前の記事の続きになりますが、「熊本岸田会」の会長の崇城大学の中山峰男学長が、旧統一教会の関連団体の「日韓トンネル推進熊本県民会議」の議長を11年間務めていた件について、有田芳生氏が次のようにツイートしていました。


何のことはない、旧統一教会との関係は父親の代から続いていたのです。にもかかわらず、「知らなかった」、今回初めて旧統一教会だと知って「ショックだった」と言っているのです。それは、父親が笹川良一の運転手?をしていて、しかも、今も住之江競艇場の電気関係のメンテナンスを請け負う仕事をやっているにもかかわらず、「勝共連合、はじめて知った」と言った松井一郎大阪市長とよく似ています。

岸田首相にも、このように親の代から「反日カルト」と深い関係にある筋金入りの人物が、後援会の会長を務めていたのです。そういったことと、安倍国葬を早々と決めたことはホントに関係がないのか。旧統一教会とのつながりは、他にもあるのではないかと思ってしまいます。

自民党は、今日開いた役員会で、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)やその関連団体とは、今後一切関係を持たないことを党の基本方針にすると決定したそうです。また、茂木幹事長は、記者会見で、「今後、関係を絶てない議員については『同じ党で活動できない』と述べ、離党すべきとの考えを示し」(Yahoo!ニュースより)たそうですが、この前まで「知らなかった」と答えろと指示していたのはどこの誰か? と言いたくなります。開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

何故かメディアも報じていませんが、今もなお多くの自民党議員の事務所には、旧統一教会から「若くてきれいで頭のいい」女性秘書が派遣されていると言われています。議員たちは党員集めがノルマになっていましたので、自民党員になっている信者も多いはずです。そうやって政治家たちはカルトに弱みを握られていくのです。茂木幹事長の考えが方便でなければ、100人以上の議員に引導を渡してもおかしくないのです。

それにしても、このふざけた光景は何なんだと思わざるを得ません。議員たちの言い訳は、もはやギャグ大会みたいになっているのでした。中でも「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」のモノマネタレントと名前も顔も似ている(?)山本朋広議員の言い訳は傑作でした。彼は、韓鶴子総裁を「マザームーン」と呼んだとして批判を浴びたのですが、自身は「韓鶴子」を「かんつるこ」だと思っていたのだとか。でも、会場に行ったら『かんつるこ』と呼ぶ人は誰もおらず、みんなハンとか何とか韓国語で呼んでいる。それで、「名前を言い間違えるのは大変失礼になるので悩んでいたところ、関係者が教えてくれたのが『マザームーン』」だったと言うのです。私は、その記事を読んで吹き出してしまいました。

自民党は旧統一教会と手を切ることなど絶対にできないのです。何度も言うように、自由民主党という政党が解体されない限り、それは無理な話です。

山上徹也容疑者の2発の銃弾によって、私たちの前にさらけ出されたのは、日本を食い物にする「反日カルト」の活動に、政権与党が便宜をはかってきたという文字通り「日本終わった」実態です。そんな関係が1950年代から連綿と続いてきたのです。

でも、その背景にあるものを考えないと、この「愛国」の名のもとに行われた「売国」の本質に行き当たることはできないし、自民党は手を切れないという言葉の意味を理解することもできないでしょう。そこにあるのは、今なお続いている東アジアの冷戦構造とそれに伴うアメリカの反共政策です。前も書きましたが、のちの中東におけるイスラム国やタリバンなどと同じように、旧統一教会は宗教の枠を越えて、アメリカやKICIAに庇護されてきたのです。

一方で、保守合同で誕生した自民党に課せられたのも、対米従属と反共です。岸信介の手引きによって、まるでアメリカの反共政策の伝道師のように(そう装って)日本にやって来た旧統一教会に、日本の政権与党が蚕食されたのは当然の成り行きだったと言っていいかもしれません。その「売国」路線を受け継いだ本家の三代目が、来月、”国家の英雄”のように数十億円の税金を使って盛大に送られるのです。

国葬について、岸田首相は、今日の病み上がりの記者会見で、次のように述べたそうです。

朝日新聞デジタル
岸田首相、国会で安倍氏の国葬を説明へ 「批判、真摯に受け止める」

(略)安倍晋三元首相の国葬に対する批判について「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」と述べた。その上で、首相自身が早急にテレビ中継される国会審議に出席し、質疑に答える場を設けるよう自民党の茂木敏充幹事長らに指示したことを明らかにした。


何かの雑誌に書いていましたが、官僚が官邸に報告書だかを持って行くと、前任の菅義偉首相が2・3行にまとめて持って来いとメチャクチャなことを言うのに対して、岸田首相はどんなに長い報告書でも最後まで丹念に読んでくれるそうです。でも、それだけ。そのあと何の指示もないのだと。「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」という言葉もただ聞いておくだけ、聞き流すだけという意味なのでしょう。

話は戻りますが、茂木幹事長の「離党」発言は大ぼらもいいところで、そうやって”本気度”を見せ国民をはぐらかせておけば、そのうち時間が経てば忘れるとタカを括っているのでしょう。それもいつものことです。

もし手を切れないなら離党して貰うと本気で思っているのなら、ましてや旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が、それほどの(離党を促すほどの)いわくのある教団だとホントに思っているのなら、まず党としてやるべきことは、宗教法人法に則り「解散命令」を求める方針を打ち出すことでしょう。それをしないで、手を切れないなら離党して貰うなどと大見栄を切るのは、本末転倒した大ぼら、白々しい目くらましとしか言いようがありません。

これからは、私はこうして旧統一教会と手を切りましたというギャグ大会がはじまるのでしょう。


=============
追記: (9/1)

早速、昨日(31日)、自民党の井上義行参院議員が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「賛同会員」をやめたというコメントを発表しました。併せて、党の方針に従って、関連団体を含めて、教団と一切の関係を断つと明言したのでした。

でも、有田芳生氏によれば、そもそも「賛助会員」なんていう制度はなく、井上議員のために「つくられたもの」だそうです。

井上義行参院議員は、参院選の決起集会で、応援演説に立った教団関係者が「井上先生は、もうすでに食口シック(信者)になりました」と演説しているシーンがテレビで放送され有名になりましたが、これは潜入取材をしていたジャーナリストの横田一氏によって撮影されたものです。それで、慌てた教団が井上議員と話し合い、信者ではなく「賛助会員」ということにしたそうです。

井上議員に関しては、先の集会とは別に、さいたま市で教団内部の「神日本第1地区」の出発式が催されたこともわかっています。もちろん、そもそも存在しない「賛助会員」を退会したというのはギャグでしかありません。これもまた、教団お得意の”偽装工作”の疑いは拭えないのです。

井上議員は、安倍晋三元首相が副官房長官だった頃からの秘書官で、総理大臣になったあとも内閣総理大臣秘書官を務めていました。今回の参院選は2期目ですが、前回はみんなの党(解党)の比例区からの出馬でした。しかし、今回自民党から”鞍替え出馬”するに際して、次のような証言がありました。

朝日新聞デジタル
旧統一教会側の支援受けた自民・宮島氏 陣営幹部「教団の力すごい」

前回の2016年の参院選で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から支援を受けた自民党の前参院議員の宮島喜文氏は、今回、教団から支援を受けられなくなり出馬を断念したのでした。理由は、井上義行議員の出馬です。

  宮島氏らによると、昨年11月、安倍氏が自民党の最大派閥・清和会(安倍派)の会長に就くと、宮島氏は政界を引退していた伊達忠一・元参院議長から、参院選に向け安倍氏と面会するよう指示されたという。

  年が明けてほどなくして安倍氏との面会が実現した。宮島氏は「態勢はある程度、整いました。ただ、ちょっと厳しいんです」と伝え、平和連合の支援を念頭に「前回と同じように応援票を回していただけませんか」と頼んだ。これに対し、安倍氏は「もう少し頑張らないと」などと、はっきりした考えを示さなかったという。

  その後も平和連合からの支援は決まらず、宮島氏は3月中旬にも安倍氏のもとを訪れた。すると安倍氏に「前回みたいな応援は難しい。6年間国会議員をやってきたのだから、自分で頑張れないか」などと告げられたという。

  宮島氏は、参院選には安倍氏の元首相秘書官の井上義行氏(59)が立候補を予定しており、支援組織に困っているとの情報を耳にしていた。安倍氏は、井上氏に平和連合の支援を割り振るのではないかとも感じた。宮島氏らは平和連合の支援は事実上、井上氏に一本化されたと受け止めた。


この証言は、安倍元首相が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を差配しており、少なくとも清和会内部ではそれが衆知の事実だったことを示していると言っていいでしょう。

尚、記事によれば、前回の選挙で当選したあと、宮島氏は、教団から「静岡県熱海市の温泉旅館で1泊2日の『研修』を求められた」のだとか。研修では、「教団の友好団体である政治組織『国際勝共連合』の歴史や、岸信介元首相とのつながりも聞いた。岸氏の孫である安倍晋三元首相が登場するビデオを見せられ、『安倍さんは我々の目標とする反共を理解してくれている』との話もあった。昼や夜は平和連合の幹部らと『豪華な食事』をともにした」そうです。
2022.08.31 Wed l 旧統一教会 l top ▲
津田大介氏が主催するYouTubeの「ポリタスTV」で、『君は早稲田で死んだ』(文藝春秋)の著者の樋田毅氏とジャーナリストの青木理氏をゲストに迎えた下記の番組を観ました。

ポリタスTV
『彼は早稲田で死んだ』と統一教会 ゲスト:樋田毅・青木理
https://www.youtube.com/watch?v=MDxYXmc1Z4o

樋田毅氏は、朝日新聞の記者時代、阪神支局に勤務していたそうです。1987年に赤報隊事件が起きたときは大阪社会部に配属されていたのですが、事件の翌日、阪神支局に派遣され、不審者情報などを聞き込むチームに入り、また、のちに大阪社会部で編成された専従取材班のキャップも務めたそうです。

樋田氏は、その体験をもとに2018年に岩波書店から『記者襲撃   赤報隊事件30年目の真実』という本を出しています。今回、旧統一教会の問題が再び取り沙汰されるようになったので、私も『記者襲撃』を読みたいと思ったのですが、考えることはみんな同じみたいで、どこも在庫切れでした。

『彼は早稲田で死んだ』は、私も下の「関連記事」に感想文を書いていますが、1972年に、早稲田大学で中核派のスパイと間違われた「川口大三郎君」が、当時、早稲田を暴力的に支配していた革マル派にリンチされ殺害された事件を扱った本です。

「川口君」は、文学部2年のとき、中核派系の集会に参加したことから、中核派のオルグの対象になりました。しかし、中核派に入る意志がなかったので、友人を介して同派と話し合い、中核派と距離を置いたのでした。にもかかわらず、その矢先、構内を歩いていた「川口君」は革マル派の活動家に拉致され、一文(第一文学部)の自治会室に監禁されて、リンチの末殺害されるのでした。

『彼は早稲田で死んだ』は、その事件を発端に誕生した新しい一文の自治会の委員長として、非暴力を貫いて革マル派と対峙し、みずからも革マル派に襲撃され大けがを負うという過酷な体験を通して、当時大学を覆っていた異常な空気を描いています。ところが、番組の中で、『彼は早稲田で死んだ』と赤報隊事件を扱った『記者襲撃』はつながっており、「川口事件」にも旧統一教会が絡んでいたという裏話が飛び出したのでした。

私もこのブログで書きましたが、有田芳生氏が、先日、94年頃だったかにオウムの次は旧統一教会だとして、公安警察を中心に強制捜査に着手する準備をしていたけど、結局、「政治の力」でとん挫したとテレビで発言して話題になりました。樋田毅氏も、同じ話を朝日の社内で聞いて小躍りしたそうです。でも、待てど暮らせど捜査は始まらなかったと。また、当時、共同通信で公安担当の記者だった青木理氏も、やはり、同じ情報を入手していたと言ってました。

もし強制捜査に入っていたら、日本の政治の風景もずいぶん変わったものになっていたでしょう。

公安の強制捜査を阻止した「政治の力」とは何なのか。誰なのか。自民党は旧統一教会との関係を絶対に切れないと言われるのは何故なのか。そこにあるのは、”戦後史の闇”と言ってもいいものです。選挙の手伝いをして貰ったとか、イベントに祝電を打ったとか、新聞や雑誌のインタビューを受けたとかいうのは枝葉の問題にすぎません。

樋田氏によれば、最初に旧統一教会が絡んできたのは、事件から1年後だそうです。『彼は早稲田で死んだ』でもチラッと触れられていますが、早稲田の原理研(原理研究会)の活動家(つまり信者)たちが、早稲田を暴力のない大学にするためと称して、「川口記念セミナーハウス」を造ることを提唱し運動を始めたのでした。そして、「川口君」のお母さんもその主旨に賛同して、お見舞金として大学から貰った600万円を寄付しました。また、当時の村井資長総長夫妻も、「革マル寄り」と言われた周辺の教授たちの薦めもあって、同氏が別荘用地として伊豆に持っていた土地を無償提供しました。残りの建設費は全国から寄付を集めて計画が実行されました。ところが、いざ完成してみたらセミナーハウスは宗教施設として登記されていたそうです。何のことはない、セミナーハウスがいつの間にか旧統一教会の宗教施設に化けていたのです。如何にも旧統一教会らしいやり方ですが、当然ながら訴訟沙汰になったそうです(のちに和解した)。

もうひとつは、樋田氏が、昨年(2021年)の11月8日の「川口君」の命日に、『彼は早稲田で死んだ』が出版されたのでその報告も兼ねて伊豆のお墓にお参りに行ったときのことです。ちょうど50回忌にあたるため、本堂では、亡くなったお母さんに代わり実のお姉さん夫婦が施主で法要が営まれていたそうです。それで、お姉さんに挨拶したあと、お墓で待っていると、5~6人の男女と一緒にお姉さんがやって来ました。ところが、一緒にやって来た人間たちから挨拶された樋田氏はびっくりします。中に取材したことのある旧知の人物がいたからです。何と彼らは当時の早稲田の原理研のメンバーだったのです。もちろん、「川口君」のお母さんやお姉さんは信者ではありません。

旧統一教会は、50年近くずっと「川口君」の遺族と接触をつづけていたのです。実は、ジャーナリスト志願だった「川口君」は、1年のときに、早稲田学生新聞に一時席を置き早慶戦の記事などを書いています。しかし、そのあと、修練会に参加させられた「川口君」は、早稲田学生新聞が旧統一教会(原理研)の関連団体であったことを知り、びっくりしてすぐにやめています。でも、彼らは、早稲田学生新聞にいたことを根拠に、「川口君」が信者だったと主張しているのでした。そして、「川口」君は、早稲田の原罪(つまり共産主義の汚染)の身代わりになって死んだのだとして、同じように人類の罪を背負って磔刑になったイエス・キリストの化身のように祭り上げていたのでした。

ある古参信者は、樋田氏の取材に対して、教団は赤報隊事件に関与してないと断言できるけど、ただ末端の信者で個人的に暴走した人間がいたかどうかまではわからない(その可能性を否定することはできない)と語ったそうです。一方で当時、教団が、自衛隊員をターゲットに勧誘活動を行ったり、教団内部で「特殊部隊」を組織して訓練していたことがあきらかになっています。

