
横浜橋商店街
大晦日、ふと思い付いて、午後からカメラを持って横浜の街を歩きました。
新横浜駅から市営地下鉄に乗り、桜木町で下車して、桜木町から馬車道を経て伊勢佐木町、伊勢佐木町から横浜橋商店街まで歩き、帰りは同じコースを馬車道まで戻り、馬車道からみなとみらい線(東横線)で帰りました。
帰ってスマホを見たら1万5千歩を越えていました。膝は運動不足ということもあるのでしょうが、ちょうど距離の長い山を歩いたあとのような感じで、多少の痛みもありました。
新横浜駅に向かっていたら、住宅街に貸しスタジオみたいなものがあり、その入り口の看板に、某大物ミュージシャン夫妻のセッションの告知が書かれていました。私は、ギョッとして立ち止まって、その看板に目が釘付けになりました。
看板にはただ、「○○・△△セッション」の文字とその下に日にちと料金が書かれているだけでした。料金は、ドリンク付きで2000円です。テレビなどでもほとんど行われないあの大物ミュージシャン夫妻のセッションが2000円。私は、もしかしたら、近所に住んでいて、半ばプライベートでセッションするのかもしれないと思いました。
スマホで検索してみると、やはり、「○○・△△セッション」のワードでヒットしました。それによれば、「1人1曲リクエスト」となっていました。エッ、リクエストにまで応じてくれるのか。凄いセッションだなと思いました。
でも、何かひっかかるものがあるのです。それで、もう一度、スマホに表示されたサイトの説明文を上から下まで丁寧に読み直してみました。非常にわかりにくいのですが、どうやら本人たちが出演するわけではなく、会の主催者のミュージシャンがリクエストに応じて演奏するライブのようです。なのに、どうしてこんなわかりにくい説明文を書いているのか。看板だけ見ると完全に誤解します。ただ、こんなところでホンモノがセッションするわけないだろう、常識的に考えればわかるだろう、と言われればたしかにそのとおりなのです。
子どもの頃、近所の神社の境内にサーカスがやって来たことがあるのですが、そのときのことを思い出しました。その中の催しに、「一つ目小僧」というのがありました。サーカス用の大きなテントの横に建てられた小さなテントの中で、「一つ目小僧」が展示されているというのです。もちろん、サーカスとは別料金です。
私はそれに興味を引かれ、「一つ目小僧を観たい」と親に泣きつきました。親は「ニセモノだ」とか「騙しだ」とか言って取り合ってくれません。それでも一人息子で甘やかされて育てられた私は、ダダをこねて執拗に訴えたのでした。親も(いつものことですが)最後には根負けしてお金を出してくれました。
それで、お金を握りしめいそいそと出かけた私が、テントの中で目にしたのは、理科室にあるようなビーカーに入れられアルコール漬けされた頭の大きな爬虫類らしきものの死骸でした。子ども心にあっけに取られた私は、別の意味で見てはいけないものを見たような気持になったのでした。サーカス団はとんでもない悪党の集まりで、子どもをさらってサーカスに入れるという(今ではあきらかにヘイトな)話も、もしかしたらホントではないかと思ったほどでした。
もっとも、その頃、町内に唯一あった映画館で、三葉百合子(ホンモノはニ葉百合子)という有名浪曲師のコピーの公演が行われたことがありました。うちの親たちは笑っていましたが、それでも町の年寄りは座布団を脇に抱えて出かけていたのです。祖父母も行ったみたいで、親は陰で悪態を吐いていました。
新横浜駅では、もちろん、スーツケースを転がした家族連れの姿が目立ちましたが、しかし、やはりコロナ前に比べると、人の数はあきらかに少ない気がしました。
途中、横浜アリーナの前を通ったのですが、大晦日は桑田佳祐のカウントダウンライブが行なれるはずなのに、開演までまだ時間があるからなのか、周辺もそれほど人が集まっていませんでした。いつもだと、駅からの舗道ももっと人通りが多いのですが、舗道も閑散としていました。アリーナの横にある公園も、開演待ちの観客たちで溢れているのですが、それもありません。帰ってネットで調べたら、横浜駅からアリーナまで無料のシャトルバスが運行されたのだそうです。これもコロナ前にはなかったことで、やはり電車や駅や舗道の”密”を避けるためなのかもしれません。
私もこのブログで書いたことがありますが、前は駅前のマクドナルドなども、コンサートの観客でごった返していましたが、シャトルバスで会場に直行するならそういったこともなくなります。
