても印象深い文章になっていました。

田部重治が秋川渓谷を歩いたのは10年以上ぶりで、当然ながら当時と比べて様子は変わっていますが、しかし、「南秋川の渓谷の奥では昔ながらの様子が残っている」と書いていました。そして、次のように綴るのでした。

道端の落ち着いた水車の響きや昔ながらの建物が平和な山奥の春を語って、一日の滞在が不思議なほど、私の周囲の生活の静まり返っている落着の姿を見せている。あたりの静けさ、渓河の響きは、私の心の奥底に真の自分と融け合っているような気がする。


田部重治は、「私はこの二、三ヶ月間絶えず不安な心持に動いて来た」と書いていましたが、文章からも懊悩の日々を送っていたことがわかります。そんなとき、ひとりで山に行きたくなる気持は、私も痛いほどわかるのでした。

私たちにとってもなじみの深いパトス(pathos)というギリシャ語は、ロゴス(logos)との対で、感情、あるいは感性という意味に解釈するのが一般的ですが、宮台真司氏は伊藤二朗氏との対談で、パトスはもともと「降ってくるもの」という意味で、「受動態」という意味の「passive」と同じ語源だと言っていました。

宮台氏は、パトスは感情が訪れるという意味だけでなく、山や川など自然があるのもパトスで、パトスという言葉は自然の中では人間は主体ではなく客体であるということを意味しているのだと言うのです。

自然が主体で人間は客体である(にすぎない)という考えは、自然保護の根本にも関わってくる話なのですが、私たちが山に行くと、自分が非力で小さな存在に感じたり、(俗な言葉で言えば)「山にいだかれる」ような気持になったりするのも、そこから来ているのかもしれないと思いました。

伊藤二朗氏は、対談の中で、雲ノ平の溶岩が季節や日や時間によって大きく見えたり小さく見えたりすると言ってましたが、仮にそれが”妄想”であっても、そういった”妄想”を誘うものが山にあるのはたしかです。「山に魔物が住んでいる」というような言い伝えも同じでしょう。

山に行くと、自分が自分ではないような感覚を抱くことがあります。若い頃によく言っていた、空っぽになるために山に行くというのも、山が空っぽにさせてくれたからでしょう。

(唐突ですが)平岡正明が『ジャズ宣言』の冒頭で掲げた下記のアジテーションはあまりに有名で、若い頃の私も心をうち震わせた人間のひとりですが、平岡正明が言うような激しい「感情」は登山とは無縁ではあるものの、このアジテーションも見方を変えれば、登山に通じるものがあるような気がしてならないのです。

  どんな感情をもつことでも、感情をもつことは、つねに、絶対的に、ただしい。ジャズがわれわれによびさますものは、感情をもつことの猛々しさとすさまじさである。あらゆる感情が正当である。感情は、多様であり、量的に大であればあるほどさらに正当である。感情にとって、これ以下に下劣なものはなく、これ以上に高潔なものはない、という限界はない。


私たちは、電車が来てもないのに駅の階段を駆け下りていくような日常の中で、論理的一貫性とか整合性とか、そんな言葉で切り取られた「現実」に囚われてすぎているのではないか。そうでなければならないという強迫観念に縛られているのではないかと思います。もっと自由であるべきなのです。

田部重治は、夜の闇が押し寄せて来るまで自問自答をくり返し、最後に次のように書きます。

  今日、見て来た自然は何と素朴的なものであったろう。温かき渓谷の春は、静かに喜びの声をあげて、その間を動く人間もただ自然の内に融けている。それは全くそれ自身において一致している。私たちはこれに理想と現実との矛盾を感ずることは出来ない。私は解放されたる動物のように手足を自由に延ばしながら秋川の渓谷を遡って来た。私はただ萌え出ずる自由を心の奥から感じつつ来た。