私は、その古参信者の発言はもしかしたら樋田氏に対する”警告”の意味も含んでいたんじゃないかと思いました。前の記事で書いたように、そうやって暴力をチラつかせる脅しの手口は旧統一教会が得意とするもので、ヤクザのそれとよく似ているのです。組織はやらないけど、もしかしたら一部の跳ね上がりが勝手にやるかもしれないというような言い方は、相手に恐怖を与える彼らの常套手段です。実際に旧統一教会を取材していたジャーナリストたちは、個人的に様々な脅しや嫌がらせを受けていたと証言しています。

ちなみに、樋田氏に赤報隊の話をした古参信者は、日韓トンネル研究会の会長を務め、2009年から2017年までは日韓トンネルを推進する国際ハイウェイ財団の理事長(その前は事務局長)を務めていたそうです。と、この話は、先日、週刊文春が伝えた、岸田首相の熊本の後援会の会長である崇城大学の中山峰男学長が、旧統一教会の関連団体の「日韓トンネル推進熊本県民会議」の議長を務めていた話と重なるのでした。

中山学長は、「日韓トンネル推進熊本県民会議」が設立された2011年から報道後辞任するまで議長を務めていたのですが、記者会見では、旧統一教会の関連団体だとは知らなかった、「ショックだった」と言ってました。でも、地元の人間には、それが旧統一教会のプロジェクト(と言っても、実際は1口5万円の金集めの口実)だというのは周知の事実で、2016年には韓鶴子総裁が直々に現地を訪れているのです。その際、現地で出迎えたのかどうか知りませんが、中山学長のおとぼけは教育者としてあるまじき、というか恥ずべき詭弁と言わねばならないでしょう。

樋田氏によれば、国際ハイウェイ財団の理事長を務めた古参信者はもと民青(日本民主青年同盟)の同盟員で、共産党員だった有田芳生氏のお父さんの選挙運動も手伝ったことがあるそうです。信者の中には、元革マル派だったという理論派の信者もいたということでした。

旧統一教会と言うと、カルトにとりつかれた真面目だけど浅学無能で愚鈍な信者たちのようなイメージを抱きがちですが、でも、一方で、「頭のいい人間が多い」「文鮮明の教義を彼らなりに解釈してより深化させている」「いくらか醒めたような信者の方がオルガナイザーとして優れているし怖い」という声があります。偏差値の高い大学で熱心にリクルートしているので当然と言えば当然ですが、そんな彼らにとって、ろくに漢字も読めない自民党の議員を篭絡するのは、それこそ赤子の手を捻るくらい簡単なことでしょう。

青木理氏が言うように、右派学生運動を主導した旧生長の家の学生信者たち(生学連)が中心になって作った日本会議ともども、原理研のOBたちも、フロント団体を通じて自民党清和会と親密な関係を築き、憲政史上最長の安倍政権を陰で支えていたのです。そうやって政権の中に深く入り込み、日本の政治に関与してきたのです。そこにあるのは、新左翼との死闘を生きぬいてきた彼らの”持続する志”です。

日本会議(生学連)にしても、旧統一教会(原理研)にしても、60年代後半の”叛乱の季節”の残党とも言うべき彼らが、50年経った今なお、政権与党の周辺に蝟集し国の政治に関与していたというのは、考えてみれば凄い話です。中心メンバーは既に70代半ばなのです。あと10年もすれば彼らの多くは、彼らが言う「霊界」の住人になるでしょうが、それにしても、まるでゾンビのような彼らの”持続する志”には驚嘆するしかありません。

彼らの「神の国をつくる」という”祭政一致”の思想は、たとえば、高市某や杉田某や城内某のような安倍元首相に近い政治家たちに、とりわけ多大な影響を与えてきました。でも、旧統一教会の問題が噴出したことで、そんな政治家たちが信奉する、日本を戦前のようなまるでタリバンが支配するような国に戻すといったウルトラ「保守」思想が、何のことはない韓国のカルト思想をトレースした「エバ国家」の”自虐思想”にすぎなかったことがあきらかになったのでした。「愛国」と「売国」があべこべ(おやじギャグ?)だったのです。

どうして韓国のカルト宗教が日本の憲法改正を主張するのか。それを不思議に思わない方がおかしいのです。私が、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共」といった言葉は失効したとしつこく言うのも、それゆえです。究極の目的のためには、ヌエのようにどんな姿にも、どんな主張にも変えることができるというカルト特有の戦略を理解しないと、見えるものも見えなくなるでしょう。

憲法改正して日本を「誇りの持てる国」にすることや、ジェンダーフリーやLGBTや夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」ことを彼らは主張していますが、その先には、「エバ国家」の日本を「アダムの国」の韓国に永遠に奉仕する国にするという目的があります。本来の目的は、そうやって日本を「浄化」することなのです。そもそもLGBTにしても、それが旧統一教会の復帰摂理(復帰原理)=血代交換の教理と真っ向から対立する性的指向なので反対しているだけであって、「日本の伝統的な家庭を守る」ためというのは単に日本の「保守」を懐柔するための方便にすぎないのです。そんなこともわからないのかと思います。

「エバ国家」と「アダムの国」の主張にしても、荒唐無稽な話のように思われるかもしれませんが、でも、霊感商法や身ぐるみはがされるような献金などを見れば、理解できない話ではないはずです。もとより、カルトは荒唐無稽なものでしょう。具体的な金額は不明ですが、今まであきらかになった金額から推定しても、兆に喃々なんなんとするような莫大なお金がむしり取られ、韓国に送金されたのは間違いないでしょう。

私たち国民に、日の丸に頭を下げろ、君が代を歌え、愛国心を持てと説教して、君が代斉唱の際に椅子から立たなかった教師を懲戒免職にしたような(胸にブルーリボンのバッチを付けた)「愛国」政治家やその追随者たちが、その陰では、彼ら流の言い方をすれば「反日カルト」に「国を売っていた」のです。「エバ国家」を「アダムの国」に奉仕させる活動にお墨付きを与え、便宜をはかってきたのです。その中心人物が「日本の誇り」だなどと言われ、来月、まるでどこかの国の独裁者と同じように「国をあげて」送られるのです。

ここにきて、「24時間テレビ」に旧統一教会のフロント団体がボランティアとして協力していたことを教団がリークしてざわついていますが、それも先の「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文に沿った彼らの反撃であるのはあきらかです。

フジは論外としても、NHKともども旧統一教会の報道に及び腰と言われてきたテレビ朝日が、教団の施設に「初潜入取材」などと言って、施設内で撮影した嫌がらせの被害を訴える信者のインタビューを流していましたが、それは教団の意に沿ったテレビ局だから許可が出ただけです。一方で、教団の意に沿わないメディアに対しては、日テレのように、これから”過去の癒着”がリークされゆさぶりをかけて来るでしょう。そういったメディアに対する選別&”脅し”にも、拍車がかかるのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら元も子もないのです。

何度もくり返しますが、自民党が旧統一教会と手を切るなどできるわけがないのです。自由民主党という政党が解体されない限り、関係を絶つことはできないでしょう。


関連記事:
『彼は早稲田で死んだ』
森友学園問題の思想的背景
2022.08.26 Fri l 旧統一教会 l top ▲
岸田首相リモート1

岸田リモート2


私は、この写真を見て、裸の王様?と思いました。誰も変だと思わないのでしょうか。上の写真をよく見ると、モニターの下のテーブルの上にはスマホやボイスレコーダーが並べられています。デジタルネイティブとおぼしき若い記者たちの中で、「こんなのバカバカしい」と言って帰った者はいないのか。だとしたら、彼らは思考停止したただのドレイでしょう。2枚目の「リモート試食」の写真も同じです。これでは、世界の笑い物になっても仕方ないでしょう。

このようにいざとなれば、竹槍でB29を撃ち落とすというような発想にいつでも戻ってしまうニッポン。でも、誰もおかしいと言わない。それがこの国に連綿と続く「国のあり様」なのです。それで、「ニッポン凄い!」とか言って自演乙しているのです。

フィンランドのマリン首相が、友人たちとの私的パーティで「踊ったりして騒ぐ動画がSNS上に流出」し、野党が違法薬物を使っているのではないかと批判したというニュースがありました。それに対してマリン首相は、自腹で薬物検査を受けて潔白を証明したそうです。私は件の踊っている動画を観ましたが、「カッコいいなあ」と思いました。岸田首相のマンガチックなリモート会見や政界と旧統一教会とのズブズブの関係を考えると、日本にマリン首相のような「カッコいい」総理大臣が生まれるのはそれこそ夢のまた夢のように思います。マリン首相に比べれば、「次世代のホープ」と言われる河野太郎や小泉進太郎も、ただのアナクロなおっさんのようにしか見えません。

岸田総理は24日に、新型コロナウイルスで全ての感染者を届け出る「全数把握」を見直して、届け出は重症化リスクのある高齢者や基礎疾患のある人に限定するという新たな方針を発表しました。もっとも、これは届け出の義務を廃止するというだけで、「全数把握」を続けるかどうかは自治体の判断に任せるという、自治体に丸投げした恰好です。

「全数把握」を見直す論議は、医療現場から出てきたもので、診察を終えたあと、感染者情報共有システム「HER-SYS(ハーシス)」に基本情報や検査・診断情報など10項目以上を入力しなけばならないので、感染が拡大すればするほど負担が大きくなるという話なのです。それに対して、「早く帰りたい」保健所の職員や毎日住民に感染状況を発表しなければらない手間を強いられる各自治体の首長たちが同調して、見直しの声が大きくなっていったのでした。最近は特に「公務員負担」とか「医療機関や保健所、行政の負担」という言葉をよく耳にするようになりましたが、それが「全数把握」見直しの本音のように思えません。

メディアもそんな声しか伝えず、あたかも「全数把握」は現状に適してないかのような印象操作を行っていましたが、ホントにそうなのか、疑問も多くあります。

ただ単に「忙しいからやってられない」という話だったら、システムを改善するなり人員を増やすなりすればいいだけの話です。それがどうして本体の「感染症法」の問題にまで言及されているのか。しかも、「感染症法」を改正して新たに設けられた「新型インフルエンザ等感染症」の適用まで外して、季節性インフルエンザ並みの「5類」に緩めろという話になっているのです。

現在、感染者数も死者数も過去最多を更新しています。文字通り、新型コロナウイルスの正念場を迎えていると言っても過言ではない状況下にあるのです。そんな中で、このような方針が出ること自体、異常と言うしかありません。どうして今なのか? 疑問は尽きません。

「全数把握」の見直しを主張する医者の論拠に、実際は無症状や軽症で医者にかからない患者も多いので、「全数把握」自体がもはや意味を持たなくなったというものがありますが、でも、「全数把握」の目的はそんなことだけではないのです。保健所が患者個々の詳細な感染状況を把握してフォローし、濃厚接触者を特定して感染拡大を防ぐという目的もあるはずです。

それに、落ちこぼれがあるにしても、現在、全体の感染状況を知るには「全数把握」しかないのです。それが唯一の指標なのです。それをなくせば、リアルタイムに全体の感染状況を知る指標がなくなってしまうのです。

そんな私でもわかるようなことをどうして専門家の医者たちが無視して、「こんなのやめちまえ」とちゃぶ台をひっくり返すようなことを言うのか。しかも、感染が急拡大している最中に、です。

私は、新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめた2020年の5月に、このブログで、徳洲会の徳田虎雄氏の話を引き合いに出して、次のような記事を書きました。

関連記事:
不条理で狂った世界と徳田虎雄とローリングストーンズ

専門家会議の方針は、徳洲会の徳田虎雄氏が指摘したような医者特有のご都合主義の所産に過ぎません。徳田氏が9歳のとき、3歳の弟が激しい下痢と嘔吐を繰り返し脱水症状を起こしたため、母親に言われて、真夜中に島の医者のもとへ走り往診を頼んだけど、医者は腰を上げてくれなかったそうです。そして、翌日、弟は息を引き取ったのです。徳田氏は、「弟の死がなかったら、僕は医者にならなかった」と自著(『ゼロからの出発 実現できない夢はない』)で書いていました。

自分の病院を持ってからは、「生命(いのち)だけは平等だ」という理念を掲げ、1年365日24時間の受入れを実践し、患者からの心付けを断り、差額ベット代も取らないという、徹底した患者本位の医療を貫いたのでした。そのため、既得権益を守ろうとする日本医師会と激しく対立することになったのですが、そのときも日本医師会は、今と同じように、徳洲会のようなやり方をすると日本の医療が崩壊すると言っていたのです。「医療崩壊」というのは、いつの時代も彼らの常套句=脅し文句なのです。


今回の「全数把握」の見直しも、同じ論理が使われているように思えてなりません。

私もまったく知らない職場ではないので、医療現場が大変なのはよくわかります。その一方で、決して賢いとは言えない人々が、行動制限がなくなったからと言って、呆けたように旅行やイベントに繰り出している現実があるのもわかります。同じ国とは思えないようなこの対称的な光景は、たしかにおかしいと思います。でも、それはあくまで「全数把握」とは関係ない感情的な問題にすぎません。

「全数把握」を見直すメリット、デメリットを考えても、議論がおかしな方向で行われたことがよくわかるのでした。

「全数把握」が見直されれば、言うまでもなく、医療機関の事務負担が軽減されます。この場合の医療機関というのは、「発熱外来」の指定を受けた日本医師会に所属する個人のクリニックのようなところでしょう。また、彼らが「全数把握」の見直しと併せて主張する、今の2類相当から季節性インフルエンザと同じ5類に変更になれば、「発熱外来」の指定自体がなくなり、どこでも受診できるようになるので、彼らの負担が減るのはたしかでしょう。

しかし、その代わり、個々の感染者の把握も、濃厚接触者の特定もできなくなるので、感染者が市中に放置され、感染がより拡大することになります。

政府の方針は、火が燃えているのに、「逃げ足が遅い高齢者などには手を貸しますよ。あとは自分たちで逃げて下さいね」と言っているようなものです。でも、大事なことは燃えている火に水をかけることでしょう。でも、そっちは燃えるに任せているのです。中には火を点けてまわっている人間さえいるのに、それも無視するだけです。いくら火の勢いが増しても水をかけることもしないで、逃げ足が速いか遅いかの話になっているのです。

感染法上の分類を変えろと主張する医者たちにしても、国に対して、もっと感染防止策を取れという主張は何故かしないのです。社会経済活動の再開をお題目のように唱える政府の方針には唯々諾々と従うだけです。そして、自分たちが忙しいのは、「発熱外来」のせいだ、「HER-SYS」のせいだ、「療養証明」や「陰性証明」のせいだ、あんなのはなくせ、と主張するだけです。

株式会社ライボのJob総研が行った「2022年コロナ感染に関する意識調査」によれば、感染して症状があっても、会社に申告した人は68.1%にすぎず、残りの31.9%は申告しなかったと答えています。しかも、この調査を取り上げたテレビ朝日の「モーニングショー」によれば、申告しなかった人の中で70%の人は、症状があっても出社していると答えているそうです。これでは感染が収まるはずもありませんが、「全数把握」を見直せば、この傾向は一層強まるでしょう。でも、そうなれば、重症化リスクのある人たちは益々感染して重症化するリスクに晒されることになるのです。

ライボ
Job総研
『2022年 コロナ感染に関する意識調査』

羽鳥モーニングショー
「コロナ感染に関する意識調査」

「全数把握」を見直せば、基礎疾患にある人と65歳以上の高齢者以外は、感染しても基本的に自己申告になります。よほどの症状がなければ、病院にも行かないでしょう。そうやって自分で自分の感染を管理しなければならなくなるのです。