桜木町の駅前も、閑散と言ったらオーバーですが、やはり人は少なく、いつもと違いました。伊勢佐木モールも、先日、「REVOLUTION+1」を観に行った際、久しぶりに歩いたばかりですが、相変わらず人通りは少なく、うら寂しさのようなものさえ覚えました。
これは何度も書いていますが、私の田舎では、大晦日は「年取り」と言って、家族みんな揃って一日早くおせち料理を食べるしきたりがあります。大晦日が一番の御馳走で、食膳にはおせち料理のほかに刺身なども並びました。祖父母は歩いて5~6分くらいのところに住んでいたのですが、大晦日は祖父母も我が家にやって来てみんなで「年取り」の膳を囲むのでした。だから、大晦日の「年取り」に家族が揃うということは大変重要で、帰省する場合も「年取り」までには必ず(ほとんどが前日までに)帰るのが鉄則でした。その意味では、コロナ禍によって、こちらの大晦日の風景も、九州の田舎に似てきたような気がしないでもありません。
伊勢佐木モールで目に付いたのは高齢者と外国人です。何だか黄昏の日本を象徴するような光景に見えなくもありません。それが”横浜のアメ横”とも言われる横浜橋の商店街に行くと、さらに外国人の割合は多くなり、買物に来ているのは日本人より外国人の方が全然多いようで、耳に入ってくるのは、中国語や韓国語やその他聞きなれない外国語ばかりでした。
そのため、年末と言っても、おせち料理の食材よりエスニックな食材を売っている店が多く、いちばん人盛りができていたのは鶏のから揚げやメンチカツなどを売っていた揚げ物の店でした。私も買って帰りたいと思ったのですが、人をかき分けて店員とやり取りするのが面倒なので、買うのをあきらめました。
横浜橋はキムチを売っている韓国系の店も多いのですが、私は最近、スーパーで居合わせたきれいな奥さんから、旦那さんが虜になっているという美味しいキムチを教えて貰い、私も何故かそれに虜になっていますのでキムチはパスしました。
九州はどうだったか記憶にないのですが、こちらのスーパーでは年末になると商品棚も正月用の食品が並びます。しかも、魚も肉もえらく高くなるのです。別に長生きしたいとは思わないものの、一応年越しの蕎麦を買おうと近所のスーパーに行ったら、いつも買っている蕎麦がないのです。その代わりに縁起物だとかいう無駄な包装を施した年越し用の蕎麦が棚を占領していました。もちろん、いつも買う蕎麦の何倍も高価です。しかも、いつも買う蕎麦と同じシリーズのうどんは売っていました。値段が高く利幅が大きい蕎麦を売るために、蕎麦だけ奥に仕舞ったのでしょう。それで、意地でも蕎麦は買わないぞと思って、うどんを買って帰りました。
年末のスーパーの商品棚を見ていると、新宿や渋谷などの繁華街の喫茶店などで行われていた「正月料金」を思い出します。喫茶店自体が”絶滅危惧種”になっており、そのあとチェーン店のカフェが市場を席捲しましたので、今はもうそういった商習慣もなくなったのかもしれませんが、当時は喫茶店が高いため、「正月料金」の設定がないマクドナルドなどに客が殺到して大混雑していました。
若い頃、正月にガールフレンドと新宿の喫茶店に入ったら、メニューにコーヒーが1200円と表示されているのが目に入り、私は一瞬「ぼったくりの店だ」と思って、いったん下ろした腰を再び上げそうになりました。
しかし、東京生まれのガールフレンドは、あわてふためく私を横目で見ながら、「正月はどこもそうよ」とこともなげに言ったのでした。そして、「大丈夫、あたしが払うから」と。それ以来、彼女の口から「カッペ」という言葉がよく出て来るようになった気がします。「カッペ」というのも、東京に来て初めて知った言葉でした。
最寄り駅に着いて、普段あまり行くことがない駅前のガード下にある小さなスーパーに入ったら、他のスーパーでは取っ払われていた総菜も普段どおり売られていました。私は心の中で「これだよ、これ」と呟きながら、メンチカツやアジフライや鶏のから揚げなどを買って帰りました。
写真は、見て貰えばわかるとおり、「大晦日の横浜」と言ってもそれらしい写真は撮れていません。世の中に対して、引け目を感じ遠慮している今の自分の気持が反映されたような、腰が引けた写真ばかりです。写真屋だった父親がよく言っていた、「前に出て写真を撮れ」「遠慮していたらいい写真は撮れないぞ」という言葉が今更のように思い出されてなりません。

新横浜・マリノス通り

新横浜駅

桜木町駅

桜木町駅前

市役所が建てられたのに伴い弁天橋の上に歩道橋ができていた。その上から撮影。

馬車道・神奈川県立西洋美術館(旧横浜正金銀行)

馬車道の通り

馬車道・太陽の母子像(アイスクリーム発祥の地)

伊勢佐木モール入口

伊勢佐木モール