ここに書かれているものこそパトスであり、これが山に登る、山を歩くことの真髄ではないのかと思いました。

そして、「数馬の夜」は、次のような感傷的な文章で終わっているのでした。

  もう夜の闇は押し寄せて来た。南秋川の流れは、ただ、闇の中に白く光って、爽やかな響きを立てている。台所の馬子の唄も止んで、あたりが静寂の気に充ち、私の心はしんとして静かな大地に沈んで行くかのように思われる。私は何の為すべき仕事を持ってない。私は、ただ明日、この上流の大きな滝を眺めてから、上野原まで五里の山道を行けばそれでよいのである。

2022.08.02 Tue l 本・文芸 l top ▲
先週、笹尾根に登った帰り、バスに乗っていると、檜原街道沿いの民家の軒先に「産廃施設建設反対」の幟が立っているのが目に入りました。それも幟はいたるところに立っているのでした。

それで帰ってネットで調べると、檜原村の人里(へんぼり)地区に産業廃棄物処理施設の建設計画が持ち上がっていることを知りました。人里も何度も行ったことのある、おなじみの集落だったのでびっくりしました。

計画については、下記のYouTubeで経緯等詳細を知ることができます。

YouTube
SAVE HINOHARA 東京の水源地「檜原村」を大規模産廃焼却場から守れ!〜「顔の見えすぎる民主主義」から日本の未来を考える〜

建設を計画している会社は、既に地元の武蔵村山市で産廃処理施設を運営しているのですが、その処理能力は1日4.8トンだそうです。しかし、檜原村の人里に建設を計画している施設は1日96トンの処理能力なのだとか。武蔵村山の施設が老朽化したからというのが新施設計画の理由のようですが、何と前より20倍の処理能力を持つ施設を造ろうというのです。

今年の3月1日に、廃棄物処理法に基づいて「廃棄物処理施設設置許可」の申請が東京都に提出され受理されています。建設される場所は檜原村なのですが、申請の窓口は東京都で、諸々の手続きを経て最終的に許可するかどうかを決定するのも東京都知事なのです。

申請後、1ヶ月の申請書の告示期間や関係市町村長(この場合は檜原村の村長)の意見聴取や利害関係者の意見書提出の手続きは既に終えており、専門家からの意見聴取(専門家会議)が先週の27日からはじまっています。専門家会議が終われば、あとは欠格事由に該当してないかどうかの審査と許可するかどうかの都知事の最終判断が残っているだけです。

朝日新聞デジタル
「具体性欠く」業者へ指摘続々 檜原村の産廃施設計画で専門家会議

行政手続法と都条例により、申請から180日以内に結論を出すという決まりがあるそうで、今年の10月か11月までには最終的な結論が下されるのではないかと言われています。

檜原村は島嶼部を除いては東京都で唯一の村で、令和4年7月26日現在の人口は2,069人(1,137世帯)です。人口も、島嶼部を除いて東京都でもっとも少ない自治体です。しかも、昭和の大合併や平成の大合併はもちろん、この400年間どことも合併せずに、独自の歩みを続けている稀有な村でもあるのす。

檜原村のサイトには、次のように村が紹介されています。

檜原村
村の概要

檜原村は、東京都の西に位置し、一部を神奈川県と山梨県に接しています。

面積は105.41平方キロメートルとなっており村の周囲を急峻な山嶺に囲まれ総面積の93%が林野で平坦地は少なく、村の大半が秩父多摩甲斐国立公園に含まれております。

村の中央を標高900m~1,000mの尾根が東西に走っており両側に南北秋川が流れていて、この川沿いに集落が点在している緑豊かな村です。


東西に走っている尾根が笹尾根と浅間尾根です。その間を檜原街道が通っています。そして、その檜原街道に沿って流れているのが北秋川と南秋川です。秋川は多摩川の支流で、檜原村は文字通り「東京の水源地」なのです。

人里(へんぼり)は、檜原街道から北側の山の縁にかけて家が点在するのどかな山里の集落です。浅間尾根の人里峠に至るには、最初に息も上がるような急坂を登らなければならないのですが、その急登に沿って家が建っているのでした。そして、突端の家の横から登山道に入りしばらく進むと、テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された家があります。既に無人になっていますが、敷地内は自由に見学でき、庭の奥では400年前から出ているというとても美味しい湧き水を飲むことができました。