でも、人間は賢明な人ばかりではないでしょう。というか、むしろ賢明な人は圧倒的に少数でしょう。現実は、行動制限がなくなったからという理由だけで、コロナは終わったかのように街に繰り出すような人たちが大半なのです。

それに、基礎疾患があると言っても、医療機関で把握されているのは現在治療を受けている人だけです。健康診断を受けてない人もいるでしょうし、健康診断を受けて精密検査や治療を指摘されても、無視している人も多いでしょう。自分が基礎疾患があるかどうかもわかってない人も多いはずです。行動制限をなくすとか「全数把握」を見直すとか言うと、新型コロナウイルスはもう峠を越した、風邪と同じになった、怖いものではなくなったように勝手に解釈する人も多くなるでしょう。

でも、65歳以下であっても、無症状や軽症で済むとは限らないのです。もしかしたら自覚していないだけで、基礎疾患を持っているかもしれないのです。メタボや高血圧であっても重症化する可能性はあると言われています。

また、オミクロンの場合、重症者の割に死者数が多いのが特徴で、それは、軽症や中等症の患者の中で症状が急変して死に至る患者が多いからだという指摘もあります。「全数把握」が見直されると、そういった軽症や中等症の患者は保健所のフォローがなくなるのです。

それに、何より今後も新たな変異株による感染爆発があるかもしれません。「全数把握」を見直すと、検体数が少なくなるので新たに発生した変異株を見逃す懸念があるという指摘もあります。何度もくり返しますが、新型コロナウイルスは終わったわけでも、終わりつつあるわけでもないのです。今現在も、過去最高の感染者数や死亡者数を更新しているのです。

今回の「全数把握」見直しについては、意外にもと言ったら失礼ですが、小池百合子東京都知事が他の付和雷同するだけの軽薄な首長たちとは違った高い見識を示していました。

FNNプライムオンライン
コロナ感染者“全数把握”の見直しに疑問 小池知事「切り口が違う」 デジタル化の問題も指摘

新型コロナウイルス新規感染者の全数把握の見直しについて、東京都の小池知事は24日午後2時すぎ、「切り口が違う」と疑問を呈した。

政府が新型コロナ患者の全数把握の見直しを表明したことについて、小池知事は「患者さんがどういう状況でどうなったのかは、知り得た方がいい」と述べた。

その上で、感染者情報を管理するシステム「HERーSYS」と、電子カルテが連動していないなど「デジタル化の問題」を指摘。

また、都は医療機関が「HERーSYS」の届け出と健康観察を行った場合、患者1人につき3万1200円の補助を出していることから「事務の手続きを医師以外に託し、医師はその健康観察に集中するとか」と、代替案にも言及した。


そもそも「HERーSYS」の入力にしても、上の岸田首相のリモートまがいと同じで、ただデジタル風を装っているだけで、実態は中途半端でアナログです。小池都知事が言うように、電子カルテと「HERーSYS」をリンクすれば、ずいぶん手間がはぶけるでしょう。

それに、東京都が患者一人あたり3万1200円の補助を出しているという話も初めて知りましたが、要は、医者がそれをケチって自分で入力しておきながら負担が大きいと不満を言っているだけのような気がしないでもありません。私の知っている医者は、キーボードの入力が苦手なので、電カルもタッチキーボードを使って手書きで入力しています。あれでは時間がかかってイライラするだろうなと思いました。

何だかここにも、徳田虎雄氏が言っていたような、医者(日本医師会)の身勝手さが表われているような気がしてなりません。誰も口に出して言いませんが(でも心の中では思っていますが)、医者というのは世間知らずで子どもみたいな人間が多いのも事実です。徳田虎雄氏が言うように、病院も医者のわがままにふりまわされたらお終いなのです。況や国の感染対策においてをや、でしょう。日本医師会が獅子身中の虫であるという認識が欠けているのではないか。

それにしても、何故、今なのか。同時に発表された水際対策の緩和も同じですが、どうも内閣支持率の急落を受けて、場当たり的に俗情に阿った感じがしないでもありません。これだったら支持率が挽回できるのではないかと、リモートまがいの隔離部屋で一生懸命考えたのかもしれません。こういった歴史的なパンデミックに際しても、小賢しい政治的な都合が優先されるこの国の政治の無責任さとお粗末さを考えないわけにはいかないのでした。
2022.08.25 Thu l 社会・メディア l top ▲
カルト宗教には、カルトとしての、というか、カルトであるがゆえの”もうひとつの顔”があります。そこには、「法難」などというみずからを合理化する便利な言葉もあります。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)も例外ではないのです。

私たちは、旧統一教会の”もうひとつの顔”を見逃してはならないのです。そのためには、オーバーだと思われるかもしれませんが、「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる「セックスリレー」を信仰の柱にする”セックス教団”をここまでゾンビにした、その歴史的背景も含めて考える必要があるのです。

自民党は絶対に旧統一教会と手を切ることはできないと言われるのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”と深くかかわっているからです。単に選挙を手伝ってもらったからというような単純な話ではないのです。

自民党は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかないのでしょう。その意味では、岸田首相の感染も恰好の時間稼ぎになったのかもしれません。

余談ですが、岸田首相の感染に対して、「何やってんだお前」「夏休みで遊んでたからじゃね」「マジでギャグみたいなヤツだな」「遊びまくってコロナにかかるw うけるw」というのがどうして「心ない言葉」なのか。オミクロンとは言え、今は未曽有の感染状況下にあり、医療も逼迫して入院することもままならない状態です。神奈川県の病床使用率も、89%まで上昇し入院はまず無理だと言われています。感染しても軽症だという保障はないのです。コロナに限りませんが、もし入院しなければならなくなったらどうすればいいんだろう、と不安にならざるを得ません。

そんな中、夏休みだといって、マスクもせずにゴルフだ伊豆旅行だと遊び呆けた末に感染したのです。彼はそこいらの無知蒙昧な下級国民ではなく、内閣総理大臣なのです。あまりにもお粗末で、危機意識がなさすぎると言わねばなりません。

岸田首相は、”ウィズコロナ”の幻想に憑りつかれて感染防止策を放棄し、バカのひとつ覚えのように社会経済活動を維持するというお題目を唱えるばかりでした。しかも、行動制限を撤廃する方針を打ち出したことによって、コロナは風邪と同じという間違ったメッセージを衆愚に発信したのでした。その挙句、自分が感染したのです。私も「マジでギャグみたいなヤツだな」と思いました。

閑話休題それはさておき、自民党の萩生田光一政調会長が、今後旧統一教会と「二度と関係は築かないのか?」と記者に問われて、「適切な対応をしていきたい」と曖昧に答え、関係を絶つと明言しなかったのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”を怖れているからではないかと思ったりもするのでした。

萩生田光一氏は、八王子市議時代から旧統一教会の施設に出入りしていたと言われていますが、2009年の総選挙で落選した際、教団は信者たちに向かって、「萩生田さんを政界に戻すことが神様の計画」だと言ってハッパをかけていたそうです。また、TBSの「報道特集」によれば、萩生田氏自身も、”浪人”中は頻繁に施設を訪れ、壇上に向かって左側にある文鮮明教祖と韓鶴子夫人の写真に深々と敬礼して登壇し、「私(萩生田氏)もご父母様の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう。一緒に日本を神様の国にしましょう」と挨拶していたそうです。そんな人間が旧統一教会と手を切るなんて、間違っても言えるわけがないでしょう。

1986年に『朝日ジャーナル』が旧統一教会の「霊感商法追及キャンペーン」を行った際、それを担当した元朝日新聞記者の藤森研氏は、みずからが体験したカルトの”もうひとつの顔”を下記の記事で語っていました。

AERA dot.
旧統一教会「霊感商法」を本格追及した朝日ジャーナル名物記者への非道な抗議と嫌がらせ電話の「中身」

少しでも批判的な報道をすると抗議が殺到するのは、カルトではよくある話ですが、それで効果がないとわかると、今度は「記者本人や家族を標的にするようになった」そうです。

自宅の近くに停められたワンボックスカーの中に、「屈強な若者が何人か乗っていて」ずっとこちらを監視するようになったのだとか。さらには、自宅に嫌がらせ電話がかかるようになり、それは「1日100本以上」にものぼったそうです。

  最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。

  「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」

  ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。

  「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」


そんな中、1987年から1990年にかけて朝日新聞を標的にした「赤報隊事件」が立て続けに発生し、1987年の阪神支局襲撃事件では、記者2人が散弾銃で撃たれて殺傷されたのでした。当然、旧統一教会も捜査線上にのぼりますが、やがてリストから消えていったのです。

また、最近、有田芳生氏の証言で話題になりましたが、オウム真理教の事件のあと、警視庁公安部を中心に次のターゲットは統一教会だとして準備が進められていたのですが、「政治の力」によってとん挫したそうです。

8月21日に旧統一教会が各メディアに送った「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文は、何だか衣の下から鎧が覗いたような文面で、旧統一教会の”もうひとつの顔”がチラついているような気がしてなりません。

この抗議文にも示されているように、一旦関係を持つとそれをネタに脅されて手が切れなくなるという、ヤクザ顔負けの手口も旧統一教会の得意とするものです。”空白の30年”と言われた中でも、『やや日刊カルト新聞』の鈴木エイト氏らフリーのジャーリストたちは、抗議や脅しにめげず取材を続けてきたのです。彼らの地道な取材があったからこそ、ここまで報道が広がることができたのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら旧統一教会の思う壺(!)でしょう。

国際勝共連合については、当初からいろんな”闇”が指摘されていました。その中には、猪野健治氏の著作などに詳しく書かれていますが、「任侠右翼」と呼ばれるヤクザ組織との関係を指摘する声もありました。岸信介は、そんな闇の組織の力も使って、60年安保の大きなうねりを抑え込もうとしたのです。

でも、考えてみれば、60年安保は本来右翼民族派のテーマであってもおかしくないのです。というか、本来はそうあるべきでしょう。これこそ対米従属を国是とするこの国の、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する光景なのです。そんな中で、岸の手引きで隣国からやって来たカルト宗教に、この国の政治は蝕まれていくのでした。

岸と旧統一教会の関係については、たとえば、次のような話もあります。

1984年に、文鮮明教祖が、アメリカにて脱税容疑で逮捕・拘束された際、岸信介が「日本国元総理」として、時のレーガン大統領に、次のような文氏釈放を求める「嘆願書」を送ったそうです。

300万人近い人々の宗教指導者で国際的にも認められている人物が、このような状況下で米国の刑務所に投獄されていることは私たちにとって非常に気がかりです。大統領閣下、私たちは「宗教の自由」および「言論の自由」を保障した米国憲法修正第一条に基づいて、閣下が直ちに過ちを是正する行動を取るようお勧めするものであります。文師を引続き投獄しておくことは、国家にとっても何ら利益になりません。私たちは閣下がこの問題に注意を向けてくださるようお願いするものであります。

※『紙の爆弾』9月号・「創価学会と岸・安倍家」(大山友樹)より。


300万人近い人々の宗教指導者? 思わず笑ってしまいましたが、岸信介はホントにそう信じていたのでしょうか。

それにしても、これを読んで情けないと思わない日本人はいるのか、と言いたくなるような文面です。これがこの国の「愛国」(者)なのです。そして、こんなお爺ちゃんを尊敬し、その路線を継承した孫が「日本の誇り」と言われていたのです。来月には2億円だか3億円だか税金を使って、国をあげてお別れの会が催されるのです。

前の記事でも書きましたが、旧統一教会は韓国で戦後に生まれた教団であるがゆえに、そこには東アジアの冷戦構造におけるアメリカの反共戦略が色濃く投影されているのでした。時系列で表すとそれがよくわかります。

1945年 ポツダム宣言を受諾(終戦)
1948年 南北朝鮮分裂
1949年 中華人民共和国建国
1950年 朝鮮戦争開戦
1953年 朝鮮戦争休戦
1954年 統一教会設立
1955年 保守合同により自由民主党誕生
1956年 統一教会日本進出
1957年 岸内閣成立
1960年 60年安保(日米安保約反対運動)
1960年 岸内閣退陣
1961年 軍事クーデターにより朴正煕(日本名・高木正雄)が国家再建最高会議議長に就任
1963年 朴正煕大統領に就任
1964年 統一教会宗教法人認可取得
1967年 国際勝共連合韓国で設立
1968年 同日本支部設立
1970年 70年安保(日米安保条約改定反対運動)
1979年 朴正煕暗殺

旧統一教会の設立からほどなく、文鮮明教祖は南北朝鮮分断を目の当たりにして、国際勝共連合の前身となる「勝共運動」をはじめています(ところが、1991年に文鮮明教祖は北朝鮮を訪問して、当時の金日成主席と”義兄弟”の契りを結んだのでした)。そして、朴正煕政権の成立以後はKCIAの庇護を受けるようになります。このように、旧統一教会は、設立当初から”政教一致”と言ってもいいほど、非常に政治色の濃い教団だったのです。

アメリカはのちの中東政策で、 毒には毒をもって制すの論理でイスラム原理主義組織を育成し、現在のイスラム国やタリバンのようなゾンビを生むことになったのですが、それは東アジアにおいても同じでした。中国や北朝鮮や旧ソ連に対抗して、反共組織を育成し利用しようとしたのです。日本における保守合同=自由民主党の誕生も、その脈絡で捉えるべきです。ほどなく岸信介を仲介に、自民党と旧統一教会の蜜月がはじまったのは自然の摂理(!)と呼んでいいかもしれません。

このように日本の戦後のナショナリズムは、最初から対米従属を前提としなければならなかったのです。フジサンケイグループが掲げる、”対米従属「愛国」主義”とも言うべき奇妙奇天烈なナショナリズムがまかり通るようになったのもそれゆえです。でも、それは「愛国」でも何でもないのです。日章旗を振りながら「アメリカバンザイ」と叫んでいるだけです。

「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”も、日本の戦後を覆った”「愛国」という病理”も、アメリカの反共政策が強いた宿命とも言うべきものです。それが旧統一教会の問題の根幹にあるものです。

何度もくり返しますが、「保守」なるものは虚妄だったのです。最初からそんなものはなかったのです。今回の旧統一教会の問題によって(山上容疑者が放った2発の銃弾によって)、それが白日のもとに晒されたのです。

自民党の「保守」政治家たちは、そんな「アメリカ世」の中で、国民には「愛国」を説きながら、その裏では、岸信介に乞われ、韓国から日帝の植民地支配の”記憶”を背負ってやって来た旧統一教会と密着して(旧統一教会の言うままに)「国を売ってきた」のです。

それは、政界だけでなく、右派学生運動においても同じでした。60年代後半の旧生長の家の学生信者を中心とした右派学生運動と原理研の野合が、時を経て、日本会議や神社本庁と韓国のキリスト教系のカルトである旧統一教会が政治的主張を共有する(もっとはっきり言えば、旧統一教会の影響下にある)ような、今日の「常識では考えられない」関係にまで至っているのでした。

自民党が、旧統一教会やその亜流と手を切ることなど絶対にないでしょう。その証拠に、大手メディアがどうして報道しないのか不思議でなりませんが、今でも多くの若くてきれいで優秀な女性信者たちが、議員会館の自民党議員の事務所に秘書として派遣されています。自民党にすれば、「だったら今までの関係を全部バラすぞ、それでもいいのか?」と脅されたら元も子もないでしょう。旧統一教会を敵に回すなどできっこないのです。
2022.08.22 Mon l 旧統一教会 l top ▲
8月18日、ソウルで、日本の旧統一教会に対する報道に抗議する世界平和統一家庭連合主催の集会とデモが行われました。

詳細は有田芳生氏のTwitterに詳しいのですが、それによれば、主催者発表で4000人(警察発表3500人)が集まったそうです。その大半が合同結婚式で韓国に渡った日本人妻だとか。尚、現在、在韓の日本人女性信者は6676人だそうです。

韓国の農村では、入信すれば日本人の若い娘と結婚できるという触れ込みで信者の勧誘が行われていたそうですが、彼女たちはそうやって嫁不足に悩んでいた韓国の農村部の男性信者と「結婚させられた」日本人女性たちなのです。そして今度は、日本メディアに対する抗議のために、まるで弾よけの人質のように動員されているのでした。

旧統一協会は、戦後に生まれた教団で、まして政治色の濃い”政教一致”の教団なので、そこには東アジアの冷戦構造だけでなく、日帝による植民地支配の”記憶”が投影されているのは当然でしょう。韓国では当たり前のことですが、「反共」と「反日」が併存しています。それがカルト的思考と結びついて、非常に歪なかたちで露出しているのが旧統一教会(世界平和統一家庭連合)なのです。

デモに先だって開かれた抗議集会では、韓鶴子(ハンハクチャ)総裁が壇上に登場し、以下のような演説を行ったそうです。


私は、言うまでもなく”嫌韓”ではありませんが、しかし、韓鶴子総裁の「日本が最後の陣痛を経験している」とか「悶着は過ぎ希望に満ちた新日本が誕生するだろう」とか「日本は天が与えた真の自由を得るだろう」といった言葉を聞くと、いらんお節介だと言いたくなります。

日本で報道が始まった頃、韓鶴子総裁が幹部からの報告を受けて、微笑みながら心配には及ばないみたいなことを言ったという話がありましたが、私は、あの激しやすい(そして冷めやすい)韓国人がキャンディーズの微笑み返しみたいな感じで終わるわけがないと思っていましたが、案の定、結構激しい言葉を使っているようです。

こういった言葉の端々にも、日本は「エバ国家」で「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという彼らの”上から目線”が垣間見えるように思います(まあどっちもどっちですが)。そして、その延長上に、日王(天皇)を自分の前で膝まづかせるんだという、故文鮮明(ムンソンミョン)教祖の発言があるのでしょう。しかし、この国のダブルスタンダードの「愛国」者たちは、それを見て見ぬふりしてきたのです。

日本の「保守」政治家たちは、私たち国民に「自分の国に誇りを持て」と説教を垂れながら、こんな韓国の夜郎自大でお節介な宗教に媚びへつらってきたのです。それどころか、みずからの政治思想さえも、お節介な宗教がしつらえたテンプレートをそのままトレースしていたのです。

何度もくり返しますが、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共」といった言葉はことごとく失効したのです。というか、そんなものは最初からなかったのです。虚妄だったのです。それが、戦後を覆ってきた”「愛国」という病理”の内実です。それは、対米従属を前提としたこの国の「愛国」が、最初から抱える(抱えざるを得ない)病理だったと言っていいでしょう。

A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留されながら、ほかの戦犯と違って不起訴処分で釈放され、公職追放も免れることができた岸信介は、公職に復帰するとすぐに(まるで約束していたかのように)、のちの朴正煕政権下ではKCIAに庇護されることになる旧統一教会の日本進出に手を貸し、以後、朴正煕政権と歩調を合わせるかのように、教団を擁護し親密な関係をつづけたのでした。それは、日本の公安当局から密かに監視されるほどの親密度だったと言われています。

そこに既に、戦後の日本を覆った”「愛国」という病理”の萌芽があったと言うべきでしょう。その後の国際勝共連合の設立等の経緯を考えれば、岸の盟友であった「右翼の巨頭」による「文鮮明の犬」発言も、別に不思議ではないような気がします。

私は右派ではないので「歴史戦」の意味がよくわかりませんが、「歴史戦」というのなら、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共(容共)」などという空疎な言葉を子どものチャンバラごっこのようにふりまわすのではなく、戦後史の原点に立ち返り「国を売ったのはホントは誰か?」ということをもう一度考えるべきでしょう。

18日の一和の朝鮮人参のお土産付の抗議集会と僅か500メートルのデモは、日本の報道に対する焦り、危機感の表われと考えることもできますが、しかし、一方で、旧統一教会は、韓国やアメリカではとっくに従来のイメージから脱皮することに成功しているのでした。

テレビのニュースを見ても、ソウルの市民たちが違和感なく彼らのデモを受入れているのが印象的でしたが、旧統一教会は韓国では多くの企業を経営しており、新興の企業集団として市民権を得ているのでした。現地のジャーナリストが言っていましたが、韓国ではカルト宗教というより「宗教企業」や「小財閥」のようなイメージなのだそうです。

平昌オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートや高麗人参でおなじみの一和やプロサッカーチーム・クラブ城南FCなどは有名ですが、その他、小学校から大学まで10近くの学校も経営していますし、病院や銀行から建設会社、旅行会社、不動産会社、石材会社、自動車学校まで傘下におさめています。日本では結婚式場を経営しています。しかも、それらは信者限定ではなく、一般にも開放された「普通の」会社なのです。病院なんて大きな総合病院を複数所有しているそうです。でも、その原資の大半は、日本から送金されたお金です。霊感商法や献金などで日本人から巻き上げたお金なのです。

そんな教団に胸にブルーリボンのバッチを付けた政治家たちが、取り込まれ、教化され、「秘書」などを通して教団が用意したテンプレートをなぞりながら、「愛国」の名のもとに憲法改正を主張し、「日本の伝統的な家庭を守る」という理由でジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対してきたのです。そして、いわゆる”右派論壇”は、そんな政治家たちを「日本の誇り」と持ち上げたのです。

それにしても、韓国本国では霊感商法や強引な献金があまり行われてなかったということもあるのでしょうが、旧統一協会のフロント企業があんなにすんなり社会に受け入れられていることに対しては、日本人の感覚からするとやはり違和感を覚えざるを得ません。

韓国は「勝ったか負けたか」「損か得か」が日本以上に幅をきかせる社会なので、事業が成功すれば、”素性”が問われることなく認知されるところがあるのかもと思ったりします(半分は皮肉ですが)。ケンカでもビジネスでも手段は二の次に、とにかく勝つことが大事なのです。「勝てば官軍」なのです。日本もあまり偉そうなことは言えませんが、悪貨でもお金はお金という考えがあるのではないか。まして、日本からふんだくったお金ならなおさらでしょう。

また、旧統一教会に対しても、日本と違って「セックスリレー」=「血代交換」の方に目が向けられ、淫祠邪教だとして批判が集まったという過去があります。資金集めはもっぱら日本で行われていましたので、お金の出どころにはもともと関心が薄かったという事情もあるのかもしれません。

今の世界平和統一家庭連合にとって、資金源としての日本にどれほどの利用価値があるのか、私にはわかりませんが、こういったカルト宗教に無節操に魂を売ったダブルスタンダードの「愛国」者たちは、私のような人間から見ても、万死に値すると言わざるを得ません。濃淡なんて関係なく、彼ら「保守」政治家たちは全員退場させるべきでしょう。

教団とズブズブの関係にあるおニャン子クラブ大好きな政調会長が、早速、防衛費の増額について偉そうに話していましたが、「こんなやつが国の防衛を口にする資格があるのか」と思ったのは私だけではないはずです。
2022.08.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
先の参院選東京選挙区で当選した自民党の生稲晃子参院議員と萩生田光一自民党政調会長(当時は経済産業大臣)が、公示直前の6月に、萩生田政調会長の地元である八王子の旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の施設を訪問したことに関して、昨日、それぞれが党本部で取材に応じました。

生稲議員は、訪問先が旧統一教会の施設だと知ったのは最近で、岸田首相の指示を受けて調べた結果そうだとわかり、訪問時にはどんな施設かもわからなかった、と言っていました。

五十すぎのいい歳した大人が、それも国政選挙に立候補しようという人間が、たまたま街頭で声をかけられただけで、どんな施設かもわからずに言われるままに訪問したと言うのです。では、施設に入るときに表札も見なかったのか、訪問先の人間と挨拶を交わすこともなかったのか、名刺交換もしなかったのか、とアホみたいなことを考えてしまいました。だとしたら、そんな(空っぽではないけれど)三歳児並みの知能しか持ってないような人間が、国民の代表として国会で法律を作るというのは、とてもじゃないけどあな恐ろしやと言うしかありません。すぐに辞めて貰うのが世のため人のためでしょう。

でも、彼女は619,792票を得て当選したまぎれもない選良なのです。その身分は、私たちのような下級国民と違って最大限に保障されており、現実には自分で辞めない限り、その身分が剥奪されることはほぼありません。

にもかかわらず、事前に打ち合わせをしていたのか、記者たちの質問は通りいっぺんのもので、生稲議員の言い分をただ聞くだけのような感じでした。その場で突っ込んだ質問をするのではなく、あとで報道する際にチクリと論評するだけです。それもいつものことです。

生稲議員から6時間後、取材に応じた萩生田政調会長の発言は、さらに輪をかけてひどいものでした。萩生田氏は現在、政権与党の政策・立案をまとめ、その方針を決める政務調査会の会長です。そんな重責にある人物が口から出まかせのいい加減な発言に終始しているのを見るにつけ、唖然とするとともに世も末のような気持さえ持ちました。

訪問先の施設でのイベントを主催していた「世界平和女性連合」について、「(施設でのイベントを主催した)団体と統一教会の名称は非常に似ていますが、あえて触れなかったというのが正直なところだ」(下記朝日の記事より)と言ってました。しかし、萩生田氏の資金管理団体が2012年から2019年まで毎年「世界平和女性連合」に会費を支出していたことがわかっています。「世界平和女性連合」がどんな組織かもわからず毎年会費を払っていたのでしょうか。

まして、萩生田氏は、2019年9月の安倍内閣から2021年10月の菅内閣まで、宗教法人を所管する文化庁を外局に持つ文部科学大臣を務めていたのです。「世界平和女性連合」と「世界平和統一家庭連合」の関係も知らずに文部科学大臣の任にあったとしたら、それは驚くべきことです。また、後述するように、旧統一教会に問題があるのは過去の話で現在は問題があるとは認識していなかったと発言しているのでした。それも文部科学大臣として驚くべきことと言わねばなりません。

朝日新聞デジタル
萩生田氏「思いが足りなかったと反省」 旧統一教会の関連施設訪問

話は元に戻りますが、教団について、萩生田氏は、「かつての社会的な問題については、今そういうことはないという認識をしていた」「安倍総理が殺害され、山上容疑者の発言から、教会がクローズアップされ、いまだいろんなことで苦しんでいる方がいらっしゃる。少し思いが足りなかったと反省をしている」(同)と言ったそうです。また、選挙についても、「私からお願いをしたこともない」「もしかしたら、ご支援いただいている方の中にそういう方がいらっしゃったっていうことは否定できないかもしれないが、私はわかりません」(同)としらばっくれたのでした。動画も観ましたが、生稲議員のときと同じように記者たちの突っ込みもなく、白々しい空気が流れるばかりでした。

そもそもこの教団施設訪問の話も、自民党本部でお行儀よく聞いていた大手メディアの記者がスクープしたものではないのです。発端になったのは週刊新潮の記事です。大手メディアの記者たちはそれに便乗しているだけです。ジャーナリストして恥ずかしくないのか、と思いました。

萩生田政調会長に関しては、1990年代の霊感商法がもっとも活発だった頃から旧統一教会の施設に出入りしていたという指摘もあります。実際に八王子の旧統一教会の信者たちの間では、萩生田政調会長は「家族も同様」という声もあるそうです。

政治家たちがこのような弁明を平然と行う背景には、彼らの中に有権者を見下す”愚民思想”があるのは間違いないでしょう。適当にその場しのぎの弁明をしておけば、あとは時間が経てばメディアも有権者も忘れるとタカを括っているからでしょう。今回の問題も、下手すれば大山鳴動してネズミ一匹で終わる可能性もなきにしもあらずです。あきらかに腰の引けた記者たちのヘタレな姿が、それを暗示しているような気がしてなりません。

萩生田氏が、安倍政権になって頭角を表し、「最側近」「腰巾着」と言われるまでに安倍元首相から重用されたのも、「家族も同様」と言われるくらい旧統一教会と深い関係にあったことが無関係ではないように思います。萩生田氏は、若い頃から喧嘩っ早く、右派的な思想の持ち主だったようですが、だからこそ、、、、、御多分に漏れず旧統一教会と懇ろになったと言っていいかもしれません。彼にもまた、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”が投映されているように思えてなりません。

安倍元首相の秘書官であった井上義行参院議員の選挙集会における、あの熱狂的な旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の支援に見られるように、安倍元首相と旧統一教会は、他の議員とはレベルの違う特別な関係にあったのです。安倍元首相が旧統一教会の組織票の配分まで行っていたという証言がありましたが、そうやって安倍元首相は日本の政治のど真ん中に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)を招き入れたのです。

1997年から門前払いされていた名称変更問題が、2015年の安倍政権下で変更が認められたという話がありますが、それだけでなく、公安調査庁の報告書「内外情勢の回顧と展望」の中で、2005年と2006年分で触れられていた「特異集団」という項目が、2007年に安倍政権になった途端、削除されたという話も出て来ました。報告書で具体的な名前が伏せられた「特異集団」について、立憲民主党の辻元清美参院議員が名前をあきらかにするように質問主意書を提出したのですが、それに対して政府が「特異集団」は旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のことであるという答弁書を閣議決定したことで、俄かに削除の件が注目されはじめたのでした。

『月刊Will』(ワック)は、9月号で「安倍総理ありがとう」という「追悼特集号」を組んでおり、その中で、桜井よし子氏は、「安倍元総理は日本の誇り」と題して、次のように書いていました。

日本の歴史を振り返れば、日本は心優しくも雄々しい文化と価値観を築いてきた。素晴らしい国なのだから、もっと自信を持っていい。世界は日本にもっと活躍してほしいと期待している――。安倍総理は大きな 世界戦略を描きながら、日本の国家としての誇らしさを説いたのです。


でも、実際は、日本を「エバ国家」と呼び、日本人を「サタン」と呼んで、「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと説き、それどころか日王(日本の天皇)を教祖の前に膝まづかせるとまで言った韓国のカルト宗教と三代にわたって深い関係にあったのです。イベントでは教祖を賛美するメッセージを送り、選挙のときはみずからが旧統一教会の組織票の配分を決めていたのです。さらには、上記のような便宜もはかってきたのです。それをどう考えるかでしょう。それでも「日本の誇り」と言えるのか。

ともあれ、東京オリンピックのときもそうでしたが、すべては時間が経てば忘れるという確信が政治家たちにあるのはミエミエです。昨日の有権者をバカにした(としか思えない)会見がそれを物語っているように思います。でも、肝心な有権者にバカにされているという自覚があるのかと言えば、それも極めて疑問です。

ヘタレなメディアには期待できないので、国民がメディアにハッパをかけて膿を出すしかないのです。でも、国民がメディアと同じようにヘタレでは元の木阿弥になるだけでしょう。
2022.08.19 Fri l 旧統一教会 l top ▲
ドキュメンタリー作家の森達也氏が、次のようなツイートを行っていました。


また、故文鮮明教祖の没後10年を記念して、12日からソウルで開かれている旧統一教会の関連団体の「天宙平和連合」が主催するイベントでは、開会式につづいて安倍晋三元首相を追悼する催しも行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって、「世界各国から招かれた関連団体などの参加者が献花した」(スポニチ)そうです。