そんな集落の一角に、一日の処理能力が96トンという強大な産廃施設が造られるのです。予定地を地図で見ると、先週笹尾根の笹ヶタワノ峰から下りた道の西側にあたり、笹ヶタワノ峰の隣の笛吹(うずしき)峠から下りて来る道の近くでした。しかも、産廃施設ができると、ツキノワグマも生息するような森を持つ山に囲まれた焼却炉から、産廃を燃やす煙が24時間止むことなく吐き出されるのです。それは、想像するだけでも異様な光景です。それだけではありません。あの檜原街道を一日に70台の産廃を積んだトラックが行き交うようになるそうです。

業者は、2020年の11月に、産廃施設の予定地に隣接する場所に、村の木材産業協同組合などの協力を得てバイオチップ工場を造っているのですが、それは産廃施設を造るための”地ならし”だったのではないかと言われています。「SDGsは『大衆のアヘン』である」と言ったのは斎藤幸平ですが、ここでも「循環型社会」「エコサイクル」「地球(環境)に優しい」という言葉が、自然を収奪する資本の隠れ蓑に使われているのでした。

ダイオキシンをはじめ、水銀やカドミウムや鉛やヒ素など有害物質による周辺の環境への影響も懸念されます。ましてや村のサイトでも謳われているように、檜原村の大部分は秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、檜原村は「国立公園の中の村」と言ってもいいくらいです。そんな村に24時間稼働の巨大産廃焼却施設を造るなど、どう考えてもとんでもない話と言わざるを得ません。

YouTubeの中でも、パネラーの宮台真司氏が北アルプスの雲ノ平山荘の小屋主の伊藤二朗氏の話をしていましたが、先の「登山道の整備と登山者の特権意識」という記事で触れたような、日本の国立公園が抱える自然保護の問題が、檜原村の産廃問題にも映し出されているように思えてなりません。また、下記の対談で語られている人と自然の関係というテーマとも無縁ではないように思います。

YouTube
宮台真司×伊藤二朗 -自然と社会を横断する二つの視点から

法律では最終的な決定権は小池百合子都知事にあるので、極端な話、可否は小池都知事の胸三寸みたいなところがあります。そのため、最後は(よりによって)あの小池百合子都知事に、「小池さん、許可しないでください」とお願いするしかないのです。それが今の民主主義のルールなのですが、何か割り切れないものを覚えてなりません。

業者も、人口が2000人で村会議員も9人しかいない小さな村なので、御しやすいと思ったのは間違いないでしょう。宮台真司氏は、過疎地は有力者のネットワークですべてが決まるので、民主主義をコントロールしやすいと言っていましたが、業者はまさにそういった地縁・血縁に縛られた日本の田舎の”弱点”を衝いてきたとも言えます。

しかし、建設予定地区の住民や村の若い後継者や移住者などが中心になり、勉強会を開いたり、ネットを利用して計画のことを村の内外に発信したり、村の歴史上画期的とも言える反対デモを行ったりして、「とんでもないことが進んでいる」「あきらめるのはまだ早い」ということを訴えてきたのです。その結果、村議会における全会一致の反対決議や村民の3人に2人が反対署名するという、村挙げての反対運動に発展したのでした。檜原街道沿いの民家の軒先に掲げられた幟もそのひとつなのでしょう。

そんな反対運動を通して、YouTubeのトークイベントのタイトルにもあるように、誰もが顔見知りであるような小さな村の利を逆に生かした、「顔の見えすぎる民主主義」なる住民自治を模索する試みもはじまっています。小さな村の人々が思考停止を拒否しているのです。

檜原村の問題は、檜原村に通うハイカーにとっても、自然保護を考える人たちにとっても、日本の国立公園のあり方を考える上でも、見て見ぬふりのできない問題だと言えるでしょう。


関連サイト:
Change.org※ネット署名
東京都の水源地「檜原村」に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!
Twitter
檜原村に産廃焼却場を建設しないでください
facebook
檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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人里バス停

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登山口

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テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家

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400年前から出ているという湧き水

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浅間嶺展望台

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「払沢の滝入口」バス停

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払沢の滝
2022.08.01 Mon l 社会・メディア l top ▲