入閣した政治家たちが「旧統一教会とは知らなかった」「軽率だった」「今後いっさい関係を絶つ」などと弁明している中で、それはまるで彼らに無言の圧力をかけている光景のように見えなくもありません。

この追悼について、安倍元首相は旧統一教会に利用されただけだ、というような意見が一部にありますが、それは問題を矮小化する近視眼的な見方と言わねばならないでしょう。旧統一教会と岸信介の切っても切れない関係を見てもわかるように、安倍元首相は旧統一教会の問題における一丁目一番地と言ってもいいような存在です。自民党の中でも、旧統一協会と関係のある議員が清和会(安倍派)に多いのも、故なきことではないのです。安倍元首相は、文字通り問題の根幹にいる人物なのです。

岸田首相は、組閣後の記者会見で、「組閣にあたり、それぞれが当該団体との関係を点検し、厳正に見直すことを厳命して、それを了解した者のみを任命した」と言ったのですが、いざ蓋を開けて見ると次々と関係があきらかになり、どこかのメディアが言うようにもはや「底なしの様相」を呈しているのでした。

旧統一教会との関係について、自民党は党として調査を行っていませんし、行う予定もないと明言しています。あくまで自己申告に任せているのです。それは、調査したら組閣もできないどころか、党として収拾がつかなくなるからだと言われています。それくらい旧統一教会は政権与党に深く食い込んでいたのです。

ホリエモンや古市憲寿や太田光などが、エスカレートする旧統一教会の報道にあえて水を差すようなことを言うのも、そういった事態を察知しているからかもしれません。いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、彼らは今の旧統一教会に関する報道は山上容疑者の「思うつぼ」だと言うのです。しかし、山上容疑者自身は実行するにあたって、米本和広氏に宛てた手紙で「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」と書いているのです。それを意図的に狙っていたかのように言うのは、悪質な論理のすりかえと言うしかありません。それに、仮に「思うつぼ」だとしても、だからと言って旧統一協会の問題を不問に付していいという話にはならないでしょう。

また、森達也氏は、1970年に日本武道館で開催された国際勝共連合主催の「WACL世界大会」で、「右翼の巨頭」の笹川良一が、「私は文鮮明の犬だ」と発言したこともリツイートしていました。これなども「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。まさにそこに映し出されているのは、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”です。これが日本の「愛国」(者)の姿なのです。

ちなみに、件の「右翼の巨頭」が、競艇のテラ銭で作ったのが日本財団です。日本財団の研究者がテレビに出て国際情勢などを解説していますが、日本財団が設立者の右翼思想を組織として検証したという話は寡聞にして知りません。今も日本財団はウクライナ支援などを行って「平和」をアピールしていますが、彼らが掲げる「平和」と、国際勝共連合が唱える「平和」はどう違うのか、問い質したい気がします。

旧統一教会が韓国で設立されたのが1954年で、日本に進出したのが1958年です。そして1964年に東京都から宗教法人の認証を得ています。その日本進出に大きく関わったのが岸信介で、以来、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って親しい関係を続けてきたことは、先日の旧統一教会の記者会見でも会長みずからがあきらかにしていました。

旧統一教会の日本支部から韓国に送金された金額については、(前も書きましたが)2011年の「週刊文春」に、「4900億円の送金リストを入手した」と書かれていました。また、それとは別に、「ニューヨーク・タイムズ」は、7月23日、1976年から2010年までに日本の支部からアメリカの支部に36億ドル(4700億円)が送金され、それがアメリカでの事業の資金になった、という記事を書いていました。これだけでもとてつもない金額ですが、もちろん、これは一部の期間に送金された金額にすぎません。一体、彼らは「エバ国家」の日本からどれだけのお金を巻き上げたのかというのでしょうか。

そんな美味しい「エバ国家」への進出に手を貸してくれた恩人の三代目を、旧統一教会があのように大々的に追悼するのは当然と言えば当然でしょう。旧統一教会にとって、岸・安倍一族の恩義は計り知れないほど大きいのです。

それを自分たちを大きく見せるために「利用している」などというのは、まことのお母様に失礼でしょう。岸・安倍家があってこそ、今の旧統一協会(世界平和統一家庭連合)があると言っても過言ではないのです。まるで「国葬」の予行練習のように厳かに営まれた追悼の催しは、旧統一協会の安倍元首相に対する報恩にほかならないのです。

旧統一教会との関係を調べると組閣さえできないというのは、まさに「日本終わった」としか思えませんが、今、必要なのは、ホリエモンや古市憲寿や太田光のような論理のすりかえや、他に重要な政治案件があるのにいつまで旧統一教会の問題に拘って政治を停滞させる気だというような脅しに屈するのではなく、たとえ国の土台がぐらつくようなことがあってもこの際徹底的に膿を出し切る、その覚悟を持つことでしょう。NHK党の立花党首は、自身が幸福の科学の信者であることを認めているそうですが、それは政権与党にとどまらず、ガーシー当選などにも通じる問題でもあるのです。

1994年、下野した自民党は、当時の細川政権と公明党=創価学会の関係が憲法20条で謳われている「政教分離」に反するとして、「憲法20条を考える会」を立ち上げ、池田大作名誉会長のハレンチなスキャンダルを取り上げたり、同名誉会長の証人喚問を要求したりと、週刊誌顔負けの”反創価学会キャンペーン”を行ったのでした。ところが、政権に復帰して公明党との連立がはじまった途端、「考える会」はなかったことにされ、「政教分離」の問題は闇に葬られてしまったのでした。もとより憲法20条の「政教分離」は、そんな政党のご都合主義で解釈されるような問題ではないでしょう。

今回の旧統一教会と政治の関係には、旧統一教会やカルトの問題にとどまらず、根本にはそのような政治と宗教の問題があるのです。「憲法20条を考える会」のような問題意識が今こそ求められているのだと思います。でも、そのタブーは依然残ったままです。

何度もくり返しますが、旧統一教会の問題が示したのは、日本の「保守」と言われる政治(思想)がまったくの虚妄だったということです。「保守」政治家たちは、日本が「美しい国」だとか「とてつもない国」だとか誰もオリジナルに思ってなかったということです。そのテンプレートは、日本を「エバ国家」と呼び日本人をサタンと呼んで、日本から兆を超すお金を巻き上げた韓国のカルト宗教にあったのです。私たちの前にあるのは、そんな卒倒するような「日本終わった」現実なのです。


関連記事:
統一教会・2
統一教会・1
2022.08.15 Mon l 旧統一教会 l top ▲
トレイルズ


昨日の8月11日は「山の日」でした。

ネットで調べると、「山の日」を提案したのは、作曲家の船村徹氏だそうです。船村徹氏は山好きで、日本山岳会の会員でもあったので、「海の日」があるなら「山の日」があってもいいんじゃないかと、そんな理由で提案したみたいです。

船村徹氏の提案に、あのコロナで山登りの自粛を呼びかけた山岳4団体(日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会)や自然保護団体、各登山雑誌などが賛同し、超党派の「山の日」制定議員連盟が設立され、制定に向けての活動がはじまったのだそうです。

最終的には、自民党、民主党(当時)、日本維新の会、公明党から、共産党、社民党までの9党が共同で祝日法の改正案を提出して、2014年の衆参両院で可決成立し、「山の日」の制定が決まったということでした。

「山の日」制定議員連盟の会長には、先日、「日本は韓国の兄貴分」というトンデモ発言で批判を浴びた、清和会の最高顧問の衛藤征士郎議員が就いていました。

衛藤征士郎議員は大分県選出の国会議員なので、昔からそれなりに知っているのですが、もう81歳になっていることを知ってびっくりしました。だったら、清和会の最高顧問にもなるはずだと思いました。

私が出た学校の関係で、実家の親たちは衛藤議員の後援会に入っていました。田舎の人間は妙に律義なところがあり、その程度の縁でも大事にするのです。そんな律儀な田舎の人間たちがこの国の保守政治を草の根で支えているのです。

ところで、衛藤征士郎議員がどうして議員連盟の会長で、「山の日」制定の呼びかけ人に名を連ねているかと言えば、同議員が大分県の玖珠郡というところの出身だからです(国政に転進する前は玖珠郡玖珠町の町長を務めていました)。

玖珠郡は、現在、久住連山の表の登山口のようになっている長者原(玖珠郡九重町ここのえまち)があるところです。私の田舎とは久住連山を挟んで反対側にある町です。久住連山の地元ということで、「山の日」制定に動いたのでしょう。

前も書きましたが、私たちが子どもの頃は、私たちの田舎の方が表側の登山口でした。久住連山はもちろんですが、山を越えた先にある法華院や坊がつるも、私たちの田舎と同じ住所です。江戸時代には法華院に国境警備を兼ねた藩の祈願所があったそうで、昔は久住の山を越えて行っていたのです。

それは雲取山と似ています。雲取山も今では東京の山のように言われていて、登山者の9割は東京側(実際の住所は山梨県丹波山村)の鴨沢から登って来るそうですが、昔は逆で埼玉の三峰側から登って来るハイカーの方が多かったそうです。

だから、昔は山小屋も埼玉側の登山道沿いに多くあったし、今唯一残っている雲取山荘の小屋主も秩父の人でした。周辺の山の名前にドッケという秩父の方言が残っていることからもわかるように、雲取山はどっちかと言えば埼玉の山だったのです。奥多摩の風土記などを読むと、大昔、奥多摩に移住して来た人たちも、秩父などから雲取山を越えてやって来たケースが多いのです。

今の自動車道は、谷底を迂回したり、山の下にトンネルを掘ったりして造られていますが、昔は徒歩だったので、ショートカットして山を越えて行くのが一般的でした。そのため至るところに道ができているし、それらをつなぐ尾根上の道もありました。

私の田舎は久住連山の麓にある温泉場ですが、登山シーズンになるとどこの旅館も登山客でいっぱいでした。今と違ってマイカーがなかった昔は山に登るときは前泊するのが普通だったのです。

しかし、九州横断道路(やまなみハイウェイ)が開通してマイカーが普及するようになると、長者原に駐車場が整備されたこともあって、長者原を起点にした日帰りのマイカー登山が主流になったのでした。

そのためかどうか、山名も、山と高原の地図などではいつの間にか「久住山」が「九重山」と表記されるようになり、環境庁の説明文も「九重山」になってしまったのでした。

もうひとつは、深田久弥が久住山を「九重山」、久住連山を「九重連山」と書いたことも大きいように思います。私などから見れば、「くそったれ」と言いたくなるような話ですが、深田久弥に関しては、本多勝一氏が「深田さんは確かに山が好きだったけれど、山と旅をめぐる雰囲気を愛したのであって、『山それ自体』への関心があまり深くなかったのではありませんか」(朝日文庫『新版山を考える』所収「中高年登山者たちのために あえて深田版『日本百名山』を酷評する」)と書いていたのがわかるような気がします。

私は、「九重山」と表記されているを見ると、つい「ここのえやま」と読んでしまいます。私たちの頃は、学校で使っていた地図帳も「久住町、久住山、九住連山」でした。また、最近は下記の「関連記事」で紹介している森崎和江さんの『消えがての道』でも表記されているように、「九重高原」という表記もよく目にしますが、久住町にあるのは久住高原で、九重町ここのえまちにあるのは飯田はんだ高原です。「九重高原」なんてどこにもないのです(『消えがての道』の「九重高原」は久住高原のことです)。

「阿蘇くじゅう国立公園」という呼称も、1986年に阿蘇国立公園に大分県の久住連山が加わることになり、新しい呼称について周辺自治体で議論された際、本来なら「阿蘇久住国立公園」となるべきところ、九重町ここのえまちが「俺たちも九重=くじゅうだ」と言い出し、その結果、折衷案としてひらがなで「くじゅう」と表記するようになったのです。

当時、私の田舎の人たちは、「そんなバカなことがあるか」と憤慨していました。阿蘇は私の田舎からは県境を跨いで隣にありますが、九重町ここのえまちと阿蘇は離れており、同じ地域というイメージはありませんでした。

で、その名称でもめたとき、九重ここのえ側の先頭に立って「九重=くじゅう」説を強引に主張したのが、衛藤征士郎議員だったと言われているのでした。ひらがな表記の折衷案になったのも、彼の政治力のたまものだったのかもしれません。にもかかわらずうちの親たちは、九重ここのえ側の強引な主張には憤慨しつつも、一方で地元でもない衛藤議員を応援していたのでした。

たかが「久住山」が「九重山」に変わっただけじゃないかと思われるかもしれませんが、当事者にとってはそんな簡単な話ではないのです。私たちが暮らす街でも、昔からの町名が如何にも不動産会社が喜びそうな今風な名前に変えられることがありますが、あれと同じで、町名が変わるということは、永年そこで暮らしてきた人々の記憶もそこで遮断されることを意味するのです。

私もこちらに来て町名の変更を経験したことがありますが、マンションに住んでいるような新しい住民はこれで不動産価値が上がるなど言って歓迎しますが、昔から住んでいるの人たちは愛着のある名前がなくなるのは淋しいと反対するのでした。町名変更は、沿線開発を目論む鉄道会社とそれに乗っかかる行政の思惑が一致して行われるケースが多いのですが、結局は多勢に無勢で、「不動産価値が上がる」ような変更に押し切られるのが常です。

記憶は私たちの生きるよすがでもあります。記憶によって私たちのアイデンティティは形成されています。そして、記憶はいろんなものと結びついており、地名もそのひとつです。その記憶が遮断されリセットさせられるのです。私がこんなに偏執狂のように拘るのも、自分の中の幼い頃の記憶がないがしろにされたような気持があるからです。それくらい私たちの幼い頃の記憶は、久住や阿蘇とともにあったのです。

私は、衛藤議員のその政治力を、たとえば登山道の整備にもっと税金を投入するとか、欧米に比べてお金とヒトのリソースが圧倒的に足りない日本の国立公園のあり方を改善するとかいったことに使って貰いたいと思うのですが、そんな問題意識は見られません。地元に対する顔つくりと利益誘導に使われただけです。それは、呼びかけ人に名を連ねていたほかの国会議員たちも同じです。

「山の日」制定にあたって、「全国『山の日』制定協議会」なる財団法人が設立されたのですが、役員の顔ぶれを見ると、日本山岳会などと同じように、お年寄りのサロンのようになっています。年に一回、「山の日」が真夏の8月なので、冷房の効いた屋内で開催地の地名士を集めて記念イベントをやるくらいです。上記のような日本の山が直面している問題に対して、会として何かアクションを起こしているという話は聞きません。

そもそも「山の日」が何のためにあるのかもわからないのです。船村徹氏ではないですが、「海の日」があるので「山の日」も作ろうというような理由で、ただ休みを増やすために付け焼き刃で作った祝日のようにしか思えません。制定の趣旨を見ても、私にはこじつけのようにしか思えません。

「山の日」は認知度が低く、国民からもっとも「不評」な祝日だと言われているそうですが、それは一般ハイカーにとっても同じでしょう。山とは相容れない、妙な政治力みたいなものしか感じられないのです。

ちなみに、久住連山に登るのなら、久住の側からの方が全然楽しいし山に登っている気分を味わうことができます。長者原の登山口は、由布岳もそうですが、あまりにも観光地化されていて、これから山に登る(冒険する)というワクワク感は得られません。久住側はシーズン外だと人が少なく、道も一部わかりにくいところがありますが、その分、本来のトレイルを歩く楽しさがあります。

『トレイルズ  『道』と歩くことの哲学』(A&F出版)の著者・ローバート・ムーアは、トレイルについて、同書の中で次のように書いていました。

  以前、森や都市の公園で標識のない道を見つけたとき、誰がつくったのだろうと疑問に思ったことがある。それはたいてい、誰かひとりでつくったわけではない。道は誰かがつくるのではなく、そこに現れる。まず誰かが試しにそこを通ってみる。そして次の人がそれに続く。つぎつぎにそこを誰かが通るたびに、少しづつルートが改善されていく。


  人間は地上で最初に道を切り拓いたわけでも、最大の開拓者でもない。人がつくる不格好な土の道と比べて、アリの道は明らかに優美だ。哺乳類の多くも道を切り拓くのが巧みだ。どれだけ知性の劣る動物でも、最も効率よく場所を通過するルートを見つめることができる。こうしたことは人間の言語にも反映されている。日本では、デザイア・ラインは「獣道」と呼ばれる。フランスでは「ロバの道」だ。オランダでは「ゾウの道」、アメリカとイギリスでは「ウシの道」という言い方をすることがある。


私たちが山を歩く際に利用するトレイルは、あらかじめブルトーザーで切り拓かれた道ではありません。モンベルが出店したり、人が車でやって来るのに便利なように造られた道ではないのです。

私たちが歩く道は、もともとは山に棲む動物の知恵で自然に生まれた(現れた)ものです。それが長い時間をかけてアップデートされて今の道になったのです。アプリのアップデートにも「履歴」が残るように、道にはそこを歩いてきた者たちの”記憶の積層”があります。私たちはその上を歩いているのです。もちろん、”記憶の積層”は人間のものだけではありません。前に書いたように、トレイルにおいても人間は客体なのです。野生動物や小さな昆虫と同じように、ただの一個の存在にすぎないのです。


関連記事:
『消えがての道』 九州に生きる
2022.08.12 Fri l l top ▲
「見てみろ、凄いじゃないか。とうとう内閣の改造まで行ったぞ」と私は彼に言いたくなりました。

鉄パイプに黒のビニールテープを巻いただけの粗末な手製の銃から発射された二発の銃弾が、ここまで世の中を変えたのです。一発目を撃ったとき、まわりにいた人たちは、銃声だと思わなかったそうです。自転車か何かのタイヤがパンクした音のように聞こえたと。そんな粗末な手製の銃が、これほどのインパクトをもたらすとは誰が想像したでしょう。

まるでみずからの不手際を弁解するかのように、事件直後から垂れ流される容疑者の供述。それもまた、今までの事件では見られない異例のものだと言われます。事件直後には、「安倍元首相に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という供述がありましたが、すぐに「元首相の政治信条への恨みではない」と「訂正」するような供述に代わっています。またそのあとも、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相が団体と繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ」というような供述も発表されたのでした。

専門家の中には、犯行直後にそんな供述をするのは不自然だという声があるそうです。容疑者は、逮捕直後の混乱(興奮状態)の中で、「思い込んだ」と自分の犯行を後悔(否定)するようなことを口にしているのです。時間が経ってから後悔の念に苛まれてそう言うのならわかりますが、犯行直後なのです。

警察がメディアに発表した供述内容が、公判の際、調書に出てないことも多いのだとか。それはあくまで警察が発表した一方的な供述にすぎず、正式な供述ではないからです。

さらには、容疑者を精神鑑定するために鑑定留置することが認められたと発表されたのでした。それも4ヶ月にもわたる長期です。「動機に論理の飛躍が見られる」というのがその理由ですが、たしかに奈良県警が発表した供述に従えば、単なる「思い込み」であれだけの犯行に及んだのですから、「論理に飛躍が見られる」ことになるでしょう。

犯行からひと月が経ちましたが、あらためて暴力が持つインパクトの大きさを痛感させられるばかりです。容疑者は、決行するにあたって、「政治的意味を考える余裕はない」と言ったのですが、時間の経過とともに容疑者の行為はとてつもなく大きな「政治的意味」を持つに至ったのでした。

犯行の翌々日が参院選の投票日でしたが、選挙の結果がどうであれ山上容疑者の銃撃がなければ、これほど日本の政治が旧統一教会に浸食されていたことが白日のもとに晒されることはなかったでしょう。与党の議席がどうの野党の議席がどうのといういつもの報道がくり返されるだけで、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」政治家たちと韓国のカルト宗教の蜜月は、何事もなかったかのようにこれからも続いていたでしょう。

前も書きましたが、自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、「愛国」政治家たちがジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」と主張しているのも、旧統一教会からの受け売りであったことが徐々にあきらかになっています。

今年の6月に開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の席で、同性愛は「回復治療の効果が期待できる」「依存症」や「精神障害」であり、「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」というような内容のパンフレットが配布されたとして問題になりましたが、神道系の議員たちが前はほとんど関心がなかった”性の多様性”の問題に急に関心を持ちはじめ、強硬な反対論を展開するようになったのも、旧統一教会の働きかけがあったからだと言われているのでした。

それどころか、彼ら神道系議員の母体である神社本庁が、日本人をサタンと呼ぶキリスト教系の旧統一教会の影響下に置かれているという、信じられない話まで飛び出しているのでした。神道の信者は数の上では莫大ですが、葬儀や結婚式を神道式で行なう人が稀であるように、実際に信仰している人は少なく、しかも、御多分に漏れず信者の高齢化が進んでいるそうです。そんな中、旧統一教会がNPO法人のような団体名で近づき、若い隠れ信者たちが神社本庁の活動を手足となって手伝い、中には本部の職員に採用された信者もいたそうです。そうやって神社本庁に浸透していったのです。それは、国会議員の選挙運動を手伝って、その議員を取り込み思想的影響下に置くのとまったく同じです。また、神社本庁は内紛によって分裂状態にあるのですが、それも旧統一協会が裏で糸を引いていたのではないかという見方さえあるのでした。

何度もくり返さなければなりませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教なのです。

そんなカルト宗教に日本の「愛国」や「伝統」が簒奪されコントロールされていたのです。岸田首相は昨日の記者会見で否定していましたが、自民党の改憲案や神道政治連盟のパンフレットに見られるように、政権与党の政策が影響を受けていたのではないかという疑惑は拭えません。

神道政治連盟のサイトのトップページには、「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」と麗々しく謳っていますが、そんな議員たちがよりによって、日本人をサタンと呼ぶ韓国のカルト宗教と密通していたのです。こんなふざけた話があるでしょうか。

国民に「愛国」を説き、国民向けには”嫌韓”を装いながら裏では韓国のカルト宗教にへいつくばりおべんちゃらを言っていたのです。こんな「愛国」者がいるでしょうか。

日本は美しい国、日本人の誇りを取り戻そうと言っていた政治家が、よりによって日本を「エバ国家」と呼ぶ韓国のカルト宗教と三代前から親しい関係を結び、選挙の際は票の配分を依頼するなど、みずから日本の政治のど真ん中にカルトを招き入れていたのです。

二発の銃弾が暴き出したのは、この国の「保守」と呼ばれる政治がまったくの虚妄だったという事実です。「保守」なるものが、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”の産物にすぎなかったことがあらためて明らかになったのです。「愛国」や「保守」や「反日」や「売国」という言葉はことごとく失効したのです。

江藤淳は、占領軍の検閲によって、戦後の言語空間は閉ざされたものになったと言ったのですが、そもそも言語空間もくそもなかったのです。保守主義者の江藤淳が見ていたのは虚構だったのです。

今、私たちの前にあるのは、戦後の「保守」政治が見るも無残に破綻した光景です。それを未だに空疎な言葉を使って糊塗しようとするのは、あまりに往生際が悪くみっともない所業としか言いようがありません。ホントに「反日」なのは誰だったか、もう一度自問した方がいいでしょう。国葬なんかやっている場合じゃないのです。

それは、橋下徹や三浦瑠麗や東浩紀らテレビの御用知識人たちの言説も同様です。今回の事件では、彼らの言説の薄っぺらさが晒されるという副産物も生んだのでした。テレビを観ていて呆れた人も多いはずです。

目の前に突きつけられた事態があまりに衝撃的で想像を越えていたためか、彼らは、みずからの常套句で説明することができずトンチンカンを演じてしまった感じでした。わからないことはわからないと正直に言えばよかったのです。彼らが駆使する言説も、現実をかすりもしない単なる口先三寸主義の屁理屈にすぎないことが明らかになったのでした。

このように、一夜にして世の中の空気が一変したのです。旧統一協会に再び世間の厳しい目が向けられるようになりました。また、今まで視野に入ってなかった信仰二世の問題にも、目が向けられつつあります。

自転車のタイヤがパンクしたと間違われるような粗末な手製の銃から発せられた二発の銃弾が、ことの善悪を越えて、、、、、、、、、「凄いじゃないか。やったじゃないか」と言いたくなるような光景を現出させたのです。それは驚き以外のなにものでもありません。
2022.08.11 Thu l 旧統一教会 l top ▲
また、『紙の爆弾』の記事の話になりますが、今月号(9月号)の中川淳一郎氏のコラム「格差を読む」に、思わず膝を打つような記事が載っていました。

ホントは全文を紹介したいくらいですが、もちろん、それは叶わぬことなので、もし興味があれば、『紙の爆弾』9月号(鹿砦社)をお買い求めください(いつもお世話になっているので宣伝します)。

タイトルは『「34位」の日本人が生きる道』。記事は次のような文章で始まっています。

  スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力ランキング2022」を発表した。日本の競争力は二〇二一年の三一位から三四位に低下。これは六三ヵ国を対象に二〇項目・三三三の基準で競争力を数値化したもので、調査開始の一九八九年から九二年まで日本は四年連続一位。その後も二位、三位、四位、四位と上位の常連だった。九七年に一七位に急落し、二十番台が続いたが、ついに三四位まで落ちた。マレーシア(三二位)やタイ(三三位)の下である。
  もはや日本は東アジアの没落国といってもいいかもしれない。上位常連のころは、自動車・家電・金融・不動産が活況だったものの、ネット時代以降は社会の変化についていけなくなったようだ。また、かつて世界に五〇%はあった半導体のシェアが 一〇%を切るなど、目も当てられない状態になっている。
(『紙の爆弾』2020年9月号・「格差を読む」”「34位」の日本人が生きる道”)
※以下、引用は同じ。


私がこのブログでしつこいように書いている「ニッポン凄い!」の自演乙も、ここまで来るともはやギャグのように思えてきます。

だったら、日本にとって強みは何があるのか?、と中川氏は考えるのでした。

  (略)日本にとっての強みというのは、「物価が安くて食・サービスの質が高く、インフラが整い、歴史もあり、豊かな自然もあり、観光に適した国」というものしかなくなってしまう。あとは魚介類や野菜をはじめとしたグルメ方面か。


  自動車も家電もネットサービスも、今後日本が世界で存在感を示すことは難しいだろう。これから考え得る日本の進む道は「観光立国」しかない。となれば、国民の働き先は飲食店やホテルの掃除、コンビニ店員といったところになるだろう。現在、日本の都市部に住む東南アジア系の人々が担っている仕事を日本人がやるということだ。


私は、ほかに風俗と児童ポルノがあるのではないか、と思いました。コロナ前までは、中国人や韓国人の買春ツアーは活況を呈していました。風俗に詳しい人間の話では、外国人専用の派遣ヘルスも多くあったそうです。ガーシーではないですが、外国人相手に大和撫子をアテンドするプロのブローカーも「掃いて棄てるほど」いたそうです。

中川氏は、続けてこう書いていました。

国の物価を示す「ビッグマック指数」においても、もはや日本はタイよりも下である。この三十年間、給料が上がらない稀有な国こそ日本なのだ。


前も書きましたが、日本は「安くておいしい国」なのです。買春する料金も、外国人から見たら格安で「良心的」です。給料が上がらない分、風俗の料金も30年前から上がってないからです。

「Youは何しに日本へ?」でインタビューされている外国人たちのかなりの部分は、ホントは日本に買春に来ているのです。秋葉原に行きたいというのも、ホントは児童ポルノが目当てなのです。昔のJ-POPのレコードを探しに来たとか、地方のお祭りに参加するために来たというのは、奇人変人の部類に属するような稀な例です。

以前、このブログで、若者の間で海外旅行離れが進んでいるという話題を取り上げたことがありますが、今調べてみたら2008年4月の記事でした。既にその頃から没落が顕著になり、私たちも身に沁みてそれを実感するようになっていたのでしょう。

私たちのまわりを見るとわかりますが、格差と言っても、親がどれだけ資産を持っているか、親からどれだけ遺産を受け継いだかによっても違います。起業しても同じです。手持ちの資金にどれだけ余裕があるかによって、どれだけチャンスをものにできるか、どれだけ持ちこたえることができるかが決まるのです。

とは言え、日本にはまだ個人の金融資産が2000兆円弱もあるそうです。それを食いつぶす間は”豊かな幻想”を持つことができるでしょう。一方、金融資産の恩恵に浴することができない人たちの多くは、既にこの社会の中で落ちぶれてアンダークラスを形成しているのです。

安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者の父親は、京大卒で大手建設会社に勤務していたそうです。母親も大阪市立大(現・大阪公立大)卒の栄養士だったとか。旧統一教会に寄付した総額は1億円だったそうですから、遺産も含めて、山上家には1億円の資産があったことになります。もし、母親が旧統一教会に入ってなければ、容疑者が言うように、その資産を使って大学にも行けたでしょうし、今もそれなりの生活を送ることができたでしょう。

今の「それなりに豊かに見える」生活も、単に親から受け継いだ資産が投映されたものにすぎない、と言ったら言いすぎかもしれませんが、没落していく国では、とりわけ親の資産や遺産の多寡によって子の人生が決まる無慈悲な現実があるのも事実です。そもそもスタートが平等ではないのですから、個人の努力の範囲は最初から限られているのです。

私たちの世代は、進学資金や結婚資金やマイホームの頭金などを親から出して貰うのが当たり前でした。じゃあ、私たちは、自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうそんな余裕はありません。せいぜいが奨学金の保証人になるくらいです。

私は九州の高校を出たのですが、私たちの頃は東京の大学に進学した同級生が100人近くいました。今でも都内で開催される同級会には常時20~30人は集まるそうです。しかし、現在、母校から東京の大学に進学する生徒は数人程度です。それも私たちのような凡人ではなく、超優秀な生徒だけです。

私たちの頃と違って、圧倒的に地元志向、しかも公立志向なのです。つまり、それだけ親に経済的な余裕がなくなっているのです。同級生と話をすると、みんな口をそろえて「あの頃、親はよく仕送りしてくれたな」「考えられないよ」「よくそんなお金があったと思うよ」と言いますが、それが私たちの世代の実感です。

このように、私たちは子どもに残す遺産がないのです。身も蓋もないことを言えば、それだけ貧しくなっているということです。”負の世代連鎖”に入っていると言ってもオーバーではないでしょう。

ネットニュースの編集者でもあった中川淳一郎氏は、こうも書いていました。

  おそらく日本で給料が大幅に上がることは難しい。それは、ひとえに、情報の伝播のしやすさの問題だ。英語のサイトが世界中からアクセスを集められるのと比べて、日本語の情報は、ネット上の存在感が極端に低いのである。


とどのつまり、益々没落していくしかないということでしょう。

デジタル革命に乗り遅れたと言えばその通りなのですが、日本語の問題も含めて、そこには日本の社会そのものに起因する致命的な問題があるような気がしてなりません。

日本の企業は、いつまで経っても日本流の生産方式や品質管理が一番いいという「神話」から脱皮できず、そのために世界から取り残されてしまったという話を前にしたことがありますが、ネットの時代になって日本は逆に「愛国」という病理に、そして「ニッポン凄い!」という自演乙に自閉していったのでした。つまり、「パラダイス鎖国」の幻想に憑りつかれ、内向きになっていったのです。そうやっていっそう没落を加速させたのです。

海外に出稼ぎに行くにしても、「壊滅的に英語ができない国民」である日本人には、言語の壁が立ちはだかって難しいと皮肉を書いていましたが、それも笑い話で済まされるような話ではないでしょう。「同じ東アジアのタイやベトナム、カンボジアの方が日本より英語が通じる」現実を前にしてもなお、「ニッポン凄い!」と自演乙しつづけるのは、何だか哀愁を漂わせるピエロのギャクのようにしか見えません。


関連記事:
日本は「買われる国」
「安くておいしい国」日本
『ウェブはバカと暇人のもの』
2022.08.10 Wed l 社会・メディア l top ▲
ナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問は、当初、中間選挙で民主党の敗色が濃厚と言われている中での季節外れの“卒業旅行”みたいなものだとヤユする向きもありました。ところが、蓋を開けてみるとそんな呑気な話ではなく、82歳の老婆による、とんでもない”戦争挑発旅行”だったということがわかったのでした。

「これでウクライナが東アジアに飛び火した」と論評した専門家がいましたが、まさにそれこそがナンシー・ペロシの「電撃的な台湾訪問」に隠されたバイデン政権の狙いだったように思います。

アメリカ空軍の軍用機(要人輸送機C-40C)を使った今回の訪問が、露骨に中国を挑発するものであることは誰が見てもあきらかでしょう。でも、対米従属の日本では、「挑発」という言葉はまるで禁句であるかのようです。メディアにもその言葉は一切出て来ないのでした。

ナンシー・ペロシの行動をバイデン大統領が止めることができなかった。個人的な旅行なのに、中国が「メンツを潰された」と過剰に反応して、台湾や日本に軍事的な圧力をかけている。このまま行けば中国が戦争を仕掛けて来るかもしれない、というような報道ばかりです。

今回の挑発行動には、米中対立によって、半導体の一大供給地である台湾の戦略的な重要性が益々増しているという、近々の状況が背景にあることは間違いないでしょう。石油や天然ガスのような天然資源ではなく、今の時代ではデジタル技術も大事な資源なのです。そういった新たな資源争奪戦という帝国主義戦争の側面は否定できないように思います。

しかし、それだけではなく、アメリカ経済が陥っている苦境とも無縁ではないような気がします。FRBは、6月に28年ぶりの大幅利上げを行なったのですが、翌月にも同様の利上げを再度行なって世界を仰天させたのでした。このように、現在、アメリカは「経済危機」と言ってもいいような未曽有のインフレに見舞われているのです。そのため、アメリカは、起死回生のために新たな戦争を欲しているのではないか。台湾有事という”危機”を現前化することで、今やコングロマリットと化した軍需産業を起爆剤に、低迷するアメリカ経済を好転させる魂胆があるのではないか、と思いました。もとより、蕩尽の究極の場である戦争ほど、美味しいビジネスはないのです。1機100億円以上もする戦闘機がどんどん撃ち落とされるのを見て、歓喜の声を上げない資本家はいないでしょう。

アメリカは戦後、朝鮮戦争からシリア内戦までずっと他国の戦争に介入してきました。そうやって超大国の座を維持してきたのです。ただ、ウクライナ戦争を見てもわかる通り、既に直接介入する力はなくなっています。しかしそれでも、他国の人々の生き血を吸って虚妄の繁栄を謳歌する”戦争国家”であることには変わりがありません。

もちろん、どうして今なのか?を考えたとき、中間選挙をまじかに控えた民主党の党内事情も無視できないように思います。苦戦が伝えられる中間選挙で逆転するためには、”強いアメリカ”を演出しなければなりません。しかし、ロシアは役不足です。案の定、ウクライナ戦争はインパクトに欠け、国民も冷めています。やはり、中国を民主主義と権威主義の戦いに引き摺り込むしかない。バイデンらはそう考えたのかもしれません。

でも、バイデンは79歳、ナンシー・ペロシは82歳です。私たちは、ガーシー当選に勝るとも劣らない悪夢を見ているような気持になってしまいます。

ナンシー・ペロシの台湾訪問のひと月前に発売された『紙の爆弾』(7月号)で、天木直人氏(元駐レバノン大使)と対談した木村三浩氏(一水会代表)は、今回の挑発行為を予見していたかのように、次のように発言していました。

木村   (略)米国が次に狙うのが中国で、だからこそ台湾有事の勃発が危惧されている。しかし、日本にはその視点がない。独裁者のプーチンが暴走した。香港・ウイグル・チベットなどで人々を弾圧している習近平も暴走するに違いない、と事態が極度に単純化されている。この論調に政治が乗っかり、日米同盟を強化すべきだ、NATOに入るべきだといったことまで公言されています。防衛費増強にしても、米国からさらに武器を買って貢ぐことにすぎません。
(「台湾有事」の米国戦略と「沖縄」の可能性)


一方、天木氏は、台湾有事に備えるには、沖縄の平和勢力が「反戦平和」を唯一の公約にする、つまり、その一点で結集できる「沖縄党」をつくって国政に参加するべきだと言っていました。

唯一の地上戦を経験しながら、戦後も基地の負担を強いられてきた沖縄には、本土のように対米従属に対する幻想はありません。だから、ネトウヨには、沖縄は「左傾」した「中共のスパイ」のように見えるのでしょう。天木氏の提案は、そんな対米従属の幻想から「覚醒」した沖縄が、日本の対米従属からの脱却を促し、日本を「覚醒」させることができるという、沖縄問題を論じる中でよく聞く”沖縄覚醒論”の延長上にあるものと言えます。

何度もくり返しますが、日本という国は、国民に「愛国」を説きながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、ふざけた「愛国」者しかいない国なのです。それは政治家だけではありません。”極右の女神”に代表されるような右派のオピニオンリーダーたちも同じです。嫌韓で自分を偽装しながら、陰では韓国のカルト宗教から支援を受け、教団をヨイショしていたのです。また、旧統一教会の魔の手は、「愛国」の精神的支柱とも言うべき神社本庁にまで延びているという話さえあります。

自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」者たちが、ジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対するのも、教団からの受け売り(働きかけによるもの)だったのではないかと言われています。それどころか、女系天皇反対もそうだったのではないかという指摘もあるくらいです。

そんなふざけた「愛国」者が煽る戦争に乗せられないためにも、「沖縄の覚醒」を対置するという考えはたしかに傾聴に値するものがあるように思います。しかし、同時に、もう沖縄に頼るしかないのか、また沖縄を利用するのか、という気持も拭えないのでした。

天木   米国はいまでも「一つの中国」について変わらないと繰り返す一方で、あいまい戦略を、どんどんあいまいではないようにしています。台湾への軍事支援を公然と行ない、独立をそそのかしている。五月に来日したバイデンは岸田首相との会談で「武器行使」を肯定する発言をしました。(略)そんな発言をすること自体、バイデンは米中関係を損ねているのです。


天木   この現実を変えるには、沖縄に期待するしかないと思うに至りました。(略)このままいけば再び沖縄は捨て石にされる。今度は中国と戦うことを迫られる。これだけは何があっても避けたいはずです。沖縄の人たちは、「ぬちどぅたから(命こそ宝)や万国津梁ばんこくしんりょう」という言葉を琉球王国時代からの沖縄人の魂だと言います。ならば、それを唯一の公約とした「沖縄党」をつくって国政に参加してほしい。


天木   (略)本当に有事になったときは、日本人は皆”反戦”に傾くはずです。そのときに民意を集約できるのは、既存の左翼勢力ではなく「沖縄党」だと、私は思っているのです。


天木氏の発言に対して、木村氏も次のように言っていました。

木村   (略)このまま台湾有事に向えば、今のロシアと同じように、冷静な意見も「お前は親中か!」と排斥が始まるでしょう。それでも沖縄が「二度と戦争の犠牲にならない」と言えば、誰も反論はできない。


ただ、中には、台湾有事になれば自衛隊が戦うだけ、沖縄が犠牲になるのは地政学上仕方ない、自分たちが安全圏にいられるならいくらでも防衛費を増強すればいい、と考えているような日本人も少なからずいます。彼らもまた、”対米従属「愛国」主義”に呪縛され、戦争のリアルから目を背けているという点では、ふざけた「愛国」者と五十歩百歩と言うべきなのです。


関連記事:
『琉球独立宣言』
2022.08.08 Mon l 社会・メディア l top ▲
先の参院選で当選したNHK党のガーシーが、8月3日の臨時国会の招集にあたって提出した海外渡航届に対して、参院議院運営委員会理事会は「納得がいく理由がない」として、全会一致で許可しないことを決定したという報道がありました。

この「許可しない」というのは渡航を許可しないという意味だと思いますが、許可するも何もガーシーは選挙前から渡航していて日本にいないのです。しかも、渡航届の帰国日は「未定」になっていたそうです。まったく冗談みたいな話です。

ところが、議院運営委員会理事会の決定に対して、ガーシーは、インスタグラムに下記のような怒りの投稿を行ったのでした。

Instagram
ガーシーチャンネル(東谷義和)
https://www.instagram.com/p/Cgx0SHVPvkA

gaasyy_chアホらし
お前らに参議院議員にしてもらった訳でもないのに偉そーにすな
オレの議員としての存続を決めれるのは、票を入れてくれた支持者だけや
居眠りこいてるジジイやゴルフや飲み過ぎで議会欠席してるジジイ、パパ活不倫してる奴らに言われる筋合いはない
オレの存在が疎ましーのはわかるけどな、
人のことばっかり気にしてると足元すくわれんぞ
『明日は我が身』この言葉、よー噛み締めてオレに攻撃してこい

突けば吹き飛ぶよーなジジイ相手にケンカしたないねん
海外にいてもできることはよーけある。
海外やないとできひんこともよーけある。

日本にいても何もせん、人の粗さがしてる老害ども
ええ加減に身ひいて、次の時代の若者にバトン渡せや

もーお前らが作った時代は完成してん
次の新しい時代をまた築くのに、お前らはただただ邪魔な存在なんや

そのあたりよー理解して、最後の議員生活満喫せーや

リモートでも当選することを立証した、それが次の選挙にどー繋がるか?
お前らにもわかるような未来が訪れるわ

SNSをろくにつかえん奴は当選せーへん時代がもーそこまできとるわ

それはオレを議員辞めさせようが続けさせようが変わらん未来や

ジタバタせんとオレの攻撃を待っとけ、な?
政界に嵐を吹き込んだるから。

当選された皆様
初登院おめでとうございます!
いつかオレが初登院したあかつきには、クラッカー鳴らす用意しとってくださいw

古い時代を踏み台に、新しい時代に足跡つける
オレの好きなミュージシャンの言葉

それを実践したるから、支持してくれたみんな
期待して、歓喜に震え、待っとけよ!!

ほなの!


何だかチンピラの口上みたいですが、コメント欄には、「ほんとそのとおりですね。 許可なんてする必要あります? くだらない議員ばかりのために納税させられてる身にもなれ」「リアルに議会政治のあり方が変わりますよ」「じいちゃんたちは時代の変化についてこれないから、新しい風を怖がってるんだね」というようなコメントが寄せられていました。

冗談みたいな話なのに、みんな本気で怒っているのでした。しかも、老害を打破して新しい政治の夜明けがはじまるみたいなことを言いはじめているのでした。

言うまでもなく、ガーシーのYouTubeは私怨からはじまったのです。いわゆる”BTS詐欺”をネットに暴露され窮地に追い込まれたガーシーに対して、今まで女性をアテンドしたりと親しくつきあってきた芸能人たちがみんなソッポを向いたことに怒り、「死なばもろとも」と彼らのスキャンダルをYouTubeで暴露しはじめたことが発端だったのです。

ところが、「死なばもろとも」どころか国会議員になったため、上の投稿のように、私怨が付け焼刃の”公共性”を纏うようになったのでした。裏カジノで「つまんだ」借金を返済するため、文字通り窮鼠猫を噛むではじめたことが、いつの間にか新しい政治の夜明けの話になったのです。多くの人たちが、呆気に取られたのは当然でしょう。

議院運営委員会の不許可は、除名への布石だという見方もありますが、仮に除名されて国会議員の地位を剥奪されると、取り沙汰されているような詐欺や名誉棄損、業務妨害などの容疑で、警察が表立って動き出す可能性はあるかもしれません。でも、私は、除名までは行かないように思います。というか、そこまで行くべきではないと思います。

公民権の停止を受けてない限り、どんな人間であれ、選挙に立候補する権利はあります。議会制民主主義の建前に従えば、それは最大限尊重されるべきです。どんな人間であっても、どんな考えを持っていてもです。

ガーシーは、法律に則り、287714票を得て参議院議員になったのです。選挙で選ばれた国会議員を簡単に除名などできないでしょう。ガーシーと言えどもそれくらい国会議員の身分は重いのです。

ただ、一部で言われているように、機を見るに敏なところがあるみたいなので、みずから辞職する可能性がないとは言えないでしょう。

でも、声を大にして言いたいのは、問題の所在はガーシーの帰国や除名や逮捕にあるのではないということです。公人になったので「個人的な問題」という言い方は適切ではないと思いますが、ガーシーの帰国や除名や逮捕は二義的な問題にすぎないのです。それより、ガーシーに「清き一票」を投じた有権者を問題にすべきでしょう。それがこの問題を考える上での基本中の基本だと思います。身も蓋もない話と思われるかもしれませんが、その身も蓋もない話が大事なのです。でないと、これからも第二第三のガーシーが(NHK党から?)出て来るでしょう。

呆気に取られるような日本の民主主義の劣化を体現しているのは、国民に「愛国」を説きながら、その裏で、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、胸にブルーリボンのバッチを付けた政治家だけではないのです。ガーシーに「清き一票」を投じた有権者も同じです。

ガーシーを支持するのは、「うだつのあがらない人生を送っている」ガーシーと同世代の中年男性が多いという説がありますが、世の中に対する不満がこのようなかたちで発露されるのはあり得ないことではないように思います。

集合知どころか、むしろ逆に「水は常に低い方に流れる」ネットの習性によって、反知性主義が臆面もなく跋扈するようになる「ネットの時代」を懸念する声は前々からありましたが、今回、それがきわめて具体的に、これでもかと言わんばかりに、私たちの前に突き付けられたとも言えるのです。

それは、NHKの問題も同じです。政治家と旧統一教会の関係にNHKが及び腰であるとして、リベラルな人間たちが、「#もうNHKに金払いたくない」などというハッシュタグを付けて反発しているそうですが、私は「またか」と冷めた目で見ることしかできませんでした。NHKに関しては、受信料の問題だけでなく、政治との関係においても以前から問題視されていました。今にはじまったことではないのです。

そもそもNHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員は、国会の同意が必要ではあるものの、放送法の規定によって内閣総理大臣が任命することになっています。ときの政権に忖度するなと言う方が無理でしょう。そんなNHKの体質を問題視して、昔は受信料支払い拒否の市民運動もあったくらいです。

NHKの問題をNHK党の専売特許にさせたのは誰なのかと言いたいのです。今になって「#もうNHKに金払いたくない」などと言うのは、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」左派リベラルお得意のカマトトなご都合主義だとしか思えません。それに彼らは「払いたくない」と言っているだけで、払わないと言っているわけではないのです。これじゃNHK党にバカにされるのがオチでしょう。

弱みがあるのか、(計算高い)彼なりの計算があるのか、田村淳なども国会議員になったガーシーにすり寄っているみたいですが、そういったことも含めて、ガーシーを持ち上げる民意にこそ問題の本質があるのだということを忘れてはならないのです。

要は、この目の前に突き付けられた「ネットの時代」の”夜郎自大な現実”を、私たちがどう考えるかでしょう。斜に構えて冷笑するだけでいいのか。あるいは、無責任にざまあみろと囃し立てるだけでいいのかということです。これからこういった”野郎自大な現実”が、容赦なく私たちのまわりを覆うようになるのは間違いないのです。
2022.08.05 Fri l ネット l top ▲
岩波文庫 新編山と渓谷


田部重治の「数馬の夜」を読みました。

「数馬の夜」については、山田哲哉氏が「名文」だと書いていましたし、ネットでも何度も読み返したという投稿がありました。私も前から読んでみたいと思っていましたが、私が持っている山と渓谷社の『山と渓谷  田部重治選集』には何故か収録されていませんでした。それで、「数馬の夜」が収録されている岩波文庫の『新編   山と渓谷』をあらためて買ったのでした。

「数馬の夜」は、文庫本で3ページ半の短いエッセイです。

文章の末尾には、「大正九年四月の山旅」と記されていました。今から102年前の1920年、田部重治が36歳のときです。

山行について、本文には次のように書かれていました。

昨日は、朝、東京を出て八王子から高原を登りながら、五日市を経て南北秋川の合流点にある本宿もとじゅくの宿屋に平和な一夜を送ったが、今日は私は北秋川の渓流に沿うてその上流の最高峰御前ごぜん山にじてから、更に南秋川の渓谷を分けて此処へ辿たどりついたのである。


「此処」というのは、南秋川の最上流の数馬にある宿です。年譜で調べると山崎屋という旅館に泊まったみたいです。翌日は三頭山の三頭大滝を見てから山梨の上野原に下りて、東京に戻っています。

午後、「深山の静寂がひしひしと胸に迫ってく来る」数馬に着いて宿に荷を解き、山旅を振り返るのですが、それは、秋川の上流にある春の渓谷や山の風景に自分の心情を重ねた、内省的で情緒的なとても印象深い文章になっていました。

田部重治が秋川渓谷を歩いたのは10年以上ぶりで、当然ながら当時と比べて様子は変わっていますが、しかし、「南秋川の渓谷の奥では昔ながらの様子が残っている」と書いていました。そして、次のように綴るのでした。

道端の落ち着いた水車の響きや昔ながらの建物が平和な山奥の春を語って、一日の滞在が不思議なほど、私の周囲の生活の静まり返っている落着の姿を見せている。あたりの静けさ、渓河の響きは、私の心の奥底に真の自分と融け合っているような気がする。


田部重治は、「私はこの二、三ヶ月間絶えず不安な心持に動いて来た」と書いていましたが、文章からも懊悩の日々を送っていたことがわかります。そんなとき、ひとりで山に行きたくなる気持は私も痛いほどわかるのでした。

私たちにとってもなじみの深いパトス(pathos)というギリシャ語は、ロゴス(logos)との対で、感情、あるいは感性という意味に解釈するのが一般的ですが、宮台真司氏は伊藤二朗氏との対談で、パトスはもともと「降ってくるもの」という意味で、「受動態」という意味の「passive」と同じ語源だと言っていました。

宮台氏は、パトスは感情が訪れる、という意味だけでなく、山や川など自然があるのもパトスで、パトスという言葉は自然の中では人間は主体ではなく客体であるということを意味しているのだと言うのです。

自然が主体で人間は客体である(にすぎない)という考えは、自然保護の根本にも関わってくる話なのですが、私たちが山に行くと、自分が非力で小さな存在に感じたり、(俗な言葉で言えば)「山にいだかれる」ような気持になったりするのも、そこから来ているのかもしれないと思いました。

伊藤二朗氏は、対談の中で、雲ノ平の溶岩が季節や日や時間によって大きく見えたり小さく見えたりすると言ってましたが、仮にそれが”妄想”であっても、そういった”妄想”を誘うものが山にあるのはたしかです。「山に魔物が住んでいる」というような言い伝えも同じでしょう。

山に行くと、自分が自分ではないような感覚を抱くことがあります。若い頃によく言っていた、空っぽになるために山に行くというのも、山が空っぽにさせてくれたからでしょう。

(唐突ですが)平岡正明が『ジャズ宣言』の冒頭で掲げた下記のアジテーションはあまりに有名で、若い頃の私も心をうち震わせた人間のひとりですが、平岡正明が言うような激しい「感情」は登山とは無縁ではあるものの、このアジテーションも見方を変えれば、登山に通じるものがあるような気がしてならないのです。

  どんな感情をもつことでも、感情をもつことは、つねに、絶対的に、ただしい。ジャズがわれわれによびさますものは、感情をもつことの猛々しさとすさまじさである。あらゆる感情が正当である。感情は、多様であり、量的に大であればあるほどさらに正当である。感情にとって、これ以下に下劣なものはなく、これ以上に高潔なものはない、という限界はない。


私たちは、電車が来てもないのに駅の階段を駆け下りていくような日常の中で、論理的一貫性とか整合性とか、そんな言葉で切り取られた「現実」に囚われてすぎているのではないか。そうでなければならないという強迫観念に縛られているのではないかと思います。もっと自由であるべきなのです。

田部重治は、自問自答をくり返したのち、夜のしじまに包まれていく宿で、次のように書きます。

  今日、見て来た自然は何と素朴的なものであったろう。温かき渓谷の春は、静かに喜びの声をあげて、その間を動く人間もただ自然の内に融けている。それは全くそれ自身において一致している。私たちはこれに理想と現実との矛盾を感ずることは出来ない。私は解放されたる動物のように手足を自由に延ばしながら秋川の渓谷を遡って来た。私はただ萌え出ずる自由を心の奥から感じつつ来た。


ここに書かれているものこそパトスであり、これが山に登る、山を歩くことの真髄ではないのかと思いました。

そして、「数馬の夜」は、次のような感傷的な文章で終わっているのでした。

  もう夜の闇は押し寄せて来た。南秋川の流れは、ただ、闇の中に白く光って、爽やかな響きを立てている。台所の馬子の唄も止んで、あたりが静寂の気に充ち、私の心はしんとして静かな大地に沈んで行くかのように思われる。私は何の為すべき仕事を持ってない。私は、ただ明日、この上流の大きな滝を眺めてから、上野原まで五里の山道を行けばそれでよいのである。

2022.08.02 Tue l 本・文芸 l top ▲
先週、笹尾根に登った帰り、バスに乗っていると、檜原街道沿いの民家の軒先に「産廃施設建設反対」の幟が立っているのが目に入りました。それも幟はいたるところに立っているのでした。

それで帰ってネットで調べると、檜原村の人里(へんぼり)地区に産業廃棄物処理施設の建設計画が持ち上がっていることを知りました。人里も何度も行ったことのある、なじみ深い集落だったのでびっくりしました。

計画については、下記のYouTubeで経緯等詳細を知ることができます。

YouTube
SAVE HINOHARA 東京の水源地「檜原村」を大規模産廃焼却場から守れ!〜「顔の見えすぎる民主主義」から日本の未来を考える〜

建設を計画している会社は、既に地元の武蔵村山市で産廃処理施設を運営しているのですが、その処理能力は1日4.8トンだそうです。しかし、檜原村の人里に建設を計画している施設は1日96トンの処理能力なのだとか。武蔵村山の施設が老朽化したからというのが新施設計画の理由のようですが、何と前より20倍の処理能力を持つ施設を造ろうというのです。

今年の3月1日に、廃棄物処理法に基づいて「廃棄物処理施設設置許可」の申請が東京都に提出され受理されています。建設される場所は檜原村なのですが、申請の窓口は東京都で、諸々の手続きを経て最終的に許可するかどうかを決定するのも東京都知事なのです。

申請後、1ヶ月の申請書の告示期間や関係市町村長(この場合は檜原村の村長)の意見聴取や利害関係者の意見書提出の手続きは既に終えており、専門家からの意見聴取(専門家会議)が先週の27日からはじまっています。専門家会議が終われば、あとは欠格事由に該当してないかどうかの審査と許可するかどうかの都知事の最終判断が残っているだけです。

朝日新聞デジタル
「具体性欠く」業者へ指摘続々 檜原村の産廃施設計画で専門家会議

行政手続法と都条例により、申請から180日以内に結論を出すという決まりがあるそうで、今年の10月か11月までには最終的な結論が下されるのではないかと言われています。

檜原村は島嶼部を除いては東京都で唯一の村で、令和4年7月26日現在の人口は2,069人(1,137世帯)です。人口も、島嶼部を除いて東京都でもっとも少ない自治体です。しかも、昭和の大合併や平成の大合併はもちろん、この400年間どことも合併せずに、独自の歩みを続けている稀有な村でもあるのす。

檜原村のサイトには、次のように村が紹介されています。

檜原村
村の概要

檜原村は、東京都の西に位置し、一部を神奈川県と山梨県に接しています。

面積は105.41平方キロメートルとなっており村の周囲を急峻な山嶺に囲まれ総面積の93%が林野で平坦地は少なく、村の大半が秩父多摩甲斐国立公園に含まれております。

村の中央を標高900m~1,000mの尾根が東西に走っており両側に南北秋川が流れていて、この川沿いに集落が点在している緑豊かな村です。


東西に走っている尾根が笹尾根と浅間尾根です。その間を檜原街道が通っています。そして、その檜原街道に沿って流れているのが北秋川と南秋川です。秋川は多摩川の支流で、檜原村は文字通り「東京の水源地」なのです。

人里(へんぼり)は、檜原街道から北側の山の縁にかけて家が点在するのどかな山里の集落です。人里という地名について、『奥多摩風土記』(大舘勇吉著・有峰書店新社)では次のように書いていました。

人里という地名は特異で語意は不明、寛文の検地帳にはなく、「和田、事實ことづら、上平」にわたる総称で、古くはこの三組のことを火追堀(ひおんぼり)三組といい、現在は人里三組といいます。火追堀とは三頭山御林防火のため、その防火線を(掘)を管理することが前記三組に課せられていたのです。火追堀はまた火堀ともいわれていわれ(ママ)この火堀(火保里)がいつか「へんぼり」の語に、また「人里」の文字に転訛して人里三人組を総称する地名になったとの説があります。


浅間尾根の人里峠に至るには、最初に息も上がるような急坂を登らなければならないのですが、その急登に沿って家が建っているのでした。そして、突端の家の横から登山道に入りしばらく進むと、テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された家があります。既に無人になっていますが、敷地内は自由に見学でき、庭の奥では400年前から出ているというとても美味しい湧き水を飲むことができました。

そんな集落の一角に、一日の処理能力が96トンという巨大な産廃施設が造られるのです。予定地を地図で見ると、先週笹尾根の笹ヶタワノ峰から下りた道の西側にあたり、笹ヶタワノ峰の隣の笛吹(うずしき)峠から下りて来る道の近くでした。

しかも、産廃施設ができると、ツキノワグマも生息するような森を持つ山に囲まれた焼却炉から、産廃を燃やす煙が24時間止むことなく吐き出されるのです。それは、想像するだけでも異様な光景です。それだけではありません。あの檜原街道を一日に70台の産廃を積んだトラックが行き交うようになるそうです。

業者は、2020年の11月に、産廃施設の予定地に隣接する場所に、村の木材産業協同組合などの協力を得てバイオチップ工場を造っているのですが、それは産廃施設を造るための”地ならし”だったのではないかと言われています。「SDGsは『大衆のアヘン』である」と言ったのは斎藤幸平ですが、ここでも「循環型社会」「エコサイクル」「地球(環境)に優しい」という言葉が、自然を収奪する資本の隠れ蓑に使われているのでした。

ダイオキシンをはじめ、水銀やカドミウムや鉛やヒ素など有害物質による周辺の環境への影響も懸念されます。ましてや村のサイトでも謳われているように、檜原村の大部分は秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、檜原村は「国立公園の中の村」と言ってもいいくらいです。産廃処理施設の建設予定地も国立公園の中です。そんな村に24時間稼働の巨大産廃焼却施設を造るなど、どう考えてもとんでもない話と言わざるを得ません。

YouTubeの中でも、パネラーの宮台真司氏が北アルプスの雲ノ平山荘の小屋主の伊藤二朗氏の話をしていましたが、先の「登山道の整備と登山者の特権意識」という記事で触れたような、日本の国立公園が抱える自然保護の問題が、檜原村の産廃問題にも映し出されているように思えてなりません。また、下記の対談で語られている人と自然の関係というテーマとも無縁ではないように思います。

YouTube
宮台真司×伊藤二朗 -自然と社会を横断する二つの視点から

法律では最終的な決定権は小池百合子都知事にあるので、極端な話、可否は小池都知事の胸三寸みたいなところがあります。そのため、最後は(よりによって)あの小池百合子都知事に、「小池さん、許可しないでください」とお願いするしかないのです。それが今の民主主義のルールなのですが、何か割り切れないものを覚えてなりません。

業者も、人口が2000人で村会議員も9人しかいない小さな村なので、御しやすいと思ったのは間違いないでしょう。宮台真司氏は、過疎地は有力者のネットワークですべてが決まるので、民主主義をコントロールしやすいと言っていましたが、業者はまさにそういった地縁・血縁に縛られた日本の田舎の”弱点”を衝いてきたとも言えます。

しかし、建設予定地区の住民や村の若い後継者や移住者などが中心になり、勉強会を開いたり、ネットを利用して計画のことを村の内外に発信したり、村の歴史上画期的とも言える反対デモを行ったりして、「とんでもないことが進んでいる」「あきらめるのはまだ早い」ということを訴えてきたのです。その結果、村議会における全会一致の反対決議や村民の3人に2人が反対署名するという、村挙げての反対運動に発展したのでした。檜原街道沿いの民家の軒先に掲げられた幟もそのひとつなのでしょう。

そんな反対運動を通して、YouTubeのトークイベントのタイトルにもあるように、誰もが顔見知りであるような小さな村の利を逆に生かした、「顔の見えすぎる民主主義」なる住民自治を模索する試みもはじまっています。小さな村の人々が思考停止を拒否しているのです。

檜原村の問題は、檜原村に通うハイカーにとっても、自然保護を考える人たちにとっても、日本の国立公園のあり方を考える上でも、見て見ぬふりのできない問題だと言えるでしょう。


関連サイト:
Change.org※ネット署名
東京都の水源地「檜原村」に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!
Twitter
檜原村に産廃焼却場を建設しないでください
facebook
檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

DSC04461.jpg
人里バス停

DSC04463.jpg

DSC04464.jpg
登山口

DSC04469.jpg

DSC04471.jpg

DSC04473.jpg

DSC04478.jpg

DSC04483.jpg
テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家

DSC04490.jpg
400年前から出ているという湧き水

DSC04503.jpg

DSC04506.jpg

DSC00296.jpg
浅間嶺展望台

DSC00132.jpg

DSC00135.jpg

DSC00261.jpg

DSC00372.jpg

DSC00378.jpg

DSC00380.jpg

DSC00383.jpg

DSC00421.jpg
「払沢の滝入口」バス停

DSC04736.jpg

DSC04701.jpg
払沢の滝
2022.08.01 Mon l 社会・メディア l top ▲